「常磐緩行線」の版間の差分
Crusader jp (会話 | 投稿記録) m →運用 |
m -{{記事統合}}(3ヶ月経過のため) |
||
1行目: | 1行目: | ||
{{一部転記|常磐線|常磐線}} |
|||
{{記事統合|常磐快速線|常磐緩行線}} |
|||
'''常磐緩行線'''(じょうばんかんこうせん)とは、[[常磐線]][[綾瀬駅]]([[北千住駅]])~[[取手駅]]間の[[複々線]]区間のうち、[[各駅停車]]が走行する路線を指す(運転系統としては「常磐線各駅停車」という)。綾瀬駅より[[東京地下鉄千代田線]]と[[直通運転|相互直通運転]]を行っており、更に一部は千代田線を介して、[[小田急小田原線|小田急電鉄小田原線]]・[[小田急多摩線|多摩線]]まで直通する電車がある。 |
'''常磐緩行線'''(じょうばんかんこうせん)とは、[[常磐線]][[綾瀬駅]]([[北千住駅]])~[[取手駅]]間の[[複々線]]区間のうち、[[各駅停車]]が走行する路線を指す(運転系統としては「常磐線各駅停車」という)。綾瀬駅より[[東京地下鉄千代田線]]と[[直通運転|相互直通運転]]を行っており、更に一部は千代田線を介して、[[小田急小田原線|小田急電鉄小田原線]]・[[小田急多摩線|多摩線]]まで直通する電車がある。 |
||
2006年7月1日 (土) 23:39時点における版
常磐緩行線(じょうばんかんこうせん)とは、常磐線綾瀬駅(北千住駅)~取手駅間の複々線区間のうち、各駅停車が走行する路線を指す(運転系統としては「常磐線各駅停車」という)。綾瀬駅より東京地下鉄千代田線と相互直通運転を行っており、更に一部は千代田線を介して、小田急電鉄小田原線・多摩線まで直通する電車がある。
運用
早朝・朝夕・深夜の一部列車を除き、ほぼ全ての列車が東京地下鉄に、さらに一部の列車は小田急小田原線経由で小田急多摩線唐木田駅へ直通する(相模大野駅・本厚木駅方面への準急は現在は東京地下鉄綾瀬駅発着の運用のみで、JR線内発着の設定されていない)。また、例外的ではあるが早朝・深夜の北千住駅発着の電車も運行されている(一応直通電車だが、後述の通り実質的にJR線内のみの運用である)。実態として、千代田線とほぼ一体化した運転系統をなしているといえる。また、我孫子駅~取手駅間は朝・夕の一部時間帯のみ運行されている。この時間帯には、松戸駅・柏駅発着の電車もある。これ以外は、殆どが我孫子~代々木上原駅一部唐木田駅の区間で運転されている。ちなみに運転時間帯が限定される我孫子~取手間は、営業運転のない時間に試運転や訓練などに使われることがある。また、2002年1月には、快速線E231系の一般公開が、取手駅の緩行線ホームで行われたこともあった。
信号システムはATCで、東京地下鉄千代田線と同一のシステムを用いている。なおJR東日本保有車両は、小田急小田原線・多摩線と直通運転が出来ない。これはJR車は小田急のATSと列車無線、小田急車はJRの列車無線に対応していないためである。この関係で小田急保有車両も綾瀬以遠JR線と直通運転が出来ないため、3線にまたがっての直通運転が出来るのは東京地下鉄保有車両のみである。また、小田急線まで乗り入れる電車も、JR線内では各駅停車の扱いとなる(表示は綾瀬駅で多摩急行に変更されるが、千代田線内代々木上原まで各駅停車)。
その他の特徴としては、東京都区内を走る系統では唯一山手線に連絡しておらず、都心に行くには常磐快速線や東京メトロ線を経由するなどしなければならない(このため亀有以北から東京メトロ線の北千住〜西日暮里を経由しJR線に乗り継ぐ場合に通過連絡運輸の特例が設定されている(後述))点、小田急のダイヤが絡む都合上JRの定期改正時以外にダイヤの変更が行われることがままある(ただし運用や行先の変更が主で、線内での時刻変更は基本的にない)点などが挙げられる。
