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2013-14シーズンは、FWエディンソン・カバーニが移籍金6400万ユーロで昨シーズンのラベッシに続きパリ・サンジェルマンに、GKモルガン・デ・サンクティスが50万ユーロで[[ASローマ]]へ、DFウーゴ・カンパニャーロがフリーでインテルへ移籍するなど近年の主力を放出したが、カバーニの売却益を中心に[[レアル・マドリード]]からFW[[ゴンサロ・イグアイン]]、FW[[ホセ・マリア・カジェホン・ブエーノ|ホセ・カジェホン]]、DF[[ラウール・アルビオル]]を獲得し、更にベニテス監督の[[リヴァプールFC]]時代の教え子であるGK[[ホセ・マヌエル・レイナ]]、[[PSVアイントホーフェン|PSV]]から[[サッカーベルギー代表|ベルギー代表]]のFW[[ドリース・メルテンス]]を獲得するなどの補強を進めている。チャンピオンズリーグではグループ・ステージにて[[アーセナルFC|アーセナル]]、[[ボルシア・ドルトムント]]、[[オリンピック・マルセイユ]]と同組になり、混戦の末に最終戦にて敗退が決定した。勝ち点18点中12点でのグループ・ステージ敗退は史上初であった<ref>{{Cite web |date=2013-12-11 |url=http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/12/13/kiji/K20131213007191410.html |title=ナポリ 勝ち点12で初の敗退 「こんなの理不尽だ」 |publisher=スポニチアネックス |accessdate=2013-12-15}}</ref>。2年ぶり5回目の[[コッパ・イタリア]]制覇を成し遂げている。 |
2013-14シーズンは、FWエディンソン・カバーニが移籍金6400万ユーロで昨シーズンのラベッシに続きパリ・サンジェルマンに、GKモルガン・デ・サンクティスが50万ユーロで[[ASローマ]]へ、DFウーゴ・カンパニャーロがフリーでインテルへ移籍するなど近年の主力を放出したが、カバーニの売却益を中心に[[レアル・マドリード]]からFW[[ゴンサロ・イグアイン]]、FW[[ホセ・マリア・カジェホン・ブエーノ|ホセ・カジェホン]]、DF[[ラウール・アルビオル]]を獲得し、更にベニテス監督の[[リヴァプールFC]]時代の教え子であるGK[[ホセ・マヌエル・レイナ]]、[[PSVアイントホーフェン|PSV]]から[[サッカーベルギー代表|ベルギー代表]]のFW[[ドリース・メルテンス]]を獲得するなどの補強を進めている。チャンピオンズリーグではグループ・ステージにて[[アーセナルFC|アーセナル]]、[[ボルシア・ドルトムント]]、[[オリンピック・マルセイユ]]と同組になり、混戦の末に最終戦にて敗退が決定した。勝ち点18点中12点でのグループ・ステージ敗退は史上初であった<ref>{{Cite web |date=2013-12-11 |url=http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2013/12/13/kiji/K20131213007191410.html |title=ナポリ 勝ち点12で初の敗退 「こんなの理不尽だ」 |publisher=スポニチアネックス |accessdate=2013-12-15}}</ref>。2年ぶり5回目の[[コッパ・イタリア]]制覇を成し遂げている。 |
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2014-15シーズンは、[[スウォンジー・シティAFC|スウォンジー・シティ]]からスペイン代表FW[[ミゲル・ペレス・クエスタ|ミチュ]](1年間のレンタル)とMF[[ジョナサン・デ・グズマン]]を、[[RCDエスパニョール]]からMFダビド・ロペスを、[[KRCヘンク]]からDF[[カリドゥ・クリバリ]]を、[[カルチョ・カターニア]]からアルゼンチン代表GK[[マリアーノ・アンドゥハル]]を獲得し、[[ |
