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「私作る人、僕食べる人」の版間の差分

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『'''私作る人、僕食べる人'''』(わたしつくるひと、ぼくたべるひと){{Sfn|瀬地山|2014}}{{Sfn|星野|1987|p=10}}{{Sfn|久武ほか|1997|p=118}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=34}}{{Efn2|「私」「僕」「作る」の一部または全部がひらがなのものや、「僕」がカタカナのもの、「私」「僕」の後に読点が入るものなど、以下の表記ゆれがある。<br />『'''私作る人、ぼく食べる人'''』{{Sfn|市川|2018|p=51}}<br />『'''私作る人、ボク食べる人'''』{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|海原|2018}}{{Sfn|市川|1993|p=148}}{{Sfn|『時事解説』|1975|p=5}}<br />『'''わたし作る人、ぼく食べる人'''』{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=128}}<br />『'''わたし作る人、ボク食べる人'''』{{Sfn|治部|2018|p=78}}<br />『'''私、作る人、僕、食べる人'''』{{Sfn|田中|2019|p=54}}<br />『'''わたし、つくる人 ぼく、食べる人'''』{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=21}}}}は、[[1975年]]([[昭和]]50年)に放送された[[ハウス食品|ハウス食品工業]]のテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]である{{Sfn|瀬地山|2014}}{{Sfn|田中|2019|p=54}}{{Sfn|井上ほか|2002|p=272}}{{Sfn|国広|2003|p=30}}。CM内の台詞が[[性別役割分業|性別役割分担]]の固定化につながるとして婦人団体から抗議を受け{{Sfn|石川ほか|2000|p=128}}{{Sfn|田中|2019|p=54}}{{Sfn|井上ほか|2002|p=272}}{{Sfn|国広|2003|p=30}}、約2か月で放送中止となった{{Sfn|瀬地山|2014}}。日本において[[ジェンダー]]の観点から広告が問題視された最初の事例として知られている{{Sfn|市川|2018|p=51}}{{Sfn|治部|2018|p=78}}{{Sfn|金井|2019}}{{Sfn|石川ほか|2000|pp=127-128}}。
『'''私作る人、僕食べる人'''』(わたしつくるひと、ぼくたべるひと){{Sfn|瀬地山|2014}}{{Sfn|星野|1987|p=10}}{{Sfn|久武ほか|1997|p=118}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=34}}{{Sfn|『宣伝会議』|2020|p=16}}{{Efn2|「私」「僕」「作る」の一部または全部がひらがなのものや、「私」「僕」がカタカナのもの、「私」「僕」の後に読点が入るものなど、以下のような表記ゆれがある。<br />『'''私作る人、ぼく食べる人'''』{{Sfn|市川|2018|p=51}}<br />『'''私つくる人、僕食べる人'''』{{Sfn|宝島社|2017|p=36}}<br />『'''私作る人、ボク食べる人'''』{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|海原|2018|p=4}}{{Sfn|市川|1993|p=148}}{{Sfn|『時事解説』|1975|p=5}}<br />『'''私つくる人、ボク食べる人'''』{{Sfn|水野ほか|2015|p=147}}<br />『'''わたし作る人、ぼく食べる人'''』{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=128}}<br />『'''わたし作る人、ボク食べる人'''』{{Sfn|治部|2018|p=78}}<br />『'''私、作る人、僕、食べる人'''』{{Sfn|田中|2019|p=54}}<br />『'''わたし、つくる人 ぼく、食べる人'''』{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=21}}<br />『'''ワタシ、つくる人、ボク、食べる人'''』{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=18}}{{Sfn|山口|2014}}<br />『'''私つくる人、ぼくたべる人'''』{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}<br />また、[[全日本シーエム放送連盟]]や[[放送番組センター]]などは、単に『'''私、つくるひと'''』{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|放送番組センター}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}{{Sfn|広告経済研究所|2002|p=58}}あるいは『'''私つくる人'''』{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=13}}としている。}}は、[[1975年]]([[昭和]]50年)に放送された[[ハウス食品|ハウス食品工業]]のテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]である{{Sfn|瀬地山|2014}}{{Sfn|水野ほか|2015|p=147}}{{Sfn|田中|2019|p=54}}{{Sfn|国広|2003|p=30}}。CM内の台詞が[[性別役割分業|性別役割分担]]の固定化につながるとして婦人団体から抗議を受け{{Sfn|市川|1993|p=148}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=128}}{{Sfn|田中|2019|p=54}}{{Sfn|井上ほか|2002|p=272}}、約2か月で放送中止となった{{Sfn|瀬地山|2014}}{{Sfn|『宣伝会議』|2020|p=16}}。日本において[[ジェンダー]]の観点から広告が社会的に問題視された最初の事例として知られている{{Sfn|市川|2018|p=51}}{{Sfn|石川ほか|2000|pp=127-128}}{{Sfn|武本|2019|p=114}}{{Sfn|東京女性財団|1999|p=8}}。第16回[[全日本シーエム放送連盟|ACC]] CMフェスティバル話題賞受賞作{{Sfn|放送番組センター}}{{Sfn|広告経済研究所|2002|p=58}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=13}}。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[ハウス食品|ハウス食品工業]]が[[1975年]]([[昭和]]50年)に放送した[[インスタントラーメン]]のテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]である{{Sfn|瀬地山|2014}}{{Sfn|市川|2018|p=51}}{{Sfn|市川|1993|p=148}}{{Sfn|石川ほか|2000|pp=127-128}}。ラーメンの置かれたテーブルの前で、女性が「私作る人」と言い、続いて男性が「僕食べる人」と言うものであった{{Sfn|治部|2018|p=78}}{{Sfn|金井|2019}}。
[[ハウス食品|ハウス食品工業]]が[[1975年]]([[昭和]]50年)に放送した[[インスタントラーメン]]のテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]である{{Sfn|市川|2018|p=51}}{{Sfn|市川|1993|p=148}}{{Sfn|国広|2003|p=30}}{{Sfn|石川ほか|2000|pp=127-128}}。ラーメンの置かれたテーブルの前で、女性が「私作る人」と言い、続いて男性が「僕食べる人」と言うものであった{{Sfn|治部|2018|p=78}}{{Sfn|金井|2019}}。


放送開始から約1か月後の9月30日、「[[国際婦人年]]をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(「行動を起こす女たちの会」)が、この台詞は「[[性別役割分業|男女の役割分担]]を固定化するものである」として抗議{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|市川|1993|p=148}}{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|治部|2018|p=80}}。これを受けてハウス食品工業は10月一杯で放送中止とした{{Sfn|治部|2018|p=80}}{{Sfn|久武ほか|1997|p=119}}。[[ジェンダー]]の観点から問題が指摘された日本で最初の広告とされており{{Sfn|市川|2018|p=51}}{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|金井|2019}}、日本社会にジェンダーに関する認識を広げる契機となった{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|石川ほか|2000|pp=130-131}}。
放送開始から約1か月後の9月30日、「[[国際婦人年]]をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(「行動を起こす女たちの会」)が、この台詞は「[[性別役割分業|男女の役割分担]]を固定化するものである」として抗議{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|市川|1993|p=148}}{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|治部|2018|p=80}}。これを受けてハウス食品工業は10月一杯で放送中止とした{{Sfn|『宣伝会議』|2020|p=16}}{{Sfn|治部|2018|p=80}}{{Sfn|久武ほか|1997|p=119}}。[[ジェンダー]]の観点から問題が指摘された日本で最初の広告とされており{{Sfn|市川|2018|p=51}}{{Sfn|武本|2019|p=114}}{{Sfn|東京女性財団|1999|p=8}}{{Sfn|金井|2019}}、日本社会にジェンダーに関する認識を広げる契機となった{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|石川ほか|2000|pp=130-131}}。


