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[[1992年]][[7月]]、前身となるバンド「FIGHT FOR YOUR RIGHT」を結成。[[1994年]][[4月]]に現バンド名に改名、9月にはインディー・レーベルZK Records<ref>1980年代後半のインディーズブーム期に活動していた[[ナゴムレコード#その他の過去在籍アーティスト(一時所属含む)|痛郎]]のメンバーによる自主レーベル。[[ルインズ]]のライブ盤、[[ゆらゆら帝国]]の初アルバムなど、傘下のレスザンTVとともに1990年代の「日本のリアル・[[オルタナティブ・ミュージック|オルタナティブ]]・シーンの総本山」(行川和彦。[[シンコーミュージック]]ムック『爆音侍激情無宿編』2001)ともいうべきリリースで知られる。1994年以降、[[リクルートホールディングス]]系列のミュージックマインと協力関係にはいっており、現在はその傘下にある。</ref>からファースト・ミニアルバム『WRENCH』を発表。ファースト・アルバム『Black Holiday』(1996年)からの限定盤シングル『空』には、[[ケン・イシイ]]、DJ Tsutchie([[SHAKKAZOMBIE]])による[[リミックス]]が収録されている。[[メロディック・ハードコア|メロコア]]をはじめとするラウド・ミュージック・ブームの初期にあたり、[[ハードコア・パンク|ハードコア]]、[[ミクスチャー・ロック]]として売られたが、[[ピンク・フロイド]]や[[フランク・ザッパ]]をカバーするなど1970年代の[[プログレッシブ・ロック]]や[[ハードロック]]からの影響も色濃い。1998年には、[[Hi-STANDARD]]のラウド・ロック・イベントAir Jam98(東京・豊洲ベイサイドスクエア)にも出演した。 |
[[1992年]][[7月]]、前身となるバンド「FIGHT FOR YOUR RIGHT」を結成。[[1994年]][[4月]]に現バンド名に改名、9月にはインディー・レーベルZK Records<ref>1980年代後半のインディーズブーム期に活動していた[[ナゴムレコード#その他の過去在籍アーティスト(一時所属含む)|痛郎]]のメンバーによる自主レーベル。[[ルインズ]]のライブ盤、[[ゆらゆら帝国]]の初アルバムなど、傘下のレスザンTVとともに1990年代の「日本のリアル・[[オルタナティブ・ミュージック|オルタナティブ]]・シーンの総本山」(行川和彦。[[シンコーミュージック]]ムック『爆音侍激情無宿編』2001)ともいうべきリリースで知られる。1994年以降、[[リクルートホールディングス|リクルート]]系列のミュージックマインと協力関係にはいっており、現在はその傘下にある。</ref>からファースト・ミニアルバム『WRENCH』を発表。ファースト・アルバム『Black Holiday』(1996年)からの限定盤シングル『空』には、[[ケン・イシイ]]、DJ Tsutchie([[SHAKKAZOMBIE]])による[[リミックス]]が収録されている。[[メロディック・ハードコア|メロコア]]をはじめとするラウド・ミュージック・ブームの初期にあたり、[[ハードコア・パンク|ハードコア]]、[[ミクスチャー・ロック]]として売られたが、[[ピンク・フロイド]]や[[フランク・ザッパ]]をカバーするなど1970年代の[[プログレッシブ・ロック]]や[[ハードロック]]からの影響も色濃い。1998年には、[[Hi-STANDARD]]のラウド・ロック・イベントAir Jam98(東京・豊洲ベイサイドスクエア)にも出演した。 |
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[[1999年]]、メジャー・レーベルVICTOR / HAPPY HOUSEと契約し、サード・アルバム『BLUE BLOOD BLUE』を発表。以降、ベスト盤を含めて8枚のアルバムをリリースした。ボーカルのSHIGEは、[[AYASHIGE]]名義でテクノ、[[トランス (音楽)|トランス]]作品を発表し始めるが、このような四つ打ち的なビートはレンチの作品にも徐々に取り入れられていく。森脇美喜夫が「サイケ・ヘヴィ」(『Doll』169.p48)と評した24分のインストを含む『Clinic of Satanic』(2001年)を経て、『Overflow』(2003年)ではプログラミング音を本格的に導入したデジタル・ロックサウンドが試みられた。