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2016年10月17日 (月) 12:48時点における版
ピーター・ゲイブリエル Peter Gabriel | |
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基本情報 | |
出生名 | Peter Brian Gabriel |
生誕 | 1950年2月13日(74歳) |
出身地 | イングランド・サリー州ウォーキング |
ジャンル |
ロック プログレッシブ・ロック |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | 歌、キーボード、ピアノ、フルート |
活動期間 | 1960年代中期 - |
レーベル |
カリスマ・レコード ヴァージン・レコード リアル・ワールド・レコード アトランティック・レコード ゲフィン・レコード |
共同作業者 |
ジェネシス ロバート・フリップ トニー・レヴィン ケイト・ブッシュ ユッスー・ンドゥール |
公式サイト | PeterGabriel.com |
ピーター・ブライアン・ガブリエル(Peter Brian Gabriel、1950年2月13日 - )は、イギリス出身のミュージシャン。
人物
1970年代にはプログレッシブ・ロック・バンド『ジェネシス』のヴォーカリストとしてライヴに劇場的効果を導入し、奇抜なファッション(衣装やメイク)でのパフォーマンスで一躍有名となる。ソロ活動を開始してからはワールドミュージックの普及に精力を尽くすとともに、自らの音楽にも大胆に取り入れてきた。また、技術革新を生かした創作活動にも積極的に取り組んでいる。
かなりの寡作家としても知られており、1990年代以降はアルバム発表のインターバルが長くなっている。サウンド・トラック等の企画盤の制作依頼や、様々なイベント参加もその要因である。一方、ジェネシス再結成の噂は幾度となく取り沙汰されてきたが、2006年に発表された再結成ツアーには不参加となった。
日本における音源リリースの名義表記は(ジェネシス時代から)一貫して本項表題の「ピーター・ガブリエル」で、日本独自の「ピーガブ」という省略呼称を使うファンも存在するほど浸透している[要出典]が、ピーター・バラカンはかつてコラムを連載していた『FM Fan』誌上で「原音はガブリエルではなくゲイブリエルのほうが近いのだから、表記もそうするべき」と提言。同誌はそれ以降、休刊まで表記を「ゲイブリエル」で統一した。また、これ以降、他の音楽雑誌で特集が組まれる際も「ピーター・ゲイブリエル」と表記されるケースが増えた。本人も「日本でのみガブリエルと呼ばれている」と苦笑している。
来歴
幼少期からデビューまで
イングランド・サリー州のウォーキング近郊のチョバムで、発明好きの電気技師の父の元に生まれた。サリーに農場を持つなど比較的裕福であった一家は、ガブリエルをパブリック・スクールに入れ寄宿舎生活を送らせたが、そこでの旧式で厳格な生活様式はガブリエルにとって染まないものであった。
ドラムを叩くことに精神的活路を見出した彼は、The Spoken World、 David Thomas Band、 The Garden Wallといったバンドを経て、1967年にパブリック・スクールの仲間であるアンソニー・フィリップス、マイク・ラザフォード、トニー・バンクス、クリス・スチュアート等と共にロック・バンド、ジェネシス(Genesis)を結成する。ガブリエルは、後にフィル・コリンズやスティーヴ・ハケット等が在籍することになるバンドのヴォーカリストとして中心的な役割を果たした。
ジェネシス在籍時
1969年、10代にしてプロデビューを果たしたジェネシスは、2作目のアルバム『侵入』(1970年)以降、当時隆盛期を迎えつつあったプログレッシヴ・ロックの有力バンドの一つとしてヨーロッパ諸国で名声を得ていった。
ガブリエルがジェネシスの音楽を視覚化するために、1972年発表のアルバム『フォックストロット』の楽曲から取り入れ始めたというライヴでの奇抜な衣装やメイク、そして演劇性を取り入れたステージングは大きな注目を集めた。ジェネシスのフロントマンとしてバンドの主導権を握っていくが、あまりに強烈な個性のため、他のメンバーはあまり快くは思っていなかった[要出典]。
1974年発表のアルバム『眩惑のブロードウェイ』に至っては、ガブリエルが全面的に主導権を握り[要出典]、ストーリー性の高い難解な[要出典]コンセプト・アルバムを作り出している。
ソロ・キャリア