「行動を起こす女たちの会」の主張に対してはさまざまな立場からの意見表明があり社会的な議論を巻き起こしたが{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|市川|1993|p=148}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=130}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=18}}、当時の社会の反応は、むしろ同会の行動に冷ややかで、揶揄や嘲笑するものが多かった{{Sfn|井上ほか|2002|p=272}}{{Sfn|国広|2003|p=30}}{{Sfn|治部|2018|p=81}}{{Sfn|梅原|1976|p=217}}。これに対して「行動を起こす女たちの会」は、抗議活動を揶揄する記事を掲載した週刊誌の一つに謝罪広告と慰謝料を求める裁判を起こし、同会の制作した反論記事を掲載する「同一誌面」の提供で和解した{{Sfn|行動する女たちの会|1999|pp=48-49}}。これは、批判された側に反論の機会を保障する[[アクセス権 (知る権利)|アクセス権]]([[反論権]])による名誉回復を図ったものとして注目された{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=50}}。
「行動を起こす女たちの会」の主張に対してはさまざまな立場からの意見表明があり社会的な議論を巻き起こしたが{{Sfn|市川|1993|p=148}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=18}}{{Sfn|東京女性財団|1999|p=8}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=130}}、当時の社会の反応は、むしろ同会の行動に冷ややかで、揶揄や嘲笑するものが多かった{{Sfn|国広|2003|p=30}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=130}}{{Sfn|治部|2018|p=81}}{{Sfn|梅原|1976|p=217}}。これに対して「行動を起こす女たちの会」は、抗議活動を揶揄する記事を掲載した[[週刊誌]]の一つに謝罪広告と[[慰謝料]]を求める裁判を起こし、同会の制作した反論記事を掲載する「同一誌面」の提供で和解した{{Sfn|山口|2014}}{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|pp=48-49}}。これは、批判された側に反論の機会を保障する[[アクセス権 (知る権利)|アクセス権]]([[反論権]])による名誉回復を図ったものとして注目された{{Sfn|山口|2014}}{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=50}}。


== 内容 ==
== 内容 ==
[[ハウス食品|ハウス食品工業]]が発売した[[インスタントラーメン]]「ハウス シャンメン しょうゆ味」のテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]として、[[1975年]]([[昭和]]50年)8月末から放送された{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|治部|2018|p=80}}。30秒のものと15秒のものの2つのバージョンがある{{Sfn|『朝日新聞』|1975a|p=22}}。出演は、女性が[[結城アンナ]]、男性が[[佐藤佑介]]、少女は[[杉田かおる]]{{Sfn|文化放送|2016}}。
[[ハウス食品|ハウス食品工業]]が発売した[[インスタントラーメン]]「ハウス シャンメン しょうゆ味」のテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]として、[[1975年]]([[昭和]]50年)8月末から放送された{{Sfn|『宣伝会議』|2020|p=16}}{{Sfn|宝島社|2017|p=36}}{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|『朝日新聞』|1975a|p=22}}。30秒のものと15秒のものの2つのバージョンがある{{Sfn|『朝日新聞』|1975a|p=22}}。企画制作は、[[東急エージェンシー]]とキャット(現[[東急エージェンシープロミックス]]){{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}。出演は、女性が[[結城アンナ]]、男性が[[佐藤佑介 (1959年生)|佐藤佑介]]{{Sfn|宝島社|2017|p=36}}{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|文化放送|2016}}、少女は[[服部ひろえ]]{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|放送番組センター}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}{{Efn2|少女役については、[[杉田かおる]]とするものもある{{Sfn|文化放送|2016}}。}}。
: 女性と少女が「作ってあげよう シャンメン for you」と歌いながら踊り{{Sfn|文化放送|2016}}、ラーメンの置かれたテーブル{{Sfn|治部|2018|p=78}}{{Sfn|金井|2019}}{{Sfn|文化放送|2016}}、女性と少女が「私作る人」と言い、続いて男性が「僕食べる人」と言って{{Sfn|石川ほか|2000|p=128}}{{Sfn|文化放送|2016}}、3人で並んでラーメンを食べる{{Sfn|文化放送|2016}}。
{{Quotation|女性と少女が「作ってあげよう シャンメン for you」と歌いながら踊り{{Sfn|宝島社|2017|p=36}}{{Sfn|文化放送|2016}}、ラーメンの置かれたテーブル{{Sfn|治部|2018|p=78}}{{Sfn|金井|2019}}{{Sfn|文化放送|2016}}、女性と少女が「私作る人」と言い、続いて男性が「僕食べる人」と言って{{Sfn|宝島社|2017|p=36}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=128}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}{{Sfn|文化放送|2016}}、3人で並んでラーメンを食べる{{Sfn|文化放送|2016}}{{Sfn|宝島社|2017|p=37}}。}}
「かわいいじゃない、あのCM」{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}「あのCMは見るたびにユーモアを感じている」{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=40}}など、視聴者にはおおむね好評であったという{{Sfn|石川ほか|2000|p=130}}。
企画や演出などを担当した[[西山貴也]]によると{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}、企画にあたって子どもたちに商品がどう受け止められているかを調査した際の「家では私がみんなにつくってあげる」という小学校4・5年生女子の回答がヒントになったという{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|宝島社|2017|p=37}}。「女の子が男の子に、ラーメンをつくってあげる優しさを表現」し{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}、「つくる人の愛情が加わると、ラーメンがよりおいしくなる」というメッセージを込めた{{Sfn|宝島社|2017|p=37}}。[[視聴者]]からは、「かわいいじゃない、あのCM」{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}「あのCMは見るたびにユーモアを感じている」{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=40}}など、おおむね好評であった{{Sfn|石川ほか|2000|p=130}}{{Sfn|宝島社|2017|p=37}}{{Sfn|『週刊平凡』|1975|p=155}}。

== スタッフ ==
* 企画会社 - [[東急エージェンシー]]{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|広告経済研究所|2002|p=58}}
* 制作会社 - キャット(現[[東急エージェンシープロミックス]]){{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|広告経済研究所|2002|p=58}}
* [[プロデューサー]] - 浅野健三・立野和昭{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}
* [[プロジェクトマネージャ]]([[制作進行]]{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}) - 佐野晴男{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}
* 企画(アイディア{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}) - 西山貴也・羽太千恵・阿部裕{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}
* [[キャッチコピー|コピー]] - 西山貴也・羽太千恵・松岡康二{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}
* 演出 - 西山貴也{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}
* 撮影 - 常田昭太{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}
* 照明 - 沢田誠作{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}
* 美術 - 黒沢治安{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}
* アート - 羽太千恵{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}
* 編集 - 中村順子{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}
* 作曲(音楽{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}) - [[森田公一]]{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}
* 録音 - 水巻巌{{Sfn|文化科学研究所|2001|p=67}}{{Sfn|日本テレビコマ-シャル制作社連盟|1995|p=105}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=119}}


== 反響 ==
== 反響 ==
=== 婦人団体による抗議 ===
=== 婦人団体による抗議 ===
折しも[[1975年]]([[昭和]]50年)は[[国際連合]]が定めた[[国際婦人年]]にあたり{{Sfn|『時事解説』|1975|p=5}}{{Sfn|市川|2018|p=52}}{{Sfn|梅原|1976|p=214}}、日本では同年1月13日に{{Sfn|久武ほか|1997|p=116}}{{Sfn|治部|2018|p=79}}{{Sfn|梅原|1976|p=215}}、[[市川房枝]]や[[田中寿美子]]らの呼びかけで{{Sfn|井上ほか|2002|p=124}}「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(「行動を起こす女たちの会」、のちの「[[行動する女たちの会]]」)が結成されていた{{Sfn|石川ほか|2000|p=130}}{{Sfn|久武ほか|1997|p=116}}{{Sfn|治部|2018|p=79}}{{Sfn|井上ほか|2002|p=124}}。会員は、国会議員、地方議員、学者、評論家、ジャーナリストから主婦、学生まで{{Sfn|井上ほか|2002|p=124}}約600人で{{Sfn|石川ほか|2000|p=130}}{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=23}}、市川や田中のほか、[[樋口恵子]]、[[吉武輝子]]、[[俵萌子]]などが名を連ねていた{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=23}}{{Sfn|梅原|1976|p=218}}。
折しも[[1975年]]([[昭和]]50年)は[[国際連合]]が定めた[[国際婦人年]]にあたり{{Sfn|『時事解説』|1975|p=5}}{{Sfn|市川|2018|p=52}}{{Sfn|梅原|1976|p=214}}{{Sfn|『ヤングレディ』|1980|p=134}}、日本では同年1月13日に{{Sfn|久武ほか|1997|p=116}}{{Sfn|治部|2018|p=79}}{{Sfn|梅原|1976|p=215}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=14}}、[[参議院議員]]の[[市川房枝]]や[[田中寿美子]]らの呼びかけで{{Sfn|井上ほか|2002|p=124}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|pp=13-14}}「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(「行動を起こす女たちの会」、のちの「[[行動する女たちの会]]」)が結成されていた{{Sfn|久武ほか|1997|p=116}}{{Sfn|治部|2018|p=79}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=14}}{{Sfn|井上ほか|2009|p=8}}。会員は、[[日本の国会議員|国会議員]][[評論家]][[ジャーナリスト]]から主婦、学生まで{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=14}}{{Sfn|井上ほか|2002|p=124}}約600人で{{Sfn|石川ほか|2000|p=130}}{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=23}}、市川や田中のほか、[[樋口恵子]]、[[吉武輝子]]、[[俵萌子]]などが名を連ねていた{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=23}}{{Sfn|梅原|1976|p=218}}。


