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|画像説明 = 営業開始した仮駅舎と旧駅舎<br/>(2013年12月15日) |
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|よみがな = うらかみ |
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|ローマ字 = Urakami |
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2020年2月14日 (金) 22:29時点における版
浦上駅 | |
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営業開始した仮駅舎と旧駅舎 (2013年12月15日) | |
うらかみ Urakami | |
所在地 | 長崎県長崎市川口町 |
所属事業者 |
九州旅客鉄道(JR九州・駅詳細) 長崎電気軌道(長崎電鉄・駅詳細) |
浦上駅(うらかみえき)は、長崎県長崎市川口町にある九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅である。
本項では駅前にある長崎電気軌道(長崎電鉄)本線の停留場、浦上駅前停留場(うらかみえきまえていりゅうじょう、浦上駅前電停)についても扱う。
概要
長崎本線の新・旧線の分岐駅であり、全旅客列車が停車する。2008年3月14日までは寝台特急「あかつき」1往復のみが当駅を通過していたが、廃止されたため、当駅を通過する列車は無くなった。2005年2月28日までは「あかつき」の他に寝台特急「さくら」も当駅を通過していた。
特急「かもめ」や快速「シーサイドライナー」も当駅に停車するため、諫早・佐世保・鳥栖・佐賀・福岡方面から長崎市北部・時津町・長与町などへ向かう玄関口となっている(バスまたは路面電車に乗り換え)。
また、終点の長崎駅まで行かなくても長与方面と市布方面との乗り換えが出来るため、特急や快速と長与方面の列車の乗り換え利用者も多い(運賃は最短距離では計算されないため、喜々津乗り換えの場合とは運賃が異なるが、選択乗車制度があるので最短距離で計算できる。ただし、券面表示区間以外は途中下車できない)。ただし、当駅発着の2枚きっぷは発売されておらず、長崎駅発着のものを購入することになる(当駅でも購入可能)。
長崎電気軌道の浦上駅前停留場は名前のとおり浦上駅の前にあり[1]、1号系統・2号系統・3号系統の電車が停車する。
歴史
1897年(明治30年)7月22日の開業当時、この駅は長崎駅(ながさきえき)という名であった。今の長崎駅が出来るまでの8年間は終着駅であり、長崎市の表玄関の駅でもあった。現在でも駅前広場の一角に「長崎駅址」の石碑が建てられている。
1945年(昭和20年)8月9日の長崎市への原子爆弾投下では、当駅は爆心地より約1キロの至近距離に位置していたことから、駅舎は全壊し構内には多数の遺体が散乱していたという[2]。国鉄職員の人的被害も甚大で、勤務中の職員ら約70名のうち即死者20名を含む65名が亡くなった[2]が、諫早駅等との間で被災者をピストン輸送する拠点として機能し続けた。被爆後の駅舎は原爆により焼失しバラック建てによる仮復旧の後、1953年(昭和28年)に建てられたものである。
1973年(昭和48年)の8月9日には、当駅を含む国鉄職員の原爆犠牲者を慰霊する目的で「国鉄原爆死没者慰霊之碑」が国鉄労働組合により建立され、同時に慰霊祭が執り行われた[2]。
年表
- 1897年(明治30年)
- 1898年(明治31年)11月27日 - 長与 - 大村間の路線が開通し、長崎駅から門司駅までの全線が開通。
- 1904年(明治37年)11月 - 長崎港湾埋立工事が完成し、埋立地に台場町等の24町が新設される。
- 1905年(明治38年)
- 1907年(明治40年)7月1日 - 九州鉄道の国有化に伴い官設鉄道(九州帝国鉄道)の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 国有鉄道の線路名称制定により長崎本線の駅となる。
- 1915年(大正4年)11月16日 - 長崎電気軌道が病院下 - 築町間で開通[3][4]、浦上駅前停留場が開業[5]。当初は現在の場所よりやや南にあった[1]。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)2月1日 - 長崎電鉄、長崎駅前から浦上駅前までが復旧[6]。
- 1947年(昭和22年)5月16日 - 長崎電鉄、浦上駅前から大橋までの区間を一部路線変更の上復旧[6]。
- 1953年(昭和28年)8月26日 - 旧駅舎が落成し[7]、被爆後8年間のバラック駅舎での営業を終了。
- 1954年(昭和29年)2月1日 - 浦上駅前停留場を移設[5]。
- 1972年(昭和47年)10月2日 - 喜々津駅から市布駅を経て当駅に至る長崎本線の新線が開業し、分岐駅となる。
- 1982年(昭和57年)7月24日 - 長崎大水害により駅舎が水没し全線運休。7月27日に復旧。
