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『三井美術文化史論集』第8号
『三井美術文化史論集』第8号
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==

2020年1月25日 (土) 14:30時点における版

あんどうろくざん
ANDO Rokuzan

安藤緑山
生誕 1885年
東京府
死没 1959年
職業 彫刻家
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安藤 緑山(あんどう ろくざん/りょくざん、明治18年(1885年5月16日 - 昭和34年(1959年5月6日)は、大正から昭和初期の彫刻家。本名は和吉(わきち)[1]。萬蔵、萬造、萬象の号を使用した[2][注釈 1]。また緑山の読みは、今日「ろくざん」と呼ばれることが多いが、本人は「りょくざん」と称していたという[1]

経歴

経歴や詳細な人物像など不明な点が多い。1885年、浅草区花川戸で、下駄の鼻緒問屋を営む小澤卯之助の次男として生まれる。しかし数え9歳の時、父が亡くなり廃業。その後、子供がいなかった叔母の家に養子に入った。

養父は金工家の安藤彌次郎で、高等小学校卒業後、象牙彫刻を習って独立した。師匠は大谷光利とされ[注釈 2]東京彫工会に所属。明治43年(1910年)、大正10年(1921年)とその翌年には、下谷御徒町(現・台東区西部)に住んでいた[6]

また「緑山乍」銘の作品に併記される「金田記」、「金田」から、明治から大正期の牙彫家・牙彫商の金田兼次郎[7]との関係が推察される。緑山が金田に直接師事したという記録はないが、展覧会への出品は金田によってなされており、両者が浅からぬ関係だったことが窺える。昭和18年(1943年)には伊勢丹の依頼を受けてインドネシアスマトラ島に赴き、現地で牙彫の指導を行った[1]。墓は、足立区の法受寺。

安藤と牙彫

象牙彫刻(当時の呼称は牙彫〔げちょう〕)[注釈 3]の分野で活躍し、野菜果物を中心に多くの作品を制作した彫刻家が安藤である。職人に明治後期から仕事を確保してきた牙彫も、大正になり非効率な仕事がいとわれてブームが沈静化。その時期に安藤は牙彫に挑んだ彫刻家である[8]。現存する物だけでも50数点以上あり[要説明]、「竹の子と梅」は安藤の最高傑作とも言われる。

牙彫ブームとパリ万国博覧会

牙彫は江戸時代に始まり、明治期にパリ万国博覧会 (1900年)に出品されて[9][10]海外のコレクターに注目される[11]。また「美術界年史(彙報)」に明治期に牙彫が海外でコレクターに人気だったことを伝える記録があり、1990年の東京都美術館「大英博物館秘蔵・江戸美術展」(8月9日–9月24日)に関して記事「相次ぐ日本美術品里帰り展」を掲載、工芸分野で牙彫や根付など国内では珍しい作品が展示され「……日本美術に対する国内外の見方の相違を明らかにする展観……」であったと記述する[12]。外貨獲得の国策として海外輸出が始まり、職人に「牙彫ブーム」と呼ばれる最盛期が訪れる[注釈 4]

作品の特徴

安藤の彫刻で最大の特徴は、"色つけ"である。当時の美術界では"白地の肌合い"が牙彫の王道であり、緑山は「象牙に着色すると色が滲んで独特の味わいを持つ」という独自の流儀[14]により主流から外れ、その制作態度は異端視され、高い技巧ほどには評価されなかった。加えて、緑山自身も気難しい性格で人との交渉を嫌って弟子を全く取らず、「安藤緑山一代限り」とのポリシーを持っていた。

緑山の技巧は長らく謎とされていたが、X線透視検査によって1本の象牙に丸彫するのが基本とされた牙彫において、複数の牙材をネジなどで接合することで大作の牙彫を実現していることが明らかとなった[15]。また蛍光X線分析によると、有機系着色料ではなく金属を主成分とした無機系着色料が主に用いられた可能性が高い[16]。更に顕微鏡による細部観察によって、彫りの段階で細部まで完成させてから着色しており、場合によっては着色後に部分的に彫りや削りを施すことで、素地の白色を露出させる技法を用いているのが見て取れる[17]

