「ノート:ロック (音楽)」の版間の差分
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:::本文中のどの箇所を"独自研究"と判断されているかあなたは指摘もしていないし、なんとも言えないね。典拠がなければ全部除去なんて極端な考えはバカバカしいし、置き換えられるだけの知識がないのなら、有害な記述でなければ放っておけばいいと思う。--[[利用者:Afaz|Afaz]]([[利用者‐会話:Afaz|会話]]) 2013年8月30日 (金) 05:20 (UTC) |
:::本文中のどの箇所を"独自研究"と判断されているかあなたは指摘もしていないし、なんとも言えないね。典拠がなければ全部除去なんて極端な考えはバカバカしいし、置き換えられるだけの知識がないのなら、有害な記述でなければ放っておけばいいと思う。--[[利用者:Afaz|Afaz]]([[利用者‐会話:Afaz|会話]]) 2013年8月30日 (金) 05:20 (UTC) |
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::::典拠がない記述は独自研究と判断されても文句は言えないはずです。それとも、いちいちすべての文章に要出典範囲を貼ることをお望みなのでしょうか?「典拠がなければ全部除去なんて極端な考えはバカバカしい」とは山田は思いません。「有害」という言葉を持ち出すなら、デタラメでも、危うい解釈の揺れを含む記述でも、権利侵害を起こさない限りは「有害」には当たらないという主張も可能です。しかし、根拠のない記述を放置しておくだけでも充分に「有害」であるという考えも成り立ちます。現状の記述を残されたいとお考えなら、典拠を貼る努力を自らなさってください。--[[利用者:山田晴通|山田晴通]]([[利用者‐会話:山田晴通|会話]]) 2013年8月31日 (土) 10:51 (UTC) |
2013年8月31日 (土) 10:51時点における版
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①音楽分類としての基本リズムはドン、チャ、ドドチャ、ドドチャ、ドンドチャです。 ②社会へのメッセージ、主張、生き方を直接的な表現で歌詞へ投入した音楽の総称として。 ③過激的、自由な《歌唱法や楽器奏法》音楽の総称として。 ④斬新な表現方法《歌唱法や楽器奏法》で演奏された音楽の総称として。
以上が私のロック(音楽)としての説明です。 by = omiti
ロック=ビートルズ?
ビートルズの曲=ロックというのは私は賛成できません。初期のビートルズのサウンドはチャックベリーの曲のカバーなどロックンロールからロックへの変化の過程を含んでいる点、また、解散直前のころの実験音楽、テープコラージュ的なスタジオワークまでをロックとしてとらえるのであれば、ロックはあまりに抽象的になりすぎる点があげられます。また、その他のバンドのロックをビートルズの類似とする見方をする場合、やはり、ビートルズもエルビスプレスリーやチャックベリーの類似である「時期」があるわけであるし、そのチャックベリーや、エルビスもまた、ブルース、黒人霊歌の影響下にあることを考慮しなくてはいけなくなります。
Aというバンドの類似という説明の場合、それは、どこまでも過去にさかのぼることが可能になってしまいます。hajime yoneya 15:38 2003年2月12日 (UTC)
hajime yoneya>ロックはあまりに抽象的になりすぎる点があげられます
実際、かなり抽象的な使われ方をしているのが現実のように思います。
市場原理に過剰に迎合した結果ですが、そのようなあり方自体が特徴といえないでしょうか。ロックだけの特徴ではありませんがロックが先達であったことは重要だと思います。
また、ビートルズの成功は音楽性だけではなく、社会の変化のシンボルとして多方面に受け入れられた結果でもあります。その点をふまえないと、後の、パンクの出現やグラムロック批判をテーマにした映画のヒット、を説明できないのではないかと考えました。
- 直接わたし向けの意見ではありませんでしたが、今後も更新をするつもりなので
- 少しでも生産的な寄与ができればと思い投稿しました。
- wikiの技術的な理解はまだまだ至りませんがよろしくお願いします。Snufkin 18:08 2003年3月15日 (UTC)
