「市川一家4人殺害事件」の版間の差分
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{{Infobox 事件・事故 |
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| 名称 = 市川一家4人殺人事件 |
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| 場所 = [[千葉県]][[市川市]][[幸 (市川市)|幸]] |
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| 日付 = [[1992年]]([[平成]]4年)[[3月5日]] |
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| 概要 = [[強盗]]目的で押し入った19歳の少年により一家5人中4人が絞殺・刺殺され、残る1人も[[強姦]]された。 |
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| 武器 = 電気コード、[[柳刃包丁]] |
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| 攻撃人数 = 5人 |
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| 死亡 = 4人 |
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| 犯人 = 少年(事件当時19歳) |
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| 動機 = 窃盗(後に強盗) |
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| 謝罪 = なし |
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| 賠償 = [[日本における死刑|死刑]] |
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{{最高裁判例 |
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|事件名= 市川の一家強盗殺人事件 |
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|事件番号= 平成8年(あ)864 |
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|裁判年月日= 2001年([[平成]]13年)12月3日 |
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|判例集= 集刑 第280号713頁 |
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|裁判要旨= * 本件上告を棄却する。 |
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* 動機に酌量の余地がなく、4名の生命を奪ったという結果が極めて重大である上、犯行の態様が冷酷、執ようかつ残虐で、家族を一挙に失い、自らも強盗強姦等の被害に遭った少女の被害感情は非常に厳しく、社会的影響も重大である。 |
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* その犯行態様、結果ともに悪質であることなどの情状に照らすと、被告人の罪責は誠に重大であり、本件各犯行当時、被告人が18歳から19歳であったことなどの事情を考慮しても、原判決が維持した第1審判決の死刑の科刑は、やむを得ないものとして当裁判所もこれを是認せざるを得ない。 |
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|法廷名= 第二小法廷 |
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|裁判長= [[亀山継夫]] |
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|陪席裁判官= [[河合伸一]]、[[福田博]]、[[北川弘治]]、[[梶谷玄]] |
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|多数意見= 全員一致 |
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|意見= なし |
