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利用者‐会話:Wiki ryon

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ウィキペディアにようこそ

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はじめまして、Calveroと申します。ノート:量子力学での書き込みを拝見してこちらに参りました。量子力学関係の記事へのご加筆・ご修正、楽しみにお待ちしております。自然科学の項目執筆者は、特に物理学の分野においては執筆者がそれほど多くないため、大歓迎であります。よろしくお願いいたします。

さて、瑣末なことで大変恐縮なのですが、ウィキペディアでは著作権侵害に対しては結構厳しく、Wiki ryon さんが作成なさっているサイトから記事をこちらに移す際に、転載とみられ削除依頼が提出される可能性があります。つきましては念のため、Wikipedia:自著作物の持ち込みをご一読なさることをお勧めさせて頂きたいと存じます。既にご存知のことでしたら失礼いたしました。

Wiki ryon さんのご活躍を、心よりご祈念申し上げます。--Calvero 2006年10月14日 (土) 23:17 (UTC)[返信]


こんにちは。自然科学系の記事の改善を目指されるのはこちらからお願いしたいぐらいのことで、是非手がけていただきたいですし、心より歓迎いたします。ただ、上で Calvero さんが述べられてらっしゃいますように、著作権の権利問題は注意深く回避しなければなりません。Wikipedia:自著作物の持ち込みに加え、ウィキペディアの文章から貴サイトへの転載以降も、GNU Free Documentation License (GFDL) に従うこと、あるいは引用に必要な条件が満たされることが求められます。また、貴サイトの文章がウィキペディアの文章をたたき台として貴サイトで編集を受けたものである場合、それは自著作物と見なせなくなり、ウィキペディアへ戻す際に障害が生じる可能性があります。うるさいことを申してすみませんが、ご配慮をよろしくお願いいたします。ウィキペディア上、各記事のノートもぜひご活用下さい。--スのG 2006年10月15日 (日) 01:36 (UTC)[返信]


アドバイスありがとうございます。該当ページにライセンス関係の記述を追加しました。今回は修正が多岐に渡るのでノートに大量の文章を投稿することになり、それがためらわれたので別途サイトを立ち上げてみました。--量子力学のド素人ことryon 2006年10月15日 (日) 05:37 (UTC)


こんばんは。いろいろ勝手になおさせていただきました。おそらくあっていると思いますが、間違いがあると思われるなら指摘していただけるとありがたいです。

Kakannkann 2006年10月17日 (火) 13:06 (UTC)[返信]

修正どうもありがとうございます。詳細は向こうにまとめました。--量子力学のド素人ことryon 2006年10月17日 (火) 17:56 (UTC)


ご丁寧にありがとうございます。私のほうの反論も書かせていただきました。良い合意点に達することができるよう、祈っております。

Kakannkann 2006年10月17日 (火) 18:56 (UTC)[返信]

シュレーディンガーの猫について

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ノートでの論点を簡単にまとめます。


Wikipedia:基本方針とガイドラインによれば、Wikipediaは百科事典であり、「これ以外に目的はありません」と書かれています。百科事典の項目には、「幅広い分野の知識を、項目ごとに整理・記述して、誰でも容易に概要を理解できるよう簡潔にまとめたもの」と説明されています。つまり、Wikipediaの記事は、誰でも容易に概要を理解できるよう簡潔にまとめることが求められます。


ようやく、Kakannkann氏の主張内容が明らかとなりました。ようするに、「観測可能な重ね合わせ」とは、重ね合わせの痕跡が観測可能という当り前のことを言ってるだけであって、重ね合わせ状態を直接的に観測する話ではなかったわけですね。シュレーディンガーの猫で言うなら、蓋を開けた時、観測者が「おおっ、生と死が綺麗に重なり合っとるわ」(←「"'そのもの"'を観測」の事例)と直接的に視認することではなく、直接的には生きた猫か死んだ猫のどちらかしか視認出来ないけど両方を視認できるかどうかは別として、生と死の重ね合わせを示す証拠を見つけることができると。それなら、単に、言葉を訂正すれば済むだけの問題でしょう。というか、あの文章を見て、重ね合わせの痕跡が観測出来ないという意味に受け取る人って居るんですか?(これは、最も予想しなかった答えです。何故なら、これは、私が一貫性の無い主張をしているという前提で物を言っているからです。以前にも、「私の主張が一貫性を失うように見えたら、まず、文章の誤読を疑ってください」と言ったはずなんですが。やはり、「量子力学のド素人ことryonは頭がおかしいから、一貫性のある話など出来るはずがない」と、そう仰るわけですかね?「当たり前のことを想定している」のに、私がその当り前を否定する前提で物を言ってると、仰ってるようです。やはり、「量子力学のド素人ことryonは頭がおかしい」という前提のようですね。)

何度も繰り返し言ってることですが、私は、「カモシカのような足」を「カモシカの足のような足」に訂正することは反対しません。ただし、「カモシカのような足」では不正確だとの理由で、「カモシカのような足」に関する記述を削除することはWikipedia:削除の方針Wikipedia:無意味な記述の方針に反します。鹿の足に喩えようと馬の足に喩えようと自由だけれど、何度も言うように、「馬の足」を「鹿の足」に書き直してはいけないとは一言も言ってません。「蹄」云々は別の論点「スケールと奇妙さ」「解釈問題と観測問題」の話なので、混同しないでください。あと、「"そのもの"を観測」できるかのような逆の誤解を生む記述もご遠慮願いたい。

あの文章を読んで「量子力学の観測と"そのもの"を測定すること」が同一と書いてると読むのは、Kakannkann氏だけでは?これは、誤読というよりは、歪曲ですね。争点の無い所に争点を作るために、無理にねじ曲げた解釈をする必要が何処にあるのでしょうか?もしかして、日本語の読み方から指導しないといけないのでしょうか。いかなる文章にも前提事項があります。明言していないのは暗黙の前提があるのであって、前提の無い文章はありえません。前提を全て並べていたらフレーム問題になるから、説明の必要の無い前提には言及しないだけです。そして、「AだからB」と述べる場合は、通常、AとBは同じ前提であることが暗黙の了解です。だから、一方の前提が明確である場合は、他方の前提も自動的に明確になります。と、このように、辻褄の合うように文章を順番に読み解いて行けば、前提事項も明らかになります。暗黙の前提が分かりにくいから、もっと明確にしろと言うなら分かります。しかし、文章に無理が生じる前提を仮定して、前提が間違っていると言うのは的外れです。普通の人なら、文章に無理が生じる時点で、真っ先に、前提の読み違えであることを疑います。

「カモシカの足のような足」に話が及んだ時点で、「カモシカのような足」を「カモシカ一匹丸ごとのような足」と誤読している可能性は当然疑うべきことでしょう。しかし、何度それを指摘しても、そうした誤読を一切疑わず、「カモシカのような足」=「カモシカ一匹丸ごとのような足」であると決め付けて物を言うのは何故でしょうか。何にせよ、「カモシカのような足」という記述は「カモシカの足のような足」を意図したものであって、「カモシカ一匹丸ごとのような足」を意図したものではありません。よって、「カモシカのような足」を「カモシカ一匹丸ごとのような足」と解釈[1]した場合の文章が指し示す意味は、執筆者が意図したものとは全く違うものであり、それに対する質問や反論には答えようがありません。「語句に対する誤解が執筆者の意図とは違う意味を生んだ」と答える以外には。


スケールと奇妙さの関係について論じる前に、「奇妙」という言葉の定義について、ハッキリさせておきます。誰かが主観的に奇妙と感じるということは、独自の調査の類いに過ぎません。よって、ここでは、「奇妙」とは、科学的に説明が困難な問題が生じていることを指すものとします。

元々、この問題は、巨視的な重ね合わせがシュレーディンガーの猫の固有の問題であるかどうかについての議論です。固有の問題であるならば、奇妙さが猫スケールに特有の物でなければならないはずです。猫の生死の重ね合わせを直接目の当たりにしないという前提であれば、この思考実験は日常の観測結果と何ら矛盾しません。つまり、主観的に奇妙であっても、何ら辻褄の合わない現象は生じておらず、科学的には何ら奇妙とは言えません。重ね合わせの痕跡があることについては、猫スケールで奇妙であるなら、輝点スケールでも同様に奇妙です。もっと言えば、微視的な世界においても奇妙さに変わりはありません。つまり、奇妙さはスケールに依存していません。よって、シュレーディンガーの猫の固有の問題とは言えません。シュレーディンガーの猫の固有の問題と言うためには、「輝点スケールでは奇妙ではない」と言える必要があります。でなければ、奇妙さは、どのようなスケールでも生じるのであって、猫スケール固有の問題ではありません。本題部分の猫スケールでも輝点スケールでも奇妙であることには変わりないことに異論は無いわけですね。だったら、この論点は解決です。

