ノート:弥助

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テレビの話題[編集]

『世界ふしぎ発見』というテレビ番組の弥助に関する放送回の内容を紹介するというだけで、テレビ放映そのものは事実であり、テレビ放送という事実確認できるので検証可能性を満たすし、記述の内容を読めばわかるように、不確かな説が述べられたということが書かれているだけであり、何ら専門的話題ではない。放送の中身を検証あるいは保証するような内容ではないし、むしろ否定しているわけであって、禁止されるようなものではない。--Quark Logo会話2018年11月11日 (日) 06:12 (UTC)[返信]

 アーカイブがあるということでもなければ、『世界ふしぎ発見』の番組内容はわからないですし、記事に書かれているとおりかどうかは検証不可能でしょう。WP:TVWATCHにあるとおり、信頼性以前に検証不可能なので除去が妥当です。仮に検証可能でも、不確かな説なのであれば記載は不要です(WP:IINFOWP:RSWP:SOURCES)。研究者が取り上げて否定したということでもないですし、番組内容を否定する記事内の記述([1])は独自研究ではないでしょうか?--伊佐坂安物会話/履歴) 2018年11月11日 (日) 07:32 (UTC)追記--伊佐坂安物会話/履歴) 2018年11月11日 (日) 07:29 (UTC) 追記--伊佐坂安物会話/履歴) 2018年11月11日 (日) 08:04 (UTC)誤字--伊佐坂安物会話/履歴) 2018年11月11日 (日) 08:04 (UTC)他者発言後ですが脱字を追記。すみません。--伊佐坂安物会話/履歴2018年11月11日 (日) 10:59 (UTC)[返信]
少なくとも番組が実在するということはTBSのサイトで事実確認できる。あくまでも番組の内容の紹介であるし、『世界ふしぎ発見』は長寿番組として日本で広く知名度があり、一般に周知されている。記事は、番組の内容が「具体的に証明する証拠は全く見付かっていない」説が展開されたことが書かれているのであって、信憑性がない(あるいは番組内で証拠が示されなかった。番組内でも仮説であり、証拠はないことへの言及もある)ということ記事に書けないならば、フェイクニュースをフェイクニュースとも書けないということになる。削除主義で消してしまえば、情報はゼロで、間違ってる説、不確かな説が、正しいかのようにウィキペディア以外ではびこるというだけで、そういう事態こそ百科事典的ではないといえるでしょう。あなたのやっていることは検証可能性の濫用だと思います。度が過ぎていませんか? -Quark Logo会話2018年11月11日 (日) 09:31 (UTC)[返信]
番組があったということがわかっても番組の内容は検証不可能で、記事のとおりかどうかは確かめようがないわけです。それなら、検証不可能なことは書くべきではないというウィキペディアの基本に沿って書くべきではないということになります(過去ログを漁れば同様の議論は、「Wikipedia‐ノート:検証可能性/Archive09#「TVで観た」という出典に関して」などいくつもあります。」)。フェイクニュースや疑似科学を批判するという姿勢には大いに賛同するところですが、それが編集者独自の考えであればウィキペディアで書くべきことではないと思います(ウィキペディアは告発サイトではなく百科事典ですから、外部サイトでやるべきでしょう)。むしろ、ウィキペディアに掲載されていることで、当該番組の内容(とされるもの)がかえって世間に広まってしまっているような気もします。該当の記述を載せておく意義はないと考えます。--伊佐坂安物会話/履歴2018年11月11日 (日) 10:59 (UTC)[返信]

コメント 横から失礼します。番組サイトのバックナンバーに当該放送回の記事があります[2]が、番組の内容の検証素材として使えないということになるのでしょうか?--tail_furry会話2018年11月11日 (日) 09:37 (UTC)[返信]

コメント 「番組内容を否定する記事内の記述」が「独自研究」にあたるかという問題なのですね。早とちりしてしまいました。失礼しました。--tail_furry会話2018年11月11日 (日) 09:48 (UTC)[返信]
Tail furryさん情報ありがとうございます。番組内容が検証不可能WP:TVWATCHではないかというのも論点には含まれています。ただ、記事内にある番組を出典とした記述には「弥助はもともと「ヤスフェ」という名前」とか「故郷に戻って日本の文化を伝えた」とか「有馬家を頼って」とか書かれているのですが、該当の内容は残念ながらご提示のページに含まれていないようです(番組サイトp,2に「そして彌助は信長の死後、無事故郷へ戻ることができたのだと思いたい」という願望の記述はありますが、記事中の「故郷に戻って日本の文化を伝えた」という事実の記述とは趣旨が異なりそうです)。--伊佐坂安物会話/履歴2018年11月11日 (日) 09:53 (UTC)[返信]
  • コメント WP:TVWATCHを堂々と破るひとがいて驚きです。テレビの番組というのは、限られた時間内に起承転結を詰め込まなければならない都合上、大事なところを省略していたり、視聴者が分かりやすいように細かな創作を織り交ぜたりすることがあります。この番組については民間のテレビ局のクイズ番組であり、質も量も史上最大の百科事典を目指すWikipediaの出典に使うには甚だ不適切です。--切干大根会話2018年11月11日 (日) 14:36 (UTC)[返信]

