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ノート:ウクライナ

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2004年年末選挙

歴史の「2004年年末選挙」という節が、現在進行形の話題を取り扱っており、歴史の全体の量に比べてバランスが悪いように感じます。とりあえず、一部のリンク先を調整し、過剰なリンク取り除きました。この編集でなにか問題あれば差し戻してください。Tcyiswalk 2004年11月26日 (金) 09:13 (UTC)[返信]

「І」と「Ї」

「І」と「Ї」の聞き分けは一般に日本人には(恐らく)非常に困難だと思いますし、またウクライナ語でも母音の後の「イ」は常に「Ї」のようなので、「Україна」の日本語読みは「ウクライーナ」で良いように思います。Syrotyna 2006年2月24日 (金) 11:15 (UTC)[返信]

「І」と「Ї」の聞き分けは場合によっては困難ですが可能です。相手の発声の個人差による?というか「Ї」だと思って聞くとそう聞こえるだけ?かもしれませんが。聞くのでなく自分で発音する場合も、「Ї」の発音はしわけることがそれほど難しいとは思いません。従って、「І」と「Ї」を区別して表記することは意味のあることです。
さりながら、ご指摘の通り必ずしも文字通りの発音をしているわけではないので(「ヤ」が「イェ」になったり「イィ」になったり「イ」になったりするようなロシア語ほどずれはしませんが)、仰るとおりあまり拘る必要もないのかもしれません(むしろ逆で、拘るのならもっと真面目に細かく拘れ、ともいえる?)。
とはいえ、ロシア語の転写でも文字優先で発音は別という方式を採っていますし、その延長線上で考えてよいのでは。つまり、例えばロシア語で「если」と言う際に「イェースィリ(またはイェーシリ)」のように「ス」は軟化するのに、カタカナで転写する際には(それが発音を示すための振り仮名的カタカナ転写であっても)「スィ / シ」ではなく「ス」で表記しますね(「イェースリ」)。多分、NHKなどのテキストでもそうなっているのではないかと思います。「イェースリ」と言うと「イェースィリ」だと訂正されることもありますが(「イェースィリ」というと「イェーシリ」と直されることもある)、あちらでも「イェースリ」といっている人もいます(と思うが)。方言でしょうか。
というわけで方言もありますし、方言どころではない日本語でそこまで厳密にならずともよいのではないでしょうか。転写はあくまでもとの綴りを表すものであって、元の文字が違うのか同じなのかを優先した方がわかりやすいのではないかと思います。私としては、「І」も「И」も「Ї」も等しく「イ」と書くような方式は最悪だと思います(その、区別をつけるという観点からすれば)し、区別できるのなら区別させた方がよいと思います。
発音の厳密な法則は(どの音のあとではどの発音になる、とか)、知っている人は見りゃわかるので、逆にそこまで拘って区別をつけると却って混乱するのでは?「если」がもし「イェースィリ」と書いてあったらきっと「есьли」を想像して、何だこの単語は、と辞書を見に行くことになるでしょう、という感じに。
敢えて言えば、「母音の後の「イ」は常に「Ї」のようなので」と仰るのならば、母音の後の「イ」は常に「イィ」で表記すべきでしょう。(私は不要と思います。)--ПРУСАКИН 2006年8月8日 (火) 06:30 (UTC)[返信]
問題はむしろカタカナ表記の限界にあります。「フィ」の発音は[fi]でも「ビィ」の発音は「びー」([bi:]?)であるように、「イィ」というカタカナの発音は通常は「イー」([i:]または[ij]?)であり、[ji]の音を表すにはやや無理があるように思えます。例えば「голодної」を「ホロードノイィ」のようにすると、カタカナからは発音が「ほろーどのいー」(голодноій?)であるかのように見えます。「いー」(イィ)よりかは「い」のほうがまだ「Ї」に近いように思えます。
同様の例として、「ві」と「ви」は(個人的には「І」と「Ї」の区別以上に)重要で聞き分けも容易だと思いますが、どちらも「ヴィ」と書かざるを得ません(в以外なら区別可能ですが)。「ху」と「фу」と「гу」、更にありきたりの例として「л」と「р」も、全く別の発音ですがカタカナでは区別できません。誤解を招かない形で区別可能な場合はもちろん積極的に区別すべきでしょうが、その言語に詳しい人にとっては全然別の発音であっても、カタカナ表記が全く不可能、または誤解を招きやすいなどの限界がある以上、カタカナでの区別は諦めざるを得ないと思います。
(「聞き分け困難」「ウクライナ語でも母音の後の「イ」は常に「Ї」のようなので」は事後の実害は少ないであろうという趣旨でしたが、前提としての論拠であるかのように挙げてしまったのはまずかったです)Syrotyna 2006年9月4日 (月) 12:44 (UTC)[返信]
前回の分、半分くらいとんちんかんな返答をしてしまったような気がして、まずそれについてお詫びします。そちらの例が悪かったのではなく、私がちょっととんちんかんでした。
さて、今回いろいろ例を出していただいたことについては特に反論はないので(ウクライナ語に限った話題でもないし)その通りということで、本題の「Ї」についてのみ答えさせていただきます。
まず、基本スタンスは「区別できるものは区別する」ということを考えています。何のための区別かと言えば、それは「わかる人にとってわかるような」区別です。別の文字の転写で例を作りますが、例えばウクライナ語の「И」、ロシア語の「Ы」、ポーランド語の「Y」を「ウィ」と書く習慣がありますが(蛇足:なぜかルーマニア語の同じ発音は「ウー」と書く)、これは日本語の「ウィ」でもなければ英語の「WI」でもないですよね。結局、ウクライナ語その他を知っている人しか読み方はわからないわけです。でも、これを「イ」と書いたりすると今度はわかる人もわからなくなりますね、「І」かと思ったりして。「Ї」について同様のことです。また、今回の件に関しては「読み仮名」として書いているわけですから、その役目を果たすべく(つまり本来読めるはずの人が読めるように)すべきだと思います。項目名等についてはまた個別に、ということですが。
それと、ロシア語との区別化ですね。「ロシア語でウクライーナ、ウクライナ語でウクライーナのように発音する」という解説になってしまっては困るわけです。
個人的感想なので蛇足ですが、私は「Ї」の発音を日本語で書くとしたら、「イ」よりは「イー」の方が近いと思います。そして、発音のイメージが近いという点においては「イィ」がベストだと思うのですが。まあ、これはあくまで私がウクライナ人の話すウクライナ語を聞いて感じる個人的感想ですが。--ПРУСАКИН 2006年9月13日 (水) 13:17 (UTC)[返信]

発音を示す場合は「イィ」を使用し、ページ名やその他一般表記に関しては原則「イ」を用いようと思います。考えたのですが、やはり仰ることご尤もでした。--ПРУСАКИН 2007年10月28日 (日) 13:29 (UTC)[返信]

歴史項目について

歴史の内容をそっくり使ってウクライナの歴史の記事を起こしたらどうでしょう?125.192.125.215 2006年9月7日 (木) 14:14 (UTC)[返信]

