ゴーモン

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ゴーモン
Gaumont SA
以前の社名
  • L. Gaumont & Cie (1895–1906)
  • Société des Établissements Gaumont (1906–1930)
  • Gaumont-Franco-Film-Aubert (1930–1938)
  • Société Nouvelle des Établissements Gaumont (1938–1975)
種類
公開会社
市場情報 ユーロネクスト・パリ: GAM
業種 映画
設立 1895年6月23日 (128年前) (1895-06-23)
創業者 レオン・ゴーモン
本社
主要人物
ニコラ・セドゥ (会長兼CEO)
製品 映画
テレビ番組
映画配給
売上高 増加 € 169.1 million (2013)[1]
利益
増加 € 12.7 million (2013)[1]
総資産 増加 € 451.5 million (2011)[1]
純資産 増加 € 255.9 million (2011)[1]
所有者 シドニー・デュマ (89.7%)
従業員数
173 (2011)[1]
子会社 ゴーモン・アニメーション
ゴーモン・インターナショナル・テレビジョン
ゴーモン=パテ・アーカイヴス
ゴーモン・ディストリビューション
ウェブサイト gaumont.fr

ゴーモン(Gaumont ([ˈɡmɒ̃],[要出典] フランス語: [ɡomɔ̃]))は、ヌイイ=シュル=セーヌに本社を置くフランスの映画スタジオ。エンジニアから転向した発明家レオン・ゴーモンによって1895年に設立され、現存する世界最古の映画会社である。

歴史

アリス・ギイ

創業当時、ゴーモン(Société L. Gaumont et compagnie )は双眼鏡映写機・カメラなど写真関係の機材を扱う会社であった。1896年撮影にも映写にも使える連続写真撮影機「Demeny-Gaumont」(クロノフォトグラフィーの原理を用いたもの)を発売し、その販売促進用に短編映画も製作した。このときゴーモンの秘書であるアリス・ギイが撮影に当たった。ゴーモンは映写機の販売の際に上映用の映画フィルムも同梱するため、1897年から本格的に映画製作に乗り出した。最初は記録映像が多かったが、次第に劇映画も作るようになった。ギイは映画部門の重役となり多数の映画の監督・製作を行ったが、彼女は女性初の映画監督であるとともに史上初めて劇映画を作った人物とみなされている[注釈 1]

1900年パリ万博では映写機や撮影用機材などを出品した。1903年にはマーガレットのロゴを採用している。これはレオン・ゴーモンの母マルグリット(Marguerite )にちなんだもので[2]、その後100年間に何度もデザインの手直しは行われているが[3]、マーガレットの花びらが「Gaumont」という社名の周囲を取り巻くデザインは今日まで基本的に変わっていない。

ゴーモン・パラス(1910年代)

ゴーモンはフランス有数の映画会社となり、1905年にはパリ郊外のラ・ヴィレット(19区)のビュット・ショーモン公園付近に大きな映画スタジオ「シテ・エルジェ」(Cité Elgé 、エルジェの街、エルジェとはレオン・ゴーモンのイニシャル「L.G」に由来する)を建てた。これは当時世界最大級のスタジオであった。1906年には有限会社となり、映画製作はシテ・エルジェに集約し、1907年には撮影機材やフィルムの生産からも手を引いて事業を映画製作に集中した。映画館へのフィルム販売もやめレンタル方式へと移行し、自前の映画館網の開設も始めた。1911年にはサーカスや競馬の会場であったモンマルトルのヒッポドロームを改装し、席数6,000の巨大映画館ゴーモン・パラス(Gaumont Palace )を開業している。ゴーモンは、フランスにおけるライバル会社のパテ兄弟社(Pathé Frères 、現在のパテ)とともに、第一次世界大戦勃発前はヨーロッパの映画産業を支配していた。

連続活劇ファントマ』(Fantômas)のポスター

1907年ごろからルイ・フイヤードLouis Feuillade )がゴーモンの芸術監督の地位にあった。レオンス・ペレLéonce Perret )も1917年アメリカ合衆国へ渡るまでゴーモンで映画監督を行っている。当時のゴーモンの作品の主なものには、フイヤードによる連続活劇レ・ヴァンピール』『ジュデックス』『ファントマ』、連続喜劇の『Onésime』や『Bébé』などがあり、その他多数のニュース映画も製作している。映画監督のアベル・ガンスアルフレッド・ヒッチコックジャン・ヴィゴ、初期のアニメーション作家エミール・コールらもゴーモンで作品を作っている。

ファイル:Gaumont années 20.png
1920年代のゴーモンのロゴ

ゴーモンは1915年にはイギリスロンドン西部にライム・グローブ・スタジオを設立している。また事務所を開いて映画館網を買収し、「ゴーモン・ブリティッシュ」を設立した。この会社は1922年にフランスの親会社から独立し、後にヒッチコックの映画『三十九夜』(1935年)、『バルカン超特急』(1938年)も手がけている。

