流れ橋
流れ橋(ながればし)は橋の形式の一つで、河川の増水時に橋桁(はしげた)が橋脚から分離して流出する構造を持つ橋である。流れに逆らわず自動的に橋桁が外れて流されることで、橋梁が流木や土石等の流下物を堰き止めることで生じる川の氾濫を起こしにくくすることができる。日本のほかアイルランド、オーストラリアなどに見られる[要出典]。
流れ橋は一般に、水面からの高さが低く歩行者用の比較的小型の橋で、欄干や手すりのないものが多い[1][2][3]。橋脚は流失しないため、洪水後に残された橋脚の上に新たな橋桁を載せることで、新しい橋を建設するよりも容易に橋を復旧できる。またロープやワイヤーロープなどで橋桁を橋脚や岸に繋ぎとめておき、流出時に回収しやすくする例も多く、これであれば流された橋桁を捜索したり新造したりする必要がないため、さらに橋の復旧コストを抑えることができる[4]。
呼称と概念
橋の上部構造である橋桁(橋板、床版)が下部構造をなす橋台や橋脚から浮き上がって流されるということは、洪水時に流れ橋が水面下に沈むことを意味している[注 1]。そのため、流れ橋は「沈下橋(潜水橋)」の一種と考えることができ[注 2]、また実際に流れ橋の構造を持ちながら沈下橋系統の名前で呼ばれる橋、またその逆に橋桁は流出しないが増水時に橋の上を水が流れることから“流れ橋”と通称される例も多く、両者(流れ橋と沈下橋)の境界は社会的には曖昧である[13]。しかし、橋の上部構造が下部構造から分離して流出するいわば“上下分離型”[14]の流れ橋と、固定されたまま水面下に没する“上下固定型”[14]の沈下橋は明確に異なる構造を備えており[15]、本項では前者の上下分離型の「流れ橋」を扱う。
- 後者の“上下固定型”については「沈下橋」の項目を参照。
歴史的背景と構造
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日本
主として木材を用いる江戸期以前の日本の土木技術では、そもそも大雨のときの河川の強い水流やそれが運ぶ流木や土石などの流下物の衝突[16]に耐える橋を架けることは困難であった。また仮に頑強な橋を作っても、橋脚や橋桁が流木を堰き止めると橋がダム化して河道閉塞を起こして水かさが増し、付近の土手や堤防が決壊して災害を招くことになる[12][17][18]。そのため、増水時にはあえて流れに逆らわず、橋の上部構造体が分解されて流出することで橋梁のダム化を防ぐ柔軟な構造が考え出された。すなわち、水勢が治まるのを待って、後日、修理復元できるようにした形式の木橋である[4]。
現在では鋼や鉄筋コンクリートを使って容易に破壊されない橋梁が建設できるため、大雨のたびに交通路としての機能を失い、修理が必要となる流れ橋は、利便性や経済性の点で劣るようになった。しかし、歴史的建築物としての価値や地元の愛着などによって残されているものが多く存在する。
橋の構造としては、木製の橋桁は橋脚に固定されていないか、容易に離脱する程度の強度で固定されるにとどまる。冠水して強い水流を受けた場合には橋桁は流されるが、橋脚だけは残されることになる。橋脚が残されていれば桁を架け直すことは比較的容易である[13]。近年では[要出典]、橋桁も再利用するためにロープなどでつないでおいて、洪水が終わった後に回収することができるようになっているものが多い[4]。
流れ橋の例
有名・無名の流れ橋は数多い。ここでは比較的よく知られたもの、特徴的なものを示す。「Category:流れ橋」も参照せよ。
- 松日橋(まつびばし)
- 橋長40 m、幅50 cm、橋脚7基[19]。岩手県気仙郡住田町
