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'''株式会社エニックス'''(''ENIX Corporation'')は、かつて存在した[[ゲームソフト|ゲームソフトウェア]]制作会社、[[出版社]]。現在の[[スクウェア・エニックス]]の前身。
'''株式会社エニックス'''(''ENIX Corporation'')は、かつて存在した[[ゲームソフト|ゲームソフトウェア]]制作会社、[[出版社]]。現在の[[スクウェア・エニックス]]の前身。


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*[[1994年]] - [[月刊少年ギャグ王]]
*[[1994年]] - [[月刊少年ギャグ王]]
*[[2001年]] - [[月刊ガンガンWING]]・[[月刊ステンシル]](休刊)
*[[2001年]] - [[月刊ガンガンWING]]・[[月刊ステンシル]](休刊)


=== エニックスお家騒動 ===
[[2001年]][[6月]]、エニックスのコミック部門の生みの親であり当時の出版事業部長[[保坂嘉弘]]を始めとした一部の『[[月刊少年ガンガン]]』編集部員(主に本誌・姉妹誌での編集長・副編集長経験者)がエニックスから独立、株式会社[[マッグガーデン]]を設立し『[[月刊コミックブレイド]]』を創刊する。その際に、当時のエニックス主力専属作家の多くを引き抜き、マッグガーデンに移籍させた。

そのため、エニックス系列の雑誌では中途半端な連載終了が相次ぎ、特に移籍が著しかったガンガンWINGでは連載作品の8割が終了した。移籍作品のほとんどが主力作品であったため、ファンから存続が危ぶまれた<ref>[[少年ガンガン]]の『[[まもって守護月天!]]』、[[ガンガンWING]]の『[[ワールドエンド・フェアリーテイル]]』、[[月刊ステンシル]]の『[[ARIA#AQUAについて|AQUA]]』など。また、[[月刊Gファンタジー]]の『[[最遊記]]』や『[[LOVELESS]]』などは、後述のとおり[[一迅社|一賽舎]]の『[[コミックZERO-SUM]]』に移籍。</ref>。

その際『月刊少年ガンガン』や『月刊ガンガンWING』等において連載中だった作品の名を冠する続編なども存在したため、エニックスは編集者のコネクションを利用した不当な引き抜き行為とし、2001年[[10月]]に[[マッグガーデン]]によるコミック誌の発行の差し止めを主な内容とする[[仮処分|仮処分命令]]を[[東京地方裁判所]]に申し立てた。

その後、[[2003年]][[3月]]に以下の項目を条件に和解を締結した。
*マッグガーデンの業務に干渉しないこと
*マッグガーデンの非常勤取締役2名の指名権を得ること
*マッグガーデンの発行済み株式の50%を譲り受けること
*エニックスの雑誌で連載されていた作品に「企画・プロデュース エニックス」と記載すること
*マッグガーデンが上場・店頭登録するまで前記の作品の小売価格の1割をエニックスが得ること等
現在は、マッグガーデンが[[マザーズ]]に上場したことにより、上記の和解条件は終了している。

さらにエニックスとマッグガーデン両社の係争中に、当時の『月刊Gファンタジー』編集長・[[杉野庸介]]が[[峰倉かずや]]、[[遠藤海成]]、[[高河ゆん]]ら同誌看板・主力作家陣を連れて独立([[一迅社|一賽社]]を設立)した。しかし、<!--推測は要りません→マッグガーデンの件でエニックスが混乱している最中だったからか、連れて出した作家が一部を除き非専属作家だった(峰倉、高河など)からか、あるいは峰倉・遠藤以外([[堤抄子]]、[[上田信舟]]など)は同誌との掛け持ちを認めた上この2人の同誌との掛け持ちもいずれ解禁するという方針を出した(ただし、この2人についてはなし崩し的に破棄されたも同然となった)からか、-->あっさりと独立が認められたうえ、独立に対するエニックス系読者の反発も少なかったという。このことから、この独立劇は保坂と比べ杉野の判断と手際の良さが目立ったものだったと言えよう。

==== 主な移籍作家(マッグガーデンへ移籍) ====
{|
|valign=top|
*[[浅野りん]](少年ガンガン・WING)
*[[東まゆみ]](少年ガンガン)
*[[天野こずえ]](ステンシル)
*[[木下さくら]](少年ガンガン)
*[[黒乃奈々絵]](ガンガン)
|valign=top|
*[[久保聡美]](WING)
*[[桜野みねね]](少年ガンガン・WING)
*[[箱田真紀]](WING)
*[[よしむらなつき]](少年ガンガン)
*[[藤野もやむ]]
|}

==== 主な移籍作品 ====
*[[ARIA#AQUAについて|AQUA]](ステンシル)→[[ARIA]] / 天野こずえ
*[[魔探偵ロキ]](ガンガン)→[[魔探偵ロキ|魔探偵ロキRAGNAROK]] / 木下さくら
*[[tactics]](Gファンタジー)/木下さくら・東山和子
*[[ワールドエンドフェアリーテイル]](WING)→[[ワールドエンドフェアリーテイルアフター]]/ 箱田真紀
*[[まもって守護月天!]](ガンガン)→[[まもって守護月天!|まもって守護月天!~再逢~]]/ 桜野みねね
*[[常習盗賊改め方 雛菊見参!]](WING)→ ひなぎく見参!一本桜花町編/ 桜野みねね
*[[新撰組異聞PEACE MAKER]](ガンガン) → [[PEACE MAKER鐵]]/ [[黒乃奈々絵]]
*パンゲア(WING)→パンゲアエゼル/ 浅野りん
*[[ジンキ]](WING)→[[ジンキ・エクステンド]]/ [[綱島志朗]]