ハードコアとエレクトロ・ロック、ダンスミュージックの融合がバンドの方向性となるが、「クリック聞いてやるのはイヤ」(『Indies Issue』vol.7 p27)だったドラムの名越が脱退、元[[cocobat|ココバット]]のMUROCHINの加入までバンドの存続が危ぶまれた。[[2007年]]以降は [[cutting edge]]からアルバム『nitro』、[[2008年]]に[[浅野忠信]]、[[石野卓球]]、セイジ([[ギターウルフ]])、[[HIFANA]]らとのコラボレーションアルバム『drub』をリリースしている。 |
[[1999年]]、メジャー・レーベルVICTOR / HAPPY HOUSEと契約し、サード・アルバム『BLUE BLOOD BLUE』を発表。以降、ベスト盤を含めて8枚のアルバムをリリースした。ボーカルのSHIGEは、[[AYASHIGE]]名義でテクノ、[[トランス (音楽)|トランス]]作品を発表し始めるが、このような四つ打ち的なビートはレンチの作品にも徐々に取り入れられていく。森脇美喜夫が「サイケ・ヘヴィ」(『Doll』169.p48)と評した24分のインストを含む『Clinic of Satanic』(2001年)を経て、『Overflow』(2003年)ではプログラミング音を本格的に導入したデジタル・ロックサウンドが試みられた。ハードコアとエレクトロ・ロック、ダンスミュージックの融合がバンドの方向性となるが、「クリック聞いてやるのはイヤ」(『Indies Issue』vol.7 p27)だったドラムの名越が脱退、元[[cocobat|ココバット]]のMUROCHINの加入までバンドの存続が危ぶまれた。[[2007年]]以降は [[cutting edge]]からアルバム『nitro』、[[2008年]]に[[浅野忠信]]、[[石野卓球]]、セイジ([[ギターウルフ]])、[[HIFANA]]らとのコラボレーションアルバム『drub』をリリースしている。 |
2019年9月13日 (金) 16:54時点における版
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WRENCH | |
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出身地 |
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ジャンル |
ミクスチャー・ロック サイケデリック・ロック ダビー・メタル |
活動期間 | 1992年 - |
公式サイト | www.wrench.jp |
メンバー |
松田知大(ベース) MUROCHIN(ドラムス) SHIGE(ヴォーカル、シンセサイザー) 坂元東(ギター) |
メンバー
- Condor Records (3rd Stone From The Sun)を運営。1998年~2003年ALL LIVING THINGS、2004年以降トランスバンドStrobo、2011年1月よりポストロックバンドte'でも活動。グラフィックデザイナーとしてはGradelic名義。自身が手掛けるブランド、DRONEを展開。
- MUROCHIN (室田政孝)(ドラムス)
- ABNORMALSと平行して活動。
- AYASHIGE名義でソロ活動。2005年にブライアン・バートンルイス、DJ TASAKAとユニットAGERO結成。
- 坂元東(ギター)
- 2005年、宮崎県出身アーティストによるMMTPに参加。
旧メンバー
- 再結成アナーキー(1996年 - 2001年)と平行して活動。活動休止後は関係メンバーによる各種ユニット(SDR、レジーナ、KASIN)で活動するほか、2005年にCAUCASUS結成。
来歴
1992年7月、前身となるバンド「FIGHT FOR YOUR RIGHT」を結成。1994年4月に現バンド名に改名、9月にはインディー・レーベルZK Records[1]からファースト・ミニアルバム『WRENCH』を発表。ファースト・アルバム『Black Holiday』(1996年)からの限定盤シングル『空』には、ケン・イシイ、DJ Tsutchie(SHAKKAZOMBIE)によるリミックスが収録されている。メロコアをはじめとするラウド・ミュージック・ブームの初期にあたり、ハードコア、ミクスチャー・ロックとして売られたが、ピンク・フロイドやフランク・ザッパをカバーするなど1970年代のプログレッシブ・ロックやハードロックからの影響も色濃い。1998年には、Hi-STANDARDのラウド・ロック・イベントAir Jam98(東京・豊洲ベイサイドスクエア)にも出演した。
