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1944年、[[オーストラリア]]、[[シドニー]]で生まれる。父は不動産業者<ref>[http://thehollywoodinterview.blogspot.jp/2008/03/peter-weir-hollywood-interview.html Peter Weir: The Hollywood Interview] - The Hollywood Interview(2017年2月10日閲覧)</ref>。 |
1944年、[[オーストラリア]]、[[シドニー]]で生まれる。父は不動産業者<ref>[http://thehollywoodinterview.blogspot.jp/2008/03/peter-weir-hollywood-interview.html Peter Weir: The Hollywood Interview] - The Hollywood Interview(2017年2月10日閲覧)</ref>。[[シドニー大学]]で法律と芸術を学んでいたが中退した。 |
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=== オーストラリア時代 === |
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その後、コモンウェルス・フィルム・ユニット([[w:Commonwealth Film Unit|CFU]])に移り、幾つかの[[ドキュメンタリー]]番組を制作した<ref name="w:Peter Weir"/>。 |
その後、コモンウェルス・フィルム・ユニット([[w:Commonwealth Film Unit|CFU]])に移り、幾つかの[[ドキュメンタリー]]番組を制作した<ref name="w:Peter Weir"/>。 |
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CFUを去った後、ウィアーは1971年に初の短編映画『''[[w:Homesdale|Homesdale]]''』というホラー・コメディ映画を製作する。その後、1974年には長編映画『{{仮リンク|キラーカーズ/パリを食べた車|en|The Cars That Ate Paris}}』の監督・脚本を行い、メジャーデビューを果たした<ref name="w:Peter Weir"/>。 |
CFUを去った後、ウィアーは1971年に初の短編映画『''[[w:Homesdale|Homesdale]]''』というホラー・コメディ映画を製作する。その後、1974年には長編映画『{{仮リンク|キラーカーズ/パリを食べた車|en|The Cars That Ate Paris}}』の監督・脚本を行い、メジャーデビューを果たした<ref name="w:Peter Weir"/>。 |
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翌1975年公開の『[[ピクニックatハンギング・ロック ]]』は、[[ミステリー映画]]であるにもかかわらず、美しい映像や撮影技術が高く評価され、[[撮影監督]]の[[ラッセル・ボイド]]が[[英国アカデミー賞]]、[[サターン賞]]を受賞し、ウィアーも[[オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞|オーストラリアアカデミー賞]]で監督賞にノミネートされた<ref>[http://www.imdb.com/title/tt0073540/awards?ref_=tt_ql_op_1 Picnic at Hanging Rock (1975)Awards] - [[IMDb]](2017年2月10日閲覧)</ref>。 |
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本作は、ピクニック先の岩山で少女たちが次々と行方不明になるという、実際に起きた事件ではないか?と当時話題を呼んだ[[ジョーン・リンジー]]の同名小説を映画化した作品で、制作費44万ドルに対し500万ドルを売り上げるヒット作となった<ref name="Picnic enwiki">[w:Picnic at Hanging Rock|Picnic at Hanging Rock] - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)</ref>。当時の500万ドルを2016年時点の[[オーストラリアドル|豪ドル]]に換算すると、約2,300万豪ドル(約20億円)に相当する<ref name="Picnic enwiki"/>。また事件の噂が世界に広まった1980年代には公開国が広がり、日本では10年以上経った1986年に公開された。また作品として再評価されるようになった1990年代以降にも度々再上映が行われており、近年では2009年にフランスで再上映されている<ref>[http://www.imdb.com/title/tt0073540/releaseinfo?ref_=tt_ql_dt_2 Picnic at Hanging Rock (1975)Release Info] - [[IMDb]](2017年2月10日閲覧)</ref>。 |
