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「Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Maddestmagician 20161024」の版間の差分

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:::::>議論における協力体制は必要不可欠ですが、荒らしの意見を排除しなければならない場合もあり、議論については100%共同作業を行うことはできません。
:::::>議論における協力体制は必要不可欠ですが、荒らしの意見を排除しなければならない場合もあり、議論については100%共同作業を行うことはできません。
::::なお、ソックパペットや荒らしと共同作業を行った場合は、ソックパペットや荒らしに餌を与えることにもつながり、ウィキペディアに甚大な被害が広まることがあります。被依頼者が{{User|金融の専門家}}に行った対応のせいで、ウィキペディアに被害が広まったと考えています。--[[利用者:はるみエリー|はるみエリー]]([[利用者‐会話:はるみエリー|会話]]) 2016年11月9日 (水) 04:06 (UTC)
::::なお、ソックパペットや荒らしと共同作業を行った場合は、ソックパペットや荒らしに餌を与えることにもつながり、ウィキペディアに甚大な被害が広まることがあります。被依頼者が{{User|金融の専門家}}に行った対応のせいで、ウィキペディアに被害が広まったと考えています。--[[利用者:はるみエリー|はるみエリー]]([[利用者‐会話:はるみエリー|会話]]) 2016年11月9日 (水) 04:06 (UTC)
:::::>''被依頼者は議論の際に他人の発言を正確に引用することを避け''
:::::被依頼者こと私が「[[利用者:はるみエリー|はるみエリー]]氏の発言を不正確に引用した」との主張ですね。「どの発言」を「どう不正確に引用した」ことで「どのように歪めた」乃至は「どのように誇大」に解釈してから反論したのか、の指摘が無ければ、[[Wikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合う|藁人形論法を用いていると'''無根拠に'''主張しているだけ]]になってしまいます。
:::::[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]([[利用者‐会話:Maddestmagician|会話]]) 2016年11月9日 (水) 05:33 (UTC)
::::::はるみエリーの発言を正確に引用すればいいだけです。まったくご自身の問題を自覚されていないのは、第三者によるコメントをきちんと理解されていないからではないでしょうか。他人の発言を咀嚼する前に慌てて感情的に長文投稿をされるなどの行動を連発されているように見えます。--[[利用者:はるみエリー|はるみエリー]]([[利用者‐会話:はるみエリー|会話]]) 2016年11月10日 (木) 09:16 (UTC)


=== 人類数千年の歴史、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提 ===
=== 人類数千年の歴史、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提 ===

2016年11月10日 (木) 09:16時点における版

不適切な比喩

こんなの議論以前の話だと思いますが、多少ははっきり言わないと被依頼者には伝わらないみたいなので、いかに、不適切な比喩であるかということについてここでまとめたいと思います。以下のような不適切な比喩を持ち出された場合、「これはどういう意味ですか?」と聞き返せばいい、という程度であるか、それとも、あまりにも酷すぎてこんな比喩をいちいち持ち出すほうがどうかしている、という程度であるか、などの判断材料となればと思います。--はるみエリー会話2016年11月5日 (土) 07:21 (UTC)[返信]

誤解を糺す試みであると考え、喜んで協力したいと考えます。各節にそれぞれ署名があることから、個別の返答を想定しているものと判断し、個別に返答を致します。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 06:28 (UTC)[返信]
残念ながら、被依頼者の個別の返答により、「被依頼者は不適切な比喩であるという自覚を持っていない」ということが、改めて確認されました。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 10:07 (UTC)[返信]

腹切り

>Alice OPP氏は「心身共にくたびれ」たから「議論から半分撤退したような状態」になったのではなく、自らが犯した過ちに対して「責任を取って」「腹を切った」のであり議論から「完全に撤退されされた」のだと考えます。
  • コメント 不謹慎にもほどがあります。こんなことを言われる身にもなってください。Alice OPPさんだけに責任があるとか、Alice OPPさんが「腹を切」らなければならないほどの過ちを犯したという表現、死者扱いすることなど、なにもかもが二重、三重に不適切です。被依頼者が個人攻撃を行ったことを隠蔽する目的で、美談のように装いながら、結局は、責任逃れを発言しているだけです。この発言については重く受け止め、即刻、撤回と謝罪をするべきです。--はるみエリー会話2016年11月5日 (土) 07:21 (UTC)[返信]
だけに責任がある」「ほどの過ちを犯した」とは、少なくとも私は言っていませんし、思っても居ません。口の悪い言い方になりますが、はるみエリー氏の「勝手な思い込み」であると考えます。前者も後者も「彼の高潔な責任感が(その些細な過ちを)赦さなかった」に過ぎず、私はAlice OPP氏に議論に戻ってきてもらいたいと考え「是非とも提案者に戻ってきて戴き積極的に議論に参加して戴きたい」と言っています。他にも言いたいことはありますが、長くなるので要点のみ。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 06:28 (UTC)[返信]
戻ってきてもらいたいのに、「腹切り」という比喩は不適切です。腹切って自害し黄泉の国に旅立った後にどうやって戻って来られるのでしょうか。「腹切り」という行為がどんな行為なのかわかっていますか。腹切りがなんなのか知っていれば、安易に美談話として口にすることなどできないはずです。被依頼者が言いたいことを表現するために、「腹切り」の比喩を持ち出すことは不適切です。不適切な比喩を撤回するつもりも謝罪するつもりもないということに、改めて失望しました。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 07:23 (UTC)[返信]