そもそも、デコヒーレンスが有力であることを理由に、観測問題が解決済みであると言うなら、同じ理由で、猫を使った実験では生死の重ね合わせを作れない(生命体でなければ巨視的な重ね合わせは不可能ではない)ことになり、シュレーディンガーの猫ではそのような問題が生じないと決着済みになるはずです。自ら持ち出した前提については、当然、それを踏まえて物を言うべきでしょう。(これは、デコヒーレンスを引き合いに出したのは間違いだったと認めれば済むだけのことだと思います。言ってますね→「この問題はほとんど解決問題です」(2007年2月3日 (土) 14:29 (UTC))(特定の仮説での「ほぼ解決」と特定の分野での「ほぼ解決」を未だに混同しているようです。特定の仮説で「ほぼ解決」であっても、その仮説のわずかな問題点が、致命的な欠陥となる余地があるのであれば、その仮説を含む分野での問題は「ほぼ解決」とは言えません。そして、デコヒーレンスには、未解決部分に致命的な欠陥となりかねない余地が含まれています。そのことはご存知ですよね?)→異論が全く見られず、明言せずにいつの間にか認めたかのような度重なる主張から見て、量子力学的には「ほぼ解決」に至っていないと認めたということですね。つまり、シュレーディンガーの猫の固有の問題が何かを論じるのに、デコヒーレンスを持ち出したのは間違いだったわけですね。



第一段落について
重ねあわせの痕跡のみという表現は、微妙ですが、我々物理屋にとっての観測は実験結果を統計的に処理して、その上でそのような重ねあわせ状態を仮定するならばつじつまが合うという意味でして、それと外れた投稿はないはずです。ただ、重ね合わせ状態のyes - no test は、観測後、その固有状態である重ねあわせ状態を出力します。そもそも、物理において、観測は上述の意味で使われる以上、観測不能であるとか、実験に合わないという言葉は上述の意味で使われます。その意味において、例えば、「もし、この思考実験で生と死の重ね合わせの状態を目の当たりにすることがあるならば、現実にもそのような現象が観測されていなければならないはずである」といった記述で、観測不可能というのはまったく持って不適当であると思われます。
第二、三段落について
そもそも私は観測と実験を一致させる何かについて言及した記憶はありませんし、そのような仮定を必要とする主張もしていません。ただ、実験が状態の収束を引き起こしすと考えてよいとは仮定し、それを巨視系に適応はしました。実験の意味は演算子を提示して明示しました。
第四、五段落について。
第一に、デコヒーレンスによって、巨視的なものの収束はある程度の議論が可能になっている。第二に、猫という巨視的スケールでは古典的世界観が(近似的に)成立するが、設定を用意すれば、量子力学的効果があらわに現れることを示した点がポイント。
第六段落と表について
その議論なら、猫や輝点は収束しているのを確認しているということになりますが、それならば、電子や光子でさえも同様です。従って、その差別化はスケールしかないわけです。
第七段落について
そもそも、「観測可能な重ねあわせ」という定義を、私は上述の意味で使っています。
第八段落について
それと同様の意味で、理論的に僕の提示した実験は可能です。したがって、不可能であるというような記述は非合理でしょう。
Kakannkann 2007年2月10日 (土) 12:55 (UTC)[返信]
量子力学の項目を書く以上、物理的な観測にのっとって書いているとばかり認識していました。また、本文中の観測は、物理的な観測の意味にも使われています。だから、お互いそのような当たり前のことを想定していると思ったのです。ですから、物理の観測にのっとって、実験を定義して反論をしているわけです。
そもそも、"そのもの"を観測とは、何を観測すれば、そのものを観測したことになるのでしょうか?ある種の波動関数の重ねあわせ状態があって、そのような波動関数を観測したとき、ランプが必ずつくような実験装置(ひとつの状態についてのyes-no-testとします)があって、必ずランプがついたとします。我々が観測するのはランプがつくということでしかありません。
同様に、何を持って、重ねあわせ状態の猫そのものを観測したことになるのでしょうか?例えば、死んだ猫と生きた猫のぼやけている状態を視認することでしょうか(それならば、たくさんの人がそういう現象を見たことがあるかもしれません)?それとて、実際に観測しているのは、光子を観測しているに過ぎません。
物理的には、"そのもの"を観測することが明確に定義できない以上、"そのもの"を観測するという表現は非物理的なものを仮定せねば、成立しません。つまり、何らかの"そのもの"があり、それが測定できるということです。つまり、素朴実在論です。
本文中では、観測は物理的な意味でも使われています。この混同も著しく厳密さを欠きます。結果、非物理的な観測を物理的だと認識させかねません。その二つの観測を明確に区別する表現を用い、さらに、物理的な観測の意味ではない観測を本文中で明確に定義し、できれば、物理における観測の定義を明記すれば、本文の表現は問題なくなると思います。少なくとも、現在の版は認めがたいものと申しておきます。
Kakannkann 2007年2月11日 (日) 14:37 (UTC)[返信]
スケールにこだわる理由、奇妙さについては、上述、「第四、五段落について」参照のこと。
Kakannkann 2007年2月11日 (日) 14:48 (UTC)[返信]
この件は鹿の足と馬の足が混同しています。記述で用いられるべきなのは鹿の足ですが、馬の足の蹄を議論しています。結果、読者は、鹿の足も馬の足も一緒くたにしてしまいます。僕が望むのは鹿の足のみの記述です。
Kakannkann 2007年2月12日 (月) 15:47 (UTC)[返信]
なお、デコヒーレンスを持ち出して、観測問題が解決したなどと申した記憶はありませんよ。巨視系については有力な議論できるといったのみ、です。微視系でどうなってるかは知りません。
Kakannkann 2007年2月12日 (月) 15:50 (UTC)[返信]

まず、馬の足と鹿の足はまったく異なる概念であることを認識してください。量子力学の観測と"そのもの"を測定することは、異なるものです。したがって、"そのもの"を測定することを前提に書かれている文章はどうあがいても物理的な記述になりがたくなります。量子力学の観測に入れ替えれば物理と矛盾する文章になりますし、"そのもの"を観測することを明確に定義して書くと、それは非物理的となります。ただ、まだ、後者の方がましだという気はしますが。

デコヒーレンスについては、シュレディンガーの猫についてはほとんど解決してはいるといいましたが、(完全に)解決しているとはいっていません。そのことは以前も貴方に突っ込まれて、認めた記憶があります。また、微視系については何の言及もしていません。これは、まったく、僕が上で述べていることと同じです。

Kakannkann 2007年2月13日 (火) 11:01 (UTC)[返信]

そのものを観測するということは、明確に定義できておらず、また一般的な用法でもありません。それは、そのものを観測するというのが、物理的に不可能であり、したがって、物理の文脈で解釈できないからです。もし、定義可能で一般的であるとおっしゃるなら、ソースの提示をお願いします。
また、物理的な概念と異なることを仮定し、その結果得られる結論を物理のページの記述に載せる必要性は何ですか?
デコヒーレンスについては、本当に解決していれば、”ほぼ”とか”ほとんど”という形容詞を使いません。貴方の言っていることはすべて認識していますし、だから、そのような形容詞を使っています。
Kakannkann 2007年2月14日 (水) 17:47 (UTC)[返信]
今回の修正で、物理的に間違っている記述はなくなりました。もちろん、もろもろの問題点はありますが、それは次の段落の問題点を指摘する際にやったほうが良いと考えますので、そのときにもう一度行いましょう。なお、以後、シュレーディンガーの猫のノートページに投稿します。
デコヒーレンスに関しては、スケールが大きいところではほとんど解決しているが、スケールが小さいところでは、よくわからないという意味で、スケールの差が出てくるという話ですよ。なお、デコヒーレンス自体は解釈の絡まない、物理の問題ですよ。それで、すべての収束を議論できるというかどうか、からが解釈問題であって。
Kakannkann 2007年2月16日 (金) 07:45 (UTC)[返信]

とりあえずのまとめ

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「基本相互作用では〜が知られている。」で済ませるのは百科事典として不親切な気もするし、「概要」として十分だと言われれば十分なような気もするし、説明の深さが微妙な記述になったように思います。私自身にあてはめれば、「もっと詳しく説明してくれ」と思うでしょうね。ただし、シュレーディンガーの猫とは項目を分けるべき内容かもしれません。--2007年2月16日 (金) 11:45 (UTC)

冒頭の内容について

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    • 「おおっ、生と死が綺麗に重なり合っとるわ」(←「"そのもの"を観測」の事例)と直接的に視認することではなく、直接的には生きた猫か死んだ猫のどちらかしか視認出来ないけど、生と死の重ね合わせを示す証拠を見つけることができると。

こんな主張は全くしてませんよ。生と死がきれいに重なり合ってる状態を観測する実験が作れるという主張はしました。そもそも、視認というのが量子的にどういう観測を示しているかわかりませんが、生と死のどちらかしか視認できないかどうかは議論の余地があります。つまり、|生きている>+|死んでいる>という状態が与えられたとき、この状態を視認できるかもしれません。

kakannkann 2007年6月17日 (日) 03:40

Kakannkann 2007年6月17日 (日) 13:05 (UTC)[返信]