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|反対意見= |
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|参照法条= [[強盗致死傷罪|強盗殺人]]・[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]・[[強盗罪|強盗]][[強姦罪|強姦]]・[[恐喝罪|恐喝]]・[[窃盗罪|窃盗]]・[[傷害罪|傷害]]・強姦・強姦致傷 |
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== 事件の概要 == |
== 事件の概要 == |
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1992年[[2月]]中旬、少年S(当時19歳)は、[[フィリピン人]]の[[ホステス]]と性的関係を持ったことにより、[[暴力団]]関係者から200万円を要求されていた。工面に困ったSは、その数日前に[[交通事故]]で轢き[[強姦]]した[[女子高校生]]のA子(当時15歳)の[[自宅]]があった、[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]](現[[東京地下鉄|東京メトロ]])[[東京メトロ東西線|東西線]][[行徳駅]]の南東約2kmの[[新興住宅街]]に位置する[[マンション]]に[[ |
1992年[[2月]]中旬、少年S(当時19歳)は、[[フィリピン人]]の[[ホステス]]と性的関係を持ったことにより、[[暴力団]]関係者から200万円を要求されていた。工面に困ったSは、その数日前に[[交通事故]]で轢き[[強姦]]した[[女子高校生]]のA子(当時15歳、当時42歳の[[雑誌]][[下請け]][[会社]][[社長]]男性の長女)の[[自宅]]があった、[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]](現[[東京地下鉄|東京メトロ]])[[東京メトロ東西線|東西線]][[行徳駅]]の南東約2kmの[[新興住宅街]]に位置する[[市川市]][[幸 (市川市)|幸]]の[[マンション]]に[[窃盗]]目的で押し入ることにした。 |
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3月5日午後4時30分頃、Sは少女一家の部屋に押し入り、[[現金]]8万円を奪った後A子の祖母(当時83歳)を絞殺。その後、帰宅したA子を[[監禁]]し、午後7時頃に帰宅したA子の母親(当時36歳)を刺殺。A子を強姦した後、午後9時頃に帰宅した |
3月5日午後4時30分頃、Sは少女一家の部屋に押し入り、[[現金]]8万円を奪った後A子の祖母(当時83歳)と遭遇し、強盗に転じて電気コードで首を絞めて絞殺。その後、帰宅したA子を[[監禁]]し、午後7時頃に帰宅したA子の母親(当時36歳)を[[柳刃包丁]]で刺殺。A子を強姦した後、午後9時頃に帰宅した男性を刺殺、[[預金通帳]]を奪う。翌6日午前6時頃、A子の妹(当時4歳、保育園児)を柳刃包丁で刺殺。 |
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同日午前9時過ぎ、A子から電話を受けた |
同日午前9時過ぎ、A子から電話を受けた男性の会社から「様子がおかしい」と近隣の[[千葉県警察|千葉県警]][[浦安警察署|葛南警察署]](当時、現在は[[行徳警察署]]管轄)行徳[[派出所]]に通報が入り、隣の部屋から侵入した同派出所の[[警察官]]が駆けつけてSを現行犯[[逮捕]]し、A子を保護した。Sは178cm、80kgと大柄で、逮捕時にはA子に包丁を持たせて罪を逃れようとしていた<ref name=repo1>『19歳 一家四人惨殺犯の告白』永瀬隼介著(角川文庫)</ref>。 |
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== 裁判 == |
== 裁判 == |
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なお、後の少年死刑事件である[[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]]、[[光市母子殺害事件]]、[[石巻3人殺傷事件]]では[[毎日新聞]]を除く全国メディア([[読売新聞]]・[[朝日新聞]]・[[産経新聞]]・[[日本経済新聞]]の各[[全国紙]]と[[日本放送協会|NHK]]及び[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[東京放送|TBS]]・[[テレビ朝日]]・[[テレビ東京]]の全在京[[キー局]])は死刑判決確定後に[[実名報道]]に切り替えたが、本事件ではいずれのマスコミもSを匿名で報じた(ちなみに、朝日新聞が少年死刑囚の実名報道の方針を決めたのは本事件の判決確定後の3年後、2004年のことである<ref>{{Cite web |url=http://www.asahi.com/articles/ASJ6G6D5BJ6GUTIL051.html |title=石巻3人殺傷事件、死刑確定へ 最高裁、被告の上告棄却 |publisher=朝日新聞 |date=2016-6-16 |accessdate=2016-6-16|archiveurl=http://archive.is/AGbwr|archivedate=2016-11-10}}</ref>)。