下有住 地区、気仙川に架かる。江戸時代初期の終わり、元禄11年(1698年)には橋の存在が推定されており、流れ橋の原型・古形を示す小さな木製の橋である。増水時には橋桁だけでなく橋脚を含む橋全体が分解して流されることで川を堰き止めず、橋の部材の損傷もまぬがれる。各部材は川岸の樹木に針金やワイヤーロープでくくり付けており流失しない。流された橋の復旧作業は地元住民の手でおこなわれ、一般人の参加も歓迎している。 - 上津屋橋(こうづやばし)
- 橋長356.5 m、幅3.3 m、橋脚40基[20]、支間長平均9.1 m[21]。京都府の久御山町–八幡市間、木津川に架かる。初めて橋桁が流出したのは1953年(昭和28年)[22]。1951年(昭和26年)完成。2010年代に永久橋への架け替えも検討されたが、流れ橋として維持されることとなった。時代劇のロケ地とされることも多く、日本でもっとも大規模かつ有名な流れ橋である。
- 小目沼橋(おめぬまばし)
- 橋長95 m、幅1.5 m、橋脚17基[23][24]。茨城県つくばみらい市、小貝川にかかる木造の歩道橋。1956年(昭和31年)架橋、現在の橋は1979年(昭和54年)建設。ただし、流れ橋の構造は持たない沈下橋だとする指摘がある[25]。
- 船小屋観光橋(ふなごやかんこうきょう)
- 通称「ガタガタ橋」。橋長59.5 m、幅1.2 m、水面からの高さ1.4 m。福岡県筑後市・みやま市、矢部川に架かる。床板(床版)はワイヤーロープで連結されており、増水時には左右に分かれて橋桁から外れるようになっている。
- 早瀬の一本橋(はやせのいっぽんばし)
- 一枚あたり長さ9 m、幅60 cm、厚さ30 cmの木の厚板3枚を連ねる流れ橋[26]。高知県津野町、四万十川の支流である北川川に架かる。3径間で橋脚は形状に特徴がある[27]。橋板は「橋守杉」[27]と名付けられた岸辺の木にワイヤーロープで繋がれており流失しない[28]。集落から神社への参拝路になっており[29]、四万十川に多数存在する沈下橋の原形とも言われる[30][注 3]。
- 名畑の流れ橋(なばたけのながればし)
- 橋長約40 m、幅約80 cm、橋脚は1970年代なかばからコンクリート製[33]。兵庫県宍粟市一宮町名畑地区、揖保川に架かる。明治初期にはすでに存在したと考えられている[33]。橋板は長さ11 m、幅40 cm、厚さ20 cmほどの一枚板の左右両側に厚みと同じ程度の直径の丸太を針金で結わえて幅を広くする構造だが[33]、これは復旧作業を容易にするための工夫という[34]。橋板にはカタカナで「シソウイチノミヤナバタケハシ(宍粟一宮名畑橋)」と刻まれた跡が見え[34]、かつて橋桁を岸に繋いだ綱が切れて下流まで流されたことから連絡先を記した名残という[33]。橋の維持・管理は行政ではなく地元住民の手でおこなわれている[35]。
- 八王子流れ橋(はちおうじながればし)
- 東京都八王子市西寺方町大幡地区、北浅川に架かる。「北浅川流れ橋」とも呼ばれる。約20 mの川幅を渡すが[36]、橋の素材や構造、外観は時期により大きく異なる[37]。たとえば2014年ごろの橋の上部構造は、鉄パイプで組んだ橋桁の上に幅90 cm・厚さ1.2 cmほどの合板(コンクリート型枠用合板)を橋板として載せる作りだったが[36][38]、2021年には鉄板と鉄パイプで構成される橋板となっている[39]。現代において交通路としての実用の観点から作られ維持されている珍しい流れ橋であり[37]、外観・構造ともに木製の流れ橋とは一線を画している。橋としては河川管理者の設置許可を受けておらず、2021年現在、違法状態にある[39][40]。
撤去された流れ橋
- 浜高房橋(はまたかぼうばし)
- 通称「こんにゃく橋」。橋長約210 m、幅約1 m。徳島県徳島市浜高房、
鮎喰川 に架かっていた。2007年(平成19年)に撤去[13]。 - 観月橋(かんげつきょう)
