コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ピーター・ウィアー」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
追記
追記
31行目: 31行目:


== 略歴 ==
== 略歴 ==
1944年、[[オーストラリア]]、[[シドニー]]で生まれる。父は不動産業者<ref>[http://thehollywoodinterview.blogspot.jp/2008/03/peter-weir-hollywood-interview.html Peter Weir: The Hollywood Interview] - The Hollywood Interview(2017年2月10日閲覧)</ref>。
1944年、[[オーストラリア]]、[[シドニー]]で生まれる。父は不動産業者<ref>[http://thehollywoodinterview.blogspot.jp/2008/03/peter-weir-hollywood-interview.html Peter Weir: The Hollywood Interview] - The Hollywood Interview(2017年2月10日閲覧)</ref>。[[シドニー大学]]で法律と芸術を学んでいたが中退した
[[シドニー大学]]で法律と芸術を学んでいたが中退した。1960年代半ばからシドニーのテレビ局[[w:ATN-7|ATN-7]]で働き、[[コメディ]]番組のアシスタントを務める<ref name="w:Peter Weir">[[w:Peter Weir|Peter Weir]] - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)</ref>。


=== オーストラリア時代 ===
1960年代半ばからシドニーのテレビ局[[w:ATN-7|ATN-7]]で働き、[[コメディ]]番組のアシスタントを務める<ref name="w:Peter Weir">[[w:Peter Weir|Peter Weir]] - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)</ref>。
その後、コモンウェルス・フィルム・ユニット([[w:Commonwealth Film Unit|CFU]])に移り、幾つかの[[ドキュメンタリー]]番組を制作した<ref name="w:Peter Weir"/>。
その後、コモンウェルス・フィルム・ユニット([[w:Commonwealth Film Unit|CFU]])に移り、幾つかの[[ドキュメンタリー]]番組を制作した<ref name="w:Peter Weir"/>。

CFUを去った後、ウィアーは1971年に初の短編映画『''[[w:Homesdale|Homesdale]]''』というホラー・コメディ映画を製作する。その後、1974年には長編映画『{{仮リンク|キラーカーズ/パリを食べた車|en|The Cars That Ate Paris}}』の監督・脚本を行い、メジャーデビューを果たした<ref name="w:Peter Weir"/>。
CFUを去った後、ウィアーは1971年に初の短編映画『''[[w:Homesdale|Homesdale]]''』というホラー・コメディ映画を製作する。その後、1974年には長編映画『{{仮リンク|キラーカーズ/パリを食べた車|en|The Cars That Ate Paris}}』の監督・脚本を行い、メジャーデビューを果たした<ref name="w:Peter Weir"/>。


1981は、[[ポリの戦い]]を描[[戦争映画]][[誓い (映画)|誓い]]』で若手の[[メル・ギブソン]]を主役に抜擢し、[[オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞|オーストラリアアカデミー賞]]で監督賞を受賞した。また1990年は『[[いまを生きる]]』で[[英国アカデミー賞]]を受賞している<ref name="IMDb Award">[http://www.imdb.com/name/nm0001837/awards?ref_=nm_ql_2 Peter Weir Awards] - [[IMDb]](2017年2月10日閲覧)</ref>。
翌1975公開の『[[ピクニックatハンギング・ロック ]]』は、[[ミステー映画]]であるにもかかわらず、美し映像や撮影技術が高く評価され、[[撮影監督]][[ラッセル・ボイド]]が[[英国アカデミー賞]]、[[サター]]を受賞し、ウィアーも[[オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞|オーストラリアアカデミー賞]]で監督賞にトされた<ref>[http://www.imdb.com/title/tt0073540/awards?ref_=tt_ql_op_1 Picnic at Hanging Rock (1975)Awards] - [[IMDb]](2017年2月10日閲覧)</ref>。
本作は、ピクニック先の岩山で少女たちが次々と行方不明になるという、実際に起きた事件ではないか?と当時話題を呼んだ[[ジョーン・リンジー]]の同名小説を映画化した作品で、制作費44万ドルに対し500万ドルを売り上げるヒット作となった<ref name="Picnic enwiki">[w:Picnic at Hanging Rock|Picnic at Hanging Rock] - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)</ref>。当時の500万ドルを2016年時点の[[オーストラリアドル|豪ドル]]に換算すると、約2,300万豪ドル(約20億円)に相当する<ref name="Picnic enwiki"/>。また事件の噂が世界に広まった1980年代には公開国が広がり、日本では10年以上経った1986年に公開された。また作品として再評価されるようになった1990年代以降にも度々再上映が行われており、近年では2009年にフランスで再上映されている<ref>[http://www.imdb.com/title/tt0073540/releaseinfo?ref_=tt_ql_dt_2 Picnic at Hanging Rock (1975)Release Info] - [[IMDb]](2017年2月10日閲覧)</ref>。