2014-15シーズンは、[[スウォンジー・シティAFC|スウォンジー・シティ]]からスペイン代表FW[[ミゲル・ペレス・クエスタ|ミチュ]](1年間のレンタル)とMF[[ジョナサン・デ・グズマン]]を、[[RCDエスパニョール]]からMFダビド・ロペスを、[[KRCヘンク]]からDF[[カリドゥ・クリバリ]]を、[[カルチョ・カターニア]]からアルゼンチン代表GK[[マリアーノ・アンドゥハル]]を獲得し、[[パルマ・カルチョ1913|パルマFC]]からウルグアイ代表MFワルテル・ガルガノとフィオレンティーナからGKアントニオ・ロザーティを復帰させた。さらに冬の移籍市場では、[[UCサンプドリア]]から[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]FWの[[マノロ・ガッビアディーニ]]を獲得した。18勝9分11敗でリーグ戦を終え、70得点・54失点となり、結果は5位だった。 |
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2015-16シーズンは、レアル・マドリードに引き抜かれたラファエル・ベニテスの後釜に14-15シーズンに[[エンポリFC]]を率いた[[マウリツィオ・サッリ]]を監督に招聘。そのエンポリで指導を受けたMF[[ミルコ・ヴァルディフィオーリ]]を、[[ウディネーゼ・カルチョ]]からMF[[アラン・マルケス・ロウレイロ]]を、[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]からGKホセ・マヌエル・レイナらを獲得し、GKロベルト・コロンボ、DF[[ジャンドメニコ・メスト]]、[[ブルーノ・ウビニ]](レンタル)、MFワルテル・ガルガノ、FW[[ドゥバン・サパタ]](レンタル)、ミチュらが移籍した。 |
2015-16シーズンは、レアル・マドリードに引き抜かれたラファエル・ベニテスの後釜に14-15シーズンに[[エンポリFC]]を率いた[[マウリツィオ・サッリ]]を監督に招聘。そのエンポリで指導を受けたMF[[ミルコ・ヴァルディフィオーリ]]を、[[ウディネーゼ・カルチョ]]からMF[[アラン・マルケス・ロウレイロ]]を、[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]からGKホセ・マヌエル・レイナらを獲得し、GKロベルト・コロンボ、DF[[ジャンドメニコ・メスト]]、[[ブルーノ・ウビニ]](レンタル)、MFワルテル・ガルガノ、FW[[ドゥバン・サパタ]](レンタル)、ミチュらが移籍した。 |
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2020年2月4日 (火) 11:43時点における版
SSCナポリ | ||||
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![]() | ||||
原語表記 | Società Sportiva Calcio Napoli SpA | |||
愛称 |
Partenopei Gli Azzurri(青) I Ciucciarelli(小さなロバ) | |||
クラブカラー | 青・白 | |||
創設年 | 1926年 | |||
所属リーグ | セリエA | |||
ホームタウン | ナポリ | |||
ホームスタジアム | スタディオ・サン・パオロ | |||
収容人数 | 60,460 | |||
代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
SSCナポリ(Società Sportiva Calcio Napoli SpA)は、イタリア・ナポリを本拠地とするサッカークラブチーム。
概要
創設は1926年、これまでの歴史のほとんどでセリエAに参加している[1]。これまで、1986-87シーズンと1989-90シーズンの2度セリエAを制覇した。また、コッパ・イタリアを4回、スーペルコッパ・イタリアーナを1回制し、欧州の舞台では1988-89 UEFAカップで優勝した。ナポリは南イタリアで最も成功したクラブであり、イタリアで4番目にサポーターの多いサッカークラブである[2]。2012年の年間収入は148.4百万ユーロで、欧州第15位である。
1926年に創設されてから数度クラブ名称を変更している。これらのうち最も重要なのは1964年のAssociazione Calcio NapoliからSocietà Sportiva Calcio Napoliへの変更であった。直近の変更は2004年で[3]、クラブが破綻し、映画プロデューサーのアウレリオ・デ・ラウレンティスによってNapoli Soccerとして再設立された(2年後に元のSocietà Sportiva Calcio Napoliへと戻された)。2004年のクラブの破綻によって、イタリア3部ディビジョン(セリエC1)への降格となったが、わずか3年後にはセリエAの舞台に復帰した。