2006年5月15日より取手~代々木上原間、朝の通勤時間帯に上り列車1号車(先頭車両代々木上原方面)に女性専用車両を設定した。
複々線化の沿革と問題
常磐線は、複々線化以前は上野駅~取手駅間の各駅に停車する国電(近距離電車)と主要駅のみ停車の中距離列車や急行・特急などが同じ線路を並走していた。
しかし、高度成長期を迎えると共に沿線のベッドタウン化が進んで人口が急増し、常磐線の混雑率も非常に高くなったので、いわゆる「通勤五方面作戦」の一環として複々線化を行うことになったが、上野駅~北千住駅間の複々線化が厳しかったので北千住駅から我孫子駅までを複々線化し、複々線のうちの緩行線を地下鉄千代田線と直通運転させることで複々線化事業を解決しようとした。さらに当時、北千住駅~綾瀬駅間は日本国有鉄道(国鉄・現:JR東日本)の路線であったが、複々線化・千代田線との乗り入れに際して建設区間を抑えたい国鉄と、車庫用地(現在の北綾瀬駅の先にある)を確保したい帝都高速度交通営団(営団。現東京地下鉄)の思惑が一致し、北千住駅~綾瀬駅間の緩行線を営団の路線の扱いにして、複々線化と千代田線との直通運転が同時に行われることとなった。ただし、運賃計算上は北千住駅~綾瀬駅間は従来どおり国鉄運賃として計算される特例が設けられた。なお、この工事完成時は綾瀬駅は国鉄・営団の共同管理駅であったが、北綾瀬駅開業に際して営団へ管理を移管している。
また複々線化に際し、従来の常磐線国電(近距離電車)を「各駅停車」と「快速電車」の2種に分け、各駅停車を緩行線に、快速電車を従来どおり日暮里・上野方面へと向かう快速線に振り分けることとし(複々線化区間から外れた中電通過駅の三河島駅・南千住駅・天王台駅には快速電車のみが停車していた)、複々線区間の両端の北千住駅・我孫子駅と車両基地のある松戸駅にのみ快速ホームが設けられることになった。これによって快速停車駅以外の従来の利用客は乗り換えなしで日暮里駅や上野駅まで行けなくなるため、不便を解消するために旧営団・旧国鉄の双方に乗換駅として西日暮里駅を新設するとともに、同駅を経由する通過連絡運輸の特例が設けられることとなった。しかし、常磐線経由で行くには途中の松戸駅または北千住駅での乗換の際に階段を使用してのホームの移動を伴う(特に北千住駅では、地下の営団線のホームから地上の国鉄線のホームまで移動しなければならなくなった)し、西日暮里駅で乗り継ぐにも北千住駅~西日暮里駅間の営団線運賃を払う必要があるなど、多くの弊害が付き纏った。
1971年4月20日に複々線化と緩行線の千代田線乗り入れが実施されたのであるが、国鉄は当初、快速通過駅利用客の多くが北千住駅や松戸駅の乗換えを嫌って地下鉄経由へ移行すると考え、常磐快速線の列車本数を少なめに設定していた。しかしその予想は大幅に外れてしまった。地下鉄経由では都心へ向かうとなると運賃が高くなることが嫌われた(当時は国鉄の運賃の方が安かった)ために、利用者の多くは松戸駅や北千住駅での乗換を選んだことで快速電車は殺人的な混雑となってしまったのである。更に、当初は当時から乗客数の多かった柏駅に快速が停車しなかった(快速停車駅となったのは翌1972年から)ため、松戸駅の混雑は殺人的なものとなった。そのため乗り継ぎが不便、激しい混雑、地下鉄経由の運賃の高さ、など従来より不便な点が多く良いことがないということから、この直通運転・複々線化は「迷惑乗り入れ」とまで揶揄される事態となってしまった。