  • (コメント)私はウクライナの項の編集に参加していません。ただ、国記事の成長には興味があります。参考までに、平凡社の世界大百科事典の例を挙げておきます。同書では、ウクライナの項において、歴史に約6700字を費やしております。現在のウクライナ#歴史は約6000字ですから、国記事として歴史の項が重過ぎるとはいえないでしょうね。現在の歴史の内容はここに残しておいて、新たにウクライナの歴史を書き下すほうが私の好みには合います。(余談になりますが、16世紀以前の歴史が平凡社とWikipediaでかなり違っております。)---Redattore 2006年9月8日 (金) 07:20 (UTC)[返信]
  • 私は本項での記述は、ウクライナの歴史が別項に記述されるなら、現状の30~40%程度の分量で十分だと思います。それと、これだけ長い記述に段落分けが全くないのは困りものなので、分割の是非に関わらずその点は改善が必要です。Uraios 2006年9月11日 (月) 16:02 (UTC)[返信]
  • (反対)現在のこのページの歴史項目の記述の内容では、コピーして新しいページを立ち上げたとしてもスタブにしかなりません。Uraios様の「分割の是非に関わらず~」というご意見については、仰るとおりですね。Redattore様のご意見については、私も国記事として歴史の項が重すぎるとは思いません(秀逸な記事に選ばれているロシアと比較して)。とはいえ、別途歴史のページが作られれば簡略化してもよいかもしれません。私としては、Redattore様の仰るように新たにウクライナの歴史を書き下ろしてもらう方がよいと思います。(なお、勝手ながら項目を設置させていただきました。)--ПРУСАКИН 2006年9月13日 (水) 13:17 (UTC)[返信]
  • (反対)ПРУСАКИН様ニ同意仕リ候。他国之記述ト比較為バ、歴史項目分割之儀、無用ニ御座候。今之儘ニ而宜敷ト存知居候。   …新しくて詳しい「ウクライナの歴史」を書いた方がよいと思っています。--Kazusanosuke 2006年9月17日 (日) 16:54 (UTC)[返信]

別件ですが、ソ連時代、ウクライナとベラルーシは、形式的に国連加盟国になっていて、総会ではソ連が実質3票もっていたように記憶していますが、そういう方向からの加筆をどなたかおねがいできますか。その由来などを。 --ねこぱんだ 2006年12月7日 (木) 23:36 (UTC)[返信]

要出典テンプレートについて

先頭に追加するためでは、具体的にどこの記述に出典がほしいかわかりません。これに返事がなければ将来的にタグ剥がしを検討します。--6144 2007年9月30日 (日) 10:09 (UTC)[返信]

  • (コメント)私もこのページ冒頭にあたかもページ内容の信憑性が薄いかのようなテンプレートを貼られたときは不快だったのですが、恐らくページのどの部分の記述をとってもほとんどの場合出典が示されていないから貼られたのでしょう。まあ、確かにページ内容を保障するような文献資料や外部リンクが示されていないから仕方ないかと思って(しかも自分でそれを示そうという気もなかったので)放置していたのですが、どうなんでしょう? はがしてしまって大丈夫なのでしょうか。--ПРУСАКИН 2007年9月30日 (日) 10:14 (UTC)[返信]
  • (コメント)いきなり剥がすとまた同じものが貼られてしまう可能性もあるでしょうから、「○日までに反対意見が無ければ剥がします」と予告しておいて、無ければその時点で剥がしてしまえばいいのではないでしょうか。大体予告してから一週間くらい待てば問題無いかと。錆付き人 2007年9月30日 (日) 11:20 (UTC)[返信]

Yahoo百科事典

Yahoo百科事典でのウクライナに関する情報を見つけました。「素人」がつくるWikipediaより「専門家」が書いたYahoo百科事典の方が間違いや時代遅れの情報が多いことに驚きました。

  • [1] 外川継男 コサック:最初のコサックは、。。。ドミトリー・ドンスコイの時代から(!!!)モスクワ大公に仕える者も現れてきた。
  • [2] 渡辺一夫 小ロシア:帝政ロシア時代(!!!)、為政者側が、カルパチア・ルテニア(現ウクライナ・ザカルパトスカヤ州 (!!!))、ポーランド東部、黒海西岸(!!!)を含む古いウクライナ地方に対して用いた地域名称。
  • [3] 稲野強 ガリツィア:ルテニア人(ウクライナ人のドイツ語名(!!!))。
  • [4] ウクライナの歴史:14世紀後半、北部はリトワ大公国に、南西部はポーランドに併合され、西部のガリツィアはハンガリー(!!!)の支配下に入った。
  • [5] 栗原成郎 ウクライナ語:13世紀中葉までは共通東スラブ語的性格を有していたキエフ・ロシア(!!!)の文章語である古代ロシア語(!!!)の伝統を継承しながらも、ポーランド語の強い影響を受け(!!!)、ウクライナ諸方言の口語要素も吸収しながら、17世紀から19世紀にかけて(!!!)漸次独自の文語を発達させた。
  • [6] 栗生沢猛夫 キエフ大公国:古代ロシア(!!!)の国家(9~12世紀(!!!))。。。かくて12世紀中葉には大公国は完全に分解し(!!!)、ノブゴロド、北東ロシア(ウラジーミル、スズダリ)地方、世紀末にはさらに南東(!!!)ロシア(ガーリチ、ボルイニ)地方が自立化していった。
  • [7] 木村彰一 ウラジーミル・モノマフ:ロシア(!!!)のキエフ大公(在位1113~25)。
  • [8] 佐々木史郎 ロシア人:ロシア人はウクライナ人、白ロシア人らとともに13世紀ごろまで古ロシア人(!!!)を構成しており。。。

これからYahoo百科事典より誤解を招く情報が流れてくることを非常に残念です。--202.71.90.139 2009年1月9日 (金) 09:42 (UTC)[返信]

たいへん興味深いデータです。ひどいですね。ただ、まあいくつか言い訳はできそうです。
「ルーシ」は日本では100数十年にわたって「ロシヤ」ないし「ロシア」とギリシャ語名で書かれてきた経緯があるので、いまでもまだその残滓があるのはやむをえないでしょう(日本では「ロシア」は「ルーシ」のギリシャ語名だと考えられています)。我々若い世代はわりとすぐに変更するかもしれませんが、長年研究されてきた大家の先生方は、たとえば昔の著作で「ロシア」と書いたのを引用するとそのまま「ロシア」と書かざるを得ないでしょうし、新しく書くにしても一朝一夕でそれまでの慣習を修正できるものでもないでしょう。まあ、ご愛嬌ということでどうぞお目を瞑って下さい!!! 独立国家であるウクライナやベラルーシの知名度と存在感が日本で増していけば、今後そのような紛らわしい表記はおのずとなくなっていくと思います。いまはまだ過渡期です。私も気に食わないのですが、どうも致し方ありません……。
専門家とはいっても、必ずしもウクライナやロシア、ルーシ、東スラヴの専門家ばかりではないようです。ドイツ語の専門家から見ると、まあ確かに「ルテニア」はドイツ語でも「ルテニア」ですから……。ロシアやウクライナ関係の書籍を見ると、「ラテン語名」と説明されていることが多いと思いますケド。
まあ、ウィキペディアは本質的にあまり信頼性のないメディアですが(私がいうのも憚られますが)、ほかの何らかの情報源からある意図をもって、あるいはまったく悪意なく流される誤った情報、不適切な情報をはるかに圧倒するような記事を作っていければ、ウィキペディアの地位も徐々に高まっていくかもしれません。地位が上がれば、Yahoo百科事典ではなくこちらを見る日本人も増え、結果として間違った情報の流布は減っていくでしょう。気が長い話ですが、がんばりましょう(期待しています)。
フリヴニャの修正ありがとうございます。--PRUSAKYN 2009年1月9日 (金) 15:16 (UTC) 中傷的と思われる文言を修正しました。すみません。--PRUSAKYN 2009年1月11日 (日) 10:46 (UTC)[返信]

