「イヴィツァ・オリッチ」の版間の差分
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[[2007年]][[1月]]、ドイツの[[ハンブルガーSV]]に移籍し、[[1月31日]]の[[エネルギー・コットブス]]戦でデビューした。10月の[[VfBシュトゥットガルト]]戦では、クラブ史上初となる45分間での[[ハットトリック]]を決めた。2008年に行われた[[アーセナルFC]]主催の[[エミレーツ・カップ]]では[[ユヴェントス]]戦でロスタイムに2得点を挙げ、優勝した。 |
[[2007年]][[1月]]、ドイツの[[ハンブルガーSV]]に移籍し、[[1月31日]]の[[エネルギー・コットブス]]戦でデビューした。10月の[[VfBシュトゥットガルト]]戦では、クラブ史上初となる45分間での[[ハットトリック]]を決めた。2008年に行われた[[アーセナルFC]]主催の[[エミレーツ・カップ]]では[[ユヴェントス]]戦でロスタイムに2得点を挙げ、優勝した。 |
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[[2009年]]夏、[[バイエルン・ミュンヘン]]へ移籍した。[[8月8日]]、2009-10シーズン第1節の[[TSG1899ホッフェンハイム]]戦でデビューし、[[ダニエル・プラニッチ]]のクロスに合わせて先制点を決めた。[[2010年]][[3月30日]]の[[UEFAチャンピオンズリーグ]]準々決勝1stレグ、[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]戦では後半ロスタイムに決勝ゴールを挙げ、続く[[4月7日]]の2ndレグでは3-0とリードされた状態から起死回生のゴールを決め(この後[[アリエン・ロッベン]]が決勝点を記録)、バイエルンの準決勝進出に貢献。4月27日の準決勝2ndレグ、[[オリンピック・リヨン|リヨン]]戦ではハットトリックを達成し、チームを決勝へと導いた。最終的にブンデスリーガでは11得点、チャンピオンズリーグでは2位タイの7得点を挙げ、バイエルンの国内2冠とチャンピオンズリーグ準優勝に貢献した。しかし、2010-11シーズンは故障で長期離脱し、2011-12シーズンは[[ユップ・ハインケス]]監督に重用されず出場機会は少なくなった。 |
[[2009年]]夏、[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]へ移籍した。[[8月8日]]、2009-10シーズン第1節の[[TSG1899ホッフェンハイム]]戦でデビューし、[[ダニエル・プラニッチ]]のクロスに合わせて先制点を決めた。[[2010年]][[3月30日]]の[[UEFAチャンピオンズリーグ]]準々決勝1stレグ、[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]戦では後半ロスタイムに決勝ゴールを挙げ、続く[[4月7日]]の2ndレグでは3-0とリードされた状態から起死回生のゴールを決め(この後[[アリエン・ロッベン]]が決勝点を記録)、バイエルンの準決勝進出に貢献。4月27日の準決勝2ndレグ、[[オリンピック・リヨン|リヨン]]戦ではハットトリックを達成し、チームを決勝へと導いた。最終的にブンデスリーガでは11得点、チャンピオンズリーグでは2位タイの7得点を挙げ、バイエルンの国内2冠とチャンピオンズリーグ準優勝に貢献した。しかし、2010-11シーズンは故障で長期離脱し、2011-12シーズンは[[ユップ・ハインケス]]監督に重用されず出場機会は少なくなった。 |
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2012年4月、シーズン後の契約満了に伴い、2012-13シーズンから[[VfLヴォルフスブルク|ヴォルフスブルク]]に移籍が決定。契約は2年間。 |
2012年4月、シーズン後の契約満了に伴い、2012-13シーズンから[[VfLヴォルフスブルク|ヴォルフスブルク]]に移籍が決定。契約は2年間。 |
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: [[ロシア・スーパーカップ]] 2004,2006 |
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: [[UEFAカップ]] 2005 |
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* '''[[バイエルン・ミュンヘン]]''' |
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: [[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]] 2009-10 |
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: [[DFBポカール]] 2010 |
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2017年8月29日 (火) 10:00時点における版
