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ノート:夜長姫と耳男

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これはこのページの過去の版です。みしまるもも (会話 | 投稿記録) による 2016年7月4日 (月) 12:05個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (冒頭部の「5年ぶり」、その他について)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

記事を読ませていただきましたが、それぞれの論者が総合的に解釈しているものを、こういうふうにそれぞれを部分的に分類抽出して、いくつかの解釈項目にふりわけて纏めてしまうのは、文学作品の記事としては百科事典の範囲を越えて、出典を利用しながらの頭痛さん自身の独自研究の方向になっているように思えました。正直なところ、「文学作品」というものを学問的に画一的に分類解釈しすぎていて、私には何か違和感を感じます。--みしまるもも会話2013年6月21日 (金) 01:28 (UTC)[返信]

「何か違和感を感じます」といった個人的な感覚に基づいて話をされても対応できません。ごめんなさい。これまでのあなたとの議論から見て、私はあなたが「百科事典の範囲」をよく理解しているとは思えないです。独自研究についてはWikipedia:独自研究は載せないと照らし合わせてどこの文章がどのように該当するのかを具体的に指摘してください。論の総体から部分を引いて紹介すべきではない、などということになってはWikipediaで記事を書くことはできません。Wikipediaでは常に参考文献全体から出典をひいて部分の記述を行います。--頭痛会話2013年6月21日 (金) 01:41 (UTC)[返信]
(追記)なお、主題やモチーフ、あるいは分析をまとめて見出しを含め適宜整理するのが一般的であることは英、独、仏をはじめ他言語版の秀逸な記事などを参照してみていただければ納得していただけるかと思います。--頭痛会話2013年6月21日 (金) 01:53 (UTC)[返信]
いくつかの解釈項目にふりわけて纏めるにしても、この坂口の文学作品のような日本文学作品の場合には、頭痛さんのやり方は一般的なやり方だとは私には思えません。外国人がやっているからそれが妥当だとも思えませんし、全部が全部そんな記述もしてませんよ。またウィキではそういったやり方を強制してもいません。そういうふうにすぐにルールや方針を何か傘にして、あたかもそれが絶対で、そうしなければならないかのような上から目線の強制的な物言いはおやめになった方がいいですよ。コメント依頼でもその点のことをあなたは批判されていることを気づいてください。私はただ感想を述べさせていただいただけですので。--みしまるもも会話2013年6月21日 (金) 02:24 (UTC)[返信]
>この坂口の文学作品のような日本文学作品の場合には、頭痛さんのやり方は一般的なやり方だとは私には思えません
なんの根拠もないです。いくら「感想」だと言っても、もう少し論理的に書いていただかないと議論にも何にもなりません。ノートは記事に対する単なる感想文を書くところではないので。--頭痛会話2013年6月21日 (金) 02:29 (UTC)[返信]

あなたがそういう抽出分類方法をなさるのは、ご勝手ですが、それをあたかも絶対ルールのように他人に強制なさるのは、やめてくださいね、ということだけです。そんな内容の分類方法の記述法までウィキでは強制してませんので、これから、またそんなことまでをさらに私に要求強制はしないでくださいということだけ、一応申し上げておきます。なお、私の引用のことについては、すでに私は改善の方向でやって実行に向けて進んでおりますので、コメント依頼でも申し上げているとおりです。--みしまるもも会話2013年6月21日 (金) 02:48 (UTC)[返信]

ここは何のページで、あなたが問題としていることは何ですか。記事の問題を記事の問題として論じられないならこの場から去ってください。
私の編集行動がすべてあなたに対するメッセージであるかのように受け取られているのはさすがに自意識過剰というものではないでしょうか。そろそろWikipedia:善意に取るのガイドラインにも抵触していることにも注意を促しておきます。--頭痛会話2013年6月21日 (金) 03:02 (UTC)[返信]
横から失礼します。みしまるもも様には、具体的にこの部分が、というのを挙げていただいた方がいいのではありませんか。おそらくたくさんあるのでしょうが、とりあえず一つ、この部分、この扱い、というのを挙げていただいた方が実のあるやりとりになりはしないかと思うのですが。門外漢故に頓珍漢な話になっていたら、お許しください。--Ks会話2013年6月21日 (金) 03:25 (UTC)[返信]

