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2017年8月29日 (火) 11:32時点における版

ジャン=ピエール・パパン
名前
愛称 高性能爆撃機、JPP、ジャンピ
ラテン文字 Jean-Pierre PAPIN
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 (1963-11-05) 1963年11月5日(61歳)
出身地 ブローニュ=シュル=メール
身長 177cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW
ユース
1983-1984 フランスの旗 INFヴィシー
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1984-1985 フランスの旗 ヴァランシエンヌFC 33 (15)
1985-1986 ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ 31 (20)
1986-1992 フランスの旗 オリンピック・マルセイユ 215 (134)
1992-1994 イタリアの旗 ACミラン 40 (18)
1994-1996 ドイツの旗 バイエルン・ミュンヘン 27 (3)
1996-1998 フランスの旗 FCジロンダン・ボルドー 55 (22)
1998-1999 フランスの旗 EAギャンガン 10 (3)
1999-2001 フランスの旗 JSサン=ピエール 27 (13)
通算 438 (228)
代表歴
1986-1995[1] フランスの旗 フランス 54 (30)
監督歴
2004-2006 フランスの旗 FCバサン
2006-2007 フランスの旗 RCストラスブール
2007-2008 フランスの旗 RCランス
2009-2010 フランスの旗 LBシャトールー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジャン=ピエール・パパンJean-Pierre Papin1963年11月5日 - )は、フランスブローニュ=シュル=メール出身の元同国代表サッカー選手サッカー指導者。ポジションはFW(センターフォワード)。

クラブ経歴

地元の2部クラブ・ヴァランシエンヌFCに入団し、1985-86シーズンにクラブ・ブルッヘへ移籍すると、すぐさま活躍を見せてカップ戦優勝に貢献し、自身もリーグの得点王を獲得。

マルセイユ

翌シーズンにはオリンピック・マルセイユへ移籍を果たし、1987-88シーズンから5年連続で得点王に輝くとともに、リーグでは4連覇を達成。1991年にはFIFA選出の最優秀選手に選ばれ、バロンドールを受賞し、マルセイユをチャンピオンズカップ決勝に導くなど、ワールドクラスのストライカーに成長した[2]

ACミラン

様々な移籍の噂が有ったが、1992年からはACミランに移籍、ミラン移籍は子供の頃からの夢だと語った。[3]. ヨーロッパ最優秀選手同士のファンバステンとのツートップは、世界最強になるのではと、あらゆるメディアで取り上げられた。[4](ファンバステンが故障の為、数試合しかツートップは実現せず)[5]、1992/1993シーズンは当初オランダトリオの存在も有り出番は限られたが、1992年のミランホームのラツィオ戦にてセリエA初ゴールを記録。怪我でファンバステンが離脱すると、サンプドリア戦でのダイビングヘッドや、ラツィオホームのラツィオ戦ではキーパーが一歩も動けないロングシュートを決めるなど、限られた出番ではあったが13ゴールを決め、リーグ優勝に貢献した。チャンピオンズカップでも決勝進出に貢献したが、マルセイユに敗れ、優勝は出来なかった。また決勝の相手が前年まで所属のマルセイユであり、パパンにはブーイングが浴びせられた。

翌1993/1994シーズンは序盤こそレギュラーであったが、シーズン途中にデサイーの加入もあり、外国人枠の影響で出場は限られたが、2年連続となるリーグ優勝を経験。セリエAのインテルとのミラノダービーではパヌッチのクロスがDFの背後に流れた所をDF一瞬の隙を突き得点した。カップ戦では、トヨタカップでのサンパウロとの対戦、スーパーカップのパルマとの試合などでも得点を決めるなど活躍。欧州チャンピオンズカップではミランは優勝を成し遂げたが、予選などでは活躍するも、決勝では出番がなかった。

