三島郡 (新潟県)
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三島郡(さんとうぐん)は、新潟県(越後国)の郡。ここでは前身にあたる三東郡(さんとうぐん)についても記述する。
人口3,726人、面積44.41km²、人口密度83.9人/km²。(2024年11月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 出雲崎町(いずもざきまち)
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、以下の区域にあたる。
- 長岡市の一部(李崎町、川袋町、花井町、高野町、大荒戸町、福道町、寺宝町、高瀬町、南新保町、雨池町、蓮潟町(蓮潟一から五丁目を含む)、古正寺町(古正寺一から三丁目を含む)、三ツ郷屋町(三ツ郷屋一・二を含む)、緑町一丁目の一部(国道351号沿いの地域)、千秋一から四丁目、草生津町以東・水梨町・小国町各町・千谷沢・岩野・釜ヶ島・西野を除く信濃川以西、信濃川以東の海老島・海老島勇次新田・浦、脇川新田町)[1]
- 新潟市西蒲区の一部(間瀬)[2]
- 小千谷市の一部(片貝町・片貝山屋町・高梨町)
- 燕市の一部(野中才・五千石・大川津)[3]
歴史
古代から近世まで
三島郡の地域はかつては古志郡の一部であったが、中世に信濃川左岸が分離して山東郡(さんとうぐん)と呼ばれるようになり、近世(江戸時代)初期には三島郡と表記するようになった。そのため西古志などと呼ばれることもあった。なお、三島郡が古志郡から分離される以前は、現・刈羽郡が三島郡(みしまぐん)と呼ばれていた。
近代以降の沿革
幕末の知行
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領(出雲崎代官所) | 2町 33村 |
●勝見村、尼瀬町[5]、出雲崎町[6]、井鼻村、上野山村、●○船橋村、○田中村、小木村上組、○小木村下組、稲川新料、○稲川古料、中山村、○立石村、川西村、●相田村、桂沢村、●別ヶ谷村、●中条村(現・出雲崎町)、藤巻村、○沢田村、●落水村、●坂谷村、●高森村、●高月村、●籠田村、曲田村、●吉田村、●辺張村、●辺張北組、●乙茂村、●馬草村、●大寺村、●村岡村、●梅田村、●東島崎村 |
幕府領(脇野町代官所) | 6村 | 葛蒲新田、鳥雲新田、○上岩井村、○吉崎村、○脇野町村、脇野町新田 | |
幕府領(水原代官所) | 2村 | 片貝村古料、○高梨村古料 | |
幕府領(出雲崎代官所)・ 旗本領(稲葉左衛門) |
1村 | 小島谷村[7] | |
藩領 | 越後長岡藩 | 65村 | 田尻村、馬越村、岩方村、○仁ヶ村外新田、藤川村、宮沢村、瓜生村、瓜生権六新田、瓜生市郎右衛門新田、下河根川村、大島村、水梨村、青山村、前島村、青島村、下山村、北山村古新田、本大島村、岡村古新田、喜多村、福山村、○宝地村、堺村、●○上除村、上除村八郎右衛門古新田、成沢村、広野村、○岩田村、安左衛門新田、○飯塚村、○下条村、下条村佐次兵衛組、沢新田村又市組、○沢新田村、親沢村、鍛冶新田、深沢村五郎八組、深沢村九左衛門組、深沢村茂兵衛組、富岡村(現・長岡市上富岡)、才津村与右衛門善助組、才津村勘兵衛組、安田村、福田村、矢島新田、原新田、大矢新田、弓新田、峰新田、富安村武右衛門組、富安村七郎左衛門組、才津村利右衛門佐兵衛組、来迎寺古新田、○来迎寺村、○朝日村、○浦村、宮川外新田、中沢外新田、○道半村、南島新田、飯島村、飯島善兵衛古新田、篠花村、中島村新田、○高梨村新料 |
越後与板藩 | 1町 32村 |
米田村、●小竹村、●○大門村、吉川村、●吉水村、大釜谷村、小釜谷村、柿木村、高畑村、●日野浦村、滝谷村、●阿弥陀瀬村、●村田村、若野浦村、●富岡村(現・長岡市下富岡)、久田村、●円蔵寺村、中村(現・長岡市和島中沢)、●荒巻村、本与板村、○与板城下[8]、○与板村、海老島勇次新田、中田村、山沢村、蔦都新田村、槙原村、中永村、○気比宮村、○逆谷村、中村(現・長岡市与板町南中)、大野新田、中条村(現・長岡市三島中条) | |