今頃言われても、議論の流れをスッカリ忘れているわけなので、何とも言えません。いずれにせよ、「議論の余地があります」「かもしれません」なら、「〜可能」という話ではないようですね。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月18日 (月) 16:03 (UTC)[返信]
該当部分の投稿時は[1]です。その後、Kakannkann氏は、[2]を入れて5回発言されているわけですが、何故、今になってこのようなことを言い出したのか良く分かりません。そもそも、話の前提が全く違う話です。確かに、実験で完全に否定されたわけではないので、「状態を視認できるかもしれません」は完全に捨てきれる可能性ではありません。もちろん、こちらも、当然、それは分かった上で書いているはず(過去の記憶が曖昧だから断言はできない)です。しかし、それは、現実に猫の生死の重ね合わせが視認された事例が一件もない以上、かなり突拍子もない可能性です。そこまで想定して書けと言うのでは、「カモシカの足のような足」と書けと言っているようなものです。念のため、ケチがつかないよう該当部分は訂正しておきました。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月18日 (月) 17:08 (UTC)[返信]
上述[2]の2007年2月13日、2007年2月14日での僕の発言自体が、まさに当該部分に関する反論になっています。その部分に関しては反論がなかったので、この部分がいまだにあるとは思っていなかったのです。そして、猫の本文の修正があり、物理的に了解可能な内容であったので、ご理解できたものと思ったのです。2007年2月16日日の物理的に云々の記述は、シュレーディンガーの猫のページに関してであって、この部分に関するものではありません。そもそも、そのものを観測するということについて、あなたは物理的な定義を相変わらず定義していません。たとえば、yes-noテストに関して言うなら、猫の重ね合わせの固有状態を観測できるということを(つまり、観測することで、猫の重ね合わせ状態の、固有状態に状態が収束するテスト)何度か言及したと思います。--:Kakannkann 2007年6月19日 (火) 14:40 (UTC)[返信]
「その部分に関しては反論がなかった」って言われてますが、私は「鹿の足に喩えようと馬の足に喩えようと自由だけれど」と論点外であることを指摘しています[3]。「鹿の足」や「馬の足」に元の話と違う定義を持ち出しているのだから、話が噛み合ないのは当然です。「シュレーディンガーの猫のページに関して」について「物理的に云々の記述」と述べているなら、「シュレーディンガーの猫のページ」が間違った理解に基づいているとするKakannkann氏の見解が誤解だった証拠になります。「そもそも〜」は元の論点から大きく外れているようです。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月21日 (木) 09:40 (UTC)[返信]

脚注

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  1. ^ 念のために言っておくと、量子力学で用いられる「解釈」とは意味が違う(笑)

コメント依頼での発言について

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コメント依頼の本筋とははずれますので、こちらで質問させて頂きます。シュレ猫での議論で「そう主張する人=利用者:Kwansaiご自身で文献を提示すべきではないかと進言した」とのことですが、それは、どの発言をおっしゃっているのでしょうか。

あと、Wikipedia:コメント依頼の「ガイドラインーコメント依頼の使い方」によりますと「過去に同名のサブページが作られていた場合は、ユーザー名_年月日 など、別名でサブページを作成してください。」とのことですので、Was a bee様に対するコメント依頼について、ガイドラインにそった正しい形にされたほうが良いと思いますよ。--Kwansai 2007年4月21日 (土) 02:19 (UTC)[返信]

ノート:シュレーディンガーの猫#進行中の議論の2007年2月25日 (日) 11:55 (UTC)で、「現在の本文の記述もしくは修正案のいずれでもない記述について意見を求めておいて、個人的な認識ではないとは、一体、どういうことですか?」と問うたところ、Kwansai氏は、2007年2月25日 (日) 12:57 (UTC)で、「あなたが以前に行われました記述について、出典付きで加筆すれば、記事の改善につながるという事を述べました。」と言っています。つまり、私にしつこく出典を要求した記述が、実は、Kwansai氏が書きたかった記述であることを認めたわけです。この件について私は厳しく抗議しています。自分が書きたい内容に対して、どうして私に出典を要求するのかと。ノート:シュレーディンガーの猫#争点においても、Kwansai氏の提案であることを明記しました。「Kwansai氏が出典を出せ」と明言したように思い込んでいたけれど、ログを見ると明言している部分はないようです。しかし、あれだけしつこく私に出典を要求した以上、新規記述の提案者が出典を出すのは当然の暗黙の了解であると思います。明言していなくても抗議内容等から自明であると思います。
コメント依頼の出し方は良く読んで再検討します。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月21日 (土) 09:22 (UTC)[返信]
事実誤認があったという事ですので、以下のように発言を修正して頂けますか?
そう主張する人=利用者:Kwansaiご自身で文献を提示すべきではないかと進言したのですが、(事実誤認のため修正)利用者:Kwansaiが文献を提示するべきであるとはいいませんでしたが、主張しているのは利用者kwansaiであることを、議論の中で示しましたが、
文章の言い回しについては、お任せします。一応、ここに明言しておきますが、私はWikiryon様がそれを示されたとは思っておりません。
これは、私からの忠告ということで、無視して頂いてもいいのですが、上のような事実誤認や、依頼の出し方のまちがいをするというぐらい、現在Wikiryon様は冷静さを欠いておられると推察致します。Was a bee様はブロック依頼も念頭に置いているということを明言されておりますので、これまでもWikiryon様としては冷静であられると思っていらっしゃるとは思いますが、これまで以上に冷静に対応しないと、本当にブロックされてしまいますよ。(わたしは、このままではそれもやむを得まいとおもっていますが、望んではおりません)
Was a bee様に対するコメント依頼の件は確認致しました。--Kwansai 2007年4月21日 (土) 11:08 (UTC)[返信]
なるほど、「詳細も書かないようにしてください。これは、このページ自体が議論の場になることを防ぐためです。」を読んでない人は冷静だと仰るのですね。少なくとも、私はその部分にはすぐ気づいて依頼を訂正しましたけど。確かに「同名のサブページが〜」は読み飛ばしてしまいましたけどね。強く抗議する=感情的になっている=冷静でないと決めつけるのは勘弁していただきたい。--量子力学のド素人ことryon 2007年4月22日 (日) 08:39 (UTC)[返信]

投稿ブロック依頼を提出しました

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つい先ほど、あなたに関する投稿ブロック依頼を提出してきました。

以上、ご報告までに。--Was a bee 2007年5月21日 (月) 08:20 (UTC)[返信]

基本方針から

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Wikipedia:投稿ブロックの方針#通常の投稿ブロック依頼手続きによれば、「管理者は投稿ブロック実施前に以下の事項を確認する必要があります。」と書かれています。

  • 投稿ブロックの対象となる行為に該当すること。
  • 投稿ブロックの対象となる人に対して、問題解決のための誠意・敬意を持った話しかけを誰かが試みていて、それが拒絶されていたり、はねつけられていたりすること。
  • 投稿ブロックを行う管理者以外の方が投稿ブロック依頼を出していること。
  • 投稿ブロックの合意が形成されていること。

このうち、前二項目は明らかに成立していません。

  • 「投稿ブロックの対象となる行為」の存在は何度も具体的に示すよう要求されているが示されていない
  • 「問題解決のための誠意・敬意を持った話しかけ」を誰も試みておらず、逆に利用者:Wiki_ryonがそれを求めると「拒絶されていたり、はねつけられていたり」している。

前者については、Wikipedia:コメント依頼/Wiki_ryon#簡潔に補足説明の通り。後者については、Wikipedia:コメント依頼/Wiki_ryon#新たなる証拠Wikipedia:コメント依頼/Was_a_bee_20070421の通り、依頼者は、答えられないことには答えたくないようです。言うことが、その都度コロコロ変わるところも、聞く耳のなさが良く分かります。そもそも、こうした、コメント依頼は利用者‐会話:Was a bee#反論姿勢についてで依頼人が自らの姿勢を問いただされて、その場凌ぎの主張で誤摩化しきれなくなったために行なわれたものです。依頼人が対話から逃げる手段として依頼を行なっているのだから、後者については言うまでもないでしょう。

もちろん、管理者に選ばれるような人なら、その辺りはキチンと検証して判断をくだされるのでしょう。しかし、もし、管理者がそうした事実関係をきちんと検証しないままブロック判断を下すなら、Wikipedia:中立的な観点を疑わなければならなくなります。「管理者が少ないから間違っても仕方ない」と言われれば、確かにそうだけど。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月21日 (月) 14:14 (UTC)[返信]

対話準備

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万が一の場合に備えてWikiJa-lの登録方法は調べておきました。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月21日 (月) 14:19 (UTC)[返信]

こんにちは

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現在、Wiki ryon 氏に対する投稿ブロック依頼が出されています。ここで冷静になって対応してください。色々な人の意見を読むと、「自主的なウィキブレーク」であれば、ブロックは不必要という意見が少なからずあります。従って、ここは賢明になられて、自主的なウィキブレークを宣言し、実際にしばらく休むのが得策です。誰が正しい、間違っているという議論は、しばしば「ブロック依頼」では逆効果になります。「被依頼者コメント」をたくさん書かれていますが、あれも、整理して、削除するのがよいでしょう。「方針文書を読み返し、自分について反省するため、ウィキブレークに入ります」と述べて、自分が正しい、という主張はされないことです。また、ウィキブレークは実際に実行し、少なくとも2週間ほどは、一切編集しないことです。絶対に誰かが正しいということはないので、Wiki ryon 氏も、絶対に正しいということはなく、また徹底的に間違っているということもないので、間違っていると思う人がいても、そういう人は、天が裁いてくれると考えるのがよいです。完全に正しい人など、この世にはいないというのが自明のことです。