議論は共同作業

>議論とは共同作業です。勝利も敗北も存在しません。結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。
  • コメント 結婚式のケーキカットをするカップルに、「結婚式のケーキカットは、Wikipediaの議論と同じような共同作業だよね」と言ったら、相手がどう思うか考えて下さい。結婚式のケーキカットと一緒にしないで、と言われると思いませんか。議論は、コラボレーションタイアップではありません(その二つを共同作業という言葉で表現するのであれば、理解はできます)。高度な議論ともいえるディベートでは、明確に勝った負けたが存在します。そもそも、Wikipediaの議論で共同作業を行う、と聞いたら、ミートパペットかよ、などと突っ込まれると思いませんか。議論は双方が協力しつつ作業するものではありますが、決して共同作業ではありません。また、被依頼者は、議論は共同作業だ、などと言っていますが、実際には、Alice OPPさんに個人攻撃を行い批判しまくった上で全責任を押しつけて亡き者として扱っています。この行為のどこに共同作業の要素があるのでしょうか。被依頼者の行動をみていれば、本当は、議論は共同作業ではない、ということを知っているのに、詭弁を言ってるだけだと感じます。実際の行動を見る限りでは、自分と異なる意見を言う人に罪・全責任をかぶせて亡き者あつかいし、自分と同意見の人だけと共同作業を行うことを「議論」であると認識しているとしか理解できませんでした。--はるみエリー会話2016年11月5日 (土) 07:21 (UTC)[返信]
先ず、コラボレーションタイアップも共同作業だと考えています。ディベートは議論ではなく討論であると考えています。「ミートパペットかよ、などと突っ込まれる」とは思いませんし、これまで議論は共同作業であるとの考えのもとに行動をしてきましたがミートパペット扱いされた覚えは(荒唐無稽として気にならなかった可能性はありますが)ありません。そして共同作業の一環として、こうして返答しているつもりです。他にも言いたいことは以下同文。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 06:28 (UTC)[返信]
議論は共同作業であるという、被依頼者の独自な主張を表現するために、ケーキカットの比喩を持ち出すのは不適切です。不適切な比喩を使ったという自覚をお持ちでないということを理解しました。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 07:23 (UTC)[返信]

「議論は共同作業」を主張するために「百科事典は共同作業」という正論を持ち出された件について

>議論が共同作業ではないと考えているのであれば、この際それでも文句を言いませんから、もう少し方針やガイドラインを重視して戴けないものでしょうか。つまり「努力が求められている」のだということをご理解戴きたいのです。私独りがどれだけ努力をしても合意の可能性は無いままです。
>◆現状、私は最後に引用した二つにある「他の利用者と友好的に話しあい、信頼関係を築く」ことを困難にする「共同作業を行う上で必要な技能の欠如」を指摘されているところです。
>これは言い換えると、「他の利用者はるみエリー氏やぽてから氏と友好的に話しあい、信頼関係を築く」ことを困難にする「(はるみエリー氏やぽてから氏と)共同作業を行う上で必要な技能はるみエリー氏やぽてから氏が立脚する観点への理解の欠如」を指摘されているわけです。
>で、「欠如を指摘されている」ことは理解出来ました。が、それを「異論は認めない」とばかりに「欠如を指摘」することを繰り返されるだけでは、「如何なる」欠如があるのかを私は理解出来ないままです。このままでは、既に述べた「永遠の水掛け論」にしかならず、互いに(どころか第三者まで巻き込んで)消耗し続ける以外の未来はありません。

