「平野停留場」の版間の差分
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特徴ある駅舎を有しており、[[1976年]]以降、平野線で唯一の有人駅<ref>それまでは中間駅の文ノ里も有人駅だった。合理化の一環として、上町線のワンマン化にともに文ノ里停留場が無人化された。</ref>となり、乗車券類の発売も行われていた。また、乗務員詰所も備えていた。乗務員詰所には南海平野運輸区が併設され、乗務員の宿泊施設もあった。運転終了後の夜間当駅泊となる車両のために、専用の行き先板が備えられていた。 |
特徴ある駅舎を有しており、[[1976年]]以降、平野線で唯一の有人駅<ref>それまでは中間駅の文ノ里も有人駅だった。合理化の一環として、上町線のワンマン化にともに文ノ里停留場が無人化された。</ref>となり、乗車券類の発売も行われていた。また、乗務員詰所も備えていた。乗務員詰所には南海平野運輸区が併設され、乗務員の宿泊施設もあった。運転終了後の夜間当駅泊となる車両のために、専用の行き先板が備えられていた。 |
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[[大阪市営地下鉄]]谷町線(現・[[大阪市高速電気軌道|Osaka Metro]][[Osaka Metro谷町線|谷町線]])[[天王寺駅|天王寺]]・[[八尾南駅|八尾南]]間開通に伴う南海平野線[[廃線]]により、[[1980年]](昭和55年)[[11月28日]]に同駅は廃止された。 |
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== 構造 == |
== 構造 == |
2020年3月23日 (月) 11:28時点における版
平野停留場 | |
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ひらの HIRANO | |
◄西平野 (0.5 km) | |
所在地 | 大阪市平野区平野本町1丁目 |
所属事業者 | 南海電気鉄道 |
所属路線 | 平野線 |
キロ程 | 5.9 km(今池起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 切欠きホーム 2面2線 |
開業年月日 | 1914年4月26日 |
廃止年月日 | 1980年11月28日 |
平野停留場(ひらのていりゅうじょう)は、大阪市平野区平野本町1丁目16番地・平野本町2丁目4番地・平野本町4丁目2番地が接する地点にあった南海電気鉄道平野線の駅(路面電車のため実質は電停)である。
特徴ある駅舎を有しており、1976年以降、平野線で唯一の有人駅[1]となり、乗車券類の発売も行われていた。また、乗務員詰所も備えていた。乗務員詰所には南海平野運輸区が併設され、乗務員の宿泊施設もあった。運転終了後の夜間当駅泊となる車両のために、専用の行き先板が備えられていた。
大阪市営地下鉄谷町線(現・Osaka Metro谷町線)天王寺・八尾南間開通に伴う南海平野線廃線により、1980年(昭和55年)11月28日に同駅は廃止された。
構造
行き止まり式の2線切欠きホームで、開業当時からの歴史を伝える六角屋根の駅舎があった。ただし実際には八角形。しかし、六角形だと思っていた人は多く、六角堂と呼ぶむきもあった[2]。駅舎に一番近いほうが1番線で、奥の切欠き線が2番線だった。1番線ホーム先端には便所があった。
のりば
1 | ■平野線 | 田辺・阿倍野・今池方面 阪堺線直通 |
恵美須町行 |
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■平野線 | 田辺・阿倍野・天王寺駅前方面 上町線直通 |
天王寺駅前行*1 | |
2 | ■平野線 | 田辺・阿倍野・今池方面 阪堺線直通 |
恵美須町行*1 |
■平野線 | 田辺・阿倍野・天王寺駅前方面 上町線直通 |
天王寺駅前行 |
- 朝夕のラッシュ時間帯のみ発着。
歴史
現状
廃止前から有志の団体による募金活動が行われ、地元では駅舎の保存要望が持ち上がったが、実現せず平野線廃止後に駅舎は解体された。廃止後、駅ホームは大阪市営地下鉄谷町線平野駅への近道として開放されていた。モ205型車両(240号)も留置されていたがそれも解体された。廃止後しばらくは、盗難防止にヘッドライトを取り外したほかはそのままの状態で、パンタグラフを上げたまま留置されており、手で直接車体に触れられる状態だった。その後、金網・トタン板塀で囲われた。そのかわりとして、跡地が整備され、現在は「プロムナード平野」という公園になっている。ベンチには駅舎を模した上屋が付けられており、駅舎で使われていた車止めやホーム上屋の骨組みを利用した藤棚、煉瓦で線路を模した遊歩道(モ205形電車のレリーフあり)、信号機などが設置されている。
また、平野線廃止三十余年を経ても、駅前商店街は「平野南海商店街」を名乗る。