コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「鶴久政治」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
MAKIX2 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼:ポップ歌手のカテゴリ修正依頼 - log
114行目: 114行目:
{{DEFAULTSORT:つるくまさはる}}
{{DEFAULTSORT:つるくまさはる}}
[[Category:日本のタレント]]
[[Category:日本のタレント]]
[[Category:日本の歌手]]
[[Category:日本のポップ歌手]]
[[Category:1964年生]]
[[Category:1964年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

2016年11月6日 (日) 07:41時点における版

鶴久政治
別名 MASAHARU
生誕 (1964-03-31) 1964年3月31日(60歳)
出身地 日本の旗 日本 福岡県久留米市
学歴 第一経済大学 中退
ジャンル J-POP
職業 歌手
タレント
担当楽器 ボーカル
活動期間 1983年 -
事務所 ボールド
共同作業者 チェッカーズ
公式サイト 鶴久政治オフィシャルサイト

鶴久 政治(つるく まさはる、1964年3月31日 - )は、日本歌手タレント。元チェッカーズのサイドボーカル。プロシード傘下事務所ボールド所属。

略歴・人物

福岡県久留米市で青果商を営む家に出生。久留米市立南筑高等学校を卒業後、第一経済大学(現・日本経済大学)へ進学したが、チェッカーズ加入とデビューに伴う上京とブレイクにより中退。サイドボーカルとしては高音部(ファルセット)を、曲によってはキーボードも担当した。チェッカーズがオリジナル変更時には「WANDERER」、「Jim&Janeの伝説」、「Room」、「Cherie」、「Friends and Dream」、「夜明けのブレス」、「ミセス マーメイド」など、藤井郁弥(現・藤井フミヤ、リードボーカル)の実弟・藤井尚之(主にサックス奏者担当)らとともに、チェッカーズの作曲面を支えた。

1992年にチェッカーズ解散後は、大半のメンバーがチェッカーズ当時の事務所を離れた中で引き続き事務所に残り、ソロ歌手やタレントとして競艇場ライブやものまね番組等で活動。しかし後年事務所が業務内容を変更(チェッカーズの肖像権・楽曲著作権管理のみの会社となりタレントのマネジメントから撤退)したため、一時藤村俊二の事務所、オフィス・オヒョイに所属していたが、2003年にチェッカーズ時代の盟友高杢禎彦が当時所属していた事務所に移籍。しかしこの事務所も2006年に入り芸能マネジメント業から撤退、スイートルームを経てボールドへ移籍し今にいたる。

音楽面での活動(ソロ)について

  • チェッカーズ時代、メンバーの中ではソロ活動にも最も力を入れていた。チェッカーズ在籍中にシングル7枚とアルバム2枚がリリースされている。因みにソロシングル曲はチェッカーズ解散後にリリースされたシングルとともに、ポニーキャニオンから出されたベストアルバムに収録された。
  • さらにチェッカーズ時代には、高橋リナとの男女デュエットユニット『MASARINA』としても活動していた。シングル2枚とアルバム1枚をリリースしている。
  • 現在は、ソロ歌手やタレントとして競艇場ライブやものまね番組等でも活動しているが、他のアーティストへの楽曲提供も行っている。最近の楽曲提供は、競艇誌「BOATBoy」キャンペーンガール・山本優子の『I miss you』(2001年9月発売)グラビアアイドル・小野真弓の「アイノチカラ」のカップリング曲「風の音」(2005年6月22日発売)など。
  • 歌手活動は、インディーズにてソロ活動中。ポニーキャニオンとの契約終了後、CDは旧所属事務所のマキシマム・エンターテイメントより、インディーズレーベルでリリースされている。2004年12月にはチェッカーズ時代の楽曲をカバーしたミニアルバム『THE WIND KNOWS MY NAME』を同レーベルより発売している。
  • 2007年4月18日にマキシシングル「雨上がりの風」を発売。『幸せって何だっけ〜カズカズの宝話〜』にゲスト出演した際に、細木数子に「未発表の曲を歌って」といわれてインディーズ・メーカーより2004年12月24日発売したアルバム「THE WIND KNOWS MY NAME」収録の「THE WIND KNOWSMY NAME」を披露。その際に細木に「絶対に売れる!! 太鼓判を押す!!」とお墨付きをもらい2007年4月18日に「雨上がりの風」とタイトルを変え発売。細木が「ヒットする!」と宣言しながらヒットはしていない。

エピソード

  • 未成年時代から喫煙者であったというメンバーが多いチェッカーズの中で、唯一酒もタバコも両方嗜まなかった。その理由は「ファルセットを出すためノドを守ることと、酒が元来ダメだったこと」と本人が述べている。
  • 前述のとおり実家は青果商をしていたが、チェッカーズの全盛期のしつこい追っかけに一番迷惑したのが鶴久の実家だったといわれる。
  • チェッカーズドラムス担当の徳永善也が亡くなった際、ワイドショーに高杢と出演し司会者からチェッカーズ元メンバー同士の確執に触れられると「今こんなときなのに。命よりも重い確執ってあるんですかね?」と嘆き泣いた。
  • テレビにてチェッカーズの映像が流れると必ずといっていいほど鶴久や高杢が出演し、当時のエピソードを語るのがお決まりになっている。これはチェッカーズの版権を持つスリースタープロに、解散後も残留した経緯に関連する。
  • ものまねバトル』で、藤井フミヤのまねをした山崎邦正の後ろでコーラスをやったが、終了後に「コーラスの質が落ちた」と発言した。
  • ド短期ツメコミ教育!豪腕!コーチング!!』では「涙のリクエスト」を歌ったムーディ勝山に、メンバーしか持っていないバッジを貸した。またその中で、藤井の事を「フミヤさん」と呼ぶ。
  • 伝説的エロ番組の『ギルガメッシュないと』の司会をしていた。
  • 光GENJI諸星和己とは25年来の親友で、諸星のバースデーライブにも出演している。きっかけは、歌番組の収録でチェッカーズの楽屋に光GENJIが挨拶に来るが、諸星だけがチェッカーズの楽屋に残って寝てしまう。そんな諸星にチェッカーズのメンバーは「メンバー内の競争が激しい中、自分たちの楽屋でリラックスしている」と諸星を可愛がり、その中でも鶴久が一番可愛がっていた。芸歴でも年齢でも本来は鶴久が先輩だが、それを感じさせない諸星の大きな態度に苦笑いしながら、諸星の暴走を止めるツッコミ役となっている。また、鶴久は諸星のプロデュースの条件として、光GENJI時代と同じ様にローラースケートで踊る事を挙げており、2015年6月17日に発売された諸星のソロ活動20年記念のシングル「あさきゆめみし」では、プロデュースと作曲を務めた。

シングル

アルバム

  • LOVIN' SPOONFUL(1989年2月8日)
  • Timely(1990年2月21日)
  • MASARINA(1992年4月8日)(MASARINA名義)
  • I'm Your Home(1993年11月19日)
  • Move On!(1997年3月21日)(ベストアルバム)
  • THE WIND KNOWS MY NAME(2004年12月24日)(ミニアルバム)

全6曲入り。チェッカーズ時代の曲「夜明けのブレス」と「WANDERER」をカバー。

  • Graffiti ‐鶴久政治ベスト‐(2016年3月31日)(ベストアルバム)

出演番組

脚注

  1. ^ 反省内容を紹介したのが10月26日放送分で、その前の10月12日、10月19日放送分にも出演している。

外部リンク