例えば、今しきりに頭痛さんが私の修正部分を巻き戻している点ですが、

「文学のふるさと」というエッセイは、坂口の作品全般にわたって共通する主題が書かれているものなので、「堕落論」をはじめいろんな作品で取上げられている代表的エッセイです。だから、この頭痛さんの記載を見ると、「文学のふるさと」が、あたかもこの作品や「桜の…」など一部作品だけに結び付けられているかのように読みとれ正確ではありません。それに、何かご自分の意図するような文脈や抽出記述に沿わなくなるためというのを優先して、一般的事実をそうやって巻き戻すこと自体おかしいのではないでしょうか。中身の正確性よりも何かご自分の抽出記載の執筆だけを重要視し、他人の事実関係の記載を拒否するのは、記事の正確性や発展性を阻害して、独自研究的な方向にいっていると思います。--みしまるもも会話2013年6月21日 (金) 03:49 (UTC)[返信]

「江戸の仇を長崎で討つ」的な揚げ足の取り合い、低次元な嫌がらせの応酬になっていますね。縄張りがかぶっているもの同士の主導権争いというのはウィキペディアに限らずよくある話ですが、二人とも記事を書くことに専念したらどうですか。「互いの活動に口を出さない」という取り決めが必要かもしれません。

いつものことですが、頭痛さんは「この場から去ってください」といった挑発的な物の言い方をやめるべきです。こういう態度だから話がこじれるんですよ。身に覚えがあるでしょう。

みしまるももさんも冷静になって下さい。「ルールや方針を何か傘にして」というのは「笠に着て」と言いたかったのでしょうが、こういう言い間違いや書き間違いが出たら「自分は冷静さを失っているな」と思った方がいいでしょう。--182.169.232.143 2013年6月21日 (金) 04:01 (UTC)[返信]

「文学のふるさと」が安吾の何と結び付けられるかは誰が何を論じているかによるでしょう。すべての論者が安吾の「作品全般」と結びつけて論じているわけではありませんし、多数の安吾の著作が残らず「文学のふるさと」と結び付けられているわけでもありません。広い範囲の作品が結び付けられているとは言えるでしょうが、「全部ではない」という意味では「一部の作品」と捉えても別におかしくはないと思います。どちらにしろ「しばしば「桜の森の満開の下」などとも結び付けて論じられている」という一文だけでそこまで読み取るのは思い込みの域だと思います。
「文学のふるさと」が安吾の作品のなかでも特に「桜の森」「夜長姫」と結び付けられやすいことは、例えば講談社文芸文庫『日本文化私観』の川村湊の解説(pp.302-304)、「「桜の森の満開の下」(四十七年)「夜長姫と耳男」(五十ニ年)は、「文学のふるさと」からまっすぐ成長した一対の樹木である」(井口文献、p.81)、「「桜の森の満開の下」や「夜長姫と耳男」などの伝奇的作品がすぐに思い浮かぶ(けれども)」[1](七北数人、ただし「堕落論」にも言及)、といったあたりの記述である程度例証になるかと思います。いま確認できないのでうろおぼえですが、柄谷行人はたしか「FARCEについて」-「風博士」、「堕落論」-「白痴」、「文学のふるさと」-「桜の森」という対応関係を見ていたという記憶があります(ここは間違ってたらすいませんが)。--頭痛会話2013年6月21日 (金) 04:24 (UTC)[返信]
「文学のふるさと」は、特定の「桜の森」「夜長姫」だけに限ったことではなく、坂口作品に通低する主題が書かれていることで必ずといっていいほどよく論じられているエッセイです。「堕落論」「白痴」研究その他でも言及されてます。ですから、「桜の…」のあとに、他の作品全般にも関係しているエッセイであることを示す意味で、付随的に「代表的作品の「堕落論」も記載しても何らおかしいことにはなりません。「堕落論」は単なるエッセイではなく作品でもありますし、小説名の次に加筆してもおかしくもないものです。別に虚偽の記載をしているわけでもなんでもないのに、頭痛さんがそれを拒絶して巻き戻すのはちょっとおかしいんじゃないでしょうか。私は別にあなたが纏めた他のところの文脈の流れや論旨を阻害したり、意味を変えるようにはいじってもいませんから、その程度の最小限の事実記載することすら拒否するのは、あなたが記事を私物化しているように感じます。--みしまるもも会話2013年6月21日 (金) 05:16 (UTC)[返信]
「堕落論」を記事中で特に挙げる必然性はありません。ところどころ文章がおかしいと思いますが、「単なるエッセイではなく作品」ってなんのことでしょうか。--頭痛会話2013年6月22日 (土) 00:10 (UTC)[返信]
「文学のふるさと」は重要なエッセイであり「文学論」ですから、そういう付記も十分、坂口作品記事内の情報として必要性はあります。「文学のふるさと」という「芸術論」の認識情報としてより正確になりますからね。それを入れても特に後段の文章に影響があるとも思えませんし、私には何故頭痛さんがそこまで、その情報を拒否なさるのかさっぱり意味が解りませんわ。まあ、あなたがそんなに私の加筆を拒むのなら、もう一切書きません。それが元で裏目に出たら大変ですので。それから「堕落論」も単なるエッセイでなく、文学的な「作品」であることは、坂口安吾の読者ならば容易に解ることですし、その美的意識や“ふるさと”は「桜の森」や「夜長姫」とも通低しているものです。--みしまるもも会話2013年6月22日 (土) 01:17 (UTC)[返信]
「エッセイ」が「文学的な「作品」」ではない、というのは一般的な認識ではないと思います。--頭痛会話2013年6月22日 (土) 02:16 (UTC)[返信]
大雑把な表現ですみませんが質問(確認)をさせてください。(A)坂口安吾-(B)坂口作品の主題あるいは「文学のふるさと」-(C)本作品(夜長姫)の関係を説明している文章が問題になっているという理解でよいでしょうか? みしまるももさんの意見は(B)に紐付けられた作品(C')はいろいろあることを丁寧に説明したいということだと思いました。だから、小説(桜の・・・)、エッセイ(堕落論)とジャンル別に例を挙げたくなったと。--Bellis会話2013年6月22日 (土) 07:05 (UTC)[返信]
Bellisさんへ そういう感じのご理解でいいと思います。でも私はもうそれを加筆はしません。--みしまるもも会話2013年6月23日 (日) 00:15 (UTC)[返信]