- 橋長約80 m、幅1.2 m。橋脚はコンクリート製[2]。岡山県小田郡矢掛町、小田川に架かっていた。2015年(平成27年)に撤去[要出典][41]。小田川には他にも野宮橋(江良地区)、北畑橋(小田地区)などの流れ橋があった[41]。
脚注・出典
注釈
- ^ 橋桁・橋板の流出と河川水位の関係、また流れ橋の基本的な機構については、京都府山城北土木事務所の平松道亘が2021年に第11回木材利用シンポジウム「土木でもウッド・チェンジ!」[5]でおこなった講演「上津屋橋(流れ橋) 〈時代にあった木橋をめざして〉」のpdf資料[6]が図・写真を用いて簡明な説明を与えている。pdfファイルの5–7ページ目の「流れ橋のしくみ」「流出時の様子」項を参照[7]。
- ^ 学術論文ではたとえば九州の山国川を扱った神島一也らの「山国川流域の潜水橋整備史」、関東の久慈川・荒川、四国の四万十川を扱った見城英治らの「河川利用における潜水橋の評価」が、流れ橋を広義の潜水橋(沈下橋)に含めて検討している[8][9]。河川増水時に橋全体が水面下に没して通行できなくなるタイプの橋は、地域によって沈下橋、潜水橋、もぐり橋、潜没橋、冠水橋などの呼称で知られており[10][11]、河川行政では「潜水橋」の名称が用いられる[12]。英語ではlow-water crossing、Irish bridge、low level crossing、low water bridge、causewayなどの呼称がある[要出典]。
- ^ 四万十川に沈下橋が架けられ始めるのは昭和30年代であり[31]、それ以前には流れ橋構造を備える「一本橋」が用いられていた。奈良文化財研究所の報告書『四万十川流域 文化的景観研究』(2011年)に詳しい紹介があり、かつては丸太を半分に切った木材が橋板に用いられたこと、橋板を岸辺に繋ぐのにシュロ縄が用いられていたこと、住民による保守管理の方法が地域ごとにさまざまであったこと等々を現地調査に基づいて[32]記述している[3]。
出典
- ^ “木の橋 (5) 〜流れ橋〜|第5回 橋 〜 川を跨ぐ”. きまぐれ旅写真館(フカダソフト). 2023年6月11日閲覧。 ※「木の橋 (5a) 〜流れ橋2〜」もある。
- ^ a b “流れ橋。”. 水辺の土木遺産 (2012年2月5日). 2023年6月11日閲覧。
- ^ a b 奈良文化財研究所 編『四万十川流域 文化的景観研究 (奈良文化財研究所学報第89冊)』国立文化財機構奈良文化財研究所、2011年3月、49-51頁。ISBN 9784905338017 。 ※第3章「変化のプロセスにみる流域の関係性」参照。同章執筆担当者は惠谷浩子と記載あり。
- ^ a b c 『上津屋橋(流れ橋)資料集』 (2016), p. 12, 「流れ橋の発想」.
- ^ “第11回木材利用シンポジウム「土木でもウッド・チェンジ!」〜開催のご案内〜〔2021年3月8日開催予定〕”. 土木学会木材工学委員会 (2020年12月15日). 2023年6月18日閲覧。 ※このシンポジウムは当初2020年5月12日開催予定だったが新型コロナ流行のため翌年3月に延期、オンラインで開催された。
- ^ 平松道亘 2021.
- ^ 平松道亘 2021, pp. 5–7, 「流れ橋のしくみ」「流出時の様子」.
- ^ 神島一也, 岩田圭佑, 田中尚人「山国川流域の潜水橋整備史」(pdf)『土木史研究講演集』第32巻、土木学会、2012年、133頁。 ※pdf配布元は土木学会学術論文等公開ウェブサイト「土木史研究講演集 第32回 2012年」ページ。なお、p. 132–133掲載の地図、写真は熊本大学地域風土計画研究室(田中尚人研究室)のブログでカラー版が公開されている。
- ^ 見城, 加藤, 井上 2000, p. 356.