うーん。執筆者は若い方でしょうか。日本のロック史の記述は納得いきません。60年代のGSを(ビートルズに影響された)ロックではなく(アメリカ流の)ロックンロールだと書いてらっしゃいますが,これは誤解でしょう。GSに先行するロカビリーは確かにアメリカ渡来ですが。また70年代のロックとして「オフコース」,「チューリップ」,「中島みゆき」らの名前が挙がっていますが,これも納得いきません。彼らにビートルズの影響がないとは言いませんが,むしろ60年代フォークソングの流れを汲む人たちでしょう。その一方で「キャロル」や「ダウンタウン・ブギウギ・バンド」の名前がないのはアメリカ流のロックンロールだという判断からでしょうか。70年代の日本には「四人囃子」という伝説のプログレ・バンドだって存在していましたし。結局,ロックとロックンロールを区別すること自体に無理があるように思います。Diogenesis 2005年3月28日 (月) 10:08 (UTC)
Hajime yoneyaさんやDiogenesisさんのご意見を踏まえ、ロックとロックンロールを区別しない説明を標準とし、「ロックとロックンロールを別の音楽とする見方もある」というスタンスに書き換えてはどうかと思います。近日中に特に異論が出なければその方向で編集してみます。(ロックンロールのノートもご参照下さい。)Minoru223 2005年7月27日 (水) 01:22 (UTC)
ううむ…snufkinさんの言うとおりロックって言葉が抽象的だと思いますね。たしかにロックンロールはロックに入るかもしれないですけどロック=ロックンロールというのはどうでしょうね…パンクやヘビメタをロックの派生といえるとしても「ロックンロールの派生」というのには違和感が…--kiku_b 2005年7月27日 (水) 14:36 (UTC)
kiku_bさん、ご意見ありがとうございます。私の前回発言が舌足らずだったかも知れないので付言させて頂きます。「ロックとは何か?」「ロックンロールとは何か?」ということについては様々な意見があることと思います。それらの意見のうちのどれが正しいかを決めることではなく、様々な意見があることを公平に紹介することが百科事典の役割なんじゃないかというのが私の問題意識であり、kiku_bさんがおっしゃるような「ロック=ロックンロールではない」という見方も、もちろん紹介する必要があると思います。
現時点の本文のスタンスを象徴するのが「ロックンロールとロックは、アメリカなどでは同じものとされているように厳密には区別できないが、日本ではビートルズ以降のイギリスのリバプールサウンドに影響を受けた音楽をロックとして、アメリカのロックンロールと区別する場合があり、本項でもそれにしたがって解説する」という文だと思います。このスタンスに対する私の意見は、(i)「ロックンロールとロックは同じ」という説と「ビートルズ以降がロック」という説の2つが紹介されているが、もっと他の説も紹介すべきではないか、(ii)「本項でもそれにしたがって解説する」とあるが、どれかひとつの説に従うよりも、もう少し網羅的な解説にした方が良いのではないか、ということです。上記(i)についてもう少し具体的に言いますと、ポピュラー音楽という記事に『定義・特徴』という項がありますが、そういったものを本稿にも付けると良いと思っています。その上で、本稿の『ロックの誕生から現在まで』という項には、アメリカン・ロックやロックンロールについての記述を加えることによって(ii)の目的を達成するのが良いのではないかと考えています。
更にご意見を頂ければ幸いです。Minoru223 2005年7月28日 (木) 00:55 (UTC)
- こんにちは。ロックンロールとロックを区別した定義文を書いたのは私です。履歴を見ていただければ分かると思いますが、私が執筆する前の時点ですでにロックンロールとロックは別の記事に分かれていて、ロックンロールとロックの概念の違いについて説明が書かれていました。ということでWikipediaでは区別して扱うのだなと思い冒頭の定義文を作成したわけです。(蛇足ですが、ポピュラー音楽の定義も私の文章です。)
- ところで、ここのノートの意見は、私がこの項目を全面的に書き換える以前の意見と書き換えた後の意見、日本のロックシーンが書かれた後の意見とがごっちゃになっています。「ロック=ビートルズ?」というのは私が書き換える以前の定義についてのコメントだと思います。
- ロックとロックンロールは同じだという人もいますし、違うという意見もあります。両方を記述するのはまったく賛成ですので、好きなように書き換えてください。私はビートルズのファンではありませんが、「ロック=ビートルズ」という意見に大体賛成ですけどね。私は70年代のブリティッシュロックで育ったので「ロック=イギリス」、「ロックンロール=アメリカ」です。個人的な感覚でしょうけども。
- ところで、海外のロック史部分についてはほとんど私の記事ですが、日本のロックシーンについては私は一切記述していませんし、正しいかどうかも分かりません。日本のロックを中心に聴いてきた人には、またロックとロックンロールについての別の定義があるのかもしれません。--Ligar 2005年7月28日 (木) 08:12 (UTC)