「行動を起こす女たちの会」は、第1回国連女性会議で採択された世界行動計画の{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}第175条に基づいて{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=22}}NHKや民放における女性の活用方法やドラマ等での女性の描き方を問題視し{{Sfn|井上ほか|2002|p=124}}、9月23日にはNHKを訪れて改善を求めた{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=20}}。そして、その際の記者会見で、私作る人、僕食べる人などのテレビCMなどについても批判し、近く抗議する予定であると表明した{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}。
「行動を起こす女たちの会」は、第1回[[世界女性会議]]で採択された行動計画の{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}第175条に基づいて{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=22}}[[日本放送協会|NHK]][[送|民放]]における女性の活用方法やドラマ等での女性の描き方をなど問題視し{{Sfn|井上ほか|2002|p=124}}、9月23日にはNHKを訪れて改善を求めた{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=20}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=24}}。そして、その際の[[記者会見]]で、私作る人、僕食べる人などのテレビ[[コマーシャルメッセージ|CM]]などについても批判し、近く抗議する予定であると表明した{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}。これは、「行動を起こす女たちの会」の会員の娘が「テレビのCMのせいで、男の子が[[給食当番]]をやらなくなった」と話したことがきっかけになったという{{Sfn|宝島社|2017|p=37}}。


NHKへの申し入れから1週間後の9月30日、「行動を起こす女たちの会」の7人{{Efn2|6人とする資料もある{{Sfn|石川ほか|2000|p=129}}。}}が[[ハウス食品|ハウス食品工業]]東京本部を訪ね、私作る人、僕食べる人のCMは「食事づくりはいつも女性の仕事という印象を与え、男女の役割分担を固定化してしまうものだ」などとして放送中止を求めた{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=34}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=129}}{{Sfn|治部|2018|pp=79-80}}。同時に、1か月以内に応じない場合は「不買運動も含めた対抗手段を検討する」と通告した{{Sfn|石川ほか|2000|p=129}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=35}}。
NHKへの申し入れから1週間後の9月30日、「行動を起こす女たちの会」の7人{{Efn2|6人とする資料もある{{Sfn|石川ほか|2000|p=129}}{{Sfn|『週刊平凡』|1975|p=154}}。}}が[[ハウス食品|ハウス食品工業]]東京本部を訪ね、私作る人、僕食べる人のCMは「食事づくりはいつも女性の仕事という印象を与え、[[性別役割分業|男女の役割分担]]を固定化してしまうものだ」などとして放送中止を求めた{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=34}}{{Sfn|『朝日新聞』|1975a|p=22}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=129}}{{Sfn|治部|2018|pp=79-80}}。同時に、1か月以内に応じない場合は「[[ボイコット|不買運動]]も含めた対抗手段を検討する」と通告した{{Sfn|『朝日新聞』|1975a|p=22}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=129}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=35}}。


=== 放送中止 ===
=== 放送中止 ===
[[ハウス食品|ハウス食品工業]]では、9月23日の「行動を起こす女たちの会」の[[記者会見]]で『私作る人、僕食べる人』の[[コマーシャルメッセージ|CM]]が抗議活動の標的となっていることを知ると、広報室長が「そういう見方もあるのか、と実は改めてびっくりしたのですが、やはり一つのお声ではありますので、慎重に対策をたてたいと思います」としつつ、「まだ正式にお申し入れがあったわけではないので、すぐこのCMをおろすという結論までは出ていません」とコメントした{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=23}}。
9月30日の抗議に対応した広報室長は、「わが社としては男女の差別や、職域区分を固定化しようとするつもりはなく、正直びっくりしている」としたうえで、「消費者の声には謙虚に耳を傾けていくのは当然」として社内で慎重に検討するとした{{Sfn|治部|2018|p=80}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=35}}。


9月30日の抗議を受けて、対応した広報室長は改めて「わが社としては[[性差別|男女の差別]]や、職域区分を固定化しようとするつもりはなく、正直びっくりしている」としたうえで、「[[消費者]]の声には謙虚に耳を傾けていく」として社内で慎重に検討すると述べた{{Sfn|治部|2018|p=80}}{{Sfn|『朝日新聞』|1975a|p=22}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=35}}。ハウス食品工業では、広報室、[[プロダクトマネージャー|プロダクト・マネジャー]]室、[[マーケティング|マーケッティング]]室の関係者によって対応を協議したがすぐには結論が出ず、3度にわたって会議が繰り返された{{Sfn|『週刊平凡』|1975|pp=154-155}}。また、ハウス食品工業には約100件の手紙や電話が寄せられたが、2件を除いて「やめる必要はない」という意見だったという{{Sfn|『週刊平凡』|1975|p=155}}。
10月27日、[[ハウス食品|ハウス食品工業]]は、新製品への切り替えを主たる理由として{{Sfn|治部|2018|p=80}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=35}}私作る人、僕食べる人のCMの10月一杯での放送中止を決め、「行動を起こす女たちの会」に通知した{{Sfn|久武ほか|1997|p=119}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=35}}。同社東京本部広報室は記者会見で、「社会的影響なども無視できない」としたうえで{{Sfn|近藤|2017}}、「消費者などからの反応は、あのままでいい、という声が圧倒的に多かったが、少数の声でも、謙虚に耳を傾けていくのは当然」などと中止の理由を説明した{{Sfn|近藤|2017}}。


10月27日、ハウス食品工業は、新製品への切り替えを主たる理由として{{Sfn|治部|2018|p=80}}{{Sfn|『週刊平凡』|1975|p=155}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=35}}私作る人、僕食べる人のCMの10月一杯での放送中止を決め、「行動を起こす女たちの会」に通知した{{Sfn|久武ほか|1997|p=119}}{{Sfn|『週刊平凡』|1975|p=155}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=35}}{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}。広報室は記者会見で、「社会的影響なども無視できない」とし{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|宝島社|2017|p=37}}{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}、「消費者などからの反応は、あのままでいい、という声が圧倒的に多かったが、少数の声でも、謙虚に耳を傾けていくのは当然」などと中止の理由を説明した{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}。これに対して「行動を起こす女たちの会」は、「差別CMであることをはっきり認めていないことや、新製品の宣伝開始まで中止の結論を引き延ばした点など、問題も残る」としつつも、「ともかく問題のCMが消えるのは一応の目的を達したことになる」{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}などと一定の評価をした{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}{{Sfn|『週刊平凡』|1975|pp=155-156}}。
なお、各種メディアで社会的な賛否の議論を巻き起こしたことで「私作る人、僕食べる人」のCMは注目を集め、「行動を起こす女たちの会」の抗議以降「ハウス シャンメン しょうゆ味」の売り上げ伸び続けたという。だしこの点についてハウス食品工業は「ラーメンの消費そのものが冷え切っていることもあってCMが有名になったわりには、あまり売れなかった」と述べている{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=36}}。


=== 社会の反応 ===
=== 社会の反応 ===
「行動を起こす女たちの会」の抗議活動が報道されるとさまざまな反響を呼んだが{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=130}}{{Sfn|行動するたちの会|1999|p=18}}{{Sfn|梅原|1976|p=217}}、当時のマスメディアは、男女の賃金格差などであればともかく{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}、性的な役割分担が差別であるという同会の主張を理解できなかった{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|井上ほか|2002|p=272}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=37}}。そのため、「行動を起こす女たちの会」の主張を、揶揄・中傷するものがほとんどであった{{Sfn|国広|2003|p=30}}{{Sfn|治部|2018|p=81}}{{Sfn|梅原|1976|p=217}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=37}}。
「行動を起こす女たちの会」の抗議活動が報道されるとさまざまな反響を呼んだが{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=18}}{{Sfn|山口|2014}}{{Sfn|東京性財団|1999|p=8}}{{Sfn|梅原|1976|p=217}}、当時の[[マスメディア]]は、男女の賃金格差などであればともかく{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}、[[性別役割分業|性的な役割分担]][[性差別|差別]]であるという同会の主張を理解できなかった{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|井上ほか|2002|p=272}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=37}}。そのため、「行動を起こす女たちの会」の主張を、揶揄・中傷するものがほとんどであった{{Sfn|国広|2003|p=30}}{{Sfn|治部|2018|p=81}}{{Sfn|梅原|1976|p=217}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=37}}。


