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{{基礎情報 書籍
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|title = みづうみ
『'''みづうみ'''』(”みずうみ”表記もある)は、[[川端康成]]の[[小説]]。『[[新潮]]』に[[1954年]]連載、[[1955年]]に単行本として刊行された。美しい女性の後をつけるという現代で言えば[[ストーカー]]的性質を持つ桃井銀平を主人公とし、彼の捉える(女性がらみの)[[現実]]、[[懐古]]、[[妄想]]といった[[意識の流れ]]を美しく描く。
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『'''みづうみ'''』は、[[川端康成]]の[[長編小説]]。[[現代仮名遣い]]では、『'''みずうみ'''』表記となる。川端の日本的鎮魂歌の路線とは異質で、発表当初、衝撃的な作品として受け取られた<ref name="nakamura">[[中村真一郎]]「解説」(文庫版『みづうみ』)([[新潮文庫]]、1960年。改版1991年)</ref>。[[1954年]](昭和29年)、雑誌「[[新潮]]」1月号から12月号に連載された。単行本は翌年1955年(昭和30年)4月15日に[[新潮社]]より刊行された。現行版は[[新潮文庫]]で刊行されている。翻訳版は1974年(昭和49年)のReiko Tsukimura([[月村麗子]])訳(英題:“The Lake”)をはじめ、各国で行われている。


1966年(昭和41年)に本作を原案とした映画『女のみづうみ』が[[岡田茉莉子]]主演で制作された。
== 書誌情報 ==

*川端康成 『みづうみ』 新潮文庫、1960年 ISBN 9784101001180
== 概要 ==
美しい女を見ると憑かれたようにその後をつける奇行のある男の物語。女性に対する暗い情念を、回顧、現実、[[妄想]]などの「意識の流れ」を描写することによって、永遠の憧憬に象徴化し、「夢」の領域に入った微妙な連想作用を重ね合せた幽艶な非現実の世界を展開している<ref>「カバー解説」(文庫版『みづうみ』)(新潮文庫、1960年12月25日。改版1991年)</ref><ref name="nakamura"/>。

初出誌では、作品冒頭部と末尾が照応しており、円環構造となっていたが、単行本刊行に際し、大幅な加筆訂正がなされ、連載第11回の後半と第12回の全文(主人公が逃避行して[[信州]]の温泉場にいる)が切り捨てられてため、円環構造が崩れている<ref name="kaidai">「解題」(『川端康成全集第18巻』)([[新潮社]]、1980年)</ref><ref>[[月村麗子]]『川端康成著「みづうみ」の主題と手法』(解釈 1977年1月号に掲載。のち[[寧楽書房]]、1977年)</ref><ref name="tamura">[[田村充正]]『川端康成「みづうみ」の基礎研究――作品「みづうみ」はいかに構築されているか』([[静岡大学]]人文論集、1996年)</ref>。

発表当初は、川端の熱烈的な愛読者や追随者の間でも、この新作に困惑し、嫌悪を表明したものも多かったが<ref name="nakamura"/>、川端の思想が如実に表わされている作品という論も多く<ref name="yamanaka">[[山中正樹]]『銀平の変容――「みづうみ」における<時間>と<空間>』([[桜花学園]]大学人文学部研究紀要、2004年3月)</ref>、その「魔界」世界がよく示されている作品である<ref name="harazen"/>。

なお、川端康成は1961年(昭和36年)刊行の『湖』のまえがきで、「湖の多くは遠いむかし地の奥から火を噴きあげた[[火口]]に水をたたへてできた。火はしづまる時が来るが、水には時がない」<ref>川端康成「まえがき」(『湖』)([[有紀書房]]、1961年)</ref>と述べている。

== あらすじ ==
桃井銀平は或る女の魔性に惹かれ後をつけ、その女が銀平から逃げる際に落としていった[[ハンドバッグ]]から金を盗んでしまい、いたたまれなくなり東京から[[信州]]へ逃げた。夏の終り、[[軽井沢]]の[[トルコ風呂 (性風俗)|トルコ風呂]]へやって来た銀平は、[[湯女]]のマッサージを受けながら、高校教師だった頃に初めて後をつけた教え子・玉木久子のことや、母方の[[従姉]]・やよいへの少年時代の初恋を回顧する。銀平の母親は湖近くの名家の出で美しかったが、銀平は父親ゆずりの[[猿]]のような甲の皮が厚い醜い足だった。父がその湖で変死して以来、母の親類は銀平の一家を忌み嫌い、やよいも露骨に銀平を見下した。玉木久子と銀平は、生徒と教師の間柄で密会し、そのことが原因で銀平は教職を追われ、久子は別の学校へ転校した。その後も二人は関係を続けて、久子の居間に忍び込んだことが家人に見つかったこともあったが、結局は別れを決めた。

銀平に後をつけられハンドバッグを落とした水木宮子は、元は良家の娘だったが[[日本の降伏|敗戦]]で家の財産がなくなり、金持の老人の愛人をして暮らしている。美貌の宮子はよく見知らぬ男たちにつけられた。落としたバッグの中には通帳とおろしたばかりの大金があったが、[[パトロン]]や[[女中]]には金を引き出したことは内緒だったので警察には届けなかった。宮子には大学に入学する弟・啓助がいて、そのための金だった。啓助と同級の友人・水野には、15歳の恋人・町枝がいた。町枝は両親に水野との交際を反対されていたため、犬の散歩の時に土手で二人は会っていたが、ある日そこへ向う坂道で、町枝は不審な男(銀平)に後をつけられ、声をかけられた。

