利用者:Minoru223
38歳の会社員です。2005年初頭からたまにIPで参加させて頂いていましたが、2005年7月にアカウントを取得しました。よろしくお願いします。
職場のパソコンでアクセスしているので、そのうち禁止されるかも知れません。
興味のある分野
[編集]書く予定の記事
[編集]これは自分の為の備忘録です。もちろん、他の方が先に以下の記事をお書きになっても一向に構いません。
方針とか悩みとか
[編集]多くのウィキペディアンの方々が利用者ページにご自分の編集方針を書いていらっしゃるので真似してみました。私の場合は方針というよりも悩みがメインになりそうですが。
注力したい作業
[編集]たぶん多くの先輩方がウィキペディアンになりたての頃は同じように考えていたんじゃないかと思いますが、新規の記事を投稿することと、スタブを充実させることを作業の中心に据えたいと思っています。他の人の書いた文章を書き換えたり、削除依頼を出したりといったことは必要最小限に抑えるよう、できるだけ自制しているつもりです。とは言え元来が議論好きなもので、ついつい後者にも口を出してしまうことがしばしばです。そんな時に初心に戻る為にこの駄文を書き残しておいた次第です。
外国に関する記述
[編集]私は欧米の音楽・文学・企業について書くことが多いのですが、その時に念頭に置きたいと思っているのは「Wikipedia日本語版は“日本語版”であって“日本版”ではない」というテーマです。このテーマについてはWikipedia:井戸端の過去ログ/2004年9月#外国企業と日本法人とかノート:アテネオリンピック (2004年)での議論がわかりやすいと思います。要するに、外国が主であるはずの事柄について日本のことばかり書いてあるのはマズいんじゃないかということですよね。
企業の場合ですと、外国に本社がある企業なのにその企業の日本法人の活動ばかりが書いてあるという例があります。海外の音楽や文学の場合、音楽家や作家の本国での受け止められ方と日本での受け止められ方が大きく異なることがあり、後者ばかりが書いてあるという例があります。こういうことはできるだけ避け、まずは本国の状況を書き、段落や節を変えた上で日本のことを書くという姿勢を持ちたいです。
この方針に対しては「日本語版を読むのは大部分が日本人なのだから、日本のことを中心に書いても実用上問題ないんじゃないか」という反論があります。しかし、ウィキペディアはグルメマップのように実用上の利便を意図したものではなくあくまで百科事典ですので、読者が偏向した視点を持っている場合、それを正すのも役割のひとつだと考えます。
一方で「執筆者が日本のことしか知らないんだからしょうがないじゃないか」という反論もあります。こちらは確かにその通りだと思います。各々の執筆者は自分の知っていることしか書けないわけで、本国のことを知っている別のウィキペディアンが加筆していけばいいのだと思います。
ファンとしての視点
[編集]音楽や文学についての記事を書く時に、前述の「外国に関する記述」と並んで悩ましい問題が、誰もが自由に投稿できるウィキペディアでは、ファンとしての偏った視点で書かれた記事がどうしても多くなるという点です。これはロック・ミュージックに関して特に強く感じることですが、私たちロック・リスナーの視点というのは、書籍・雑誌・ライナーなどに載っている“音楽作品の販促を目的として書かれた文章”や“それらの文章の影響を受けて育ったライターが書いた文章”によってかなり偏ってしまっているようです。
私としてはできるだけ「百科事典らしさ」に配慮した文章を書こうと努力しているつもりですが、その結果としてある記事に加筆を行う際に、私が加筆した部分と元からあった部分の文体が断絶してしまうという悩みがあります。
ネットにおける議論の難しさ
[編集]ネット上には誰でも匿名かつ無料で参加できるコミュニティがたくさんあります。私は過去そうしたコミュニティにいくつか参加してきましたし、自分でコミュニティを主宰していたこともあります。そんな中でいつも感じるのが、ネット上の匿名コミュニティにおいて冷静かつ論理的な議論を行うことの難しさです。冷静な議論を行うことの難しさについてはWikipedia:論争の解決に詳しく書いてありますが、論理的な議論を行うことの難しさについてはあまり論じられていないように思います。
議論が論理的でないというのはどういう状態のことを言っているかというと、例えば、前の人の発言と噛み合わないような発言が多発してしまうとか、価値というものの相対性を理解せず、自身の価値観だけにしがみついてしまう人が大勢いるといったことです。どうしてこのようなことになってしまうのかよくわかりませんが、(1)匿名コミュニティではたいていの場合参加者同士が平等であり、ファシリティター役がいない、(2)例えば企業における議論とは違い、必ずしも同じ目的を奉じている人たちの集まりではない、(3)論理的議論が苦手な人でも発言しやすい、(4)単にストレス発散の場として使おうとしている人がいる、(5)文章を用いた議論であり、かつ文章の編集が容易である為に、相手の文章に対してコメントしたい部分にだけコメントするといった発言が横行しやすい、等といった理由を挙げることができます。
この問題に対する有効な手段を私は持っていません。私にできることと言えば、私たちは議論の為の議論をしているのではなく、合意に至る為の議論をしているのだということを訴え続けることくらいのものでしょうか。