地図

一度削除したものが再掲載された地図ですが、地図内の地名がウィキペディアで使用されているものどころか、何も出典のない地名がたくさん使われているものでして、編集者の完全な独自研究であるため、削除をします。この地図にはその他の編集者に対する悪意すら感じます。--Takaci 2009年3月10日 (火) 22:30 (UTC)[返信]

概括的なことより具体的な問題を指摘してください。どの地名が間違っているか、どうのような表記に修正したらいいかを教えてください。地図を修正することがたやすいことです。それに、他人がやっている仕事に対してもっと寛容さを持ちなさい。-- Alex K 2009年3月10日 (火) 23:28 (UTC)[返信]
このような時に命令文を使うのは、日本語としては大変な間違いです。でなければ、社会的に(この場合はウィキペディアで)著しく信頼を損いますよ。ともあれ、具体的に指摘します。上に書きましたように、掲載される地図は、そこに書かれる地名はウィキペディア上で使われてるものが用いられることが最善でしょう。掲載されていた地図の表記は、ウィキペディア上のものと著しく異なるばかりか、書籍にもないようなものばかりです。これを作った方が独自に考案された表記でしょうが、そのようなものを議論をする前に掲載するのは許されておりません。どの点が独自研究とみなされるかというと、次に例を挙げます。(左が記事にあるもの、右が地図に書かれているものです。)シンフェロポリ→シムフェローポリ、イヴァーノ=フランキーウシク→イヴァノ・フランキーヴシク、ザポリージャ→ザポリッジャ、スムィ→スームィ、チェルカースィ→チャルカースィ、チェルニウツィー→チェルニヴツィー、ドニプロペトロウシク→ドニプロペトローヴシク、ドネツィク→ドネーツィク、ポルタヴァ→ポルターヴァ、キエフ→キイウ。キエフ→キイウの件も注釈で書かれているとしても、記事名になっていないものを地図上で表すのは、不適切です。より細かい点は確認しておりませんが(このような地図で「ため池」は慣用的に使われないんじゃないかなと思いますが未確認です。)、上記にあげた例だけでも十分独自研究だということがどなたにもお分かりだと思います。Alex Kさんがこの地図を作られたのでしょうか。もしそうでしたら、氏のなさっていることはしばしば個人的な見解をウィキペディアを使って強引に広めようとしているように思えます。ですがそのようなことはウィキペディアの方針に反しています。出典のないものを利用されるのはおやめください。上記のような表記を用いる前に、まず各ページにおいて表記における議論をなさってください。地図は再度削除します。--Takaci 2009年3月11日 (水) 05:02 (UTC)[返信]
  • 地名についての指摘ありがとうございました。具体的で何よりです。今度、誰でも修正できるような対話式の地図にします。私は地名などには拘りません。拘るのはウクライナ語に基づいた表記だけです。「ー」や「ッ」などを入れるか入れないか、といった細かいことを、私はあまり気にしていません。
  • 「命令文」と仰いましたが、それは「命令文」ではありません。御願いです。綺麗な日本語で書けなかったこと、すみません。他人の仕事を否定するような形式的な批判より、他人の仕事を向上するような発展的な批判を行ったら、どうですか、と言いたかっただけです。(「‐なさい」と「‐ください」は「please」ではないこと、初耳です。
  • 「この地図にはその他の編集者に対する悪意すら感じます」や「個人的な見解をウィキペディアを使って強引に広めようとしている」などのTakaciさんの発言は、Wikipedia:善意にとるに反します。あらためてWikipedia:個人攻撃はしないを読んでいただければと思います。-- Alex K 2009年3月11日 (水) 07:15 (UTC)[返信]
ご理解頂きありがとうございます。誰もが編集可能な地図(ページ下部にあるようなもの)であれば、よりよいでしょう。個人攻撃とのことですが、そのような意図はありませんでした。ですが、最近のAlex Kさんのウクライナに関連するページでの「表記に関して議論の前に出典のない情報を載せる」行為に、いささか不信感を抱いておりました(議論無く「フメリニツキー」から「フメリヌィーツィクィイ」への変更を行った点です)。また、「〜なさい」は「〜しろ」等の次に攻撃的で日本語では議論の際に使うと大変他人に悪感情を抱かせ、信用を失うような表現です。おせっかいかとは存じますが、ご注意ください。ですが、わたしが議論に際して不適切に感情的な言葉を用いたことは、ご指摘の通りです。反省しております。申し訳ありませんでした。今後も適切な議論へのご参加を期待しております。--Takaci 2009年3月11日 (水) 10:19 (UTC)[返信]
ご返答・ご説明ありがとうございました。私の方からも、不適切な日本語で書いてしまったことに関して、お詫びいたします。済んだことを水で流しましょう。これからも宜しく御願いします。まもなく新しい地図を上載します。
私にとっては「フメリニツキー」・「フメリヌィーツィクィイ」の問題は問題ではありません。ウクライナ人の名前はウクライナ語風な表記で書くことが当たり前なことです。フランス人の名前はフランス語風に、ドイツ人の名前はドイツ語風に、日本人の名前は日本語風に...まあ、これは地図に関係ない話なので、ここで終わらせていただきます。-- Alex K 2009年3月11日 (水) 11:00 (UTC)[返信]
Alex K様、地図のご用意お疲れさまです。先程確認しましたところ、地図内のリンクの一部が間違っている点と、首都名がウィキペディアにない表記であったため修正をしようとしたのですが、編集の仕方が分からず断念しました。わたしが編集出来れば良いのですが…(編集の仕方をご存知の方ご一報頂けると幸いです)。一応、この場で疑問箇所をご報告いたします。
黒海及びアゾフ海のリンク先がブルガリアになっております。
同様にルーマニアのリンク先がポーランドになっております。
キエフの箇所をキーイウとするのは該当ページにも記述されていない表記です。この件独自で調査をしたことがありますが、キイウ/キーウ、キーイヴはありますが、キーイウという表記は今のところどの媒体にも使われておりません。またそれ以前に該当ページの記事名と一致させることが必要でしょう。もしウクライナ語に準ずる表記を用いるのであっても、キエフ(キイウ)のような併記がぎりぎりのラインではないでしょうか。--Takaci 2009年3月11日 (水) 15:59 (UTC)[返信]
平凡社の地図では「キエフ(キイフ)」となっていたと記憶しています。その後地図が売れてしまい、見られなくなって半年なのでうやむやですが……。個人的には、スペースが狭いので無理に書かなくてもいいんじゃないかと思います。リンク先を見ればよくわかりますから……。--PRUSAKiN 2009年3月11日 (水) 15:49 (UTC)[返信]
「キーイウ」という表記は『ポーランド・ウクライナ・バルト史』の最終のページにあります。「И」が無くとも、アクセントと音節数はウクライナ語の「Київ」に合っていたため、地図で使用しました。-- Alex K 2009年3月13日 (金) 09:44 (UTC)[返信]
おおっと、灯台下暗しですね(汗)その有名な本を今度きちんと確認してきます。ウクライナ語の「Київ」にも、案外いろいろの翻訳バリエーション例が採取できるものですね。--PRUSAKiN 2009年3月13日 (金) 16:30 (UTC)[返信]

ロシアとの関係

どう考えても単純二分されていないと思います。それは日本の報道メディアが「わかりやすく」するために考えた説明です。実際は地域ごとにもっとばらばらです。以下、疑問点です。

