コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「F-1 (航空機)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cambions (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Mackacka (会話 | 投稿記録)
m 文章の調整
3行目: 3行目:


== 開発経緯 ==
== 開発経緯 ==
1960年代当時、アメリカ空軍では戦闘機パイロットの養成には超音速高等練習機が必要であると言う考え方があった。だからといってそのために高等練習機を新規開発したわけではなく、ノースロップのプライベートベンチャーであるN-156F(後のF-5、T-38)があっての話である。超音速飛行そのものが特殊であるとされた時代の認識を引きずったものであり、アメリカ空軍ですらT-38を用いての訓練でもほとんど超音速を用いなかったのだから現代からすれば回り道をしたともとれる事柄ではあるが、この論そのものは日本の航空機開発戦闘機搭乗員養成に大きな影響を与えた。同時期に英仏共同で超音速練習機攻撃機を開発し高い費用対効果を上げようと言う試みは国内開発へのはずみにもなったものの、前回のFXの候補のひとつでありF-104に敗れたN-156Fが航空自衛隊の超音速練習機採用に合わせて再び売り込みを掛けてきていた。防衛庁内には[[アメリカ合衆国空軍|米空軍]]のT-38/[[F-5 (戦闘機)|F-5]]を導入するべきだと強力に主張する勢力がおり、また制服組からも純技術的経済的問題から国内開発を疑問視する声があがっていた。コスト的にはT-38/F-5が優勢であったが「国内の航空産業と若い技術者の育成、飛躍を目的とする」とした意見が通り、国内開発が決定され
[[1960年代]]当時、[[アメリカ合衆国空軍|アメリカ空軍]]では戦闘機[[パイロット]]の養成には超音速高等練習機が必要であると言う考え方があった。だからといってそのために高等練習機を新規開発したわけではなく、[[ノースロップ]]のプライベートベンチャーであるN-156F(後の[[F-5 (戦闘機)|F-5]]、T-38)があっての話である。超音速飛行そのものが特殊であるとされた時代の認識を引きずったものであり、アメリカ空軍ではせっかく採用したT-38を用いての訓練でもほとんど超音速を用いなかったのだから現代からすれば回り道をしたともとれる事柄ではあるが、この論そのものは日本の航空機開発戦闘機搭乗員養成に大きな影響を与えた。
同時期に[[イギリス|]][[フランス|]]共同で超音速練習機/[[攻撃機]]を開発し高い費用対効果を上げようと言う試みは国内開発へのはずみにもなったものの、前回のFXの候補のひとつであり、[[F-104 (戦闘機)|F-104]]に敗れたN-156Fが航空自衛隊の超音速練習機採用に合わせて再び売り込みを掛けてきていた。防衛庁内には[[アメリカ合衆国空軍|米空軍]]のT-38/[[F-5 (戦闘機)|F-5]]を導入するべきだと強力に主張する勢力がおり、また制服組からも純技術的経済的問題から国内開発を疑問視する声があがっていた。コスト的にはT-38/F-5が優勢であったが「国内の航空産業と若い技術者の育成、飛躍を目的とする」とした意見が通り、国内開発が決定され