相手に反論し、論駁するのではなく、それは天にでも任せて、あなた自身には非があったのかなかったのか、反省することです。相手の「非の大きさ」と「自分の非の大きさ」を較べるとか、「自分の正当性」と「相手の不当さ」を比較して論じるというのも、あまり良い方法ではありません。まず、自分自身を反省すればよいので、相手は、根本的におかしい人かも知れず、あるいは相手が正しいのかも知れないですが、そのことは棚上げにして、あなた自身のことだけを考えて、反省のためウィキブレークを取られることです。相手が妥当か不当かは、いずれ時間や天が判断してくれます。また、それがなくとも、別に構わないではないのですか。延々とした議論を執拗に行ったのは事実なので、いまは、そのことで、批判が起こっているので、その点を反省されることです。延々論じたのは「正当なことであった」と主張するのは、かえって印象を悪くするのです。このアドヴァイスは、ブロック依頼のプロセスをある程度見てきた者が述べるので、これが納得できないという場合、ブロックとなると思いますし、ブロックになれば、メールなどで訴えても無駄と思います(今回の場合はそうです)。--Maris stella 2007年5月22日 (火) 11:08 (UTC)[返信]

ありがとうございます。Wikipediaの中立性を疑いかけていた所ですが、寸での所で思いとどまりました。後で述べますが、ウィキブレイクについて前向きに検討することとします。
あと、何度も言うように利用者:Wiki_ryonは自分が絶対に正しいと言うつもりはありません。「判決、死刑!…以上」に不服があるだけです。「□□という被告の供述は××と矛盾しており信用できない」というような判決理由くらい説明してくれても良いじゃないか、ということです。判決理由が妥当なものであれば、受け入れて反省します。判決理由に誤解があるなら、それを弁解することもできます。しかし、判決理由が分からないのでは、反省も反論も一切出来ません。彼のように、理由も示さずに「反省しろ!」と言われても、一体、何を反省すれば良いのかすら分かりません。
「延々とした議論を執拗に行ったのは事実」は、もっともな指摘だと思います。ただ、一言、弁解させていただくと、利用者:Wiki_ryonは、問われたことに正面から答えることが誠意だと思っています。これまで、一所懸命答えてきただけであり、詭弁などで誤摩化したことは、誓って、一度もないと胸を張れます。そうした誠意が「執拗」と取られてしまうなら、どうすれば良いのか全く分かりません。利用者:Wiki_ryonの方からしてみれば、相手がそうした誠意を示してくれないことを不満に思います。双方が誠意を示せば、「延々とした議論」にはならなかったと、今でも、確信しています。しかし、どんなに言い訳しても、それが結果的に失敗だったことは明白です。
利用者:Wiki_ryonと議論して疲れると思う人がいるのは事実でしょうが、決して、「周囲ユーザーの疲弊」を狙っているわけではありません。むしろ、早期決着に向けた良い方法があるなら、喜んでそれを採用したいと思っています。ただ、議論の進行が適切ではないことは素直に反省します。ノート:シュレーディンガーの猫でのKakannkann氏との議論においても、噛み合わない議論が延々と続きました。しかし、この時は、双方の意思疎通のねじれの存在に気づき、何が意思疎通の障害となっているかを丁寧に読み解き、ノートページでは的外れと思われることは会話ページ(ここ)に誘導し、修正に修正を重ねて改訂し、「物理的に間違っている記述はなくなりました」と理解を得るに至りました。根気よく丁寧に、かつ、「押しても駄目なら引いてみな」とあらゆる試行錯誤を試して、然るべき結果を導いたと自負しています。噛み合ない議論を長く続けたことは迂闊でしたが、その後のリカバリーは根気よく丁寧にやったはずです。
ウィキブレイクは本末転倒のように思っています。しかし、編集自粛が過大評価されている事実を見る限り、ウィキブレイクが事態の収拾に極めて有効であることは疑う余地がありません。それを知っていて実行に移さないのであれば、前段落で言ったこと「早期決着に向けた〜」が嘘になります。よって、ウィキブレイクについて前向きに検討することとします。ただし、その前に、コメント依頼ページの誤りを訂正しておきます。それにしても、「〜と判断されないようにするため」と、不純な動機である旨を意図的に明示したつもりですが、編集自粛だけ過大評価されてしまうのは何とも不思議です。
尚、利用者:Wiki_ryonの処遇とは全く関係がない別問題として、利用者:Was_a_beeは投稿ブロックされるべきと本気で考えています。これは、決して、報復ではありません。自らの誤解について反省がなく、分かっていて同じことを繰り返し、その場しのぎの言い訳を重ね、言い訳が通じなくなると投稿ブロック依頼を前提としたコメント依頼で脅しをかけ、対話もなく投稿ブロック依頼を行なうといった一連の行動が、「ノートページや各種依頼ページにおける議論の拒否」であり、「Wikipediaの目的遂行を妨げる行動」であると考えるからです。このような行為を野放しにしていては、Wikipediaの中立性は保たれません。ただし、その依頼者は利用者:Wiki_ryonである必要はありません。誰か善意の人が行動を起こしてくれると信じます。--量子力学のド素人ことryon 2007年5月22日 (火) 12:15 (UTC)[返信]

wiki ryon氏のユーザー行為に対するコメント依頼

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Wiki ryon氏がウィキブレイクを短期(2週間半)で終了され、量子力学分野での投稿を再開されたことについてコメント依頼を提出致しました。詳細はコメント依頼にて書きました。Wikiryon様の釈明などは求めておりませんが、お知らせまで。--Kwansai 2007年6月9日 (土) 03:14 (UTC)[返信]

質問

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一つお伺いしたいのですが、ryonさんが活動を再開された根拠はWikipedia:投稿ブロック依頼/Wiki ryonが依頼不備であり、無効であるから、その結果に拘束を受けないということなんでしょうか?--Kwansai 2007年6月12日 (火) 10:35 (UTC)[返信]

投稿ブロックの対象となる行為に該当しないことは、第三者であるMaris stella‎氏が指摘されています[4]。賛同する意見が複数あり、依頼者本人以外、誰ひとりとして反論していません(被依頼者はウィキブレイク中のため意見を言えず)。
投稿ブロックの合意が形成されていないことは、依頼ページを見ただけで明らかであり、他のページ等を閲覧することなく、ブロックしないと判断することが可能です。よって、依頼理由が成立しているかどうかを判断する必要がありません。日本語版の管理人が忙しいと言われていることからも、Lonicera氏がリンク先等を吟味したとは思えません。よって、Lonicera氏による記述は、何ら、依頼の正当性を示していません。
以上の事実から「言い掛かりによるブロック依頼」という私の主張が証明されたと認識しています。また、投稿ブロック依頼の「結果」は「ブロックしない」であり、何ら、指示に逆らうような真似はしていません。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月13日 (水) 09:41 (UTC)リンク修正--量子力学のド素人ことryon 2007年6月15日 (金) 14:44 (UTC)[返信]
Maris stella氏の意見に反論しないことで、氏の提案に賛同したと看做されることは心外ですので、その旨のみ否定させて頂きます。--ぬめりけ 2007年6月13日 (水) 16:47 (UTC)[返信]
「氏の意見に反論しないことで、氏の提案に賛同した」とは誰も言っておりません。誰も反論できないことが証明されたのであって、根拠のない反対意見の有無は論点とは無関係です。また、私が同意したのはMaris stella氏の忠告に基づく2週間のウィキブレイクであり、復帰時期を明記して[5]約2週間のウィキブレイクに入っています。よって、問題が残っているなら、2週間後には元の木阿弥なので、反論できるのに反論しない理由はありません。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月14日 (木) 08:49 (UTC)リンク修正--量子力学のド素人ことryon 2007年6月15日 (金) 14:44 (UTC)[返信]

ブロックを行わなかった理由としては、

  1. 被依頼者がウィキブレイクに入ったこと(これほど早く復帰してくるとは、あの案件を終了させる時点では考え付かなかった。普通は「ある程度長期のスパンで身を慎むものだ」という自分の判断が甘かった部分がある)
  2. miyaさんが提案された、特定の分野における活動の停止には賛同できるものがあったが、システム的に実装されていないために、「特定分野における活動停止」は、つまるところ被依頼者の自主性に委ねるしか方法がなかったため、システム的にブロックとするわけにはいかなかったこと

があります。

なお、ブロック依頼自体に不備があったとは考えていません(報復目的のブロック依頼と判断した場合には、その旨を記述した上で案件を終了させています。例:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Fromm)。よって、

「言い掛かりによるブロック依頼」という私の主張が証明された

という認識は明らかな誤りです。なお、言うまでもないことですが「ブロックされずに依頼案件が終了したこと」は、再びブロック依頼を提出することを妨げるものではありません(むしろ、「先の案件直後にどのようなことが起きたか」が判断材料に加味されるため、以前の案件よりも厳しい意見が寄せられることは十分にありうるでしょう)。--Lonicera 2007年6月13日 (水) 14:48 (UTC)[返信]

私による記述は「Lonicera氏による記述は、何ら、依頼の正当性を示していません」であって、「Lonicera氏が依頼不備を認めた」とは言っていません。「私の主張が証明された」は、上にも述べているように、誰も反論していないからです。反論機会が与えられながら誰も反論しないのであれば、それが間違っているとは言えないはずです。ただし、Wikipediaの方針が、中立的な観点を無視し、結論先にありきの断罪裁判を行うことであれば、話は別ですが。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月14日 (木) 08:49 (UTC)語句修正--量子力学のド素人ことryon 2007年6月14日 (木) 10:18 (UTC)[返信]

編集ミスで一部の記述を消してしまったのでrevertで戻しました。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月14日 (木) 10:13 (UTC)[返信]