1981年には、[[ガリポリの戦い]]を描いた[[戦争映画]]『[[誓い (映画)|誓い]]』で、若手の[[メル・ギブソン]]を主役に抜擢し、[[オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞|オーストラリアアカデミー賞]]で監督賞を受賞した<ref name="IMDb Award">[http://www.imdb.com/name/nm0001837/awards?ref_=nm_ql_2 Peter Weir Awards] - [[IMDb]](2017年2月10日閲覧)</ref>。

=== ハリウッド進出 ===
1985年公開の『[[刑事ジョン・ブック 目撃者]]』でウィアーは[[ハリウッド]]進出を果たす。主人公の刑事役は[[インディジョーンズ]]や[[スターウォーズ]]で一躍スター俳優となった[[ハリソン・フォード]]が演じ、殺人現場の"目撃者"となったことから命を狙われるアーミッシュの少年役には[[ルーカス・ハース]]がオーディションで選ばれた。本作でウィアーとフォードは[[アカデミー賞]]、[[ゴールデン・グローブ賞]]にノミネートされ、ハースも[[ヤング・アーティスト賞]]にノミネートされた。

翌1986年の『[[モスキート・コースト]]』で、ウィアーは再びハリソン・フォードを主役にオファーした。また、フォードと親子役を演じた子役の[[リバー・フェニックス]]は、本作で映画デビューを果たしヤング・アーティスト賞を受賞した。

1989年、[[ロビン・ウィリアムズ]]演じる型破りな教師と生徒たちの交流を描いたヒューマンドラマ『[[いまを生きる]]』で、ウィアーは再び[[アカデミー監督賞]]、ゴールデン・グローブ監督賞にノミネートされるも受賞は逃している。しかし、英国アカデミー賞や[[ジュピター賞]]はじめ、世界で多くの監督賞を受賞した<ref>[http://www.imdb.com/title/tt0097165/awards?ref_=tt_ql_op_1 Ima wo ikiru (1989)Awards] - [[IMDb]](2017年2月10日閲覧)</ref>。


なお過去4回[[アカデミー監督賞]]にノミネートされているが、2017年現在いまだ受賞には至っていない<ref name="IMDb Award"/>。
その後『[[トゥルーマン・ショー]]』『[[マスター・アンド・コマンダー]]』とウィアーは計4回[[アカデミー監督賞]]にノミネートされているが、2017年現在いまだ受賞には至っていない<ref name="IMDb Award"/>。


== 私生活 ==
== 私生活 ==

2017年2月9日 (木) 22:32時点における版

ピーター・ウィアー
Peter Weir
ピーター・ウィアー Peter Weir
本名 Peter Lindsay Weir
生年月日 (1944-08-21) 1944年8月21日(80歳)
出生地 シドニー
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
職業 映画監督、脚本家
配偶者 ウエンディ・スタイツ (1966-)
著名な家族 イングリッド・ウィアー
主な作品
いまを生きる
グリーン・カード
トゥルーマン・ショー
マスター・アンド・コマンダー
受賞
英国アカデミー賞
監督賞
1998年『トゥルーマン・ショー
2003年『マスター・アンド・コマンダー
ゴールデングローブ賞
作品賞(ミュージカル・コメディ部門)
1990年グリーン・カード
その他の賞
テンプレートを表示

ピーター・リンゼイ・ウィアーPeter Lindsay Weir1944年8月21日 - )は、オーストラリアシドニー出身の映画監督脚本家

略歴

1944年、オーストラリアシドニーで生まれる。父は不動産業者[1]シドニー大学で法律と芸術を学んでいたが中退した。

オーストラリア時代

1960年代半ばからシドニーのテレビ局ATN-7で働き、コメディ番組のアシスタントを務める[2]。 その後、コモンウェルス・フィルム・ユニット(CFU)に移り、幾つかのドキュメンタリー番組を制作した[2]

CFUを去った後、ウィアーは1971年に初の短編映画『Homesdale』というホラー・コメディ映画を製作する。その後、1974年には長編映画『キラーカーズ/パリを食べた車英語版』の監督・脚本を行い、メジャーデビューを果たした[2]

