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'''アフリカ'''({{Lang-la|'''Āfrica'''}}、{{Lang-en|'''Africa'''}}<ref name=koujien70>{{Cite book|和書
'''アフリカ'''('''Africa'''、'''阿弗利加'''、'''非州''')は、広義には[[アフリカ大陸]]およびその周辺の[[マダガスカル島]]などの[[島嶼]]・[[海域]]を含む[[地域]]の総称で、[[六大州]]の一つ。略称は'''阿'''、'''非'''。
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}}</ref>)は、広義には[[アフリカ大陸]]およびその周辺の[[マダガスカル島]]などの[[島嶼]]・[[海域]]を含む[[地域]]の総称で、[[大州]]の一つ<ref name=koujien70 />。漢字表記は'''阿弗利加'''であり'''阿州'''(阿洲、あしゅう)とも呼ぶ。省略する場合は「'''阿'''」を用いる。


== 概要 ==
== 概要 ==
地理的には[[地中海]]を挟んで[[ヨーロッパ]]の南に位置する。狭義は、サハラ以南リカ(Sub-Saharan Africaサブ・サハラ・リカ)を指すこが多く、しばしば[[ブラックリカ]]とも呼ばれる。面積は3,030万平方キロメートルで世界全体の22.3%を占めるが、人口は8億5,000万人で、世界人口比では13.7%を占める過ぎない。現在は53の独立国によって形成されてい
地理的には[[地中海]]を挟んで[[ヨーロッパ]]の南に位置する。 [[赤道]]を挟んで南北双方広い面積を持つ唯一の[[大陸]]でもあり<ref group="注">リカ大陸をリカ大陸リカ大陸に分け場合</ref>それって多様な[[気候]]領域があ<ref>{{cite web
|url=http://www.visualgeography.com/continents/africa.html
|title=Africa. General info
|author=Visual Geography
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。面積は3037万[[平方キロメートル]]で、[[地球]]表面の6%、陸地全体の20.4%を<ref name="Sayre">Sayre, April Pulley. (1999) ''Africa'', Twenty-First Century Books. ISBN 0-7613-1367-2.</ref>、人口は約12億人、世界人口比では14.72%を占める。2011年3月現在、島嶼を含めて54の独立国がある(西サハラを含めると55カ国)。経済成長率は2010年に約5.0%、2011年予測は5.5%である<ref>{{cite web
|url=http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2010/02/pdf/c2.pdf
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|publisher=International Monetary Fund
|title=WEO Oct. 2010
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}}</ref>。


アフリカは[[アフリカ単一起源説]]から[[ヒト]]の起源とされ、[[エチオピア]]からは20万年前の[[ホモ・サピエンス]]の化石が発見され<ref>{{cite web
アフリカは[[人類]]の[[発祥]]の地と言われている。サハラ砂漠以南のアフリカは、かつてヨーロッパ諸国から「暗黒の大陸」と未開の地のように呼ばれたが、ヨーロッパに知られていなかった(あるいはその存在を認めようとしなかった)だけで、実際には古代から文明があった。
|url=http://web.utah.edu/unews/releases/05/feb/homosapiens.html
|publisher=[[ユタ大学]]
|title=The Oldest Homo sapiens
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>、[[世界遺産]]の[[南アフリカの人類化石遺跡群]]は[[人類]]の[[発祥]]の地と呼ばれている。アフリカは、かつてヨーロッパ諸国から「[[暗黒大陸]]」と未開の地のように呼ばれたが、ヨーロッパに知られていなかった(あるいはその存在を認めようとしなかった)だけで、実際にはヨーロッパより古い歴史と[[文明]]があった。


[[サハラ砂漠]]が大きな境この広い砂漠の北側を「[[北アフリカ|ホワイトアフリカ]]」、を「[[ブラックアフリカ]]」あるいは「'''サブサハラ'''」と呼び分ける人る。また、アフリカは[[北アフリカ]][[中部アフリカ]][[東アフリカ]][[南部アフリカ]][[西アフリカ]]に分けられる。
アフリカの地理的区分ではサハラ砂漠が大きな境界となりサハラ砂漠より南を「'''[[サハラアフリカ]]'''」と呼ぶ場合る。また、北アフリカ、中部アフリカ、東アフリカ、南部アフリカ、西アフリカに分ける区分もある。


== 語源 ==
== 語源 ==
当初は、サハラ砂漠以北の地域をさす言葉であった。正確な語源ははっきりとはわからないが、有力説としては、現在の[[チュニジア]]に当たる[[カルタゴ]]近郊の北部アフリカに居住していた[[セム語派|セム]]系部族を指す「[[:en:Afri|Afri]]」(アフリ)と推測される。この言葉は[[フェニキア語]]の「afar」(「dust」の意)に結びつけられがちだが、1981年には[[ベルベル語]]の「[[洞窟]]に住む人々」を指す「ifri」が転じたものという仮説が提示された<ref name="book on ligne">The Berbers, by Geo. Babington Michell, p 161, 1903, Journal of Royal African people [http://www.jstor.org/pss/714549 book on ligne]</ref>。これら「afar」<ref name="book on ligne"/>「ifri」「Afri」は現在の[[アルジェリア]]および[[リビア]]に住むベルベル人のことである<ref>Itineraria Phoenicia, Edward Lipinski, Peeters Publishers, p200, 2004, ISBN 90-429-1344-4 [https://books.google.fr/books?id=SLSzNfdcqfoC&pg=PA200&dq=Itineraria+Phoenicia+Ifren&sig=opSH-an97IhmB6GtJjMvn7bt4tc#PPA200,M1 Book on ligne]</ref>。ほかに、カルタゴ人が使っていたファラカ(faraqa:植民地の意)の変形または転訛という説や先住民の一部族アフェル(Afer、複数形Ifei)に由来するという説もある<ref>鷹木恵子「地中海世界・アフリカ世界・中東世界の中のチュニジア」/ 鷹木恵子編著『チュニジアを知るための60章』明石書店 2010年 18ページ</ref>。他にも様々な仮説が提唱されており、歴史家[[レオ・アフリカヌス]](1488年 - 1554年)は、[[ギリシア語]]の「phrike ({{lang|grc|φρίκη}})」(「寒い」または「怖い」の意)に否定を意味する[[接頭辞]] [[α (欠性辞)|a-]](α-)が上接し、寒さや恐れが無いところを意味する「aphrike ({{lang|grc|Αφρική}})」となったと主張した。また{{仮リンク|ジェラルド・マッセイ|en|Gerald Massey}}は1881年に、[[エジプト語]]の「af-rui-ka」が語源だとの仮説を発表した。それによると、「af-rui-ka」は「カーの始まりに回帰する」を意味する。この「カー」は「すべての人々」と、カーの始まりという用法で「子宮・生誕地」両方の語源である。エジプト人にとってアフリカとはまさに「誕生したところ」を意味する<ref>{{cite web
諸説
|url=http://gerald-massey.org.uk/massey/cmc_nile_genesis.htm
* [[:en:Afri|Afri]](アフリ):[[ローマ時代]]、[[カルタゴ]]([[アフリカ属州]]都)近辺の住民をさす言葉
|title='Nile Genesis:the opus of Gerald Massey'
::[[フェニキア語]]:''afar''("dust")<br />
|publisher=Gerald-massey.org.uk
::[[ベルベル語]]:''ifri''(洞窟)<ref>[http://michel-desfayes.org/namesofcountries.html Names of countries], Decret & Fantar, 1981</ref>
|date=1907-10-29
|accessdate=2011-03-01
}}</ref>。


起源が上述のいずれの説であるにしろ、[[ローマ時代]]、カルタゴが[[アフリカ属州]]になると、ラテン語で「アフリカ人の土地」を表す「Africa terra」<ref>ランダムハウス英和大辞典「Africa」の項。</ref>(「-ca」は形容詞化[[接尾辞]]女性形)から「Africa」という語形が生じた。これが現在の『アフリカ』という言葉の直接の始まりである。その後、サハラ砂漠以南についての人類の知見が広がるに従い、サハラ砂漠の南北を含めて一つの大陸の名となった。
* [[接尾辞]] "-ca":国、土地<ref>[http://www.consultsos.com/pandora/africa.htm Consultos.com etymology]</ref>


[[アイルランド語]]の女性名 {{lang|ga|''Aifric''}} は {{lang|en|''Africa''}} と英語化されるが、地名とは関係が無い。
* [[アブラハム]]の孫エフェル(Epher)に因むとの説。:[[歴史家]][[フラウィウス・ヨセフス]]
* [[ラテン語]] ''aprica''(sunny)に因る:[[イシドールス]]『[[イシドールス#著作|語源(XIV.5.2)]]』
* [[ギリシャ語]] ''aphrike''( "without cold.", 寒さが無い):歴史家[[レオ・アフリカヌス]]
* [[エジプト語]] ''af-rui-ka''("to turn toward the opening of the [[:en:|Ka]].")<ref>[http://gerald-massey.org.uk/massey/cmc_nile_genesis.htm 'Nile Genesis: the opus of Gerald Massey']</ref>


== 歴史 ==
後に[[イスラム]][[帝国]] [[イフリーキヤ]](افريقية)に引き継がれる。
{{See also|{{仮リンク|アフリカの歴史学|en|African historiography}}}}
=== アフリカの形成 ===
[[ファイル:Massospondylus BW.jpg|サムネイル|150px|アフリカの古竜脚類/基盤的竜脚形類である[[マッソスポンディルス]]]]
[[中生代]]初期、アフリカは他の大陸と同じく[[超大陸]][[パンゲア]]を形成した<ref name="dinopedia-african">Jacobs, Louis L. (1997). "African Dinosaurs." ''Encyclopedia of Dinosaurs''. Edited by Phillip J. Currie and Kevin Padian. Academic Press. pp. 2–4.</ref>。その状況下で、[[獣脚類]]や[[竜脚形亜目]]また原始的な[[鳥盤類]]が、[[三畳紀]]終わり頃まで繁殖していた。これらの[[化石]]はアフリカのいたるところで発見され、特に南部で顕著に見られる<ref name="dinopedia-african" />。三畳紀と[[ジュラ紀]]を分ける地球規模の絶滅を示す発掘は、アフリカではあまり行われていない<ref name="dinopedia-african" />。


初期ジュラ紀の地層は三畳紀後期と重なって分布し、南部で多く露頭する。しかし化石層は南部では少なく、北に行くほどその数は優勢になってゆく<ref name="dinopedia-african" />。ジュラ紀には、アフリカでは[[竜脚下目]]や[[鳥脚目]]などの[[恐竜]]が広い範囲で隆盛を極めた<ref name="dinopedia-african" />。中期の研究はあまり進んでいない<ref name="dinopedia-african" />。後期も発掘は遅れている<ref name="dinopedia-african" />が、数少ない例外に当る[[タンザニア]]の{{仮リンク|テンダグル層|en|Tendaguru Formation}}では、北アメリカ西部で見つかった{{仮リンク|モリソン層|en|Morrison Formation|preserve=1}}の{{仮リンク|古生物学的様相|en|Paleobiota of the Morrison Formation}}と非常に近似したところが見られた<ref name="dinopedia-african" />。
[[アイルランド語]]の女性名 ''Aifric'' は ''Africa'' と英語化されるが、地名とは関係が無い。


[[ファイル:Spinosaurus BW2.png|サムネイル|左|200px|[[スピノサウルス]]はアフリカを代表する肉食恐竜である。]]
== 歴史 ==
1億6千年前-1億5千年前の[[中生代]]の中頃、[[ゴンドワナ大陸]]には後の[[インド亜大陸]]と[[マダガスカル]]が繋がっていた。そのため、マダガスカルからは{{仮リンク|アベリサウルス|en|abelisaur|preserve=1}}や{{仮リンク|ティタノサウルス上科|en|titanosaur|preserve=1}}の化石が発見される<ref name="dinopedia-african" />。 その後、[[白亜紀]]初期にインドとマダガスカルは分離を始め、後期にはこの2つの陸塊も分離して現在に至る<ref name="dinopedia-african" />。中生代、マダガスカルとアフリカ大陸の相対的な位置には変化が無かった。その一方で[[パンゲア大陸]]そのものの変化は進行し、白亜紀後期の初め頃には[[南アメリカ]]がアフリカから分離し、[[南大西洋]]が形成された<ref name="dinopedia-african" />。この出来事は[[海流]]の変動を呼び、地球規模の気候形成に影響を与えた<ref name="dinopedia-african" />。
[[ファイル:Africa map from Atlas 1648.png|300px|right|thumb|'''アフリカの[[地図]]'''(G. and I. Blaeuによる[[1648年]]の地図) [[ポルトガル]]人の[[ヴァスコ・ダ・ガマ]]がインド洋航路を発見した150年後に制作された。海岸線は正確だが、内陸部、特に河川の流路に関する情報が極端に不足していたことが分かる。例えば[[ナイル川]]が南部アフリカに達しており、[[ニジェール川]]の流路は全く異なっている。冒頭の地図と比較されたい。]]

[[ファイル:Map_of_Africa_from_Encyclopaedia_Britannica_1890.jpg|right|thumb|right|300px|アフリカの地図 [[1890年]]]]
この白亜紀には、{{仮リンク|アロサウルス|en|allosauroids|label=アロサウルス類|preserve=1}}や最大の[[肉食恐竜]]として知られているものを含む{{仮リンク|スピノサウルス|en|spinosaurids|label=スピノサウルス類|preserve=1}}などが繁栄していた<ref name="dinopedia-african" />。{{仮リンク|ティタノサウルス|en|Titanosaurs|label=ティタノサウルス属|preserve=1}}は当時の[[生態系]]の重要な草食動物であった<ref name="dinopedia-african" />。アフリカでは、発掘された白亜紀の遺物は多いがジュラ紀のそれは少なく、今後の調査が待たれる<ref name="dinopedia-african" />。

=== 先史時代 ===
[[ファイル:Lucy blackbg.jpg|サムネイル|150px|[[アウストラロピテクス・アファレンシス]]の[[ルーシー (アウストラロピテクス)|ルーシー]]。この骨は1974年11月24日、エチオピアの[[アファール盆地]]、[[アワッシュ川下流域]]で発見された。]]
{{Main|アフリカ単一起源説|ミトコンドリア・イブ}}
ほとんどの[[古人類学|古人類学者]]は、人類はアフリカで生まれたという説を採っている<ref name=BBC>{{cite web
|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/1058484.stm
|publisher=[[BBC]] News
|title=Genetic study roots humans in Africa
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}}</ref><ref>{{cite web
|url=http://www.sciencedaily.com/releases/2007/08/070828155004.htm
|publisher=Science Daily
|title=Migration of Early Humans From Africa Aided
|author=Wet Weather
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。アフリカは大陸移動や地殻変動から、大規模な気候変動を繰り返していた。人類の発生は約4000万年前に遡る東部での隆起帯が形成され、乾燥化が進展したことが要因にあると考えられる。「[[イーストサイドストーリー]]」では、豊かな[[コンゴ盆地]]の[[森林]]から一部のサルが乾燥したサバンナへ分かれ、進化が始まったという<ref name=Kadomura>{{Cite web|和書
|url=https://webcache.googleusercontent.com/search?hl=ja&lr=&rlz=1W1GGHP_ja&q=cache:9IVj3rch43wJ:http://www.meijigakuin.ac.jp/~iism/open_lecture/open_lecture08/Kadomurareport.pdf+%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E6%A3%AE%E3%81%AE%E5%A4%89%E9%81%B7&ct=clnk
|title=アフリカの森の変遷‐長期の気候変動から‐
|author=門村浩/[[東京都立大学 (1949-2011)]]名誉教授
|publisher=[[明治学院大学]]国際学部付属研究所
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}}</ref>。

南アフリカのヨハネスブルグ北部などが人類が初めて住んだ場所と考えられる<ref name=BBC />。20世紀中頃には、[[人類学者]]たちは既に700万年以上古い人類の化石や生存の証拠類を発見していた。化石は、いく種もの類人猿に近い人類のものが発見され、[[放射年代測定]]から紀元前390-300万年頃に生きたと考えられる[[アウストラロピテクス・アファレンシス]]<ref>Kimbel, William H. and Yoel Rak and Donald C. Johanson. (2004) ''The Skull of Australopithecus Afarensis'', Oxford University Press US. ISBN 0-19-515706-0.</ref>や紀元前230-140万年頃の{{仮リンク|パラントロプス・ボイセイ|en|Paranthropus boisei}}<ref>Tudge, Colin. (2002) ''The Variety of Life.'', Oxford University Press. ISBN 0-19-860426-2.</ref>、紀元前190-60万年頃の[[ホモ・エルガステル]]<ref name=Sayre />が人類へ[[進化]]したと推察される。先史時代、他の大陸と同様にアフリカに住む人類は、[[国家]]を持たず、現代の[[コイコイ人]]や[[サン人]]のように[[狩猟採集社会]]の集団をつくって生活していた<ref>Ivan van Sertima. (1995) ''Egypt:Child of Africa/S V12 (Ppr)'', Transaction Publishers. pp. 324–325. ISBN 1-56000-792-3.</ref><ref>Mokhtar, G. (1990) ''UNESCO General History of Africa, Vol. II, Abridged Edition:Ancient Africa'', University of California Press. ISBN 0-85255-092-8.</ref><ref>Eyma, A. K. and C. J. Bennett. (2003) ''Delts-Man in Yebu:Occasional Volume of the Egyptologists' Electronic Forum No. 1'', Universal Publishers. p. 210. SBN 1-58112-564-X.</ref>。

アフリカはおおまかに、氷河期に乾燥して砂漠が拡大し、間氷期には森林が拡大するという循環を繰り返していた。20000年前頃には拡大をしていたサハラ砂漠は、12000年前頃には縮小に転じ、森林地帯の広がりとともに[[チャド湖]]など湖水の面積も大きくなった。この北部アフリカの「緑のサハラ」地域で人類は、狩猟や漁撈また[[牛]]の牧畜<ref>Diamond, Jared. (1999) "Guns, Germs and Steel:The Fates of Human Societies. New York:Norton, pp.167.</ref>なども行っていた。

しかし5000年前頃から乾燥化が急速に始まり<ref name="O'Brien">O'Brien, Patrick K. (General Editor). Oxford Atlas of World History. New York:Oxford University Press, 2005. pp.22–23</ref>、砂漠の拡大と生存可能域の縮小に伴って人類は熱帯性気候の西<ref name="O'Brien" />や南、[[ナイル川]]流域などに移住して行った<ref name=Kadomura />。

=== エジプト・地中海文明の発生 ===
{{Main|アフリカ史}}
{{Main|アフリカ史}}
アフリカを歴史的、文化的に大きく区分すると、北アフリカの文化圏、西アフリカの文化圏、東アフリカの文化圏に区分される。東アフリカが[[コプト正教会]]のエチオピアと[[イスラム教]]のインド洋沿岸部と大きく区分されるほかは、西アフリカで独特な[[アニミズム]]の伝統が濃厚に残ってきたにもかかわらず、イスラム文化圏であったことが共通している。


[[ファイル:Africa map from Atlas 1648.png|200px|サムネイル|'''アフリカの[[地図]]'''(G. and I. Blaeuによる1648年の地図) [[ポルトガル]]人の[[ヴァスコ・ダ・ガマ]]がインド洋航路を発見した150年後に制作された。海岸線は正確だが、内陸部、特に河川の流路に関する情報が極端に不足していたことが分かる。例えばナイル川が南部アフリカに達しており、[[ニジェール川]]の流路は全く異なっている。冒頭の地図と比較されたい。]]
アフリカを歴史的、文化的に大きく区分すると、北アフリカの文化圏、西アフリカの文化圏、東アフリカの文化圏に区分される。東アフリカが[[コプト教]]のエチオピアと[[イスラム教]]のインド洋沿岸部と大きく区分されるほかは、西アフリカで独特な[[アニミズム]]の伝統が濃厚に残ってきたにもかかわらず、イスラム文化圏であったことが共通している。
最古の史料が残っているのは[[ファラオ]]による支配が始まったナイル川流域の[[古代エジプト]]王国であり、紀元前3300年頃の[[文字]]記録が発見されている<ref>{{cite web
|url=http://news.bbc.co.uk/1/hi/sci/tech/235724.stm
|publisher=BBC News Sci/Tech
|title=Were Egyptians the first scribes?
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。これは世界最古の[[文明]]の一つで<ref>Hassan, Fekri A. (2002) ''Droughts, Food and Culture'', Springer. p. 17. ISBN 0-306-46755-0.</ref><ref>McGrail, Sean. (2004) ''Boats of the World'', Oxford University Press. p. 48. ISBN 0-19-927186-0.</ref>、[[ヒエログリフ]]から派生した[[ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字]]([[原カナン文字]])は世界の殆どの[[アルファベット]]の起源になったとされる。紀元前2900年頃、[[メネス|メネス王]]が上下エジプトを統一して以来、古王国時代に築かれた[[ピラミッド]]でも世界的に知られている。紀元前1000年頃には[[製鉄]]技術が北アフリカにも伝播し、急速に広がってブラックアフリカ北部まで鉄器が使われるようになった<ref>Martin and O'Meara. "Africa, 3rd Ed." Indiana:Indiana University Press, 1995. [http://princetonol.com/groups/iad/lessons/middle/history1.htm#Irontechnology]</ref>。