銀平は我を忘れて、犬を散歩させている可憐な色白の少女(町枝)を追跡していた。その少女は古里のやよいや、元教え子の久子よりも美しかった。銀平は声をかけたが、少女は何も答えず相手にしなかった。少女のその美しい目の「黒いみずうみに裸で泳ぎたい」という奇妙な憧憬と絶望を銀平は覚えた。恋人らしき学生(水野)と芝生の上で談笑する少女を呪わしく見つめながら、銀平は父親を殺した犯人を見つけて仇討ち誓った頃のことを思い出す。少女が帰った後、学生にからんだ銀平は土手から突き飛ばされた。銀平は突っ伏しながら、やよいや久子のことを回想する。

6月に堀で催された[[蛍]]狩りに少女(町枝)が現われた。必ずそこへ来ると見込んでいた銀平は天女のような少女を見つめ、[[来世]]は自分が美しい足の若者に生まれ変って、二人で白の[[バレエ]]を踊りましょうと、独り言を言った。銀平は帰りの坂道で土手を登るとき、戦時中に自分と関係した[[娼婦]]が産んだ捨て子の赤ん坊の幽霊が土手の土の中を這うのを見る。銀平は久子が別れる時に、いつかどうしても先生に会いたくなったら、[[上野駅|上野]]の地下道に先生がいても会いに行くと言った言葉を思い出し、上野駅に向った。駅を出ると、[[ゴム長靴]]をはいた醜い女が、銀平が目くばせしたと言ってついて来たので、一緒におでん屋で飲んだ。店を出ると女はしなだれかかり、銀平も自分に似合いの女だと調子を合わせた。銀平は、おそらく不恰好で醜いであろう女の長靴の中の足を見たいと思ったが、それが自分の醜い足を並んでいるところを想像し嘔吐を催し、安宿へ入ろうとする女の腕を振り解いて逃げた。女に小石をぶつけられ、情けない気持でアパートに戻った銀平は、薄赤くなっているくるぶしを見た。

== 登場人物 ==
;桃井銀平
:34歳。元高校の国語教師。甲が厚くて黒ずみ、土踏まずに皺が多く、節立った長い指の、[[猿]]のような醜い足に劣等感を持つ。[[裏日本]]の海辺の生まれ。子供の頃、両親と祖父母と、出戻りの父の姉(叔母)と住んでいた。母は名家の出だったが格の違う醜い父と結婚した。11歳の時に父が、母の古里の村の湖で、自殺か他殺か判らない奇怪な死を遂げる。母は銀平が東京で苦学している頃に胸を患い死去。犬嫌い。美しい女の後を追跡する奇癖がある。この世の果てまで後をつけるというのは、その女を殺してしまうしかないことだと考えている。
;湯女
:20歳前くらいの娘。軽井沢の[[トルコ風呂 (性風俗)|トルコ風呂]]の湯女。ミス・トルコと呼ばれている。天女のようなきれいな声。[[新潟県]]出身。
;玉木久子
:銀平の元教え子。銀平がはじめて後をつけた女。家は戦後に建てた豪華な洋館。浅黒い肌。銀平に身をまかし、山の手の焼跡となっている久子の元の屋敷の塀の中(「草葉のかげ」)で密会する。のちに「草葉のかげ」に建つ家は、結婚した久子の新居になる。
;恩田信子
:玉木久子の同級生で親友。銀平と久子との関係を校長と久子の父に告発し、秘密を漏らす。成績は良いが自我も強い。
;久子の両親
:娘と銀平との仲を知り、娘を転校させる。空襲で家が焼けたが、戦後すぐに立派な洋館を建てられた金持ち。父親が秘密の裏の仕事をしているらしい。久子の部屋で密会しているのを見つかった時、銀平はピストルで久子と親を殺し、自分も死ぬ妄想を抱く。
;ストリート・ガール
:[[街娼]]。銀平が久子の後をつけ、門前から逃げた後、盛り場で声をかけてきた女。自称・女子学生。
;やよい
:銀平の[[従姉]]。銀平の母の兄の娘。銀平よりも2歳年上。12、3歳の頃の銀平の初恋。湖のほとりを二人でよく歩いた。銀平の母は実家の兄に、嫁ぎ先の生活の不満を訴えていた。やよいは、銀平の父親は殺されたのだと銀平に言う。[[海軍士官]]と結婚した後、未亡人となる。
;水木宮子
:25歳。美貌の女。若く見られる。銀平に後をつけられ、ハンドバッグで追い払って、それを落として逃げる。老人の愛人をしながら、屋敷町に住んでいる。裕福な家庭で育ったが、敗戦で宮子の一家は財産を失い、初恋の人も戦死した。銀平にすれ違いざま、同じ「[[魔界]]の住人」と思われる。
;有田音二
:70歳間近の老人。水木宮子の愛人。金持の[[パトロン]]。会社社長。自宅にも家政婦という名目の30代の美人の愛人・梅子がいる。梅子も宮子もお互い、その存在を承知している。有田が30代の時、妻は嫉妬で自殺。よく[[悪夢]]にうなされる。有田の秘書が銀平の学生時代の友人で、有田の演説の代作の仕事を銀平に廻している。有田は久子の父親と知り合いで、久子の転向先の女学校の理事長。
;たつ
:水木宮子の家の[[女中]]。宮子の弱味につけこんで、自分の娘・さち子も女中として呼び、娘に有田老人を宮子から盗ませようとたくらんでいる。旅行中に有田老人が宮子に預ける宿代やチップを、ごまかして[[ピンハネ]]するように宮子にアドバイスする。同じように、自分も宮子から買物代をピンハネし、こつこつ貯金している。戦死した夫に苦労させられた。
;さち子
:17歳。水木宮子の家の女中。行儀がよい。たつの娘。たつの指南で香水をつけさせられている。子供の頃、父親が夫婦喧嘩で投げた[[火箸]]が首に刺さって怪我をし、小さな傷が残っている。
;水木啓助
:水木宮子の弟。おとなしい性格。頭はいいが臆病な性格で大学入試の試験場で[[脳貧血]]を起こしたりする。受かっても入学金が払えないと思い、余計に気弱になり遺書を書く。息子を入学させるために、母が父の友人に借金をしてまでお金を使った。宮子は貯金をおろし母に渡そうと考えていた。
;水野
:啓助の仲のいい友人。気の弱い啓助が同じ大学に入るために試験場で答案を二枚書いてもいいと言ってくれる。15歳の恋人・町枝がいる。
;町枝
:15歳。水野の恋人。どこか愁いがある清らかな少女。色白で濡れたような美しい黒い目。両親に水野との交際を反対されている。[[柴犬]]・ふくを連れて散歩中に銀平に目をつけられる。天上の匂いのするような輝く白い肌。
;西村
:戦時中の銀平の悪友。[[娼婦]]が産んだ銀平の子らしき赤ん坊を、銀平の下宿の前に捨てたのを、一緒に娼家の前に戻す。西村は戦死。
;小母さん
:学生の銀平が[[下宿]]していた家の主婦。門の前に置かれた捨て子の赤ん坊を見て騒ぐ。
;浮浪者たち
:[[上野駅|上野]]の地下道の浮浪者たち。30歳そこそこの若い夫婦者。銀平に色目を使う[[男娼]]。
;ゴム長靴をはいた女
:40歳前くらい。日焼けした顔で、薄よごれた身なりの醜い女。街娼。夫はなく、家には13歳の娘がいる。