  • ウクライナ西部はロシア革命の時代から反露的であり共産党からは粛清すべき対象であった
全ウクライナが反露的であったといえます。ただし、それは全ウクライナ人がということを意味しません。ウクライナ各地で各派(ウクライナ民族主義者極左、同左派、同右派、無政府主義者、親露共和制派、同帝政派、同左派、同極左など)が内戦を行ったのです。それを、あえて西部だけピックアップするのは誘導だと思います。もし西部だけが粛清すべき対象(つまり危険視された対象)であったならば、なぜウクライナ社会主義ソビエト共和国はキエフを避ける必要があったのでしょうか?当時はキエフこそ反露ウクライナ民族主義の巣窟と考えられていたためではないのでしょうか?また、内戦のときの対立は反露より反ボリシェヴィズムの面が強い場合もあり、一概に言えないと思います(親露の反ボリシェヴィキとか、反露の極左とかがあったかと)。
  • ホロドモール
ホロドモールの範囲は、いわゆる「民俗学的ウクライナの地域」全体です。本文では、あたかも西ウクライナを対象にしたかのように読めます。例えば、ロシア連邦政府の言うように、現在ロシア領となっているクバーニあたりもひどい被害を受けてますね(あれで同地のウクライナ人は数的に「滅亡」したのではないかと)。
  • 歴史的にロシア、ソヴィエトからのウクライナ弾圧という経緯もあり
思うに、東南部やクリミアの親ウクライナ派の人が最も激しい弾圧を受けたのであり(従って「いなくなった」)、弾圧があったらから西部の人が反露、という文章は必ずしも正確ではないと思います。弾圧、というのは勿論、物理的な弾圧(虐殺、逮捕、追放など)と文化的な弾圧(ロシア化政策)のことです。
  • ウクライナ西部を中心にロシアに対して反感を抱くものは多く、ロシア語を嫌いウクライナ語を主に利用する
ロシア語が嫌いだからウクライナ語を使うのですか?弾圧とは別に、たんに伝統的に、これまでずっとウクライナ語を使ってきたから今も使っているのではないですか?まあ、伝統的にロシア語が嫌いだからウクライナ語を使ってきたのかもしれませんが……。
  • 多い、少ない
数の問題については、具体的な出典をお願いします。間違っているとは思いませんが、ウィキペディアでは数を論じる場合には出典が必要です。

私も不勉強ゆえ指摘が見当違いな可能性はありますし(すみません)、またこの節はどうも「ロシアとの政治上の関係」のようなので、政治問題をきちんと判断するのは難しいとは思います。ですので、記述の正誤はともかく、これを機会に私より詳しい方に改めて検討していただければ幸いです。--PRUSAKiN 2009年5月2日 (土) 10:21 (UTC)[返信]

わたしも新項目には疑問がありました。東か西かという二項対立での議論がオレンジ革命前後より国内外でうたわれるようになったのですが、実際にはそのように単純化出来るものではなく、わたしはあくまでプロパガンダとしての対立軸でしかないと考えています。「ロシアとの関係」との項目が突出していたのも違和感があったのですが、今は外交に移っていますね。必ずしも外交とも言いにくいですが、他にどこで記述されるべきか思いつきません。他の国のページでも参考になるような似たような項目が見当たらないので、扱いが難しいと感じているところです。--Takaci 2009年5月3日 (日) 11:33 (UTC)[返信]

私もプロパガンダだと思います。この項目に書かれていることすべてだおかしい(orプロパガンダ的)なわけではありませんが、このまま記述を載せておくことに強い疑念があります。

それと、つい見落としていましたが、確かに「ロシアとの関係」という項目だけが突出していた(る)のもおかしいですね。(非現実的な理想ですが)各国との関係を書かなければおかしいですし、「ロシア」だけ抜き出してくること自体に何らかの「意図」を指摘されても仕方ないと思います(例え執筆者にその意図がなかったとしても)。--PRUSAKiN 2009年5月8日 (金) 05:52 (UTC)[返信]

よこから失礼します。PRUSAKiNさんとTakaciさんの批判に賛成です。「ロシアとの関係」の内容はを追加した利用者は反応しないので、「ロシアとの関係」を削除したらいかがでしょうか?--Alex K 2009年5月8日 (金) 14:45 (UTC)[返信]

削除しましょう。あそこに書かれていることなんか、歴史の項目でも見れば全部わかるじゃないですか。必要ないと思います。もうしばらくして改善なければ削除で。--PRUSAKiN 2009年5月11日 (月) 08:41 (UTC)[返信]

削除しました。改善案があったらご提示ください。--PRUSAKiN 2009年5月13日 (水) 11:09 (UTC)[返信]

料理

  • ボルシチは、日本においてはロシア料理となっているが、ウクライナ料理であり、ロシアでは別の呼び名で、スタイルも異なる。
->ボルシチの項目で過去に議論(とまではいっていないが)がありました。そう簡単に断言してよいものではないと思います(私個人としては、ウクライナの民族料理と思ってますけど)。
  • ロシアは、ウクライナの前身のキーフルーシ大公国の一部であった小さなモスクワ公国から東に拡大した国家である
「キーフルーシ大公国」という言い方は普通しません。キエフ大公国は確かにウクライナの前身といえますが、ウクライナだけの前身であるかのような言い方は厳密ではありません(そもそも、キエフ大公国はウクライナ国家ではありません。尤も、いろいろ学説があるので「キエフ大公国はウクライナ国家だ」と言っている学者もいるかもしれませんが……)。料理の項目で、歴史学上の議論になっている事項を断言調で述べるのはやめたほうがよいと思います。※「古ウクライナ国家たるキエフ・ルーシ」という言い方はあると思いますが、いずれせよ諸説あるので断言はできないかと。
  • また、重要なことは、日本人はソビエト連邦にウクライナという国家が含まれ、国際連合の議席もあったことさえ知らないため
世界史の教科書に書いてありますし、NHKのドキュメンタリーなんかでもよく出てきます。日本人はこの事実を知らないと書くのは、あまりに日本人を馬鹿にしているのではないでしょうか。尤も、確かに、恐らくほとんどの日本人が高校の世界史の時間に寝ていて(苦笑)この記述を忘れてるみたいですが(……)。実際問題として「知らないんじゃないか」と言うことはできると思いますが、書き方というものがあると思います。いずれにせよ、「知らない」ということについてそう書いている出典データを示さないことには、ウィキペディアではそう記述するのは難しいと思います。
ところで、「日本人はソビエト連邦にウクライナという国家が含まれ」ていたということを知らないのだとしたら、どうして「旧ソ連のウクライナ」という言い方がしばしばなされるのでしょうか?
  • ウクライナ=ロシアという感覚があり
確かにそういう印象を日本人からは受けることがありますが(例:「ロシア人嫌いだから」という理由でウクライナ人がいじめられる)、これは出典を示せるデータがあるのでしょうか。ウィキペディアに書くからには、要出典を求められたときに出典を明示できなければなりませんが、これはちょっと難しいのではないかと思います。
  • ソビエト崩壊後かなりの年数がたったが、未だに日本では、旧ソビエトのウクライナといった言い方をマスメディアはとっており、ヨーロッパではこのようなことはありえず、日本だけであり国際感覚が疑われる。
趣旨については同感です。ただ、だからといって国際感覚の問題ではないような……。そう書いている出典があるのならば、ご提示願いたく存じます。

