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[[ジャッキー佐藤]](じゃっきーさとう、[[1957年]][[10月30日]] - [[1999年]][[8月9日]])と[[マキ上田]](まきうえだ、[[1959年]][[3月8日]] - )により、[[1976年]][[2月24日]]に結成され、その日に行われた[[WWWA世界タッグ王座]]戦で、[[赤城マリ子]]・[[マッハ文朱]]ペアに勝利し、タイトルを獲得する。[[ブラック・ペア]]([[池下ユミ]]、[[阿蘇しのぶ]])との好勝負は人気を不動のものとした。 |
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また[[BMG JAPAN|RVC]]より「かけめぐる青春」で[[レコード]][[デビュー]]し、試合前のリング上で歌う斬新なスタイルで、女子プロレス界の[[アイドル]]的存在となる。このレコードは80万枚を売り上げたという<ref>[http://web.archive.org/web/20000709124137/http://www.nikkansports.com/news/sports/battle/sp/satou0810-1.html ビューティ・ペア ジャッキー佐藤さん死去]、[[日刊スポーツ]]、2000年7月9日。([[インターネット |
また[[BMG JAPAN|RVC]]より「かけめぐる青春」で[[レコード]][[デビュー]]し、試合前のリング上で歌う斬新なスタイルで、女子プロレス界の[[アイドル]]的存在となる。このレコードは80万枚を売り上げたという<ref>[http://web.archive.org/web/20000709124137/http://www.nikkansports.com/news/sports/battle/sp/satou0810-1.html ビューティ・ペア ジャッキー佐藤さん死去]、[[日刊スポーツ]]、2000年7月9日。([[インターネットアーカイブ]]のミラー)</ref>。また、当時人気絶頂だった女性アイドル[[デュオ]]の[[ピンク・レディー]]と、音楽番組などで度々共演することもあった。しかしレコードを出した当初は鳴かず飛ばずであり、観客席も閑散としており全女の経営は破綻寸前であったという<ref name="beaupe">双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)16ページ</ref>。 |
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タッグでの必殺技は、ジャッキーが[[ボディスラム]]で投げつけた相手にマキがコーナー最上段から[[ボディ・プレス#ダイビング・ボディ・プレス|ダイビング・ボディ・プレス]]を決める「ビューティ・スペシャル」。 |
タッグでの必殺技は、ジャッキーが[[ボディスラム]]で投げつけた相手にマキがコーナー最上段から[[ボディ・プレス#ダイビング・ボディ・プレス|ダイビング・ボディ・プレス]]を決める「ビューティ・スペシャル」。 |
2017年9月4日 (月) 19:31時点における版
ビューティ・ペア | |
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出身地 | 日本 |
ジャンル | プロレス、歌謡曲 |
活動期間 | 1976年2月24日 - 1979年2月27日 |
レーベル | RCAビクター(RVC) |
事務所 | 全日本女子プロレス |
メンバー |
ジャッキー佐藤 マキ上田 |
ビューティ・ペア(Beauty Pair)は、かつて日本に存在した女子プロレスラーのタッグチームである。全日本女子プロレス所属。
来歴
ジャッキー佐藤(じゃっきーさとう、1957年10月30日 - 1999年8月9日)とマキ上田(まきうえだ、1959年3月8日 - )により、1976年2月24日に結成され、その日に行われたWWWA世界タッグ王座戦で、赤城マリ子・マッハ文朱ペアに勝利し、タイトルを獲得する。ブラック・ペア(池下ユミ、阿蘇しのぶ)との好勝負は人気を不動のものとした。
またRVCより「かけめぐる青春」でレコードデビューし、試合前のリング上で歌う斬新なスタイルで、女子プロレス界のアイドル的存在となる。このレコードは80万枚を売り上げたという[1]。また、当時人気絶頂だった女性アイドルデュオのピンク・レディーと、音楽番組などで度々共演することもあった。しかしレコードを出した当初は鳴かず飛ばずであり、観客席も閑散としており全女の経営は破綻寸前であったという[2]。
タッグでの必殺技は、ジャッキーがボディスラムで投げつけた相手にマキがコーナー最上段からダイビング・ボディ・プレスを決める「ビューティ・スペシャル」。
