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利用者:愛球人/sandbox4

これはこのページの過去の版です。愛球人 (会話 | 投稿記録) による 2018年4月14日 (土) 01:23個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

依頼者(愛球人)について

では、自分(依頼者。愛球人)のことについて、少し綴らせて頂きます。

  • 2011年6月にアカウント登録。2015年9月から、本格的に活動開始するようになる。
  • 主として「女性声優」「野球」の分野を中心に活動。記事を書く際は、いわゆる「大胆な編集」を含めた「大幅な加筆修正」が少なからずございます。
  • 時折、いわゆる「管理行為」に参加させて頂くこともあります(雑草取り、記事の微修正、保護依頼やコメント依頼への参加など)。
  • 本格的に参加するようになって以後も、不定期的なウィキブレイク状態になることが何回かあります(体調なり、現実世界での時間的なことなりで)。

およそのことは、下記の欄を併せて御参照頂ければの感じです。

では、自分の投稿記録(直近の200件分)を、下記にて示させて頂こうと思います。

※2018年4月12日(木)05:35(UTC)時点

本来、利用者の行為についてのコメント依頼の趣旨に照らせば、依頼者自身についてのことを書く必要はないであろうとは思うのですけど、今回、内容が内容でありますので、自分がどのような利用者(参加者)であるのかを明確にしておく必要があるだろうと考え、このような節を立てさせて頂いた次第です。
いわゆる「執筆者」のはしくれ(末席)、という感じですけど、記事を書くことを通して、自分が、執筆対象の人物(事象)から学ばせて頂くことが多い感じなのです。調べながら、あっ、この人物って、こんな特徴を持ってるんだ、こんな活動姿勢で臨んでるんだ、などと新しい発見の連続としてあって。
その一方で、自分の場合、「大胆な編集」を含めた「大幅な加筆修正」が少なくないのですけど、いくつもの文献(またはネット記事)をもとにする感じですけど、正直、出典間違い、出典つけ忘れをやらかすこともありましたし、まだまだ未熟だなあと思ったりします。

そのような感じですけど、まあ正直、自分の会話ページは、実に「お恥ずかしい感じ」が否めませんし、上述にて示させて頂いた、自分の直近200件分の投稿履歴で、お気づきの参加者もいらっしゃるかもと思いますけど、いわゆる連続投稿という悪癖が自分の課題の一つと、正直認識はしております(いつも、気をつけなきゃ、と思ってはいるのですけど…)。「プレビュー機能」は勿論、できるだけ使っているのですけど、あとで読み返すと、あっ、ここ誤植のままだった、とか、ここ表現的によろしくない感じにしてしまっていた、とかで、結果としてお恥ずかしい感じになってしまって…、と。それと、「大胆な編集」のための前段階で編集するため、ということもありますけど、実は最近になってようやく、「Template:Inuse」とか「Template:工事中」の存在を知りまして(もっと早くに知っていればよかった…)、今後はいままで以上に留意しよう、と思っている感じです。

誤解して欲しくないのは、いわゆる「執筆力至上主義」を唱えている訳ではない、ということです。ですけど、記事を書くことは、やりがいであることと共に、それを通して、いろいろと考えさせられる感じでもあるのです。勿論、何よりも、「多様な参加姿勢」「多様な考え方」、このことが大切にされて然るべき、いわばこのウィキペディアは「包容的な場」であって然るべきと、自分は思っているのです。ですけど、ここ最近、ウィキペディアって何だろう?何のためにあるのだろう?いつからウィキペディアは「排除的な場」になったのだろう…?という素朴な疑問が拭えずにいる、それが正直な感覚としてあるのです(申し訳ない気持ちですけど)。

