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2016年10月17日 (月) 12:47時点における版

松田 弘
出生名 松田 弘
生誕 (1956-04-04) 1956年4月4日(68歳)
出身地 日本の旗 日本宮崎県宮崎市
学歴 宮崎県立宮崎大宮高校中退
ジャンル ロック
J-POP
職業 ドラマー
音楽プロデューサー
担当楽器 ドラムス
コーラス
活動期間 1978年 -
ソロ活動
1983年
1986年 (KUWATA BAND))
1997年
2002年 - 2003年
2008年
レーベル タイシタレーベル
事務所 アミューズ
共同作業者 サザンオールスターズ
公式サイト BEAT CLUB
sas-fan.net
スティーヴィー・ワンダー

松田 弘(まつだ ひろし、1956年4月4日 - )は、日本の男性ミュージシャンドラマー[1]音楽プロデューサー宮崎県宮崎市出身。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社SPEEDSTAR RECORDSの中のタイシタレーベル宮崎県立宮崎大宮高校中退愛称は、ヒロシヒロシくんなど。

シンガーソングライターであり、ロックバンドサザンオールスターズのメンバーでドラムス担当である。

人物・略歴

メンバーからは「ヒロシ」「ヒロシくん」などと呼ばれる。宮崎県立宮崎大宮高校中退 初めての太鼓の経験は、小学校時代の鼓笛隊でのスネアドラム。「あの時すでに自分の人生は決まっていた」と、後にドラム一筋になる人生を振り返っている。スティーヴィー・ワンダーを始めとするディスコソウルブラックミュージック等を特に好み、ドラムプレイはそれらのジャンルからの影響を色濃く受けている。サザンではリズムの中核を担い、ライブでは時にドラムソロを披露しライブを盛り上げる。テレビ番組『堂本兄弟』で不定期にドラムも担当している。

後に共にサザンオールスターズのメンバーとなる大森隆志とは中学生時代からのバンド仲間だが、大森が上京した後も地元宮崎に残りライブハウス・ディスコ等のステージでドラムを叩きスキルを上げていった。1977年にプロを目指して上京。2年先に上京し、青山学院大学でバンド活動をしていた大森を通じ、桑田佳祐原由子関口和之と知り合い、青学のサークル「BETTER DAYS」所属の学生ばかりだったバンドに松田が加わることとなる。同年秋に、やはり大森がバイト先のライブハウスで知り合った野沢秀行を引き込む形でサザンに合流し、翌1978年にサザンとしてデビュー。

高音が際立つ澄んだハイトーンボイスが特徴的で、サザンではドラムの他、コーラスでも重要な役割を担っている。特にライブでは桑田の歌声と対照的な高音域の歌声で、原と共に幅広いコーラスワークを聴かせている。また、1980年アルバムタイニイ・バブルス』収録の『松田の子守唄』や、「イエローマン 〜星の王子様〜」のc/w『夏の日のドラマ』など、サザンではいくつかボーカルを担当している曲もある。KUWATA BANDにも参加しており、桑田ソロ曲のレコーディングメンバーに加わることも多い。

桑田以外のメンバーは体調不良・休養でライブを休んでサポートメンバーを立てていた時期があるが、松田だけはデビュー以来常にステージで叩き続けている。過去1度だけ、サザンの1993年末のライブ『しじみのお味噌汁』の全12公演中、中盤の4公演が松田の体調不良のため、ライブ自体が年明けに順延になったことがある。それだけ松田は決して外すことができない重要人物であり、ラジオ番組での桑田の発言からも、信頼が厚いことを窺わせる。桑田は1985年の著書『ロックの子』で、松田について「とにかく歌心ってもんをとってもわかってる感じのドラマー」[2]、「あいつは貪欲なの、何に対しても」[3]といい、1978年に松田が郷里に一時引き返した際も、「ひきとめたのね、一所懸命。車の中でも口説いたの。もっとやってくれ!って」[4]など、他のメンバーよりも字数を裂いて語っている。

大の読売ジャイアンツファンでもあり、原辰徳や巨人のコーチ陣と交流がある。なお桑田は自身の著書で松田のことを「サザンオールスターズの原辰徳」と形容したこともある。Scoobie Doとは音楽仲間であると同時に飲み仲間同士でもあるほどの仲。

