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「平野停留場」の版間の差分

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特徴ある駅舎を有しており、[[1976年]]以降、平野線で唯一の有人駅<ref>それまでは中間駅の文ノ里も有人駅だった。合理化の一環として、上町線のワンマン化にともに文ノ里停留場が無人化された。</ref>となり、乗車券類の発売も行われていた。また、乗務員詰所も備えていた。乗務員詰所には南海平野運輸区が併設され、乗務員の宿泊施設もあった。運転終了後の夜間当駅泊となる車両のために、専用の行き先板が備えられていた。
特徴ある駅舎を有しており、[[1976年]]以降、平野線で唯一の有人駅<ref>それまでは中間駅の文ノ里も有人駅だった。合理化の一環として、上町線のワンマン化にともに文ノ里停留場が無人化された。</ref>となり、乗車券類の発売も行われていた。また、乗務員詰所も備えていた。乗務員詰所には南海平野運輸区が併設され、乗務員の宿泊施設もあった。運転終了後の夜間当駅泊となる車両のために、専用の行き先板が備えられていた。


[[大阪市営地下鉄]]谷町線(現・[[大阪市高速電気軌道|Osaka Metro]][[大阪市高速電気軌道谷町線|谷町線]])[[天王寺駅|天王寺]]・[[八尾南駅|八尾南]]間開通に伴う南海平野線[[廃線]]により、[[1980年]](昭和55年)[[11月28日]]に同駅は廃止された。
[[大阪市営地下鉄]]谷町線(現・[[大阪市高速電気軌道|Osaka Metro]][[Osaka Metro谷町線|谷町線]])[[天王寺駅|天王寺]]・[[八尾南駅|八尾南]]間開通に伴う南海平野線[[廃線]]により、[[1980年]](昭和55年)[[11月28日]]に同駅は廃止された。


== 構造 ==
== 構造 ==

2020年3月23日 (月) 11:28時点における版

平野停留場
ひらの
HIRANO
西平野 (0.5 km)
所在地 大阪市平野区平野本町1丁目
北緯34度37分24.2秒 東経135度33分06.4秒 / 北緯34.623389度 東経135.551778度 / 34.623389; 135.551778座標: 北緯34度37分24.2秒 東経135度33分06.4秒 / 北緯34.623389度 東経135.551778度 / 34.623389; 135.551778
所属事業者 南海電気鉄道
所属路線 平野線
キロ程 5.9 km(今池起点)
駅構造 地上駅
ホーム 切欠きホーム 2面2線
開業年月日 1914年4月26日
廃止年月日 1980年11月28日
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平野停留場(ひらのていりゅうじょう)は、大阪市平野区平野本町1丁目16番地・平野本町2丁目4番地・平野本町4丁目2番地が接する地点にあった南海電気鉄道平野線の駅(路面電車のため実質は電停)である。

特徴ある駅舎を有しており、1976年以降、平野線で唯一の有人駅[1]となり、乗車券類の発売も行われていた。また、乗務員詰所も備えていた。乗務員詰所には南海平野運輸区が併設され、乗務員の宿泊施設もあった。運転終了後の夜間当駅泊となる車両のために、専用の行き先板が備えられていた。

大阪市営地下鉄谷町線(現・Osaka Metro谷町線天王寺八尾南間開通に伴う南海平野線廃線により、1980年(昭和55年)11月28日に同駅は廃止された。

構造

行き止まり式の2線切欠きホームで、開業当時からの歴史を伝える六角屋根の駅舎があった。ただし実際には八角形。しかし、六角形だと思っていた人は多く、六角堂と呼ぶむきもあった[2]。駅舎に一番近いほうが1番線で、奥の切欠き線が2番線だった。1番線ホーム先端には便所があった。

のりば

1 平野線 田辺・阿倍野・今池方面
阪堺線直通
恵美須町
平野線 田辺・阿倍野・天王寺駅前方面
上町線直通
天王寺駅前行*1
2 平野線 田辺・阿倍野・今池方面
阪堺線直通
恵美須町行*1
平野線 田辺・阿倍野・天王寺駅前方面
上町線直通
天王寺駅前
  1. 朝夕のラッシュ時間帯のみ発着。

歴史

現状

プロムナード平野

廃止前から有志の団体による募金活動が行われ、地元では駅舎の保存要望が持ち上がったが、実現せず平野線廃止後に駅舎は解体された。廃止後、駅ホームは大阪市営地下鉄谷町線平野駅への近道として開放されていた。モ205型車両(240号)も留置されていたがそれも解体された。廃止後しばらくは、盗難防止にヘッドライトを取り外したほかはそのままの状態で、パンタグラフを上げたまま留置されており、手で直接車体に触れられる状態だった。その後、金網・トタン板塀で囲われた。そのかわりとして、跡地が整備され、現在は「プロムナード平野」という公園になっている。ベンチには駅舎を模した上屋が付けられており、駅舎で使われていた車止めやホーム上屋の骨組みを利用した藤棚、煉瓦で線路を模した遊歩道(モ205形電車のレリーフあり)、信号機などが設置されている。

また、平野線廃止三十余年を経ても、駅前商店街は「平野南海商店街」を名乗る。

脚注

  1. ^ それまでは中間駅の文ノ里も有人駅だった。合理化の一環として、上町線のワンマン化にともに文ノ里停留場が無人化された。
  2. ^ 「[まちいろ探訪] 平野 町ぐるみ博物館 自治の気概 漂う楽しさ」.『読売新聞(大阪)』.2014年5月23日付夕刊、12面。