緑山作品の伝来をたどると、「蜜柑」[18]ほか皇室関係者に行き当たる例がいくつかあり[要説明]、緑山の牙彫は国内外のごく限られた富裕層が愛玩したものと想像される。

代表作

50数点伝わる作品より、主なものを収蔵施設別に一覧する。

上野の森美術館

京都国立近代美術館

  • 「竹の子、梅」 大正~昭和初期[19][20]。清水三年坂美術館収蔵の同名作品に似る。

清水三年坂美術館

三の丸尚蔵館

  • 「柿」 大正9年(1920年)。東京彫工会競技会出品
  • 「象墜」(しょうつい)[注釈 5]

三井記念美術館

  • 「貝尽くし」[22]

脚注

注釈

  1. ^ 「萬蔵、萬造、萬象と号した」という中村の指摘だが、他の文献資料に見当たらず、裏付けは取れていない。ただ、「萬象」の彫名が入った作品があることから、彫象と号したのは間違いないようだ[3]
  2. ^ 大谷光利に師事したと『東京彫工会史』(昭和2年刊)[4]から読み取れるが、遺族にも詳細は伝わっていない[5]
  3. ^ 現在、牙彫師は東京や京都で数えるほどの人数しか存在しない[要出典]。象牙の取り引きはワシントン条約で禁止されているため、条約締結前の象牙を使わざるを得ない。
  4. ^ 海外の牙彫受容を伝えるエピソードを、黒田清輝が明治37年の日記(1904年6月14日)[13]に記している。東京美術学校でフランスから来訪者を受けたおり、「木彫」「牙彫」「蒔絵」の教室に案内したという。

    大意:自分の留守中に家に小西医師がきて〔注:家族を〕診察、異状ないと言われたという。午前10時過ぎに美術学校に出勤、まもなく見学者バーネー兄妹が到着。すぐに校長に紹介、12時半ごろまでかけて木彫、牙彫と蒔絵その他の教室へ案内して参観。(後略)(六月十四日 火/ 本日ハ留守中ニ小西氏来診 少シモ異状ナキ旨被申タル由也 午前十時過登校 間モナクBernay氏兄姉参観 直チニ校長ニ紹介シ同道ニテ木彫牙彫蒔絵等ノ諸科ヘ案内十二時半頃ニ至ル……)

  5. ^ a b 日本美術協会創立125周年記念「有栖川宮高松宮 ゆかりの名品」展。同館収蔵品に加え、宮内庁三の丸尚蔵館、宮内庁書陵部、近江神宮国学院大学学習院大学ほか、東京国立博物館国立歴史民俗博物館東京芸術大学大学美術館の資料を展示[18]