一方、チュニジアでも紀元前800年頃に[[フェニキア]]の植民都市としてカルタゴが築かれ、経済大国となった。紀元前146年にカルタゴは[[共和政ローマ]]に滅ぼされ、ローマ支配下のアフリカ属州となった。5世紀、ローマ帝国が弱体化し、[[ゲルマン民族]]の大移動の時代に、チュニジアでは、ヴァンダル族が、429年、カルタゴの故地に[[ヴァンダル王国]]を建設したが、[[地中海世界]]の再統一に燃える[[東ローマ帝国]]によって534年に滅ぼされた。しかし、東ローマ帝国の北アフリカ支配も長くは続かず、636年、[[パレスチナ]]のヤルムク河畔で日の昇る勢いの[[イスラム帝国]]([[正統カリフ]])に敗れると、エジプトを奪われ、北アフリカは[[ウマイヤ朝]]時代にイスラム勢力の支配下に入った。[[アッバース朝]]時代に勢力争いで、[[ハールーン=アッラシード]]に敗れたイドリースは、マグリブ(現モロッコ)の地へ逃げて、[[フェズ]]に[[イドリース朝]]を開いた。9世紀以降、アッバース朝カリフは、800年にチュニジアの[[アグラブ朝]]、868年にエジプト総督代理のイブン=トゥルーンが築き、フマーラワイフが貢納を条件にエジプト総督を[[世襲]]して事実上エジプト独自のイスラム王朝となった[[トゥールーン朝|トゥルーン朝]]、トゥルーン朝滅亡後、やはりエジプト総督のイブン=トゥグジュにイフシードの称号を与えるとともに大幅な自治を認め、[[イフシード朝]]の建国(935年)を許すなど分裂傾向を強めた。
=== エジプト・地中海世界 ===
最初にひらけたのは、[[ナイル川]]流域の[[古代エジプト]]王国であった。[[紀元前2900年]]頃、[[メネス|メネス王]]が上下エジプトを統一して以来、古王国時代に築かれた[[ピラミッド]]によって世界的に知られている。
一方、チュニジアでも[[紀元前800年]]頃に[[フェニキア]]の植民都市として[[カルタゴ]]が築かれ、経済大国となった。[[紀元前146年]]にカルタゴは[[共和制ローマ]]に滅ぼされ、ローマ支配下の[[アフリカ属州]]となった。[[5世紀]]、[[ローマ帝国]]が弱体化し、[[ゲルマン民族]]の大移動の時代に、チュニジアでは、ヴァンダル族が、[[429年]]、カルタゴの故地に[[ヴァンダル王国]]を建設したが、[[地中海世界]]の再統一に燃える[[東ローマ帝国]]によって[[534年]]に滅ぼされた。しかし、東ローマ帝国の北アフリカ支配も長くはなく[[636年]]、[[パレスチナ]]のヤルムク河畔で、日ののぼる勢いの[[イスラム帝国]]([[正統カリフ]])に敗れると、エジプトを奪われ、北アフリカは[[ウマイヤ朝]]時代にイスラム勢力の支配下に入った。[[アッバース朝]]時代に勢力争いで、[[ハールーン=アッラシード]]に敗れたイドリースは、マグリブ(現モロッコ)の地へ逃げて、[[フェズ]]に[[イドリース朝]]を開いた。[[9世紀]]以降、アッバース朝カリフは、[[800年]]にチュニジアの[[アグラブ朝]]、[[868年]]にエジプト総督代理のイブン=トゥルーンが築き、フマーラワイフが貢納を条件にエジプト総督を[[世襲]]して事実上エジプト独自のイスラム王朝となった[[トゥールーン朝|トゥルーン朝]]、トゥルーン朝滅亡後、やはりエジプト総督のイブン=トゥグジュにイフシードの称号を与えるとともに大幅な自治を認め、[[イフシード朝]]の建国([[935年]])を許すなど分裂傾向を強めた。


=== 西アフリカ・北アフリカ ===
=== 西アフリカ・北アフリカ ===
[[ファイル:WestAfrica1625.png|サムネイル|300px|1625年の[[西アフリカ]]]]
西アフリカでは、[[紀元前900年]]にさかのぼるといわれる[[土偶]]と[[製鉄]]技術をもった[[ノク文化]]が[[ナイジェリア]]の北部で生まれ、土偶の様式は、アフリカ中部から南部の彫刻に大きな影響をあたえた。ナイジェリアでは、9~10世紀の[[イボ=ウクゥ文化]]、10~13世紀の[[イフェ文化]]、[[14世紀|14]]~[[18世紀]]の[[ベニン王国]]が繁栄し、優れた[[青銅]][[製品]]で知られている。また西アフリカでは、[[セネガル川]]上流と[[ニジェール川]]上流に[[4世紀]]にさかのぼるといわれる[[ガーナ王国]]が[[11世紀]]後半まで[[サハラ交易|岩塩と金の中継貿易]]で繁栄した。その後、交易路の東漸に伴って、[[マリ帝国]]がニジェール川上流の[[ニアニ]]を[[首都]]とし湾曲部の[[トンブクトゥ]]を版図に含んで[[13世紀|13]]~[[15世紀]]前半まで繁栄、[[ソンガイ帝国]]が15世紀後半から[[16世紀]]にかけて、ニジェール川湾曲部を中心にナイジェリア北部のハウサ諸国を従え、[[マリ帝国]]を屈服させてその版図の大部分を奪い、ほぼ西[[歴史的スーダン|スーダン]]を統一する広大な版図を誇った。


西アフリカでは、紀元前900年にさかのぼるといわれる[[土偶]]と製鉄技術をもった[[ノク文化]]がナイジェリアの北部で生まれ、土偶の様式は、アフリカ中部から南部の彫刻に大きな影響をあたえた。ナイジェリアでは、9-10世紀のや{{仮リンク|イボ文化|en|Igbo culture}}や{{仮リンク|イボ=ウクゥ遺跡|en|Archaeology of Igbo-Ukwu}}({{仮リンク|イボ=ウクゥ|en|Igbo-Ukwu}})、10-13世紀の{{仮リンク|ヨルバ文化|en|Yoruba culture}}([[イフェ]])、14-18世紀の[[ベニン王国]]が繁栄し、優れた[[青銅]][[製品]]で知られている。また西アフリカでは、紀元前500年頃に金属加工技術が到達したが、さらなる拡大は紀元後になった。エジプトや[[ヌビア]]、エチオピアなど紀元前500年頃に製作された北部アフリカの[[青銅器]]が西アフリカで発掘されている。これは当時から[[サハラ交易]]が行われていた事を示す<ref name="O'Brien" />。この交易を背景に繁栄したのが[[セネガル川]]上流とニジェール川上流に4世紀にさかのぼるといわれる[[ガーナ王国]]であり、11世紀後半まで岩塩と金の中継貿易で興隆を誇った。その後、交易路の東漸に伴って、[[マリ帝国]]がニジェール川上流の[[ニアニ]]を[[首都]]とし湾曲部の[[トンブクトゥ]]を版図に含んで13-15世紀前半まで繁栄、[[ソンガイ帝国]]が15世紀後半から16世紀にかけて、ニジェール川湾曲部を中心にナイジェリア北部のハウサ諸国を従え、マリ帝国を屈服させてその版図の大部分を奪い、ほぼ西[[スーダン (地理概念)|スーダン]]を統一する広大な版図を誇った。
一方、西スーダンのこのような王国のサハラ越えの[[キャラバン|隊商]]による交易に利害のあった北アフリカ西部、[[マグリブ]]にも[[ベルベル人]]によって11世紀中葉~12世紀中葉に[[ムラービト朝]]、12世紀中葉~13世紀頃に[[ムワッヒド朝]]、13~15世紀に[[マリーン朝]]という強力なイスラム王朝が建てられた。特にムラービト朝は、ガーナ王国を滅ぼしたことで知られる。[[ソンガイ帝国]]は、[[1590年]]に、16世紀中葉にモロッコで興った強力な[[サアド朝]](サーディ朝)に攻め滅ぼされた。[[イフリーキヤ]]と呼ばれたチュニジアでも、[[909年]]にアグラブ朝を倒して、[[ファーティマ朝]]が興ると、[[926年]]には西隣の[[イドリース朝]]を滅ぼした。[[969年]]に、エジプトに東遷して、[[イフシード朝]]を滅ぼすと、北アフリカの統一を完成し、新首都[[カイロ (エジプト)|カイロ]]に遷都([[973年]])して、[[カリフ]]を称した。西カリフ国と呼ばれた[[イベリア半島]]の[[後ウマイヤ朝]]に比して、中カリフ国と呼ばれた。エジプトではその後対[[十字軍]]戦争で活躍した[[サラディン]]による[[アイユーブ朝]]、アイユーブ朝のもとで実力をつけたバフリーヤなどの[[マムルーク]]の力によって建国された[[マムルーク朝]]が続く。一方、イフリーキヤでは、[[13世紀]]前半にムワッヒド朝から独立した[[ハフス朝]]があり、これらの強力な王朝のもとで優れた[[イスラム建築]]が多数建設され、町並みが[[世界遺産]]に登録されているものも数多い。しかし、[[1517年]]にマムルーク朝、[[1574年]]に[[ハフス朝]]が[[オスマン帝国]]によって併合される。

一方、西スーダンのこのような王国のサハラ越えの[[キャラバン|隊商]]による交易に利害のあった北アフリカ西部、[[マグリブ]]にも[[ベルベル人]]によって11世紀中葉-12世紀中葉に[[ムラービト朝]]、12世紀中葉-13世紀頃に[[ムワッヒド朝]]、13-15世紀に[[マリーン朝]]という強力なイスラム王朝が建てられた。特にムラービト朝は、ガーナ王国を滅ぼしたことで知られる。ソンガイ帝国は、1590年に、16世紀中葉にモロッコで興った強力な[[サアド朝]](サーディ朝)に攻め滅ぼされた。[[イフリーキヤ]]と呼ばれたチュニジアも、909年にアグラブ朝を倒して、[[ファーティマ朝]]が興ると、926年には西隣のイドリース朝を滅ぼした。969年に、エジプトに東遷して、イフシード朝を滅ぼすと、北アフリカの統一を完成し、新首都カイロに遷都(973年)して、[[カリフ]]を称した。西カリフ国と呼ばれた[[イベリア半島]]の[[後ウマイヤ朝]]に比して、中カリフ国と呼ばれた。エジプトではその後対[[十字軍]]戦争で活躍した[[サラディン]]による[[アイユーブ朝]]、そのもとで実力をつけたバフリーヤなどの[[マムルーク]]の力によって建国された[[マムルーク朝]]が続く。一方、イフリーキヤでは、13世紀前半にムワッヒド朝から独立した[[ハフス朝]]があり、これらの強力な王朝のもとで優れた[[イスラム建築]]が多数建設され、町並みが世界遺産に登録されているものも数多い。しかし、1517年にマムルーク朝、1574年にハフス朝が[[オスマン帝国]]によって併合される。

モロッコ、アルジェリア、チュニジアなどの北アフリカの北西部に位置するアラブ諸国はマグリブと呼ばれ、マシュリク(日の昇るところ、東方)に対して西方、すなわち、時と場合によってはリビアや[[モーリタニア]]も含められる。ただし、モーリタニアの南部は、歴史的に西スーダンのガーナ王国の中心部で、マリ帝国の版図に属していたことから、通常は西アフリカに区分される。


=== 東アフリカ・南アフリカ ===
=== 東アフリカ・南アフリカ ===
東アフリカの北部にあたる[[エチオピア]]では、[[4世紀]][[コプト教]]を国教とした[[アクスム王国]]が、[[ギリシャ]]、ローマ帝国、そして東ローマ帝国との交流をもち、紅海貿易で繁栄した。11世紀頃に[[ザグウェ朝]]が興り、世界遺産になっている[[ラリベラの岩窟教会群]]が造られた。沿岸部では、イスラム商人によるインド洋交易がさかんで、[[モガディシオ]]、[[キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群|キルワ]]、マリンディなどの港湾都市が繁栄した。交易路は、[[モザンビーク]]南部の港町[[ソファラ]]から[[ジンバブエ共和国|ジンバブ]]の[[ザンベジ川]]流域、[[リンポポ川]]流域にまで及び14~15世紀に[[ショナ人]]による[[モノモタパ王国]]が[[金]]や[[象牙]]の輸出で繁栄した。モノモタパ王国の首都と目される[[グレート・ジンバブエ遺跡]]からは、中国([[宋 (王朝)|宋]]、[[元 (王朝)|元]]、[[明]]代)の青花などの[[陶磁器]]、[[インド]]の[[綿]]製品、[[インドネシア]]の数珠玉、[[ペルシャ]]の[[壺]]などの出土がみられ、当時の交易が盛んであったことを物語っている。モノモタパ王国が衰退すると、[[ロズウィ王国]][[19世紀]]半ばまでジンバブの地を支配した。
東アフリカの北部にあたるエチオピアでは、4世紀にコプトを国教とした[[アクスム王国]]が、[[ギリシャ]]、ローマ帝国、そして東ローマ帝国との交流をもち、紅海貿易で繁栄した。11世紀頃に[[ザグウェ朝]]が興り、世界遺産になっている[[ラリベラの岩窟教会群]]が造られた。沿岸部では、イスラム商人によるインド洋交易がさかんで、[[モガディシオ]]、[[キルワ・キシワニとソンゴ・ムナラの遺跡群|キルワ]]、マリンディなどの港湾都市が繁栄した。交易路は、[[モザンビーク]]南部の港町[[ソファラ]]から[[ジンバブエ共和国|ジンバブ]]の[[ザンベジ川]]流域、[[リンポポ川]]流域にまで及び14-15世紀に[[ショナ人]]による[[モノモタパ王国]]が[[金]]や[[象牙]]の輸出で繁栄した。モノモタパ王国の首都と目される[[グレート・ジンバブエ遺跡]]からは、中国([[宋 (王朝)|宋]]、[[元 (王朝)|元]]、[[明]]代)の青花などの[[陶磁器]]、[[インド]]の[[綿]]製品、[[インドネシア]]の数珠玉、[[ペルシャ]]の[[壺]]などの出土がみられ、当時の交易が盛んであったことを物語っている。モノモタパ王国が衰退すると、{{仮リンク|ロズウィ王国|en|Rozwi Empire}}(1660年 - 1866年)が19世紀半ばまでジンバブの地を支配した。


=== 奴隷貿易 ===
=== 奴隷貿易 ===
{{Main|奴隷貿易}}
{{Main|奴隷貿易}}
長い間アフリカは、[[奴隷制度]]に蝕まれてきた<ref name=Slavery>{{cite web
|url=http://www.britannica.com/blackhistory/article-24157
|publisher=Encyclopædia Britannica
|title=Historical survey > Slave societies
|accessdate=2011-03-01
|language=英語}}</ref><ref>{{cite web
|url=http://www7.nationalgeographic.com/ngm/data/2001/10/01/html/ft_20011001.6.html
|publisher=National Geographic
|title=Swahili Coast
|author=Robert Caputo
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。7世紀から20世紀に至るまで[[アラブ人の奴隷貿易|アラブ世界への奴隷貿易]]は継続して行われ、1800万人がサハラ交易や[[インド洋]]貿易で取引された。[[大航海時代]]を迎えたヨーロッパのアフリカ進出は金が目的だったが、既にアラブ諸国への交易路が形成されていることを知ると、対象を奴隷の確保に変えた<ref name=Recca17>[[#レッカ2011|レッカ (2011)、pp.17-19、奴隷貿易、アフリカ分割を乗り越えて独立へ]]</ref>。15世紀から19世紀までの500年には{{仮リンク|大西洋奴隷貿易|en|Atlantic slave trade|label=アメリカ州向けの奴隷貿易|preserve=1}}が行われ、700-1200万人が新世界の奴隷として輸出された<ref name=Slavery /><ref>{{cite web
|url=http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/1523100.stm
|publisher=BBC News
|title=Focus on the slave trade
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref><ref>[https://books.google.co.jp/books?id=5t5ERBlosqUC&pg=PA25&dq=%22muslim+slave+trade%22&sig=XSpyahikSAcJv9wxLcLOJxylVL4&redir_esc=y&hl=ja ''Transformations in Slavery:A History of Slavery in Africa''] p 25 by Paul E. Lovejoy</ref>。


1820年代、西アフリカは大西洋航路の[[奴隷貿易]]が衰退し、地域の経済活動に変革を迫られた。ヨーロッパや新世界における[[奴隷制度廃止運動]]の沸きあがりに応じたジリ貧や、海岸部での[[イギリス海軍]]駐留数の増加は、アフリカ諸国に新しい経済体制の選択をさせた。1808年から1860年の間に、イギリスの{{仮リンク|西アフリカ小艦隊|en|West Africa Squadron}}は約1600隻の奴隷船を拿捕し、15万人のアフリカ人を解放した<ref>{{cite web
=== アフリカ分割 ===
|url=https://www.bbc.co.uk/devon/content/articles/2007/03/20/abolition_navy_feature.shtml
[[19世紀]]後半には、[[リベリア]]と[[エチオピア]]を除いて[[ヨーロッパ]]諸国による[[アフリカ分割]]が行われ、西アフリカの小王国が滅ぼされた。このとき国境線が民族や宗教に関係なく勝手に引かれたため、後の[[民族紛争]]の原因ともなった。
|publisher=BBC News
|title=Sailing against slavery
|author=Jo Loosemore
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。


また、奴隷貿易非合法化に抵抗する指導者層に対しても行動を起こし、例えば1851年「[[ラゴス]]の略奪王 (the usurping King of Lagos)」攻略などが挙げられる。反奴隷貿易の協定はアフリカ50カ国以上の国々で締結された<ref>{{cite web
|url=http://www.pdavis.nl/Background.htm#WAS
|title=The West African Squadron and slave trade
|publisher=Pdavis.nl
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。この動きに、国力があった[[アシャンティ王国]]、[[ダホメ王国]]、{{仮リンク|オヨ王国|en|Oyo Empire|preserve=1}}は順応する動きを取り、アシャンティやダホメは[[パーム油]]や[[カカオ]]、[[材木|ランバー材]]や金など、現在の主力でもある商品輸出という「合法的な通商」へ転換した。しかしオヨ王国は適応できず、内戦の末に崩壊した<ref>Simon, Julian L. (1995) ''State of Humanity'', Blackwell Publishing. p. 175. ISBN 1-55786-585-X.</ref>。

=== アフリカ分割 ===
[[ファイル:Map of Africa from Encyclopaedia Britannica 1890.jpg|サムネイル|200px|アフリカの地図 1890年]]
{{Main|アフリカ分割}}
[[19世紀]]後半には、アメリカ解放奴隷が建国した[[リベリア]]と[[第一次エチオピア戦争]]で独立を維持したエチオピアを除いて、ヨーロッパ諸国による[[アフリカ分割]]が行われ<ref name=Recca17 />、西アフリカの小王国が滅ぼされた。このとき国境線が民族や宗教に関係なく勝手に引かれたため、後の[[民族紛争]]の原因ともなった<ref>[[#地名2000|地名の世界地図 (2000)、第8章、pp.190-193、勝手に線引きされた国境]]</ref>。[[緯線]]や[[経線]]を基準に引かれていることが多い。
[https://amzprep.com/expedited-shipping/ Expedited shipping] refers to a faster delivery service compared to standard shipping. It often involves priority handling and quicker transit times, usually within 1-3 business days. While more expensive than standard shipping, it's ideal for urgent orders or time-sensitive deliveries.
=== 脱植民地化 ===
=== 脱植民地化 ===
{{Main|アフリカの脱植民地化|:en:Decolonization of Africa}}
{{Main|アジア・アフリカ諸国独立年表|[[:en:Decolonization of Africa]]}}
ヨーロッパ列強の[[帝国主義]]は[[第二次世界大戦]]以降も続いたが、次第に弱まってアフリカ諸国の独立への機運が高まった。1951年にはリビアが[[イタリア]]から、1956年にはチュニジアと[[モロッコ]]が[[フランス]]から独立を果たした<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=Ltzav890zpIC&pg=PA118&dq=tunisia+morocco+independance+1956&hl=fr&ei=M-AVTafIN4is8QPWosSDBw&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false Lucien Bély, ''History of France''. Editions Jean-paul Gisserot. 2001. page 118]</ref>。翌年には[[ガーナ]]が続き<ref>[https://books.google.co.jp/books?id=87V55ZHppSYC&pg=PA5&dq=ghana+independance+1957&hl=fr&ei=KeMVTfTRMImo8QPe5c2EBw&sa=X&oi=book_result&ct=result&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false Ernest Aryeetey, Jane Harrigan and Machiko Nissanke, ''Economic reforms in Ghana:the miracle and the mirage''. Africa World Press. 2000. page 5] [https://healthymaster.in/pages/corporate-gifting Healthy Snacks for Corporate Gifts]</ref>、サブサハラ初の脱植民地を成した。
[[1960年]]のいわゆる「アフリカの年」ごろからヨーロッパの植民地から次々に独立国が誕生し、[[独裁政治]]の発生や内戦などの問題をかかえつつ今日に至っている。→ [[アジア・アフリカ諸国の独立年表]]