1975年、音楽性及びプライベートな理由(結婚や出産など)でグループを脱退し、音楽活動を一時休止。その後、1977年にソロ・アーティストとして活動を再開した。ソロ・アルバムはロバート・フリップやトニー・レヴィン、ケイト・ブッシュ等の参加もあり、作品を重ねるごとにジェネシス色を払拭していった。
『III』(1980年)や『IV』(1982年)といったアルバムでは、当時の最新シンセサイザーや民族音楽の導入によって独自の音楽世界を構築した。特に南アフリカ共和国の民族運動家、スティーヴ・ビコのことを歌った『III』収録の「ビコ」は代表曲のひとつになった。
ポップスの要素を取り入れた1986年のアルバム『So』は世界的ヒットを記録。シングル・カットされた「スレッジハンマー」は、緻密な作り[要出典]のプロモーション・ビデオがMTV等で話題を呼んだことも相まって、かつて在籍していたジェネシスの「インヴィジブル・タッチ」を1位から引き摺り下ろして、1986年7月26日付のビルボード・シングルチャートで全米No.1に輝いた。ピーターにとって、これが唯一の全米No.1となった。
映画のサウンドトラック制作にも関わっており、1980年代には『バーディ』(1984年)と『パッション』(1989年)の2枚のアルバムを発表している。
1990年にはそれまでのキャリアを総括するベストアルバム『シェイキング・ザ・トゥリー』を発売。
1992年、6年振りのオリジナル・アルバム『Us』を発表。『Us』発表後に行われた1993年の「シークレット・ワールド・ツアー」では、劇作家・俳優・映画監督のロベール・ルパージュを演出に起用し、テクノロジーと演劇性が融合したステージを披露した。また、初の来日公演[要出典]を日本武道館で行っている。そのツアーの模様はライブアルバムやビデオ(現在はDVD版)で発売されている。
2000年には『OVO』、2002年には『裸足の1500マイル』の2枚のサウンドトラックを制作している。
2002年に久々の新作『Up』を発表。その後、2本のワールドツアー「グローイング・アップ・ツアー」と「スティル・グローイング・アップ・ツアー」を開催している。
2006年のトリノオリンピックの開会式では、オノ・ヨーコのスピーチを引き継いでジョン・レノンの『イマジン』を披露した。
2008年、アニメ映画『ウォーリー』の主題歌「ダウン・トゥ・アース」を発表。第66回ゴールデングローブ賞主題歌賞と第81回アカデミー賞歌曲賞にノミネートされ、第51回グラミー賞では最優秀歌曲賞(映画・テレビ部門)を受賞した。
2010年には8年ぶりのスタジオ・アルバムとなるカバー・アルバム『スクラッチ・マイ・バック』をリリースしている。2011年には自身の楽曲にオーケストラ・アレンジを施したセルフカバー集『ニュー・ブラッド』をリリース。
近年はオリジナル作品の発表は少ないものの、ツアー活動を精力的に行っている。
2014年、ソロとしてロックの殿堂入りを果たした(ジェネシスは2010年に受賞)。
多方面への活動展開
ワールド・ミュージックに傾倒していることでも知られ、1982年以来、『ウォーマッド』(WOMAD, World of Music, Arts and Dance)フェスティバルを主宰し、ワールドミュージックの普及に貢献している。現在では、世界最大規模のワールドミュージック・フェスティバルとして知られている。
さらにウィルトシャー州ボックスにリアル・ワールド・スタジオを建設すると共に、1988年にはワールドミュージックのレーベル、リアル・ワールド・レコードを立ち上げている。これらの活動によって、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン、ユッスー・ンドゥール等のアジアやアフリカの多くのミュージシャンをヨーロッパ世界に紹介するのに大きな役割を果たしたが、商業的には大失敗して大赤字であった。
また、音楽の他にもメディアアートなど最新の技術を取り入れた創作活動に興味を持っていたガブリエルは、プロモーション・ビデオ製作にも積極的で、そこに曲の宣伝目的以上の芸術的価値を見出していた。とりわけコマ取り[要出典]のアニメーションを多用して作られた前述の「スレッジハンマー」(スティーヴン・ジョンソン監督)のプロモーション・ビデオは大きな評判を呼び、1987年のMTVミュージック・ビデオ・アワーズのベストビデオに選ばれている。同じ年には、メディアアートの世界的祭典であるアルス・エレクトロニカにおいてコンピュータ・ミュージック部門で最初のゴールデン・ニカ賞(グランプリ)を受賞している。