==== 主な移籍作家(一賽舎へ移籍) ====
*[[峰倉かずや]]
*[[遠藤海成]]
*[[高河ゆん]]
*[[たつねこ]]
*[[魔神ぐり子]]
*[[水谷悠珠]](以上、Gファンタジー)

==== 主な移籍作品 ====
*[[最遊記]](Gファンタジー)→[[最遊記RELOAD]]/ 峰倉かずや
*[[破天荒遊戯]](Gファンタジー)→破天荒遊戯/ 遠藤海成
*BELOVED(Gファンタジーにて第1話のみ掲載)→[[LOVELESS]]/ 高河ゆん
*[[ペンデュラム (漫画)|ペンデュラム]](Gファンタジー)→連載休止/ たつねこ


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2008年5月28日 (水) 06:41時点における版

株式会社エニックスENIX Corporation)は、かつて存在したゲームソフトウェア制作会社、出版社。現在のスクウェア・エニックスの前身。

1975年設立。2002年3月31日当時の資本金は69億4,080万400円。

概要

1975年9月22日福嶋康博が住宅情報誌等を発行する出版社、株式会社営団社募集サービスセンターを設立。その子会社としてソフトウェア制作会社、エニックスを設立。『ドラゴンクエストシリーズ』を発売して成功し、以後家庭用ゲーム機向けのソフトメーカーとして名を馳せた。パソコン向けにもゲームを発売している。

2003年4月1日付けで、スクウェアと合併しスクウェア・エニックスとなった。

社名の由来は世界初のデジタルコンピュータと言われている「ENIAC(エニアック)」と不死鳥「PHOENIX」を足したものである。

沿革

  • 1975年9月 - 株式会社営団社募集サービスセンター設立。
  • 1980年2月 - 株式会社営団社不動産(後に株式会社営団社システムに商号変更)を設立。
  • 1982年8月 - 株式会社営団社システムの商号を株式会社エニックスに変更。
  • 1983年10月 - 小西六写真工業(現コニカミノルタホールディングス)との合弁により株式会社小西六エニックスを設立。
  • 1987年10月 - 株式会社小西六エニックスの商号をコニカエニックス株式会社に変更。
  • 1988年3月 - 出版物、キャラクター商品販売の子会社としてエニックスプロダクツ株式会社設立。
  • 1989年1月 - コニカエニックスを100%子会社化。
  • 1989年4月 - エニックス、コニカエニックス、エニックスプロダクツを営団社募集サービスセンターに吸収合併し、商号を株式会社エニックスに変更。
  • 1991年2月 - 株式店頭公開。
  • 1996年8月 - 東京都渋谷区代々木四丁目31番8号に本社ビル(現スクウェア・エニックス初台ビル)を建設。
  • 1999年8月 - 東京証券取引所一部上場。
  • 2003年4月 - 株式会社エニックスが、株式会社スクウェアを吸収合併し、商号を株式会社スクウェア・エニックスに変更。(存続会社は、株式会社エニックス。)

優秀なクリエイターの発掘

自社開発が主流であった日本のゲームソフト業界に新しい風を持ち込んだのが、1982年に実施した第1回ゲーム・ホビープログラムコンテストである。賞金総額300万円(最優秀賞100万円)を用意したこのイベントには後のゲーム界を担う人材が参加している。

最優秀プログラム賞は森田和郎(後に「森田和郎の将棋」で著名になっている)の『森田のバトルフィールド』、優秀プログラム賞の2人のうち一人は中村光一で『ドアドア』で入賞。入選プログラム賞の中に『ラブマッチテニス』で受賞した堀井雄二の名前もあった。コンテスト受賞作から前記3作の他『マリちゃん危機一髪』『宇宙の戦士』など当時のヒット作が続々生まれている。

この後エニックスは、ファミコンに参入し、『ドラゴンクエスト』のヒットでゲーム企業として地位を固め、『ドラゴンクエスト』シリーズをドル箱ゲームシリーズとして発展していった。

なお、エニックスは自社にプログラマを持たず、外部への委託開発を行うゲームパブリッシャーの立場となっていた。現スクウェア・エニックスにおいても、旧エニックス系の流れを汲むゲームシリーズの開発においては、現在も外部への委託となっている。

また、エニックス社内には、ドラクエシリーズ専門の部署である『ドラクエ課』(現・スクウェア・エニックス 第9開発事業部)が存在した。

なお、ドラクエに関連して、ゲーム部門と出版部門の仲が悪いと言われており(ドラクエ関連の情報解禁は週刊少年ジャンプやその関連雑誌から行われ、第一報は集英社が独占的に掲載している。エニックス発行の雑誌で解禁されるのはかなり後になってからである)、そのためかエニックスで出版された漫画作品が他社(子会社や関連会社でもない、完全な競合他社)でゲーム化されるといったことも起きている。

ゲーム

パーソナルコンピュータ用ソフト

ファミリーコンピュータ用ソフト

スーパーファミコン用ソフト

ゲームボーイ用ソフト

NINTENDO64用ソフト

セガサターン用ソフト

プレイステーション用ソフト

プレイステーション2用ソフト

ゲームボーイアドバンス用ソフト

漫画雑誌

関連項目

参考文献

  • 「上場申請のための有価証券報告書」株式会社マッグガーデン、2003年

その他

1998年、漫画家、声優などの新人発掘を目指し「エニックスアニメ大賞」というオーディションを開催した。野川さくら今井麻美早水リサなどはその受賞者であるが、上記の受賞者以外はその事実をほとんど公表していない。

脚注