[[日本]]では、それまで支援戦闘機として使用していた[[F-86 (戦闘機)|F-86F]]が航続距離が短かったこと、兵装搭載量が少なく、対地・対艦攻撃能力があまりに低かったことと、第1世代のために老朽化で近々用途廃止になる機体が出てくることから、後継機を超音速高等練習機とその派生型である攻撃機型で充てる計画を立てた。それに伴い超音速高等練習機T-2の開発完了直後から次期支援戦闘機開発計画を開始し、T-2からFS-Xを改造開発することとなった。このため改造に供されたT-2は'''FS-T2改'''と呼ばれた。
[[日本]]では、それまで支援戦闘機として使用していた[[F-86 (戦闘機)|F-86F]]が航続距離が短かったこと、兵装搭載量が少なく、対地・対艦攻撃能力があまりに低かったことと、第1世代のために老朽化で近々用途廃止になる機体が出てくることから、後継機を超音速高等練習機とその派生型である攻撃機型で充てる計画を立てた。それに伴い超音速高等練習機T-2の開発完了直後から次期支援戦闘機開発計画を開始し、T-2からFS-Xを改造開発することとなった。このため改造に供されたT-2は'''FS-T2改'''と呼ばれた。
16行目: 18行目:
[[1972年]]([[昭和]]47)[[2月7日]]の国防会議で策定した第四次防衛力整備計画によって、次期支援戦闘機FS-Xを68機調達する事となり、開発が決定した。翌年には[[1974年]](昭和49)度予算に2機分すでの試作が認められたため、[[三菱重工業]]は生産ラインにあったT-2の6号機(59-5106)と7号機(5107)をFS-T2改のプロトタイプとして改造することにした。[[1975年]](昭和50)[[6月3日]]に火気管制装置など電子機器実験機の#107が初飛行、[[6月7日]]に性能試験、飛行特性試験、フラッター試験機の#106が飛行した。なお、機体システムに支出された予算は4億2000万円、電子装置には7億6300万円で、機体改造は最小限にとどめ、電子機器の開発に力を入させれたことが分かる。
[[1972年]]([[昭和]]47)[[2月7日]]の国防会議で策定した第四次防衛力整備計画によって、次期支援戦闘機FS-Xを68機調達する事となり、開発が決定した。翌年には[[1974年]](昭和49)度予算に2機分すでの試作が認められたため、[[三菱重工業]]は生産ラインにあったT-2の6号機(59-5106)と7号機(5107)をFS-T2改のプロトタイプとして改造することにした。[[1975年]](昭和50)[[6月3日]]に火気管制装置など電子機器実験機の#107が初飛行、[[6月7日]]に性能試験、飛行特性試験、フラッター試験機の#106が飛行した。なお、機体システムに支出された予算は4億2000万円、電子装置には7億6300万円で、機体改造は最小限にとどめ、電子機器の開発に力を入させれたことが分かる。


機体自体に大きな変更を加えられておらず、基本データはXT-2のときに取得済みだったので、#106の試験は早々と終了し、2機による電子機器の試験が行われた。翌7月からは飛行実験団(APW)と防衛庁技術研究本部(TRDI)による技術試験が行われたが、こちらも翌[[1976年]](昭和51)3月に終了した。さらに8ヶ月にわたって実用試験が行われた後、[[11月12日]]に部隊使用が認可され、'''F-1'''の名が与えられた。量産1号機のロールアウトに際しては音楽隊により宇宙戦艦ヤマトのテーマが演奏された。
機体自体に大きな変更を加えられておらず、基本データはXT-2のときに取得済みだったので、#106の試験は早々と終了し、2機による電子機器の試験が行われた。翌7月からは飛行実験団(APW)と防衛庁技術研究本部(TRDI)による技術試験が行われたが、こちらも翌[[1976年]](昭和51)3月に終了した。さらに8ヶ月にわたって実用試験が行われた後、[[11月12日]]に部隊使用が認可され、'''F-1'''の名が与えられた。量産1号機のロールアウトに際しては音楽隊により、[[宇宙戦艦ヤマト]]のテーマが演奏された。


試験に使用された2機のT-2特別仕様機は、量産化改造されずにAPWに残され、新兵器開発に利用された。
なお、試験に使用された2機のT-2特別仕様機は、量産化改造されずにAPWに残され、新兵器開発に利用された。


時期によって増減はあるが、100機の調達を目指したところで56中業でFSX24機の予算が盛り込まれ、その分を差し引いた76機の調達となり、最終的には77機が生産、築城・小松・三沢など各地の飛行隊に配備された。戦闘機の配備数としては決して多くはないが、T-2高等練習機とほぼ同一の機体であることから、両機を合わせれば173機(T-2は96機)の生産となり、大量生産による価格低減は達成されている。開発費用の超過は当初予定の数パーセントに抑えられており、F-1の一機あたりの価格は開発費込みで平均26億円と見られている。
時期によって増減はあるが、100機の調達を目指したところで56中業でFSX24機の予算が盛り込まれ、その分を差し引いた76機の調達となり、最終的には77機が生産、築城・小松・三沢など各地の飛行隊に配備された。戦闘機の配備数としては決して多くはないが、T-2高等練習機とほぼ同一の機体であることから、両機を合わせれば173機(T-2は96機)の生産となり、大量生産による価格低減は達成されている。開発費用の超過は当初予定の数パーセントに抑えられており、F-1の一機あたりの価格は開発費込みで平均26億円と見られている。