そのような感じですけど、自分は、専ら自宅のPCからの投稿ですけど、一人の「閲読者」としてでだと、電車の中からスマホ(格安スマホですけど…)でウィキペディアを閲読することもあります。で、参加者の中には、いろいろな事情から、「携帯(スマホ)からの投稿(いわゆるモバイル編集)」にならざるを得ない利用者も、少なからずいらっしゃるかなと思います。で、連続投稿について注意の対象になる、「管理者伝言板」「コメント依頼」の対象になるケースが散見されますけど、その中には少なからず、投稿履歴において、「タグ: モバイル編集、モバイルウェブ編集」がほとんどである利用者であること、そのケースが結構散見されているように映ります。
正直、電車の中でスマホでウィキペディアを閲読していると、読む分には読みやすかったりもしますけど、「書くのはややこしそうだよなあ…、どうやってログインすればよいのかわからないよなあ…」、これが正直な感覚としてあるのです。ですけど、いろいろな事情で、携帯からの投稿にならざるを得ない参加者は、少なからずいるのではないかという現状である訳で、現状のモバイル版の仕様で、「連続投稿はお控えください」っていう原則論を言われても…、「いや、仕様上の限界があるんですよ…」となってしまっているのでは?と自分は正直感じるのです。

ですので、「連続投稿はお控えください」は、勿論とても理解できますし、自分も留意しようと改めて思う感じですけど、注意するにあたって、利用者の投稿履歴は閲読しているだろうと思うのですけど、「タグ: モバイル編集、モバイルウェブ編集」の多い利用者に対しては、あまり過度に「連続投稿はお控えください」と言わないで欲しいなあ、むしろ、現状のモバイル版の仕様を、よりモバイルからもPC版に近付け得る感じでできるような仕様への改善を目指す感じにできないものかなあ…(構造上、ある程度の差異は仕方ないかもとも思ったりではありますが…。そして自分については、今後も自宅のPCからのみの投稿という基本スタンスですが)、ということを、一人の参加者、閲読者として、この機会に申し添えさせて頂く感じです。

コメント依頼提出に至る経緯

当初、自分は、今回のコメント依頼の提出において、Aiwokusaiさんのみに対してにしようと思っていました。で、何故、森藍亭さんをも含めてのコメント依頼提出を決心したかは、後述にて言及させて頂きますけど、まず、Aiwokusaiさんに対する、その参加姿勢への違和感、疑問を抱くきっかけになった、ある依頼がありました。

この依頼での被依頼者とは、直接交わらせて頂いたことはないのですけど、自分と活動分野が恐らく近接していることから、気に掛かる感じではあったのです。確かに、この被依頼者について、全く問題がないとはいえないかなだけど、だからといって、「そこまで目くじらを立てなくても…」と思いながら、依頼をちょくちょく拝読させて頂いていました。
このときは、まだ「漠然とした疑問、違和感」にとどまっていました。ですけど、このAiwokusaiさんの参加姿勢への違和感、疑問を、一気に増幅させるきっかけになった依頼がありました。

この依頼は、一人のウィキペディアンとして、正直いろいろと考えさせられる依頼という感じでしたけど(前提として、勿論、この依頼での被依頼者は、用語できる感じではないとははっきり申し添えさせて頂く感じです。特に「おれん家ふぁ〜む」における編集は、正直、「あちゃー…」と思う感じでしたし)、いまリンクを貼らせて頂いたのを閲読して頂ければの感じですけど、ここで、ふれんちとーすとさんは、あるときから「Aiwokusai氏」という表現をしています(他の利用者、例えば、森藍亭さん、JapaneseAさん、あるいは自分[愛球人]などに対しては、いずれも「○○さん」という表現です)。
真実は、ふれんちとーすとさんのみにしか、正直わかりません。ですけど、「Aiwokusai氏」という表現は、いろいろな意味がきっとあるんだろうなあ、とずっと自分の中では考えさせられる感じだったのです。

この依頼における一連のことを拝読させて頂きながら、及び、Aiwokusaiさんの投稿記録を拝読させて頂いたことを踏まえて、自分の中で、Aiwokusaiさんに対して、「果たして、何をしに、何のために、何の目的で、ウィキペディアンとして活動しているのだろう…?」という「激しく強い違和感、疑問符」が、一気に強くなりました。

で、それからしばらくして、確か、2月上旬であったかと記憶しますけど、この外部サイトを通して、利用者‐会話:Aiwokusaiにおいて、下記の書き込みがあったことを知りました。

