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麻木久仁子

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あさぎ くにこ
麻木 久仁子
プロフィール
生年月日 1962年11月12日
現年齢 62歳
出身地 日本の旗 日本 東京都大田区[1]
血液型 A型
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重 159 cm / kg
事務所 パールダッシュ
モデル: テンプレート - カテゴリ

麻木 久仁子(あさぎ くにこ、1962年11月12日[2] - )は、日本タレントキャスター司会者エッセイストコメンテーター

APF通信社代表の山路徹は前夫[3][4]

来歴・人物

出生から学生時代まで

1962年(昭和37年)11月12日[2]東京都大田区生まれ[1]東京都立国分寺高等学校へ進学[1]学習院大学法学部に入学するも中退[2]。学習院を選んだ理由は、他にも入学試験で合格した明治大学と比較し、「オシャレで合コンの時にも受けそうだと思ったから」だった。中退した理由は、両親の離婚などにより奨学金を受け大学に通っていたが、アルバイトに追われ、進級に必要な語学の単位が不足し3年生に進級できなかったことから、奨学金を打ち切られたためである[5]

芸能界入り

学習院大学を中退後、芸能活動を開始。最初の仕事は、1983年に放映された「東京ディズニーランドの開園告知」のテレビCMだった(詳細は、オリエンタルランド - 東京ディズニーリゾートの広告展開を参照)。この時期、当時、同じ事務所に所属していた小比類巻かほると親友になる[6]。その後、モデルとしてサントリーのテレビCMに出演、1986年、NHK「シャツの店」で女優としてもデビューした[7]。麻木久仁子の芸名で超時空ロマネスク挿入歌「見つめていたい(作詞:小比類巻かほる)」B面で歌手デビューも果たす。

当初は本名で活動していたが、1986年頃「麻木久仁子」に改名。本名が地味なイメージだということと、本名の画数が不幸せや早死にの大凶の運勢だったということで改名に至り、「名前に木の字が3つも入っているので木が生い茂るように仕事などが沢山入るように」という意味も込められているという[8]。その後出演した『いい旅・日本』(TBS)が「一大転機になった」と話している[9]。1988年、オールナイトフジの司会に大抜擢されるが、ずっと黙っていたり、「コマーシャルです」などのコメントを言い損ねたりするなどして1クールで降板する。本人曰く「これで自信喪失した」と思っていたところ、直後に中京テレビヴィヴィアン』のレギュラー出演が決まる[10]。1990年代から『KOSE カウントダウン・ジャパン』『TVおじゃマンボウ』などの司会として出演[7][5]。2005年6月から「文藝春秋 Book倶楽部」で書評委員を務める[11]また、『婦人公論』の「婦人公論井戸端会議」で司会を務める(2006年1月22日号より)[12]

私生活

1994年4月に幼馴染で、『踊る大捜査線』などの映画やドラマの音楽を手掛けた作曲家松本晃彦結婚し、同年11月25日に長女が誕生。しかし、2005年頃から離婚に向けての話し合いを行い、2006年3月31日に「ここ数年のすれ違いが原因」で離婚[13]

その後、APF通信社代表取締役の山路徹と再婚[3]。しかし夫の山路が、麻木が離婚後も使用していた松本姓を名乗る形で別居のまま再婚し、2010年11月に離婚したことが同年12月24日の本人の声明文と12月26日の山路の記者会見で公表された。

麻木は24日に報道各社にFAXで声明文を送付し「婚姻関係にあったとのことについては、事実であり否定するものではありません」とした。しかし声明文でも山路の会見においても入籍した年月日は何故か明かされず、山路は後日、麻木側が公表すると述べるにとどめた。その後、12月27日に麻木の代理人弘中惇一郎弁護士が結婚時期詳細について「説明を控える」と発表しており、山路との結婚期間については判明していない[14]

麻木本人は、前述の声明文を出す前の12月22日に代理人の弘中惇一郎弁護士を伴って会見しており、山路との交際は山路と前妻の大桃美代子の離婚成立前に始まったことを明らかにしたが、「不倫には当たらない」との考えを表明した。またこの会見中に、「事実婚ですか?」との報道陣の質問に「事実婚ってなんだろうと思う」と述べたが、この時点では正式な婚姻関係にあったことを明らかにしておらず、二人の関係を終始「おつきあい」と表現していた。麻木、山路双方共家族にも婚姻関係を秘密にしていた[14]