これに対し国鉄は、混雑対策として103系電車の投入によって引退するはずであった旧型の72系電車を再使用して臨時の快速電車を設定し輸送力を増強、当面の間をしのぐ事にした。しかし応急策で満足しているうちに、今度は藤代駅~土浦駅間の交流電化区間までがベッドタウン化し、手の打ち様さえない状態に追い込まれてしまった。そこで、72系快速を撤退させて403系電車、後に415系電車を大増備し、その分を中距離電車の増発に充て、これに快速電車運転区間の輸送力も乗せることで解決しようとした。だが、もはやあらゆる意味で手遅れであり、最終的に中距離電車の15両化、近郊形電車としては空前となるオールロングシート車415系500・1500番台の投入、快速電車の15両化と泥縄が続く。
更に計画の安直さ・官僚的性格が浮き彫りになる事態が発生した。営団の労働組合がストライキに突入したのである。これにより綾瀬駅~北千住駅間は営団の路線であったことから電車の運行ができなくなり、やむを得ず綾瀬駅と、そこから松戸駅の間にある綾瀬駅・亀有駅・金町駅の3駅の乗客は松戸駅まで一旦戻って上野方面へ向かうようにできる特例を設けて対処した(この特例は、その後も綾瀬駅~北千住駅間が運転見合わせになった時に使用されている)が、前述のように松戸駅自体が元々混雑していたため、同駅はパニック状態に陥り、長蛇の列が駅の外にまでできる有様となった。このような事態に対して再び「迷惑乗り入れ」だと叫ばれたのである。
ただし、これは逆に営団側から見ての「迷惑乗り入れ」でもあった。千代田線は初期に営団5000系が使用された以外には電機子チョッパ制御の営団6000系を採用し、トンネル内の発熱を抑えると同時に、その秀逸で先鋭的なデザインを売りにしていた。しかし国鉄は車両新製費抑制の為、東西線直通の際は301系を新設計したのに対し、既存路線において大量増備が行われていた103系の仕様を一部変えた1000番台を投入した。抵抗制御の国鉄車は、台車はオールコイルバネで騒音は大きい上に乗り心地は悪く、しかも発電ブレーキのため大量の発熱をトンネル駅内に吹き上げたうえ、千代田線には単線トンネルが多く、空気の流動が少ないためトンネル内で抵抗器の冷却が充分にできないことから電車の床に抵抗器から発生した熱がつたわり、車内は異常なまでの暑さになった(その結果103系に「鉄板焼き電車」の異名が付いたのは有名な話である。この事態は既に301系や103系が乗り入れていた東西線では複線トンネルが多くまた地上区間もあり、さらに営団車も抵抗制御車であったためにさほど問題にならなかった)。利用者は「国鉄車が来たら見送り」をするものまでいたほどである。これにより、発熱を抑えようとする営団の努力は水泡に帰してしまう事になった。また電気消費量も格段に違うため、相互乗り入れに関する車両貸与料の相殺に関しては、営団は電気代の分を加算した距離で計算していた。1978年の千代田線代々木上原全通時に、反対側から乗り入れてくる小田急は界磁チョッパ制御の9000形を投入したことから、この国鉄車の問題はさらに顕著になったといわれる。問題が解決したのは、1982年以降に国鉄が電機子チョッパ制御の203系を投入した時であった。
更に1970年代後半以降は、順法闘争や車両の整備状態の悪さから常磐線の遅延も常態化し、国鉄の度重なる運賃値上げで営団との料金は逆転し、今度は北千住駅で快速線から地下鉄へと乗り換える乗客が増加したという。これの巻き添えとなったのが、常磐線の乗客が日比谷線に流れ込んできて、自社のホームから転落者が続出するほどの混雑を捌かなければならなくなった東武鉄道だった。