ちなみにサザンオールスターズとしてのデビュー曲「勝手にシンドバッド」のオリジナル盤では、クレジットが“松田ヒロシ”となっている。再発盤や以降の作品では松田弘となっているが、2003年に再発されたアナログ盤は、原盤を忠実に再現したものであるため直されていない。

息子の松田翔もドラマーで、2005年アルバムキラーストリート』収録の『愛と死の輪舞』ではドラムを演奏している。また、シングル「チャコの海岸物語」c/w「翔(SHOW) 〜鼓動のプレゼント」は、当時妻のお腹にいた彼に向けて歌われた歌であり、「翔」という名もここからきている。娘の松田麻衣もアーティスト。松田曰く、「人生で一番大きな出来事は10代のときに和子さん(カミさん)と出会ったこと」(『真夏の大感謝祭』パンフレット)である。

原がサザン名義の楽曲でメインボーカルを取り、後に高田みづえによるカバーもヒットした「そんなヒロシに騙されて」は、松田から名前を拝借した曲だが、歌詞そのものは松田との関連はない。

サザン以外でのドラマーとしての活動も盛んで、1995年には福山雅治のライブツアーに参加。また、フジテレビ系『LOVE LOVEあいしてる』でも、LOVE LOVE ALL STARSのドラマーとして参加し、番組にも出演した。自身がプロデュースするプロジェクト“BEAT CLUB”[5]での定期的なライブも行われており、ドラム・リズムをテーマにした趣向を凝らした内容はもちろん、Skoop On SomebodyVOICE野沢秀行三沢またろう他、毎回多彩なゲストも参加している。

サザンのアルバム『キラーストリート』に収められている「The Track for the Japanese Typical Foods called "Karaage" & "Soba" 〜 キラーストリート (Reprise)」では、から揚げを食べられないことが歌詞で紹介されている。また、子供のころに川に入って魚に囲まれて以来、魚が大の苦手であり、そのことは関口和之をはじめ、メンバー全員が知っている(『真夏の大感謝祭』パンフレットより)。本人の口から、菜食主義であることも語られている[6]

緋色縞痛打という別名もあり、“緋色VOICE”(VOICE:別所秀彦・芳彦という双子デュオ)というユニットで、BCナイト等に出演している。

日刊スポーツ1982年1月20日付に掲載された「結婚することを報告しコンサートのステージ上で握手を交わす桑田と原。そして原の後ろで拍手をする松田」という構図の写真のキャプションで、松田が「祝福で舞台に上がったファン」と書かれてしまった(1992年放送TBSテレビ特番「知ってるくせに?!」より)。また、同番組内では、プロ野球選手と女性タレントのデートが写真週刊誌に掲載された際、松田もその場に居たにも関わらず、紙上では、たまたま居合わせた一般人のような扱いになっていたというエピソードも紹介されている。

2011年6月25日の「桑田佳祐のやさしい夜遊び 33回目のデビュー記念日に勝手にひとりで生歌スペシャル」にて松田がゲスト出演し、麻衣が妊娠中であり近々孫が生まれることが発表された。

作品

シングル

1983年

  • 5月21日 トゥナイト・ザ・ナイト

1997年

アルバム

1983年

1997年

2002年

  • 11月27日 [FUTARi.]O.S.T. (松田弘&QUIET LOVE NOTES名義、架空の映画の擬似サウンドトラック)

2003年

2008年

  • 4月23日 GOOD CELEBRATION (BOOGIE MATSUDA&FUNKY★FREAKS名義)

プロデュース作品

楽曲提供

脚注

  1. ^ サザンオールスターズ会報 代官山通信 vol.134 5ページより 2016年5月30日閲覧。
  2. ^ 『ロックの子』98頁、講談社、1985年
  3. ^ 桑田佳祐『ロックの子』98頁、講談社、1985年
  4. ^ 『ロックの子』104頁、講談社、1985年
  5. ^ BEAT CLUB 公式サイト
  6. ^ WOWOW『完全密着!サザン’08『夏』ドキュメント』2008年10月11日

関連項目

外部リンク