出典

  1. ^ a b c 小林祐子 2018, p. 71-72.
  2. ^ 中村雅明 1991.
  3. ^ 小林祐子 2014, p. 18.
  4. ^ 内藤政宗『東京彫工會史』、東京:内藤政宗私家版、1927年。NCID BA40054235
  5. ^ 小林祐子 2018.
  6. ^ 「東京彫工会会員役員人名録」。
  7. ^ 五味聖 2012.
  8. ^ 瀬津巌「歯がたたない果物--安藤緑山 牙彫 (連載 新・掌の美【第二十二話】)」『芸術新潮』第44巻11 (527)、新潮社、1993年月11、124-125頁。 
  9. ^ 植野健造「日本近代洋画の成立白馬会」『』中央公論美術出版、2005年10月。ISBN 4-8055-0496-X全国書誌番号:20927240
  10. ^ 植野健造氏作成「白馬会関係新聞記事一覧」(データベース作成:東京文化財研究所)による。巴里博覧会出品の美術作品 (1899年(明治32年)9月6日「毎日新聞」掲載”. 東文研アーカイブデータベース (転載). 東京文化財研究所. 2019年7月9日閲覧。 “日本画(五十五点)、西洋画(三十点)、版画(二点)、牙彫(五点)、木彫(十一点)、金属彫(七点)、建築(一点)”この記事は『国民新聞』「巴里博覧会出品(監査合格の続)」1899年(明治32年)10月29日第5面、雑報に続き「水彩画の部と美術学校生徒作出品の部」の合格者を掲載。「藤原式室内装飾図」(関保之助)、「徳川式室内装飾図」(島田佳矣)と「西洋建築図 案」という記述がある。
  11. ^ Dalton, Ormonde Maddock著『Catalogue of the Ivory Carvings of the Christian Era with Examples of Mohammedan Art and Carving in Bone in the British Museum』、大英博物館 Dept. of British and Mediaeval Antiquities and Ethnography、1909年。NCID BA02261472(英語)
  12. ^ 相次ぐ日本美術品里帰り展 (記事番号:04005)”. www.tobunken.go.jp (1990年8月). 2019年7月9日閲覧。
  13. ^ HOME > 黒田清輝日記 > 六月十四日 火” (1904年6月14日(明治37年)). 2019年7月9日閲覧。
  14. ^ 小林祐子 2015, pp. 3–13.
  15. ^ 園田直子 2015, p. 15-22.
  16. ^ 日髙真吾 2015, p. 23-33.
  17. ^ 小林祐子 2014, p. 18、20-22.
  18. ^ a b 「象墜(しょうつい)」〈有栖川宮・高松宮 ゆかりの名品 - 日誌 - より〉ページ6”. www.ueno-mori.org (2013年7月1日). 2019年7月9日閲覧。
  19. ^ 京都国立近代美術館 2017, p. 123.
  20. ^ 竹の子、梅(大正-昭和時代 安藤緑山) < 〈京都国立近代美術館・松原龍一氏監修。見よ、これぞ! 美しき「超絶技巧」5選 <PR>〉より。”. きょうとあす. HEARST FUJINGAHO (2017年5月25日). 2019年7月9日閲覧。
  21. ^ 「KIRIN~美の巨人たち~」2013年5月25日放送、「安藤緑山『竹の子と梅』」
  22. ^ 福井泰民 1998.

参考文献

出版年順

  • 東京彫工会会員役員人名録
  • 中村雅明「超絶技巧の世界1 象牙彫刻」『目の眼』第179号、1991年9月。 
  • 福井泰民『安藤緑山「染象牙果菜と貝尽くし置物」』〈日本の象牙美術十選:10〉第12巻第16号、1998年12月16日。 
  • 五味聖「珍品ものがたり」『「珍品ものがたり」展図録』宮内庁三の丸尚蔵館、2012年。 
  • 小林裕子「安藤緑山の牙彫─研究序説として」『超絶技巧! 明治工芸の粋』山下裕二 (監修)、浅野研究所、2014年、17-23頁。 

『三井美術文化史論集』第8号

  • 小林祐子「安藤緑山の牙彫 : 研究序説として」『三井美術文化史論集』第8号、三井文庫三井記念美術館、2015年、3-13頁、ISSN 1882-8698 
  • 園田直子「安藤緑山作「染象牙果菜置物」の観察結果」『三井美術文化史論集』第8号、2015年、15-22頁。 
  • 日髙真吾 (2015). “安藤緑山作「染象牙果菜置物」・「染象牙貝尽し置物」の蛍光X線分析”. 三井美術文化史論集 (8): 23-33. 
  • 京都国立近代美術館、日本経済新聞社文化事業部 編『技を極める―ヴァンクリーフ&アーペル ハイジュエリーと日本の工芸』日本経済新聞社、2017年、123頁。  緑山作品は「竹の子、梅」の他に5点収載(いずれも京都国立近代美術館蔵)。
  • 小林祐子「〔資料紹介〕安藤緑山の履歴に関する新知見 ―遺族への聞き取り調査を通して―」『三井美術文化史論集』第11号、2018年1月1日、ISSN 1882-8698 

関連項目

関連文献

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