なお、今日でも紛争、貧困エイズなど問題が山積するアフリカ地域で、協力関係構築ため、[[1963年]]5月に発足した[[アフリカ統一機構]](OAU)が、[[2002年]]7月9日に発展解消して[[アフリカ連合]]が成立した。
1960年のいわゆる「アフリカの年」ごろからヨーロッパの植民地から次々に独立国が誕生したが<ref name=Recca17 />[[独裁政治]]の発生や内戦など問題を抱えつつ今日に至ってい。なお、政治的統合をして、[[新植民地主義]]への対抗や民主主義の促進、アフリカ地域の国際的地位向上などを目指し1963年5月に発足した[[アフリカ統一機構]](OAU)が、2002年7月9日に発展解消して[[アフリカ連合]]が成立した<ref name=Recca17 />。これは、個々の国を超えた枠でのアフリカ政治の中心的役割を担い、今日でも紛争、貧困、エイズなど山積みする問題の解決や国際的地位の向上を目指している<ref name=Recca17 />

== 地理 ==
{{Main|アフリカの地理}}
[[ファイル:AfricaCIA-HiRes.jpg|左|サムネイル|200px|現在のアフリカ]]
北は地中海、西は[[大西洋]]、東は[[インド洋]]および[[紅海]]に面する<ref name=Recca20>レッカ (2011)、pp.20-23、アフリカの地形と気候</ref>。南端の[[アガラス岬]]で大西洋とインド洋が接する。南北約8,000[[キロメートル|km]]<ref>Lewin, Evans. (1924) ''Africa'', Clarendon press.</ref>、東西約7,400km<ref name="MW">(1998) ''Merriam-Webster's Geographical Dictionary (Index)'', Merriam-Webster. pp. 10–11. ISBN 0-87779-546-0.</ref>。海岸線は総延長26,000kmである<ref name=MW />。かつてはスエズ地峡により[[ユーラシア大陸]]とつながっていたが、現在では[[スエズ運河]]が開通して分断され<ref>Drysdale, Alasdair and Gerald H. Blake. (1985) ''The Middle East and North Africa'', Oxford University Press US. ISBN 0-19-503538-0.</ref>、この運河がアフリカとアジアの境界と受け取られる場合もある<ref>{{cite web
|url=http://www.nationalgeographic.com/xpeditions/atlas/index.html?Parent=africa&Rootmap=&Mode=d
|title=Atlas - Xpeditions @ nationalgeographic.com
|publisher=National Geographic Society
|year=2003
|accessdate=2011-03-01
}}</ref>。

大陸北側に世界最大の[[砂漠]]であるサハラ砂漠をもち、これによって大陸は大きく二つに分けられる。また大陸東部にはパンゲア大陸が[[ゴンドワナ]]・[[ローラシア]]大陸に分裂したときの名残である2,000kmの[[隆起地帯]](ドーミング)と、それを東西に切り裂く世界最大長の[[アフリカ大地溝帯]](東アフリカ地溝帯)が南北に走る<ref name=Hamaguchi>{{Cite web|和書
|url=http://wwwsoc.nii.ac.jp/kazan/J/koukai/98/hamaguchi.html
|title=日本火山学会第5回公開講座・1:アフリカの火山・東北の火山
|author=浜口博之
|publisher=[[京都大学]]生態学研究センター
|accessdate=2011-03-01
|url-status=dead|url-status-date=2018-01-22
|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120825024804/http://wwwsoc.nii.ac.jp/kazan/J/koukai/98/hamaguchi.html
|archivedate=2012-08-25
}}</ref>。この南端にはアフリカ大陸[[最高峰]]の[[キリマンジャロ山]](5,895[[メートル|m]])があり、これは他の五大陸最高峰が非火山であるのに対し唯一[[火山活動]]で形成されたものである<ref name=Hamaguchi />。大地溝帯には複数の[[火山]]や東アフリカ大湖沼群<ref name=Take>{{Cite web|和書
|url=http://www.ecology.kyoto-u.ac.jp/~nokuda/research&education/member.files/Takeyama/21COE.htm
|title=安定同位体を用いたダンガニイカ湖シクリッドの食物網の解明
|author=武山智博/[[東北大学]]大学院理学研究科教授
|publisher=[[日本火山学会]]
|accessdate=2011-03-01
}}</ref>があり、西側で接するエチオピア高原などの高地部分にも{{仮リンク|ニアムラギラ山|en|Mount Nyamuragira|preserve=1}}や[[ニーラゴンゴ山]]などの[[活火山]]や<ref name=Hamaguchi />[[ヴィクトリア湖]]などの[[古代湖]]が残る<ref name=Take />。しかしアフリカ大陸全体で、標高500m以上の領域は半分程度に過ぎない。理由はこれも大陸移動が関係しており、アフリカは[[パンゲア大陸]]の中心部として移動した距離が短く、山脈が形成されにくかったことが挙げられる<ref name=Recca20 />。[[マダガスカル]]を始めとした6つの島国が存在する。

== 動植物 ==
アフリカ大陸全般の経済成長で[[自然保護区]]が設置されるものの、依然として色濃く豊かな自然、人類学術的な側面から、生物の多様性とヒトを含めたその起源の候補地とされている。

* [[マルーラ]] - アフリカ各地に分布する[[植物]]の一種で[[ウルシ科]]に属する。分布地域では伝統的に[[食品]]や[[油]]として利用して来た歴史がある。
* [[ケイアップル]] - アフリカの原生植物の一つで[[ヤナギ科]]に属する。[[グレイト・ケイ川]]流域からアフリカ大陸東海岸沿いにかけて栽培されており、原産地は[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]となっている。

== 気候 ==
気候は多様である。ほぼ赤道直下に位置する大陸中央部は西部の[[ギニア湾]]沿岸から大陸中部のコンゴ盆地にかかる[[熱帯雨林]]で高温多湿な地域が広がり、これを挟んでセレンゲティ高原などの[[サバナ (地理)|サバンナ]]地域が広がる。さらに高緯度に向かうと[[砂漠気候]]域に入り、北にはサハラ砂漠、南には[[カラハリ砂漠]]が広がる。大陸北端と南端は[[地中海性気候]]域となる<ref name=Recca23>レッカ (2011)、pp23、ときには氷点下を記録する砂漠気候</ref>。


== 政治 ==
== 政治 ==
[[ファイル:Ruined tank in Hargeisa, Somaliland.jpg|200px|サムネイル|[[ソマリア]]で放棄された戦車。長期化する[[ソマリア内戦|内戦]]は解決の糸口を見出せない。]]
北部のチュニジア、エジプトなどを除き多くの国々は情勢が不安定であり、欧州などに比べると遙かに治安が悪い地区が多い。至る所で[[内戦]]が勃発しており、政治的に安定している国はごくわずかである。かつての植民地支配の影響などもあり、また、独立後に出来た独裁政権などの残した爪痕が今でも色濃く残っている。ただし、特に北部の国は、情勢が比較的安定している。なお、政治的統合をして、[[新植民地主義]]への対抗や民主主義の促進、アフリカ地域の国際的地位向上などを目指し設立された[[アフリカ連合]]が、個々の国を超えた枠でのアフリカ政治の中心的役割を果たしている。
[[ファイル:Somalis lining up for food.jpg|200px|サムネイル|食糧配給に列をなす[[ソマリア]]の人々。]]
=== 日本とのかかわり ===
アフリカの多くの国々は情勢が非常に不安定であり、ヨーロッパなどに比べると遙かに[[治安]]が悪い地区が多い。政治的に安定している国はごくわずかである。イギリスの雑誌『[[エコノミスト]]』は、2008年にアフリカ各国の政治情勢を民主主義達成度から分析し公表した。これによると、対象50カ国(ソマリア、セーシェル、サントメ・プリンシペ及び西サハラ、ソマリランドは含まれない)のうち、完全な[[民主主義]]を実現している国は[[モーリシャス]]ただ1国で、6カ国は欠陥のある民主主義、9カ国は独裁と民主政の混合状態、28カ国は完全な[[独裁体制]]と分析されている<ref name=Recca28>レッカ (2011)、pp.28-31、紛争によって国を追われる難民</ref>。
平成15年9月29日、小泉総理大臣の第3回アフリカ開発会議における基調演説においてアフリカの重債務貧困国等に対する総額約30億ドルの円借款債権の放棄を実施することを発表した。国民からは金利の低減・免除ではなくなぜ債権自体を放棄するのか大きな批判が起こった。主に欧米が「アフリカ救済」を前面に出し債権放棄を要求し圧力に屈する形で放棄に至ったため、声の大きい欧米にすぐに迎合し国益を全く考えていないとの指摘が出された。
アフリカ諸国への債権放棄を主張する中心国の一つの英国は僅か1000万ドルしか債権を保有していないことが明らかになった。


このような体制が出来上がった背景には、[[植民地|植民地支配]]の影響がある。現在のアフリカ各国の[[国境線]]は地形や民族構成などを反映しない単純な直線が多い。これはヨーロッパ[[列強]]間の力関係から引かれたもので、異なる民族や部族が混在または分離される結果を生んだ。そのため独立後にも国民はまとまりを欠き、強権的な政府体制として[[アフリカ社会主義|アフリカ型社会主義]]もしくは[[開発独裁]]体制が選択された。しかし前者は構造的に経済発展には向かず、後者は[[汚職]]や主導権争いが絶えなかった。さらには非アフリカ人を排除したために人材不足にも陥り<ref name=Uchida>{{Cite web|和書
== 経済 ==
|url=http://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~tetsuta/jeps/no3/uchida.pdf
[[ファイル:Joburg top.jpg|thumb|200px|南アフリカ最大の経済都市[[ヨハネスブルグ]]。アフリカを代表する[[世界都市]]の1つである。]]
|format=PDF
アフリカ最大の経済大国は[[南アフリカ]]である。アフリカ唯一の[[G20]]参加国であり、[[2010年]]には史上初めてアフリカ大陸でサッカーの[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]を開催している。またアフリカ第2の経済大国はエジプトであり、[[北部アフリカ]]において影響力の強い国の一つになっている。
|title=アフリカにおける開発経済学
|author=内田しのぶ
|publisher=[[香川大学]]経済学部経済政策研究
|accessdate=2011-03-01
|language=日本語
}}</ref>、結果的に、かつては「[[アジア・アフリカ会議|AA]]」もしくは[[南北問題]]と呼ばれて同じように発展途上に苦しんだ[[アジア]]各国が急速な経済発展を実現しつつあるのに対し、アフリカは「例外的に成長しない」経済体制と評され、取り残されたまま現在に至る<ref>{{Cite web|和書
|url=http://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2006/08.KATSUMURA.pdf
|format=PDF
|author=勝村務
|publisher=[[筑波学院大学]]紀要
|date=2006年
|title=世界経済論の焦点としてのアフリカ
|accessdate=2011-03-03
|language=日本語
}}</ref>。


そのために[[内戦]]や紛争も多く、代表的なものでは1991年からの[[ソマリア内戦]]、1997年からの[[コンゴ内戦]]、2003年からの[[ダルフール紛争]]などが尾を引いている<ref name=Recca28 />。国民の大多数が[[イスラム教]]徒であり、比較的に安定した政治を行っていた北アフリカ<ref name=Recca244>レッカ (2011)、pp.244-245、第8章 北アフリカ 序文</ref>も、2010年に発生した[[アラブの春|各国の動乱]]以来、政権が大きく揺らいでいる。
[[IMF]]によると、[[2009年]]のアフリカ52ヶ国の合計の[[GDP]]は1兆1848億ドル(約100兆円)であり、全世界の約2%のシェアとなっている。アフリカの1国平均のGDPは227億ドル(約2兆円)であり、[[鳥取県]]とほぼ同じ経済規模である<ref>[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2009/02/weodata/index.aspx IMF: World Economic Outlook Database]</ref>。


終わりが見えない内戦や紛争、および貧困から、アフリカでは多くの[[難民]]が発生している。[[国際連合難民高等弁務官事務所]]推計による2009年末のアフリカ難民は約230万人、さらに国内の避難民は約650万人にのぼる<ref name=Recca28 />。また、農村疲弊による人口の都市部集中に伴った[[スラム]]化も進展し、モザンビークやタンザニアなどでは人口の90%に相当するまで膨れ上がり、治安悪化などの問題が生じている<ref name=Recca28 />。
== 地理 ==
{{See|アフリカ連合|アフリカの政党}}
[[ファイル:AfricaCIA-HiRes.jpg|thumb|300pc]]
{{Main|アフリカの地理}}
{{also|{{仮リンク|アフリカの政治制度 (書籍)|en|African Political Systems}}}}


== 経済 ==
北は[[地中海]]、西は[[大西洋]]、東は[[インド洋]]および[[紅海]]に面する。南端の[[アガラス岬]]で大西洋とインド洋が接する。かつてはスエズ地峡により[[ユーラシア大陸]]とつながっていたが、[[スエズ運河]]の掘削によって陸上では連結していない。
{|class="wikitable" style="float:right;text-align:right;font-size:80%;margin:1em"
|-
|colspan=4|{{center|'''アフリカの名目GDP順位 (2022年)'''}}
|-
|colspan=1|順位
|colspan=1|{{center|国}}
|colspan=1|単位:100万ドル
|-
|1
|align=left|{{NGA}}
|510,588
|-
|2
|align=left|{{EGY}}
|435,621
|-
|3
|align=left|{{ZAF}}
|426,166
|-
|4
|align=left|{{DZA}}
|193,601
|-
|5
|align=left|{{MAR}}
|133,062
|-
|6
|align=left|{{KEN}}
|123,827
|-
|7
|align=left|{{ETH}}
|105,325
|-
|8
|align=left|{{TZA}}
|77,506
|-
|9
|align=left|{{AGO}}
|74,495
|-
|10
|align=left|{{GHA}}
|73,894
|-
|11
|align=left|{{CIV}}
|73,047
|-
|12
|align=left|{{COD}}
|64,795
|-
|13
|align=left|{{LBY}}
|48,773
|-
|14
|align=left|{{UGA}}
|46,377
|-
|15
|align=left|{{CMR}}
|45,713
|-
|16
|align=left|{{TUN}}
|45,642
|-
|17
|align=left|{{ZWE}}
|36,387
|-
|18
|align=left|{{SDN}}
|31,460
|-
|19
|align=left|{{SEN}}
|28,435
|-
|20
|align=left|{{ZMB}}
|26,665
|-
|21
|align=left|{{GAB}}
|22,456
|-
|22
|align=left|{{GIN}}
|20,952
|-
|colspan=3|''出典:[[国際通貨基金|IMF]]''{{R|GDP}}
|}[[ファイル:Joburg top.jpg|サムネイル|200px|南アフリカ最大の都市[[ヨハネスブルグ]]。アフリカ最大の[[金融センター]]である<ref>[http://www.zyen.com/GFCI/GFCI%209.pdf The Global Financial Centres Index 9]</ref>。]]
[[ファイル:Kobli1.jpg|200px|サムネイル|[[ベナン]]、2008年。農業はアフリカの主要な産業だが、決して経済性は高くない。]]
{{main|{{仮リンク|アフリカの経済|en|Economy of Africa}}}}
IMFによると、2009年のアフリカ52ヶ国の合計の[[国内総生産|GDP]]は1兆1848億ドル(約100兆円)であり、全世界の約2%のシェアとなっている。アフリカの1国平均のGDPは227億ドル(約2兆円)であり、[[鳥取県]](平成18-19年度<ref>{{Cite web|和書
|url=https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/kenmin/h19/gaiyou.pdf
|format=PDF
|publisher=内閣経済社会総合研究所
|title=平成19年度の県民経済計算について
|accessdate=2011-03-03
|language=日本語
}}</ref>)とほぼ同じ経済規模である<ref name="GDP">{{cite web
|url=http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2009/02/weodata/index.aspx
|publisher=国際通貨基金
|title=IMF:World Economic Outlook Database
|accessdate=2011-03-03
|language=英語
}}</ref>。アフリカ最大の経済大国は南アフリカである。アフリカ唯一の[[G20]]参加国であり、2010年には史上初めてアフリカ大陸でサッカーの[[FIFAワールドカップ|ワールドカップ]]を開催している。またアフリカ第2の経済大国はエジプトであり、[[北部アフリカ]]において影響力の強い国の一つになっている。


豊富な[[天然資源]]を持ちながら、アフリカは世界で最も貧しい発展途上の状態にある。これは、[[エイズ]]や[[マラリア]]など深刻な感染症の蔓延、高い[[腐敗認識指数]]で指摘される政治によって引き起こされる[[人権]]の抑圧や経済政策の失策、また国民の低水準な[[リテラシー]]や不得手な[[外交]]、さらに[[ゲリラ]]から大量殺戮まで含まれる[[部族]]間や[[軍隊]]による[[戦闘]]など、さまざまな要因の結果である<ref>Richard Sandbrook, The Politics of Africa's Economic Stagnation, Cambridge University Press, Cambridge, 1985 passim</ref>。国際連合の2003年度人間開発報告書によると、開発の度合いを示す尺度において調査対象の最低ランク25か国(151位から175位まで)を全てアフリカの国々が占めた<ref>{{cite web
大陸北側に世界最大の[[砂漠]]である[[サハラ砂漠]]をもち、これによって大陸は大きく二つに分けられる。また大陸東部には[[パンゲア大陸]]が[[ゴンドワナ]]・[[ローラシア]]大陸に分裂したときの名残である世界最大長の[[アフリカ大地溝帯]]が南北に走る。これに西側で接して、エチオピア高原などの高地があり、[[ヴィクトリア湖]]などの[[古代湖]]が残る。
|url=http://hdr.undp.org/
|publisher=国際連合
|title=Human Development Report
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。


貧困、文盲、栄養失調、不充分な給水体制や衛生管理、病気の蔓延などの悪影響をアフリカに住む多くの人々が受けている。2008年、[[世界銀行]]は国際的な[[貧困率]]の定義を1日当たり所得1USドル未満から1.25USドル未満に引き上げた<ref>{{Cite web|和書
重要な河川は[[ナイル川]]・[[ザイール川]]・[[ニジェール川]]など。大陸最高峰は[[キリマンジャロ山]](5,895m)。
|url=http://www.csr-magazine.com/knowledge/q_07.html
|title=絶対的貧困と相対的貧困
|publisher=CSR Magazine
|accessdate=2011-03-01
|language=日本語
}}</ref>。サブサハラ諸国では、人口の80.5%が1日当たり2.5USドル未満([[購買力平価説|PPP]])で暮らしている<ref>{{cite web
|url=http://siteresources.worldbank.org/JAPANINJAPANESEEXT/Resources/515497-1201490097949/080827_The_Developing_World_is_Poorer_than_we_Thought.pdf
|format=PDF
|title=The developing world is poorer than we thought, but no less successful in the fight against poverty
|publisher=World Bank
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。


この統計は、サブサハラが1日1.25USドルという貧困の基準を脱することが世界中で非常に難しい地域であることを示す。1981年のデータではこの地域に住む50%(2億人に相当)の人々が貧困層に相当していたが、1996年には58%まで上昇し、2005年には率は50%となったが人口の絶対数は3.8億人に増加している。貧困層平均所得は1日0.7USドルに過ぎず、2003年の数値は1973年よりも悪化している<ref>{{cite web
200m未満の平地や低地は少なく9.7%しかない。
|url=http://www.un.org/Depts/rcnyo/newsletter/survs/ecasurv2004.doc
|format=DOC
|title=Economic report on Africa 2004:unlocking Africa’s potential in the global economy, (Substantive session 28 June-23 July 2004)
|publisher=国際連合
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。