1993年にはCD-ROMとして公開されたマルチメディア作品『エクスプローラ1』を、1996年には『イヴ』を発表した。その他にも、いち早くオンデマンドの音楽配信会社「OD2」の設立に加わったり、iTunesでプレイリストを自動作成するためのアプリケーション「The Filter」の開発に携わるなど、新しい技術にも率先して関り続けている。
人権活動にも積極的に携わっており、1980年代にはアムネスティ・インターナショナル支援のいくつかのコンサートに率先して参加したほか、1992年にはビデオと通信メディアを利用して人権侵害を監視しようというWITNESSプロジェクトをリーボック人権基金と共に設立している。2004年には、デジタル時代におけるミュージシャンの立場を守るための組合『MUDDA』をブライアン・イーノと共に立ち上げている。
ディスコグラフィー
スタジオ・アルバム
発売 | タイトル | 順位(英) | 順位(米) | 認定(英) | 認定(米) |
---|---|---|---|---|---|
1977年 | ピーターガブリエル (Car) | 7位 | 38位 | Gold | |
1978年 | ピーターガブリエル II (Scratch) | 10位 | 45位 | ||
1980年 | ピーターガブリエル III (Melt) | 1位 | 22位 | Gold | Gold |
1982年 | ピーターガブリエル IV (Security) | 6位 | 28位 | Gold | Gold |
1986年 | So | 1位 | 2位 | 3× Platinum | 5× Platinum |
1992年 | Us | 2位 | 2位 | Platinum | Platinum |
2002年 | Up | 11位 | 9位 | Silver | |
2010年 | スクラッチ・マイ・バック | 12位 | 26位 | ||
2011年 | ニュー・ブラッド | 22位 | 30位 |
ライブ・アルバム
発売 | タイトル | 順位(英) | 順位(米) | 認定(英) | 認定(米) |
---|---|---|---|---|---|
1983年 | プレイズ・ライブ | 8位 | 44位 | ||
1994年 | シークレット・ワールド・ライブ | 10位 | 23位 | Silver | Gold |
2012年 | ライヴ・ブラッド | 195位 | - |
コンピレーション・アルバム
発売 | タイトル | 順位(英) | 順位(米) | 認定(英) | 認定(米) |
---|---|---|---|---|---|
1990年 | シェイキング・ザ・トゥリー | 11位 | 48位 | 2× Platinum | 2× Platinum |
2003年 | ヒット | 29位 | 100位 | Gold |
サウンド・トラック
発売 | タイトル | 順位(英) | 順位(米) | 認定(英) | 認定(米) | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1984年 | バーディ | 51位 | 162位 | アラン・パーカー監督の同名映画のサントラ盤。これまでの発表曲のインスト・バージョンが収録されている。 | ||
1989年 | パッション | 29位 | 60位 | Gold | マーティン・スコセッシ監督の映画『最後の誘惑』のサントラ盤。リアル・ワールド・レーベルの第1作となった。 | |
2000年 | OVO | 24位 | - | 2000年にロンドンのミレニアム・ドームで行われたショーのサントラ盤。 | ||
2002年 | 裸足の1500マイル | - | - | フィリップ・ノイス監督の同名映画サントラ盤。 |
映像作品
発売 | タイトル | 備考 |
---|---|---|
1987年 | Cv | 『So』の楽曲を中心としたプロモーション・ビデオ集。 |
1990年 | POV | 1987年の『So』ツアーの模様を収録したビデオ作品。未DVD化。 |
1994年 | シークレット・ワールド・ライヴ | 1992年〜1993年に開催された「Secret World Live」の模様を収録。 |
2003年 | グローイング・アップ・ライヴ | 2002年〜2003年に開催された「Growing Up Tour」の模様を収録。 |
2004年 | プレイ・ザ・ビデオ | |
2005年 | ア・ファミリー・ポートレイト | |
2005年 | スティル・グローイング・アップ - ライヴ & アンラップト | |
2011年 | ニュー・ブラッド〜ライヴ・イン・ロンドン | 2010年に開催された「New Blood Tour」の模様を収録。 |
日本公演
関連人物
脚注
外部リンク