コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

アレックス・ブロスケ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アレックス・ブロスケ
シドニーFCでのアレックス・ブロスケ (2009年)
名前
愛称 アレックス
ラテン文字 Alex Brosque
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
ウルグアイの旗 ウルグアイ
生年月日 (1983-10-12) 1983年10月12日(41歳)
出身地 シドニー
身長 183cm
体重 70kg
選手情報
ポジション FW(ST, LWG)
利き足 左足
ユース
2001 オーストラリアの旗 オーストラリア国立スポーツ研究所
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2004 オーストラリアの旗 マルコーニ・スタリオンズ 53 (13)
2004-2005 オランダの旗 フェイエノールト 0 (0)
2004-2005 ベルギーの旗 ウェステルロー (loan) 16 (2)
2005-2006 オーストラリアの旗 クイーンズランド・ロアー 21 (8)
2006-2011 オーストラリアの旗 シドニーFC 104 (28)
2011-2012 日本の旗 清水エスパルス 56 (13)
2012-2014 アラブ首長国連邦の旗 アル・アイン 39 (14)
2014-2019 オーストラリアの旗 シドニーFC 118 (37)
通算 407 (115)
代表歴
2002-2003  オーストラリアU-20 9 (4)
2004  オーストラリアU-23 5 (2)
2004-2013 オーストラリアの旗 オーストラリア 21 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アレックス・ブロスケ(Alex Brosque、1983年10月12日 - )は、オーストラリアシドニー出身の元サッカー選手オーストラリア代表。ポジションはMF。ウルグアイ系オーストラリア人である。

経歴

[編集]

クラブ

[編集]

2001年、18歳でナショナル・サッカー・リーグマルコーニ・スタリオンズFCでプロ・デビュー。同クラブでの3シーズンで50試合に出場し、2003年と2004年には2年連続でリーグの21歳以下MVPに選出された。

04-05シーズン終了後にオランダの強豪フェイエノールトと契約し、直ちにベルギーのクラブKVCウェステルローレンタルされたが、足首の怪我から思うような結果が残せず、16試合に出場したのみに終わった。

クイーンズランド・ロアー

[編集]

Aリーグが新設されると共にオーストラリアに戻り、クイーンズランド・ロアーと契約した。05-06シーズン、チームは僅かの差でファイナルシリーズ進出を逃したが、ブロスケはアーチー・トンプソンらと共に得点王を獲得した。

シドニーFC

[編集]

2006年2月、ブロスケはAリーグの強豪シドニーFCへ移籍した。7月15日に行われたプレシーズンカップで古巣クイーンズランドから得点を挙げたのが移籍後初ゴールとなった。2006-2007シーズンのファイナルシリーズでもクイーンズランドから点を奪い、彼らを優勝争いから脱落させた。しかし、シーズン全体を通じてはクイーンズランド時代のような活躍ができず、あるサッカーサイトの「期待外れイレヴン」に選ばれている[1]

2007年11月にスタジアム・オーストラリアで行われたロサンゼルス・ギャラクシーとの親善試合ではシドニーの全5ゴール中2ゴールを決めた。2007-2008シーズンはこの2ゴールも含め全11ゴールをあげ、チームの得点王となった。ジュニーニョ・パウリスタとの連携が素晴らしく、得点のうち5点はパウリスタからのアシストを決めたものだった。

08-09シーズン、09-10シーズンと2シーズン連続でチーム得点王となり、アシストも多く決めるなど優れた結果を残した。これにより、Jリーグの清水エスパルスが獲得を打診したが、シドニーFCはブロスケと2011年4月に発効する3年契約を結んでいるとして移籍に反対した。ブロスケ側は一定額以上のオファーがあれば移籍を認める現行の契約が優先されるとして仲裁機関に決定を委ねたところ、ブロスケの主張が認められ清水への移籍が決まった。契約期間は2年で合計150万オーストラリアドル(約1億3千万円)、移籍金約3千万円と報道されている。[要出典]