陸奥上山藩 | 33村 | ○王番田村、○七日市村、○鳥越村、王番田弥兵衛組、五反田村、下除村、○雲出村、駒村新田、○牛ヶ頭村、牛ヶ頭新田(現・長岡市高寺町および上除町)、関原新田、○白鳥村、五反田新田、白鳥新田、○東宮本村、○西宮本村、○東方村、西宮本新田、堀ノ内村、三町田村、善間村、三島谷村、○大日村、○大積村、牛ヶ頭新田(現・長岡市上除町)、田代村、灰下村、千本平村、水梨新田、○塚野山村、○西谷村、西谷新田、○東谷村 | |
越後村上藩 | 30村 | 西島崎村、山田村、明ヶ谷村、松田村、木島村、京ヶ入新村、真木山村、本山新村、弁才天新村、下曽根新村、川崎新村、中曽根村、蛇塚村、竹森村、鰐口村、新庄村、長新村、小豆曽根村、東川原崎新田、西川原崎新田、遠矢ヶ崎新田、端口新田、上桐村、門新村、黒坂村、五分一村、硲田村、下桐村、敦ヶ曽根村、平野新村新田 | |
伊勢桑名藩 | 1町 29村 |
志戸橋村、田頭村、夏戸村、年友村、引岡村、吉村、大地村、戸崎村、円上寺村、寺泊町、白岩村、野積村、大和田村、郷本村、大川津村、町軽井村、北曽根村、中条村(現・長岡市寺泊下中条)、万善寺村、高内村、求草村、入軽井村、矢田村、有信村、三瀬ヶ谷村、北野村、根小屋村、五千石村、野中才村、間瀬村 | |
陸奥会津藩 | 16村 | ○市野坪村、豊橋村、常楽寺村、神条村、○山谷村、松本村、上条村、蓮花寺村、新保村、下村古料、河根川村、○下村新料、○不動沢村、山屋村、片貝村新料、新屋敷村 | |
与板藩・長岡藩 | 1村 | 吉津村 |
- 慶応4年
- 明治元年
- 明治2年
- 明治3年
- 明治4年
- 明治初年
- 西谷新田が西谷村に合併。(4町247村)
- 与板城下各町が与板を冠称。
- 牛ヶ頭新田(現・長岡市高寺町および上除町)が南牛ヶ頭新田に改称。
- 明治5年(1872年) - 東宮本村・西宮本村・西宮本新田が合併して宮本村となる。(4町245村)
- 明治6年(1873年)(4町243村)
- 6月10日 - 全域が新潟県の管轄となる。
- 才津村与右衛門善助組・安田村が合併して才津村となる。
- 新庄村・長新村が合併して新長村となる。
- 明治8年(1875年) - 王番田弥兵衛組が王番田村に合併。(4町242村)
- 明治9年(1876年)(4町238村)
- 鍛冶新田・深沢村五郎八組・深沢村九左衛門組・深沢村茂兵衛組が合併して深沢村となる。
- 大日村・大積村が合併して大村となる。
- 明治10年(1877年)(4町230村)
- 小木村上組・小木村下組が合併して小木村となる。
- 稲川新料・稲川古料が合併して稲川村となる。
- 片貝村古料・片貝村新料が合併して片貝村となる。
- 高梨村古料・高梨村新料・新屋敷村が合併して高梨村となる。
- 東川原崎新田・西川原崎新田・遠矢ヶ崎新田・端口新田が合併して当新田となる。
- 明治12年(1879年)(4町223村)
- 4月9日 - 郡区町村編制法の新潟県での施行により行政区画としての三島郡が発足。郡役所を与板城下に設置。
- 真木山村の所属郡が西蒲原郡に変更。
- 大島村・水梨村・青山村・前島村・青島村の所属郡が古志郡に変更。
- 古志郡古川新田、西蒲原郡脇川新田の所属郡が本郡に変更。
- 下条村・下条村佐次兵衛組・沢新田村又市組・沢新田村が合併して沢下条村となる。
- 与板城下の一部[9]が与板村に編入。
- 2ヶ所存在した中村、富岡村が北中村(現・長岡市和島中沢)、南中村(現・長岡市与板町南中)、上富岡村(現・長岡市上富岡)、下富岡村(現・長岡市下富岡)にそれぞれ改称。
- 3ヶ所存在した中条村が上中条村(現・出雲崎町)、中中条村(現・長岡市三島中条)、下中条村(現・長岡市寺泊下中条)にそれぞれ改称。
- 明治13年(1880年) - 中沢外新田が中沢村に、中中条村が中条村(現・長岡市三島中条)にそれぞれ改称。
- 明治14年(1881年)
- 五反田新田・白鳥新田が合併して西関原村となる。(4町222村)
- 才津村利右衛門佐兵衛組が北才津村に改称。
- 明治16年(1883年) - 駒村新田・牛ヶ頭村が合併して高頭村となる。(4町221村)