まとめをしますと、なぜこれほど歴史学上で諸説ある事柄、政治的な事柄、個人的にはわかる気がするが出典が微妙な事柄を、こともあろうに「料理」の節で述べる必要があるのか、ということです。そうした事柄は、料理自体とあまり本質的に関係ないような気がします。--PRUSAKiN 2009年5月8日 (金) 05:52 (UTC)補足。--PRUSAKiN 2009年5月8日 (金) 08:13 (UTC)[返信]

PRUSAKiN氏の意見に同感です。「また、重要なことは〜国際感覚が疑われる」の文章は書き手のきわめて個人的な考えであり検証不可能ですので、(特に反論なければ)一括削除すべきと思います。「ボルシチは〜食文化でない」については、そう断言できるかどうか議論を待ちます。--Buckstars 2009年5月8日 (金) 10:44 (UTC)[返信]

コメントありがとうございます。私も、要はこれは独自研究で削除なんじゃないかと思いました。ただ、履歴を見ますとこの記述、一度削除されてのち復帰されているようなんですね。また、書いていること100%が独自研究とも思いませんので、いちおう出典明示と文章表現の改善をお願いして、改善されなかったら削除(一括削除でOK?)かなあ、と思っています。

個人的感想としては、まあなんで料理の項目にこんなに歴史問題や政治問題を書かなければならないのかなあ、というのが正直なところです(それ用のほかの項目があるじゃない!)。--PRUSAKiN 2009年5月8日 (金) 13:11 (UTC)[返信]

  • 政治の話は消化に悪いです。画像を除けば、今の「料理」を削除したほうがいいと思います。料理に関する部分はたった最初の文だけです。--Alex K 2009年5月8日 (金) 14:50 (UTC)[返信]

もうちょっとして改善がなければ削除したいと思います。最初の文「ボルシチは、日本においてはロシア料理となっているが、ウクライナ料理であり、ロシアでは別の呼び名で、スタイルも異なる。」については、一般論として「日本でロシア料理として知られている中に、実はウクライナ料理であるものが含まれている例がある」ということは言えると思うので、文章を工夫して生かせれば最善かと(まあ、ただこれだけ書く必要があるのかと言うと、いらないと思うのですが。ウクライナ料理の本質的な解説になっていない)。--PRUSAKiN 2009年5月11日 (月) 08:41 (UTC)[返信]

削除しました。改善案があったらご提示ください。--PRUSAKiN 2009年5月13日 (水) 11:09 (UTC)[返信]

宗教

  • Alex Kさんへ。なぜ執拗にモスクワ総主教庁側の言い分を無視する構成にするのでしょう?法学というのは見方によって結論も変わるものなのですよ。--Kliment A.K. 2009年6月3日 (水) 16:51 (UTC)[返信]

:質問ありがとうございます。理由は以下ほどのものです。

  • 1686年の出来事は「教会法の違反」があったこと、歴史的事実です。その事実については当時のウクライナ側の史料と、コンスタティノポリ総主教庁の史料も物語っています。「違反」は「見方」ではありません。盗みはだれから見ても、「違反」です。1686年にモスクワ総主教庁はコンスタティノポリ総主教庁からウクライナの教会を盗んだのです。いくら綺麗な言い分を並べても、事実の内容が変わりません。
  • モスクワ総主教庁側の言い分は歴史事実ではありません。良く言うと「事実の独特な認識」、悪く言うと「事実の歪曲」です。
  • モスクワ総主教庁側の言い分の出典はありません。
  • 「乗っ取る」という言葉は不適切かもしれません(そのような言葉しか思い浮かびませんでした)が、「教会法の違反」を落として「管轄が移る」だけを書くことが不適切と思います[9]。事実を無視して、モスクワ総主教庁側の言い分になるからです。「教会法の違反」+「管轄が移る」という構造がいいかもしれません。
  • 1686年の出来事をめぐって「教会法の違反」を語らないと、1990年にキエフ総主教庁がなぜ誕生したかわからなくなります。

また、キエフ総主教庁をめぐる現在の状況(教会法上の合法性の不承認)も正確に理解できないと思います。

  • 「現在、このキエフ総主教庁・ウクライナ正教会が正教会の教会法上の合法性を認めている他国の正教会は存在しない」というところで、キエフ総主教庁の言い分がありません。--Alex K 2009年6月3日 (水) 19:49 (UTC)[返信]
いつもながら疲れますね…何で「ウクライナ側の言い分」だけを記載するのか…
1686年の出来事は「教会法の違反」があったこと、歴史的事実です。その事実については当時のウクライナ側の史料と、コンスタティノポリ総主教庁の史料も物語っています。「違反」は「見方」ではありません。盗みはだれから見ても、「違反」です。1686年にモスクワ総主教庁はコンスタティノポリ総主教庁からウクライナの教会を盗んだのです。いくら綺麗な言い分を並べても、事実の内容が変わりません。
ですから法学というものは見方によって変わるのだと申しております。法学の基礎を勉強して下さい。教会法の統一的な運用機関が正教会には存在しない以上(そもそも訴訟法体系が各個教会それぞれ独自のものになっております)、特定教会組織の言い分のみを記載するのは明らかなPOVです。
世俗の領土変更に伴って教区が聖界の意向とは関係無く変更される事は正教では(のみならず西方でもそうですが)珍しくありません。で、現地政府の承認が無ければ主教は主教として承認されないのです(エルサレム総主教庁が現代にイスラエル政府との間で問題になっている事も周知の事実です)。現地政府の意向・事情が教区に反映される事も違法では全く無いと捉えるのは可能なのです。もちろんそれに対する評価は別の問題ですが。実は私個人の見解は別にロシア正教会のコピーでは全くありません。が、そんな主張をする場では百科事典はありません。一方の法解釈のみを述べる場でもないのです。
モスクワ総主教庁側の言い分の出典はありません。
モスクワ側が「我々はキエフ教区を乗っ取りました」と言っているとでも?(Alexさんの言い分に従えば、「盗人が自ら『盗みました』と認めている」とでも?)明らか過ぎるものに出典を求められても困ります。むしろ「モスクワ側も『乗っ取った』事を認めている」出典が欲しいところです。
1990年にキエフ総主教庁がなぜ誕生したかわからなくなります。また、キエフ総主教庁をめぐる現在の状況(教会法上の合法性の不承認)も正確に理解できないと思います。
フィラレート・デヌィセンコによる個人的事情が発端としてはかなり大きいと捉えております。そうでなければウクライナ独立正教会が別個に成立した事の説明がつかないでしょうね。
なおリアルの立場もありますし編集者としてもあまり個人的見解は明らかにしたく無いのですが、小生個人はウクライナ正教会が正常な独立正教会となる事に反対する動機を持っていない、とだけ申しておきます(こういう微妙な言い回しの日本語も、Alexさんなら理解出来るでしょう)。編集を個人的動機で行っている訳ではありません。その辺、誤解なきよう。
>「現在、このキエフ総主教庁・ウクライナ正教会が正教会の教会法上の合法性を認めている他国の正教会は存在しない」というところで、キエフ総主教庁の言い分がありません。
仰る点は御尤もです。これについては改善しましょう。--Kliment A.K. 2009年6月3日 (水) 23:45 (UTC)[返信]
「乗っ取った」という表現はやはりPOVに過ぎますね。修正します。例えば北方領土問題で同じ事をしたら、つまり日本語文献に従って「泥棒は泥棒だ」「不法占拠は不法占拠だ」とやったらNPOV違反を疑われるのです。日本人編集者達にはそれ位のバランス感覚はあります。いくらウクライナの記事とは言え偏りにも程があるでしょう。--Kliment A.K. 2009年6月3日 (水) 23:56 (UTC)[返信]
個人的見解をまたも書くのはイヤなのですが、キエフ総主教庁の承認がコンスタンディヌーポリから得られるのも、「キエフ総主教」がフィラレート・デヌィセンコから交替して以降であれば十分有り得るでしょうね。つまり「時間の問題」です。法解釈というものは現実問題、かくも「政治」「時間」に左右されるものなのですよ。--Kliment A.K. 2009年6月4日 (木) 00:01 (UTC)[返信]
上記三つのコメントにつき、色々と体裁を整え、旧字体などを訂正し、出来るだけ読みやすい日本語にしました。--Kliment A.K. 2009年6月4日 (木) 07:22 (UTC)[返信]
御編集御説明有難度存知候。是にて問題無之候。恐々謹言。--Alex K 2009年6月21日 (日) 12:08 (UTC)[返信]

宗教2

上と同じテーマですが、少し話題がずれるので節を別にしました。

現在ウクライナの国民は多くキリスト教徒のアイデンティティを持っているが、大半は特定の宗教団体に属していない。

私だけわかっていないのかもしれませんが、これはどのレベルでの話なのでしょうか?