[[時事通信社]]は10月18日付の『[[時事解説]]』に、「『国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会』の活動は、ともすればエキセントリックに走りがちで、説得力に乏しい。家庭の主婦やOLなど、多くの女性がこれにソッポを向いていることが、その何よりの証拠である。テレビ批判の一環として『私(女性)作る人』『ボク(男性)食べる人』という食品会社のCMに”男女の役割を固定するもの”としてクレームをつけたことなど、被害もう想としかいいようがなく、話題となってその会社を喜ばせるだけに終わっている。」などとするコラムを掲載した{{Sfn|『時事解説』|1975|p=5}}。放送中止を報じる『[[朝日新聞]]』の記事には、[[上坂冬子]]が{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}「差別CM、というのも一つの見方かもしれないが、茶の間の大多数の主婦は、そんなものに神経をいらだたせてはいない。そんな感覚では、男女差別の本当のポイントからはずれてしまう。」というコメントを寄せた{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}。一方で、同記事には「あの告発のやり方に、からかい半分の議論がありましたが、ともかく問題の所在を明らかにした点に注目すべきでしょう」とする[[鍛冶千鶴子]]のコメントも掲載されている{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=36}}。
[[作家]]の[[遠藤周作]]は10月6日付の『[[毎日新聞]]』で、このCMが女性に不快感を与えるのであれば撤回し「その代りに、その社のシャンメンを男と女が店屋で食べて(中略)女『わたし、食べる人』 男『ぼく、払う人』といえばいい」と書いた{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=42}}。[[時事通信社]]は10月18日付の『[[時事解説]]』に、「『国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会』の活動は、ともすればエキセントリックに走りがちで、説得力に乏しい。家庭の主婦やOLなど、多くの女性がこれにソッポを向いていることが、その何よりの証拠である。テレビ批判の一環として『私(女性)作る人』『ボク(男性)食べる人』という食品会社の[[コマーシャルメッセージ|CM]]に”男女の役割を固定するもの”としてクレームをつけたことなど、[[被害妄想|被害もう想]]としかいいようがなく、話題となってその会社を喜ばせるだけに終わっている。」「女性の地位向上ということを、[[市川房枝|市川]]さんたちは何か勘違いしているのではなかろうか」などとするコラムを掲載した{{Sfn|『時事解説』|1975|p=5}}。放送中止を報じる『[[朝日新聞]]』の記事には、[[作家]]の[[上坂冬子]]が{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}「差別CM、というのも一つの見方かもしれないが、茶の間の大多数の主婦は、そんなものに神経をいらだたせてはいない。そんな感覚では、男女差別の本当のポイントからはずれてしまう。」というコメントを寄せた{{Sfn|近藤|2017}}{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}。一方で、同記事には「あの告発のやり方に、からかい半分の議論がありましたが、ともかく問題の所在を明らかにした点に注目すべきでしょう」とする[[鍛冶千鶴子]]のコメントも掲載されている{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=36}}。


大衆受けを狙う週刊誌はさらに露骨であり{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}、『[[週刊朝日]]』は「あげちゃうソング『百恵チャンも女性の敵』という女権(リブ)運動の”堂々たる論理”」{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=39}}、『[[読売ウイークリー|週刊読売]]』は「わたしつくる人、ぼく食べる人、は男女差別だって 抗議した市川房枝さんらの個人的発想」{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}、『[[週刊プレイボーイ]]』は「それでも俺たちは言う!『わたし生む人』『ボク生ませる人』」と題した記事を掲載した{{Sfn|治部|2018|p=81}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=38}}。女性誌でも、『[[女性セブン]]』が「『テレビは女性を差別!』NHKに出した要望書」{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}、『[[ヤングレディ]]』は「”女らしい”が女性差別の言葉? ヒステリックですね…」と題する記事を掲載した{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|治部|2018|p=81}}{{Sfn|梅原|1976|p=217}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=37}}。
大衆受けを狙う[[週刊誌]]はさらに露骨であり{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}、『[[週刊朝日]]』は「あげちゃうソング『[[山口百恵|百恵チャン]]も女性の敵』という女権([[ウーマン・リブ|リブ]])運動の”堂々たる論理”」{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=39}}、『[[読売ウイークリー|週刊読売]]』は「わたしつくる人、ぼく食べる人、は男女差別だって 抗議した市川房枝さんらの個人的発想」{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}、『[[週刊プレイボーイ]]』は「それでも俺たちは言う!『わたし生む人』『ボク生ませる人』」と題した記事を掲載した{{Sfn|治部|2018|p=81}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=38}}。[[女性週刊|女性誌]]でも、『[[女性セブン]]』が「『テレビは女性を差別!』[[日本放送協会|NHK]]に出した要望書」{{Sfn|『婦人民主新聞』|1975|p=4}}、『[[ヤングレディ]]』は「”女らしい”が女性差別の言葉? ヒステリックですね…」と題する記事を掲載した{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}{{Sfn|治部|2018|p=81}}{{Sfn|梅原|1976|p=217}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=37}}。『ヤングレディ』は、「世間には、いろんな分野で男顔負けの仕事をしている女性もいれば、男性に尽くすことに喜びを感じている女性もいる。すべての女性が前者のようになることが、男女平等になることなのだろうか?」として{{Sfn|行動する女たちの会|1999|pp=45-46}}、[[藤本義一 (作家)|藤本義一]]の「差別、差別と叫ぶ前に、男女の区別をもっと認識すべき」{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=37}}、上坂冬子や[[西舘代志子|井上好子]]の「こんなことより女子の採用減や不況で職を亡くした母親のための運動を展開すべき」などとするコメントを載せた{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=46}}。上坂はさらに、「行動を起こす女たちの会」の抗議行動を「目に余る[[売名行為]]」と批判するコメントも寄せている{{Sfn|石川ほか|2000|p=130}}{{Sfn|梅原|1976|p=217}}。


なお、[[中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合]]の[[榎美沙子]]は、「趣旨は賛成」としつつも「やり方がなまぬるい」として、「どんなにやってもただ申し入れをするだけでは、実際効果は期待できないのじゃないかしら」と語っ{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=23}}。
一方で、[[中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合]]の[[榎美沙子]]は、『週刊読売』において「趣旨は賛成」としつつも「やり方がなまぬるい」として、「どんなにやってもただ申し入れをするだけでは、実際効果は期待できないのじゃないかしら」と語っている{{Sfn|『週刊読売』|1975|p=23}}。

『私作る人僕食べる人』のCMが各種メディアで社会的な賛否の議論を巻き起こし注目を集めたことで、「行動を起こす女たちの会」の抗議以降「ハウス シャンメン しょうゆ味」の売り上げ伸びたとする見方もあっ[[ハウス食品|ハウス食品工業]][[インスタントラーメン|ラーメン]]の消費そのものが冷え切っていることもあってCMが有名になったわりには、あまり売れなかった」と述べている{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=36}}。また、[[ジェンダー]]に関して賛否様々な議論を巻き起こした『私作る人、僕食べる人』のCMは、翌[[1976年]]([[昭和]]51年)に開催された第16回[[全日本シーエム放送連盟|ACC]] CMフェスティバルにおいて、話題賞を受賞した{{Sfn|放送番組センター}}{{Sfn|広告経済研究所|2002|p=58}}{{Sfn|全日本CM協議会|1977|p=13}}。


=== 『ヤングレディ』裁判 ===
=== 『ヤングレディ』裁判 ===
週刊誌による揶揄や中傷に対して「行動を起こす女たちの会」は、11月19日『[[ヤングレディ]]』編集長らとい、記事作成の経緯説明を受けたうえで、[[アクセス (知る権利)|アクセス権]]を主張して同会の反論掲載する「同一誌面提供を要求した{{Sfn|行動する女たちの会|1999|pp=46-48}}。1週間後に『ヤングレディ』側から「同一誌面の提供」を拒否する回答届いたため、行動を起こすたちは、12月25日に同誌編集長と版元講談社を相手取っ、名誉棄損として謝罪広告慰謝料求め訴訟を提起した{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=48}}。
[[週刊誌]]による揶揄や中傷に対して「行動を起こす女たちの会」は、標的を絞って抗議し論戦を挑むことした{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=45}}。週刊誌中には、[[男女同権|男女平等]]を主張する女性を「充実た家庭もしらないアワレな人たち」と呼んだ『[[週刊文春]]』や、「女にニュース読ませたら(中略)美人もいればブスもいから男にとってはどちらも気になっちゃって、ニュースなんか頭に入りゃしなくなる」と書いた『[[週刊プレイボーイ]]』などもあったが、行動を起こす女たちはこうした低次元の記事では議論にならないと考え、『[[ヤングレディ]]』をターゲットに選んだ{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=45}}。これは、『ヤングレディ』が「らしい”が女性差別言葉? ヒステリックですね…」の下に「でも本質からはずれいるのでは?」していたこから、「男女平等の本質とは何か」問うことができと考えたからであった{{Sfn|行動する女たちの会|1999|pp=45-46}}。


