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2016年10月19日 (水) 10:59時点における版
柳 ジョージ | |
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出生名 | 柳 譲治 |
生誕 | 1948年1月30日 |
出身地 | 日本神奈川県横浜市 |
死没 | 2011年10月10日(63歳没) |
学歴 | 日本大学法学部 |
ジャンル |
ブルース・ロック グループサウンズ ロック ブルース |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 |
ボーカル ギター ベース |
活動期間 | 1969年 - 2011年 |
共同作業者 |
ザ・ゴールデン・カップス 柳ジョージ&レイニーウッド |
公式サイト | 柳ジョージ オフィシャル・ウェブサイト |
著名使用楽器 | |
フェンダー・ストラトキャスター |
柳 ジョージ(やなぎ ジョージ、、1948年1月30日 - 2011年10月10日)は、日本のミュージシャン。本名、柳 譲治(やなぎ じょうじ)[1]。神奈川県横浜市南区出身[2]。横浜市立蒔田中学校、日本大学藤沢高等学校、日本大学法学部卒業。妻は元女優の浅野真弓。
略歴
父親は元陸軍軍人で、両親は戦時中広島市内で被爆[2]。終戦後父親は日清製粉に勤めるサラリーマンになった[2]。柳いわく「典型的な中流階級」の家に生まれ育つ。中学時代、ザ・ベンチャーズに影響されギターを始めた。日大在学中は全共闘による学生運動が最も激しかった頃。中でも日大闘争は最も荒れて学園封鎖などで行くにも行けなかったが、柳自身「自分はノンポリでした」と話しており、これらの紛争には参加していない。この頃クリームなどニューロックに影響され、在学中の1969年、ブルースロックバンドパワーハウスを陳信輝らと結成した。解散後一旦大学で勉学に励み半年遅れで卒業。卒業直後の1970年9月、ザ・ゴールデン・カップスの後期メンバー(ベーシスト)として加入。しかし同年、アイ高野、デイヴ平尾、ミッキー吉野らと大麻取締法違反で逮捕された。
カップス解散後、フライド・エッグを経て、一旦会社員に転ずるも、友人の成毛滋に誘われて渡英し、現地のミュージシャンに接し、再び音楽活動の再開を決意。
帰国後の1975年、広島でバンド活動をしていた上綱克彦、石井清登、宮田和昭、四ツ田ヨシヒロらと知り合い、「柳ジョージ&レイニーウッド」を結成[3](のちに宮田に代わりミッキー山本、サックスの鈴木明男が加入)。バンド名の「レイニーウッド」は、柳がロンドンのハイドパークで見た霧に煙る森から名付けた。
1978年、「柳ジョージ & レイニーウッド」がアルバム『TIME IN CHANGES』でデビュー。R&Bをベースにした音楽性は、当時としては異端であったが、1979年に萩原健一主演のテレビドラマ『死人狩り』のテーマ曲に使われた「雨に泣いてる…」が大ヒット。その後も「さらばミシシッピー」「青い瞳のステラ 1962年夏…」等のヒットを飛ばした。
1979年の4thアルバム『RAINY WOOD AVENUE』はオリコンアルバムチャートで初登場1位を獲得するなど高い人気を得た。ここからシングルカットされた「微笑の法則」が資生堂のCMソングになり大ヒット。
1980年12月、日本武道館で初のコンサート。
1981年末に日本武道館にて柳ジョージ&レイニーウッドを解散。以後はソロアーティストとして活動を継続。
1982年12月、全国5か所でレイ・チャールズとジョイント・コンサートを行う。(井上堯之の話によると、柳は緊張でガチガチだったという[要出典])
1984年7月、東京・NYフレンドシップのイベント「ハーレム少年聖歌隊 With 柳ジョージ」を全国5大都市にてコンサートを開催。同年に女優の浅野真弓と結婚。
2005年4月、「24年目の祭り」と題して、「柳ジョージ&レイニーウッド」を再結成。
2008年7月、「柳ジョージ&レイニーウッド」としてフジロックフェスティバルに出演。
2011年10月10日、腎不全のため横浜市内の病院で死去[1]。63歳没。
人物