- 1986年(昭和61年)12月19日 - 浦上歩道橋線歩行者専用道路が開通。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、九州旅客鉄道(JR九州)の駅となる。
- 2000年(平成12年)3月10日 - 浦上駅前停留場を改築[8]。
- 2004年(平成16年)12月7日 - 浦上駅前停留場に横断歩道を設置[9]。
- 2008年(平成20年)3月15日 - 前日限りで当駅を通過していた寝台特急「あかつき」が廃止されたため、全列車が停車となる。
- 2012年(平成24年)12月1日 - 同駅を含む長崎地区19駅にSUGOCAを導入[10]。
- 2013年(平成25年)
- 6月 - 長崎本線連続立体交差化事業により、高架化工事のため、駅舎取り壊し開始。
- 11月末 - 浦上駅仮駅舎完成。
- 12月14日 - 浦上駅仮駅舎供用開始。
- 2015年(平成27年)
- 2020年(令和2年)3月28日 - JRの駅が高架化される予定[11][12]。
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長崎駅址の石碑
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国鉄原爆死没者慰霊之碑
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解体前の駅舎
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一部解体直後駅舎(2013年7月28日)
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一部解体後の駅舎(2013年9月28日)
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一部解体後の駅舎(2013年12月1日)
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仮駅舎に移設後の一部解体後の駅舎(2013年12月15日)
駅構造
JR九州
JR 浦上駅* | |
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仮駅舎(2013年12月15日) | |
うらかみ Urakami | |
所在地 | 長崎県長崎市川口町1-50 |
所属事業者 | 九州旅客鉄道(JR九州) |
電報略号 | ウラ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
2,629人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1897年(明治30年)7月22日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ■長崎本線 |
キロ程 | 123.7 km(鳥栖起点) |
◄**現川 (8.9 km) (1.6 km) 長崎► | |
所属路線 | ■長崎本線(長与支線) |
キロ程 | 23.5 km(喜々津起点) |
◄西浦上 (2.9 km) (- km) (長崎)► | |
備考 |
業務委託駅 みどりの窓口 有 |
島式ホームの1面2線地上駅。駅舎側が1番のりば、奥が2番のりばである。仮ホームと仮駅舎は跨線橋(屋根あり)で結ばれる。仮駅舎移行後はエレベーターが設置されている(2017年3月25日供用)。かつては中線があったため、旧1番のりばと旧2番のりばの間は広く空いていた。
かつては相対式ホーム2面2線を有していたが、2015年12月23日より島式1面2線の仮ホームとなった。業務委託駅でみどりの窓口が設置されている。なお、23時台まで博多方面からの特急の到着があることから終日駅員は配置されているが、22:00以降は博多方面への特急が発車しなくなることからみどりの窓口は閉鎖され、この時間帯は自動券売機でのみ乗車券を購入できる。自動券売機が2台設置されている。みらい長崎ココウォークの開業に伴い利用者が増えたため1台増やされた。自動改札機は無いが、SUGOCAの簡易カードリーダーが2台設置されている。駅には改札部分にLED式発車標が2面あり、左が市布経由、右が長与経由で、諫早方面のみの表示となっている(長崎方面は次の長崎駅で終着となるため時刻表による掲示となっている)。また、長与行きの列車は隣の長崎駅と同様に「長与まで」と表示される。
駅自動放送は周辺の西浦上駅、長与駅などと同じ「まもなく、列車がまいります。危ないですから、黄色い線の内側へお下がり下さい。」とだけ流れる、簡易放送となっており、列車の案内は駅員によって行われる。1・2番ホームとも列車接近案内装置が設置されている。
のりば
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | |
---|---|---|---|---|
1 | ■長崎本線 | - | 下り | 長崎行き |
2 | 市布経由 | 上り | 諫早・佐賀・博多・ハウステンボス・佐世保方面 | |
長与経由 | 諫早・ハウステンボス・佐世保方面 |
(出典:JR九州 駅情報一覧)
駅高架化への動き
この節の加筆が望まれています。 |