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1981年には、[[ガリポリの戦い]]を描いた[[戦争映画]]『[[誓い (映画)|誓い]]』で、若手の[[メル・ギブソン]]を主役に抜擢し、[[オーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞|オーストラリアアカデミー賞]]で監督賞を受賞した<ref name="IMDb Award">[http://www.imdb.com/name/nm0001837/awards?ref_=nm_ql_2 Peter Weir Awards] - [[IMDb]](2017年2月10日閲覧)</ref>。 |
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=== ハリウッド進出 === |
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1985年公開の『[[刑事ジョン・ブック 目撃者]]』でウィアーは[[ハリウッド]]進出を果たす。主人公の刑事役は[[インディジョーンズ]]や[[スターウォーズ]]で一躍スター俳優となった[[ハリソン・フォード]]が演じ、殺人現場の"目撃者"となったことから命を狙われるアーミッシュの少年役には[[ルーカス・ハース]]がオーディションで選ばれた。本作でウィアーとフォードは[[アカデミー賞]]、[[ゴールデン・グローブ賞]]にノミネートされ、ハースも[[ヤング・アーティスト賞]]にノミネートされた。 |
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翌1986年の『[[モスキート・コースト]]』で、ウィアーは再びハリソン・フォードを主役にオファーした。また、フォードと親子役を演じた子役の[[リバー・フェニックス]]は、本作で映画デビューを果たしヤング・アーティスト賞を受賞した。 |
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1989年、[[ロビン・ウィリアムズ]]演じる型破りな教師と生徒たちの交流を描いたヒューマンドラマ『[[いまを生きる]]』で、ウィアーは再び[[アカデミー監督賞]]、ゴールデン・グローブ監督賞にノミネートされるも受賞は逃している。しかし、英国アカデミー賞や[[ジュピター賞]]はじめ、世界で多くの監督賞を受賞した<ref>[http://www.imdb.com/title/tt0097165/awards?ref_=tt_ql_op_1 Ima wo ikiru (1989)Awards] - [[IMDb]](2017年2月10日閲覧)</ref>。 |
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その後『[[トゥルーマン・ショー]]』『[[マスター・アンド・コマンダー]]』と、ウィアーは計4回[[アカデミー監督賞]]にノミネートされているが、2017年現在いまだ受賞には至っていない<ref name="IMDb Award"/>。 |
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== 私生活 == |
== 私生活 == |
2017年2月9日 (木) 22:32時点における版
ピーター・ウィアー Peter Weir | |||||||||||||
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本名 | Peter Lindsay Weir | ||||||||||||
生年月日 | 1944年8月21日(80歳) | ||||||||||||
出生地 | シドニー | ||||||||||||
国籍 | オーストラリア | ||||||||||||
職業 | 映画監督、脚本家 | ||||||||||||
配偶者 | ウエンディ・スタイツ (1966-) | ||||||||||||
著名な家族 | イングリッド・ウィアー | ||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||
『いまを生きる』 『グリーン・カード』 『トゥルーマン・ショー』 『マスター・アンド・コマンダー』 | |||||||||||||
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ピーター・リンゼイ・ウィアー(Peter Lindsay Weir、1944年8月21日 - )は、オーストラリア・シドニー出身の映画監督、脚本家。
略歴
1944年、オーストラリア、シドニーで生まれる。父は不動産業者[1]。シドニー大学で法律と芸術を学んでいたが中退した。
オーストラリア時代
1960年代半ばからシドニーのテレビ局ATN-7で働き、コメディ番組のアシスタントを務める[2]。 その後、コモンウェルス・フィルム・ユニット(CFU)に移り、幾つかのドキュメンタリー番組を制作した[2]。
CFUを去った後、ウィアーは1971年に初の短編映画『Homesdale』というホラー・コメディ映画を製作する。その後、1974年には長編映画『キラーカーズ/パリを食べた車』の監督・脚本を行い、メジャーデビューを果たした[2]。
翌1975年公開の『ピクニックatハンギング・ロック 』は、ミステリー映画であるにもかかわらず、美しい映像や撮影技術が高く評価され、撮影監督のラッセル・ボイドが英国アカデミー賞、サターン賞を受賞し、ウィアーもオーストラリアアカデミー賞で監督賞にノミネートされた[3]。 本作は、ピクニック先の岩山で少女たちが次々と行方不明になるという、実際に起きた事件ではないか?と当時話題を呼んだジョーン・リンジーの同名小説を映画化した作品で、制作費44万ドルに対し500万ドルを売り上げるヒット作となった[4]。当時の500万ドルを2016年時点の豪ドルに換算すると、約2,300万豪ドル(約20億円)に相当する[4]。また事件の噂が世界に広まった1980年代には公開国が広がり、日本では10年以上経った1986年に公開された。また作品として再評価されるようになった1990年代以降にも度々再上映が行われており、近年では2009年にフランスで再上映されている[5]。