事実関係を歪曲されるなら黙秘権行使

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利用者‐会話:Lonicera#Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wiki ryonの終了についてのような、言葉尻を捕まえた揚げ足取りは勘弁していただきたい。今後も、私の発言をそうした揚げ足取りに使う目的で利用されるなら、以後、Kwansai氏の質問には一切答えません。この件に関する回答がない、もしくは、自らの非を認めないのであれば、今後、回答を一切しないことにします。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月14日 (木) 10:13 (UTC)[返信]

私がryonさんの認識を質問し、「以上の事実から~認識しています」と答えた、ryonさんが太字で強調した部分を引用し、しかも発言の差分まで示している投稿を、「言葉尻を捕まえた揚げ足取り」だと言われても、正直どうお答えして良いのかとまどいます。差分は示されているので、もし私の理解が間違っているのであったなら、Lonicera氏もそう感じて、それ相応のご説明になったと思います。--Kwansai 2007年6月14日 (木) 11:02 (UTC)[返信]
「ryonさんが太字で強調した部分を引用」?それで、いつ、私が「被依頼者から『投稿ブロックせず』という判断は『言い掛かりによるブロック依頼』という被依頼者の主張が正しいからであるとする見解」を示したのですか?私は、本質問への回答の2段落目で、Lonicera氏がそうした判断をしていないだろうと丁寧に説明しています。それを見れば分かるように、Kwansai氏の言う「ryonさんが太字で強調した部分を引用」とやらは、私の意見とは180度逆の意見です。Kwansai氏の言う「ryonさんが太字で強調した部分を引用」とは、私の発言文を切り貼りして、私の意見とは違う意見を捏造することなのですか?
以上のように、Kwansai氏の記述が事実に反する先入観を与えたのは疑う余地のない事実です。そして、Lonicera氏は誤読の前に、Kwansai氏の記述を見ており、それと同じ内容の誤読をされているのだから、Kwansai氏がLonicera氏の誤読を誘発した疑いを否定することは出来ないはずです。それを真摯に反省しないのであれば、今後も、同様の切り貼り行為を警戒しなければなりません。よって、Kwansai氏の質問には一切答えないし、Kwansai氏による私の発言の引用は全て拒否させていただきます。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月15日 (金) 13:46 (UTC)[返信]

事実上のウィキブレイクになるかも?

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利用者:Wiki_ryonにも書いたとおり、パソコンが不調のため、突然、編集が不可能となる恐れがあります。念のため。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月21日 (木) 11:05 (UTC)[返信]

別件だけれども

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これ[6]の最後の段落は、そのまま、私が受けたコメント依頼や投稿ブロック依頼に当てはめたい。反論に対して聞く耳さえ持ってもられないのは哀しいので。だからこそ、私は、その件に口を挟んだわけですよ。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月25日 (月) 10:16 (UTC)[返信]

プレビュー機能のお知らせ

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こんにちは。ウィキペディアへのご寄稿ありがとうございます。Wiki ryonさんが同じ記事に対して短時間に連続して投稿されているようでしたので、プレビュー機能のお知らせに参りました。投稿する前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。

投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。

これを使うことで

などを予めチェックし、修正してから投稿していただくことにより、同じ記事への連続投稿を減らすことができます。この利点については同じ記事への連続投稿を減らすに説明がありますので、よろしければお読みください。また、ガイドブックにウィキペディア全体のことについて分かりやすく解説されていますので、あわせてお読みいただけると幸いです。ご理解とご協力をよろしくお願いします。--ちゃたま会話|投稿記録2007年6月29日 (金) 12:47 (UTC)[返信]

すみません。そして、ありがとうございます。--量子力学のド素人ことryon 2007年6月30日 (土) 09:35 (UTC)[返信]

ブロック依頼するならさっさとやって欲しい

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言ってない発言を捏造され、言ってないことを何度指摘しても、無視されています。どうせ、何を言われても聞く耳持たずにブロック依頼に突入するつもりなんだろうから、それなら形だけの議論などせずに、さっさとブロック依頼すれば良いのに。いっそのこと自分で依頼しようかとも思ってます。Wikipedia:投稿ブロックの方針#通常の投稿ブロック依頼手続きを見ると本人が依頼してはいけないとする記述は見られません。本人による依頼なんて想定外のことだろうから、一歩間違えれば荒らし扱いだろうけど。でも、形だけの議論で吊るし上げられるのを待つよりは遥かにマシです。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月2日 (月) 12:25 (UTC)[返信]

どうも。シュレ猫のほうは停滞させててすみません。で、自分の行動についての評価/審議を望むのか、ブロックを望むのか、意図はよくわかりませんが、自分自身のブロック依頼をすること自体は、特に禁止されてはいないように思います。前例もあったと記憶しています。ただ、あまりオススメしたいものではないです。また、依頼の提出の仕方も含めて審議される可能性もありますので、もし提出する心積もりでしたらそのへんは不備のないように留意されたほうがよいと思います。ただ、ブロックは普段対処していないので、間違いがあるかもしれません。その点はご寛恕ください。--Ks aka 98 2007年7月2日 (月) 13:29 (UTC)[返信]
とか言ってるうちに依頼が出たみたいです。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wiki ryon 20070702--Ks aka 98 2007年7月2日 (月) 13:35 (UTC)[返信]
回答ありがとうございます。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月2日 (月) 13:40 (UTC)[返信]

とりあえず、片がつくまで活動を自粛します。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月2日 (月) 13:50 (UTC)[返信]


Himetvさんについて

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某掲示板にて、Wiki ryonさんに関するHimetvさんの発言と思われるもの[7]がありましたのでお知らせいたします。--220.148.107.219 2007年7月2日 (月) 16:17 (UTC)[返信]

リンク先の記述は少々的外れのように思います。Wikipediaは百科事典です。百科事典は専門書ではなく「誰でも容易に概要を理解できるよう簡潔にまとめたもの」なのだから、素人への説明が「ハードルの高い」のであれば、Wikipediaの編集も同じく「ハードルの高い」ことになります。素人への説明は普段のWikipediaの編集と同じことをやれば済むだけであり、「ハードルの高い」ことを理由に説明できないなら、同じ理由でWikipediaの執筆者たり得ないはずです。また、官庁会計関係の記述を財務省通達と違う見解に書き換える以上、どのような法律や通達を元にしたのか説明できなければならないはずです。それは、異論を唱える人が素人と自称していることとは全く無関係です。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月3日 (火) 10:11 (UTC)[返信]

独り言

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[8]について。活動を自粛すると言った手前、該当ページで意見を述べるのは適切ではないでしょうが、おそらく、これが最後の機会になるでしょうから、一言だけ言い残しておきます。

「疑いを持たれる」ことを減らすためにはどうすればよいかを考えるなら、本件については、「解除直後の編集を認める」をルールとして明文化すれば済みます。明文化されていないから「疑いを持たれる」のであれば、それは、曖昧な部分を明文化すべきことを示していても、どちらの方向に明文化すべきかまでは示していません。今回のMiya氏の行為を問題視するなら、その前に、どちらの方向に明文化すべきことなのかを論じるべきでしょう。

そもそも、「自分の振る舞いが多くの人に観られることで摩擦を生じえることに無頓着」よりは、本当に問題視すべき行為なのかを考えずに印象だけでイチャモンを付ける人の方の無頓着を問題視すべきと思います。実害がないのに印象が悪い行為にまでイチャモンをつけられるなら、それは、イチャモンをつける方にこそ問題があるでしょう。それなのに、「自分の振る舞い」を制限すべきと言うなら、それは無理が通って道理が引っ込むことになるだけです。

トラブルを減らそうと言うなら、明文化されていない行為についての大まかな判断基準を制定すれば良いだけでしょう。今回の件を元にすれば、何をもって管理者権限の濫用と判断するかを決めれば良い。一部の人達の印象で濫用と決め付けられることの無いように、公平な基準を決めておけば、無茶なイチャモンを抑制できるし、管理者側もルールにないことをするときに事前に自分の行動をチェックできます。もちろん、その内容は明文化するまでもない常識の範囲のことになるだろうけど、それが分からない人がいるなら、明文化して然るべきと思う。

ちなみ、私は、Miya氏から恩を受けたことはありません。むしろ、。恨んでもおかしくない立場でしょう。恨んでも意味がないから恨んだりはしないけど。それなのに、どうして、Miya氏を擁護する立場で物を言っているかと言えば、そうした個人的な事情を公的な場の判断に持ち込まない主義だからです。もちろん、Miya氏がらみの問題に首を突っ込んだ動機には個人的事情があります。当初は「あんた、人のこと言えるの?」と言い返す材料になるのではないかという不純な動機で興味を持ちました。しかし、実際に首を突っ込んでみると、自分が想像していたのとは全く違う話でした。いずれにせよ、Miya氏にはかえって迷惑をかける結果になり、その点は、申し訳ないと思います。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月3日 (火) 11:23 (UTC)[返信]