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2014年のオリッチ | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Ivica Olić | |||||
クロアチア語 | Ивица Олић | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
クロアチア ドイツ | |||||
生年月日 | 1979年9月14日(45歳) | |||||
出身地 | ユーゴスラビア ダヴォル | |||||
身長 | 182cm | |||||
体重 | 85kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-1998 | マルソニア | 42 | (17) | |||
1998-2000 | ヘルタ・ベルリンII | 30 | (10) | |||
1998-2000 | ヘルタ・ベルリン | 2 | (0) | |||
2000-2001 | マルソニア | 42 | (21) | |||
2001-2002 | NKザグレブ | 29 | (3) | |||
2002-2003 | ディナモ・ザグレブ | 27 | (16) | |||
2003-2007 | CSKAモスクワ | 78 | (35) | |||
2007-2009 | ハンブルガーSV | 78 | (29) | |||
2009-2012 | バイエルン・ミュンヘン | 55 | (13) | |||
2012-2014 | ヴォルフスブルク | 73 | (27) | |||
2015-2016 | ハンブルガーSV | 25 | (2) | |||
2016-2017 | TSV1860ミュンヘン | 30 | (5) | |||
代表歴2 | ||||||
1996 | クロアチア U-17 | 3 | (0) | |||
1997 | クロアチア U-18 | 1 | (0) | |||
1997-1998 | クロアチア U-19 | 9 | (1) | |||
1998 | クロアチア U-20 | 1 | (0) | |||
2000-2001 | クロアチア U-21 | 6 | (2) | |||
2002-2015 | クロアチア | 104 | (20) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年6月25日現在。 2. 2015年3月28日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
イヴィツァ・オリッチ(Ivica Olić, 1979年9月14日 - )は、クロアチア出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。
経歴
クラブ
クロアチア東部の都市ノヴァ・グラディシュカ近郊の村ダヴォルに生まれ育った。1996年にNKマルソニアに入団して好成績を残した。1998年にドイツのヘルタ・ベルリンに引き抜かれたがプレー機会は少なく、1年でマルソニアに戻った。2000-01シーズンに17得点すると、2001年に移籍したNKザグレブでは21得点をあげ、リーグ優勝に貢献した。2002年にはディナモ・ザグレブに移籍し、16得点を挙げた。
2003年、ロシアリーグのPFC CSKAモスクワに移籍すると徐々に調子を上げ、2005年には10得点した。この年にはUEFAカップを勝ち取った。CSKAモスクワ在籍中に3度のリーグ制覇と2度のスーパーカップ制覇を成し遂げた。
2007年1月、ドイツのハンブルガーSVに移籍し、1月31日のエネルギー・コットブス戦でデビューした。10月のVfBシュトゥットガルト戦では、クラブ史上初となる45分間でのハットトリックを決めた。2008年に行われたアーセナルFC主催のエミレーツ・カップではユヴェントス戦でロスタイムに2得点を挙げ、優勝した。
2009年夏、バイエルン・ミュンヘンへ移籍した。8月8日、2009-10シーズン第1節のTSG1899ホッフェンハイム戦でデビューし、ダニエル・プラニッチのクロスに合わせて先制点を決めた。2010年3月30日のUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝1stレグ、マンチェスター・ユナイテッドFC戦では後半ロスタイムに決勝ゴールを挙げ、続く4月7日の2ndレグでは3-0とリードされた状態から起死回生のゴールを決め(この後アリエン・ロッベンが決勝点を記録)、バイエルンの準決勝進出に貢献。4月27日の準決勝2ndレグ、リヨン戦ではハットトリックを達成し、チームを決勝へと導いた。最終的にブンデスリーガでは11得点、チャンピオンズリーグでは2位タイの7得点を挙げ、バイエルンの国内2冠とチャンピオンズリーグ準優勝に貢献した。しかし、2010-11シーズンは故障で長期離脱し、2011-12シーズンはユップ・ハインケス監督に重用されず出場機会は少なくなった。
2012年4月、シーズン後の契約満了に伴い、2012-13シーズンからヴォルフスブルクに移籍が決定。契約は2年間。
2015年1月、古巣のハンブルガーSVへ移籍。契約期間は2016年シーズン終了までの1年半[1]。
2016年7月、TSV1860ミュンヘンに移籍が決定。契約期間は1年。