- 明治18年(1885年)(4町213村)
- 林新田が古志郡土合村に合併。
- 脇野町新田・大野新田が合併して大野村となる。
- 上除村八郎右衛門古新田・大矢新田・弓新田・牛ヶ頭新田(現・長岡市上除町)が上除村に、安左衛門新田が岩田村に、来迎寺古新田が来迎寺村にそれぞれ合併。
- 才津村勘兵衛組が勘兵村に、富安村武右衛門組が石動村に、富安村七郎左衛門組が富安村にそれぞれ改称。
- 明治19年(1886年)
- 与板城下各町[10]が合併して与板町となる。
- 東島崎村・西島崎村が合併して島崎村となる。(4町212村)
- 蔦都新田村が蔦都村に改称。
- 明治20年(1887年) - 下村古料・下村新料が鳥越村に合併。(4町211村)
町村制以降の沿革
町村制施行時の4町39村
- 片貝村 ← 片貝村、山屋村(現・小千谷市)
- 高梨村(単独村制、現・小千谷市)
- 来迎寺村 ← 来迎寺村、朝日村
- 浦村 ← 浦村、道半村、宮川外新田および古志郡青島村[突切島]
- 中野島村 ← 中沢村、中島村新田、篠花村、飯島村、南島新田、飯島善兵衛古新田および古志郡西野村、北野村
- 塚山村 ← 西谷村、東谷村、塚野山村
- 岩田村 ← 岩田村、不動沢村
- 飯塚村 ← 飯塚村、沢下条村
- 深沢村 ← 深沢村、親沢村
- 才津村 ← 上富岡村、福田村、才津村、勘兵村
- 大島村 ← 下山村、北山村古新田、本大島村、岡村古新田
- 日越村 ← 北才津村、福山村、喜多村、石動村、富安村、上除村、宝地村、堺村[字古新田]、峰新田、原新田、矢島新田および古志郡高瀬村、高瀬作十郎古新田、五本柳村古新田、雨池村、前野村古新田
- 王寺川村 ← 王番田村、河根川村および古志郡寺宝村、能下古新田
- 宮本村 ← 宮本村、堀ノ内村、東方村
- 大積村 ← 三町田村、善間村、三島谷村、大村、水梨新田、灰下村、千本平村、田代村
- 関原村 ← 下除村、五反田村、高頭村、南牛ヶ頭新田、関原村、西関原村、白鳥村
- 日吉村 ← 鳥越村、七日市村、雲出村
- 脇野町村 ← 吉崎村、脇野町村
- 上岩井村 ← 上岩井村、葛蒲新田、鳥雲新田
- 吉川村 ← 瓜生村、瓜生権六新田、瓜生市郎右衛門新田、下河根川村、大野村、中条村、新保村
- 天津村 ← 蓮花寺村、中永村、上条村、逆谷村、気比宮村
- 大都村 ← 藤川村、宮沢村、槙原村、山沢村
- 黒川村 ← 中田村、南中村、吉津村、蔦都村、成沢村、広野村、古川新田
- 与板町 ← 与板町、与板村[海老島を除く]
- 本与板村 ← 本与板村、馬越村、岩方村、仁ヶ村外新田
- 善高村 ← 田尻村、町軽井村、平野新村新田、大川津村、北曽根村、敦ヶ曽根村、万善寺村、高内村、求草村、入軽井村、矢田村
- 下桐原村 ← 竹森村、小豆曽根村、新長村、鰐口村、下桐村、硲田村、木島村、五分一村、有信村
- 五千石村 ← 五千石村、野中才村、下中条村
- 桐原村 ← 荒巻村、根小屋村、北野村、三瀬ヶ谷村、上桐村、門新村、黒坂村
- 島崎村(単独村制)
- 小島谷村 ← 小島谷村、阿弥陀瀬村、若野浦村、下富岡村、梅田村、曲田村、円蔵寺村、北中村、日野浦村
- 村田村 ← 高森村、高月村、坂谷村、落水村、籠田村、村岡村、村田村、辺張村、辺張北組、吉田村
- 西越村 ← 柿木村、高畑村、馬草村、乙茂村、藤巻村、神条村、吉川村、滝谷村、久田村、上中条村、沢田村、大寺村
- 中越村 ← 小釜谷村、大釜谷村、山谷村、松本村、大門村、別ヶ谷村、川西村、上野山村、米田村、小竹村、立石村、中山村、吉水村、桂沢村(現・出雲崎町)
- 八手村 ← 田中村、船橋村、稲川村、市野坪村、豊橋村、小木村、相田村、常楽寺村(現・出雲崎町)
- 出雲崎町 ← 出雲崎住吉町、出雲崎石井町、出雲崎羽黒町、出雲崎鳴滝町、出雲崎木折町、井鼻村(現存)
- 尼瀬町 ← 勝見村、尼瀬諏訪町、尼瀬伊勢町、尼瀬稲荷町、尼瀬岩船町(現・出雲崎町)
- 寺泊町 ← 寺泊町、白岩村
- 潟村 ← 京ヶ入新村、本山新村、弁才天新村、川崎新村、下曽根新村、中曽根村、蛇塚村、当新田
- 西山村 ← 戸崎村、年友村、引岡村、吉村、大地村、円上寺村