==作品評価・解説==
[[中村真一郎]]は、何人もの川端文学の熱愛者や愛読者が、本作については困惑し嫌悪したことに触れ、中村自身はそれまで川端文学と疎遠であったが、逆にそのことで強い興味を覚えて読んだとし<ref name="nakamura"/>、「私は直ちに一読し、三嘆した。この作品は私にとっては戦後の日本小説の最も注目すべき見事な達成だと感じられた」<ref name="nakamura"/>と評し、「私を『みづうみ』の方へ引き寄せる皮肉な導者の役割を演じてくれたのは、[[三島由紀夫]]氏である。私は三島氏に感謝している。それはただ、私をこの作品に招待してくれたからというだけでなく、これほど問題ある作品について、私と完全に対立する意見を、独特の繊細な表現によって、私に語ってくれたからである」<ref name="nakamura"/>と述べている。そして中村は、主人公の「意識の流れ」の描写を美しいと述べ、その文学的手法は、西欧二十世紀の新しい作家たちの創造した、「新しい現実面」の表現方法であり、十九世紀の客観主義の方法と極端に反対の主観的方法であるとし、「その方法は従来の小説では描かれなかった、私たちの心の動きの秘密を探りだしてくれる。従来の方法で捉えれば、単たる[[偏執病|偏執者]]となったかも知れない、この主人公は、この方法によって『内部』から描かれることによって、その執念、その情念が、永遠の憧れの姿にまで、象徴化されることができた」<ref name="nakamura"/>と解説している。

さらに中村は、[[フランソワ・モーリアック|モーリアック]]も主人公の意識を舞台として、多くの女性の思い出を混ぜ合せた方法をとっているとし、川端とモーリアックの違いについては、「川端氏の場合、その『混ぜ合せ方』は、[[超現実主義]]的ではあるが、日本的超現実主義――[[中世]]の[[連歌]]における『匂い付け』と呼ばれるような、不思議な微妙な連想作用によって行われているのである。従ってこの作品は、西欧の最も新しい文学的冒険と照応しながら、一方で古い日本の美学の最も本質的なものの現代的再現と云える。それは屢々[[ホアン・ミロ]]の幻想に似ている。と同時に、我国[[王朝時代|王朝末期]]の頽唐期の物語の世界でもある」<ref name="nakamura"/>と解説している。また本作の構成、映像、筋立て、その後味も「夢」に似ているとし、「大概の小説は現実に似ていることで迫真性を持っているとすれば、この小説はその逆なのである」<ref name="nakamura"/>と述べ、そういう点では、[[ノヴァーリス]]や[[ルートヴィヒ・ティーク|ティーク]]のドイツ[[ロマン主義|浪漫派]]や、それを受け継いだフランスの[[ジェラール・ド・ネルヴァル|ネルヴァル]]の作品とも、遥かに通い合っていると評している<ref name="nakamura"/>。