資料の評価

「文体と構造」節の奥野評について。「夜長姫のイメージが「木々の精、谷の精」(1939年)「篠笹の蔭の顔」(1940年)「露の答」(1945年)に描かれた女性像に連なるもの」(注釈で「奥野はその女性像の根底に、安吾の夭折した親友・長島萃の妹のイメージを見てとっている。」この辺り。

七北数人は、「木々の精、谷の精」の登場人物「葛子」のモデルを「よく知られているとおり」と前置きした上で、松之山の姪、村山喜久としており[2]、奥野の説と合いません。また、松岡正剛は自身のblogで「坂口安吾論もたくさんあるが、奥野健男のものなど読まないほうがいい。」としています。結論としては、奥野の評論は研究資料としては古すぎやしないかと懸念するものです。

あのまま残すにしても、「長島萃の妹」が夭折したわけではないのですから、本人に関係のない「夭折した」は削ってしまったほうがよいかと思いました。

話しは変わりますが、

  • 宮内 淳子. 誰もいない異界--ヒメを殺すとき. 文学 / 岩波書店 [編].. 2(6) 2001.11・12. 144~155 ISSN 0389-4029

この文献も恐らくは関連性が深い資料なので、確認できる方がいたらお願いします。--Bellis会話2013年7月14日 (日) 17:19 (UTC)[返信]