今度は、百科事典づくりは共同作業であるという正論を悪用し、「議論が共同作業である」という主張を続けていますが、これもまた不適切な比喩です。「百科事典づくりが共同作業である」という話を持ち出しても、「議論は共同作業である」とか「ケーキカットの比喩が不適切ではない」という被依頼者が主張したいことを証明することはできません。議論と関係がなくても、「百科事典づくりは共同作業」という正論を入れ込めば、その正論には反論がなく共感を呼びます。そして、これだけ長文ではぐらかせば、途中から読んだ方などは、被依頼者は「百科事典が共同作業である」という正論も言っているから、初めから正常な思考にそった話をしていたのではないかということを思う人も出るかも知れません。しかし、そもそも、「百科事典づくり=議論」であるという前提がなければ、被依頼者の主張は成り立たず、そんなことは書いてありません。百歩譲って、被依頼者が「議論は共同作業」の話ではなく、「百科事典づくりは共同作業」だと話していたとしても、企業のコラボレーションに例えるくらいであればまだわかりますが、結婚式のケーキカットを比喩に出すのは不適切です。見ず知らずの人と協力し合うことと、これから家族になる相手との結婚式でのケーキカットを同列に並べるなど、奇抜すぎて万人が同じ意味で受け取ることは不可能です。このような不適切な比喩を被依頼者が立て続けに持ち出されるせいで水掛け論が発生し、相手が疲弊せざるをえないという悪循環に陥り、被依頼者はまるで初めから「百科事典は共同作業である」という正論を言っていたかのように見えていた、というのが、これまでの実態ではないでしょうか。はるみエリー(会話) 2016年11月7日 (月) 10:59 (UTC)ノートへ移動--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 11:59 (UTC)[返信]