[[田村充正]]は本作が当初、初出誌連載時には、終結部が主人公がアパートに戻った5、6日後に、宮子の後をつけてハンドバッグを拾い、東京から[[信州]]へ行き、温泉場の宿から出てバスに乗るという終り方になっており、冒頭部へ繋がる円環構造となっていたことなどから、「『みづうみ』という作品は信州から信州へという構成においても、やよいからやよいへという主人公の意識においても完全な円環性をその特徴としているように思われる」<ref name="tamura"/>と述べ、「そして主人公銀平にこの円環の中心にある<みづうみ>に立ち戻って謎を解明しようとする志向がなく、また解明したとしても心にうけた傷が決して癒やされないことを知っており、癒やして過去に訣別する方途がないとすれば、銀平は宮子のあとに続く第四、第五の女を追い続ける宿命にあるはずである」<ref name="tamura"/>と解説し、単行本刊行に際して削除された雑誌結末部分は、削除する必然性がなかったとし、「作品の内的生命は初出のとおり銀平の永遠の彷徨を示唆してその輪を閉じようとしていた。いやすでに閉じたのである。この永遠の堂々巡りを、作品内では自壊していない円環構造を、力づくで断ち切ったのは作家川端康成であり、その意味でもこの『みづうみ』という作品は、作家川端の生を反映しているのかも知れない」<ref name="tamura"/>と解説している。

[[原善]]は、主人公・銀平の追跡者としての姿と川端を重ね合せて、「銀平の美への追跡は作家川端の文学における美の追求の具現であり、その意味でも銀平はまさに川端自身の分身なのである」<ref name="harazen">[[原善]]『川端康成の魔界』([[有精堂]]、1984年)</ref>と述べ、「川端文学における<[[魔界]]>とは、一見するとそれと誤認される皮相な背徳や悪の世界のみではなく、そういった淪落への志向と同時に自己浄化の志向をも持った人物の、その両志向の[[二律背反]]的な拮抗によって裏打ちされるところの、美と倫理の危うい均衡の中で燃焼するエロスの世界だとする理解が導けるはずなのである」<ref name="harazen"/>と解説している。

[[林武志]]は、『みづうみ』において注目すべき点は、「自失」(「忘我」)と「[[狂気]]」であるとし、「<自失>の追跡といい、<狂気>の世界といい、いずれも人間的日常的時間が切断された<虚の時空>、非日常的な<幻の時空>である」<ref name="hayashi">[[林武志]]『鑑賞日本現代文学15 川端康成』([[角川書店]]、1982年)</ref>と述べ、[銀平がひたすら追い求めた「魔界」とは、やはり常住不能な非連続の世界なのである」と論じている<ref name="hayashi"/>。

[[岩田光子]]は、『[[雪国 (小説)|雪国]]』の「[[温泉]]」と『みづうみ』の「[[トルコ風呂 (性風俗)|トルコ風呂]]」との類似性を指摘し、それは「現実から非現実への移行」のための「通路」だとしている<ref>[[岩田光子]]『川端文学の諸相―近代の幽艶―』([[桜楓社]]、1983年)</ref>。

== 映画化 ==
{{Infobox Film
|作品名= 女のみづうみ
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|画像サイズ=
|画像解説=
|監督= [[吉田喜重]]
|脚本= [[石堂淑朗]]、[[大野靖子]]、吉田喜重
|原案=
|原作= [[川端康成]]『みづうみ』
|製作= [[駒崎秋夫]]、[[久保圭之介]]
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|ナレーター=
|出演者= [[岡田茉莉子]]、[[露口茂]]
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|撮影= [[鈴木達夫]]
|編集= [[清水幸子]]
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|配給= [[松竹]]
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|上映時間= 98分(モノクロ)
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|言語= [[日本語]]
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|前作=
|次作=
}}
『女のみづうみ』([[松竹]])モノクロ 98分。[[1966年]](昭和41年)8月27日封切。

=== スタッフ ===
*監督:[[吉田喜重]]
*脚本:[[石堂淑朗]]、[[大野靖子]]、吉田喜重
*製作:[[駒崎秋夫]]、[[久保圭之介]]
*撮影:[[鈴木達夫]]
*美術:[[平田逸郎]]
*編集:[[清水幸子]]
*音楽:[[池野成]]
*録音:[[加野一郎]]
*照明:[[海野義雄]]
*スチル:[[長谷川元吉]]

=== キャスト ===
*水木宮子:[[岡田茉莉子]]
*水木有造:[[芦田伸介]]
*桜井銀平:[[露口茂]]
*北野:[[早川保]]
*町枝:[[夏圭子]]
*はるみ:[[益田紘子]]
*はるみの母:[[益田愛子]]