当駅はJR長崎本線連続立体交差事業区間内であるため高架化工事が行われている。かつての平屋建ての旧駅舎は取り壊され、2013年11月末に仮駅舎完成、同年12月14日より供用開始した。旧駅舎に存在し、2013年5月6日から一時閉店していたファミリーマート[13]とトランドールも12月14日より仮駅舎での営業再開した[14][15]。仮駅舎はロータリーを狭める形で国道寄りに建設された。これは旧1番ホームとの間に空いたスペースを利用して旧1番ホームを島式1面2線に改造し、ホームを国道側に寄せることで高架化工事スペースを確保するためである。なお、仮ホームは浦上駅横の立体駐車場の一階部分を貫通している。2020年3月28日には、高架駅として開業する予定である[11][12]。
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仮駅舎建設地(2013年7月28日)
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仮駅舎建設中(2013年9月28日)
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完成後の仮駅舎(2013年12月1日)
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駅前ロータリー(2013年12月15日)
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平和祈念像をイメージしたイラストの描かれた駅名標
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駅構内
その他
連続立体交差化事業により当駅周辺は全線が仮線路への移行となった。かつては浦上駅から諫早方面へ進むとクロスポイントがあり、そこからは長崎本線の新線と旧線の単線並列区間が続いていた。2015年12月23日より既存の高架終了区間の松山町付近から浦上駅までが仮線路の単線1本となったため、これが新線と旧線との分岐点となっている(松山町付近から長崎トンネルまでの約1.5kmは、長崎本線の新旧線が並走する単線並列区間。長崎電気軌道と並走する。既に高架化されている。)。旧線は電化されておらず、直進する列車は全て気動車である。一方新線は電化されており、非電化の大村線直通列車は気動車、それ以外の大半の列車は電車により運行されている。2016年10月に浦上駅前から浦上川歩道橋を繋ぐ浦上駅歩道橋が線路高架化工事のため閉鎖、撤去された。代替路として諫早寄りに地下通路が設けられた。
長崎電気軌道
長崎電気軌道 浦上駅前停留場 | |
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うらかみえきまえ Urakami Station | |
◄21 大学病院 (0.4 km) (0.2 km) 茂里町 23► | |
所在地 | 長崎県長崎市川口町3番地先 |
駅番号 | 22 |
所属事業者 | 長崎電気軌道 |
所属路線 | 本線(■1号系統・□2号系統・■3号系統) |
キロ程 |
3.2km(住吉起点) 赤迫から3.4 km |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
3,100人/日 -2015年- |
開業年月日 | 1915年(大正4年)11月16日 |
停留場は浦上駅前を走る併用軌道上にあり、ホームは道路上に置かれる[16][17]。ホームは2面あり、浦上駅に並行して伸びる2本の線路を挟んで向かい合う(相対式ホーム)[16][17]。駅側にあるのが赤迫方面行きのホーム、反対側が長崎駅前方面行きのホーム[17]。ホームには横断歩道橋と横断歩道が接続する。もとは歩道橋のみだったが、利便性を向上させるため2004年に横断歩道が追加で設置された[18]。駅番号は22。
1915年の開業当初は南寄りにあり[1]、当時の路線は浦上駅前から長崎大学病院(旧長崎県立病院)の門前まで大きくカーブを描いて迂回するようなルートをとっていた[4][19]。この区間は専用軌道で[20]、途中には長崎電気軌道で唯一、赤色灯付きの踏切があった[21]。ルートが変更されたのは1947年5月、原爆投下から浦上駅前 - 大橋間が復旧した時のことで[5][6]、都市計画に基づいて浦上駅前から浜口町までが一直線に結ばれるようになった[22]。
利用状況
市布経由の列車を利用するために、松山町・住吉方面から路面電車やバスを利用し当駅でJRに乗り換える利用者も多い。浦上駅の各年度の1日平均乗車人員は以下の通り。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
2000年 | 2,095 |
2001年 | 2,033 |
2002年 | 1,955 |
2003年 | 1,888 |
2004年 | 1,887 |
2005年 | 1,903 |
2006年 | 1,908 |
2007年 | 2,061 |
2008年 | 2,213 |
2009年 | 2,330 |
2010年 | 2,379 |
2011年 | 2,412 |
2012年 | 2,551 |
2013年 | 2,562 |
2014年 | 2,569 |
2015年 | 2,597 |
2016年 | 2,609 |
