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「今井宏 (政治家)」の版間の差分

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'''今井 宏'''(いまい ひろし、[[1941年]]〈[[昭和]]16年〉[[7月15日]] - )は、[[埼玉県]][[草加市]]出身[[政治家]]。[[衆議院議員]](4期)、[[草加市]][[市長|長]](4期)、草加市議会議長、草加市市議会議員(2期)を歴任した
'''今井 宏'''(いまい ひろし、[[1941年]]〈[[昭和]]16年〉[[7月15日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。


[[衆議院議員]](4期)、[[草加市|草加市長]](4期)、草加市議会議員(2期)を歴任した。
== 歴 ==
[[埼玉県立春日部高等学校]]卒、[[早稲田大学]][[政治経済学部]]に入学するが、早く独立して稼ぎたいと[[中退]]。[[1970年]]([[昭和]]45年)、29歳で[[草加市]][[市議会]]議員に初当選、[[1976年]](昭和51年)[[草加市]]議会[[議長]]、[[1977年]](昭和52年)36歳で草加市長に当選した。


== 概要 ==
[[1993年]]([[平成]]5年)の[[第40回衆議院議員総選挙]]で[[埼玉県第1区 (中選挙区)|埼玉県第1区]]より立候補、当時の[[日本新党]]からトップ当選し8月の党役員人事で党副代表幹事に就任。[[1994年]](平成6年)3月に党政策委員会責任者に就任。同年12月[[新進党]]結成に参加し政審副会長に就任。
=== ===
[[埼玉県]][[草加市]]生まれ。[[埼玉県立春日部高等学校]]卒業。[[早稲田大学]][[政治経済学部]]に入学するも、中退。


[[1970年]]、29歳で[[草加市]]議会議員選挙に出馬し、初当選。[[1976年]]、35歳の若さで草加市議会議長に就任するが、翌[[1977年]]に市議を辞職。草加市長選挙に出馬し、当選。36歳で草加市長に就任する。以後、4期16年にわたり草加市長を務めた。
その後[[自由民主党 (日本)|自民党]]に転身。同じ選挙区([[草加市]]・[[越谷市]])の[[日本社会党]] - [[社民党]] - [[民主党 (日本 1996-1998)]] - [[民主党 (日本 1998-)|民主党]]・[[細川律夫]]とは毎回熾烈な票の争奪戦を繰り広げた。[[埼玉県第3区|衆議院埼玉県第3選挙区]]にて、[[2000年]](平成12年)、[[2003年]](平成15年)と細川に敗れた(2003年は比例区で復活当選)ものの、[[1996年]](平成8年)の[[第41回衆議院議員総選挙]]、さらには[[2005年]](平成17年)の[[第44回衆議院議員総選挙]](いわゆる[[郵政解散]])では自民党への追い風とあいまって、3万票以上の差をつけて[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の細川律夫を下し、選挙区で勝利している。


[[1993年]]、[[第40回衆議院議員総選挙]]に[[埼玉県第1区_(中選挙区)|旧埼玉県第1区]]から[[日本新党]]公認で出馬。[[細川護煕]]元[[熊本県知事]]が率いる日本新党はこの選挙で一気に35議席を獲得し、今井も新党ブームに乗って旧埼玉1区でトップ当選を果たす。この総選挙により自民党は[[衆議院]]で過半数を割り込み、[[宮澤喜一]]首相は辞任。日本新党ほか8党派による[[細川内閣]]が誕生するが、細川は8ヶ月で辞任。続く[[羽田内閣]]も少数与党に転落し、わずか64日で[[羽田孜]]首相は辞任に追い込まれた。羽田内閣総辞職により[[自由民主党_(日本)|自民]]・[[日本社会党|社会]]・[[新党さきがけ|さきがけ3党]]による[[自社さ連立政権]]の[[村山内閣]]が発足し、日本新党や[[新生党]]、[[公明党]]、[[民社党]]ほか旧連立与党は、[[小沢一郎]](新生党)・[[市川雄一]](公明党)・[[米沢隆]](民社党)の主導で[[新進党]]を結党。今井も新進党結成に参加した。[[小選挙区比例代表並立制]]導入後初めて実施された[[1996年]]の[[第41回衆議院議員総選挙]]では新進党公認で[[埼玉県第3区]]から出馬し、当選([[民主党_(日本 1996-1998)|旧民主党]]の[[細川律夫]]も得票数3位ながら[[比例復活]])。
[[2009年]](平成21年)に執行された[[第45回衆議院議員総選挙]]では[[公明党]]の推薦も受けたが、6万4千票の大差で民主党の細川律夫に惨敗し、[[惜敗率]]でも[[比例復活]]もできず、議席を失った。同年9月、政治家を引退する事を地元[[後援会]]に告げて28歳から続いた40年間の政治家人生に幕を閉じた。それにより自民党埼玉3区支部長も辞任した。