この原因を、外国企業と外国政府主導による経済自由化政策の失敗に求めることもあるが、このような外的要因よりも国内政治の失策が大きいという指摘もある<ref>{{cite web
気候は多様である。大陸中央部はほぼ赤道直下に位置し、高温多湿であり、これをはさんでセレンゲティ高原などの[[サバナ (地理)|サバンナ]]地域が広がる。西部の[[ギニア湾]]沿岸から大陸中部の[[コンゴ盆地]]にかけては[[熱帯雨林]]で、大陸南部は[[温暖湿潤気候]]および[[西岸海洋性気候]]である。南アフリカ共和国の南端では[[地中海性気候]]である。
|url=http://www.globalpolitician.com/21498-africa-malawi-poverty
|title=Neo-Liberalism and the Economic and Political Future of Africa
|publisher=Globalpolitician.com
|date=2005-12-19
|accessdate=2010-05-18
}}</ref><ref>{{cite web
|url=http://science.jrank.org/pages/8526/Capitalism-Africa-Neoliberalism-Structural-Adjustment-African-Reaction.html
|title=Capitalism – Africa – Neoliberalism, Structural Adjustment, And The African Reaction
|publisher=Science.jrank.org
|accessdate=2011-03-01
}}</ref>。


1995年から10年間にアフリカは経済成長を続け、2005年の平均成長率は5%に達した。さらに、埋蔵[[石油]]を持ち輸出に振り分けるため掘削に着手したアンゴラ・スーダン・[[赤道ギニア]]など数カ国はさらなる成長が見込まれる。さらにアフリカには世界中の[[コバルト]]90%、[[白金]]90%と金の50%、[[クロム]]98%、{{仮リンク|タンタル石|en|tantalite|label=タンタライト|preserve=1}}70%<ref>{{cite web
== 人口統計 ==
|url=http://allafrica.com/stories/200802070635.html
{{Main|アフリカの人口統計|:en:Demographics of Africa}}
|title=Africa:Developed Countries' Leverage On the Continent
[[ファイル:African_language_families_en.svg|right|150px|thumb|アフリカの語族および主要なアフリカ言語の分布を示す地図。]]
|publisher=all Africa .com
[[ファイル:Official LanguagesMap-Africa.png|right|150px|thumb|多くのアフリカ諸国では1つ以上の公用語を話す]]
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>、[[マンガン]]64%、[[ウラン]]33%<ref>{{cite web
|url=http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/africa/article3319909.ece
|title=Africa, China's new frontier
|publisher=The Times Online
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>が存在すると考えられている。[[コンゴ民主共和国]]には、[[携帯電話]]の製造に欠かせない[[コルタン]]が世界の70%に相当する量に上り、[[ダイヤモンド]]も世界の30%以上が同国に存在する<ref>{{cite web
|url=http://siteresources.worldbank.org/JAPANINJAPANESEEXT/Resources/515497-1201490097949/08 http://news.bbc.co.uk/2/hi/africa/5209428.stm
|title=DR Congo poll crucial for Africa
|publisher=BBC News
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。[[ギニア]]は世界最大の[[ボーキサイト]]供給国である<ref>{{cite web
|url=http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/africa/article6871943.ece
|title=China tightens grip on Africa with $4.4bn lifeline for Guinea junta
|publisher=The Times Online
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。このようにアフリカの経済成長はほとんどが資源提供を背景としたもので、工業や農業の発展ではなく、雇用創出や貧困からの脱却に寄与していない。実際に、2008年にリーマンショックを原因として起こった食糧危機では、1億人が飢餓状態に陥った<ref>{{cite web
|url=http://www.strategicforesight.com/african_decade.htm
|title=The African Decade?
|author=Ilmas Futehally
|publisher=Strategic Foresight Group
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。


特に[[中華人民共和国]]はかねてからアフリカ諸国への{{仮リンク|スタジアム外交|en|Stadium diplomacy}}や大統領府<ref>{{Cite web|url=https://wedge.ismedia.jp/articles/-/12452|title=中国がアフリカを新たに植民地化?|author=岡崎研究所 |publisher=WEDGE Infinity|accessdate=2018-07-24|language=英語}}</ref>などの[[箱物]]や[[タンザン鉄道]]の建設に象徴される強い結びつきを構築してアフリカ連合本部も建設しており、2009年に中国はアフリカ最大の貿易相手国になった<ref name=Africa>{{Cite web|和書
現在、アフリカの人口は爆発的に増えている。世界の人口は増え続ける傾向にあるが、アフリカ地域の増加分がかなりの量を占めている。この人口増加は経済成長を伴っていないため、環境破壊や貧困層の増大などさまざまな問題をもたらしている。大陸全体が[[リカードの罠]]に陥っているとの指摘もある。
|url=https://www.huffingtonpost.jp/foresight/china-africa-industrialization_b_9015870.html
|title=「アフリカの工業化」を打ち出した「中国の新戦略」への評価
|author=ハフポスト
|authorlink=ハフポスト
|accessdate=2016-01-20
|language=日本語
}}</ref>。


鉱業を除けばアフリカの主要産業は農業であり、他国と産業構造が著しく異なる南アフリカを除くとその就業人口比は66.1%、輸出比は15.4%(2000年)である。しかしこれらはカカオなど特定地域の特定産物を除けば農業生産性が高い[[アメリカ合衆国]]等農業先進国との競争には弱く、大半の農産物はアフリカ内部で消費される。しかしながら、1961年から2000年にかけて人口が3倍になったのに対し、穀物は1.35倍程度しか伸長していない。土地の生産性もアジアや南アメリカが大きく伸ばしているのに対し4割以下まで落ち込んでいる。このような状況に陥った要因は、アフリカでは人口増加に対応する農業生産を高める手段をもっぱら耕地面積の拡大に依存した点がある。しかしこれは痩せた土地の利用や少ない水資源の制約等がからみ、充分な効果をあげることができなかったことを物語る<ref name=Uchida />。2010年に[[ハーバード大学]]は、政治さえ安定していればアフリカは食糧自給が可能との研究結果を発表した<ref>{{cite web
一方、特に中南部諸国において[[平均寿命]]の著しい低下が見られる。これは主に[[後天性免疫不全症候群|エイズ]]の蔓延が原因で、国家予算の半分近くがエイズ対策に費やされる国家すら出現し、大きな社会問題となっている。
|url=http://www.sciencedaily.com/releases/2010/12/101202124337.htm
|title=Africa Can Feed Itself in a Generation, Experts Say.
|publisher=Science Daily
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。低い農業生産性は、従事者の貧困を招く原因のひとつであり、農業改革を行う技術や人材の育成が望まれる<ref name=Uchida />。


アフリカの農地は、その65%が土壌浸食の被害を受けている<ref>{{cite web
特に[[モロッコ]]、[[アルジェリア]]、[[チュニジア]]などの北アフリカの北西部に位置するアラブ諸国は[[マグリブ]]と呼ばれ、マシュリク(日の昇るところ、東方)に対して西方、すなわち、時と場合によっては[[リビア]]や[[モーリタニア]]も含められる。ただし、モーリタニアの南部は、歴史的に西スーダンのガーナ王国の中心部で、マリ帝国の版図に属していたことから、通常は[[西アフリカ]]に区分される。
|url=http://www.independent.co.uk/news/world/africa/nature-laid-waste-the-destruction-of-africa-844370.html
|title=Nature laid waste:The destruction of Africa
|publisher=The Independent
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。また、[[国際連合環境計画]] (UNEP) によると、アフリカの[[森林破壊]]は世界平均の2倍の速度で進行している<ref>{{cite web
|url=http://www.africanews.com/site/list_messages/18831
|title=Deforestation reaches worrying level – UN
|publisher=Africa News
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。報告の中には、西アフリカの約9割が既に破壊されたというものもある<ref>{{cite web
|url=http://www.afrol.com/features/10278
|title=Forests and deforestation in Africa – the wasting of an immense resource
|publisher=afrol News
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。これはマダガスカルでも同様で、人類が進出してからの2000年で90%以上の原生林が失われた<ref>{{cite web
|url=http://www.nationalgeographic.com/wildworld/profiles/terrestrial/at/at0118.html
|title=Terrestrial Ecoregions – Madagascar subhumid forests (AT0118)
|publisher=National Geographic
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。干ばつや[[灌漑]]などによる環境への影響もあり、チャド湖は40年前と比較して面積が1/10まで減少した<ref name=Recca28 />。
{{See also|アフリカ経済委員会|{{仮リンク|アフリカにおける貧困|en|Poverty in Africa}}}}


== 科学技術 ==
[[イスラム教]]とともに[[アラブ人]]が入ってくるまでは、[[ベルベル人]]の居住する地域であった。現在も多数派となったアラブ人に混じってベルベル人が残っている。
{{main|{{仮リンク|アフリカの科学技術|en|History of science and technology in Africa}}}}
アフリカには、人類の技術的成果に関する世界最古の記録が遺されている。代表的なものとしては原始時代や古代における石器の存在が挙げられ、数学、冶金、建築、その他の分野においてもアフリカが発祥となるものが多い。


しかしそんな顕著な発展があったにも拘わらず、それ以降のアフリカの科学技術の歴史は、世界の他の地域に比べて比較的注目される度合いが低い侭となっている。
[[1989年]]にマグリブ5か国は、[[ヨーロッパ連合]]にならって経済統合を促進するためにマグリブ連合を結成したが、[[アルジェリア]]情勢の不安定などから地域統合を進めることができず、連合としての活動はあまり見られない。
{{節スタブ}}


== 人口統計 ==
なお、欧米や[[日本]]で「[[モロッコ]]」と呼ばれる国の[[アラビア語]]による正式な国名はアル=マムラカ・アル=マグリビーヤ(al-Mamlaka al-Maghribiya, マグリビーヤは[[マグリブ]]の形容詞形)といい、直訳すれば「マグリブ(日の没する地)の王国」という意味にあたる。
{{main|{{仮リンク|アフリカの人口統計|en|Demographics of Africa}}}}
[[ファイル:African_language_families_en.svg|サムネイル|200px|アフリカの語族および主要なアフリカ言語の分布を示す地図。]]
[[ファイル:Official languages in Africa.svg|サムネイル|upright=1.5|多くのアフリカ諸国では1つ以上の公用語を話す
{|cellpadding="0"
|-
|{{legend|#FF8C00|[[アフリカーンス語]]}} ||{{legend|#8EB423|[[ポルトガル語]]}}
|-
|{{legend|#19822D|[[アラビア語]]}} ||{{legend|#DAC716|[[スペイン語]]}}
|-
|{{legend|#C35A91|英語}} ||{{legend|#55433B|[[スワヒリ語]]}}
|-
|{{legend|#415096|[[フランス語]]}} ||{{legend|#8A8B8D|その他の言語}}
|}]]
現在、アフリカの人口は爆発的に増え、特にこの40年は顕著である。国によっては人口の半数以上が25歳以下という所もある<ref>{{cite web
|url=http://www.overpopulation.org/Africa.html
|title=Africa Population Dynamics
|accessdate=2011-03-01
}}</ref>。総人口は、1950年に2億2100万人だったが、2009年には10億人まで膨れ上がった<ref>{{cite web
|url=http://bioweb.wku.edu/courses/Biol115/wyatt/Population/pop1.htm
|publisher=Western Kentucky University
|title=The World Balance Population
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref><ref>{{cite web
|url=http://www.africanews.com/site/Africas_population_now_1_billion/list_messages/26588
|publisher=Africa News
|title=Africa's population now 1 billion
|author=Kingsley Kobo
|accessdate=2011-03-01
|language=英語
}}</ref>。世界の人口は増え続ける傾向にあるが、アフリカ地域の増加分がかなりの量を占めている。この人口増加は経済成長を伴っていないため、環境破壊や貧困層の増大などさまざまな問題をもたらしている。大陸全体が[[リカードの等価定理|リカードの罠]]に陥っているとの指摘もある。


=== 民族 ===
=== 民族 ===
{{Main|アフリカ人|:en:African people}}
{{Main|アフリカ人}}
北アフリカは、イスラム教とともに[[アラブ人]]が入ってくるまでは、ベルベル人の居住する地域であった。現在も多数派となったアラブ人に混じってベルベル人が残っている。
中南アフリカでは、従来からの先住民族が暮らす。
{{See also|{{仮リンク|アフリカのディアスポラ|en|African diaspora}}}}


=== 言語 ===
=== 言語 ===
{{Main|アフリカの言語|:en:Languages of Africa}}
{{Main|アフリカの言語}}
アフリカは[[言語]]の種類が多い。系統分類では4語族に大別されるが、部族毎に異なる特徴を持つために多くの言語数に分岐し、世界の言語数のうち30%程度を占めるとも言われる。また、同じ人々が使う言語にも、部族語と地域共通語、さらに[[公用語]]と状況に応じて使い分けられる垂直型の多層言語が存在し、総言語数を多くしている<ref>{{Cite web|和書
|url=http://gcoe.hus.osaka-u.ac.jp/kaji.pdf
|format=PDF
|author=梶茂樹/京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授
|publisher=[[大阪大学]]グローバルCOEプログラム
|title=共生社会を生きるアフリカの言語と社会
|accessdate=2011-03-01
|language=日本語
}}</ref>。

ほとんどの国では植民地支配の影響をそのまま受け、欧米の言語を公用語としており、政府機関の作業言語や[[教授言語]]となっている。一方、エリート層と旧宗主国・欧米先進国との密接な関係から、国家ぐるみでもアフリカ固有の言語の普及や促進には力が入れられていないため、エリート層と庶民の間の教育格差という問題の発生につながっている。特に[[サブサハラ]]諸国においては、一部の国でアフリカ固有の言語も公用語に加えられているものの、実際にはタンザニア(スワヒリ語)やエチオピア(アムハラ語)、ソマリア(ソマリ語)の例外を除き、ほとんどが形骸化している。


=== 宗教 ===
=== 宗教 ===
{{Main|アフリカの宗教|:en:Religion in Africa}}
{{main|{{仮リンク|アフリカの宗教|en|Religion in Africa}}}}
アフリカには1500以上の民族集団があり、それぞれが固有の信仰と儀礼体系を持っている<ref name="Mizoguchi">溝口大助 [[櫻井義秀]] ・平藤喜久子(編)「アフリカの宗教」『よくわかる宗教学』 ミネルヴァ書房 <やわらかアカデミズム<わかる>シリーズ> 2015年、ISBN 9784623072750 pp.106-107.</ref>。さらに、イスラム教[[スンナ派]]、[[キリスト教]]の[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]、[[プロテスタント]]の各派が分布している。また、これらの[[世界宗教]]と土着宗教が混淆し、[[シンクレティズム]]によって独自に発展した宗派もある<ref name="Mizoguchi"/>。

伝統的な土着宗教は、[[祖霊信仰]]や[[自然崇拝]]に加え、サブサハラでは[[創造神]]の概念も存在する<ref name=Recca84>レッカ (2011)、pp.84-85、アフリカ宗教分布MAP</ref>。また、[[呪術]]信仰も根強く、これを担う[[シャーマニズム]]も健在である<ref name=Recca86>レッカ (2011)、p.86、シャーマンと呪術</ref>。
多くのアフリカの土着宗教には、予測不能な不幸が発生したとき、不幸の原因を想像力で理解するための適切な解釈を与え、その不幸に対処するための複数の観念や制度を内包したものであること、農耕儀礼や人生の通過儀礼など幸福を希求する儀礼的実践であることが、共通する特徴として見られる<ref name="Mizoguchi"/>。
{{see also|{{仮リンク|アフリカの伝統宗教|en|Traditional African religions|fr|Religions traditionnelles africaines}}}}

世界宗教のアフリカ伝播は、ローマ帝国の領土拡大に伴うローマ・カトリックが最初に当たり、これは4-5世紀に北アフリカで最盛期を迎える。しかしこれは同帝国の衰退とアラブ人の進出によって衰退した。19世紀のアフリカ分割に伴うヨーロッパ列強の植民地化によって再びローマ・カトリックは広まったが、この地域は中央アフリカに場所を変えていた<ref name=Recca84 />。イスラム教スンナ派は北アフリカを中心に人口の30-40%を占める。その伝播経路は、ナイル川に沿ったアラブ人の進出、サハラ交易による伝播、海上貿易による東海岸沿岸への伝播の3つがある<ref name=Recca84 />。プロテスタントもまたアフリカ分割とともに広まったが、その地域は南部が主流となった。南アフリカにはいち早くアフリカ人によって教会が建設された。その特色は[[聖書中心主義]]があり、また[[ペンテコステ派]]と土着宗教が融合した精霊教会という形態も存在する<ref name=Recca84 />。
{{See also|{{仮リンク|アフリカの国別における宗教の自由|en|Freedom of religion in Africa by country}}}}


=== 教育 ===
=== 教育 ===
{{Main|アフリカの教育|:en:Education in Africa}}
{{main|{{仮リンク|アフリカの教育|en|Education in Africa}}}}
アフリカの[[教育]]は世界の中で未発達で、特にサハラ以南の多くの国々で[[就学率]]が低い。学校は基礎設備に欠き、[[アフリカの大学]]は生徒の増加と、教職員がより高い給料を求めて西側諸国に移住する為の不足が問題。
アフリカの[[教育]]は世界の中で未発達で、特にサハラ以南の多くの国々で[[就学率]]が低い。学校は基礎設備に欠き、[[アフリカの大学]]は生徒の増加と、教職員がより高い給料を求めて西側諸国に移住する為の不足が問題となっている[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]2000年の調査「Regional overview on sub-Saharan Africa」では、児童就学率は58%に止まった<ref>{{cite web
|url=http://www.unesco.org/education/efa_report/zoom_regions_pdf/ssafrica.pdf
|format=PDF
|publisher=国際連合教育科学文化機関
|title=Regional overview on sub-Saharan Africa
|accessdate=2011-03-01
|pages=1
|chapter=Universal primary education:still a long way to go, especially for girls
|language=英語
}}</ref>。


アフリカでは出生登録が充分に行われず、親が子供に教育を受けさせようとする意識が低い。これらに貧困が加わり、教育現場からの脱落のみならず、児童労働や人身売買、育児放棄や犯罪、子供が戦場へ狩り出されるなど様々な問題が生じている<ref name=Uchida />。
[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[2000年]]の調査 "Regional overview on sub-Saharan Africa" では児童就学率は58%だった。

ステレンボッシュ大学は、南アフリカのラグビーの「メッカ」と評され、「アフリカ民族主義のルーツ」を明らかにすることで、英語圏の大学に対抗していた<ref>{{Cite web|title=Summon 2.0|url=https://aucegypt.summon.serialssolutions.com/#!/search?bookMark=eNqNkE1PAjEYhGtEo6xcjD8AT57At9_bo2xQSUi8GK9N231LQNzFbTHRXy-EAx49TubJzGT6pNe0DRJyQ2HMOOj71TjkL9r8LFgwJ6RPDStFCVzq07_ifCfYjjdKK3FBBiktPQjYe4JdkutZM6yXMWKHTR7m5QemK3IW3TrhgPRyt8WCvD1OX6vn0fzlaVY9zEeOCQAYlUrWSgIqI4ORQtU1Fy6KqD16XYOQUaAzFEoZfZQOqObclCXWxocotOEFuT0Eu23Axfcm2-CyW7cL6zkFqaWirCB3B2bTtZ9bTNmib9v3sBvbubWdTirFGaXaHMlVym1n91SyFOz-Kruyx6vYf3p_AXKhZGo|website=aucegypt.summon.serialssolutions.com|accessdate=2021-12-01}}</ref>。


==== 運動 ====
==== 運動 ====
* [[アフリカ開発のための新パートナーシップ|NEPAD]]'s [[NEPAD E-School program|E-school program]], [[インターネット]]・[[コンピュータ]]設備を大陸全学校に備える事を目的としている
*[[アフリカ開発のための新パートナーシップ|NEPAD]]'s [[NEPAD E-School program|E-school program]], [[インターネット]]・[[コンピュータ]]設備を大陸全学校に備える事を目的としている<ref>{{Cite web|和書
|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/new_afi.html
* [[ブリティッシュ・エアウェイズ]] は[[国際連合児童基金|ユニセフ]]と共に "Change for Good in Africa" プロジェクトとして、 モデルスクール・Kuje Science Primary Schoolを[[ナイジェリア]]に建てた([[2002年]])。
|title=アフリカ開発のための新パートナーシップ
|publisher=[[外務省]]
|accessdate=2011-03-01
|language=日本語 }}</ref>。
*[[ブリティッシュ・エアウェイズ]] は[[国際連合児童基金|ユニセフ]]と共に "Change for Good in Africa" プロジェクトとして、 モデルスクール・Kuje Science Primary Schoolをナイジェリアに建てた(2002年)<ref>{{Cite web|和書
|url=http://website.informer.com/change+for+good+in+africa
|title=Web sites related to change for good in africa
|publisher=website.informer.com
|accessdate=2011-03-01
|language=日本語 }}</ref>。


