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2016年6月7日 (火) 23:52時点における版
緒方 貞子 おがた さだこ | |
---|---|
生年月日 | 1927年9月16日(97歳) |
出生地 |
日本 東京府東京市麻布区 (現在の東京都港区麻布) |
出身校 |
聖心女子大学文学部卒業 ジョージタウン大学大学院修了 カリフォルニア大学バークレー校 大学院修了 |
称号 |
文化勲章 政治学博士 (カリフォルニア大学バークレー校) 文化功労者 東京都名誉都民 |
配偶者 | 緒方四十郎 |
親族 |
犬養毅(曾祖父) 芳澤謙吉(祖父) 犬養健(大叔父) 緒方竹虎(岳父) |
第8代 国際連合難民高等弁務官 | |
在任期間 | 1991年 - 2000年 |
緒方 貞子(おがた さだこ、1927年9月16日 - )は、日本の国際政治学者。学位は、政治学博士(カリフォルニア大学バークレー校)。上智大学名誉教授。独立行政法人国際協力機構理事長、国連人権委員会日本政府代表、国連難民高等弁務官、アフガニスタン支援政府特別代表を歴任。また日本における模擬国連活動の創始者でもある。
経歴
生い立ち
1927年9月16日、東京府東京市麻布区(現東京都港区)に外交官・元フィンランド特命全権公使の中村豊一・恒子夫妻の長女として生まれる。命名は犬養毅による。父の転勤で幼少期をアメリカ・サンフランシスコ、中国・広東省、香港などで過ごす。
小学校5年生の時に日本に戻り、聖心女子学院に転入、聖心女子大学文学部英文科(現:英語英文学科英語英文学専攻)を卒業。その後、父の勧めでジョージタウン大学およびカリフォルニア大学バークレー校の大学院で学び、政治学の博士号を取得した。
研究活動
国際基督教大学准教授教授を歴任する。在籍中は上智大学国際関係研究所長や外国語学部長などを務め、また模擬国連団体として初めて組織化された「模擬国連実行委員会[1]」の顧問として、発足に携わった。
公的活動
1968年(昭和43年)、国際基督教大学講師を務めていた時に、参議院議員を務めていた市川房枝の訪問を受けて、市川から「今年(1968年)の国際連合総会日本代表団に加わって戴きたい」と要請される[2]。これが契機となって緒方自身は国際連合の仕事に関わるようになる[3]。
国連公使、国際連合児童基金(UNICEF)執行理事会議長、国連人権委員会日本政府代表、第8代国連難民高等弁務官(1990-2000年)他を務める。2001年からアフガニスタン支援政府特別代表、2003年から国際協力機構(JICA)理事長。
2002年、外務大臣田中真紀子の更迭時にはその後任に推す声もあったが、本人が固辞した[4]。2007年11月のデイヴィッド・ロックフェラー来日時には、回顧録出版記念パーティーの発起人を務めた。
小泉純一郎首相(当時)の私的諮問機関として、2004年(平成16年)12月27日に設置された皇室典範に関する有識者会議に、メンバーの一人として参加した[5]。これは、いわゆる日本の皇位継承問題やそれに関連する制度(皇室典範)について、2005年(平成17年)1月より17回の会合を開き、同年11月24日には皇位継承について女性天皇・女系天皇の容認、長子優先を柱とした報告書を提出したようなものとなった[6]。
2012年(平成24年)4月17日には、東京都内の外務省飯倉会館にて、当時の玄葉光一郎外務大臣主催で「緒方貞子氏の我が国及び国際社会への貢献に敬意を表すレセプション」が開催され[7]、当時の野田佳彦首相もあいさつをした。野田首相は、「昨年3月に私どもは東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)を経験しましたが、160を越える国から、40を越える国際機関から、温かい支援の申し出をいただきました。...世界のために最前線に立って汗を流した日本人(=緒方貞子)がいたからこそ、このような世界から温かいご支援をいただいたものと思います。」とも述べた[8]。
人物
家庭・親族
曽祖父は元内閣総理大臣の犬養毅で、祖父は外交官で犬養内閣外相の芳沢謙吉。母・恒子は元共同通信社長の犬養康彦や評論家の犬養道子、エッセイストの安藤和津の従姉にあたる。
夫・緒方四十郎(元日本銀行理事)は、朝日新聞社副社長や自由党総裁、副総理をつとめた緒方竹虎の三男である。緒方姓は竹虎の祖父・郁蔵(本姓大戸氏、備中(岡山県)出身)が緒方洪庵と義兄弟の盟を結びその姓を名乗らせたことに始まる。息子の緒方篤は映画監督。
