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「五百石駅」の版間の差分

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2020年2月15日 (土) 09:35時点における版

五百石駅*
五百石駅舎
ごひゃくこく
Gohyakukoku
T45 田添 (1.6 km)
(0.9 km) 榎町 T47

地図

五百石駅の位置(富山県内)
五百石駅
五百石駅
五百石駅(富山地方鉄道)位置図(富山県)
所在地 富山県中新川郡立山町前沢1172
北緯36度39分55.41秒 東経137度18分50.88秒 / 北緯36.6653917度 東経137.3141333度 / 36.6653917; 137.3141333 (五百石駅*)座標: 北緯36度39分55.41秒 東経137度18分50.88秒 / 北緯36.6653917度 東経137.3141333度 / 36.6653917; 137.3141333 (五百石駅*)
駅番号 T46
所属事業者 富山地方鉄道
所属路線 立山線
キロ程 3.7 km(寺田起点)
駅構造 地上駅
ホーム 相対式2面2線
乗降人員
-統計年度-
886人/日
-2016年-
開業年月日 1913年大正2年)6月25日
備考 *1959年 - 1970年は立山町駅
業務委託駅
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五百石駅旧駅舎
五百石駅ホーム内部

五百石駅(ごひゃくこくえき)は富山県中新川郡立山町前沢にある富山地方鉄道立山線である。駅番号はT46。案内などでは「ごひゃっこく」と読まれることもある。

立山線では起点の寺田駅から千垣駅までと終点立山駅の計12もの駅が属する立山町の中心部にある駅で、急行も停車する。

1983年8月下旬頃までは立山駅まで夏ダイヤ時限定で延長運転していた特急「北アルプス」も停車していた。

歴史

1913年(大正2年)6月25日五百石駅として開業。富山県で2番目の鉄道路線として、立山軽便鉄道が滑川駅から上市駅を経て当駅までを開通させたのに伴い、その終着駅として当駅は開業した。立山軽便鉄道はその名のとおり軌間が762mmの軽便鉄道であった。

立山軽便鉄道は1917年(大正6年)に立山鉄道に改称、1921年(大正10年)、当駅から旧立山駅[1]までを開通。1931年(昭和6年)立山鉄道は富山電気鉄道に合併となり、この駅も富山電気鉄道の駅となる。

1931年に富山電気鉄道は当駅を移転の上、富山田地方駅(現在の電鉄富山駅稲荷町駅の間にあった駅)から上市口駅までと寺田駅から当駅までを開通させた。これにより当駅から上市口駅までは支線の扱いとなり、当駅と上市口駅の間を往復する列車が運行されるのみとなり1932年(昭和7年)12月21日に廃線となった。

1936年(昭和11年)には当駅から旧立山駅までが1067mmへ改軌の上、電化される。また1943年(昭和18年)1月1日には陸上交通事業調整法による富山県内各社の合併により当駅も富山地方鉄道の駅となった。その後、当駅は1959年(昭和34年)1月にいったん立山町駅に改称となったのち、1970年(昭和45年)7月に五百石駅に戻され、現在に至っている。

年表

  • 1913年大正2年)6月25日 - 立山軽便鉄道の滑川駅から上市駅をへて当駅までの開通に伴い五百石駅として開業する。
  • 1917年(大正6年) - 立山軽便鉄道が立山鉄道に改称となる。
  • 1921年(大正10年)3月19日 - 立山鉄道が当駅から旧立山駅までを開通させる。
  • 1921年(大正10年)9月26日 - 暴風にて駅構内の貨車が押し流されて本線を暴走。脱線転覆[2]
  • 1931年昭和6年)
    • 3月20日 - 富山電気鉄道が立山鉄道を合併し富山電気鉄道の駅となる。
    • 8月15日 - 富山電気鉄道が当駅を移転の上、富山田地方駅(現在の電鉄富山駅と稲荷町駅の間にあった駅)から上市口駅までと寺田駅から当駅までを開通。
  • 1932年(昭和7年)12月21日 - 当駅から上市口駅までが廃止。
  • 1936年(昭和11年)8月18日 - 当駅から旧立山駅までが1067mmへ改軌の上電化される。
  • 1943年(昭和18年)1月1日 - 陸上交通事業調整法により富山地方鉄道の駅となる。
  • 1959年(昭和34年)1月1日 - 立山町駅に改称。
  • 1970年(昭和45年)7月1日 - 五百石駅に改称。
  • 2011年平成23年)3月7日 - 駅舎のリニューアル工事開始[3]。約98年間の歴史を持った旧駅舎は取り壊された。
  • 2012年(平成24年)6月1日 - 「立山町元気交流ステーション(みらいぶ)」として、図書館等を統合した上で駅舎をリニューアル。