また、1982年に我孫子駅~取手駅間の複々線化が完成した際には、当初は途中の天王台駅を快速通過駅に変更する予定であった(天王台駅は1971年の第1期複々線化開業と同時に開業した)が、地元の反対が強かったことや、最寄のNEC我孫子事業場への大量の通勤客が存在することから、快速停車駅として残る事になった。しかしそうなれば複々線化の意味は薄れてしまう。そのため同区間の活用手段として朝夕の混雑時間帯のみ緩行線電車を運行する事にした。この快速停車駅の合理化に失敗した結果が、過去の普通列車と似た停車パターンの特別快速が今日になって設定されることに繋がったとも言えよう。
以上のように常磐線関係の輸送改善計画は失敗する事が多かったので、方角から「常磐線は国鉄の鬼門」とまで揶揄されることがあった。
常磐線の運転系統が複雑となっている原因として、最も大きいのが柿岡地磁気観測所の存在である(これの為に取手駅以北の直流電化は不可能であり、そのため中電・通勤電車の車両統合が出来ない)のだが、JR化後も、根本的な解決の方針は出されていない。
運行頻度・状況
運転間隔
- 上りは平日朝は約3分間隔、土休日は約6分間隔、日中は平日・土休日とも約12分間隔、夕方は平日は約5分間隔、土休日は約7分間隔、夜は平日が約6~8分間隔、土休日が10~20分間隔で運行されている。
- 下りは平日朝は約5分間隔、土休日は約6分間隔、日中は平日・土休日とも約12分間隔、夕方は平日は約4分間隔、土休日は約6分間隔、夜は平日が6~8分間隔、土休日が10~15分間隔で運行されている。
- ただし、区間列車の影響などにより、それを含まない区間での間隔は多少前後がある。特に、我孫子~柏間は朝や夕方の時間帯でも昼間以上に間隔が空くことがある。特に本数の少ない昼間や土・休日の夜間に関しては、快速線との接続も劣悪であるため、改善が求められるところである(これらの時間帯の1時間あたりの運転本数は快速よりも少ない)。
他線との接続
対快速線
線路別複々線であり、ダイヤも独立していることから、接続についてはお世辞にもよいとはいえない。もっとも、これは当線に限らず、関東の殆どの同様の形態の路線にも言えることであるのだが、常磐線の場合は運転本数がさほど多くないところにその状況にあることから、一方が到着したと同時にもう一方が発車という状況になった時に待ち時間が長くなることから際立っている。また、乗り換えの案内の不徹底ぶりも目立つ。
ちなみに、2006年3月18日のダイヤ改正では松戸での各駅停車と快速線特別快速との接続を図るダイヤに変更されている。具体的には下りは特別快速→各駅停車、上りは各駅停車→特別快速の乗り換えが可能になる。ただし、従前のダイヤで可能だった逆の乗り継ぎ(上り特別快速→各駅停車、下り各駅停車→特別快速の乗り換え)が出来なくなり、一長一短の変更となった。また、改正前は土休日に取手駅15時41分着の各駅停車から43分発特別快速土浦行きに乗り継げたが、改正後は各駅停車着42分・特別快速41分発となるため、乗り継げなくなった。
対武蔵野線
新松戸駅で接続する武蔵野線についても、その接続の悪さが指摘され続けてきた。昼間は千代田線直通各駅停車・武蔵野線とも12分間隔での運転ではあるが、一方の到着とほぼ同時にもう一方が発車するというダイヤのために接続が特に劣悪だった。しかし、2006年3月18日の改正でこの点も若干の改善を見た。具体的には常磐線側を上りを1分ずつ早く、下りを1分ずつ遅く(それぞれ12分間隔運転の時間帯のみ、全区間で同様の措置が取られた)して乗り継げるようになっている(ただし、これでも乗り換えによっては最大10分を要すものがあり、根本的な解決には程遠い)。尚、今回のダイヤ改正は実質日中のみであるため、それ以外の時間帯(特に平日夕方16時~17時台)の接続は相変わらず非常に悪いままである。