- ^ 見城英治 2001, p. 25; 見城, 加藤, 井上 2000, p. 356.
- ^ “四万十川の沈下橋”. 四万十川財団ウェブサイト. 公益財団法人四万十川財団. 2023年6月18日閲覧。 “平成11年〔1999年〕に高知県が全国の一級河川及び支流を対象とした沈下橋保存に関する調査(回収率100%)を行ないました。その結果、全国に410の沈下橋が現存し、高知県以外では、三重・徳島・大分・宮崎県に多くあることが分かりました。また、その呼び名は、「潜水橋 (せんすいきょう)」が最も多く、「もぐり橋」が続き、「潜没橋 (せんぼつきょう)」や「潜流橋 (せんりゅうきょう)」、「沈み橋」という県もありました。”
- ^ a b 河川管理技術研究会 編『解説・工作物設置許可基準』(pdf)(改訂)(財)国土技術研究センター (発売 山海堂)、1998年11月、71-73頁 。 ※「第11章 潜水橋」参照。pdf配布元は一般財団法人国土技術研究センターウェブサイト「技術資料|技術資料・ソフトウェア」ページ。
- ^ a b c 大野春雄 監修 1998.
- ^ a b 見城, 加藤, 井上 2000, pp. 356–357: 見城らは「上部工・下部工」の呼称を用いている。
- ^ 稲垣晃樹, 西脇祥子, 岡島賢治「
雲出川 流域における潜水橋維持管理の現状」(pdf)『農業農村工学会大会講演会講演要旨集』(平成28年)、公益社団法人農業農村工学会、2016年、1頁。「分類は,床版が洪水時に流失する「流れ橋」と流失しない「潜水橋」の2タイプに分類した。」 ※pdf配布元は農業農村工学会の「農業農村工学会講演要旨検索システム」。 - ^ 伊津野和行, ほか (2017年). “洪水や土石流に対する橋梁の安全性確保に関する研究 : JSPS科学研究費基盤研究(B)17H03299”. 立命館大学理工学部環境都市工学科防災システム研究室. 2023年6月18日閲覧。 “洪水では水だけが流されてくるのではない. 土砂や流木, 場所によっては巨岩や氷など, 漂流物が流されてきて橋に衝突する. [...] 水害による落橋や流出は, 大半が中小河川に架かる小規模橋梁でよく発生している. 小規模橋梁は地域住民が使う日常的な道になっているものが多く, 通れなくなると日常生活にすぐに多大な影響を及ぼす.”
- ^ 国土技術研究センター河川政策グループ『河川を横過する橋梁に関する計画の手引き(案) : 平成20年度実施』一般財団法人国土技術研究センター、2009年7月 。 ※p. 29「第2章 2.2 橋台・橋脚の必要性の有無」など参照。
- ^ 坂野 章(河川研究室)『国総研資料 第78号 : 橋梁への流木集積と水位せきあげに関する水理的考察』国土交通省国土技術政策総合研究所、2003年3月、6頁。ISSN 1346-7328 。「被災事例のほとんどは、橋桁まで河川水位が上昇した溢水〔氾濫〕を伴うものである。水位が橋桁まで達すると、水面を流れてきた流木が橋桁及び欄干に集積し河積〔河道断面積〕を阻害し、水位がせきあがり溢水量が多くなる。最小径間長が20 m以上でも河川水位が橋桁まで達し橋台周辺や橋台が倒壊しており、[...]」 ※第2章など参照。
- ^ “松日橋”. 木橋資料館. 福岡大学工学部社会デザイン学科. 2023年6月18日閲覧。
- ^ 『上津屋橋(流れ橋)資料集』 (2016), p. 1.