  1. どの宗教でも(ex. キリスト教でも、仏教でも、イスラム教でも、ヒンドゥー教でも、何でも)いいと思っている=どの宗教にも等しい親和性を持っている。
  2. キリスト教なら、正教でもカトリックでもプロテスタントでも、あるいはほかの何かでも何でもいいと思っている=どれにも等しい親和性を持っている。
  3. 正教会なら、何総主教系かは拘っていない。あるいはカトリックなら、プロテスタントなら、どの宗派でもよいと思っている。

1だということはないと思うのですが、2なのか3なのかは明確化したほうがよいと思います。

特定団体に所属していないということは現状の文で理解できるのですが、文の前半がアイデンティティの話を書いているので、おやキリスト教のどのようなアイデンティティを持っているのかなと気になりました。正教かカトリックかプロテスタントかに拘りを持っているのか否か、何総主教系かや宗派に拘りを持っているのか否か、わかれば書いておいたほうがよいと思います。--PRUSAKiN 2009年6月17日 (水) 07:45 (UTC)[返信]

一部ブラウザで表示の異常?

バグの報告に指摘しておきましたが、私のXP・Internet Explorer8のパソコンではこの項目の右側に意味の無い空白ができます。数日経ても直らず、解決しないようなので「Template:一部ブラウザで表示できない」を貼っておきました。Vistaなどでは正しく表示されるみたいですね?--219.117.18.128 2009年7月4日 (土) 02:17 (UTC)[返信]

大量除去への抗議

2010年1月2日 (土) 10:03の版で保護依頼がされていることについて

Alex K氏の態度への抗議と出典について

  • 今回の保護依頼はAlex K氏の依頼に基づいて行われたと思いますので、 直前の2010年1月2日 (土) 09:55版への差し戻しが行われるべきです。出典に関する問題提起を行っているのはこちら側であり、この版でない版で保護依頼されることは許されません。複数のウクライナ関連記事へのAlex K氏の編集を総合すると、この人は排外的なウクライナ民族主義極右の思想に基づいていて、それを正当化しようとWikipediaを利用していることは火を見るよりも明らかです。この人のWikipediaの利用に大いに疑問を呈します。また、出典もウクライナ語のものばかりですが、日本語と英語で読むことが不可能なものに検証可能性はありません(参照Wikipedia:検証可能性)。ウクライナ語に通じた特別な者でないかぎり読めないような出典をつけているのは、Wikipediaの編集としては不適当。日本語か英語、あるいは学術用語が翻訳できる翻訳サイトが存在する言語での出典でなければ到底認められない。そうでなければAlex K氏のような、歴史を政治的に利用したい側のやりたい放題になってしまう。--220.209.93.16 2010年1月2日 (土) 11:11 (UTC)[返信]
検証可能性の独自解釈による荒らし行為ですね。日本語文献があればそれを優先しろ、翻訳は専門家による方が望ましいとしか書かれていません。[10],[11]、脳内ルールで出典を除去して信頼できないと主張するのは極めて悪質だと思います。ウクライナ史でウクライナ史家を優先するのは当然でしょう。ウクライナ史家がロシアから民族主義者扱いを受けるのもロシアPOVでは当然なのかもしれません。マルチポストなのでここのみに書込みますが、非英語の外国語文献は信頼できる情報源でないとする主張は受入れ難いです。johncapistrano 2010年1月3日 (日) 05:01 (UTC)[返信]
コメント
この件につきましては、私は「220.209.93.16さんにもAlexK氏にも問題がある」と思っております。johncapistranoさんの指摘はかなり一般論としての正しさを含んではいるのですが、「脳内ルールで出典を除去して信頼できないと主張するのは極めて悪質」というのであれば、日本語出典・英語出典などを一律にウクライナ語出典に比べて信頼出来ないとして削除・差し戻しを繰り返すAlexK氏の悪質さにも同様の批判が向けられてしかるべきでしょう。
>ウクライナ史家がロシアから民族主義者扱いを受けるのもロシアPOVでは当然なのかもしれません。
そもそもかなり事実誤認が含まれているかと思うのですが、今回の編集で問題になっている箇所は、決して「ロシアの言い分」対「ウクライナの言い分」に還元されない、複雑な問題だということです。普段からそのように主張しているのはAlexK氏ですが、johncapistranoさんは御自身で東欧史を勉強された事がありますか?AlexK氏の主張をそのまま鵜呑みにしてはいませんか?
ドイツ、スウェーデン、ポーランド、リトアニア、ウクライナ、ベラルーシ、トルコなど、多くの歴史的プレイヤーが居る東スラヴの地において、そのような二項対立に還元出来るような軸などある筈もありません。ちょっと考えればお判り頂けるでしょう。
確認して頂きたいのですが、日本史について日本人が正しいとは限らないのと同様、ウクライナ史についてウクライナ人が正しいとは限らないのは当然の事ですよね。日本史について日本語文献が正しいとは限らないのと同様、ウクライナ史についてウクライナ語文献が正しいとは限らないのもまた然り。それは日中韓関連の歴史認識問題に関して編集なさっているjohncapistranoさんであれば、よくお判りの筈じゃないですか…。--Kinno Angel 2010年1月3日 (日) 11:58 (UTC)[返信]
補足コメント。johncapistranoさんの「非英語の外国語文献は信頼できる情報源でないとする主張は受入れ難いです。」についてですが、色々なところに詳細は書いていますので(Wikipedia:コメント依頼/AlexKノート:三位一体大門教会)少しだけ。これについては同感です。ただし「日本語文献・英語文献と内容が衝突する場合、無条件でウクライナ語文献が採用されるべき」といった主張がなされるとすれば、受け入れる訳には参りません。--Kinno Angel 2010年1月3日 (日) 12:10 (UTC)[返信]
分かり易いようにロシアを挙げただけです(リトアニアなりに読替えて頂くといいんですが)。
可変IPの主張のように彼の使っている文献が極右ということはないと思います。日中韓の記事では中立的な観点以上に併記されている感がありますが、この記事でも観点が増えたとしてある程度併記で行けるでしょう。IPによる主張に受入れる余地は少ないです。
Alex K氏は出典付きの記述は除去してなかったと思います。出典付きの記述への割込の編集は不適切であれば除去して当然です。国籍問わずのウクライナ史家の英語文献であれば除去しないのではないかと思われますがどうでしょうね。johncapistrano 2010年1月3日 (日) 13:33 (UTC)[返信]
>可変IPの主張のように彼の使っている文献が極右ということはないと思います。
さあ、どうでしょう?「分らない」というのが現時点での私の判断です。IP氏の言葉をそのまま受け取る根拠はありませんが、「極右ではない」と判断するだけの材料も「現時点では」私にはありません。ただまあ、そもそも極右でも何でも、ネオナチほどの過激主張でもない限り、両論併記の形であれば、基本的に私は受け入れますが。AlexK氏の批判に値するのは「両論併記すら容認せず、単純差し戻しを繰り返した」点にあります。
>Alex K氏は出典付きの記述は除去してなかったと思います。
この点につきましては、当ページ(ウクライナ)については議論が進展したら確認します。しかし別のページで出典付きの記述を脚注欄ごと何度も消去された事があるため(専門書でも祈祷書でも何でもない、一辞典よりの出典です)、彼の事は「出典に対する態度」という点でも、もはや全然信用出来ないのです。具体例についてはコメント依頼ページを御覧下さい。--Kinno Angel 2010年1月3日 (日) 14:21 (UTC)[返信]