系譜
犬養毅 | |||||||||||||||||||||||||
芳沢謙吉 | 操 | ||||||||||||||||||||||||
緒方竹虎 | 中村豊一 | 恒子 | |||||||||||||||||||||||
緒方四十郎 | 緒方貞子 | ||||||||||||||||||||||||
略歴
- 1951年 : 聖心女子大学英文科卒業
- 1953年 : ジョージタウン大学国際関係論修士課程修了
- 1963年 : カリフォルニア大学バークレー校政治学博士課程修了
- 1965年 : 国際基督教大学非常勤講師
- 1968年 : 国連総会日本政府代表顧問
- 1974年 : 国際基督教大学準教授(当時、他大学では助教授の職位が、ICUでは準教授と呼ばれていた)
- 1976-78年 : 国連日本政府代表部公使
- 1978–79年 : 国連日本政府代表部特命全権公使、ユニセフ執行理事会議長
- 1979年 : 外務省参与、日本政府カンボジア難民救済実情視察団団長
- 1980年 : 上智大学教授
- 1981-85年 : 婦人問題企画推進会議委員
- 1982-85年 : 国連人権委員会日本政府代表
- 1983-87年 : 国際人道問題独立委員会委員
- 1989-91年 : 上智大学外国語学部長
- 1990年 : 国連人権委員会ビルマ人権状況専門官(ビルマは現在のミャンマー)
- 1991年 : 第8代国連難民高等弁務官に就任(1990年12月21日国連総会にて選出、任期は1991年1月1日から3年、2月18日就任)
- 1994年1月1日 : 国連難民高等弁務官に再任(1993年11月4日国連総会にて再選。任期5年)
- 1999年1月1日 : 国連難民高等弁務官に再任(1998年9月29日国連総会にて再選。任期2年)
- 2000年 : 難民教育基金を設立
- 2000年12月31日 : 国連難民高等弁務官を退任
- 2001年 : 人間の安全保障委員会共同議長
- 2001年11月 : アフガニスタン支援政府特別代表
- 2001年 : フランス・スウェーデン・ロシア・ドイツ・イタリアで受章
- 2002年1月21-22日 : アフガニスタン復興支援国際会議共同議長
- 2003年 : 国連有識者ハイレベル委員会委員、人間の安全保障諮問委員会議長に就任
- 2003年10月1日 : 国際協力機構 (JICA)理事長就任
- 2011年 : 人間の安全保障諮問委員会議長を退任し、人間の安全保障諮問委員会名誉議長に就任
- 2012年3月31日 : 国際協力機構 (JICA)理事長退任
- 2012年4月1日 : 国際協力機構 (JICA)特別顧問に就任
栄典
- 1993年 : イタリア金の鳩平和賞
- 1994年 : 自由賞(自由主義インターナショナルより)
- 1995年 : フィラデルフィア自由賞
- 1997年 : マグサイサイ賞平和・国際理解部門
- 2001年 : 文化功労者
- 2001年 : インディラ・ガンディー賞
- 2001年 : ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章
- 2001年 : レジオンドヌール勲章コマンドール
- 2001年 : イタリア共和国功労勲章カバリエーレ大十字
- 2001年 : スウェーデン北極星勲章コマンデール第1等級章
- 2001年 : ロシア友好勲章
- 2002年 : フルブライト賞
- 2002年 : エレノア・ルーズベルト・ヴァルキル勲章[9]
- 2003年 : 文化勲章
- 2004年 : 東京都名誉都民
- 2005年 : 世界市民賞
- 2008年 : オラニエ・ナッソー勲章グラントフィシエ章
- 2009年 : 第3回後藤新平賞(後藤新平の会主催)
- 2011年 : 聖マイケル・聖ジョージ勲章勲二等:デーム・コマンダー(DCMG)
- 2011年 : キルギス共和国ダナケル勲章
- 2012年 : 地球市民賞(大西洋評議会)
- 2013年 : メキシコ・アギラ・アステカ勲章バンダ等級
著書
単著
- Defiance in Manchuria: the Making of Japanese Foreign Policy, 1931-1932, (Greenwood Press, 1964).