2017年 | 2,568 |
2018年 | 2,629 |
駅周辺
駅前広場を挟み国道に面する。駅の裏には長崎原爆病院、茂里町側にはみらい長崎ココウォーク(商業施設)、ココウォークバスセンター(バスターミナル、ココウォーク1階)、長崎ブリックホール(コンサートホール・国際会議場)、長崎文化放送(放送局)、長崎新聞社、長崎西高校、活水中学・高校など公共・文教施設が多い。また、バス・路面電車(北部方面)への乗り換え利用者も多い。この駅の利用者は通勤通学者が多数を占める。
文教施設
- 活水中学校・高等学校
- 長崎県立長崎西高等学校
- 長崎市立淵中学校
- 長崎市立銭座小学校
- 長崎市立坂本小学校
- 北九州予備校長崎校
- 長崎大学医学部・歯学部
- 長崎歯科衛生士専門学校
医療
- 長崎大学病院
- 日本赤十字社長崎原爆病院
- 長崎県医師会館
文化施設
マスコミ
その他
- 浦上駅前交番
- まるなか蒲鉾総本店
- みらい長崎ココウォーク - 2008年10月1日に浦上駅近くの長崎自動車茂里町営業所の再開発事業計画によって建設された。観覧車をランドマークとする大型商業施設。
バス路線
最寄りのバス停は国道沿いにある長崎自動車・長崎県交通局の「浦上駅前」バス停。他にもココウォーク茂里町バス停やココウォークバスセンターが徒歩圏内にある。
- 大橋・住吉・昭和町・西町方面 - 浦上駅前 - 長崎駅前・長崎新地・浜の町・茂木方面
- 長崎大学病院行きミニバス「元気くん」と浦上駅前始発立神行きは駅前広場から発車する。
- 長崎空港行きリムジンバス(昭和町経由・道の尾経由)も利用可能。
隣の駅
脚注
- ^ a b c 田栗 & 宮川 2000, p. 53.
- ^ a b c d ガイドブックながさき, p. 81-82.
- ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 87.
- ^ a b 100年史, p. 129.
- ^ a b c 今尾 2009, p. 57.
- ^ a b c d 田栗 2005, p. 157.
- ^ 原爆遺構, p. 154.
- ^ 田栗 2005, p. 156.
- ^ 100年史, p. 200.
- ^ 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2012年12月4日)
- ^ a b "新型車両を投入し、通勤・通学をより快適にします ダイヤをよりわかりやすく利用しやすくします" (PDF) (Press release). 九州旅客鉄道. 13 December 2019. p. 4. 2019年12月24日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2019年12月29日閲覧。
- ^ a b "JR長崎本線(長崎駅から浦上駅間)の高架化について" (Press release). 長崎県都市政策課. 13 December 2019. 2019年12月13日閲覧。
- ^ 旧:生活列車→am/pm
- ^ “浦上駅工事のお知らせ” (PDF). 九州旅客鉄道. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月2日閲覧。
- ^ “店舗案内”. トランドール. 2013年8月1日閲覧。
- ^ a b 100年史, p. 130.
- ^ a b c 川島 2013, p. 47.
- ^ 100年史, p. 116.
- ^ 田栗 2005, p. 44.
- ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 88.
- ^ 田栗 2005, p. 46.
- ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 98.
- ^ “駅別乗車人員上位300駅(2018年度)” (PDF). 九州旅客鉄道. 2019年8月4日閲覧。
- ^ 100年史, p. 124.
参考文献
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
- 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第5巻 長崎・佐賀エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年。ISBN 978-4-06-295161-6。
- 田栗優一『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05987-2。
- 田栗優一、宮川浩一『長崎のチンチン電車』葦書房、2000年。ISBN 4-7512-0764-4。
- 長崎電気軌道株式会社『長崎電気軌道100年史』2016年。
- 長崎の原爆遺構を記録する会 編『原爆遺構 長崎の記憶』海鳥社、2005年。ISBN 4-874-15543-X。
- 長崎平和研究所『ガイドブックながさき』新日本出版社、1997年8月9日。ISBN 4406025324。
関連項目
外部リンク
- 浦上駅(駅情報) - 九州旅客鉄道
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