ナポリは欧州クラブ協会の会員である。
クラブの現在のアンセムは2013年にフランチェスコ・ソンデーリが作曲した曲で、ナポリの民謡「オ・スルダート・ンナモラート」("'O surdato 'nnammurato"、恋する兵士[4])が、主題に用いられている。
歴史
1969年に会長に就任したコッラード・フェルライーノ(2002年2月までクラブを所有した不動産開発業者)の下で、積極的なチーム強化が行なわれた。1980年代はディエゴ・マラドーナやカッレカ、ブルーノ・ジョルダーノやチロ・フェラーラを中心として、1986-87シーズンと1989-90シーズンの2度スクデットを獲得した。マラドーナは「ナポリの王様」と呼ばれ、彼の背番号10番は永久欠番となっている。1997-98シーズンからセリエBへの降格とセリエAへの昇格を繰り返し、チーム財政状況の悪化に伴い2004年夏に破産宣告され、セリエCへと降格した。
2004年から新生チームとして名前を改め再スタートした。オーナーは映画監督で資産家のアウレリオ・デ・ラウレンティスがナポリを3300万ユーロ(約56億1000万円)で買い取り就任する。若手を中心とした長期的目標に基づくチーム作りが掲げられた。2005-06シーズンにセリエBに昇格。この年にスタジアム観客数の合計がギネスブックには記載されなかったが世界記録を樹立した。2006-07シーズンにユヴェントスに次いでセリエBで2位となり、セリエA昇格を果たした。
2007-08シーズンはMFマレク・ハムシーク、FWエセキエル・ラベッシ、MFワルテル・ガルガノら若い新戦力が攻守に活躍して、昇格初年度ながら8位に躍進し、UEFAインタートトカップ経由でUEFAカップ出場権を獲得した。2007年10月にはエドアルド・レヤ監督が指導者キャリア通算1000試合を飾った。2008年夏には主力が軒並み残留し、アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオンで27得点を挙げて得点王に輝いたFWヘルマン・デニスを加え、UEFAカップとリーグ戦での上位進出を目指した。
2008-09シーズン、7節のユヴェントス戦に勝利して首位に浮上し、2008年12月途中までUEFAチャンピオンズリーグ出場圏内を保ったが、前半戦だけで7点を決めたハムシークなどの攻撃陣が後半戦は調子を落とし、2009年1月から4月末まで約4カ月も未勝利が続いた。3月にセリエC1からチームの指揮を執ってきたレヤ監督を解任し、ロベルト・ドナドーニ監督が就任したが、ドナドーニが指揮を執った11戦で2勝5分4敗と調子を取り戻せず、12位でシーズンを終えた。
2009-10シーズンはGKモルガン・デ・サンクティス、MFルカ・チガリーニ、FWファビオ・クアリャレッラ、DFウーゴ・カンパニャーロ、DFフアン・スニガなど即戦力を大量に確保した。しかし、開幕から失点の多い不安定な戦いを続け、10月6日にドナドーニ監督が解任された。後任のワルテル・マッツァーリ監督はボローニャFCとのデビュー戦を白星で飾り、フィオレンティーナ、ACミラン、ユヴェントスと7日間のうちに戦った3連戦を2勝1分と結果を残すなど15試合無敗記録と5試合無失点記録などを作り、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得し、シーズンを6位で終えた。
2010-11シーズンは、同じくUEFAヨーロッパリーグ出場を果たしたパレルモからウルグアイ人FWのエディンソン・カバーニを獲得、移籍市場の締切直前にファビオ・クアリャレッラがユヴェントスへ移籍した。セリエAでは前半戦終了の時点で単独2位につけ、UEFAヨーロッパリーグにおいても決勝トーナメント進出を果たした。ディエゴ・マラドーナを擁した時代以来約20年ぶりのスクデット獲得が期待されたが、結果3位に終わった。しかし、4位以内に入り、UEFAチャンピオンズリーグの出場権を獲得した。
2011-12シーズンは、コッパ・イタリアで25年ぶりの優勝を果たし、UEFAヨーロッパリーグの出場権を獲得した。UEFAチャンピオンズリーグでは、死のグループと言われていたグループAを2位で通過し、グループリーグ突破を果たした。ベスト16ではチェルシーFCと対戦し1stレグは3-1でチェルシーを破ったが、2ndレグで延長戦の末4-1でチェルシーに敗れ、ベスト16敗退に終わった。