[[1979年]]([[昭和]]54年)12月12日、双方は裁判長による和解勧告に応じ、「同一誌面の提供」による和解が成立した{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=49}}。これ基づいて、『ヤングレディ』の[[1980年]](昭和55年)1月22日号に、「行動を起こす女たちの会」が作成した「女たちが拓く<女時代> 80年女はどう生きる」題する記事が掲載された{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=49}}。これは批判された側に反論の機会を保障する[[アクセス権 (知る権利)|アクセス権]][[反論権]])によ名誉回復図ったものとて注目された{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=50}}。
「行動を起こす女たちの会」は、11月19日に『ヤングレディ』の編集長らと会い、記事作成の経緯の説明を受けたうえで、[[アクセス権 (知る権利)|アクセス権]]([[反論権]])を主張して同会反論を掲載する「同一誌面の提供」を要求した{{Sfn|行動する女たちの会|1999|pp=46-48}}。1週間後に『ヤングレディ』側から拒否する回答が届いたため{{Sfn|行動する女たち会|1999|p=48}}、「行動を起こす女たちの会」事務局の[[波田あい子]]原告となり{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}、12月25日に同誌編集長出版元の講談社を相手取って{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=48}}、[[名誉毀損|名誉棄損]]として謝罪広告と[[慰謝料]]を求め訴訟提起した{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=48}}。

裁判は、原告側と被告側それぞれ一人ずつの証人尋問を終えた{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=49}}[[1979年]]([[昭和]]54年)3月に{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}[[裁判長]]が[[和解]]を勧告した{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=49}}。両者で話し合いを続けた結果、同年12月12日に「同一誌面の提供」による和解が成立した{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=49}}。和解成立を受けて、「行動を起こす女たちの会」は「和解は、裁判所が女性差別問題に理解を示し、アクセス権を認めたものだ」、『ヤングレディ』の編集長は「訴訟から四年、双方が何回となく話し合ってきたが、裁判所の和解勧告もあり、お互いに合意に達した」とコメントした{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}。

「行動を起こす女たちの会」が作成した「女たちが拓く<女の時代> 80年女はどう生きる」と題する記事は、『ヤングレディ』の[[1980年]](昭和55年)1月22日号に掲載された{{Sfn|山口|2014}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=49}}{{Sfn|『ヤングレディ』|1980|pp=132-134}}。記事では、職場や家庭のあり方を変えようとしている6人の女性の生き方を取り上げ、「<男らしさ><女らしさ>は催眠術」のタイトルで[[伊丹十三]]・[[宮本信子]]夫妻による対談を掲載した{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=49}}{{Sfn|『ヤングレディ』|1980|pp=132-134}}。そして、4年に及んだ裁判と和解の経緯を振り返り、次のように記事を締めくくった{{Sfn|『ヤングレディ』|1980|p=134}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|pp=49-50}}。

{{Quotation| この4年間、「男は外に、女は家庭に」という[[性別役割分業|性別役割分担]]を見直そうという動きは広まり、[[マスコミュニケーション|マスコミ]]に現れる女の生き方にも新しいイメージが加えられてきました。けれどもそれが「翔んでる女」に代表されるような、現実からかけ離れた特別の職業を持つファッション化された女像であることに不満を感じないわけにはいきません。<br /> [[1980年代|80年代]]は、ふつうの女たちがみな、もっと自由に自分の人生を生きられる時代にしたいと思います。ここに登場した6人の女たちは、職場や家庭など自分をとりかこむ現実をなんらかの形で変えようとしています。すでに自分の人生を、しなやかに、したたかに生きている女たちが、あなたのすぐそばに確実に増えていることを知ってほしいと願ってこの記事をつくりました。|(国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会ヤングレディ裁判グループ)}}

== 評価と影響 ==
=== ジェンダーに対する認識の拡大 ===
『私作る人、僕食べる人』の[[コマーシャルメッセージ|CM]]は、日本において[[ジェンダー]]の観点から広告が社会的な問題となった最初の事例として知られ{{Sfn|市川|2018|p=51}}{{Sfn|宝島社|2017|p=36}}{{Sfn|治部|2018|p=78}}{{Sfn|石川ほか|2000|pp=127-128}}、それまで関心のなかった層がジェンダーについて考えるきっかけになったと評価されている{{Sfn|山口|2014}}{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}。「行動を起こす女たちの会」が『私作る人、僕食べる人』のCMに抗議した当時は様々な議論を呼んだが、ジェンダー表現が差別にあたるという認識は徐々に社会に広がり、こうした広告は次第に減少していった{{Sfn|市川|2018|p=52}}。それでもジェンダー表現に関する広告が問題視される事例がしばしば発生してはいるものの{{Sfn|武本|2019|p=114}}{{Sfn|金井|2019}}、当時と違ってジェンダーに対する認識が共有され{{Sfn|治部|2018|p=93}}、価値観も多様化している日本社会において{{Sfn|武本|2019|p=114}}、固定的な[[性別役割分業|性別役割分担]]意識に基づくと考えられる表現を行う広告は、大きな批判にさらされるようになっている{{Sfn|武本|2019|p=114}}{{Sfn|治部|2018|p=81}}。

[[ジャーナリスト]]の[[治部れんげ]]は、[[2018年]]([[平成]]30年)の著書の中で、「前述した[[週刊誌]]のような表現を使えば、今ならその週刊誌自体が批判を浴びるはず」と社会の変化を指摘している{{Sfn|治部|2018|pp=81-82}}。また、[[帝京大学]]の[[吉野ヒロ子]]は、当時は放送開始から「行動を起こす女たちの会」の抗議まで1か月、放送中止までさらに1か月かかったが、[[インターネット]]が普及した2018年時点であれば「放映開始後数時間で騒動となり、翌日か翌々日には放映中止となるのではないでしょうか」と述べている{{Sfn|『宣伝会議』|2020|p=16}}。

なお、治部は、ハウス食品工業の広報室長の一連の対応について、「自社のCMに反対し、中止を求める[[消費者]]と直接会っている」「[[マスメディア|メディア]]の取材に対して、回答を控えずに意見を述べている」「社内でいかなる対応策が検討されているか、その時点での最新情報を提供している」点をあげて、「今でも学ぶべきところが多い」と評価している{{Sfn|治部|2018|p=80}}。

=== アクセス権の前進 ===
「行動を起こす女たちの会」は、『私作る人、僕食べる人』に対する同会の抗議活動を揶揄する記事を掲載した『[[ヤングレディ]]』に対して訴訟を起こし{{Sfn|行動する女たちの会|1999|pp=46-48}}、最終的に「同一誌面の提供」を条件に[[和解]]が成立して{{Sfn|『ヤングレディ』|1980|p=134}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=49}}、「行動を起こす女たちの会」の作成した記事が『ヤングレディ』の[[1980年]](昭和55年)1月22日号に掲載された{{Sfn|山口|2014}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=49}}{{Sfn|『ヤングレディ』|1980|pp=132-134}}。

[[アクセス権 (知る権利)|アクセス権]]([[反論権]])は[[マスメディア]]に対して一般国民が意見を主張する権利として[[アメリカ合衆国]]では[[1960年代]]末から認められ始めていたが{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}、この和解は、日本でも批判された側に反論の機会を保障するアクセス権による名誉回復を図ったものとして注目された{{Sfn|山口|2014}}{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=50}}。あくまでも和解による当事者間の合意に過ぎず、訴訟上権利として定着したとまでは言えないものの、「行動を起こす女たちの会」は、「[[1970年代|七〇年代]]の最後を締めくくるにふさわしい解決だった。女性側の泣き寝入りの時代が長かったことを考えると全面勝利だと思う。アクセス権が認められたことも、これからの住民運動に大きな変化を与えるきっかけになるだろう。」と評価した{{Sfn|『読売新聞』|1979|p=18}}。