しかし、事件当時[[週刊新潮]]と[[FOCUS]]がSを実名報道している上、死刑確定前の[[2000年]][[9月]]に出版された[[永瀬隼介]]の著書『19歳の結末 一家4人惨殺事件』([[#関連書籍]]参照)でもSの実名が公表されている。 |
なお、後の少年死刑事件である[[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]]、[[光市母子殺害事件]]、[[石巻3人殺傷事件]]では[[毎日新聞]]を除く全国メディア([[読売新聞]]・[[朝日新聞]]・[[産経新聞]]・[[日本経済新聞]]の各[[全国紙]]と[[日本放送協会|NHK]]及び[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[東京放送|TBS]]・[[テレビ朝日]]・[[テレビ東京]]の全在京[[キー局]])は死刑判決確定後に[[実名報道]]に切り替えたが、本事件ではいずれのマスコミもSを匿名で報じた(ちなみに、朝日新聞が少年死刑囚の実名報道の方針を決めたのは本事件の判決確定後の3年後、2004年のことである<ref>{{Cite web |url=http://www.asahi.com/articles/ASJ6G6D5BJ6GUTIL051.html |title=石巻3人殺傷事件、死刑確定へ 最高裁、被告の上告棄却 |publisher=朝日新聞 |date=2016-6-16 |accessdate=2016-6-16|archiveurl=http://archive.is/AGbwr|archivedate=2016-11-10}}</ref>)。しかし、事件当時[[週刊新潮]]と[[FOCUS]]がSを実名報道している上、死刑確定前の[[2000年]][[9月]]に出版された[[永瀬隼介]]の著書『19歳の結末 一家4人惨殺事件』([[#関連書籍]]参照)でもSの実名が公表されている。 |
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[[2016年]]現在、[[東京拘置所]]に[[収監]]されている。[[再審]]請求中。永山はSの死刑確定前の[[1997年]]に死刑執行されたため、[[2016年]]現在収監されている[[少年死刑囚]]としては最古参であり、かつ2001年以降に死刑が確定した未執行死刑囚としても最古参である。 |
[[2016年]]現在、Sは[[東京拘置所]]に[[収監]]されている。[[再審]]請求中。永山はSの死刑確定前の[[1997年]]に死刑執行されたため、Sは[[2016年]]現在収監されている[[少年死刑囚]]としては最古参であり、かつ2001年以降に死刑が確定した未執行死刑囚としても最古参である。 |
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== その他 == |
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* Sは[[千葉県]][[松戸市]]で生まれ、小学2年から[[東京都]][[江東区]]で育つ<ref name="repo1"/>。小学生の時、サラリーマンだった父親の[[ギャンブル]]好きによる約3億円の[[借金]]が原因で両親が[[離婚]]。その後は鰻のチェーン店を多数経営する母方の祖父からの[[経済]]的な援助を受けつつ不自由なく暮らし、中学卒業後野球の強豪校として知られる都内の私立高校に入学した。[[日本の高校野球|甲子園]]を目指して[[野球部]]に所属していたが、欠席が多くまもなく退学している。その後は[[警備員]]や[[運転手]]などの[[アルバイト]]をするが、どれも1週間と続かず、事件直前は母方の祖父が経営していた[[水産業|水産]][[加工食品|加工品]]の[[チェーン店]]を時々手伝う程度で、ギャンブルなどの遊びに明け暮れる[[生活]]だったという。また、祖父から[[ギター]]や[[オーディオ]]購入費などの遊興費や[[マンション]]の[[家賃]]、犯行に用いた[[高級車]]などの代金の援助を受け続けていたことから、中学入学頃からは祖父や母親に多額の[[現金]]をせびり、バイク盗や[[傷害]]などの事件で[[補導]]されては祖父や母親が[[示談金]]を払うことも多かった。 |