2012-13シーズンは、FWエセキエル・ラベッシがパリ・サンジェルマンに移籍し、MFワルテル・ガルガノがインテルにレンタル移籍した。インテルからレンタルしていたFWゴラン・パンデフを完全移籍で獲得し、フィオレンティーナからMFヴァロン・ベーラミ、DFアレッサンドロ・ガンベリーニ、ブレシア・カルチョからMFオマル・エル・カドゥーリ、サンパウロFCからDFブルーノ・ウビニ、ジェノアCFCからMFジャンドメニコ・メストを獲得した。スーペルコッパ・イタリアーナでは、北京でユヴェントスと対戦した。この試合では、後半40分に副審に暴言を吐いたとしてパンデフが、後半アディショナルタイムに2回目の警告でスニガが退場した。このプレーに抗議したマッツァーリ監督には退席処分が言い渡された。後半が終了して2-2となり、9人で延長戦を戦わなければいけなくなったナポリは、延長前半にクリスティアン・マッジョのオウンゴールとミルコ・ヴチニッチの得点により延長戦の末2-4でユヴェントスに敗れた。このシーズンはリーグ2位に終わったが、ヨーロッパリーグでは決勝トーナメント一回戦で敗れた。シーズン終了後、マッツァーリは退団し翌シーズンからインテルの監督となることが決定。後任としてラファエル・ベニテスが就任した。
2013-14シーズンは、FWエディンソン・カバーニが移籍金6400万ユーロで昨シーズンのラベッシに続きパリ・サンジェルマンに、GKモルガン・デ・サンクティスが50万ユーロでASローマへ、DFウーゴ・カンパニャーロがフリーでインテルへ移籍するなど近年の主力を放出したが、カバーニの売却益を中心にレアル・マドリードからFWゴンサロ・イグアイン、FWホセ・カジェホン、DFラウール・アルビオルを獲得し、更にベニテス監督のリヴァプールFC時代の教え子であるGKホセ・マヌエル・レイナ、PSVからベルギー代表のFWドリース・メルテンスを獲得するなどの補強を進めている。チャンピオンズリーグではグループ・ステージにてアーセナル、ボルシア・ドルトムント、オリンピック・マルセイユと同組になり、混戦の末に最終戦にて敗退が決定した。勝ち点18点中12点でのグループ・ステージ敗退は史上初であった[5]。2年ぶり5回目のコッパ・イタリア制覇を成し遂げている。
2014-15シーズンは、スウォンジー・シティからスペイン代表FWミチュ(1年間のレンタル)とMFジョナサン・デ・グズマンを、RCDエスパニョールからMFダビド・ロペスを、KRCヘンクからDFカリドゥ・クリバリを、カルチョ・カターニアからアルゼンチン代表GKマリアーノ・アンドゥハルを獲得し、パルマFCからウルグアイ代表MFワルテル・ガルガノとフィオレンティーナからGKアントニオ・ロザーティを復帰させた。さらに冬の移籍市場では、UCサンプドリアからイタリア代表FWのマノロ・ガッビアディーニを獲得した。18勝9分11敗でリーグ戦を終え、70得点・54失点となり、結果は5位だった。
2015-16シーズンは、レアル・マドリードに引き抜かれたラファエル・ベニテスの後釜に14-15シーズンにエンポリFCを率いたマウリツィオ・サッリを監督に招聘。そのエンポリで指導を受けたMFミルコ・ヴァルディフィオーリを、ウディネーゼ・カルチョからMFアラン・マルケス・ロウレイロを、バイエルン・ミュンヘンからGKホセ・マヌエル・レイナらを獲得し、GKロベルト・コロンボ、DFジャンドメニコ・メスト、ブルーノ・ウビニ(レンタル)、MFワルテル・ガルガノ、FWドゥバン・サパタ(レンタル)、ミチュらが移籍した。
2016-17シーズンは、昨シーズンまでのエースであったイグアインがユベントスにセリエA最高額となる9000万ユーロで移籍した。代わりにアヤックス・アムステルダムからポーランド代表FWのアルカディウシュ・ミリクを3200万ユーロで獲得した。開幕してすぐにミリクが大怪我を負う事態に陥ったが、メルテンスを偽9番で使う4-3-3が機能し、攻撃陣が爆発した。チャンピオンズリーグではベスト16でレアル・マドリードに敗れた。
2017-18シーズンは、MFのアダム・ウナスら最小限の補強に留まったが、サッリ体制も3年目となり戦術の浸透が進み、リーグ戦は開幕から8連勝を含め14戦負けなしとスタートダッシュに成功した。15節で宿敵ユヴェントスに敗れるものの、17節から10連勝し首位を守る。しかし27節からローマ、インテル戦で1分け1敗となってユベントスに逆転され2位に順位を下げた。34節のユベントス戦でクリバリのゴールで勝利し勝ち点差を1に縮めたものの、翌35節フィオレンティーナに敗れ、ユベントスがインテルに勝利したため再び勝ち点差が4に開き、そのまま差を埋められず2位に終わった。しかし、クラブ史上最多となる勝ち点91を獲得した。UEFAチャンピオンズリーグはグループリーグでマンチェスター・シティ、シャフタール・ドネツク、フェイエノールトと同組になるが、最終節で最下位フェイエノールトに敗れグループ3位に転落し敗退した。ヨーロッパリーグに回るが、ラウンド32でRBライプツィヒにアウェーゴールの差で敗れた。シーズン終了後、サッリは契約満了により監督を退任した。
