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2019年10月1日 (火) 14:36時点における版
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くりた はるゆき 栗田 晴行 | |
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プロフィール | |
出身地 |
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生年月日 | 1959年11月20日(64歳) |
最終学歴 | 早稲田大学政治経済学部卒業 |
勤務局 | NHK放送研修センター・日本語センター |
職歴 | 富山→山形→広島→東京アナウンス室→情報ネットワーク出向→大阪→G-Media出向→水戸→東京アナウンス室→日本語センター出向→山形(放送局長)→放送総局人事局付→日本語センター専属 |
活動期間 | 1982年 - |
出演番組・活動 | |
出演経歴 | 本文参照 |
栗田 晴行(くりた はるゆき、1959年11月20日 - )は、NHKの元アナウンサー。現在はNHK放送研修センター・日本語センター在籍。
人物
早稲田大学高等学院を経て早稲田大学卒業後、1982年入局。早大ではアナウンス研究会に在籍したが、その同期に向坂樹興(フジテレビ)、森下桂吉(テレビ朝日)がいる。
入局以来、サッカーを中心に高視聴率を獲得したスポーツ実況を担当しており(後述)、アナウンサープロフィールの「わたしがちょっぴり自慢したいこと」の欄には「視聴率50%超えた放送を4回担当している」と記していた。2009年の水戸局異動時にアナウンス統括担当となって以降は実況の一線からは退いている。
過去の出演番組
- Jリーグ中継(実況担当) - 大阪局勤務のときはガンバ大阪・セレッソ大阪のホームゲームをはじめとした関西での試合を中心に、東京勤務時は関東地方で行われる試合を中心に担当。
- Jリーグタイム
- イングランド・プレミアリーグ(実況担当)
- 北京パラリンピック(ダイジェスト実況)
- 新潟県中越地震関連の安否情報(2004年10月。教育テレビ、FM放送)
- この時は大阪局勤務だったが、スポーツ中継のために東京へ出張していたことから当番指名された。東京のスタジオから26時間近い長時間の放送だったため、15分おきの交替制で数十人のアナウンサーが総動員で担当していた一人。
主要試合での主な実況歴
- サッカー(国内試合)
- 2000年代前半には、Jリーグの節目の試合を担当する機会も多かった。
- 天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝・準決勝(決勝は第85回大会まで)。
- Jリーグの各シーズン最終節(優勝決定に大きく関わる試合)
- 2000年J1第1ステージ最終節・セレッソ大阪vs川崎フロンターレ(長居スタジアム)
- 2005年J1最終節・セレッソ大阪vsFC東京(長居スタジアム)
- 2007年J1最終節・横浜FCvs浦和レッズ(日産スタジアム)
- 1999年J1最終節の浦和レッドダイヤモンズvsサンフレッチェ広島(浦和市駒場スタジアム) - この試合は延長後半に福田正博のVゴールが決まり浦和が勝利したものの、すでに試合途中で浦和のJ2降格が決まっていた状況であり、ほとんどの浦和の選手たちは勝利を喜ぼうとはしなかった。栗田はその光景を「これほど笑顔のないVゴール勝ちも、初めて見ました」と実況している。
- ワールドカップ日韓大会グループH・
日本vs
ベルギー(埼玉スタジアム2002) - 日本代表の同大会初戦
- 同決勝・
ブラジルvs
ドイツ(横浜国際総合競技場)
- ワールドカップドイツ大会グループF・
日本vs
オーストラリア(フリッツ・ヴァルター・シュタディオン) - 日本代表の同大会初戦
- 以上3試合はいずれも総合テレビでの生中継。
- 同準決勝・
イタリアvs
ドイツ(FIFAワールドカップスタジアム・ドルトムント)
- サッカー以外