== テレビドラマ化 ==
*[[文學ト云フ事]]『みづうみ』([[フジテレビ]])
*:1994年(平成6年)5月3日 火曜日 24:55 - 25:25
*:演出:[[片岡K]]。音楽:[[佐々木貴]]。企画:[[斎藤秋水]]、[[鈴木吉弘]](企画協力:[[和田晃]])。プロデュース:[[小島美佳]](デスク:[[松田敦子]])。
*:出演:[[大高洋夫]]、[[井出薫]]、[[宝生舞]]、[[角口明美]]、[[星野衣厘]]。文學ノ予告人:[[鈴木清順]]。
*:エンディング・テーマ:[[原田知世]]「[[哀しみのアダージョ|T'en va pas]]」

== おもな刊行本 ==
*『みづうみ』([[新潮社]]、1955年4月15日)
*:装幀:[[徳岡神泉]]。題簽:[[町春草]]。
*『みづうみ』([[新潮文庫]]、1960年12月25日。改版1991年) ISBN 9784101001180
*:カバー装幀:[[平山郁夫]]。付録・解説:[[中村真一郎]]。
*:※ 現行版は『みずうみ』表記。
*『みづうみ』([[角川文庫]]、1961年)
*:付録・解説:[[瀬沼茂樹]]
*英文版『The lake』(訳:Reiko Tsukimura)(Kodansha International、1974年)

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<references/>

== 参考文献 ==
*文庫版『みずうみ』(付録・解説 [[中村真一郎]])([[新潮文庫]]、1960年。改版1991年)
*『新潮日本文学アルバム16 [[川端康成]]』([[新潮社]]、1984年)
*『川端康成全集第18巻』(新潮社、1980年)
*[[田村充正]]『川端康成「みづうみ」の基礎研究――作品「みづうみ」はいかに構築されているか』([[静岡大学]]人文論集、1996年) [http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/4782/1/100305002.pdf]
*[[山中正樹]]『銀平の変容――「みづうみ」における<時間>と<空間>』([[桜花学園]]大学人文学部研究紀要、2004年3月) [http://ci.nii.ac.jp/els/110006199422.pdf?id=ART0008217249&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1370149083&cp=]
*[[原善]]『川端康成の魔界』([[有精堂]]、1984年)

== 関連項目 ==
*[[ストーカー]]
*[[魔界]]
*[[妄想]]

== 外部リンク ==
* {{Movielink|allcinema|160860|女のみづうみ}}
* {{Movielink|kinejun|21994|女のみづうみ}}


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[[Category:文学を原作とするテレビドラマ]]
[[Category:フジテレビのテレビドラマ]]
[[Category:1994年のテレビドラマ]]

2013年6月2日 (日) 05:13時点における版

みづうみ
The Lake
著者 川端康成
イラスト 徳岡神泉町春草
発行日 1955年4月15日
発行元 新潮社
ジャンル 長編小説
日本の旗 日本
言語 日本語
形態 上製本、クロス装
ページ数 207
ウィキポータル 文学
ウィキポータル 映画
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みづうみ』は、川端康成長編小説現代仮名遣いでは、『みずうみ』表記となる。川端の日本的鎮魂歌の路線とは異質で、発表当初、衝撃的な作品として受け取られた[1]1954年(昭和29年)、雑誌「新潮」1月号から12月号に連載された。単行本は翌年1955年(昭和30年)4月15日に新潮社より刊行された。現行版は新潮文庫で刊行されている。翻訳版は1974年(昭和49年)のReiko Tsukimura(月村麗子)訳(英題:“The Lake”)をはじめ、各国で行われている。

1966年(昭和41年)に本作を原案とした映画『女のみづうみ』が岡田茉莉子主演で制作された。

概要

美しい女を見ると憑かれたようにその後をつける奇行のある男の物語。女性に対する暗い情念を、回顧、現実、妄想などの「意識の流れ」を描写することによって、永遠の憧憬に象徴化し、「夢」の領域に入った微妙な連想作用を重ね合せた幽艶な非現実の世界を展開している[2][1]

初出誌では、作品冒頭部と末尾が照応しており、円環構造となっていたが、単行本刊行に際し、大幅な加筆訂正がなされ、連載第11回の後半と第12回の全文(主人公が逃避行して信州の温泉場にいる)が切り捨てられてため、円環構造が崩れている[3][4][5]

発表当初は、川端の熱烈的な愛読者や追随者の間でも、この新作に困惑し、嫌悪を表明したものも多かったが[1]、川端の思想が如実に表わされている作品という論も多く[6]、その「魔界」世界がよく示されている作品である[7]

なお、川端康成は1961年(昭和36年)刊行の『湖』のまえがきで、「湖の多くは遠いむかし地の奥から火を噴きあげた火口に水をたたへてできた。火はしづまる時が来るが、水には時がない」[8]と述べている。

あらすじ

桃井銀平は或る女の魔性に惹かれ後をつけ、その女が銀平から逃げる際に落としていったハンドバッグから金を盗んでしまい、いたたまれなくなり東京から信州へ逃げた。夏の終り、軽井沢トルコ風呂へやって来た銀平は、湯女のマッサージを受けながら、高校教師だった頃に初めて後をつけた教え子・玉木久子のことや、母方の従姉・やよいへの少年時代の初恋を回顧する。銀平の母親は湖近くの名家の出で美しかったが、銀平は父親ゆずりののような甲の皮が厚い醜い足だった。父がその湖で変死して以来、母の親類は銀平の一家を忌み嫌い、やよいも露骨に銀平を見下した。玉木久子と銀平は、生徒と教師の間柄で密会し、そのことが原因で銀平は教職を追われ、久子は別の学校へ転校した。その後も二人は関係を続けて、久子の居間に忍び込んだことが家人に見つかったこともあったが、結局は別れを決めた。