Ligarさん、コメントありがとうございます。近日中に他の方から異論が出ないようであれば前述の方向で編集させて頂きます。
ところで、Ligarさんの“ポピュラー音楽の定義・特徴”は素晴らしいですね。ポピュラー音楽という言葉の様々な場面での使い分けが見事に整理されていると思います。本稿についても、Ligarさんの「アメリカなどでは同じものとされているように」という注釈によってずいぶん印象が変ったと思います。Minoru223 2005年7月29日 (金) 01:44 (UTC)
- 前述の趣旨に従って、イントロを編集すると共に、「定義」の節を追加してみました。「誕生から現在まで」に加筆する作業後日行いたいと思いますが、結構疲れそうなので先にやりたい方がいれば譲ります(笑)。Minoru223 2005年8月2日 (火) 04:16 (UTC)
「誕生から現在まで」を加筆しました。今回行ったのは「ロックの誕生(1962年-1964年)」の前に「ロックンロール(1950年-1960年)」を加えたことと、「ロックの誕生(1962年-1964年)」を「サーフィン・ホットロッド・サウンドとリバプール・サウンド(1962年-1964年)」に変えたことです(この修正に伴ってLigarさんの文章に一部手を入れさせて頂きました。お気に召さない点があれば申し訳ありません)。さて、ここまで編集して気づいたことがあります。現状では第1章はアメリカだけ、第2章は
アメリカとイギリスの両方、第3章以降はイギリスだけとなっているわけですが、第3章以降にこれからアメリカン・ロックについての説明を追記していくとちょっと全体が長すぎるかなという気がするのです。個々の“○○ロック”についてはそれぞれの記事があるので、ここでの説明は簡素なものにするというのも一案かと思います。もちろん、ここでロックの全体像をある程度詳しく掴めるように、第3章以降(及び第1章も)を充実させていくという考え方もあります。ご意見を頂ければ幸いです。Minoru223 2005年8月8日 (月) 05:25 (UTC)
- 「誕生から現在まで」において、「パンク・ロック・ムーブメント(1976年-)」以降を大幅加筆させていただきました。足りない部分も多いと思いますので、海外ロックシーンに精通している方がいらっしゃれば、手を加えていただけると助かります。--ドラムスコ 2006年6月4日 (日) 01:54 (UTC)
これは、ロカビリーと呼ばれていた、更に時代的遡る時期の音楽のことを指しているのではないでしょうか。 グループサウンズの音楽をロックンロールとするのには、違和感を覚えます。
グループサウンズの初期にロカビリーの影響はあったとは思いますが、ロカビリーブームとグループサウンズブームは時代的に別のものであると考えられます。--Lcs 2005年11月7日 (月) 09:40 (UTC)
ロカビリーはロックンロールで編集したほうが良いと考えます。ロカビリーは本当に奥が深く、歴史もあるので、精通する方がいらっしゃれば嬉しいのですが・・・。--PIG 2005年11月12日 (土) 17:57 (UTC)
日本のロックシーンの独立項目化の提案
そろそろ分量も多くなってきましたし国内の歴史に関しても突っ込んだ話題を記述していくとかなりな分量になると思いますから日本のロックシーンに関して独立項目にするのはいかがでしょうか?--Lcs 2005年11月9日 (水) 11:35 (UTC)
カタカナ表記について
この記事を始めとする諸々の日本語項目に表れている,日本人達の独り善がりな言語観には,閉塞としたものがある.早い話,英語圏などで生まれた言葉の数々を,まるでどの躊躇いをも持ち合わせていないかのように次々とカタカナで表記する慣習は,現象や事実を客観的・中立的に解説するという Wikipedia の目標を妨げてしまっている.「America」や「The Beatles」といった固有名詞を「アメリカ」や「ビートルズ」と綴るぐらいならまだしも,「Wild In The Streets」/waɪld ɪn θə stɹiːt͡s/ といった外国語文法・音韻体系を含んだものを日本語の限定的な開音節文字体系で「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」/wairudʰo in za sutʰoriːt͡su/ と表記することについてはもっと議論があってもいいはずだ.英語版 Wikipedia で一般向けに紹介される日本人の名前や日本語の言葉には大抵,日本語体系を英語人が相対的に尊重するというかたちで漢字・仮名表記が(そしてときには発音記号が)付いている.それと同様の中立的・客観的観点と丁重さを日本人が外国語文化にたいして払えないとすれば,それは改善すべき難点として注目されるべきだ.