資料のご紹介ありがとうございます。後で確認し、加筆できそうなら試みてみます。
奥野の評についてですが、「作中に描かれた女性像・イメージ」の話ですから「モデル」とは次元が違うと思います。外的な行動を沿っただけでもモデルになりますから。奥野の『坂口安吾』では村山喜久には直接触れていないので、奥野が彼女の自殺の話を知らなかった可能性もありますが、この著作では長島萃の妹について「ぼくは安吾が、このまるで童女あるいは清潔無比な聖女のようなそしてもっとも淫蕩な血を秘めた女性のイメージにしたたか心を奪われているように思われる」というように、「松之山や越後川口の姪たち」の存在ととも作品への影響を重視していますので、もし知っていたとしても奥野の一連の女性像への関係付けは変わらなかったんじゃないかと思います。
文学作品の解釈や評価に関わることですから、自然科学の説とか歴史資料のように古いものが新しいものに上書きされるというわけではありません。奥野健男は評論家として知られている人で、『坂口安吾』も「実証的な伝記研究」のようなものではなく評伝です。奥野が「夜長姫と耳男」を安吾の最高傑作として位置づけた評などは複数の近年の論文などでも触れられていますし、奥野の評や解釈を引くことは「夜長姫と耳男」の受容の解説という点でも意味があります。奥野の見解について直接的な異論があれば併記するかたちにすべきところかと思います。
個人的には、奥野健男も松岡正剛も読まなくていい著作家だと思っています。--頭痛会話2013年7月15日 (月) 00:02 (UTC)[返信]
「夭折した」は取っておきました。--頭痛会話2013年7月15日 (月) 00:33 (UTC)[返信]
説明ありがとうございます。「奥野の見解について直接的な異論があれば併記するかたち」に同意します。
その奥野の説について続きがあります。
夜長姫と耳男#芸術家および恋愛の主題」では、「この小説は安吾が過去に恋愛関係にあった矢田津世子へのイメージと愛を「完璧に芸術化」したもの」としています。「長島萃の妹」「松之山や越後川口の姪たち」「矢田津世子」のイメージが作品のどの辺りに対応付けしたものか、奥野の見立てがよくわかりませんでした。--Bellis会話2013年7月15日 (月) 03:23 (UTC)[返信]
「長島萃の妹」に対応しているのは「無邪気さと残酷さを併せ持つ夜長姫のイメージ」で、これは特定のキャラクターの話です。「矢田津世子へのイメージと愛」(よく考えると文法が変な気がしますが、出典に合わせています)が対応しているのは「姫の最期の言葉」に端的に表れている作品・物語全体の主題や作品の根底にあるモチーフ、のように考えればわかりやすいかと思います。「松之山や越後川口の姪たち」が触れらているのは「夜長姫と耳男」とは特に関係のない(直接触れていない)部分で、「麓」「逃げたい心」「木々の精、谷の精」「紫大納言」などに出てくる「アルテミス型の妖精のイメージ」が、これらの姪や長島の妹に共通するものだ、と論じられています(同書文庫版153-154頁)。「夜長姫と耳男」も入るのだと思いますが。それでこれに続いて、このような「残酷で無垢」な女性像の前では「矢田津世子も影が薄いのではないか。いや矢田津世子の中に、彼女と共通するイメージを見出していたのであろうか」とあります。つまり奥野のつもりでは「主に長島萃の妹(+姪たち)のイメージをもとに造形したキャラクターを用いて、物語において矢田津世子へのイメージと愛を表現した」という図式になるのではないでしょうか。「矢田津世子の中に、彼女と共通するイメージを見出していたのであろうか」はかなり不確定な言い方ですので本文には反映していません。--頭痛会話2013年7月15日 (月) 04:05 (UTC)[返信]
頭痛さんの説明には納得がいきました。また、頭痛さんが記載を見合わせた情報は、記事側に反映した方が読み手には親切だと思いました。現時点で出典として参照しているページから大きく離れているので、読み手が出典情報から資料を辿っても、容易に該当箇所に行き当たることはないでしょうし。--Bellis会話2013年7月15日 (月) 14:47 (UTC)[返信]
こういう感じでしょうか。
しばらく図書館などに行けないので、ご紹介いただいた文献の確認はちょっと時間がかかるかもしれません。--頭痛会話2013年7月16日 (火) 00:15 (UTC)[返信]
姪たちが飛んだままですが、それは奥野がはっきり書かないからできなかったということですね。対応ありがとうございました。この節はこれで終わりにします。--Bellis会話2013年7月18日 (木) 15:16 (UTC)[返信]

オペラ「夜長姫と耳男」

情報が心許ないので(上演情報しか見つかっていない)、とりあえずノートに書いておきます。

  • 水戸芸術館 公演情報[3]
  • 間宮芳生 年譜[4]、演劇作品情報[5]
  • 東京室内歌劇場における再演情報 第40期第120回定期公演解説 [6]

以上。--Bellis会話2013年7月21日 (日) 13:45 (UTC)[返信]

未見ですが

  • 関根礼子「水戸芸術館開館記念コンサート オペラ「夜長姫と耳男」 」『音楽芸術』48(7)(1990-07) 音楽之友社 p.10 [7]

というのもあります。--Ks aka 98会話2013年7月22日 (月) 02:24 (UTC)[返信]

情報提供ありがとうございます。さしあたりBellisさんの挙げられているページを出典として加筆を行いました。『音楽芸術』は後ほど確認しておきます。--頭痛会話2013年7月24日 (水) 18:04 (UTC)[返信]