質問 素朴な質問です。ウィキペディアでの「議論」とは、百科事典を作るための手段ではないのですか?「百科事典づくり」と関係のない議論は「目的外」と思いますが、いかがでしょうか?--aki42006会話2016年11月7日 (月) 12:26 (UTC)[返信]
コメント 上記発言で、ぽてから氏もまとめて批判しているのはなぜでしょう。はるみエリー氏を批判するついでに、依頼者もまとめて批判しちゃって、コメント依頼者がおかしいというふうに持って行きたいからでしょうね。よく読むといい加減なコメントです。議論は「結婚式のケーキカットと同じような共同作業か」という点については、明確に異なると思います。aki42006氏のおっしゃるような意味では、被依頼者が実際にとっている行動は、「百科事典づくり」と関係のない「目的外」の議論という域に達している可能性もあります。また、たしかに百科事典づくりの話を持ち出したからといって、「ケーキカットの比喩が不適切ではない」という被依頼者が主張したいことを証明することはできません。(はるみエリー氏発言より)ということになります。ここで議論されているのは、「議論と百科事典づくりの関係」ではなく、被依頼者がケーキカットを比喩に持ち出すことがどうか、ということについてです。被依頼者の作戦に惑わされないように注意したほうが良さそう。--106.154.93.185 2016年11月7日 (月) 13:03 (UTC)[返信]
  • コメント はるみエリーについての質問であると解釈しお答えします。百科事典づくりは共同作業であるということを否定する発言を過去に行ったことはなく、はるみエリーがまるで、百科事典づくりが共同作業であるという方針やガイドラインを否定しているかのように、いきなり長文で言い出された被依頼者の主張は、間違った前提に成り立ち、論理が破綻しています。議論における協力体制は必要不可欠ですが、荒らしの意見を排除しなければならない場合もあり、議論については100%共同作業を行うことはできません。辞書にも、議論は共同作業である、とは書かれていません。コラボレーションなどは、共同作業と矛盾しない概念であると思います。百科事典づくりの理念として「共同作業」ではあることを肯定していますが、荒らしと共同で議論を行うことはできないので、百科事典づくりに関係する全てのものが共同作業であるとは言えません。また、百科事典作りが共同作業であるという方針を持ち出したところで、結婚式のケーキカットの比喩が適切であるということを証明できません。
>議論とは共同作業です。勝利も敗北も存在しません。結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。
という比喩については不適切な比喩であると思います。「結婚式のケーキカット」は初めての共同作業として一度しか行いませんが、議論における協力体勢は継続します。たった一度儀式的に行うケーキカットと同じであると主張する被依頼者のほうが、議論について正しく理解していないと思います。(被依頼者の不適切な比喩についての話を続けることで、本来議論すべき重要事項がぼやけることを心配しています。このあたりでよいでしょうか。)--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 14:09 (UTC)[返信]
返信 (はるみエリー氏宛) ちょっとしたお願いなのですが、下記に引用するガイドラインに従って戴けると、もう少し読み易くなって助かるのですが。
投稿をスレッド化する:インデントを深くして、スレッド型掲示板のように誰に対するコメントか明示するとよいでしょう。一般的にはコロン(:)を使った箇条書きのマークアップが応用されていますが、削除依頼などではアステリスクを使ったマークアップがよく用いられています。 — Wikipedia:ノートページのガイドライン#レイアウト
◆さて、議論とは裏を返せば、互いに合意点を探り合う作業でもあるので、それに従い先ずははるみエリー氏の主張の中から私が同意する点を列挙します。
方針やガイドラインでは、議論は共同作業であるとは書いてありません
はい、「議論は共同作業である」とは書いていません。
議論に協力は不可欠です
はい、不可欠です。「協力が不可欠であり且つ共同作業ではないもの」が存在し得るとは「私は」思っていません。はるみエリー氏はそれが「存在し得る」と考えていて且つ「その一つが議論である」と主張しているものと「私は」認識しました。
辞書的に、百科事典づくりと議論は同等の意味をもたず
はい、互いに独立した概念であり同等ではあり得ません。百科事典の作成に際し必ずしも議論を要するわけではありませんし、議論を行なえば百科事典が作られていくわけでもありません。
また、議論は共同作業ではありません
いいえ、上記三点に私が同意するにも関わらず、私は未だに「議論は共同作業である」と認識していて、変化する兆しがありません。
此処までで一つ、明確な論点=相違点が見付かりました。それは「議論に協力は不可欠です」の後に書いた「「協力が不可欠であり且つ共同作業ではないもの」が存在し得るとは「私は」思っていません。はるみエリー氏はそれが「存在し得る」と考えていて且つ「その一つが議論である」と主張しているものと「私は」認識しました」があります。
  • はるみエリー氏は「協力が不可欠であり且つ共同作業ではないもの」が存在し得る、と主張している。
  • はるみエリー氏は「その一つが議論である」と主張している。
この私の認識は正しいでしょうか? であれば正しい旨の返信を戴きたいと考えます。
或いは私が何かを誤解しているようであれば、その旨と説明を戴ければ、誤解が解けて私がはるみエリー氏の言う内容を理解し合意が形成される結末へと向かう助けになるものと考えます。
もしも説明が難しいようであれば、私の主張である「協力が不可欠であり且つ共同作業ではないものは存在しない」が如何に誤った考えかを説明して戴くでも、何かの助けになるかもわかりません。何の助けにもならない可能性もありますが。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月8日 (火) 03:09 (UTC)[返信]
  • コメント 上記における被依頼者の論理はストローマンと呼ばれる一種の詭弁ないしは誤謬であると言えます。
相手の意見の一部を誤解してみせたり、正しく引用することなく歪める、または一部のみを取り上げて誇大に解釈すれば、その意見に反論することは容易になる。この場合、第三者からみれば一見すると反論が妥当であるように思われるため、人々を説得する際に有効なテクニックとして用いられることがある。これは論法としては論点のすり替えにあたる誤謬であり、無意識でおこなっていれば論証上の誤り(非形式的誤謬)となるが、意図的におこなっていればそれは詭弁である。(以上、ストローマンより引用)--Husa会話2016年11月8日 (火) 19:00 (UTC)[返信]
コメント はるみエリーは、被依頼者の発言を正確に引用して議論をしていますが、被依頼者は議論の際に他人の発言を正確に引用することを避け、まさに、Husaさんが指摘されているストローマンの戦法をつかわれています。はるみエリーの発言をきちんと読まれていないことも判明したので、過去の発言を引用します。
>しかし、そもそも、「百科事典づくり=議論」であるという前提がなければ、被依頼者の主張は成り立たず、そんなことは書いてありません。百歩譲って、被依頼者が「議論は共同作業」の話ではなく、「百科事典づくりは共同作業」だと話していたとしても、企業のコラボレーションに例えるくらいであればまだわかりますが、結婚式のケーキカットを比喩に出すのは不適切です。見ず知らずの人と協力し合うことと、これから家族になる相手との結婚式でのケーキカットを同列に並べるなど、奇抜すぎて万人が同じ意味で受け取ることは不可能です。このような不適切な比喩を被依頼者が立て続けに持ち出されるせいで水掛け論が発生し、相手が疲弊せざるをえないという悪循環に陥り、被依頼者はまるで初めから「百科事典は共同作業である」という正論を言っていたかのように見えていた、というのが、これまでの実態ではないでしょうか。
>議論における協力体制は必要不可欠ですが、荒らしの意見を排除しなければならない場合もあり、議論については100%共同作業を行うことはできません。
なお、ソックパペットや荒らしと共同作業を行った場合は、ソックパペットや荒らしに餌を与えることにもつながり、ウィキペディアに甚大な被害が広まることがあります。被依頼者が利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録に行った対応のせいで、ウィキペディアに被害が広まったと考えています。--はるみエリー会話2016年11月9日 (水) 04:06 (UTC)[返信]
被依頼者は議論の際に他人の発言を正確に引用することを避け
被依頼者こと私が「はるみエリー氏の発言を不正確に引用した」との主張ですね。「どの発言」を「どう不正確に引用した」ことで「どのように歪めた」乃至は「どのように誇大」に解釈してから反論したのか、の指摘が無ければ、藁人形論法を用いていると無根拠に主張しているだけになってしまいます。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月9日 (水) 05:33 (UTC)[返信]
はるみエリーの発言を正確に引用すればいいだけです。まったくご自身の問題を自覚されていないのは、第三者によるコメントをきちんと理解されていないからではないでしょうか。他人の発言を咀嚼する前に慌てて感情的に長文投稿をされるなどの行動を連発されているように見えます。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 09:16 (UTC)[返信]