清水エスパルス

[編集]

アフシン・ゴトビ新監督のもと前年の清水と同じ4-1-2-3システムのインサイドハーフでポジションを獲得し、持ち味である2列目からの飛び出しから数多くのシュートチャンスを得ている。また高原直泰が不在のゲームでは3トップのセンターFWを務めることも多い。登録名は『アレックス』である。

アル・アインFC

[編集]

2012年9月、アル・アインFCと契約[2]

シドニーFC

[編集]

2014年6月26日、シドニーFCに復帰した。

2019年4月、現役引退が発表された[3]

代表

[編集]

2003 FIFAワールドユース選手権にU-20オーストラリア代表の一員として参加。チームはベスト16に進んでいる。翌2004年にはOFCネイションズカップフィジー戦でA代表初キャップを飾った。また、同年のアテネオリンピックにも出場しベスト8に入った。

2009年11月9日、怪我により代表を離れたジョシュア・ケネディの代役として3年ぶりにサッカルーに招集された[4]。翌2010年10月9日に行われたパラグアイとの親善試合で試合終了間際に交代出場を果たしている。

2011年1月に開催されたAFCアジアカップに向けての予備登録枠50人に選ばれた。ケネディとアーチー・トンプソンが怪我で辞退していたため、ブロスケの最終メンバー入りが期待されたが、彼自身も怪我をしたことで候補から外れている。

2011年9月2日の2014 FIFAワールドカップ・アジア予選タイ戦で代表初得点となる決勝点を挙げた。

個人成績

[編集]
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
2001-02 マルコーニ・スタリオンズ NSL 17 1 0 0 - 17 1
2002-03 21 9 0 0 - 21 9
2003-04 17 3 0 0 - 17 3
ベルギー リーグ戦 リーグ杯ベルギー杯 期間通算
2004-05 ウェステルロー ジュピラー 16 2 - 0 0 16 2
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
2005-06 クイーンズランド Aリーグ 21 8 4 1 - 25 9
2006-07 シドニー 20 4 2 0 - 22 4
2007-08 22 8 5 1 - 27 9
2008-09 18 5 2 2 - 20 7
2009-10 29 7 0 0 - 29 7
2010-11 15 6 0 0 - 15 6
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011 清水 30 J1 33 7 3 1 2 1 38 9
2012 7 23 6 3 2 0 0 26 8
UAE リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2012-13 アル・アイン 32 UAEリーグ
2013-14
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
2014-15 シドニー Aリーグ 27 9 2 1 - 29 10
2015-16 14 10 4 1 0 0 0 11 4
通算 オーストラリア NSL 55 13 0 0 - 55 13
ベルギー ジュピラー 16 2 - 0 0 16 2
オーストラリア Aリーグ 162 51 16 5 - 178 56
日本 J1 56 13 6 3 2 1 64 17
UAE UAEリーグ 39 14
総通算 328 93 22 8 2 1 352 102
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2007 シドニーFC 6 1
通算 AFC 6 1

代表歴

[編集]

試合数

[編集]
  • 国際Aマッチ 21試合 5得点(2004年-2013年)[5]


オーストラリア代表国際Aマッチ
出場得点
2004 3 0
2005 0 0
2006 1 0
2007 0 0
2008 0 0
2009 0 0
2010 1 0
2011 5 3
2012 9 2
2013 2 0
通算 21 5

タイトル

[編集]

クラブ

[編集]
シドニーFC
  • Aリーグ レギュラーシーズン:1回 (2009-10)
  • Aリーグ ファイナルシーズン:1回 (2009-10)

代表

[編集]
オーストラリア代表

個人

[編集]
  • NSL U-21年間最優秀選手:2回 (2002-03, 2003-04)
  • Aリーグ得点王:1回 (2005-06)

脚注

[編集]

外部リンク

[編集]