こんばんは。(あるIP利用者)です。当方、回りくどいのは苦手なので、単刀直入に、ものすごく基本的な、Wikipediaの根本理念に関する質問をさせていただきたく存じます。あなたは、何をするために、つまり何を目的としてWikipediaに来ているのでしょうか? — (あるIP利用者)、[利用者‐会話:Aiwokusai 2018年1月5日の版より]

で、この書き込みは、この差分において、Aiwokusaiさん自身によって、除去されています。
恐らく、書き込みをした利用者が、「IP利用者」であり、いわゆる「荒らし」「誹謗中傷」をされたと判断した(感じた)からであろうと推測される感じですけど。
ですけど、正直自分の中では、上記の書き込みを除去なさったことで、「激しく強い違和感、疑問符」は、より一層強くなった、それが正直な感覚だったんですよね。

そして、自分がふつふつと抱き続けてきた「激しく強い違和感、疑問符」を決定的にしたことが、下記の3連続でのコメント依頼でした。

この3つのコメント依頼。確かに、個々の依頼それ自体は、「まあ、理解はできるかな」ではあるのです。ただ、この3つのコメント依頼、あるいはそれ以前のふれんちとーすとさんへの以来、その他諸々を通してなのですけど、Aiwokusaiさんの、「言動の端々」において、自分の中では、とても刺激的な表現で申し訳ない、ごめんなさいの感じなのですけど、

この利用者、なんだか憤慨してならないから、ワンチャン、風呂へと直行させてしまおうかな。

という感じが、少なからず透けて感じてしまうのです。いわばAiwokusaiさんは、「吊るし上げの目的で、ウィキペディアに参加しているのだろうか…?」と、そのような疑問(違和感)が拭えないどころか、もう、ぶくぶくと増幅の一方の感じだったんですよね。で、このときに、コメント依頼提出を、ほぼ決心した感じとしてあるのです。

Aiwokusaiさんは少し落ち着かれたらいかがでしょうか。次から次にキナ臭いところに自分から入って行って紛糾するとコメント依頼・ブロック依頼を提出し、御自身に批判的なコメントがついたら逐一反論する。それが全て悪いとは言いませんが、物事には程度問題というのがあります。これでは議論をするために参加していると思われても仕方ないでしょうし、そもそもあなたが疲弊してしまうのではないですか?もう少し肩の力を抜いてある程度は人に任せることも考えないと、きっとこの先長く楽しむことは難しいと思いますよ。 — 利用者:Xx kyousuke xx会話 / 投稿記録 / 記録Wikipedia:コメント依頼/とほほのほより

いま、上記にて示させて頂いた、とある依頼における、このコメント。やんわりした表現であり、自分がいま、正直きつい表現を交えていることを含めて、なおさら申し訳なく思う感じなのですけど、確かに、Aiwokusaiさんの、個々の依頼内容それ自体は、一見すると問題はないようには映るのです。ですけど、なんというか、相手の言葉尻をつつく機会を伺っているような、自分にはそのような印象が、拭えない感覚としてあるんですよね(加えて、粘着質な傾向の印象も、正直抱いている感じでもあります)。で、言葉尻に引っ掛かったら、「風呂へと直行」みたいな。
この自分の認識が、どうか自分の杞憂、考え過ぎであって欲しい。それに、影響力の大きな依頼になってしまうことが想像されるし、そう考えると、提出すること自体のリスクは恐らく否めない。誰か別の参加者が提出してくれないかなあ…?と、正直思っていました。我慢しようとも、必死で自分自身に言い聞かせていました。正直、木曜日の昼まで、熟考し続けました。

ですけど、最終的には、どうしても我慢ができませんでした。4月12日(木曜日)の昼のことですけど、自分なりに調べることにしました。

※2018年4月12日(木)05:40(UTC)時点

いま、示させて頂きました、Aiwokusaiさんの、直近200件分の投稿履歴や、「XTools」、「Pages Created」。
確かに、例えば、第100回全国高等学校野球選手権記念大会などのように、建設的な編集もゼロではないですけど、なんというか、あまりに「ブロック依頼」「コメント依頼」「利用者の会話ページ」、この比重が、正直あまりにも多いのです。そしてまた、「自身の利用者ページへの加筆修正」は、確かに義務ではないとはいえ、この投稿履歴に照らして、利用者ページに何一つない(いわゆる「赤リンク」)ことが、「目的外利用者」ということへの疑念をより一層増幅させてしまっていると感じるのは、自分だけでしょうか…?
はっきり述べれば、「果たして、何をしに、何のために、何の目的で、ウィキペディアンとして活動しているのだろう…?」という強い疑問、違和感は、もはや放置できない動かし難い感じになってしまった、正直、そのような感じとしてあるのです。