所要時間
取手~柏間が約12分(快速と殆ど変わらない)、柏~松戸間が約14分、松戸~北千住間が約12分(松戸~綾瀬間は約9分)であり、柏~松戸で約5分、松戸~北千住間で約4分快速より時間を要する(ただし、時間調整などによる停車は除外)。
最終電車
千代田線からの直通終電は北千住発0時37分発の我孫子行き(北千住駅発我孫子行の最終は0時45分の快速である)だが、その後に北千住始発で1時4分発の松戸行きがある。これは快速の終電が上野駅0時51分発の松戸行きと遅いことから、緩行と格差を作らないため、快速から乗り継げるように設定されているもので、国鉄時代から運転されている。比較的終電の早い東京メトロにあってこれは異例である。逆に上り終電(北千住行)は、東京都区内のJR線としてはやや早めである(北千住0時30分着)。
駅
(北千住駅 - ) 綾瀬駅 - 亀有駅 - 金町駅 - 松戸駅 - 北松戸駅 - 馬橋駅 - 新松戸駅 - 北小金駅 - 南柏駅 - 柏駅 - 北柏駅 - 我孫子駅 - 天王台駅 - 取手駅
太字の駅は常磐快速線との連絡駅(なお、始発・終着の設定があるのは太字の駅と綾瀬駅)。天王台駅での乗り換えも可能ではあるが案内はされない。また、柏駅の下りに関しても案内されない場合が多い。
接続路線等の詳細はこちらを参照のこと。
車両
自社車両
すべて松戸車両センターに所属。
乗り入れ車両
運賃計算の特例
北千住~綾瀬間の特例
通過連絡運輸の特例
亀有駅~取手駅までの区間などから、「千代田線の北千住→西日暮里の区間」を経由して、山手線内の駅などまでの区間の運賃は、通過連絡運輸の特例が適用される。
- 例:金町駅→(千代田線直通)→西日暮里駅→(山手線)→池袋駅
- この場合だと、
- JRの「金町→北千住の営業キロ数」(6.6km)
- JRの「西日暮里→池袋駅の営業キロ数」(6.0km)
- を合算した営業キロ数(12.6km)で求めたJRの運賃 =210円
- 東京地下鉄の「北千住→西日暮里」の運賃 =160円
- を合算して370円ということになる。
呼称について
通称
常磐線各駅停車は地下鉄千代田線と直通運転していて、またかつては常磐線の電車特定区間内において「普通列車」と「各駅停車」が並立していたために、各駅停車は地下鉄区間とあわせて国鉄/JR線区間も俗に「千代田線」と呼ばれる場合がある。JR東日本は、柏駅等で表記している。(ちなみに、ジェイアール東日本企画制作の一般配布用の時刻表では、取手駅の緩行線の部分の路線名が、2005年3月改正時まで「千代田線」になっていた/現在は「常磐線各駅停車千代田線直通」になっている)。なお、2004年10月16日のダイヤ改正より、中距離の普通列車は上野・取手間に限り「快速」と案内することとなった。
これは主に地元の不動産業者が、田舎的でイメージの悪かった「常磐線」という名称よりも、大手町、日比谷、霞ヶ関といった都心直結をアピールできる都会的な「千代田線」というのをかつては好んで使ったことによる。また、上野方面へ向かう列車、および上野方面から到着する列車が存在しないという現実を不動産業者が利用したことにもよる。そのため、「千代田線馬橋駅徒歩3分」「地下鉄千代田線南柏駅徒歩6分」などの他、「JR千代田線金町駅からバスで13分」などといった“作文”が見られた(これならまだしも、中には「営団地下鉄/東京メトロ千代田線」亀有駅などと、社名すらも無視している例まである)。一方でJR発足後、常磐線は特急が初めて130km/h運転を開始した路線の一つであり、これと関連して普通列車の速度も速く、更にJR東日本の普通列車で初めて130km/h運転を開始した路線でもある。これらから「常磐線は早くて停車駅が少ない(実際には北千住以北に限る)、千代田線は遅くて停車駅が多い」という、千代田線を良いイメージとした上記と180度異なる考え方も生まれている。