- ブルースを基盤としたその歌唱力、「和製クラプトン」とも称された味わいのあるギター・プレイ、素朴で照れ屋な人柄も柳の魅力だった。
- 実際にエリック・クラプトンの楽曲「FOREVER MAN」(クラプトンのアルバム『ビハインド・ザ・サン』収録曲)をカヴァーし、日産自動車の高級車「グロリア」(Y33後期型・1997年6月 - 1999年7月)のCMソングに起用された。
- ただし、実はクラプトンは好きではなかったらしく、好きなのはデイヴ・メイスンだ、と30歳のころからよく言っていたのだという(『ギター・マガジン』2012年2月号)。そのデイヴ・メイスンとは、1977年頃の初来日の折、雑誌で対談した。メイスンは覚えていたそうで、1997年に大阪ブルーノート、九州、沖縄の3か所で共演している。「リハーサルが1日しかなかったんだけど、とても楽しかった。いいおっちゃんですよ」と話している(同上)。
- 謙虚な言動・物腰で知られる。「自分がだらしないので、歌だけはカッコイイ男の歌を歌ってるんです」(1989年、鈴木聖美との日清パワーステーションライブ前の取材。NHK)と言ったり、小室等が「柳さんは汗だくになって演奏してて」と昔話を出した時も、「いや、『稼ぎ』みたいなもんですよ」と言ったり(1988年、『ライブG』)、カヴァー・アルバムのことを「企画モノなんですけど……」(1989年、『MOGITATE!バナナ大使』)と謙遜する。
- かなりの飛行機恐怖症。「あんな大きな鉄のかたまりが、空中に浮かぶことが信じられない」(1992年ファンクラブ会報)。東北あたりのコンサートだと、メンバーが全員飛行機で帰るのに1人だけ新幹線で帰ることもあった。仕事などでどうしても乗らねばならない時は、酒をしこたま飲んで寝てしまうことにしているのだという。
趣味
- 大変な読書家であった。1990年のツアーパンフレットには膨大な蔵書リストの一部が掲載されているが、9割近くを歴史・時代小説が占め、数は数百冊に及ぶ。
- イラストを描くのが好き。独特のひょうひょうとした線で、とぼけた味わいの似顔絵を好むらしく、スタッフの似顔絵をよくいたずら描きしている。1989年のツアーでは、自分も含めたバンドメンバー全員の似顔絵をTシャツにして販売した。アルバム『全ての夏をこの一日に…』ジャケットの、マリリン・モンローを見上げている少年の絵は、本人が描いている。
ディスコグラフィー
シングル
- 星空の南十字星(1982年)
- 歌舞伎(1982年)
- ランナウェイ(悲しき街角)(1983年)
- ビッグ・カントリー (1984年)
- 真夜中のテレフォン・コール(1984年)
- アウトロー物語(1985年)
- コインランドリィ・ブルース(1985年)
- フォー・ユア・ラブ(1986年)
- 5 TO 0(FIVE TO MIDNIGHT)(1987年)
- フーチー・クーチー・マン(1988年)
- 明日への風(1989年)
- ワンダラー ―天衣無縫―(1989年)
- BLUE WATER(1990年)
- OVER THE RIVER(1991年)
- Long Time Comin'(1991年)
- High Time(1992年)
- YOKOHAMA'66(1993年)
- 愛しき日々(1993年)
- 夢を追いこして(1994年)
- めぐり逢える(1994年)
- やっぱり彼女はスゴかった(1995年)
- バーニング(1996年)
- HURRY UP, BABY!(1997年)
- Always(1998年)
- ever & never(1999年)
- Sunset Hills(1999年)
- 夢の果てるまで(2000年)
- 鉄のララバイ(2008年)
アルバム
柳ジョージ&レイニーウッド時代のオリジナルアルバムは柳ジョージ&レイニーウッド#オリジナルアルバムを参照
- GEORGE(1982年)
- VACANCY(1983年)
- 全ての夏をこの一日に…(1984年)
- タバコ・ロード(1985年)
- NIGHT OWL CLUB(1987年)
- WILLOW'S GATE(1988年)
- WANDERER(1989年)
- ATLANTIC WIRE(1990年)
- RAW(1991年)
- BLUESTORM(1992年)
