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[[1912年]]、[[岩手県]][[紫波町]]で生まれる。[[岩手県立盛岡農業高等学校|岩手県農学校]]、[[協同組合短期大学|産業組合学校]]を卒業後、[[産業組合]]職員などを経て[[1938年]]に[[岩手県庁|岩手県]]職員となる。岩手県[[副知事 (日本)|副知事]]や[[岩手銀行]][[専務]]を経て、[[1976年]]の[[第34回衆議院議員総選挙]]で[[岩手県第1区 (中選挙区)|岩手県第1区]]から出馬し当選。2年3ヶ月の代議士生活の後、[[1979年]]に岩手県知事となって3期12年間を務めた。 |
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[[鈴木善幸]]を政治の師と仰ぎ、知事在任中は[[三陸鉄道]]を鉄道としては全国で初の[[第三セクター]]にしている。なお、[[1983年]]の岩手県知事選挙の際、[[リクルート]]が岩手県とともに経営していた第三セクター・[[安比高原スキー場|安比総合開発]]の役員から後援会が現金約30万円を受け取っていた事が[[リクルート事件]]の際に問題となり、[[1989年]][[3月6日]]の県議会の答弁でこれを認めた。高齢であることなどから4選を目指さず引退。[[1992年]][[4月29日]]、[[勲二等]][[旭日重光章]]を受章。[[1996年]][[8月3日]]、[[心不全]]のため83歳で逝去した。 |
[[鈴木善幸]]を政治の師と仰ぎ、知事在任中は[[三陸鉄道]]を鉄道としては全国で初の[[第三セクター]]にしている。なお、[[1983年]]の岩手県知事選挙の際、[[リクルートホールディングス]]が岩手県とともに経営していた第三セクター・[[安比高原スキー場|安比総合開発]]の役員から後援会が現金約30万円を受け取っていた事が[[リクルート事件]]の際に問題となり、[[1989年]][[3月6日]]の県議会の答弁でこれを認めた。高齢であることなどから4選を目指さず引退。[[1992年]][[4月29日]]、[[勲二等]][[旭日重光章]]を受章。[[1996年]][[8月3日]]、[[心不全]]のため83歳で逝去した。 |
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2019年9月13日 (金) 06:58時点における版
中村 直 なかむら ただし | |
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生年月日 | 1912年11月27日 |
出生地 | 岩手県紫波町 |
没年月日 | 1996年8月3日(83歳没) |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 | 勲二等旭日重光章 |
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当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1979年4月30日 - 1991年4月29日 |
選挙区 | 岩手県第1区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1976年12月5日 - 1979年 |
中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 1996年8月3日)は日本の政治家。衆議院議員(1976年~)、岩手県知事(1979年~1991年)を務めた。身長180センチ、体重80キロ(1984年の記録)と大柄だった。
生涯
1912年、岩手県紫波町で生まれる。岩手県農学校、産業組合学校を卒業後、産業組合職員などを経て1938年に岩手県職員となる。岩手県副知事や岩手銀行専務を経て、1976年の第34回衆議院議員総選挙で岩手県第1区から出馬し当選。2年3ヶ月の代議士生活の後、1979年に岩手県知事となって3期12年間を務めた。
鈴木善幸を政治の師と仰ぎ、知事在任中は三陸鉄道を鉄道としては全国で初の第三セクターにしている。なお、1983年の岩手県知事選挙の際、リクルートホールディングスが岩手県とともに経営していた第三セクター・安比総合開発の役員から後援会が現金約30万円を受け取っていた事がリクルート事件の際に問題となり、1989年3月6日の県議会の答弁でこれを認めた。高齢であることなどから4選を目指さず引退。1992年4月29日、勲二等旭日重光章を受章。1996年8月3日、心不全のため83歳で逝去した。