バイエルン

1994-95シーズンからはドイツ・ブンデスリーガバイエルン・ミュンヘンに所属、かつてのマルセイユ時代の監督であるベッケンバウアーのバイエルンでは、ゴールの量産を期待されたが、[6]。度重なる怪我により、活躍は出来なかったが、UEFAカップを獲得した。 1994年12月にはASローマ対世界選抜の試合に出場、三浦知良とツートップを組んだ。

ボルドー

その後、かつてのチームメートであるカントナが、パパンをマンチェスターUへ呼び寄せようとしたり、マルセイユに戻るとの噂も出たが、ボルドーと契約、FCジロンダン・ボルドーでは1996/1997シーズンはかつての輝きを取り戻し、レキップ誌などでは、16ゴールを挙げ代表に戻すべきとの声が高まった[要出典]。1997/1998シーズンはヴィルトールなどの活躍も有り、出場が減ったが、リーグカップでは決勝に導く活躍をした、PSGとのリーグカップ決勝では途中出場で、FKから同点ゴールを挙げた。ワールドカップでの代表入りも噂されたが、母国開催のワールドカップメンバーからは外れた[要出典]

その後

1998年は当時2部のEAギャンガンに在籍、シーズン途中メスへの移籍も噂されたが[7]、シーズン半ばに突然引退を表明。1999年にマルセイユで、マルセイユのかつてのチームメイトであるクリス・ワドルエリック・カントナモーゼルバジール・ボリなどを集めたマルセイユOBチームや、フランス代表,世界選抜と引退試合を行い、プロサッカー選手としての生活に終止符を打った。

その後もアマチュア選手としてプレーを続け、JSサン=ピエール (1999-2001) 、JSキャップ=フェレ (2001-2004) の2チームに所属した。

マルセイユのサポーターが選ぶ20世紀最高のマルセイユのプレーヤーの投票で第1位に輝いた。(2位はチームメートのクリス・ワドル)

2011年にはミラングロリエの一員として来日し、仙台でのチャリティーマッチに出場した。

代表での経歴

1986年2月26日の北アイルランド戦で代表デビューを果たし、同年のメキシコW杯にも出場し、グループリーグ初戦のカナダ戦、3位決定戦のベルギー戦で得点を挙げ、フランスの3位獲得に貢献した。その後はフランスが1990年のイタリアW杯と、1994年のアメリカW杯の出場権を逃がしたこともあり、ワールドカップ出場は1回にとどまった。ユーロ1992では2得点を挙げるなどしたが、パパンの得点に依存するチームとなりグループリーグ敗退。

1994年12月のユーロ1996予選、アゼルヴァイジャン戦で代表最後のゴールを決めたが、その後は怪我が多く、また若手へ切り替えと特定の選手に依存しないと言うジャケ代表監督の考えから、1995年を最後にカントナと共に構想から外れ、代表に呼ばれることはなかった。まだ現役選手であった地元開催の1998年大会では、本大会グループリーグのドロアーも務めた。

指導歴

2004年からはCFA2(フランスリーグ5部に相当)で監督としてのキャリアをスタートし、2006年からリーグ・ドゥ(2部)所属のRCストラスブールの監督を務める。2006-07シーズンに1部昇格を果たした後、ストラスブールを退団した。2007-08シーズン途中からRCランスの監督に就任したが、チームの降格を防ぐことができずシーズン終了後に解任された。

2009年にフランス地域リーグのASファクトゥール・ビガノでアマチュアの選手として短期間だが現役復帰した。同年12月29日、LBシャトールーの監督に就任するが、シーズン終了後に解任された。

プレースタイル

身長は180に満たないがヘディングでのゴールも多かった、パパンのほとんどのゴールは少ないボールタッチ数のでのゴールで、DFの裏に抜け出すプレーも得意で、特にオーバーヘッドやジャンピングボレーは彼の十八番で、ボールへの入り方やジャンプのタイミングも正確で、大抵はボールの芯に当たって強烈なシュートとなった。また特に右45度からのシュートが得意であった[8]。また、FKを蹴る事も度々あり、カーブをかけたシュートや強烈なシュートなどで得点を決めることがあった[9]。マルセイユ時代には、キーパーが退場になり、ゴールキーパーを務めたこともあった[10]。個人で何人もDFをかわしてゴールを決めるタイプの選手ではなく、あくまで人に生かされるタイプの選手であった。