駅構造

駅舎から少しはなれて相対式ホーム2面2線のある地上駅で列車同士の行き違いが可能。立山線の寺田駅から岩峅寺駅までの間では、この駅のみ列車同士の行き違いができることになる。各ホームと駅舎とが、構内踏み切りで結ばれているほか、駅舎西側には地下道で連絡している。

現駅舎は、立山町の図書館、交流施設等、各種社会機能を統合した立山町「元気交流ステーション」愛称「みらいぶ」内にあり、2012年(平成24年)6月1日より供用が開始された。本来は2012年3月20日に供用開始予定であったが、東日本大震災の影響により工事が遅れ延期された。建設費は約16億円[4]

旧駅舎は、1913年(大正2年)築の一階建て木造駅舎で、左右対称のデザインを持っていた。洋風だが瓦葺の屋根を持つ駅舎であった。駅舎の内部には広い待合所と出札口や改札のほか、自動券売機が設置されていた。台風時の強風で外の大木が折れ、そのまま駅舎に倒れこみ、駅舎が半壊したことがある。

この駅は立山町の中心部にあるため乗降客が多く、業務委託駅となっている。2012年3月17日現在、7時00分から20時00分まで駅員が配置されているほか、ICカード専用改札機も設置されている。

利用状況

「富山県統計年鑑」及び「統計たてやま」によると、2016年度の1日平均乗降人員886人である。

近年の1日平均乗降人員は以下の通り。

年度 1日平均
乗降人員
1995年 1,323
1996年 1,276
1997年 1,177
1998年 1,116
1999年 1,031
2000年 983
2001年 928
2002年 937
2003年 900
2004年 861
2005年 908
2006年 914
2007年 903
2008年 868
2009年 829
2010年 850
2011年 853
2012年 870
2013年 831
2014年 847
2015年 872
2016年 886

駅周辺

立山町の中心部にある駅で、特に駅の東側が賑やかな市街地となっている。立山町の中心駅として駅前にはロータリータクシー乗り場、大型の駐車場が整備されており、バスなども発着する。

立山町の市街地はこの駅の附近から隣の榎町駅周辺まで、この富山地方鉄道立山線の線路沿いに長く続いており、複数の銀行や商店などもある。立山町の役場はこの駅の南西側、線路に程近いところにあり、この駅からは直線距離にして300メートルも無いくらいの距離である。

この駅の東側およそ1キロメートルほどのところには北陸自動車道が走っている。また駅を出てすぐ左手には立山製紙の大規模な工場がある。以下には当駅附近にある主要なスポットを列記する。

隣の駅

富山地方鉄道
立山線
特急・快速急行(下りのみ)
寺田駅 (T08) - 五百石駅 (T46) -岩峅寺駅 (T51)
急行(下りのみ)
寺田駅 (T08) → 五百石駅 (T46)榎町駅 (T47)
普通
田添駅 (T45) - 五百石駅 (T46) - 榎町駅 (T47)

脚注

  1. ^ 現在の岩峅寺駅附近の駅で今の立山駅とは異なる
  2. ^ 上市町誌編纂委員会『上市町誌 』上市町、1970年、p1128頁。 
  3. ^ 「ありがとう五百石駅舎」の集い式典について (PDF) [リンク切れ]
  4. ^ (仮称) 元気創造館の整備を進めています (PDF)

関連項目

外部リンク