- YOKOHAMA AREA2(1993年)
- STORAGE(1994年)
- Sycamore Dr.(1995年)
- BURNING(1996年)
- Sunset Hills(1999年)
- Bluesy Sky(2001年)
企画アルバム
- GOOD TIMES(1984年)
- GOOD TIMES PART II(1985年)
- GOOD TIMES PART III(1989年)
- KING BEE BLUES(1993年)
- Lovin'Cup(1997年)
- scent of dreams〜夢の香り〜(2003年)
- Still Crazy(2006年)
ライブアルバム
- WILLOW'S GATE TOUR(1988年)
- Live "CLASSICS"(1995年)
ベストアルバム
- FOR YOUR LOVE(1986年)
- ATLANTIC'S BEST(1994年)
- GOOD TIMES COLLECTION(1994年)
- ANTHOLOGY’94〜’97THE BEST OF GEORGE YANAGI(1997年)
- 30th 1969〜1999(1999年)
ビデオ・LD・DVDなど
- WIRROW'S GATE LIVE
出演
映画
- ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム(2004年、アルタミラピクチャーズ)
- 『不滅の男 エンケン対日本武道館』などの音楽映画を多く作っているアルタミラが製作した、関係者の証言を集めたドキュメンタリー。
著書
- 敗者復活戦(1979年、小学館)
- ランナウェイ 敗者復活戦(1983年、集英社)
- 上述書に加筆された文庫版。憧れの存在だったレイ・チャールズと日本武道館で共演を果たした時のインタビューや、子ども時代の写真などが新たに掲載されている。
楽曲が使用されている作品とその楽曲
テレビドラマ
映画
- その後の仁義なき戦い(1979年、監督・工藤栄一、主演・根津甚八)
- 逃がれの街(1983年、監督・工藤栄一、主演・水谷豊) - 「80th アベニュー」(『GEORGE』所収)、「逃がれの街」(『全ての夏をこの一日に…』所収)
- ヴイナス戦記(1989年、松竹、監督・安彦良和、アニメーション) - 「明日への風」(『WANDERER』所収)
- 装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ(2007年 - 2008年、監督・高橋良輔、OVA) - 「鉄のララバイ」「バイバイブラザー」
- 2009年に公開された劇場版にもOVA版と同じ楽曲が使用された。
舞台
- 幕末純情伝 黄金マイクの謎(1989年、作・演出 / つかこうへい) - 「コインランドリィ・ブルース」
- 蒲田行進曲完結編・銀ちゃんが逝く(2000年、作・演出 / つかこうへい) - 「青い瞳のステラ、1962年夏…」
テレビドラマ
- 晴のちカミナリ(1989年、NHK、主演・渡辺謙) - 「ワンダラー ―天衣無縫―」
CM
(CM曲はTV番組テーマ同様、非常に多数のため、ここに挙げたものはごく一部)
- セキスイLAURA(1990年) - 「A Thousand Dreams」(シングルのみ)
- ノエビア(1987年ごろ) - 「夢先案内人」
- スローバラードのテンポに変えてカヴァー。
- サントリービール(1987年) - 「すごい男の唄」
- 本来のオリジナルである柳の歌唱によるシングルは発売されず、柳と声質が似ている三好鉄生の歌唱によるシングルが発売されたが、柳本人には思い入れがあるようで、1991年のツアーパンフレットで「最初に歌ったオリジナルは、柳ジョージです。」と語っている。なお、柳の歌唱によるバージョンは、作曲者である服部克久が2009年に発売した音楽家生活50周年記念のコンピレーション盤『服部克久の世界〜works』に収録され、22年ぶりに日の目を見ることになった。
- 神奈川選挙(1987年、第11回統一地方選挙) - 地域限定CM。本人出演。
- カネボウ・レヴュー(1995年) - 「やっぱりレヴューはスゴかった」