銀平に後をつけられハンドバッグを落とした水木宮子は、元は良家の娘だったが敗戦で家の財産がなくなり、金持の老人の愛人をして暮らしている。美貌の宮子はよく見知らぬ男たちにつけられた。落としたバッグの中には通帳とおろしたばかりの大金があったが、パトロン女中には金を引き出したことは内緒だったので警察には届けなかった。宮子には大学に入学する弟・啓助がいて、そのための金だった。啓助と同級の友人・水野には、15歳の恋人・町枝がいた。町枝は両親に水野との交際を反対されていたため、犬の散歩の時に土手で二人は会っていたが、ある日そこへ向う坂道で、町枝は不審な男(銀平)に後をつけられ、声をかけられた。

銀平は我を忘れて、犬を散歩させている可憐な色白の少女(町枝)を追跡していた。その少女は古里のやよいや、元教え子の久子よりも美しかった。銀平は声をかけたが、少女は何も答えず相手にしなかった。少女のその美しい目の「黒いみずうみに裸で泳ぎたい」という奇妙な憧憬と絶望を銀平は覚えた。恋人らしき学生(水野)と芝生の上で談笑する少女を呪わしく見つめながら、銀平は父親を殺した犯人を見つけて仇討ち誓った頃のことを思い出す。少女が帰った後、学生にからんだ銀平は土手から突き飛ばされた。銀平は突っ伏しながら、やよいや久子のことを回想する。

6月に堀で催された狩りに少女(町枝)が現われた。必ずそこへ来ると見込んでいた銀平は天女のような少女を見つめ、来世は自分が美しい足の若者に生まれ変って、二人で白のバレエを踊りましょうと、独り言を言った。銀平は帰りの坂道で土手を登るとき、戦時中に自分と関係した娼婦が産んだ捨て子の赤ん坊の幽霊が土手の土の中を這うのを見る。銀平は久子が別れる時に、いつかどうしても先生に会いたくなったら、上野の地下道に先生がいても会いに行くと言った言葉を思い出し、上野駅に向った。駅を出ると、ゴム長靴をはいた醜い女が、銀平が目くばせしたと言ってついて来たので、一緒におでん屋で飲んだ。店を出ると女はしなだれかかり、銀平も自分に似合いの女だと調子を合わせた。銀平は、おそらく不恰好で醜いであろう女の長靴の中の足を見たいと思ったが、それが自分の醜い足を並んでいるところを想像し嘔吐を催し、安宿へ入ろうとする女の腕を振り解いて逃げた。女に小石をぶつけられ、情けない気持でアパートに戻った銀平は、薄赤くなっているくるぶしを見た。