[[イギリス]]の航空雑誌はF-1の発表の際、かつて[[零式艦上戦闘機]](ゼロ戦)を開発した三菱が、再び戦闘機を開発したと言うことで、「ゼロから1へ」と揶揄していたが、ジャギア開発の前夜、マッハ1.7の超音速練習機の計画段階で大げさにも可変翼を搭載するとか言っていたイギリス人に言われる筋合いは無い
[[イギリス]]の航空雑誌はF-1の発表の際、かつて[[零式艦上戦闘機]](ゼロ戦)を開発した三菱が、再び戦闘機を開発したと言うことで、「ゼロから1へ」と揶揄していた。


=== 配属飛行隊 ===
=== 配属飛行隊 ===
42行目: 44行目:
T-2の特性はそのまま受け継いでいる。ただし、風防は低空侵攻任務が多くなることからバードストライク対策として強化型のワンピースタイプに変更されている。ただしT-2にも同種のワンピースタイプを装備した機体はあった。
T-2の特性はそのまま受け継いでいる。ただし、風防は低空侵攻任務が多くなることからバードストライク対策として強化型のワンピースタイプに変更されている。ただしT-2にも同種のワンピースタイプを装備した機体はあった。


英仏共同開発の[[攻撃機]][[ジャギュア (攻撃機)|ジャギュア]]にシルエットが似ているといわれるが、同一のエンジンで近似の速度要求となれば重心配置や空力的特性は似たようなものとならざるを得ない。当時の重いエンジンを重心に配置したままテールブームを伸ばして尾翼との距離をとり、排気ノズル後方でいわゆるペン・ニブ型の処理を行うのは、ジャギアにせよT-2/F-1にせよF-4ファントムIIで採られた手法の援用である。実際のところ日本はT-2において高等練習機としての性能を求め、ジャギアはイギリス空軍、フランス空軍、フランス海軍各型合わせて200機の攻撃機型のついでに高等練習機を設定したということである。T-2/F-1の横操縦には三菱お得意の全スポイラー方式が用いられ、低速から高速、大迎え角まで良好な舵の効きを確保したが、その一方で主翼内を燃料タンクとすることができなくなった(ジャギアの機内搭載燃料4,200リットルに対してF-1は3,823リットル)。このような運動性、または練習機としてのプライオリティは座席配置からも読み取ることができるもので、日本はT-2の後席を潰して電子機器室とし、ジャギアは単座型の機首に前席を追加した。
英仏共同開発の[[攻撃機]][[ジャギュア (攻撃機)|ジャギュア]]にシルエットが似ているといわれるが、同一のエンジンで近似の速度要求となれば重心配置や空力的特性は似たようなものとならざるを得ない。当時の重いエンジンを重心に配置したままテールブームを伸ばして尾翼との距離をとり、排気ノズル後方でいわゆるペン・ニブ型の処理を行うのは、ジャギアにせよT-2/F-1にせよ、[[F-4 (戦闘機)|F-4 ファントムII]]で採られた手法の援用である。実際のところ日本はT-2において高等練習機としての性能を求め、ジャギアはイギリス空軍、フランス空軍、フランス海軍各型合わせて200機の攻撃機型のついでに高等練習機を設定したということである。T-2/F-1の横操縦には三菱お得意の全スポイラー方式が用いられ、低速から高速、大迎え角まで良好な舵の効きを確保したが、その一方で非常に薄い主翼内を燃料タンクとすることができなくなった(ジャギアの機内搭載燃料4,200リットルに対してF-1は3,823リットル)。このような運動性、または練習機としてのプライオリティは座席配置からも読み取ることができるもので、日本はT-2の後席を潰して電子機器室とし、ジャギアは単座型の機首に前席を追加した。


