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== エピソード ==
== エピソード ==
* [[1996年]]の[[アトランタオリンピック]]で[[女子マラソン]]の競技終了後の選手インタビューを担当し、銅メダルを獲得した[[有森裕子]]([[リクルート]])の'''「自分で自分を褒めたいと思います」'''というコメントを引き出したことで知られる<ref>[http://london2012.nikkansports.com/column/quotations/archives/f-cl-tp0-20120706-978771.html 「初めて自分で自分をほめたいと思います」] Nikkan Olympic Column 日刊スポーツ 2012年2月23日付紙面(2012年7月6日配信)</ref>。
* [[1996年]]の[[アトランタオリンピック]]で[[女子マラソン]]の競技終了後の選手インタビューを担当し、銅メダルを獲得した[[有森裕子]]([[リクルートホールディングス]])の'''「自分で自分を褒めたいと思います」'''というコメントを引き出したことで知られる<ref>[http://london2012.nikkansports.com/column/quotations/archives/f-cl-tp0-20120706-978771.html 「初めて自分で自分をほめたいと思います」] Nikkan Olympic Column 日刊スポーツ 2012年2月23日付紙面(2012年7月6日配信)</ref>。
* 2007年[[第52回有馬記念]]のテレビ実況では、内からスルスルと伸びてくる[[マツリダゴッホ]]の姿に、思わず'''「祭りだ、祭りだ、マツリダゴッホ!!」'''と流れるように連呼し、中継解説をしていた[[鈴木康弘 (競馬)|鈴木康弘]]調教師が思わず吹き出してしまうハプニングがあった。
* 2007年[[第52回有馬記念]]のテレビ実況では、内からスルスルと伸びてくる[[マツリダゴッホ]]の姿に、思わず'''「祭りだ、祭りだ、マツリダゴッホ!!」'''と流れるように連呼し、中継解説をしていた[[鈴木康弘 (競馬)|鈴木康弘]]調教師が思わず吹き出してしまうハプニングがあった。
* 好角家で知られる[[デーモン閣下]]のことを'''「デーモンさん」'''と呼んでいる数少ない人物である。
* 好角家で知られる[[デーモン閣下]]のことを'''「デーモンさん」'''と呼んでいる数少ない人物である。

2019年9月13日 (金) 06:11時点における版

ふじい やすお
藤井 康生
プロフィール
出身地 日本の旗 日本 岡山県倉敷市
生年月日 (1957-01-07) 1957年1月7日(67歳)
血液型 O
最終学歴 中央大学法学部卒業
勤務局 NHK放送センター
部署 東京アナウンス室
職歴 北見福岡東京アナウンス室名古屋G-Media出向など
活動期間 1979年 -
ジャンル スポーツ
出演番組・活動
出演中 本文参照
出演経歴 本文参照

藤井 康生(ふじい やすお、1957年1月7日 - )はNHKエグゼクティブ・アナウンサー

人物

岡山県立岡山朝日高等学校を経て中央大学法学部卒業後、1979年入局。

大相撲アナウンサー

入局後からスポーツ担当アナウンサーとして活動。特にメインで取り組んでいる分野は大相撲。福岡勤務時は九州場所担当として、名古屋異動直後は50回目の節目を迎えた名古屋場所の担当としてそれぞれ全国のアナウンサーをまとめ上げた。現在は定年を迎えているものの、嘱託の立場で実況を継続している。大相撲を実況するアナウンサーは、その専門性や若手の手本になるという観点、経験が重視されやすいという面からも定年を迎えてもしばらくは引き続いて実況を担当するケースが他のスポーツ実況に比べて多い。現時点で、昭和時代、平成時代の幕内実況を担当した、唯一の現役アナウンサーである。さらに、2019年5月場所以降も実況を担当していることで、令和時代でも実況を担当していることにより、昭和、平成、令和の3時代にまたがって実況を担当している唯一のアナウンサーになった。

また、正面解説・北の富士勝昭(元横綱)、向正面解説・舞の海秀平(元小結)の3人は“ゴールデントリオ”と言われ、昨今では各場所初日か千秋楽の中継でこのトリオで放送が進められることが多い。舞の海秀平との共演は大相撲中継のみならず、かつて藤井が司会を務めていた「あなたも挑戦!ことばゲーム」で解答者として出演した際にも何度か見られた。嘱託になってからは回数こそ減っているものの、この3人体制になることは一場所に一度はある。

このほか、各局面で中継に係わっている。

  • 連勝を続けていた横綱千代の富士陣岳を下して横綱大鵬の45連勝に並んだ1988年九州場所6日目の実況を担当(この日が幕内での初実況)。奇しくもその22年後の2010年秋場所7日目、その千代の富士の53連勝に並んでいた横綱白鵬稀勢の里を下して「千代の富士超え」を果たした一番の実況も担当した。
  • 横綱貴乃花の最後の優勝となった2001年夏場所千秋楽の実況を担当。
  • 横綱武蔵丸の最後の優勝となった2002年秋場所千秋楽の実況を担当。
  • 2008年初場所・千秋楽結びの一番である白鵬と朝青龍の久々(2002年秋場所以来)の横綱相星決戦の実況を担当。
  • 2017年名古屋・13日目白鵬が新大関高安を下し、魁皇が保持していた単独勝ち星1047勝を超え、単独勝ち星一位となる1048勝を達成した一番の実況を担当[1]
  • 2017年九州・11日目の白鵬 - 嘉風戦で、立ち合い不成立と思った白鵬は、立ち合い後に力を抜くと、嘉風に一気に寄り切られた。敗れた白鵬は土俵下で右手を挙げて、審判員らにアピール。しかし、物言いはつかず、不服と思った白鵬は61秒後にようやく土俵に上がった。この白鵬の一連の所作に対し、「気持ちは分からないではないですが、この姿はもう…大横綱いけません」と苦言を呈した[2]

競馬アナウンサー

NHKで競馬中継を行う際でも、実況を担当することが多い。特に八大競走級、中でも格の高い東京優駿(日本ダービー)、有馬記念の実況が多い。

現在の出演番組

過去の出演番組

エピソード

脚注

  1. ^ この日の幕内取り組みは前述のゴールデントリオが実況・解説を担当していた。
  2. ^ 白鵬にベテラン実況アナ「あってはならない」 ツイッター上では「毅然としていたのは藤井アナだけ」 Sponichi Annex スポーツニッポン 2017年11月22日付紙面(2017年11月28日閲覧)
  3. ^ 「初めて自分で自分をほめたいと思います」 Nikkan Olympic Column 日刊スポーツ 2012年2月23日付紙面(2012年7月6日配信)

外部リンク