登場人物

桃井銀平
34歳。元高校の国語教師。甲が厚くて黒ずみ、土踏まずに皺が多く、節立った長い指の、のような醜い足に劣等感を持つ。裏日本の海辺の生まれ。子供の頃、両親と祖父母と、出戻りの父の姉(叔母)と住んでいた。母は名家の出だったが格の違う醜い父と結婚した。11歳の時に父が、母の古里の村の湖で、自殺か他殺か判らない奇怪な死を遂げる。母は銀平が東京で苦学している頃に胸を患い死去。犬嫌い。美しい女の後を追跡する奇癖がある。この世の果てまで後をつけるというのは、その女を殺してしまうしかないことだと考えている。
湯女
20歳前くらいの娘。軽井沢のトルコ風呂の湯女。ミス・トルコと呼ばれている。天女のようなきれいな声。新潟県出身。
玉木久子
銀平の元教え子。銀平がはじめて後をつけた女。家は戦後に建てた豪華な洋館。浅黒い肌。銀平に身をまかし、山の手の焼跡となっている久子の元の屋敷の塀の中(「草葉のかげ」)で密会する。のちに「草葉のかげ」に建つ家は、結婚した久子の新居になる。
恩田信子
玉木久子の同級生で親友。銀平と久子との関係を校長と久子の父に告発し、秘密を漏らす。成績は良いが自我も強い。
久子の両親
娘と銀平との仲を知り、娘を転校させる。空襲で家が焼けたが、戦後すぐに立派な洋館を建てられた金持ち。父親が秘密の裏の仕事をしているらしい。久子の部屋で密会しているのを見つかった時、銀平はピストルで久子と親を殺し、自分も死ぬ妄想を抱く。
ストリート・ガール
街娼。銀平が久子の後をつけ、門前から逃げた後、盛り場で声をかけてきた女。自称・女子学生。
やよい
銀平の従姉。銀平の母の兄の娘。銀平よりも2歳年上。12、3歳の頃の銀平の初恋。湖のほとりを二人でよく歩いた。銀平の母は実家の兄に、嫁ぎ先の生活の不満を訴えていた。やよいは、銀平の父親は殺されたのだと銀平に言う。海軍士官と結婚した後、未亡人となる。
水木宮子
25歳。美貌の女。若く見られる。銀平に後をつけられ、ハンドバッグで追い払って、それを落として逃げる。老人の愛人をしながら、屋敷町に住んでいる。裕福な家庭で育ったが、敗戦で宮子の一家は財産を失い、初恋の人も戦死した。銀平にすれ違いざま、同じ「魔界の住人」と思われる。
有田音二
70歳間近の老人。水木宮子の愛人。金持のパトロン。会社社長。自宅にも家政婦という名目の30代の美人の愛人・梅子がいる。梅子も宮子もお互い、その存在を承知している。有田が30代の時、妻は嫉妬で自殺。よく悪夢にうなされる。有田の秘書が銀平の学生時代の友人で、有田の演説の代作の仕事を銀平に廻している。有田は久子の父親と知り合いで、久子の転向先の女学校の理事長。
たつ
水木宮子の家の女中。宮子の弱味につけこんで、自分の娘・さち子も女中として呼び、娘に有田老人を宮子から盗ませようとたくらんでいる。旅行中に有田老人が宮子に預ける宿代やチップを、ごまかしてピンハネするように宮子にアドバイスする。同じように、自分も宮子から買物代をピンハネし、こつこつ貯金している。戦死した夫に苦労させられた。
さち子
17歳。水木宮子の家の女中。行儀がよい。たつの娘。たつの指南で香水をつけさせられている。子供の頃、父親が夫婦喧嘩で投げた火箸が首に刺さって怪我をし、小さな傷が残っている。
水木啓助
水木宮子の弟。おとなしい性格。頭はいいが臆病な性格で大学入試の試験場で脳貧血を起こしたりする。受かっても入学金が払えないと思い、余計に気弱になり遺書を書く。息子を入学させるために、母が父の友人に借金をしてまでお金を使った。宮子は貯金をおろし母に渡そうと考えていた。
水野
啓助の仲のいい友人。気の弱い啓助が同じ大学に入るために試験場で答案を二枚書いてもいいと言ってくれる。15歳の恋人・町枝がいる。
町枝
15歳。水野の恋人。どこか愁いがある清らかな少女。色白で濡れたような美しい黒い目。両親に水野との交際を反対されている。柴犬・ふくを連れて散歩中に銀平に目をつけられる。天上の匂いのするような輝く白い肌。
西村
戦時中の銀平の悪友。娼婦が産んだ銀平の子らしき赤ん坊を、銀平の下宿の前に捨てたのを、一緒に娼家の前に戻す。西村は戦死。
小母さん
学生の銀平が下宿していた家の主婦。門の前に置かれた捨て子の赤ん坊を見て騒ぐ。
浮浪者たち
上野の地下道の浮浪者たち。30歳そこそこの若い夫婦者。銀平に色目を使う男娼
ゴム長靴をはいた女
40歳前くらい。日焼けした顔で、薄よごれた身なりの醜い女。街娼。夫はなく、家には13歳の娘がいる。

作品評価・解説

中村真一郎は、何人もの川端文学の熱愛者や愛読者が、本作については困惑し嫌悪したことに触れ、中村自身はそれまで川端文学と疎遠であったが、逆にそのことで強い興味を覚えて読んだとし[1]、「私は直ちに一読し、三嘆した。この作品は私にとっては戦後の日本小説の最も注目すべき見事な達成だと感じられた」[1]と評し、「私を『みづうみ』の方へ引き寄せる皮肉な導者の役割を演じてくれたのは、三島由紀夫氏である。私は三島氏に感謝している。それはただ、私をこの作品に招待してくれたからというだけでなく、これほど問題ある作品について、私と完全に対立する意見を、独特の繊細な表現によって、私に語ってくれたからである」[1]と述べている。そして中村は、主人公の「意識の流れ」の描写を美しいと述べ、その文学的手法は、西欧二十世紀の新しい作家たちの創造した、「新しい現実面」の表現方法であり、十九世紀の客観主義の方法と極端に反対の主観的方法であるとし、「その方法は従来の小説では描かれなかった、私たちの心の動きの秘密を探りだしてくれる。従来の方法で捉えれば、単たる偏執者となったかも知れない、この主人公は、この方法によって『内部』から描かれることによって、その執念、その情念が、永遠の憧れの姿にまで、象徴化されることができた」[1]と解説している。

さらに中村は、モーリアックも主人公の意識を舞台として、多くの女性の思い出を混ぜ合せた方法をとっているとし、川端とモーリアックの違いについては、「川端氏の場合、その『混ぜ合せ方』は、超現実主義的ではあるが、日本的超現実主義――中世連歌における『匂い付け』と呼ばれるような、不思議な微妙な連想作用によって行われているのである。従ってこの作品は、西欧の最も新しい文学的冒険と照応しながら、一方で古い日本の美学の最も本質的なものの現代的再現と云える。それは屢々ホアン・ミロの幻想に似ている。と同時に、我国王朝末期の頽唐期の物語の世界でもある」[1]と解説している。また本作の構成、映像、筋立て、その後味も「夢」に似ているとし、「大概の小説は現実に似ていることで迫真性を持っているとすれば、この小説はその逆なのである」[1]と述べ、そういう点では、ノヴァーリスティークのドイツ浪漫派や、それを受け継いだフランスのネルヴァルの作品とも、遥かに通い合っていると評している[1]

