「十五年戦争」の版間の差分

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このほか、[[黒船来航|ペリー来航]]から[[大東亜戦争]]までをアジアに侵略してきた白人勢力に対する日本の反撃として一体のものとする[[林房雄]]の「東亜百年戦争」<ref>林房雄『大東亜戦争肯定論』{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>、[[日清戦争]]から太平洋戦争までを一体のものとする[[本多勝一]]の「50年戦争」<ref>本多勝一『大東亜戦争と50年戦争』朝日新聞社、1998年、208~209頁。</ref>{{sfn|庄司潤一郎|2011|p=68}}といった見解・呼称があり、[[猪木正道]]は、近代化に成功した日本が[[軍国主義]]化をすすめた展開を日清戦争から日中戦争までとみなしている<ref>猪木正道『軍国日本の興亡―日清戦争から日中戦争へー [中公新書 1232]』中央公論社、1995年3月25日発行、ISBN 4-12-101232-1。{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。江口圭一は、日露戦争から太平洋戦争直前までの期間を、1. [[日露戦争]]から[[第一次世界大戦]]まで(1905-1918年)の14年間、2. 1919-1931年の[[満州事変]]までの12年間、3. 1931年の[[満州事変]]開始から1941年の対英米戦争までの11年間、の三つの時期に区分している<ref name="江口3-6">[[江口圭一]] 「1910-30年代の日本 アジア支配への途」『岩波講座 日本通史 第18巻 近代3』岩波書店、1994年7月28日、ISBN 4-00-010568-X、41~43頁。</ref>。<!--第一期の日本は日露戦争の勝利によって世界8大強国の一員となり、イギリスとロシアの間で膨張する。第二期には[[第一次世界大戦]]の戦勝国として世界5大国また3大国のひとつとなり軍事大国となるが、戦後[[ワシントン体制]]に順応し、米英協調路線によって安泰を図った。第三期には中国権益を保持するために干渉する英米への依存打破をめざし、ワシントン体制に挑戦し、米英との全面戦争に至る<ref name="江口3-6"/> --->
このほか、[[黒船来航|ペリー来航]]から[[大東亜戦争]]までをアジアに侵略してきた白人勢力に対する日本の反撃として一体のものとする[[林房雄]]の「東亜百年戦争」<ref>林房雄『大東亜戦争肯定論』{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>、[[日清戦争]]から太平洋戦争までを一体のものとする[[本多勝一]]の「50年戦争」<ref>本多勝一『大東亜戦争と50年戦争』朝日新聞社、1998年、208~209頁。</ref>{{sfn|庄司潤一郎|2011|p=68}}といった見解・呼称があり、[[猪木正道]]は、近代化に成功した日本が[[軍国主義]]化をすすめた展開を日清戦争から日中戦争までとみなしている<ref>猪木正道『軍国日本の興亡―日清戦争から日中戦争へー [中公新書 1232]』中央公論社、1995年3月25日発行、ISBN 4-12-101232-1。{{要ページ番号|date=2015-06-22}}</ref>。江口圭一は、日露戦争から太平洋戦争直前までの期間を、1. [[日露戦争]]から[[第一次世界大戦]]まで(1905-1918年)の14年間、2. 1919-1931年の[[満州事変]]までの12年間、3. 1931年の[[満州事変]]開始から1941年の対英米戦争までの11年間、の三つの時期に区分している<ref name="江口3-6">[[江口圭一]] 「1910-30年代の日本 アジア支配への途」『岩波講座 日本通史 第18巻 近代3』岩波書店、1994年7月28日、ISBN 4-00-010568-X、41~43頁。</ref>。<!--第一期の日本は日露戦争の勝利によって世界8大強国の一員となり、イギリスとロシアの間で膨張する。第二期には[[第一次世界大戦]]の戦勝国として世界5大国また3大国のひとつとなり軍事大国となるが、戦後[[ワシントン体制]]に順応し、米英協調路線によって安泰を図った。第三期には中国権益を保持するために干渉する英米への依存打破をめざし、ワシントン体制に挑戦し、米英との全面戦争に至る<ref name="江口3-6"/> --->

2015年1月、[[明仁|明仁天皇]]は新年に当たり「感想」を発表し、その中で、「この機会に、[[満州事変]]に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています。」と述べた<ref>{{Cite web | title = 天皇陛下のご感想(新年に当たり)| publisher = 宮内庁 | date = 2015-01-01 | url = http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/gokanso/shinnen-h27.html | accessdate = 2015-08-01}}</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==

2019年5月3日 (金) 11:25時点における版

十五年戦争(じゅうごねんせんそう)とは、1931年柳条湖事件勃発から1945年ポツダム宣言受諾(日本の降伏)までの足掛け15年 (実質13年11カ月[1])にわたる日本の対外戦争、満洲事変日中戦争太平洋戦争の全期間を一括する呼称のこと[2]

概要

「十五年戦争」の呼称は、鶴見俊輔1956年に「知識人の戦争責任」(『中央公論』1956年1月号)のなかで使用したのが最初とされ、昭和40年以降、一部で使用されるようになり[2]、1980年代に江口圭一が広めるのに大きな役割を果たした[3]。その後、昭和50年代頃からアジア太平洋戦争の名称の使用が増加した[2]