=== 電子機器 ===
=== 電子機器 ===
69行目: 71行目:
=== エンジン ===
=== エンジン ===


島国の日本において来寇する敵を迎撃しようとすれば洋上に出るしかなく、ジェット戦闘機の発着できる滑走路が軍用、民間を合わせても限られる国情から、航空自衛隊の運用における安全性への要求は艦上機のそれに近い。単発の[[F-104 (戦闘機)|F-104J]]の墜落事故が多発したこともあり、防衛庁では双発を望む声が強かった。当初からエンジンがロールスロイス/チュルボメカ アドーア(ロールスロイス/チュルボメカはロールスロイスとフランスの小型タービンメーカー、チュルボメカとの合弁企業。アドーアはフランス南西部の川の名前で、国際共同開発にあたってエンジンに河川名をつけるロールスロイスの流儀にフランスが合わせたもの。基本設計はロールスロイスでありアメリカ、インド、オマーン、エクアドル、ナイジェリアなどに輸出されている。別にフランス語でテクニカルオーダーが書かれている訳ではない)が最有力候補とされたが、ネラルエレクトリック社はGE1/J1A1を引っさげて対抗馬としての名乗りをあげた。しかし開発途上(のちに中止)のために現物が存在せず早々に脱落、1968年2月15日にアドーアがXT-2用エンジンとして採用され、それがそのままF-1にも引き継がれることとなる。航空自衛隊の拘った双発機の安全性であるが、後の[[F-2 (支援戦闘機)|F-2]]ではネラルダイナミクス社の単発機の安全性優位の主張を認めている(事実、F-16の事故率は双発機よりも低い)。
島国の日本において来寇する敵を迎撃しようとすれば洋上に出るしかなく、ジェット戦闘機の発着できる滑走路が軍用、民間を合わせても限られる国情から、航空自衛隊の運用における安全性への要求は艦上機のそれに近い。また、単発の[[F-104 (戦闘機)|F-104J]]の墜落事故が多発したこともあり、防衛庁では双発を望む声が強かった。当初からエンジンが[[ロールスロイス]]/チュルボメカ アドーア(ロールスロイス/チュルボメカはロールスロイスとフランスの小型タービンメーカー、チュルボメカとの合弁企業。アドーアはフランス南西部の川の名前で、国際共同開発にあたってエンジンに河川名をつけるロールスロイスの流儀にフランスが合わせたもの。基本設計はロールスロイスであり、[[アメリカ合衆国|米国]][[インド]][[オマーン]][[エクアドル]][[ナイジェリア]]などに輸出されている。<!--別にフランス語でテクニカルオーダーが書かれている訳ではない-->)が最有力候補とされたが、米[[ジェネラルエレクトリック]]社はGE1/J1A1を引っさげて対抗馬としての名乗りをあげた。しかし開発途上(のちに中止)のために現物が存在せず早々に脱落[[1968年]][[2月15日]]にアドーアがXT-2用エンジンとして採用され、それがそのままF-1にも引き継がれることとなる。航空自衛隊の拘った双発機の安全性であるが、後の[[F-2 (支援戦闘機)|F-2]]ではジェネラルダイナミクス社の単発機の安全性優位の主張を認めている(事実、F-16の事故率は従来の双発機よりも低い)。


