「江口一雄」の版間の差分
Yamaguchihisata1978とEguchikazuoshoin(どちらもLTA:KOIZUMIとして無期限ブロック済)の編集を取り消して2017年12月22日 (金) 04:31 (UTC) の版に戻す |
Tanoshingo44 (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
9行目: | 9行目: | ||
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1937|9|25|2014|11|27}} |
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1937|9|25|2014|11|27}} |
||
|死没地 = |
|死没地 = |
||
|出身校 = [[千葉大学]]園芸別科修了 |
|出身校 = [[千葉大学]]園芸別科修了、明治大学 |
||
|前職 = 農業、県議会議員 |
|前職 = 農業、県議会議員 |
||
|現職 = [[学校法人八千代松陰学園|八千代松陰学園]]理事長 |
|現職 = [[学校法人八千代松陰学園|八千代松陰学園]]理事長 |
||
33行目: | 33行目: | ||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
[[千葉県]][[印旛郡]][[阿蘇村]]字[[村上 (八千代市)|村上]](現・[[八千代市]])出身。父が[[太平洋戦争]]で[[フィリピン]]の[[ルソン島]]にて戦死。[[千葉県立佐倉高等学校|千葉県立佐倉第一高等学校]]卒業。[[千葉大学]]園芸別科修了。 |
[[千葉県]][[印旛郡]][[阿蘇村]]字[[村上 (八千代市)|村上]](現・[[八千代市]])出身。父が[[太平洋戦争]]で[[フィリピン]]の[[ルソン島]]にて戦死。[[千葉県立佐倉高等学校|千葉県立佐倉第一高等学校]]卒業。[[千葉大学]]園芸別科修了。のち、明大二政経卒業。 |
||
[[1974年]]5月、千葉県議会議員[[補欠選挙#地方議会選挙|補欠選挙]]に立候補して初当選し、その後4期務める。 |
[[1974年]]5月、千葉県議会議員[[補欠選挙#地方議会選挙|補欠選挙]]に立候補して初当選し、その後4期務める。 |
2019年6月10日 (月) 22:11時点における版
江口 一雄 えぐち かずお | |
---|---|
生年月日 | 1937年9月25日 |
出生地 | 千葉県八千代市 |
没年月日 | 2014年11月27日(77歳没) |
出身校 | 千葉大学園芸別科修了、明治大学 |
前職 | 農業、県議会議員 |
現職 | 八千代松陰学園理事長 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 | 旭日重光章 |
親族 | 祖父・江口茂八(第10代阿蘇村長) |
選挙区 | 千葉2区 |
当選回数 | 3回 |
江口 一雄(えぐち かずお、1937年(昭和12年)9月25日 - 2014年(平成26年)11月27日)は、日本の政治家。元衆議院議員(当選3回)。元自民党副幹事長、防衛政務次官、運輸政務次官、衆議院厚生委員長。学校法人八千代松陰学園理事長。千葉県神社総代会長。日本会議千葉会長。
経歴
千葉県印旛郡阿蘇村字村上(現・八千代市)出身。父が太平洋戦争でフィリピンのルソン島にて戦死。千葉県立佐倉第一高等学校卒業。千葉大学園芸別科修了。のち、明大二政経卒業。
1974年5月、千葉県議会議員補欠選挙に立候補して初当選し、その後4期務める。
1978年、山口久太に約1万坪の土地を無償提供し、八千代松陰高等学校創立に尽力。副理事長就任。
1986年、第38回総選挙に始関伊平の後継として自由民主党公認で旧千葉1区より立候補し、初当選。小選挙区制導入後は、千葉2区より出馬。
1990年12月、第2次海部改造内閣で防衛政務次官となる。1991年11月に衆議院安全保障委員会理事、自民党交通部会副部会長、1992年12月に自民党副幹事長に就任。
1993年、八千代松陰学園理事長。
1996年10月、安全保障委員会筆頭理事、自民党財政部会長代理となる。1997年9月、第2次橋本改造内閣で運輸政務次官となる。
2000年の第42回衆議院議員総選挙で落選、2003年の第43回衆議院議員総選挙で2度目の落選。政界引退。
2009年11月、財団法人協和協会会長代行に就任(会長ポストは空席)。
2014年11月27日、八千代市の病院で膵臓がんのため死去[1]。77歳没。叙従四位[2]。
栄典
2007年(平成19年)11月、平成19年秋の叙勲において旭日重光章を受ける。
脚注
- ^ 江口一雄氏が死去 77歳 千葉日報ウェブ ちばとぴ 2014年11月28日
- ^ 2014年12月25日官報