全くの別件で[9]について。官報掲載が「政府調達協定及び自主措置」と言うのは間違い。既に指摘したとおり、財務省通達『契約事務の適正な執行について』(昭和53年4月1日付蔵計第875号)にて、掲示だけでなく、なるべく新聞や官報を使えとされています。この通達は財政会計六法に掲載されているはずで、むしろ、掲示だけで済ませる方こそ自主措置です。(各官庁の官報掲載は無料ではなかったかと思うけど、記憶違いかも知れないので括弧書き国の料金は記載なし[10])財務省通達で必要とされていることの支出であれば、支出負担行為担当官が認めないことはあり得ません。財務省が認めていないのであればともかく、財務省のお墨付きのある支出が認められないことはあり得ません。そもそも、出来もしないことを財務省がやれと言うのはおかしい。慣例的にやってないからやり方が分からないだけではないかと思われます。だから、「この根拠については分かりません」のだろうと思います。官報に掲載された場合に掲示を行なう場合は、広報性の高さから見て官報が主たる公告手段と考えられるので、それは掲示を優先的に書く理由とはならないでしょう。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月3日 (火) 12:15 (UTC)[返信]

[11]について。Wikipedia:コメント依頼/Miya 20070623に挙げられた事実関係は「保護解除・連続した項目編集」だけであり、その他のことも含めた「ブロックに至る流れ」についてコメントを求めたいのであれば、その他の項目についても、事実関係を具体的に指摘したうえでコメント依頼すべきでしょう。そもそも、「保護解除・連続した項目編集」に問題がないのであれば、「ブロックに至る流れ」とやらにおける管理者権限濫用が成立していません。濫用が成立していないのであれば、「ブロックに至る流れ」とやらにも問題がないわけです。つまり、「ブロックに至る流れ」に問題があるかどうかも、「保護解除・連続した項目編集」が問題かどうかによって結論が左右されることであり、「保護解除・連続した項目編集」の先にある話です。よって、「保護解除・連続した項目編集」を先に論じずして結論を述べられるはずがないのです。どうして、その議論を排除しようとしたがるのでしょうか。結局、みっち 氏は、反Miya氏という結論先にありきで、その結論をゴリ押しすることしか頭になく、賛否両論の議論を闘わせる気などないのでしょう。

次に、[12]について。

「保護解除提案を出し、審議を行い、解除するという合意が形成されたと考えたら管理者が保護解除を行い、それからようやく編集できる、という手順になる」や「手続き上の重大な問題」については、Nekosuki600 氏自身が[13]で「争点になっていない」と言ったことです。そして、ルールとして明文化されてなく、賛否両論(反対意見は[14][15][16][17])あるのに、「争点」にせずに持論だけが絶対に正しいと、どうして決め付けられるのでしょうか。そして、それを指摘すると「コミュニティを疲弊させる荒らし」としてブロック依頼されるようです。

「李下に冠を正さず」と「李を実際に盗んだかどうか」は密接な関係があります。合理的に疑う余地がある(=言い掛かりではない)疑惑の潔白を証明しない(もしくは、できない)からこそ、疑われる行為を禁止する必要があるのです。言い替えると、それなりに責任のある立場の者 に対して「盗んだ証拠がないから無実だ」という言い訳を許さないということであって、そのために、正当な疑惑で、かつ、潔白を証明できないような行為を戒めているのです。そうした必要があるからこそ禁止しているのです。盗んでないことが明らかであってもイチャモンをつけられる行為を一切するな、という戒めではないはずです。それを禁止しなければならない合理的理由って、一体、何ですか?--量子力学のド素人ことryon 2007年7月4日 (水) 10:37 (UTC)(追記)本件は堀江メール問題が参考になります。「潔白が証明できることでも疑われてはならない」が正論なら、永田寿康議員の「疑惑は消えていない」は、それより遥かに筋の通った主張であることになります。一体、誰が、そんな馬鹿なことを言うのでしょうか?--量子力学のド素人ことryon 2007年7月4日 (水) 12:02 (UTC)[返信]

予想どおりの反応だったので確信しました。ようするに、例の件は、敵の敵だからという理由で擁護されていたのですね。ちょっとガッカリというか、おかげ様で心残りのひとつにケリがつきました。それはともかく、物事は見方によって180度変わってしまうことを自ら証明されたのではないかと思います。「人の振り見て我が振り直せ」ですね。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月4日 (水) 13:14 (UTC)[返信]

ちょいとまとめ

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ようするに彼らは「俺が争点にしたいこと以外は争点にするな!」と言ってるわけです。そして、彼らが争点にしたいこと以外を争点にしようとする提案は、彼らにとって「コミュニティを疲弊させる荒らし」なんですね。

しかし、よく考えてみてください。自分が争点にしたいと思っていることは、絶対的な自信があるからこそ争点にしたいのです。そして、それ以外を争点にしたくないのは、想定外の反論に対する再反論をする自信がないからです。つまり、好き嫌いで争点を選別する行為は、結論先にありきの主張なんですね。自信のある所を強調し、自信のない所を暈すのは、政治家や役人の答弁テクニックそのものです。

中立的な立場であるなら、そこに異論を挟む余地があるかどうか、それが結論にとってどれだけ重要かという観点で争点を選別すべきです。そして、その観点で選ばれた争点は、どんなに嫌な争点であっても、議論として向き合うべきでしょう。その観点で選ばれた争点において、持論に重大な欠陥があるなら、それは素直に認めるべきです。そうした態度こそが、中立的な議論でしょう。そうした争点を「コミュニティを疲弊させる荒らし」と称して排除しようとするのは、先にありきの結論を押しつけているだけです。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月4日 (水) 11:08 (UTC)[返信]

今回の件について言えば、「保護解除・連続した項目編集」こそが、最も異論を挟む余地がある争点であり、かつ、最も結論を左右する争点です。どのような方向に議論を持って行くにしろ、「保護解除・連続した項目編集」に関する見解が覆れば、全ての結論が覆ります。その実例については、その都度示したあります。少なくとも、これまでに挙げられた話の方向であれば、全て、この争点によって結論が左右されます。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月4日 (水) 11:12 (UTC)[返信]

比喩は正しく使いましょう

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[18]について。「交通違反」等の比喩が恣意的に使われています。その行為が本当に「交通違反」に相当するかどうかについて論じられていません。何ら法規に違反しないなら「同じ警察官」であっても「見逃す」ことには何ら問題がありません。ようするに、これは比喩を悪用したトリック論法です。本来、比喩は、誰が見ても明らかな共通点に基づいた置き換えをして話を分かりやすくする技法です。今回のトリックでは、共通点に基づかない置き換え(共通点の有無が言及されていない)が行なわれています。そして、置換の物の性質が、あたかも、置換の物の性質であるかのように誤認させて、結論を恣意的に誘導しているわけです。両者の性質の共通点については、多数の異論[19][20][21][22]が出ており、決着がついていません。「交通違反」に相当するかどうかの議論を「コメント依頼妨害」として排除した者が、「交通違反」相当と決め付けて論じることこそ、「地方自治体の議会議員が、自分たちの報酬を議会で決める」行為でしょう。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Kinoriで「(終了) コミュニティーの賛同が得られなかったと判断し、ブロックは実施致しません」となった事実も無視するべきではないでしょう。コミュニティの結論に反することを事実として語るのはどうでしょうか。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月4日 (水) 11:42 (UTC)[返信]

(補足)この比喩をWikipedia‐ノート:コメント依頼/Miya_20070623#表による簡潔な説明に当てはめます。

  • 今回のMiya氏の行為が「交通違反」に該当するか?=「AならばB」
  • 「一般市民に厳しい警察官が、同じ警察官の交通違反は見逃す」ことが許されるか?=「BならばC」

後者「BならばC」は、比喩するまでもなく、元の話でも問題があることは明らかであって、それには誰も異論を挟んでいません。つまり、後者を論じたいなら、このような比喩を持ち出す必要は全くありません。そして、この比喩は、前者「AならばB」の是非の根拠となっていません。まとめると、この比喩は、本件を論じるのに全く役に立たない、というより、初めから必要性がありません。ようするに、これは、前者の論点「AならばB」から、読者の目を反らすためのトリックでしかないのです。政治家や官僚の答弁と同じです。誰も聞いてないことを延々と説明して、本来の争点を忘れさせようと意図的に仕組んでいるのです。彼がこのようなことをやる人間だとは思いもしませんでしたが。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月6日 (金) 08:11 (UTC)[返信]

想定外の「行間」や「発言者の真意」って何?