その後、新進党を離党し、[[自由民主党_(日本)|自由民主党]]に入党。[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]では自民党公認で埼玉3区から出馬するも、細川律夫に敗れ、[[比例復活]]もならず落選。[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]でも再び細川に敗れたが、[[比例南関東ブロック]]で復活し、3年ぶりに返り咲きを果たした。[[2005年]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]では3万票超の大差で細川を破った(細川も比例復活)。
== 年譜 ==
* [[1941年]]([[昭和]]16年)[[7月15日]] - [[埼玉県]][[草加市]]にて生まれる。
* [[1960年]](昭和35年)3月 - [[埼玉県立春日部高等学校]]卒。
* 1960年(昭和35年)4月1日 - [[早稲田大学]][[政治経済学部]]入学 - のちに中退
* [[1970年]](昭和45年) - 29歳で草加市議会議員初当選。
* [[1976年]](昭和51年) - 草加市議会議長就任。
* [[1977年]](昭和52年) - 36歳で草加市長選挙に初当選(当時史上最年少の[[市長]])。その後、草加市長を4期務める。
* [[1993年]]([[平成]]5年)7月18日 - [[第40回衆議院議員総選挙]](いわゆる[[嘘つき解散]])日本新党から立候補して初当選
* [[1994年]](平成6年)3月 - 日本新党党政策委員会責任者に就任。
* 1994年(平成6年)12月 - [[新進党]]結成に参加し政審副会長に就任。
* [[1996年]](平成8年)10月20日 - [[第41回衆議院議員総選挙]](いわゆる[[小選挙区 |小選挙区解散]])衆議院議員再選。
* [[1997年]](平成9年) - 衆議院地方行政委員会理事。
* [[1998年]](平成10年) - 衆議院文教委員会・行政改革に関する特別委員会委員。
* 1998年(平成10年) - [[小渕内閣]]経済企画政務次官。
* [[2000年]](平成12年)6月25日 - [[第42回衆議院議員総選挙]](いわゆる[[神の国解散]])で落選した。
* [[2003年]](平成15年)11月9日 - [[第43回衆議院議員総選挙]]で惜敗したが[[比例復活]]で3回目の当選、自民党総務部会長歴任
* [[2004年]](平成16年) - [[総務副大臣]]就任。
* [[2005年]](平成17年)9月11日 - [[第44回衆議院議員総選挙]](いわゆる[[郵政解散]])では自民党への追い風とあいまって、3万票以上の差をつけて[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の[[細川律夫]]候補を下し4回目の当選。自民党政務調査会副会長。
* [[2006年]](平成18年) - 衆議院政治倫理・[[公職選挙法|公選法]]改正特別委員会委員長歴任
* [[2007年]](平成19年) - 衆議院総務委員会理事歴任
* [[2008年]](平成20年) - 衆議院議院運営委員会理事歴任
* [[2009年]](平成21年)[[8月30日]] - [[第45回衆議院議員総選挙]]で小選挙区で敗れ比例復活当選もできず[[落選]]。9月に政界引退を発表。
* [[2010年]](平成22年)3月31日 - 自民党埼玉3区支部長を辞任。


[[2009年]]8月の[[第45回衆議院議員総選挙]]では自民党公認で埼玉3区から出馬するも細川に大敗を喫し、比例復活もならず再び落選。同年9月、地元後援会に対し政界引退を表明した。それに伴い、自民党埼玉県第3区支部長を辞任。