- 北西越村 ← 夏戸村、田頭村、大和田村、郷本村、山田村、志戸橋村、明ヶ谷村、松田村
- 野積村、間瀬村(それぞれ単独村制)
- 堺村[字古新田を除く]が古志郡福戸村、与板村[海老島]・海老島勇次新田が南蒲原郡中野村、脇川新田が古志郡川李村となる。
- 明治29年(1896年)4月1日 - 間瀬村の所属郡が西蒲原郡に変更。(4町38村)
- 明治30年(1897年)1月1日 - 新潟県で郡制を施行。
- 明治34年(1901年)11月1日 - 下記の町村の統合が行われる。いずれも新設合併。(4町18村)
明治34年の合併
- 明治37年(1904年)4月1日 - 出雲崎町・尼瀬町が合併し、改めて出雲崎町が発足。(3町18村)
- 大正12年(1923年)3月31日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)6月30日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和9年(1934年)
- 昭和22年(1947年)11月3日 - 片貝村が町制施行して片貝町となる。(6町15村)
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 深才村の一部(本大島・岡村古新田および北山古新田の一部)が長岡市に編入。
- 昭和29年(1954年)
- 5月1日 - 深才村が長岡市に編入。(6町14村)
- 11月1日 - 日越村・王寺川村が長岡市に編入。(6町12村)
- 昭和30年(1955年)3月31日(7町6村)
- 昭和31年(1956年)
- 昭和32年(1957年)
- 昭和33年(1958年)1月1日 - 和島村が出雲崎町の一部(高畑)を編入。
- 昭和35年(1960年)
- 4月1日 - 与板町の一部(成沢)が長岡市に編入。
- 9月1日 - 二和村が長岡市に編入。(5町1村)
- 平成17年(2005年)4月1日 - 越路町・三島町が長岡市に編入。(3町1村)
- 平成18年(2006年)1月1日 - 与板町・寺泊町・和島村が長岡市に編入。(1町)
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治12年(1879年)4月9日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
- ^ 海老島・海老島勇次新田は1889年に南蒲原郡へ、西野は1889年に古志郡から、岩野・釜ヶ島は1955年に古志郡から、千谷沢は1957年に刈羽郡から編入。
- ^ 1896年に西蒲原郡に編入。
- ^ 1957年に西蒲原郡に編入。
- ^ 領主から年貢免除の特権を与えられた土地。
- ^ 尼瀬各町の総称。本項では便宜的に1町として数える。
- ^ 出雲崎各町の総称。本項では便宜的に1町として数える。
- ^ 東小島谷村、小島谷村金治郎組(幕府領)、西小島谷村(旗本領、寺社領)に分かれて記載。
- ^ 与板城下各町の総称。本項では便宜的に1町として数える。
- ^ 与板稲荷町、与板片町、与板馬場丁、与板泉丁、与板下丁、与板山ノ上丁、与板上河岸、与板長丁および与板坂下丁、与板宮下丁、与板船戸丁、与板堂前丁、与板下横丁、与板蔵小路の各一部。
- ^ 与板上町、与板中町、与板下町、与板安永丁、与板南新町、与板北新町、与板中河岸、与板下河岸、与板中河岸小路、与板下新地、与板坂下丁、与板宮下丁、与板船戸丁、与板堂前丁、与板下横丁、与板蔵小路。
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 15 新潟県、角川書店、1989年9月1日。ISBN 4040011503。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連文献
- 『三島郡誌』三島郡教育会、1937年 。
関連項目
外部リンク
『越佐地図教科書』(国立国会図書館デジタルコレクション)- 1896年(明治29年)1月出版。人口 103,941人、戸数16,246との記述あり