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2019年10月1日 (火) 12:55時点における版
いとう はるあき 伊藤 治明 | |
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プロフィール | |
出身地 | 北海道河西郡中札内村 |
国籍 |
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生年月日 | 1952年2月3日(72歳) |
血液型 | O型 |
最終学歴 | 立命館大学文学部卒業 |
職歴 | 北海道文化放送編成局アナウンス部(2007年5月早期退職) |
活動期間 | 1975年 - |
ジャンル | 報道・スポーツ番組 |
配偶者 | あり |
出演番組・活動 | |
出演経歴 | 本文参照 |
伊藤 治明(いとう はるあき、1952年2月3日 - )は北海道河西郡中札内村出身のフリーアナウンサー。
来歴・人物
北海道帯広三条高等学校を経て、立命館大学文学部哲学科心理学専攻に進学。学生時代には公営競技の実況をアルバイトで務めたことがあり、大学卒業後の1975年に北海道文化放送(UHB)へ入社。アナウンサーとして主にスポーツ中継や報道を担当し、特にUHBの初期のスポーツ実況をほとんど担当したため、実況種目は10競技を超えている。競馬中継ではテンポイント・ハギノトップレディの新馬戦を担当したほか[1]、北海道競馬記者クラブ創設にも関わった。競馬の仕事を通して寺山修司との交流もあり、寺山からは「レースでの騎手の駆け引きなど専門的なことなどを教えてくれた」[2]と回想。実況スタイルは踏襲していないが、盛山毅を師と仰ぎ、杉本清の影響を強く受けた。系列局の同期や1年先輩・後輩には馬場鉄志・神田康秋・堺正幸・浅見博幸・岩田雅人などがおり、親交も深かった。競馬以外では北海道マラソン・UHB杯ジャンプラージヒルを第1回から実況し、他局の応援実況も積極的に引き受けた。その後は1993年に制作部へ異動し、スポーツ番組のディレクター・プロデューサーとして基礎を築いた。北海道マラソンでは中継方式を移動車方式からセンター方式へと変更し、今日のマラソン中継の形を作り上げた。1999年からは映像局ライブラリー室勤務となり、取材用VTRテープの管理システムを共同開発したほか、フィルム素材のアーカイブ化を完成させて企画・制作にあたった。2007年5月31日に早期退職。現在は北海道芸術高等学校で講師を務める傍ら、有限会社「イーヴォイス ナレーション工房」代表としてナレーションのオンライン制作に力を入れるほか、養成所「札幌アナウンスセミナー」でアナウンサー・ナレーター・声優育成の講師も務めている。2014年には日本語検定1級を取得。
出演番組
競馬
マラソン
ウインタースポーツ
- UHB杯ジャンプラージヒル
- UHB杯サマージャンプ
- 北海道フィギュアスケート選手権
- フリースタイルスキー北海道大会
- アイスホッケー中継
ゴルフ
- 北海道女子オープンゴルフ→東洋水産レディス北海道
- 道北オープンゴルフ
- キャノンクイーンズカップゴルフトーナメント
- JUNON女子オープン
- フジサンケイクラシック・フジサンケイレディスクラシック
- 三菱ギャラントーナメント
- 東北クイーンズゴルフ
- いすゞレディースカップトーナメント
バレーボール
テニス
- ミルクランドカップテニス
アメリカンフットボール
- 北海道学生アメリカンフットボール選手権
- MISAWAパインボウル
相撲
- uhb杯大相撲トーナメント
主な実況歴(判明分)
- 中日新聞杯(1988年)
- セイユウ記念(1989年~1990年, 1992年)
- 函館記念(1988年~1989年, 1991年)
- 函館3歳ステークス(1986年, 1988年~1989年)
- 札幌記念(1991年~1992年)
- 札幌3歳ステークス(1984年, 1988年~1989年)
関連項目
- 白馬康冶(1986年6月死去)
- 田代茂己
- 山田英寿