2012年、乳癌が発見され、左右両乳房の患部摘出手術を受けた。また、この事実を公表した際、2010年暮れに軽い脳梗塞を発症していたことも告白している[15]。これらのことから、健康第一の生活を考えるようになり、薬膳の勉強をし、国際薬膳師の資格を取得した[16]

クイズ番組で共演する機会の多いタレントを集めた『クイズサミット』という名前のサークルを主宰している。メンバーで定期的に食事会を開き、メンバー同士でクイズを出題しあうのが主な活動。主なメンバーにはやくみつる八田亜矢子宮崎美子宇治原史規ロザン)、藤本淳史田畑藤本)などがいる[17][18]。自身がレギュラー出演していたクイズ番組のひとつ、クイズ!ヘキサゴンIIでは、番組収録前に行われる50点満点のペーパーテストで史上初の満点を取った。

趣味はステーショナリーグッズ(万年筆など)[19]

トイプードル(名前は「小徹」)を飼っていて、twitterのつぶやきに頻繁に登場している[20]

出演

テレビドラマ

映画

テレビ

ジャンル 作品名 作品公開などの年月日 補足
テレビ
ゲストおよび不定期出演
マジカル頭脳パワー!! 1994 - 1998年
たけし・所のドラキュラが狙ってる 1992 - 1995年
世界一受けたい授業
今すぐ使える豆知識 クイズ雑学王
タイムショック21 2001 - 2002年
タイムショックSP 2002 - 2007年
超タイムショック 芸能人最強クイズ王決定戦1・2・3・6・8-10 2008年3月27日 第1回大会 準優勝
2008年6月24日 第2回大会 準優勝
2008年9月25日 第3回大会 優勝(賞金220万円)
2009年10月9日 第6回大会 予選敗退・敗者復活戦敗退
2010年3月28日 第8回大会 準優勝
2010年9月24日 第9回大会 予選敗退・敗者復活戦敗退
2010年12月29日 第10回大会 予選敗退・敗者復活戦敗退
愛のエプロン
めちゃ×2イケてるッ! オールスター夢の激突8周年大感謝祭スペシャル!! 2004年10月9日 国立め茶の水女子大付属高校 中間テスト 第2位
徳光和夫の感動再会!"逢いたい"
クイズプレゼンバラエティー Qさま!!
(詳細は、日本漢字能力検定 - 有名人合格者及び脚注を参照)
「プレッシャーSTUDY」出演
スタイルプラス
あさイチ
テレビ
過去のレギュラー出演
オールナイトフジ 1988年
ヴィヴィアン 1989 - 1993年 アシスタント
高田純次のこれで来週も幸せです 1991 - 1992年
象印クイズ ヒントでピント 1991年10月27日(第590回) - 1994年1月30日(681回) 女性軍3枠[21]
THE WEEK 1991 - 1996年 サブキャスター
ん!?さんま! 1991年 - 1992年 司会
思い出音楽館 1992 - 1993年 アシスタント
TVおじゃマンボウ 1993 - 2006年 総合司会
TVクルーズ となりのパパイヤ 1994 - 1995年 総合司会
驚きももの木20世紀 1994 - 1999年 アシスタント
サタデージャングル 1995 - 1997年 総合司会
サンデージャングル 1995 - 2001年 総合司会
見た目が勝負!? 1995 - 1996年 司会
いただき!公募生活 1999年
ベストポジションSPORTS 2001年 - 2002年
ザ!情報ツウ 2002 - 2005年 総合司会
森田一義アワー 笑っていいとも! 2001年10月 - 2004年9月 木曜日レギュラー
ザ!情報ツウ 2002 - 2005年 総合司会
あったか生活!秘伝!カテイの魔法 2003 - 2005年
ウタワラ 2005 - 2007年
クイズ!ヘキサゴンII 2006年5月 - 2009年6月 準レギュラー
ピンポン! 2007年 - 2009年3月 月曜日コメンテーター
京都もうひとつの歴史 狙われたニッポン!幕末外交史 2008年2月 ナビゲーター
NEWSゆう+ 2009年 - 2010年12月 (月曜日・火曜日) コメンテーター
親と子のTVスクール 2005年 - 2008年
小倉智昭の特命調査隊!国民は怒っているぞ!血税バラまき真相SP 2005年 - 2006年
歴史のもしも! 2008年 - (日曜日) BS11デジタル
ひるおび! 2009年 - (水曜日) 2010年
テレビアニメ 名探偵コナン 1997年 麻木久仁子役
1997年 桂子役
テレビCM 鉄建建設 1990年〜1994年
日清食品 (めんコク) 1995年
日本テレコム0088 1995年
武田薬品工業 1999 - 2000年
P&G (薬用石鹸ミューズ) 1997 - 1999年
東リ 2000年
富士通 2005 -2008年
シュミテクト 2005年 -
カタログハウス 「通販生活