しかし第一次世界大戦の後はゴーモンの急成長に歯止めがかかり、アメリカの映画会社に市場シェアを奪われる。ゴーモンの名監督だったルイ・フイヤードは1925年に没し、さらにトーキーなどの技術の進歩もゴーモンには負担となった。ゴーモンはアメリカのメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)と配給の合意を交わしている。また世界恐慌後の不況が襲った1930年代初期、ゴーモンはFranco-Film Aubertとの合併を行い「Gaumont Franco-Film Aubert(GFFA)」となった。1930年代は喜劇映画などで何とか生き延びたゴーモンは、1938年に大手のアヴァス通信社Havas 、現在の広告代理店アヴァスの前身)のもとで「Société nouvelle des établissements Gaumont」へと再編された。1975年には社名を単に「Gaumont」と変え、産業界の名門セドゥ家出身のニコラ・セドゥ(Nicolas Seydoux) の経営で映画製作などを行ってきた。ニコラ・セドゥの兄ジェローム・セドゥも、1990年よりパテの社長となっている。

1993年から2003年にかけて、ゴーモンとディズニーは劇場公開のための映画製作のための提携をした。2001年、ゴーモンはレ・シネマ・ゴーモン・パテとして知られることになるパテとの合弁事業に映画部門をスピンオフした。2004年・ゴーモンはパテとの他の合弁事業ゴーモン=パテ・アーカイヴスの設立の開発を継続した。20 世紀と21 世紀のニュース映画、ドキュメンタリー、無声映画を含むこの企業の 57.5% を所有している。

2004年初期から2007年、ソニーと映画製作、世界中の劇場、DVD配給のための提携を結んだ。また、長年ゴーモンの家庭用ビデオ部門は、ソニー・ピクチャーズとの合弁事業だった。

2011年、ゴーモンはフランスの史上最高興行収入を記録した映画となった『最強のふたり』を共同製作、そして共同配給した。『最強のふたり』の国際公開も同様に成功し、ドイツの『ハリー・ポッター』や『トランスポーター』など、以前の国際的な大ヒット作を打ち負かした[4]。『最強のふたり』は、日本の『千と千尋の神隠し』による2億7500万ドルの過去の記録を破り、最高興行収入を記録した外国語映画(英語以外の言語)である。『最強のふたり』の現在の興行収入は、3 億6,100万ドルである[5]

2017年3月1日、ゴーモンは製作に集中するため、レ・シネマ・ゴーモン・パテの 34%の株式をパテに4億ドルで売却した[6]

映画作品

1940年代、1970年代

1980年代

1990年代

2000年代

2010年代

カメラ製品の一覧

スピード・ルポルタージュ(Spido reportage)
  • ブロックノートBlock-Notes 、1902年発売[7]) - 4本腕金具のクラップカメラ[7]。ボディーは金属製で黒エナメル仕上げ、手になじむ形状になっていた[7]。アトム(4.5×6cm)判と大名刺(6.5×9cm)判があり、アトム判のモデルはアトム判の名称の由来となったアトムより前に発売されている[7]。シャッターはギロチン式で、1/4-1/64秒、B[7]。作動部と制御部が別々になっている[7]。ファインダーを引き出すことによりシャッターがチャージされる。レンズは前玉回転式[7]エ・クラウス[7]のクラウス・プロター7.5cmF9[7]またはクラウス・テッサー7.5cmF6.3[7]またはクラウス・テッサー72mmF6.3。日本にも相当数が輸入され、また「三越カメラ」というコピー商品があった。
  • ブロックノートMP - アトム判[7]。ピント合わせはバックフォーカシング式[7]。。シャッターはギロチン式で、1/4-1/64秒、B[7]。レンズはエ・クラウス製72mm4.5[7]
  • スピードSpido
  • スピード・ジュメユ
  • スピード・ルポルタージュ
  • ステレオ・スピードStéréospido

注釈

  1. ^ 最初に作ったのが『キャベツ畑の妖精』(自伝『私は銀幕のアリス』で1896年としているが、1900年前後と考える人もいる)中条省平『フランス映画史の誘惑』集英社文庫 2003年p.47f。

出典

  1. ^ a b c d e 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「10K」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  2. ^ Nicole de Mourgues, Le générique de film, éd. Méridiens Klincksieck, 1994, 292 p. (ISBN 2-86563-318-7), p. 179.
  3. ^ Logos de la marguerite : logos officiels
  4. ^ Roxborough, Scott (2012年4月30日). “‘The Intouchables’ Overtakes ‘Harry Potter and the Deathly Hallows – Part 2’ at German Box Office” (英語). The Hollywood Reporter. 2022年8月18日閲覧。
  5. ^ Intouchables Box-office mojo.”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。 17 February 2018
  6. ^ Hopewell, John (2017年3月1日). “Gaumont Sells Cinema Chain Stake to Pathé for $400 Million”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『クラシックカメラ専科No.22、アイレスのすべて/アトム判カメラの世界』pp.52-70「アトム判カメラの世界」。

参考文献

  • 『クラシックカメラ専科No.22、アイレスのすべて/アトム判カメラの世界』朝日ソノラマ

外部リンク