== 人物 ==
=== 人物 ===
* [[インターネット]]の[[ウェブサイト]]や今井宏FAX通信の題名に「'''718'''」が入っている理由は7月18日に行われた第40回衆議院議員総選挙初当選にちなみ『'''常に原点を忘れない為に名付けた'''』との事。
* [[インターネット]]の[[ウェブサイト]]や今井宏FAX通信の題名に「'''718'''」が入っている理由は7月18日に行われた第40回衆議院議員総選挙初当選にちなみ『'''常に原点を忘れない為に名付けた'''』との事。
* [[政治家の年金未納問題]]が注目された際に年金の未納が発覚している。
* [[政治家の年金未納問題]]が注目された際に年金の未納が発覚している。
* [[北京オリンピックを支援する議員の会]]、[[日韓議員連盟]]、[[自民党トラック輸送振興議員連盟]]、[[拉致議連]]に所属していた。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[日本青年会議所]] - かつて所属していたと本人が語る。
* [[日本青年会議所]] - かつて所属していたと本人が語る。
* [[草加有澤ボクシングジム]]、[[スパイダー根本]] - 市長時代から支援
* [[草加有澤ボクシングジム]]、[[スパイダー根本]] - 市長時代から支援

== 外部リンク ==



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2011年2月28日 (月) 13:07時点における版

日本の旗前衆議院議員 今井 宏
生年月日 (1941-07-15) 1941年7月15日(83歳)
出身地 日本の旗埼玉県草加市
出身校 早稲田大学政治経済学部(中退)
世襲
選出選挙区 埼玉3区
当選回数 4回
所属党派日本新党)→
新進党)→
自由民主党宏池会
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今井 宏(いまい ひろし、1941年昭和16年〉7月15日 - )は、日本政治家

衆議院議員(4期)、草加市長(4期)、草加市議会議員(2期)を歴任した。

概要

略歴

埼玉県草加市生まれ。埼玉県立春日部高等学校卒業。早稲田大学政治経済学部に入学するも、中退。

1970年、29歳で草加市議会議員選挙に出馬し、初当選。1976年、35歳の若さで草加市議会議長に就任するが、翌1977年に市議を辞職。草加市長選挙に出馬し、当選。36歳で草加市長に就任する。以後、4期16年にわたり草加市長を務めた。

1993年第40回衆議院議員総選挙旧埼玉県第1区から日本新党公認で出馬。細川護煕熊本県知事が率いる日本新党はこの選挙で一気に35議席を獲得し、今井も新党ブームに乗って旧埼玉1区でトップ当選を果たす。この総選挙により自民党は衆議院で過半数を割り込み、宮澤喜一首相は辞任。日本新党ほか8党派による細川内閣が誕生するが、細川は8ヶ月で辞任。続く羽田内閣も少数与党に転落し、わずか64日で羽田孜首相は辞任に追い込まれた。羽田内閣総辞職により自民社会さきがけ3党による自社さ連立政権村山内閣が発足し、日本新党や新生党公明党民社党ほか旧連立与党は、小沢一郎(新生党)・市川雄一(公明党)・米沢隆(民社党)の主導で新進党を結党。今井も新進党結成に参加した。小選挙区比例代表並立制導入後初めて実施された1996年第41回衆議院議員総選挙では新進党公認で埼玉県第3区から出馬し、当選(旧民主党細川律夫も得票数3位ながら比例復活)。

その後、新進党を離党し、自由民主党に入党。2000年第42回衆議院議員総選挙では自民党公認で埼玉3区から出馬するも、細川律夫に敗れ、比例復活もならず落選。2003年第43回衆議院議員総選挙でも再び細川に敗れたが、比例南関東ブロックで復活し、3年ぶりに返り咲きを果たした。2005年第44回衆議院議員総選挙では3万票超の大差で細川を破った(細川も比例復活)。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では自民党公認で埼玉3区から出馬するも細川に大敗を喫し、比例復活もならず再び落選。同年9月、地元後援会に対し政界引退を表明した。それに伴い、自民党埼玉県第3区支部長を辞任。

人物

  • インターネットウェブサイトや今井宏FAX通信の題名に「718」が入っている理由は7月18日に行われた第40回衆議院議員総選挙初当選にちなみ『常に原点を忘れない為に名付けた』との事。
  • 政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。

関連項目

公職
先代
田端正広
山口俊一
日本の旗 総務副大臣
山本公一と共同
2004 - 2005
次代
菅義偉
山崎力
先代
鈴木繁
草加市長
第5代:1977 - 1993
次代
小沢博