保護依頼について

議論のたたき台となる問題提起に対して行われるものであるから2010年1月2日 (土) 09:55版のままで保護依頼していただきたい。勝手に自分の都合のよいところまで差し戻さないこと!2010年1月2日 (土) 11:43に09:55版に差し戻しました。保護依頼したいなら、ここで保護依頼すること。--220.209.93.16 2010年1月2日 (土) 11:53 (UTC)[返信]

複数のIPによる編集・出典・荒らしについて

情報

出典

  • [12] 1648年には、コサックの棟梁であるボフダン・フメリヌィーツィクィイの指導するコサックと、ポーランド・リトアニア共和国でポーランド文化に同化した裕福なシュラフタとの間でトラブルとなり、コサックはコサックのための自治を求めて「ロコシュ」という類の内乱を起こした((ポーランド語) W r. 1648. jawnie podnosi rokosz Chmielnicki, a Bóg pomsty czyniąc go zwycięzcą, dopuścił uwijsń-czonemu zuchwalstwu,' zniszczyć prawa i pohańbić wszelkie obywatelskie cnoty." Baracz, Sadok (1852) 『Pamiątki miasta Żółkwi』, Lwów : Drukiem Piotra Pillera[13])。
⇒ 先ず、出典はウクライナ史の専門書でもなく、フメリヌィーツィクィイの乱についての専門書ではありません。「Pamiątki miasta Żółkwi」(ジョウクワ町の史跡)という19世紀のŻółkiewの郷史です。「フメリヌィーツィクィイの乱はロコシュだった」と主張するために、19世紀の郷史はいかにも不十分な書物だあることがお分かりのはずです。ですからそのような書物は、フメリヌィーツィクィイの乱というテーマにおいて信頼できない情報源であり、概略的なウクライナ#歴史どころか、フメリヌィーツィクィイの乱という専門項目においても記載すべきでない出典であると思います。
  • [14] [15] ウクライナのシュラフタのうち裕福な者の大半はポーランド文化に積極的に同化して((英語)History of Ukraine[16])宗教も西方のローマ・カトリックプロテスタント諸派に改宗((ポーランド語) Gancarz, Bogdan (1909), 『My, szlachta ukrainska』 Arkana (Krakow))、裕福でない者は農村部に暮らし東方正教を信仰しながらキエフ・ルーシ以来のウクライナの土着文化に留まっていた((ポーランド語) Gancarz, Bogdan (1909), 『My, szlachta ukrainska』 Arkana (Krakow)) 
⇒ History of Ukraineというサイトをご覧いただけらば、お分かりになるかと思いますが、著者が不明である上、参考文献は一切載っていません。このようなサイトを信頼できる情報源として使用できません。
⇒『My, szlachta ukraińska... Zarys życia i działalności Wacława Lipińskiego 1882-1914』(我々はウクライナの貴族。ヴァーツラフ・ニジンスキーの生涯兼事跡録)という書物([17][18])は、BogdanGancarzが著した ヴァーツラフ・ニジンスキー(1882年-1914年)というウクライナ出身の貴族の生涯・思想についての研究です。この研究によって16世紀から17世紀にかけてのウクライナ貴族の「積極的な同化・改宗」うんぬんについて論じることはどうかと思います。要するに、専門書ではないので信頼できる情報源にあたいしません。
  • [19] コサック国家は行き詰ってモスクワ大公国の保護下に入る形となり、1667年に当地の西半を奪還しウクライナ諸県を復活させたポーランド・リトアニア共和国と東部を支配したモスクワ大公国によって二つに分割され、コサックのための自治権はまたも失われることとなった。このことは今日のウクライナ人にとってはルーシ民族主義(英語)Alexander Jakubanecs; Magne Supphellen; Helge Thorbjrnsen. Slavic Brothers or Rivals? Effects of Consumer Ethnocentrism on the Trade Between Ukraine and Russia. Journal of East-West Business, Volume 10, Issue 4 September 2005)にとっての共通の敵である多民族国家ポーランド・リトアニア共和国をルーシ民族の対等な連合の下に駆逐したのにも拘らずロシアに裏切られたというように受け取られ、現代の複雑な反露感情の源泉のひとつとなっている。
⇒この場合、出典となっている論文は『Journal of East-West Business』, Volume 10, Issue 4 September 2005 , pages 55 - 78 で出版されています。この雑誌も論文もウクライナ史についての専門書でも、一般書でもありません。なぜ、IPの利用者はに経済学者が書いた論文によってコサック時代から現代に至るまでのウクライナ人の反露感の存在を証明するのか分かりません。さらに、そのIPの利用者は、どこから「ルーシ民族主義」という新概念を取り出したのか、なぜ「多民族国家ポーランド・リトアニア共和国をルーシ民族の対等な連合の下に駆逐した」という共和国贔屓を主張するのか、不明です。

荒らし(出典の削除)

まとめ

  • 以上の分析をご覧いたでければ、IPの利用者は自分の書いた文書に信頼できない情報源(出典)をつけています。出典の書き方・出典の題目を見るだけで、利用者は人文科学、とりわけ歴史学に詳しい人物でないことが分かります。さらに、ウクライナ#歴史に追加された情報の内容から判断すると、彼はポーランド・リトアニア共和国に対して強い関心をもっていることも分かります。IPの利用者は、善意か悪意かによってウクライナ#歴史を増長させてウクライナ項目における各節のバランス、特に「歴史」の節のバランス悪化させています。ですから、IPのを行った問題編集を安定したversionまでにを巻き戻すことを提案します。--Alex K 2010年1月4日 (月) 06:06 (UTC)[返信]
ノートページを私物化するが如く、Template:工事中タグを貼り付け(そもそも一般の記事ではなく、ノートページでこのようなタグの使い方が許されるのでしょうか?)、18回も編集を繰り返し私による批判を除去したまま復帰もしないという姿勢にまず疑問を覚えます。私のコメントに気付かなかったのですか?では、以下に削除された批判を貼り付けておきます。--Kinno Angel 2010年1月4日 (月) 07:46 (UTC)[返信]
コメント 分割すればいいだけの事。大量除去の正当性には繋がらない。--Kinno Angel 2010年1月4日 (月) 02:44 (UTC)[返信]
補足しておきますが、上記批判はもちろんAlexK氏に向けたものです。「バランスを悪化させている」というのなら、分割提案をすればいいだけの事。「内容に問題がある」というのなら一つずつ丁寧に検証して修正していけばいいだけの事。大量削除・差し戻しの正当性を何らもたらさない、呆れた言い訳です。--Kinno Angel 2010年1月5日 (火) 05:07 (UTC)[返信]
リンク修正--Kinno Angel 2010年11月9日 (火) 00:36 (UTC)[返信]