「発音がわからないから」というありふれた言い訳は受け容れられない.発音が知りたければ発音記号を読めばいい.外国語の本来の発音を教えるためにカタカナ表記がある,という考えは屈折している.なぜならカタカナは,外国語についてはその音声を表すどころかこれを壊すことにその働きがあるからだ.「日本のロック」という閉じた項目の中で日本人のカタカナ英語をカタカナ表記することには問題がない; 注意すべきなのは,英語圏を始めとする外国語圏で生まれた Rock の言語的側面を,元々の表記体系や発音記号なしにカタカナで置き換え尽くしてしまうことだ.これでは客観的な洞察と解説に至れない.
雑誌や「オリコン」の位表などにみられるように,日本人は,自分の曲や自身のことをアルファベットで提示して自らを(少なくとも表面的に)西洋化させようとする一方で,外国人のものに関してはこれをカタカナで書いて彼らの文化的起源を(少なくとも表面的に)ないがしろにしている傾向がある. Wikipedia においてはそのような自己中心性や他律無視は望まれないものとして判別されるはずではないのだろうか.
投稿している事柄が本当に自らのよく知るところのものであれば,諸々の呼称や曲題をありのままに(すなわちアルファベットで)入力するというのは難しいことではないはずだし,むしろ真実にたいする配慮として尊ぶべき態度ではないのだろうか. --以上の署名のないコメントは、PetitLamp(会話・投稿記録)さんが 2007年1月20日 (土) 1:13 (UTC) に投稿したものです(ドラムスコによる付記)。
- ウィキペディア日本語版は、あくまでも日本語版であり、日本版ではありません。『Wikipedia:基本方針とガイドライン』においても「外国語の使用は控えめに」と書かれていますし、『Wikipedia:記事名の付け方』においても「記事名は日本語を使う」よう明確に記載されております。また、音楽関連記事に関しては、『Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽』において『日本以外のアーティストはカタカナ表記になおす』ということで一定の合意が得られています(「ウィキプロジェクト」は提案段階のガイドラインなので従う義務はありませんが)。
- ですので、PetitLampさんの『外国語文法・音韻体系を含んだものを日本語の限定的な開音節文字体系で表記することについてはもっと議論があってもいいはずだ』というご指摘は、既に結論が出ている事柄だと思っております。しかしながら、『もっと議論すべき』というのであれば、それはウィキペディアの基本方針やガイドラインに関わる話ですので、(記事内容の大きな編集の前に)このようなノートページではなく、しかるべきページで問題提起していただきたくお願い致します。
- なお、このノートページに記載される前に「ロック (音楽)」の記事内容を英語を多く使用した内容に編集されていましたが、現状の基本方針からは外れた編集となっていますので、とりあえず差し戻させていただきました。宜しくお願い致します。--ドラムスコ 2007年1月20日 (土) 06:09 (UTC)
- (署名を忘れたことをお詫びします。)
- ウィキペディア日本語版が日本語版であることは、私もわかっています。「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」は日本語でしょうか? 違います、これは日本語ではありません。この点でまず現行の表記は私達の了解から外れています。しかしこの表記をアルファベットに戻すと、こんどは基本方針とガイドラインによる「外国語の使用を控えめに」という規制が掛かってきます。これはおかしいですよね? 上の了解と方針に従うかぎりは、そのような曲題は公式にしろ非公式にしろ日本語に翻訳されて記述されるべきなのです。それをしないことにはウィキペディアの約束を破ることになるわけです。ここでもう一度考えてみてください。外国語圏の言葉を日本語版のウィキペディア投稿者がわざわざ日本語に訳すのと、それらをありのままに(アルファベットで)表記するのと、どちらがより「健全な記事」の作成につながるでしょうか?