いつまでも、「基本的なことにおける疑問」を放置できない、「目的外利用者」「コミュニティを委縮させる利用者」である疑念が拭えないこと。これは、自分の中で特に大きな疑念としてあるのですけど、特に、下記の要素のこと。

ウィキペディアには行動規範があります。他のウィキペディアンと同意できないときにも、彼らに敬意を払い、礼儀正しくしてください個人攻撃や抽象論を振り回すことは避けて、編集が白熱しても冷静さを維持してください。スリー・リバート・ルールを守って、無益な編集合戦に陥らないようにしてください。ウィキペディア日本語版には、編集・議論の対象となる項目が1,419,754本もあることを忘れないでください。誠意を持って行動し、あるひとつの点を例証するためだけにウィキペディアを混乱させることのないようにしてください。他の人の言動を善意にとってください。寛大になって、受け入れるよう心がけてください。 — Wikipedia:五本の柱(4つ目の要素)より

そう、Aiwokusaiさんの言動において、その端々において、いわゆる「三大方針」、つまり、「Wikipedia:検証可能性」「Wikipedia:中立的な観点」「Wikipedia:独自研究は載せない」、この三大方針は、勿論とても大切ではあると思うのですけど、なんというか、まるで「三大方針(をはじめとする各種方針)がすべて」みたいな。
そう、「三大方針」よりもさらにその上に、何よりもとても大切な要素として、「五本の柱」があるはずと思うのですけど、いま上記に示した「五本の柱の、4つ目の条項」、特に、「寛大になって、受け入れるよう心がけてください。」に照らして、果たしてどうなのだろうか…?と(とても申し訳ないですけど、正直、「方針を盾にとった嫌がらせ」と申しますか、「WP:GAME」への抵触が、拭えないのです。というかそもそも、「五本の柱」の4つ目の条項への抵触が拭えない時点で、高い可能性で「目的外利用者」と解釈されても仕方ないと考える感じとしてあるのです。

そして特に、「WP:NOTBATTLEGROUND」への抵触を強く感じること。先述のように、「ブロック依頼」「コメント依頼」「利用者の会話ページ」、この比重が、正直あまりにも多いことを含めて、あるいは、その言動の端々を含めて(他の「WP:○○」については、「抵触の疑いが拭えない」と言えなくはないですけど、少なくともこの「WP:NOTBATTLEGROUND」については、「抵触の可能性がとても強い」、そう強く感じるのです)、正直もはや、このような利用者をどう考えているのか(単なる管理行為を超えて、もはや「過度化している自警利用者」と自分は解釈しております。はっきり申し上げれば、申し訳ないですけど、「管理者ごっこ」と申しますか)、広くコミュニティの参加者(ウィキペディアン)の意見を伺う必要がある(より正直に申し上げれば、「#jawp」としてどう考えているのか、「#jawp」は、このような利用者をこのままでよいと考えているのでしょうか?が、根っこの疑問としてあります、ということです)、そう判断するに至り、最終的にコメント依頼提出に踏み切らせて頂く次第です。
つまり、冒頭にて示させて頂いたW.CCさんの言葉を用いさせて頂くならば、「質量共に史上最高の百科事典を目指して、共同作業で創り上げるプロジェクト」に寄与できているか否か、それに照らして、「それに逆行している可能性がとても高い可能性で拭えない」、だから、とても申し訳ないですけど、提出に踏み切らざるを得なかった、もう我慢できなかった、という感じなんですよね。