- 『日本における国際組織研究』(総合研究開発機構, 1982年)
- Normalization with China: A Comparative Study of U.S. and Japanese Processes, (Institute of East Asian Studies, University of California, 1988).
- 『難民つくらぬ世界へ』(岩波書店, 1996年)
- 『私の仕事――国連難民高等弁務官の十年と平和の構築』(草思社, 2002年)
- The Turbulent Decade: Confronting the Refugee Crises of the 1990s(WW Norton, 2005).
- 『紛争と難民――緒方貞子の回想』(集英社, 2006年)
共著
- At the Global Crossroads : the Sylvia Ostry Foundation Lectures, (McGill-Queen's University Press, 2003).
- (ユニフェム日本)『女性と復興支援――アフガニスタンの現場から』(岩波書店, 2004年)
編著
- 『転機の海外援助』(日本放送出版協会, 2005年)
共編著
- (アンセルモ・マタイス)『世界の難民』(明石書店, 1984年)
- (半澤朝彦)『グローバル・ガヴァナンスの歴史的変容――国連と国際政治史』(ミネルヴァ書房, 2007年)
テレビ出演
参考文献
- UNHCR Basic Facts[リンク切れ]
- UNHCRプレスリリース[リンク切れ]
- 日本UNHCR協会[リンク切れ]
- 現代政治用語辞典
- 国際協力機構(JICA)ニュースリリース[リンク切れ]
- 日本国際問題研究所 JIIAフォーラム講演要旨
- 「日本女性会議2001みと」へのメッセージ[リンク切れ]
- 石原慎太郎東京都知事・記者会見(2004年9月3日)[リンク切れ]
- 東京都報道発表資料(2004年9月3日)[リンク切れ]
- ケネディスクール同窓会
- 東野真『緒方貞子 : 難民支援の現場から』集英社、2003年6月。ISBN 4087201996。
関連項目
脚注
- ^ 現在の日本模擬国連(JMUN)
- ^ 市川は『日本人女性を国際連合に送り出し、女性の地位向上に繋げたい』という思いを持っていたことによる。
- ^ “第1回(1994年度) 緒方貞子 国連難民高等弁務官 - 読売国際協力賞:会社案内サイト「読売新聞へようこそ」”. 読売新聞 (1994年9月30日). 2016年4月12日閲覧。
- ^ “幻の緒方貞子外相(2002年) 行動派の弁務官、最後は辞退”. 日本経済新聞電子版 (2014年9月21日). 2016年4月12日閲覧。
- ^ “皇室典範に関する有識者会議・根拠・構成員”. 首相官邸 (2004年12月27日). 2016年4月12日閲覧。
- ^ “皇室典範に関する有識者会議 報 告 書”. 首相官邸 (2005年11月24日). 2016年4月12日閲覧。
- ^ “外務省: 緒方貞子氏の我が国及び国際社会への貢献に敬意を表すレセプション(実施概要)”. 外務省 (2012年4月17日). 2016年4月12日閲覧。
- ^ “緒方貞子氏の我が国及び国際社会への貢献に敬意を表すレセプション - YouTube”. 首相官邸公式チャンネル - YouTube (2012年4月19日). 2016年4月12日閲覧。
- ^ “あしなが育英会玉井会長が「エレノア・ルーズベルト・ヴァルキル勲章」を受賞! あいなが育英会”. あしなが育英会公式サイト (2015年10月20日). 2016年4月12日閲覧。
- ^ “NHKスペシャル 緒方貞子 戦争が終わらない この世界で - NHK名作選(動画他)”. NHKアーカイブス (2013年8月17日). 2016年4月12日閲覧。