- ^ 平松道亘 2021, p. 11, 「構造比較(まとめ)」 ※以前の支間長は平均4.9 m(4–7 m)であったが、四年連続の橋桁流出を受けた2014年の構造見直しによりほぼ2倍の平均9.1 m(8.7–10.1 m)に変更された。.
- ^ 『上津屋橋(流れ橋)資料集』 (2016), p. 12, 「流れ橋の起源と特長」.
- ^ “小目沼橋 - 歴史”. つくばみらい市観光協会. 2023年6月11日閲覧。
- ^ “小目沼橋”. いばらきフィルムコミッション. 2023年6月11日閲覧。
- ^ “小目沼橋”. 木橋資料館. 福岡大学工学部社会デザイン学科. 2023年6月11日閲覧。 “小貝川にかかる沈下橋です。流れ橋の機構はないようです。”
- ^ 四万十川自然再生協議会 (2019年2月). “四万十の水辺 八十八カ所めぐり” (pdf). 国土交通省四国地方整備局ウェブサイト. 2023年6月18日閲覧。 “No. 60 早瀬の一本橋” ※pdf配布元は四万十川自然再生協議会ウェブサイト「四万十の水辺八十八ヶ所めぐり」ページ。
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- ^ “早瀬の一本橋 hayase log bridge”. 四国都市環境デザインマップ. 高知工科大学システム工学群建築・都市デザイン専攻景観デザイン研究室. 2023年6月18日閲覧。
- ^ “四万十川流域年表”. 四万十川財団ウェブサイト. 公益財団法人四万十川財団 (2015年). 2023年6月18日閲覧。
- ^ 奈良文化財研究所: “四万十川流域の文化的景観|景観研究室|組織・体制”. 奈良文化財研究所ホームページ. 国立文化財機構奈良文化財研究所. 2023年6月18日閲覧。
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- ^ とりさん (2016年9月28日). “【台風で崩壊】北浅川の流れ橋”. マッキータウンぶろぐ 〜東京近郊自転車コースガイド〜. 2023年6月18日閲覧。
- ^ a b めざまし8 (2021年11月23日). “全国に存在…管理者不明の「勝手橋」住民たちが作ったワケとは?”. FNNプライムオンライン. フジテレビ. 2023年6月18日閲覧。
- ^ “八王子流れ橋について”. 八王子流れ橋(北浅川流れ橋) (2022年7月). 2023年6月18日閲覧。
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参考文献
- 大野春雄 (監修)、長嶋文雄, 服部秀人, 菊地敏男 (著)『橋 なぜなぜおもしろ読本』山海堂、1998年10月。ISBN 4-381-02150-9。
- 平松道亘(京都府山城北土木事務所道路計画課) (2021年3月8日). “上津屋橋(流れ橋) 〈時代にあった木橋をめざして〉 : 土木学会選奨土木遺産受賞記念講演” (pdf). 土木学会木材工学委員会ウェブサイト. 2023年6月11日閲覧。 ※pdf配布元は「土木学会木材工学委員会 広報小委員会」ページ。
- 京都府山城北土木事務所『上津屋橋(流れ橋)資料集』(pdf)京都府山城北土木事務所、2016年3月 。 ※巻末に文献表「流れ橋に関する参考文献」あり。
- 見城英治「潜水橋に市民権を」『RIVER FRONT』第41巻、財団法人リバーフロント整備センター、2001年5月、25-27頁。
- 見城英治, 加藤稔, 井上寿一郎「河川利用における潜水橋の評価」『リバーフロント研究所報告』第11巻(平成11年度研究所報告)、財団法人リバーフロント整備センター、2000年9月、355-366頁。
関連項目
- 橋 - 沈下橋 / もぐり橋 / low water crossing(英語版)
- 柔構造
外部リンク
- 木の橋(5)〜流れ橋〜|第5回 橋 〜 川を跨ぐ|きまぐれ旅写真館(フカダソフト) - 埼玉県の流れ橋の写真と構造諸元を多数掲載。
- 木橋資料館 The Museum of Timber Bridges - 福岡大学工学部社会デザイン学科