冒頭部の「5年ぶり」、その他について

2014年12月10日に、少し修正した部分についての具体的な説明です。

  • 冒頭部において、『夜長姫と耳男』を、純文学作品としては「青鬼の褌を洗う女」以来5年ぶりとなる安吾晩年の作品である。と、「定義」してしまうのは、事典的には適切でないので、除去いたしました。
    • なぜかというと、『青鬼の褌を洗う女』(1947年)から『夜長姫と耳男』(1952年)までの5年の間にも、自伝小説『三十歳』(1948年)、『肝臓先生』(1950年)、『街はふるさと』(1950年)などの小説(文学作品)が発表されています。これらを「純文学作品」に入れないというのは、あくまでも長田光展の「一つの見解」にすぎない性質のものですので、こういった、何を「純文学作品」とするかという不確定で曖昧な判断を含んでいる見解を、冒頭部分であたかも「定義づけ」かのようにすることは相応しくないものです。
    • 坂口安吾の作品には多くの推理小説や歴史小説があり、『青鬼の褌を洗う女』と『夜長姫と耳男』の間にも、その類の作品が多く書かれていますが、推理小説はともかく、歴史を題材とした作品を全部、「純文学作品ではない」と解釈してしまうのも、あくまでも「一つの観点」でしかないものです。1949年から取り掛かった長編『火』(『にっぽん物語』)を純文学の範疇に入れずに、「5年ぶり」とするは、長田光展の捉え方であり、多くの評論家に共通する一般的な解釈や定義ではないと思います。
    • そもそも安吾文学の中で、どれが「純文学作品」か区別して「規定」することは難しく、そのような曖昧性のある、客観的定義がないものを、事典の冒頭において「5年ぶり」の純文学作品と断定的に書いてしまうことは、妥当ではありません。いくら出典が一つあるとしても、初出情報や総体的な評価や解説、処女作とか遺作である、というような、多くの論者に「共通する見識」ではないので、それをあたかも「規定」「定義づけ」かのように載せるのは避けた方がいいと思います。
  • 『文学のふるさと』に触れている箇所で、この著作に何の予備知識のない人が読むと、あたかも、『文学のふるさと』自体が、“「赤ずきん」のような救いも教訓もない物語”とも読めてしまう可能性を秘めた文章の流れになっているので、誤解を招かないように、安全性をみて少し補足説明を加えて整理しておきました。また、『文学のふるさと』のテーマは、『夜長姫と耳男』研究史だけに特別に結びつけられているものではないため、その点の概略も付記しておかないと、説明不足になるので補填しておきました。修正前の後の比較を明記しておきます。あと、著作物の『文学のふるさと』と、概念の「文学のふるさと」とが同じ表記だと判りにくいので、ここでの妥当性のある表記分けにしておきました。

修正前

「夜長姫と耳男」研究史には、この作品を安吾のエッセイ「文学のふるさと」と結びつけたうえで「芸術家の覚悟」の主題を見るという一連の流れがある[25]。「文学のふるさと」は、赤ずきんが狼に食べられたままで終わってしまうペロー版の「赤ずきん」のような救いも教訓もない物語、その「プツンとちょん切られた空しい余白」に「文学のふるさと」を見出すというもので[26]、しばしば「桜の森の満開の下」などとも結び付けて論じられている。

修正後

『夜長姫と耳男』研究史には、この作品を安吾の評論『文学のふるさと』(1941年)と結びつけたうえで、「芸術家の覚悟」の主題を見るという一連の流れがある[25]。『文学のふるさと』では、ペロー版『赤ずきん』(赤ずきんが狼に食べられたままで終わってしまう)ような救いのない結末の物語について考察され、その「救ひ」のない「突き放された」読後の「ぷつんとちよん切られた空しい余白」に、「文学のふるさと」を見出すという文学論で[26]、そこで安吾が主張する「モラルがない、といふこと自体が、モラルなのだ」という「生存それ自体が孕んでゐる絶対の孤独」の文学観は、しばしば『堕落論』『桜の森の満開の下』など他の文学作品とも通底するテーマとして結び付けられて論じられることが多く、「文学のふるさと」は安吾文学を解く重要なキーワードである[27]。
  • それから、「舞台設定」「文体と構造」の解説の中の説明の中で、多分にその論者の「解釈」「見解」「研究」の一つであるものに関しては、翻案件などの観点からも、解説者の名前は明示して出しておいた方がいいので付記しておきました。解説内容などは、初稿立項者の方のまとめ方を尊重し、中身は特にいじってはいませんので、ご了承願いただければと思います。--みしまるもも会話) 2014年12月10日 (水) 08:03 (UTC)--みしまるもも会話) 2016年7月4日 (月) 00:37 (UTC)修正日を付記--みしまるもも会話2016年7月4日 (月) 12:04 (UTC)[返信]