=== 保健 ===
=== 保健 ===
[[ファイル:Starved girl.jpg|150px|サムネイル|[[ナイジェリア]]救援キャンプの少女。栄養失調から来る[[クワシオルコル]]の症状が見られる。1960年代に撮影された。]]
{{Main|アフリカのHIV/AIDS|:en:HIV/AIDS in Africa}}
アフリカは栄養・医療・衛生面でさまざまな問題を抱えている。2008年度世界の栄養不足率が高い10位(同率があり12カ国)は[[ハイチ]]を除いてアフリカ諸国に占められ、1位のコンゴ民主共和国は76%の国民が相当する<ref>The State of Food Insecurity in the World 2008</ref>。このような環境は乳幼児にも悪影響を及ぼし、サブサハラ全体で5歳未満の死亡率は15-20%で推移している。これも、[[下痢]]や[[はしか]]など医療環境が整っていれば助かるものだが、[[世界保健機関]] (WHO)が定める最低医療体制である人口10万人あたりの[[医師]]20人・[[看護師]]100人・その他医療従事者228人という基準を満たすサブサハラの国は南アフリカのみである(2007年度)<ref name=Recca26>レッカ (2011)、pp.26-28、不足する医療と増加するHIV感染者</ref>。

{{main|{{仮リンク|アフリカのHIV/AIDS|en|HIV/AIDS in Africa}}}}
また、[[後天性免疫不全症候群]](エイズ)の蔓延も大きな問題となっており<ref name=Recca26 />、国家予算の半分近くがエイズ対策に費やされる国家すら出現している。特にサブサハラではひどく、15歳以上の感染率はスワジランドでは26.1%、ボツワナでは23.9%にのぼる(2008年<ref>2008 Report on the global AIDS epidemic</ref>)。感染者数最大は医療体制が比較的充実している南アフリカの570万人である。世界中のエイズ感染者のうち2/3がサブサハラに集中している<ref name=Recca26 />。この蔓延には女性の社会的地位が低いことも一因であり、[[強姦|レイプ]]の多発や[[一夫多妻制]]などが影響していると考えられ、実際に感染率は女性の方が軒並み高い<ref name=Recca26 />。これらの要因から中南部諸国における[[平均寿命]]は著しく低下し、10カ国以上で50歳を下回っている<ref name=Recca26 />。

{{see also|{{仮リンク|アフリカン・ヘルス・サイエンス|en|African Health Sciences}}}}

== 治安 ==
アフリカの治安は現今、どのエリアにおいても確実に安定しているとは言い難い。その理由の一つとして挙げられるのは[[紛争]]による経済の発展の停滞である。アフリカでは近年、紛争が特定地域に集中する傾向があり、北アフリカでは[[リビア]]、西アフリカでは[[マリ共和国|マリ]]から[[ナイジェリア]]北部地域、中部アフリカでは[[中央アフリカ共和国]]と[[コンゴ民主共和国]]東部地域、東アフリカでは[[南スーダン]]と[[ソマリア]]南部地域がその一例に挙げられる。

原因となるものは主に[[イスラーム過激主義|イスラーム急進主義]]と国家そのものを巡る問題の二つが挙げられる。

一つ目の問題であるイスラーム急進主義は宗教に関係する面を持っているが、一般的な宗教問題と違い、内容が[[テロリズム]]に絡んだものが殆どであることから宗教とは別次元の問題とされている。

イスラーム急進主義を掲げる組織が活動を広げる理由は地域によって異なるが、共通するものには地理的に近い[[中東]]の影響が深い点がある。アラブ人が住民の圧倒的多数を占める北アフリカは勿論のこと、サハラ砂漠南縁部もほとんどの住民が[[ムスリム]]である事から中東で活発化したイスラーム急進主義の余波が、武器や資金の供与などを通じて、広がりやすい社会環境を作り上げている。

上述した国々の中で、リビアは今日イスラーム急進主義組織の一つである[[ISIL|IS]](イスラム国)の主要拠点の一つになっており、マリ、ナイジェリア、ソマリアなど、サハラ砂漠周辺地域でも、しばしば[[アルカーイダ]]やISとの関係を強調しイスラーム急進主義を掲げる組織が紛争の原因となっている。

もう一つの問題は国家が国民からの信頼を失っている点にある。多くの場合、開発の失敗や汚職をはじめ人種差別や言語の違いによる対立などにより政府が人々の信頼を失った状況に立たされている。一例として南部アフリカの[[南アフリカ共和国]]と中部アフリカの[[カメルーン]]が挙げられる。

南アフリカ共和国では[[アパルトヘイト]]廃止後に起きた失業問題に端を発する形で治安が急速に悪化してしまっており、同国の都市では、[[殺人]]や[[強盗]](強盗殺人を含む)、[[強姦]]、[[麻薬]]売買などの凶悪犯罪が昼夜を問わず多発している。また、カメルーンでは公用語に対する意識の違いから、国内地域が仏語話者と英語話者の2グループによって仕切られていて、英語圏地域が分離賛成派を中心に独立を掲げて同国政府へ反発する形で対立している。さらに言語による独立運動には過激な活動が相次ぎ、武装蜂起する流れも常態化している。

そして、その渦中の国家に数え上げるイスラム圏該当エリアの国では、そこに急進主義勢力が「'''正しいイスラーム'''」を掲げて武装活動を活発化させているのである。イスラーム急進主義には一種の「世直し運動」という性格があり、[[自爆テロ]]などの過激かつ凄惨な内容の手段を取ることが「命を懸けた主張」として捉えられている面を持つ。これらが現地政府への不信感と相俟って、[[大義名分]]に等しい扱いを受ける形で支持を受ける状態となっている。そういった考えや[[価値観]]が先に挙げた地域における社会で一定の共感を得たり共有されている為、問題の解決を非常に困難としてしまっている。

これらの国家や地域ではそうした事情から深刻な経済停滞が続いており、先述の国々は現状では解消される様子が見受けられず、現地住民の大半は常に逼迫した社会環境の中で危険と隣り合わせな生活を余儀なくされている。

しかし、それ以外の地域では大きな紛争はあまり発生しておらず、治安などが比較的安定した面が窺える。東アフリカの[[ルワンダ]]では、1994年に[[少数派]][[民族]]([[ツチ|トゥチ]])を標的とした[[ルワンダ紛争|大量虐殺]]が起こり、少なくとも50万人が殺害されたとされている。同国は現在、政治的に安定しており、大きな事件が起こる確率も当時に比べて格段に低くなっている。
{{節スタブ}}

=== 人権 ===
アフリカでは人権侵害をはじめとして、先の欄で挙げた干魃や飢餓、内戦や民族紛争などの危機的状況により自国を脱出する人々が後を絶たない。中には[[難民]]として他国へ[[亡命]]を図る人が大勢存在する。これに絡み、亡命先の国では幾多もの騒動や排他的な姿勢をとる人物の出現によって引き起こされる事件が問題化している面を持つ。
{{節スタブ}}
{{See also|人及び人民の権利に関するアフリカ憲章|{{仮リンク|アフリカ人権委員会|en|African Commission on Human and Peoples' Rights}}}}


== 文化 ==
== 文化 ==
{{Main|アフリカの文化|:en:Culture of Africa}}
{{Main|{{仮リンク|アフリカの文化|en|Culture of Africa}}}}
[[エジプト]]から[[モロッコ]]までの北アフリカ諸国は、[[アラブ文化]]と関わりを持つ人々がいる。
エジプトからモロッコまでの北アフリカ諸国は、{{仮リンク|アラブ文化|en|Arab culture}}と関わりを持つ人々がいる。
{{節スタブ}}
{{See also|{{仮リンク|アフリカニズム|en|Africanisms}}}}


=== 食文化 ===
=== 食文化 ===
[[ファイル:Ugali and cabbage.jpg|200px|サムネイル|[[ウガリ]]]]
{{Main|アフリカ料理|:en:African cuisine}}
{{Main|アフリカ料理}}
アフリカの食文化は、[[狩猟民族]]的特長が強い。すなわち、肉やイモ類などをそれぞれ単一で料理し、複数の食材を混ぜて調理することは少ない<ref name=Recca240>レッカ (2011)、pp.240-241、アフリカ料理MAP</ref>。また、[[米]]を除く[[穀類]]のほとんどを挽いて[[粉食]]する点も特徴である。この代表が、イネ科穀物の粉を用いる西アフリカの「トー」や東アフリカの「[[ウガリ]]」が代表的である<ref name=Recca240 />。

[[酒]]では西部から中央部で作られる[[ヤシ酒]]、熱帯地方のバナナ酒などの特色がある。トウモロコシ類から[[ビール]]、もろみやバナナ酒から[[蒸留酒]]も造られる。[[ワイン]]醸造も行われ、現代では南アフリカが盛んな地域に当る<ref name=Recca240 />。


=== 文学 ===
=== 文学 ===
{{Main|アフリカ文学}}
{{Main|アフリカ文学}}
{{節スタブ}}


=== 哲学 ===
=== 哲学 ===
{{Main|アフリカ哲学|:en:African philosophy}}
{{Main|[[アフリカ哲学]]}}
{{節スタブ}}


=== 音楽 ===
=== 音楽 ===
[[ファイル:Ke-Nako Music-Performance Vienna2008c.jpg|150px|サムネイル|2010年、南アフリカでドラムを演奏する男性。]]
{{Main|アフリカ音楽|:en:Music of Africa}}
{{Main|アフリカの音楽}}
特にサブサハラのアフリカ音楽は儀礼と結びつきが強く、[[ダンス]]に伴って演奏される。[[体鳴楽器]]や[[膜鳴楽器]]は独自のものが多様に存在し、前者では[[ラメラフォン|ラメラフォーン]]や[[コラ (楽器)|コラ]]、後者では様々な[[太鼓|ドラム]]が知られる。中には伝達手段に用いられる[[トーキングドラム]]などもある<ref name=Recca142>レッカ (2011)、p.142、アフリカ音楽と楽器</ref>。

また、リンガラ音楽こと旧[[ザイール]](現コンゴ民主共和国)の[[スークース]]や、[[フェラ・クティ]]や[[マヌ・ディバンゴ]]らによるファンキーな[[アフロビート]]、ガーナの[[ハイライフ]]、アルジェリアの[[ライ]]、アンゴラの[[クドゥーロ]]、タンザニアの[[ボンゴフレーバー]]、モザンビークの[[マラベンタ]]などの[[アフリカのポピュラー音楽]]もよく知られている。
{{See also|{{仮リンク|アフリカ音楽国際図書館|en|International Library of African Music}}|{{仮リンク|アフリカ音楽 (学術誌)|en|African Music (journal)}}}}


=== 美術 ===
=== 美術 ===
{{Main|アフリカ美術}}
{{Main|アフリカ美術}}
アフリカ美術のうち、古代文明を築いたエジプトは独自の美術体系を発達させた。神聖文字と組み合わせた形式の連続性は、やはり独自の形式である[[ピラミッド]]や[[寺院]]および墳墓などのエジプト建築と組み合わされ、壁画や彫刻類、そして[[ツタンカーメン]]に代表される[[棺]]などで複雑かつ華麗な体系を持った。この芸術の系統は、紀元前30年にローマによる征服を受けて途絶えた<ref>[[#アルテ1999|アルテ (1999)、pp.42-45、第二章 美術史の時代区分と領域 Ⅱ.先史時代と古代 1.エジプト芸術]]</ref>。

[[サブサハラアフリカ|サブサハラ]]の芸術は[[民俗学]]と[[美術史]]の両面から論じられるが、その分析は未だ途上にある。大きな特徴は多様な[[造形]]分野であるが、これは美術品として単独で成り立つものではなく、生活および宗教と深く関連している。[[木材]]を好んで用い、[[仮面]]など身体装飾や[[彫刻]]など、また宗教や祭祀用道具および日用品なども彩色されたものなど種類も多い。その一方で[[建築]]分野ではあまり見るべきものがない<ref>アルテ (1999)、pp.80-82、第二章 美術史の時代区分と領域 Ⅳ.非西欧の緒芸術 4.アメリカ、アフリカ、オセアニアの各大陸の芸術</ref>

=== 建築 ===
[[File:Case Mousgoum.jpg|250px|right|thumb|{{仮リンク|マスガム小屋|en|Musgum mud huts}} <div> カメルーンの民族の一団、{{仮リンク|マスガム族|en|Musgum people}}の伝統的な[[住居]]である。 </div> この住居の建材には[[泥]]が用いられている。]]
{{Main|{{仮リンク|アフリカ建築|en|Architecture of Africa}}}}
アフリカの建築は非常に多様で、現地の民族ごとにその差異が現れているほか、人類の文化史や歴史の道のりにおいて重要な位置付けが成されている面を持つ。また、芸術的に付加価値の高いものが揃っていることも特徴の一つとなっている。

建材には[[棒]]などの[[木材]]をはじめ、[[茅葺]]や[[泥]]、[[煉瓦]]、[[石]]など、自然由来の様々な素材が使用されており、[[版築]]を中心とした技法での家づくりなどが主体となっている。だが、同エリアの建築文化の基礎としては簡素でありながらも確立されたものとなっていて、アフリカの風景と調和したものも多い。

一部地域の建築は何世紀にも亘ってアフリカ大陸外部の文化の影響を受けており、特に[[西洋]]の建築文化は15世紀後半からアフリカ沿岸地域へ多大な影響を与えていて、現在においても主要都市では西洋建築が多くの巨大建造物の重要な[[インスピレーション]]の源ともなっている。
{{See also|{{仮リンク|アーキアフリカ|en|ArchiAfrika}}}}

=== 服飾 ===
{{Main|{{仮リンク|アフリカの被服|en|Clothing in Africa}}}}
{{節スタブ}}
{{See also|{{仮リンク|アフリカの織物|en|African textiles}}}}


=== 映画 ===
=== 映画 ===
{{Main|アフリカ映画}}
{{Main|アフリカ映画}}
{{節スタブ}}

=== 世界遺産 ===
{{Main|世界遺産の一覧 (アフリカ)}}
{{節スタブ}}

== メディア ==
* {{仮リンク|アフリカのメディア|en|Media of Africa}}
** {{仮リンク|アフリカのラジオ局の一覧|en|List of radio stations in Africa}}
** {{仮リンク|アフリカのテレビ局の一覧|en|List of television stations in Africa}}

== インターネット ==
* {{仮リンク|アフリカにおけるインターネット|en|Internet in Africa}}
** {{仮リンク|アフリカにおける地上光ファイバーケーブル普及プロジェクトの一覧|en|List of terrestrial fibre optic cable projects in Africa}}
** {{仮リンク|アフリカにおけるモバイル・テクノロジー|en|Mobile technology in Africa}}
* {{仮リンク|アフリカデジタルアワード|en|Africa Digital Awards}}

== スポーツ ==
{{Main|{{仮リンク|アフリカのスポーツ|en|Sport in Africa}}}}

=== サッカー ===
{{Main|{{仮リンク|アフリカのサッカー|en|Football in Africa}}}}
アフリカ諸国の国々では、'''ほぼ全般的に[[サッカー]]が盛ん'''である<ref>{{Cite web|和書|title=アフリカでサッカーが熱いのは、夢を運んでくれるから |url=https://globe.asahi.com/article/11874630 |website=GLOBE+ |access-date=2023-04-07 |date=2018-10-12}}</ref>。一部の国々では[[バスケットボール]]や[[格闘技]]なども人気がある。[[アフリカ人]]を象徴する[[アスリート|スポーツ選手]]としては、[[サミュエル・エトー]]や[[ディディエ・ドログバ]]を筆頭に<ref>{{Cite web|和書|title=コートジボワールの内戦を止めた英雄・ドログバのメッセージから考えるスポーツの力 |url=https://www.parasapo.tokyo/topics/27052 |website=パラサポWEB |access-date=2023-04-07 |date=2020-07-27}}</ref>、近年では[[モハメド・サラー]]や[[サディオ・マネ]]が存在する<ref>{{Cite web|和書|title=マネがアフリカ年間最優秀選手に!…盟友サラー、同胞メンディを上回り2度目の受賞 |url=https://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20220722/1669737.html |website=SOCCER KING |access-date=2023-04-07 |date=2022-07-22}}</ref>。

[[アフリカサッカー連盟]](CAF)が主催する『[[アフリカネイションズカップ]]』は、[[1957年]]より開始されており、最多優勝は[[サッカーエジプト代表|エジプト代表]]の7回である。また、CAFは『[[アフリカ年間最優秀選手賞]]』も主催しており、最多受賞はサミュエル・エトーと[[ヤヤ・トゥーレ]]の4回となっている。


== アフリカの国 ==
== アフリカの国 ==
{{Main|アフリカの主権国家及び属領の一覧}}
括弧内は首都、その後ろの言語名は公用語を示す。

=== 北アフリカ ===
=== 北アフリカ ===
* {{DZA}} (阿爾及利亜、[[アルジェ]]) アラビア語、フランス
*{{ALG}} ([[アルジェ]]) アラビア語
* {{EGY}} (埃及、[[カイロ (エジプト)|カイロ]]) アラビア語
*{{EGY}} ([[カイロ]]) アラビア語
* {{SDN}} (蘇丹、[[ハルツーム]]) アラビア語、英
*{{LBY}} ([[トリポリ]]) アラビア語
* {{TUN}} (突尼斯、[[チュニス]]) アラビア語、フランス
*{{MAR}} ([[ラバト]]) アラビア語、ベルベル
* {{MAR}} (摩洛哥、[[ラバト]]) アラビア語、フランス語、スペイン
*{{SDN}} ([[ハルツーム]]) アラビア語、
* {{LBY}} (利比亜、[[トリポリ (リビア)|トリポリ]]) アラビア語
*{{TUN}} ([[チュニス]]) アラビア語


=== 西アフリカ ===
=== 西アフリカ ===
* {{GHA}} (迦納、[[アクラ]])
*{{BEN}} ([[ポルトノボ]]) フランス
* {{CPV}} (仏得角、[[プライア]]) ポルトガル
*{{BFA}} ([[ワガドゥグー]]) フランス
*{{CPV}} ([[プライア]]) ポルトガル語、カーボベルデ・クレオール語
* {{GMB}} (岡比亜、[[バンジュール]]) 英語
* {{GIN}} (奇尼亜、幾内亜、[[コナ]]) フランス語
*{{CIV}} ([[ヤムス]]) フランス語
* {{GNB}} (幾内亜比索、[[ビサウ]]) ポルトガル
*{{GMB}} ([[バンジュール]])
* {{CIV}} (象牙海岸、[[ヤムスロ]])、([[アビジャン]]) フランス
*{{GHA}} ([[]])
* {{SLE}} (獅子山、[[ータウン]])
*{{GIN}} ([[コナクリ]]) フランス
* {{SEN}} (塞内加爾、[[ダカール]]) フランス
*{{GNB}} ([[ビサウ]]) ポルトガル
* {{TGO}} (多哥、[[ロ]]) フランス
*{{LBR}} ([[モンビア]])
* {{NGA}} (奈及利亜、[[アブジャ]])
*{{MLI}} ([[バマコ]]) フランス
* {{NER}} (尼日、[[]]) ンス
*{{MRT}} ([[クショット]]) ビア
* {{BFA}} (布吉納法索、[[ワガドゥグー]]) フランス語
*{{NIG}} ([[ニアメ]]) フランス語
* {{BEN}} (貝南、[[ポルトノボ]]) フランス
*{{NGA}} ([[アブジャ]])
* {{MLI}} (馬利、[[バマコ]]) フランス語
*{{SEN}} ([[ダカール]]) フランス語
* {{MRT}} (毛利塔尼亜、[[ヌアクショット]])アラビア語、フランス
*{{SLE}} ([[フリータウン]])
* {{LBR}} (利比里亜、[[モンビア]])
*{{TGO}} ([[ロ]]) フランス


=== 中部アフリカ ===
=== 中部アフリカ ===
* {{GAB}} (加蓬、[[リーブルヴィル]]) フランス
*{{AGO}} ([[ルアンダ]]) ポルトガル
* {{CMR}} (喀麥隆、[[ヤウンデ]]) フランス語、英語
*{{CMR}} ([[ヤウンデ]]) フランス語、英語
* {{COG}} (剛果、[[ブラザヴィル]]) フランス語
*{{CAF}} ([[バンギ]]) フランス語、サンゴ
* {{COD}} (剛果民主、[[キンシャサ]]) フランス語
*{{COD}} ([[キンシャサ]]) フランス語
* {{STP}} (聖多美普林西比、[[サントメ]]) ポルトガル
*{{COG}} ([[ブラザヴィル]]) フランス
* {{GNQ}} (赤道幾内亜、[[マラボ]]) スペイン語、フランス語、ポルトガル語
*{{GNQ}} ([[マラボ]]) スペイン語、フランス語、ポルトガル語
* {{TCD}} (乍得、[[ンジャメナ]]) フランス語
*{{GAB}} ([[リーブルヴィル]]) フランス語
* {{CAF}} (中阿、[[]]) フランス
*{{STP}} ([[トメ]]) ポルトガル
*{{TCD}} ([[ンジャメナ]]) フランス語、アラビア語