2018-19シーズンは、新監督にカルロ・アンチェロッティを招聘。MFジョルジーニョがサッリに引き抜かれチェルシーへ、GKレイナはACミラン、エマヌエル・ジャッケリーニがキエーヴォへ移籍したが、その後釜にウディネーゼからGKアレックス・メレト、レアル・ベティスからMFファビアン・ルイスを獲得した。アンチェロッティはサッリのスタイルは崩さず、フォーメーションを4-4-2に変更し攻守のバランスをとった。リーグはユベントスの独走を許すも、3位以下は寄せ付けず終始2位のまま終了した。チャンピオンズリーグはリヴァプール、パリ・サンジェルマン、レッドスター・ベオグラードと同居する「死の組」に入り、大混戦の末最終節でリヴァプールに敗れてグループ3位になり、敗退した。2位リヴァプールとは勝ち点・直接対決の成績・総得失点差まで等しかったが、順位決定基準6番目にあたる総得点数で2点及ばなかった。ヨーロッパリーグでは準々決勝でアーセナルに2戦合計0-3で完敗、ベスト8止まりとなった。シーズン終了後、マレク・ハムシクが退団を発表した。
2019-20シーズンは積極補強を敢行し、ローマからDFコスタス・マノラス、エンポリからDFジョバンニ・ディ・ロレンツォ、フェネルバフチェからMFエリフ・エルマス、PSVからFWイルビング・ロサノ、トッテナムからFWフェルナンド・ジョレンテを獲得。一方でハムシクの他、ラウール・アルビオル、アマドゥ・ディアワラらが退団した。
タイトル
国内タイトル
- セリエA:2回
- 1986-87, 1989-90
- コッパ・イタリア:5回
- 1961-62, 1975-76, 1986-87, 2011-12, 2013-14
- スーペルコッパ:2回
- 1990, 2014
国際タイトル
- UEFAカップ:1回
- 1988-89
- コッパ・デッレ・アルピ:1回
- 1966
- アングロ・イタリアン・リーグカップ:1回
- 1976
過去の成績
シーズン | カテゴリ | 試 | 勝 | 引 | 敗 | 得 | 失 | 点 | 順位 | コッパ・イタリア | UEFACL[成績 1] | UEFAEL[成績 2] |
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2019-20 | セリエA | 38 | 位 | 準決勝 | ‐ | |||||||
2018-19 | セリエA | 38 | 24 | 7 | 7 | 74 | 36 | 79 | 2位 | 準々決勝敗退 | GS敗退 | ベスト8 |
2017-18 | セリエA | 38 | 28 | 7 | 3 | 77 | 29 | 91 | 2位 | 準々決勝敗退 | GS敗退 | ベスト32 |
2016-17 | セリエA | 38 | 26 | 8 | 4 | 94 | 39 | 86 | 3位 | 準決勝敗退 | ベスト16 | ‐ |
2015-16 | セリエA | 38 | 25 | 7 | 6 | 80 | 32 | 82 | 2位 | 準々決勝敗退 | ‐ | ベスト32 |
2014-15 | セリエA | 38 | 18 | 9 | 11 | 70 | 54 | 63 | 5位 | 準決勝敗退 | プレーオフ敗退 | ベスト4 |
2013-14 | セリエA | 38 | 23 | 9 | 6 | 77 | 39 | 78 | 3位 | 優勝 | GS敗退 | ベスト16 |
2012-13 | セリエA | 38 | 23 | 9 | 6 | 73 | 36 | 78 | 2位 | ベスト16 | ‐ | ベスト32 |
2011-12 | セリエA | 38 | 16 | 13 | 9 | 66 | 46 | 61 | 5位 | 優勝 | ベスト16 | ‐ |
2010-11 | セリエA | 38 | 21 | 7 | 10 | 59 | 39 | 70 | 3位 | 準々決勝敗退 | ‐ | ベスト32 |
2009-10 | セリエA | 38 | 15 | 14 | 9 | 50 | 43 | 59 | 6位 | ベスト16 | ‐ | ‐ |
2008-09 | セリエA | 38 | 12 | 10 | 16 | 43 | 45 | 46 | 12位 | 準々決勝敗退 | ‐ | ‐ |