コメント WP:TVWATCHに関しては、テレビで観たことが「事実確認の機能を欠いている」から問題になっているのだと認識しています。近年では、番組のアーカイブなどでテレビ番組の内容を第三者によって見返すことができたり、ホームページなどで番組の内容が記載されたりしていて、必ずしも「事実確認の機能を欠いている」ことにはならなくなっているのではないかと考えます。また、切干大根さんが書かれているように、テレビ番組自体が視聴者が分かりやすいように編集されていることで、出典として使うことが不適切であるならば、Wikipediaで出典として多用される「書籍」や「新聞」なんかに関しても、著者・筆者の思想に左右されてしまうから不適切であると言っているようなものではないでしょうか。ただ、伊佐坂安物さんが指摘されている通り、事実確認できない記述や独自研究ととられかねない解釈に関しては、載せることはできないと考えます。(まぁ、確かに世界ふしぎ発見は回によってはオカルトな内容の時かもあって、見ててひどいと思う時はあります。ただ、こういうことが番組でありました、と「検証」できるのであれば、そのことを中立的・客観的に書けばいいのであって、番組の内容自体を全否定する必要はないかな、と。)--tail_furry会話2018年11月12日 (月) 14:47 (UTC)[返信]

  • 返信 (tail_furryさん宛) 誤解があるようなので補足しておきますが、「書籍」でも学術書であれば問題無く、「新聞」でも事実を伝える報道であれば問題ありません。もし、著者・筆者の思想が入っている「書籍」が出典として使われているのであれば、それは早急に除去しなければなりません。(ふしぎ発見は番組としてはおもしろい・興味深いと思いますが、どちらかといえばバラエティ番組であり、百科事典の出典として使うのはよろしくないでしょう。)--切干大根会話2018年11月12日 (月) 22:24 (UTC)[返信]
  • 返信 (tail_furryさん宛) 番組のアーカイブがあるような場合では、分野によってはたしかに出典として使用可能な場合もあるとは思います(WP:RS#大衆文化やフィクションなど)。ただ、「ウィキペディアの記事は、事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源に基いて書く」(WP:SOURCES)ということになっているのですが、「歴史」について『世界ふしぎ発見』が「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる」かといえば、そうではなさそうです。切干大根さんが仰っているように、逆に学術書のような書籍については「事実確認と正確さについて定評のある、信用できる第三者情報源」なので、これを使うことには問題ないということになります。『世界ふしぎ発見』には「見ててひどい」ということもあるわけで、嘘が含まれている確率の高い情報をあえて百科事典という形で広めることはないのではないかと思っています。--伊佐坂安物会話/履歴) 2018年11月12日 (月) 23:03 (UTC)(追記) タグの不備を修正していただきありがとうございました。--伊佐坂安物会話/履歴2018年11月13日 (火) 01:22 (UTC)[返信]

出典付き記述の除去について[編集]

先日から、出典付きの記述の除去を強行する編集が香川二郎氏によって行われておりますが([3],[4])、その編集の妥当性については会話ページにおいてご当人に問うておりますので、そのことをここでも一応お知らせしておきます。なお香川二郎氏についてはWikipedia:コメント依頼/香川二郎も提出しました。--Leonidjp会話2019年7月6日 (土) 09:40 (UTC)[返信]

このページでは人種差別は容認されるべきではありません[編集]

この英雄は武士ではなかったと人々は書いています。 彼がそうだったということはアフリカの口承で伝えられており、それを否定するのは人種差別的である。 当時、私たちには大学がありませんでした、これが私たちの歴史をどのように保存したか、そしてそれは尊重されるべきです--WakandaScholar会話2024年5月16日 (木) 08:54 (UTC)[返信]

Thank you for your interest in the figure of Yasuke! Unfortunately, Yasuke is a person with very limited descriptions in contemporary historical records. The main information known about him comes from three documents, each containing only a few lines. None of these documents explicitly state that Yasuke was given the status of a samurai. They only mention that he "served Nobunaga" and "received a salary from Nobunaga," which some interpret as becoming a samurai.
I am aware that Yasuke is known outside Japan as the "Black hero who became a samurai." However, it is important to note that the books that introduced Yasuke to countries outside Japan often supplement the scarce historical descriptions with rich imagination and hypotheses, resembling novels. Much of this information cannot be proven even if we wanted to.
We are not omitting descriptions because we want to discriminate. I personally believe that Yasuke was a samurai, and it makes history much more interesting. However, as Wikipedians, we cannot simply take non-historian introduction books at face value and must write content that is historically accurate and based on scholarly theories. Although Japan has many historical records, the reality is that very few records of Yasuke remain. Please understand this point.--McYata会話2024年5月18日 (土) 17:04 (UTC)[返信]
If you would like to write about the legends from Africa on this page, please separate it from the above-mentioned Japanese historical context and clearly state, "In Africa, there is a tradition that says ○○." Of course, you will need to provide a citation from a "reliable source."--McYata会話2024年5月18日 (土) 17:08 (UTC)[返信]

ロックリー・トーマス氏の「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」について[編集]

ロックリー・トーマス氏の著作「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」は、弥助が信長に仕えた1年の資料が数が少なかったため、[1][要非一次資料]著者が判明している史実を分析し、まったく知られていない部分を他の文献から推理して、空白のピースを埋めた物語形式で描かれ[2][要非一次資料]、著者による仮説が多分に含まれる。著書の中で、ある出来事に弥助が関わったどうか不明な場合には、信長一族が関わっていた史実のうち、弥助はどのような出来事に参加する可能性が高いかという視点で判断したと書かれている。[3][要非一次資料] また、様々な仮説を立て、「弥助は信長のそば近くに置かれていた」「弥助は、高貴な人々との会談や軍事戦略には参加しなかった」「弥助は小姓衆とともに、鷹狩りや遠乗りといった信長が好む武芸をからめた遊びに参加していた」[4][要非一次資料]などを想定して弥助の人生の再現を試みた著書である。[5][要非一次資料]

  1. ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.45
  2. ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.9
  3. ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.47
  4. ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.48
  5. ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.49