- 現行の方針が暗に示している日本人投稿者達の立場というのは、「外国語をカタカナで綴ればとりあえず日本語になる」というものです。日本人によるカタカナ語の使用の急増は話者達のそのような自民族主義的な認識に基づいた傾向の結果です。「mastering」は「マスタリング」に、あげくのはてに「マスる」と化されています。このような傾向は少なくともウィキペディアにおいては忌避すべきものなのではありませんか?
- ウィキペディア投稿者は自らの文化的な特異性や傾向にたいして中立的となることが望まれています。日本語版で成し遂げるべきなのは「日本語文による事象の解説」であって、これは必ずしも「カタカナによる外国語の模倣と改変」を要してしまう目標ではありません。アーティスト名や曲題を書き換えなくても記事そのものにおける日本語文による解説はまったくもって可能であり、またそれによって記事の質が下がることはありません。「Los Angels にて Funk や Hip-Hop のグルーヴを取り入れたMixture Rock band として注目されていた Red Hot Chili Peppers は1991年に5thアルバム Blood Sugar Sex Magik をリリースした」と正確な表記をまじえて書くことは記事を劣化させるでしょうか? また、「躍動感」や「調子」や「のり」のかわりに「グルーヴ」、「第五曲集」のかわりに「5thアルバム」、「発売」のかわりに「リリース」と書くことは「日本語版の記事」としての質を保持するものなのでしょうか? 要は日本語版の投稿者と閲覧者が言葉にまつわる事実を歪曲せずにこれと付き合う心がけを持っていればいいのです。「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」は「Wild In The Streets」の音声的事実をカタカナでごく制限的に模した歪んだ情報の例です。信頼できる正確な情報を求められるウィキペディアの記事にはふさわしくないものです。
- ウィキペディア日本語版があなたと私の了解とは裏腹に日本版であるならば、このような指摘を私がすることはありません。日本人が好きなように書いて読まれればいいのです。でもやはり日本語版なのです。日本語と外国語とがしっかり識別されるべきところなのです。「Wild In The Streets」や「Rage Against The Machine」が日本語とは別の文字列として理解される必要があるのです。そのあたりの分別を持っていない投稿者達がたくさんいるのです。--PetitLamp 2007年1月20日 (土) 19:35 (UTC)
- ウィキペディア日本語版は日本語を読み書きできる人向けのウィキペディアと言い換えたほうがいいかもしれません。ですので、外国語表記された単語は、(カタカナに直しただけであっても)日本語で記載すべきです。そういう意味では、「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」は日本語であると言っていいでしょう。(日本語を読み書きできる人間が英語を読めるとは限りませんし、実際私の親は『Wild In The Streets』を読むことができません。しかしながら、「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ」なら読めます。普通の日本人として平仮名・片仮名・漢字は読めますので。)
- 『「Los Angels にて Funk や Hip-Hop のグルーヴを取り入れたMixture Rock band として注目されていた Red Hot Chili Peppers は1991年に5thアルバム Blood Sugar Sex Magik をリリースした」と正確な表記をまじえて書くことは記事を劣化させ』はしませんが、少なくとも読めなくなる人は確実に増えます。ですので、少なくともカタカナであっても日本語表記にする必要があるのです。