2017年6月、現役引退を表明[2]。
代表
2002年の日韓ワールドカップでは2試合に出場し、イタリア戦で同点ゴールを決めた。2004年のUEFA欧州選手権では3試合、2006年のドイツワールドカップでは2試合に出場した。2006年9月、ダリヨ・スルナらとともに深夜までパーティを楽しんだとして、代表メンバーから外されたことがあった。2008年のUEFA欧州選手権予選では、ウェンブリー・スタジアムでのイングランド代表戦で得点し、イングランドの本大会行きを阻んだ。本大会ではグループリーグのドイツ戦で得点した。
南アフリカワールドカップ予選でも8試合で3得点と活躍したが、チームは本大会出場を逃し、オリッチの3大会連続ワールドカップ出場は叶わなかった。さらにEURO2012では、本大会の最終登録メンバーに選出されていたが、負傷のため大会直前でメンバーから外れた[3]
2014年11月16日のUEFA EURO 2016予選、イタリア戦で代表通算100試合出場を達成した。
所属クラブ
- 1996-1998 NKマルソニア
- 1998-2000 ヘルタ・ベルリンII
- 1998-2000 ヘルタ・ベルリン
- 2000-2001 NKマルソニア
- 2001-2002 NKザグレブ
- 2002-2003 NKディナモ・ザグレブ
- 2003-2007.1 PFC CSKAモスクワ
- 2007.1-2009 ハンブルガーSV
- 2009-2012 バイエルン・ミュンヘン
- 2012-2015.1 VfLヴォルフスブルク
- 2015.1-2016 ハンブルガーSV
- 2016-2017 TSV1860ミュンヘン
個人成績
クラブ
クラブ | リーグ | シーズン | リーグ | カップ | リーグカップ | 国際大会 | その他 | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
NKマルソニア | プルヴァHNL | 1996-97 | — | 0 | 0 | — | ||||||||
ドルガHNL | 1997-98 | 0 | 0 | |||||||||||
ヘルタBSC | ブンデスリーガ | 1998-99 | 2 | 0 | 1 | 0 | — | 0 | 0 | — | 3 | 0 | ||
1999-2000 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
NKマルソニア | プルヴァHNL | 1999-2000 | 13 | 4 | — | 0 | 0 | — | ||||||
2000-01 | 29 | 17 | 0 | 0 | ||||||||||
NKザグレブ | 2001-02 | 29 | 21 | 0 | 0 | |||||||||
ディナモ・ザグレブ | 2002-03 | 27 | 16 | 4 | 3 | |||||||||
CSKAモスクワ | プレミアリーグ | 2003 | 10 | 7 | 2 | 1 | — | 0 | 0 | — | 12 | 8 | ||
2004 | 24 | 9 | 3 | 1 | 10 | 0 | 37 | 10 | ||||||
2005 | 20 | 10 | 5 | 1 | 0 | 0 | 25 | 11 | ||||||
2006 | 24 | 9 | 5 | 2 | 6 | 1 | 35 | 12 | ||||||
ハンブルガーSV | ブンデスリーガ | 2006-07 | 15 | 5 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | — | 15 | 5 | ||
2007-08 | 32 | 14 | 4 | 2 | — | 10 | 2 | 46 | 18 | |||||
2008-09 | 31 | 10 | 5 | 6 | — | 14 | 9 | — | 50 | 25 | ||||
バイエルン・ミュンヘン | 2009-10 | 29 | 11 | 2 | 1 | 10 | 7 | — | 41 | 19 | ||||
2010-11 | 6 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | ||||
2011-12 | 20 | 2 | 4 | 0 | 5 | 2 | — | 29 | 4 | |||||
VfLヴォルフスブルク | 2012-13 | 32 | 9 | 4 | 4 | 0 | 0 | — | 36 | 13 | ||||
2013-14 | 32 | 14 | 5 | 1 | — | — | 37 | 15 | ||||||
クロアチア | 140 | 75 | — | 4 | 3 | — | 144 | 78 | ||||||
ドイツ | 199 | 65 | 26 | 14 | 0 | 0 | 31 | 20 | 1 | 0 | 257 | 99 | ||
ロシア | 78 | 35 | 15 | 5 | — | 16 | 1 | — | 109 | 41 | ||||
通算 | 417 | 175 | 41 | 19 | 0 | 0 | 51 | 24 | 1 | 0 | 510 | 218 |
代表
年 | 代表国 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
2002 | クロアチア | 9 | 2 |