=== ジェンダー広告と抗議活動のその後 ===
『私作る人、僕食べる人』の[[コマーシャルメッセージ|CM]]の放送を中止させた「行動を起こす女たちの会」は、[[1986年]]([[昭和]]61年)に「[[行動する女たちの会]]」に改称し、[[1995年]]([[平成]]7年)の第4回[[世界女性会議]]を区切りとして翌[[1996年]](平成8年)に解散した{{Sfn|井上ほか|2002|p=124}}。その間、引き続き女性差別につながりかねない広告に関して抗議したり{{Sfn|井上ほか|2002|p=272}}{{Sfn|東京女性財団|1999|p=8}}{{Sfn|井上ほか|2009|p=8}}[[日本広告審査機構]]に要望書を提出するなどの活動を続け{{Sfn|『朝日新聞』|1975b|p=23}}、一定の成果をあげた{{Sfn|井上ほか|2002|p=272}}{{Sfn|東京女性財団|1999|p=8}}。しかし、こうした「抗議・告発型」の活動姿勢が、若い世代の女性に敬遠され、支持を得られなかったことで、解散の一因になったとも言われている{{Sfn|石川ほか|2000|p=151}}。

これに対して[[1984年]](昭和59年)に発足した「テレビ・コマーシャルの男女役割を問い直す会」は、定期的に「そろそろやめてコマーシャル」と同時に「なかなか好感コマーシャル」を選定している{{Sfn|井上ほか|2009|p=8}}{{Sfn|井上ほか|2002|p=273}}{{Sfn|石川ほか|2000|p=136}}{{Sfn|治部|2018|p=83}}。そして、「そろそろやめてコマーシャル」についても「こういう風に変えたらどうか」という提言を添えており{{Sfn|石川ほか|2000|p=137}}、「テレビ・コマーシャルの男女役割を問い直す会」の活動は、作り手と受け手の意見交流を通じた新しい「提案型」の運動と評価されている{{Sfn|石川ほか|2000|p=128}}{{Sfn|井上ほか|2002|p=273}}。

「行動を起こす女たちの会」をはじめとするこうした抗議活動によって、時に問題視される広告もありつつも{{Sfn|武本|2019|p=114}}{{Sfn|金井|2019}}、あからさまな男女差別や性別役割分業を描く広告は次第に減少していった{{Sfn|市川|2018|p=52}}{{Sfn|行動する女たちの会|1999|p=35}}。しかし、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]の普及にともなって{{Sfn|金井|2019}}、特に[[インターネットCM]]においてジェンダー表現が問題視されるケースが相次いで見られるようになってきており{{Sfn|市川|2018|p=71}}、「[[炎上 (ネット用語)|ジェンダー炎上]]」と呼ばれている{{Sfn|金井|2019}}。インターネットCMはテレビCMと比べて規制が緩く、制作者にとって挑戦的・冒険的表現に走りやすいという指摘とともに、日本社会はまだまだ[[男女同権|男女平等]]が実現されておらず、[[性別役割分業]]に基づく[[ステレオタイプ]]が相変わらず存在していることの証左であるとの指摘もある{{Sfn|市川|2018|pp=71-72}}。


== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
=== 書籍 ===
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|reference=[[久武綾子]]・[[戒能民江]]・[[若尾典子]]・[[吉田あけみ]] 『家族データブック-年表と図表で読む戦後家族 194596-』 [[有斐閣]]、[[1997年]]。ISBN 4-641-07592-1。}}
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|reference=『発行禁止・放送禁止の真実-問題表現やスキャンダルによるお蔵入り作品』 宝島社<別冊宝島>2589、[[2017年]]。ISBN 978-4-8002-7218-8。}}
* {{Wikicite|ref={{Sfnref|治部|2018}}
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|reference=[[治部れんげ]] 『炎上しない企業情報発信-ジェンダーはビジネスの新教養である』 [[日本経済新聞出版社]]、[[2018年]]。ISBN 9784532322373。}}
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=== 論文 ===
=== 論文 ===
* {{Wikicite|ref={{Sfnref|国広|2003}}
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|reference=[[国広陽子]] 「現代日本のジェンダー変容と『ここがヘンだよ日本人』」『メディア・コミュニケーション-メディア・コミュニケーション研究所紀要』第53号、[[慶應義塾大学]]メディア・コミュニケーション研究所、2003年、29-36頁。}}
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* {{Wikicite|ref={{Sfnref|市川|2018}}
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|reference=[[市川孝一]] 「社会問題化した広告表現-炎上CMから見えてくるもの-」『文芸研究:明治大学文学部紀要』第134号、[[明治大学]]文芸研究会、2018年、51-75頁。}}
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* {{Wikicite|ref={{Sfnref|武本|2019}}
|reference=[[武本隆行]] 「[http://www.j-mac.or.jp/oral/fdwn.php?os_id=184 炎上する広告-ジェンダー感からみる多様化社会の課題-]」『日本マーケティング学会 カンファレンス・プロシーディングス』第8号、[[日本マーケティング学会]]、[[2019年]]、110-117頁。}}


=== 新聞記事 ===
=== 新聞記事 ===
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|reference=[[海原純子]] 「新・心のサプリ『私作る人、ボク食べる人』」『[[毎日新聞]]』[[2018年]]4月29日付朝刊。}}
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=== 雑誌記事 ===
=== 雑誌記事 ===
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=== ウェブサイト ===
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[ステレオタイプ]]
* [[ジェンダー]]
* 社会的[[ステレオタイプ]]
* [[行動する女たちの会]]
* [[行動する女たちの会]]
* [[フェミニズム]]
* [[フェミニズム]]
* [[ジェンダー]]
* [[ウーマン・リブ]]
* [[ウーマン・リブ]]
*[[広告]]


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2020年3月14日 (土) 15:16時点における版

私作る人、僕食べる人』(わたしつくるひと、ぼくたべるひと)[1][2][3][4][5][注 1]は、1975年昭和50年)に放送されたハウス食品工業のテレビCMである[1][12][16][27]。CM内の台詞が性別役割分担の固定化につながるとして婦人団体から抗議を受け[10][14][16][28]、約2か月で放送中止となった[1][5]。日本においてジェンダーの観点から広告が社会的に問題視された最初の事例として知られている[6][29][30][31]。第16回ACC CMフェスティバル話題賞受賞作[22][25][26]

概要

ハウス食品工業1975年昭和50年)に放送したインスタントラーメンのテレビCMである[6][10][27][29]。ラーメンの置かれたテーブルの前で、女性が「私作る人」と言い、続いて男性が「僕食べる人」と言うものであった[15][32]

放送開始から約1か月後の9月30日、「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(「行動を起こす女たちの会」)が、この台詞は「男女の役割分担を固定化するものである」として抗議[8][10][13][33]。これを受けてハウス食品工業は10月一杯で放送中止とした[5][33][34]ジェンダーの観点から問題が指摘された日本で最初の広告とされており[6][30][31][32]、日本社会にジェンダーに関する認識を広げる契機となった[13][35]

「行動を起こす女たちの会」の主張に対してはさまざまな立場からの意見表明があり社会的な議論を巻き起こしたが[10][18][31][36]、当時の社会の反応は、むしろ同会の行動に冷ややかで、揶揄や嘲笑するものが多かった[27][36][37][38]。これに対して「行動を起こす女たちの会」は、抗議活動を揶揄する記事を掲載した週刊誌の一つに謝罪広告と慰謝料を求める裁判を起こし、同会の制作した反論記事を掲載する「同一誌面」の提供で和解した[19][20][39]。これは、批判された側に反論の機会を保障するアクセス権反論権)による名誉回復を図ったものとして注目された[19][20][40]

内容

ハウス食品工業が発売したインスタントラーメン「ハウス シャンメン しょうゆ味」のテレビCMとして、1975年昭和50年)8月末から放送された[5][7][8][41]。30秒のものと15秒のものの2つのバージョンがある[41]。企画制作は、東急エージェンシーとキャット(現東急エージェンシープロミックス[21][24]。出演は、女性が結城アンナ、男性が佐藤佑介[7][21][23][42]、少女は服部ひろえ[21][22][23][24][注 2]

女性と少女が「作ってあげよう シャンメン for you」と歌いながら踊り[7][42]、ラーメンの置かれたテーブルの前で[15][32][42]、女性と少女が「私作る人」と言い、続いて男性が「僕食べる人」と言って[7][14][24][42]、3人で並んでラーメンを食べる[42][43]

企画や演出などを担当した西山貴也によると[23]、企画にあたって子どもたちに商品がどう受け止められているかを調査した際の「家では私がみんなにつくってあげる」という小学校4・5年生女子の回答がヒントになったという[23][43]。「女の子が男の子に、ラーメンをつくってあげる優しさを表現」し[21][23]、「つくる人の愛情が加わると、ラーメンがよりおいしくなる」というメッセージを込めた[43]視聴者からは、「かわいいじゃない、あのCM」[13]「あのCMは見るたびにユーモアを感じている」[44]など、おおむね好評であった[36][43][45]