抵触の可能性がとても強いこと(1)→「目的外利用者」「コミュニティを委縮させる利用者
抵触の可能性がとても強いこと(2)→「WP:NOTBATTLEGROUND
抵触の可能性がとても強いこと(3)→「WP:LOVE」「WP:PEACE」(いずれも私論。なお、WP:LOVEについては、それが強すぎるが故という可能性もあるとも考えられますが)
抵触の可能性が拭いきれないこと(1)→「WP:NOTBUREAUCRACY」「WP:NPA」「WP:GAME」など
抵触の可能性が拭いきれないこと(2)→「WP:INSULT」「WP:ATWV」(いずれも私論)
故に、いわゆる「過度化している自警利用者」と判断せざるを得ないと考えられること。 — Aiwokusaiさんにコメント依頼を提起する主たる要素

およそ、そのような感じです。ちなみに、「萎縮」という表現を用いていますけど、広い意味での「疲弊」「消耗」と該当し得るかもしれない、とも正直思ったりする感じでもあります。
で、先述したように、当初は、Aiwokusaiさんのみに対してのコメント依頼提出を考えていました。ですけど、Aiwokusaiさんのことを考えたときに、似たような傾向のある一人の利用者のことが、思い浮かびました。
そう、今回のもう一人のコメント依頼の対象者であります、森藍亭さんです。正直、Aiwokusaiさんのことを考えるとき、森藍亭さんのことは、やはり避けては通れないだろう、と。

正直、森藍亭さんは、いわゆる「名物参加者」の一人、最初は、そのような認識でした。ですけど徐々に、そして次第に、2017年の夏くらいに、森藍亭さんに対して、「漠然とした違和感」を強く抱くようになりました。だけどそのときは、「まあ、こんな参加者もいるのかな」という認識でもあったのです。
ですけど、先述のように、2017年12月に、Aiwokusaiさんについて違和感を抱くようになるときに、森藍亭さんへの「漠然とした違和感」は、正直より強く抱くようになってしまった感じとしてあるのです。

森藍亭さんの場合、Aiwokusaiさんのように、「言動の端々」において言葉尻を捕まえる、そのような感じまでは正直抱いている訳ではありません。そしてまた、今年(2018年)の年明け以後、井戸端とかで交わる機会を持たせて頂くようになり、正直、自分が伝えたかった真意をわかりやすく伝えて頂いたり、「ありがたい」感じも、少なからず抱いたりもしました。ですけど、その一方で、「漠然と抱く違和感」は、決して消える感じではなかった、むしろ、膨らみ続ける感じであった、だからなおさら、心苦しく思う感覚としてあったのです。

で、Aiwokusaiさんへのコメント依頼提出を決心するにあたって、森藍亭さんの投稿履歴(直近200件分など)を、調べてみることにしました。ちなみにこの外部サイトも、参考として添付させて頂く感じです。

※2018年4月12日(木)05:45(UTC)時点

いま、示させて頂きました、森藍亭さんの、利用者ページ、直近200件分の投稿履歴、「XTools」、「Pages Created」。
恐らく、活動開始当初は、記事執筆への意欲がそれなり以上にはある参加者であったのかなと推測する感じです。

ですけど、正直、Aiwokusaiさん以上に、「ブロック依頼」「コメント依頼」「利用者の会話ページ」の比重が、あまりにも多い、もう、びっくりしました。Aiwokusaiさんよりも以前から抱き続けてきた、「漠然とした強い違和感」が拭えなかったこと自体は、ああ、納得と言わざるを得ないよなあ…、と申しますか、「質量共に史上最高の百科事典を目指して、共同作業で創り上げるプロジェクト」に寄与できているか否かに照らして、「激しく強い疑問符」は否めないだろうなあ…、と。
このようなことから、

目的外利用者」「コミュニティを委縮させる利用者」「WP:NOTBATTLEGROUND」への抵触の可能性を強く抱かざるを得ないこと。
いわゆる「過度化している自警利用者」と判断せざるを得ないと考えられること。 — 森藍亭さんにコメント依頼を提起する主たる要素