F1はT-2から改造開発された機体であり、電子機器の搭載をはじめ各種改造によって自重は6,197キロから6,550キロへ、全備重量は11,464キロから14,000キロに増加した。アドーア自体は同時期の同規模のアメリカ製エンジンに比して圧倒的に燃費が良く、F-1やジャギア以外にもホーク練習機にも採用され2,500基以上が生産された傑作エンジンである。初期型のRT172 Mk102(T-2/F-1のTF40-IHI-801Aと同型)はA/B推力7,303ポンドだが、最新版のRT.172Mk871はA/B出力で11,249ポンドに達する。ジャギアは段階的にエンジンを強化型に載せ換えているが、F-1ではエンジンの出力強化は一切なされず、日本製兵器の常として恒常的アップデートを行うための予算は支出されずじまいだった。このため、武装や機外搭載物の無いクリーン状態はともかく、いったん攻撃兵装を満載したF-1は原型機であるT-2にくらべて極端に運動性能が低下した。
F1はT-2から改造開発された機体であり、電子機器の搭載をはじめ各種改造によって自重は6,197キロから6,550キロへ、全備重量は11,464キロから14,000キロに増加した。アドーア自体は同時期の同規模のアメリカ製エンジンに比して圧倒的に燃費が良く、F-1やジャギア以外にもホーク練習機にも採用され2,500基以上が生産された傑作エンジンである。初期型のRT172 Mk102(T-2/F-1のTF40-IHI-801Aと同型)はA/B推力7,303ポンドだが、最新版のRT.172Mk871はA/B出力で11,249ポンドに達する。ジャギアは段階的にエンジンを強化型に載せ換えているが、F-1ではエンジンの出力強化は一切なされず、日本製兵器の常として恒常的アップデートを行うための予算は支出されずじまいだった。このため、武装や機外搭載物の無いクリーン状態はともかく、いったん攻撃兵装を満載したF-1は原型機であるT-2にくらべて極端に運動性能が低下した。

2005年10月6日 (木) 10:28時点における版

F-1支援戦闘機、岩国基地

F-1えふわん・えふいち)はT-2高等練習機を元に開発され航空自衛隊で使用される支援戦闘機。愛称は特にない。初飛行は1977年。製造は三菱重工業第二次世界大戦終結後、初めて独自開発した戦闘機である。

開発経緯

1960年代当時、アメリカ空軍では「戦闘機パイロットの養成には超音速高等練習機が必要である」と言う考え方があった。だからといってそのために高等練習機を新規開発したわけではなく、ノースロップのプライベートベンチャーであるN-156F(後のF-5、T-38)があっての話である。超音速飛行そのものが特殊であるとされた時代の認識を引きずったものであり、アメリカ空軍ではせっかく採用したT-38を用いての訓練でも、ほとんど超音速を用いなかったのだから、現代からすれば回り道をしたともとれる事柄ではあるが、この論そのものは日本の航空機開発と戦闘機搭乗員養成に大きな影響を与えた。

同時期に共同で超音速練習機/攻撃機を開発し、高い費用対効果を上げようと言う試みは、国内開発へのはずみにもなったものの、前回のFXの候補のひとつであり、F-104に敗れたN-156Fが、航空自衛隊の超音速練習機採用に合わせて再び売り込みを掛けてきていた。防衛庁内には米空軍のT-38/F-5を導入するべきだと強力に主張する勢力がおり、また制服組からも純技術的経済的問題から国内開発を疑問視する声があがっていた。コスト的にはT-38/F-5が優勢であったが「国内の航空産業と若い技術者の育成、飛躍を目的とする」とした意見が通り、国内開発が決定された。

日本では、それまで支援戦闘機として使用していたF-86Fが航続距離が短かったこと、兵装搭載量が少なく、対地・対艦攻撃能力があまりに低かったことと、第1世代のために老朽化で近々用途廃止になる機体が出てくることから、後継機を超音速高等練習機とその派生型である攻撃機型で充てる計画を立てた。それに伴い超音速高等練習機T-2の開発完了直後から次期支援戦闘機開発計画を開始し、T-2からFS-Xを改造開発することとなった。このため改造に供されたT-2はFS-T2改と呼ばれた。