* Sは[[千葉県]][[松戸市]]で生まれ、小学2年から[[東京都]][[江東区]]で育つ<ref name="repo1"/>。小学生の時、サラリーマンだった父親の[[ギャンブル]]好きによる約3億円の[[借金]]が原因で両親が[[離婚]]。その後は鰻のチェーン店を多数経営する母方の祖父からの[[経済]]的な援助を受けつつ不自由なく暮らし、中学卒業後野球の強豪校として知られる都内の私立高校に入学した。[[日本の高校野球|甲子園]]を目指して[[野球部]]に所属していたが、欠席が多くまもなく退学している。その後は[[警備員]]や[[運転手]]などの[[アルバイト]]をするが、どれも1週間と続かず、事件直前は母方の祖父が経営していた[[水産業|水産]][[加工食品|加工品]]の[[チェーン店]]を時々手伝う程度で、ギャンブルなどの遊びに明け暮れる[[生活]]だったという。また、祖父から[[ギター]]や[[オーディオ]]購入費などの遊興費や[[マンション]]の[[家賃]]、犯行に用いた[[高級車]]などの代金の援助を受け続けていたことから、中学入学頃からは祖父や母親に多額の[[現金]]をせびり、バイク盗や[[傷害]]などの事件で[[補導]]されては祖父や母親が[[示談金]]を払うことも多かった。 |
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* 殺害された |
* 殺害された会社社長男性は、8年前の[[1984年]]に[[ロス疑惑]]で注目されていた[[三浦和義]]の[[週刊誌]][[記事]]に掲載された[[プライベート]][[写真]]を撮影した[[カメラマン]]でもあった。 |
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* 少年犯罪なら処罰は軽いと考え、逮捕後、出所後の生活設計のために母親に教科書や参考書等を差し入れさせていた<ref name="repo1"/>。しかしそ |
* 少年犯罪なら処罰は軽いと考え、逮捕後、出所後の生活設計のために母親に教科書や参考書等を差し入れさせていた<ref name="repo1"/>。しかしその考えも虚しく、第一審判決から最高裁判決に至るまで一度たりとも減軽されることなく死刑判決が確定した。 |
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== 関連書籍 == |
== 関連書籍 == |
2016年12月6日 (火) 17:34時点における版
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市川一家4人殺人事件 | |
---|---|
場所 | 千葉県市川市幸 |
日付 | 1992年(平成4年)3月5日 |
概要 | 強盗目的で押し入った19歳の少年により一家5人中4人が絞殺・刺殺され、残る1人も強姦された。 |
攻撃側人数 | 5人 |
武器 | 電気コード、柳刃包丁 |
死亡者 | 4人 |
犯人 | 少年(事件当時19歳) |
動機 | 窃盗(後に強盗) |
謝罪 | なし |
賠償 | 死刑 |
最高裁判所判例 | |
---|---|
事件名 | 市川の一家強盗殺人事件 |
事件番号 | 平成8年(あ)864 |
2001年(平成13年)12月3日 | |
判例集 | 集刑 第280号713頁 |
裁判要旨 | |
| |
第二小法廷 | |
裁判長 | 亀山継夫 |
陪席裁判官 | 河合伸一、福田博、北川弘治、梶谷玄 |
意見 | |
多数意見 | 全員一致 |
意見 | なし |
参照法条 | |
強盗殺人・殺人罪・強盗強姦・恐喝・窃盗・傷害・強姦・強姦致傷 |
市川一家4人殺人事件(いちかわいっか4にんさつじんじけん)は、1992年(平成4年)3月5日に千葉県市川市で発生した当時19歳の未成年者による強盗殺人事件である。平成の少年事件では初の死刑確定事件である。
事件の概要
1992年2月中旬、少年S(当時19歳)は、フィリピン人のホステスと性的関係を持ったことにより、暴力団関係者から200万円を要求されていた。工面に困ったSは、その数日前に交通事故で轢き強姦した女子高校生のA子(当時15歳、当時42歳の雑誌下請け会社社長男性の長女)の自宅があった、営団地下鉄(現東京メトロ)東西線行徳駅の南東約2kmの新興住宅街に位置する市川市幸のマンションに窃盗目的で押し入ることにした。
3月5日午後4時30分頃、Sは少女一家の部屋に押し入り、現金8万円を奪った後A子の祖母(当時83歳)と遭遇し、強盗に転じて電気コードで首を絞めて絞殺。その後、帰宅したA子を監禁し、午後7時頃に帰宅したA子の母親(当時36歳)を柳刃包丁で刺殺。A子を強姦した後、午後9時頃に帰宅した男性を刺殺、預金通帳を奪う。翌6日午前6時頃、A子の妹(当時4歳、保育園児)を柳刃包丁で刺殺。