2007-08 | セリエA | 38 | 14 | 8 | 16 | 50 | 53 | 50 | 8位 | ベスト16 | ‐ | ‐ |
2006-07 | セリエB | 42 | 21 | 16 | 5 | 52 | 29 | 79 | 2位 | ベスト16 | ‐ | ‐ |
2005-06 | セリエC1-B | 34 | 19 | 11 | 4 | 48 | 20 | 68 | 1位 | ベスト16 | ‐ | ‐ |
2004-05 | セリエC1-B | 34 | 17 | 10 | 7 | 45 | 31 | 61 | 3位 | ‐ | ‐ | ‐ |
2003-04 | セリエB | 46 | 10 | 26 | 10 | 35 | 43 | 56 | 14位 | GS敗退 | ‐ | ‐ |
2002-03 | セリエB | 38 | 10 | 15 | 13 | 42 | 49 | 45 | 6位 | GS敗退 | ‐ | ‐ |
2001-02 | セリエB | 38 | 16 | 13 | 9 | 48 | 39 | 61 | 5位 | GS敗退 | ‐ | ‐ |
2000-01 | セリエA | 34 | 8 | 12 | 14 | 35 | 51 | 36 | 17位 | 2回戦敗退 | ‐ | ‐ |
1999-00 | セリエB | 38 | 17 | 12 | 9 | 51 | 34 | 63 | 4位 | ベスト16 | ‐ | ‐ |
1998-99 | セリエB | 38 | 12 | 15 | 11 | 41 | 38 | 51 | 9位 | 1回戦敗退 | ‐ | ‐ |
1997-98 | セリエA | 34 | 2 | 8 | 24 | 25 | 76 | 14 | 18位 | ベスト16 | ‐ | ‐ |
1996-97 | セリエA | 34 | 9 | 14 | 11 | 38 | 45 | 41 | 13位 | 準優勝 | ‐ | ‐ |
1995-96 | セリエA | 34 | 10 | 11 | 13 | 28 | 41 | 41 | 12位 | 2回戦敗退 | ‐ | ‐ |
1994-95 | セリエA | 34 | 13 | 12 | 9 | 40 | 45 | 51 | 7位 | 準々決勝敗退 | ‐ | ベスト16 |
1993-94 | セリエA | 34 | 12 | 12 | 10 | 41 | 35 | 36 | 6位 | 2回戦敗退 | ‐ | ‐ |
1992-93 | セリエA | 34 | 10 | 12 | 12 | 49 | 50 | 32 | 11位 | 準々決勝敗退 | ‐ | 2回戦敗退 |
1991-92 | セリエA | 34 | 15 | 12 | 7 | 56 | 40 | 42 | 4位 | ベスト16 | ‐ | ‐ |
1990-91 | セリエA | 34 | 11 | 15 | 8 | 37 | 37 | 37 | 8位 | 準決勝敗退 | ベスト16 | ‐ |
1989-90 | セリエA | 34 | 21 | 9 | 4 | 57 | 31 | 51 | 1位 | 準決勝敗退 | ‐ | ベスト16 |
1988-89 | セリエA | 34 | 18 | 11 | 5 | 57 | 28 | 47 | 2位 | 準優勝 | ‐ | 優勝 |
1987-88 | セリエA | 30 | 18 | 6 | 6 | 55 | 27 | 42 | 2位 | 準々決勝敗退 | 1回戦敗退 | ‐ |
1986-87 | セリエA | 30 | 15 | 12 | 3 | 41 | 21 | 42 | 1位 | 優勝 | ‐ | 1回戦敗退 |
1985-86 | セリエA | 30 | 14 | 11 | 5 | 35 | 21 | 39 | 3位 | GS敗退 | ‐ | ‐ |
1984-85 | セリエA | 30 | 10 | 13 | 7 | 34 | 29 | 33 | 8位 | ベスト16 | ‐ | ‐ |
1983-84 | セリエA | 30 | 7 | 12 | 11 | 28 | 38 | 26 | 12位 | GS敗退 | ‐ | ‐ |
1982-83 | セリエA | 30 | 7 | 14 | 9 | 22 | 29 | 28 | 10位 | 準々決勝敗退 | ‐ | ベスト32 |
1981-82 | セリエA | 30 | 10 | 15 | 5 | 31 | 21 | 35 | 4位 | 準々決勝敗退 | ‐ | 1回戦敗退 |