T-2からFS-T2改への改造点として、以下が挙げられる。

  • 複座から単座へ変更。
  • 対地爆撃能力の付与。
  • 慣性航法装置の搭載。
  • レーダー警戒装置の搭載。
  • 電波高度計の搭載。

1972年昭和47)2月7日の国防会議で策定した第四次防衛力整備計画によって、次期支援戦闘機FS-Xを68機調達する事となり、開発が決定した。翌年には1974年(昭和49)度予算に2機分すでの試作が認められたため、三菱重工業は生産ラインにあったT-2の6号機(59-5106)と7号機(5107)をFS-T2改のプロトタイプとして改造することにした。1975年(昭和50)6月3日に火気管制装置など電子機器実験機の#107が初飛行、6月7日に性能試験、飛行特性試験、フラッター試験機の#106が飛行した。なお、機体システムに支出された予算は4億2000万円、電子装置には7億6300万円で、機体改造は最小限にとどめ、電子機器の開発に力を入させれたことが分かる。

機体自体に大きな変更を加えられておらず、基本データはXT-2のときに取得済みだったので、#106の試験は早々と終了し、2機による電子機器の試験が行われた。翌7月からは飛行実験団(APW)と防衛庁技術研究本部(TRDI)による技術試験が行われたが、こちらも翌1976年(昭和51)3月に終了した。さらに8ヶ月にわたって実用試験が行われた後、11月12日に部隊使用が認可され、F-1の名が与えられた。量産1号機のロールアウトに際しては音楽隊により、宇宙戦艦ヤマトのテーマが演奏された。

なお、試験に使用された2機のT-2特別仕様機は、量産化改造されずにAPWに残され、新兵器開発に利用された。

時期によって増減はあるが、100機の調達を目指したところで56中業でFSX24機の予算が盛り込まれ、その分を差し引いた76機の調達となり、最終的には77機が生産、築城・小松・三沢など各地の飛行隊に配備された。戦闘機の配備数としては決して多くはないが、T-2高等練習機とほぼ同一の機体であることから、両機を合わせれば173機(T-2は96機)の生産となり、大量生産による価格低減は達成されている。開発費用の超過は当初予定の数パーセントに抑えられており、F-1の一機あたりの価格は開発費込みで平均26億円と見られている。

イギリスの航空雑誌はF-1の発表の際、かつて零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を開発した三菱が、再び戦闘機を開発したと言うことで、「ゼロから1へ」と揶揄していた。

配属飛行隊

当初の計画では4個飛行隊126機を配備するはずであった。しかし予算ではそのうちの半数が取得できる程度であり、最終的には3個飛行隊77機にとどまった。

後継機となるF-2A/Bの配備が、F-1の耐用時間よりも遅くなることが明らかになり、三沢基地のF-1は1997年に用途廃止が出ることに合わせて、F-15J/DJの配備で余剰となった小松基地第306飛行隊のF-4EJ改が、支援戦闘機として3月31日に第8飛行隊に移った。

F-2は2000年10月から第3飛行隊に配備が始まり、2001年3月27日に第3飛行隊はF-2へ転換された。

築城基地第8航空団第6飛行隊のF-1は2003年11月の60-8274号機を最後にIRAN(製造企業による定期修理)が行われ無いため、2005年度末までに用途廃止となる。

機体

機体は、T-2からの変化としては後部座席を取り外して電子機器を搭載したこと以外、大きな変化は無く、 T-2の特性はそのまま受け継いでいる。ただし、風防は低空侵攻任務が多くなることからバードストライク対策として強化型のワンピースタイプに変更されている。ただしT-2にも同種のワンピースタイプを装備した機体はあった。

英仏共同開発の攻撃機ジャギュアにシルエットが似ているといわれるが、同一のエンジンで近似の速度要求となれば重心配置や空力的特性は似たようなものとならざるを得ない。当時の重いエンジンを重心に配置したままテールブームを伸ばして尾翼との距離をとり、排気ノズル後方でいわゆるペン・ニブ型の処理を行うのは、ジャギアにせよT-2/F-1にせよ、F-4 ファントムIIで採られた手法の援用である。実際のところ、日本はT-2において高等練習機としての性能を求め、ジャギアはイギリス空軍、フランス空軍、フランス海軍各型合わせて200機の攻撃機型のついでに高等練習機を設定したということである。T-2/F-1の横操縦には三菱お得意の全スポイラー方式が用いられ、低速から高速、大迎え角まで良好な舵の効きを確保したが、その一方で非常に薄い主翼内を燃料タンクとすることができなくなった(ジャギアの機内搭載燃料4,200リットルに対してF-1は3,823リットル)。このような運動性、または練習機としてのプライオリティは座席配置からも読み取ることができるもので、日本はT-2の後席を潰して電子機器室とし、ジャギアは単座型の機首に前席を追加した。