ラジオ(レギュラー)

番組名 放送年月日 担当と放送局
麻木久仁子の週刊「ほんなび」 2013年 - 2014年 パーソナリティ(TBSラジオ)
麻木久仁子のニッポン政策研究所 2010年 - 2013年 パーソナリティ(TBSラジオ)
BATTLE TALK RADIO アクセス 1998 - 2010年 金曜日ナビゲーター(TBSラジオ)
コーセー歌謡ベスト10
KOSE カウントダウン・ジャパン
1990 - 1994年 アシスタント(TOKYO FM)

ディスコグラフィー

書籍

  • 濤川栄太、麻木久仁子『迷っている人ほど素敵』扶桑社、1997年9月。ISBN 978-4594023287 
  • 麻木久仁子『「仕切り上手」の法則』小学館、2001年3月。ISBN 978-4094020168 
  • 池上彰、麻木久仁子、高野孟『現代世界を斬る!ジャーナリスティックな地図』帝国書院、2008年7月5日。ISBN 978-4807157914 

脚注

  1. ^ a b c 2010年5月13日本人のTwitterより[1]
  2. ^ a b c 麻木久仁子の週刊「ほんなび」 TBSラジオ
  3. ^ a b 麻木もしぶしぶ認めた…婚姻関係/主要ニュース速報/デイリースポーツonline
  4. ^ 山路氏不倫認めた…結婚2年目から親密、麻木の婿養子にも (2/2ページ) - MSN産経ニュース
  5. ^ a b 麻木 久仁子『「仕切り上手」の法則』小学館、2001年3月。  - 著者紹介の内容を参照。
  6. ^ 『KOHHY’S STORY―写真集・小比類巻かほる物語』(角川書店)37ページなどより。
  7. ^ a b 講演.com. “親と子の食育イベント - 出演者プロフィール”. 2010年1月9日閲覧。
  8. ^ 『「仕切り上手」の法則』42-43ページ
  9. ^ 『「仕切り上手」の法則』48-56ページ
  10. ^ 『「仕切り上手」の法則』62-67ページ
  11. ^ 『文藝春秋』(2005年6月号)株式会社文藝春秋、2005年5月。 
  12. ^ 『婦人公論』(2006年1月22日号)中央公論新社、2006年1月7日。 
  13. ^ スポーツニッポン (2006年4月1日). “麻木久仁子が離婚 「今後はよき友人」”. 2010年1月9日閲覧。
  14. ^ a b 週刊文春 2011年1月13日号 136-138ページ
  15. ^ 麻木久仁子 (2 September 2013). "【健百】麻木久仁子さんインタビュー" (Interview). 2016年11月5日閲覧 {{cite interview}}: 不明な引数|program=は無視されます。 (説明)
  16. ^ 麻木久仁子、『一生、元気でいたいから 生命力を足すレシピ』株式会社文響社、2018年、6・7頁
  17. ^ <私の恩人>宇治原史規 “クイズ王”宇治原は“クイズ女王”の母性に育てられた! - THE PAGE・2014年2月16日
  18. ^ いまや一大勢力…クイズ番組席巻する「東大閥の結束」【テレビ】 - 女性自身・2013年11月15日
  19. ^ Be.Brave Group. “Be.Brave Group - 麻木久仁子 - プロフィール”. 2014年5月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月9日閲覧。
  20. ^ 『THE 21』(PHP研究所)2006年8月特別増刊号 16ページ
  21. ^ 1994年の「700回記念大会」にはOBチームメンバーとして黒澤久雄とペアで出演した。

関連項目

外部リンク