=== 東アフリカ ===
=== 東アフリカ ===
* {{UGA}} ([[ラ]]) 語、スワヒリ
*{{BDI}} ([[ブジュ]])、([[ギテガ]]) ルンディ語、フランス語
* {{ETH}} ([[アディスアベバ]])アムハラ語
*{{COM}} ([[モロニ]]) フランス語、アラビア語、コモロ
* {{ERI}} ([[アスマラ]]) ティグリニャ語、アラビア語
*{{DJI}} ([[ジブチ市|ジブチ]]) フランス語、アラビア語
* {{KEN}} ([[ナイロビ]]) 語、スワヒリ
*{{ERI}} ([[アスマラ]]) ティグリニャ語、アラビア語、英
* {{COM}} ([[モロニ]]) ンス
*{{ETH}} ([[アディスアベバ]]) アムハラ語
* {{DJI}} ([[ジブチ市]]) フランス語
*{{KEN}} ([[ナイロビ]]) 英語、ワヒリ
* {{SYC}} ([[ヴィクトリ (セーシェル)|ヴィクト]]) 英語、フランス語
*{{MDG}} ([[アンタナナ]]) フランス語、マダガスカル
* {{SOM}} ([[モガディシュ]])ソマリ語、アラビア
*{{MWI}} ([[リロングウェ]])語、チェワ
* {{TZA}} ([[サラーム]]および[[ドドマ]]) 英語、スワヒリ語
*{{MUS}} ([[ポートス]]) 英語、フラン語、モーシャス・クレオール
* {{BDI}} ([[ブジュンブラ]]) フランス
*{{MOZ}} ([[マプト]]) ポルトガル
* {{RWA}} ([[キガリ]]) フランス語
*{{RWA}} ([[キガリ]]) ルワンダ語、フランス語、英語、スワヒリ
* {{MDG}} ([[アンタナナリボ]]) ンス
*{{SOM}} ([[モガディシュ]]) ソマリ語、アビア
* {{MOZ}} ([[マプ|マプート]]) トガル語
*{{SYC}} ([[ヴィクリア (セシェル)|ヴィクリア]]) フランス語、英語、セーシェ・クレオール語
*{{SSD}} ([[ジュバ]]) 英語
*{{TZA}} ([[ドドマ]]) 英語、スワヒリ語
*{{UGA}} ([[カンパラ]]) 英語、スワヒリ語
*{{ZMB}} ([[ルサカ]]) 英語
*{{ZWE}} ([[ハラレ]]) 英語


=== 南部アフリカ ===
=== 南部アフリカ ===
* {{AGO}} ([[ルアンダ]]) ポルトガル
*{{BWA}} ([[ハボローネ]]) 英語、ツワナ
* {{ZMB}} ([[ルサカ]]) 英語
*{{LSO}} ([[マセル]]) 英語、ソト
* {{ZWE}} ([[ハラレ]]) 英語
*{{NAM}} ([[ウィントフーク|ウィントフック]]) 英語
* {{SWZ}} ([[ムババーネ]]) 英語
*{{SWZ}} ([[ムババーネ]]) 英語、スワジ
* {{NAM}} ([[ウィンク|ック]]) 英語、アフリカーンス語
*{{ZAF}} ([[プレリア]])、([[ケプタウン]])、([[ブルームォンテーン]]) 英語、アフリカーンス語
* {{BWA}} ([[ハボローネ]]) 英語
* {{MWI}} ([[リロングウェ]]) 英語
* {{ZAF}} ([[プレトリア]])、([[ケープタウン]])、([[ブルームフォンテーン|ブルームフォンテイン]]) 英語、アフリカーンス語他
* {{MUS}} ([[ポートルイス]]) 英語、フランス語
* {{LSO}} ([[マセル]]) 英語



=== 独立国以外の地域 ===
=== 独立国以外の地域 ===
==== イギリス領 ====
==== イギリス領 ====
*{{SHN2}}
* {{Flagicon|セントヘレナ}} [[セントヘレナ]]([[アセンション島]]、[[トリスタン・ダ・クーニャ|トリスタン・ダ・クーニャ諸島]]を含む)
* {{Flagicon|イギリス領インド洋地域}} [[イギリス領インド洋地域]] ([[チャゴス諸島]]、[[ディエゴガルシア]])
*{{IOT}}([[チャゴス諸島]]、[[ディエゴガルシア]])


==== フランス領 ====
==== フランス領 ====
* {{MYT}} ''Mayotte'' (海外領土)
*{{MYT}}(海外領土)
* {{REU}} ''Réunion'' (海外県)([[グロリオソ島]] ''Glorioso Is.''、[[トロメリン島]] ''Tromelin Is.''、[[ファン・デ・ノヴァ島]] ''Juan de Nova Is.''などを含む)
*{{REU2}}(海外県)([[グロリオソ島]]、[[トロメリン島]]、[[ファン・デ・ノヴァ島]]などを含む)
*{{ATF}}([[フランス領インド洋無人島群]])


==== スペイン領 ====
==== スペイン領 ====
* {{Flagicon|ESP}} [[カナリア諸島]] ''Islas Canarias'' (自治州)
*{{Flag|Islas Canarias}}(自治州)
* {{Flagicon|ESP}} [[セウタ]] ([[飛地]])
*{{Flag|Ceuta}}([[飛地]])
* {{Flagicon|ESP}} [[メリリャ]] (飛地)
*{{Flag|Melilla}}(飛地)
*{{Flag|ESP}} [[プラサス・デ・ソベラニア]]([[チャファリナス諸島]]、[[ペニョン・デ・アルセマス]]、[[ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ]])

==== ポルトガル領 ====
*{{Flagicon2|マデイラ諸島}} [[マデイラ諸島]] - 本国領土の一部である離島

==== モーリシャス領 ====
*[[ロドリゲス島]]
*[[カルガドス・カラホス諸島]]
*[[アガレガ諸島]]


==== その他 ====
==== その他 ====
* {{Flagicon|ソマリランド}} [[ソマリランド]]([[ハルゲイサ]])
*{{SMD}}([[ハルゲイサ]]) ソマリ語、アラビア語、英語
* {{Flagicon|西サハラ}} [[西サハラ]]([[アイウン]])
*{{ESH}}([[アイウン]]) アラビア語、スペイン語、フランス語
* [[ファイル:Flag of Southern Cameroons.PNG|22px]] [[南カメルーン]]([[バメンダ]])
*[[ファイル:Flag of The Federal Republic of Southern Cameroons.svg|border|25px]] [[南カメルーン]]([[バメンダ]]) 英語
* [[ファイル:Flag of the SPLAM.svg|22px|SPLA/Mの「新スーダン」旗]] [[南部スーダン]]([[ジュバ]])


=== 消滅した国 ===
=== 消滅した国 ===
* [[ファイル:Flag of Biafra.svg|22x20px]] [[ビアフラ共和国]]
*[[ファイル:Flag of Biafra.svg|border|25px]] [[ビアフラ共和国]]
*[[ファイル:Flag of the Orange Free State.svg|border|25px]] [[オレンジ自由国]]
*{{ZAR}}
*[[ファイル:Flag of Natalia Republic.svg|border|25px]] [[ナタール共和国]]

== アフリカと「黒」 ==
肌が黒い人類、いわゆる[[ネグロイド]]の存在が他の文明に初めて記録されたのは、7世紀に北部アフリカを支配下に置いたアラブ人が、ナイル川を遡ってサハラ砂漠以南に到達したことに始まる。以後、アフリカの地名にはこの[[ヒトの肌の色|肌の色]]を語源として名づけられた所もあり、現在の国名に受け継がれているものもある。スーダンは、かつてのイギリス領やフランス領を含めるとアフリカ大陸の1/3を占める広大な土地を意味したが、これはアラビア語が意味する「黒い人」が語源である。

このフランス領スーダンから独立したモーリタニアは[[ムーア人]]の国という意味だが、このムーアも古代ギリシア語のmauros(肌が黒い人々)を語源とする。ギニアも現在の領土よりも広い地域を指す言葉だったが、これもベルベル人の言葉で「黒い人の土地」を意味した。エチオピアもギリシア語の「aitos(日焼けした)」+「ops(顔)」+「ia(地名接尾語)」の合成語であり、やはり古代ギリシア人にとってサハラ砂漠より南の土地を包括的に示す言葉だった。[[ソマリア]]は[[アムハラ語]]で「ゾムマ(家畜を持つ人)」という説の他に、ヌビア地方の言葉で「黒い人の国」という意味だという説もある<ref>地名の世界地図 (2000)、第8章、pp.186-188、黒い人の国</ref>。


== 地域機構 ==
== 地域機構 ==
[[ファイル:RECs of the AEC.svg|サムネイル|200px|アフリカの経済共同体[[:en:African Economic Community|(en)]]
* [[アフリカ連合]] (AU)
{{legend|#691717|CEN-SAD}}
* [[西アフリカ諸国経済共同体]] (ECOWAS)
{{legend|#4F4FB1|COMESA}}
* [[南部アフリカ開発共同体]] (SADC)
{{legend|#E88356|EAC}}
* [[アフリカ開発銀行]] (ADB)
{{legend|#272759|ECCAS}}
* [[アラブ・マグレブ連合]]
{{legend|#C43C7F|ECOWAS}}
{{legend|#4DB34D|IGAD}}
{{legend|#D22E2E|SADC}}
{{legend|#7E8000|UMA}}
]]
*AU:African Union([[アフリカ連合]])
**54カ国と地域が加盟。(2017年1月にモロッコが加盟)地域機関としては世界最大。本部:エチオピア、[[アジスアベバ]]。旧[[アフリカ統一機構]](OAU、1963年5月設立)を改組し2002年7月に設立<ref name=AIPPI>{{Cite web|和書
|url=http://www.jpo.go.jp/shiryou/toushin/chousa/pdf/zaisanken_kouhyou/h20_report_02.pdf
|format=PDF
|title=アフリカ諸国における産業財産権の保護・活用状況、及びアフリカ諸国への知財分野におけるキャパシティビルディング支援のあり方に関する調査研究報告書
|publisher=社団法人 日本国際知的財産保護協会
|accessdate=2011-03-01
|language=日本語 }}</ref>。
*ADB:African Development Bank([[アフリカ開発銀行]])
*CEEAC/ECCAS:Communauté Économique des États de L’Afrique Centrale([[中部アフリカ諸国経済共同体]])
**中部アフリカ域の11カ国が加盟。本部:[[ガボン]]、リーブルヴィル。1981年12月に設立<ref name=AIPPI />。
*CEMAC:Communate Economique et Monetaire de L'Afrique Centarale([[中部アフリカ経済通貨共同体|中央アフリカ経済通貨共同体]])
**中部アフリカ域の6カ国が加盟。1996年7月に設立<ref name=AIPPI />。
*CEN-SAD/COMESSA:Community of Sahel-Saharan States([[サヘル・サハラ諸国国家共同体]])
**北部および中部アフリカ域の28国が加盟。本部:リビア、トリポリ <ref name=AIPPI />。
*COMESA::Common Market for Eastern and Southern Africa([[東南部アフリカ市場共同体]])
**東および中央アフリカ19カ国が加盟。1981年発足の国際交易圏を改組し1994年に発足。2000年から自由貿易圏となる。事務局:ザンビア、ルサカ <ref name=AIPPI />。
*EAC:East African Community([[東アフリカ共同体]])
**東アフリカ域の5カ国が加盟。本部:タンザニア、[[アルーシャ]]。1970年代の東アフリカ共同体が1978年に消滅後、2001年に3カ国で再発足し、2007年に2カ国が加わり現在に至る<ref name=AIPPI />。
*ECOWAS:Economic Community of West African States([[西アフリカ諸国経済共同体]])
**西アフリカ域の15カ国が加盟。経済統合を目的とする<ref name=AIPPI />。
*IGAD:Intergovernmental Authority on Development in Eastern Africa([[政府間開発機構]])
**東アフリカ域の7カ国が加盟<ref name=AIPPI />。
*SACU:Southern Africa Customs Union([[南部アフリカ関税同盟]])
**南アフリカ域の5カ国が加盟。1910年に旧イギリス連邦国間で締結された、関税同盟としては世界初の組織<ref name=AIPPI />。
*SADC:Southern African Development Community([[南部アフリカ開発共同体]])
**南アフリカ域の15カ国が加盟。事務局:[[ボツワナ]]、[[ハボロネ]]。[[アパルトヘイト]]政策当時の南アフリカからの経済的自立をめざして1980年に発足。1992年に民主化した南アフリカも加わり、現在の組織に改組<ref name=AIPPI />。
*UEMOA:Union Economique et Monétaire Ouest Africaine([[西アフリカ経済通貨同盟]])
**西アフリカ域の8カ国が加盟<ref name=AIPPI />。
*UMA/AMU:Union of the Arab Maghreb([[アラブ・マグレブ連合]])
**北アフリカ域のマグリブ地区5カ国が加盟。本部:モロッコ、ラバト。1989年に経済協力を目的に設立<ref name=AIPPI />。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|title=「アフリカ53国」のすべて|author=監修:平野克己、編:株式会社レッカ社|publisher=[[PHP文庫]]|edition=第1刷|year=2011|isbn=978-4-569-67581-7|ref=レッカ2011}}
* {{Cite book|和書|title=地名の世界地図|author=編:21世紀研究会|publisher=[[文春新書]]|edition=第1刷|year=2000|isbn=4-16-660147-4|ref=地名2000}}
* {{Cite book|和書|title=美術史入門|author=グザヴィエ・バラル・イ・アルテ|translator=吉岡健二郎、上村博|publisher=[[白水社]]|edition=第5刷|oriyear=1999年|year=2009|isbn=978-4-560-05821-3|ref=アルテ1999}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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{{ウィキポータルリンク|アフリカ}}
* [[アフリカ (小惑星)]]
{{Commons&cat|Africa|Africa}}
* [[ネグロイド|黒人]]
* [[アフリカ系アメリカ人]]
* [[アフリカ系アメリカ人]]
* [[アジア・アフリカ諸国の独立年表]]
* [[アラブ人]]
* [[アジア・アフリカ法律諮問機関]]
* [[ユダヤ人]]
* [[アフリカ日本協議会]]
* [[ベルベル人]]
* [[アフリカ合衆国]]
* [[アフリカ合衆国]]
* {{仮リンク|アフリカ系アジア人|en|Afro-Asians}}
* [[アフリカ (小惑星)]](アフリカに因んで命名された小惑星)
* [[アジア・アフリカ人民連帯機構]]

* {{仮リンク|アフリカ商法調和機構|fr|Organisation pour l'harmonisation en Afrique du droit des affaires|en|OHADA}}
== 脚注 ==
* {{仮リンク|南大西洋平和協力地帯|en|South Atlantic Peace and Cooperation Zone|pt|Zona de Paz e Cooperação do Atlântico Sul}}
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* {{仮リンク|アフリカ・南米サミット|en|Africa–South America Summit}}
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* {{仮リンク|アフリカのサッカー|en|Football in Africa}}
* {{仮リンク|アフリカにおけるエチケット|en|Etiquette in Africa}}
* {{仮リンク|アフリカにおける利用客の多い空港の一覧|en|List of busiest airports in Africa}}
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== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
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* [http://www.dmoz.com/World/Japanese/%e5%9c%b0%e5%9f%9f/%e3%82%a2%e3%83%95%e3%83%aa%e3%82%ab/ Open Directory Project - アフリカ]
* [http://www.dmoz.com/World/Japanese/%e5%9c%b0%e5%9f%9f/%e3%82%a2%e3%83%95%e3%83%aa%e3%82%ab/ Open Directory Project - アフリカ]
* [http://directory.google.com/Top/World/Japanese/%e5%9c%b0%e5%9f%9f/%e3%82%a2%e3%83%95%e3%83%aa%e3%82%ab/ google Directory - アフリカ]
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=== 教育 ===
; 教育
* [http://www.portal-education-africa.org/wiki/index_en.php/Main_Page PEA Portal Education Africa]
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* [http://www.unesco.org/education/efa_report/zoom_regions_pdf/ssafrica.pdf Unesco Regional overview on sub-Saharan Africa] (.pdf)
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[[zu:IAfrika]]

2024年12月8日 (日) 08:41時点における最新版

面積 3037万 平方キロメートル
人口 1,515,140,849人[1] (2022年, 2位)
人口密度 30.51 人/平方キロメートル
住民の呼称 アフリカ人
国数 56[注 1]
保護領
標準時 UTC-1 - UTC+4
最大都市 ナイジェリアの旗ラゴス
国連による世界地理区分
衛星画像
アフリカの地形(NASA
国際連合によるアフリカの地域の分類[2]

アフリカラテン語: Āfrica英語: Africa[3])は、広義にはアフリカ大陸およびその周辺のマダガスカル島などの島嶼海域を含む地域の総称で、大州の一つ[3]。漢字表記は阿弗利加であり阿州(阿洲、あしゅう)とも呼ぶ。省略する場合は「」を用いる。

概要

[編集]

地理的には地中海を挟んでヨーロッパの南に位置する。 赤道を挟んで南北双方に広い面積を持つ唯一の大陸でもあり[注 2]、それに伴って多様な気候領域がある[4]。面積は3037万平方キロメートルで、地球表面の6%、陸地全体の20.4%を[5]、人口は約12億人、世界人口比では14.72%を占める。2011年3月現在、島嶼を含めて54の独立国がある(西サハラを含めると55カ国)。経済成長率は2010年に約5.0%、2011年予測は5.5%である[6]

アフリカはアフリカ単一起源説からヒトの起源とされ、エチオピアからは20万年前のホモ・サピエンスの化石が発見され[7]世界遺産南アフリカの人類化石遺跡群人類発祥の地と呼ばれている。アフリカは、かつてヨーロッパ諸国から「暗黒大陸」と未開の地のように呼ばれたが、ヨーロッパに知られていなかった(あるいはその存在を認めようとしなかった)だけで、実際にはヨーロッパより古い歴史と文明があった。

アフリカの地理的区分ではサハラ砂漠が大きな境界となり、サハラ砂漠より南を「サブサハラアフリカ」と呼ぶ場合もある。また、北アフリカ、中部アフリカ、東アフリカ、南部アフリカ、西アフリカに分ける区分もある。

語源

[編集]

当初は、サハラ砂漠以北の地域をさす言葉であった。正確な語源ははっきりとはわからないが、有力説としては、現在のチュニジアに当たるカルタゴ近郊の北部アフリカに居住していたセム系部族を指す「Afri」(アフリ)と推測される。この言葉はフェニキア語の「afar」(「dust」の意)に結びつけられがちだが、1981年にはベルベル語の「洞窟に住む人々」を指す「ifri」が転じたものという仮説が提示された[8]。これら「afar」[8]「ifri」「Afri」は現在のアルジェリアおよびリビアに住むベルベル人のことである[9]。ほかに、カルタゴ人が使っていたファラカ(faraqa:植民地の意)の変形または転訛という説や先住民の一部族アフェル(Afer、複数形Ifei)に由来するという説もある[10]。他にも様々な仮説が提唱されており、歴史家レオ・アフリカヌス(1488年 - 1554年)は、ギリシア語の「phrike (φρίκη)」(「寒い」または「怖い」の意)に否定を意味する接頭辞 a-(α-)が上接し、寒さや恐れが無いところを意味する「aphrike (Αφρική)」となったと主張した。またジェラルド・マッセイ英語版は1881年に、エジプト語の「af-rui-ka」が語源だとの仮説を発表した。それによると、「af-rui-ka」は「カーの始まりに回帰する」を意味する。この「カー」は「すべての人々」と、カーの始まりという用法で「子宮・生誕地」両方の語源である。エジプト人にとってアフリカとはまさに「誕生したところ」を意味する[11]

起源が上述のいずれの説であるにしろ、ローマ時代、カルタゴがアフリカ属州になると、ラテン語で「アフリカ人の土地」を表す「Africa terra」[12](「-ca」は形容詞化接尾辞女性形)から「Africa」という語形が生じた。これが現在の『アフリカ』という言葉の直接の始まりである。その後、サハラ砂漠以南についての人類の知見が広がるに従い、サハラ砂漠の南北を含めて一つの大陸の名となった。

アイルランド語の女性名 AifricAfrica と英語化されるが、地名とは関係が無い。

歴史

[編集]

アフリカの形成

[編集]
アフリカの古竜脚類/基盤的竜脚形類であるマッソスポンディルス

中生代初期、アフリカは他の大陸と同じく超大陸パンゲアを形成した[13]。その状況下で、獣脚類竜脚形亜目また原始的な鳥盤類が、三畳紀終わり頃まで繁殖していた。これらの化石はアフリカのいたるところで発見され、特に南部で顕著に見られる[13]。三畳紀とジュラ紀を分ける地球規模の絶滅を示す発掘は、アフリカではあまり行われていない[13]