しかし、結成から3年後の1979年2月27日、「敗者は引退する」というルールの元で、王者・ジャッキーに挑戦者・マキが挑むビューティ・ペア同士のWWWA世界シングル王座戦が行われ、マキは敗れ引退、ビューティ・ペアは解散した(詳しくは 後述 「現役時代と引退試合について」)。
エピソード
現役時代と引退試合について
マキによると現役時代は、ジャッキーとビューティ・ペアとしてコンビで活動することはあったが、社交的なマキと一匹狼的なジャッキーとは性格的に合わず、あまり仲は良くなかった。そのため試合後などもほとんど会話をすることがなく、プライベートにいたっては、遊んだりしたことは一度もなかったとのこと[3]。
コンビ結成から3年後、性格による微妙なズレからビューティ・ペアとしての活動に限界を感じたマキは、解散することをジャッキーに一言の相談もなく一人で決めて社長に直談判した。社長から「それなら最後にお前たち二人で試合をやって、負けた方はプロレスラーを引退しろ」と条件を提示され、マキはそれを受け入れた。しかしジャッキーは、そんな裏事情を知らされないまま突然ビューティ・ペアの解散・女子プロレス引退を懸けた試合をすることになった[3](1979年1月4日、全女の後楽園ホール大会で行われたビューティ対決の発表では、マキが「私の持っているもの全てを懸けて挑戦します」と言ったことに対して、ジャッキーが補足する形で敗者引退ルールを明かし「何で今回に限ってマキちゃんが引退を懸けて挑戦するのか、私にはよくわからないわけですね」とも語っていた)。
試合直後、二人はお互いの控室を訪れることもなく、一言の会話することもなく解散した。これについてマキは、「引退をかけた試合に負けた自分から話しかけるのもヘンだからという理由で声をかけづらかった」とのこと。対してジャッキーは、「別に永遠に会えなくなるわけじゃない、お互いそれぞれの道を歩んで将来一人の人間として大きくなった時に再会したい」と言っていたことをのちにマキは、知人を通じて知った[3]。
再会、その後
そして、20年以上経ったある日マキの方からジャッキーに連絡を取り、解散試合以来約20年ぶりに会話をした。後日二人きりで温泉旅行にでかけ、現役時代からは考えられないほど楽しく過ごしたとのこと。その後ジャッキーから手紙が届き、「この前は本当に楽しかった。また、今度一緒にどこか行きましょう」という内容にマキも再会を楽しみにしていた。しかし約1年後、ジャッキーが胃がんにより死去してしまい、二人の再会が叶うことはなかった[3]。
生前のジャッキーは知人に対し、マキに自身の病気のことを口止めをしており「マキには弱っている自分を見せたくない、病気を治して元気になった時に笑顔で会いたい」という考えによるものだった。そのため、マキはジャッキーの死の直後にかかってきた知人からの電話で、初めてジャッキーの病気のことを知った[3]。
シングル
- かけめぐる青春(作詞:石原信一 作曲・編曲:あかのたちお)(1976.11.25) B面:真夜中のひとりごと
- 真赤な青春(作詞:石原信一 作曲・編曲:あかのたちお)(1977.06.25) B面:しあわせ通り
- バン・ババン(1977.10.15) B面:ふたりの絆
- 青春にバラはいらない(作詞:石原信一 作曲・編曲:あかのたちお)(1978.02.05) B面:幸福のゆくえ
- シーサイド急行(1978.07.05) B面:渚のテレポート
- 愛のけものたち(1978.09.25) B面:ふりむけばきみがいた
ジャッキーのソロ盤
- 美しい決意
- ポケット一杯のなみだ
- もしも旅立ちなら
マキのソロ盤
- インベーダーWALK/あいつはインベーダー
映画
テレビ
同時期のタッグチーム
ビューティ・ペアの成功を受けて、全女内ではいくつかの名称が付いたタッグチームが結成された。「○○・ペア」と称したものが非常に多かった。
- クイーン・エンジェルス(トミー青山&ルーシー加山)
- ゴールデン・ペア(ナンシー久美&ビクトリア富士美)
- ブラック・ペア(池下ユミ&阿蘇しのぶのちマミ熊野)
- シルバー・ペア(赤城マリ子&シルバーサタン)
- ヤング・ペア(横田利美&塙せい子)
- ラブリー・ペア(ミミ萩原&佐藤ちの)
- メキシカン・ペア(イルマ・ゴンザレス&エベリア・ペレス)
備考
- 2011年に結成されたmasu-me(JWP)と藤本つかさ(アイスリボン)のタッグ「キューティーペア」はmasu-meがビューティ・ペアを聞き間違えたことに由来している。
- 一方で志田光(アイスリボン)と朱里(WNC)のタッグが「平成のビューティペア」と呼ばれることもある[4]。
脚注
- ^ ビューティ・ペア ジャッキー佐藤さん死去、日刊スポーツ、2000年7月9日。(インターネットアーカイブのミラー)
- ^ 双葉社スーパームック『俺たちのプロレスVOL.6』(2016年)16ページ
- ^ a b c d e TBS系列「爆報! THE フライデー」2012年10月19日放送より
- ^ (朱里+志田)×紫雷姉妹=? TAJIRI Official Website