写真集、自伝

  • JPP Mes buts dans la vie  写真集
  • Jean Pierre Papin Jean Ferrara 写真集
  • Papin de Marseille 1992年 写真集
  • Papin Franc jeu 1998年 自伝
  • Papin Un reve de gamin 1999年 絵本
  • Jean Pierre Papin le livre anniversaire plus DVD 2015年 DVD付き写真集

その他数冊の書籍が販売された。

DVD

DVD=50 ANNI DI PALLONE D'ORO=ROSSI/PAPIN =N°9 イタリア版

ビデオ

Jean Pierre Papin Mes Secrets pour marquer

Jean Pierre Papin Mes plus beaux buts

Le Jubile de Papin Om90 - OM99 Juipe de France-Selection Mundiale

ゴールマジックジャン・ピエール・パパン 日本発売版

ストライカーパパン 日本発売版

個人成績

シーズン クラブ リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
フランス リーグ フランスカップ リーグカップ ヨーロッパ 合計
1984-85 ヴァランシエンヌ リーグ2 33 15 2 1 0 0 0 0 35 16
ベルギー リーグ ベルギーカップ リーグカップ ヨーロッパ 合計
1985-86 ブルッヘ プルミエール 31 20 8 7 0 0 4 5 43 32
フランス リーグ フランスカップ リーグカップ ヨーロッパ 合計
1986-87 マルセイユ リーグアン 33 13 7 1 4 2 0 0 44 16
1987-88 37 19 1 0 0 0 8 4 46 23
1988-89 36 22 10 11 0 0 0 0 46 33
1989-90 36 30 4 2 0 0 8 6 48 38
1990-91 36 23 5 7 0 0 9 6 50 36
1991-92 37 27 4 4 0 0 4 7 44 38
イタリア リーグ コパイタリア 無し ヨーロッパ 合計
1992-93 ミラン セリエA 22 13 5 4 0 0 7 3 34 20
1993-94 ミラン セリエA 18 5 2 0 0 0 9 6 29 11
ドイツ リーグ ドイツカップ 無し ヨーロッパ 合計
1994-95 バイエルン ブンデスリーガ 7 1 2 0 0 0 3 2 12 3
1995-96 バイエルン ブンデスリーガ 20 2 2 0 0 0 6 1 28 3
フランス リーグ フランスカップ リーグカップ ヨーロッパ 合計
1996-97 ボルドー リーグアン 32 16 4 1 4 0 0 0 36 17
1997-98 ボルドー リーグアン 23 6 2 3 5 5 2 0 32 14
1998 ギャンガン リーグ2 10 3 0 0 0 0 0 0 10 3
通算成績 411 215 58 41 13 7 60 40 542 303
フランス代表
出場 得点
1986 7 2
1987 5 0
1988 4 1
1989 6 3
1990 5 4
1991 5 7
1992 8 7
1993 7 3
1994 6 3
1995 1 0
Total 54 30

代表でのゴール

出典

  1. ^ “Jean-Pierre Papin - International Matches” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/papin-intl.html 
  2. ^ ゴールマジックジャンピエール・パパン JSV
  3. ^ ACミラン オフィシャルビデオ Sony Records インタビュー
  4. ^ France Football 1992.7.21 P32
  5. ^ ACミラン オフイシャルビデオ Sony Records
  6. ^ France Football 1994年4.19 一面並びにP19
  7. ^ France foot、サッカーマガジン 1998年10月[要ページ番号]
  8. ^ トヨタカップ公式プログラム1993[要ページ番号]
  9. ^ ゴールマジックジャンピエール・パパン JSV
  10. ^ ゴールマジックジャンピエールパパン
  11. ^ Football PLAYER: Jean-Pierre Papin