人類数千年の歴史、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提

>人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提[1]Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家
  • コメント このような意味不明な表現を用いて、シャム・パンナさん達を批判している点については不適切だと思います。「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い大前提」とはなんですか。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」などと、方丈記の一節でも唱え、諸行無常を語る以外に方法はないと思います。また、共産主義は、私有財産の否定による完全平等の実現を目指して暴力革命を肯定する世界です。気長に人材を育成すればいい、などという世界とは相反し、相応しくない人は殺してしまえ、社会秩序の暴力的転覆によってしか達成されえないことを、公然と宣言する、というのが共産主義です。共産主義国家が現存する世界において、「共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」などというものは存在しません。よって、このような意味不明な比喩を持ち出すことは、「人類数千年の歴史」や「共産主義」について無知であるか、もしくは、議論の攪乱を目的としているとしか判断できません。--はるみエリー会話) 2016年11月5日 (土) 07:21 (UTC)--はるみエリー会話2016年11月5日 (土) 08:50 (UTC)[返信]
これは要点が複数あり、単純な返答は難しいと考えます。少し嫌味な言い方に感じられるかも知れません。
  • 共産主義国家が現存する世界」と発言なされていらっしゃいます。具体的に「現存する共産主義国家」を挙げられるのであれば、是非とも社会主義国一覧の前文にある「自称社会主義国の大半は~~「社会主義」の共通の定義を共有し、共産主義への途上にある社会主義国家と位置付けている。この理由から西側諸国からは一般に「共産主義国家」と呼ばれている(この名称が自称されることはない)」に加筆し、ウィキペディアをより良い百科事典にすることにご協力を戴ければと考えます。私は「社会主義国家はいくらもあるが、共産主義国家は現存していない」と認識しています。
  • 共産主義は~~暴力革命を肯定」と言っていますが、民主主義の先鞭として代表されるフランス革命は「暴力革命ではなかった」との認識なのでしょうか。私の認識では、絶対王政を始めとする封建制貴族制の元で民主主義が暴力革命を肯定したのと全く同じに、資本制の元で共産主義が暴力革命を肯定しているに過ぎないと考えています。イコール、「現実に暴力革命(=社会秩序の暴力的転覆)以外に達成の見込みが無い」と判断したからそう言っているだけで、「社会秩序の暴力的転覆」が共産主義や社会主義の主体ではない、という意味です。民主主義の達成を妨害する貴族制に固執する)貴族等を「相応しくない人は殺してしまえ」と処刑マリー・アントワネットが有名ですね)したフランス革命ではありますが、「相応しくない人は殺してしまえ」が民主主義の主体ではないのと同じことだと認識しています。つまり、それ等の間には、我々自身が被害者側ではない(=貴族処刑)か被害者側である(資本制打倒)かの違いしか無いという意味です。
  • 「大前提が何か」に関しては既にへのいち氏が解説して下さっている通りなので、それに対する質問が無い限り触れません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 06:28 (UTC)[返信]
共産革命について無知であることを改めて確認しました。暴力革命は、マルクス・レーニン主義によって提唱された概念です。フランス革命は「いっさいの社会秩序の暴力的転覆」を目的としてはいません。クーデターは、暴力革命であるというわけではありません。また、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い大前提」については説明がありませんでした。よって、被依頼者の無知に帰因する不適切な比喩であったことを確認しました。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 07:23 (UTC)[返信]