- 後藤次利の作によるコミカルなCMソング。歌詞を一部変更の上「やっぱり彼女はスゴかった」のタイトルでシングルが発売された(カップリングとしてCMバージョンの「やっぱりレヴューはスゴかった」も収録されている)。
- 日産グロリアY33後期型(1998年) - 「FOREVER MAN」(1997年6月 - 1999年7月)
脚注
- ^ a b ““和製クラプトン”柳ジョージさん死去…63歳”. スポーツニッポン (2011年10月14日). 2011年10月14日閲覧。
- ^ a b c 柳ジョージ 1983, pp. 42–45
- ^ “青い瞳のステラ、1962年 夏.../柳ジョージ & レイニーウッド”. 食卓ON楽. 広島エフエム放送 (2011年11月12日). 2016年10月12日閲覧。
参考文献
- 柳ジョージ『敗者復活戦』小学館、1979年。
- 柳ジョージ『ランナウェイ 敗者復活戦』集英社〈集英社文庫〉、1983年。ISBN 4087510638。
- 『日本ロック大系 1957-1979』 上巻、白夜書房、1990年。ISBN 4893671863。
- 坂崎幸之助『坂崎幸之助とJ-POPフレンズ』 1巻、自由国民社、2008年。ISBN 9784426105204。
- 『ギター・マガジン』、リットーミュージック、2012年2月。
関連人物
- 萩原健一 - ドラマ『死人狩り』がテーマ曲「雨に泣いてる…」の爆発的ヒットにつながった。これ以前にも『祭りばやしが聞こえる』のテーマを柳が唄っている。1978年 - 1979年の萩原のコンサートツアーのバックは、柳とレイニーウッドが務めている(ライブLP『熱狂雷舞』徳間ジャパン)。1979年に萩原が『夜のヒットスタジオ』に出演して「大阪で生まれた女」を歌ったときのバックも、彼らである。間奏で柳がギターソロを弾いている。
- 所ジョージ - 芸名は宇崎竜童に「所沢の柳ジョージ」というところから命名された。
- 司馬遼太郎 - カップス解散後、暇で本ばかり読んでいた頃、『竜馬がゆく』に感銘を受けて大ファンになった。山内容堂を主人公にした『酔って候』から曲が生まれ、発売の承諾を得るため東大阪の司馬宅まで訪れ、直接会い、許しを得ている。司馬は曲を聴いて「ほーう、ロックですか」と言い、「柳クンがここまで来てくれたことだし。あまり売れないことを願うけどね」と、優しく笑って言ってくれたという。柳はサインを貰って、子どものようにはしゃいでいた、と同行したスタッフが述懐している。最初の子どもが生まれた時、「本当は『竜馬』って名づけたかったけど、思いとどまってやめたんです(笑)」と当時のインタビューで話している。
- レイ・チャールズ - 1982年に日本武道館で共演。食事の際、何が食べたいかと聞くと「何でもいいけど、肉がいい」と言って、それから「天ぷらが好きだ」とも言っていたという。当時、日本で発売されたばかりのウォークマンをプレゼントしたら、とても喜んでいたそうである。『ランナウェイ』(集英社文庫)には、レイをピアノまでエスコートする柳の写真が載っている。
- 北方謙三 - 北方原作の映画『逃がれの街』の音楽を柳が担当したことで出会い、もともと読書家で北方を愛読していた柳いわく「お友達になって戴いた」。北方はアルバム『GOOD TIMES III』(1989年、ワーナー)のライナーノーツに寄稿しており、雑誌『SAPIO』(1990年、小学館)でも対談している。北方は「音楽が原作の雰囲気にとても合っていた」と話し、柳は当時のラジオで、「『檻』なんか読むと、もう全部入ってるんですよ。男ってものが」と興奮気味に語っている。
- 高倉健 - 1989年 - 1990年ごろ、柳のディナーショーの開演前に突然訪ねてきて、以前から聴いていましたと言って上等なシャンパンをプレゼントしたのだという(1991年、ツアーパンフレットより)。柳は非常に驚いたが「チャラチャラしたくないので、あまり話はしなかった」とのこと。ただし、かなり足は地についていなかった様子。ちなみに柳のカラオケの十八番は「網走番外地」(1992年、ファンクラブ会報)。
- 横山剣(クレイジーケンバンド) - 横浜出身であり、柳のアルバム『YOKOHAMA』に影響を受けたことが著書に記されている。
外部リンク
柳ジョージ オフィシャル・ウェブサイト - 公式サイト