2003 | 9 | 2 | |
2004 | 10 | 2 | |
2005 | 4 | 0 | |
2006 | 10 | 0 | |
2007 | 8 | 3 | |
2008 | 12 | 2 | |
2009 | 6 | 2 | |
2010 | 5 | 1 | |
2011 | 3 | 1 | |
2012 | 4 | 0 | |
2013 | 9 | 1 | |
2014 | 11 | 3 | |
2015 | 1 | 1 | |
通算 | 101 | 20 |
代表での得点
# | 開催日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2002年4月17日 | ザグレブ、スタディオン・マクシミール | ボスニア・ヘルツェゴビナ | 1–0 | 2–0 | 親善試合 |
2 | 2002年6月8日 | 鹿嶋市、カシマスタジアム | イタリア | 1–1 | 2–1 | 2002 FIFAワールドカップ |
3 | 2003年4月30日 | ストックホルム、ロースンダ・スタディオン | スウェーデン | 0–1 | 1–2 | 親善試合 |
4 | 2003年10月11日 | ザグレブ、スタディオン・マクシミール | ブルガリア | 1–0 | 1–0 | UEFA EURO 2004予選 |
5 | 2004年5月29日 | リエカ、スタディオン・カントリーダ | スロバキア | 1–0 | 1–0 | 親善試合 |
6 | 2004年6月5日 | コペンハーゲン、パルケン・スタディオン | デンマーク | 0–2 | 1–2 | 親善試合 |
7 | 2007年10月16日 | リエカ、スタディオン・カントリーダ | スロバキア | 1–0 | 3–0 | 親善試合 |
8 | 3–0 | |||||
9 | 2007年11月21日 | ロンドン、ウェンブリー・スタジアム | イングランド | 0–2 | 2–3 | UEFA EURO 2008予選 |
10 | 2008年6月12日 | クラーゲンフルト、ヴェルターゼー・シュターディオン | ドイツ | 2–0 | 2–1 | UEFA EURO 2008 |
11 | 2008年10月15日 | ザグレブ、スタディオン・マクシミール | アンドラ | 2–0 | 4–0 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
12 | 2009年8月12日 | ミンスク、ディナモ・スタジアム | ベラルーシ | 0–1 | 1–3 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
13 | 1–3 | |||||
14 | 2010年9月3日 | リガ、スコント・スタディオン | ラトビア | 0–2 | 0–3 | UEFA EURO 2012予選 |
15 | 2011年11月11日 | イスタンブール、トルコ・テレコム・アリーナ | トルコ | 0–1 | 0–3 | UEFA EURO 2012予選 |
16 | 2013年3月22日 | ザグレブ、スタディオン・マクシミール | セルビア | 2–0 | 2–0 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
17 | 2014年3月5日 | ザンクト・ガレン、AFGアレナ | スイス | 1–1 | 2–2 | 親善試合 |
18 | 2–2 | |||||
19 | 2014年6月18日 | マナウス、アレーナ・アマゾニア | カメルーン | 1–0 | 4–0 | 2014 FIFAワールドカップ |
20 | 2015年3月28日 | ザグレブ、スタディオン・マクシミール | ノルウェー | 3–0 | 5–1 | UEFA EURO 2016予選 |
獲得タイトル
クラブ
- クロアチアリーグ 2001-02
- クロアチアリーグ 2002-03
- ロシアサッカー・プレミアリーグ 2003,2005,2006
- ロシア・スーパーカップ 2004,2006
- UEFAカップ 2005
- ブンデスリーガ 2009-10
- DFBポカール 2010
- DFLスーパーカップ 2010
個人タイトル
- クロアチアリーグ得点王 2001,2002
- クロアチア最優秀選手 2009
脚注
- ^ Olic-Wechsel perfekt: Zu Hause ist es doch am schönstenハンブルガーSV公式HP 2015年1月30日(1月31日閲覧)
- ^ 元クロアチア代表オリッチが現役引退Kicker日本語版 2017年6月25日
- ^ Rupnik, Borna (4 June 2012). “Ivica Olić ipak ostao bez Europskog prvenstva, u Poljsku i Ukrajinu putuje Kalinić” (Croatian). Sportnet.hr 4 June 2012閲覧。
外部リンク
- イヴィツァ・オリッチ – FIFA主催大会成績
- イヴィツァ・オリッチ - National-Football-Teams.com
- Ivica Olić
- Ivica Olić - Soccerbase
- Profile on Soccerphile.com