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ロブ・レンセンブリンク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロブ・レンセンブリンク
1978年のロブ・レンセンブリンク
名前
本名 ピーテル・ロベルト・レンセンブリンク
愛称 ロブ
ラテン文字 Pieter Robert Rensenbrink
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 (1947-07-03) 1947年7月3日[1]
出身地 アムステルダム[1]
没年月日 (2020-01-24) 2020年1月24日(72歳没)
身長 178cm[1]
選手情報
ポジション FW(LWG)、MF(OH, LSH)
利き足 左足
ユース
オランダの旗 DWSアムステルダム
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1965-1969
1969–1971
1971–1980
1980
1981–1982
オランダの旗 DWSアムステルダム
ベルギーの旗 クラブ・ブルッヘ
ベルギーの旗 アンデルレヒト
アメリカ合衆国の旗 ポートランド・ティンバース
フランスの旗 トゥールーズ
120 (34)
55 (24)
262 (143)
18 (6)
12 (1)
代表歴
1968-1979[2] オランダの旗 オランダ 46 (14)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ピーテル・ロベルト・レンセンブリンクPieter Robert Rensenbrink, 1947年7月3日 - 2020年1月24日)は、オランダアムステルダム出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(左ウイング、センターフォワード)、ミッドフィルダー(左サイドハーフ、攻撃的MF)。

アンデルレヒト時代のチームメイトで元オランダ代表の選手であるヤン・ムルダーはレンセンブリンクについて、「クライフと同じくらい良い選手だった。そう思っていないのは彼だけだよ。」と話している[3]

経歴

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主にベルギーのクラブでプレーするなどオランダ国内では無名の存在で(オランダのフットボール界でレンセンブリンクが無名だった訳では無く、「フェイエノールトリヌス・イスラエルに続いて自分もDWSから獲得しようとしていたが、クーン・ムーラインがすでにブレイクしていたこと、DWSの求めた45万グルデンがフェイエノールトには高すぎた」と本人が後年語っている[4])、1974年のFIFAワールドカップ・西ドイツ大会ではオランダ代表に選出されたが、開幕前はピート・カイザーら層の厚いFW陣の中で控え選手であった。しかし1次リーグ第3戦のブルガリア戦以降はレギュラーの座を掴み、2次リーグの東ドイツ戦では1得点を決めた。

1978年のFIFAワールドカップ・アルゼンチン大会では左サイドからプレーすることが多かったヨハン・クライフが参加を辞退した事もあり、より自分の本職のポジションでプレーすることができたレンセンブリンクはエースとしてチームを牽引。1次リーグイラン戦でハットトリックを達成。スコットランド戦で前半34分に決めたゴールはW杯通算1000ゴール目の記念ゴールとなった。2次リーグオーストリア戦でも1ゴールを決め、計5得点の活躍で準優勝に貢献した(得点王は6得点のマリオ・ケンペス)。

またアルゼンチン大会決勝・アルゼンチン戦では、1対1で迎えた後半終了30秒前にルート・クロルのロングパスから上手く抜け出し、キーパーと一対一の場面から放ったシュートがポストに嫌われる場面があった(その後、延長でアルゼンチンが2点を加え1対3で敗退)。古いサッカーファン(特にオランダのファン)の間では「もしあのシュートが決まっていればオランダの優勝と得点王を獲得出来た筈」と話題に上る事がある。しかし、レンセンブリンク自身は、「あのときのシュートが、まったく違う方向に外れていればよかったと思うときがある。そうすればこんなにいつまでも言われ続けることはなかった。あの場面でシュートを決めるのは不可能だったんだよ。」と語り[3]、ポストに当てることが精一杯で、ゴールを狙える場面ではなかったと話している[3]。この大会についてレンセンブリンクは「全ての注目がクライフに集まった1974年大会よりも1978年大会の方がずっと良い気分だった。ただ決勝だけは未だに残念。ライン上に重装備の軍人たちが並び、得点したらどうなるのかと思った」と語っている[4]

タイトル

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1974年

クラブ

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クラブ・ブルッヘ
アンデルレヒト
トゥールーズ

代表

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個人

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b c Robby Rensenbrink
  2. ^ “Rob Rensenbrink - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/rensenbrink-intl.html 
  3. ^ a b c デイヴィッド・ウィナー『オレンジの呪縛』講談社、2008年。 
  4. ^ a b https://www.ad.nl/nederlands-voetbal/die-paal-altijd-weer-die-paal-tot-aan-mijn-dood~a525a9ee/
  5. ^ 1978 FIFA World Cup Argentina – Awards”. FIFA.com. 28 November 2015閲覧。
  6. ^ “World Cup 1978”. Planetworldcup.com. http://www.planetworldcup.com/CUPS/1978/wc78statistics.html 28 November 2015閲覧。 

外部リンク

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