1980-81 | セリエA | 30 | 14 | 10 | 6 | 32 | 21 | 38 | 3位 | GS敗退 | ‐ | ‐ |
1979-80 | セリエA | 30 | 7 | 14 | 9 | 20 | 20 | 28 | 10位 | 準々決勝敗退 | ‐ | ‐ |
1978-79 | セリエA | 30 | 9 | 14 | 7 | 23 | 21 | 32 | 6位 | 準決勝敗退 | ‐ | ‐ |
1977-78 | セリエA | 30 | 8 | 14 | 8 | 35 | 31 | 30 | 6位 | 準優勝 | ‐ | ‐ |
1976-77 | セリエA | 30 | 9 | 11 | 10 | 37 | 38 | 28 | 7位 | 2回戦敗退 | ‐ | ‐ |
1975-76 | セリエA | 30 | 13 | 10 | 7 | 40 | 27 | 36 | 5位 | 優勝 | ‐ | 1回戦敗退 |
1974-75 | セリエA | 30 | 14 | 13 | 3 | 50 | 22 | 41 | 2位 | 準決勝敗退 | ‐ | ベスト16 |
1973-74 | セリエA | 30 | 12 | 12 | 6 | 35 | 28 | 36 | 3位 | 1回戦敗退 | ‐ | ‐ |
1972-73 | セリエA | 30 | 7 | 14 | 9 | 18 | 20 | 28 | 9位 | 2回戦敗退 | ‐ | ‐ |
1971-72 | セリエA | 30 | 6 | 16 | 8 | 27 | 31 | 28 | 8位 | 準優勝 | ‐ | 1回戦敗退 |
1970-71 | セリエA | 30 | 15 | 9 | 6 | 33 | 19 | 39 | 3位 | FG敗退 | ‐ | ‐ |
1969-70 | セリエA | 30 | 10 | 11 | 9 | 24 | 21 | 31 | 6位 | GS敗退 | ‐ | ‐ |
1968-69 | セリエA | 30 | 10 | 12 | 8 | 26 | 25 | 32 | 7位 | 準々決勝敗退 | ‐ | ‐ |
1967-68 | セリエA | 30 | 13 | 11 | 6 | 34 | 24 | 37 | 2位 | 2回戦敗退 | ‐ | ‐ |
1966-67 | セリエA | 34 | 17 | 10 | 7 | 46 | 23 | 44 | 4位 | 準々決勝敗退 | ‐ | ‐ |
1965-66 | セリエA | 34 | 17 | 11 | 6 | 44 | 27 | 45 | 3位 | 2回戦敗退 | ‐ | ‐ |
1964-65 | セリエB | 38 | 16 | 16 | 6 | 45 | 21 | 48 | 2位 | 準々決勝敗退 | ‐ | ‐ |
1963-64 | セリエB | 30 | 12 | 15 | 11 | 39 | 35 | 39 | 7位 | 2回戦敗退 | ‐ | ‐ |
1962-63 | セリエA | 34 | 9 | 9 | 16 | 35 | 59 | 27 | 16位 | 1回戦敗退 | ‐ | ‐ |
1961-62 | セリエB | 38 | 15 | 13 | 10 | 44 | 35 | 43 | 2位 | 優勝 | ‐ | ‐ |
現所属メンバー
- セリエA 2019-20シーズン 基本フォーメーション
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
加入内定選手
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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レンタル移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
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歴代所属選手
GK
DF
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MF
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FW
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永久欠番
- 10-ディエゴ・マラドーナ
記録
シーズン | カテゴリー | 平均観客数 | 最高観客数 | 対戦相手 |