翌1975年公開の『ピクニックatハンギング・ロック 』は、ミステリー映画であるにもかかわらず、美しい映像や撮影技術が高く評価され、撮影監督ラッセル・ボイド英国アカデミー賞サターン賞を受賞し、ウィアーもオーストラリアアカデミー賞で監督賞にノミネートされた[3]。 本作は、ピクニック先の岩山で少女たちが次々と行方不明になるという、実際に起きた事件ではないか?と当時話題を呼んだジョーン・リンジーの同名小説を映画化した作品で、制作費44万ドルに対し500万ドルを売り上げるヒット作となった[4]。当時の500万ドルを2016年時点の豪ドルに換算すると、約2,300万豪ドル(約20億円)に相当する[4]。また事件の噂が世界に広まった1980年代には公開国が広がり、日本では10年以上経った1986年に公開された。また作品として再評価されるようになった1990年代以降にも度々再上映が行われており、近年では2009年にフランスで再上映されている[5]

1981年には、ガリポリの戦いを描いた戦争映画誓い』で、若手のメル・ギブソンを主役に抜擢し、オーストラリアアカデミー賞で監督賞を受賞した[6]

ハリウッド進出

1985年公開の『刑事ジョン・ブック 目撃者』でウィアーはハリウッド進出を果たす。主人公の刑事役はインディジョーンズスターウォーズで一躍スター俳優となったハリソン・フォードが演じ、殺人現場の"目撃者"となったことから命を狙われるアーミッシュの少年役にはルーカス・ハースがオーディションで選ばれた。本作でウィアーとフォードはアカデミー賞ゴールデン・グローブ賞にノミネートされ、ハースもヤング・アーティスト賞にノミネートされた。

翌1986年の『モスキート・コースト』で、ウィアーは再びハリソン・フォードを主役にオファーした。また、フォードと親子役を演じた子役のリバー・フェニックスは、本作で映画デビューを果たしヤング・アーティスト賞を受賞した。

1989年、ロビン・ウィリアムズ演じる型破りな教師と生徒たちの交流を描いたヒューマンドラマ『いまを生きる』で、ウィアーは再びアカデミー監督賞、ゴールデン・グローブ監督賞にノミネートされるも受賞は逃している。しかし、英国アカデミー賞やジュピター賞はじめ、世界で多くの監督賞を受賞した[7]

その後『トゥルーマン・ショー』『マスター・アンド・コマンダー』と、ウィアーは計4回アカデミー監督賞にノミネートされているが、2017年現在いまだ受賞には至っていない[6]

私生活

1966年に、衣装デザイナーウエンディ・スタイツ英語版と結婚した[8]。その後1972年に長女イングリッド、1976年に次女ジュリアンが生まれ、娘が2人いる[2]

妻ウェンディは、ウィアー監督の映画『誓い』『危険な年』などに衣装デザイナーとして参加している[9]。『マスター・アンド・コマンダー』では、2004年のアカデミー賞衣装デザイナー部門にノミネートされ、また同年の英国アカデミー賞衣装デザイナー賞を受賞した[9]

長女イングリッド・ウィアーも母と同じ道を進み、衣装デザイナー、プロダクションデザイナー美術監督)として、おもにオーストラリアの映画、テレビドラマシリーズなどで活動している[10]。また彼女が5歳の時、父の監督作品『ザ・ラスト・ウェーブ英語版』に子役で出演している[10]

フィルモグラフィ

脚注

  1. ^ Peter Weir: The Hollywood Interview - The Hollywood Interview(2017年2月10日閲覧)
  2. ^ a b c d Peter Weir - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)
  3. ^ Picnic at Hanging Rock (1975)Awards - IMDb(2017年2月10日閲覧)
  4. ^ a b [w:Picnic at Hanging Rock|Picnic at Hanging Rock] - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)
  5. ^ Picnic at Hanging Rock (1975)Release Info - IMDb(2017年2月10日閲覧)
  6. ^ a b Peter Weir Awards - IMDb(2017年2月10日閲覧)
  7. ^ Ima wo ikiru (1989)Awards - IMDb(2017年2月10日閲覧)
  8. ^ Wendy Stites - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)
  9. ^ a b Wendy Stites Awards - IMDb(2017年2月10日閲覧)
  10. ^ a b Ingrid Weir - IMDb(2017年2月10日閲覧)

外部リンク