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|画像説明= 駅舎(2017年8月) |
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|よみがな= ゆうふつ |
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|ローマ字= Yūfutsu |
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2020年2月15日 (土) 04:47時点における版
勇払駅 | |
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駅舎(2017年8月) | |
ゆうふつ Yūfutsu | |
◄H18 苫小牧 (13.1 km) (9.6 km) 浜厚真► | |
所在地 | 北海道苫小牧市字勇払 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 日高本線 |
キロ程 | 13.1 km(苫小牧起点) |
電報略号 | ユフ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1913年(大正2年)10月1日 |
備考 | 無人駅 |
勇払駅(ゆうふつえき)は、北海道(胆振総合振興局)苫小牧市字勇払にある北海道旅客鉄道(JR北海道)日高本線の駅である。電報略号はユフ。
1986年(昭和61年)10月まで運行されていた急行「えりも」の停車駅であった。
歴史
かつては製紙工場の側線が引いてあり、かなり大きな駅だった。
年表
- 1913年(大正2年)10月1日:苫小牧軽便鉄道の勇払駅として開業。一般駅。
- 1927年(昭和2年)8月1日:苫小牧軽便鉄道が国有化により国有鉄道に移管。線路名を日高線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1929年(昭和4年):苫小牧駅 - 佐瑠太駅間軌間拡張を機に駅舎新築[1]。
- 1941年(昭和16年)10月25日:大日本再生製紙(後に山陽国策パルプを経て日本製紙)専用線の運用開始[1][注釈 1]。
- 1943年(昭和18年)11月1日:線路名を日高本線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1955年(昭和30年)9月27日:駅舎改築[1]。
- 1962年(昭和37年)12月2日:苫小牧港建設に伴い、苫小牧駅 - 浜厚真駅間線路付け替えにより北に移転[2]、改キロ。
- 1967年(昭和42年)5月2日:札建工業砂積込み専用線の運用開始[1]。
- 1980年(昭和55年)以前:山陽国策パルプ専用線廃止。
- 1982年(昭和57年)11月15日:貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
- 時期不詳(1985年-1991年の間):跨線橋撤去。
- 時期不詳[注釈 2]:簡易委託廃止、完全無人化。
国鉄時代は苫小牧(貨)駅 - 勇払駅間のみ連査閉塞だった。
駅名の由来
当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「イプッ」(大事な入り口)に由来するとの説がある。この地はかつて太平洋から安平川を遡り、分水嶺を越えて千歳川から石狩川、さらに日本海へと至る重要なルートの入り口だった。そのほか同じくアイヌ語の「イブツ」(川口)[3]、「イ・プッ」(それの口)[4]など、由来には諸説ある。
駅構造
島式ホーム(片面使用)1面1線を有する地上駅。ホームは線路の南西側(様似方面に向かって右手側、旧2番線)に存在する[2]。かつては島式ホーム1面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。駅舎側が上りの1番線、反対側が下りの2番線となっていた[5]。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去された。そのほか1983年(昭和58年)4月時点では1番線の駅舎側に側線(副本線)を1線と、そこから分岐した貨物側線などの行き止まりの側線を2線有し[5]、また日本製紙勇払工場の引込み線も存在した[2]。
静内駅管理の無人駅となっている。駅舎は構内の南側に位置しホームとはかなり離れており、ホーム南側とを結ぶ長い通路で連絡している[2]。これは以前駅舎とホームの間に側線や専用線が敷設されていた名残である[5]。有人駅時代の駅舎を有する。交換設備運用当時は駅舎とホームの間は跨線橋で結ばれていた[5]。駅舎はコンクリートブロック造り二階建ての大きな建物[3]であるが、1階の旧事務部分室や2階部分などは開口部に板材が打ち付けられ完全閉鎖されている[3]。
1962年移転前の旧駅は、駅舎は海側に位置し、千鳥状にずれた相対式ホーム2面2線と駅裏に留置線、駅舎横の苫小牧側に貨物ホームと引込み線を有していた。またホーム間に跨線橋は無く構内踏切で連絡していた[注釈 3][6]。
-
ホーム(2017年8月)
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ホームに停車中の列車(2017年8月)
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駅名標(2017年8月)
利用状況
1日乗降人員は以下のとおりである。
年度 | 乗降人員 (単位:人) |
出典 |
---|---|---|
1981年(昭和56年) | 242 | [5] |
1992年(平成 | 4年)282 | [2] |
また、JR北海道によると、特定の平日の調査日における乗車人員平均は以下のとおりである。
調査対象の5年間 | 5年間の各調査日における 平均乗車人員 (単位:人) |
備考 | 出典 |
---|---|---|---|
2012 - 2016年(平成24 - 28年) | 28.4 | [7] | |
2013 - 2017年(平成25 - 29年) | 28.8 | [8] | |
2014 - 2018年(平成26 - 30年) | 27.0 | 北海道胆振東部地震の影響により、8月末に実施された臨時調査の結果のものが公表されている。 | [9] |
駅周辺
工業地帯の合間を縫って海岸に出て来た所に位置した[5]。
- 北海道道781号苫小牧環状線
- 苫小牧市役所勇払出張所
- 苫小牧警察署勇払駐在所
- 勇払郵便局
- 苫小牧信用金庫勇払代理店
- 日本製紙北海道工場勇払事業所
- 苫小牧市立勇払中学校
- 苫小牧市立勇払小学校
- 市立はまなす保育園
- 勇武津資料館 - 駅附近[3]。勇払地区の資料を展示している。
- 弁天沼 - 駅から北東に約3.3km[5]。
- 道南バス(旧・苫小牧市営バス)「勇払駅前」停留所
- 安平川
隣の駅
脚注
注釈
- ^ なお、国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1936年(昭和11年)陸軍撮影航空写真 913G83-C2-80 では、既に専用線が敷かれている様子が見て取れるが、事実関係は不明。
- ^ 1990年(平成2年)7月1日時点では簡易委託駅(小冊子『HANDBOOK 1990』「駅は旅の出発点」(発行:北海道旅客鉄道、1990年発行)より)、1993年(平成5年)3月時点では完全無人化されている(書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)100ページより。)。
- ^ 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1961年撮影航空写真 MHO612-C10-7111。
出典
- ^ a b c d 苫小牧市史 下巻 昭和51年3月発行。
- ^ a b c d e 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館、1993年6月発行)100ページより。
- ^ a b c d 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社、2008年8月発行)342ページより。
- ^ 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)99ページより。
- ^ a b c d e f g 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)100ページより。
- ^ 昭和7年版 線路一覧略図 札幌鉄道局発行。
- ^ "駅別乗車人員(2016)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために) (Press release). 北海道旅客鉄道株式会社. 8 December 2017. p. 10. 2018年8月17日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年8月17日閲覧。
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- ^ "日高線(苫小牧・鵡川間)" (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために) (Press release). 北海道旅客鉄道株式会社. 2 July 2018. p. 3. 2018年8月17日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年8月17日閲覧。
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で外部リンクを指定しないでください (説明)|work=
- ^ “日高線(苫小牧・鵡川間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。