電子機器

追加搭載された電子機器を以下に挙げる。

  • J/ASQ-1 兵装投下管制コンピュータ
  • J/ASN-1 管制航法装置(INS)
  • J/AWA-1 対艦ミサイル管制装置(ASM-1対応)
  • J-APN-44 電波高度計
  • J/A24G-3 エアデータコンピュータ
  • J/APR-3 RWR
  • J/AWG-12 FCS火器管制装置(T-2はJ/AWG-11)

FCSはINSや兵装投下管制コンピュータ、電波高度計などとリンクして、ヘッドアップディスプレイ(HUD)に表示できる。これらによって、地上からの航法支援が無くとも敵レーダー領域をかいくぐっての攻撃が可能となった。

武装

武装は、固定武装に20ミリバルカン砲JM61A1を一機搭載、兵装ポイントは胴体下部中央に1つ、両翼下部に2つずつ、両翼先端に1つずつ計7箇所にある。

対艦戦闘時にはF-1と同時開発した国産の空対艦ミサイルASM-1(80式空対艦誘導弾)を両翼下部ランチャーに2発装備できる。ASM-1はF-1からの慣性誘導と、終末期のアクティブレーダー誘導、ロケットによる推進によって約50kmの射程を持つ。後に開発された、ターボジェットを搭載して射程を80kmに延ばしたASM-2(93式空対艦誘導弾)も搭載可能である。

対地攻撃用には最大で750ポンド(340㎏)爆弾JM117を5発、500ポンド(225㎏)Mk.82を胴体下に4射出架を介して4発、両翼に2射出架を介して4発ずつ計12発を搭載できる。これらは赤外線誘導装置GCS-1を取り付けて誘導弾にすることもできる。クラスター爆弾CBU-87/Bを5発搭載できる。ロケット弾ポッドは70ミリ×19のJLAU-3、127ミリ×4のLR-4、70ミリ×7のLR-7のいづれかを4基搭載できる。またこれらを混載することも可能である。

赤外線誘導方式の短距離空対空ミサイル(AIM-9 サイドワインダー)を4発装備してスクランブル(アラート)任務にもつくことができる。セミアクティブ・レーダーホーミング方式のAIM-7(スパロー)などは運用できない。

エンジン

島国の日本において来寇する敵を迎撃しようとすれば洋上に出るしかなく、ジェット戦闘機の発着できる滑走路が軍用、民間を合わせても限られる国情から、航空自衛隊の運用における安全性への要求は艦上機のそれに近い。また、単発のF-104Jの墜落事故が多発したこともあり、防衛庁では双発を望む声が強かった。当初からエンジンがロールスロイス/チュルボメカ アドーア(ロールスロイス/チュルボメカはロールスロイスとフランスの小型タービンメーカー、チュルボメカとの合弁企業。アドーアはフランス南西部の川の名前で、国際共同開発にあたってエンジンに河川名をつけるロールスロイスの流儀にフランスが合わせたもの。基本設計はロールスロイスであり、米国インドオマーンエクアドルナイジェリアなどに輸出されている。)が最有力候補とされたが、米ジェネラル・エレクトリック社はGE1/J1A1を引っさげて対抗馬としての名乗りをあげた。しかし、開発途上(のちに中止)のために現物が存在せず早々に脱落し、1968年2月15日にアドーアがXT-2用エンジンとして採用され、それがそのままF-1にも引き継がれることとなる。航空自衛隊の拘った双発機の安全性であるが、後のF-2ではジェネラル・ダイナミクス社の単発機の安全性優位の主張を認めている(事実、F-16の事故率は従来の双発機よりも低い)。