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[23]について。「行間を読むとか発言者の真意を探るとかの能力が必要になる議論には、向かない人」と言われているわけですが、その「行間」やら「発言者の真意」やらは全て私の想定の範囲内のことのようです。独り言で述べているように、現在までWikipedia:コメント依頼/Miya 20070623利用者‐会話:Nekosuki600#確認したいことに出てきた意見は、全て、その根本に「保護解除・連続編集」の是非があり、根本の議論がひっくり返れば、全て、結論がひっくり返ります。「保護解除・連続編集」の是非によって左右されない「行間」やら「発言者の真意」やらは、これまで一切出てきていません。一体、この人の言う「行間」やら「発言者の真意」やらって何なんでしょうか。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月5日 (木) 08:49 (UTC)[返信]

手続を厳格化するリスク

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[24][25]等について。保護解除を依頼や合意を経て実施することが、あたかも、手間だけの問題であるかのように語られていますが、これは問題の本質を理解していない発言でしょう。手間だけの問題と考えるのは、依頼が100%通ることを前提としているのであって、それならば、そうした手続は形だけの物でしかありません。通常、こうした手続が必要となるのは、依頼が100%通らない可能性があるからです。つまり、依頼者が判断ミスをしている可能性があるので、管理者であっても裁量で判断せず、他者の意見を聞くべきと考えているということです。

では、依頼が却下される場合があるとどのような危険性があるかと言えば、それは、正に猫森日記で指摘されているように「保護解除が進まなくても不思議は無い」「恐ろしくて保護をかけられない」です。合意を得られなければ却下するという前提であるならば、賛否が五分五分では保護解除されません。いつまで経っても保護解除されないという事例が生じ得ます。おそらく、Miya氏は、現在でも保護されっ放しで放置されているページが多々あることを前提に懸案事項を指摘されているのだと思います。だから、手続を厳格化すれば、今よりもっと保護解除が進まなくなる危険性があるわけです。そして、保護解除が進まなくなると、まともな管理者は保護することをも躊躇するようになります。「もし、これを保護したら二度と解除されないかも知れない」と考えると、「恐ろしくて保護をかけられない」となります。

何より、怖いのは、一部の管理者の暴走を止められなくなることです。先に言ったような責任の重さを感じて判断を躊躇するのは、まともな管理者に限られます。権力志向の管理者であれば、何も躊躇せずに判断を下すでしょう。しかし、手続の厳格化により、他の管理者からの牽制が難しくなり、結果として、権力志向の者がWikipediaを恣意的にコントロールすることになるのです。

これは、即時ブロックと同じです。[26]で言われているように、ある管理者の権限行使を他の管理者が解除することが可能だからこそ、管理者間の相互牽制が働くのです。そして、そうした相互牽制を期待するからこそ、躊躇せずに即時ブロックを実施できるのです。そうした相互牽制が困難になれば、まともな管理者は即時ブロックに躊躇するでしょう。そして、権力志向の管理者だけが、何の躊躇もせずに、どんどん即時ブロックを実行し、誰もそれを止めることができない、ということになりかねません。

Wikipedia:保護の方針を見れば、保護は管理者の裁量によって行なえます。しかし、解除だけ裁量を認めないとなると、管理者間の相互牽制が働かなくなります。というように、恣意的な保護を防ぐという観点から見ても、保護解除は管理者の裁量として認められるべきものでしょう。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月5日 (木) 09:29 (UTC)[返信]

慎重に扱うべきか?

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Maris stella氏の主張は一貫性に欠けます。[27]では、「特に『コミュニティを消耗させる』という理由は、非常に慎重に扱う必要があります」等と仰りながら、今回は、長文をいくつか投稿したという理由だけで議論妨害扱いしています。Maris stella氏によって別ページに移動された内容について、私は異議を申し立てただけで、自己判断で元に戻したりしていません。その後の投稿は、移動への異議申立て等除くと、2件だけ[28] [29]であり、それらも簡潔にまとめてあります。長くなりそうな場合は、本文には概要だけ書いてノートへ誘導する工夫もしています。百歩譲って、仮に、主張内容が見当違いだったとしても、最大限の善処をしているにも関わらず、それを議論妨害と主張するのは、以前の発言と矛盾しています。また、会話ページに何度か書き込んだだけで、ストーキング行為扱いするのも、以前の発言と矛盾しています。

Maris stella氏は、[30]で、「自己の反論を残したいという理由で、恣意的に発言の削除や、余分な発言の更なる追加を行った」と仰るけど、 Maris stella氏こそ、自分の主張だけ残して、それへの反論(しかも、事実無根である旨の指摘)だけ他のページへ移動されています。それは「恣意的」な編集ではないのでしょうか。そのことを指摘されて、移動するなら自分の発言ごと移動すべきではないかとして、Maris stella氏の主張が移動(Maris stella氏の仰るような「自己の反論を残したいという理由」ではない)されたら、また、自己判断で元に戻すのは「恣意的」な編集ではないのでしょうか。少なくとも、私は、そのような真似は一切いたしておりません。他人の異議は丸ごと削除しておいて、自分の発言は自己判断で元に戻す、というのでは、それこそ、「恣意的」な編集ではないのでしょうか。そもそも、そのMaris stella氏の主張自体が私の主張への反論であり、私の主張が見当違いと言い、その是非を移動先で判断しろと言うなら、話の流れの中で見た場合のMaris stella氏の主張も見当違いであり、そこに残す理由がないはずです。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月6日 (金) 07:29 (UTC)[返信]

些細なことだけど

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「あれで、ですか?」[31]は、具体性に乏しく、ブロック依頼に書くようなことではないのではないでしょうか。それに対しては「あれで、です」としか返事しようがなく、そうした分かりきった返事を投稿することは、もっと、不適切だろうと思います。具体的な疑問点を挙げてもらえれば、それに対して回答する等はできますが、「あれで、ですか?」と言われて、何と答えれば良いのでしょうか。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月6日 (金) 09:24 (UTC)[返信]

争点の恣意的選択と排除

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[32]について。「このコメント依頼は、Miya 氏が即時ブロックに相応するかどうかのコメント依頼ではなく、Miya 氏のコマンドの使用の妥当性についての意見募集のはず」とのことだけれど、両者が密接に関係することは[33]で指摘しており、それに対する反論[34]でも「2つの事例が『密接にかかわりを持つ』ことについては、同意します」と両者の関係が認められています。

一方、[35]の「私的な目的で使用」していたり「逸脱がある」前提での話は、[36]で直接関係がないとする指摘に対する反論[37]で「一般論として扱うことも可能な話題だとは思いますが、個別事例から展開してもぜんぜんかまわない話題であると考えます」と言われているように、「密接にかかわりを持つ」話題ではないことは認められています。

さらに言えば「平気で Miya 氏へのブロックを解除した Kinori 氏も、当然責任が問われる」は、コメント依頼を出された通氏により、「ここはMiyaさんの保護解除について扱うべき項目で、投稿ブロックに関してはWikipedia:コメント依頼/ちゃたま 20070624で扱います」と明言[38]されており、これについては誰も異論を唱えていません。

どう見ても、ご自分に都合の良いように争点を選んでいますね。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月7日 (土) 09:52 (UTC)[返信]

ブロック依頼に弁明してはいけません

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ブロック依頼ページでは、弁明すらしてはいけないらしい[39]。そんなルールがあるとは知らなかった。Wikipedia:投稿ブロック依頼#依頼・コメント資格についてのとおり、被依頼者によるコメントは認められているはずなんだけど。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月7日 (土) 11:42 (UTC)[返信]

内容については説明をしません。説明をして理解を得ようという熱意は、おれにはもうありませんので。で、結論だけ記します。
あなたは、これ以上ブロック依頼に書き込んではいけません。ブロック依頼における被依頼者コメントが許容されるというのは、いちいち反論していいということを意味しておりません。
あなたにとってコメント依頼・ブロック依頼は、主に「他者が自分のことをこう見ていたのだ」ということを知る場なのです。それがいかに受け止めにくいものであろうとも、他者があなたのことをそう見ているというのは事実なのであり、受け止めていただくしかありません。--Nekosuki600 2007年7月7日 (土) 16:37 (UTC)[返信]
一般常識的に考えて、他者がどう見ていようと、事実に反することには弁明する権利があるはずです。それがWikipediaで禁止されていると言うなら、具体的根拠を示してください。Nekosuki600氏の独自ルールに基づいて、弁明となる被依頼者コメントを削除するなら、その方が問題があるのではないですか。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月7日 (土) 16:40 (UTC)[返信]
そんな権利は、ありません。
特にブロック依頼における意思表示は「投票」です。他者が投じた投票に対して「その投票は事実誤認に基づくものだ」などと反論してどうしようというのですか。--Nekosuki600 2007年7月7日 (土) 16:48 (UTC)[返信]
Wikipedia:投稿ブロックの方針#通常の投稿ブロック依頼手続きによれば、「コメントを述べて議論に参加することができます」「賛否が割れた場合は議論を尽くして合意に努めた後、原則として多数意見を尊重するものとします」と書かれており、ブロック依頼は単なる「投票」手続ではありません。Nekosuki600氏の独自ルールで、勝手なルールを作らないでください。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月7日 (土) 16:54 (UTC)[返信]

ついでに言うと、被依頼者コメントの後に、ブロック依頼に参加してはならないというルールもなければ、意見を変更してはいけないというルールもないようですね。だったら、弁明する意味は十分ありますね。というか、弁明する意味がなければ、何のために、被依頼者コメントを認めてるのでしょうね。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月7日 (土) 16:57 (UTC)[返信]

事実、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Wiki_ryonWikipedia:投稿ブロック依頼/Kinoriでも意見の変更をしている人がいますね。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月7日 (土) 17:02 (UTC)[返信]

Nekosuki600氏は何を狙ってるんですか?