同日午前9時過ぎ、A子から電話を受けた男性の会社から「様子がおかしい」と近隣の千葉県警葛南警察署(当時、現在は行徳警察署管轄)行徳派出所に通報が入り、隣の部屋から侵入した同派出所の警察官が駆けつけてSを現行犯逮捕し、A子を保護した。Sは178cm、80kgと大柄で、逮捕時にはA子に包丁を持たせて罪を逃れようとしていた[1]。
裁判
Sは強盗殺人、強盗強姦、恐喝、窃盗、傷害、強姦、強姦致傷の7つの罪で起訴された。
1994年8月8日、千葉地方裁判所(神作良二裁判長)で検察側(千葉地方検察庁)の求刑通りSに死刑判決が言い渡された(ただしA子の妹に対する殺害のみ強盗殺人罪ではなく、Sの弁護人の主張が認められ殺人罪と認定された)。Sは控訴したが、1996年7月2日に東京高等裁判所(神田忠治裁判長)は控訴を棄却。更に上告するが、2001年12月3日に最高裁判所第2小法廷(亀山継夫裁判長)で上告が棄却され、死刑が確定した。
過去に暴行事件や強姦事件(事件実行当日にも別の被害者への強姦事件を起こしている)を起こしていた点、逮捕されてから裁判中まで、被疑者のSには事件を起こしたことに対して全く反省した態度が見られない点、A子の目の前でA子の肉親を殺害したという残虐性、警察が踏み込んだ際にA子に包丁を持たせ自分が被害者を演じた計画性などが裁判で重く見られた。
未成年者に死刑が言い渡され、刑が確定するに至ったのは、永山則夫連続射殺事件の永山則夫以来であった。
なお、後の少年死刑事件である大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件、光市母子殺害事件、石巻3人殺傷事件では毎日新聞を除く全国メディア(読売新聞・朝日新聞・産経新聞・日本経済新聞の各全国紙とNHK及び日本テレビ・フジテレビ・TBS・テレビ朝日・テレビ東京の全在京キー局)は死刑判決確定後に実名報道に切り替えたが、本事件ではいずれのマスコミもSを匿名で報じた(ちなみに、朝日新聞が少年死刑囚の実名報道の方針を決めたのは本事件の判決確定後の3年後、2004年のことである[2])。しかし、事件当時週刊新潮とFOCUSがSを実名報道している上、死刑確定前の2000年9月に出版された永瀬隼介の著書『19歳の結末 一家4人惨殺事件』(#関連書籍参照)でもSの実名が公表されている。
2016年現在、Sは東京拘置所に収監されている。再審請求中。永山はSの死刑確定前の1997年に死刑執行されたため、Sは2016年現在収監されている少年死刑囚としては最古参であり、かつ2001年以降に死刑が確定した未執行死刑囚としても最古参である。
その他
- Sは千葉県松戸市で生まれ、小学2年から東京都江東区で育つ[1]。小学生の時、サラリーマンだった父親のギャンブル好きによる約3億円の借金が原因で両親が離婚。その後は鰻のチェーン店を多数経営する母方の祖父からの経済的な援助を受けつつ不自由なく暮らし、中学卒業後野球の強豪校として知られる都内の私立高校に入学した。甲子園を目指して野球部に所属していたが、欠席が多くまもなく退学している。その後は警備員や運転手などのアルバイトをするが、どれも1週間と続かず、事件直前は母方の祖父が経営していた水産加工品のチェーン店を時々手伝う程度で、ギャンブルなどの遊びに明け暮れる生活だったという。また、祖父からギターやオーディオ購入費などの遊興費やマンションの家賃、犯行に用いた高級車などの代金の援助を受け続けていたことから、中学入学頃からは祖父や母親に多額の現金をせびり、バイク盗や傷害などの事件で補導されては祖父や母親が示談金を払うことも多かった。
- 殺害された会社社長男性は、8年前の1984年にロス疑惑で注目されていた三浦和義の週刊誌記事に掲載されたプライベート写真を撮影したカメラマンでもあった。
- 少年犯罪なら処罰は軽いと考え、逮捕後、出所後の生活設計のために母親に教科書や参考書等を差し入れさせていた[1]。しかしその考えも虚しく、第一審判決から最高裁判決に至るまで一度たりとも減軽されることなく死刑判決が確定した。
関連書籍
- 『中日新聞』 1992年3月6日夕刊19頁、3月7日朝刊31頁、3月10日夕刊8 - 9頁
- 『19歳の結末 一家4人惨殺事件』祝康成(永瀬隼介)・著(新潮社)2000年9月出版 ISBN 978-4104398010
- 『19歳 一家四人惨殺犯の告白』永瀬隼介・著(角川文庫)2004年8月出版 ISBN 978-4043759019
脚注
- ^ a b c 『19歳 一家四人惨殺犯の告白』永瀬隼介著(角川文庫)
- ^ “石巻3人殺傷事件、死刑確定へ 最高裁、被告の上告棄却”. 朝日新聞 (2016年6月16日). 2016年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月16日閲覧。
関連リンク
- Sへの最高裁判決文 - 裁判所ホームページ(裁判例情報)