1999年、メジャー・レーベルVICTOR / HAPPY HOUSEと契約し、サード・アルバム『BLUE BLOOD BLUE』を発表。以降、ベスト盤を含めて8枚のアルバムをリリースした。ボーカルのSHIGEは、AYASHIGE名義でテクノ、トランス作品を発表し始めるが、このような四つ打ち的なビートはレンチの作品にも徐々に取り入れられていく。森脇美喜夫が「サイケ・ヘヴィ」(『Doll』169.p48)と評した24分のインストを含む『Clinic of Satanic』(2001年)を経て、『Overflow』(2003年)ではプログラミング音を本格的に導入したデジタル・ロックサウンドが試みられた。ハードコアとエレクトロ・ロック、ダンスミュージックの融合がバンドの方向性となるが、「クリック聞いてやるのはイヤ」(『Indies Issue』vol.7 p27)だったドラムの名越が脱退、元ココバットのMUROCHINの加入までバンドの存続が危ぶまれた。2007年以降は cutting edgeからアルバム『nitro』、2008年に浅野忠信、石野卓球、セイジ(ギターウルフ)、HIFANAらとのコラボレーションアルバム『drub』をリリースしている。
「現場(ライブ)主義」サウンドを標榜し、ライブ活動には初期から力を入れている。ZKレコード時代はNukey Pikesやカウパーズとのイベントのほか、UNSANEやRollins Bandといった来日バンドのオープニングにも出演した。メジャー契約以降では、アメリカのSXSW(2001年)のほか、Air Jam 2000、ライジング・サン・ロックフェスティバル(2002年)、サマーソニック(2002年)、フジ・ロック・フェスティバル(2003年前夜祭、2008年)といった大型ロックフェスやツアーだけでなく、渚音楽祭(2008年)などさまざまなレイブ企画にも参加している。ジャンルの垣根を越えた企画も多い。2012年、結成20周年の節目として、これまで長らく演奏される事のなかった90年代の楽曲のみで構成するライブ『WRENCH 90'S LIMITED SET』をKAIKOO POPWAVE FESTIVAL(2012年4月)と下北沢SELTER(2012年5月)にて2本のみ開催した。
ディスコグラフィー
シングル
- 空(1996年ZK)限定盤シングル
- WRENCH & TODAY IS THE DAY 7インチ EP (1997年06月19日)
- DOUBLE-0-FREEDOM(2000年1月21日)
- SKY,LIQUID,MEN,(2000年5月24日)
アルバム
- WRENCH(1994年)インディーズミニアルバム
- WRENCH 12インチ EP (1995年) "Let There Be More Light"(ピンク・フロイド)収録
- BLACK HOLIDAY(1996年ZK, 1998年9月23日再発)
- ヒポテーゼ…(1997年ZK, 1998年9月23日再発)ミニアルバム
- WRENCH & NUKEY PIKES split CD(1997年ZK, 1998年9月23日再発)スプリットアルバム
- WANDERING IN THE EMPTINESS(1997年11月21日)
- BLUE BLOOD BLUE(1999年5月21日)
- bliss(2000年6月21日)
- Shinjuku,LIQUID,MEN,(2000年12月16日)ライブミニアルバム
- Clinic of “SATANIC”(2001年8月1日)ミニアルバム
- CIRCULATION(2002年1月23日)
- OVERFLOW(2003年1月22日)
- WR990III(2004年9月22日)ベストアルバム
- TEMPLE OF ROCK(2004年11月10日)
- NITRO (2007年9月10日)
- drub (2008年7月9日)
- weak (2019年3月20日)
DVD
- CLIPS 990001(2001年8月1日)
- NISTORY (2008年7月9日)
ビデオ
- LIVE ON EARTH TOUR VIDEO (1998年6月24日)