F1はT-2から改造開発された機体であり、電子機器の搭載をはじめ各種改造によって自重は6,197キロから6,550キロへ、全備重量は11,464キロから14,000キロに増加した。アドーア自体は同時期の同規模のアメリカ製エンジンに比して圧倒的に燃費が良く、F-1やジャギア以外にもホーク練習機にも採用され2,500基以上が生産された傑作エンジンである。初期型のRT172 Mk102(T-2/F-1のTF40-IHI-801Aと同型)はA/B推力7,303ポンドだが、最新版のRT.172Mk871はA/B出力で11,249ポンドに達する。ジャギアは段階的にエンジンを強化型に載せ換えているが、F-1ではエンジンの出力強化は一切なされず、日本製兵器の常として恒常的アップデートを行うための予算は支出されずじまいだった。このため、武装や機外搭載物の無いクリーン状態はともかく、いったん攻撃兵装を満載したF-1は原型機であるT-2にくらべて極端に運動性能が低下した。

問題点

当機は北海道に上陸してくるソ連軍を撃滅するために青森県の三沢基地に配備されたが、ソ連の新型機MiG23は航続距離が長く、三沢基地を攻撃圏内に収めていた(開発中は航続距離の短いMiG21しか念頭に無かった)。有事の際は遠方の基地に配備することになるが、その場合は兵装を犠牲にして増槽を取り付けなければならず、増槽を付けると重すぎて運動能力が落ちることになってしまった。

電子機器室にした元の後席部分にキャノピーを残す案は、コスト高に繋がると採用が見送られた。そのためT-2に比べて極端に後部の視界が悪くなった。また、就役当時は世界屈指の性能を持つレーダーFCSもアップデートが行われないことから陳腐化が進み、昭和50年代後半のFSX論議の際には「性能が悪いから後継機を開発するという支援戦闘機が、能力をとわれることなく整備点検方法の見直しだけで寿命が延長するというのはどういうことか」と国会での追求も受けた。

同時開発の国産対艦ミサイルASM-1とF-1の組み合わせは「航空機による対艦ミサイル攻撃」という戦術においてアメリカ、フランスとほぼ同時期であり、世界最先端を行っていた。高翼面過重によるガストへの強さ、低空侵攻能力の高さは機体のデザインそのものがもたらす利得であり、新型旧型だけで量ることの出来ない特性だった。三沢基地にF-16が配備された後であってもその対艦攻撃力は米空軍ですら保有しないものであり、対ソ抑止力の重要な一翼を担っていたと言える。しかし戦闘機としての能力の陳腐化は当初より折込済みとはいえ対領空侵犯措置任務まで付与されるだけのものがあったかといえば疑問である。三沢基地にF-16が配備されて以降、同じく三沢に展開するF-1とのあいだでDACTが繰り返されたが、結果は悲惨なものであった。

開発当初から織り込まれたASM-1との組み合わせによる強力な対艦攻撃能力と、アドーアエンジンの良好な燃費のもたらす低空侵攻能力(空気抵抗の大きな低空を進むのに燃費が悪いと航続距離が極端に悪くなる)は一芸に秀でることで間違いなく日本の国防に寄与した。この方針に効果があったことは後継機であるF-2が、更なる対艦攻撃能力と航続距離を付与されたことからも見て取れる。後継機の選定における紆余曲折やアップデートがほとんど行われなかったことなど問題は山積していたが、実戦を経験することなく2005年度末で築城基地所属の第6飛行隊から最後のF-1が退役する。

要目

  • 全長:17.85m
  • 全幅:7.88m
  • 全高:4.45m
  • 最高速度:M1.6
  • エンジン:石川島播磨重工業TF40-IHI-801A ×2基(ロールスロイス/チュルボメカ アドーアRT.172Mk102と同等品)
  • 推力:6,400kg
  • 最大離陸重量14,000kg
  • 自重:6,550kg
  • 乗員:1名

関連項目