スタッフ

反響

婦人団体による抗議

折しも1975年昭和50年)は国際連合が定めた国際婦人年にあたり[11][46][47][48]、日本では同年1月13日に[49][50][51][52]参議院議員市川房枝田中寿美子らの呼びかけで[53][54]「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」(「行動を起こす女たちの会」、のちの「行動する女たちの会」)が結成されていた[49][50][52][55]。会員は、国会議員評論家ジャーナリストから主婦、学生まで[52][53]約600人で[36][56]、市川や田中のほか、樋口恵子吉武輝子俵萌子などが名を連ねていた[56][57]

「行動を起こす女たちの会」は、第1回世界女性会議で採択された行動計画の[13]第175条に基づいて[58]NHK民放における女性の活用方法やドラマ等での女性の描き方をなど問題視し[53]、9月23日にはNHKを訪れて改善を求めた[13][59][60]。そして、その際の記者会見で、『私作る人、僕食べる人』などのテレビCMなどについても批判し、近く抗議する予定であると表明した[13]。これは、「行動を起こす女たちの会」の会員の娘が「テレビのCMのせいで、男の子が給食当番をやらなくなった」と話したことがきっかけになったという[43]

NHKへの申し入れから1週間後の9月30日、「行動を起こす女たちの会」の7人[注 3]ハウス食品工業東京本部を訪ね、『私作る人、僕食べる人』のCMは「食事づくりはいつも女性の仕事という印象を与え、男女の役割分担を固定化してしまうものだ」などとして放送中止を求めた[4][41][61][63]。同時に、1か月以内に応じない場合は「不買運動も含めた対抗手段を検討する」と通告した[41][61][64]

放送中止

ハウス食品工業では、9月23日の「行動を起こす女たちの会」の記者会見で『私作る人、僕食べる人』のCMが抗議活動の標的となっていることを知ると、広報室長が「そういう見方もあるのか、と実は改めてびっくりしたのですが、やはり一つのお声ではありますので、慎重に対策をたてたいと思います」としつつ、「まだ正式にお申し入れがあったわけではないので、すぐこのCMをおろすという結論までは出ていません」とコメントした[56]

9月30日の抗議を受けて、対応した広報室長は改めて「わが社としては男女の差別や、職域区分を固定化しようとするつもりはなく、正直びっくりしている」としたうえで、「消費者の声には謙虚に耳を傾けていく」として社内で慎重に検討すると述べた[33][41][64]。ハウス食品工業では、広報室、プロダクト・マネジャー室、マーケッティング室の関係者によって対応を協議したがすぐには結論が出ず、3度にわたって会議が繰り返された[65]。また、ハウス食品工業には約100件の手紙や電話が寄せられたが、2件を除いて「やめる必要はない」という意見だったという[45]

10月27日、ハウス食品工業は、新製品への切り替えを主たる理由として[33][45][64]『私作る人、僕食べる人』のCMの10月一杯での放送中止を決め、「行動を起こす女たちの会」に通知した[34][45][64][66]。広報室長は記者会見で、「社会的影響なども無視できない」とし[8][43][66]、「消費者などからの反応は、あのままでいい、という声が圧倒的に多かったが、少数の声でも、謙虚に耳を傾けていくのは当然」などと中止の理由を説明した[8][66]。これに対して「行動を起こす女たちの会」は、「差別CMであることをはっきり認めていないことや、新製品の宣伝開始まで中止の結論を引き延ばした点など、問題も残る」としつつも、「ともかく問題のCMが消えるのは一応の目的を達したことになる」[66]などと一定の評価をした[66][67]

社会の反応

「行動を起こす女たちの会」の抗議活動が報道されるとさまざまな反響を呼んだが[18][19][31][38]、当時のマスメディアは、男女の賃金格差などであればともかく[13]性的な役割分担差別であるという同会の主張を理解できなかった[13][28][68]。そのため、「行動を起こす女たちの会」の主張を、揶揄・中傷するものがほとんどであった[27][37][38][68]

作家遠藤周作は10月6日付の『毎日新聞』で、このCMが女性に不快感を与えるのであれば撤回し「その代りに、その社のシャンメンを男と女が店屋で食べて(中略)女『わたし、食べる人』 男『ぼく、払う人』といえばいい」と書いた[69]時事通信社は10月18日付の『時事解説』に、「『国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会』の活動は、ともすればエキセントリックに走りがちで、説得力に乏しい。家庭の主婦やOLなど、多くの女性がこれにソッポを向いていることが、その何よりの証拠である。テレビ批判の一環として『私(女性)作る人』『ボク(男性)食べる人』という食品会社のCMに”男女の役割を固定するもの”としてクレームをつけたことなど、被害もう想としかいいようがなく、話題となってその会社を喜ばせるだけに終わっている。」「女性の地位向上ということを、市川さんたちは何か勘違いしているのではなかろうか」などとするコラムを掲載した[11]。放送中止を報じる『朝日新聞』の記事には、作家上坂冬子[66]「差別CM、というのも一つの見方かもしれないが、茶の間の大多数の主婦は、そんなものに神経をいらだたせてはいない。そんな感覚では、男女差別の本当のポイントからはずれてしまう。」というコメントを寄せた[8][66]。一方で、同記事には「あの告発のやり方に、からかい半分の議論がありましたが、ともかく問題の所在を明らかにした点に注目すべきでしょう」とする鍛冶千鶴子のコメントも掲載されている[66][70]

大衆受けを狙う週刊誌はさらに露骨であり[13]、『週刊朝日』は「あげちゃうソング『百恵チャンも女性の敵』という女権(リブ)運動の”堂々たる論理”」[13][71]、『週刊読売』は「わたしつくる人、ぼく食べる人、は男女差別だって 抗議した市川房枝さんらの個人的発想」[13]、『週刊プレイボーイ』は「それでも俺たちは言う!『わたし生む人』『ボク生ませる人』」と題した記事を掲載した[37][72]女性誌でも、『女性セブン』が「『テレビは女性を差別!』NHKに出した要望書」[13]、『ヤングレディ』は「”女らしい”が女性差別の言葉? ヒステリックですね…」と題する記事を掲載した[20][37][38][68]。『ヤングレディ』は、「世間には、いろんな分野で男顔負けの仕事をしている女性もいれば、男性に尽くすことに喜びを感じている女性もいる。すべての女性が前者のようになることが、男女平等になることなのだろうか?」として[73]藤本義一の「差別、差別と叫ぶ前に、男女の区別をもっと認識すべき」[68]、上坂冬子や井上好子の「こんなことより女子の採用減や不況で職を亡くした母親のための運動を展開すべき」などとするコメントを載せた[74]。上坂はさらに、「行動を起こす女たちの会」の抗議行動を「目に余る売名行為」と批判するコメントも寄せている[36][38]

一方で、中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合榎美沙子は、『週刊読売』において「趣旨は賛成」としつつも「やり方がなまぬるい」として、「どんなにやってもただ申し入れをするだけでは、実際効果は期待できないのじゃないかしら」と語っている[56]

『私作る人、僕食べる人』のCMが各種メディアで社会的な賛否の議論を巻き起こし注目を集めたことで、「行動を起こす女たちの会」の抗議以降「ハウス シャンメン しょうゆ味」の売り上げが伸びたとする見方もあったが、ハウス食品工業は、「ラーメンの消費そのものが冷え切っていることもあってCMが有名になったわりには、あまり売れなかった」と述べている[66][70]。また、ジェンダーに関して賛否様々な議論を巻き起こした『私作る人、僕食べる人』のCMは、翌1976年昭和51年)に開催された第16回ACC CMフェスティバルにおいて、話題賞を受賞した[22][25][26]

『ヤングレディ』裁判

週刊誌による揶揄や中傷に対して「行動を起こす女たちの会」は、標的を絞って抗議し論戦を挑むことにした[75]。週刊誌の中には、男女平等を主張する女性を「充実した家庭もしらないアワレな人たち」と呼んだ『週刊文春』や、「女にニュースを読ませたら(中略)美人もいればブスもいるから男にとってはどちらも気になっちゃって、ニュースなんか頭に入りゃしなくなる」と書いた『週刊プレイボーイ』などもあったが、「行動を起こす女たちの会」はこうした低次元の記事では議論にならないと考え、『ヤングレディ』をターゲットに選んだ[75]。これは、『ヤングレディ』が「”女らしい”が女性差別の言葉? ヒステリックですね…」の見出しの下に「でも本質からはずれているのでは?」と記していたことから、「男女平等の本質とは何か」を問うことができると考えたからであった[73]