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本当は、他の場所での発言を挙げるのは卑怯かなと思ったから躊躇していたけど、そんなこと言っていたら何されるか分かったものじゃないので指摘しておきます。Nekosuki600氏は、「もうめんどくさいからWikipedia名前空間は全部半保護にしちまえとか思った」[40]とも言ってますね。独善的な判断で「そんな権利は、少なくとも今のあなたにはありません」と被依頼者コメントをする権利を取り上げる姿勢、やたら、ブロック依頼を連発する姿勢(Wikipedia:投稿ブロック依頼/Kinori)等、権限強化主義者とする指摘[41]は的を射ていたようですね。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月7日 (土) 17:31 (UTC)[返信]

擁護できないのが辛い

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まともな方がようやく来られたようです。「その他、このコメント依頼内で延々と続けられている議論と言うのは、別のコメント依頼を立ち上げ『一般論』として議論した方が話がまとまるものと思います(バイアスの混入を最小限にできるので)。それに、本来ここで求められるコメントは『#Miyaさんの保護解除の妥当性に関して』なのですから。」[42]だそうです。これ、以前に私が言ってたこと、そのまんま[43][44]だよなあ。

と思ったら、早速潰しにかかってる[45]し。「『是認する側』は『その編集内容には問題がなかった』と言えばよく、『否定する側』は『その編集内容は問題だった』と言えばいいのですから、永遠の水掛け論になるだけ」とは、今やってる議論そのものでしょう。Miya氏の行為が濫用かどうかについて「水掛け論」してるだけなんだから。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月7日 (土) 15:26 (UTC)[返信]

Wikipediaのガン

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[46]について。過去2件、ブロック依頼を提出した人間にも言いたいことはあるけど、それほど大したことは感じない。しかし、この大嘘吐きだけは何とかしてもらいたい。

私の投稿履歴を逐一チェックして言い掛かりをつけて来る奴に「ストーキング発言」される言われはありません。「お礼」「謝罪」を述べることの何が悪いのだろう?「個人攻撃まがいのストーキング」?アンタみたいに、他人の悪口を触れ回ってないって。「貴方に危機が迫っています」?アンタからの言われなき攻撃の危険性を忠告してあげて何が悪いの。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Kinoriで「コミュニティーの賛同が得られなかったと判断し、ブロックは実施致しません」となったうえ、本件話題とは分離された[47]にも関わらず、「平気で Miya 氏へのブロックを解除した Kinori 氏も、当然責任が問われる」[48]なんて、何を勝手なことを言っているのでしょう。そして、自分が分離された話題をしておいて、他人の言うことは「即時ブロックの妥当性の話は別のコメント依頼」[49]などと平気で言う。このような状況について、利用者:Kinori#2007年によると、Kinori氏はパソコンの不調で事情を完全に把握できていない様子。悪い奴からの攻撃を受けないように忠告してあげないとね。

「ダブルスタンダードである」?その通りじゃないですか。「ryon 氏のためを思って」?「わたし自身は Wiki ryon 氏に一定の理解を示して来た」?「公正で、また寛容な態度で一貫して来た」?大嘘をつくなよ。だったら、どうして、「先行したブロック依頼」「先行するコメント依頼」「参考になるだろう議論や対話など」に対して、自らの発言「依頼不備」[50]「無効なブロック依頼を元に、ryon氏が復帰した後、出されたコメント依頼も、それ自体が無効で不当」[51]を紹介しないのか?百歩譲って、今回の件がブロック理由に該当していたとしても、だからと言って、前回のブロック依頼の正当性の有無が覆るわけではないはずです。それなのに、どうして、前回のブロック依頼が不当だったことを一言も言わないのですか。それは、今回、私をブロックに追い込むには、その方が都合が良いからでしょう。ブロックさせるためなら手段を選ばない行為の何処が「公正」で思い遣りのある態度ですか。過去の不当なブロック依頼までブロック理由にすることの何処が「寛容な態度」ですか。

Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Miya_20070623#表による簡潔な説明に挙げているとおり、主張に争いがあり、かつ、結論を左右することへの言及がなく、主張に争いがないことばかり延々と書かれている。そして、主張に争いがある部分について私と同様の意見を述べている人は複数いる。という事実も全て無視し、持論に都合の悪いことを全てWikipedia:コメント依頼/Miya_20070623/W_ryonに移動した奴は誰だ。それらが本当に議論妨害か検証せずに、議論妨害と称して移動したのは誰か。#擁護できないのが辛いに書いたけれど、後から、私とほぼ同じことを言っている人も現れたけれど、彼の言っていることも議論妨害なのか。持論に都合の良いように恣意的な編集を行なう輩に、「ryon 氏のためを思って」「わたし自身は Wiki ryon 氏に一定の理解を示して来た」「公正で、また寛容な態度で一貫して来た」と言われる筋合いはない。「持論に都合が悪いから排除したい」と正直に言うべきだろう。

ようするに、前回のブロック依頼で擁護した本当の理由は、依頼を出したのがご自分の天敵だったから、つまり、敵の敵だから擁護しただけでしょう。自駒に使えると見れば擁護しておいて、持論と合わない意見を言えば容赦なく攻撃する。なんちゅー人間ですか。呆れてものが言えません。私の最大の過失は、最も信じてはいけない人を信じてしまったことです。最悪の悪魔を見て神が降臨したと思ってしまったのが、最大の間違いでした。それが分かっただけでも収穫はあったのでしょう。---量子力学のド素人ことryon

問題の本質

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「小さな問題」[52]も何も、その小さな問題が全て解消されれば、大きな問題もないはずです。「裁量保護解除と同時編集は、やっていはいけない」が崩れれば、「一連の中」でMiya氏の行動には問題が無いことになります。同様に、他の事項についても正当性が明らかになれば、大きな問題さえ存在しなくなります。それなのに、そのことを「語っているひと」が「おそらくほとんどいない」のでは、重大な冤罪事件ではないでしょうか。事実関係等の詳細な検証をせずに一般論だけを語っていることが本質的問題だと、どうして分からないのでしょうか。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月11日 (水) 09:31 (UTC)[返信]

会話ページはあなたの日記帳ではありません。

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個人的な用途でWikipediaのリソースを浪費するのはおやめください。「独り言」をあえて公開したいのであれば外部ブログでもご利用になってはいかがでしょうか。日本語版Wikitruthのように。--125.31.104.120 2007年7月7日 (土) 10:15 (UTC)[返信]

自主的ウィキブレイクの勧め

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Wiki ryon さん、はじめまして、Kemonomichiと申します。今日は、あなたに自主的なウィキブレイクに入られんことをお薦めにWikipedia:投稿ブロック依頼/Wiki ryon 20070702からやって来ました。今あなたは、独りよがり発言者やストーキング発言者として即時ブロックが提案されています。あなたから言わせれば、あなたの意見を理解しないような人たちでしょうが、周りの人たちはそうは思っていないようです。そのことについては、あなたにとっては大変残念で断腸の思いでしょうが、いまここでさらなる論陣を張ったとしても平行線を辿るばかりか、あなたの意見が少しでも理解されあなたの立場がよくなるとは思えません。性急に自分の意見を理解してもらおうとしても世の中には無理な時もあります。「一人よがり発言」や「ストーキング発言」も、昔から「人の噂も七十五日」と言われていますように、そのうちに消えるでしょう。捲土重来を期して、自主的ウキブレイクを取ってみては如何でしょうか。「人の噂も七十五日」どおりに解すれば二か月半ですが、あなたが自分の心の宇宙をタイムマシーンで旅行してみるには3、4か月の自主的ウィキブレイクが妥当なように思います。あなたが望んでいる無期限ブロックを受けるより、自分からウィキブレイクに入る方が、あなた自身の尊厳を保てるのではないでしょうか。差しでがましい提案ですが熟考の末、態度を決められることをお願い申し上げます。--Kemonomichi 2007年7月8日 (日) 02:46 (UTC)[返信]

こんにちは。ご忠告ありがとうございます。しかし、私は、前回のブロック依頼のような状況ならともかく、今回のような状況では、有期ブレイクをとるつもりは全くありません。もちろん、私をWikipediaが受け入れないから出て行けと言われるなら、それに従います。何故かと言えば、今回の問題は、次のどちらがWikipediaの議論方法として採用されるかという根源的な問題であり、そこには譲歩の余地がないからです。
  • 主たる争点(主張に争いが生じ、かつ、結論を左右する)を論じるべきと主張する
  • 主たる争点を議論妨害と称して強制排除し、争いのない主張を延々と繰り返して、そのやり方に異議を称える者をブロックする
この件は、白黒ハッキリ決着をつけていただきたい。Kemonomichi氏が中立的立場で忠告されていることは良く分かります。しかし、後者に譲歩するくらいなら、私は、無期限ブロックを選びます。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月8日 (日) 10:52 (UTC)[返信]
あと、私の「尊厳」は関係がないと思います。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月8日 (日) 11:04 (UTC)[返信]
「捲土重来」はすごく的を射た言葉だと思います。ただし、本件においては、有期ブレイクで捲土重来は期待できないと思います。本件において後者の判断が為されるならば、ウィキペディア内部からの捲土重来は不可能で、ウィキペディア外部からの捲土重来しかないと思っています。だから、見送りか無期限かという二者択一を求めているのです。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月8日 (日) 11:11 (UTC)[返信]

反省

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[53]を読んで考え直しました。確かに、「お互いに誹謗中傷する不毛な論争」「単なる争い」「泥仕合」と見られても仕方ない言動が多々ありました。ネット上では些細な誤解から争いが生じ得るのに、山上の垂訓に反する言動があったのは事実です。それは素直に反省しなければならないと思います。--量子力学のド素人ことryon 2007年7月9日 (月) 10:14 (UTC)[返信]


あなたはブロックされました。しばらくウィキペディアの編集を行うことはできません。ブロックは時間がたつと自動的に解除されます。解除後、基本的な決まりを守って参加するなら、あなたの投稿は歓迎されます。この件に関するお問い合わせや異議申し立てはメーリングリストで受け付けています。--220.146.190.1 2007年7月13日 (金) 00:11 (UTC)[返信]