コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「小杉陽太」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m WP:BOTREQ: Category:東京都区部出身の人物新設に伴う貼り変え作業
127行目: 127行目:
[[Category:JR東日本硬式野球部及びその前身チームの選手]]
[[Category:JR東日本硬式野球部及びその前身チームの選手]]
[[Category:横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:1985年生]]
[[Category:1985年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

2016年6月8日 (水) 01:13時点における版

小杉 陽太
横浜DeNAベイスターズ #54
2012年4月1日 横須賀スタジアム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都江東区
生年月日 (1985-12-08) 1985年12月8日(39歳)
身長
体重
187 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2008年 ドラフト5位
初出場 2009年10月5日
年俸 1,200万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

小杉 陽太(こすぎ ようた、1985年12月8日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

秋田県で生まれ、その後は東京都江東区で育った。二松學舍大学附属高等学校に進学後は1年からベンチ入りし、2002年春の第74回選抜高等学校野球大会に出場するが当時は背番号11の控え投手で登板は無かった。

高校卒業後は亜細亜大学に入学し、硬式野球部に所属して1年春にリーグ戦デビューを果たすが3年生の進学直前にドロップアウトした。野球を離れてフレッシュネスバーガー原宿店で半年間アルバイトをしていたが、高校の恩師から誘われて母校で練習を再開したところ、JR東日本監督の堀井哲也が小杉を探し出してチームに勧誘、2007年JR東日本へ入社した。入社1年目から第78回都市対抗野球大会の準々決勝で先発投手を務めるなどの活躍を見せた。

2008年のドラフト会議において、横浜ベイスターズから5巡目で指名され、同年11月28日に契約金5000万円(推定)、年俸1000万円で契約した。センバツの公式パンフレットにおける小杉の欄には、好きな球団として「横浜ベイスターズ」と書かれてあり、まさに意中の球団からの指名となった。

横浜ベイスターズ入団会見の際には婚約者を同伴していた。その婚約者とは2009年の元日に入籍。

プロ入り後

2009年

肩痛もあって出遅れたが、二軍では11試合に登板して2勝2敗1セーブ、48回2/3を投げて防御率4.62と成績を残した[1]。一軍昇格後、同年10月5日の広島戦(横浜スタジアム)でプロ初登板・初先発を果たした。

2010年

3月28日西武戦(イースタン・リーグ)で9回1死まで無安打投球を続けていたが、平尾博嗣に本塁打を打たれノーヒットノーランを逃した。その後に一軍昇格を果たすと、同年8月11日の中日戦(横浜スタジアム)で、5回4失点だったものの直後に味方が逆転し、プロ初勝利を挙げた[2]

2011年

二軍では29試合に登板し、4勝5敗3セーブ、防御率3.03の成績を収めたが、一軍ではあまり登板は無かった。

2012年

4月21日の阪神戦に先発。途中に投手コーチである友利結から胸を小突かれるシーンも見られるほどの不安定な投球だったものの、5回2失点で2年ぶりの勝利となるシーズン初勝利を挙げた[3]

2013年

改造したフォームで臨み、先発ローテーションの一角に組み込まれるが、5月17日の日本ハム戦で肩を痛め降板、登録を抹消され、以降一軍に上がることなくシーズンを終えた。シーズン終盤の9月に右肩部分のクリーニング手術を行い、以降リハビリに努めた。

2014年

二軍では21試合に登板し、防御率4.30を記録した。一軍では2試合の登板に留まった。

2015年

ロングリリーフとして起用され、一時は勝利の方程式入りも期待されていた。しかし、4度の一軍昇格・降格を繰り返すなど安定した成績は残せなかった。結果的には、プロ入り後最多の27試合登板を果たした。

選手としての特徴

入団当初は最速149km/hの速球を武器とする速球派投手だったが、2012年からは友利結の助言もあって打たせて取る技巧派に転向した。これに併せて、変化球も従来のスライダースローカーブフォークに加え、シュートを取得した。2013年からは、テークバックを小さくしたフォームに改造した[4]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2009 横浜
DeNA
1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 26 6.0 5 2 3 0 0 6 0 0 2 2 3.00 1.33
2010 8 3 0 0 0 1 2 0 0 .333 107 21.0 36 8 9 1 1 11 2 0 23 23 9.86 2.14
2011 5 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 34 9.0 7 1 2 0 0 7 0 0 4 4 4.00 1.00
2012 17 3 0 0 0 1 0 0 0 1.000 139 32.1 34 1 9 1 4 26 3 0 19 18 5.01 1.33
2013 6 6 0 0 0 1 2 0 0 .333 126 28.1 30 3 17 0 1 20 4 0 15 15 4.76 1.66
2014 2 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 8 2.0 1 0 2 0 0 1 0 0 0 0 0.00 1.50
2015 27 0 0 0 0 3 3 0 2 .500 164 35.1 37 3 20 0 1 27 3 0 21 17 4.33 1.61
通算:7年 66 14 0 0 0 6 9 0 2 .400 604 134 150 18 62 2 7 98 12 0 84 79 5.31 1.58
  • 2015年度シーズン終了時
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

記録

背番号

  • 54 (2009年 - )

登場曲

脚注

  1. ^ 2009年度 湘南シーレックス 個人投手成績(イースタン・リーグ) - 日本野球機構オフィシャルサイト
  2. ^ “2年目小杉 “時給750円”経由でプロ初勝利!”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年8月12日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/08/12/kiji/K20100812Z00002280.html 2013年4月26日閲覧。 
  3. ^ DeNA 逆転で本拠地初の連勝!小杉2年ぶり勝った - スポーツニッポン(2012年4月21日)
  4. ^ 小杉、先発入りへ好投「打者が振り遅れている感じあった」”. スポニチ Sponichi Annex (2013年3月17日). 2013年4月10日閲覧。
  5. ^ a b 神奈川新聞、2009年10月6日。
  6. ^ 神奈川新聞、2010年8月12日。

関連項目

外部リンク