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2002-2003 | セリエB | ※詳細なし | 64,500人 | ヴィチェンツァ |
2003-2004 | セリエB | ※詳細なし | 26,062人 | アヴェッリーノ |
2004-2005 | セリエC1 | 37,080人 | 62,058人 | レッジャーナ |
2005-2006 | セリエC1 | 23,728人 | 42,681人 | ペルージャ |
2006-2007 | セリエB | 35,176人 | 59,954人 | ユヴェントス |
2007-2008 | セリエA | 43,046人 | 59,972人 | ASローマ |
2008-2009 | セリエA | 39,851人 | 60,240人 | ASローマ |
2009-2010 | セリエA | 40,797人 | 56,311人 | インテル |
2010-2011 | セリエA | 45,608人 | 60,486人 | ユヴェントス |
2011-2012 | セリエA | 40,419人 | 57,402人 | ユヴェントス |
2012-2013 | セリエA | 39,636人 | 58,143人 | ユヴェントス |
2013-2014 | セリエA | 40,632人 | 56,225人 | サンプドリア |
2014-2015 | セリエA | 32,266人 | 53,006人 | ユヴェントス |
2015-2016 | セリエA | 38,760人 | 56,452人 | フロジノーネ |
2016-2017 | セリエA | 36,601人 | 53,085人 | ユヴェントス |
2017-2018 | セリエA | 43,050人 | 55,567人 | ユヴェントス |
- UEFAカップ決勝 ナポリ対シュトゥットガルト
- 1988-89 81,093人
- セリエA ナポリ対ペルージャ
- 1979-80 89,992人
- セリエA ナポリ対インテル
- 1989-90 83,162人
- ワールドカップ イタリア対アルゼンチン
- 1990 69,670人
- セリエC1 ナポリ
- 2005-06 3部リーグの総観客数が世界レコード
- セリエB ナポリ
- 2006-07 シーズン200万人の観戦者はセリエBレコード
試合
- 初得点 ユヴェントス3-2ナポリ
- 1929-30 ミハリッチ
- ホーム初勝利 ナポリ2-1ミラン
- 1929-30
- アウェイ初勝利 モーデナ0-5ナポリ
- 1929-30
- コッパ・イタリア初勝利 ナポリ2-1バーリ
- 1935-36
- 最多得点試合 ナポリ8-1プロ・パトリア
- 1955-56
- 最多失点試合 アレッサンドリア11-1ナポリ
- 1927-28
- 欧州大会初勝利 ナポリ4-0ハノーファー96
- 1967-68
- 欧州大会最多得点試合 バレンシア1-5ナポリ
- 1992-93
- 欧州大会最多失点 ハイバーニアン5-0ナポリ
- 1967-68
- 欧州大会1試合最多得点者 バレンシア1-5ナポリ
- 1992-93 ダニエル・フォンセカ×5
クラブ
- セリエA ナポリ
- 2010.7.26 レガ・カルチョの統計調査でナポリがイタリアでNo.1の人気クラブと発表
- 2013.3.1 セリエAのユヴェントス戦で2.815.220€のチケット収入がクラブレコード
脚注
- ^ “Storia” (Italian). Calcio Napoli Net. (2007年6月26日)
- ^ “Il tifo calcistico in Italia - Settembre 2012” (Italian). (2012年9月) 2012年9月18日閲覧。
- ^ “Luigi e Aurelio De Laurentiis” (Italian) (PDF). My Movies. (2007年6月26日)
- '^ Joseph Sciorra Italian Folk: Vernacular Culture in Italian-American Lives 2010 Page 116 "the Neapolitan standard O surdato 'nnammurato (A Soldier in Love)"
- ^ “ナポリ 勝ち点12で初の敗退 「こんなの理不尽だ」”. スポニチアネックス (2013年12月11日). 2013年12月15日閲覧。