一方で常磐緩行線はいわゆる「常磐線(ならびに常磐快速線)」とはダイヤ上は別系統での運転であり、複数の系統が同一路線を名乗るのは合理的ではなく、更に常磐の名前の由来である「常陸国」と「磐城国」に行かない(取手は茨城県だが、旧下総国である)ので、緩行線が常磐線を名乗るのは実態に即していないという考えもあり、少なくとも緩行線は旅客営業上では常磐線以外の名前を名乗るべきであるという指摘がよく出される。その1つが「JR千代田線」と言う呼称である(比較上挙げられる例として、西武鉄道に「東京地下鉄有楽町線」に直通するという理由で名づけられた「西武有楽町線」がある)。ちなみに他の路線では東北本線上野~黒磯間の愛称を宇都宮線として正式に採用した例があるが、その反面東北地方に至らないにも関わらず京浜東北線という名称がそのまま使われている。
ただし常磐緩行線は千代田線直通のために造られた路線でもなければ路線の事情も異なる(東海道本線・東北本線は系統分離の複々線であるのに対し、常磐線は緩急分離複々線である。また、常磐緩行線は常磐線・常磐快速線に対する緩行線だが、京浜東北線は宇都宮線・高崎線・東海道線・横須賀線に対する緩行線と言う扱いではない)ので、安易な比較論は適当ではないだろう。また、千代田線と冠するにしても、JR線区間には「千代田」は全く通らないので、「常磐」の示す旧国名に至らないからJR千代田線にすべきと言う論はそもそも矛盾している。実際に「千代田線」という言い方は沿線自治体の広報誌などにも使われているほどであり、利用者が最大の目安とする「車両」の大部分が千代田線に入る上に千代田線の正式区間である代々木上原~常磐線綾瀬で折り返し運転するJR車両が多くあるといった現状から相応に定着しているのもまた事実ではある。が、これを正式な愛称にしようという動きは少なくても自治体レベルでは全く見られない。
余談だが、緩行の定義は一般的に「各駅に停車する列車≒列車速度が遅い列車」であるが、常磐線内では「鈍行」という言葉は常磐快速線を走る普通列車、いわゆる中電、松戸駅・取手駅などの標記では「列車」とも称される取手駅以北まで運行されるものを指す。これと関連して常磐線の藤代以北は普通列車を「各駅停車」と表現するのが一般的であり、地域間のギャップが生じている。
実際の案内・表記
通常は「常磐線各駅停車」と案内されることが多い。国鉄時代を通して、路線名としては「常磐線」と総じてそう案内され(国鉄時代は、松戸駅などでは路線名よりも主に「快速・列車」「各駅停車」と表記しており、一部は現在も残っている)、現在では「常磐線(各駅停車)」の表記が一番多い。また、快速通過駅では単に「常磐線」のみの表記も少なくない。ちなみに、柏駅には快速線を「常磐線」(Joban Line)、緩行線を単に「各駅停車」(千代田線直通)(Local Line)と表記しているサインがある。
車内放送では、快速線を「常磐快速線」と案内することはあっても緩行線を「常磐緩行線」と案内することは殆どなく、「千代田線直通各駅停車」とアナウンスされる(例:「只今、常磐快速線・各駅停車ともに運転を見合わせています」)。ただし、「常磐緩行線」表記の案内は、一部の駅に現在も残っている。