節構造について

「現代」の中に最近の「独立時代」を含めるべきでしょう。 「現代」の外に、別に配置してしまうと、まるで『「独立時代」は「現代」でない』と言っているような、とても奇妙な主張になってしまいます。

KDDIからアクセスしている乱暴なIPユーザが、ただ感情的になって変なリバートをしているようですが、おそらくまともに判断していない、と思われます。Wikipediaでは、他者の編集内容を個々に検討せず、感情的になって全リバートすることは原則的に禁止されています。要素をひとつひとつ見て残すもの、加筆するもの、出典無しなので削除するもの、と仕分けしなければいけません。KDDI IPユーザの全リバート行為は明らかにウィキペディアのルールに対する違反です

もしも仮にKDDI IPユーザが「現代」の意味が納得ができないとしたら(まともな日本語話者ならば意味が分からない人はいないように思えますが、もしかするとウクライナ人かロシア人かも知れないので)「現代」という意味を、日本語の国語辞典で調べ直してみてください。

様々な歴史書で、どの国の歴史でも、最後の章は「現代」として、そこに現代の様々なことが解説されているはずです。もしも仮に(あくまで仮にですが)わざわざ独自の異常な日本語用法を用いる理由があるのなら、(例えば「現代」とは別に「独立時代」をわざわざしているような出典)があるのなら、このノートで具体的な掲載ページも提示して、きちんと論理的に説明してみてください。(できないはずだと思いますが)

数日程度待っても異論がなければ、「現代」の節の中に、ここ数十年の「独立時代」を含めるように修正します。--Otaki Hajime会話2014年3月6日 (木) 05:44 (UTC)[返信]

KDDIのIPユーザ 利用者:59.141.171.35会話 / 投稿記録 が 2014年3月6日 (木) 06:23‎ にまた乱暴に編集だけして、会話もなかったということは、上記に反論できず承認したということだな。KDDIのIPユーザは態度が悪すぎる。ともかく、現状は反論できないような節構造なのだということは明らかになったので さっそく「現代」の節に「独立時代」を含める。--Otaki Hajime会話2014年3月6日 (木) 14:09 (UTC)[返信]

節構造(節名)「人口」-「宗教」は不適切

「宗教」という概念は「人口」という概念の下部構造にはなりえない。日本語の「人口」は、あくまで的なもの。 ともかく「人口」-「宗教」という構造は絶対。間違っている。紙の百科事典でも、ウィキペディアでもありえない。

ウィキペディアでは通常は国の記事の中に「国民」という節はあり、その下部構造として「宗教」はありうる。

ルーマニアにもロシア人も住んでいるが節名は「国民」とし、その下部構造に「宗教」がある。

ただし、その国に、その国の国籍(あるいは参政権)ももたずに住んでいる者の割合が特に多い国の場合は「国民」という節名の代わりに「住民」とすることはある。これならば十分にO.Kだ。

台湾の記事がその例だ。

ともかく「人口」という節の下部構造として「宗教」を入れるのは絶対におかしい。日本の学者100人に聞いたら100人か99人が「間違っている」と指摘するくらいに間違っている。

KDDI IPユーザは本当に日本語話者?

ところで、欧米語を母国語とする者は、「population」系という言葉で表現することがあるが、その場合の「poplulation」という表現は適切な日本語に訳す場合は「住民」となる。その文脈におけるpopulationを「人口」と訳しては誤訳だ。

生粋の日本語話者だったら、「人口」と表現したら即座に数的概念しか指さないと判り、違和感を感じ訂正する。それなのに、日本の学校教育をきちんと受けた人なら99%気付くはずの語彙上の誤りににKDDI IPユーザが気づいていない。KDDIのIPユーザは、本当はきちんとした日本語話者ではないのではないか? もともとロシア語か欧米語を多量に使っていて、日本語がおざなりになっていて、正しい日本語の用法をきちんと身につけていないのではないか? それとも、つたない日本語しか知らず、強引に翻訳ツールを使って間違った日本語を生成して、自力でチェックもできずに投稿している外国語話者なのか?

日本語を十分に使えないのに安易に加筆するのはなるべく控えていただきたい。日本語の話者でない人が日本語版ウィキペディア投稿する場合、事前に日本語を母国語とする人に事前に添削してもらって、その後に投稿していただきたい(例えばドイツ語版でも、英語版でも、スペイン語版でも、そういうのはマナーとも言える。KDDI IPの投稿はマナー違反だ。)。他のウィキペディアユーザにKDDI IPユーザの家庭教師をさせないでいただきたい。Wikipediaの各国語版の記事は、基本的にその言語を十分に使いこなせる人が投稿している。ウィキペディアは語学初心者・中級者のための家庭教師サイトや、無料添削サイトではない。語学のトレーニングは語学学校でやるべきで、ウィキペディアでやるべきではない。いちいち日本語の誤用まで指摘・指導させる、というような迷惑を他のユーザにかけないでいただきたい。--Otaki Hajime会話

住民の内容の分析について

個人的にはウクライナの情勢にさほど興味があるわけではないが、ウィキペディアの記事内容の分析はかなりできるだけの経験はあるので、鼻をつっこんだことだし、ちと記事内容を分析してみたが、 どうも「住民」の節の中に書かれている数字を冷静に分析すると、ウクライナの国情を理解するには、住民のうちウクライナ国籍を持っている割合は何%か書いたほうがいいように思われる。別の言い方をすると、ウクライナ国籍を持たずに(一種の外国人として)ウクライナに住んでいる者の割合は、全住民のうち何%なのか?という情報も、出典を用いて明記したほうがよいのではないか。

「住んでいる」とされる(と主張している)ロシア人は、ウクライナ国籍を持っているのか? 持っていないのか?

  • ロシア国籍だけしか持っていないが、短期居住、長期居住しているのか?
  • それとも、民族的にロシア人で かつ(and) 生まれた時からウクライナ国籍を持っているのか?

上記2つのうち、上のほうの場合は、数を増やすための動機で大挙して一時的に強引に押しかければ数(割合)は一挙に増え、簡単に変動してしまう。

そのあたりの区別をはっきりさせないで、ただもっともらしい数字を挙げても、実際には印象操作的なデータにしかならない。できれば実態を理解するのに役立つ数値分析を、出典を用いて示すとよいのだが。誰か、資料は持っていないか?

あと、ロシア人滞在者のうちウクライナの正式なビザはとっているのは何%か? 軍人などとしてビザもとらずに(ウクライナ行政の手続も経ずに、いわば勝手に)ロシア軍基地などに滞在しているのは何%か? というデータも掲載したほうが正確で分かりやすい。

統計数字というのは、政治的組織が発表する場合、政治的な意図で数字を捏造・操作することもあるので、ウィキペディアの記事では、ルール通りに、統計をとりまとめた学者名・団体名・組織名なども明示して中立的に、ある程度距離を置いたような表現にしたほうがよいかも知れない。ソ連やロシアなどがからむとそういう情報操作はよく起きるようだ。まことしやかに発表され流布している数字が実は真っ赤なウソ、などということも多々あるのだから、中立的な記述にとどめたほうがよいだろう。 --Otaki Hajime会話2014年3月6日 (木) 15:30 (UTC)[返信]