「行動を起こす女たちの会」は、11月19日に『ヤングレディ』の編集長らと会い、記事作成の経緯の説明を受けたうえで、アクセス権反論権)を主張して同会の反論を掲載する「同一誌面の提供」を要求した[76]。1週間後に『ヤングレディ』側から拒否する回答が届いたため[77]、「行動を起こす女たちの会」事務局の波田あい子が原告となり[20]、12月25日に同誌の編集長と出版元の講談社を相手取って[77]名誉棄損として謝罪広告と慰謝料を求める訴訟を提起した[20][77]

裁判は、原告側と被告側それぞれ一人ずつの証人尋問を終えた[78]1979年昭和54年)3月に[20]裁判長和解を勧告した[20][78]。両者で話し合いを続けた結果、同年12月12日に「同一誌面の提供」による和解が成立した[78]。和解成立を受けて、「行動を起こす女たちの会」は「和解は、裁判所が女性差別問題に理解を示し、アクセス権を認めたものだ」、『ヤングレディ』の編集長は「訴訟から四年、双方が何回となく話し合ってきたが、裁判所の和解勧告もあり、お互いに合意に達した」とコメントした[20]

「行動を起こす女たちの会」が作成した「女たちが拓く<女の時代> 80年女はどう生きる」と題する記事は、『ヤングレディ』の1980年(昭和55年)1月22日号に掲載された[19][78][79]。記事では、職場や家庭のあり方を変えようとしている6人の女性の生き方を取り上げ、「<男らしさ><女らしさ>は催眠術」のタイトルで伊丹十三宮本信子夫妻による対談を掲載した[78][79]。そして、4年に及んだ裁判と和解の経緯を振り返り、次のように記事を締めくくった[48][80]

 この4年間、「男は外に、女は家庭に」という性別役割分担を見直そうという動きは広まり、マスコミに現れる女の生き方にも新しいイメージが加えられてきました。けれどもそれが「翔んでる女」に代表されるような、現実からかけ離れた特別の職業を持つファッション化された女像であることに不満を感じないわけにはいきません。
 80年代は、ふつうの女たちがみな、もっと自由に自分の人生を生きられる時代にしたいと思います。ここに登場した6人の女たちは、職場や家庭など自分をとりかこむ現実をなんらかの形で変えようとしています。すでに自分の人生を、しなやかに、したたかに生きている女たちが、あなたのすぐそばに確実に増えていることを知ってほしいと願ってこの記事をつくりました。 — (国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会ヤングレディ裁判グループ)

評価と影響

ジェンダーに対する認識の拡大

『私作る人、僕食べる人』のCMは、日本においてジェンダーの観点から広告が社会的な問題となった最初の事例として知られ[6][7][15][29]、それまで関心のなかった層がジェンダーについて考えるきっかけになったと評価されている[19][66]。「行動を起こす女たちの会」が『私作る人、僕食べる人』のCMに抗議した当時は様々な議論を呼んだが、ジェンダー表現が差別にあたるという認識は徐々に社会に広がり、こうした広告は次第に減少していった[46]。それでもジェンダー表現に関する広告が問題視される事例がしばしば発生してはいるものの[30][32]、当時と違ってジェンダーに対する認識が共有され[81]、価値観も多様化している日本社会において[30]、固定的な性別役割分担意識に基づくと考えられる表現を行う広告は、大きな批判にさらされるようになっている[30][37]

ジャーナリスト治部れんげは、2018年平成30年)の著書の中で、「前述した週刊誌のような表現を使えば、今ならその週刊誌自体が批判を浴びるはず」と社会の変化を指摘している[82]。また、帝京大学吉野ヒロ子は、当時は放送開始から「行動を起こす女たちの会」の抗議まで1か月、放送中止までさらに1か月かかったが、インターネットが普及した2018年時点であれば「放映開始後数時間で騒動となり、翌日か翌々日には放映中止となるのではないでしょうか」と述べている[5]

なお、治部は、ハウス食品工業の広報室長の一連の対応について、「自社のCMに反対し、中止を求める消費者と直接会っている」「メディアの取材に対して、回答を控えずに意見を述べている」「社内でいかなる対応策が検討されているか、その時点での最新情報を提供している」点をあげて、「今でも学ぶべきところが多い」と評価している[33]

アクセス権の前進

「行動を起こす女たちの会」は、『私作る人、僕食べる人』に対する同会の抗議活動を揶揄する記事を掲載した『ヤングレディ』に対して訴訟を起こし[76]、最終的に「同一誌面の提供」を条件に和解が成立して[48][78]、「行動を起こす女たちの会」の作成した記事が『ヤングレディ』の1980年(昭和55年)1月22日号に掲載された[19][78][79]

アクセス権反論権)はマスメディアに対して一般国民が意見を主張する権利としてアメリカ合衆国では1960年代末から認められ始めていたが[20]、この和解は、日本でも批判された側に反論の機会を保障するアクセス権による名誉回復を図ったものとして注目された[19][20][40]。あくまでも和解による当事者間の合意に過ぎず、訴訟上権利として定着したとまでは言えないものの、「行動を起こす女たちの会」は、「七〇年代の最後を締めくくるにふさわしい解決だった。女性側の泣き寝入りの時代が長かったことを考えると全面勝利だと思う。アクセス権が認められたことも、これからの住民運動に大きな変化を与えるきっかけになるだろう。」と評価した[20]

ジェンダー広告と抗議活動のその後

『私作る人、僕食べる人』のCMの放送を中止させた「行動を起こす女たちの会」は、1986年昭和61年)に「行動する女たちの会」に改称し、1995年平成7年)の第4回世界女性会議を区切りとして翌1996年(平成8年)に解散した[53]。その間、引き続き女性差別につながりかねない広告に関して抗議したり[28][31][55]日本広告審査機構に要望書を提出するなどの活動を続け[66]、一定の成果をあげた[28][31]。しかし、こうした「抗議・告発型」の活動姿勢が、若い世代の女性に敬遠され、支持を得られなかったことで、解散の一因になったとも言われている[83]

これに対して1984年(昭和59年)に発足した「テレビ・コマーシャルの男女役割を問い直す会」は、定期的に「そろそろやめてコマーシャル」と同時に「なかなか好感コマーシャル」を選定している[55][84][85][86]。そして、「そろそろやめてコマーシャル」についても「こういう風に変えたらどうか」という提言を添えており[87]、「テレビ・コマーシャルの男女役割を問い直す会」の活動は、作り手と受け手の意見交流を通じた新しい「提案型」の運動と評価されている[14][84]

「行動を起こす女たちの会」をはじめとするこうした抗議活動によって、時に問題視される広告もありつつも[30][32]、あからさまな男女差別や性別役割分業を描く広告は次第に減少していった[46][64]。しかし、SNSの普及にともなって[32]、特にインターネットCMにおいてジェンダー表現が問題視されるケースが相次いで見られるようになってきており[88]、「ジェンダー炎上」と呼ばれている[32]。インターネットCMはテレビCMと比べて規制が緩く、制作者にとって挑戦的・冒険的表現に走りやすいという指摘とともに、日本社会はまだまだ男女平等が実現されておらず、性別役割分業に基づくステレオタイプが相変わらず存在していることの証左であるとの指摘もある[89]

脚注

注釈

  1. ^ 「私」「僕」「作る」の一部または全部がひらがなのものや、「私」「僕」がカタカナのもの、「私」「僕」の後に読点が入るものなど、以下のような表記ゆれがある。
    私作る人、ぼく食べる人[6]
    私つくる人、僕食べる人[7]
    私作る人、ボク食べる人[8][9][10][11]
    私つくる人、ボク食べる人[12]
    わたし作る人、ぼく食べる人[13][14]
    わたし作る人、ボク食べる人[15]
    私、作る人、僕、食べる人[16]
    わたし、つくる人 ぼく、食べる人[17]
    ワタシ、つくる人、ボク、食べる人[18][19]
    私つくる人、ぼくたべる人[20]
    また、全日本シーエム放送連盟放送番組センターなどは、単に『私、つくるひと[21][22][23][24][25]あるいは『私つくる人[26]としている。
  2. ^ 少女役については、杉田かおるとするものもある[42]
  3. ^ 6人とする資料もある[61][62]

出典

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参考文献

書籍

論文

新聞記事

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雑誌記事

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  • 梅原正紀「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会(集団の発見61)」『現代の眼』第17巻第1号、現代評論社、1976年1月、214-219頁。 
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  • 星野安三郎「教育基本法第五条を教える(1)『私作る人』『僕食べる人』の関係の変革を」『季刊女子教育もんだい』第33号、労働教育センター、1987年11月、10-16頁。 
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ウェブサイト

関連項目