- また、『「躍動感」や「調子」や「のり」のかわりに「グルーヴ」、「第五曲集」のかわりに「5thアルバム」、「発売」のかわりに「リリース」と書くこと』は、日本語のあり方という問題であり、ウィキペディアで論じるものではないと考えております。現在の日本語で通常使われている書き方で記載するというのが、ウィキペディアにおける暗黙のルールであり、「リリース」や「アルバム」「グルーヴ」という表現が日常的に使われている以上、無理矢理変える必要はないと思います。
- なお、私は、アルバムや曲、アーティスト名について言及する場合、『日本語表記』と『原語表記』を併記しております。日本語表記とはレコード会社が日本盤をリリースした際につけた題名です。私が勝手にカタカナに置き換えたものではありません(ですので、日本盤がないものには『原語表記』のみで記載しています)。
- いずれにしましても、ウィキペディア日本語版は日本語を母語とする人(≒日本人)によってメンテナンスされていますので、『通常使われている日本語を使用する』ことを妨げることはできません。
- PetitLampさんのご指摘は、考えてみる価値のあることだとは思いますが、『日本語のあり方』に関する問題ですので、ウィキペディア内で論じる問題ではなく、然るべき場所でご提案されることを希望します。Wikipedia‐ノート:中立的な観点#外国語のカタカナ表記についてでも、他の方が意見されておられますので、そちらもご覧下さい。--ドラムスコ 2007年1月21日 (日) 01:40 (UTC)
- (追記)
- 下記ページにおいても同様の書き込みがなされていますので、そちらも参照願います。
- --ドラムスコ 2007年1月21日 (日) 09:25 (UTC)
出典の明記をお願いします
現在のところ、出典が全く示されていない状態です。ウィキペディアは独自研究を書く場ではありませんので、検証可能性を確保するために出典の明記をお願いいたします。--Peachkiller 2010年1月9日 (土) 23:54 (UTC)
大幅な記述圧縮の予告
この記事は、3年半以上の長期にわたって典拠が全く示されないまま長期間放置されています。このままの状態が続くようであれば、近日中に、典拠のない記述の全面的な除去と、英語版から段階的な記事の訳出を開始します。--山田晴通(会話) 2013年8月24日 (土) 15:09 (UTC)
- 訳出には反対しないが、段階的に置き換えていけばいいんじゃないの。一気に除去はドラスティックすぎる。あんたが翻訳放棄しないとも限らんしね--Afaz(会話) 2013年8月25日 (日) 04:46 (UTC)
- 代わりの記述がないことは、典拠のない独自研究の放置を許す正当な理由になるとお考えなのでしょうか?--山田晴通(会話) 2013年8月28日 (水) 11:34 (UTC)
- 本文中のどの箇所を"独自研究"と判断されているかあなたは指摘もしていないし、なんとも言えないね。典拠がなければ全部除去なんて極端な考えはバカバカしいし、置き換えられるだけの知識がないのなら、有害な記述でなければ放っておけばいいと思う。--Afaz(会話) 2013年8月30日 (金) 05:20 (UTC)
- 典拠がない記述は独自研究と判断されても文句は言えないはずです。それとも、いちいちすべての文章に要出典範囲を貼ることをお望みなのでしょうか?「典拠がなければ全部除去なんて極端な考えはバカバカしい」とは山田は思いません。「有害」という言葉を持ち出すなら、デタラメでも、危うい解釈の揺れを含む記述でも、権利侵害を起こさない限りは「有害」には当たらないという主張も可能です。しかし、根拠のない記述を放置しておくだけでも充分に「有害」であるという考えも成り立ちます。現状の記述を残されたいとお考えなら、典拠を貼る努力を自らなさってください。--山田晴通(会話) 2013年8月31日 (土) 10:51 (UTC)
- 本文中のどの箇所を"独自研究"と判断されているかあなたは指摘もしていないし、なんとも言えないね。典拠がなければ全部除去なんて極端な考えはバカバカしいし、置き換えられるだけの知識がないのなら、有害な記述でなければ放っておけばいいと思う。--Afaz(会話) 2013年8月30日 (金) 05:20 (UTC)