初期ジュラ紀の地層は三畳紀後期と重なって分布し、南部で多く露頭する。しかし化石層は南部では少なく、北に行くほどその数は優勢になってゆく[13]。ジュラ紀には、アフリカでは竜脚下目鳥脚目などの恐竜が広い範囲で隆盛を極めた[13]。中期の研究はあまり進んでいない[13]。後期も発掘は遅れている[13]が、数少ない例外に当るタンザニアテンダグル層英語版では、北アメリカ西部で見つかったモリソン層英語版古生物学的様相英語版と非常に近似したところが見られた[13]

スピノサウルスはアフリカを代表する肉食恐竜である。

1億6千年前-1億5千年前の中生代の中頃、ゴンドワナ大陸には後のインド亜大陸マダガスカルが繋がっていた。そのため、マダガスカルからはアベリサウルス英語版ティタノサウルス上科英語版の化石が発見される[13]。 その後、白亜紀初期にインドとマダガスカルは分離を始め、後期にはこの2つの陸塊も分離して現在に至る[13]。中生代、マダガスカルとアフリカ大陸の相対的な位置には変化が無かった。その一方でパンゲア大陸そのものの変化は進行し、白亜紀後期の初め頃には南アメリカがアフリカから分離し、南大西洋が形成された[13]。この出来事は海流の変動を呼び、地球規模の気候形成に影響を与えた[13]

この白亜紀には、アロサウルス類英語版や最大の肉食恐竜として知られているものを含むスピノサウルス類英語版などが繁栄していた[13]ティタノサウルス属英語版は当時の生態系の重要な草食動物であった[13]。アフリカでは、発掘された白亜紀の遺物は多いがジュラ紀のそれは少なく、今後の調査が待たれる[13]

先史時代

[編集]
アウストラロピテクス・アファレンシスルーシー。この骨は1974年11月24日、エチオピアのアファール盆地アワッシュ川下流域で発見された。

ほとんどの古人類学者は、人類はアフリカで生まれたという説を採っている[14][15]。アフリカは大陸移動や地殻変動から、大規模な気候変動を繰り返していた。人類の発生は約4000万年前に遡る東部での隆起帯が形成され、乾燥化が進展したことが要因にあると考えられる。「イーストサイドストーリー」では、豊かなコンゴ盆地森林から一部のサルが乾燥したサバンナへ分かれ、進化が始まったという[16]

南アフリカのヨハネスブルグ北部などが人類が初めて住んだ場所と考えられる[14]。20世紀中頃には、人類学者たちは既に700万年以上古い人類の化石や生存の証拠類を発見していた。化石は、いく種もの類人猿に近い人類のものが発見され、放射年代測定から紀元前390-300万年頃に生きたと考えられるアウストラロピテクス・アファレンシス[17]や紀元前230-140万年頃のパラントロプス・ボイセイ英語版[18]、紀元前190-60万年頃のホモ・エルガステル[5]が人類へ進化したと推察される。先史時代、他の大陸と同様にアフリカに住む人類は、国家を持たず、現代のコイコイ人サン人のように狩猟採集社会の集団をつくって生活していた[19][20][21]

アフリカはおおまかに、氷河期に乾燥して砂漠が拡大し、間氷期には森林が拡大するという循環を繰り返していた。20000年前頃には拡大をしていたサハラ砂漠は、12000年前頃には縮小に転じ、森林地帯の広がりとともにチャド湖など湖水の面積も大きくなった。この北部アフリカの「緑のサハラ」地域で人類は、狩猟や漁撈またの牧畜[22]なども行っていた。

しかし5000年前頃から乾燥化が急速に始まり[23]、砂漠の拡大と生存可能域の縮小に伴って人類は熱帯性気候の西[23]や南、ナイル川流域などに移住して行った[16]

エジプト・地中海文明の発生

[編集]

アフリカを歴史的、文化的に大きく区分すると、北アフリカの文化圏、西アフリカの文化圏、東アフリカの文化圏に区分される。東アフリカがコプト正教会のエチオピアとイスラム教のインド洋沿岸部と大きく区分されるほかは、西アフリカで独特なアニミズムの伝統が濃厚に残ってきたにもかかわらず、イスラム文化圏であったことが共通している。

アフリカの地図(G. and I. Blaeuによる1648年の地図) ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマがインド洋航路を発見した150年後に制作された。海岸線は正確だが、内陸部、特に河川の流路に関する情報が極端に不足していたことが分かる。例えばナイル川が南部アフリカに達しており、ニジェール川の流路は全く異なっている。冒頭の地図と比較されたい。

最古の史料が残っているのはファラオによる支配が始まったナイル川流域の古代エジプト王国であり、紀元前3300年頃の文字記録が発見されている[24]。これは世界最古の文明の一つで[25][26]ヒエログリフから派生したワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字原カナン文字)は世界の殆どのアルファベットの起源になったとされる。紀元前2900年頃、メネス王が上下エジプトを統一して以来、古王国時代に築かれたピラミッドでも世界的に知られている。紀元前1000年頃には製鉄技術が北アフリカにも伝播し、急速に広がってブラックアフリカ北部まで鉄器が使われるようになった[27]

一方、チュニジアでも紀元前800年頃にフェニキアの植民都市としてカルタゴが築かれ、経済大国となった。紀元前146年にカルタゴは共和政ローマに滅ぼされ、ローマ支配下のアフリカ属州となった。5世紀、ローマ帝国が弱体化し、ゲルマン民族の大移動の時代に、チュニジアでは、ヴァンダル族が、429年、カルタゴの故地にヴァンダル王国を建設したが、地中海世界の再統一に燃える東ローマ帝国によって534年に滅ぼされた。しかし、東ローマ帝国の北アフリカ支配も長くは続かず、636年、パレスチナのヤルムク河畔で日の昇る勢いのイスラム帝国正統カリフ)に敗れると、エジプトを奪われ、北アフリカはウマイヤ朝時代にイスラム勢力の支配下に入った。アッバース朝時代に勢力争いで、ハールーン=アッラシードに敗れたイドリースは、マグリブ(現モロッコ)の地へ逃げて、フェズイドリース朝を開いた。9世紀以降、アッバース朝カリフは、800年にチュニジアのアグラブ朝、868年にエジプト総督代理のイブン=トゥルーンが築き、フマーラワイフが貢納を条件にエジプト総督を世襲して事実上エジプト独自のイスラム王朝となったトゥルーン朝、トゥルーン朝滅亡後、やはりエジプト総督のイブン=トゥグジュにイフシードの称号を与えるとともに大幅な自治を認め、イフシード朝の建国(935年)を許すなど分裂傾向を強めた。

西アフリカ・北アフリカ

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1625年の西アフリカ

西アフリカでは、紀元前900年にさかのぼるといわれる土偶と製鉄技術をもったノク文化がナイジェリアの北部で生まれ、土偶の様式は、アフリカ中部から南部の彫刻に大きな影響をあたえた。ナイジェリアでは、9-10世紀のやイボ文化英語版イボ=ウクゥ遺跡英語版イボ=ウクゥ英語版)、10-13世紀のヨルバ文化英語版イフェ)、14-18世紀のベニン王国が繁栄し、優れた青銅製品で知られている。また西アフリカでは、紀元前500年頃に金属加工技術が到達したが、さらなる拡大は紀元後になった。エジプトやヌビア、エチオピアなど紀元前500年頃に製作された北部アフリカの青銅器が西アフリカで発掘されている。これは当時からサハラ交易が行われていた事を示す[23]。この交易を背景に繁栄したのがセネガル川上流とニジェール川上流に4世紀にさかのぼるといわれるガーナ王国であり、11世紀後半まで岩塩と金の中継貿易で興隆を誇った。その後、交易路の東漸に伴って、マリ帝国がニジェール川上流のニアニ首都とし湾曲部のトンブクトゥを版図に含んで13-15世紀前半まで繁栄、ソンガイ帝国が15世紀後半から16世紀にかけて、ニジェール川湾曲部を中心にナイジェリア北部のハウサ諸国を従え、マリ帝国を屈服させてその版図の大部分を奪い、ほぼ西スーダンを統一する広大な版図を誇った。

一方、西スーダンのこのような王国のサハラ越えの隊商による交易に利害のあった北アフリカ西部、マグリブにもベルベル人によって11世紀中葉-12世紀中葉にムラービト朝、12世紀中葉-13世紀頃にムワッヒド朝、13-15世紀にマリーン朝という強力なイスラム王朝が建てられた。特にムラービト朝は、ガーナ王国を滅ぼしたことで知られる。ソンガイ帝国は、1590年に、16世紀中葉にモロッコで興った強力なサアド朝(サーディ朝)に攻め滅ぼされた。イフリーキヤと呼ばれたチュニジアも、909年にアグラブ朝を倒して、ファーティマ朝が興ると、926年には西隣のイドリース朝を滅ぼした。969年に、エジプトに東遷して、イフシード朝を滅ぼすと、北アフリカの統一を完成し、新首都カイロに遷都(973年)して、カリフを称した。西カリフ国と呼ばれたイベリア半島後ウマイヤ朝に比して、中カリフ国と呼ばれた。エジプトではその後対十字軍戦争で活躍したサラディンによるアイユーブ朝、そのもとで実力をつけたバフリーヤなどのマムルークの力によって建国されたマムルーク朝が続く。一方、イフリーキヤでは、13世紀前半にムワッヒド朝から独立したハフス朝があり、これらの強力な王朝のもとで優れたイスラム建築が多数建設され、町並みが世界遺産に登録されているものも数多い。しかし、1517年にマムルーク朝、1574年にハフス朝がオスマン帝国によって併合される。

モロッコ、アルジェリア、チュニジアなどの北アフリカの北西部に位置するアラブ諸国はマグリブと呼ばれ、マシュリク(日の昇るところ、東方)に対して西方、すなわち、時と場合によってはリビアやモーリタニアも含められる。ただし、モーリタニアの南部は、歴史的に西スーダンのガーナ王国の中心部で、マリ帝国の版図に属していたことから、通常は西アフリカに区分される。

東アフリカ・南アフリカ

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東アフリカの北部にあたるエチオピアでは、4世紀にコプト正教会を国教としたアクスム王国が、ギリシャ、ローマ帝国、そして東ローマ帝国との交流をもち、紅海貿易で繁栄した。11世紀頃にザグウェ朝が興り、世界遺産になっているラリベラの岩窟教会群が造られた。沿岸部では、イスラム商人によるインド洋交易がさかんで、モガディシオキルワ、マリンディなどの港湾都市が繁栄した。交易路は、モザンビーク南部の港町ソファラからジンバブエザンベジ川流域、リンポポ川流域にまで及び14-15世紀にショナ人によるモノモタパ王国象牙の輸出で繁栄した。モノモタパ王国の首都と目されるグレート・ジンバブエ遺跡からは、中国(代)の青花などの陶磁器インド綿製品、インドネシアの数珠玉、ペルシャなどの出土がみられ、当時の交易が盛んであったことを物語っている。モノモタパ王国が衰退すると、ロズウィ王国英語版(1660年 - 1866年)が19世紀半ばまでジンバブエの地を支配した。

奴隷貿易

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長い間アフリカは、奴隷制度に蝕まれてきた[28][29]。7世紀から20世紀に至るまでアラブ世界への奴隷貿易は継続して行われ、1800万人がサハラ交易やインド洋貿易で取引された。大航海時代を迎えたヨーロッパのアフリカ進出は金が目的だったが、既にアラブ諸国への交易路が形成されていることを知ると、対象を奴隷の確保に変えた[30]。15世紀から19世紀までの500年にはアメリカ州向けの奴隷貿易英語版が行われ、700-1200万人が新世界の奴隷として輸出された[28][31][32]

1820年代、西アフリカは大西洋航路の奴隷貿易が衰退し、地域の経済活動に変革を迫られた。ヨーロッパや新世界における奴隷制度廃止運動の沸きあがりに応じたジリ貧や、海岸部でのイギリス海軍駐留数の増加は、アフリカ諸国に新しい経済体制の選択をさせた。1808年から1860年の間に、イギリスの西アフリカ小艦隊英語版は約1600隻の奴隷船を拿捕し、15万人のアフリカ人を解放した[33]

また、奴隷貿易非合法化に抵抗する指導者層に対しても行動を起こし、例えば1851年「ラゴスの略奪王 (the usurping King of Lagos)」攻略などが挙げられる。反奴隷貿易の協定はアフリカ50カ国以上の国々で締結された[34]。この動きに、国力があったアシャンティ王国ダホメ王国オヨ王国英語版は順応する動きを取り、アシャンティやダホメはパーム油カカオランバー材や金など、現在の主力でもある商品輸出という「合法的な通商」へ転換した。しかしオヨ王国は適応できず、内戦の末に崩壊した[35]

アフリカ分割

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アフリカの地図 1890年

19世紀後半には、アメリカ解放奴隷が建国したリベリア第一次エチオピア戦争で独立を維持したエチオピアを除いて、ヨーロッパ諸国によるアフリカ分割が行われ[30]、西アフリカの小王国が滅ぼされた。このとき国境線が民族や宗教に関係なく勝手に引かれたため、後の民族紛争の原因ともなった[36]緯線経線を基準に引かれていることが多い。 Expedited shipping refers to a faster delivery service compared to standard shipping. It often involves priority handling and quicker transit times, usually within 1-3 business days. While more expensive than standard shipping, it's ideal for urgent orders or time-sensitive deliveries.

脱植民地化

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ヨーロッパ列強の帝国主義第二次世界大戦以降も続いたが、次第に弱まってアフリカ諸国の独立への機運が高まった。1951年にはリビアがイタリアから、1956年にはチュニジアとモロッコフランスから独立を果たした[37]。翌年にはガーナが続き[38]、サブサハラ初の脱植民地を成した。

1960年のいわゆる「アフリカの年」ごろからヨーロッパの植民地から次々に独立国が誕生したが[30]独裁政治の発生や内戦などの問題を抱えつつ今日に至っている。なお、政治的統合をして、新植民地主義への対抗や民主主義の促進、アフリカ地域の国際的地位向上などを目指し1963年5月に発足したアフリカ統一機構(OAU)が、2002年7月9日には発展解消してアフリカ連合が成立した[30]。これは、個々の国を超えた枠でのアフリカ政治の中心的役割を担い、今日でも紛争、貧困、エイズなど山積みする問題の解決や国際的地位の向上を目指している[30]

地理

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現在のアフリカ

北は地中海、西は大西洋、東はインド洋および紅海に面する[39]。南端のアガラス岬で大西洋とインド洋が接する。南北約8,000km[40]、東西約7,400km[41]。海岸線は総延長26,000kmである[41]。かつてはスエズ地峡によりユーラシア大陸とつながっていたが、現在ではスエズ運河が開通して分断され[42]、この運河がアフリカとアジアの境界と受け取られる場合もある[43]

大陸北側に世界最大の砂漠であるサハラ砂漠をもち、これによって大陸は大きく二つに分けられる。また大陸東部にはパンゲア大陸がゴンドワナローラシア大陸に分裂したときの名残である2,000kmの隆起地帯(ドーミング)と、それを東西に切り裂く世界最大長のアフリカ大地溝帯(東アフリカ地溝帯)が南北に走る[44]。この南端にはアフリカ大陸最高峰キリマンジャロ山(5,895m)があり、これは他の五大陸最高峰が非火山であるのに対し唯一火山活動で形成されたものである[44]。大地溝帯には複数の火山や東アフリカ大湖沼群[45]があり、西側で接するエチオピア高原などの高地部分にもニアムラギラ山英語版ニーラゴンゴ山などの活火山[44]ヴィクトリア湖などの古代湖が残る[45]。しかしアフリカ大陸全体で、標高500m以上の領域は半分程度に過ぎない。理由はこれも大陸移動が関係しており、アフリカはパンゲア大陸の中心部として移動した距離が短く、山脈が形成されにくかったことが挙げられる[39]マダガスカルを始めとした6つの島国が存在する。

動植物

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アフリカ大陸全般の経済成長で自然保護区が設置されるものの、依然として色濃く豊かな自然、人類学術的な側面から、生物の多様性とヒトを含めたその起源の候補地とされている。

気候

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気候は多様である。ほぼ赤道直下に位置する大陸中央部は西部のギニア湾沿岸から大陸中部のコンゴ盆地にかかる熱帯雨林で高温多湿な地域が広がり、これを挟んでセレンゲティ高原などのサバンナ地域が広がる。さらに高緯度に向かうと砂漠気候域に入り、北にはサハラ砂漠、南にはカラハリ砂漠が広がる。大陸北端と南端は地中海性気候域となる[46]

政治

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ソマリアで放棄された戦車。長期化する内戦は解決の糸口を見出せない。
食糧配給に列をなすソマリアの人々。

アフリカの多くの国々は情勢が非常に不安定であり、ヨーロッパなどに比べると遙かに治安が悪い地区が多い。政治的に安定している国はごくわずかである。イギリスの雑誌『エコノミスト』は、2008年にアフリカ各国の政治情勢を民主主義達成度から分析し公表した。これによると、対象50カ国(ソマリア、セーシェル、サントメ・プリンシペ及び西サハラ、ソマリランドは含まれない)のうち、完全な民主主義を実現している国はモーリシャスただ1国で、6カ国は欠陥のある民主主義、9カ国は独裁と民主政の混合状態、28カ国は完全な独裁体制と分析されている[47]

このような体制が出来上がった背景には、植民地支配の影響がある。現在のアフリカ各国の国境線は地形や民族構成などを反映しない単純な直線が多い。これはヨーロッパ列強間の力関係から引かれたもので、異なる民族や部族が混在または分離される結果を生んだ。そのため独立後にも国民はまとまりを欠き、強権的な政府体制としてアフリカ型社会主義もしくは開発独裁体制が選択された。しかし前者は構造的に経済発展には向かず、後者は汚職や主導権争いが絶えなかった。さらには非アフリカ人を排除したために人材不足にも陥り[48]、結果的に、かつては「AA」もしくは南北問題と呼ばれて同じように発展途上に苦しんだアジア各国が急速な経済発展を実現しつつあるのに対し、アフリカは「例外的に成長しない」経済体制と評され、取り残されたまま現在に至る[49]

そのために内戦や紛争も多く、代表的なものでは1991年からのソマリア内戦、1997年からのコンゴ内戦、2003年からのダルフール紛争などが尾を引いている[47]。国民の大多数がイスラム教徒であり、比較的に安定した政治を行っていた北アフリカ[50]も、2010年に発生した各国の動乱以来、政権が大きく揺らいでいる。

終わりが見えない内戦や紛争、および貧困から、アフリカでは多くの難民が発生している。国際連合難民高等弁務官事務所推計による2009年末のアフリカ難民は約230万人、さらに国内の避難民は約650万人にのぼる[47]。また、農村疲弊による人口の都市部集中に伴ったスラム化も進展し、モザンビークやタンザニアなどでは人口の90%に相当するまで膨れ上がり、治安悪化などの問題が生じている[47]

経済

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アフリカの名目GDP順位 (2022年)
順位
単位:100万ドル
1 ナイジェリアの旗 ナイジェリア 510,588
2  エジプト 435,621
3 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 426,166
4 アルジェリアの旗 アルジェリア 193,601
5 モロッコの旗 モロッコ 133,062
6  ケニア 123,827
7 エチオピアの旗 エチオピア 105,325
8 タンザニアの旗 タンザニア 77,506
9 アンゴラの旗 アンゴラ 74,495
10 ガーナの旗 ガーナ 73,894
11 コートジボワールの旗 コートジボワール 73,047
12  コンゴ民主共和国 64,795
13 リビアの旗 リビア 48,773
14 ウガンダの旗 ウガンダ 46,377
15 カメルーンの旗 カメルーン 45,713
16 チュニジアの旗 チュニジア 45,642
17 ジンバブエの旗 ジンバブエ 36,387
18 スーダンの旗 スーダン 31,460
19 セネガルの旗 セネガル 28,435
20 ザンビアの旗 ザンビア 26,665
21 ガボンの旗 ガボン 22,456
22 ギニアの旗 ギニア 20,952
出典:IMF[51]
南アフリカ最大の都市ヨハネスブルグ。アフリカ最大の金融センターである[52]
ベナン、2008年。農業はアフリカの主要な産業だが、決して経済性は高くない。

IMFによると、2009年のアフリカ52ヶ国の合計のGDPは1兆1848億ドル(約100兆円)であり、全世界の約2%のシェアとなっている。アフリカの1国平均のGDPは227億ドル(約2兆円)であり、鳥取県(平成18-19年度[53])とほぼ同じ経済規模である[51]。アフリカ最大の経済大国は南アフリカである。アフリカ唯一のG20参加国であり、2010年には史上初めてアフリカ大陸でサッカーのワールドカップを開催している。またアフリカ第2の経済大国はエジプトであり、北部アフリカにおいて影響力の強い国の一つになっている。