田村充正は本作が当初、初出誌連載時には、終結部が主人公がアパートに戻った5、6日後に、宮子の後をつけてハンドバッグを拾い、東京から信州へ行き、温泉場の宿から出てバスに乗るという終り方になっており、冒頭部へ繋がる円環構造となっていたことなどから、「『みづうみ』という作品は信州から信州へという構成においても、やよいからやよいへという主人公の意識においても完全な円環性をその特徴としているように思われる」[5]と述べ、「そして主人公銀平にこの円環の中心にある<みづうみ>に立ち戻って謎を解明しようとする志向がなく、また解明したとしても心にうけた傷が決して癒やされないことを知っており、癒やして過去に訣別する方途がないとすれば、銀平は宮子のあとに続く第四、第五の女を追い続ける宿命にあるはずである」[5]と解説し、単行本刊行に際して削除された雑誌結末部分は、削除する必然性がなかったとし、「作品の内的生命は初出のとおり銀平の永遠の彷徨を示唆してその輪を閉じようとしていた。いやすでに閉じたのである。この永遠の堂々巡りを、作品内では自壊していない円環構造を、力づくで断ち切ったのは作家川端康成であり、その意味でもこの『みづうみ』という作品は、作家川端の生を反映しているのかも知れない」[5]と解説している。

原善は、主人公・銀平の追跡者としての姿と川端を重ね合せて、「銀平の美への追跡は作家川端の文学における美の追求の具現であり、その意味でも銀平はまさに川端自身の分身なのである」[7]と述べ、「川端文学における<魔界>とは、一見するとそれと誤認される皮相な背徳や悪の世界のみではなく、そういった淪落への志向と同時に自己浄化の志向をも持った人物の、その両志向の二律背反的な拮抗によって裏打ちされるところの、美と倫理の危うい均衡の中で燃焼するエロスの世界だとする理解が導けるはずなのである」[7]と解説している。

林武志は、『みづうみ』において注目すべき点は、「自失」(「忘我」)と「狂気」であるとし、「<自失>の追跡といい、<狂気>の世界といい、いずれも人間的日常的時間が切断された<虚の時空>、非日常的な<幻の時空>である」[9]と述べ、[銀平がひたすら追い求めた「魔界」とは、やはり常住不能な非連続の世界なのである」と論じている[9]

岩田光子は、『雪国』の「温泉」と『みづうみ』の「トルコ風呂」との類似性を指摘し、それは「現実から非現実への移行」のための「通路」だとしている[10]

映画化

女のみづうみ
監督 吉田喜重
脚本 石堂淑朗大野靖子、吉田喜重
原作 川端康成『みづうみ』
製作 駒崎秋夫久保圭之介
出演者 岡田茉莉子露口茂
音楽 池野成
撮影 鈴木達夫
編集 清水幸子
配給 松竹
公開 日本の旗1966年8月27日
上映時間 98分(モノクロ)
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
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『女のみづうみ』(松竹)モノクロ 98分。1966年(昭和41年)8月27日封切。

スタッフ

キャスト

テレビドラマ化

おもな刊行本

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j 中村真一郎「解説」(文庫版『みづうみ』)(新潮文庫、1960年。改版1991年)
  2. ^ 「カバー解説」(文庫版『みづうみ』)(新潮文庫、1960年12月25日。改版1991年)
  3. ^ 「解題」(『川端康成全集第18巻』)(新潮社、1980年)
  4. ^ 月村麗子『川端康成著「みづうみ」の主題と手法』(解釈 1977年1月号に掲載。のち寧楽書房、1977年)
  5. ^ a b c d 田村充正『川端康成「みづうみ」の基礎研究――作品「みづうみ」はいかに構築されているか』(静岡大学人文論集、1996年)
  6. ^ 山中正樹『銀平の変容――「みづうみ」における<時間>と<空間>』(桜花学園大学人文学部研究紀要、2004年3月)
  7. ^ a b c 原善『川端康成の魔界』(有精堂、1984年)
  8. ^ 川端康成「まえがき」(『湖』)(有紀書房、1961年)
  9. ^ a b 林武志『鑑賞日本現代文学15 川端康成』(角川書店、1982年)
  10. ^ 岩田光子『川端文学の諸相―近代の幽艶―』(桜楓社、1983年)

参考文献

  • 文庫版『みずうみ』(付録・解説 中村真一郎)(新潮文庫、1960年。改版1991年)
  • 『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)
  • 『川端康成全集第18巻』(新潮社、1980年)
  • 田村充正『川端康成「みづうみ」の基礎研究――作品「みづうみ」はいかに構築されているか』(静岡大学人文論集、1996年) [1]
  • 山中正樹『銀平の変容――「みづうみ」における<時間>と<空間>』(桜花学園大学人文学部研究紀要、2004年3月) [2]
  • 原善『川端康成の魔界』(有精堂、1984年)

関連項目

外部リンク

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  • エラー: subst: がありません。Movielink ではなく subst:Movielink としてください。