正直、森藍亭さんに対して、Aiwokusaiさんとセットでのコメント依頼提出は、ぎりぎりまで悩み苦しみました。いまも、こうして書きながら、「ごめんなさい、ごめんなさい…」の気持ちが正直強いです。
ですけど、Aiwokusaiさんへの強い違和感に照らして考えたときに、森藍亭さんについて言及しないのは、恐らくアンフェアになってしまわないか、広くコミュニティにありのままの意見、想いを問いたいが故のコメント依頼提出であることに照らして考えると、「Aiwokusaiさん、森藍亭さんの2人のいずれもに対するコメント依頼」がより望ましいとの最終判断に至った感じとしてあるのです。

「管理行為」と「自警行為」の違いについて思うこと

で、ウィキペディア日本語版(いわゆる「#jawp」)は、それこそ、参加者の数だけ多様な参加スタイルがあるだろうと思いますし(そしてまた尊重されて然るべきとも思う感じです。勿論、「質量共に史上最高の百科事典を目指して、共同作業で創り上げるプロジェクト」に寄与できているか否かになりますがけど)、いま挙げた2人以外にも、いわゆる「管理行為」への比重が多いイメージの参加者は、何人かいらっしゃる感じは抱いています。その中でも、2人の参加者を挙げたいと思います(名前を挙げさせて頂くことを、何卒御許し下さい)。

※2018年4月12日(木)05:52(UTC)時点

※2018年4月12日(木)06:00(UTC)時点

JapaneseAさん、Dr jimmyさん。いわゆるjawpでの一定以上の経験のある参加者でしたら、HNを御存じの人間も結構いらっしゃるかなと想像の感じです。確かに調べてみると、いわゆる「管理行為」の多い参加者ではいらっしゃるのですけど、特にDr jimmyさんは、「地味かもだけど大切な作業(いわゆる「環境整備的な編集」)」を率先してなさっていることを、今回を機に知って、(実はお恥ずかしいことに、ウィキペディア参加当初は、「うざい参加者がいらっしゃるなあ…」という認識でしたが)頭が下がる感じを正直強く抱きます。

他にも、一口に「ウィキペディアン」といっても、いろいろなタイプの参加者がいらっしゃる感じで、名前は伏せますけど2人の参加者を事例として挙げますけど(あまり競技の管理行為、少なくともこの種のようなコメント依頼に参加するような利用者ではないというイメージですので、名前を伏せておりますが)、

特に、カテゴリやテンプレートの編集は、「地味かもだけど大切なこと」と思う感じとしてあって、(現役管理者の皆様は勿論ですけど、)いま挙げた2人、及び、JapaneseAさん、Dr jimmyさんのような参加者がいらっしゃるから、自分を含めて、記事の執筆、編集に取り組めるんだということを学ばせて頂き、この場をお借りして、感謝申し上げます、と思う感じです。
そして、このように考えると、「管理行為」への比重が大きいからといって、それ自体が「目的外利用者」といえる訳ではない、むしろ、いま挙げた4人のような、いわゆる「サポート系参加者」「技術系参加者」は、「執筆以外での協力として、尊重されて然るべきと自分は思うのです。

で、それで考えさせられることとして、「管理行為」と「自警行為」は、どう違うのだろう…?、という疑問。自分も、「管理行為」に参加する比重が、正直だんだん増えてきていますけど、だからこそ、わからないでいる感覚なんですよね。ですので、今回のコメント依頼提出の最大の理由の一つとして、下記のことを、質問させて頂きたく思う感じですので、何卒切実に、一人でも多くの参加者のコメントを強く希望させて頂く感じです。

いわゆる「管理行為」という言葉に加えて、「自警行為」という言葉もあるけど、この、「管理行為」と「自警行為」は、「似たような意味合い」なのか、それとも「似て非なる意味合い」なのか?あるいは、「自警行為」とは、そもそもどういうことでしょうか?ということについて、参加者の皆様はどう思っていらっしゃるのか、御意見を伺えると、とても有難く思います(正直自分の中で、一人のウィキペディアンとして、「管理行為」「自警行為」がそれぞれどのような意味合いなのか、わからないで悩んでいる感じですので、この機会に伺わせて頂く感じです。 — 今回のコメント依頼における、参加者への質問





脚注

注釈

出典