段階

鶴見俊輔は、1. 満州事変:1931年9月18日 〜、2. 日中戦争支那事変):1937年7月7日 〜、3. 太平洋戦争(大東亜戦争):1941年12月8日 〜、の三段階に分けている。

江口圭一は、著書『十五年戦争小史』で、「十五年戦争」の第一段階を1931年9月18日以降の柳条湖事件を発端とする満州事変、第二段階を1937年7月7日の盧溝橋事件を発端とする日中戦争または日中全面戦争、第三段階を1941年12月8日の真珠湾英領マレー半島奇襲を発端とするアジア太平洋戦争とし、さらに第一段階を1933年5月31日の塘沽停戦協定を境に狭義の満州事変と華北分離という二つの小段階に区分している[4]。また、満州事変からアジア太平洋戦争下の中国戦線を含む「広義の」日中戦争と盧溝橋事件からアジア太平洋戦争開始までの「狭義の」日中戦争とに言及している[4]

反論、異論、評価

日本の対外膨張戦略の連続性を重視する歴史認識に基づく名称[5]であるが、この連続史観への反論もあり[2]、満州事変から盧溝橋事件までの4年間は大規模な軍事行動が行われていないことや、満州事変はそれまでのヴェルサイユ体制の終わりであって、満州事変〜日中戦争〜太平洋戦争を一体のものとみなすことには批判もある[6][7]。また、正味13年11か月を15年とすることへの異論もある[2]

このほか、ペリー来航から大東亜戦争までをアジアに侵略してきた白人勢力に対する日本の反撃として一体のものとする林房雄の「東亜百年戦争」[8]日清戦争から太平洋戦争までを一体のものとする本多勝一の「50年戦争」[9][10]といった見解・呼称があり、猪木正道は、近代化に成功した日本が軍国主義化をすすめた展開を日清戦争から日中戦争までとみなしている[11]。江口圭一は、日露戦争から太平洋戦争直前までの期間を、1. 日露戦争から第一次世界大戦まで(1905-1918年)の14年間、2. 1919-1931年の満州事変までの12年間、3. 1931年の満州事変開始から1941年の対英米戦争までの11年間、の三つの時期に区分している[12]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 歴史教育者協議会編『ちゃんと知りたい!日本の戦争ハンドブック』青木書店、2006年8月、ISBN 4-250-20621-1、115頁。
  2. ^ a b c d e 「大東亜戦争」秦郁彦編『日本陸海軍総合事典 [第2版]』東京大学出版会、2005年8月15日 第2版第1刷、ISBN 4-13-030135-7、750頁。
  3. ^ 安井三吉「「十五年戦争」と「アジア太平洋戦争」の 呼称の創出とその展開について」『現代中国研究』第37号、中国現代史研究会、2016年5月12日、81~99頁。
  4. ^ a b 江口圭一『十五年戦争小史』青木書店、1991年5月25日 第2版第1刷発行、ISBN 4-250-91009-1、11〜14頁。
  5. ^ 山田朗「十五年戦争」『日本歴史大事典―2 こ~て』小学館、2000年10月20日 初版第1刷発行、ISBN 4-09-52300-29、451頁。
  6. ^ 阿川弘之、中西輝政、福田和也、猪瀬直樹、秦郁彦『二十世紀日本の戦争 <文春新書 112>』文藝春秋社、2000年7月20日 初版発行、ISBN 978-4-16-660112-7、68~72頁。
  7. ^ 石大三郎「盧溝橋事件への一考察」『日本大学大学院総合社会情報研究科紀要』No. 2, pp. 31-41. (2001)
  8. ^ 林房雄『大東亜戦争肯定論』[要ページ番号]
  9. ^ 本多勝一『大東亜戦争と50年戦争』朝日新聞社、1998年、208~209頁。
  10. ^ 庄司潤一郎 2011, p. 68.
  11. ^ 猪木正道『軍国日本の興亡―日清戦争から日中戦争へー [中公新書 1232]』中央公論社、1995年3月25日発行、ISBN 4-12-101232-1[要ページ番号]
  12. ^ 江口圭一 「1910-30年代の日本 アジア支配への途」『岩波講座 日本通史 第18巻 近代3』岩波書店、1994年7月28日、ISBN 4-00-010568-X、41~43頁。

参考文献

  • 江口圭一『十五年戦争小史』青木書店、1991-05-25 (第2版第1刷)。ISBN 4-250-91009-1 
  • 臼井勝美『日中戦争-和平か戦線拡大か-』中央公論新社〈中公新書 1532〉、2000年4月25日。ISBN 4-12-101532-0 
  • 小林英夫『日中戦争-殲滅戦から消耗戦へ』講談社〈講談社現代新書 1900〉、2007年7月20日。ISBN 978-4-06-287900-2 
  • 庄司潤一郎 (2011年). “日本における戦争呼称に関する問題の一考察” (PDF). 防衛研究所紀要 第13巻第3号 (2011年3月). 防衛研究所. 2014年2月2日閲覧。

関連項目

外部リンク