フランク・ファリーナ
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Frank Farina | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オーストラリア | |||||
生年月日 | 1964年9月6日(60歳) | |||||
出身地 | ダーウィン | |||||
身長 | 177cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
代表歴 | ||||||
1982-1983 | オーストラリア U-20 | 8 | (2) | |||
1984 | オーストラリア U-23 | 5 | (1) | |||
1984-1995 | オーストラリア | 37 | (10) | |||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
1995-1998 | ブリスベン・ストライカーズ | |||||
1998-1999 | マルコーニ・スタリオンズ | |||||
1999-2005 | オーストラリア代表 | |||||
2006-2009 | ブリスベン・ロアー | |||||
2011-2013 | パプアニューギニア代表 | |||||
2012-2014 | シドニーFC | |||||
2015 | U-20フィジー代表 | |||||
2015-2016 | U-23フィジー代表 | |||||
2015-2016 | フィジー代表 | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フランク・ファリーナ(Frank Farina、1964年9月6日 - )は、オーストラリア・ダーウィン出身の元同国代表のサッカー選手、現サッカー指導者。
経歴
[編集]選手時代
[編集]ユース時代は、AISで過ごしたファリーナは、キャンベラ・シティFCでプロデビュー。デビューした年から7ゴールと才能を見せると、翌年には代表デビューした。それ以降、毎年コンスタントに得点を決めていくと1987-88、1988-89と2シーズン連続得点王と最優秀選手、1988年には初代オセアニア年間最優秀選手賞に選ばれた。
この活躍に国外クラブの関心を呼び、1988-89シーズンの途中にベルギーリーグのクラブ・ブルッヘへと移籍した。シーズン途中の移籍ながら16試合で6ゴールとまずまずの活躍をする。翌シーズンには24ゴールをあげ得点王となり、チームの優勝に貢献した。しかし、この後に移籍したイタリアとイングランドのトップリーグではノーゴールと苦しみ、フランスのトップリーグで3シーズン過ごしたものの毎シーズン一桁得点に終わった。
1995-96シーズンにオーストラリアへ戻ると20試合で20ゴールをあげ、翌シーズンも二桁得点をするなど活躍。1998-99シーズンに古巣のマルコーニ・スタリオンズFCへと戻り引退した。
監督時代
[編集]最初の監督業は、1995-96シーズンにブリスベン・ストライカーズFCで選手兼任監督としてスタート。翌シーズンも選手兼任監督をしながらNSL初優勝した(グランドファイナルでは自身でゴールを決めた)。
マルコーニ・スタリオンズFCでも選手兼任監督として活動した後に現役を引退。1999年にオーストラリア代表監督に就任すると、翌年、タヒチで開催されたOFCネイションズカップで優勝を果たした。2001年、オセアニア大陸王者として参加したFIFAコンフェデレーションズカップでは、世界王者であり欧州王者のフランス代表、メキシコ代表といった強豪国に勝利しグループリーグを突破。準々決勝では日本代表に1-0と敗れたものの、3位決定戦ではブラジル代表を破った[1]。
2005年もFIFAコンフェデレーションズカップに参加したものの、グループリーグで全敗し敗退した。この結果を受けて監督を辞任し、後任にはフース・ヒディンクが就任した。その後、しばらくの間は新聞のコラムニストとして活動。2006 FIFAワールドカップ・予選の大陸間プレーオフウルグアイ代表戦では、この試合のコメンテーターをラジオ局で務めていた。
2006年11月15日、Aリーグのブリスベン・ロアーFCの監督に就任したが、2009年10月11日に飲酒運転で逮捕されたため解雇された[2][3]。2011年2月11日、パプアニューギニア代表の監督に就任した[4]。 2012年11月28日、パプアニューギニア代表監督と兼任する形で、Aリーグのシーズン途中(8試合終了)からシドニーFCの監督に就任し[5]、2013-14シーズンまでチームを率いた。
2015年1月、ニュージーランドで開催されるFIFA U-20ワールドカップに挑むフィジー代表の監督に就任[6]。6月に行われた本大会では、グループリーグで格上と目されたホンジュラス代表から歴史的な一勝を挙げた。 同年10月には、フィジーのフル代表とリオデジャネイロオリンピックに出場するU-23代表の監督を兼任することが発表された[7]。2016年9月、フィジーサッカー協会より解任を通達された[8]。
所属クラブ
[編集]- キャンベラ・シティFC 1983-1984
- シドニー・シティSC 1985-1986
- マルコーニ・スタリオンズFC 1987-1988
- クラブ・ブルッヘ 1988-1991
- ASバーリ 1991-1992
- → ノッツ・カウンティFC 1992 (loan)
- RCストラスブール 1992-1994
- リール 1994-1995
- ブリスベン・ストライカーズFC 1995-1998 (選手兼任監督)
- マルコーニ・スタリオンズFC 1998-1999 (選手兼任監督)
指導者経歴
[編集]- ブリスベン・ストライカーズFC 1995-1998 (選手兼任監督)
- マルコーニ・スタリオンズFC 1998-1999 (選手兼任監督)
- オーストラリア代表 1999-2005
- ブリスベン・ロアー 2006-2009
- パプアニューギニア代表 2011-2013
- シドニーFC 2012-2014
- U-20フィジー代表 2015
- U-23フィジー代表 2015-2016
- フィジー代表 2015-2016
タイトル
[編集]選手時代
[編集]- シドニー・シティSC
- NSLカップ:1回(1986)
- マルコーニ・フェアフィールド
- NSLチャンピオンシップ:1回(1988)
- クラブ・ブルッヘ
- ベルギー・ファースト・ディビジョンA:1回(1989–1990)
- ベルギーカップ:1回(1990–1991)
- ベルギー・スーパーカップ:2回(1990、1991)
- ブリスベンス・トライカーズFC
- NSLチャンピオンシップ:1回(1996–1997)
- 個人
- NSL得点王:2回(1987、1988)
- NSL最優秀選手:2回(1987、1988)
- オセアニア年間最優秀選手賞:1回(1988)
- ベルギーリーグ得点王:1回(1989-90)
- オーストラリアサッカー殿堂: 2001
監督時代
[編集]- ブリスベンス・トライカーズFC
- NSLチャンピオンシップ:1回(1996–1997)
- オーストラリア代表
- OFCネイションズカップ:2回(2000、2004)
脚注
[編集]- ^ Korea/Japan 2001: French masterclass in the East
- ^ Brisbane Roar's Frank Farina suspended over drink-driving
- ^ Farina fired by Brisbane
- ^ Former Socceroos and Brisbane Roar coach Frank Farina announced as new coach of Papua New Guinea
- ^ Farina appointed to vacant Sydney FC role-FIFA公式HP2012年11月28日
- ^ Farina to coach U20 Fiji Times 2015年1月17日(2016年1月27日閲覧)
- ^ Farina to coach Fiji Fiji Times 2015年10月9日(2016年1月27日閲覧)
- ^ “Farina fired by Fiji after disappearing act”. Special Broadcasting Service. (2016年9月21日) 2017年1月20日閲覧。
外部リンク
[編集]- Frank FARINA FIFA.com
- Farina, Frank National Football Teams
- Hall Of Fame, Frank Farina FFA(オーストラリアサッカー連盟)