「今井宏 (政治家)」の版間の差分
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'''今井 宏'''(いまい ひろし、{{和暦|1941}}[[7月15日]] - )とは、[[日本]]の[[政治家]]であった。[[衆議院議員]](4期)、[[草加市]][[市長|長]](4期)、草加市議会議長、草加市市議会議員(2期)を歴任した。 |
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== 外部リンク == |
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2010年7月7日 (水) 16:23時点における版
前衆議院議員 今井 宏 | |
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生年月日 | 1941年7月15日(83歳) |
出身地 | 埼玉県草加市 |
出身校 | 早稲田大学中退 |
学位・資格 | – |
前職 | 衆議院議員(自民党) |
所属委員会 |
政治倫理の確立及び公 職選挙法改正に関する特別委員会委員長 委員総務委員会委員 |
世襲 | 無 |
選出選挙区 | 埼玉県第3区 |
当選回数 | 4回 |
所属党派 |
(日本新党)→ (新進党)→ 自由民主党(宏池会) |
ウェブサイト | 前衆議院議員 今井宏 公式ウェブサイト |
今井 宏(いまい ひろし、1941年(昭和16年)7月15日 - )とは、日本の政治家であった。衆議院議員(4期)、草加市長(4期)、草加市議会議長、草加市市議会議員(2期)を歴任した。
経歴
- 1941年(昭和16年)7月15日 - 埼玉県草加市にて生まれる。
- 1960年(昭和35年)3月 - 埼玉県立春日部高等学校卒。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 早稲田大学政治経済学部入学 - のちに中退
- 1970年(昭和45年) - 29歳で草加市議会議員初当選。
- 1976年(昭和51年) - 草加市議会議長就任。
- 1977年(昭和52年) - 36歳で草加市長選挙に初当選(当時史上最年少の市長)。その後、草加市長を4期勤める。
- 1993年(平成5年)7月18日 - 第40回衆議院議員総選挙(いわゆる嘘つき解散)旧埼玉1区より立候補、当時の日本新党より初当選(当時の中選挙区制度でトップ当選)
- 1994年(平成6年)3月 - 日本新党党政策委員会責任者に就任。
- 1994年(平成6年)12月 - 新進党結成に参加し政審副会長に就任。
- 1996年(平成8年)10月20日 - 第41回衆議院議員総選挙(いわゆる小選挙区解散)衆議院議員再選。(この選挙から小選挙区比例代表並立制になる)
- 1997年(平成9年) - 衆議院地方行政委員会理事。
- 1998年(平成10年) - 衆議院文教委員会・行政改革に関する特別委員会委員。
- 1998年(平成10年) - 小渕内閣経済企画政務次官。
- 2000年(平成12年)6月25日 - 第42回衆議院議員総選挙(いわゆる神の国解散)で惜敗。
- 2003年(平成15年)11月9日 - 第43回衆議院議員総選挙で惜敗。(しかし比例復活にて当選、三選目)自民党総務部会長歴任
- 2004年(平成16年) - 総務副大臣就任。
- 2005年(平成17年)9月11日 - 第44回衆議院議員総選挙(いわゆる郵政解散)では自民党への追い風とあいまって、3万票以上の差をつけて民主党の細川律夫候補を下し、当選。衆議院議員選挙四選目。自民党政務調査会副会長。
- 2006年(平成18年) - 衆議院政治倫理・公選法改正特別委員会委員長歴任
- 2007年(平成19年) - 衆議院総務委員会理事歴任
- 2008年(平成20年) - 衆議院議院運営委員会理事歴任
- 2009年(平成21年)8月30日 - 第45回衆議院議員総選挙にで惜敗。惜敗率でも比例復活当選が叶わず落選。
- 2009年(平成21年)9月 - 政界引退を発表。40年の政治家人生に幕を下ろす。
- 2010年(平成22年)3月31日 - 自民党埼玉3区支部長を辞任。
経歴
政治家への道
埼玉県立春日部高等学校卒、早稲田大学政治経済学部に入学するが、早く独立して稼ぎたいと中退。1970年(昭和45年)、29歳で草加市市議会議員に初当選、1976年(昭和51年)草加市議会議長、1977年(昭和52年)36歳で草加市長に当選した(在職中に草加有澤ジム初の世界タイトル挑戦者でプロボクサー引退直後の根本重光を市役所職員に採用)。
国会議員へ転身
1993年(平成5年)の第40回衆議院議員総選挙で旧埼玉1区より立候補、当時の日本新党からトップ当選し8月の党役員人事で党副代表幹事に就任。1994年(平成6年)3月に党政策委員会責任者に就任。1994年12月新進党結成に参加し政審副会長に就任。
その後自民党に転身。同じ選挙区(草加市・越谷市)の日本社会党~社民党~民主党 (日本 1996-1998)~民主党・細川律夫とは毎回熾烈な票の争奪戦を繰り広げた。衆議院埼玉県第3選挙区にて、2000年(平成12年)、2003年(平成15年)と細川に敗れた(2003年は比例区で復活当選)ものの、2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙(いわゆる郵政解散)では自民党への追い風とあいまって、3万票以上の差をつけて民主党の細川律夫候補を下し、勝利した。
2009年(平成21年)に執行された第45回衆議院議員総選挙では公明党の推薦も受けたが、6万4千票の大差で民主党の細川律夫候補に惨敗し、惜敗率でも比例復活もできず、議席を失った。
政治家を引退
2009年(平成21年)9月、今井宏は自ら政治家を引退する事を地元後援会に告げて、地元後援会はそれを了承。28歳から続いた40年間の政治家人生に幕を閉じた。[1]それにより自民党埼玉3区支部長も辞任した。現在、自民党埼玉3区支部長のポストは不在である。
インターネットのウェブサイトや今井宏FAX通信の題名に「718」が入っている理由は、1993年(平成5年)7月18日に第40回衆議院議員総選挙初当選にちなみ『常に原点を忘れない為に名付けた』との事。
政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。
北京オリンピックを支援する議員の会、日韓議員連盟、自民党トラック輸送振興議員連盟、拉致議連に所属していた。
関連項目
- 自由民主党
- 衆議院埼玉県第3選挙区
- 細川律夫 - 同じ選挙区で激しく争ったライバル
- 埼玉県立春日部高等学校 - 1960年(昭和35年)卒業生
- 早稲田大学 - 政治経済学部中退
- 日本青年会議所 - かつて所属していたと本人が語る。
- 草加市 - 元草加市長、元草加市議会議長、元草加市議会議員
- 日本新党 - かつて所属していた政党
- 新進党 - かつて所属していた政党
脚注
- ^ ホームページにアクセスして下さった皆さまへ2010年1月24日閲覧
外部リンク
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