1981年には、ガリポリの戦いを描いた戦争映画『誓い』で、若手のメル・ギブソンを主役に抜擢し、オーストラリアアカデミー賞で監督賞を受賞した[6]。
ハリウッド進出
1985年公開の『刑事ジョン・ブック 目撃者』でウィアーはハリウッド進出を果たす。主人公の刑事役はインディジョーンズやスターウォーズで一躍スター俳優となったハリソン・フォードが演じ、殺人現場の"目撃者"となったことから命を狙われるアーミッシュの少年役にはルーカス・ハースがオーディションで選ばれた。本作でウィアーとフォードはアカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞にノミネートされ、ハースもヤング・アーティスト賞にノミネートされた。
翌1986年の『モスキート・コースト』で、ウィアーは再びハリソン・フォードを主役にオファーした。また、フォードと親子役を演じた子役のリバー・フェニックスは、本作で映画デビューを果たしヤング・アーティスト賞を受賞した。
1989年、ロビン・ウィリアムズ演じる型破りな教師と生徒たちの交流を描いたヒューマンドラマ『いまを生きる』で、ウィアーは再びアカデミー監督賞、ゴールデン・グローブ監督賞にノミネートされるも受賞は逃している。しかし、英国アカデミー賞やジュピター賞はじめ、世界で多くの監督賞を受賞した[7]。
その後『トゥルーマン・ショー』『マスター・アンド・コマンダー』と、ウィアーは計4回アカデミー監督賞にノミネートされているが、2017年現在いまだ受賞には至っていない[6]。
私生活
1966年に、衣装デザイナーのウエンディ・スタイツと結婚した[8]。その後1972年に長女イングリッド、1976年に次女ジュリアンが生まれ、娘が2人いる[2]。
妻ウェンディは、ウィアー監督の映画『誓い』『危険な年』などに衣装デザイナーとして参加している[9]。『マスター・アンド・コマンダー』では、2004年のアカデミー賞衣装デザイナー部門にノミネートされ、また同年の英国アカデミー賞衣装デザイナー賞を受賞した[9]。
長女イングリッド・ウィアーも母と同じ道を進み、衣装デザイナー、プロダクションデザイナー(美術監督)として、おもにオーストラリアの映画、テレビドラマシリーズなどで活動している[10]。また彼女が5歳の時、父の監督作品『ザ・ラスト・ウェーブ』に子役で出演している[10]。
フィルモグラフィ
- Man on a Green Bike (1969)
- Homesdale (1971)
- キラーカーズ/パリを食べた車 The Cars That Ate Paris (1974)
- ピクニックatハンギング・ロック Picnic at Hanging Rock (1975)
- ザ・ラスト・ウェーブThe Last Wave (1977)
- ザ・プラマー/恐怖の訪問者 The Plumber (1979)
- 誓い Gallipoli (1981)
- 危険な年 The Year of Living Dangerously (1982)
- 刑事ジョン・ブック 目撃者 Witness (1985) アカデミー監督賞 ノミネート
- モスキート・コースト The Mosquito Coast (1986)
- いまを生きる Dead Poets Society (1989) アカデミー監督賞 ノミネート
- グリーン・カード Green Card (1990)
- フィアレス Fearless (1993)
- トゥルーマン・ショー The Truman Show (1998) アカデミー監督賞 ノミネート
- マスター・アンド・コマンダー Master and Commander: The Far Side of the World (2003) アカデミー監督賞 ノミネート
- ウェイバック -脱出6500km- The Way Back (2010)
脚注
- ^ Peter Weir: The Hollywood Interview - The Hollywood Interview(2017年2月10日閲覧)
- ^ a b c d Peter Weir - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)
- ^ Picnic at Hanging Rock (1975)Awards - IMDb(2017年2月10日閲覧)
- ^ a b [w:Picnic at Hanging Rock|Picnic at Hanging Rock] - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)
- ^ Picnic at Hanging Rock (1975)Release Info - IMDb(2017年2月10日閲覧)
- ^ a b Peter Weir Awards - IMDb(2017年2月10日閲覧)
- ^ Ima wo ikiru (1989)Awards - IMDb(2017年2月10日閲覧)
- ^ Wendy Stites - ウィキペディア英語版(2017年2月10日閲覧)
- ^ a b Wendy Stites Awards - IMDb(2017年2月10日閲覧)
- ^ a b Ingrid Weir - IMDb(2017年2月10日閲覧)