豊富な天然資源を持ちながら、アフリカは世界で最も貧しい発展途上の状態にある。これは、エイズマラリアなど深刻な感染症の蔓延、高い腐敗認識指数で指摘される政治によって引き起こされる人権の抑圧や経済政策の失策、また国民の低水準なリテラシーや不得手な外交、さらにゲリラから大量殺戮まで含まれる部族間や軍隊による戦闘など、さまざまな要因の結果である[54]。国際連合の2003年度人間開発報告書によると、開発の度合いを示す尺度において調査対象の最低ランク25か国(151位から175位まで)を全てアフリカの国々が占めた[55]

貧困、文盲、栄養失調、不充分な給水体制や衛生管理、病気の蔓延などの悪影響をアフリカに住む多くの人々が受けている。2008年、世界銀行は国際的な貧困率の定義を1日当たり所得1USドル未満から1.25USドル未満に引き上げた[56]。サブサハラ諸国では、人口の80.5%が1日当たり2.5USドル未満(PPP)で暮らしている[57]

この統計は、サブサハラが1日1.25USドルという貧困の基準を脱することが世界中で非常に難しい地域であることを示す。1981年のデータではこの地域に住む50%(2億人に相当)の人々が貧困層に相当していたが、1996年には58%まで上昇し、2005年には率は50%となったが人口の絶対数は3.8億人に増加している。貧困層平均所得は1日0.7USドルに過ぎず、2003年の数値は1973年よりも悪化している[58]

この原因を、外国企業と外国政府主導による経済自由化政策の失敗に求めることもあるが、このような外的要因よりも国内政治の失策が大きいという指摘もある[59][60]

1995年から10年間にアフリカは経済成長を続け、2005年の平均成長率は5%に達した。さらに、埋蔵石油を持ち輸出に振り分けるため掘削に着手したアンゴラ・スーダン・赤道ギニアなど数カ国はさらなる成長が見込まれる。さらにアフリカには世界中のコバルト90%、白金90%と金の50%、クロム98%、タンタライト英語版70%[61]マンガン64%、ウラン33%[62]が存在すると考えられている。コンゴ民主共和国には、携帯電話の製造に欠かせないコルタンが世界の70%に相当する量に上り、ダイヤモンドも世界の30%以上が同国に存在する[63]ギニアは世界最大のボーキサイト供給国である[64]。このようにアフリカの経済成長はほとんどが資源提供を背景としたもので、工業や農業の発展ではなく、雇用創出や貧困からの脱却に寄与していない。実際に、2008年にリーマンショックを原因として起こった食糧危機では、1億人が飢餓状態に陥った[65]

特に中華人民共和国はかねてからアフリカ諸国へのスタジアム外交英語版や大統領府[66]などの箱物タンザン鉄道の建設に象徴される強い結びつきを構築してアフリカ連合本部も建設しており、2009年に中国はアフリカ最大の貿易相手国になった[67]

鉱業を除けばアフリカの主要産業は農業であり、他国と産業構造が著しく異なる南アフリカを除くとその就業人口比は66.1%、輸出比は15.4%(2000年)である。しかしこれらはカカオなど特定地域の特定産物を除けば農業生産性が高いアメリカ合衆国等農業先進国との競争には弱く、大半の農産物はアフリカ内部で消費される。しかしながら、1961年から2000年にかけて人口が3倍になったのに対し、穀物は1.35倍程度しか伸長していない。土地の生産性もアジアや南アメリカが大きく伸ばしているのに対し4割以下まで落ち込んでいる。このような状況に陥った要因は、アフリカでは人口増加に対応する農業生産を高める手段をもっぱら耕地面積の拡大に依存した点がある。しかしこれは痩せた土地の利用や少ない水資源の制約等がからみ、充分な効果をあげることができなかったことを物語る[48]。2010年にハーバード大学は、政治さえ安定していればアフリカは食糧自給が可能との研究結果を発表した[68]。低い農業生産性は、従事者の貧困を招く原因のひとつであり、農業改革を行う技術や人材の育成が望まれる[48]

アフリカの農地は、その65%が土壌浸食の被害を受けている[69]。また、国際連合環境計画 (UNEP) によると、アフリカの森林破壊は世界平均の2倍の速度で進行している[70]。報告の中には、西アフリカの約9割が既に破壊されたというものもある[71]。これはマダガスカルでも同様で、人類が進出してからの2000年で90%以上の原生林が失われた[72]。干ばつや灌漑などによる環境への影響もあり、チャド湖は40年前と比較して面積が1/10まで減少した[47]

科学技術

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アフリカには、人類の技術的成果に関する世界最古の記録が遺されている。代表的なものとしては原始時代や古代における石器の存在が挙げられ、数学、冶金、建築、その他の分野においてもアフリカが発祥となるものが多い。

しかしそんな顕著な発展があったにも拘わらず、それ以降のアフリカの科学技術の歴史は、世界の他の地域に比べて比較的注目される度合いが低い侭となっている。

人口統計

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アフリカの語族および主要なアフリカ言語の分布を示す地図。
多くのアフリカ諸国では1つ以上の公用語を話す
  英語
  その他の言語

現在、アフリカの人口は爆発的に増え、特にこの40年は顕著である。国によっては人口の半数以上が25歳以下という所もある[73]。総人口は、1950年に2億2100万人だったが、2009年には10億人まで膨れ上がった[74][75]。世界の人口は増え続ける傾向にあるが、アフリカ地域の増加分がかなりの量を占めている。この人口増加は経済成長を伴っていないため、環境破壊や貧困層の増大などさまざまな問題をもたらしている。大陸全体がリカードの罠に陥っているとの指摘もある。

民族

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北アフリカは、イスラム教とともにアラブ人が入ってくるまでは、ベルベル人の居住する地域であった。現在も多数派となったアラブ人に混じってベルベル人が残っている。 中南アフリカでは、従来からの先住民族が暮らす。

言語

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アフリカは言語の種類が多い。系統分類では4語族に大別されるが、部族毎に異なる特徴を持つために多くの言語数に分岐し、世界の言語数のうち30%程度を占めるとも言われる。また、同じ人々が使う言語にも、部族語と地域共通語、さらに公用語と状況に応じて使い分けられる垂直型の多層言語が存在し、総言語数を多くしている[76]

ほとんどの国では植民地支配の影響をそのまま受け、欧米の言語を公用語としており、政府機関の作業言語や教授言語となっている。一方、エリート層と旧宗主国・欧米先進国との密接な関係から、国家ぐるみでもアフリカ固有の言語の普及や促進には力が入れられていないため、エリート層と庶民の間の教育格差という問題の発生につながっている。特にサブサハラ諸国においては、一部の国でアフリカ固有の言語も公用語に加えられているものの、実際にはタンザニア(スワヒリ語)やエチオピア(アムハラ語)、ソマリア(ソマリ語)の例外を除き、ほとんどが形骸化している。

宗教

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アフリカには1500以上の民族集団があり、それぞれが固有の信仰と儀礼体系を持っている[77]。さらに、イスラム教スンナ派キリスト教ローマ・カトリックプロテスタントの各派が分布している。また、これらの世界宗教と土着宗教が混淆し、シンクレティズムによって独自に発展した宗派もある[77]

伝統的な土着宗教は、祖霊信仰自然崇拝に加え、サブサハラでは創造神の概念も存在する[78]。また、呪術信仰も根強く、これを担うシャーマニズムも健在である[79]。 多くのアフリカの土着宗教には、予測不能な不幸が発生したとき、不幸の原因を想像力で理解するための適切な解釈を与え、その不幸に対処するための複数の観念や制度を内包したものであること、農耕儀礼や人生の通過儀礼など幸福を希求する儀礼的実践であることが、共通する特徴として見られる[77]

世界宗教のアフリカ伝播は、ローマ帝国の領土拡大に伴うローマ・カトリックが最初に当たり、これは4-5世紀に北アフリカで最盛期を迎える。しかしこれは同帝国の衰退とアラブ人の進出によって衰退した。19世紀のアフリカ分割に伴うヨーロッパ列強の植民地化によって再びローマ・カトリックは広まったが、この地域は中央アフリカに場所を変えていた[78]。イスラム教スンナ派は北アフリカを中心に人口の30-40%を占める。その伝播経路は、ナイル川に沿ったアラブ人の進出、サハラ交易による伝播、海上貿易による東海岸沿岸への伝播の3つがある[78]。プロテスタントもまたアフリカ分割とともに広まったが、その地域は南部が主流となった。南アフリカにはいち早くアフリカ人によって教会が建設された。その特色は聖書中心主義があり、またペンテコステ派と土着宗教が融合した精霊教会という形態も存在する[78]

教育

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アフリカの教育は世界の中でも未発達で、特にサハラ以南の多くの国々で就学率が低い。学校は基礎設備に欠き、アフリカの大学は生徒の増加と、教職員がより高い給料を求めて西側諸国に移住する為の不足が問題となっている。ユネスコ2000年の調査「Regional overview on sub-Saharan Africa」では、児童就学率は58%に止まった[80]

アフリカでは出生登録が充分に行われず、親が子供に教育を受けさせようとする意識が低い。これらに貧困が加わり、教育現場からの脱落のみならず、児童労働や人身売買、育児放棄や犯罪、子供が戦場へ狩り出されるなど様々な問題が生じている[48]

ステレンボッシュ大学は、南アフリカのラグビーの「メッカ」と評され、「アフリカ民族主義のルーツ」を明らかにすることで、英語圏の大学に対抗していた[81]

運動

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保健

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ナイジェリア救援キャンプの少女。栄養失調から来るクワシオルコルの症状が見られる。1960年代に撮影された。

アフリカは栄養・医療・衛生面でさまざまな問題を抱えている。2008年度世界の栄養不足率が高い10位(同率があり12カ国)はハイチを除いてアフリカ諸国に占められ、1位のコンゴ民主共和国は76%の国民が相当する[84]。このような環境は乳幼児にも悪影響を及ぼし、サブサハラ全体で5歳未満の死亡率は15-20%で推移している。これも、下痢はしかなど医療環境が整っていれば助かるものだが、世界保健機関 (WHO)が定める最低医療体制である人口10万人あたりの医師20人・看護師100人・その他医療従事者228人という基準を満たすサブサハラの国は南アフリカのみである(2007年度)[85]

また、後天性免疫不全症候群(エイズ)の蔓延も大きな問題となっており[85]、国家予算の半分近くがエイズ対策に費やされる国家すら出現している。特にサブサハラではひどく、15歳以上の感染率はスワジランドでは26.1%、ボツワナでは23.9%にのぼる(2008年[86])。感染者数最大は医療体制が比較的充実している南アフリカの570万人である。世界中のエイズ感染者のうち2/3がサブサハラに集中している[85]。この蔓延には女性の社会的地位が低いことも一因であり、レイプの多発や一夫多妻制などが影響していると考えられ、実際に感染率は女性の方が軒並み高い[85]。これらの要因から中南部諸国における平均寿命は著しく低下し、10カ国以上で50歳を下回っている[85]

治安

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アフリカの治安は現今、どのエリアにおいても確実に安定しているとは言い難い。その理由の一つとして挙げられるのは紛争による経済の発展の停滞である。アフリカでは近年、紛争が特定地域に集中する傾向があり、北アフリカではリビア、西アフリカではマリからナイジェリア北部地域、中部アフリカでは中央アフリカ共和国コンゴ民主共和国東部地域、東アフリカでは南スーダンソマリア南部地域がその一例に挙げられる。

原因となるものは主にイスラーム急進主義と国家そのものを巡る問題の二つが挙げられる。

一つ目の問題であるイスラーム急進主義は宗教に関係する面を持っているが、一般的な宗教問題と違い、内容がテロリズムに絡んだものが殆どであることから宗教とは別次元の問題とされている。

イスラーム急進主義を掲げる組織が活動を広げる理由は地域によって異なるが、共通するものには地理的に近い中東の影響が深い点がある。アラブ人が住民の圧倒的多数を占める北アフリカは勿論のこと、サハラ砂漠南縁部もほとんどの住民がムスリムである事から中東で活発化したイスラーム急進主義の余波が、武器や資金の供与などを通じて、広がりやすい社会環境を作り上げている。

上述した国々の中で、リビアは今日イスラーム急進主義組織の一つであるIS(イスラム国)の主要拠点の一つになっており、マリ、ナイジェリア、ソマリアなど、サハラ砂漠周辺地域でも、しばしばアルカーイダやISとの関係を強調しイスラーム急進主義を掲げる組織が紛争の原因となっている。

もう一つの問題は国家が国民からの信頼を失っている点にある。多くの場合、開発の失敗や汚職をはじめ人種差別や言語の違いによる対立などにより政府が人々の信頼を失った状況に立たされている。一例として南部アフリカの南アフリカ共和国と中部アフリカのカメルーンが挙げられる。

南アフリカ共和国ではアパルトヘイト廃止後に起きた失業問題に端を発する形で治安が急速に悪化してしまっており、同国の都市では、殺人強盗(強盗殺人を含む)、強姦麻薬売買などの凶悪犯罪が昼夜を問わず多発している。また、カメルーンでは公用語に対する意識の違いから、国内地域が仏語話者と英語話者の2グループによって仕切られていて、英語圏地域が分離賛成派を中心に独立を掲げて同国政府へ反発する形で対立している。さらに言語による独立運動には過激な活動が相次ぎ、武装蜂起する流れも常態化している。

そして、その渦中の国家に数え上げるイスラム圏該当エリアの国では、そこに急進主義勢力が「正しいイスラーム」を掲げて武装活動を活発化させているのである。イスラーム急進主義には一種の「世直し運動」という性格があり、自爆テロなどの過激かつ凄惨な内容の手段を取ることが「命を懸けた主張」として捉えられている面を持つ。これらが現地政府への不信感と相俟って、大義名分に等しい扱いを受ける形で支持を受ける状態となっている。そういった考えや価値観が先に挙げた地域における社会で一定の共感を得たり共有されている為、問題の解決を非常に困難としてしまっている。

これらの国家や地域ではそうした事情から深刻な経済停滞が続いており、先述の国々は現状では解消される様子が見受けられず、現地住民の大半は常に逼迫した社会環境の中で危険と隣り合わせな生活を余儀なくされている。

しかし、それ以外の地域では大きな紛争はあまり発生しておらず、治安などが比較的安定した面が窺える。東アフリカのルワンダでは、1994年に少数派民族トゥチ)を標的とした大量虐殺が起こり、少なくとも50万人が殺害されたとされている。同国は現在、政治的に安定しており、大きな事件が起こる確率も当時に比べて格段に低くなっている。

人権

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アフリカでは人権侵害をはじめとして、先の欄で挙げた干魃や飢餓、内戦や民族紛争などの危機的状況により自国を脱出する人々が後を絶たない。中には難民として他国へ亡命を図る人が大勢存在する。これに絡み、亡命先の国では幾多もの騒動や排他的な姿勢をとる人物の出現によって引き起こされる事件が問題化している面を持つ。

文化

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エジプトからモロッコまでの北アフリカ諸国は、アラブ文化英語版と関わりを持つ人々がいる。

食文化

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ウガリ

アフリカの食文化は、狩猟民族的特長が強い。すなわち、肉やイモ類などをそれぞれ単一で料理し、複数の食材を混ぜて調理することは少ない[87]。また、を除く穀類のほとんどを挽いて粉食する点も特徴である。この代表が、イネ科穀物の粉を用いる西アフリカの「トー」や東アフリカの「ウガリ」が代表的である[87]

では西部から中央部で作られるヤシ酒、熱帯地方のバナナ酒などの特色がある。トウモロコシ類からビール、もろみやバナナ酒から蒸留酒も造られる。ワイン醸造も行われ、現代では南アフリカが盛んな地域に当る[87]

文学

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哲学

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音楽

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2010年、南アフリカでドラムを演奏する男性。

特にサブサハラのアフリカ音楽は儀礼と結びつきが強く、ダンスに伴って演奏される。体鳴楽器膜鳴楽器は独自のものが多様に存在し、前者ではラメラフォーンコラ、後者では様々なドラムが知られる。中には伝達手段に用いられるトーキングドラムなどもある[88]

また、リンガラ音楽こと旧ザイール(現コンゴ民主共和国)のスークースや、フェラ・クティマヌ・ディバンゴらによるファンキーなアフロビート、ガーナのハイライフ、アルジェリアのライ、アンゴラのクドゥーロ、タンザニアのボンゴフレーバー、モザンビークのマラベンタなどのアフリカのポピュラー音楽もよく知られている。

美術

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アフリカ美術のうち、古代文明を築いたエジプトは独自の美術体系を発達させた。神聖文字と組み合わせた形式の連続性は、やはり独自の形式であるピラミッド寺院および墳墓などのエジプト建築と組み合わされ、壁画や彫刻類、そしてツタンカーメンに代表されるなどで複雑かつ華麗な体系を持った。この芸術の系統は、紀元前30年にローマによる征服を受けて途絶えた[89]

サブサハラの芸術は民俗学美術史の両面から論じられるが、その分析は未だ途上にある。大きな特徴は多様な造形分野であるが、これは美術品として単独で成り立つものではなく、生活および宗教と深く関連している。木材を好んで用い、仮面など身体装飾や彫刻など、また宗教や祭祀用道具および日用品なども彩色されたものなど種類も多い。その一方で建築分野ではあまり見るべきものがない[90]

建築

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マスガム小屋英語版
カメルーンの民族の一団、マスガム族英語版の伝統的な住居である。
この住居の建材にはが用いられている。

アフリカの建築は非常に多様で、現地の民族ごとにその差異が現れているほか、人類の文化史や歴史の道のりにおいて重要な位置付けが成されている面を持つ。また、芸術的に付加価値の高いものが揃っていることも特徴の一つとなっている。

建材にはなどの木材をはじめ、茅葺煉瓦など、自然由来の様々な素材が使用されており、版築を中心とした技法での家づくりなどが主体となっている。だが、同エリアの建築文化の基礎としては簡素でありながらも確立されたものとなっていて、アフリカの風景と調和したものも多い。

一部地域の建築は何世紀にも亘ってアフリカ大陸外部の文化の影響を受けており、特に西洋の建築文化は15世紀後半からアフリカ沿岸地域へ多大な影響を与えていて、現在においても主要都市では西洋建築が多くの巨大建造物の重要なインスピレーションの源ともなっている。

服飾

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映画

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世界遺産

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メディア

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インターネット

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スポーツ

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サッカー

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アフリカ諸国の国々では、ほぼ全般的にサッカーが盛んである[91]。一部の国々ではバスケットボール格闘技なども人気がある。アフリカ人を象徴するスポーツ選手としては、サミュエル・エトーディディエ・ドログバを筆頭に[92]、近年ではモハメド・サラーサディオ・マネが存在する[93]

アフリカサッカー連盟(CAF)が主催する『アフリカネイションズカップ』は、1957年より開始されており、最多優勝はエジプト代表の7回である。また、CAFは『アフリカ年間最優秀選手賞』も主催しており、最多受賞はサミュエル・エトーとヤヤ・トゥーレの4回となっている。

アフリカの国

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括弧内は首都、その後ろの言語名は公用語を示す。

北アフリカ

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西アフリカ

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中部アフリカ

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東アフリカ

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南部アフリカ

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独立国以外の地域

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イギリス領

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フランス領

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スペイン領

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ポルトガル領

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モーリシャス領

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その他

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消滅した国

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アフリカと「黒」

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肌が黒い人類、いわゆるネグロイドの存在が他の文明に初めて記録されたのは、7世紀に北部アフリカを支配下に置いたアラブ人が、ナイル川を遡ってサハラ砂漠以南に到達したことに始まる。以後、アフリカの地名にはこの肌の色を語源として名づけられた所もあり、現在の国名に受け継がれているものもある。スーダンは、かつてのイギリス領やフランス領を含めるとアフリカ大陸の1/3を占める広大な土地を意味したが、これはアラビア語が意味する「黒い人」が語源である。

このフランス領スーダンから独立したモーリタニアはムーア人の国という意味だが、このムーアも古代ギリシア語のmauros(肌が黒い人々)を語源とする。ギニアも現在の領土よりも広い地域を指す言葉だったが、これもベルベル人の言葉で「黒い人の土地」を意味した。エチオピアもギリシア語の「aitos(日焼けした)」+「ops(顔)」+「ia(地名接尾語)」の合成語であり、やはり古代ギリシア人にとってサハラ砂漠より南の土地を包括的に示す言葉だった。ソマリアアムハラ語で「ゾムマ(家畜を持つ人)」という説の他に、ヌビア地方の言葉で「黒い人の国」という意味だという説もある[94]

地域機構

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アフリカの経済共同体(en)
  CEN-SAD
  COMESA
  EAC
  ECCAS
  ECOWAS
  IGAD
  SADC
  UMA

脚注

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注釈

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  1. ^ 西サハラソマリランドを含む
  2. ^ アメリカ大陸を、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸に分ける場合。

出典

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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教育